1

沖縄の原風景。フクギ並木のある集落。どこからでも批判はできる。もともとそんなに立派でもないのが私たちの住む社会だ。教育にしろ、医療にしろ、問題はいくつもある。それをどう改善しようとしているだろうか?多くは困難なものばかりだ。解決する能力があるだろうか?問題をアウフペーベンしているものが誰かによって違うだろう。動かすものが、ご都合主義であれば、恣意的なものになる。それが国家権力だからといって、決して正義とは限らない。教育も医療も、そして政治であれば尚更、人も、物も時間もかかることばかりだろう。少しづつであればみえるものもあるし、触ることもできるかも知れないが、横に広がると見失うものだ。巨大化して、ことが大きくなり過ぎると「自己責任」にされがちだ。生活習慣病がそうだろう。大きな問題にしたのは、基本的な教育や医療に対する政治の貧困だ。一見リべラルなアメリカ人の中流社会の家庭に見られる権威主義的パーソナリティの特徴が、刺激的で面白い。(Th.アドルノ他「権威主義的パーソナリティ」)キレイなものだけが生き残る世界にしようとするのではないか。人間たちがもしそう思うのだとしたら、やがて、未来への選択肢をますます狭めてくるに相違ない。そして、「ノーチョイス」になるだろう。その傾向が、エリート社会にはみられるのではないか。ひとびとを囲い込もうとする企みが始まっている。彼らは棄てるしか知らない。ゴミは消去しようとするだろう。誰も痛みを感じないようにすればいい。アンケート調査が意味するものは最大公約数の人間の意識の調査でしかない。人間たちは、物扱いされようとしているのではないか、と思う。限界まで。準拠枠の中でしかない。そのうち選択を誤るのだ。なんでもない詰まらないことで。迷っている間に時は過ぎてしまう。いつも。こうしてここにいることも、それほどうまくやったのではなく、失敗の連続でしかなく。挫折の成れの果て。それを言い繕うとする。うまくいくはずがない人生でしかない。
2023.06.26
閲覧総数 238
2

ナルコレプシーで怖いのは誤診だ。内科ではなく、精神科で、然も睡眠の専門医でないと誤診の可能性がある。殊に中枢神経賦活剤などの乱用になれば中毒にもなる虞がある。悪用するケースもあるという。薬物療法も正しい診断があってこそであり、副作用による障害も考えられる。ナルコレプシーの根治療法はなく、薬物療法は症状を抑えるため対症療法なのだ。日中繰り返す居眠りは、特に受験期に発症し易いという。受験勉強で睡眠不足の慢性化になり、睡眠リズムが成人型に移行しなければならない時期に、ホルモンバランスなどの不調がきっかけで幼児期に戻ってしまうのではないかと言われる。幼児は、3乃至4時間毎に覚醒と睡眠を繰り返す「多用性睡眠」であり、成人になれば昼と夜で活動する「単相性睡眠」である。この幼児期のサイクルが単相性睡眠に移行できないままの状態になるのだ。昼間には、居眠りし、夜は、充分な睡眠がとれないのが、ナルコレプシーの患者なのだ。遺伝的素因は、日本人に多く、イスラエル人に少ない。ちなみにイスラエル人の一般人口中のHLA・DR2 の頻度は2%に比較して日本人は36%だ。誤診されれば、危険な薬物療法をされるかも知れない。専門医にかからないと酷い目に遭うかも知れない。
2023.06.26
閲覧総数 270
3

