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心はすべての始まりだもの 信じなければなにも始まらないわ (ああっ女神さまっ) 本当にやりたいことを見つけるにはあらゆる人の話を聞きあらゆることに目を向けるべきでしょう その中でひとつでも自分の興味深いものが見つかれば これ以上素晴らしいことはないのです (天才柳沢教授の生活)7月31日気がつけば7月も今日で終わり。何してんだか・・・後悔はしないが、反省しきりである。MG先生の娘さんの結婚式が来年6月におこなわれる。それまでには少しでも自分の足で歩けるようになっていたいと思う。医者に歩けないと宣告されたものが、再び歩くというのはいかに大変なことだと思い知る。退院して1年半・・・予定では、もう歩いているはずなのに・・・リハビリ中心の生活ならば良いのだが、喰っていくためには仕事をしなければならず。そうそう思うようにはいかない。ちょっと心が消化不良気味であるが、仕事できるだけ幸せなのだ、脊損の友人たちは社会復帰していったが、頚損の友人たちは若くても自宅や施設におり、就職も難しい。手が利かないことと様々な症状で無理が出来ないのに無理して長期に寝込んだり入院したりと体のハンデは重い。少し夢中で突っ走ってきたが、さすがにペース・ダウンしてきた、スロー・ペースでゆっくり歩くためのスケジュールの見直しをしよう。短距離走ではなく、マラソンなのだから。ただ、周りの人はいくら状態を説明しても理解できないから、リハビリをしないと心配したり、サボっているように思う。日に三度合計3~5時間ゴキブリのように這い蹲って人知れずやっている、仕事もしている、それでも車いすに座って笑顔で居ると元気なのだと思って無理なこともやってくれと言われる。そう言う人に限って、大変ですね、良くわかります、お辛いでしょうねと言う。何もわかっては居ない、それを責めることはできない、なぜなら同じ立場ならそこまでは感じられないのは当たり前である、しかたないことグダグダ言っても仕方あるまい。何か愚痴のようになってきたのでやめる。それより今年初めて、蝉の声を近くで聞いた。水治療の際に車の中から、遠くでなく蝉の声は聞いていたが、治療室の窓の近くから夏らしい声を聞いた。もう、梅雨明け間近なのだろうか、蝉のほうが知っているかもしれないねとかみさんと話した。じつは昨日から息子が、エコ教室で尾瀬に行ったため明日まで夫婦水入らずなのだが、かみさんさっさと二階のお布団へと消えていった。『死にそうになったら、携帯してね』『・・・・あい (・O・; 』スイカ食わして貰ったし、アイスも喰ったから勘弁してやった。わっはは・・・・ 愛をください・・・今晩も、早寝だろうな・・・ 『ネズミやゴキブリに襲われても心配じゃないのかよ』『喰われちゃったら、清々するわよ』『・・・・・・(・o・) (・0・) (○_○) (@_@;)』でも、この会話嫌いじゃないです。(^-^) 人気blogランキングへ photo by<自然いっぱいの素材集・ 風と樹と空とフリー素材>
2007/07/31
人生は一度っきりだから 生まれかわるなら生きてるうちに。 (長渕剛)人の力を頼らずに生きていく人間などこの世に存在するのでしょうか、 あなたがなさっていることは人間としてごく普通の行為です。 (天才柳沢教授の生活) 7月30日昨日も降っていた雨が、朝からは雨足が強くなり、遠くで雷も鳴っている。屋根をたたく音と、車が雨を跳ね上げる音だけが、やけに耳をつく。こんな天気だから調子がいいわけがない。痺れと痛み灼熱感そして痙性。朝リハは出来たが、昼には冷や汗が出そうなぐらい痺れと痛みに攣ったような痙性、それをこらえてリハやっているとお通じとなって中止。トイレから出てくるとぐったりとなる、たかだかトイレに入るぐらいで自律神経で貧血気味になったり、意味もなく体力が奪われていく。それでも仕事は待ってくれないが、この天気のおかげ患者さんが少なくて何とか一日持った。夜のリハはパスした。今日は、両脇の下から小指まで痺れて感覚が無くなり、厚い鉛を貼り付けたよう感じる。