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「3週間で再登校」業者を紹介 不登校の親に、批判受け中止 板橋区 不登校の子を持つ保護者を支援し「平均3週間で再登校している」などと実績をPRする民間事業者を、東京都板橋区教育委員会が区立校を通じて保護者に紹介していた。これに対し、不登校問題に取り組むNPOなどから「無理な再登校の働きかけはリスクもある」などと批判が相次ぎ、区教委が紹介をやめる事態となった。区教委は「試行だった」などと釈明している。 事業者は株式会社スダチ(東京都渋谷区)。同社のサイトでは「不登校を3週間で解決する」「再登校できたお子様90%以上」などと紹介。子どもとの接し方を、研修を受けた同社スタッフが保護者にオンラインで指導する。家庭でのルールを決めたり、褒め方を工夫したりし、状況を毎日把握しながら、登校日を決めて再登校をめざす、などとしている。 区教委によると、昨年10月、区議の仲介で同社から事業内容の説明を受け、今年5月には、希望する家庭に対する無償サポートの提案があった。同社から子どもに与えうるリスクの説明はなかったが、不登校問題の多様性も考慮し、「一部の家庭には効果があるかもしれない」(担当者)として試行を決めた。 不登校について区教委は「『登校する』という結果のみを目標としない」という対応方針を定めている。取材に対し、区教委の冨田和己・指導室長は、同社の事業内容との整合性について「登校できるようになるからではなく、保護者へのアプローチの選択肢になると思った。方針と矛盾するとは考えなかった」と話した。「試行」決めた区教委 業者側は「連携」と発表 区教委は不登校児童数の多い区立小2校を選んで同社に紹介した。2校は7月、同社の説明を受け、うち1校が保護者9人にチラシを配布。1人の保護者が関心を示したが、契約には至らなかったという。 その後、8月に同社が、区に相談なく「板橋区と連携」などとする文章を公表。すると区教委に、「区の不登校の対応方針と矛盾する」「親子関係が悪化しかねない」などの意見や批判が相次いだ。「連携」と表現した同社との認識の違いもあり、区教委は試行をとりやめた。冨田室長は「検討が拙速で十分ではなかった」と釈明した。ゲーム取り上げられ、暴れた子ども 利用者の証言 一方、不登校生を支援するNPO団体などは8月、同社との関係を問題視し、公開質問状を区教委に提出した。再登校支援を宣伝する民間事業者によって子どもの精神状態や家族関係が悪化した事例が寄せられているとし、「無理な再登校の働きかけは自死のリスクを高めるとの指摘もある」と言及。同社と区が関係を持った経緯などを質問した。また、保護者にサービスを紹介する際はリスクについて説明することなどを求めている。 同社が公開している動画によると、今年6月までの4年間で1050人を再登校に導いたとし、再登校までの平均日数は17.5日だと説明している。「サポーター」と呼ばれる同社のメンバーが保護者とやりとりしながら、伴走するという。費用は子どもや家庭の状況によって異なるとしている。 同社を利用したが、子どもは再登校には至らなかったという中部地方の女性が取材に応じた。 数年前、小学校低学年の子どもが不登校になった。女性によると、無料の面談を経て1カ月半のサービスで費用は約40万円。最初に「子を1日10回ほめる」といったルールをつくるよう言われ、その履行状況をオンラインで毎日報告したという。 ルールには、「(ゲームやスマホなど)デジタル機器の使用禁止」も入れるように言われた。女性がルール通り、ゲーム機を取り上げると、子どもは怒って暴れ、自室にこもるようになった、と話した。 女性は、スマートフォンで不登校の支援サービスを検索し、同社サイトに書かれた「3週間で解決」という文言に魅力を感じて契約したという。 同社は取材に対し、子どもの精神状態に与える影響については「リスクの判定をしたうえで(サービスの利用を)お断りするケースもある」と回答した。一方、板橋区教委に提案した事業内容などに関する質問については「回答を差し控えたい」とした。「行政はリスクある事業者を避けて」 文部科学省の「不登校に関する調査研究協力者会議」委員を務めた伊藤美奈子・奈良女子大大学院教授(学校臨床心理学)は、同社の事業内容について「不登校生に向けた支援は多様な選択肢があるべきで、方法の一つとしてはありうる」としたうえで、「行政が単独の事業者を紹介すれば、それが正解との印象を保護者に与えかねず、慎重になるべきだ」と指摘する。 また、一般的に、再登校を強いたり一方的にゲームを取り上げたりすると親子関係の決裂や子どもの精神状態の悪化などにつながる危険性があるという。「保護者がそうしたリスクも理解した上で自由に選択できることが重要」としつつ、「行政はリスクのある事業者はなるべく避けつつ、親の会や子どもの居場所などについて情報提供をするのが有効だ」と話す。(本間ほのみ、高浜行人)このような業者や団体などは、不登校が問題視されるようになってから後を絶ちません。子どもが不登校状態になるのには、多くの場合長い時間が経っているのです。その過程で、心が傷ついたり大人への不信感、周囲の人達への恐怖感などが積み重なっている場合が多いので、心の傷を自己修復する時間が必要です。三週間で再登校する子もいるかもしれませんが、その三週間の働きかけでさらに心が傷ついたり、体調を崩す場合もあるでしょうし、親子関係が悪化することもあるでしょう。親が、何とか学校に行ってほしいと思うのは理解できますが、お子さんの声に出せない声に耳を傾けてほしいと願います。そして、お近くの親の会に参加して先輩の様々な体験を聞いたり、色々な生の情報を聞くことをお勧めします。
2024年09月13日
