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始まりは帯状疱疹だった。おでこに2つおできができたと思ったら数日うちにみるみる瞼まで広がった。同時に発熱。受診して処方された薬でさらに熱が上がり、薬が合わないのでは?と翌日再受診して入院となった。それが土曜日。ドクターの治療計画書には「1週間の入院」とあり、私たちもそのつもりだった。点滴で日曜には一旦熱は下がり、返事もして、少しおしゃべりもした。私たちが帰るときには「おやすみ」も言った。なのに、月曜日の夕方、また熱が上がった。「帯状疱疹ができるくらい免疫力が落ちているので どんな細菌に感染してもおかしくない状態」とドクター。それでも日をまたぐ頃には熱が下がり、個室が空いてなく大部屋だったこともあって私たちは後ろ髪を引かれながら帰宅した。その数時間後の18日午前4時半ごろ病院からの急変を告げる電話。私たちが駆けつけるのを待ってバァは逝ってしまった。私たちを置いて。どう考えたらいいのかわからない。バァのいない毎日は考えられない。でもバァがいない。どうしてなのかわからない。バァとの5年余りの思い出が押し寄せてくる。もっとしてあげられることがあったのではないか、どうして逝ってしまったのか、ダーリンと2人で堂々巡りを繰り返している。この悲しみが癒える日がくるのだろうか。こうして書いているうちに気がついた。悲しいでいっぱいになっていてまだバァに言ってなかったね。バァ、私たちに幸せをくれてありがとう。
Sep 22, 2012
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お盆前後の9日間。通常の仕事が休みの私は、バァの涼しい部屋で、パソコンに向かう内職仕事をしながらゆったりとバァと過ごす予定だった。前半の3日は来客が何組かあり 、バァは波がありつつも、比較的反応よく、みんなに手を振った。しっかりと返答する日も。おかしい、と思い始めたのは14日のこと。その前数日はとにかく痰が多かったが、その痰がとれにくくなってきた。痰が減ったのとはちょっと違う違和感。そうこうしていたら概ね98をキープしていた血中酸素濃度がどんどん下がりはじめた。80を切って70台に。取っても痰が取れない。痰がたまったシグナルの「ゴロゴロ」もない。慌ててダーリンを呼ぶ。バァを右に向けたり左に向けたりして背中をトントンとタッピング。痰を動かすため。しばらく悪戦苦闘していたらバァが「ゴホッ」となった。そのチャンスに吸引。ズズッ、ズズッと、粘い痰が引ける。粘い、まるで青鼻みたいな感じ。こんな痰は初めて。青鼻…そこでハタと気付いた。もしかして風邪?バァの部屋は24時間エアコンで温度と湿度にあまり変化がないようにしている。私の体感温度よりは高めに調整はしているがそれでも寒かったのか?粘い痰のあと、酸素濃度は通常に戻ったが翌日も粘い痰がでて、さらに翌日の16日、とうとう熱を出した。7度台なので肺炎ではなさそう。小児用液状風邪薬を10mlポカリスエットに混ぜて注入。すると汗をびっしょりかいて熱は次第に治まった。が、翌17日も発熱。7度5分までの微熱が続く。幸い、脈も酸素濃度も血圧も安定している。それでも4日目に突入した18日には以前からお世話になっている内科医院の先生に往診点滴をお願いした。点滴後は少しずつ熱も収まり19日の朝には6度台に。このまま収束かとホッとした矢先、午後からまた発熱。頭や額、脇と冷やして徐々に熱が下がってきたものの明日は病院に行くべきか、と迷っていたところちょっと目を離した隙になんと、バァは鼻の管を自ら抜いてしまった。またしてもそして今日。入院していた病院で受診。レントゲン、血液検査で、少しだけ炎症反応が認められた。肺炎になりかけ、という軽症なので自宅で抗生剤を投与することになった。管を抜いて受診が必至となってかえってよかった。微熱でも続くときは怪しいと思うべし。「気をつけていても少しずつは 誤嚥もしてるんですね、難しいですね」そう言った私たちにドクターは言った。「在宅でこんなにいい状態を保っている方が 信じられないくらいです」在宅だからこそ、細やかなフォローをしているとは思わないらしい。夕べは私もあまり寝ていないがバァもずっと目をぱっちり開けていた。今日はゆっくり眠れるといい。抗菌作用もあり、呼吸器にもよいというユーカリのアロマオイルがバァの部屋を潤している。なかなか落ち着く香り。うとうとしているバァの体勢を変えるとパチッと目を開けてバァが言った。「外は暑いどー!」病院への往復で夏を感じた印象が大きかったよう。
Aug 20, 2012
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バァが退院して1ヶ月が過ぎた。なんともめまぐるしい毎日だがバァが落ち着いているのがなにより。毎日15回ほどつけているバイタルデータのお陰でようやくペースがつかめてきた。バァはちょっとしたことで変調するが気を付けなければならないのは、栄養の量とスピード。多くてもいけない、速くてもいけない。とにかくゆっくりと6回栄養を入れる。そうすると、朝イチは6時ごろ。「お前にダイエットと早起きはムリ」そう断言するダーリンが早起きを買って出てくれることに。晩御飯は毎日10時頃のダーリンに早起きをお願いするのはかなり申し訳ないがここはお言葉に甘えよう。そうして、ここ1週間は、バァは熱も出ず、脈拍も100を越えていない。たまに痰はゴロゴロ絡むがちょっと取ったら落ち着く程度。表情も安定している。よっぽど調子のいい日は椅子に座らせてもみるがこれはまだ結構体に負担がかかるよう。よくしゃべる日とまったくしゃべらない日、極端に差があるが、バァが一言発するたびにテンションがググッと上がる。舌っ足らずな感じもカワイイダーリンが栄養の準備をしていると「まだか?」と言ったという。空腹感?私が「栄養入れるね」声をかけると「早ようせいよ」そう言う。やはり、空腹感はある?私たちの言うことは本当によく聞く。痰を取るのも口の掃除も嫌がらない。エライ先週、遅ればせながら何度もお見舞いに来てくれたバァのお気に入りYちゃんと快気祝いをした。バァが食べられないのがなんとも残念。お祝いにとYちゃんがくれたカワイイものたちのうち、特にお気に召したのは、パンダ。ほどよく握りやすい感じもいいよう。とにかく毎日握っている。ウチのパンダ(?)がパンダを愛でる様子、4連発。
Jul 26, 2012
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「38.4」目を疑った。そして、疑問符。どうして退院後6日目の昨日、土曜日のこと。午後から特に、痰がひどかった。2度3度と吸引するも結構の量の痰が取れる。心拍数も高い。そして日が暮れた頃からバァの息が荒くなってきた。熱は測るたびにあがる。そしてついに8時頃「38.4」の数字。どうして何が悪かったの?退院前も退院してからも7度ちょっとの熱はあった。でも8度を超えたのは5月半ば以来。あれは肺炎の悪化だった。肺炎 肺炎 肺炎・・・・頭の中でグルグル回る。やっと退院して、まだ1週間。いったい何が悪かったのか?バァが調子が悪くなるのはたいていいつも週末か祭日。本当に間が悪い。救急病院を調べてみると土曜も日曜もかかりつけ医ではない。どうするべき?アイスノンを頭の下に、熱が高いので保冷剤をタオルにくるんで両脇も冷やす。15分おきに熱を測りながらベッドの横でダーリンと2人してハラハラ、落ち着かず「ちょっと様子を見て 熱が下がらないようなら救急に行こう」ダーリンはバァの手を握り「気」を送っている。そして1時間後の9時、ダーリンの「気」が効いたのかバァの熱は7度9分に下がった。さらには12時半には7度2分まで下がった。それでも油断はできない。結局2人ともウトウトしながらも朝までバァの部屋で過ごす。明けて今日、日曜日の朝イチには熱は6度7分まで下がった。よかった、入院しなくてすみそう。それにしても8度超えの高熱、何か原因があるはず。その究明をして対策をせねば。さすが理系のダーリン。私のように直感では動いていない。栄養のことや気づいたこと、1日に何度か測る、血中酸素濃度、脈、熱、血圧などを書き込んでいる用紙とにらめってこしている。退院後、バァの栄養は5回に分けて合計850ml入れることになっていた。200mlが3回と合間で100mlと150ml。その5回それぞれの後には、胃からの逆流を防ぐため、1時間程度座位のままにしている。となると、朝7時前に起こしてから私が仕事に出かける10時までに200と100ml入れようとするとその時間ずっと起きっぱなしになる。そしてそれがバァにはしんどそう。そこで3日目の水曜日からは、朝の栄養を300mlにして、ゆっくりと落とし、起きている時間が2時間ちょっとですむようにした。「これがよくなかったのでは? 朝が300mlになってから痰の量が増えてないか?」あぁ、そういえば・・・。「しかも、昨日は1日中心拍数が高い。 だいたい心拍数は栄養を入れた後には必ず上がる。 栄養を入れる前に心拍数が100を超えているようなときに 栄養を入れたら余計負担になるんじゃないか?」あぁ、なるほど・・・。そして栄養の量と回数の見直しがなされた。1回の栄養は150mlで回数は6回。時間は栄養に30分、座位45分、心拍数が100を超えているときは栄養を入れない。さっそく、今日からそれで実行。果たして、バァの痰の量は格段に減った。ほとんどゴロゴロ言わなくなったと言ってもいい。しかも、食後に上がる心拍数の上がり幅が減った。ダーリン、お見事これで1日のスケジュール表を作成してみる。おぉ、芸能人並みの分刻みぶり。1日6回はたいへんかも。でもバァの体調管理にはかえられない。よし、これで行ってみよう栄養中に管を抜いてしまわないよう手につけるミトンも夏仕様に。バァの部屋は常時ドライを入れている。それでもエアマットの素材のせいか今日も2回着替えさせるほど背中にびっしょり汗をかく。汗対策も考えないと。バァは赤ちゃん並み。その体調管理はすべて私たちにかかっている。心拍数が落ち着いた状態で過ごした今日は穏やかで、しっかりした表情でテレビを見ている。「バァ、テレビ見よるん?」声をかけると、私の方を向いてニッコリした。ニッコリ確か入院中、一度だけそんな顔をした。それ以来、つまり、今年2度目のニッコリかもしれない。急いでダーリンを呼ぶ。バァのニッコリを見て、言うまでもなく、ダーリンは破顔一笑。今日はいい日だ、と何度も言った。
Jul 1, 2012
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人には刺激が必要。そう改めて感じている。退院してまだ4日めだが、バァの様子は明らかに違っている。まず、表情がはっきりしてきた。言葉数は少ないものの意思表示など反応もよい。栄養を入れた後は心拍数も上がり少々ぐったり感はあるが、それでも水戸黄門に目を向けたり庭を見たり、手を動かしたり、と「動き」がある。退院後2日目の火曜日の夜のこと、その日5回目の栄養を入れようと、点滴様の調整弁のローラーで栄養を落とす速さを調整しようとしても、それがまったく落ちない。うん??まったく何が起きたかもわからない。壊れた?まずそれを疑ったが、バァの管から外すとポタポタと落ちる。それではバァの管の問題?栄養を入れる前には、胃に管があるかどうか毎回空気を入れて聴診器で確認するが、そのときはちゃんと胃で「ゴボッ」と音がした。でもどうやら栄養は入っていかない。すぐに病院に電話で確認。指示に従って針なし注射器で空気を入れてみる。今度は抵抗があって全然入らない。「引いてみてください」それも無理。「詰まったのかもしれないですね。 とりあえず、今日4回は入っているので そのままにして、明朝受診してください」とのこと。退院後3日目ではや、病院へ行くことになった。ダーリンの車にバァを乗せて病院へ。正直、車椅子に座っていられるかどうかが心配。ところが私の心配をよそにバァは車椅子に座ったまま、たくさんの人を久々に見た、という顔で行き交う人をキョロキョロ観察。しかも顔見知りの病棟の看護師さんに3人ほど会ってちょっとお辞儀したり、指先だけで手を振ったり、なかなかの反応。ダーリンが朝イチで順番をとってくれていたので待つこと小1時間で受診。ドクターにもクチパクながらちゃんと挨拶をしてその後、「何するんじゃ?」と生声まで聞かせるサービスぶり。ドクターも「声も出てますねー」と少し驚いた様子。「家に帰れてよかったですね」とドクターに言われうんうん、と頷く様子も。レントゲンで確認して管の詰まりが判明。そういえば、前回管を交換してからかれこれ1ヶ月以上は経つはず。そろそろ替え時だったよう。退院前に管の交換をお願いしておくべきだった。ドクターが管を入れてくれるのをさらに待って、結局トータルで病院に2時間半ほどいたが、バァは、ずっと車椅子に収まっていた。さすがに帰りはぐったりしていたが、空腹のせいもあったかもしれない。無事受診を終えて、ホッ。帰宅後すぐに栄養をいれ、座位で1時間ほど過ごしてそのあとはグッスリお昼寝。気のせいかどうか、退院してから、寝るときの熟睡度も増したように思う。昼寝後、ゴロゴロ、タンの音がするので計ったら血中酸素濃度が80にまで下がっていた。タンの吸引で98まで復活。吸引もだいぶん慣れてきた。病院でさらに刺激を受けてまた少し反応がよくなったよう。ゆっくりゆっくりでいいから少しずつ元のバァに戻ってほしい。
Jun 28, 2012
