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来週の出張中に車の修理(タイヤ、ベルト交換)をするので、今週末は静かにアパートに篭って居る。今日外出したのは、午前中にMONOPRIXと香苗に買い物に出ただけ。お陰で、懸案だったシャワールームの湯垢落しや、普段は出来ない洗濯、掃除が捗った。午後からは、久々の昼寝を2Hして、気分がすっきりした所で、これまた普段と違って、豪華な夕食を準備する事にした。普段は、当に一汁一菜の粗食に耐えているが、今日は、クリームシチュ-、おでん、サラダ、味噌汁の仏での単身生活3年間での最高の自炊メニューと成った。但し、これから3日間は同じ物を食い繋ぐ事に成る。
2004年01月31日
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今朝も寒い朝で、Pacy到着時の8時過ぎの気温は-3度。久々の晴天に恵まれ、会社の手前で車を止めて、朝焼けの写真を撮った。日一日と、日の出が早くなってくるのが実感される。畑には薄っすらと雪が残り、朝焼けのオレンジ色と青い空が印象的である。 今朝は8時30分から仏語のレッスン、先生が浮かぬ顔をしていたので、仏語の文章作成の時間に、最近何か嫌な事が有ったのかを質問したら、待ってましたとばかりに説明が始まった。先生の旦那が、トレーニングジムでアキレス腱を切ったそうで、来週手術をして、以後6ヶ月松葉杖の生活に成る見込みとの事。先生の人生哲学は、夫婦は自立したパートナーの共同生活で、財布は別々、生活パターンも別々で自分の仕事を何よりも大切にすると言う物。本事態は一挙に生活の基本パターンを崩すもので、すごく憂鬱に成っているそうだ。
2004年01月30日
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今朝は、昨夜降り積もった雪で路面が凍結し、高速のA13も、料金所の有るマント以西は3車線の内、追い越し2車線が、雪が凍り付いて走行不能な状態に成っていた。 高速を出た後も、スリップを警戒してのろのろ運転、 会社まで何時ものほぼ2倍の1H20分も掛かった。 時々、運転状況を表示するパネルにスリップの警告 表示が付き、車が滑る。 昨日、愛車を定期点検に出したが、心配していた通り、寿命品の交換が必要との指摘を幾つか受けた。 動力伝達ベルト、前輪タイヤ2個など、タイヤの交換は、これで2度目と成る。 2年4ヶ月で、14万800KMも走っているので、部品に寿命が来るのも致し方なし。 来週の半ばから、日本、中国、シンガポール、インドネシアに出張するので、その間に修理してもらう予定。 今週末は、遠出を控えて自宅近辺で過ごすしか無さそう。 流石に今日は、タイヤの寿命が来ている事を通告された直後でも有り、スリップを気にして安全走行を徹底した。帰りは何時もより早くオフィスを出た、冷蔵庫の中が空っぽに成ってしまったので、食料品を仕入れねば。Pacyのスーパーも何時もよりお客が少ない。1週間で、電気屋さんのテナントが本屋さんに代わっていたのにはびっくり。レジのおばちゃんは同じ人であった。
2004年01月29日
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会社からの帰路、今話題の赤いエッフェル塔を見る為に、トロカデロまで出掛けた。中国との国交樹立40周年記念行事の一環としての赤いエッフェル塔は29日までなので、物見高い性分のカールは行動を起こした。7時に会社を出たが、運よく道路が空いており、8時5分にトロカデロに到着、これも運よく一台分の駐車スペースを見つけて滑り込んだ。8時10分までの、イルミネーション点滅にぎりぎり間に合い、点滅の有り無しの両方の写真を撮る事が出来た。 今日はツキがあるぞと、調子に乗ってパリ一区に食事に行く事を決めた。この判断が災難の始まりで、今晩のパリ中心部は大渋滞でルーブル近辺は、如何いう訳か警察によって道路閉鎖されていた。一箇所ルーブルを横切る一車線が通行可に成っており、タクシーの後に続いてこの道に入ったが、良く見るとタクシーとバスの専用許可道路に成っていた。パトカーや警官もうようよ居るでは無いか、これは罰金を取られるぞと覚悟を決めた。のろのろ運転で漸くこの専用道路を抜け出る信号の所で、警官に捕まった。幸い注意だけで、罰金は免れた、イヤーラッキー。その後も、道路閉鎖箇所が多く、お目当ての場所に中々行き着かず。何処か場所は不明であったが、取り合えず地下駐車場に潜り込んだ。地上に出て、ウロウロしていたら、和食屋の看板が目につき、その初めての店に飛び込んだ。時間は10時近くに成っていたが、兎に角タクシー、バスの群れの中から逃げ出せた安心感で、どっと疲れが出た。板さんは日本人でなく、余り美味しくは無かったが、早いのは有りがたかった。
2004年01月28日
