浜松中納言物語 0
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「春爛漫--散歩日和--完」 「上海発!画像の更新!」では、5月8日まで新疆付近の旅行に出掛けます。春爛漫の自然の中で散歩をしながら撮影と更新、その画像も次の更新までお預けとなってしまいました。4月18日より中部国際空港より上海浦東国際空港へ飛び、上海より中国青海西寧空港へ行き、青海省から旅行を始めます。青蔵高原東北部に位置し黄河や揚子江またメコン河の、水源地帯で、1600mの高原地帯の人々はモンゴル系やチベット系の、人々や漢民族も多くまた回族住みイスラム教徒が多い。上海あたりに出て来て手打ちラーメンを作ってくれる店では、回族の人が大半であり、白いツバのない帽子を被っている。青海の塩湖や青海湖など大自然の空気の中を歩き、その後、甘粛省の敦煌へ行き古き時代に描いた莫高窟の壁絵や、紀元前92年ごろより西方からのブドウ・ゴマなどの産物や仏教が、この地を通って漢に運ばれ、漢からは絹が西方へと運ばれた。いわゆるシルクロードものんびりと歩く事が出来ればと思う。その後甘粛省の首都の蘭州へ行く。回族の多いこの地方では牛肉を食べないし酒も飲まない。また中国最大級の石油埋蔵量があり、蘭州は石油精製や石油化学また、鉄鋼などの工業都市として発展しているが、そのような街並みも、見てみたいが、やはり私は自然公園へ行きたいと思う。その後鉄道で新疆ウイグル自治区へ向かう予定。新疆ウイグル自治区の首都はウルムチであるが上海から飛行機で、5時間以上掛るが、それでも時差は1時間である。新疆での一番の楽しみは、羊の肉である。上海では新疆人が、街頭で焼く長い串に刺した羊の肉を食べる事がよくある。今回やっとの事で本場の羊が食べれる。一番の関心はタクラマカン砂漠やゴビ砂漠の大自然の中で、写真を撮影したいと思うが日射病にならないように心配する人も、私は砂漠のパウダー状の砂がカメラに侵入しては困ると、新たに水中カメラ用のプロテクターを取り寄せカメラも購入した。パソコンは持って行かないので今回の更新で当分更新できない。
2009.04.18
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「春爛漫--散歩日和11」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。次の日の朝ツアーガイドが迎えに来たようで、フロントから綺麗な女性が迎えに来ましたよと言うので少し焦った。なぜならば妻が聞けばあまり好い気はしないと思った。だが妻は中国語を聞いても理解できないと思うと平静になった。ガイドは日本語を話すことが出来ないので、妻には大事な集合時間や注意事項は通訳するよう頼まれた。私は当たり前の事とも思いながらも妻にはガイドの話した内容を、通訳すると、そんな事を話していたの?と安心笑いをした。言葉が分からないと余程難しい話をしていると思ったようだ。バスに同乗した人はシンガポール人3名と、マレーシア人の6名で、親戚関係にあり合計9名だった。我々2人を入れても11名だったが、大きな観光バスを用意した。ガイドは中国広東省の中国人で台湾の大学へ留学しそのまま、台湾人と結婚したが一人の子供を生んで3ヶ月目で仕事に復帰。シンガポールやマレーシアは華僑の人も多く、その殆どが広東語を話すことが出来、ガイドはその点楽だった。私のために中国共通語を話していたが、時々広東語が飛び出した。気が緩むと広東語が出るので、シンガポール人が注意していた。妻がつまらないような感じで座っているので、やっぱり日本人と一緒の方が良かったかと聞いてみたところ、もうマレーシアの女性たちとは話もしたし写真も一緒に撮ったりと、思ったより楽しいよと話すが、私に気を使う妻でもないしまんざら、嘘でもないと思った。ただ日本人が立ち寄らないみやげ物屋へ、立ち寄り皆が沢山の買い物をするのでそれには驚いていたようだった。
2009.04.17
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「春爛漫--散歩日和9」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。台北西直門のホテルから歩いて10分ほどの道程を、往復してまたホテルまで帰って来たがホテルのフロントで、部屋の鍵を頂き部屋に向かうエレベーターの中で、中国一般のホテルでも部屋の鍵はカードになっているのに、台湾の台北の中心街のホテルでも鍵で部屋に入るんだと言った。妻からは余程安いホテルを選んだのじゃないの?と、エレベーターの中で冗談っぽく言われたが何も言えなかった。部屋に入る前にフロアー長とバッタリと出くわした。フロアー長はルームサービスから部屋の余分な布団を、片付けても良いかどうか聞かれたが、ベットの上に畳んで、置いておくように言い付けてありますので確認して下さいと言われた。妻は私に、あの責任者も大変と思うよと言うが、私の手には外から買ってきたジンとライムを持っており、あまりこの場で余計な話はしない方が得策と思ったので,妻に部屋の鍵を渡して、フロアー長へは大変感謝しておりますと、女性フロアー長に握手をするも何となく貧しい一面を見られたようで、苦笑いをしたが彼女からは何か問題あればお知らせ下さいと言われた。部屋に入ってから早速ジンをグラスに注ぎそのあと、缶入り炭酸ソーダを開けジンに注ぎ込むとすごいあわ立ち。その光景を目を丸くして見ていた妻は、これだけで幸せな気分と、酒に酔ったような言葉を語るのでこちらまで幸せ気分に慕った。だが、この後が悲惨な結果になろうとは思ってもみなかった。ワインショップでは、40度のジンとライム一本、それと缶入り炭酸ソーダー水6缶を買って来ていたからだった。所変わればで中国でも7年間禁酒していたが、妻と一緒にジン三昧。挙句の果てに夜中になっても体が火照り、眠れなくなってしまった。夜中妻から早く寝なさいと言われたが、その言葉も夢の中へと・・。
2009.04.16
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「春爛漫--散歩日和8」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。台北の町並みを観光バスが通り過ぎる時に、あるホテルを紹介したが、そのホテル名は圓山大飯店と言う。ホテルのランクは4ッ星であるが外観は北京の紫禁城に、模して建てられていて王朝ムードをかもし出している。台北の5ッ星ホテルでハイアットやシャングリラ、またシャーウッドやフォルモサ リージェントなどが有名。では圓山大飯店は何で有名になって来たのかというと、韓国のペ・ヨンジュンやイ・ビョンホン他を招待したり、香港からはジャッキー・チュンやアンディ・ラウ他を、招待し無料でサービスをし台北の人を引き付けているとか?また観光バスが通る所という立地条件も知名度を増す。妻は、あ~あっ!こんなホテルに泊まれたら最高なのにねと、何か意味ありげに独り言のようにブツブツ話している。私は聞こえないふりをしながら中国語の学習書に目をやった。妻は人一倍酒を飲む方であるし普段はキッチンドリンカーである。夜にはホテルを出て二人で酒を買いに出掛けた。しかし、酒屋が何処にあるのか検討がつかずに、台北の繁華街の道路を歩きながら台湾人に酒屋が何処か、聞いても地元の人でないと分からないようで、私はこの辺に住んでいないので分からないとの返事が多い。セブンイレブンへ入ればビールくらいは買えるとも思ったが、結局、地元の年配者に聞いた所、酒屋の名前を教えてくれたが、中国共通語を話していても地名や店の名前などは分かり辛い。Wバッグよりボールペンとメモ帳を渡すと書き出した。ミミズが這うような地図も書いてくれたので徒歩で向かった。歩く事6分程でその酒屋に着き中に入るとワインが並んでいた。妻と共にワインを手に取り見ていたが、焼酎が飲みたい妻は、その事を私に告げ、結局購入した酒は40度のジンだった。炭酸水とライムも買い途中でつまみも買い部屋で飲む事になった。
2009.04.15
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「春爛漫--散歩日和7」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。台北での禁煙の話題についてのつづきから、日本でも喫煙する人は肩身の狭い思いをしているようで、妻と共に台北に行った折、ガイドから一番に徹底された事は、屋根のある全ての家屋での喫煙には注意するよう言われた。道路で歩行中に吸うのはもっての外で、道路脇に灰皿が置かれ喫煙が許された場所でも、3人以上集団で喫煙すれば罰金の対象になるとの事で、ふと中国人の団体が増えて来ている最中トラブルに、ならなければ良いがなどと思いながら妻を探した。自由行動の時間は30分ほどしか頂けなかった。私は妻が観光客の中に紛れ込んでいるのか?と、右往左往しながら探すこと6分ほどで妻が手を振りながら、私の方へ歩いて来たがその表情は笑い顔だった。私は撮影する時間がどんどん無くなってしまうと、不満を妻にぶつけたが、それでもニコニコ笑いながら、私は入り口正門の影でタバコを吸いながら、あなたの行動を見ていたが、あっち行ったりこっちへと、始めは何をしているんだろうと思ったが、私を探しているんだと思うと可笑しくなって来たと話す。私は妻に我々二人で自由に行動しているのではなく、団体行動の場合には時間から時間内に行動して、他の旅行客に迷惑にならないようにしなければならない。撮影の時間も30分頂いたが20分しか残っていなく、撮影したい所までいけなくなって少し不満が残った。
2009.04.14
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「春爛漫--散歩日和5」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。日本人のツアーで始めの目的地故宮へ着いた。故宮博物館であるが、中国北京の故宮と同じ字を書く。北京の紫禁城で代々の皇帝が所持した青銅器や書画など、また国宝級の陶磁器、七宝財宝が、どうして皇帝が、一度も住んでいない台湾にあるのか?私は、この話を15年前に聞いた時には、信じられなかったし、何度も北京を訪れても信じられなかった。だが8年ほど前、台北を訪れた時に国民党が台湾へ、持ち去ったと言う事であるが、中国内戦の戦火を逃れ、その財宝を守らんがため、蒋介石の配慮とも聞いた。北京の紫禁城には最高級の歴史物は、残っていなく、30%の貴重な歴史物が台北にある。日中戦争や中国内戦の戦火から歴史物を守るため、北京から上海、南京、四川博物館等を転々と移動した。蒋介石は崩壊状態にあった政府を立て直したが、その時に役に立ったのが中国から持ち出した財宝だった。そのような歴史上の真実を中国人に、話した時もあったが、作業員たちは信じるどころか嘘つきと、逆に食って掛かられた事もあり、最近は自分の愚かさを、反省して一切話さないように心がけている。1949年中華民国から中華人民共和国成立へと歴史は動いた。金銀を持ち出された後の中国の貧困から考えると、最近の急成長振りは驚くが、昨年10月末よりの金融危機の波が、各製造業に歩み寄り、確実に生産量を減らしている。アメリカや日本からの依存が多い企業多い中、何か手を打たなければと考えるトップも頭が痛い。
2009.04.13
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「春爛漫--散歩日和3」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。中国語の会話で重要な事柄は、何と言ってもやはり発音であろう。語順(文法)や四声の上げ下げも、勿論重要でマスターしなければならない。母国語以外の学習は兎に角大変である。英語が比較的簡単と言う人もいる。しかし、小さい頃から一番耳にしているのが、英語であるからと言う事ではないだろうか?例えば中国人に中国語は難しいと話すと、簡単だよと言い、日本語が一番難しいと言う。逆に言うと我々日本人は日本語が一番簡単である。新聞を読みながらテレビの音声を聞いていても、全て理解できると思う。だが中国語では、中国語の新聞を読みながら、中国語のニュースを聞いていても、どちらとも分からなくなってしまうであろう?少なくとも私の場合は、分からない所も多い。その聞き慣れも踏まえてカタカナで、覚えた中国語は私が聞いても違和感があり、中国人の運転手には理解できない箇所が多い。カタカナ発音は学習には簡単ではあるが、ピンインの学習を始めると大変であろう?