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今年の5月から、市内に小さなフリースクールが開設された。30代と思われる就学前の子どもを育てながら、自宅でフリースクールを週3日はじめたのだ。全国的に不登校児童は増え続け、コロナ禍で増々激増。不登校の多くは真面目で繊細な子が多く、それに様々な要因が絡み合って学校に行けなくなる。同じようなストレスを抱えていても、その性格によっては反抗や非行の行動につながる子も多いし、ストレスで身体的症状が強く発現して自宅療養や入院になる子もいる。今月初めに札幌で内田良子さんの講演を聞く機会があったのだが、文科省の2022年の統計で、不登校などで長期欠席をしている小中学生は40万人以上。市町村のほとんどで不登校対策で設置している「教育支援センター(適応指導教室)」があるけれど、そこに通級している児童生徒は不登校にはカウントされていないと思う。それでも、教育支援センターに通う児童生徒の割合は、私の実感ではとても少ないように感じている。そのような背景の中で、都市部を中心にフリースクールが運営されて、学校以外の居場所や学び場としての役割を果たしてくれている。それでも、フリースクールに通うには交通問題や費用の点から、親の負担は大きい。以前から当市にもフリースクールがあればいいなと願ってはいたが、自分で始める勇気も元気もなく、ただ願っていただけだ。そんな中で勇気ある女性がフリースクールにチャレンジしてくれたので、私としては応援せずにはいられない。現在は自宅を開放する形で、彼女自身のボランティア活動のように運営しているのだが、子どもの気持ちに添った形で、彼女の人的ネットワークを使って様々な講師を呼び、楽しい活動を中心としたプログラムは子どもの気持ちをつかみ、見学者や通学希望者が受け入れ限界に達してしまった。来年5月からはNPO法人として安定的な運営ができる形でスタートをしたいと考えているそうで、今は協力できる部分で応援したいと考えているところだ。とりあえず、新しくフリースクールを開設できるはずの地域の友人に電話をして、地元の理解を得られるように協力や相談をしてもらうことにした。まだまだ不登校やフリースクールについて、一般の人たちの理解が広まっているわけではない。滋賀県東近江市長の発言は、彼がとんでもない無理解だったというよりは、多くのこの世代の人達が思っていることを正直に話してしまったということだろう。その意味では、地元にフリースクールがあることを快く思わない住民もいるだろう。そのような人たちの偏見や中傷に辛い思いをさせてはならないと思う。そのためにできることが何か、今あれこれと考えている。まだ私が出来る役割があるとするなら、彼女の志を心から応援することだけなのだから。
2023年11月27日
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昨日のニュースで、北海道では連続真夏日の最長記録を更新中だそうです。34日連続真夏日で最長記録更新…今年の北海道はなぜこんなに暑い?児玉晃気象予報士が解説8/22(火) 19:46 北海道放送今日も早朝から暑いです。熱中症での死亡のニュースも流れていますので、皆さんくれぐれもご注意くださいね。北海道は新学期が始まりました。本州もあと一週間で新学期が始まります。毎年、夏休み明けのこの時期には、子ども達の悲しいニュースを見ることが多いです。夏休み明け、子どもの異変SOSを見逃さない 放置ではなく「ちゃんと見ているよと伝える」8/23(水) 19:25配信 メーテレ夏休み明けは子どもの自殺が増える傾向にあるといいます。子どもの異変を見逃さないために、どんなことに気を付けたら良いのでしょうか?夏休みも終盤を迎え、残りわずか。毎年、夏休み明けに増える傾向にあるのが 「子どもの自殺」です。過去40年の18歳以下の自殺者数を日別に集計した内閣府の調査では、多くの地域で新学期が始まる9月1日が最多となっています。 また厚生労働省によると、2022年、自ら命を絶った小学生、中学生、高校生は514人。 1980年以降で、最も多くなっています。新学期が始まる前は子どもたちの気持ちの揺れを感じる 金山駅から歩いて5分ほどの所にあるフリースクール「たんぽぽ」。 学校に通いづらくなった小学生から高校生が1日20人ほど通っていて、教員免許を持ったスタッフなどがサポートにあたっています。 夏休み中はほぼ毎日通っているという小学校高学年の男の子。 Q.家にいるよりここにいる方が楽しいですか?(上坂嵩アナ) 「うん、もちろん。毎日来ているもん」(たんぽぽに通う子ども) たんぽぽの理事長を務める森さん。新学期が始まる前は子どもたちの気持ちの揺れを感じるといいます。 Q.休み明けなどに心が揺れる子どもが多いと聞いたが、感じますか?(上坂アナ) 「感じます。子どもが実際に怖いと言う。フリースクールに来ている子たちでも、にぎやかな夏から寂しげな秋に変わっていく中で、日も早く落ちてしまうのも加わり、すごく暗い気持ちになる子が多いです」(フリースクールたんぽぽ 森美智理事長) 「ちゃんと見ているよと子どもたちに伝えてほしい」 夏休み明けから冬休みまでの期間が長いため、不安になる子どもも多いそうです。 「がんばり屋さんが多い。繊細でがんばっちゃう子が学校が苦しくなる。自傷行為なども私に相談してくる子どもたちは親御さんには言わない、というか気がついていない。たぶん家庭でSOSが出ていると思うんですよ」(森理事長) 子どもたちSOSに気づくためには何に気をつければ良いのでしょうか? 「日々の会話で関係性はとても大事です。表情を見て『顔色よくないけど大丈夫?』だけでもいいので、ちゃんと見ているよと子どもたちに伝えてほしいです。放置ではなくて」(森理事長)(後略)特に、夏休み前に不登校傾向があった子ども達にとっては、この時期は人知れず葛藤や不安を抱えています。その様子を見ている親もまた、不安や葛藤の塊です。「顔色悪いけど、大丈夫?」と声をかけたとしても、子どもは親に心配をかけまいとして、笑顔で「大丈夫」ということだってあります。色々な不安を抱えている時に、一番良くないのは一人で我慢して耐えてしまうことです。そんな時のために、親の会はあります。 暑いけれど、少しでも自分の悩みを外に出して客観視するためにも、お近くの親の会に参加してみませんか? 【2023年最新】全国の親の会情報一覧(全446件)岩見沢市では、今日から新しい会がスタートします。
2023年08月24日