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今朝の出勤前の車には雪が積もっていたので、パリも昨夜は雪が降った様だ。引き続き寒い一日だったが、今日は雪は降らず、夕方には、曇り空の下、水平線上に薄っすらと夕焼けまで見えた。帰宅してポストを覗いたら、地元NEUILLYの2004年版のガイドが入っていた。2001年版を入居時にアパートの大家さんから貰って以来の物で、中身を拾い読みして見た。まず市長さんの顔が大きく変わっている。2001年では、今フランスで売り出し中のお騒がせ人間の現サルコジ内相が当時のNEUILLYの市長で、余りに特徴の有る顔と変わった名前で有った為に強く印象に残っていた。最近も中国でのシラク大統領を意識した相撲批判発言とその後の、手のひらを返した様な日本大使夫妻へのおべんちゃら日本礼賛で評判を落としたものの中々のやり手では有る。一方今の市長は、見るからに温厚な紳士で有った。このガイドを活用して、レストランや買い物の参考にしよう。
2004年01月27日
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暖かった気候も先週末迄で、今週から一転して寒い冬に逆戻り。 今までが異常に温暖であったと言うべきかも知れない。 この寒さは最低2週間は続くとの予報が出ている。 今朝は、久々の雪の中での通勤ドライブに成った。 大きな積雪には成っていないが、1日中雪が降り続き、兎に角寒い。 ジャケットの下に、カーデガンを着込んでのOfficeworkであるが、下半身が冷えて仕方なかった。5時半からの会議が長引き、建物の外に出た8時頃には横殴りの雪が降っていた。寒い中、車に積もった雪落としに時間を取られたが、それでも昨年雪落としに大苦戦した反省から、車の中に刷毛を用意していたのでスムーズに行った方かもしれない。気温が-1度と、それほどの低温に成っておらず重い雪であった。Pacyは横殴りの雪であったが、パリに近づくにつれ気温も上がり雨に変わった。昼食時間に工場長に、雪や嵐等異常気象でで工場をシャットダウンしたり、従業員を早引けさせた事が有るかを聞いたが、数年に一度の事で、まず考えられない事態であるとの返事であった。
2004年01月26日
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溜まった家事(洗濯、炊事、アイロンがけ)が一段落したのが、11時30分。久々に青空の良い天気であり、出掛ける事にした。目的地は、ブルゴニュー地方の美しい村ヴェズレーで、ここは2度目の訪問に成る。仏に赴任直後の2001年の6月に来ており、記念すべき美しい村訪問の第一回目に当たるが、尤も当時は美しい村成るものを知らなかった。ヴェズレーは中世以来多くの参拝者を迎えたサント・マドレーヌ聖堂とロマン・ローランが晩年を過ごした丘の上の村として有名である。2時過ぎに、前回と同じ様に町の入り口で車を駐車して、緩やかな参道を、丘の頂上にあるマドレーヌ聖堂まで歩いて行った。不思議と街並みや参道の景色は良く覚えていた。今回の目的は、マドレーヌ聖堂内の「精霊降臨」のタンパン(扉入り口上部の半円形)と様々なテーマの柱頭彫刻をじっくりと見学することである。 「精霊降臨」は、キリストの昇天10日後の場面で、左右に居並ぶ弟子たちの頭を巨大な手のひらから発した精霊が打つと言うもの。柱頭彫刻はフランスの古い教会や聖堂でよく見かけるが、そのテーマは生々しくて興味が尽きない。ここのテーマも、怨念と欲望をさらけ出したもので、禁欲生活の修道士たちが日々戦っていた欲望の悪魔がイメージされたものだそうだ。聖堂をじっくりと見学した後で、裏手にある見晴台に出てみた。此処からの景色は雄大で、春未だ浅い1月末でも地平線まで伸びる緑の大地と白い牛が長閑に草を食んでいた。緩やかな参道の坂道の両側に軒を連ねる店の前には、花の飾りが巻かれた小枝の束ね木が立てて有った。クリスマスの飾りであろうか。
2004年01月25日
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今夕の便で日本に帰国するIさんとパリ巡りをする約束をして、朝10時に凱旋門前のホテルに迎えに行った。最初の目的は、10区のPinacotheque de Parisで開催中の、ピカソの2度目の妻のJacquellineのcollectionを見学する事である。ピカソは彼女と1961年に再婚、以来ピカソが亡くなる1973年までに、彼女をモデルに200点もの絵を書いて居る。彼女をモデルにした絵や彼女が撮影したピカソの日常生活のスナップ写真が160点程展示されて居たが、これまで知らなかったピカソの隠れた一面を知ることが出来、改めてファンに成ってしまった。彼女は、ピカソの死後10年間、彼の絵画を世界に広めるPromotion活動をした後、1983年に自殺をした。彼女の写真やモデルとしての絵を見ていると、本当に魅力的な女性で、ピカソの晩年に取ってかけがえの無いパートナーで有ったことが、ひしひしと伝わってきた。ピカソの絵を見た後で、ピラミッド近くの一区のひぐまでラーメンを食べ、今日のもう一つの目的で有る、シャンゼリゼ通りの中国春節パレードを見学に行った。結局ピラミッドより、Iさんが荷物を預けていた凱旋門近くのホテルまで、パレードの行進準備で待機中の山車を見ながら歩いたが、シャンゼリゼはものすごい人出で、道路の幅の狭いと所はラッシュアワー並みの混雑で、Iさんはホテルに時間通りに戻れるかを心配した程であった。フランスを象徴する場所が、他国の慣習に全面開放されるのは初めてで驚きで有るが、今年は春節(旧正月)と、フランス・中国の国交樹立40周年(中国年)を祝うイベントと成り、中国の胡錦涛(フー・チンタオ)国家主席まで来週訪仏し、シラク大統領と会談する予定である。フランスは64年に、米国と距離を置く独自外交を展開したドゴール大統領が西側で初めて中国を承認、台湾と断交した。フランスには約50万人の中国人が暮らしているとされ、今やフランス社会での一大勢力である。パレードの規模が例年に比べて格段に大きいため、若い女性以外のおばさん軍団や白人グループの沢山参加していた。 主催者の在仏中国人団体やパリ市当局は、20万人の人出を見込んでいる。エッフェル塔も24日夜から29日まで真っ赤にライトアップされる。昨年の春節パレードは、パリ13区の中華街で行われ、これも見に行ったが、今年の山車の規模や人出は半端では無い。
