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いじめを正当化するもの
「みんな仲良く」というスローガンを子どもたちに推奨する親や教師がいます。もちろん、トラブルを未然に防いだり、団結して取り組んだりできるという利点を重視するなら、仲良くしてもらうのが望ましいと考えるのは当然です。しかし、人にはどうしても「好き嫌い」という感情があります。こよれはそう簡単にコントロールできるものではありません。
「なぜか、彼女の言動にはいつもイライラさせられる」「どうして、彼のやることばかりが気に障るのだろう」「あの人が失敗するのをどこかで待っている自分がいる」……。そんなふうに考えてしまう自分をいくら責めたとろろで、険悪冠を抱かずにはいられない人がいるのはどうしようもありません。
そして、彼らを追いつめるような行動にかられることがあります。そう、前述の、「いじめ」や「ハラスメント」と呼ばれるものです。
学校では「いじめ」、社会では「ハラスメント」そして家庭では「虐待」と呼ばれますが、すべて同じベクトルの攻撃であることは疑いの余地がありません。
子ども同士のいじめと、職場のハラスメント、もちろん当事者の年齢や社会的地位は異なりますが、被害者と加害者という図式はすべて共通していますし、行われる攻撃の種類や目的も似通っています。
では、なぜいじめやハラスメントが横行しているのでしょうか。子どものいじめの加害理由は実にさまざまですが、文化によって違いがあることが分かっています。
たとえば、日本とイギリスの小中学生を比較した心理学者の金網和征氏によれば、両者のいじめの特徴には、大きな違いがあるというのです。イギリスの小中学生は、自分の強さを周りに示すためにいじめる傾向があると金網氏は指摘し、これを自己顕示型のいじめと呼んでいます。
一方、日本の中学生は、「周りをイライラさせる」などの理由で、相手をいじめます。つまり、大義名分として「周りに迷惑をかける人」を槍玉に挙げているわけです。集団維持型のいじめと呼ばれるこうしたいじめは、相手が単に気に入らないというだけでなく、何らかの罰を与えるため、つまり制裁の一形態として理解できるものです。
さらに厄介なのは、いじめの理由について、加害者側がそれほど深刻に考えていない点です。日本の非行少年に対して、過去に誰かをいじめた理由を尋ねた研究では、「なんとなく」などが上位を占めていました。加害者たちは、自分たちがどういう感情を被害者に抱いているのか、はっきりと自覚ができないまま、いじめを行っている節もなるのです。
また、いじめの当事者にならずとも、他の人がいじめられているのを黙認するケースは多いでしょう。いじめられるようなことをしたんだから仕方がないと、いじめ行為を正当化できるのも、いじめが仕返しとして認識されているからに他なりません。ですから、自分はいじめに加わらなくても、「いい気味」「ざまあ見ろ」などと、いじめる側を応援してスッキリしている人もいるでしょう。
いじめの被害者にも非があるという認識の上で、いじめが正当化されてしまうのです。
たとえば、かつて私の研究室で、 1400 名ほどの小中学生を対象に行った調査があります。架空のクラスメイトが、「汚い」とか「元いじめっ子」などの制裁的な理由でいじめられている場面を目撃した時の気持ちを尋ねたのですが、それに回答した子どもたちの半数は同情的でした。しかし、それ以外は、いじめを喜んで見たり、同情しなかったりといった特徴があることが分かりました。
つまり、明らかに制裁だとみなされているいじめは、目撃している人たちにとっても受け入れられやすい側面があるのです。
こうしたいじめの正当化は加害者側もあまり自覚していないかもしれません。直接手を下さずいじめを黙認し、容認する人は、罪悪感もなく、責任を取らなくてすむ立場ではほくそえんでいるのですから、始末に負えません。
しかし、私たちがこの始末に負えない立場に立たないと、いったい誰が断言できるでしょう。勧善懲悪のテレビドラマやゴシップに嬉々として群がる人たちと、いじめという名の制裁を見守る子ども達との間に、いったい何の違いがあるというのでしょうか。
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