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月曜日の午後から少し寒気がしはじめ、前夜、窓を開けっぱなして眠り明け方冷えて夏風邪でもひいたかと思ったのだが、夕方になるとのどの痛みと共に急に熱が出てきた。自宅にあった感冒薬を飲んで休んだのだが、明け方は少し熱が引いたけれどまた上がり始める。最近はコロナに感染した話を周囲でも聞くことが増えていたので、かかりつけのクリニックを受診。結果は間違いなくコロナと判断され、それから自宅療養をしていた。私はコロナワクチンの副反応が強くて、昨年四回目の時は三回目以上の高熱と倦怠感でこれならコロナに罹った方がマシだと思い、その後ワクチン接種はしていなかった。ということで本物のコロナウィルスに感染したのだが、ワクチンの副反応よりも症状は軽かった。昨日はまだ多少の熱があったけれど解熱剤を飲まず、時間を追うごとに回復している感じだった。今朝は熱もなく喉の痛みだけが残っているのだが、のどの痛みのための薬は解熱薬も兼ねているので、随分以前のものだが「ヴイックス ヴェポラッブ」があったので、気休めになるかと喉や鼻に塗ってみた。これで意外なほどに喉が楽になり、自分では完全回復したような感じがする。この数日間は、夫とは可能な限り家庭内別居に努力して、食事はお互いに自分ができるものを用意して食べた。夫には申し訳ないけれど、私にとっては療養という気楽な数日間。もちろん、熱が高い時には倦怠感も頭痛もあるし、食欲も全くなくてゲンナリ気分だが、熱が下がれば読書三昧だった。おかげさまで、今のところ夫にはこれといった症状は出ていない。私が発症する前に会った友人たちも今のところ無事のようでホッとしている。最近はずっと暑さが続いていたので、私自身が暑さ疲れで免疫力が下がっていたのかもしれないと思う。ジワジワと感染者が増えているのも、暑さ疲労のせいではないかと思ったりもする。皆さんも、くれぐれもお気をつけてください。
2023年08月11日
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STVで、「居場所はどこに…増える不登校の子どもたち 支援の現場は」が放送されました。道外では放送されたのかどうかわからないので、ここで紹介させていただきます。 「居場所はどこに…増える不登校の子どもたち 支援の現場は」動画の前半で、不登校の要因の半分は「 無気力、不安」とのナレーションがありましたが、それは要因ではなく学校が辛くなってしまった結果でしょう。そこがちょっと引っ掛かりましたが、おおむね納得できる内容でした。学校に行かない子ども達の居場所として、紹介されているようなフリースクールがありますけれど、都市部に集中しいて、北海道のように人口の少ない地域が多い町村ではなかなか難しいです。地方で学校に行きづらくなった子ども達は、どこにも行く場所がないのが現実です。また、フリースクールはあっても、月謝や交通費、交通手段の困難さから、保護者の負担は大きいです。フリースクールに通うための保護者負担の軽減策や、フリースクール運営への公的補助が必要ですが、あまりそのようなことが議会で取り上げられている気配はありません。行政が運営する「適応指導教室」はほとんどの市町村に設置されていると思いますが、どうしても「学校復帰」が目的となりがちで、かつ指導員が退職教員である場合がほとんどで(それも管理職)、子ども達にとっては居づらかった記憶の学校の雰囲気が強くなる傾向もあり、教育行政が力を入れていても通級する児童生徒は多いとは言えないようです。動画の中でも、札幌市が運営する教育支援センターに通う子ども達は市内の不登校4239人中280人ですから、一割にも満たないですね。札幌市には複数の個性あるフリースクールがありますから、そちらに通っている子ども達はどのくらいなのでしょうか。子ども達の居場所はもちろん大切ですが、親たちの話し合いや情報交換の場所もとても大切です。【2023年最新】北海道の親の会一覧ここに載っていない親の会もまだあると思います。お子さんが学校に行かなくなって苦しい思いをしている親などの保護者は、子どもの数より多いはず。ぜひ近くの親の会に顔を出して、情報交換や苦しく切ない思いを語り合ってみてください。心が苦しさや焦り、悩みや不安でパンパンになるとゆとりがなくなり、視野も狭くなります。自分だけが苦しい思いをしているわけではなく、多くの同じ思いをしている仲間がいると実感するだけで、孤独感から少し解放情は影響し合いますから、良い影響が生まれるのは間違いないはずですよ。
2023年06月20日
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びーんずネットの記事に、下記が掲載されていました。私もとても納得できることでしたので、転載します。 不登校はなぜ原因がわからないのか 〜ポリヴェーガル理論の登場〜『変えよう! 日本の学校システム――教育に競争はいらない』の著者・古山明男さんから、大変嬉しいことにご寄稿をいただきました。「甘えだ、わがままだ」と見なされがちな不登校を、神経生理学の「ポリヴェーガル理論」から読み解きます。不登校の子どもに関わったことのある人たちなら、その子が学校に行かなくなった原因が、なかなかわからないことを経験していると思います。私は小さな私塾とフリースクールを運営していました。不登校の相談も受けていました。たくさんの子どもたちに出会ううちに、私は、保護者の方たちにこう言うようになりました。「不登校の原因は、解決した頃になってわかります」不登校になるとき、子どもたちは、朝起きられなくなったり、腹痛がしたり、学校の門の前まで来て足がすくんでしまったりします。でも、「どうして?」と尋ねても、はっきりした答えが返ってこないのです。この状態が長く続きます。やがて、趣味が充実したり、フリースクールに定着したり、学校に行くようになったりした頃になって、本人がポロリと言うのです。「実は、いじめられていた」それでやっと、「なるほど、学校に行けなかったのも当然だ」とわかるのです。わけのわからない現象なのですが、私はただ「そういうものなのだ」と割り切っていました。それが現実的な対処法でした。本人に聞きただしても、本人を苦しめるだけなのです。親御さんたちにも「わからないままで、大丈夫ですよ。必ず抜けますよ」と言っていました。ポリヴェーガル理論とはところが、最近になって、「ああ、そういうことなのか、これで説明がつく」という理論に出会いました。神経生理学の分野から現れた「ポリヴェーガル理論」というものです。爬虫類以上の動物には、危険に出会って追い詰められたときに、仮死状態になってしまう仕組みがあります。それによって、最悪の苦痛を避けているのです。動物は、捕食者に出会うとまず逃げます。逃げることができないと「窮鼠猫を噛み」ます。