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昨日、6月24日、半年と2週間ぶりにバァが我が家に帰ってきた。前日、前々日と微熱がでたため心配したが看護師さんたちにもなんとか頭を下げ、車中では少しぐったりしながらも無事帰還帰った途端に、ここが我が家だったかと思い出したように表情がはっきりしてキョロキョロ。障子を開けてやると庭をキョロキョロ凝視。半年間、ほとんど外の景色をみることもなく白い壁と天井しか見てなかったもんね病院ではあまり興味を示さなかった、でぶちん、こと、くまのプーさんやひつじのモモちゃんを撫でていつものように布団の中に隠す栄養の注入とその後座位約1時間で合わせて80分から120分ずつ、これが1日に5回。その間に、オムツを替えたり、体を拭いて着替えたり、痰を吸引したり、手足の関節を動かしたり、体位を変えたりなどなどやることはいっぱい。介護の合間に仕事をする、というような毎日になりそう。だけど、自然と顔がほころぶ。バァが家にいるそれだけで幸せな気分。しかも、家にいると合間で家事などの用事もできる。病院で4、5時間過ごすことを思うと心も体も断然ラクふと見るとダーリンもニヤニヤ(ニコニコ?)嬉しそう。バァの退院で半年ぶりに断っていたビールも飲めるまた、3人の生活が始まる半年長かった。この日が来るまで本当に退院ができるかどうか正直、頬をつねりつねり。ドクターから退院の打診があってすぐにケアマネに今後のことを相談。痰の吸引器のこと、利用できるサービスのこと不安もいっぱい。ところが、社会福祉協議会のケアマネは言った。「医療系には弱いので病院のケアマネに変えたらどうですか? かかられている病院は訪問看護もしてますし」ケアマネの台詞か?と思いつつも病院で相談。ところがなんと、訪問看護はしていない、と。それを聞いた件のケアマネは、笑いながら「すみませーん。どこのケアマネにするか決められるのは 利用者さんですからねぇ」そう言った。いつ私がよそのケアマネに変えたいと言ったバァのお気に入りのケアマネが別の支所に異動になってバァが返事もしないような、元々バァとも私ともあまり相性のよくないケアマネだった。思い切って変えてもらおう。そして3代目のケアマネは落ち着いた雰囲気のサバサバした人。質問への返答も的確で速い。そして、求めている情報をきちんとくれる。他市で相談員をしている友人から・痰の吸引器は市で給付してもらえるかも・鼻から入れる栄養は、食事扱いのもの(全額実費負担)と 薬価(保険がきく)があるなどと聞いていた。2代目ケアマネは「病院で聞いて」という姿勢だったが、3代目は、市にも問い合わせ、病院の看護師長にも自ら出向いて会い、私がほしかった情報をくれた。入院中、月に25000円払っていた栄養代、退院後も続くと思っていたが、薬価の栄養を1週間試してもらった結果、バァは下痢もせず1割負担の栄養でもOKとなった。これが3週間分↓バァは、人工肛門なので障害者手帳を持っているため、主治医の意見書と申請書、業者の見積りの提出で日常給付用具として痰の吸引器の給付も決まった。吸引器はレンタルが月5000円、買い取りだと65000円と言われていたので、栄養代も合わせると大助かり。バァの肌を傷つけないよう、伸びてた爪も短く切った。ベッドやエアマット、車椅子、リビングから車椅子で外にでるためのスロープ、バァと暮らす環境は整った。あとは、室温の管理など体調管理だけ。バァが我が家で快適に過ごせ、少しずつでも元気を取り戻せるといい。ちなみに半年ぶりのダーリンのビールは子どもが初めてビールを飲んだときのように苦くておいしくなかったとか。それでもほろ酔いで、にやけていたけど。
Jun 25, 2012
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前回の更新から、はや、4ヶ月近く経ってしまった。この間、私はどうしていたか。まず、フリーだった仕事を「開業」にしたため、その準備に追われ、新たにちょっと遠方まで出向く仕事が入ったり、さらにさらに、ダーリンの仕事の事務をちょっと手伝ったり、日中ヒマを見つけては、バァの病院に通い、夕方は仕事がすんでから毎晩9時半まで病院で過ごし、帰ってから10時頃に晩御飯、食べた後はソファーでうたた寝、こんな毎日。結果、私の体重はまたまた増えたよう。あな、いみじ。さて、本題。もちろん、バァのこと。前回の更新時には比較的調子が良かったが、この4カ月、アップダウンの連続。2月末、下痢が続く。高カロリーの栄養を入れてもらうようお願いしたが、栄養がドロッとしすぎていて管に詰まりそうになり、断念。3月初め、レントゲン検査で肺炎がだいぶん落ち着いていることが判明。バァの刺激のために音楽を聴かせることに。MP3プレイヤーに入れているのはクラシック、昭和の懐メロ、童謡。3月半ば、下痢が頻回なのでドクターに相談。なんと、栄養が逆流して誤嚥につながらないよう、経管栄養の管を十二指腸にまで入れていたことが判明。人工肛門のバァは、いったいどこで栄養を吸収するのか?ドクターに交渉して、管を胃まで上げてもらいそれとともに、栄養後は最低1時間ベッドを起こしておくよう依頼。3月末、嚥下のリハビリを始めるもなかなか効果上がらず。時々おしゃぶりをくわえさせて口に刺激を与えてみる。4月初め、静脈から入れていた高カロリー点滴が取れ、点滴時間が短くなる。血液検査で肝機能の値が悪くCT検査。特に異常なし。病院の前の桜が満開なので見せてやりたいとお願い。ストレッチャーで酸素ボンベつき。4月半ば、回診に来られたドクターに「あれ、誰ぞい?」ドクター苦笑。4月末、経鼻経管栄養が1日600キロカロリーから900キロカロリーにアップ。「バァ、今日はあったかいよー」「朝からぬくかったわい」的確な返事「こんばんは」と声をかける看護師さんに「まだ早い」これも的確。5月初め、静脈カテーテルを抜いてもらえ、点滴がなくなる。キモチ、タンの量が減ってくる。少しだけ嚥下のリハビリが進みリハビリ師さんがゼリーを一口試す。ひと口で「もういらん」。日によってしゃべる日があったり、まったくしゃべらない日があったり、バァの口数に合わせて私たちも一喜一憂。熱は、6度7分くらいから7度5分までを毎日行ったり来たり。微熱が続く原因は特定できず。5月半ば、久々に8度越えの高熱。CT検査でおさまっていた肺炎がまた悪化したことが判明。栄養かタンか、ゼリーか?誤嚥の原因は不明。体力の消耗が心配。抗生剤の投与で2日ほどで熱がおさまる。5月末、酸素の管がとれる。血液検査、CT検査の結果、多少水がたまっているものの、肺炎が収まり、全体的に、先月よりも値が良くなっているとの診断。何カ月も続いていた微熱がほとんど出なくなった。血圧、脈拍、血中酸素値ともに安定。数値的には安定しているがまったくしゃべらない日が続く。頭への刺激が足りないのか?あまり反応がない日でも「歌を聴くか?」には頷き、音楽を聴くと少しキョロキョロし始める。そして、とうとう、ドクターから退院の打診が径管栄養やタンの吸引などの練習をして、バァを迎える準備ができ、このままバァの状態が落ち着いていたら退院できることに不安がないといえばウソになる。また熱がでたら?急に体調が悪くなったら?それでも、「バァが帰ってくる」その嬉しさの方が大きい。家にいれば一緒にいられる時間も増える。してあげられることもあるはず。「バァ、今準備してるから 準備ができたら元気に帰ってきてな」「おぉ」ここのところあまり返事もしなかったバァが大きな声で返事をした。毎日ビールのダーリンが、バァが入院して以来半年、アルコール断ちをし続けている。バァが帰ってきた日のビールはまさしく、五臓六腑にしみわたるだろう。2日前、久々にバァが複数文節をしゃべった。「みんな寝たか?」みんなって誰?と思いつつ「寝たよー」と答えると、「あんたも、早よう寝いよ」バァは肺炎にも半年の病院生活にも負けなかった。半年、長かった。バァの髪がこんなに伸びた。
Jun 9, 2012
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今日は私の誕生日。誕生日は毎年、バタバタせずに、ゆっくり好きなことをしてすごす、そう決めている。そして、今日は、病院でのんびりすごしている。「バァ、今日は私の誕生日よー」「ほうか」「バァはいくつ?」「知らん」「今年、100才よー」「うそー」「バァはいくつのときに結婚したん?」「20」こんな風に今日は久々に反応もよく声がでている。本当に久々のこと。これは私へのプレゼントかも。バァの栄養のほとんどを鼻から摂ると決め、ドクターが高カロリーの静脈点滴を止めた途端、続いていた微熱が治まった。翌日からは表情もはっきりして言葉数も増えた。好調が数日続き、なーんだ、経鼻栄養と高カロリー輸液の相性が悪かったのか、ていうか、24時間ずっと入れていた高カロリーが体に負担だったのか、とホッと安心した日のこと。その日は格別調子がよかった。キョロキョロと退屈そうな様子も見せ、検温にきた看護師さんに「熱はないんじゃ」そう報告するほど。栄養が順調に入ったのを見届け午後からの仕事に向かう。その仕事先で携帯が鳴った。液晶に表示されているのは病院名。ドキリ。「鼻の管を自分で抜いちゃったんです」えぇーっ。「再度管を挿入したんですが、また抜くといけないので手をしばっても構いませんか?」その同意書に判をくれという。あー、やっちゃったか。バァの退屈そうな様子になにか胸騒ぎは感じていた。あー、やっちゃったか。かくしてバァは捕らわれの身となった。しかも、順調だった経鼻経管栄養が、管を再挿入して微妙に位置が変わったのか、痰がよく出るようになってしまった。ゴロゴロいい始めるとみるみる酸素濃度が減ってしまう。そして、またしても曇り時々微熱、が続き、ここのところは、まったくしゃべらない日が続いていた。それでも、状態は安定しているとドクターはみているようで、200キロカロリー×3回の栄養が今日から300キロカロリー×3回になった。どうやら、別途200キロカロリー入れている12時間点滴を止め、静脈カテーテルを抜く意向らしい。300キロカロリーの栄養はかなりドロッとしたチョコレート色で腹持ちもよさそう。「お腹いっぱいになったかい?」「なんじゃけん(怒)!」こんな風に大きな声がでるのもこの栄養のおかげかも?お腹に栄養が入ってバァは自然の摂理にしたがってウトウトしはじめた。自然の摂理といえば、バァは人口肛門なのだが、ここのところ毎日、袋に入るはずの便が爆発(?)して、ひどいときには1日に3回もパジャマを汚して着替えている。4着あるパジャマで追い付かないので昨日新たに2着投入。これでなんとか回せるだろう。それにしても、そんなに出て栄養はちゃんと身についているのか?いいことといえば、下着からすべて着替えるので、あっちに向いたりこっちを向いたり腕をあげたり、足を曲げたり、それなりにリハビリになってるかも。まあ何事も物は考えよう。ほんの少しずつとはいえ、前には進んでいるのだから。「ね、バァ」「なんじゃー?」こんなに声が聞けるなんていい誕生日をありがとね。
Feb 16, 2012
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前回の更新から早や1ヶ月が過ぎた。今年、早くも1ヶ月がすんだのだということ。順調に回復を見せるかと思われたバァだがここのところ、微熱が続いている。ダーリンに送った報告メールからこの1ヶ月を振り返ってみる。1月8日尿が白く濁ってる。ちょっと血も混じってるみたい。検査をお願いしておくね。1月10日バァは相撲みてます。尿検査の結果は、ばい菌も入ってないし、膀胱炎でもない。管のせいで粘膜が傷ついてるんだろうって。1月12日午後からおしっこの管がとれました。退屈そうにするくらい調子がよさそう。1月13日鼻から栄養をいれてほしいとドクターにお願いしておきました。1月14日今日はリハビリでもよく手が上がってたよー。結構しゃべったし、いい感じ♪1月16日鼻から管が入った。胃の下の方に入れたので逆流しにくいらしい。明日から栄養が入るみたい。本人は気むずかしいみたいで、不機嫌で返事もしないけど。1月17日無事に栄養が入ったみたい。今日はいろいろ返事もしてるし管も苦しくないって。でも7度の微熱。1月17日やっぱり、栄養が入ったあとはゴロゴロと痰が出て、痰をとってもらった。ちょうど痰をとってるときにドクターが様子を見に来た。「先生が来てくれとるよー」「おー!」「ありがとう言うたん?」「言わへん!」大きいな声が出て、ドクターも笑ってた。今日から朝昼夕100キロカロリーずつ鼻から、プラス高カロリー輸液の800キロカロリーで1100キロカロリー。1月18日今日はずっと7度ちょっとの微熱だったけどさっき8度まで上がった。氷枕で7度まで下がったけど念のため鼻からの栄養を中止して検査するって。明日からカロリー増える予定だったのに・・・。1月19日鼻からの栄養をストップした途端熱が6度台に戻った。顔もはっきりして、よく返事もしてる。1月20日相撲みてます。表情も良く、酸素も充分、血圧も110くらいで安定してます。明日から、鼻からおさゆをいれてみるところから再スタート。1月22日鼻から栄養再開。途端に熱が7度6分。1月23日夕べ熱が9度5分まで出たんだって。しかも栄養が入ったら痰が絡むようで酸素濃度が70台まで下がった。血圧も90くらいで低い。鼻から栄養中止。1月24日熱は一晩中6度台で落ち着いてた。血圧も安定。「おはよー」と大きな声が出たよ。1月24日午後からまた高熱が出たので尿検査と血液検査してレントゲンを撮ったらしい。尿路感染症の疑い、とのこと。肺炎は落ち着いているらしい。1月25日抗生剤で一旦下がった熱がまた上がったらしい。足の付け根に入れてる静脈カテーテルからの感染症の疑いがあるということでカテーテルの入れ替えをするって。1月25日カテーテルの入れ替えをしたら熱が下がった。血圧はちょっと低めだけど問題なし。よく寝てます。1月26日熱は6度4分。落ち着いてる。かなり表情も豊か。ベッド上でリハビリもした。しかも、今日はセンテンスでしゃべってる!!私の顔をまじまじと見て「何でも太いんがええわい」だって。失礼すぎる!私のスマホを見て「それ何ぞい?」「電話よー」「それがぁ?」と、かなりいい感じ。明日から鼻から栄養、再開らしい。尿の量が多量で、1日に2回も尿漏れでパジャマ着替えさせられてた。1月27日朝夕の鼻から栄養が始まった。朝夕それぞれ100キロカロリーずつプラス800キロカロリーの高カロリー輸液。熱は6度台。このまま熱がでなきゃいいけど。1月28日熱はずっと6度台で酸素量も安定。栄養も入ってます。1月30日「寒いことない」とか「しんどいことない」くらいしか言わないけど、大きな声が出てる。1月31日熱が7度5分ある!大きな声は出てるけど「寒い」って言ってる。2月1日1日中、熱が7度台。起きてるけど、しんどそう。栄養は継続されてます。毎分2リットル入れていた酸素が1リットルに減った。午後に栄養を入れる鼻の管の入替えをした。2月2日7度。全然返事もしない。よくパジャマを汚すほど尿が出ると思ったら毎日利尿剤を打たれていたことが判明。全然知らなかった。1ヶ月以上打ち続けて大丈夫なのか?ドクターの説明が聞きたいと看護師さんに取り次ぎをお願いしてる。朝夕の栄養が各100キロカロリーから各200キロカロリーにアップ。2月3日ドクターと話ができた。結果から言うと利尿剤は必要で副作用はあまりないそう。要約すると今は高カロリー輸液などで結構な水分が体内に入っている。高齢になるととにかく水の排出機能がおちるので水がたまりやすい。水が体内にたまり出すと、一気に心臓に負担がかかり肺にもすぐに水がたまり、危険な状態になりやすい。たまってから利尿剤を打っても全然追いつかないので普段から少しいれて、そうならないようにしている。この前尿路感染症(腎盂炎にもなりかけてた)になったので水分をたくさん入れて出す方がいいのでバァには必要量より多めの水分を入れているため特に利尿剤は必要。・・・・(中略)ドクターの説明で不安解消。微熱はあるものの、状態は安定しているので、少しずつ鼻からの栄養を増やして様子をみていくとのこと。2月4日今日も微熱。7度6分から7度を行ったり来たり。しんどそうな様子なのに私がベッドの横に座ったら「そこで寝んけん(寝たらいい)」って言ってくれたので、おことばに甘えてちょっとうとうと。夕方、酸素の管が外れた!と思ったら、痰が絡んで酸素濃度が低下。酸素の管再開・・・早すぎ。今日はやたら痰が絡むよう。微熱が続いてる。2月5日今日はよく寝てる。熱は6度9分くらいで落ち着いてる。なんと明日から鼻からの栄養が朝昼晩で各300キロカロリー入るとのこと。その代わり、高カロリー輸液は中止。鼻からの栄養にシフトする模様。こんな風にバァの様子に一喜一憂な毎日。特にここのところは微熱で元気がないので1日中バァのことが心にかかっている。明日から鼻から直接胃に入る栄養が増える。それが負担になるのか元気の素につながるのか、それはまだ未知数。なんとか元気を取り戻してほしい。入院してもうすぐ2ヶ月。髪も伸びた。
