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2008.05.30
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カテゴリ: 健康・生活
読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日本人」で、

信じていない人が72%に上ることがわかった。

ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、
「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、
「薄い」とは思わない人が49%と見方が大きく割れた。
また、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、
「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めた。

多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切に考える傾向が強いようだ。 


札幌市内にある中島公園は自宅から歩いて15分ぐらいのところにあり、札幌護国神社が隣接していることもあり、私の散歩道になっています。
これを抜けていきますと「すすきの」に入ります。

園内を行きますと、必ず「札幌市からのお知らせです。公園内では、条例により、犬の放し飼いが禁止されています」との騒音が入ってきます。

「そうなのか、犬は野放し、放し飼いが禁止されているのか。
それでは、人間、特に西洋人はどうなの?
西洋人は、野放し、放し飼いが禁止されている状態じゃないの」

「牢獄に閉じ込められているよ」
「宗教」という「牢獄」に。
                     ☆    

紀元前12世紀、今から約3200年前に書かれた、世界最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」の主題は「森の神・フンババ」殺しです。

ギルガメシュ王は、紀元前26世紀頃の南部メソポタミアにあった都市国家ウルクの実在の王です。


「この森を破壊し、ウルクの町を立派にすることが、人間の幸福になる」と確信し、伐採を始め、これに立ちはだかる「森の神・フンババ」を殺してしまいます。

この叙事詩が語っているのは、遅くても紀元前26世紀、つまり、今から約4600年前から「神殺し」が始まり「一神教」の時代に入っていたという事実です。

    参考図書:「森を守る文明 支配する文明」(PHP新書 安田喜憲著)      
一方、日本では「神殺し」などあるはずもなく、今日まで「森の神を始めとする八百万の神」を信仰しています。
これこそ、真の日本人です。


しかし、私は、これを「宗教」とは思っておりません。
生活習慣として「先祖を敬う気持ちを持ってい」ますので、「仏の道」に精進しているだけです。

更に言いますと、私は「曹洞宗」にはあまり興味がなく、この開山である道元禅師に強く惹かれています。
もっと若かりし頃、私は東京・神田で雑誌の編集という生業をしておりました。
このとき、今から32年前、朝日カルチャーセンターで「道元を読む」という講座に参加しました。
講師は森本和夫先生。

講座の内容は同禅師の「正法眼蔵」の解読でした。
とんかく難解でした。何も覚えていません。
一つだけ覚えているのは、森本先生が言った次のような発言です。
「これからは、正法眼蔵を読むために、日本語を習得する外国人が増えて行くだろう」

「日本語を習得」したはずの現在の私でも、「正法眼蔵」は解読不可能です。
しかし、この書は、日本が世界に誇るべき「哲学の書」であることは、声を出して読み上げますと納得できます。

「いたずらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。
たとい百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、
一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。
この一日の身命は、たふとぶべき身命なり、たふとぶべき形骸なり」

       岩波書店 日本思想体系「道元 上巻」の「正法眼蔵 行持」から引用

ここにある「声色」は「般若心経」にもあります「無 色・声・香・味・触・法」の「六境」です。
この「六個の欲」を制御すべき人間が、欲の奴隷となっている状態が「声色の奴婢と馳走す」です。
飽食下の現代日本人への警鐘でもあります。
「政治家は絶滅種」で「商人」だけになってしました「世界」への警告でもあります。

さて「神殺し」から始まった西洋の「一神教」は、「Religion」と呼ばれ、これが明治になって日本に侵入し「宗教」と偽訳されました。

本来「Religion」とは、 Re (再び) ligion(一体になる)という「ラテン語」です。

従来、洋の東西を問わず、人間は神と一体でした。
しかし、アダムとイブが、「悪魔」(蛇)に誘惑されて、神から離れ、神に背き、禁断の木の実を食べたのが原罪です。

この原罪を犯し、彼らは神から離れてしまったため「エデンの園」から追放されました。

つまり、原罪を犯し、一体であるべき神から離れてしまった人間が、再び、神と一体になるために必要なのが「Religion」(日本語訳の「宗教」)です。

日本人の祖先も我々も「原罪」を犯してはいません。
犯していない日本人に「牢獄」「宗教」は無用です。

日本の「神道」や「仏教」は、江戸時代までは「天然の教え」「信仰」「仏の教え」と呼ばれていて自然な日常生活に密着した「習慣」「習俗」そのものでした。

それが、明治になって侵入してきた「一神教である宗教」の範疇に強制的に入れられてしまいました。
つまり、原罪を犯していない日本人には「随神の道」「神道」「自然の教え」や「仏の道」「お釈迦様の教え」だけで充分であり、「宗教」と言う名の「牢獄」など必要ないのです。

そもそも、私たち日本人には、「牢獄」を支配管理している「悪魔」という概念が、希薄です。
「神」と一体である日本人には「悪魔」が入り込む隙がありません。

しかし、1549年、以後よろしく、フランシスコ・ザビエル日本上陸以来、「悪魔」が侵入し「宣戦布告」を告げました。
この戦いに、日本人は、後退を余儀なくされていました。
そして、遂に1945年9月2日、日本は「降伏文書」に署名し、敗戦となり、全面被征服への坂道を転げ落ちることとなりました。

一方、西洋では、「森の神・フンババ殺し」から、人間は「神」と離れ、「原罪」を犯して「悪魔」に執り付かれてしまい、「牢獄」に彷徨い込んでしまいました。

この「宗教」は「一神教」ですから、異なった「宗教」の信徒を排斥します。
西洋の歴史は、「悪魔」と「神」との戦いの歴史であり、「悪魔」が勝利してからは、「宗教」の名の下に実行された「排斥」つまり「大量殺戮」の記録に過ぎません。
「牢獄内での殺し合い」の連続が西洋史です。
そして「悪魔」に魅了されてしまった者こそ「弱肉強食」の「勝者」ではあります。

本来、日本人は、このような歴史とは無縁であります。
我々、本来の日本人は、今でも「八百万の神」と一体です。







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Last updated  2008.05.30 23:08:54
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