2009.04.11
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「春爛漫--散歩日和2」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。ツアーのバスに今年大学卒業者が4人いた。その中の1人はまだ就職が決まっていなかった。その友人で中国へ行き日本語教師の仕事をするとの事で、私は興味深く話を聞いていた。中国人に日本語を教える仕事に興味を持った。なぜならば、私も将来そのような仕事がしたいと思っているからだった。彼女は大学の中で日本語教育を専攻して修了した。私はもう一度過去に戻れたらなどと、叶わぬ思いを描きながら彼女の話を聞いた。 彼女は浙江省の杭州の学校で働くとの事。彼女は上海から杭州まで遠いですか?と、私は1時間ちょっとで行けれますよと話すと、そんなに近いのですか?と目を丸くしていた。その彼女、今中国語の勉強の真っ最中。しかし彼女の話す中国語はカタカナ中国語。ピンインで覚えず簡単なカタカナで覚えていた。出来ることならピンインで覚えるようにと話した。彼女が中国語を学習し出してから1年になると言う。1年間ほど学習した事柄を変えられるかどうか?彼女はカバンから中国語の学習書を出して見せてくれた。中国語の下には全てカタカナがびっしり。ピンインからカタカナは簡単だが、カタカナからは大変。少し遠回りしている事を話したが日本語教師の言葉を羨ましく思った。
2009.04.10
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「春爛漫--散歩日和1」 「上海発!画像の更新!」では、散歩途中に撮影した画像を公開しています。3月中旬に暖かい日が続いたので早めに一枚脱ぎ捨てたのが影響したのか少し風邪を引いてしまった。元々私は温度差アレルギーなので急に冷ややかな空気が肌に触れただけで、くしゃみと鼻水に悩まされてしまう体質で花粉症とは少し違い、これは夏でもクーラーに弱いと言う情けない体質に何十年も悩まされている。上海植物園の画像はまだまだ有るのですが、何せ春もたけなわで、3月頃から散歩の合間に撮影してきた画像を暫くの間公開して行きたいと思います。中々更新出来ないのですが、何とか頑張って更新して行きたいと思って、タイトルも春爛漫--散歩日和と付け遅くならないように更新をと思っています。上海の中心街では画像のような光景はお目に掛れませんが、上海市でも郊外にはまだまだ画像のように、のどかな光景を楽しむことも出来ます。花の名前は相変わらずと言った感じなのですが、さくらだけは分かります。上海郊外にも日本ほど多くはありませんが、それとなく咲いており綺麗な感じで心和みます。この春爛漫の画像の中で、また取り止めのない旅行の情景など簡単なエッセイ風に紹介を出来ればなどとも思っています。あまり正直に状況を書き過ぎて中国人の日本語の分かる友人からも、こんな事書かれたら私なら喧嘩になっていると思いますよと言いながら、でも他人事なら面白おかしく見ていられますけどねとニコッと笑う。妻との旅行でも色々と面白エピソードがあり、思い出しながら書いて行きたいと思います。でも妻に言わせると殆どが私の問題でドタバタになっていると言う事なのだが、単に私の常識と私を取り巻く人の常識とが少しズレているのかも知れないが、自分では中々分からないものです。
2009.04.08
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「上海植物園10」 「上海発!画像の更新!」では、上海植物園の画像を公開しています。妻と小旅行に行く前に、CANON 5Dのシャッターが突然切れなくなった。妻に話したところ今回の旅行には重たいカメラは持って行かなくて観光だけに集中しなさいとのサインではないですか?と勝手な解釈をし私に説得している。旅行の一番の楽しみは撮影にあり、その撮影をするカメラの故障では楽しみも辛さに変わってしまうと話すと、軽くて何処でも直に出して使えるコンパクトデジカメも持っているでしょう?それを持って行きましょうと更に説得しようとしている。私がどうしてもデジイチを持って行来たい為に、名古屋CANONサービスへ修理に出し、他に悪い所を見てもらうと話したところ、日本の言葉が分かるところでも写真撮影に熱中し過ぎ、度々あなたが何処に行ってしまったのか分からなくなった。今回は言葉も通じない日本とは違う国なので、また迷子になったら心配だから、持って行かなくても良いのではと執拗に説得し、更に私は美味しい物が食べれたらそれで満足ですけど、あなたは私を撮らずに分けの分からない物ばかり撮って見失ってしまう。妻も歳を重ねる毎に愚痴や文句が増えて来てピークに達していると思った。それも相当昔の事まで持ち出して愚痴を言う妻の姿に、世の奥様方もこんなものなのだろうかと思いながらも、デジイチをバッグに入れ家を出た。名古屋伏見10番出口を上がると、そこにCANONサービスビルがあった。応対に出たスタッフに、突然シャッターが切れなくなった事と以前旅行中にミラーが落下し大変な目に遭った事などを話し、またCMOS内の掃除やその他悪い所を見て頂くように依頼した。価格comの投稿内容では、修理依頼をして10日間ほど掛るとの事だったが、旅行に持参するからと急いで下さいとお願いしたところ4日後に修理完了の連絡が入った。CANON 5Dを手に取り確認したが、色んな部品を交換したことで新品のような錯覚まで抱いた。家に帰り着いてからは、妻より旅行の用意は出来ているのですか?と問われ、カメラも直ったし準備万端と話すと、身の回りの着替えなどの用意の事ですよと妻の旅行カバンを見ると、ハワイなどに持って行った大きなカバンを私に見せたので思わず苦笑してしまった。なんか10日間の旅行に行くような身支度だね。そんな重たい物を持って階段の上り下りは大変だよ。だからその半分以下のバッグに詰め、不必要な物は持って行かない事。これが旅行を快適に過ごす方法だよと言うと、私にはあなたのカメラは不必要と思いますよと文句ありげ、更に妻は、二人の荷物を一緒のバッグに入れ持って行けば簡単と旅行慣れしていない言葉を返す。私は反対し自分の荷物は自分で持ち軽くしたほうが良いし、もし荷物を一つにしたとしてもその重たい旅行カバンは誰が持ち運ぶのと聞けば、勿論あなたですよと言うので、開いた口が塞がらなかった。キャスターが付いているが階段の上り下りまで考えてないようで、その事は実際に空港へ行く途中で理解したようだった。
2009.03.28
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上海月湖旅情9 「上海月湖旅情9」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 先週より北京の工場まで出張指導に来ている。ホテルの部屋にネット設備はあるのだが、ノートを上海へ置いてきたままなので悔やまれる。 ホテルの近くにネットカフェがあり、外気温の寒い中ネットカフェからタイプしている。北京の気温は6度位で、今は4度あるかないかだ。寒さに弱い私にとっては北国は向かない。 出張先の工場では毎日忙しく私宛のメールも、満足に見れず、もっぱら携帯電話の世界である。 画像は上海月湖の中の公園であるが、遊技場やゲーム場でキティのぬいぐるみもあった。今回の出張はあと4日間ほどで上海へ戻れるかも。
2008.11.19
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「上海月湖旅情7」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 経済不況の波のあおりのせいではないが、暫しの間ブログの更新が滞っていた。 上海で目にし耳にする日本のニュースでは、次から次へと内部告発が表沙汰になっている。私の居るこの上海の会社と日本の間でも、呆れ果てるような事柄も起こってまた起こりつつある。 品質問題に関しては何も言い訳は出来ない。今は食品が集中攻撃を受けているが、そのうち、衣食住の衣類に矛先が回って来るかも? 中国の各地では工場の一時休業や閉鎖が、相次いでいる現状、平穏に通り過ごしてくれればと、祈るのは私一人ばかりではないかもしれない。
2008.11.10
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「上海月湖旅情5」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 湖畔を歩いて行くと様々な彫刻が置かれている。 彫刻の良し悪しは分からないが学生時代に、教師より「滑らかな曲線が出来ているか?」また「起伏や形状の変化が豊かかどうか」など、教わったが未だにその良し悪しは分からないままである。 ファッションにせよ彫刻にせよ、自分の造りたいものを造りたいと思う。 ロダンは「好きな事の始まりは仕事の半分」と言った。実にその通りで私は未だにファッションの仕事が好きである。
2008.11.01
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「上海月湖旅情4」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 目的は旅をして心を静めるためとは言っても、家を出る時にも出てからも何処へ行くかは決まってなかった。 たまたま昔通った懐かしい街並みを目にし、そのバス停で降り、ふらふらと2時間掛けてたどり着いた。宿の主人にこの辺で何処か観光するところは?と、聞いたところ、私の知っている所ばかりだった。 最後にご主人の口から出てきたのがこの月湖。ただそれだけの事で来てみたが思い出に残る旅になった。
2008.10.31
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「上海月湖旅情3」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 この月湖は円形になっており、左右どちらから、見て回っても同じ入口へ戻って来れる。 月湖を歩いて一周すると約1時間半位だ。しかし、これも中を歩いてみて分かった事。湖を囲むように道路が作られており、その脇には季節の花が咲いている。 この池は月湖ではなく反対側の、池に水草が浮いているところ。 その道路の両側の広い敷地に、世界著名彫刻家の作品が無造作に置かれている。
2008.10.29
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「上海月湖旅情2」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 一晩150元(2400円)の安宿で一夜を過ごした。 上海余山月湖の公園までバスで20分掛かった。 この月湖公園は世界著名彫刻家の作品が、野外に置かれている事でも名が知られる。 私がこの月湖を訪れたときには、まだ完全にとは出来上がってはいなかった。 入場チケットも80元(1300円)と少し高め、一般の人はあまり見かけず見るからに、品のある感じの人が犬を連れたりしていた。
2008.10.28