長くなってきた人生を振り返ると、ひとはみなたった一度のミスで死んでしまうものだと。ミスというのには語弊もあるだろうが、それを避けることができなかったわけではないのではないだろうか。どうしようもないようなこともあるが、大抵の場合は回避できる可能性があるのではなかろうか。回避できない状況に追い込まれてしまうから逃げられなくなる。 ・大して多くの経験をしてわけではないが、未だ奇跡を視たことはない。戦争の経験もないし、宇宙を飛んだこともないが、この21世紀を11年はみてきた。解かるだけのものは解かる。それで充分というのではないが、すべてを学んだとしても、自分の最期は何時か解らないだろう。 ・へ2・・・何のためにくよくよ生きているのか解らないが、何時か何かの生涯一度のミスで死ぬに違いないとは思っている。莫迦なことを考えるが、それは莫迦だからだろう。自分のスケールで世の中を視ているに過ぎない。遣り過ぎれば元の木阿弥でもある。嵐の中に出ていく不幸もある。晴天の霹靂もあるだろう。何が面白いだろうか、それは自分が面白いと思うことでしかない。
2023.06.27
閲覧総数 325
4

渡月橋。ここから桂川になる。僅かな個人の幸運はあるとしても他に楽しむことと言えば、それほどあるわけでもない。だから楽しめることは大切にしたいと思う。ネガテッブ・マインドに負けないために、生きる知恵が必要だ。自分なりの真の楽しみのためには、マイロードがなければならない。個人の受容体には、自分しか開けられないカギがあるのだろう。そのメカニズムを知らねばならない。それが現代という時代に生きるものが知った得難い知識でもあるのだろうと思う。 ・過去の人は、現代を見ることができずに散っていったのであり、私たちは大いなる恩恵の中で生きているというべきだろう。そして、未来に憧れてもいる。限られた時間の中で、この光を楽しむかけがえのない瞬間を喜ばずして、何をかいわんやであろう。どれだけ苦しみながら他人は生きているのだろうか。それは想像することしか知りえない。その人も喜怒哀楽はそのひとのものだからだ。苦しみや怒りの中から、ひとはより深く、喜びや楽しみを得るのだろう。易々と生きる者にはその感動を知ることはない。世の中をして軽佻浮薄であるものはそれだけの世の中である。 ・へ2・・・自然を深く愛する者は、より深く喜びを味わうのではないだろうか。苦労したものには、深い眠りがあり、深い水底を蹴って、水面高く、飛び上がることができるに違いない。深い悩みは、人間をより思慮深くする。
2023.06.26
閲覧総数 228
5

ドバイ。副題は-「ゲルマン文化から再生医療まで」ー壮大なテーマである。流石に、こう表現の巧みさは大学らしい。多少看板倒れのような気もしないではないが、これまで、全く知らない分野を予備知識なしに聴くということは、何と贅沢というか、不遜というか、申し訳ない気もしないでもないが、大学と市民との交流の一つでもあるのだろう。それこそ興味のある人なら、どんなにか聴講したい講座だろうかと思う。おカネに換えられない価値がある話でもあるのだろう。 ・一つの講座のために、どれだけ時間をかけるのか。それは講師によって天地の差がある。然し、どうも市民に対する講座は、必ずしも重くは見られていないようだ。まあ、面子に係わる程度のものだろう。評判が悪くならない程度だろうか。それでも、中には、レベルを落とさないで真摯に話される立派な講師もいる。誰が聴いているか知れたものではないのだろうが、解からなくても、他人に理解できない言葉はないだろう。理解させるためにことばはあるのだから。イギリス最古の文学といっても、アングロ・サクソン人が使用したルーン文字の話なのだから、読める筈もないが、日本人の女性の研究家が講師であった。それでも、ゲルマン民族の大移動でイギリスに渡った人々が、ゲルマンの英雄をうたった古英詩を伝承していたが、やかてキリスト教化が始まる。そして、「ゲルマン的(異教的」)なものと、「キリスト教的」なものとの同居が形成される。
2023.06.27
閲覧総数 229
6

