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折角フリータイムがあるのは、買物のためだけではない。企画者は、ツアーの拘束を離れて個人で愉しんでくださいという意味もあるに違いない。処が、それをガイドは言わないことが多い。だから、自分で用意しないと駄目だと何回かの経験で知っていたので、知りたいことを調べていたので時間を無駄にしたくなかったので、妻とさっさと、城壁を出て、Tauber 周辺を散策した。後で、地元に住んでいる日本人の画家の奥さんに訊いたら、「あそこは、昨日霧がかかって一日景色が何も見えなかったので、今日は、良かったですね」と言われた。数人の地元の人に出逢っただけで、妻とふたりでワインを開けていい時間を過ごせたと思う。まあ今回の旅行のハイライトでもあったと思う。どれだけモニュメントを観ても、それは単なるエピソード記憶でしかないだろう。一回だけの自分の人生が何を感じるかでもあるだろう。ここはこんなにいいですよ。ということが、商業ベースではなかなか伝わらない。ツアーの意味が理解できない人も多いようだ。それがツアーの現状なのだろう。私は、ゲーテとこのローテンブルクの Tauber を観たいと思ってこのツアーに参加した。そのひとつがこの地に立つことだったと実感した。是非、もし行かれる方は、寄り道してください。
2006.12.09
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>和白干潟。今朝は満潮でした。 愛に始まり野心に終わる 「ひとはしばしば愛から野心へ移行するものである。しかし、野心から愛へ戻ることはない」(ラ・ロシュフコーの「マクシム」) 戦争・飢餓・パニック・大災害などの極度の社会的混乱は、恐怖・疑心・自信喪失・無気力・狂乱の状態を惹起する。そこにあるのは意味など存在しない狂気であろう。然もそれは、コトの一つでしかなく単なる事象でしかない。ヘーゲル的な見方に立てばコトそのもの。 コトとは、次のようなモノを指す・事由、事宜、事理・事実、事況、事情、事象、事態・事件、事故、事変・事例、事項、事務、事業 ものの世界とは、客体としてのものと、事物化されたコトで成立つ。 「こころ」の多様性とは、・こころは、知・情・意の根本の働き・思考、志、思惟、思慮・中心・根本・思い遣り、情け・趣向、工夫 etc 感知・認識・思考の能力を意味している。想像力を豊かにし、知性を活性化することでもある。 デカルトの「コギト・エルゴ・スム」が出てきたので、まあそのあたりの本であろう。それほど興味はないが、面白いフレーズが出てきた。「青春とは、絶えざる陶酔のことである。即ち、それは理性の熱に浮かされた状態なのだ。」 「おおかたの女性たちの才智は、自分の理性よりも自分の狂気を強めるのに役立っているだろう。」
2012.11.25
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人の孤独利己的な遺伝子は、誰もが持っているが、それは単純なことばでは表現できないものだ。他人のことを理解しているように言っていても、それは皮相的なものでしかない。たとえ親子でも夫婦でも限界はある。個としての生命の生物学的な存在は、そのひとだけの遺伝子由来でもある。 ・常に周囲の環境を観察していなければ生命の危機にもなる。厳しい生存競争の中で活きていかなければならないのは、現代も変わりはない。何故人間は不死ではないのか、かなり前の科学雑誌「ニュートン」の特集記事を読んでいた。図書館からバックナンバーを数冊借りている。今度の「大宇宙」編も詠むつもりでいる。「ニュートン」は、昔からの愛読書でもある。 ・へ2・・・孤立し、孤独に為るなといわれるが、それは難しい注文でもある。群れることで癒される生物もいるが、ヒト脳は、個性があり過ぎる。DNAは、一日数千個の細胞が傷付くと言われている。ミトコンドリアは、生命活動に必要なエネルギーを生み出すと同時に活性酸素をつくりだしDNAに傷をつけてしまうのだ。修復酵素が働かなくなるひとは老化が早まるのだという。
2012.11.24
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ローテンブルクのマルクト広場の市庁舎玄関で、1日午前ツリーに子供たちが飾りを付け始めたので暫く見物していました。広場では、マーケットの準備が始まった所でした。午後からセレモニーがあるとのことでした。こどもたちの可愛らしいこと。見惚れてしまいました。地元のテレビ局らしい人がカメラを回していましたし、親たちもビデオを撮影していました。もみの木を手に取ってみましたが、幹にも毛が生えていて不思議な木でした。何か生気に溢れた木だと思いました。暫く妻とその場を去りがたいような気持ちでいました。大学図書館に返却し、またこの前読みたかった本を借りてきました。・中世の修道制・研究者のための上手なサイエンス・コミュにケーション・耳を啓く時間が経過すると記憶が薄れてしまうので、メモを整理しなければならないし、気合をいれて遣らないとずるずる怠けそうになる。気付けば、もう今年も終わりそうである。
2006.12.09