2004年01月24日
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今晩は久々に日本人3人で食事をしようと馴染みのみよしに電話を入れたが、団体の予約が入っており、断わられてしまった。仕方なく、サンジェルマンアンレの中国式和食屋で前菜が寿司、メインが焼き鳥のディナーを食べた。勘定を払う時にレシートの合計金額が想定値に近かったのでカルトブルーのピン番号を押してしまった。レシートの明細の中に、Whiskyのアイテムが有るのに気が付いて、詳しくチェックしたら、他人のレシートであった。直ぐに誤りの是正を申し入れたら、謝罪する訳でもなく、正しいレシートと差額の現金(11ユーロ)を持ってきた。小まめにチェックして置かないと、この決済は危ない。2日目のManagement会議が予定より早く終わったので、溜まったFT(フィナンシアルタイムス)に目を通していたら、1月20日版に興味深い記事が出ていた。FTWorld’s most respected companiesと銘打った特別REPORTSで、世界で最も尊敬されているリーダや企業のランキングが出ていた。圧倒的に米国企業や米国人が上位にノミネートされており、日本ではトヨタ、ホンダ、ニッサンの自動車勢やソニーが50位以内に入り、フランスではロレアル、エアバス、ダノンの名が有った。尊敬される人物は、ビルゲーツ、ウォーレンバフェット、カルロスゴーン、フィオリーナが写真付きの記事で紹介されていた。
2004年01月23日
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パリのシャンゼリゼでのビジネスディナーを終え、米国ヒューストンからの出張者ジョンを凱旋門近くのホテルに送り届けて、漸くアパートに戻った。既に時間は、12時を廻っている。今晩の交通渋滞は半端でなく、レストランに到着したのが9時過ぎ。今朝も7時過ぎに彼をホテルにピックアップに行き、朝の9時から夕方6時まで延々とManagement meetingで案件のタフな議論が続いた。ジョンは新設した米国法人の新社長で、年末にNCからHOUSTONへ単身赴任で移動してきた。米国では州により税の制度や税率が異なり、テキサスは所得税がゼロであるが、固定資産税の税率は高い。彼は、テキサスの税制を活用するため、賃貸アパートを借り、住民票を移す為のエビデンスと成るテキサスの免許を取ったそうだ。
2004年01月22日
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ほぼ4週間ぶりの仏語のレッスンを受けた。 先生はプレゼントした和装筆箱を使って呉れてはいたが、なんだか余り機嫌が良くない。 話しを聞いて理由が判った、クリスマスのメッセージ他携帯電話への3件の先生からの書き込みに対して、全て無視したと誤解されて居た様だ。 もともと携帯電話嫌いで、メールの送受信機能など仏では使った事が無かった。 先生からの指摘を受けて、着信メールを確認した。 返事が無しの飛礫では、お怒りは尤もと只管お詫び する羽目に。 レッスン中に、日本からの出張者のIさんが到着、隣室で待ってもらっていたが、終了後に彼から笑い声が絶えなかった、如何すればフランスの女性を喜ばす話が出来るのかと真顔で聞かれた。 仏語のレッスンなど頭の痛い作業は、楽しんでやらねば意味が無い。 仏単語を指定された文章作りでも、ナスティーでドキドキする文章を必至で考えているのだと説明した。帰りに地元の中華レストランに久々に出掛けた。今晩はやたらお客が多く、カラオケの準備までして有った。春節の特別ディナー用に、いろいろ趣向を凝らして居るそうだ。
2004年01月21日
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今日も一日雨模様の暖かい一日だった。出社後、パソコンの電源を入れると画面上に何とてんとう虫がいるではないか。日本の七星てんとう虫に似たオレンジ色で、一体何処から飛んで来たのだろうか、今頃は冬眠のはずでは。夏場でもフランスでてんとう虫を見た記憶は無い。珍しいので、写真を撮った。 小さい虫を見た後で、メールをチェックしていたらユーモアクラブのSからFrenchレッスン用のファイルが届いていた。世界で一番大きな女性の写真とその解説文で有った。 彼女はオランダ人で、身長2M20CM、体重142kgとの紹介で有る。この写真が合成で、サイズも偽物か如何かの判定は難しい。何れにしても、彼からは容易には判定しかねる際物の写真が良く流れてくる。小さなてんとう虫と世界一大きい女性の写真とは不思議な取り合わせに成った。
2004年01月20日