非行や犯罪が存在し、それらは実際に日本の社会構造の抑圧的次元によって惹起している。それが、他国に比較して必ずしも高いとはいえないかも知れない。しかし一概に犯罪率でその社会構造のレベルを意味しない。しかも凶悪犯罪が増加している日本では検挙率が悪化している。 ・日米の犯罪を比較すると、日本の刑罰はどの犯罪分類についても他国よりも軽いのではないだろうか。例外は死刑があることくらいだ。犯罪率は厳罰だけで減少するのではない。それは中国の例でもいえるだろう。それを引き起こす土壌にある。平和主義や、平等や、自由が保障されており、経済がある一定の安定をもたらすことが重要な土壌になるだろう。反面戦争が肯定され、不平等で、抑圧された社会が犯罪の温床にもなるに違いない。 ・へ2・・・こころが砂漠の人々に、豊かない社会は作ることができないだろう。花をめでるのは口だけでは愛でることにはならないだろう。人も花のように美しくあることができるだろう。それをエゴイストたちが破壊し続けているのではないか。人々の心が振れている。平和から遠のくことを見逃し始めている。仮面の人間たちが街に溢れてはいないか。人の目は、レンズの目ではない、目の後ろにある脳で見なければならない。観察し、洞察力を持って世の中を視なければならない。
2023.06.27
閲覧総数 284
7

家庭菜園をすれば当然虫たちも大勢湧いてくる。色んな生き物たちが集まってくるが、狸まで来たのには驚いた。そんな生き物が近所にいるとは知らなかったが、どうやら数十メートル離れているゴルフ場の中から来ていたようだ。恐らく森の中には狸の居場所もあるのだろう。まだ野良猫たちが餌を食べ来ていたころで、庭に餌を置いていたのを食べに来ていた。 ・カーテンの影からそれを眺めて楽しんでいたが、野良猫もいなくなり、狸も姿を見せなくなったが、今年も緑のカーテンは準備中である。まだカーテンにはすき間がある。緑があると何とか暑気も我慢できるからかなりの効果があるようだ。そういえば、デリーの暑さも森が多かったので少しはしのげるのだろう。ひとは色んなものを味方にして生き延びてきた。利用できるものを利用してきた。 ・へ2・・・インドだけでなく、東南アジアでは、喜捨のこころが根底にある。そのことを理解しなければ偏頗な知識でしかない。井底の蛙たちが、勝手な判断もする。暴君たちを手玉に取ってきた懐の深さは、それが却って弱点になったのだろう。点が線になり、面になっていくまでにはまだ時間がかかるようだ。大器晩成型のタイプは理解され難いのだ。
2023.06.28
閲覧総数 479
8

大学の講座で、一番面白いのが脳の話だろう。「頭がいい」というのは、その基礎となる脳機能にある。遺伝的な素因については、生物(人)をとりまく生育環境が脳の機能に重要な役割を果すことが分かってきている。そして、脳の発達にプラスの影響力としての環境要因がある。そのポイントとなるのが、 ・外界からの正常な感覚入力 ・刺激の多い豊かな環境 ・運動 ・子育て行動 などが重要。視覚や言語機能等からの情報の獲得には臨界期と呼ばれる感受性の高い時期が存在し、その時期に適切な刺激が入力されないと、正常な機能が成立しないことが知られている。また、記憶の形成に重要な海馬は、大人になってからも神経細胞の増殖が、豊かな感情下で可能であることが報告されている。学習能力の向上が見込める。それと、興味深いのは、「子育て行動」だろう。よく仔の世話をする母親から育てられた仔は、恐がりがなくストレスに対しても良好な反応を示すとされる。逆に幼少期に虐待を受けた仔が親になり、子どもに虐待を加えるケースが多いことが指摘されている。習慣的な運動がストレスホルモンの設定値を低下させストレスの刺激に対応するという。 ・へ2・・・健やかな脳を育て維持するために、科学的な根拠となる知識が必要だ。自分の脳を知らなければならない。
2023.06.26
閲覧総数 261
9