Feb 5, 2012
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バァの顔をちゃんとみたのは久々のこと。1月6日、バァに付けられていた酸素の管が外された。空気中の酸素だけで呼吸をするのは、12月10日以来。念のため、血中酸素濃度を測る、パルスオキシメーターは未だ付けられているが95以上をキープしている。血液検査とレントゲン検査がありドクターからの結果説明。「血液はほぼ正常値、肺の炎症もだいたい 治まっています。 もうしばらく様子を見てから 鼻からの栄養も検討しましょう」それを聞いて小躍りしそうになる。さらにバァは、回診にきたドクターに「こんにちは」と口パクでいい、「ありがとうございました」も口パクで言った。ドクターは、「よくなりましたね」と少々苦笑ぎみ。夕方には大好きな水戸黄門再放送も観る。少し親しくなった看護師さんが「正直こんなによくなるとは思わなかった」そう言いながら一緒に喜んでくれた。実感として得られなかったバァの快復も徐々に「実感」できはじめた。こちらの言ってることはよくわかっているようなので何でもないことでも頻繁に声を掛けている。「バァ、湯たんぽいれておくね」聞こえるように大きな声で言う。「どこにー?」かすれた声が聞こえてバァを見返す。しっかり目を開いてバァがこちらを見ている。バァの声だ。バァの声だ!!嬉しくなっておでこにチュッチュッするといやそうに顔をしかめた。1日2、3度行っている吸入器での薬剤の吸入。10分程度だが、自分で吸入口を手で支えてできるようになった。昨日の帰り際、いつものように「おやすみー、また明日」そう声を掛けると口パクで「おやすみ」とつぶやき、さらには私が手を振るとモゾモゾッと布団から手を出し、その指先を前後に振った。今日は、ちょっとした初仕事。「ちょっと仕事に行ってくるね」声を掛けると眉間に思いっきりシワを寄せイヤイヤと首を横に振る。「1、2時間よ、すぐ戻るよ」なだめても首を振る。口が「イヤー」と動く。24日のこともあるのでちょっと後ろ髪引かれつつも出掛ける。2時間ちょっと後、戻ってくるとバァは少し嬉しそうな顔でウンウンと頷いた。そして今は安心したよう眠っている。食べる夢でも見ているのか、口がムニャムニャと動いている。日々少しずつ快方に向かっている。その兆しの1つ1つが私たちに元気をくれる。明日はまた1日分元気になったバァが私を迎えてくれるにちがいない。
Jan 8, 2012
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2012年が始まった。今年はきっといいことが待っている。絶対。バァは、年の暮れの31日、回復室を出て、普通の個室に戻った。前進。その後も、血中酸素濃度が急に下がって毎分3リットルにまで減らせていた酸素供給量が5リットルに増えたり、というドキドキは経たが今日とうとうその酸素供給量が1リットルにまで減った。しかも、リザーバー(酸素をためる袋)付きマスクから普通の酸素マスクへ、さらには、今日、鼻腔カニューラ(鼻の穴から酸素を入れる管)に。大前進。発熱もずいぶんないし酸素濃度は99か100と極めて良好。血圧は、少し低めだが安定している。この度、大きめ動脈瘤も発見されたので血圧が低めで少し安心なくらい。顔色も悪くない。痰のからみも減った。ただ心配なのは、まったくしゃべらないこと。しゃべらないので、いろいろな値ほどには「前進感」が実感として得られない。私の言っていることは理解しているよう。うつらうつらとしていることが多いが表情が結構はっきりしていることもある。「寒いことない?」コックリ。「私が誰かわかる?」チラリ。(目線)コックリ。だけどしゃべらない。回復室を出る前の30日。痰のからみを取ろうと背中をタッピングしてやると「おぉ、そこじゃ、そこ掻いてくれ」そうバァらしい声をあげたがそれ以来、サイレント映画を地でいっている。心配。それでも少ーしずつでも確実に回復しているのだろう。日々、ここ病室で過ごして行っている私たちのアピールが少しは効いたのかもしれない。昨日、院内リハビリ師さんが、「ドクターの指示で」バァの関節などの確認に来てさっそく今日からベッド上での簡単なリハビリが始まった。まだ腕や足をマッサージしてほぐす程度。それでも体を動かすことは、体や頭の刺激に繋がるに違いない。前回の入院では、ダーリンや私がマッサージをしたり、手足のストレッチをしていたがさすがに痩せすぎて、骨を折ったりしないか心配で今回はほとんど行っていない。それでも「意外と関節が固まってないです」の所見。ちょっと安心。経静脈投与している栄養は、初日のみ500キロカロリーで2日目以降は800キロカロリー。それが今日でちょうど1週間目。血となり肉となるほどには足りないものの少しはバァの体の支えになっていると信じたい。朝昼と投与している抗生剤が明日まで、という。その後の検査で、客観的な前進が確認できれば経鼻栄養という道も開ける。大きな寝息を立ててバァが寝始めた。深い眠りが得られているなら上げ潮ということか。
Jan 5, 2012
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世の中は、年末の慌ただしさの中にあるが、私とバァは、そんな世の喧騒とは別世界、くらいの一定の温度に保たれた、静かな一室で日々を過ごしている。ダーリンがバァの退院後のおいしいビールを飲んでからはや、2ヶ月が経とうとしている。そして今、またダーリンはアルコール断ち、さらにはカフェイン断ちも敢行している。バァは12月10日、再入院したのだ。10月末に退院してからのバァは、日によって元気がなかったりモリモリ食べれる日があったりよくしゃべったかと思えばぐったりしたり、とうとう完全復活!?と思う日があっても長続きしない、私たちにとっては一喜一憂の毎日だった。それでも、予定していた12月4日のバァの白寿のお祝の会では朝からシャンとしてホテルではちょっと緊張しながらもお客さまを迎え私たちが案じたような、ベッドに横にならせる、そんな事態は起こらなかった。この日、バァのために新調した着物を10時過ぎから着せていたが、バァは記念写真撮影のときも宴の中でもいつでも両手をきちんと揃え終始「きちんと」していた。全員揃ったバァの子どもたち5人とその連れ合い数人、孫が数人とひ孫1人、私たちの友だちの、総勢30人足らずの祝宴。笑いも涙も誘った友人たちのスピーチにムジカスピアナートの鈴木美根子さんの歌、バァの4年半5400枚の写真の中から選んだスライドショー、バァの歌声を収録したムービーなどBS21の門田洋子さんの司会で粛々と進行した。終宴後帰宅してからもバァは、着物を脱がないと駄々をこねて私を喜ばせ、興奮したようになかなか寝付かなかった。みんなに会って刺激をもらったのか翌日からのバァは疲れを見せるどころか絶好調。瞳は爛々として、口数も多く、本当に完全復活やな、と私たちを安堵させた。・・・なのに、なのにちょうど1週間後、再びバァは熱を出し、再入院となった。またしても誤嚥性肺炎。気をつけていたのに、気をつけていたのだけれど。入院してすぐに、やっぱり主治医の態度に不信感をもった私たちは主治医の変更を申し出た。・・・途端、急に親切に丁寧にバァの状況を説明しだし急に親切に丁寧に治療方針の説明をしだし急に親切に丁寧に回診に来始めたけれどそれでわかったのは、98歳を迎える高齢者だと侮ってやっぱり積極的な治療をしていなかったということ。クレームを出した途端に点滴の種類も変わったんですけど。「他のドクターの治療も受けてみたい」そう言って、主治医に院長を希望した。ドクターが変わると治療方針が変わる。考えてみたら当たり前のようだがこんなに顕著とは思ってもいなかった。次の主治医はかなりの慎重派だった。2回目の肺炎ということもあったかもしれない。病院で誤嚥するわけにはいかないからかもしれない。バァの絶食生活が始まった。点滴で補える栄養はたかがしれている。カロリー的にも。前回の入院でも痩せたバァはさらに痩せはじめた。「食事はまだですか」オウムのように繰り返すも、次にまた肺炎になって高熱が出ると今度は命にかかわりますよ。そう言われると二の句が継げない。「でも食べないと筋肉も落ちて体力も落ちて嚥下機能もどんどん落ちるのでは?」ちょっと踏ん張ってみてもそう言われましても的な反応。そうして、治療方針が変わったもののやっぱり積極的な治療はのぞめていなかった。「私が言ってもムリ」それにしびれを切らしたダーリンが主治医に直談判。すると主治医は丁寧に栄養摂取方法について説明をしてくれた。女だと思ってなめられていたのか。栄養摂取の方法は3通り。・経鼻経管栄養(鼻から管を通して栄養を入れる)・高カロリー輸液(静脈から高カロリーの栄誉を点滴)・胃ろう(胃に管を通して栄養を入れる)あらかじめネットで予習&2人で相談をしていたので経鼻経管栄養を希望。「じゃ、さっそく明日やってみましょう」なんだ、すぐやれるのか。その「明日」にあたる24日。朝から主治医が管を通し、レントゲンで入管を確認。さあ、白湯で試してみましょう、という段になってなんと、安定していたバァの血中酸素濃度が急に下がり始めた。肺の炎症の突然の悪化。「回復室」なる看護師詰所の隣室に緊急移送。栄養どころではなくなりせっかく入れた管は使うことなく抜き去られた。そしてこの日、ダーリンは主治医から恐怖の言葉を聞く。なぜか私が知ったのは数日後だったけど。「2、3日がヤマです」その2、3日が無事過ぎて極端に下がったバァの血中酸素濃度はいまや100に回復(通常95~100)酸素マスクから1分間に13リットルも入れていた酸素は、ここ2日で1分間に3リットルに減った。たまに痰が出て酸素濃度が低下するがいつも私が目を光らせてその都度ナースコールで痰の吸引をお願いしている。熱もなし、血圧もまあまあ安定。肺の炎症も少しずつおさまっており表情もずいぶんはっきりして言葉も出るようになった。ひとまず安心。次はやっぱり栄養摂取、後手後手に回るのはやめようと夕べダーリンと素人ながら善後策について検討。このまま年末年始に突入するとドクターも休みに入るに違いない。このままの状態で過ごすとなると栄養が不十分なままさらに1週間近く経ちバァは衰弱してしまうのではないか。まだ炎症があるうちは経鼻経管はしてもらえないだろう、胃ろうもちょっと怖い、一時的な栄養補給として高カロリー輸液はどうだろうか。さっそく主任看護師さんにその意見をぶつけるとすぐにドクターに取り次いでくれる。以前は3日は点滴に耐えられていたバァの血管はこのところ、1日ごとに漏れてもはや刺す場所がないほど。高カロリー輸液の静脈から点滴も行える。高カロリー輸液に決してデメリットがないわけではない。感染症の危険など、気をつけねばならないこともある。だけど明らかに栄養が足りないのを指をくわえて見ているわけにはいかない。果たしてドクターは「今日の午後からやってみましょう」そう言ってくれた。やっぱり言わないとやらないなんてお役所か、と心の中ではちょっと毒づいたけど。今日は29日。10日に入院してからすでに20日が経とうとしている。抗生剤で肺の炎症が治まってくるのに並行して少しずつでも栄養を入れて、なんとか体力を回復してもらいたい。500kcalとはいえ、その効果はあるはず。24日以降、ここ回復室で、私は家事に帰る時間以外の23時間くらいをバァと過ごしている。この部屋は、明るく広く温かく、なかなか快適。そんなに動かないのに、ダーリンが昼に夜にお弁当を買って運んでくれるので私はむしろ少し太ったよう。バァに申し訳ない。そういえば、急変した24日、私がお昼に外に出るのを「いやー、いやー」と言ってバァは止めた。変調の予兆を自分なりに感じていたんだろう。そんなことも気づいてあげられなくてゴメン。バァに苦しい思いばかりさせているとダーリンと2人で涙したがバァはがんばっている。私たちも泣いてる場合ではない。精一杯支えなければ。バァは、私が手を握り額を撫でてやると安心したようにウトウトする。お正月は、ここで3人で祝おう。
Dec 29, 2011
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金曜日にバァの血液検査と、尿検査があった。ここのところ、投薬のみなので、投薬と養生だけなら、この狭くて環境の悪い病室で過ごすより自宅療養でもいいんじゃないか、そう、ダーリンとは話していた。「食欲もあるし、調子よさそうですね」そんな看護師さんの言葉を受けて、その日私たちの希望を伝えてみたら検査後、主治医に呼ばれる。月曜のレントゲンではまだ白い影があったが、それにしては、血液検査も尿検査も値がそんなに悪くない。標準値を越えているものもあるが全体的な体の状態はまあまあいいといえる。退院してみますか?心の中で拍手をする私に主治医は続ける。「まあまた、肺炎になるでしょうけどね」私が彼の友だちなら絶対言う。「お前はいつも一言多いんだよ~!」「また必ず肺炎になるってことですか?」私にしては激することなく復唱してみた。「まあ、もう高齢ですからね」高齢者は必ず肺炎を繰り返すんですか、と喉まででかかったが、呑み込んだ。怒ったところで仕方ない。救急車で来院したとき当番医だった彼は心配するダーリンに向かって「年も年ですし、難しいですね」そう言った。そう、いつも一言多い。そのくせ大事なことは言わない。点滴も投薬も治療方針についても一切説明がない。外来なら処方箋があるが、入院患者には有無をいわせないような感じで毎食、薬が届けられる。看護師さんに確認して初めて抗生剤痰切り風邪薬と、判明。風邪薬?「熱があるからですかね」看護師さんも首をかしげながら答えた。いや、熱がまだでるのは炎症がまだあるからで、抗生剤が効を奏したら引くのでは?素人考えではそう思ったがひとまず処方通り飲ませる。ところが、バァはひたすらウツラウツラと一日ぼんやりしはじめた。始めはリハビリが始まったから疲れてるんだろうと思っていたが、ダーリンがはたと気付いた。「これ、薬やろ」そう、3年前脳硬塞で入院したあと薬のせいでバァはこんな感じになった。あのとき、私たちは薬を止める決断をし、バァは元気を取り戻した。入院中のこと、ドクターに従うのが当然。だけど、こっそり私たちは風邪薬だけを捨てる決断をした。果たして、バァの目はパッチリ開いて表情もイキイキしてきた。口数も増え、元気を取り戻してきた。「バァ、もうすぐ晩御飯だからもう止めたら?」お見舞いにもらったプリンを食べるバァを止める。「なんでや、飯は食える!」バァ節も復活。そして、明朝、バァは退院する。まだまだ油断はできないから病院ですごしていたようなペースで病院食のような食事が必要だろう。だけど、またバァとの生活が戻ってくる。それはやはり、心躍ることだ。アルコール断ちをしていたダーリンが明日飲むだろうビールはさぞかしおいしいだろう。