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昨日の交通検問で引っ掛かった事を昼食時に話したら、大笑いされた。青色ランプが点滅し、停車を命じられた時は、英語で答えるか、日本語しか判らない反応にすべきか迷ったが、会話の可能性ゼロの日本語では、下手をすると免許証を取り上げられかねないと咄嗟に判断して、ぼそぼそ英語での受け答えに決めた。 Cart gris(Certificat d’Immatriculation) 所謂車両登録番号の書類が見付からず、法人レンタルだから持っていないなど、警官にあれこれ言い訳していたが、全く的外れな回答をしていた様だ。 今日自室の車関係の書類の中から、本用紙を見つけた。 用紙を車内に置いて置くと、盗難時に危険なので、Copyを社内に保管していたことを綺麗さっぱりと忘れていた。 もう一つ、堪えきれずにパトカーを横抜きして行った事は、無謀この上ない行為であったようだ。何処の国でも、警官を刺激するような行為は御法度。 但し、粘り勝ちで無罪放免されたことは評価された。 昔を振り返ると、米国に4年間駐在していた時にも 、速度オーバー他で3回ポリスに停車を命ぜられたが、何時も泣き落としや反論で最後は違反切符を切り抜けて来た。 しぶとい事は確かな様だ。
2004年01月19日
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何処かで村巡りに行きたいと言う意識が働いたのか、朝5時30分に目が覚めた。冬休み中に村巡りのデータを整理していて、500KM圏内で、一箇所未だ行っていない村がある事に気が付いていた。リムーザン地方のトレニャック・シュール・ヴェゼールと言う奥深い村だ。急いで準備して6時30分に出発、ガソリンも空っぽ状態で、天気予報もチェック出来無かった。場所がリムーザンとクレルモンフェランの間に有る、山の中で雪が心配であった。高速を離れ、県道に入ると高度も上がり、雪が降り出した。路面も凍結気味で、慎重に運転。山肌の雪景色が美しい。 5時間かけて、目的地のトレニャックに到着。寒いので暖房を聞かせて、締め切って運転していた影響か、酸欠気味で頭が痛くなった。ここは比較的大きな村で、村名の由来のTrignacは門や城、通りが3つ有る所から来ている。村を縦断しているヴェゼール川越しに望む村の景色は優美である。 今日の訪問場所は一箇所のみであり、ゆっくりと村の周りを歩き回った。帰路は山越えの雪道を避けて、一旦南下して高速に乗る遠回りルートにした。帰路のほぼ中間点で、制限速度以内では有るが、追い越し車線に出て、パトカーを抜いてしまった。どの車もちんたら走るパトカーに着いて走るので渋滞状況に成り、これを嫌った為である。暫く走った後で、報いが待っていた。ガソリンスタンドの前で、青いランプが点灯され誘導されてしまった。免許証、保険、車両証明書、ECTのセンサーまで調べられた。車両証明書成るものが無くもめたが、最後は無罪放免にしてくれた。
2004年01月18日
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午前中にエッフェル塔近くのMONOPRIXとかなえに食料品を仕入れに行った。ここのMONOPRIXは野菜や肉類が新鮮で有り、何時も多くの日本人を見かける。売り場に併設して室内駐車場が有るのが魅力的だが、駐車スペースの狭さは半端でなく、バックミラーをたたんでも体を横にしなければ出て来れない。夜は、延び延びに成っていた職場のクリスマスディナーを新年会に形を変えて、ブローニュの森のレストラン、LE PRE CATELANで実施した。カップル8組、チョンガー2名の総勢18名。今年は日本人は小生のみに成ってしまった。事前予約の共通メニューで料理の出は早く、早く帰れそうだ喜んだのも束の間、コーヒーの後で延々と冗談話が2Hも続いた。ビジネスディナーでは、早く切り上げるフランス人も、パートナー同伴では全くの様変わり、延々と冗談を言って、ご婦人方を喜ばしている。日本人や日本での奇妙な体験を話して、笑いを取っているのは何となく解かるが、何の話をしているのかは聞き取れず、いい加減うんざりした。このレストランはブローニュの森のほぼ中央に位置しており、行きも帰りも森を横切る道路を運転する必要が有る。予想通り、男女不明の黒マントや寒空の下で、マントをはだけて客に裸を見せている客引きの女性が居た。ブローニュの森を運転する場合には、窓のロックはMustで、信号待ちをしていた時に突如飛び出して来た黒装束集団に羽交い絞めにされて、身包みはがされた日本人も居る。フランスではセックスと売春には寛容で、1946年までは売春は合法だった。今は取締りの強化で減ってはいると思うが、パリだけでフルタイムの娼婦が2万人も居る。流石にシャンゼリゼでは見かけないが、駅近辺や道路に立っている娼婦を見かける事が多い。
2004年01月17日