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「上海月湖旅情1」 「上海発!画像の更新!」では、上海人工湖月湖の画像を公開しています。 四川の旅も終わり少ししてより、上海からバスで、上海余山から月湖へのんびり一人歩きしてきた。 上海からローカル路線バスを乗り継ぎながら、上海近郊の古い街並みを走りそこに乗って来る人々の、様子をうかがいながらゆっくり行くのもまた良い。 大勢の人がローカルバスに乗って来る。そして少し大きな街で大勢の中国人が降りて行く。 私はバスの運転手に何処か見る所がないかを、聞いてみたが、こんな所何も観光する所はないよと。 そして、3台のローカルバスを乗り継いでやっと着いた所が、余山月園湖だったが夕方になり慌てて安宿を探す自分がいた。
2008.10.26
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「検査結果報告」検査結果は「以前より良好」でした。今日病院へ行き、その胃カメラ検査等をして来ました。以前の医師とは違ってましたが、それが返って、私には新鮮さを醸し出したような感じがした。そして、突然に楽天ブログの休止宣言をしたものの心配して頂いた皆様へ検査結果を何も連絡をせずに、ブログを休止するのも大変失礼な事と下記にご連絡。すい臓の方は、小康状態ですが、いつ炎症を起こすか、またすい臓の位置が普通の人と違うので、合併症を起こさないためにも、飲酒は絶対禁酒。3ヶ月前には脂肪肝も進んでいる事を指摘されました。今回の検査で、その脂肪肝がなくなってました。医師は中国でも脂肪肝の問題に始まり、肥満問題から始まる心臓病など十代で深刻な問題になっていると話す。その中で、食事療法だけで脂肪肝の治癒は大変なことと、この3ヶ月間の食事の内容を聞かれました。熱湯で全てのおかずの油の60%を取り除き、黒酢を付け食べていると話すと、そんな味気ないものは食べれないと、閉口していました。体重測定で78キロが63キロまでになっていたし、血圧も「154×118」が「112×75」までに下がっており、血圧が平均より相当低くなってますねとも言われた。高脂血症に関しては、採血をしたので1週間後に結果が出る。何はともあれ、体の方は、我慢と努力で回復に向かってます。それと、既に文章のない「タイトルと画像だけ」のブログを、始めましたが、画像のアップが早くて驚いてます。ブログタイトル「上海の街角から(徒然なるままに)」音楽を聴き、お茶でも飲みながら見て頂ければと思います。
2006.10.27
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「上海豫園旅情75(最終)」質問--鬼瓦は何の為に置いたのか?魔よけ・災いから身を守る・代々繁栄の三択。回答は「魔よけの為」でした。皆さんの回答のトップは「魔よけのため」でした。文献によると、どれも正解なのでした。最近、体の不調により、中国語の勉強ブログや、若者サイトまた「上海画像の更新」などなど・・。更新が滞っているのが現状である。特に、この楽天ブログの「上海画像の更新」では、画像の登録最中にエラーを起こし、登録できない。ゆえに、夜中2時からの登録に挑戦しても、思うようには登録できないと言う事態に陥った。体の調子の良い時ならまだしも、最近は目に見えて、疲れが残って、仕事にも影響を及ぼし出して来た。(豫園城隍廟の中は撮影禁止)中国のネット事情の問題でもあり、日本の速さとは、比べ物にならない。よくコメントを頂く広東省在住の、通りすがりさんも、そのような事を訴えていた。-------8月27日の日記から--------昨日2006年8月25日上海○○人民病院へ行った。胃潰瘍と膵(すい)臓炎再検査をする為である。78キロあった体重が、2ヶ月間で67キロまで落ちた。膵臓が再度炎症を起こせば、胃液の調整が出来ず、それにより成人病を併発し最悪死に至ると・・。確かに、この半年はネットでのイライラで、酒の量が倍増していた事は確かだった。----------抜粋ここまで---------(豫園城隍廟の干支の鼠)現在は、63キロにまでなってしまっている。ここに「禁酒宣言」を発表し、それにより、永らえた命で、自分の夢に向かって進めれば良いと、決断したが、決断までには1ヶ月掛かった。この禁酒宣言をしてから、既に2ヶ月が過ぎ、実際に、自主的に禁酒を始めて3ヵ月半が過ぎた。そして、再々検査の日が、あと5日と迫った。今度の検査は、体の全ての検査をする事になっている。私が加入している傷害保険より、年3回事故日・傷病名年齢やその処理方法が記載されているコーナーがある。(豫園城隍廟の干支の牛)死因のトップは、くも膜下出血などの脳出血と心筋梗塞突然死と交通事故死と自殺など細かく記載されている。最近は、30代の心筋梗塞やくも膜下も増えているし、自殺は20代に多い。ストレスによるものだろうか。いずれにしても、企業戦士が疲れ果て去って行く。私も、その中の一人にならないようにしたいと願う。そこで、突然ではありますが「楽天ブログの休止」を、ご報告させて頂きます。最近の更新状態で、この休止を感じていた人も居られたのではないかと察します。多分、私の事ですから、もっと手早く簡単に画像が、登録更新できるブログを始めると思います。(豫園城隍廟の干支の蛇)勿論タイトルと画像のみで、文章はなしです。文章は誤解を招き、その誤解が攻撃的な文章を誘発します。画像は、六十星宿あるいは本命星君と言い、すべての人々の干支それぞれに守神がいる。豫園城隍廟の中に作られた多くの武将たちの姿です。日本でも「干支」人形っていうのがあるそうである。ここ城隍廟でも「十干」と「十二支」の掛け合わせから、例えば甲戌(きのえいぬ)1934(昭和9)年 1994(平成6)年乙亥(きのとい)1935(昭和10)年 1995(平成7)年丙子(ひのえね)1936(昭和11)年 1996(平成8)年(豫園城隍廟の干支の狗)60年を周期で入れ替わっている。60歳は還暦である。70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿と呼び、90歳を卒寿、99歳を白寿で、108歳を茶寿と呼ぶ。60年を周期で廻るが、干支と書くように「十干」と、「十二支」の組み合わせ60種類を干支と呼ぶ。この城隍廟での武将たちは60体ありそれぞれに、干支と十二支を組み合わせた名前が付けてあった。質問--家族か親戚に白寿の人いますか?居ない・居る・近所に居るの三択。(豫園城隍廟の干支の辰)-------長い間ありがとう御座いました。-------
2006.10.22
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「上海豫園旅情74」質問--祈りはどんな時に捧げますか?困った時・感謝の時・祈った事がないの三択。回答は「困った時と感謝の時」でした。皆さんの年齢は私も含めて、それなりの年齢に、なっているのではと推察致します。私が子供の頃に育った熊本阿蘇では、朝仏様に、ご飯とお水を持って行くのが私の当番でした。広い屋敷の奥に金ぴかの大きな仏壇が置いてあり、そこへ行くのが怖くて仕方がなかった。この年齢になってしまえば怖いと言うこともないのだが、あの頃の私は5歳から9歳と幼かった頃だった。また人一倍、純真な心を持っていたような気もしてならない。子供心にも、大人がご飯を捧げに行けば良いと思っていた。(豫園の事を城隍廟とも言う)しかし、真実は私の実母が乳飲み子の弟を背負って入水自殺。その不憫さから、私にその役目をさせていたようだった。だが、その当時はそのような深い意味も分からなかったし、理解する事も出来なかっただろう。人は神代の昔から、人の死を見送ってきた。その数は天文学的な数字になるのではないだろうか。私も色々な人の死を見送って来た。しかし、私は僧侶ではない。ただの名も無き20世紀後半から21世紀初頭に生きた者だ。私は3歳半の子供にして母親の死を思い知らされたが、悲しくて胸が苦しいとの感情は無く、年を経ると共に、その辛い苦しい思いは大きくなって行ったような気がする。(豫園城隍廟の境内にて) その事を思うにつけ人の苦しみの思いに国境は無く、イラクなどでも悲惨な死がその人たちを悲しみの渦に、包み込んで、やるせない思いでいっぱいだ。寿命と言う言葉をよく耳にする。ある人は、この世に、その人の使命が無くなったから、天に召されたと言う。その意味が未だに分からない。人はいつ死を迎えるのか、分からない。分からないからこそ逆に生きて行けるのだろう。ネット友人の隣の家で父親より早く逝ってしまったと言う、記事を目にしたが、一人一人の人生の時間とは何だろう。飲酒運転の犠牲になった幼い3人の命、子供達の使命は、飲酒運転撲滅運動の切っ掛けを作ると言う使命なのか?幼い命が、いとも簡単に奪い取られて行く事に対し、憤りを感じずにはおれない最近の心境である。(豫園城隍廟の境内にて)画像は、城隍廟の屋根の上の飾り物である。中国に限らず、東南アジアの建物の瓦の上には、シーサーのような魔よけが多く飾られている。今回蘇州に行ってきたが、ほとんど同じ造りの屋根だった。また魔よけなども同じく芸術品を思わせるものだった。日本の瓦で言うならば「鬼瓦」であろう。日本の鬼瓦の歴史は奈良時代から始まっている。710年から74年続いた奈良時代、今から1222年前のこと。家内安全や長寿を願い厄を払う儀式や信仰心との事だが、それ以外に意味があるようである。質問--鬼瓦は何の為に置いたのか?魔よけ・災いから身を守る・代々繁栄の三択。(豫園城隍廟の境内にて)
2006.10.12
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「上海豫園旅情73」質問--線香を炊くのはどんな意味があるか?儀式決まり・心身を清める・香りが良いの三択。回答は「心身を清める」でした。線香を炊く事は、邪気を払うという意味と、体や心の汚れを取り除き清浄になるとの意味がある。ですから皆さんの中に「邪気を払う」との回答も、正解ですね。私はどうしても心を清めたいという、強い気持ちがいつも有るのでしょうね。今回、蘇州までの「一人旅」へ行きました。今までの疲れが出たのか、蘇州へ着いてより、その日の夜中から高熱で大変な目に遭いました。(豫園の事を城隍廟とも言う)二日目の朝にホテルの近くに病院が有った事も、手伝いまたホテルの管理者の進めもあり、病院へ行ってきました。ペニシリンは、アレルギーなので他の薬を、点滴に入れて打って頂きました。すい臓の事や胃潰瘍の事など心配でしたが、その心配も他所にぐっすり眠ってしまいました。医師より、ホテルの部屋で安静にしているように、釘を刺され、余程観光に出かけようかと思ったが、目が回ってそんな気分にはならなかった。(豫園城隍廟の境内にて) 3日目にタクシーを使い、蘇州の市内にある寺や、園林を急ぎまわったが、どこの寺でも、この画像のように、カラフルな太く長い線香を、自分の顔の前に持っていた。そして、真剣に祈る姿にシャッターを切ったが、蘇州の画像はまだまだ相当先の更新になりそうだ。皆の祈りの内容は、私には計り知れないが、祈りは、漠然であってはならない。具体的に祈った方が良い。私は全く信じてはいないので、祈ることも線香を、炊く事もなかったが、女性の祈る姿は美しいと思った。神や仏は一体何処に存在するのかと思ったことも有るが、こんな私も何かを信じて生きている。質問--祈りはどんな時に捧げますか?困った時・感謝の時・祈った事がないの三択。(豫園城隍廟の境内にて)
2006.10.10