ところが、逃げるもならず闘うもならずという状態にまで追い込まれると、仮死状態になってしまいます。この仮死状態を引き起こす自律神経が存在している、ということが1990年代に発見されました。この自律神経のスイッチが入ると、生命活動のシャットダウンが起き、脈拍が低下し、血圧が落ちます。人間があまりのショックに出会うと気絶してしまうのは、このためです。動物は、いつでも、自分が安全かどうかの情報を周囲から受け取り、判断をしています。そして、危険があれば自動的に反応するシステムがあります。人間の場合は大脳が発達しているので、その行動は複雑です。しかし、身の安全に関しては大脳任せではありません。人間の自律神経は、自分が安全であるかどうかを、いつも感じ取っています。あまりの状況になると自動反応します。そのような自律神経の働きは、人間の通常の意識には上がって来ません。自律神経のブレーカーが落ちる不登校の子どもたちは、どうしてそうなったのか、本人にもわかりません。それは、自律神経によるシャットダウンなのだ、と理解すると納得がいきます。自律神経のすることは、意識に上がらないのです。学校は、その地域に住んでいるということだけで集めた子どもたちに、一斉授業を強制しています。その中で、うまく自分を発揮できる子どもたちもいます。しかし、怖い、辛い、無意味だと感じている子どもたちもいます。そういう子どもたちは、逃げようとすればたちまち先生に捕まってひどく叱られるでしょう。先生に噛みついたりすれば、病院送りになるでしょう。まさに「逃げるもならず、闘うもならず」という状況なのです。その状況を我慢しているうちに、ついに「もう限界」と、自律神経のブレーカーが落ちてしまったのです。子どもが不登校になったとき、周囲の大人にとっては何かの始まりですが、本人にとっては「万策尽きた」という状態です。 自律神経のブレーカーが落ちると、現実感覚がおぼろげになり、人と交流するのが困難になります。人が何を言っているのかよくわからなくなります。考えもまとまらなくなります。身体はいつも重く、なにかしようと思っても気力が湧きません。本人を守るのが周囲の仕事この自律神経によるシャットダウンは、最後の緊急手段であり、一度スイッチが入ると簡単には戻らないことが知られています。回復には、短くて数か月かかりますし、多くの場合は年単位の時間が必要です。ですから不登校の子どもたちに、こうすればいっぺんに良くなる、という方策はありません。しかし、有効な策はあります。安心できる場所を確保し、暖かい人間関係で包み込み、本人が楽しいと感じることができるようにすると、徐々にですが必ず回復します。その間、勉強圧力、学校復帰圧力、将来への不安などから本人を守ってやるのが、周囲の人間の仕事です。子どもが追い詰められている文科省の調査によれば、不登校の原因で圧倒的に多いのは、「不安、無気力」です。たしかに、自律神経のブレーカーが落ちてしまった子どもは、外から観察すれば、「不安、無気力」なのです。しかし、ポリヴェーガル理論を知れば、それは、子どもが逃げるもならず闘うもならずという状況に追い詰められているためだとわかります。無意味な授業、ミスにうるさい教師、荒れているクラスなどの、学校状況が大きいのです。学校に出席してさえいれば教育はうまくいっている、ということではありません。無理して学校に出席していたために、壊れてしまった子どもたちがたくさんいるのです。ポリヴェーガル理論の登場により、不登校の原因を一方的に子どもに求めていては、不登校が解決しないことがわかるでしょう。教育方法と人間関係が抜本的に違う教育を、作り出す必要があるのです。<役に立つ参考文献を2冊紹介します>『ポリヴェーガル理論入門』 ステファン・W.ポージェス著・花丘ちぐさ訳(春秋社)『発達障害からニューロダイバーシティへ ~ポリヴェーガル理論で解き明かす子どもの心と行動』 モナ·デラフーク著・花丘ちぐさ訳(春秋社) 古山明男(ふるやま あきお) 古山教育研究所 代表。私塾とフリースクールを主宰。教育制度を研究。「多様な教育を推進するためのネットワーク(おるたネット)」代表。著書『変えよう! 日本の学校システム 教育に競争はいらない』(平凡社)、『ベーシック・インカムのある暮らし』(ライフサポート社)。【参考】ポリヴェーガル理論(東京カウンセリングオフィス)
2023年01月16日
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今年も今日を含めて三日で終わります。それぞれのご家庭では、年末年始の準備に追われていることでしょう。この二年ほどは、コロナ禍で帰省や会食も控えることが多くて、何となく寂しいお正月だったように思います。ですから、今年は久しぶりに実家に帰省して、親戚などとの再会を楽しむ家庭も多いことでしょう。子ども達にとっては、再会する大人の数だけお年玉も増えるかもしれませんね。 さて、様々な事情で学校に行けない状態が続いている子ども達にとってはどうでしょうか。今まで、何人ものお母さんたちにお話を聞いてきましたが多くのお母さんたちはご実家のご両親、つまり子どもにとっての祖父母に、最初から子どもの状態を正直に話していることは多くはありませんでした。でも、年中行事のようにお正月に実家に集まる家庭では、その機会にどのように話すかで悩む人も多かったように思います。また、年末年始に親戚と会うと、どうしても子どもに学校のことなどを聞くことが多いので、子どもにとってはそれもプレッシャーになってしまい、本当は祖父母の家で例年のような楽しいお正月を過ごしたいのに、避けてしまうこともあるのではないでしょうか。 お正月は新しい年の始まりです。色々な思いや焦りもあるからこそ、本音では「今年こそ」と思う子も多いのではないでしょうか。お正月は老若男女誰にとっても、「今年は良いことがありますように。健康に過ごせますように」と願う時です。お正月料理やお年玉、普段は会えない人たちとの再会を楽しむ機会です。できれば、そのような場で希望を抱く時間を過ごしたいですね。大人たちはみんな子どもの幸せを願っています。あえて子どもを傷つけたり辛い思いをさせたい大人はいません。家庭の事情や祖父母との関係も色々ですから、これが正解という方法もないでしょうが、子ども達にとって楽しい気持ちになれるお正月を考えてあげてください。 ちなみに、私の甥は小学校三年生から六年生まで学校に行かない日々を過ごしていました。