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こんにちはブラじゅんこです伊豆・韮山で北条義時、北条時政たちの拠点を歩いてきましたが今回は源頼朝流刑の地であり挙兵の地でもある場所を歩いていこうと思います前回の北条氏拠点地の散歩でも言った光照寺こちらが頼朝の館があったのではないと言われているそうもうね北条氏館からすぐですよ、すぐ歩いていて「こんなに近かったんだ~」っとびっくりしましたゆったりとした空間で「ああ、頼朝が住んでいそう」って思っちゃった今とは、かなり景色が違うと思うけど・・・そして光照寺から歩いてすぐの場所に願成就院がありますがそのすぐ脇に守山八幡宮がありますここは、なんと頼朝が挙兵した神社なのです挙兵の碑もありました・・・ここで挙兵したのか感慨深い新田義貞挙兵の生田神社でも思ったのですが挙兵の地に立つとその時の兵たちの息づかいが聞こえてきそう頼朝はここから鎌倉幕府設立までの道を歩み始めたんですね背後にある守山の上の方にお宮がありましたが・・・この日は登らずあとで地元の方に聞いたのですがこの階段の途中になにかあるらしいなんだったっけ(覚えてない)鳥居越しに見るこれから向かう山木の館方面向かいに見える山のあたりに攻め込む山木の館がありましたいや、ちかっここから東へと向かい韮山駅を通過しますと。。。ジャジャ~~~ン頼朝が流されてきたとされる蛭ヶ島にたつ頼朝と政子の像富士山を眺めていますここから見ると宝永火口がきれいに見えるなここにある御茶屋さんで遅い昼食をとったのですがここで知り合った地元の方に色々と教えてもらいまして山木の館跡に向かいましたたくさんお話してゆっくりしちゃったありがとうございました頼朝の最初のターゲットとなった山木兼隆は平家の直轄地だった伊豆の目代で山木地区に館があったと言われていますそこにあるのが・・・兼隆の菩提寺である香山寺ここに兼隆の供養塔がありましたきれいだな~っと思ったら平成2年に建てられたそう新しいんだ境内にこんな立派な石垣があったんだけどこれはいつのものだろうなにか跡がないか、ウロウロしちゃいました今回北条氏の拠点である韮山を歩きましたが頼朝がここに流されてきたことで挙兵の地ともなりここから鎌倉幕府への道が始まったんですよね実際歩いてみるとどこもとても近くてこんな距離感で戦ったりして歴史が動いたのかっとびっくりしましたこのあと石橋山の戦いで負けて安房へと落ち延びますがその時に三浦の本拠地である衣笠城が落とされるんですね色々とつながってきて興味深い伊藤祐親や大庭景親たちの拠点地にも行ってみたいなぁではではまた次のブラじゅんこで
2024.08.15
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こんにちはブラじゅんこです北条義時の江間を散歩したあとは狩野川を越えて北条氏の拠点である北条郷へと向かいますこの狩野川の脇にある守山の周辺に北条氏の拠点がありますまず向かったのは。。。北条氏屋敷跡今はただの広場みたいになってますが昔はここに時政パパや政子たちが住んでいたんですかねぇいや、広いな整備されている道を進んでいくと当時を偲ばせるような掲示がありましたこんな風に建物が建っていたんですね北条氏邸には円成寺が建てられたそうですが鎌倉幕府が滅んだあと北条氏の女性たちが韮山に戻ってきてこの屋敷跡に円成寺を建てたそう最後の得宗・高時のお母さんである円成尼が北条氏の菩提を弔っていたんですね鎌倉以前の様子と幕府滅亡後の様子を想像すると。。悲喜こもごもですね。。。ここから北へと向かって守山をぐるっと回ろうと歩き始めると。。。堀越公方の屋敷跡がありましたこれまた広場しかないけど堀越公方といえば室町時代の話になりますが8代将軍足利義政のころの関東も乱れに乱れておりましてそんな関東を直接管理しようと鎌倉公方として兄の足利政知が派遣されてくるんですが鎌倉まで入ることができず伊豆の韮山に居を備えたそうそれがここだといわれていますへ~~~そうなんですねぇ。。いわゆる堀越公方ですいろいろと跡があるらしいのですが捜してみたけど分からなかったその向かいくらいの山のふもとに政子の産湯の井戸がありました今は飲めないそうですが昔は(昔っていつだろう)妊婦さんはこの水を飲んで安産を祈願していたらしいです守山の北側にいくつかお寺があるのですがまずは一番北側にある成福寺へこのお寺は元寇の時の執権、北条時宗の子・正宗が再建したそうここには正宗、その父・時宗、その母覚山尼の供養塔もありました左から時宗、覚山尼、正宗お母さんが真ん中なんだまた北条氏の歴代のお墓もお墓なのかな、供養塔なのかな成福寺を失礼するときに門の石柱の裏を見たら。。。