手技療法の際、雨で濡れた衣服にふれると手首から先が痛む、どうしてなのかわからないが不思議な感じがした。この時期になってからシャワーが当たると痛気持ち悪いく、さらに突っ張る痙性も出て入浴用ボードから落ちそうになる、何らかの刺激で起こるのだろう。胸も麻痺のため大胸筋も肋間筋もやられているため、ムキムキ・マンだった胸には筋肉はなくなり、肋骨が浮いて出ているがそこも攣れて痛む、今のところ無理しない程度に仕事とリハをスローダウン中。朝○干渉波・低周波(上・下肢モーター・ポイント)○股関節の8の字運動 ○膝の押し込み運動 ○両膝抱え込み運動 ○膝曲げ開脚○膝曲げ開脚ストレッチ○下肢の開脚ストレッチ○体幹捻転ストレッチ○フット・マッサージャー昼「車椅子」○車椅子よりの立ち上がり運動。○車椅子上での膝の屈伸運動。 人気blogランキングへ photo by<自然いっぱいの素材集>
2007/07/30
生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです。人は、不幸のときは一を十にも思い、幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、十を一のように思います。 (瀬戸内寂聴)7月27日夏の日差しが、窓から射し込む。やはり晴れの日は気分が良い。暑ささえなければなおさら良い。リハビリをすると熱がこもる、エアコンもフル回転ではあるが、身体は都合良く働いてはくれない。最近、大腰筋(大腿骨内側から骨盤をぬけ腰椎まで繋がり、大腿を引き上げる筋肉)と腹筋・腰背筋の痺れと痛みが強い。下っ腹は暑く焼けるように筋肉が引き連れ、痺れ痛みもある。しかし、痙性が強いとそれを利用していろいろな運動を細くしてくれる。仰向けで両足を挙げる運動や腹筋、四つんばいになる際もうつ伏せから軽くできる。無ければ動かしにくいし有れば痺れ・痛みが強くなる。入院したての頃に、下半身はピクリとも動かなかった。仕事仲間来て動く場所を見つけてくれた。足の指を動かせと言われても動かない外側に倒れた足を内側に捻り動かしたら僅かだが動いた。それから指の痙性が入るようになり、ピーンと伸びる時に延ばすように力を(実際は、イメージに近いもの)入れた。有る程度自分の意志で動くようになったら、痙性が入った時に逆の曲げるようにしていたら曲がるようになった。別の仲間が来た時はもっと、ユニークだった。足の指を挟み痛いはずの所を強くもんだ、ビックリである、痛みは感じないが痛い時のように足を引っ込めるように足が動いたのである。痛みが頭まで行かなくても、反射は起こるようで、その動きに合わせて運動した。自分の意志で動くようになったら、逆に突っ張るように力を入れるようにと運動したお陰で健康な人から見れば他愛ない動きかもしれないが現在の基礎筋力になった。国リハに転院までかみさんが反応点をグリグリと毎日痛いほどもんでくれ、ローラー鍼も使った。辛いはずであり歩行訓練の妨げにもなる痙性もとても大切な症状でもある。朝○干渉波・低周波(上・下肢モーター・ポイント)○股関節の8の字運動 ○膝の押し込み運動 ○両膝抱え込み運動 ○膝曲げ開脚○膝曲げ開脚ストレッチ○下肢の開脚ストレッチ○体幹捻転ストレッチ○フット・マッサージャー昼「車椅子」○車椅子よりの立ち上がり運動。○車椅子上での膝の屈伸運動。「上肢」○手指のほぐし ○廻内抵抗運動左右 ○廻外抵抗運動「単座位」○足振り運動 両足 ○足振り運動 右足 ○足振り運動 左足「あぐら」○足首膝のストレッチ ○股関節のストレッチ「四つんばい」○腰を中心とした腰振り・前後左右、捻り運動 ○腰上げ ○腰の横倒し ○腕立て ○ストレッチ「うつぶせ」○大腰筋・膝のストレッチ○下肢後面のストレッチ(ストレッチ台より大腿部まで出し、膝をのばし、自重ストレッチ)「仰向け」○大腰筋・大腿四頭筋のストレッチ(ストレッチ台より大腿部まで出し、膝を曲げて、自重ストレッチ)○腹筋20回 ○両下肢挙げ夜急患のため、食事したのが10時頃、暑さの為か疲れもあるので休んだ。 人気blogランキングへ photo by<自然いっぱいの素材集・ 風と樹と空とフリー素材>
2007/07/27