Oct 30, 2011
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入院してちょうど2週間が経った。ここ数日は表情もしっかりしていて声も出ている。まだ1日か2日に1回出る、7度台の熱が気になるが状態はすこぶる良好。お友だちの「でぶちん」ことくまのプーさんにタオルを掛けてあげる余裕も。そういえば、先週した血液検査の結果、聞いてないんですけど。そう申し出たら、慌てたようにレントゲンを撮り、ドクターがやってきた。所見は、「まだ退院していいですよとは言えない」バァの右肺の写真はだいぶん黒い部分が増えている。確かに、回復は見えるがまだ下部に白いもやもやが残っている。血液検査の結果でも、炎症反応が見える。何より、熱がまだ出ているのが問題。ざっとまとめるとこんな感じ。ただ、高齢の割には回復もよいし、食事を十分摂れているのがよい、とのこと。今晩も主食・主菜・副菜ともに完食。「食べる力」って本当に「生きる力」だと実感できる食べっぷり。その上、ここ数日はやっと、言葉もよく出てきた。「ちょっと買い物に行くけど何かいる?」「金がないのに」「お金はあるよー」「うそばっかり!」「ホントよー。何買ってこようか?」「ほんなら、みかん。 10円ほど買うてきてや」「はいはい」家ではいつも寝る前に「おやすみ~、また明日」そう声掛けしていたので病院でも帰る間際にそう声をかける。家では、ちゃんと返事をしていたが、ここ2週間、それがなかった。ところが、今日やっと大きな声で「おやすみー、またあした」返事があった。やっと、戻ってきた実感。土曜日から念願のリハビリも始まった。体を動かすことで全身に元気が取り戻せるはず。そして、また一段と細くなった足に少しでも筋肉がつくことを祈っている。
Oct 24, 2011
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バァの病室は7人部屋である。カーテンで仕切られているので、寝たままのご近所さんの顔はわからないが、だいたい80歳代のよう。声はもちろん筒抜け。あるご婦人は、1日中絶え間ないくらい、「おねえさ~ん」と叫んでいる。どうやら看護師さんを呼んでいるらしい。昨日の午後だけ、それがなぜか「おとうさ~ん」に変わっていた。別のご婦人は、とても腰が低い。食事の介助をしてもらうといつも、「おいしいです、ありがとう」丁寧にお礼を言う。ドクターの回診時には「いつもあんなおいしいもの食べさせてもらって 本当にかまわないんやろか?」と訊ね、最後にはたいてい、「今日はここに泊まらせてください」そうお願いしている。また別のご婦人は、人を呼びたいときに洗面器でガンガン壁を叩く。隣はナースセンターなので、看護師さんがすぐにとんでくる。バァのお隣さんは、1日に何度もナースコールする。ちょっとここが痒いという些細な訴えや尿とオナラがでないという訴え、など。オナラはちょっと前には出ていたし、尿もでてますよ、と看護師さんが説明しても聞く耳を持たない。ある意味、口が立つ。そして言ったそばからブーッ、と盛大な音を出す。「もう治ったから退院するんで 院長先生を呼んで」1日中そう訴えた翌日退院した。どこにでもいるのが世話好きなご婦人。この部屋のご婦人は若手で70代くらい。ご近所をまわっては余計なことをいい、看護師さんに叱られている。「あなたの症状は私とおんなじやわ。 それは胃の検査してもらった方がいいよ」「あぁ、胃ですかね?」「私は胃はなんともなかったけどね」えぇ? …突っ込みどころ満載。何人かいるうちの男性看護師の一人がお気に入りで、「次の休みいつ?」とお出掛けに誘ったりしている。ていうか、外出許可おりるのか?新しくバァのお隣さんになった人はまったく食事を摂らず着替えも拒否して服のまんま。説明を受けた家族さんが入院をあきらめる。ハンスト成功。いろんな人がいて、ちょっと笑えるが、ちょっと切ない。なんだか負の空気が蔓延しているような気がする。病院は長居するところではない。
Oct 21, 2011
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今日はくもり。バァの入院生活ははや、10日。今朝、バァに繋がってた尿の管が外された。酸素の管は、3日前に外され、その後も酸素値は安定している。点滴の量も1日1本に減った。なんとなく順調。なんとなく、というのは、ここ数日、バァの様子は停滞気味のため。口数が少ない、1日に1度、熱が7度を越える。どんな具合か確認したいが、1日に1度は回診に来られているというドクターにお会いできていない。ここ病室で、私は結構な時間を過ごしているのだが。ま、まさか、避けられてる?幸いなことに、食欲は安定している。最初の数口は、自分ですくって食べる。そのあとの数口は、スプーンにのせてやると自分で口まで運ぶ。そのあとは全介助だが、朝晩は完食、時間の間隔の少ない昼食だけは 8割程度だが、高打率をキープしている。さすが(^^)v看護師さんやヘルパーさんは20分か30分でサササッと食べさせてしまうが、バァはそんな短時間ではむせてしまう。一度は私が来るのがちょっと遅れたら歯も入れずに食べさせようとしていたこともあり、完全に信用もできない。なので、3食介助にきている。1時間ちょっとかけて食べさせている。10日も寝たきりだから調子が上がらないのかも。尿の管も外れたことだし、リハビリも始まるはず。「ちょっと仕事に行ってくるね」 「いやー」そんな意思表示ははっきりしてくれる。すこしずつよくなっている。焦らず見守っていこう。
Oct 20, 2011
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昨日は入院4日目。少し微熱。熱の上がりはじめで、ちょうど元気のないときバァの娘とその夫、つまり私の舅と姑がお見舞にやってきた。入院4日目・・・。しかも、ちょうど不調そうなときとは間が悪い。ほんの10分足らずで「顔を見ただけ」で帰った。そんな微熱のバァだが、食欲は順調。ここの食事はまずくはない。彩りもよい。昼も夜も完食。言葉もはっきり出ている。いつもはダーリンの呼びかけにはあまり返答をしないがなぜか病院では、ダーリンにもよく返事をするらしい。会話になる!とダーリンは大喜び。「酸素入れてるのが効いてるんかなぁ?」いえいえ、私にはその程度の返事はいつもします。もちろん私とはいつも通りの会話。「バァ、ちょっと買い物に行ってくるね」「何、買うんぞ?」「ちり紙とか石鹸とか、よ」「傘持って行けよ」(朝、雨だと伝えたのを覚えていた!!)「もう、雨止んだんよ」「ほうか、早う行ってこい」このやりとりをカーテンで仕切られたお隣さんのところでたまたま聞いていた看護師さんが「そんなに話ができるんですか!?」とビックリ。まだ看護師さんの問いかけにはほとんど返事をしない。今日は入院5日目。朝食は初めての洋食。「パン、食べられますか?」心配顔の看護師さんだが、この通り問題なし。今朝も完食。食い力は回復への近道。順調な回復、と言えるだろう。酸素の値がまだ少し足りないらしく酸素の管はまだつけられているが、鼻の穴はやっぱりイヤらしい。「絶対入れん!!」それだけは明確に看護師さんに訴えていた。妥協位置は、鼻の穴と唇のちょうど真ん中あたり。多少は入るだろう、ということでその位置で酸素吸入している。「誤嚥性肺炎」の診断の下ったときには正直青ざめてしまったが、バァの快復力はさすが。感謝感謝。
Oct 14, 2011
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入院3日め。熱は、36度5分。バァは、順調に快方に向かっている。目をぱっちり開けて受け答えもはっきり。鼻に入った酸素の管を自分ではずし、私が入れるとまたはずし、と攻防を続け、「こんなん、いれんのじゃー」大きな声で抵抗を見せる。とうとうこちらが根負け。看護師さんも「もういいですよ」とあきらめる。カーテンの向こうに何があるのか、しきりに気にして、開けてみようと試みる。「ほかのおばあさんがおるんよ」の説明には怪訝な顔。私がいるから病院だと思ってないかも。昨日から何度も飲み物はまだですか、と確認するも、昨日は救急明けで担当ドクターは休み。点滴してても喉は乾く。今日になってやっと3時頃回診に来られたドクターは渋々といったていで、「水にとろみをつけて飲ませますか?」とろみ水を持ってきた看護師さんは調子よく口に運び、飲みこむバァの様子に驚いて、とろみつきジュースの許可を取り付けて来てくれる。チャンスとばかりに、「食事はまだですかね」とドクターには鼻であしらわれた質問を繰り返してみる。看護師さんから奪うようにして自らスプーンで、とろみジュースをすくっては飲み、挙げ句にそれもまどろっこしくなって、コップから飲み始めたバァをみて、看護師さんがドクターに交渉。なんと、今晩からの流動食の許可がおりた!リハビリ計画のため、バァの足の様子を確認に来たリハビリ担当者は当たり前ですよね、という口調で、「いつも寝たきりなんですよね」と聞く。いえいえ、午前中は起きて座ってテレビを見て、夕方は歩行訓練もして、夜は手引きですが、歩いてダイニングまでいきますよ。「確かに膝もやわらかい」と、早めのリハビリ開始をドクターに告げると約束してくれた。まだ、私相手にしか返事をしないが、看護師さんにもちゃんと受け答えをするようになると、バァの回復はもっと認めてもらえるだろう。バァの奇跡的な底力は、今回も私たちを驚かせてくれる。午後中起きていたバァは、でぶちん、こと、くまのプーさんを抱いてようやく、うとうとしはじめた。
Oct 12, 2011
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10月に入って、バァの調子は徐々に快方にむかい、「このイモ、ひとつもらお」と、ダーリンのおかずにまで手を伸ばすバァをみて、表情も、食欲も、バァ節も、本当に戻ったね、とダーリンと笑いあった矢先、再びバァの食欲に翳りが見えた。先週土曜のこと。前日の様子からは一転、食事も進まず、口数も少なくなった。さらにその翌日の日曜には固形物は難しく、果物のすり下ろしなどしか食べられない。水分はゼリー飲料で補う。そして、その夕方、再び発熱。今回は、この前と違って熱が高い。プリンを作って食べさせ、小児用の熱冷まし薬を飲ませて、おでこや、脇を冷やす。すると、少し熱は下がるが、数時間経つと、また上がる。あまり熟睡もできていないよう。そんな風に朝を迎えた。昨日、祭日である月曜日の救急指定病院は比較的信頼できる病院。ダーリンと受診させるか検討するも、ちょうど症状が落ち着いているのもあって、様子をみることに決める。ところが、私の留守中、昼食に帰宅したダーリンがバァをみるとまたまた熱が上がっている!これはおかしい。明らかにこのまえと違う。ダーリンは咄嗟の判断で救急車を呼んだ。果たしてバァは誤嚥性肺炎と診断された。気をつけてもいた、恐れていた肺炎。右肺が白くなっており、少し水もたまっていたため、酸素が足りなくなっていたとか。バァはそのまま入院。鼻には酸素の管、手には点滴、痛々しい姿だか、ようやく、熟睡できている様子で、少し安堵。泊まりの付き添いはダメだというので、後ろ髪を引かれながら帰宅。今日は仕事を休ませてもらって、朝からバァのベッドの横で座っている。何ができるわけでもないが、そうせずにはいられない。朝イチには目を開けていて、「おはよー」という私の呼びかけに、口パクで「おはよ」と答える。ちょっとホッ。そのあとはすぐに眠りにつき熟睡を続ける。昼休み、熱は7度3分。午前中の点滴が終わった。心配な様子はない。ちょうどダーリンが様子をみにきたときに寝返りをうって目覚めた。「大丈夫か?」の問いかけに、「うん」声も出た。表情もしっかりしている。足をマッサージするダーリンに、「いたいいたい!」大きな声も出た。よしよし、いい感じ。このまま、早く快方にむかってほしい。
Oct 11, 2011
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ちょうど2週間前のこと。なんだか口数の少ないバァ。食の進みもいまいち。これはおかしい、と即座に小児用風邪薬を飲ませる。たいていこれで解決となるところだが、なかなかスッキリしないなと思った矢先・・・私に変調があった。喉が痛い、そのうち、下半身がザワザワし始める。ヤバイ、熱の出るサインすぐに熱を測ったら7度越え。ひどくなる前に寝よう。・・・とその前にバァに水分補給でも・・・とのぞいたら・・・・真っ赤な顔でゼーゼーハーハーのバァ私のザワザワは一瞬ひっこんでしまった。急いで氷水で額や首を冷やす。何度も何度も替えながら冷やす。OS1で水分補給。しばらく繰り返すと少し落ち着いてきたのでダーリンにあとを任せて私は休む。翌日の日曜も額冷やしと水分補給、休息を繰り返すと熱はいい感じに収まってきた。ホッ・・・としたのもつかの間、明けて月曜日、またまた熱はぶり返してしまった。ちなみに私の熱も継続中。病院に電話をして往診と点滴を依頼。往診をお願いするのは、ちょうど1年ぶり。そう、バァは去年も9月に熱を出した。下がっていく温度変化に弱い私は喉の痛みからくしゃみ、咳、鼻水とフルコースをたどったがバァには風邪らしい症状はない。それでも2人して6日も微熱が続き、バァは都合4回、点滴をお願いした。そうして徐々に食欲も増え(あ、ちなみに私は食欲は衰えもなし)翌週の日曜日には、このくらいは食べれるまでに復活。お粥につぶしたかぼちゃやさつまいも、すり下ろした果物など。エサをねだるヒナのように口を開け入れてやるとパクリと食べる。その様子があまりにカワイくてパクリパクリと小1時間続ける。その翌日、つまり、往診に来ていただいた1週間後には入れ歯をいれて、少し形のあるものも食べる。よしよし、いい感じに快復。ところがまったくしゃべらない。「食べる」と「しゃべる」が元気の証拠。まだまだ本調子とは言えない。そうして、発熱からちょうど10日を過ぎた頃になってようやく、「飯食うかい?」「うん、ちぃ~っと持って来てや」「はいはい、待っといてな」「おぉ、箸も持ってこいよ~」というほどに快復したやれやれ、これでひと安心。まだ自力で食べようとはしないのでバァのヒナ生活は続いているが、1週間以上の寝たきりで弱ってしまった足も手引きでそろりそろりと歩けるくらいに少し快復した。あと1週間も真面目にリハビリすれば元に戻るだろう。バァの基礎体力につくづく感謝体調が悪くなる前のデイサービスで「カワイイカワイイ」と介護士さんに言われはにかみながら「笑ろうたら誰でもカワイイわい」と言ったらしいバァは私が「カワイイ」を連発しても「フンッ」と鼻を鳴らすだけだが、それでも「はよう飯持ってこんかい」と照れ隠す。早く本調子に戻りますように。
Sep 23, 2011
