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2024.09.13
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テーマ: ニュース(100302)
ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領(86)が死去 娘のケイコ氏が発表

日系2世のアルベルト・フジモリ元大統領は、1990年4月に日系人として初めてペルーの大統領に就任し、当時の経済を立て直しました。
日本人が人質となった1996年12月の在ペルー日本大使公邸占拠事件の際は犯行グループの左翼テロ組織に対し強硬な姿勢で臨み、解決につなげましたが、政権の腐敗により2000年11月には日本に事実上の亡命をしました。
しかし2005年10月、翌年のペルー大統領選に出馬するため日本を離れたフジモリ氏は経由地のチリで拘束され、2007年9月にペルーへ身柄が引き渡されました。
2010年1月には、在任中にペルー軍による市民の殺人事件を指揮したとして禁錮25年の有罪判決が確定しましたが、健康状態が悪化し、入退院を繰り返したほか、恩赦をめぐる判断が度々覆されました。
直近では2023年12月、憲法裁判所の判断を受け、4年ぶりに釈放されていました。
娘のケイコ・フジモリ氏は11日、「父はがんとの長い闘いの末、この世を去った」とSNSに投稿しました。86歳でした。

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わたしは1989年秋にペルーに行ったので(南米は3回行っていますが、ペルーに行ったのはその時だけです)、フジモリ大統領初当選の約半年前になります。その当時ペルー経済は崩壊状態であり、当時の通貨単位「インティ」の価値は毎日下落していまた。私がペルーに就いたときは1ドルが5000インティか5500インティくらいでしたが、10日後にボリビアに出国した時は6000か6500インティに、更に1か月後南米からの帰路リマ空港に寄航した際は、1ドル9000インティ、という具合でした。
郵便物はまったく届かないし(これは、まあ現在でも南米どの国でも郵便物の信頼性は低いですけど)治安の悪さも壊滅的でした。

大統領に当選して、その状態を短期間に立てなおしたこと自体は、認めざるを得ない功績です。
ただ、その立て直し手段は劇薬でした。劇薬は、短期間に限定的には効果がありますが、本質的には毒薬です。使い続ければ害悪が大きくなります。

フジモリの施策は「強権支配と新自由主義」が基本でした。
フジモリは大統領に当選したものの、議会では与党は少数派だったため、議会運営に苦慮しましたが、1992年には「アウトゴルペ(自作クーデター)」と呼ばれる強硬策に打って出て、議会を解散し憲法を停止してしまいます。
これによって反対勢力を弾圧したフジモリは、強権的な弾圧によって治安を回復し、経済状態も回復させました。しかしその代償として、無関係な市民も多数巻き添えで殺されていますが、フジモリは「恩赦法」を制定して軍による人権侵害の免罪を図ります。また、自身に対して批判的なマスメディアに対する弾圧を行っています。
更に、側近のモンテシーノスによる野党議員買収映像が暴露されるなど、腐敗が急激に拡大し、支持を失っていきます。 

ちなみに、当時駐ペルー日本大使館の一等書記官であった小倉英敬氏(MRTAによる大使公邸占拠事件の際に最後まで人質だった)の話を。ある集会で聞いたことがあるのですが、それによると、日本大使館は1990年にフジモリが初当選した時点で、過去の記録を調査し、フジモリ氏が出生した時点で日本大使館に国籍留保届が出ている(つまり日本国籍を得た)ことを確認していたそうです。
ただし、現在でも日本国籍を持っているか、つまりその後に国籍離脱の手続きがされていないかどうかは、フジモリ氏が日本に亡命した際に確認したそうですが。現実的には、日本国籍所持者がわざわざ国籍離脱の手続きを取る可能性は極めて低いので、それは「念のための最終確認」でしかなかったはずです。
つまり、フジモリ大統領の政治生命の生殺与奪の権利を日本大使館は握っていた、とも言えます。

その後のフジモリ氏の行動は、支離滅裂としか言いようのないものであったと思います。
日本で亡命生活を送っていた2005年に、翌年のペルー大統領選出馬を目指して隣国チリに入国するも、ペルーから逮捕要請を受けていたため、身柄を拘束されます。しかし、チリで身柄拘束されていた最中の2007年に、今度は日本の参院選に、亀井静香率いる国民新党から立候補という挙に出ます。一国の大統領であった人物が、他国の国会議員に立候補(それも、いわば獄中立候補だったので、選挙運動も政見放送も一切なし)という前代未聞の事態でしたが、落選に終わりました。

80年代末期のペルーがどれほどすさまじい状態だったか、わずか10日間の滞在とはいえ多少は見てしまった私としては、フジモリの功績のすべてを全面否定はしません。しかし、その功績を帳消しにして余りある弾圧と腐敗があったことも間違いありません。そして、その人権侵害行為はペルーにおいて、生涯免罪されることはありませんでした。





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最終更新日  2024.09.13 00:00:12
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