やりたいことを躊躇していても命には限りがある。 (斉藤正雄)介護にせよ、何にせよ、忙しかったり、ストレスが溜まったり、気持ちに余裕がなくなっても、好きなことや趣味を犠牲にしてはいけない。忙しいからこそ、やる、続ける。 (来生えつこ)7月24日久しぶりの真夏の日差し、やはり気分はいい。しかし、精神的・肉体的に疲れが溜まっているようでモチベーションは上がらない、もう少し漂っていよう。きょう、仕事途中にプッシュ・アップしてお尻への除圧(褥瘡防止のため)していた時、やたら軽く感じた。足にも力が入りやすいので試しに机の前に座た上体から机と車椅子に手を突き立ってみたら楽に立てた。疑り深いので3回やってみたが、やはり楽に立てた。かみさんにも見ていてもらっていたが、『前より、うんと力が出てきたよね』『そっかな・・』『おとうさんが、置いてってくれたんじゃない』『そうかもしれないね』“置いてった”とは、何ともかみさんらしい言い方だと思った。歩けなくなった息子のため、歩くための力と思いを置いてってくれたのかもしれない。確かに最近リハ台の上でも以前より動きも良く力も出てきた。出来なかったことが、いくつも出来るようになった。相変わらず辛い症状はあるが、寝込むほどでないのが有り難い。蒸したり今日のように暑かったりすると鬱熱(自律神経をやられているので、体温調節が出来ず、高熱が出る)が出そうになるが、夕方の早い時期に頸の後ろにアイスノンを巻き凌いでいる。まったくお見せしたい位である、車椅子の院長が頸にアイスノン巻いて、麻痺のある手でマッサージしている、何とも言えない光景である。患者さんに聞くと『ちゃんと、治してくれるから、気にならない』新患が来ても、一瞬驚くが『車椅子乗ってますが、よろしいですか?』と確認するが、『治療してもらえば、気にしません』と言って頂ける。かみさんに、俺だったら絶対行かないなと言ったら、私も行かないと返ってきた。朝○干渉波・低周波(上・下肢モーター・ポイント)○股関節の8の字運動 ○膝の押し込み運動 ○両膝抱え込み運動 ○膝曲げ開脚○膝曲げ開脚ストレッチ○下肢の開脚ストレッチ○体幹捻転ストレッチ○フット・マッサージャー昼「四つんばい」○腰を中心とした腰振り・前後左右、捻り運動 ○腰上げ ○腰の横倒し○腕立て○ストレッチ「うつぶせ」○大腰筋・膝のストレッチ○膝の押し込み運動「仰向け」○大腰筋・大腿四頭筋のストレッチ○両足あげ「あぐら」○足首膝のストレッチ夜○Standing Frame(60分)疲れを感じているので、軽めのメニューとした。 人気blogランキングへ photo by<hare's・風と樹と空とフリー素材>
2007/07/24
親切という名のおっせかい そっとしておくおもいやり (相田みつを)「相手の気持ちが見えないから、相手の気持ちが分からないから、人は悩み続ける。誰にも理解されない、誰かによく思われたい、誰も傷つけたくない、誰も自分を見てくれない・・・人は悩み、苦しみ続け、その苦しみが互いを傷つけあう。」 (ベアルファレス)7月22日朝方少しだけ日が差したが、後は曇り空が続いている。日曜日は、休めるので気楽だが最近は、あまり嬉しく思わなくなった。夜雨が降り出した、何とも言えずに心が重くなる。先週、大好きだった親父が急に亡くなった79歳だった。施設に入所していたが、入院してから見舞いには行っていない。車椅子姿を見せたくなかった、せめて杖を突いて歩けるまで待ってもらうつもりだった。決して親孝行な息子ではなかったと思う。元宮大工の腕の良い職人で、頑固一徹の人だったが、母や息子達にはとても優しかった。母と結婚した頃、枕元には本の山だったそうだ。学校の先生になりたかったようだが、その夢は、叶えられなかったようだ。何か質問すれば、必ず答えてくれ何でも知っている親父だった。わたしが小さな頃、江ノ島の花火やぼろ市・がらくた市、新井薬師の縁日など肩車して連れて行ってくれた。長男だった私は特に可愛がってもらったと思う。棺の前で顔を見た時、『とうさん、父さんの息子でよかったよ、ありがとう』と声を掛けた・・・身体は、いろいろな症状に加えて、疲れが溜まっているようだ、昨年一月に退院して二月には、予約制で仕事を始め六月には研修生が来てくれることを機に平常時間に戻した。