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「上海豫園旅情72」質問--十干にふり仮名をふって下さい?じゅっかん・じっかん・とかんの三択。回答は「じっかん」でした。前回の十二支の中で、順序は合っていたものの、読み方を間違えてタイプしてしまいました。子(鼠ね)、丑(牛うし)、寅(虎とら)、卯(兎う)辰(龍たつ)、巳(蛇み)、午(馬うま)、未(羊ひつじ)申(猿さる)、酉(鳥とり)、戌(犬いぬ)、亥(猪い)そして、十干(じっかん)については下記のとおり。甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)であり、きのえ・きのと・ひのえ・ひのとなどと呼ぶ。(豫園の事を城隍廟とも言う)深く考えるとまたタイプミスが起こりそうである。簡単に説明も出来ないが「木火土金水」の五行説。 五行説と陰陽道とが結びつき陰陽五行説になり、十干は、陰陽五行説と結びついている。つまり「木火土金水」には、陰と陽の二つがあり、五行を陰陽に分けた十の区切りを十干と呼ぶ。十干と十二支を組み合わせたものを干支と呼び、甲子(きのえね)乙丑(きのとうし)丙寅(ひのえとら)・・・丙午(ひのえうま)・・など丁度60周期になる。還暦を60歳の時に祝うのは、この六十干支からだ。画像は、城隍廟で日本とは違う線香を持ち、火に当てて煙を出して身を清めようとしている。中国の若者に、何故線香を炊くか分かりますか?と、質問をしたところ、正確な解答は少なかった。(豫園城隍廟の境内にて) そればかりか、「日本でも神社にお参りする時に、手を三回叩くでしょう?それと同じですよ!」と、上手に切り返されてしまった。中国の若者にも、日本の仏教信仰は根強いのに、直ぐに神社のイメージが、沸き起こるのは、小泉さんの影響が相当強いのだろう。そして、日本の線香の長さや太さなどを説明したところ、そんな細くて短いのでは有り難味が少ないと言われた。中国の禅宗のお寺に行っても、この様な太くて長い、線香が売られているし、日本のような細いものは無かった。質問--線香を炊くのはどんな意味があるか?儀式決まり・心身を清める・香りが良いの三択。(豫園城隍廟の境内にて)
2006.10.04
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「上海豫園旅情71」質問--城隍廟には誰が祀られているか?老子・陳化成・諸葛孔明の三択。回答は「陳化成」でした。質問が難しいとコメントを残し辛くなりますね。気楽に入って気楽に足跡を残せる内容が良いですね。中国人に、「陳化成って誰か知ってます?」と、聞いても、「そんな人、内の会社に居ました??」その女性は、大学院を卒業した人なのですが、そのような人も知らないのですから、日本に居る皆さんが、知る好も有りませんでしたね。反省です。それでは城隍廟の中へと入って行きましょう。(豫園の事を城隍廟とも言う) この日は小雨が降る生憎(あいにく)の天気だったが、それが返って良い画像を作り出してくれたようだ。この城隍廟には、これで7・8回は来ている。私は仏は自分の心中にあると思っている1人である。だから他力本願的な祈りや写経や賽銭を多く出したから、願いが叶うような事は信じた事が無い。しかし、罰が当ると言う事に関しては、誰よりも敏感で、言わば何かに怯えるが如く怖い思いが今でもある。(豫園城隍廟の境内) 皆さんは、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(さる)、申(ひつじ)酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)は何か知っていると思います。中国では若い人も「あなた干支は何?」と聞いてきます。日本では、若い人の間では使われなくなったのでは?城隍廟の中には、この干支に纏わる縁の人々が祀られていて、それを眺めているだけでも時の経つのを忘れるほどである。干支(えと)の事を「十干と十二支」とも呼ぶ。「十二支」の呼び方を「じゅうにし」と呼び、上の十二の、動物を表したものである。質問--十干にふり仮名をふって下さい?じゅっかん・じっかん・とかんの三択。(豫園城隍廟の境内)
2006.09.30
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「上海豫園旅情70」質問--扇子に興味を持った時が有りますか?白檀の扇子を持っている・団扇はある・ないの三択。皆さんの回答は「白檀の扇子」が多かった。皆さんよりは、こんな扇子だったら、私欲しい。娘がプレゼントにくれた可愛いケース入りの扇子や、白檀の扇子持っていますとの事でお幸せですね。お茶のときに使う小さめの扇子を持っている人や、和服を着なくても、夏場は持ち歩きますよ。今年の夏は結構女の子でも可愛い扇子を持ち歩き、料亭でお土産に戴いた物で可愛いウサギさんの柄。はるか昔?15歳まで日舞やってましたから扇子は馴染み深い道具の一つですとのコメントも!(豫園商場のアーケードを通り抜ける) 京都に住んでいる娘が今迄5本買って貰って、持って居りますと幸せまっしぐらですね。台湾の方から 壁飾り用の大型扇子をお土産に、戴きましたと語るアメリカ在住の人です。白檀の扇子は大抵の人達が持っておられましたね。画像は、豫園商場の商店街の間の上を綺麗に覆い、雨の日にも傘を差さずに城隍廟の通りへ抜けれる。アーケードと言っても、日本の商店街のようでも、また通路が少し狭く、商店や店の装飾が艶やかだ。(豫園城隍廟入口の保障海隅の文字) 「保障海隅」と「城隍廟」の入口の上に描かれてる。「保障(bao3zhang4)」とは読んで字の如くである。「海隅(hai3yu2)」とは、「海のほとり」と言う意味で、この「城隍廟」は「海のほとりを保障する」と言う事?上海は海辺の都市として、その昔より交易はじめ侵略等上海城隍廟は色々な教えの中で海の機能を守ってきたと、言えるのかもしれないが、真相は分からない。「城隍廟」の中でも、この上海城隍廟は、比較的に、文化大革命で壊されてはいなかったようである。「城隍廟」は道教の廟として、上海の市民に限らず、付近の省や他の観光客からも祈りに来ている。質問--城隍廟には誰が祀られているか?老子・陳化成・諸葛孔明の三択。(豫園商場から城隍廟の入口へ)
2006.09.27
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「上海豫園旅情69」質問--年を取ったなと感じる時ってあります?いつも感じる・全く感じない・考えた事が無いの三択。皆さんの回答は「感じる」でした。皆さんよりは、疲れがすぐに取れない時とか、物忘れ、名前を思い出せない時などに感じる。この名前を思い出せないは、人の名前でしょうね。ご自分の名前が思い出せなくなったら大変ですね。皆さんのトップは、物忘れですね。何をしようとしていたとか、話している最中に、何処まで話したか続きが思い出せないなどでした。また鏡をみるといやがおうでも感じますねと、これは殆どの人が感じる事ではないでしょうか。私は上海などへ旅行に来られている年配者を見て、元気な人がいるんですよ!そんな人を見ていて、自分がその歳になって、こんなに元気でいられるか?それを思うと、何とも言えず辛くなりますね。(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)画像は、豫園の通りの出店で扇子を売ってる画像。中国の観光地へ行けば、よく筆で漢字を書いた扇子が、売っていますが、ここでは京劇などのくま取りの絵です。扇子に色々な模様の絵が書かれてますが、見ていても、実に丁寧に書かれていて時間を忘れて見ていられます。小学校低学年の頃に「日本舞踊」を習っていた時期があり、踊りの最中にパッと扇子を開ける練習をさせられました。今も、引き出しに扇子を入れてますし、暑い日に、上海の街の大通りを、扇子で扇ぎながらゆっくりと、歩くのもまた粋な感じと、自分だけ思ってます。もう今は涼しくなって来ましたので必要ないでしょうが、でも和服を着られる人は扇子を持って出掛けられますね。質問--扇子に興味を持った時が有りますか?白檀の扇子を持っている・団扇はある・ないの三択。(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
2006.09.24
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「上海豫園旅情68」質問--小籠包を点心と呼ぶが点心の意味分りますか?点心の意味は分る・何となく分る・分らないの三択。皆さんの回答は「何となく分かる」でした。今回も色々なコメントがありました。点心の点は時だから三時のおやつで、その心はと聞かれると、美味しいとうなる。間食として食べるものの意味とか、物を少し食べて空腹をしのぐ意味など。食事の前の簡単な食べ物の意味。中国料理からこの名前が出ているそうです。点心だけではお腹が納まりませんというコメントもありましたね。(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)画像は、中国結びと呼ばれているもので、土産物売り場などでよく売られてます。私も始めの頃は、珍しく良く買っては、人にプレゼントばかりしておりました。中には「香袋」と言って、良い香りのする袋も売られております。このような通りを目的も無くただぶらりと、歩いてみるのも、心が洗われますよ。(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)下の画像のとおり、この日は雨が降っていた。今年の夏は、例年より雨が多かったようだ。雨の日の撮影は慎重になる。なぜならば、時にはレンズ交換をする時に雨が入らないように、出来るだけ、商店街の軒下で慎重に交換する。やはり、雨の日の撮影時には、レンズを決めて、それ一本で押し通すようにした方が良い。カメラも重たい本体とレンズで、1.5キロはある。交換レンズを、3本入れたバッグを肩から提げ、一日歩くと翌日は肩が痛いほどに凝ってしまう。先日、マッサージに行ったら50肩と言われて、改めて歳を取った事を自覚した。質問--歳を取ったなと感じる時ってあります?いつも感じる・全く感じない・考えた事が無いの三択。(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
2006.09.22