福木並木。上手く熟そうとするあまり無理なことをして潰れてしまう。理想のようにはいかないものだ。人間のすることは複雑で単純ではない。好きな人にきれい事ばかりいってもおれないものだ。普遍的真理のなかで生きているのでもない。社会の根幹にあるものはマグマのような人を寄せ付けないエネルギーの塊でもあるだろう。マグマの周辺で生きているか、生きていこうとしているに過ぎない。言葉の根幹にあるものも沈黙だろうか。 ・まっすぐな一本の道を辿っていくようには人生はできていない。人生のステージは日々変化をし、シーンは次々に明日へと向かい続ける。何か自分の中の大事なものを対価として払い続けてもいる。コストのない幸福はない。安楽を売る商人は偽善者だ。軽薄であるものはその毒でつけがまわってくる。 ・へ2・・・私は利口ではない。だから愚直に生きねばならない。歩き続けることで何か視えるものがあるだろうか。何が起きるか分からない世の中だ。不可抗力もある。。地球と金星の違いは、太陽からの距離だという。金星では生物は生きていけない。双子星と言われるが、その世界は大きい違いがある。然し、その違いも宇宙サイズから見れば、宇宙のゴミのひとつの形成過程に過ぎない。
2023.06.26
閲覧総数 206
10

戦後は物資が乏しく、貧しい暮らしを強いられていたが、人びとは寄り添って生きていた。心優しい人が大勢いた。今夜の米がないからと近所で助け合っていた。兄弟の子を引き取って育てていた家族をいくらも見た。優しい小母さんたちがいていつも子どもたちを見守ってくれていた。だから、私たちは生きていくことにぼんやりとした不安はあっても、何とか自分が大人になっても生きていけるだろうと、のんびりしていられたのだろう。そして、日本人は、物は豊かになったが、逆に心が貧しいひとが増えてきたようだ。どんな隣人がいるかさえ関心を持たないひとが多い。これも経済優先の所産だろうか。自分の利害で子を殺すようなことがなかったのは、何だろうか。進化とは、退化によって失うヒトの特質も進化であるという。進化は進歩であるが、進化は価値ではないという。時代が後になれば複雑な人間が生まれてくるがそれが高等であるわけではないとOCW は言っている。そして、進化的に身につけたものを失う「退化」も進化である。
2023.06.27
閲覧総数 243
11

トルコ。その国で育ってものでしか分からないものがあるだろう。日本人が幼いころから見聞したものは単に教育によってだけではない。歴史観も言外のものがある。それは以心伝心で感じたものもある。「判官贔屓」もどこからくるのだろうか。西欧のシンメトリーとは違う日本的歓心がある。権威に弱い体質も、そうでなければならなかった時代が長かったからだ。他人の言うことを信用しないが、信用したいという気持ちを捨てられない日本人は多いのではなかろうか。 ・日本人は、何処へ行こうとしているだろうか。国際社会に翻弄されて自分の存在を忘れてはいないだろうか。コンパスを忘れてはいないか。自国民を信用できる教育ができているだろうか。疑問が多いが、個性を磨かねばならない。個が確りした世界観をもたねばならないだろう。 ・へ2・・・日本人は、変わらねばならない。変わるべくして変わるが思想がなければならない。自分がなければならない。社会に以心伝心があり、バランス感覚が必要だ。そのための見識を磨くべきだと思う。そのために国際社会を冷静に観察する目を持たなければいならないのだと思う。随分ウォーキングをしていて涼しくなり、気持ちが良かった。こうして歩いて、爽快であるということがいつまで続けられるのだろうか。それは分からないが、それがいつまでであろうと、いまを楽しみ確りと自覚して味わいたいと思っている。
2023.06.26
閲覧総数 235
12
![]()
心理学者フランシス・ラウシャーらが学術誌「ネイチャー」に発表した。この論文においてラウシャーらは、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」K.448を学生に聞かせたところ、他の音楽を聞かせたり、または何も音楽を聞かせなかった学生よりも、スタンフォード・ビネー式知能検査の空間認識テストにおいて高い成績を示した。ただしこの効果は音楽を聴いて10分から15分程度だけ見られる限定的なものである。この効果は「モーツァルト効果」と名づけられ、新聞等で広く報道された。(Wikipedia より) 或る種の音楽を聴くとIQが高まることを指しているが、効果はないという反対意見もある。いわゆる「モーツァルト効果」は、科学的根拠があるのだろうか。またしても曖昧なことでしかないのだろうか。「二台のためのソナタ」がどんな曲なのだろうか。ピアノ曲を演奏すれば、空間的、時間的な技能を促進させるかも知れないという。 ・どうやら限定的なものに過ぎない効果のようである。然し、もっと音楽の持っている脳の反応が、空間的、時間的な課題を解いている時の脳の反応に連関しているのではないのだろうか。脳に与える音楽の効果についての研究分野が限定的で狭い範囲でしかないのではないか。幾何の勉強に適切な雰囲気を作ったているとだけとは言えないのではないのだろうか。 ・へ2・・・ピアノだけなのだろうか。モーツァルトの曲だけだろうか。まだよく分からないということが如何に多いのだろうか。相関関係に関して「点と点を結ぶ糸」がまだまだ細く、短いような気がしてならない。モーツァルトのピアノ曲を聴くだけでIQの向上効果があるという刺激的な話にはまだ先がありそうだ。
2015.05.04
閲覧総数 48
13

