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2週間前の火曜日、恐る恐る小さな山登りを敢行した。4、5年もまともな登山を止めていたし、この年齢の数年の空白は大きいと考えて、山ならぬ森を歩いてきたのである。
山行再開のリハビリのような山歩きだったが、日々のリハビリも大切だろうと思って神社の階段や仙台城址までの上り下りを朝の散歩に加えて、一週間後の山行を計画していたのだが、月曜日に発熱し、計画当日の火曜日を含め二日間寝込んだ。水曜日からは連日の会議と宴会、地域合同避難訓練とその前準備、地域清掃と日曜日まで暇なしだった。
前回は、標高440mの傾城森だったので、今回は少し標高を上げて621.3mの寒成山である。じつは、熱を出して取りやめにした山行は、1200mクラスの山に行こうと思っていた。じわじわ体を慣らしていくというやり方にもう不満が湧いてきて、駄目なら駄目で体力の限界をさっさと知ってしまおうと思ったのだった。短気というか、こらえ性がないのである。
いくら気持ちが急いても、体がついて行ってないのだ。それで熱が出たのだろう。そう思うことにして、候補地を探したら、先日の傾城森の近くに手ごろな高さの山があった。 621.3mの寒成山である。
東北道を白石ICでおり、国道4号を少し南下して国道113号に入るコースは傾城森へ行った時と同じである。小原温泉郷を過ぎ、七ヶ宿湖の手前で飛不動尊への案内看板に従って左折する。
道は、大熊大橋で白石川を渡り旧道に出る。大熊大橋から寒成山を望むことができる。北と南が切り立って、尾根は東西に伸びているのだが、写真はその山容を東から見ている。
この写真は帰り道でもう一度立ち寄って撮ったもので、朝からの晴天がすっかり雲に覆われてしまっている(写真は往復で撮っているが、時系列ではなく、麓から頂上へのコース順に掲載している)。
大熊大橋を渡ってすぐ旧道を右に折れて西進する。この道は、先日立ち寄った材木岩への道でもあるが、材木岩への分岐の手前で、飛不動尊への案内看板があって、狭い林道に左折する。
「もう少しで飛不動」などという看板があるうねうねとした林道を進めば難なく飛不動尊の前に出る。道向かいに広い駐車場があり、木陰になりそうな場所を選んで駐車した。
飛不動に着くと、まず杉の古木が目に入ってくる。享保16(1731)年の大地震のとき材木岩近辺にあった飛不動尊を落石から守った大杉があったという。その3年後に飛不動尊が現在地(旧七ヶ宿街道の江志峠)に遷座した時、集落の若夫婦が加護を願ってそれぞれ杉の苗木を植えたものが、現在の夫婦杉になったのだという。樹齢284年ということになる。
伊達政宗が天正19(1591)年に現在の国道113号に近くに建立した不動堂は、文禄3(1594)年に火災に遭ったが、そのとき本尊自ら岩窟に避難したことから「飛不動」と呼ばれるようになったという。
敷地内には、不動堂のほか六地蔵尊や観音菩薩が祀られているほか、お守り売り場などもあったが、まったくの無人だった。
飛不動尊近辺には寒成山に関する案内はまったくない。飛不動まで車で来た林道を少しばかり引き返して、南に向かう林道に入る。林道を少し入ったところの看板には「一般車通行禁止」として「下戸沢牧野農業協同組合」の看板が立てられているが、ここにも「寒成山」の名前はない。じつは、国土地理院の地図にも「621.3m」の表記はあるが、寒成山という山名は記されていないのである。
林道入り口は舗装されていたが、すぐ車止めがあってその先は舗装されていない。杉林の中をうねって進む林道の陽当たりのよさそうなところに白のホタルブクロが群生していた。
林道の急なカーブを曲がると、上から原付バイクで降りてくる人がいた。挨拶をすると停まってくれたので、寒成山に行きたたいのだ話してみた。「寒成山、奥寒成山、どっち?」というのである。この地元の人は牧野に近い山を寒成山、その背後の山を奥寒成山と呼んでいるらしい。
地図を見せて話をすると、私が目指す寒成山は、その人の言う奥寒成山らしい。そこへ上る登山道が「あったような、なかったような」という感じで話されて、心細いことこの上ない。「道が見つからなかったら、諦めて戻ります」といって別れ、林道を歩き出すと、林道を横切って行くニホンザルの群れに出会った。杉林を行くサルにカメラを向けて数枚撮ったが、どれにも写っていなかった。偶然なのか意図的なのか、シャッターを押す瞬間には幹の陰になってしまっていた。