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「上海豫園旅情67」質問--小籠包で口の中を火傷した事ありますか?ちょっと火傷した・火傷した事はない・猫舌ですの三択。皆さんの回答は「火傷した」でした。皆さんからのコメントを見て、安心しました。何故かと申しますと皆さんも結構火傷してるので、「ドジなのは私だけではなかった」と安心。仲間が多い方が、何となくホッとしますね。友人のJINO@上海さん などは、皮にかぶりついた瞬間、液体が飛散して、向かいに座っている人に付着したり、されたり、そういう経験がありますね。「小籠包を頂くときは、できれるだけ、目の前の相手と、距離を取った方が良いでしょう」と教訓・・。でも、距離を取り過ぎて他のお客さんとの距離が、接近してもこれまた困りものですね・・・。(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)画像は、南翔饅頭店の前の画像である。店に入るまでの路地は、小籠包を食べようと、列に並んでいる人達である。ここの南翔饅頭店では、日曜日以外の日でも、大勢の観光客で満席になる。この南翔饅頭店の本店は上海郊外の南翔鎮にあり、そこで食べると美味しく混んでなく安く食べれる。しかし、そこまで行くまでの時間とタクシー代を、考えたならば、近くて混んでいて高い所へ行ってしまう。(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)南翔饅頭店は既に、100年余りの歴史がある。永い間庶民に親しまれているのは、皮が薄い事であろう。実際食べても美味しく、もし火傷をしなければ、円やかな味であり、口の中でサッと解けるような舌触りだ。私は別に南翔饅頭店の営業マンでも何でもないが、その味は保障できるので、一度は食べてみると良い。日本にも、南翔饅頭店は進出しているとは思うが、皆さんの中でも東京などで見たこと有ると思います。(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)画像は南翔饅頭店の中で、待っている人達を撮影。カメラの前ばかりではなく、私の後ろ側にも人の列。その列は、階段にも数珠繋ぎ状態で、この日は、私は、写真だけ撮って、小籠包は食べずに帰ってきた。そして、私の住む地域のサウナが完備してあるホテルに、まずサウナに入り、その後でホテルのレストランで、小籠包を頼んだが、南翔饅頭店のような味ではなかった。2番目の画像で、上海蟹の身と味噌を時間を掛け、丁寧にほじくり出している光景があるが、この蟹の小籠包が有名であり、熱い内に食べると実に美味しい。質問--小籠包を点心と呼ぶが点心の意味分りますか?点心の意味は分る・何となく分る・分らないの三択。(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)
2006.09.19
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「上海豫園旅情66」質問--凧揚げをして遊んだ事がありますか?正月はいつも凧揚げした・人が揚げてるのを見ていたの二択。皆さんの回答は凧揚げしたでした。子供の頃東京で育った人は、凧揚げする場所が、無いからと凧揚げをした事が無いとの事でした。その他の人は、学校のグラウンドや広場などで、父親が作ってくれた凧や、自分達で作った凧で、思う存分凧揚げした事を思い出されたようですね。子供の頃の事を思い出す機会が余り無い最近、少しは郷愁の思いで懐かしかったのでは・・・。私の小さい頃は、パソコンも殺人ゲームも無く、「めんこ(しょうや)」やビー玉、フラフープなどで、暗くなるまで、遊んだ事を思い出しますね。記憶に残っている事で、この当時流行ったのは黒のビニールで出来た「だっこちゃん」が流行。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)画像は、重厚な門構えとは思いませんか。この門には「龍」の彫り物が飾りつけてある。その上の名前を見ると「緑波廊」と書かれている。この「酒楼」は各国VIPが訪れる上海料理の名店である。ここは予約が必要である。何を売っているかと言えば「色んな小籠包」が食べれるが、他の料理も沢山。私は一度しか入った事がないが、明、清時代の、建築風格を模倣して造られた三階建てで黒い瓦の先が、角の尖った屋根は江南の建築風格を十分に顕している。朱色のペンキを塗ってある木造であるが、中は、さすが200年以上の歴史が有るだけ素晴らしい気分になる。「緑波廊酒楼」へは、イギリスのエリザベス女王をはじめ、アメリカのクリントン元大統領、日本の羽田元首相や、日本の村山首相など四十カ国・地域の貴賓を迎えたそうだ。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)上海料理から点心(軽食)・蟹料理(上海蟹)・フカヒレなど、高いものが食べれるが、私は小籠包のセットしか食べてない。以前にも話した事がありますが、小籠包の食べる時には、舌を火傷しないように注意しなければならない。私が一番初めに失敗した事は、商社時代に初めて小籠包を、お客様や工場の人達と食べに行きました。表面が冷めた感じだったので、お腹も空いている事も手伝い、ガブッと噛んだのは良いのですが、熱さの為に我慢できず、皿の上に思いっきり吐き出してしまいました。あとから分ったのですが、小籠包の下の皮の角を歯で千切り、中の熱いスープをすすってから、食べると火傷しない。後から後から素晴らしい料理が出てきたのですが、口の中を、火傷してしまって熱い内は何も食べれませんでした。質問--小籠包で口の中を火傷した事ありますか?ちょっと火傷した・火傷した事はない・猫舌ですの三択。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
2006.09.18
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「上海豫園旅情65」質問--お茶の葉を入れ、直接飲んだ事があります?まだ飲んだ事はない・飲んだ事が有るの二択。皆さんの回答はそれぞれでしたね。皆様の回答を見てますと、私が如何に中国に、順応してしまったかを感じ得ずにはおれませんでした。私も、中国へ来るまでは、お茶の葉を直接湯飲みに、入れ込み、お湯を注ぐなどと言う事は考えもしなかった。小さい頃には、番茶の茶柱がお茶の中で立って、ウキ(浮き)のように、茶柱が立つと良いことがあると、そのような迷信を信じて、小学校へ急ぎ行ったものです。でも中国の場合、烏龍茶にしろ龍井茶でも普耳茶や、ジャスミン茶また菊花茶でも茶柱がないので寂しい。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)画像は、豫園商城通路両側にある土産物屋さんでは、中国の凧(たこ)や仮面が売られていた。ここには珍しそうに多くの外国人が眺めていた。中国の凧は、春秋時代(紀元前770~前476)には、木製や竹製の凧が有った。その後、紙製の凧が出てきた。五代十国時代(907~960)からは風筝(feng1zheng)と呼び、様々な色や形の凧が生み出されてきたと言う事である。日本の凧とは様相が違うようにも思うが、皆さんは、どのような思いでこの画像を見られただろうか?私は小学校高学年では、その地域でも凧を早く高く揚げると、自分自身で思っていた。四角い凧の下に新聞紙を8センチ幅に、切りそれを10m以上繋いで、グランドで揚げると胸一杯に、感動が込み上げてきたものだった。女性は羽根突きが主流だったかとは思うが、ここで質問です。質問--凧揚げをして遊んだ事がありますか?正月はいつも凧揚げした・人が揚げてるのを見ていたの二択。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
2006.09.15
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「上海豫園旅情64」質問--キリンビールを受け継いだ人とは誰でしょうか?鳥井信治郎氏・トーマス・グラバー氏・山本為三郎氏の三択。回答はトーマス・グラバー氏でした。皆様の回答で驚いたのは、yoshiyoshiさんの、「三菱グループの一員として知ってますよ」から、始まる回答のコメントの詳細な内容に参りました。皆さんの中には「以外ですね」と意外性を強調し、コメントを書かれている人も多かったですね。私も、この話を25年前に聞いた時は、「エッ!」「あの長崎のグラバー亭の・・?」などと、驚いたものです。画像は、やっと豫園の外に出たと頃のお茶屋さんの下に、土産物が並び、その中には外国人が買い物をしていた。豫園の正門から入ると、広い敷地内を楕円を描くように、見て回ってくると、道教の寺である城隍廟の横へ出る。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)その城隍廟の入口は、表通りに造り替えてあるので、脇からチケットを買って入ると言う事は出来なくなった。豫園茶庄はこの建物の2階に造ってあり、そこへ上がってみると、お茶菓子や軽食が用意されている。お茶を頼むと、ちょっと大き目の湯飲み茶碗に、お茶の葉が入れられ、お湯が注がれてくる。日本では、お茶の葉を直接湯飲み茶碗へ入れる事は、まずないが、中国ではお茶の葉を直接入れて、その葉を、息で吹きながら、飲み易くして飲む。慌てて飲むと、お茶の葉が口の中に入って来る。しかし、時間が経つと葉が下に下がって飲みやすくなる。質問--直接お茶の葉を入れ、飲んだ事があります?直接はまだ飲んだ事がない・飲んだ事が有るの二択。(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
2006.09.13
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「上海豫園旅情63」質問--今まで長い間待った事って有りますか?30分・1時間・一日・一日以上の四択。皆さんの回答は楽しいものでしたね。「待っている事も楽しい事ですよ」と語る人が、多かったのには、微笑ましいばかりでホッと致しました。待つ事の大切さを語って頂いた皆さんのコメントに、私も勇気を頂きました。私も待つ事にします。次の検査は10月25日前後、日本へ帰国せずに、この中国で健康診断をする事に致しました。上海で一流の病院ですので安心なのですが、日本本社に言わせると、日本でドックに入った方が、良いのでは?と、私の耳にも届くところとなった。(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)ネットでも私の病状について調べてみた。日本でなら即入院のような事が書いてあった。私が病院から2か月分頂いた薬は日本からの輸入品であり、完全なる日本製である。日本で入院しても食事療法と、安静と薬で、それなら自分でやれるはずだと頑張っている。現在78キロから65キロまでになったが、そのお陰で、身体は身軽に、結構快適に階段を上れるようになった。ウエストも94センチが78センチまでになり、皆が私は癌(ガン)ではないかと話し始めている。9年前の胃潰瘍では53キロまで落ちたので、それから思えば、まだまだ余裕であるが、初めて見る人はやはり驚く。酒は相変わらず禁酒のまま、一生禁酒宣言をしたので、今も2ヵ月後も1年後もなく、禁酒のまま・・・。(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)画像は豫園も最終の出口に近づいたところに、置かれている麒麟(キリン)の像である。孔子の著作の「春秋」の部分に「獲麟」の文字が出てくる。その解説書の「春秋公羊伝」の内容が麒麟を霊獣を、扱った最初の文献である。その中には孔子は今優れた王が居ないと言う事を、「獲麟」の二文字で麒麟が捕らわれる事で嘆いて見せた。この麒麟の像を見てキリンビールを思い描くのは、私だけでは、ないのではないだろうか?キリンビールの会社を友人から受け継ぎ、麒麟の像が、好きだった彼は、麒麟の画像をラベルに使ったとか?質問--その昔キリンビールを受け継いだ人とは誰?鳥井信治郎氏・トーマス・グラバー氏・山本為三郎氏の三択。(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)
2006.09.10