仕事に加えプライベートの疲れも出ているのかもしれない。かみさんも家事や私の世話でかなり疲れが溜まっているようだ。朝・夜のリハビリの相手、三度の食事などの家事、仕事の手伝い、何処へ行くのも付き添い運転手、あげたらきりがない。確かに私がしてきたことまでやらなければならいのだからたまらない。それを思うと気の毒でならないが、愚痴りながら元気にやり通している。ただただ頭が下がる思いだ。病気前には考えられないぐらい変わった、知り合いも驚くほど頑張っている、『いまさら見捨てるわけにはいかないから』『息子が悲しむから』『二人で息子を、育て上げなくては』と言って苦笑いしている。有り難いことだ。家族に恵まれ仕事も曲がりなりにも何とか成り立ち幸運にもかかわらず身体は疲れ、気力が失せていく。今日も風呂に入れてもらったが、何とも言えない嫌な感じがする痛みではなく痺れて何ともいようのない感覚がする。それを追い打ちするように障害の重さに泣きたくなる。車椅子で浴室まで行き浴槽に渡したボードにトランスする両足を浴槽に入れてもらいそのまま身体を洗ってもらう、その時三十センチ幅ボードに腰掛けているが、健康な人なら座っていられるが、腰・胸椎が麻痺してピーンと伸ばしておけないので、浴室の壁にくだけた腰が当たり前つんのめりになるのを後ろに体重を掛け両手で支え、動きの悪い足も使いこらえる、それから浴槽に入り頭だけ出して髪を洗ってもらう、それが終わるとのんびりと浸かる。その時に自分で入れないこと、このままほっておかれたら何も出来ない不安感、人に入れてもらい洗ってもらうこと何とも言えない悲しみがわいてくる、誰が悪いわけでもなく、なりたくてなったわけでもないのにそれが真実である。人は、人に任せばいいと言うが、私の病気は特定疾患ではないので介護保険は使えない、そして所得制限に引っかかるので福祉サービスが制限される、一生懸命働いて税金を払ってきたが、入院していた時だけで恩恵を受け、頑張って働き始めたら受けられない。何のためのに国があるのか疑問である。同じサービスを受けるには高い料金を払わなければいけない。こんな不公平があって良いものなのか、税金を払っているものがサービスを受けられない不思議で仕方ない。こう愚痴っていると眠れないが、ここではき出して楽になったので寝よう。わっははは・・・・気分が楽チンだ、身体障害者手帳1級から4級まで(65歳以上は手帳所持者)の方か、難病福祉手当を受けている方で、本人の市民税が非課税の方が・・・ 人気blogランキングへ photo by<自然いっぱいの素材集 >
2007/07/22
ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが生まれて ごめんなさい ぼくを背負う かあさんの 細いうなじに ぼくはいう ぼくさえ 生まれなかったら かあさんの しらがもなかったろうね 大きくなった このぼくを 背負って歩く 悲しさも 「かたわな子だね」とふりかえる つめたい視線に 泣くことも ぼくさえ 生まれなかったら ありがとう おかあさん ありがとう おかあさん おかあさんが いるかぎり ぼくは生きていくのです 脳性マヒを 生きていく やさしさこそが 大切で 悲しさこそが 美しい そんな 人の生き方を 教えてくれた おかあさん おかあさん あなたがそこに いるかぎり*詩の中に不適切ととられかねない用語がありますが、 障害児本人の作品であり、原文を尊重しました。今夜リハビリ中、スタンディングフレームで立ちながら、かみさんと金曜プレステージ「お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい」脳性まひと闘う少年と彼を支える家族の物語を見た。以前どこかで見たタイトルであり、この詩にも覚えがあった。24年前にサンケイ出版で発刊されてた向野幾世先生の著書である。養護学校で言語教育をしていた向野先生が、脳性マヒの「やっちゃん」と一緒に作った詩だそうで、向野先生があげる言葉に対し、表現したいことと一致すれば、目をぎゅっとつぶって イエスのサイン、間違っていれば舌を出してノーのサインを送るという方法で、詩作は作られたと言う。