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仁に過れば弱くなる 義に過れば固くなる礼に過れば諂(へつら)いとなる智に過れば嘘をつく信に過れば損をする気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇(おいとま)申するがよし。伊達政宗 五常訓 (「貞山政宗公遺訓」または「仙台黄門政宗卿遺訓」)独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)でもみた覚えがある。ただ、伊達氏に関する記録文書のどれにも、根拠となるものが見当たらないらしく、政宗本人の作ではないというのが定説らしい。(宮城県図書館レファレンス事例集)本人のものではないとしてもこの言葉はやはり素晴らしい。前半が仁・義・礼・智・信の五常の徳について中庸を説いている。夏目漱石の有名な言葉を思い出させるリズム。(智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。)先の大河ドラマでは、二代将軍秀忠に対し、柳生宗矩が将軍の心得を「仁・義・礼・智・信」の五常の徳を説いたのを受けそれを一歩進めて冒頭のように答えた。ちなみに孔子の教えにある仁・義・礼・智・信の徳目を五常という。 世界大百科事典(平凡社)によれば、『孔子の教えの根本をなす<仁>、孟子が仁とともに強調した<義>、 荀子がとくに重視した<礼>に、<智>と<信>の徳を加えて五常という。』と説明されている。これらの徳は確かに重要なものであるが、その論語自体にも「過ぎたるは猶及ばざるが如し。」となっているように、何でも程度の問題である。後半は倹約のすすめ。倹約の仕方は不自由を忍ぶにありこれは的を得ているだけでなく、表現が素敵でいいですね!けれども、その後に続く言葉は人生を楽しく過ごしていく秘訣ともいえるものだ。この世に客に来たと思えば何の苦もなし。自分を主人公と考えずに、この世に客にきた、と考えれば苦しみがないという。本当に自分が客の立場なら、この飯はまずくて食えない、などとは言わないだろう。 そういう気持でこの世に対していけば、不平もなく、安らかに生きていくことが出来る。 もっというと、人は物事を判断する時、判断は大袈裟だとしても、様々なことに当たっては主観をもって感じていく、それを止めて文字通り客の目で見ろと言っているのではないか。これはつまり客観となる。客観の本来の意味は案外こういうことかもしれないと思ってしまう。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべしも結婚式のスピーチにはちょうどいい。笑この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
2010.07.25
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なぜ 逃げる 一護前を向け 一護今のお前になら 聞こえる筈だお前の耳を 塞いでいるのは取るに足らぬ 恐怖心敵は一人 お前も一人何を畏れる ことがある?恐怖を捨てろ 前を見ろ進め 決して 立ち止まるな退けば 老いるぞ 臆せば 死ぬぞ!斬魄刀『斬月』『BLEACH』(ブリーチ)久保帯人 週刊少年ジャンプ 8巻 ひょんな出来事から悪霊・虚(ホロウ)の退治者(死神)になってしまった高校生、黒崎一護とその仲間達の活躍を描く。累計発行部数は6000万部を突破した(2009年10月現在)。このセリフ。しゃべってるのは刀の精(?)笑主人公はじめ死神が持っている武器・斬魄刀には個性があり、人格がある。この武器と扱う人間ではない・・・死神が協力することで、大きな力を発揮することができる。主人公が持つ斬魄刀は『斬月』という名で、パートナーとして一緒に戦うことになる。主人公の力ではとても太刀打ちできない敵と戦う為、レベルアップを目指す主人公が、先生的なキャラに真剣勝負を通しての修行を強制されて、逃げ惑っている場面。斬魄刀『斬月』(おっさんキャラ)が逃げ回る主人公を諭して言うのが冒頭の言葉。漫画のような命を失う恐れがある状況は考えられないが、私たちの日常でも恐怖はいろんな場面で、頭をもたげる。その恐怖を捨てろ!というのは結構使える。何を畏れる ことがある?恐怖を捨てろ 前を見ろ進め 決して 立ち止まるな退けば 老いるぞ 臆せば 死ぬぞ!退くとは逃げること。そうすると言い訳を考えることに一生懸命になってしまう。なんとなくこの老いるという表現がしっくりする。そして臆せば死ぬ。怖がっていてばかりだと死んだも同然じゃないか。退けば老いるぞ 臆せば死ぬぞ老いるのもイヤだ!死ぬのも真っ平御免!じゃぁ、どうする!!