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今日は早朝より会議の予定で、8時前に会社に到着。重要部品のGlobal Supplierの東欧、中国等生産拠点の責任者に来てもらい、新商品の品質ターゲットを説明、これを実現する為の意見交換を実施した。何故、日本市場では品質ターゲットが1桁厳しいのか何時もの事ながら、説得には骨が折れる。3時に仏語のレッスンを予約していたが、会議が延びたので、スタート時間を延ばしてもらう様、Kさんに先生への伝言を頼んだ。今回の帰国時に、2人のMadamにお土産を買ってきた。一人は大家さんのM夫人、もう一人は仏語の先生のB夫人である。家内と相談して、ご両人が興味を持ちそうな和装小物を用意してきた。お金が好きなM婦人には和式財布、勉強好きなB婦人には和式筆箱を準備した。予想通り、大家さんは見慣れぬ財布に強く興味を持った様で、早速使い方の質問が来た。先生には日本のお土産を買ったと、事前に伝えて有り、自室の机の上にお土産を準備していた。3時半に会議を終えて、急いで自室に戻ったが、時既に遅し。先生から、お礼のメモが残されおり、御本人は帰宅された後で有った。Kさんに頼んだ伝言が伝わっておらず、思わずむかっとして、Kさんをなじる嵌めに。帰宅時に、デフォンセのトンネル入り口から渋滞に遭遇、事故渋滞の様で、後ろから救急車や白バイが何台も追い越して行った。トンネル内を直進するか、デフォンセ出口で下りるか迷った末に、デフォンセで下りた。渋滞で時間は掛ったが、停車せざるを得ないケースは無く、正解であった様だ。
2004年01月16日
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体調不良のまま仏に戻ったので、昨夜は空港からアパートに戻った後、シャワーも浴びず、何もしないでベッドに直行した。夜中に何回が目が覚めたが、只管休養を心がけた。お陰で、少しは体調が回復した。ほぼ3週間ぶりの通勤ドライブ、夜明けが早く成った印象。予想以上の暖かさの上、雨続きで空気が乾燥していないのが有りがたい。机の上に溜まった書類や手紙、新聞、雑誌の山にうんざりした。今日は一日会議が無いので、まずは机の上の書類整理とPCのセットアップに注力した。帰宅後は、日本から重い思いをして持ち帰ったカブ、なめこ、えのき、白菜の味噌汁を作り、カリフォルニア米に焼き海苔のお気に入りメニューで夕食。日記を書こうとして、チョンボをした事に気が付いた。新パソコンは暫く会社に置いておく計画であり、自宅に持ち帰らなかったが、USBマウスも置いて来てしまった。自宅のパソコンは満身創痍で、内臓マウスは既に機能せず。結局パソコンを動作させる事は出来ず、日記も翌日までお預けに。
2004年01月15日
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成田のラウンジから仕事のメールを送り、未だ搭乗まで30分有るので、日記を書き始めた。今日の話題はフランスから緊急問い合わせのメールが、昨夜来たことに関連して。フランスの通関事務所より、小生宛の個人荷物が届き、それに対して税金を払うか受け取りを拒否するのかを至急(1月15日まで)連絡しろと言う内容。荷物は麒麟端麗24本入り3箱(約1万円相当)で、支払い要求を受けた税金は、何と258ユーロ。そんな税金を払うのは馬鹿馬鹿しくて、受け取り拒否をしたい所で有るが、送り先が不明(送付を依頼されたTrading company名しか解からず、拒否して返品された場合には、ご好意で送って頂いたお客様に失礼に当たるのではと、昨夜はあれこれ可能性を考えた。一つだけ思い当たった節は、昨年の11月に多くのお客様をフランスにご招待し、その時に通風の持病がある為、ビールは医者から止められていると食事の時に話した事を思い出した。最近、プリン体を抑えたビールが発売され、これなら大丈夫ではとお客様より提案が有った。早速、昨晩思い当たるお客様にメールを入れたが、直ぐに返事を頂、成田で確認が出来た。当然の事ながら、輸入品の間税が高く(特にアルコール)、ややこしい手続きが必要な事は御存じ無かった様だった。ご好意を感謝して、今回は返品の手続きをとる旨の返信メールを入れた。
2004年01月14日
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午前中に、日本滞在中の残件整理と新パソコンの設定確認や不具合点をISの専門家にチャックして貰った。これでノーツの移行も満足行く状態に成った。東海地方が雪の心配も有るとの予報も出ていたため、早めに2時前の新幹線で名古屋を発った。発車直前に名古屋駅で指定を受けたことも有り、喫煙席のBしか空いていなかった。乗車後近くの禁煙席もチャックしたが、潜り込める所が見付からず、諦めて禁煙車へ。この後が地獄の苦しみ、喫煙車両が少ない事も有り、隣も、前後もHeavy Somker揃い。同時に複数個所から副流煙が流れた来て、風邪気味で喉が痛い所に不快感も此処に極まれり。社内で駅弁を食べる気持ちも無くなり、ひたすら眠る事に集中したが、無理な相談だった。新横浜で席を立ち、デッキで品川まで過ごした。次からは、一台待っても禁煙車にする事にしよう。帰宅後、近くのスーパーにフランスに持参する野菜、調味料、サランラップ等の日用品を買い込む。重いと解かっていても、何時もの帰国前のパターン。
2004年01月13日