その詩が最近、石川県の美術館に展示され女子高生達が感動して涙したと言う事で話題となり、問い合わせ、投書が産経新聞に殺到した。生まれたときから重度の障害を持ったやっちゃんが、一生懸命、明るく生きた15年間。そして、その死後、この詩が世間に与えた感動の輪などを余すことなく描いた愛と感動の著書は時を経て最近復刊したそうだ。ドラマで、何でこんな哀しい詩をと言った母親に対して、ごめんなさいと言わなくていい世の中になって欲しいメッセージだと告げた時涙が流れた。当時は今より大変な時代だっただろ、残念なことに今も幾ばくか変わっただろうが『生まれてごめんなさい』は続いている。ごめんなさい、もっと素敵な世の中が訪れますように・・・お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい・ダウンロード版7月13日天気予報では、雨雨と騒いでいるが、降るっと言えば曇りや晴れ、晴れる曇ると言えば雨が降る、そんなだから頭も痛くなる。周りの患者さん達も不調を訴える方が増えた、この時期はオーストラリアあたりにでも行って、コアラに抱かれながら昼寝でもしたいものだ。横でコアラは無理と言われたのでカンガルーでもいい。早く夏が通りすぎ好きな秋風に吹かれたい。恐怖の・・・!?ドリアン・チップ!?・・・・えっ・・(´ヘ`;)ハァ『ボブ猫のたまご』のボブ猫看護師→在宅介護→火葬場担当→在宅介護。と、華麗なる?経歴を持つ。入院前からのネット友達で、美人なのだが・・・よーくわからない妹分(噂だとおいらのネット愛人らしい・・・)ボブ猫ちゃんのキリ番にドリアンチップスが有ったのであしげく通ったがあえなくニアピン、可愛そうに思ったのか・・・情け?でニアピン賞を送ってきてくれた。礼儀なので報告する。噂には聞いていたが息子とおそるおそる袋を開け、ニオイの確認「????」「あれ・・・!?」「臭くない」おそるおそる口まで運び家族最後の晩餐になるか・・・「嫌いじゃないかも!?」と息子。確かに嫌な味はないボブ猫ちゃんのもくろみはあえなくボッツとなりました。かみさんも「買ってまでは食べたくないが、不味くはない」と、芋ケンピの食感で味もまんざらではない、欠食家族は何でもいけそうだ。前に生ドリアンを手にしたが、いけそうだった。食べてはいないが。罰ゲームにはならないと思うよボブ猫ちゃん、やっぱ生だな。おっと栄えあるキリ番、罰ゲームとは失礼しました(^-^)。キャンディーもなかなかイケてます。わっははは・・・・以上、ご報告まで。 人気blogランキングへ photo by<おバカ息子>
2007/07/13
不幸な状況や環境が人を不幸にするのではない。苦難に心が負けた時が本当の不幸。苦難があるからこそ人の痛みがわかる、人の痛みがわかる人間こそ幸せな人間なのである。 (出典元不明)元気があれば過去を忘れられます。勇気さえあれば未来なんて気にもなりません。過ぎ去った日々のいやな事はもちろん忘れる。そしていいことも執着しない。私なりの楽な生き方です。 (ひろはまかずとし 言の葉墨彩画家)7月11日朝から降っていた雨は、夕方にひと休みしていた。台風が発生したようだ、身体は敏感に反応する。無理せず昼休みの水治療はお休みした、その代わりにリハ台の上で足振りや四つんばい運動・ストレッチ・腕立て・あぐらや寝返り運動などして動きまわった。蒸しているせいか横隔膜から上に汗をかいてビショビショになる、かけるだけ幸せだが鬱熱が出そうでクールダウンしようとしたが今日は平気のようだ、それだけ蒸しているが涼しいのだろうか。夜MG先生から電話が入る。歩行器を貰ってきたので持って行くとのこと。この歩行器、NASAの研究員をしていた先生が人間の構造研究をされ医学会なさっていて歩行分析など択一したものがあり、何冊か専門書を読んだこともある。そこで作ったものを友人の先生より貰い受けたそうだ。以前使った小樽2号はブレーキが自転車のブレーキのように握ってかけるがて手の効かない私にはかけられない、新しいMG一号は後ろに行かないようにストッパーがつき、小樽一号のように肘を突いて歩くのに対して高い胸当てがあり体重を倒れるように掛けても制動機能がありゆっくり壁を押していく感じである。