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気持ちが緩んでる。それはいろんなところに表れていると思う。芝生?と見まがうほど草の生えた庭。未整理の書類の小山。でっぷりした私の二重顎。手抜き気味の料理たち。そして・・・バァの耳の中。久々にふと覗いたバァの耳の中。おぉ、耳垢たまってる~耳の掃除を嫌がるのもあってついつい後回しにしていたらこんなことに大収穫、と言おう。自分の気の緩みを見て見ぬふりをしていたところ、誘われて「さしすせそ料理教室」なるものに参加。料理を習うのは初めてのこと。先生は、三重で「月の庭」というオーガニックカフェをされていた岡田桂織先生。世界平和のために料理をするという先生の料理は砂糖をあまりつかわない、塩や醤油などの調味料にこだわったシンプルなレシピ。この2時間ちょっとの先生のお話は、普段何につけ「足し算」の私にとって味だけでなく、考え方やスタイルそのものが目からウロコのことばかり。オススメの塩や本みりんも購入。体は食べ物でできている、おっと、こんな基本中の基本を忘れかけていた。心の緩みをキリッと締めて、今晩は素材の味を大事にした健康第一の食卓に。非日常は、私の心の緩みにスパイスを与えてくれたいろんなことに少しやる気がでてきた感じ。一方バァは、いつでもやる気満々。「バァ、ごはんよ~」「い~っぱい、入れてきてよ~」たまにムセることもあるが、食欲は旺盛夏の疲れも見せず
Sep 6, 2011
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今日はのんびりの日曜日。久々に昼前まで寝て、「おはよう!」とバァに声をかけると「おはよう、て、今何時じゃい」お怒りのご様子。ハハハ、すみません「今まで寝よったんよ、ごめ~ん」「寝よったんかい、ほんならええ」寛大なおことばでお許しいただく。バァはここのところ、一段と食欲旺盛秋が近づいているのを本能で感じているのか?先週、なぜか急に手首が痛いと言いお箸がうまく持てなくなっていたがそれも1週間で快復。左手も使いつつ、食欲に影響なし。お盆休みはショートステイに行く。最近は嫌がることもなくショートもデイサービスにもいそいそと出掛ける。お蔭でこの夏休みはゆっくりさせてもらった。数年ぶりに懐かしい人に会え、実家にもちょっと寄った。買い物にも行き、3人お揃いのグラスも買った。避暑にも出掛け、行きたかった新しいイタリアンのお店にも行った。ダーリンの休み中はすっかり「休み」を満喫私は土日を含むとトータルで10日近くの休みがあり友だちと出かけたり、昼寝をしたり、録りだめた映画を見たり、バァとテレビを見たり、おやつを食べたり歩行訓練をしたり、時計を見ることなく毎日を過ごした。この怠惰な生活も今日で終わり。猛暑もなんとか通り過ぎた。家族が健康でいることに感謝しつつ明日からまたがんばろう
Aug 21, 2011
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暦の上ではもう秋だとか。なのに「盛夏」の如き暑さに加えて庭の蝉がその雰囲気をいっそう盛り上げる。夏に強いバァの最近のお気に入りにはこの腕時計。ウチに来たころは男物の大きな時計を細い腕にはめていた。重そうなのと、顔などに当たって怪我をしても、と過保護な私たちは外してしまった。ところが最近、ダーリンの夏用の赤い腕時計を見て「それ、高いんかい?」などと聞く。これは「欲しい」のサイン過保護な私たちはすぐに買い与えてしまった。「バァちゃんはカワイイのが結構好きやと思うよ、それから、怪我したらいかんけん金属はダメ」私より過保護なダーリン。ハイハイ、ちゃんと分かってますって。果たしてバァは、この超ラブリーな腕時計がいたくお気に召したよう。デイサービスのスタッフの方に「かわいい時計しとるね」と言われ、「これ、拾たんじゃ」と答えたとか。バァの周りには結構いろんなものが落ちているらしいラブリーといえば、最近買ったバァのワンピース。私は自分の服を買うのも大好きだが家族の服を買うのも大好き。最近バァにはこれと合わせて3枚買って帰った。バァは「買うてきたんか」と少しはにかんで言った後何度も、「1、2、3、1、2、3」と指差して数えて、最後には布団の中に隠してしまった。どれもお気に召したよう定期的に通い始めた週1回のデイサービスはもうすぐ1年を迎える。スタッフの方々ともだいぶん打ち解けたようで「ありがとお!」などとスムーズに挨拶し機嫌よく通っている。もちろん食欲旺盛は家でもデイでも言うまでもない。足の痛みを訴えることも減り、万事順調たまに誤動作もあるが、そこはお愛嬌という程度。数日前には「アツヨー!アツヨー」と大声で呼び「どうしたん?」「アツヨー!」「どっか痛いん?」「アツヨー!」「大丈夫?」「アツヨー!」と「アツヨー」を連呼するという珍現象をみせてくれたがその後眠って目覚めた後には一切言わなくなった。アツヨって誰今日のおやつは私の大好物のたこ焼き。「手伝って」に弱いバァは竹串で一生懸命たこ焼きをつつくマネだけして、5個をペロリ。快食快便快眠お友だちの「でぶちん」(くまのプーさん)を抱いて天使のように眠っている。
Aug 10, 2011
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まだ上陸していないというのに夕べからの暴風。台風6号マーゴン。バァの部屋の窓からの風景も荒れている。もう台風の季節前回の更新からはや3ヶ月。こんなに更新してなかったなんて日曜日に高校時代からの友だちがあまりに更新されないブログを心配して電話をくれる。彼女も祖父母を介護中で、200kmの距離のせいで滅多に会えないがそれでも、彼女ががんばってるからがんばれる、そう思える存在ゴメンゴメンバァはとっても元気ですよく食べ、よく眠り、ちょっと歩行練習などもして、週に1度はかかさずデイサービスに通っている。先週訪れたケアマネさんに「調子がよさそうですね~」そう言われ、「いっつも調子がええ」はりきって答える。昨日久々に作ったいなり寿司バァは3個も平らげた。今朝は、残りの酢飯にシャケといくらを載せて親子丼。これも完食こんな調子。たまにも歌も歌う。・・・因幡の白ウサギ~・・・私には聞き慣れない歌。「バァ、何を歌いよん?」「唱歌よ~」へぇー、とネットで検索『唱歌 因幡の白ウサギ』題名が「大黒さま」という歌だと判明。以来「大黒さま歌って~」というリクエストに快く応じてくれる。YouTubeで聞いた歌とはちょっと音程がちがうような・・・。そうそう、この3ヶ月にはちょっとした事件もあった。ある日、家に帰るとバァの部屋の戸が少し開いているえ・・・?誰かきた?バァの部屋をのぞくとベッドに・・・バァがいない誘拐???うろたえる私の目に入ったのは、バァの部屋とリビングの境の柱にセミのようにしがみついているバァの姿寝ていたはずのバァは、手すりの後方をすり抜けてベッドから下りて、玄関側の戸まで移動→戸を開けて→リビング側の戸まで移動→力尽きて柱に避難という動きのよう。はぁ、コケなくてよかった最近の事件は、朝ご飯を食べながら座ってテレビを見ていたバァが口をモゴモゴ、様子がおかしいので、口の中のものを出させようとしたら口から補聴器が出てきたダーリンのケアで補聴器は無事復活。こんな奇行は珍しい。ダーリンに対しては相変わらず口数が少ないが、「おやすみ、って言いよ」とか「ご飯よーって言って」と促すと大きな声で応じる。たまには「おーい、おいさん~(おじさんのこと)」とダーリンに呼びかけることもあるそれなりに、コミュニケーション成立。お客さんにお菓子をいただいた際に「バァ、お礼言って」そう促すと「お前が言うとけ!」鋭いリターンも。回転も悪くない。この暑い夏は、温度調整と水分補給でなんとか無事に乗り切ろう。今年、バァは数えで白寿。白寿のお祝い会の計画も進めなきゃ風がますます強くなってきた。マーゴンのため、今日の仕事は午前も午後もキャンセルになった。午後からは気になっていたバァの散髪をしよう。
Jul 19, 2011
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陽気にまどろみながら幸せな気分にひたる。隣にいるバァに声をかける。「気持ちええなぁ」「うん、気持ちええ」バァと観る4回目の桜初めての桜はお城で観た。翌年は河辺で観た。花よりだんごで意外と桜を愛でないので3年目は車中からちら観のみ。そうして、今年。体調もバツグンなので、数日前からダーリンが「日曜日に花見に行くか」そう、声掛けしていた。金曜日に私が「日曜日に花見に行く?」と聞くと「今日は何曜日じゃ」「金曜よ」「よっしゃ、日曜に行く」行く気満々「お弁当買うて行こうな」そう言うと「弁当、買うんか」「・・・・えっと・・・ ・・・弁当、・・つ、作るよ、もちろん・・・」何度も花見花見と念押ししていたお陰できちんとインプットされていたらしく今朝「しんどくない」と尋ねただけで「今日は行くんじゃ」勢いあり弁当の用意もでき、いつものYちゃんを誘っていざ花見へ。今年は広々した公園をチョイス。あちらもこちらも人でいっぱい。ほどよいざわめきの中、池の対岸から満開の桜を望める場所にテーブルとイスをセッティング。案の定、花よりだんごのバァは、お弁当を前にすると弁当に釘付け。私たちの弁当の3分の2ほどもあったバァ用を快調に平らげ、お腹いっぱいになってようやく、気持ちよさげに桜を眺めた。天気も最高、風もなくあったかい日差しも最高、この上ない花見日和。「もう帰るかい?」「まだじゃー」その隣で私たちはウトウトまどろむ。もうすぐバァが来て5年目に突入。
Apr 10, 2011
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青い空に桜色が映える、1年でいちばん美しい1週間陽のまぶしさに目を細めながらバァはデイサービスのお迎えの車に乗り込む。庭の桂の芽も大きくなってきた。窓の外から手を振る私にバァは車中から人差し指を突き出す。私も人差し指を突き出す。なんだか懐かしい光景。・・・・・・あれは泣けた、E.T。そんなE.Tを彷彿とさせるバァもやっぱり女の子。ここ愛媛では旧暦で祝うお雛様を2ヶ月ほど楽しんだが、もう片付けねばならない。今年は白酒ならぬマッコリで乾杯。食べるスピードも早く、軽く完食相変わらずどんな問いかけにもレスポンスの速いバァに久々に「私の名前わかる?」と聞いてみた。「フンッ、わからい(わかるわい)」そう鼻で笑ったあとバァは答えた。「ゆり」え~っ「違うやろ~」と私の名前を告げると「似とるがい」そう逆ギレ。ちなみに私の名前には「ゆ」も「り」もついていない。私の知るところ、バァの知り合いに「ゆり」はいない。・・・だれそんな名も知らぬ私にバァはいつでも優しい。みかんをお食べと差し出すと「あんたのがなくなるけん、 ウチは食うたらいかんのじゃ」そう遠慮したり、朝のバナナジュースのバァの分を「体にええけん、これお飲み」そう勧めてくれたりする。頭痛がするというと、こめかみをゆっくりゆっくりマッサージもしてくれる。そんなときはいつも、あったかいものがこみ上げてきて、胸がつまる。「チンチンドンドンチンドンドン」バァの歌う声が聞こえる。そろそろお腹が減ってきたよう。ダーリンの帰りを待つので我が家の晩御飯はいつも時間が遅い。なので5時頃はいつもおやつの時間。春の異動でバァのお気に入りのケアマネさんが転勤になった。新しいケアマネさんは、バァの気持ちを掴めるだろうか。
Apr 5, 2011
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雨降るお彼岸、日本中が泣いているような気がする。あたり前の日常は決してあたり前ではない。それを思い知らされたこの10日間。いつ何があっても悔いを残さない、そんな風に1日1日を送りつつ、被災地の皆さんに1日も早く笑顔が戻ることを祈りたい。ここ愛媛でも救援物資の受付が始まった。少しずつでもそれが集まると大きな力になるはず。なんとか復興の手助けをしたい。震災被害に遭われた皆さまに心からお見舞い申し上げます。今年ももう4分の1が過ぎようとしている。お正月画像のまま、なかなかアップできなかったがバァは、変わらず元気に過ごしている。風邪とインフルエンザが心配で結局1、2月のほとんど、デイを休んで自宅だけで過ごした。それでも来客があると「よう来たのう」と丁寧に挨拶をし、食欲もお客さんが驚くほど。「買い物行くけど何かほしいものある?」そう尋ねると「ヨーグルト!」意外な回答。へぇーヨーグルト好きとは知らなかった。帰宅後ヨーグルトを器に入れて差し出すとそんな反応。どうやら「バァのヨーグルト=ヨーグルト」ではなかったらしい。結局この日のご所望品は不明のまま。夕飯の時間、歩行訓練がてらバァを階段下まで連れて行く。2階にいるダーリンに晩御飯だと知らせるよう促す。「よーいよーい」うんうん、大きな声がでてよろしい。「サダコー晩飯ぞい」・・・・・・サダコって誰??バァの子どもにも姉妹にもサダコはいない・・・。ちょっと落ち込み気味のダーリンが降りてきたので「バァ、この人好き?」ダーリンを指さして尋ねる。「うん、好きじゃ~」即答にダーリンもニッコリ。合格でもサダコって誰???3月になって、寒暖の差が激しいが、それでも毎週、機嫌よくデイに通う。いつもお迎え&応対をしてくれている男性スタッフともだいぶん慣れたよう。私が促さずともきちんと挨拶できる。そして、毎年恒例の介護認定のシーズン。97歳にして年に一度の病院へ行く。ドクターにもきちんとご挨拶をし、スムーズに終了ご褒美に近くのスーパーでお買い物。やっぱり巻き寿司が大好きらしい。先週は観梅にも出かけた。元来、花より団子。「バァ、たこ焼き食べる?」その声への反応の方が圧倒的に素早い。ダーリンのリクエストもあったのだがバァの介護食にも最適!とここのところ、テリーヌをよく作っている。やわらかくて口当たりもいいせいかバァの箸もよく進む。テリーヌに、他のおかずをのせて食べたりもする。なかなかにハイカラ。こうして家族で食卓を囲み温かいものを食べられるということがどんなにありがたいことか。そして、元気でいてくれるバァにただただ感謝している。
Mar 21, 2011
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鏡開きもすんで家の中からすっかりお正月飾りがなくなりはや1月も中旬。早い。バァが来て4度目のお正月。毎年年末年始には何かが起こる我が家。思い起こせば1年目。年末にいただいた渋抜きの柿でバァはお腹をこわして食欲減退。ちょっと回復した大晦日に食べ過ぎて嘔吐、ダウン。肝が冷えた。2年目。バァの脳梗塞がなんとか回復してクリスマスに退院。処方された大量の薬のせいでバァは廃人のような様子で年末年始を過ごす。食事療法を決意。3年目の去年。仕事納めの日に私が新型インフルエンザを発症。病院で検査するも陽性反応が出ずそのまま5日間高熱が続きさらにはバァやダーリンも発熱。その後も私は不調が続いたまま年を越し健康のありがたさを実感。そして今年。無理をせず慎重に慎重に日々を過ごし去年まったくできなかった正月飾りを家中にほどこし、バァも元気で無事に大晦日を迎え、恒例の大晦日宴会。続いて元旦のお雑煮。「今年は丁寧に暮らす」そんな目標も立てた。そんな初めての平和な年末年始を過ごして明けて3日。年末の疲れが出たのかダーリンが風邪を引く。引くと長いダーリンの風邪だが、幸い、隔離政策のおかげでいまだバァも私も無事に過ごしている。バァはいたって健康そのもの。年末近くに一度ショートを利用したがイケメンの若い介護士さんに愛想良くお礼をいいやっぱり面食いだとわかる。時計がちゃんと読めるようになって私の帰宅時間を確認することもある。ダイエット食品の紹介番組を見て「ダイエットってなんぞい?」と聞き「あれ、食べて痩せるんよ」と説明すると「あんたもダイエットせんかい」的確なアドバイス。おニューのテーブルクロスやバァの食事エプロンにも「これ、どうしたんぞい」と反応を示す。さらには、手で食べるバァに「また手で食べて~」と注意すると「そんなら足で食うんかい」と逆ギレまで。食欲も旺盛。絶好調は続いているが、寒さが本格化してきたので風邪やインフルエンザが心配なところ。8月から続けているデイサービスを休むかどうかが今の思案のしどころ。「今日はデイサービスよ」と告げると「あっち行くんか」そう、嬉しそうにするんだよね。