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日本の祝日に三重で会議をやりたいとの希望がフランス側から出されて、フランス側生産拠点の責任者Tさん他が3泊のスケジュールで来日した。日本側も3連休返上で生産活動を続けており、ここ数年間の仕事不足を思うと、様変わりを痛感。フランス人は、休暇が中心の人生観と思われがちだが、今回来日したTさんは、昨年の夏休みにも、最大連続で4日間休んだだけで、後は土日の週末以外には出社して、生産活動の指揮を執っていた。工場一斉のシャットダウンが無い(休暇シーズンもOPERATION継続)ため、その時期に毎年臨時雇いする経験者や夏休み中の従業員の師弟が予備軍として存在している。失業率が高く、都市部以外の田舎では雇用機会が少ないフランスならではの季節的なWork sharingが自然に出来ている。彼は、こう言う時ほど問題が多く発生するので、責任者たるものは家庭を犠牲にしてでも、この任に当たらねばとの職業倫理感を持っている。クリスマスは一週間の休暇を取ったそうだ、因みに大部分のManagerは2-3週間の休暇を取っている。折角の休み中に開いた重要会議でも有り、時間ぎりぎりに結論は出した。フランス人メンバーは、今晩の成田からのFlightで帰国する。小生は、三重でもう一泊して、残る残件を片付けて14日の便でフランスに戻る予定。ホテルでネットに繋ぐためにあれこれトライしたが、結局上手く行かなかった。
2004年01月12日
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これから調布の自宅を出て、新幹線で名古屋経由三重に移動する。中国、インドネシアを年初に出張してきた、日仏合同メンバーと祝日の明日、三重で打ち合わせ予定。今日は午前中、最後の買い物に行き、寿命が来たシェーバと前々から欲しいと思っていた、英・仏、日・仏、日・英の電子辞書を購入した。
2004年01月11日
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今回の帰国で楽しみにしていた竜胆会に参加した。本会は、中学時代の同級生16名で構成している。今回は仏よりの帰国直前に幹事にアレンジをお願いした事もあり、スケジュールの調整が付かないメンバーも多く、6名のみの参加と成ってしまった。小生がお願いしたので、何時の間にかKARLを囲む会に成り、更に直前に大変な宿題を貰った。以下の8項目の質問に対して、事前にメンバーにメールで回答して、それを元に明日の日本を如何すれば良いのか、日本の未来に希望が持てるのかを、大いに語り合おうと言う壮大な企画に成った。お陰で、今日は出席者から徹夜作業?に感謝された。異文化や異なる歴史の中で、小生の体験をベースに、1.日本の製造業の経営方式の進むべき道は2.Global時代の技術の組織化とFormation3.日本式物作りの海外展開のノーハウ4.日本国内のハードの斜陽化に歯止めを掛けるには5.空洞化の中での、災害や技術的失敗に付いて6.多様化する価値観の中で、充実した人生とは7.中小企業との連携(下請け、部品供給)は可能か8.中国は脅威か日本との長期的な連携は可能か中国ビジネス暦30年、NPOに関わって来た人や起業家等多彩なメンバーで、大いに日本の将来を語り合った。特に日本文化論では、2人の初期脱サラメンバーより、目新しい視点での日本Culture形成プロセスや特徴の持論紹介が有り、大いに勉強に成った。どん詰まり文化(中国、朝鮮の様に、横流しする先が無かったので、島国で伝来文化を一流レベルに磨けた)や余白文化(水墨画/空白、和楽/間、日本語/行間)は、良い話を聞けた。
2004年01月10日
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年末に、馴染みの八王子に有るFrench restrauntのSより、開店15周年記念の一人分Freeの招待券が届いて居たので、家内と出掛けた。2人だけのFullコースの食事は本当に久しぶりの事。同世代のオーナーシェフのSさんとは、10年以上の付き合いで、同店訪問時にはフランスでの近況報告や料理の話など楽しいひと時が過ごせる。今日の話題は、BSEの影響で牛肉以外の他の肉類も便乗値上げが有り、困っていると言う愚痴が出て、そろそろ田舎に引き篭もろうかとの弱気の発言も出た。ここのFrenchは、本当に美味しく、何時来ても満ち足りた気持ちで食事を終えており、是非頑張って欲しいと思っている。
2004年01月09日
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今日は新年の挨拶を兼ねて、日本側の親会社と販売会社を訪問、相互近況紹介と案件の打ち合わせをした。新年の挨拶回りの為に不在で、残念ながら言葉を交わす事が出来なかった人も居た。夕食は、3年前の同時期にブラジルへ赴任した一時帰国中のTさんを交えて新橋のふぐ料理店(Tさんの馴染みの店)に行った。海外赴任前に接点の有った仕事の昔話に花が咲いたが、Tさんに取って、昨年は人生で最大の波乱の年であった様で、フランス迄情報が流れてきたが、工場閉鎖、従業員解雇を社長として決断された。その後は、従業員の再就職斡旋や後処理に心血を注いで打ち込み、全従業員を集めた最終集会では、Tさんの話の後に、解雇される従業員から拍手が沸き起こったそうだ。この話には、事業当事者にしか解からない苦しみと喜びのダイナミズムが溢れており、身につまされる一時で有った。
2004年01月08日