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「上海豫園旅情62」質問--道教は誰が説いた教えか分りますか?釈迦・孔子・老子の三択。回答は「老子」でした。老子の名は皆さんが知っている通りである。だが老子の名を日本へ持ち込んだ人物は徐福とされる。では徐福とは誰か?それは始皇帝に不老不死の薬草が、東の海を越えると有ると伝え、始皇帝もそれを信じた。巨額の資金を投じてまた多くの少年少女を従え、新しい国を目指して渡ったのがニッポンだった。日出づる国そして、日の本の国と呼んだ。紀元前200年ごろの事で、日本へ渡ったその一族縁者は、何世紀もの間、渡り続け奈良や飛鳥に文化をもたらしたと、言われており、中国の歴史学者も否定はしない。(豫園内園の白い塀の丸い門から)老子は、競争心や欲望から何かをするのではなく、川のように流れる「無為自然な生き方」を説いた。その老子は2500年も前の人と言うことであるが、10年ほど前から調べていた老子の生没年未詳だった。画像は、大勢の観光客が通り抜けるのを待って、その人の途切れを長い間待って、ほんの5秒ほどの時間で、急いで撮影したものである。人は待つ事が美徳であると語った哲学者もいたが、NHKの大河ドラマ「功名が辻」の家康も待つ美学を、実行した人物ではなかっただろうか。でも待つ事って忍耐が必要で、待つのを止めてしまいたい衝動にも駆られてしまいます。質問--今まで長い間待った事って有りますか?30分・1時間・一日・一日以上の四択。(豫園内園の白い塀の丸い門から)
2006.09.05
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「上海豫園旅情61」質問--自分自身の血圧は高いほうですか?上が高い・下が高い・高過ぎて薬を飲んでいるの三択。皆さんの回答は「低い」が多かったですね。皆さんのコメントの大半の人の血圧が低かった。上が100を切る人も多く驚きました。私の家系は高血圧であるけれども、これは遺伝と言うよりも、食生活にあるのでは?私の父も塩気の多いものが好きでしたし、私も以前は必ず出来上がった料理に塩や胡椒を、掛けて食べる方であった。そのような食習慣の違いから、高血圧や低血圧の家系となるのではないだろうか?(豫園内園の小高い丘の聳翠亭)画像は、豫園の中も最終に入ってきた所の、小高い丘に造られた聳翠亭である。豫園の中の白壁の塀の瓦は、龍の背中を模っている。環龍橋を渡ると内園の入口に出る。ここは城隍廟の花園だった所である。城隍廟は道教の寺であるが、道教とは中国民衆の、世俗的信仰を支えてきた大きな宗教体系。儒教・仏教と並ぶ三教のひとつである。日本の都の建造物に大きな影響を及ぼしている。質問--道教は誰が説いた教えか分りますか?釈迦・孔子・老子の三択。(豫園内園の小高い丘の聳翠亭)
2006.09.03
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「上海豫園旅情60」質問--古戯台を観劇できる人数は何人か?300人・500人・800人の三択。回答は「300人」でした。「一生涯禁酒宣言」に対しまして、多くの方より、ブログへのコメントや楽天私書箱並びにメールにて、ご心配を頂き誠にありがとう御座いました。何とか、私のこれからの目標に向かって行く為にも、体を回復させなければならいと思っております。本当ならば入院をするのが一番良かったのかと、思ったりも致しましたが、入院すると返って身体が、弱るのではとの不安から、自宅療養を続けました。中国の食事の油抜きに対しても徹底して行い、2ヵ月後に全ての再検査を行う事となった。(豫園内園の小高い丘の道)画像は、内園の小高い丘に作られた瓦を縦に入れて、敷き詰めた庭の道ではあるが、整然としている。250年ほど前に造られたものだそうであるが、苔が所々に生えており、静粛な感じを受けた。歩く時には下を見ながら歩かなければ、躓(つまず)き易いので注意が必要である。血圧の方は、食事のみの調整でかなり下がった。3ヶ月前には158と118だった。2ヶ月ほど前から徹底して油を洗い流して食べるように、勤めてきたために、この1週間の血圧は、112と76と大きく下がった。そして、以前にも質問した事があります血圧ですが、今度は質問の内容を変えてみたいと思います。質問--自分自身の血圧は高いほうですか?上が高い・下が高い・高過ぎて薬を飲んでいるの三択。(豫園内園の小高い丘の道)
2006.08.30
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「一生涯禁酒宣言」質問--内園を入ると有名な物が有る何か?城隍廟(廟)・大きな龍(置物)・古戯台(舞台)の三択。回答は「古戯台(舞台)」でした。昨日2006年8月25日上海○○人民病院へ行った。胃潰瘍と膵(すい)臓炎再検査をする為である。検査の結果は、完治してないものの、良い方向へ向かっているとの事だった。私の場合はアルコールが原因で起こった急性膵炎である。再度、酒を飲めは、膵臓の炎症は避けられないと診断。78キロあった体重が、2ヶ月間で67キロまで落ちた。(豫園内園にある古戯台)膵臓が再度炎症を起こせば、胃液の調整が出来ず、それにより成人病を併発し最悪死に至ると・・。確かに、この半年はネットでのイライラで、酒の量が倍増していた事は確かだった。ここに「一生涯禁酒宣言」を発表し、それにより、永らえた命で、自分の夢に向かって進めれば良いと、決断したが、決断までには1ヶ月掛かった。画像は、豫園内園にある古戯台である。環龍橋を渡ると内園がある。ここは元々城隍廟の、花園だった所が、1956年から修復作業の過程で、豫園の、一部に組み込まれた。(豫園内園にある古戯台)内園は1780年に豫園に隣接する城隍廟の、後庭として建設された。豫園の大半が明代の庭造りの特徴を、帯びているのに対し、内園は建設年度が新しいため、清代の雰囲気が漂っていると他のガイドの話。 古戯台と呼ばれる舞台を回りの建物から、見れるようになっている。現在の内園は、清代小庭園の様子を、よく伝えていると言う話であった。質問--古戯台を観劇できる人数は何人か?300人・500人・800人の三択。(豫園内園にある古戯台)
2006.08.26
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「上海豫園旅情59」質問--獅子が咥えている物は何でしょう?混天綾・混天紐・混天帯の三択。回答は「混天綾」でした。皆さんのコメントには「混天紐」「混天帯」と、回答がありましたが「紐と帯」は私が考えたもの。「封神演義」ではナタクと言う名前で登場している。正解の「混天綾」は、ナタクが腰につけている布。「西遊記」でもナタタイシの名前で登場している。混天綾の真紅の布を身にまとった姿で産まれた。(内園の屋根の雄と雌の鯱)西遊記の中で竜王や魔王と戦い退治していった。しかし、父の裏切りに合い一度自殺したが、釈迦牟尼世尊が蓮の根や葉を使い復活させた。画像は豫園内の「内園」と呼ばれているが、ここは元々城隍廟の花園だった。この内園の入口にも雄と雌の獅子が置いてある。そして屋根を見上げると一対の鯱の姿が見える。質問--内園を入ると有名な物が有る何か?城隍廟(廟)・大きな龍(置物)・古戯台(舞台)の三択。(内園の屋根の雄と雌の鯱)
2006.08.23
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「上海豫園旅情58」質問--鯱は左右でどちらが雌と雄か?分からない・獅子と同じ見方・雌も雄もないの三択。皆さんよりのコメントにも正解の方がいらっしゃいます。一連勉強してきた「獅子の雄と雌」の見方と同じです。下の画像の屋根に備え付けられた獅子は、雄獅子。入口に向かって屋根の右側に備えてあります。雄の獅子であると分かるのは足の手前にマリが、備えてあり、これが何よりの目印です。方向で言うならば、西側の方向になり、中国の建築方法の殆ど北側に大門を造っています。(見事な屋根の雄獅子)北から南へ向かい入るという事です。ですから、雄の獅子は右側にあり、方角は西側ですね。余談ですが、人が家の中に入って座る場合は、北に背を向けて、南向きに座ると良いとされてます。下の画像は、子供をあやしている獅子で雌獅子です。当然、入口に向かって左側にあり、方向では東側です。雄獅子と雌獅子共に口に咥えているものが有りますが、これは封神演義の中でも出て来る赤い布です。質問--獅子が咥えている物は何でしょう?混天綾・混天紐・混天帯の三択。(見事な屋根の子供をあやす雌獅子)
2006.08.21
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「上海豫園旅情57」質問--このような工房の光景を目にした事ありますか?見た事ない・写真で見た・実際に見たの三択。皆さんよりのコメントには、実際には見たことがなかったけど、写真やテレビなどで、見たことがあると答えて頂いた人も多かったですね。この二日間で、一気に疲れが出てしまったことも手伝い、昨夜は、当分の間この楽天ブログを止めようと思いました。しかし、GREEやmixi・華日交流の人たちからも励まされ、今朝より気持ちを入れ替えて、更新を続けたいと思います。画像の屋根の上の1対の魚は鯱(しゃちほこ)をイメージ。屋根の上にシーザーのように設置して魔除けとも思う。だが、魔除けの意味もあるが、実際には火災避けだった。そして、中国の伝説上の魚の魚虎を備え付けた。画像からも分るように魚虎の頭は虎のようであり、獅子のようでもある。体は全く魚である。中国での鯱のルーツは海中に棲(す)み雨を降らせる。そのような伝説上の動物で、火除けだった。質問--鯱は左右でどちらが雌と雄か?分からない・獅子と同じ見方・雌も雄もないの三択。(見事な屋根の上の魚虎である)
2006.08.20
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「上海豫園旅情56」質問--工芸品の玉の作り方の分かる人は?分からない・中心を張り合わせた・上から彫ったの三択。回答は「上から彫った」でした。皆さんのコメント丸い象牙を外から彫って彫って、内側にだんだん小さい玉を作っていってました。上から彫ったと思います。作り方はよく知りませんが「上から彫った」と、いう方法しか考えられないですね。金額が表示したラベルが添付してあり¥720とあります。720元(10800円)のことですか。若しその値段で、売られているのであれば、安いですね。中国には技術の高い職人さんが沢山いやっしゃる。上から彫ったと思います。瑠璃というのですね。瑠璃色とはこの色のことかと、また一つ知ることができました。工芸技術の優れた中国ですから上から彫っていく。どんな風に作るのか興味津々です。展示物のある博物館で見たことがあったのだけど、そのときは器用な人がいるんだなぁ~って思いました。上から彫ったのだと思います。玉は上から彫ったのだと思います。随分前にそのよな話を聞いたような気がします。いくつもの玉を彫るとしたら、凄い技ですね~気になります!これが、ずっと分からなかったんです。お土産でもらって、家族みんなで考えても、わからなかったの。正解を知りたいわ。そして、今日は北京の工房へ連絡してみました。この瑠璃の玉が何重にもなっていて、上から彫ったと、思うのですが、どうやって作ったのでしょうか?「あなたどなた?どこから電話してますか?」とか、「何を言っているのか分らないのですが」と言われた。日本語でこのような状態を説明するのも大変である。それをいきなり、それも電話にて中国語で説明するのだから、無謀この上なかった。そして、昔の保存してあった写真画像を、探し出した。上から彫って行くが正解でしたね。質問--このような工房の光景を目にした事ありますか?見た事ない・写真で見た・実際に見たの三択。