(もう、30年以上も前のことです)本州に住んでいましたから、それでも毎年帰省していました。叔母としての私は、実家の両親に甥と母親である妹の状態を説明し、「絶対に学校のことを聞かないようにしてほしい。母親である妹を責めないでほしい」と頼んでいました。そして、お正月はいつものように実家に集まり、子ども達にはお年玉を渡し、会食の後はみんなで下の句カルタに興じました。息子たちもまだ学生でしたから、子ども達同志の再会と交流は楽しそうでした。その時の甥の顔は、不登校になる前の屈託ない笑顔に満ちていました。それでも、それぞれにはそれぞれの思いがあったことでしょう。実家の両親は、孫のことを聞きたくても聞けないままに、精一杯の努力をしていたことでしょう。それは、甥の不登校のことを知っている全員がそうだったと思います。それが私たち家族や甥にとって正解だったかどうかわかりません。ただ、それぞれが甥の笑顔が見られるようにと精一杯だったと思います。 その甥は、中学校から学校に行くようになり、大学卒業後は就職して技術者として働いています。お付き合いしている彼女もいるようで、来年は嬉しい便りがとどけばいいなと思っています。今頃は、「お正月どうしよう」と迷っていらっしゃるご家族もいらっしゃるでしょう。とにかく、お子さんがお正月らしい時間を過ごし、笑顔の時間が増えるように、お子さんの気持ちを想像しながらも、あまり気を遣いすぎずに、良いお正月をお迎えください。
2022年12月29日
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不登校、いじめとも過去最多 コロナ影響か 文科省、21年度調査10/27(木) 17:00 毎日新聞 文部科学省は27日、全国の学校を対象に2021年度実施した「問題行動・不登校調査」の結果を公表した。病気や経済的理由などとは異なる要因で30日以上登校せず「不登校」と判断された小中学生は24万4940人、小中高と特別支援学校のいじめの認知件数は61万5351件で、ともに過去最多だった。文科省は、新型コロナウイルス禍による行動制限などで、人間関係や生活環境が変化したことが影響したとみており、「心のケアを中心とした早期の対策が必要だ」としている。 文科省は毎年、国公私立全ての小中学校・高校と特別支援学校におけるいじめの認知件数を調べ、小中高については、暴力行為件数▽年間30日以上の長期欠席者や不登校の人数▽自殺者数――を集計している。 不登校と判断された小中の児童生徒数は9年連続で増えた。今回の増え幅は特に顕著で、過去最多だった前年度から24・9%増加した。一方、高校の不登校は18・4%増の5万985人だが、過去10年でみるとほぼ横ばいで推移している。小中の不登校の主な要因で最多なのが「無気力、不安」(49・7%)で、「生活リズムの乱れ、遊び、非行」(11・7%)、「いじめを除く友人関係をめぐる問題」(9・7%)が続いた。 小中学校で1000人当たりの不登校の児童生徒数は平均25・7人となり、都道府県でばらつきもあった。最も多かったのは高知の31・2人で、宮城の30・3人、島根の29・9人が続いた。一方、最も少ないのは福井の17・8人で、文科省の担当者は「早期対応に力を入れているかどうかなど自治体ごとの対策が反映されている可能性がある」と分析する。 不登校とは別に病気や経済的理由などによる長期欠席者数も調べた。コロナの感染回避を理由に登校を控えた小中学生は、初集計だった前年度の約3倍となる5万9316人となった。 いじめの認知件数は全校種合わせ61万5351件で、新型コロナによる影響などで大幅減少した前年度の51万7163件から一転し過去最多になった。小中の増え幅が特に大きく、小学校で18・9%増の50万562人、中学校で21・1%増の9万7937人だった。 20年の全国一斉休校が明けて部活動や学校行事の活動が再開され、子ども同士の交流の機会が増えたことなどが要因だという。 態様別では「冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる」が57・8%と最も多く、「軽くぶつかられたり、遊ぶふりをしてたたかれたり、蹴られたりする」(22・9%)、「仲間はずれ、集団による無視をされる」(12%)と続いた。06年度の調査開始から増加を続ける「パソコンや携帯電話等で、ひぼう・中傷や嫌なことをされる」は、全体で2万1900件(3・6%)となり過去最多を更新した。 生命や心身などに重大な被害が生じた疑いがあったり、長期欠席を余儀なくされたりするいじめの「重大事態」の発生件数も前年度から191件と大幅に増加し、705件を記録。最も多かった19年度の723件に次ぐ件数となった。同省児童生徒課は、不登校やいじめの増加傾向に歯止めがかからないことについて「新型コロナによる生活環境の変化が子どもたちの行動に大きな影響を与えている」と分析。「今後は心のケアをはじめ、相談体制の充実など取り組みを推進していく必要がある」としている。 暴力行為の発生件数は小中高で前年度から15・5%増えて7万6441件。高校は横ばいの一方、小中で増加幅が大きく、小学校は17・2%増の4万8138人、中学校は14・8%増の2万4450人。自殺者は小中高で368人となり、過去最多の前年度から47人減った。【遠藤大志】不登校の子を持つ保護者の65%「原因は自分」 全国ネットが調査 不登校の子を持つ保護者は65%が「原因は自分にある」と責め、45%が「消えてしまいたい」と思った――。こんな実態が、NPO法人「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」(東京都)が27日に公表した保護者へのアンケート結果で明らかになった。 インターネット上で19~25日に実施。子どもが不登校になった経験のある全国の保護者574人から回答を得た。結果は速報値。 不登校をきっかけに保護者に生じた変化を選ぶ質問(複数回答可)では、64・9%が「原因が自分にあるかもと自分を責めた」を選んだ。「子育てに自信がなくなった」は53・7%、「孤独感、孤立感」は52・0%、「落ち込んだ、消えてしまいたいと思った」は45・2%に上った。 相談先の有無を尋ねると、6・3人に1人が「なかった」と答えた。相談しても、「担任の先生」や「学年主任、校長、教頭など」が「助けになった」との回答はいずれも40%台前半にとどまった。