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半島からの留学生である江本龍明は、職業学校に在籍しながら大学生を装っていた。その当時、終戦工作に関与したといい、近衛文麿に連なる島津家の女性に接近しようとしていた、と語る。
では、その女性を特定しよう。
・戦時下の東京
・島津家の女性
・近衛文麿と近しい者
島津久光の子・ 忠義 (茂久) には多くの娘があり、終戦時に健在だった者は6人を数えることができる。しかし、近衛文麿との接点になるとはいえない。
自由学園在学中17~18歳の写真

1916年生まれで、3人の子を育てながら20代後半を戦時下で暮らした。
一見勝気な御嬢さんであり、公爵夫人としての暮らしには馴染めなかったようで、戦後に整体師と再婚することになる。
このほかに島津家の女性たちを挙げれば、忠秀の妹・経子(1919-島津久大の夫人)も該当するが、文麿本人の長女である昭子と比較すれば、繋がりは無いに等しい。
■文鮮明教祖の日本留学時代 by ちゃぬ さん
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10745397733.html
■自称反日独立運動家のはずの文教祖が日本留学時代「日本の大臣の秘書」をしていたと語った by ちゃぬ さん
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11538901723.html
20歳代後半の貴婦人にアプローチしようとしていた偽早大生・江本某。終戦工作に汗を流したと恩着せがましいが、実は金九に連なる大逆の兇徒(天皇暗殺テロリスト)という矛盾。
むしろ、当時、単なるストーカーとして取り締まられたことがあるのではないか、その記録が残っているとすれば、予め言い訳しておく必要があったのではないか、「問うに答えず語るに落ちる」と考えれば納得できる。
薩摩藩主島津忠義(茂久) の11人の娘たち
長女房子(1869-1871)
次女 清子(1871-1919) 侯爵黒田長成夫人
三女 充子(1873- 1958 ) 侯爵岡山 池田詮政 夫人
/伯爵松江 松平直亮 夫人
四女 常子(1874-1938) 山階宮菊麿王妃
五女 知子(1875- 1948 ) 伯爵田安 徳川達孝 夫人
六女 普子
七女 貞子(1878- 1974 ) 伯爵 久松定謨 夫人
八女 俔子 (1879- 1956 ) 久邇宮邦彦 王妃
昭和天皇の后(香淳皇后)の母
戦時中は60歳代の皇族天理教二股統一教会員二世(ぷっちょゆきっちさん)からの内部情報
http://blogs.yahoo.co.jp/yukitti000/43264765.html
九女 和子十女 正子(1885- 1963 ) 公爵 徳川家正 夫人
十一女 為子(1897- 1989 ) 侯爵紀伊 徳川頼貞 夫人
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