2006.08.18
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「上海豫園旅情55」質問--迎え火と送り火をしてお盆を過ごしましたか?ロウソクと提灯・電球と提灯・何もしないの三択。灯籠を川や海へ流しこの灯籠と一緒に盆に迎えた先祖の霊を送り出す慣わしが今は少なくなった。上海で日本のニュースを見ていると精霊流しが、再開されたとあり盆の間に供えた野菜や果物などのお供え物も一緒に流すという。祖先の元へ供物を贈るという事に併せて、死の世界と関わった汚れを水によって清めると言う、意味において昔から伝わった慣わしだろう。送り火で、あまりにも有名なのが京都の大文字焼き。その昔、花火も精霊送りの送り火の一種という事だ。(瑠璃の動物の工芸品)画像は瑠璃で作られた動物達である。犬が主人を待つ毅然とした態度が気持ちよい。この工芸品を見て北京にて瑠璃工場を思い出した。その工場の壁に瑠璃とは宝石の事であり、磨いて光を当てれば、より美しさを放つのである。人もまた然りで、努力せず怠けていては光らず、人は努力して行くところに輝きが増すのであると。下の画像は、大きな丸い玉であるが、この玉が、何枚も重なって出来ている。手にとって見たものの、どのように作られたかは、分からなかった。未だに謎のままである。質問--工芸品の重ね玉の作り方の分かる人は?分からない・中心を張り合わせた・上から彫ったの三択。(瑠璃の工芸品何枚もの玉が中にある)
2006.08.17
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「上海豫園旅情54」質問--四苦八苦の意味をご存知でしたか?知っていた・何となく・知らなかったの三択。四苦は、生・老・病・死を言い、残りの四苦を、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦と呼ぶ。これは過去のもではなく、今生きている現実の社会の中での苦悩をさしている。文明が発達した今も、人間の根本生命は何ら、変化はしていないと言う事でしょうね。(豫園の巻雨楼を望む灯篭はこの中に)皆さんよりのコメントお寺のお説教聞いていたはずでしょうが、頭に残っていません。詳しい説明でよく分かりました。これを機会に、おぼえておこう。人間がいつか越えなければ成らない言葉でも有りますねこのブログはとっても勉強になります。本来の意味を解ると簡単に使えなくなりそうです。時代は変われど、人が抱える不安は一緒ですよね。五陰盛苦は思い出せませんでした。これからも楽しく勉強させてください。(灯篭の横には色んな絵が描かれている)画像は灯篭の画像であるが、豫園の建物の中には、実に灯篭が沢山吊るしてある。今日中国人から質問を受けた。どんな質問かと言うと、「どうしてお盆と言いその時に靖国神社に参るのだ」と。私は説明に困った。終戦記念日とお盆とが入り混じって、どうやって説明をして良いのか考えた末に、8月13日の夕方に「迎え火」としてご先祖の霊を迎え、8月16日に「送り火」として送り出す。その重要な儀式と新たな日本国民の生活が始まった8月15日が、重なってしまって不思議な気もするが日本国民は皆納得している。「どうして小泉首相は・・」と言い出したので、私からは、小泉さん本人に聞いて下さいと、その場を逃れた。靖国参拝問題(ブーザンの場合)クリックで記事が出ます↑質問--迎え火と送り火をしてお盆を過ごしましたか?ロウソクと提灯・電球と提灯・何もしないの三択。(豫園の巻雨楼を望む灯篭はこの中に)
2006.08.16
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「上海豫園旅情53」質問--家に自分が気に入って買った花瓶がある?ない・ある・花を生けているの三択。皆さんよりのコメント自分が買ったという花瓶はないというコメントが、多かったですが、頂き物やご自分が作られたという花瓶が家に置いてあるとの事、これもまた素敵ですね。また父親譲りの九谷焼を、おめでたい席や、祭りの時に使われるとの事とのコメントも入ってました。九谷焼の素敵な花瓶が欲しいのですが、お値段が高くて。お年寄りの方々が、仏様にお花を供える事もあって、花を生けることが増えましたと語って頂けた人も。最近買った花瓶の中では、ブルーと緑の花瓶ふたつ。クリスタルの花瓶ですね。生ける花によって花瓶も、引き立ってくるものですね。(灯篭の横には色んな絵が描かれている)画像は灯篭の画像であるが、豫園の建物の中には、実に灯篭が沢山吊るしてある。お盆になると四苦八苦に付いての説教を聞いたものだ。四苦は、生(生きる苦悩)老(老いる苦悩) 病(病の苦悩)そして、死(死の苦悩)を四苦という。残りの四苦は、愛別離苦(愛する人と分かれる苦)怨憎会苦(怨み憎む人と出会あう苦)求不得苦(希望が叶わない苦)五陰盛苦(視覚や認識などの心理作用から沸き起こる苦)これが四苦八苦という意味であるが、人生の苦を、仏教で説いたと言う事であるが、私は色んなミスの、レポートを書く時に、いつも四苦八苦致します。質問--四苦八苦の意味をご存知でしたか?知っていた・何となく・知らなかったの三択。(灯篭の横には色んな絵が描かれている)
2006.08.15
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「上海豫園旅情52」質問--長崎などの龍の舞を見た事有りますか?ない・見た事がある・テレビ・実際に見たの四択。皆さんのコメントを見てますとテレビで、見た事しかありませんとの人が多かったですね。そういう、私も香港で一度見たっきりで、それ以後は見ておりません。皆さんのコメント長崎ではないですが、中華街で龍の舞を見たことあり。龍の舞は香港にいた時に何度か見ました。長崎に駐在してた時、正月の初売りイベントで見ました。(豫園の和煦堂の骨董品売り場)画像は、豫園内で骨董品を売っている中でも、骨董ではなく現在作られているものが展示してあった。勿論、撮影禁止にはなっておりましたが、許可を得て、撮ったうちの花瓶です。色の付け具合が、何とも美しく見とれてしまった。実際には、画像で見るより透明感があり綺麗でした。質問--家に自分が気に入って買った花瓶がある?ない・ある・花を生けているの三択。(豫園の和煦堂の骨董品売り場)
2006.08.14
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「上海豫園旅情51」質問--日本の何処かで狛犬を見た事がありますか?書物で見た・実際に見た・狛犬が何か分からないの三択。皆さんからのコメントには、狛犬を知っている人ばかりで安心しました。狛犬は、神社の入り口に対で座ってるアレですよね?狛犬の『あ』のほうの口にお賽銭が入ってました。日本の狛犬「あ」と「うん」、あちらこちらで見かけた。狛犬を見た記憶はあるのですが、それが何処だったのか日本中至る所にある神社の前に備え付けてある狛犬。そのルーツは、中国の獅子なのかは定かではない。(豫園双龍戯珠門の上の2頭の龍)この一つ前の画像の獅子の像に関して、擬人化したような獅子ですねぇ。面白いです。獅子の像のユニークで、思わずどんな人がこの、獅子像つくったのかあれこれ考えてしまいます。この獅子はなんて表情豊かなんだろうと感心しました。雌獅子がお乳をあげてる表情の愛おしさがとてもいい。獅子たちの表情が何とも言えず、豊で見とれますね。画像は、豫園の塀の上に作られた龍である。龍と言えば、大蛇から想像されて作られたもので、架空の動物であるが、日本にも浸透している。(豫園双龍戯珠門の上の魔よけの像と龍)長崎などや中華街で、龍を躍動的に操る祭りがある。龍の胴体に何本もの棒をつけ、それを大勢の人が、上手に操り、遠くで見ていると龍が宙を舞っているようだ。雨乞いと五穀豊穣を祈願するために日清戦争の時代に、中国より伝わり明治時代から、始まったと言う。獅子舞なども祭りでは、重宝がられ必ず使われている。子供の頃に、獅子に頭をくわえられ怖い思いをした。龍にしても、獅子にしても中国より伝わり、日本にて、新しい文化を育み、各地域に根ざしてきた。人々が病気や家運の為に、魔よけとしてきた。質問--長崎などの龍の舞を見た事有りますか?ない・見た事がある・テレビ・実際に見たの四択。(豫園双龍戯珠門の上の2頭の龍)
2006.08.12
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「上海豫園旅情50」「杭州西湖旅情1/2」を更新しました。また「上海豫園旅情」は再開致したいと思います。質問--困った人を助け、自分が困った事あります?ない・助けたが困った事はない・騙された事があるの三択。皆さんのコメントでも、色々な思い出も心の中に、しまってあるようでしたね。それぞれの思い出を思い起こして頂いたいい機会で、有ったように思います。そして、スターバックスの画像にも心引かれた人も、多くあり、画像を更新した甲斐がありました。(豫園の和煦堂へ通り抜ける門の雌獅子)柳の中にハーゲンダッツのパープルの傘テント。竹を植えた小道の横にスターバックスのボード。そして、柳に朝の太陽の日差しが目映いほどに、照りつけて、柳の緑が浮き上がった画像でした。画像は、豫園の中の画像に戻りました。和煦堂へ通り抜ける門の両脇に獅子の像が有った。この獅子像の形は、他の獅子像とはまた違う。今回、杭州の西湖へ行ったが、同じような獅子の像が、各寺院の入口や商店の入口に置いてあった。(豫園の和煦堂へ通り抜ける門の雄獅子)狛犬(こまいぬ)の一つ前の先祖は中国の獅子像。中国獅子がそのまま日本国内で「狛犬」として、受け入れられている例も多数あるようである。東大寺南大門の「狛犬こまいぬ」もそのひとつ。また中国の獅子は、西域の強い影響が見られる。やがて時代と共に中国独自の様式が生まれた。質問--日本の何処かで狛犬を見た事がありますか?書物で見た・実際に見た・狛犬が何か分からないの三択。(豫園の和煦堂へ通り抜ける門の獅子像)
2006.08.11
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「上海豫園旅情49」質問--赤い鯉が沢山!赤い鯉を何と呼ぶか?色鯉(イロゴイ)・錦鯉(ニシキゴイ)・緋鯉(ヒゴイ)の三択。回答は、「緋鯉(ヒゴイ)」でした。前々回の「中国の屋根の反り返りは何を模ったものか? 」この時の回答の三択では、質問を出す方も考えました。コメントをされる方も疲れてしまわれたようですね。今回の質問は、簡単過ぎたようです。緋鯉と言うのは、こいのぼりの歌にもあるとの事。大きい真鯉はお父さん、小さな緋鯉は子供達♪お母さんは何処へ行ってしまったのかな~?などと、考えているだけで、疲れてしまいました。(双龍戯珠門の上の2頭の龍)明日朝は、4時50分に起きて仕度して旅行に行きます。上海駅から汽車に乗って、浙江省杭州まで行きます。浙江省は上海から2時間ちょっとの所にあり、私が以前飲んでいた酒の紹興酒の紹興市まで30分の所。体が健康な時だったら、ちょっと汽車に乗って、紹興酒を買いに行く所なのですが、今はまだまだ調子が悪く、そんな気になれないところが、不思議です。今回は、一人旅で、ホテルも自分で予約し地図を持って、道に迷いながら楽しい時間を過ごして来たいと思います。だから、少しだけ更新はストップですね。更新は4日後に帰って来てから更新をしたいと思います。(双龍戯珠門の上の2頭の龍)浙江省杭州は西湖という小さな湖があり、中国春秋時代の美女である、西施にちなんで名づけられた。私は今回始めて行くが、皆の話ではいつ見ても美しいとの事。特に、日の出と日の入りが絶景であり、湖畔に座って、西湖に日が落ちるのを見ていると、何もかも忘れてしまうと、声を大きくして語ってくれた。杭州の歴史は秦の始皇帝がこの地に銭塘県を設置したのが、始まりで、中国六大古都の一つに数えられる。質問--始皇帝とはいつ頃の人か分かりますか?約2550年前・約2250年前・約2050年前の三択。(双龍戯珠門の上の2頭の龍)