2023.06.29
閲覧総数 1174
14

功利的な社会の崩壊であり、求められているのは人間の誠実さだろう。こうした危機が訪れないと、思い知ることができないでいる。賭博行為をした大相撲や、汚職塗れの政治にしろ、そして利益優先の経済社会であれ、正義や、人命を軽視していた社会の歪さがある。それは矛盾を孕んだ社会システムに原因があるが、それは容易に是正できるものではない。ドラスティックにやれば忽ち正義はなっても国は滅びかねない。 ・ひとは誠実であろうとするが、それだけでは利益社会を維持できなくなる。社会があっての国民でもある。ボランティアの奉仕活動が、被災者や被災地で活躍しているのは、この国が到らない処が多いからでもある。確りした災害に対する国民的合意のもとに、国民に対するガイドラインさえない。ひごろ何をしなければならないか、苦楽を共にして取り組むべき社会構築の設計の出来ない国家でもある。 ・へ2・・・誠実に生きることが尊重されていない。正義が必ずしも社会のルールではない。科学者の正論が、政府の意見ではない。東京電力と結託して放射能汚染物質を垂れ流したのも政府だ。見せかけの誠実さで誤魔化してもすぐに襤褸が出る。目的のためには手段を選ばない軽薄な人間を創り出している。選挙の結果を見ていると、本当にそれは厳密にされているのだろうか。安倍首相はKYといわれていたが、その癖は問題にならないのだろうか。不思議なことが多い。
2017.05.11
閲覧総数 34
15
![]()
「大地の遺産を学ぶ旅・・・ジオツーリズム」という講座を聴いたことがある。。只愉しく見物しているだけでは物足りない。観光にも多様性が生まれ、知的好奇心を持つ人たちも増えている。ひとつには環境破壊によって齎されて、危機感がある。ドイツでは、「ジオ小道」(geopfad)という1984年から設置された教育道があるそうだ。それが、ジオトープになり、ジオパーク(1994~)になった。ドイツの例を写真で見ながら解説された。講師は、観光地理学で、地理学も研究されている。 ・景観と言っても、漠然と視ているだけでは意味がない。その地質・岩石・地形などが、どのように現在の景観を造り出しているのか、どうしたらその環境を守れるのか。科学的根拠が必要だ。其の地域に住む人たちが、自分の環境を守るという意識がなければならない。それを教育必要があるだろう。そのためには、自分の目で実際それをみて其の価値を認識するのが一番だろう。日本でも、ジオツーリズムの思想が拡がりつつあるのは、世界の潮流でもある。 ・へ2・・・現地学習では、講師が同行されて、阿蘇の火砕流によるasoー4 解説を聴いた。阿蘇の大爆発は、富士山よりも高い山が噴火したのだから、その痕跡が九州にはあちこちにある。溶岩流の跡が博多にもあるらしい。
2016.05.05
閲覧総数 32
16
![]()
誰も諂うことなくありたいと思うだろう。迷いたくもない。然し、権力者に支配され已む無く戸惑いながらも諂う続けている人々が存在する。厳密にいえばみなそうかもしれない。国自体が他国に従属していることもある。或いは政府が追随し、国民も支持しているかも知れない。絶対的権力が支配している国家では国の政策に抗うことが死を意味することもある。国の品格とは規律ではない。 諂いを感じるのは未練さからだろうか。品格は識字力ではない。正義を正義と言えることであり、不正義を悪といえる勇気でもある。飢餓死ぬものが多いというのに呆けた生き方をしている者たちが何が、ピースだろうか。それこそ夜の繁華街を歩いてみればいい。東京でも、大阪でも博多でも、そこに何を見るだろうか。ピースだろうか? 言えることは、一度によくはならないということだろう。科学の進化と叫ばれるが、それはまだほんの一部のことであって、世界のあまねく全体に及んだサイエンスの話ではない。人間の意識は、まだ中世から昨日脱出したばかりだ。中東では、中世と変わらない殺戮が繰り返されてもいる。身近に迫る危機を黙ってみている卑怯者と一緒に生きていかねばならない。それが、戸惑いでもなく諂いでもないといえるだろうか。 自分たちは安全なボートに乗り、窓から見える殺戮をまるで映画のシーンのように見ているだけではないのか。聞こえてくる足音はなんだろうか。不安は確かにあるだろう。
2016.05.16
閲覧総数 26
17