一方、フリースクールへの相談は86・6%が助けになったとした。 自身も不登校の子を持つ法人の共同代表、武山理恵さん(41)は「親のつらさは社会で十分に認知されていない。学校側も理解を深めてほしい。行政はフリースクールなど民間の活動も資金面で支え、相談先として周知を強化すべきだ」と話した。【土江洋範】このような状況を反映し、私が関わっている親の会の例会にも毎回のように新しい参加者来ているようだ。(私は例会には出ておらず、同行した子どもとの対応をしているので、世話人さんからの話でそう感じる)多分、どこの地域の親の会でも、参加者が増えているのではないだろうか。色々な相談機関や医療機関を走り回り、親が考える試行錯誤を尽くしても子どもの状況が改善されない時に、やっと親の会に足を運ぶ保護者が多いのは、今も昔もあまり変わりがないようだ。ただ、ネット情報を探して参加する保護者は増えているので、以前よりは親の会に参加するまでの期間は短縮されている。悩む時には、同じような悩みや経験を重ねた先輩の言葉はとても参考になるし、自分だけではないという孤独感から解放の助けにはなる。ぜひ、それぞれの地域の親の会に参加してみてください。全国の親の会情報まとめ(全317件)全国の不登校・親の会一覧
2022年10月28日
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北海道では夏休みが終わり、新学期が始まりました。本州はこれから新学期へのカウントダウンが始まります。毎年この時期には、子どもが自ら命を絶つニュースが流れるので、私も毎日新聞記事やネットニュースを気にしてしまいます。 一学期、行くことが辛くなってきた学校への登校をやっとの思いで続け、夏休みになってホッとしたのも本人にしたら束の間のこと。やがて夏休みの終わりが近づいてきて、学校に行かなくてはならないという重い気持ちが募り、次第に心の元気がなくなってしまう。それでも子ども達は「学校には行かなくてはならない」と思っているし、親だって新学期が始まったら子ども達は元気に登校すると信じている。学校が辛くなる原因は人それぞれで、時には本人にすらなぜ学校がイヤなのかはっきりしないこともある。それに、夏休みには必ず宿題があり、早めに宿題を終わらせる子は多分少数派。真面目な子なら、宿題がちゃんと終わっていないだけでもう苦しくなるかもしれません。子どもは自分の悩みや不安は、そう簡単に親には話さないものです。何よりも、お父さんやお母さんに心配はかけたくないし、自分の不安を過小評価する傾向があります。「こんなことで悩むのは自分が弱いから」「宿題が終わらないのは自分が怠けていたから」「一学期には友達に嫌なことをされたけど、あれは自分の思い過ごしかも」とにかく、嫌なことを考えていたら真面目な子ほど次々と原因は自分にあるという気持ちになるものです。もしも、お子さんが夏休みの終わりが近づいて次第に元気がなくなってきたら、「何か心配事でもあるの?」と聞いてあげてください。学校が始まってから行きしぶりがあったら、「もしかすると学校に行きたくないのかな?」と聞いてあげてください。少しでも本音に近いことを話してくれたら、絶対に否定せずにじっくり聞いてあげてください。聞きながら、自分にもそんな気持ちになったことがなかったか、遠い昔を思い返してください。繊細な心を持つ子どものお父さんやお母さんなら、「学校に行きたくない」「担任の乱暴なことばが怖い」「宿題が終わっていない」「友達に無視されているような気がする」などと、何かしら学校でストレスを感じた経験があるはずです。ご自分は不登校にもならず乗り越えてきたかもしれませんが、親御さんの子ども時代と現代では、環境も友達関係も、もっといえば学校の体制も雰囲気も変わっているのです。 自分の気持ちを理解しようとするお父さんやお母さんだと思えたら、まず子どもの心に安心感が生まれます。そして、お父さんやお母さんは自分の味方だと確信したら、もっと正直なことを話してくれるかもしれません。 とにかく、何かお子さんに気になる様子があったなら、その気持ちを聞いてあげてください。親にも話せない、正直なことが話せる友達もいない、悪いのは自分だと思い込んでしまう、その先にあるのは絶対的な孤独感です。世界中に誰一人自分の気持ちを理解してくれる人はいないと思い込んでしまうと、その次に何を考えてしまうのか。どうぞ、この季節に悲しいニュースが流れないようにと願っています。
2022年08月24日
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先週の土曜日(23日)にワクチンの4回目接種をしたのだが、なんだか回数を重ねるごとに副反応が強くなっている気がする。一回目の時にも発熱があって市販の解熱薬を使ったのだが、2回目、3回目も次の日は熱が出た。それでも、次の日の夕方には熱も下がり、翌々日は平常に戻ったと思う。ちなみに、ワクチンは1回目2回目はファイザー、3回目と今回はモデルナ社である。今回は、前回の発熱のことを考えて早めに解熱剤を飲んだのだが、なかなか36℃台に下がらず、頭痛と倦怠感で翌日はぐったり。当然食欲もなく、少しでも食べた方がいいとバナナとヨーグルトを食べたが胸が悪くなってしまった。一緒に接種した夫は、今回も全く発熱はない。薬の注意書きには、一日三回が限度と書いてあったが「一回目は午前二時だし、今は午後11時だから大丈夫のはず」と、一日四回服用してしまった。翌々日はやっと熱が36℃台になったが、一日ゴロゴロしていたせいか、それとも副反応の一種なのか、体の節々の痛みと腰の痛み、倦怠感で不調だった。今朝はやっと副反応も抜けたようでスッキリした気分でホッとしている。万が一、五回目も接種可能なんて通知が来たら、ちょっと考えようかと思う。こんな調子で副反応が強まり、ひょっとしてアレルギー的なことになったりしないかと心配だ。そう思って、今副反応についてネットでちょっと調べたけれど、ワクチン接種を重ねてアレルギー反応になるということは見つけられないが、これだって今後どうなるかわからないもの。
2022年07月26日
