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【続き】Photo F1(左) 宮城刑務所の塀に沿って。(2015/1/20 7:14)Photo F2(右) 古城小学校の塀に沿って。(2015/1/20 7:17) 若林の住宅地の道を抜けると、白い塀に突き当たる。宮城刑務所の塀だが、漠然と想像していたのはくすんだ色の高い塀に囲まれている刑務所だったのだが、低いとは言えないがべらぼうに高い塀ではないし、色はもっとも明るい白なのだった。 刑務所というと、ドラマティックな感興が湧きそうな気もするが、じっさいには何も浮かばない。生活実感とかけ離れているということだろう。いや、本当のところ、まったく無縁というわけでもない。私が4、5歳の頃、やくざな父親が刑務所(あるいは拘置所、留置場)に入っていたのだが、それは別のところに書いた。繰り返して言及するほどの特別な感情は生まれないということだ。 刑務所の塀に沿って歩くというのは退屈な散歩だ。変化というものがない。やれやれ、やっと刑務所の白塀が終ったと思ったら、古城小学校の長いフェンスが続く。道の反対側は住宅地だが、まったく普通の住宅地である。 それに加えて、狭い道なのに朝の通勤の車が少なからず行き交うので、イオが飛び出さないようにリードを短くして気を遣いながら歩かざるをえないのだ。小学校の門の前に、「若林一丁目北公園」という児童公園がこの道筋の唯一の変化に思えたほど、刑務所から古城小へと続く直線路は散歩向きには思えないのだった。Photo G1(左) 道の向こうは刑務所。(2015/1/20 7:22)Photo G2(右) 反対へ歩いて行く。(2015/1/20 7:22) 古城小学校の西端を右に折れて行くと、大きなマンションが3棟見える。この辺は古城一丁目のはずなのに「ロイヤルコート河原町」という看板があった。一番近い地下鉄駅「河原町」に因んだものだろう。確かに、地下鉄を降りて東にまっすぐ歩いてくればマンションの前に出るのである。 マンションの前の道を右折すればふたたび宮城刑務所である。反対方向、左折して河原町の方に向かう。 Photo G3 JR東北本線「行人坂踏切」。(2015/1/20 7:25~26) 宮城野貨物駅に向かうJR貨物線の高架をくぐると踏切が見え出す。「行人塚踏切」の表示が高く掲げてある。ちょうど赤いランプが点滅して、下り電車が通過していった。Photo H1(左) 古城神社前の道。(2015/1/20 7:27)Photo H2(右) 古城神社。(2015/1/20 7:27)Photo H3(左) 古城神社からの道。(2015/1/20 7:32)Photo H4(右) 左に折れて。(2015/1/20 7:35) 行人塚踏切を渡って新幹線の高架の下を通れば、ふたたび住宅地である。 新幹線を過ぎてすぐ、古城神社が道に面して建っている。鳥居とお社はくっついていて参道はない。どこかに由緒書きのようなものはないか探してみたが見つからなかった。 これは帰宅してからネットで調べたことだが、広瀬川の氾濫を鎮めようと人柱になった行者がいて、その人の塚が「行人塚」と呼ばれていた。その塚の地に建立されたのが古城神社で、水防の神様なのだという。これで、踏切名と神社が結びついた。 JR線を越えると河原町である。商店と住宅が混在する道を200mほど西に歩いて左折する。その道も、ほとんど同じような道で、写真で見比べてもどこで撮ったか判然としないほど似ている街並みだ。Photo I 桃源院の山門と本堂。(2015/1/20 7:37) 道の先に広い旧市電通りが見え出す。週日なのでもう通勤の車が混み出している。大通りに出る手前を左折した。地図で見つけていた「桃源院」という寺院を覗いておこうと思ったのだ。 今様の山門と本堂である。先週、小松島で万寿寺という黄檗宗の寺院を見たばかりだったが、ここも黄檗宗である。続けて黄檗宗の寺に出会ったが、仙台ではあまり多くない宗派のように思える。臨済宗、曹洞宗と同じ禅宗だというが、私には馴染みがない。田舎の寺は曹洞宗だったし、親戚、友人、知人の葬儀でも黄檗宗の寺院の経験はなかったように思う。 なんか、私とイオの朝ドラ散歩は神社仏閣を訪ね歩いている雰囲気になってきたが、それにはわけがある。地図で街歩きの場所を探すとき、神社や寺がいい目印になる。神社や寺があるということは、その土地に古くから人が住んでいる証拠になる。そういう街が散歩で楽しめるというのは経験が教えてくれた。 神社仏閣を辿るように歩いているからといって、けっして仏教や神道を深く信仰しているわけではない(私は不信心者ではない、無信心者である)が、最近、神社仏閣の由緒書きを読む楽しさを発見したのは間違いない。出来れば、どんな小さな神社仏閣にも由緒書き看板を立てて欲しいと願っている。Photo J 広瀬川下流を覗く。(2015/1/20 7:40) 桃源院を出て広瀬橋に出る。歩き出しは上流側の歩道を歩いたので、帰りは下流側の歩道を歩く。下流を望むといっても、JR線の鉄橋があって遠くの景色は見えない。それで、川を覗き込むように写真を撮った。波立ちのいい流れである。夏ならば、鮎のいい付き場になるような瀬だ。 旧市電通りは通勤の車がびっしりと並んで渋滞している。コインパーキングからスムーズに出られるのか不安になるほどだ。まだ勤めていた頃、自家用車で出勤したこともあったが、いつも通勤渋滞が終った時間帯の出勤だった。今頃になって、恵まれた職場だったとしみじみ思うようになった。散歩コースと撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。
2015.01.20
