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カテゴリ: 社会

 一昨日(11日)、オウムの麻原の家族が、再審請求を行ったというニュースがあった。

オウム真理教:松本死刑囚の家族が再審請求

 オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(53)の家族が、東京地裁に再審請求したことが分かった。請求は10日付。一連のオウム事件では5人の死刑が確定しているが、再審請求は元幹部の岡崎(宮前に改姓)一明死刑囚(48)に次いで2人目。

 再審請求中の死刑囚に関しては、刑の執行が避けられる傾向にある。刑事訴訟法では、家族による再審請求は、有罪判決を受けた者が死亡した場合か心神喪失の状態にある場合とされている。

 松本死刑囚は04年2月、東京地裁で死刑判決を受け控訴したが、弁護団は「意思疎通できない」と期限内に控訴趣意書を提出しなかったため、東京高裁が06年3月に控訴を棄却。最高裁が同9月に弁護側の特別抗告を退け、死刑が確定した。【北村和巳】




 しかし弁護人によると、麻原は面会の際、質問に反応せず、意思表示もなかったという。結局、麻原という人物がなぜあのような行為を行ったのか、そしてなぜ彼と彼の教義が、なぜあれほど多くの者を引き付けたのかという最大の謎は、いまなお完全に明らかになっているとは言い難い。

 国王や貴族だけでなく貧民や子供など、西欧の社会全体を捉えた十字軍の熱狂から16世紀の 「宗教改革」 にいたるまでの、中世における様々な異端派について描いた、ノーマン・コーンという人の 『千年王国の追求』 という著書にこんな一節がある。

自由心霊派異端の核心は、信者達の自分自身に対する態度にあった。彼らは自分が罪を犯すこともできないほど完全な人間になりきっていると信じたのである。この信仰の実際の結果はさまざまあっただろうが、一つ考えられることはまぎれもなく、道徳不要論すなわち道徳律の拒否であった。
 この<完全な人間>は、一般には禁じられていることでも自分はそれを行うことが許されており、また行うことが義務づけられているという結論をつねに導き出す傾向があった。貞潔に特別な価値を置き、婚外の性交をとくに罪深いものとみなしたキリスト教文明の中で、そのような道徳不要論は原則として男女雑交の形態を取るのがごく一般的であった。        (同書 P.150)

 この 「自由心霊派」 というのは、著者によれば13,14世紀頃にドイツを中心に広まった 「神秘主義的」 な異端の一派なのだそうだが、「神との融合」 という神秘体験を経て「真理」を得た者は、それによって人間が原罪により堕落する前の無垢な状態に戻るだけでなく、神と同じ高みに昇ることができると主張したという。

 普通に考えれば、神と同じ高みに昇ったとなれば、「貪欲」 だの 「性欲」 だのといった、通常の人間の抱える 「煩悩」 は消えてなくなりそうなものだが、彼らはそうは考えなかった。それを支えているものは、 「いきとし生けるものは皆神なれば、万物はひとつ」 であるという一種の汎神論である。

 世界のすべてに神が宿るというこのような汎神論から、彼らはさらに人間の自然ともいうべき種々の 「欲望」 もまた、そのまま 「神性」 を持ったものとして肯定し、 「すべてが許される」 という結論を導き出した。神と同じ高みに昇った者は、もはや善と悪の区別を超越しているがゆえに、なにをやっても罪とはならない。その欲望もまた 「神的」 なものであるがゆえに、むしろそのような欲望を抑圧することこそが罪なのだと、彼らは主張した。

 彼らの 「神秘体験」 なるものがドーパミンかなにかの作用によるものか、というようなことは、このさいどうでもよい。どんな体験も、その意味はそれを体験した者によって付与されるものであり、「神秘体験」 によって、神との融合をはたし神性を得たと考えるのも、「凡人」 をはるかに凌駕する高みに到達したと妄想するのも、とりあえずはその人の勝手である。

 だが、ある人が 「神」 とするものは、彼らが 「神的」 なもの、すなわち至高のものとしている理念であり、ある人々がその 「神」 のものとする性質は、その人らがつねひごろ最も憧れていた性質である。だから、神とは善・悪の区別を超えた存在であると思念する者は、ただたんに自分自身がそのようにありたいと望んでおり、そのような存在に憧れているというにすぎない。

 体力はホメロスの神々の特性である。ゼウスは神々のうちで一番力が強い神である。それはなぜであるか?なぜかといえば体力がそれ自身においてある光輝あるもの・ある神的なものと認められていたからである。戦士の徳は昔のドイツ人にとっては最高の徳であった。そのためにまた、昔のドイツ人の最高の神は軍神オーディンであり、彼らにとっては戦争が 「根本法律または最高の法律」 であった。 

       フォイエルバッハ『キリスト教の本質』 

 麻原がそのような 「神秘体験」 の持ち主であったのかどうかは分からない。彼には、もともと虚言癖や誇大妄想といった性癖があったことは間違いないだろう。しかし、彼をたんなる詐欺師と断じるわけにもいくまい。金銭などの物質的利益に対する欲望もむろんあっただろうが、彼の行為のすべてがそれだけによるとは思えない。

 そもそも、世間によくいる宗教家を装ったただ計算高いだけの詐欺師であれば、銃や毒ガスの密造、はてはサリンの散布といった、国家と正面からぶつかるような無謀な行為になど走るはずがない。また、もとは優秀な外科医であったという林郁夫のように、けっして無知でも愚かでもなかったはずの者らが彼に魅せられたという事実も、それでは説明できないだろう。

 なんらかの 「体験」 によるのか、あるいは精神的・人格的な障害などによる妄想の進行のせいなのかは分からないが、麻原はおそらくいつからか、自己を普通の人間をはるかに超える存在とみなすようになったのだろう。その結果、それまで永く抱えていた 「劣等感」 や 「怨恨」 のようなものが、逆に社会一般に対する 「優越感」 と手段を問わない攻撃へと反転するにいたったのだろう。

 それは、彼をただの詐欺師とか卑劣漢などと非難するだけでは説明できない。彼自身がおそらくは、そのような妄想の一番の虜であったのだろうし、だからこそ、遠くから見ればただ図体がでかいだけのヒゲオヤジにすぎない男が、一部の者らにとっては、「現世」 を超えた神のような存在であり、「救世主」 であるとして見えたのだろう。

 今回の再審請求が受理される可能性は、おそらくあるまい。死刑判決が確定した今となっては、麻原は拘置所内でただ 「処刑」 を待つだけの身となっている。また、彼自身からなんらかの事情を聴取することも、もはや不可能な状況のようである。

 だが、このまま刑が執行されても、なにか釈然としないものが残る。そういう気分は、今もなお彼を 「尊師」 として崇めている現役の信者だけでなく、おそらくは今は教団を離れ、彼を否定しているかつての信者らの中にも確実に存在しているだろう。






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Last updated  2008.11.14 04:13:30
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