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5月の後半から、歯科と眼科の治療を始めていたのだが、6月22日に右目の白内障手術を終え、昨日は歯科治療が終了した。毎日のようにどこかの病院に通っていたのだが、ようやくそれも終了してホッとしている。白内障の方はまだ定期的に受診が必要で、かつ「保護メガネ」というものを1日中かけていなくてはならないのと、1日4回、3種類の目薬点眼をしなくてはならないのだが、多少面倒なだけでさほどのことではない。ただ、保護メガネと老眼鏡を一度にかけることは難しいので、読書や新聞を読むことは多少不便を感じている。まあ、年相応のことで仕方がないと納得しているのだが、目だけはできるだけ大事にしたいものだ。
2022年06月24日
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とても興味深い記事を読んだので、コピーしておく。どうして近年は「発達障害」と言われる子ども達が増えたのだろうかと疑問に思っていたのだが、その理由の一端を教えられたような気がする。発達障害が増えたのは「知名度が上がったから」だけではない…心理学者がたどり着いた"社会のある変化"6/21(火) 10:16 プレジデントなぜ発達障害に悩む人が増えているのか。京都大学の河合俊雄教授は「多くは『主体』が弱いという特徴がある。主体が求められる時代になったことで、発達障害や発達障害的な特徴に悩む人が増えたのではないか」という――。 ※本稿は、チーム・パスカル『いのちの科学の最前線 生きていることの不思議に挑む』(朝日新書)の一部を再編集したものです。 ■こころの問題には「時代の傾向」がある <お話を聞いた人> 河合俊雄(かわい・としお)教授 京都大学 人と社会の未来研究院 1957年生まれ。1982年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、1987年チューリヒ大学で博士号(哲学)取得。1988年にスイスのカランキーニ精神科で心理療法家として働いたのち、1990年より甲南大学文学部助教授を務める。1995年京都大学教育学部・教育学研究科助教授、2004年に同教授を経て、07年より京都大学こころの未来研究センター教授、22年から同センターの改組に伴い、現職(兼副院長)。 ---------- うつ病や依存症、摂食障害、解離性障害――。こころの働きに関係する病は、種類も症状もさまざまだ。だが、こころの問題に悩み、心理療法を受けに来る人たちの訴えは、まるで流行があるかのように、時代の傾向があるという。 こころの研究者であり、心理療法家として長年多くのクライエントに会ってきた河合氏は、時代とともに変わるこころを見守ってきた。特に流行が分かりやすいのは学生相談の現場である。 30年ほど前は、自傷行為や過食で悩む人が多かった。また、その前には「境界例」と呼ばれる、対人関係に問題を抱えている人たちも多く存在した。だが最近では、それらの相談はほとんどなくなった。代わりに増えてきたのが、「発達障害」である。 発達障害は、脳機能の発達に関係する障害だとされている。その症状は多様で、自閉症スペクトラム障害(自閉症やアスペルガー症候群など)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、学習障害などが該当する。■発達障害の症状の強さは人それぞれ その中で自閉症スペクトラム障害に近いものは、集中力が高いがこだわりが強くて空気が読めず、コミュニケーションが難しいという特徴を持つ。また、ADHDには、衝動的に活動し、物忘れが多く締め切りや約束を守れないという特徴がある。両者の症状は全く異なるが、どちらも脳の発達の違いが原因だと考えられているため、スペクトラムとしての発達障害というカテゴリに入れられている。 自閉症とADHDの特徴を読んで、どちらかが自分にも当てはまると思った人もいるかもしれない。発達障害は症状の強さも人それぞれで、日常生活に強く支障が出る人もいれば、社会の中で適応し、自分の特徴を活かして活躍している人もいる。適応できている人に関しては「障害」と呼ぶ必要はないだろう。自閉症の特徴を持っていても、ひとりで集中して作業する技術職なら高い能力を発揮できるし、ADHDの特徴を持っていても、時間に縛られないクリエイティブな職業で他の人にはできない仕事であれば、支障はないかもしれない。■発達障害に悩む人が増えたのは、時代が変化したから だが、このような特徴が強く出てしまったり、活かせない環境であったりすると、対人関係のトラブルや自尊心の喪失などが起こり、つらい思いをしてしまう。ときには就学や就労が困難になったり、うつ病を発症したりすることもある。周りの理解が必要なのが大前提だが、当人が生きやすくなるための心理的な支援も重要だ。 発達障害は、なぜ、増えてきたのだろうか。 病名が多くの人に認知され、相談に来る人が増えたことが第一に考えられるが、河合氏は、興味深い別の理由を教えてくれた。 「発達障害といってもいろいろですが、その多くは『主体』が弱いという特徴を持っています。発達障害や発達障害的な特徴に悩む人が増えてきたのは、時代が変化したからではないでしょうか。終身雇用が当たり前で外から決められた『枠』がしっかりあった時代は、主体性が欠けていても問題にはなりませんでした。コミュニティもしっかり存在して、その中での役割が与えられていたからです。 誰と結婚して、どの仕事をするかが、コミュニティの中で必然的に決まっていた。そうなると、主体性なんてなくても困らないわけです。しかし、現代は自然発生的なコミュニティが減って、自分で判断する場面が多くなりました。個人の自由度が増してきた現代だからこそ、主体性の問題があぶり出されていると考えています」 ■「強固な主体性」が必要になってしまった 人間は自由の刑に処せられていると述べたのは20世紀の哲学者サルトルだが、自由はある種の人々にとって大きな重荷なのである。 自然発生的なコミュニティとは、ご近所さんの輪のようなゆるいつながりのことだ。家族や仕事仲間のような緊密で必然的な関係とは対照的なものである。人はつながりがないと生きていくことはできない。ゆるいつながりが消滅すれば、必然的なつながりにしがみつくしかない。そうなると、必然的なつながりはさらに緊密さを増していく。この現象を河合氏は、「カルト化」と表現した。 「現代は、家族がカルト化しています。昔なら、おかしな家族がいたら近所の人が『あの家はどうなってるの? 』と首を突っ込んでいましたし、子どもも近所の祖父母の家に遊びに行ったりなど、逃げ場がありました。