2010.07.24
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我々は、どちらかといえば、幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせる為に四苦八苦しているのである。ラ・ロシュフコーラ・ロシュフコーは17世紀のフランス貴族、モラリスト文学者。『箴言集(しんげんしゅう)』で有名。人の目に映る自分を気にし過ぎて、本来の自分から外れてしまっていることがよくある。例えば自動車。ある程度以上の収入になると、メルセデスやアウディに乗る人が多い。全く車に興味がなくてもそうなってくるようだ。その上、その車のローンを結構負担に感じている事も多いようだ。その職業では同レベルの収入を得ている者が多く、その社会の一員としての証明のためだけにその車に乗っているのだとしたら、全く意味がないのではないか?!ラ・ロシュフコーはこうも言っている。 ありのままの自分を見せるほうが、ありもしないものに自分を見せかけるようとするよりも、本当は得になるはずなのだ。 見せかけを素晴らしく見せるよりも、ありのままの自分を充実させる方が大事だし、素直に振舞う方が自然で、楽。
2010.07.19
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思へばこの世は常の住み家にあらず草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、滅せぬもののあるべきかこれを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ一部だけ意訳してみるとこんな感じ。人間の定命(じょうみょう/寿命)は五十年。「化天」(「下天」)に比べ、夢や幻のように儚いものであるこの世に生まれて滅びぬ者などいようか(いるはずがない)これは仏の意思だということは分かっている、しかし悔しい成り行きだ「人間五十年」の人間は(じんかん)と読む。 「化天」は、六欲天の第五位の世化楽天で、一昼夜は人間界の800年。帝釈天のいる場所。 『信長公記』では「下天」とされているが、「下天」は、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年。 持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所。織田信長が特に好んで演じた幸若舞「敦盛」の一節。桶狭間の戦い出陣前や本能寺で自刃前に舞ったとされることで有名。あれは「能」だと思い込んでいたのですが幸若舞とのこと。能にはこの一節は無いらしい。?幸若舞(こうわかまい)は、室町時代に流行した語りを伴う曲舞(くせまい)の一種。創始者の幼名を幸若丸といったことがこの名の由来。幸若舞『敦盛』全文『信長公記』での記述はこうなっている。此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて卸出陣なさる。『信長公記』「敦盛」のこの一節を謡い舞い、法螺貝を吹け、具足をよこせとおっしゃって、具足を着け、立ったままご飯を食したあと甲冑を着けて出陣した。たったままメシをかっくらったというのが、イメージ通りの信長。舞を舞い、謡う。その後の指示・動作のあわただしさ。静と動の対比がスゴイですね。人間の命の儚さを歌っているこの曲目、戦いの前に舞うにしてはどうも勇ましくない。信長は、どうせ人間の命など儚いものなのだと自分に言い聞かせていたのではないか。あらかじめ命を惜しむ心を捨てて、死んで元々という境地に達することで、大軍に対し冷静に軍略を練り、挑み掛かっていったのではないか。 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ 空也上人絵詞伝命を捨てる覚悟ができれば急流でも身体が浮かぶものだという意味で、一身を犠牲にする覚悟があって初めて、活路を見出し、ものごとを成し遂げることが出来る。 ※末(さき)、橡殻(とちがら)一世一代の大勝負の前と死を覚悟した時に同じこの曲目を演じたというのは、ある種感慨が沸いてくる。私もそろそろ40代の後半orzボサッと過ごしてる暇は無い。夢、幻と散ってしまう前にやりたいことはやってしまおう!