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1月10日に、高校時代の仲間で作っているRT会の集まりが有り、小生より海外ビジネスの紹介をする段取りに成っている。この機会に、これまでに体験的に学んで来たGlobalビジネスのKFSを書き留めて置こうと思っている。フランス人はConceptional Skillに勝れ、一方日本人はPractical Skillに勝れている事は何度も書いて来たが、少し具体例も入れて纏めて見よう。 日産のゴーン社長が、短期間で日産を再生させ、その 成功体験が彼の著書にも書かれており、何が最大のKFSかは評価が分かれるが、フランスのGlobal企業で仕事をし、同様な体験や問題に直面してきた身から判断すると、最大のポイントは、事実関係を正しく把握するそのプロセスに有ると思えて仕方ない。 日本には、根回しと言う仕組みは有るものの、それは事の本質を理解する場と言うよりも、自分の影響力を発揮する場で、根回しする側も、される側も事の本質は外さないで、アドバイスを取り入れると言う側面が重視されている。 経営者として、問題点を解決する為には、問題の本質を正しく把握する事が何よりも大切で、フィルターの掛からない生の情報を取る為の骨惜しみはフランス人のManagerは絶対にしない。 直接の担当者を自分のオフィスに呼びつけて、自身が納得出来るまで、何時間でも拘束して質問をしている。 ゴーンが、リバイアルプランを作る為に、多くの人間より直接ヒヤリングをした様に、先ずは問題の本質を徹底的に理解する事に、多大なエネルギーを費やすのがフランス流である。 自身を含めた日本の管理者の常識として、多忙な担当者を長時間拘束する事にも抵抗があるし、意思決定会議の場まで、事前の情報が無い状態で的確な経営判断をすると言うのが、経営者の能力と見なされるとの思いも強い。 しかし、短時間の表面的な説明だけでは、正しいJudgeが下せないのも事実である。 Management meetingの場でも、フランス人の頭の中には問題点が良く整理されており、背景説明では退屈そうにしているが、議論がスタートすると直ぐに本質を突いて来る。
2004年01月07日
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フランス国内でほぼ3年間、Globalに仕事をして、いろいろな勉強をさせてもらったが、日本企業の弱点として一番痛感しているのは、事業は製、販のバランスであり、この製造、販売のバランスの有り方が、日本のメーカの場合には、時代の変化に追従できて居ないと言う点である。 日本は、余りに技術と製造に力点が置かれ過ぎて来た様に思われる。 この事事体は、日本メーカのコンピタンスでも有り、間違っては居ないが、余りに自己満足的な技術偏重で有ったと思う。 他社が追従できない差別化技術や品質をベースとした日本的な生産システム確立に多大なリソースを投入してきたが、何を作り、どう売るかの事業の根っ子の所での、議論が余りにも、お客様から遠い所での内輪の議論であった様に思う。 肝心の売る力を磨く事や何を作れば良いかの探す力を磨くことには、とんと感心が薄かったのでは。 これだけビジネスがGlobal化し、IT技術の進歩で情報があっと言う間に駆け巡る時代に置いては、差別化技術と言えども、その鮮度はせいぜい、数ヶ月で直ぐに真似をした製品が市場に出て来る。 一方、Globalな売る力と成ると、技術以上に時定数の長い人材やインフラ投資が必要で、これは一長一短に追いつけないし、明確な勝ちパターンのビジネスモデルが出来ていないと、世界各国に販売網整備などの投資は出来ない。 Global連携で、開発力や生産物量の統合効果は、製品コストや新製品の投入サイクルの短縮には、割合短期間で成果が出るが、これが事業全体に与えるインパクトの視点では、販売インプラが整備されて居る場合と居ない場合では、その波及効果たるや当に月とスッポン並みの差が出てくる。 日本メーカももっと本腰を入れて、長期視点で組織としての売る力を高める仕組みと該当製品を売る、売り子のプロを育成するプログラムを考えないとGlobal競争の勝ち組みには残れないと思う。 品質や製造技術では絶対フランス企業には負けて居ない思うが、事業としての勝敗の帰趨は、残念ながら販売網の差で明白である。 これだけ物余りの世の中で、お客様が(Repeaterに成るお得意様)何にお金を払う価値を認め、如何言うPricing Policyと品揃えで事業を進めるかの、真のMarketing力(探す力)の差が事業の明暗を分けるキーであろう。 日本メーカのブランド力が残っている内に、Globalな販路を再構築し、Global Marketingの意味を理解して、早急に建てなおしを図る事が急務である。
2004年01月06日
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日、米、仏とも仕事初めの今日、悲しいニュースが飛び込んできた。12月初めの米国のHouston出張時に、一緒に打ち合わせをしたMさんの奥さんが亡くなられたとの訃報で有る。家族で年末年始の休暇旅行中に、メンフィスで交通事故に遭遇して、奥さんが亡くなられたとの内容で、余りの事に、ただただ驚くばかりであった。Mさんとは、Houstonでの駐在時代を含めた昔からの付合いで、奥様も良く存じ上げていただけに、何とお悔やみを申し上げて良いのか、言葉も浮かばないが、これからMさんに手紙を書こうと考えている。合掌。
2004年01月05日