キャスターが前にいって転倒することがない。何段階かの制動レバーが付いている。有る程度壁立ちが出来るようならかなり質の良い歩行練習が出来出来ると思う。立たしてもらって歩行してみたが息子が片手でベルトを持ち片手で車椅子を引きながらなので介護者の負担も少ないように思う。肘支点だと荷重が多くかかるが、胸当てにもたれかかるほうが上体が伸び、荷重は前方向に行くため下肢にかかる負担が少ない。久しぶりに単独で数メーターだったが小樽2号よりすう段落に歩行できた。心の中でこれなら歩けるかもしれないと久しぶりに気分が良くなった。残念だが、これ以上歩行器のことは事情があり詳しく話せないのが残念だ。お伝えできるようになったらご報告する。 人気blogランキングへ photo by<自然いっぱいの素材集 >
2007/07/11
ひとりの人間には、その運命と人生を決するようなときが、生涯に一度はあるもので、それを乗りきった瞬間、彼の未来は全面的に変わる。 (遠藤周作)僕は一生が大事だと思いますよ。来世があろうが、過去世があろうが、この一生が大事だと思いますよ (有島武郎) 7月8日目覚めると曇り空、それほど暑さは感じない。リハビリは休んだ、やはり思うようでないので午前中ベットに身体を横たえていた。お昼過ぎに母親と二人の弟の家族が、たまには外に出て食事をしようとやって来てくれた。身体はきつかったが気分は軽くなった。帰りに息子の洋服を買いに行くというので付き合った。しかし疲れていたので車の中で待つ事にする、少し明けた窓から心地よい風が入ってくる。何となく心地よい風にあたりながらぼんやりと少しずつ明るさを変えていく空を眺めていた。突然道向こうにあるマンションの通路灯が灯った。一斉に点くのでなく微妙にずれて光ったのを見て、何故か可笑しく『やはり蛍光灯だな』と一人呟いた。帰宅してから風呂に入れてもらうさっぱりして気分が良い。暦が変わる前から車が雨を跳ね上げる音がしている。久しぶりに一人でテレビを見ていたら、車いすテニスで世界ランク1位の青年のドキュメンタリーを放映していた。小学生の時に両脚の自由を失った彼は、病を克服させようと考えた母親の勧めで車いすテニスを始めた。現在は1年のうち3カ月は海外を転戦し、普段は母校の大学の職員として働いているそうだ。彼は『健常者の人と何も変わりません』と言っていた。人並みならない努力したに違いない、試合を見ていても迫力があった。殆ど背もたれのないテニス用の車椅子を縦横無尽に操作し腰砕けすることのないサーブを打っていた。昔国リハで一緒だった脊損(腰髄損傷)の青年に『歩きたいと思いませんか』と問いかけた時『不自由ないし、慣れたから思いませんね、みんなもそう思っていると思いますよ』と言われたことを思い出した。たしかに歩けるかどうかわからないし、医者はハッキリ歩けないと言う、そして手が自由に使える、服も着替えられ、身体も洗える、尻も拭ける、字を書くこともキーボードを軽快にはじくことも出来る。たしかに許容できる人が多いかもしれない。歩くリハビリにしても上半身が効けば下肢をカバーできる。頸損が車椅子テニスを使用としても、リムをつかめないから早く俊敏には漕げないしサーブは体幹が効かないから椅子から落ちるだろう、国リハのスポーツリハで、車椅子バスケをやっていたが私のように上のレベルの頸損は漫画のリアルのようには行かない。ゴールまでボールが届かないので下にもう一つのゴールが置いてある。運動会の玉入れの網のようなもで高さも低い。それでもボールが重いし脊損の人達とまじってやるとなるとスピードの差は否めない。だからテニスの彼のように健常者と同じとは言えない、彼も人間として変わりはないと言っているのだと思うが、微妙に生きている上で差を感じてしまう。それでも車椅子に乗れるだけ幸せなのだが、どうしてこうも羨ましく思えてしまうのは浅ましいことだ。修行が足りないのかもしれない。 人気blogランキングへ photo by<創天>
2007/07/08
