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着物を雑巾になんて! それも銘仙の着物を...、と思う方もいるのかもしれません。
ハム吉 着付け講師のきものエッセイ 」 の第四十二回(2006年10月9日号)のあとがきにも出てきた「着物雑巾のお話し」を読んで「そうそう、コレ!」と思い写真を載せます。
昔の日本は、現在その価値や有効性が再考されている循環型社会。 モノを大切にして、形を変えて、どんどん使いまわし、無駄を生まない、という「もったいない精神」のエコロジー&エコノミー社会。 着物も、親から子へ渡り、着物としての用途が終われば、お布団になって、座布団になって、ついにお役目ご免の時は雑巾になった、とのこと。 (詳しくは、ハム吉さんのエッセイを)
写真は以前、都内のとある呉服店で買った着物雑巾。 3枚100円でした。 あまりの物珍しさに、可愛い銘仙柄の入った1セットを、着物選びならぬ、着物雑巾選びをして購入しました。
着物友達の見せたら 「えっ、着物を?! もったいないよ。 わたしなら、着物で雑巾なんて作れないよ。」と。
うーーーん、正直、どんなに可愛い着物であっても、行く末が雑巾になってしまったのは複雑な心境だけれども、とってもとっても、愛情をもって使ってもらって、ここまで大切に形を変えても、使ってもらえるのなら、着物も本望なのかな...。 複雑ですね。
そして、雑巾になっても、柄あると、なんだか差別じゃないけれど、可愛い色柄のものは「使う」のが「もったいなない」になって「もったいない」が循環(リサイクル)してしまっている。 結局、可愛くない色柄の一枚のみが雑巾として活躍中です。
思うに...どんなに可愛いいもの、お気に入りでも、その時、愛着や価値もっていても、時間の経過や価値観によって、生きる場や相手が変わっていく。 うーーーん、私と結婚してくれる人には「わたしがオバサンになっても...」の歌詞ではないけれど、可愛かった着物が、雑巾になる時でも、その着物であった頃に注いだのと同じだけの愛着をもって、最後まで大切にしてもらいたいです。 どんなに私の見目形が変わろうとも (笑)
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