2006.08.05
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「上海豫園旅情48」質問--中国の屋根の反り返りは何を模ったものか?中国の鳳凰の羽根・龍の尻尾・釈迦の手の平の三択。回答は、「龍の尻尾」でした。皆さんからのコメントこの質問は悩みますね。釈迦の手にします。イメージが鳳凰の羽根に似てるから鳳凰の羽根です。意味もなく見たままで鳳凰の羽にします。それなりにみんな、当て嵌まる感じがしますね。龍の尻尾かな。見た感じで、鳳凰の羽根にします。質問に対する答えは、中国の鳳凰の羽根にします。(豫園の池の鯉)私もこの「龍の尻尾」と言う回答には少々驚いた。なぜならば、私も鳳凰の羽根なのかと思っていたからだ。中国の若者や大半の人でも、この屋根の先が、反り返っているのは何を模ったものか?と、聞いてもまず即答できる若者はいない。「画像は豫園の池の鯉」豫園の入口には大きな池があり、九曲橋を通り、ふと橋の下を見ると鯉が沢山寄ってくるのが分かる。豫園内にも、池が沢山有り中国式古典庭園の中の、鯉の姿には疲れた心を癒してくれるものがある。 質問--赤い鯉が沢山!赤い鯉を何と呼ぶか?色鯉(イロゴイ)・錦鯉(ニシキゴイ)・緋鯉(ヒゴイ)の三択。(豫園の池の鯉)
2006.08.05
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「上海豫園旅情47」質問--楽天ブログ以外にブログを書いてますか?楽天だけ・他に一つ・他に二つの三択。「皆さんからのコメント」楽天だけです。何もやっても三日と続かない私が、不思議にこのブログだけは4年近く続いています。楽天と、ほかに1つエキサイトで書いてます。ほとんど内容は楽天と同じ、もう少し詳しい、アンチャン王子のお散歩日記です(2001年開始)楽天だけで精一杯です。まだ自分の思うように、書けてない、表現できてないというのが現実です。質問--日本語の他に勉強している言語がありますか?日本語だけ・他に一つ・他に二つの三択。二つとも、問題ではないので回答は有りません。皆さんからのコメントは画像の下にあります。(豫園に限らず中国では屋根の先が反っている)Englishを学習しています。日常会話を話す事と、聞き取ることを主体として学習しています。一時、ハングル語をと思いましたが、難しくて・・・無理でした。日本語以外の勉強はしておりません。-----ここまで------上下の画像は、中国の屋根の反り返った光景を、更新したものですが、このような光景は日本にもある。その殆どの建築技法や設計方法は中国から、伝来したものである。一般の民家にもこの反り返った屋根の形を、取り入れている所もあるが、全般に寺や廟に多い。質問--中国の屋根の反り返りは何を模ったものか?中国の鳳凰の羽根・龍の尻尾・釈迦の手の平の三択。(豫園に限らず中国では屋根の先が反っている)
2006.08.04
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「上海豫園旅情44」質問--屋根の上に置かれた物は何の為でしょうか?中国のしきたり・雷避けの為・魔よけの為の三択。回答は「魔よけの為」でした。皆さんからのコメント魔除け。シーサーみたいに魔除けだと思います。私も 魔よけだと思います。この画像をみると、細工がこまかくて日本とはまた違った文化を感じます。日本も屋根の上に色々なものを載せます。日本的に考えて魔よけだと思います。私も魔よけだと思います。細かい細工ですね。色々な画像を見て、文化の違いを知ることができます。(豫園の建造物の屋根が反り返っている)魔除けとして武将の像を屋根の上に飾るそうだ。中国での三国志の「張飛」と「関羽」の像が置かれている。「関羽」は商売の神様になってしまったほどである。「張飛」は大酒のみで、いつも酒で失敗をしていた。「張飛」は数々の戦いで豪傑振りを示し、長坂の戦いでは、数千の曹操軍に対し、大喝して曹操軍を恐れさせた。益州入りするときは、諸葛亮と共に援軍として出発。厳顔を生け捕りにし、一万の兵に匹敵すると評価された。質問--「張飛」が使えた武将とは誰でしょうか?曹操・諸葛亮・劉備の三択。(龍の背の波打ちと屋根の反りの調和) 「上海豫園旅情45」質問--「張飛」が使えた武将とは誰でしょうか?曹操・諸葛亮・劉備の三択。回答は「蜀の国を建国した劉備」でした。皆さんからのコメント劉備です。つい百科事典で調べてしまいました。歴史の試験みたいですね「諸葛亮と共に援軍として出発」戦友っぽいです。「大喝して曹操軍を恐れさせた」敵対してます残りは劉備ですね☆消去法です。三国志、読んだ事がないから分からない。諸葛亮ではないと思います。残る曹操オか劉備か。答えは劉備にします。「諸葛亮」とは「諸葛孔明」の事で、軍師ですよ。画像は、何処でも人で一杯の観光地です。如何に人を、避けて画像にするかが問題で忍耐との闘いです。(何処へ行っても人・人・人である)ある人より、私書箱へメールを頂きました。「また胃の具合でも悪くされたのかと心配してます」他にも色々と・・・ご心配をお掛け致しております。今日の昼も、ブログを更新しなかったですからね。仕事が忙しい事と、一番出来た通訳が結婚の為に、退職してしまい、2人の通訳はまだ大学生で私が指導中。そして、7月23日よりボチボチ始めた中国語のHSK試験の為の勉強ですが、楽天ブログが気になって中々進みません。↑クリックすれば学習の内容が見れますよ!今日、8月3日になって、やはりやる時にはやると心に決め、本格的に中国語の試験の為の勉強を始めたいと思います。漢字をブログに載せるのはピンイン打法、例えば、中国語とピンインでは(zhongguoyu)で出す事が出来ます。↑クリックすれば学習の内容が見れますよ!中国語は簡体字の為に、日本の漢字と少し違うところも、有りますね。私の勉強方法で進行し、初めての試験に、何とか5級でも良いですから合格したいと思ってます。質問--楽天ブログ以外にブログを書いてますか?楽天だけ・他に一つ・他に二つの三択。(何処へ行っても人・人・人である) 「番外編1」メールが入って参りました。その内容は、どうして中国語の勉強を楽天でしないのか?上記に内容のメールが私書箱に入って参りました。楽天ブログで中国語を更新しないのは出来ないからである。こちらで出来れば、何も向うへ行く必要もないです。私はホームページ「中国ひとりぽっち」があります。殆んど家族と親友の掲示板がありそのやり取りだけ。その他はブログ「中国ひとりぽっち」があるが、今では全く更新してなく、楽天ブログをリンクしてある。他に、エキサイトブログ「中国語の勉強」である。(楊梅の画像である。豫園は次から続けます)どうして楽天ブログで中国語の勉強が出来ないか?下記に、楽天ブログでは更新できない原因を綴ろう。中国語は、日本語の漢字とは違う。殆んど同じようであるが、中国語は簡体字であり、日本語の漢字にはないのである。もしこの楽天ブログで中国語を更新すればどうなるか?HTMLタグの記述に誤りがあります。▼入力項目の下に、→→が出ている項目を再度、選択または入力してください。 上のように文字が化けて、エラーの為に更新ができません。ですから、中国語簡体字が打つ事が出来て更新できるブログへ、書いているわけです。確かに日本語の字に直せば問題はない。だが、勉強もそうであるが、試験を受けるために勉強している。それを、時間を掛け日本語に直し譬え更新でき勉強できても、試験では全て簡体字の為、戸惑う事は必至である。質問--日本語の他に勉強している言語がありますか?日本語だけ・他に一つ・他に二つの三択。(葡萄の画像/豫園の画像は次から続けます)
2006.08.03
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「上海豫園旅情41」質問--いい場面を撮影したくて待った事ってありますか?ある・場所取りで待った・人が居ても撮ったの三択。「皆さんからのコメント」最近では桜の姫路城を撮りに行った時。待つのは嫌なんで適当に妥協します。少しなら待ちます。友人や家族と一緒なら、その人たちをメインに撮ります。もう一度いけるところなら、足を運んでチャンスを、待ちますね。それでいい画像が撮れたらうれしいです。自分の写真をたくさん撮って欲しい人。友達も、同じなのでたくさん思い出の写真が撮れてます。良い写真が撮りたい時は 待ちますね。観光地では風景より人物が主。(白壁と池の中の鯉に気を取られると見逃す龍)画像の龍は、豫園の白壁通路の為の門があり、その門の、上に造ってあり、ここに龍があると言わなければ、殆んどの人は、見逃してしまうほどである。中国の龍は雨を恵む水の神。農耕生活で大切な水の神。時には洪水を起こす恐ろしい神でもあった。だが龍が十二支に入っているのはご存知の通り。何故なのか?中国では、龍と王権との関係が深いとされる。王の権威のために十二支の中に入れたのではないか?西洋のドラゴンをご存知だろうか?龍の仲間という。その西洋のドラゴンは翼があって2本足と言う。 質問--東洋の龍の足が何本あるか分かりますか?6本の足・4本の足・2本の足の三択。(白壁と池の中の鯉に気を取られると見逃す龍) 「上海豫園旅情43」質問--龍の頭の材料は何でしょうか?粘土に色を着けた・粘土を焼いた・セメントに色着けたの三択。回答は「粘土を焼いた」でした。皆さんからのコメント龍の胴体が延々と屋根となって連なっているんですね。すごい!見てみたいです。瓦は焼き物だから粘土を焼いたものじゃないかな?使われ方としては日本の鬼瓦と一緒みたいなんで。普通だと答えは粘土だと思います。が、しかし、今の日本瓦も殆どがセメント瓦に変わって来ています。答えはセメントに色着けたにします。龍の頭だけというのがミソですね。外れたかな?(豫園の建造物の屋根には伝説の勇者)すご~い!みごとな瓦ですね。龍の頭の材料は、たぶん粘土を焼いたものじゃないでしょうか?皆さんの回答には「?」マークがついています。子供さんに、学校のテストで分からなかったら「?」を、付けると先生が○を下さるわよ!って教えてませんよね。また質問が来ていましたので、龍の鬚は何で出来ているかを、豫園の管理事務所に中国人から聞いて頂きました。残念ながら、誰も300年ほど前の事を知る人は居ません。だからと言って、龍によじ登って確かめる事も出来ません。これに関しては、実行すれば私は中国で文化財保護違反で、逮捕され重罪になってしまいます。諦めて下さい。上下の画像の屋根には、伝説の勇者や動物が置かれている。質問--屋根の上に置かれた物は何の為でしょうか?中国のしきたり・雷避けの為・魔よけの為の三択。(豫園の建造物の屋根の上にも伝説の勇者)
2006.08.02
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