努力しない奴に奇跡は起きない。 (映画「デイ・アフター・トゥモロー」)Failures are divided into two classes-those who thought and never did, and those who did and never thought.失敗した人は、2つのクラスに分けられます。1つ目のクラスにいるのは、いろいろ考えてばかりで、何も行動を起こさなかった人たち。もう1つのクラスにいるのは、行動はいろいろ起こしたけど、何も考えなかった人たち。(ジョン・チャールズ・サラク)7月5日このところ、気候の変化について行けない。痺れや痛みははんぱでなく痙性もお腹と股関節が強く、太い棒を押しつけられているようにやけどしたように痺れて痛い。お腹は硬く突っ張ったままで息苦しく、立位訓練では膝や股関節がストッパーを押し、曲がってくる。さらに内臓が下に引きずられるような嫌な感じもする。相変わらず焼けるような灼熱感もあり身体はかなりきつい。それでもリハビリは相変わらず続けているが、動くたびに“うっ”と呻き声が出るし症状が強く出るがしかたあるまい。暑さのために、鬱熱も出てくる。自律神経がやられているため、熱がこもり熱発する。具合が悪くなってくる前に、アイスノンを首の後ろに当てて仕事をする。エアコンも付けて温度管理しているが、マッサージなどすると汗もかくため熱がこもる。白衣は特に熱がこもるためひどい時は通気性の良いポロシャツを着て仕事をする。これからはパンツやシャツなども通気や温度の上がりにくいものを選ばないといけない。とどめは、嘘の汗・・・霧吹きで身体に水を吹き付ける、そうすることによって蒸発する時に熱を持っていってくれる。国リハ時代夏場にスポーツリハで教えてもらった奥の手だが効果はある。とにかく時間もない。仕事とリハビリで手一杯である。朝リハ・食事・仕事。昼食が終わるのが1時過ぎ、それから1時間前後のお通じ、昼リハ・カルテなどの書類処理、午後の仕事が終わり食事が終わるのが9時過ぎ、それから11時過ぎまでリハビリ、それからメールの返事や仕事関係の資料や医学書を読む。1時前後に自分の時間になる。少し寝ると3時過ぎに導尿のために起き、7時まで熟睡。仕事などの合間に患者さんの視線を感じながら(笑)お友達の日記を読み逃げしている。これで一日が終わってしまうので、合間にノートパッドに日記の原稿を打ち込んでストックしておく。これだけ書いていると相当暗い生活を過ごしているように思われているかもしれないが、水治療に行ってリラックスついでに後輩のリハ長脅して(笑)装具を無理矢理立位訓練するからと借りてきたり、友人と食事したり、家族で買い物に行ったりとそれなりに気分転換もしている、ちなみに携帯もおニューになった。【空より地に落ちたもの】車椅子に座って元気に仕事をしている姿を知っている人はたくさんいる。ひとたび車椅子を降りた姿を見る人は少ない。見せたくないといった方がよいかもしれない。だから車椅子を降りるのが嫌いだ、ストレッチ台やベットならまだそこの場所で四つんばい、あぐら・L字座位や寝返りも打てるし起きあがりも出来る。しかし、フローリングの床に降りたとたん、自由に動けることはない。移動しようと四つんばいになるのにも骨の出た膝と肘は擦り傷だらけになる痛みもある、横向きでエビのように身体をくねらせないと移動できないだろう。座位になっても麻痺したお尻に尾てい骨が飛び出ていて動き方でごりごりと音がして、痛みを感じる。ハッキリ言って降りたら終わりである。一人でソファーにも上がれず。ましてや車椅子には戻れない。かみさん一人では車椅子には戻せない。ただ床を這いずっているだけである。私よりも麻痺が強い人はなおさらだと思う。背損の方達は床から車椅子に戻る訓練をしていたが、頸損では殆ど見なかった。そんなこと言ってどうなるものでもないが、健康な時に何も考えず車椅子の人たちを見ていたが、やはり、その立場にならないとわからないものだと感じた。だからせめて少しでも人の苦しみや悲しみを理解する努力をしたいものだ。 人気blogランキングへ photo by<ママ >
2007/07/05
全9件 (9件中 1-9件目)
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