Jan 14, 2011
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12月20日。今年も無事この日を迎えることができた。バァの誕生日。満97歳朝イチでバァにおめでとうを言う。「バァ、お誕生日おめでとう。いくつになった」「20じゃ」「え~っ、それは言い過ぎやろ」「そんなら30」「私が40やのに30じゃないやろ~」「ほうか、あんた40かい」驚くポイントはそこ…?「バァは今日97歳になったんよ~」「ウソぎり~(ウソばっかり)」こんな会話のあと、午前中にはバァが育てた孫娘がお祝いに来てくれ彼女の手作りケーキに舌鼓。夜にはダーリンと私、バァお気に入りのYちゃんを交えてお誕生会。ケーキは去年同様カトルカールさん「来年もバースデーのケーキを作れますように」そう言ってくれた「97」のキャンドル。ろうそくを吹き消す習慣のないバァはまず、ケーキをつかんで食べようとし、「ろうそく消して~」と促すと去年同様、手で消そうとし、結局そのまま消えてしまった。ま、とりあえず、ハッピーバースデー乾杯も無事終了洋食好きのバァのために用意したこの日のメニュー。どれもしっかり完食食後のプレゼントもいそいそと開けYちゃんにもらったファーマフラーはさっそく自ら首に巻き付けご満悦私たちからはダウンジャケット、「うんうん軽い」これも気に入ってもらえたようこうして無事この日が迎えられたことを本当に嬉しく思う。そして、来年もまたこうしてろうそくを手で消すバァを笑ってみていたい、そう心から思う。今年もあと少し。本当に絶好調のバァはまだまだ私たちを笑わせてくれそう。
Dec 20, 2010
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せめて月に一度は更新を、と思ってる間にもう12月も半ば。ウチもメリークリスマスな感じ。夏の終わりに皆さんにご心配をおかけしたバァの元には今年も食欲の秋が無事やってきて、例年ならもう冬眠時期だというのにまだ「食欲の秋」は続いている。9月頃、バァのお米の食いが悪いなぁと思っていた矢先、新米をいただいたので、さっそく炊いてみたところバァったら、食うわ、食うわ。おかわりを所望するほど。やっぱり違いのわかる女ちなみにバァはおかわりがほしいとき素直に「これをもちっとおくれ」ということもあるがたいていは「あれぇ~これがもうない」そう、催促する。8月から始めたデイサービスにもコンスタントに通い受け答えもしっかりしている。テーブルの上の花を「きれいなのぅ」と愛でることもしばしば。「バァは何の花が好きなん?」答えを期待もせずに聞いてみたら「うちは、菊が好きや~」ソッコー返答があって驚く。テレビもよく見ている。身を乗り出してパンダを凝視。「あれ、見てみい、おもしろいわい」大きな字なら読んでもくれる。何につけ反応がよい。おかずにも目を凝らす。「これ梅干しか」う~ん、惜しい。色はちょっと似てるがそれは、いくら。右手に箸、左手にスプーンが最近のスタンダード。おでんもこれでうまくいかないときは手掴みもあり。「バァ、また手で食べてぇ!!」急に怒られ動揺したバァは、「な、な、な、な、な、な、かまんがい(かまわないでしょ)」なぜに「な、な、な・・・」なのか、「かまんがい」の「か」ではさらに驚くことに最近は時間の感覚も少しあるよう。「今、何時ぞい?」ダーリンに尋ねる。「6時半よ」「6時半か、もう、もおったんか(帰ったのか)?」鋭いここのところ、こんな時間にダーリンが帰ってることはまずない。「今日は日曜よ」「ほうか」素直に納得。会話のキャッチボールがとってもスムーズバァがウチに来て3年半。今が一番いい感じかも?夜バァをベッドに寝させるときにいつも「おやすみ~、また明日」そう声をかける。バァもたいていそれを復唱する。夕べのこと、あまりにもニッコリと復唱するのがカワイくて「明日もおいしいもの食べようね」付け加えると、「うんうん、あんたの作るものは何でもうまいわい」言うこともカワイイ。で、今晩のメニュー。もちろん今日もバァはおかわり催促。「あれぇ~、これがもうない」今日は食後にファッション雑誌のチェックも忘れない(!?)よく食べよく眠りよくしゃべる、そんなバァはあと2週間足らずで97歳を迎える。
Dec 7, 2010
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あんパンを頬張る姿も力強い。もちろん、バァのこと。食欲の秋は今年もバァにも訪れ、よく食べ、よく出し、よく寝ている「バァの元気が我が家の元気」なので、すこぶる平和な毎日が送れている。今年の猛暑を、温度調整と水分補給で無事乗りきった矢先の9月末。急に秋が訪れた数日でなんとバァは熱を出した。シグナルはあった。今思えば。食欲がなく、箸が進まない。その時点で風邪を疑って小児用風邪薬を飲ませていればあるいは食い止められたかもしれない。急な温度変化でそこここで風邪引きさんが増えていた時期でもあった。なのに、「たまに食欲に波があるなぁ」で片付けてしまった。デイサービスには毎週通っていたのでそこで風邪菌をもらったのかもしれない。食欲のなくなった翌日額に手を当てると熱が・・・そしてそれは4日も続くことになったすぐに往診をお願いし、点滴をしていただく。一旦少し下がるが夜にはまた上がる。体温計のデジタル数値がすごいスピードで増えていき、8度を越えたときは正直、生きた心地がしなかった救急車を、という考えもよぎったが、ダーリンと相談し、結局、点滴してもらうだけなら院内感染もこわいし、自宅で、と決めた。96歳という高齢。何が正しい判断かは結局のところ不明だが深慮の上、判断しなければいけない果たして、不死身のバァは3回の点滴で、4日目には平熱にもどり「飯はまだかぁ」起き抜けにそう催促したでも4日間の寝たきりで、足腰が弱り、いつも通り手引きで歩けるよう復調するまでに1週間くらいかかった。さらに、お尻の床擦れが悪化してしまった食べても脂肪がつかず、本当にお肉がない。寝ている時間の体の負担がすこしでも小さくなるよう、ベッドのマットレスを替えてもらうことに。ジェル状のものが入った低反発タイプ。体が沈んで気持ちいいバァに試してもらう。「うん、これがええ。やおい(柔らかい)わい」おぉ、違いのわかる女これで楽になるといいが。その後、快調に過ごしている。あんパンを軽く平らげたバァが「もうひとつおくれ」と催促するので、「い~や」とアッカンベーをしてみせると、真似をして自分もアッカンベーをしておきながら、「ふんっ、子どもみたいに」そう鼻で笑った。子どもといえば、ウチには子どもがいないが、手相をみて、先が読めるバァが今朝唐突に「もう、子どもはできんわい」そう言った。泣き真似をしながら「ホントに」と聞いてみたら「うん、できん」と、キッパリ。バァがそう言うなら仕方ない。
Oct 16, 2010
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おもいっきり派手にこけたリビングの真ん中でしかも顔面からあぁ、これがバァでなくて本当に良かった。わたしでそれにしても、こんな派手にこけたのは久々まだ顔面が痛む。「バァ、おもいっきりこけた」顔を押さえながらちょっと訴えてみたらバァは気の毒そうに顔をくしゃくしゃにして見せ「おぉ、腫れとるわい」あ、いや、すぐに冷やしたしそんなに腫れてないはずなんだけど。そんなバァは家では24時間適温の中だが週に一度のデイサービスの行き帰りで、今年の酷暑を体感している。「照るけん暑いわい」まっとうなコメントが続く。先週デイサービスから帰ったバァに聞いてみる。「バァ、デイサービス楽しかった」ソッコー返事が返る。「そのサービスは消えたんじゃ」「へぇ~消えたん?どこへ?」「地の底へ」さすがバァ、返しも絶妙。食事も順調箸を使うのが基本だが時々まどろっこしいようで右手指を使う。「コラ日本人なんやけん手で食うな」ダーリンのゲキが飛ぶ。抗議したげな目でちらりと見たが箸を握り再チャレンジやればできる…と、最後の少しがうまくとれない。チラリチラリとダーリンを横目で見つつ見つつそっと手でつまんで食べるあまりのカワイイ様子に気づいたダーリンも見ないふり
Sep 12, 2010
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「バァちゃん、仕事に行ってくるよ」「おぉ、儲けて来いよ~」ダーリンとバァの今朝の会話。「バァちゃん、仕事に行ってくるよ」「どこへ行くんぞい?」これが普段の反応なので今朝の気のきいた返答に目を瞠る今月のバァは久々に絶好調に過ごしたといえる。8月の頭から行き始めたデイサービスに結局4週とも通った。「いやじゃ、行かん」そうゴネたのは2度目だけで、あとは「今日はデイサービスよ~」と告げるといそいそと朝食をすませ玄関に座って迎えを待つ。今回の施設は、スタッフも落ち着いていてキャピキャピ楽しい~って訳ではないが過ごしやすいのだろう。帰宅後も変に疲れた様子でもなく、疲れて寝続けるわけでもなく、きちんと晩御飯には起きて、翌日もいつも通り過ごせる細かいことを言えば不満がないわけではないが及第点といえるだろう。他の方々を迎えに寄り、施設まで40分くらいかかるということで心配していた車酔いも、酔い止めと騙して飲ませているラムネが功を奏しているのか今のところ、問題なししかも、デイでの適度な刺激がいいらしく、件のしっかりした受け答え。夕方の庭木の水遣り時に庭に連れ出して座らせる。ちょっとしぶきがかかると「おぉこりゃいかん、雨が降ってきた」夜、リビングからベッドに移動するとき、ダーリンに「おやすみ」を言うよう促すと「ゆっくりおやすみよ~」と、ニッコリ最近のバァはこんな調子食欲もモリモリ、特に果物の食いっぷりがよい。夏はスイカに、メロン、初めて食べたドラゴンフルーツもお気に召した。この時期は、出始めの梨に、葡萄、それから大好物のいちじく。果物は水分も同時に摂れるし、酵素なども多い。バァの美肌の秘訣かも惜しむらくはバァの子どもである、姑や叔父が来たときの口数の少なさ普段は結構しゃべるのに・・・。ダーリンと2人で諸説説いてみるが、真相は不明今日はテレビで泳ぐ高齢者を見て「ようあがなこと(よくあんなこと)するにゃー」と感心してみせる。「私も時々行くんよ~」「あんたが」「バァも行く?」「うん行く 泳げりゃせんけど」川のそばで育ったくせにカッパじゃないのか
Aug 30, 2010
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6月に、1年ぶりのショートステイを利用し、たまには刺激も必要、と悟った。バァの体調も戻ったのでこれまた1年ぶりにデイサービスを利用。火曜日のこと。以前行っていたデイはケガをしてやめたので今回は、ショートで利用していた施設と新たにデイの契約。デイの契約をするのは4軒目。地理的な問題で、どうしてもお迎えが1番になる、とのこと、まっすぐ行けば10分の距離だが40分くらいかかるという。必ず車酔いするバァの道中が心配「車酔いの薬よ、これを飲めば大丈夫」とラムネを口に含ませて送り出す。お昼休み、施設にのぞきに行く。・・・と・・・・あぁぁむちゃくちゃ不機嫌な顔どうやら、食事中かなりむせたらしい。しかも、むせたので途中で食事を撤収したとのこと。そりゃ、怒るかも。私が声を掛けてもムシ「もう横になる?」という問いにかろうじてうなずいた。夕方、戻ってきたバァは思ったよりゴキゲン車酔いもなかったらしいこの施設ではデイで何をしたのかどんな様子だったのか、連絡帳に記載がないが、「バァ、おもしろかった? また行く?」「うん、また行ってもええ」おぉバァの反応は上々。進歩かも。そして、やっぱり刺激の効果その夜の受け答えもしっかり「バァ、ご飯食べよう」「あんたもお食べよ」「これ何でぇ?」「これはカボチャのコロッケよ」「うまいか?」こんな具合。体調を見つつ、週に1度か2週に1度は利用しよう今日のこと、郵便受けに「停電のお知らせ」なるものが入っていた。12日に停電この暑い中しかも2時間もありえない・・・。すぐさま電力会社に電話。「うちには100歳近い高齢者がいるので 2時間もエアコンが止まると熱中症になってしまいます」「そこをなんとかご協力いただけませんか?」「何かあったらどうするんですか? 他のお宅ではそんな問題はないんですか?」「冷蔵庫の中のものが傷むとは言われました」「冷蔵庫の中のものは傷んだら捨てればいいですが 人間はそういうものではないでしょう?」「はぁ・・・でもこちらも期限が迫ってまして」「期限は急に迫ったんですか? 1ヶ月くらい前にでもお知らせいただいたら デイサービスなどのサービスを利用することもできますが こんなギリギリでは、そんな手配もできません」実際、デイもショートもいっぱい、と断られた「ちょっと検討します」そう相手がいい電話を切ったあと、しばらく後「お宅だけにその時間、臨時の電気を供給します」と、連絡があった。これで一安心。主張は必要
Aug 5, 2010
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庭の木でセミが大合唱している。日中は35度を越える日もあるが、バァの部屋は温湿度とも一定に保っている。私の風邪に端を発したバァの不調はようやく終息バァの顔に笑顔が戻った。ここ数日は自力で食べるようになり、口数も増えた朝は「起きてご飯食べよう」声をかけると「髪とかさないかん」身だしなみにも気を配る「水ようかん食べる」「半分おくれ~」返答もしっかりしている私の姿が見えると、声高に「どこ行くん」「何しよるん」そう尋ねる。頂き物の箱をテーブルに重ねておいているとめざとく見つけ「これ何ぞい」1つはお茶、2つはお菓子の箱だが、「お茶よ」しれっと答えると「これ全部がぁホントに」す、鋭いお腹がすいたと鳴くニャンズの声を聞きつけて「ニャオンニャオン」真似る声色もクリア我が家に平穏が戻った。「平穏」そのありがたさを思う。
Aug 2, 2010