2010.07.14
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昨日の選挙を見ていて、ふと思い出した言葉がある。みんなの党が一定の議席を確保し、第三局としてキャスティングボードを握った。それをどうこう言うつもりもないし、当事者は嬉しくて当たり前。ただ、渡辺喜美代表のはしゃぎぶりは引いた。政界では若さを売り物にできるのかもしれないが、いい年したジジイでしょ。Wピースまでするか?!それに対し、大量得票を獲得して当選の蓮舫さんの態度はさっぱりしていた。ま、民主が負けてはしゃげないという事もあっただろうが、6年前に当選した時も淡々としていたように思う。(蓮舫さんに対しても、国会議員のくせに芸名のままでおかしいとか、 言いたいことはあるのですが・・・)こういう時こそその人の質が分かるような氣がする。 六然訓 『聴松堂語鏡』崔銑自處超然(ちょうぜん) 處人藹然(あいぜん) 有事斬然(ざんぜん) 無事澄然(ちょうぜん) 得意澹然(たんぜん) 失意泰然(たいぜん) ※「得意淡然」と表現される事もあります。 ※處は処としてるものも※崔銑(さいせん)が本名で、別に崔後渠(さいこうきょ)という異名もある。「明」の人。自ら処すること超然 (事に臨んで自分に関する問題には、一切囚われない。) 人に処すること藹然 (あいぜん) (藹は春の草木が青々と繁っている状態を表している。つまり、人に接するときは、 春山に霞がかかっているようなのんびりした雰囲気でいること。) 有事の時には斬然 (ざんぜん) (何か問題があるときには、きびきびと取り組む。) 無事の時には澄然 (ちょうぜん) (何も問題がないときは、水のように澄み切っている。) 得意の時には澹然 (たんぜん) (得意のときには、あっさりとしている。) 失意の時には泰然 (たいぜん) (失意のときには、逆にゆったりと構えている。) ※訳は神渡良平氏の「安岡正篤 人生を拓く」によるもの。私がこの言葉を知ったのは安岡正篤氏の著作や神渡良平氏による安岡氏の評伝から、幕末の勝海舟もこの言葉がお気に入りでよく書にしていた。日々心に刻む、座右の銘。
2010.07.12
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明日ありと思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞※徒桜 ・・・あだざくら 散りやすい桜の花。はかないもののたとえ。※夜半 ・・・ よわ と読むらしい明日桜を見ようと思っていたけれど、夜中に嵐が吹いて散ってしまうかもしれない。明日を当てにして今を疎かにしていると、せっかくの機会を逃してしまう。今できることは即座に、今すぐやってしまえということ。 親鸞については、今さら説明するまでもないが、簡単にいうと、鎌倉時代初期の僧。浄土宗の法然の弟子。後に浄土真宗の宗祖となる。この歌は親鸞が7歳の折に歌ったと伝えられている。 今でいうと小学校2年生!畏れ入るしかない。親鸞上人と違い、小人というか一般人の私は、まっいいかと、明日に延ばしてしまうことがたまにある。これはまずい!明日はどうなるかわからないのに、それを頼みにしていてはいけない今日できる事は、今日やってしまうようにするべし。そうでなければ、死はすぐにやってくる。つひに行く 道とはかねて 聞きしかど きのふけふとは 思はざりしを在原業平 辞世の歌「古今集」(「伊勢物語」125段にもあり。)※きのふけふとは ・・・ 昨日今日とは最後には行く道だと、前から聞いてはいたが、昨日今日というような差し迫ったこととは、思ってもみなかった。ということになってしまってからでは遅い。今を精一杯生きるしかない。在原業平 ・・・(ありわら の なりひら)歌人、六歌仙・三十六歌仙の一人。『伊勢物語』の主人公とみなされている。史書『日本三代実録』には「体貌閑麗、放縦不拘」とあって、当時から奔放な行状の美丈夫として世に聞こえていた。この時世の句は、死を目前にした時の心持ちが素直に歌われていて、とても好きな歌ではあるのですがね。
2010.07.11