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高田馬場駅から下落合駅まで1時間弱の歩きだった。ほとんど疲れはないので、予定通り、続けて目白まで歩くことにする。Photo A 下落合駅から新目白通りを越えて。(2015/9/19 12:04)Photo B1(左) 右手(東)の坂道へ。(2015/9/19 12:05)Photo B3(右) さらに細い坂道へ。(2015/9/19 12:06)Photo B2 コンクリート土留め中段の彼岸花。(2015/9/19 12:05) 下落合駅の踏切から、妙正寺川を渡り、新目白通りを越えてマンションの並ぶ坂道を上る。新目白通りから100メートルも進まないうちに右手に魅力的な急坂が現われた。コンクリート壁の上には彼岸花の赤が鮮明に映えている道だ。 左に折れながらますます狭くなって続く坂道は、けっこう期待度が高い。Photo B4(左) 階段道を上ヘ。(2015/9/19 12:05)Photo B5(右) 坂上の住宅地。(2015/9/19 12:06)Photo C ツルハナナス。(2015/9/19 12:10) 狭い坂道を道なりに行くと、左に曲って、その先では広い道に戻ってしまうようだ。広い道が見え出す頃、右手に階段道が現われたので、さらに上に行くことにする。 階段道を上がりきると、住宅地の道は平坦になる。2階の窓近くまで伸び上がったツルハナナスがたくさん花を咲かせている家がある。その辺が、高台の尾根に相当するようだ。Photo D1(左) 薬王院西の階段道(1)。(2015/9/19 12:12)Photo D2(右) 薬王院西の階段道(2)。(2015/9/19 12:12)Photo E 黒揚羽と曼珠沙華。(2015/9/19 12:14) 道の突き当たりの塀の向こうに立ち並ぶ墓石の先端が見えている。その墓地の塀に沿って歩いて行くと、急な石段道の上に出た。降り口には、なぜか兎と梟の彫刻が乗った石柱が立っている。 曲がりくねった石段を下りていくと寺院の屋根が見える。「東長谷寺 瑠璃山薬王院」である。階段を下りきった塀の前に彼岸花(曼珠沙華)が咲いていて、黒揚羽が蜜を吸っている。Photo F1 薬王院山門。(2015/9/19 12:15)Photo F2 富安風生の句碑。(2015/9/19 12:17) 薬王院の山門に入ってみた。山門の前後の参道脇には牡丹の木がたくさん植えられている。その牡丹を詠んだものか、寺内にあった富安風生の句碑には「中空に日のとどまれる牡丹かな」とあった。「あじさい寺」ならぬ「ぼたん寺」でもあろうか。 富安風生には次のような名句もあるが、この牡丹の門は薬王院の山門かもしれない。行き過ぎて牡丹の門に立ちもどる [1]Photo G1(左) 野鳥の森公園入口。(2015/9/19 12:12)Photo G2(右) 野鳥の森公園。(2015/9/19 12:12)Photo G3 野鳥の森公園と脇の坂道。(2015/9/19 12:21) 薬王院の隣に「野鳥の森公園」の案内があった。ここでやっとこの辺りを歩いたことがあることに気付いた。3年ほど前、高田馬場から新井薬師まで歩いたことがあって、確かに野鳥の森公園と下落合駅を通り過ぎたことを思い出した。 公園の東には裏へ抜ける坂道があることも思い出して、その道を行くことにした。Photo H(左) 野鳥の森公園からの道。(2015/9/19 12:23)Photo I(右) 落合中と落合四小の間の道。(2015/9/19 12:30) 公園の坂道は、坂のまま住宅地に入り、右にカーブしながら少し広い道に出る。散歩にふさわしそうなその道を右に入って行くと、向こうから小学生がたくさん歩いて来る。下校時間らしい。 雰囲気のいい道だったが、子どもたちが写ってしまうので写真を撮ることは憚られた。しばらくはカメラを構えることもなく歩いて、落合中学校と落合第四小学校の間まで来てようやく子どもたちが途絶えたので1枚だけ撮した(Photo I)。その道はすぐに「おとめ山公園」に突き当たる丁字路で終わっている。Photo J1 おとめ山公園。(2015/9/19 12:35)Photo J2 おとめ山公園を分断する道。(2015/9/19 12:37)Photo J3 東のおとめ山公園。(2015/9/19 12:38) 丁字路は左の落合中へ上るような坂道で、その途中に公園入口があったが封鎖されていた。道へ出る見通しが悪いためらしい。その上の別の入口から入って、林の中を下って行った。 公園内には小川が流れていて、親子連れがザリガニ釣りをしていた。東口から公園を出ると、道の向こうもまた公園になっている。Photo K(左) おとめ山公園からの道。(2015/9/19 12:39)Photo M(右) 住宅地を緩やかに下る道。(2015/9/19 12:47) Photo L サルスベリ。(2015/9/19 12:42) 大きな池の上端を抜けて公園を出た。このあたりからそろそろ北へ向かわないと目白駅に辿りつかない。 住宅地の道を突き当たれば曲る。そんなふうに北に向かって歩いて行く。もう十分に秋だというのに満開のサルスベリの木がある。百日紅の名にふさわしい。Photo N 山手線脇の道。(2015/9/19 12:50) Photo O 階段を上がれば目白駅前。(2015/9/19 12:06)Photo P JR目白駅。(2015/9/19 12:52) 住宅地の道は緩やかに下って丁字路に出る。右にまっすぐ進むと山手線に突き当たる。山手線に沿った道の先には階段道があって、足の不自由な人が一段ずつゆっくりと降りてくるのが見える。 階段を上がるとJR目白駅前の広場だ。 街歩きMap。A~Pは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。 [1] 『現代日本文學大系95 現代句集』(筑摩書房 昭和48年)p. 84。
2015.09.19
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