子孫の方かなこの成福寺へ向かう道は旧下田街道で、今は「頼朝政子の語らいの路」となっておりまして堀越公方御所跡や政子の井戸の通りは「北条の里さんぽ路」というらしいですその語らいの路を進むと現れるのが・・光照寺ここは頼朝の館があったところじゃないかと言われているそうでそうしたら政子がいたであろう北条氏邸までめちゃめちゃ近いな徒歩10分くらい?もうちょっとかな?すぐ近くには願成就院跡「跡」となってますが・・・こちらにございます多分、今よりも敷地が広かったでしょうからその広かった部分が「跡」なのかな?パパ時政が頼朝の奥州征伐戦勝を祈願して建立したそう奥州藤原氏の毛越寺を模して極楽浄土を再現したお寺だったそういやぁ、きれいだったろうなぁ大きな池もあったそうですよたくさんの国宝があるそうでこの日は見ることができなかったのですが写真をじっくりと見てきましたすごい運慶ばっかり・・・そしてここには時政パパのお墓があります時政パパ立派なお墓で大切にされてるんだろうなぁそういえばこのお寺には「足利茶々丸のお墓」もありました茶々丸といえば・・・堀越公方の息子で腹違いの弟を殺害して後継になったのですが最後は伊勢宗瑞によって自刃してしまうという・・なかなかにハードな人生です残念ながらお墓は見ることができませんでしたここからさらに旧下田街道を南下します真光寺こちらのお寺は開祖が武田信光鎌倉殿には武田信義が出てきましたね(八嶋さんが演じてらした)その息子にあたります信光が2代将軍頼家の病状伺いに修善寺に行ってその帰り、この場所で頼家が亡くなったのを知り守山の麓に庵を結んで出家頼家の菩提を弔ったそう武田という名前からもわかるようにあの武田信玄の祖先になりますねこちらにはその信光のお墓がありました信玄まで続くのかぁすごいなぁここからさらに南下すると・・・八重さんをお祀りする御堂がある真珠院にたどり着きますこちらの入り口近くに八重さんの御堂がありました八重さんは頼朝との間に千鶴丸を設けますが敵である八重さんの父、伊藤祐親によって殺され八重さん自身も幽閉されましたがそこを抜けだして頼朝のもとへと駆けつけるのですがすでに北条政子と結ばれていたのでそのまま真珠ヶ淵への身を投げたといわれています鎌倉殿では義時と結ばれて泰時の母となっていましたが最後はやはり川でなくなってしまいましたよね・・・その場面は悲しかったなぁ・・・この御堂には小さなハシゴがたくさん奉納されてますはしごがあったら八重さんを助けられたのにという地元の方々の思いからこのはしごを奉納して願い事をお願いするそうですさてこれで守山一周きれいな富士山を見ながら出発点の北条邸へと戻りましたこの守山の周りで北条氏は生活をしていたんですねぇそして頼朝もこのあたりにいたわけで・・・次回は頼朝にまつわる場所を歩いていきますよそれでは次のブラじゅんこで
2024.08.15
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こんにちはブラじゅんこです前回、三浦氏の拠点をアップしたので鎌倉つながりでまだアップしていなかった北条義時の地「江間」をアップしたいと思います。かなり前になりますが写真見るとコート着てます北条義時といえば鎌倉殿の13人の主役・小四郎くんでございます小四郎は江間小四郎義時と名乗っていたように「江間」の地を拠点としていたそうです江間はどこかといいますと・・・伊豆韮山の西側になりますこのあたりって北条氏が拠点にしていたのもそうですし頼朝が流されていた場所もこのあたり後北条氏である伊勢新九郎(北条早雲)の城・韮山城があったり韮山反射炉もあったりと見どころ盛沢山な街まずやってきたのは・・小四郎の居館跡今は公園になってますここは江間村の尋常小学校も建っていたんですねぇそうそう義時と姫の前(鎌倉殿だとひなちゃんですね)の碑がありましたよ解説版によるとこの居館でひなちゃんと過ごしていたこともあったらしく江間の地に1人目の奥さんである八重姫の御堂があり3人目の奥さんである伊賀の方(のえちゃん)のお墓があるのでこれで3人そろった・・っということみたいですさてここから江間の街をブラブラとしていきますそうしたらバス停に「江間」の文字を発見こういう文字を見るとテンションあがりますね~~そのバス停の前に郷社がありました⛩豆塚神社昔は北条郷と江間郷は1つの郷だったそうですがその後狩野川が間を流れるようになったのでそれぞれに総鎮守を置いたそうそしてその神社を今の場所に義時が移したそうでそれがこの豆塚神社なんですね豆塚ってかわいい名前だなてくてく歩いて向かったのはこちら北条寺まんまの名前ですが義時が創建したそうです解説板によると義時の嫡子安千代が大蛇によってなくなってしまったためここを墓所として七堂伽藍を建立したそう・・ん?