65歳以下の認知症(若年認知症)が身近な話になった。病気に適切なアドバイスのできない社会が情けない。何ができて何が難しいのか、脳の病状の進行によって仕事の範囲が違いもするだろう。病気の進行を抑えながら個別ケースになる。障害年金が病気の診断から1年半経過しないと受けられないというのもおかしな話だ。症状が継続しないはずはないだろう。しかも、受給を受ければ仕事ができないというのもおかしい。脳の障害もアルツハイマーだけではない。日本の社会システムが脳の知識がないだけであり、これでは国民の苦境は救えない。 ・考えてみれば、「生きる」というのは大変なことだ。そして人は周囲から支えられている。それを受け入れる社会でなければならない。それができなければ患者は窒息していくだろう。チャンスが与えられねば何も得られない。可能性は人間が切り開いてきたではないか。患者が「誇り」を持って行ける社会を創らねばない。もっと専門家が発言すべきではないだろうか。そして患者たちもひるまず勇気をもって発言すべきだろう。 ・へ2・・・寧ろ、引籠れば脳は委縮し、生きるという力を失ってしまうだろう。人間としてのブライドを持つことは、病気と闘う勇気を生み出すに違いない。日本の社会はまだそういう意味では高齢化社会に対して多くの市民は無防備と言わざるを得ない。
2019.02.13
閲覧総数 21
18

立山・黒部アルペンルート感情=興奮+感情的思考 どんな感情が生じるときでも興奮するのは同じで、違うのは強さだけらしい。それを適切な思考と合わせるのが脳の役目だ。ところが感情がかかわると、脳はそれほど慎重ではなく、然もいい加減なのだ。適当に合わせることも平気でやる。その結果、興奮した原因を、実際とは違うものと思い込んでしまう。これが恋愛でも惹起する。 それを証明するための実験もあるくらいだ。十分に汗をかくくらい長いエアロバイクを漕いでもらい、運動のあと、ポルノビデオを見て性的な興奮のレベルを報告させた。かなり時間をおいてと、直後と、短い時間をおいてと、の三グループに分けられた。彼らの脳は、ビデオのエロティックさのレベルを誤認したのは、短い時間をおいてビデオをみたものが他のグループよりもはるかに高く評価した。 どうやら普段街で声をかけられても相手にしないが、ジムで運動をした後の出逢いが脳が勘違いを起こしやすいということだろうか。有名な実験として、晴天と雨天で学生を呼んで、自分の生活全般への満足度を質問したものだが、雨の日よりも晴れた日のほうが、学生の機嫌がよかった。天気が満足度に影響したらしい。 その時の気分で変化してしまうことがあるということだろう。機嫌が悪い時には人生には危険が満ち、人と対立するのはすべて自分の責任のように思え、少数民族に好感を持てなくなることもあるらしい。
2019.02.13
閲覧総数 18
19

