沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

2004.04.23
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イラク人質事件で渦巻いた「自己責任論」、ようやく風向きを変えてきたようだ。

人質になった人をヒステリックに責め立てるのは、錯誤していることや、「自己責任」という言葉の持つ欺瞞に多くの人は気づいていたし、まさしく日本的な醜い嫌がらせそのものに不快感を示す人は少なからずいたけれど、攻撃の圧倒的なパワーに、有効なカウンターパンチがなく、立ちすくんでいたように思う。ネガティブなエネルギーは本当に強く、つくづく恐ろしかった。

世論のなかに、このムードをつくった一翼は、明らかに、拘束の報の翌日から「自己責任」を書き、この視点から報じ続けた読売新聞だったと思う。イラクで邦人が拘束された、この事件は日本中にショックを与えたが、その「読み方」をじつに効果的に世間に提示してくれた。

「再三の警鐘に関わらず、こんな時期に行った人間こそ、責められるべきである」

もとより自民党べったりの取材・編集方針だし、出所は官邸だろうけど、この単純で分かりやすい切り口は日本中に喝采で受け入れられ、追従したメディアはとても多かった。放映される人質映像、家族の姿は悪意を持ってみられ、週刊誌はプライバシーを暴き立てた。

スキャンダル報道というのは、えてしてそういうものかもしれないが、私がもっとも怖いと思ったのは、人質が解放されたことを報じる同紙の社会面で展開されているこういった論理だ。

「3人が自ら招いた危機が、自衛隊の撤退という一国の姿勢と秤(はかり)にかけられた。人命か国策かという重い命題が、あまりにも軽い行動からもたらされたことに、だれもが戸惑った」

「幸いにもこの8日間、自衛隊の進退について、政府、与党に姿勢のぶれはまったくなかった」

「1人の振る舞いが、回り回って1億人の命運を左右することさえ起こしかねない。今回の事件で、そのことを改めて実感する」(4月16日 )


政府、与党の姿勢ってなに? 「国家」に反する行動はいかん? 一人の振る舞いが一億人の命運?
これって、まるで戦前の挙国一致の全体主義……と、ぞくっとした。どうしてこういう論理展開になってしまうのか。

わりとリベラルだったはずの大正時代から、どうして昭和の苛烈な戦時体制が作られていったのか、実はちょっと不思議だった。どうして、ここまで突き進む前に、だれもNOと言わなかったのだろう?と。でも、なんとなく感じてしまった。よその国で戦争がはじまり、国内でこんなふうなことが積み重なって、国家と世論が息の合った共同作業をするんじゃないか・・・と。



「『多元主義的抑圧』とは、全体主義国家における抑圧とは異なる」という。

それは、言論の自由の保証された民主主義的政治社会において、大多数の人々の同意を調達して立ち上がるのである。そこでは、支配的な物語に異議を唱える批判者の存在も許される。それにもかかわらず、ここでは批判者は変わり者と揶揄され、レッテルを貼られて周縁化される。少数者達は「危険分子」「非国民」とみなされて容赦ない抑圧に曝される。言論の自由にもかかわらず、あるいは、言論の自由があるが故に、集団的ヒステリ-が社会を席巻するのである。

こうした「多元主義的抑圧」を生み出す政治的ヒステリーの核には、「使いまわしのきく事実」が横たわっている。それは決して妄想の産物ではなく、意図的なデマゴギーにもとづくのでもない。

現実の一部分から切り取られ、人々の怒りと不安を掻き立たせ、すばやく単純に、掻き立てられた不安を解消してくれるような説明が切望されるような、そういう「使いまわしのきく事実」が、政治的ヒステリーの出発点となる。

その事実の核から増幅し、感情を激烈に刺激し、それ自身の自動運動を始めるような、物語が生成されてゆく。その結果理性は曇らされ、立ち止まって考えて見ること自体が集団的熱狂への共感を欠いた心ない態度表明だとして糾弾されることになる。

 政治的ヒステリーは、活動家、利害集団、政治家、政府、マスメディア、大衆らの複合的な相互作用によって増幅され、過熱する。そうなるとメディアはその物語の経済的利益に味を占め、報道は更にエスカレートする。利害集団とメディアはお互いの受益のために関係を結ぶ。


かくして螺旋的悪循環が際限もなく進行する。この過程において、変化や不安におびえる時代に、この物語は人々に憤怒を呼び覚ます対象を指示し、気持ちを一つにする感情の共同体に人々を統括するのである。かくして。政治的ヒステリー現象は、共通の脅威に憤怒する国民共同体を創出する。

この文章では、第一次世界大戦、ロシア革命直後の1919年、アメリカの都市であったテロリストによる爆破などで全土を覆った政治的ヒステリーと、例の9・11事件の酷似を解き明かすのだが、日本での今回のイラクでの人質事件の発展の仕方が、それとも重なるようで、空恐ろしかった。

政治的ヒステリーと強すぎる共同体意識と内部の粛清、戦争状態とはとても相性がいい。「あの年が日本の分水嶺だった」と後世の歴史に書かれないことを。とても難しいけれど、政情不安なときにこそ、「それは感情論ではないのか?」と常に冷静に問いつづけていかないといけないと思う。





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Last updated  2004.04.23 16:30:43
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