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<作品>「泥濘」、「路上」・テキストのけい吉・・・第二のけい吉と違う。「いけないことだと思ひながら・・・」で始まっている。・死という現実に驚きたい。・梶井には、妹の死のことが隠されている。・政治と小説とは違う。一言二言では済まない。・カネへの拘り・・・が、TPOで変わっていく。・読者は、クリアーでなければ読めない。・文学は、ことばにならないものを書く。・わからないもの。分からないことが分かればいい。「泥濘」、・影の自分を視る。・自分の気持ちを、「泥濘」という比喩で表現している。・自分の「気持ち」を書きたい。・時間にこだわりをもつ。東京人は、1分間でも遅れるといらいらする。・川端「伊豆の踊子」・・・「ことことと笑ひ続けた。」モチーフが梶井との共通点。「拭われたように」感じる。・気持ちを転換しようとする。・「ドッペルゲンゲル」・・・鏡像現象。同じ自分ではない。二重人格。・胎児が胎内で聞いた母親の心臓の音が、安心させるという。この世に一つしかない音。・鏡を見て、自分の姿をみる。見る自分と、見られる自分のふたりの自分・・・幻覚をみるのが小説家で、それが見られないなら小説家になれない。・「ぼんやり」・・・沢山あるのは何故か?・ぼんやりということばを簡単には作家は使わない。「羅生門」の最後の「ぼんやり」がある。・ぼんやり・・・と生きている。凡人。・ぼんやりは、・・・読者は、ぼんやり読んでいては、その意味がわからない。・作家は、同じ言葉を何度も繰り返さない。(ことばがだれるから・・・)。敢えて使うのは異常である。「泥濘」の、<ぼんやり>が繰り返される。・梶井の「ぼんやり」・・・を理解できないのが普通の感覚。・何かに魅せられている。そういう自分に魅せられるこころがわかるかどうか。・普通にないことを書いている。・どこが異常なのか。・「不快な気分がない」と想像が生まれない。・泥濘の中からイマジネーションが湧いてくる。・「泥濘」、それがなければ、梶井のイマジネーションが生まれないと感じていた。・泥濘の状態は、異常な精神(心理)。・「ぼんやり」の正体を梶井は知ろうとしている。読者は気づかない。・肝心な「ことば」を繰り返すのはタブーとされている。「城の崎にて」と同じ。異常さ。敢えて書いている意味を考えるべき。・「危ないぞ」は、「路上」でも出てくる。・破滅をあらわしている。・作家は、同じことを別の容を書いている。どう表現するか。・梶井は、ドッペルゲンゲルは、「ぼんやり」でない。月光・・・影・・もう一人の自分。・ドッぺルゲンゲルを書こうとしている。ぼんやり・・・気持との転換を求めている。「踊り子」とは違う。・敢えて、結末を冒頭に書く。・ポーの作品。・「ウイリアム・ウイルソン」・はじめはクリアな内容・ぼんやり・見入っている。(凝視(みい)る)・梶井は、瞬間に敏感。わたしたちは鈍感である。感性がある。気づく。・繰り返しに・・・気づくことが、重要。・芭蕉「岩にしみいる」がはいっている。太宰ではない。岩に沁み入っているのは芭蕉。それとおなじ梶井の心情がある。梶井は、葉そのものになっている。・難しい作品で、理解しにくい部分。セザンヌ。・梶井の健康的な部分。・・・と言われる。印象派的・・・セザンヌ。・鏡が怖い。恐怖。詩人の発想。朔太郎「猫町」・ポー「鐘楼の悪魔」・・・闖入者。・二・・・妄想。見てくれたらいいではない。自意識過剰ではない。変な姿を見せたかった。破滅の姿というとらえ方が異常。・他人の死をひとは自分のこととして受け止められない。・ひとは手続きの中に生きている。習慣の中に生きている。破滅。・こけた自分が死である。・・・破滅。・「牛肉と馬鈴薯」・自分の泥沼状態に拘って書いている。そこが異常。不快なことを書いている。まともではない。「路上」・死のこと思っている。・坂道を転げ落ちる。・・・破滅のような。・「泥濘」との関連で見る必要。一体として見る。・梶井の辿り着いた位置までは中々、ふつうは届かない。・梶井のことば「変な気持」(空漠の感、およびそれに対する本能的な抵抗)これが主題です。(近藤直人宛の手紙)・さも関係ないように書いている。「泥濘」「路上」・自分と草 。 ドッペルゲンゲル。自然への同化作用が理解できる。1対1・草が揺れている。自分のこころが揺れている。そのこころがわかるかどうか。感性でわかること。・説明すること・・・難しい。自分と鏡。1対1。自分が草であることが分からないと文学が理解できない。草のようだ。・「泥濘」自分と草の関係が伏線になっている。「路上」自分と影の関係に変わっている。破滅の姿。・「絵」で表現しようとしている。破滅の姿。誰かが見ていて欲しい。という願望がある。死という現実に驚きたい。・「絵」は、自分のこころ・・・気づかせないように書いている。短編が多い理由。狙いは自分の気持ちを書いている。
2012.11.24