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今日は聖跡桜ヶ丘の京王デパートに出掛けた。フランスより帰国して直ぐに家内より、メガネの角度が水平で無いと指摘されたが、鏡で良く見ると如何見ても大きく傾斜しており、外して逆さに置いて見ると、片側が浮上がる程で有った。最近、視界も狭く成ったと感じていたが、メガネのフレームの歪みが災いして居たと思われる。このメガネは、京王デパート内のIで作った物で有り、ここで角度を修正して貰った。就寝前に本を読んでいて、メガネを外さない儘で、眠ってしまう事も有った為に、変形したと思う。例に拠って、家内から厳しいチェックと指導が入った。本屋に立ち寄り、一人暮らしの料理レシピ本を探した。題に引かれて、すぼら族の料理術に決め掛けたが、中身はずぼら族と銘打つ割には、細かい能書きが多く、結局ベターホームの野菜料理の本を買った。こちらの方が、レシピが簡潔に纏めてあるが、難点は4人分を対象に書かれている事で有ったが、思い直した。何時も作り置きして、2-3回同じ物を食べて居るずぼら生活では、逆に4人前レシピの方が合って居るかも。
2004年01月04日
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箱根駅伝で駒大の安定した強さに興味が薄れ、最後まで観戦するのを止めて、母を誘って湯河原の夢公園まで散歩に出掛けた。帰りには、馴染みのギャラリーカフェのKに寄った。此処では何時もハーブティーを飲む事にして居るが、今日はハイビスカスティー成る物を初めて飲んで見た。色合いが美しく、酸っぱくて味わいが有った。今回も母より、日頃の生活ぶりや昔話をたっぷりと聞かせて貰い、親子の会話を満喫?したが、昔話の中には、当時は知らなかったエピソードも多く、今は亡き父の思い出に触れる事も出来た。ゆうゆうの里に戻って、露天風呂で汗を流した後で、帰路に着いた。小田原からの小田急のロマンスカーは全て満席状態で、帰路は町田から横浜線経由橋本に出て、京王相模原線でつつじヶ丘に出る事に決めた。このルートは乗換えが多いものの、最短距離の優れもので、時間もロマンスカーに乗って新宿に出るのと、全く同時間で自宅まで戻れた。
2004年01月03日
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新宿発8時の小田急ロマンスカーで小田原経由湯河原のゆうゆうの里に母を訪ねた。家内は日帰り、私は一泊するスケジュール。箱根駅伝の1,2区のテレビ観戦は諦めての移動で有ったが、10時30分に母宅到着、2区の途中から駅伝中継を観戦する事が出来た。戦国駅伝で、予選会から勝ち上がって来た、大学が上位に食い込み、下馬評が高かった、大東大、日大が沈んだ。大学駅伝では前評判が高かった選手が必ずしも活躍出来る訳では無く、突然大ブレーキに成る事も有り、悲喜交々のドラマが待っている。最終5区で選抜チームの筑波大の選手が淡々と走り切り、区間賞を取ったのには驚かされた。卒論との兼ね合いで出場辞退も考えていたが、両立を目指して頑張ったそうだ。
2004年01月02日
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アメリカは相手国の文化を理解しない。フランスは国際政治やGlobal事業の根幹は、相手国の文化の理解と考えている。元旦の2つのテレビ番組、”世界潮流、激動の世界経済、イラク石油を巡る攻防” ”日本再生ひとりからの出発、村上龍とリーダ達との対話/日産ゴーン社長他”の中での興味有る発言であった。ゴーン社長のコメントは、これまでに何度も書籍や世界中のビジネス雑誌で読んで来たが、12月下旬に日経新聞で紹介された、11月末に東京で開催された日仏フォーラム、”進化する日仏技術提携、明日への挑戦"の記事を思い出した。仕事で関連の有る、フランス企業の会長もパネラーとして参加していたので、記事を興味深く読んでいた。 日仏提携の成功例は、日産のゴーン社長が有名で有るが、その他にも幾つかの成功例があり、今回のパネラーの発言を読んで見て、改めて驚くほど業種を越えた共通点が有る事に驚かされた。 各TOPの発言も、日常業務で日頃から痛感している事が多く述べられており、多いに共感、勇気付けられた。 提携の成否は、異なる価値観や文化を相互アイデンティティーとして認め合い、尊重し合う事と自己の企業文化とアイデンティティーに誇りと自信を持って、自己責任を果たす事に尽きると考えている。 自身の価値と責任が明確に見えてくれば、本当にしなやかに極自然に棲み分けが出来る様に成る。 ここでのポイントは、OpenでFairであると言う大原則を外さない事である。 誰もが認める相互補完できるコンピタンスがあり、事業の補完性を発揮できる事が最大のKFSで有る。日本のコンピタンスは、技術開発力、品質等の生産面に、仏はマーケティングや販売面などが強い。 これをカルチャー面で見ると、狩猟民族としての上位機能での革新(Inovation)文化に強いフランスと農耕民族としての、下流工程での育成(Improvementの積み重ね)文化に強い日本との絶妙の補完関係が見えて来る。一方、米国民や米国企業と如何信頼関係を持って、付き合い、補完関係を持てば良いのかの解は、未だ見えない。
2004年01月01日
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