「右に別れる林道には入るな」というバイクの人の注意に従って、二つの分岐を過ぎると、東西に伸びる寒成山の尾根裾を林道が割っているような地形のところに出る(Photo G1)。右手に細い登山道らしい踏み跡がある。1メートルほどの棒に赤い布が巻き付けてあったので、それまでの不安はほぼ解消されて、その踏み跡に入ったのである。
Photo H 杉の木のてっぺんで繁茂するハンゲショウ。(2018/6/26 10:44)
登山道は文字通り東西にのびる尾根筋のその尾根を辿って行く。南面と北面は大きな崖のある急斜面なので登山道の選択肢はほとんどないのだろう。尾根筋とはいえ、けっこうな斜度の道が続く。
杉林の中に陽を浴びて輝いている木がある。一本の杉の木のてっぺん付近に葉を広げたハンゲショウである。杉の木が少し疎らになっていて比較的日が当たる場所と思われるのだが、下部の方にはハンゲショウの葉はほとんど見えない。その杉の木に当たる太陽光を独占するかのように繁茂するハンゲショウなのである。
杉林から雑木林に変わっても斜度は相変わらずである。高度を上げると少しずつ大石が散在するようになった。
Photo K 傾斜が緩むあたり石祠が。(2018/6/26 10:56)
Photo L また急坂が(ここで道を間違えた)。(2018/6/26 11:09)
一休みしたいと思いはじめたあたりで、傾斜が緩む。ちょっとした棚道なのだが、その道が始まるところに中には何もない小さな石祠があった。
ゆるい傾斜の山道を楽しんで歩いていると、頂上直下の急斜面にぶつかる。大岩が点在する急斜面に、はっきりを確認できる道は見えない。急斜面の手前から南の斜面をトラバースするような踏み跡らしきものが見えたので、そこに入った。
急斜面を行く踏み跡は滑りやすく、握れるほどの木の枝を手繰りながら進むが、しだいに踏み跡らしいものは薄れていく。それに地図によればこの先には断崖があるらしい。
諦めて引き返すことにした。滑る斜面に苦労しながら、それなりに急いで戻り、急斜度が始まる尾根筋を探して何とか登山道を見つけた。一か所だけ大岩が点在するあたりで道がわかりにくくなっていたのだが、とにかく尾根筋から離れてはいけなかったのである。たぶん、急斜面を忌避したい疲れた体と精神が、道を誤らせる原因だったのである。
短い急斜面を登りきると、細長い頂上尾根の東端である。尾根を西に歩けば、621.3mの狭い頂上の空がぽっかりと口を開けている。
木製の頂上標もあったが、古びた板の文字はほぼ完全に消えていて、左上の隅に小さく「寒成山 621.3m」と彫り付けてあった。この山行で初めて見る「寒成山」の文字である。
尾根の西端にある頂上からは七ヶ宿湖が望める。また、不忘山を南端とする蔵王連山も見えるはずだが、霞んでいてかすかに不忘山らしき影が確認できる程度である。
道を間違えて浪費した時間を差し引けば、ほぼ1時間の登りである。休憩もそこそこに下り始めた。下りはほぼ30分で飛不動尊に着いた。
時間はたっぷりあるので、これからの登山候補の山、蛤山(981m)の登山口の確認に行くことにした。国道113号を西に進み、七ヶ宿湖を過ぎて白石川の支流、横川に架かる橋を渡って右折し、横川集落に向かう。
道脇に蛤山登山道の入り口の案内がすぐに見つかったが、周辺に車を止めるスペースはない。ガイドに青少年旅行村の駐車場を利用するような案内があったが、その通りらしい。
ここまでの道々、案内看板にあった横川渓谷に架かる「やまびこ吊り橋」を見に足を延ばした。強風のときは危険という案内があったが、渡っても少しも揺れないリジッドな吊り橋で、その高みから眺める横川の渓流は釣り好きにはいくぶん刺激的なのだった。
ついでなので長老湖にも行ってみた。不忘山から眺めた湖とは違って、木々や岬に遮られて全部が見えない湖はさほどの感興がなかった。長老湖は、火山活動でできた古「長老沼」を発電所用の貯水池として拡張したものだと、古びて消えかかっている看板に書かれていた。
七ヶ宿街道は、山形県の高畠町に続く「そば街道」という触れ込みなので、113号をさらに奥へ進み、湯原という集落にある蕎麦屋さんで昼食である。ソバのメニューは、「ざるそば」と「大ざるそば」の2品しかないなんとも潔い蕎麦屋さんだった。
国道113号の帰り道、大熊大橋に立ち寄り寒成山を遠望する写真を撮って、本日の山行の行程はすべて終了である。
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