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化石にもならない生物 現在の私たち生物は化石には為らない。遺物は残るだろうがソフトの部分は消えてしまう文化がある。どんな人間がどのような暮らしをして、何を考えていたのだろうか。おそらく日本人の文化も数百年もしたら解らない。千年続いた文化も消えた文化は多い。名を残した人が歴史として語られるが、それがどこまで真実だろうか。日本史の通説さえない。 ・庶民の歴史も無視されてきた。一次史料が少ない。ああだろうこうだろうでしかない物語が繰り返されている。無知と貧困のままで21世紀も終わるのだろうか。憧れていた21世紀は、もう12年も終わりに近い。墓穴を掘るようなことしかできないのだろうか。民族が滅ぶというのは、戦争か突然のアクシデントだろうか。それとも微温湯に浸かったままじわじわいくのだろうか。 ・へ2・・・地球の誕生も偶然の為せることらしい。今日のオーストラリアの皆既日蝕も誰が仕組んだ話ではない。江戸時代には日本人はどれくらいいたのだろうか。それこそ精確な人口調査をしたわけではないし、現在の1億27百万人の人口は減少を始めている。あると思っているものが消えて無くなってしまうのは長い先のことではない、直ぐに消える。1億分の1秒を考えると、いまはない。すべては過去を見ている。
2012.11.14
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左利きは、5%~8%。人類はじまって以来比率は変らない。右利きは左脳の優位と密接に関係している。左利きの人も70%は、左脳が言語活動をしている。残りの30%は左右両方の半球で言語処理をしているようだ。昔は、左利きは病人扱いされたりした。差別する言語も残っている。「ゴーシュ」「シニストロ」など、不器用な、不吉なという意味もある。 聖書でも左手は邪険に扱われてもいる。(マタイ伝の福音書)この世に生まれてくる時には、既に利き手決まっている。妊娠15週目で殆どの胎児は右手の親指を吸っている。左利きについては遺伝だとする考えと胎児期に何らかのごく軽い脳損傷が関与しているのではないかとの考えがある。 ニューロンのアポトーシスがうまくいかなかったか、或いは一部のニューロンが適切な位置にたどりつかなかった所為かも知れない。 双子の20%とは、左利きで全体の割合より高いため、単生児の左利きは、双子の生き残りという研究者もいる。子宮内の限られた資源を争い、子宮損傷の所為で、左右の優位が入れ替わったのではないかという。 ブリッテッシュコロンビア大の心理学者スタンリー・コーレンは、左利きの平均寿命は右利きより9年も短いと主張している。もしこれが正しければ、喘息、内臓疾患、甲状腺障害、近視、失読症、片頭痛、吃音、アレルギーといった発達異常、免疫系異常と左利きが関係していることになるという。(by リタ・カーター)左利きのなぞは深まるばかりだ。
2010.03.25
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カササギ ・人と人との信頼関係が希薄になってきただろうか。それを疑うような人間の行いが増えたようだ。勿論そうなる原因はあるのだろう。本来は動物は知らないものを恐れる本能があるらしい。ひとの子も、母の愛情によって、相手に心を開くようになるのであり、その幼児体験が人間全体への信頼のベースにあるといわれる。 ・へ2・・・親の子に対する投資が膨大であり、しかも潤沢であることがその子の人格をも形成していくのであり、親の投資のない子が如何に過酷なものになるのかは誰でも知っていることだ。赤子のどんな要求でも受け入れてくれる母の存在がなければ、相手を恐れ拒絶するという本能を、信頼へかえることは誰にもできない。母のこの努力こそが人間を人間らしさに誘うのであろう。もしそのプロセスがなかったら、今日の人間社会の存在はなかったのだろう。 ・人類は、いま地球という環境の中でニッチを得た存在であるが、それは奇跡に彩られてもいる。ただその栄光の中に破滅への可能性をも内包しているのであり、それは常に背後から種としてのヒトのニッチを奪おうとしているだろう。ひとがひととして存在するためにはひととしての形質を豊かに持っていなければならないだろう。それは、どれだけ人間社会が科学文明を進化させても、子育てという悪戦苦闘の時代が必要だという。 ・へ2・・・犯罪者の人格の欠如は多くはその4歳くらいまでの幼児体験に親の愛情を得られず人格破たんしたものが多いといわれる。極刑に慎重になるのは、犯罪者の犯罪に至る原因が幼児体験に根ざしていることが多いからでもある。育った環境は、社会の責任でもあるからだ。もし、経済性だけを重視して、処罰だけを厳しくしても犯罪は増えるだけだろう。そしてやがて、その補てんの努力をを誤れば、人間社会の大きな傷にもなるに違いない。人と人とのつながりを持てない人間がこの社会に増殖し、動物社会に変貌して行くに違いない。 ・何故、人間が他人を信頼することができるのかは、人類にとって小さい問題ではない。 ・へ2・・・人格形成を無視した政治、経済政策はとるべきではない。だが予断を許さないのは、ややもすれば経済至上主義によって、人の信頼関係が揺らぎ始めていることだろう。もう釣瓶落としが始まったようだ。
2019.08.29
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