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「よ~いよ~い」昨日のこと、久々にバァの呼ぶ声が聞こえる。大きな声がでてるさらに「どこに行ったんぞい」席にいないダーリンを心配する余裕まで晩御飯はお寿司バァの大好きな巻き寿司の調達ももちろん抜かりない「バァ、お寿司よ~食べる」「おー食おう、食おう」返事も軽やかここのところ自力で食べることをせず口に入れてやったら食べる毎日だったが、巻き寿司を掴んではパクパク、パクパクいいペース「うまい」「うまい」きちんと返答も返る。さらに掴んではパクパクパクパク、パクパク。またまた掴んではパクパクパクパク、パクパク。目を見張る私たちを尻目にバァは巻き寿司を5切れも平らげたと、安心したのも束の間、今日のバァは、一転まったくしゃべらない寝てるのを起こしたときだけ「やめぃ」大きな声がでるが、あとは頷く程度。水分も充分摂っている。一体なんの加減かそれでも、バァに、と今日お土産にもらったバァの手サイズの湯飲みを眺めすがめつ、ご満悦な様子ソファーで居眠りするときも離さない
Jul 20, 2010
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今は雨の音が止んでいる。ここ数日、各地のゲリラ豪雨の被害に胸が痛む。ニュースを見ながらバァにも説明。「ありゃ・・」小さい声ながら気の毒さをにじませる。バァの調子はあと一息、というところで停滞。そこで再度往診点滴を依頼したところ今日は比較的すぐに来ていただけた。「顔色も良さそうだし、この前より 調子良さそうですね」そうそう、あと一息少し元気になったら私たち以外の人とも会わせて刺激もちょっと与えてみよう1年ぶりにデイサービスを利用しようかと思っていた矢先の体調不良6月の私の関わったイベントは2日間に渡ったので、1年ぶりにショートステイを利用。結構ゴキゲンで帰ってきてその後数日よくしゃべったさらに6月末、友だちが5人、お泊まりにきたときはちょっとびっくり&緊張で口数が少なかったもののみんなが帰った翌日、「昨日、お友だちが来たん覚えとる?」と尋ねると「おぉ 3,4人来とったのう」ちゃんと覚えていたしかも「また遊びに来るって言ってたよ~」と告げると「もう来いでええ(来なくていい)」と悪態をつく元気ぶりお客さんが来ると、構ってもらえる度合いが減るのでちょっとイヤだと思ってるよう。カワイイ~あぁ早く元の元気なバァに戻ってほしいな。悪態ついてウシシと笑ってほしい。
Jul 14, 2010
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前回の更新からなんと3ヶ月も経ってしまっていた3ヶ月といえば1年の4分の1いっ いつの間にこの間、私には少し大きなイベントがありその準備に追われ、終わったら終わったで、反省と落ち込み、さらには残務処理が少々・・・3ヶ月があっという間に過ぎていた、という訳。一方、バァは「つまらん」と私の帰りを待ち、時には「お寿司買ってきたよ~、食べる?」「そがなもん、買うてきたって知らん」そう拗ねてみたり・・・ちょっと寂しい思いをさせてしまったイベントが終わってからこちら雨が多くムシムシと空気の重い毎日。ちょっとエアコンをかけて寝たせいで簡単に私は風邪を引いてしまった。その風邪は、私バァダーリンと我が家を席巻し、この2週間ほど、私たちを苦しめている。バァは私が風邪を引いて5日目くらいからすっかり食欲をなくししゃべらなくなってしまった心配になってドクターに往診を依頼自宅で点滴をしてもらったところ少し復活「ご飯食べる?」声をかけると「ようけ(たくさん)入れてきてよ」と言うまでには回復した。ベッドからダイニングまでは手引きで歩きその足取りも少しずつしっかりしてきた。食事は、自分ではなかなか口に運ばないが口に入れてやるとモグモグ食べ、その量も回復食べて満足すると「さあ、あっち行って寝よか」口数も少しずつ増えてきた。「もうお腹いっぱいになった?」「なにを~まだ食いよるんじゃ」少し勢いも出てきたのでちょっとホッだがそれでも1日のうち、眠る時間がとにかく長くまだ本調子でないことを伺わせる。そう、私の風邪はこうしていつも家族や友達を巻き込んでしまう。すぐに風邪を引くので気をつけないといけないのについつい油断してしまうまずは体力づくりいつも有言不実行の私だけど私の健康は、家族の健康やらねばなるまい
Jul 12, 2010
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春爛漫、気持ちのいいこの季節バァの調子がもっともよい季節でもある。サーカス行きを決めたのは3月末ごろ。そして4月4日15時40分のファミリーBOX席のチケットを手配。「野球拳全国大会」に出場するためタイムリーに福島からやってくるnanapoohさんやtabirinさんも同行してくれることにちなみに、野球拳全国大会には私も一緒に参加さて、15時40分といえば、バァのいつものお昼寝の時間。なので、その時間に焦点を合わせるため、前日からバァのタイムテーブルは前シフト。さぁそろそろ出かける準備「バァ、起きて~」……反応なし。じゃあ、まずオムツ換えとこ。「オムツ換えるよ~」…… 反応なし。それでもオムツ交換時には大抵目覚める。……目も開けない「バァちゃん、大丈夫か」心配症のダーリンが早くもオロオロ。「もうバァちゃん置いていく」オイオイ、それは意味ないだろ。体を起こして座らせる。……まだ目を開けない。「とりあえず車に乗せよう」ダーリンのお姫様だっこで乗車。……まだ目を開けないこんなに目を開けないなんて「バァ」呼び掛けると「う~ん」おっ、反応あり。でもやっぱり目は開けない。ま、寝てたら酔わなくていいか。とも思ったが、一応声を掛けてみる。「バァ、飴食べる」バァは目を固くつむったまま口だけ開けた大丈夫そうそうこうしてる間に会場に到着車から降ろして車椅子に乗せた途端、「着いたんか」パッチリ、お目目は開いたキョロキョロと興味津々の様子の中眩しいライトアップとともに上演開始普段は首が硬く、なかなか上を向くのが難しいので、上方の演技が見れるか心配したが、それはまったくの杞憂。一生懸命目を見開いて、上を見上げ、一生懸命観ている途中、周りの手拍子につられてバァも一緒に手拍子までそうして、途中ちょっとうとうとした私の横で2時間近くのプログラムを完鑑賞「さぁ~帰る」「いいや、帰らん」え~っその夜、一眠りしたあとのバァに尋ねてみる。「バァ、今日のサーカスおもしろかったね」「……」ちょっと考える面持ちのバァ、たいてい寝たら忘れる。まぁそれも仕方ない。…と、おもむろにバァが口を開く。「…あれは、良かった」いや~ん感慨深げな様子にじーんとなるバァが喜んでくれたサーカス大成功サーカス効果か、春の効果かバァは絶好調な毎日ダーリンとの会話のキャッチボールもほのぼのしている。「それ、やおい(柔らかい)か?」「おぉ、バァちゃん、これ食うか?」「うん、食う」我が家の庭の植樹まつり。バァのそれを見張る眼光鋭し
Apr 15, 2010
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バァとダーリンの間では、あまり話がはずまないことがある。基本的にバァが男性は苦手、ということもあるが、もうひとつの理由がわかった。先週のこと、ダーリンの帰りが遅い日が2、3日続いた。ダーリンはかなりお疲れのご様子と、その時いいこと思い付いた大好きなバァちゃんから労いのことばがあると元気でるはず「バァ、ダーリンが帰ってきたら、お疲れさまって言ってあげて~」「うん、わかった」「ちゃんと言える」「言える」「ホント~」「言える」「じゃあ言ってみて」「なんじゃて」「お疲れさま、よ」「お疲れさま」「もう一回っ」「お疲れさま~」…と、練習中、タイムリーにダーリンが帰宅。「バァちゃん、ただいま~」「うん」あれ練習の成果は「バァ、言うことがあったんやない」「おちゅ…モニョモニョ」「えぇバァちゃん何」ダーリンの素朴な質問にバァは少し顔を赤らめ、「うん」あれれ~「バァ、何か言うんじゃなかった」「なんじゃったかいの」そうトボけてみせたあと、蚊の鳴くような声で「おつかれさま…」やっと言った。ははーん、バァはダーリンに何か言うのは照れるんだそういえば私には「おやすみ~」をいうがダーリンには言わないフフフッ照れ屋さんそんなバァをつれて今日、介護認定のため病院に行った。通院は去年の介護認定から実に1年ぶり。途中6月に一度、ちょっと元気がなく点滴往診に来てもらったが一度の点滴で復活した。御年96歳。通院が年に一度とは嬉しい限り「バァ、病院に検診に行く」「あんたも行くん」「うん、行くよ~」「ほんなら、よかった」なんともかわいい病院では先生にも看護師さんにも礼儀正しくお辞儀をし、スムーズに診察は終わったちょっと心配なのは体重が3キロ落ちていたこと。130センチ、27キロあぁ、私のこの体重を分けてあげたい何より嬉しかったのは150で普通、180のときもある、だった血圧が上が127、下80だったこと。往復の移動も飴をなめつつ車酔いもなししかも帰りにはカートを押しながらスーパーでの買いもの、刺身やあさり、りんごなどを次々かごに運んだこんなに元気なのはいつぶりだろう逐一写メをダーリンに送信ダーリンは感涙にむせんだこの1ヶ月の間、私の留守中にキッチンまで歩き、饅頭と伊予柑を食べてダイニングでコケていたという事件もあったがそれも調子の良さのなせるわざとはいえ、一人歩きは確実にコケる状態なのでとりあえず、ベッドの柵を追加し、椅子にはシートベルトをつけて対策。かわいそうだが、『骨折で寝たきり』は絶対に避けたい一緒に軽い運動をしつつたまには元気に出掛ける。それが理想的今、この街にはサーカスが来ている。「バァ、サーカス行く」この言葉にはすごく食いつき、サーカスのチラシを30分も眺め・・・・・・と思ったら、今度はグッタリ「バァ、どうしたん」「・・・寂しい・・・」サーカスから連想して昔のことを思いだしたのか・・・。いずれにせよ、今週末はサーカスに出掛けようこのあたりは、旧暦で祝う雛祭りも、もうすぐそこ
Mar 30, 2010
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バァが呼んでる声がする。急いでバァの部屋へ向かう足が止まった。いつもと違う、聞き慣れない呼び声。ま、まさかあぁ、このときが来るなんて・・・。いや、でもこれは最初で最後かもしれない。ていうか、もしかしたら聞き間違いかもしれない。もっとよく聞いてみよう。・・・と思った途端、バァは呼ぶのを止めてしまったでも、間違いない。絶対そうだバァが初めて私の名を呼んだバァがウチへ来て2年半あまり、今まで一度も名前を呼ばれたことがない。たまに聞いてみる。「バァ、私の名前知ってる?」そうすると、バァはいつも「何をいうかと思ったら・・・」というような顔をして「ふんっ」と笑う。でも今まで一度も呼ばれたことはなかった。たいてい「よーい、よーい」ですませる。それが、とうとう・・・。これが感動でなくていったい何だろう。そう、私は湧き上がる喜び(ちょっと大げさ)に満たされていた。「バァ、私を呼んだ?」「飯はまだかぁ」「今、用意しよるところよ」「飯炊いたんか? 5合くらい炊いたか?」「2合よー」「ふんっ、それっぽっちか、 そんなん1人で食うてしまえるわい」私の感動をよそにバァは私の名を呼んだことなどすっかり忘れた様子で威勢がよい。もちろん私は満面の笑みで受け答える昨日は、バァをダーリンに任せて仕事で1日留守に。夕方帰宅すると、バァの娘である姑が来ていたが、それまでむっつりテレビをみていたバァが私の顔を見て、嬉しそうにニッコリ笑って「もおったんか(戻ったんか)」と言ったのもかなり嬉しかったなかなかバァは心得ている最近のバァはよく笑う私がくしゃみをしては笑い私がWiiFitをしているのを見ては笑いゴキゲンに過ごしているバァが「イヒヒ」と笑うのはかなり調子がいい証拠私が友だちからもらった小さなウサギのストラップをめざとく見つけ握って離さないほどお気に召したりもしているよく寝て、よく食べ、よく笑い、たまに歌い「好かんあっち行け」そうネコに怒る声も威勢いい。バァがソファーでウトウトしているのでダーリンが声をかける。「バァちゃん、寝よるんか ベッド行って寝るか」「いいや 考え事しよるんじゃ」
Feb 15, 2010
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関東の雪のニュースを見てバァは「あれ、見てみい、雪じゃ」そう目を細めた。この温暖な四国で雪が降るのは年に1度か2度、滅多にお目にかかれない。でもバァが住んでいた山間部では平野部で降らない雪が降る。「ウチんところも雪じゃろか」「降っとるかもしれんね」「寒うなったり、ぬくうなったりするけんいかんわい」常時温暖な部屋で過ごしているバァもテレビから気候情報を得ているようバァはとりあえず何のテレビ番組でも熱心に見る。じっと見る。よく反応を示すのは、動物ものとか時代劇、ラブシーンも結構じっと見ている話変わって、先頃、健康不安をいだいた私はひまを見つけては病院に行き、あちこち調べている。結婚して15年、着実に右肩成長を遂げ今では、15キロ以上の増の私。基本の健康診断では「メタボです。運動して減量してください」そうきっぱり言われたその話をtabirinさんご夫婦にしたらtabirinさんのご主人、間髪入れずこう言った。「当然やろ」・・・やっぱり。ちなみにtabirinさんのご主人はスイミングにはまり、みごとメタボ気味から脱出そのお方に反論する術もない。「NO運動」を貫いてきた運動嫌いの私もこれではいけないとさすがに危機感を覚え、まずは、と、tabirinさんからWii Fitをお借りした。「バァ、今からテレビで運動するけん、見よって」バァがソファーでテレビを見ているのでお願いした。「うんうん」バァは快く了解テレビをじっと見る。「私、運動して痩せるんよ」「痩せてどうするんぞい」「痩せてキレイになるんよ「ふん うそぎり~(うそばっかり)」私が痩せることはないっていうのか「そうそう、いつも口ばっかりやもんなー」ダーリンが追い打ちをかける。絶対負けないぞーWiiFitに登録した私のキャラクターが小太りなのが、とても悲しい
Feb 2, 2010
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1月ももう終わり手帳をみて驚いたはやっ。もう1ヶ月もたってしまったが、今年の目標は「ムリはしない」年末、9度の熱がでて救急へ、「インフルエンザではありません」に安堵して帰宅。翌晩、熱は9度5分に別の救急でA型インフルエンザと診断された。高熱は6日も続き、その後さらに体調不良が1週間さすがにこれには参った。もう絶対「ムリはしない」私のA型インフルエンザはダーリンにもうつったダーリンは1日で復活バァも少々微熱で元気はなかったもののすぐに復活なんとか事なきを得た。高熱の間はダーリンがバァのお世話。そう、私が病気になると家族にも迷惑がかかるやっぱり「ムリはしない」そんな私の決意はどこ吹く風、いつもながらバァはマイペースに暮らしている。何の加減かわからないが、時々元気がなく、あまりしゃべらないこともあるがそれでも食欲は変わらずこれが長生きの秘訣ここ数日は、よくしゃべり大きな声もでてよく笑う。私の姿を見つけると大きな声で「よーい何しよるんぞい」そう、呼びかけてくる。絶好調のしるし遊びに来た友だちの子ども、3歳と「またおいでよ~」「また来るね~」握手ちゃんとコミュニケーションになってるいい感じ夕べのこと、バァと並んでソファーに座りテレビを見ながらうとうと至福のときダーリンがバァに話しかける声が聞こえてきた。「ばぁちゃん、そいつを起こしてくれ」しばらく間があって、バァの声が聞こえる。「よい起きぃよ、タヌキ」……は、はい今なんと言われましたかその上、介助する私の腕をしげしげ眺め「太いのぅ」バァの頭は意外と冴えてる