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不安は何も書かれずにただ上に穴だけ開いた箱中身が何か分からなくて誰も自分の手を入れられない“噛みつかれたらどうしよう?”不安のない未来を誰も望むけど乗り越えられたその分だけ不安は僕らを強く賢くするまるで神様の通信教育そう不安のない未来なんてない不安の中にこそ未来があるから不安の中に手を突っ込んで僕は未来を掴み出すのさ例え噛みついてきたとしてもその手を離さず掴み出して噛みついたりしないカワイイ未来に変えてやる道ばたのあちこちで死んだ人が転がっていた頃のこの国で誰かが恐れずに不安から掴み出した未来に僕らは今立っている“それにくらべりゃここは天国だ”先行き不安んなこの国では子供は持てないというのなら人類は平成までで終わり地球はまさに野生の王国全て用意された未来なんてない不安の中にこそ未来があるから不安の中に手を突っ込んで君も未来を掴み出すのさ腕に抱かれて眠っている生まれたばかりの赤ん坊にあげたいと思う未来を描いて掴み出せYo're gonna make it happen!!不安の中に手を突っ込んで僕は未来を掴み出すのさ例え噛みついてきたとしてもその手を離さず掴み出して噛みついたりしないカワイイ未来に変えてやる作詞・作曲:槇原敬之オリジナルALBUMとしては1年7ヶ月ぶりの新作。 「ムゲンノカナタヘ~To infinity and beyond~」("世界ふしぎ発見!"EDテーマ/BeeTVドラマ『30ハケン女が就職する方法』主題歌)他、全10曲収録。不安は誰でもある。それを乗り越えるのか、ビビッて後ずさりするのか?全て用意された未来なんてない不安の中にこそ未来があるから不安の先にしか未来はない!本当にその通りだ!居心地のいいところで惰眠を貪っていては先はない。どこかで挑戦してこそ世界が拓ける。不安の中に手を突っ込んで僕は未来を掴み出すのさ例え噛みついてきたとしてもその手を離さず掴み出して噛みついたりしないカワイイ未来に変えてやる挑戦していきましょう!未来を従えていきましょう!!
2010.07.10
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もし お前が(他人に)決められた道を歩かされてるんだと思ってんならちがうってことだけ 言っときたくてな道は歩いたあとにできるもんだ踏みしめられた土が堅くなり跡と残って道に成る自分の歩く道をつくれんのは自分だけだ歩け独りでまだ諦めてないんならクロス・マリアン元帥『D.Gray-man』(ディーグレイマン)星野桂『週刊少年ジャンプ』(集英社)現在は『ジャンプスクエア』連載の漫画。累計発行部数は1800万部突破のヒット作。仮想19世紀末の世界を舞台としている。あらすじ「機械」「魂」「悲劇」を材料に造り出される悲しき悪性兵器「AKUMA(アクマ)」。AKUMAの製造者で世界終焉への計画を進める「千年伯爵」。そして、唯一AKUMAを破壊できる神の結晶「イノセンス」に選ばれた存在である、「エクソシスト」達。主人公・「アレン・ウォーカー」もその一人。アレンは世界とAKUMAに縛られた魂を救うべく、仲間と共に長く険しい戦いに身を投じていく……。D.Gray-man複雑な主人公の生立ちの中で信頼していた養父と師匠。養父の思惑で自分の中に別の人格(?)が入れられている事が判明。師匠もこの事実を知っていて利用しようとしていた。その直後に師匠であるクロス元帥が血まみれの現場を残し消息を絶つ。致死量の血液が残されていて死んだ可能性が高い。その師匠から主人公アレンへの手紙(あれ、テープ?)が届く。その遺書のような手紙が冒頭の文。(ま、死んではいないでしょうね。たぶん♪ 漫画だし・・・笑)今までの自分の戦いや決断等が、別人格が考えたり思ったりしたことなのか、決断したのは本当に自分なのかを悩んでる主人公への手紙という状況。普通に生きている私達は、無意識の内に他人にコントロールされることはまず無いだろう。それにしても、一つ一つの行動が人のためにやってる様な意識に囚われることがある。若い人なら進路。社会人でもキャリアなどがある。それが他者の思惑通りだと反発する。お父さん・お母さんになってしまうと、自分が家族の為に知らず知らず我慢させられていると感じる人も多いようだ。そういった事柄を、親や教師、上司や組織あるいは顧客、子供や嫁or夫、etcの所為にするの?誰かの所為にしても、歩いたその道は 「あなた」 が歩いた道。自分の歩く道をつくれんのは自分だけだ歩け 独りでcf.漫画の科白なので細切れで申し訳ないですが、雰囲気を残す為そのままにしました。
2010.07.06
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