世の中が暗くなっているのだろうか。物事は、不可逆的に進んでいるが、アイロニカルであろう。だから、逆説的に考えた方が解り易いこともある。お笑いを追及している社会は悲劇的でもあるか、その雰囲気があるからだろう。だから楽しいから笑っているのではない。楽しいと思いたいからではないか。 ・おもしろてやがてかなしきうかいかな、 いつまでも楽しい人生でもない。だが喜劇にしてしまう。過去にこだわってはいきていけないからだろう。人生を軽く見た方が気楽でいられるのだろう。重力に耐えながら生きている人間には動くことは、圧力からの闘いでもある。外資系ファンドの脱税が話題になっているが、いまさらであろう。勝ち目のある闘いだろうか。国税の対応はあまりにも遅い。 ・へ2・・・政治家とタレントとマス・メディアがグルになっている。やがてかなしき・・・だろう。お笑いで、時間ばかりが過ぎている。戦争は長引くほど犠牲者は増える。脅しに屈してはならない。覚悟のない政治家はだめだ。弱い奴ほどよく吠えるものだ。
2022.04.27
閲覧総数 50
20

勿論その前に「百聞・・・」が来るが。それと「一見」と相関関係にあるのかは疑問だ。アバウトな表現であるが、「多くを聞くよりも見た方が善い」という解釈なのだろう。確かに、どれだけ映像社会になったからと言って、見たいところが全部映っている映像を見たことはない。360度上から下まで撮れるものはないのだから、その中の一部でしかなく、カメラの位置はカメラマンのショットでしかない。また日常でさえ、自分は多少分かっていても、家族のこととなると一面しか見ているわけでもないが、とてもすべてのこころやからだをているわけでもない。付いて回るわけでもないからだ。それでも、知っているつもりでいる。 ・「一見」したからと言って、それも一部でしかないから、それも不完全ではある。意図的に見せられることもあるから。社会が偽装していることもある。そうしないと処罰されることもあったりしたし、それに近いことも現実社会の中にあるのではないだろうか。現に私も社会の中で、そういうシーンを何度も見ている。厳しい現実を知るのは、何も特別のことではない。ある意味、知ることは恐ろしい、悍ましいかも知れない。余程無神経でもなければ、楽天ではない。 ・へ2・・・自分の目で見ることは、それでも価値がある。自分の思考過程は視覚によって多くの思惟が支えられている。嗅覚や聴覚や触覚や味覚や、想像力はそれをサポートしているだけだろう。例え観光ツアーでも自分の目で見たことは、脳に焼き付いていることが多いのではないだろうか。それを利用しているかどうかであろう。その印象を使わなければ消えていくだけだ。それは、ニューロン・ネットワークを、使うかである。そのためにはより深く理解しなければならない。理解しようとしなければ消去されてしまう。イメージを追い続けるということが、自分の心を過去に繋ぎ止めている。愛してやまない娘を、ストーカーの男に殺された母親の心情が語られているビデオを警察署で見たが、警察庁の犯罪被害者支援室がある。警察による犯罪被害者支援という取り組みが始まったのはまだ最近のことだ。犯人を逮捕するだけが警察の仕事ではないということにやっと気づいたのだろう。犯罪は決して減ってはいない、むしろ悪質化している。社会悪は、ヒトとウイルスの闘いに似ている。
2021.12.01
閲覧総数 29