Jan 29, 2010
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市役所で小走りの私を見かけ「師走だなーと思った」と友人は言うがまさしくそんな気ぜわしい年末その中にあって、22、23日は時計を見ずにゆっくり過ごす時間を持てた。思い返すとその2日はずっと家で睡眠時間を削ってただただおしゃべりをし、ただただ食べていたようなそんな幸せな時間遠方よりバァの顔を見に来てくれたnanapoohさん、tabirinさんに謝謝バァのハッピーバースデーもできた。バァは2人の到着を心待ちにし「よお、来たのう」と歓待。もらったプレゼントを気に入った様子でしげしげ眺める。・・・とそこで、nanapoohさんが干し柿を取り出す。それを見るやいなやプレゼントを急いで傍らに置き、干し柿に手を伸ばす。ほぼ1個を食べ終わったところでヘタを捨ててあげようと私が手を差し出すと「まだじゃー」ヘタの端の端まで完食し、さらに次の柿に手を伸ばす。「バァ、そんなに食べたら晩御飯を食べれんなるよー」「誰が食う言うた」丁寧にティッシュに包んで、そっと隠す。なるほど、次のをキープしたわけね受け答えも足取りもしっかりnanapoohさんとtabirinさんをして「若返ったんじゃない」と言わしめるバァはやっぱり奇跡の人かもしれない。そんなウチの奇跡の人は夕べ、テレビの中のキスシーンを凝視そのシーンが終わると「あれ・・・あれ・・・」と何か言いたげなので「何?どうした」そうたずねると、急に真顔で「・・・なんでもない」その「なんでもない」があまりにクリアできっぱりな感じなのでダーリンと2人で笑ってしまった。キスシーンを見て何を思っていたんだろう今年は一度点滴に来てもらっただけで一度も病院へも行っていない。そんな平穏な1年が終わろうとしている。来年もどうか、バァが健やかでありますように
Dec 25, 2009
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ここは散髪やさんの待ち合い。バァが散髪中昨日から告知していたが、バァはちゃんと覚えていて昼食後少し昼寝して「はよう、行こ」と催促するほど今日で何度目かの散髪やさんのご主人にも奥さんにも笑顔で挨拶そして、バァは明日、96歳を迎える数日前、ダーリンはバァに聞いてみた。「バァちゃん、誕生日に何が欲しい」「…しらん」「犬でも買うてやろか」「いらん犬や好かん」知ってて聞いたんだけどね「ほんなら猫は」「いらん」動物はどれでも嫌いなんだろうかふと思いついて聞いてみた。「バァ、ウサギは」意外なことに即座に「ウサギ、いる」へぇーと思ってる私の傍らでダーリンがニヤリとする。「育てて食うんよな~」「うん」ガックリそうだった、バァとはそういう人だった。ウサギはあげられそうにない96歳を目前にしてもバァはいい感じ冬には「冬眠」ってくらい寝るが今冬は起きている時間も長い。食後すぐにベッドに向かおうとするバァに「寝るばっかりしてたらバカになるよ。ちょっとテレビでも見て世の中のお勉強しなさ~い」そう言うと午後中起きてテレビを見る。数時間後・・・「あれ~起きとったん」「バカにならんよう見よるんじゃ」いい子や~たまには甘えてソファーからベッドに戻るとき「背負うていってくれ~」なんか楽しそう「よし、乗っておいで」が、軽いバァでさえ見かけ倒しで非力な私は背負って立つことができずバァを乗せて、四つん這いになったままなんだか可笑しくなって、バァと2人でケラケラ笑った髪を切ってスッキリ顔のバァに散髪屋さんの奥さんが声をかける。「明日、お誕生日おめでとうございます」「ありがと~ぅ」笑顔がカワイイ
Dec 19, 2009
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早めの休息作戦が功を奏していつも長引く私の風邪は3日で回復バァにもうつさずにすんだ平和が戻った我が家でここのところ気がついたことがある。バァの食べるスピードだ。バァは食べるのが遅い。ゆっくりダラダラ食べる。なので、たいてい、朝一でフレッシュジュースを飲ませ、午前の仕事に行く直前の10時前にバァを座らせて朝ご飯を出すと、私が戻る12時過ぎ頃にちょうど食事が終わっているところが、最近、9時半頃に食事を出すと出かけるときには、もう半分以上食べ終わっていることがあるんちょっと食べるのが早くなったような・・・晩御飯は、ダーリンは飲みながら、バァはもともとゆっくり、なので2人は2時間くらいかけて食べる。早食いの私はヒマをもてあましてしまうが団欒のとき、とテーブルについている。そんなバァが、晩御飯もスピーディになった。几帳面なバァは、食べ終わったお皿を回転寿司のように、重ねていく。夕べは1時間足らずでこの様子。そして入れ歯を外してご機嫌顔。食べるのが速くなるなんて、バァはいったいどこまで進化するんだろう。閑話休題。私があこがれ続けたニャンズの姿仲の悪い2匹がくっついて寝るのは初めて
Dec 8, 2009
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気をつけてたのにとうとうやってしまった風邪でダウンダーリンが3週間以上風邪で苦しんだ10月でさえ無事に乗り切ったのに。昨日も今日も仕事をキャンセル。食事の用意以外はおとなしく寝ているが微熱が続いているマスク着用でバァとは最低限の接触にとどめている。幸いバァの様子に特に変わりはない。朝、いつものように冬恒例のみかんジュースを作りバァに持っていく。「バァ、みかんジュースよ~」「ゼニがいるんか」もらったことがあるかいゼニがいらないと安心したのか完飲昼夜、食欲も旺盛「めし、もうちょっと入れてくれ~」なんとかうつらずにすんでほしい。ところで今日夕方姑から電話があったダーリンの職場は実家なので私のダウンをダーリンから聞いたらしい。「バァちゃんの世話をせないかんのに大丈夫」ちなみにバァちゃんとは姑の母。「栄養とってよく休んでね」その栄養は自分で調達しなきゃいけないんだよね、もちろんちなみに姑は車で5分のところに住み義姉もいるので女手が2人もいる。もしや今晩は姑から差し入れがあるかと期待したが期待ハズレ熱を押しての晩御飯さつまいものコロッケ大根とキャベツの味噌煮込みイワシのトマト煮自然薯のお好み焼き風1年以上実家にも帰っていない私はなんとなく不条理がぬぐいきれない唯一の慰めはやっぱりバァの愛らしさ。いただき物のハトサブレの缶を大事に抱いてほっぺにはハトサブレのシール
Dec 3, 2009
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「バァは大丈夫?」そんな問い合わせをよくいただく。ブログの未更新がもう1ヶ月半近く光陰矢のごとし・・・更新する暇がないほど忙しい10月を過ぎたら更新する暇を持つ習慣がなくなっていた、そんな感じ。はてさてウチのバァは・・・。10月のある深夜のこと。それは丑三つ時、ドーンと大きな音がした。音は一度きりですぐに静寂が戻ったのでなかったことにしようかと思ったが、なんだか気になって音の元を探す。特に変わった様子はない。一応バァの部屋ものぞいてみよう・・・・・・バァがいないベッドでは布団がかまくらのようになっている。部屋にもいない。廊下にもいない。ま、まさかバァが玄関でドアをにぎったまま座り込んでいる「どうしたん」「コケたんじゃ、イヒヒ」いたずらを見つかったような顔を見てどこにも痛みがないことを知る。ほっ。鍵がうまく開けられなかったのだろう。「どこ行くん?」「外見てみようと思うて」「夜中よ~」抱き起こして、玄関のドアを開け外を見せてやる。「ホントじゃ、真っ暗じゃな」納得してベッドに戻った。ほとんど一人で歩くことがなくなったバァが自力で歩いたのは、この1ヵ月半で2回だけ。2度目は、リビングの掃きだし窓から隣の子ども達が遊ぶのを見て「こっち来いそっちいったらいかん」そう、窓越しに怒鳴っていた。寒くなったせいもあって、ここのところまったく外には出していない。たまにはちょっとだけ外の空気に当たらせてあげようこの1ヵ月半のバァは、とにかく「調子がいい」の一言。その頭は「クリアな感じ」を継続中。来月には96歳の誕生日を迎えようというのにそのクリア度はますます増しているとも言える日曜日には隣県からやってきた私の友人達を笑顔で「よう来たのう」と出迎え、友人お手製の赤飯を独り占めしようし、小皿に分けると「皿が小さい」と怒るほどたっぷり時間をかけて食欲も旺盛先週から今週にかけては連日グラチャンバレーを私たちと観戦。「今日もバレーやってるよー」「どっちが勝っとるか」と興味津々。私がテレビのまん前で盛り上がってると「邪魔じゃ、見えん」・・・すみません、ご覧になってましたか・・・。会話が一方通行だと不満がっていたダーリンも「最近は話が通じる」と嬉しそうこの寒さの中、我が家は小春日和が続いているバァは元気でございます
Nov 26, 2009
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「台風上陸」のニュースで、早々に雨戸を閉め、子どものころに味わったような「雨戸の部屋のワクワク感」を満喫。暴風大雨警報も出ていたが、この辺りでは幸いにもほぼ暴風も大雨もなく過ぎた。バァに「今日台風が来るんよ」と告げると「ほうかー、夜の間に行ってしまうわい」と的確な返答最近の受け答えには目を瞠るものがある表情も清清しく、そう「クリアな感じ」なのだ。昨晩、久々にウチで晩御飯を食べた友人Yちゃん、バァの表情のはっきり具合やその食べっぷりに、感嘆することしきりちょうどベッドからテーブルに向かって歩いている最中に彼女と遭遇したバァは、足を屈伸させてお辞儀までして見せたバァが調子がいいととにかく嬉しくて「カワイイカワイイ」と連発してたら「あんたの方がカワイイわい」そんなお世辞まで昨日訪ねてきたケアマネさんには「あんたが1番カワイイ」と言ってたけどあまりにカワイイので寝てるバァのホッペにチュッチュッしたら「やめい、やめい」それでもチュッとすると「噛みつくぞ~」そんな元気もとってもカワイイ今日は夕食後3人でソファーに座ってテレビ観覧画面上には幼くして病魔に冒された子どもが映し出される。それでも懸命に最期を生きる姿にゲストタレント達が涙する。・・・と、バァ。「あれ、目にゴミが入ったんじゃろか ちょっと見ちゃれ(見てやれ)」見ちゃれって、テレビの中なんですけどていうか、目にゴミがはいったわけじゃないんですけどま、とにかくバァはとってもクリアな感じ歩く足取りもスムーズ
Oct 7, 2009
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曼珠沙華で道路が真っ赤に縁取られた、そんなシルバーウィークがすんで1週間。忘れないうちに振り返っておこう。このシルバーウィーク、我が家の1大イベントは「バァと島へ行く」だった。バァは若かりし頃島に住んでいたこともあって「島」には反応がよい。ウチにやってきてすぐの頃本州と四国をつなぐ橋を見に連れて行ったら背伸びをして熱心に島々を眺めていた。そんなバァに1週間ほど前からダーリンは「バァちゃん、島に行くか?」そう何度か声をかけていた。その都度、バァは「うん、行く」即答。これは連れて行かねばならない前日、再再再々確認のダーリン「バァちゃん、島に行くか?」「行く言うたろうが」お、言ったことを覚えているそうしてホンのすぐそこ、港から見える距離の島への渡航()が決まった。ところが当日。失敗その1フェリーから島に向かう予定が昨今の高速値下げのあおりを食ったフェリー会社大幅にその便数を減らしていた便が減っていたのは知っていたが、私が知っているより更に便数が減っていたもはや私の持っている時刻表は古く「フェリーは今出たところです。次は70分後です」え~待てないあきらめて橋を渡ることに。失敗その2バァにいい景色を見せてやろう。橋を渡って、私たちが向かった先は島の山頂展望台。おぉ橋と島と海、美しい~車に弱いバァを寝させて移動するためのワンボックスカーようやく出番、と後部座席に布団を敷いてバァを寝させている。「バァ、ちょっと起きて見てみる?」「イヤじゃ・・・」「大丈夫?」「・・・」あきらかに調子悪そうな顔・・・どうやら酔ったらしい・・・・少し車中で休憩して下山。失敗その3どこかバァが喜ぶところはないか、考えあぐねて「バラ公園」に向かう。日がサンサンと降り注ぎ、とても暑そう車椅子での移動とはいえ、酔ってグッタリしているバァにはきつそうちょっと寝させてやろう。車を停めてバァを寝させることに。隣で私もウトウト・・・。どのくらい経ったか、ダーリンに起こされる。「いつまでもここにいても仕方ない、 フェリーに乗って帰ろう」・・・とさっきもらったばかりの時刻表を見たら・・・・・・・「フェリー出たとこ、あと1時間近くある・・・」お昼もまわったところで、お腹も空いてきた。が、食べると車酔いはいっそうひどくなる。「あと1時間は待てん」結局帰りも橋を渡る。そうして、このイベントはただただバァに車酔いをさせて終わったいつかきっとリベンジしたい。シルバーウィーク残りの数日は私の友達一家が遊びに来たり、バァの孫である、ダーリンの従妹とその彼が遊びに来たり、など来客も多かったがバァはあまり大きな反応もなく、言葉少なに過ごしたあれから1週間。日増しに口数が増えて、食欲も増してきたバァの様子に安堵している。お風呂嫌いのバァが昨日は「お風呂入ろう」というと自らボタンに手をかけ服を脱ぎだした。「3人で入ろう」バァ自らそうも言った。2人で介助するから「3人で入る」には違いない今日はテレビにアップで映し出されたイギリスの青年の顔を指差して「あれ見てみい、キレイな」そう言う。「バァの好み?」と聞くとニヤリ。意外と面食いテレビを見ているバァの隣に珍しくニャン1号が寄り添っている。気づいたバァは、ちょっとギョッとなってそれから「あっちいけ」という様子でニャン1号を手で扇ぐ。直接触るのは怖いらしいそうしてテレビをじっくり見た後で床につく。「おやすみ~」声をかけると「おやすみなさいませ・・・」蚊の鳴くような声で言う。そんな丁寧な物言いも知っていたかバァはまるで乙女のよう。
Sep 28, 2009
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