でも安千代くんのお墓は分からなかったなここには義時と伊賀の方のお墓がありますお、ちゃんと矢印があってわかりやすいこの階段を登りますよ向かって右が義時、左が伊賀の方のお墓義時は急死しているのですが毒殺説もありましてしかも伊賀の方による毒殺説もあるんですよね鎌倉殿ではのえちゃんが毒をもってましたねそんな2人が並んでいるという。。。実際のところはどうだったのか。今や真相は闇の中ですねこの小高い場所は小四郎山って言われているらしい景色がいいです江間は小さな街だけどゆったりしていて歩いていてもなんだか気持ちがほっこりする町でしたなんか懐かしい街並みでしたこんな長閑な街で鎌倉幕府へとつながる出来事がたくさん起こっていたんですねこのあと北条郷へと向かい北条氏ゆかりの場所を歩いたのですが・・・そちらは次のブラじゅんこで
2024.08.09
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こんにちはブラじゅんこです前回の「衣笠城」のつづき今回は城を降りて街中へと繰り出します衣笠の街には三浦氏にまつわる場所がたくさんあるので1つずつ巡っていきますね最初にやってきたのは。。。満昌寺このお寺は三浦義明を弔うために源頼朝が建てたといわれていますなんと!頼朝お手植えといわれるつつじがありましたお花が咲いてるときに来てみたいなそしてこの奥に大介義明の廟所がありますなんか立派そしてまたもやこの階段・・・いや、がんばりますよ登りきると宝物殿が現れましたどうやらこの裏にお墓があるみたいなので回り込んで行ってみますこちらが大介義明のお墓街を歩いているととにかくこの「大介義明」がとても大切にされているんだなぁと実感するんですがこのお墓もそうですよねぇとても立派なお墓でした次に目的地まで少々迷いつつ向かいます細道が多くて若干迷ったそしてたどり着いたのが。。近殿(ちかた)神社御祭神はなんと!三浦義村ですよえ、あの義村?(いや、13人の鎌倉殿を引きずりすぎ。。。)義村がなぜ御祭神になったのかは定かではありませんがなかなかに立派な神社でしたその近くには薬王寺の跡があります薬王寺はいまは廃寺で残ってませんが和田義盛が父・善宗、叔父・義澄を弔うために創建したといわれているそう和田小太郎くん。。。あのキャラ好きだったなぁ(いや、だから鎌倉殿引きずりすぎって)真ん中が義村パパ・義澄のお墓塀に囲まれてきれいにされてますねぇこのあたりは細い道なのでしっかりと道を確認してくださいねさてその細い道を抜けて大通りに出る手前に駒繋石がありますこの石は薬王寺にお参りにくる武将たちがこの石に馬をつないだことから名付けられたそうここから大通りを歩きつつ腹切松公園へ向かいますいや、腹切松公園って子どもたちの待ち合わせ場所とかになったら「今日は腹切で遊ぼうぜ」みたいなことになるのかデデ~~ンいや、インパクトあるなで、なぜこんな名前かといいますと・・衣笠城が攻め込まれた時一人城に残っていた大介義明が城外へ出て清雲寺で先祖の墓に別れを告げて敵陣に突入し大矢部の傘松の下で切腹したっと言われていてその松があるからなんです今あるこの松は2代目初代の松は幹もすごく太くで立派だったそうですよ次はその清雲寺へと向かったのですが入り口が分からずにグルっと敷地回りを回ってしまった・・・無事に入り口を発見しましたこちらには三浦氏三代のお墓がありますこのご本堂の裏にお墓があるので回り込んで向かいます真ん中にあるのが2代目為嗣このお墓はもともとこの場所にあったそうそして両脇にあるのが初代・為通、3代・義継この2人のお墓は廃寺となった円通寺から移されたそうでどちらがどちらかは分からないそうですちなみに義村は6代目になるんですね衣笠の街を歩いていると三浦の家紋をたくさん見かけました三浦氏がこの地にしっかりと根付いていたんでしょうねでは、また次のブラじゅんこで
2024.08.05
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