ですが、カルト化した家族には逃げ場がない。歪みはどんどん濃縮されていきます」 一方で、インターネットの発展により、つながろうと思えばいつでもどこへでもつながる手段が生まれた。無数の選択肢と、カルト化したコミュニティ。その両極端のつながりに挟まれた現代では、より強固な主体性が必要になってしまったのだ。 ■心理療法で驚くほど改善するケースがある 発達障害は、先天的な脳の特性が原因であるため、心理療法は有効ではないと長らく考えられてきた。だが、そうではない可能性を河合氏は考えている。 「これまでの心理療法は、クライエントが主体的に自分のこころを見つめ、問題を解決していく内省的なアプローチが中心だったので効果が薄かったのかもしれません。主体性が欠けている発達障害の人には、違う方法論が必要です」 河合氏がセンター長を務めていた京都大学こころの未来研究センターでは、「子どもの発達障害へのプレイセラピー」の研究プロジェクトが行われてきた。発達障害の子どもにプレイセラピーを実施し、その効果を検証しているのだ。その結果、脳機能の生まれつきの特性であると言われている発達障害も、心理療法によって驚くほど改善するケースがあることが分かってきた。 「脳の働きが、人間のこころや行動に大きく影響しているのは確かです。とはいえ、必ずしも脳だけでこころの状態が決まるわけではありません。身体から働きかけることも有効です。こころへの働きかけで行動や考え方が変わっていけば、それがまた脳を良い状態に導いていくこともありえるかもしれません」 ■「箱庭療法」での変化を見ていく プレイセラピーには「箱庭療法」も含まれる。河合氏の父である河合隼雄氏が、スイスから日本に持ち帰って広めた治療法だ。 実際に使っている箱庭を見せてもらった。 内側を青く塗った浅い木箱に砂が入っている。部屋の棚には箱庭療法で使うミニチュアの玩具がずらりと並んでいた。テーブルや椅子、車や標識、山や木、動物や人形など、圧倒されるほど大量のさまざまな玩具だ。 クライエントは、セラピストに見守られながら、箱の中に好きな玩具を選んで配置していく。砂を掘れば、青い板が覗くので、それを泉や海や川に見立てることもできる。河合氏が席を外している間に、箱庭を作らせてもらったら、童心に帰って楽しめた。できあがったものは、奇妙で不思議な世界だった。だが、自分でもなぜこのような箱庭を作ったのかが分からなかった。箱庭を作っていたつもりが、途中から箱庭に作らされていたのである。 「箱庭は一度だけの表現でももちろん意味がありますが、実際のセラピーでは何度も連続的に作っていくことで、変化を見ていきます。セラピストが見守っていることも重要です。セラピストが何か働きかけたりすることはほとんどありませんが、誰かと世界をシェアしていることが、クライエントのこころにとって大切なのです」 セラピストは箱庭療法においても、カウンセリングにおいても、ただ見守るだけの存在ではないのだ。見守っているうちに、クライエントの内面から、これまでなかった何かが立ち現れてくる。発達障害の子どもの場合だと主体性の萌芽が生まれることもある。そのときに、立ち上がってきた新たなこころの動きをキャッチするのがセラピストの役割だと河合氏は話す。■改善に向かうきっかけとなる「エマージェント」 本人が自覚していないこころの動きが、何らかの拍子に突然立ち現れる。河合氏はそれを「エマージェント」と表現した。 エマージェンスが起こると、こころの問題の改善に向かうきっかけになることが多い。立ち上がったのに、再び「座って」しまうこともあるが、それでも気長にセラピーを続けていくうちに、クライエントは自分で立ち直る力を手にしていく。 ひとりで悩んでいるだけでは、このようなこころの状態にはなりにくいし、エマージェントな動きを発見できない可能性が高い。こころの動きは「シェアされること」が重要なのだ。そのためにセラピストは安全で守られたスペースをクライエントに提供する。 河合氏が心理療法でクライエントと初めて対面したのは、大学院1年のときだ。以来、もう40年近く臨床現場に立ち続けている。研究と臨床を両方行うことの意義を次のように語る。 「セラピーを必要としている人たちは皆、苦しみ悩んでいます。心理療法によってこころへアプローチすることは、普通ではない状態を調査することになります。普通の状態のこころを知ることももちろん大切ですが、普通ではない追い込まれた状態だからこそ、こころのさまざまな側面が見えてくるのです」■個別の事例には、非常に大きな力がある さらに、クライエント一人ひとりに向き合い、個々の事情に深く寄り添い関わっていくことでしか、得られない気づきがあると語る。これは、自分が心理療法を行う場合だけでなく、他の人の事例を検討することでも同様だという。 「個別の事例は、非常に大きな力を持っています。事例報告会などでは、クライエントの個人情報が守られる形で治療の経過などを報告しますが、それを見ると、どうしてうまくいったのか、どこで間違えたのかなどがよく分かります。そのような事例検討は、専門家の参考になるだけでなく、一般の人にとっても有効だと思います。どんな人のどんな苦しみが、どんな過程を経て回復したのかという話を本などで具体的に読むと、自分に応用できるようになる。物語の持つ力と言えるかもしれません」 心理学をサイエンスの土台に載せるためには、すべての現象に共通する法則性を見出さなくてはならない。それができない以上、個々の事例は「物語」にしかならない。 だが、こころから生まれた物語は、確実に人の生きる力を引き出している。クライエントが見せてくれるこころの働きは、その場限りの現象なのか、それとも普遍的ないのちの姿なのか。この問いをサイエンスの言葉で答えることは、今はまだできない。
2022年06月21日
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先週、義歯にひびが入ったので、覚悟を決めて歯科医へ。長年お世話になっていた近所の歯医者さんが閉院してしまってから約二年半。自宅からの徒歩圏内に数軒の歯科医があるのだが、決め手は実家の母の訪問治療をしてくれている歯医者さんだったから。つまり、これから私たち夫婦がもしも訪問歯科治療を受けることになった時も馴染んだ歯科医なら安心できるだろうという目論見だ。気になるところは一か所だったが、色々と不都合部分も見つかり、結局大工事になってしまった。私は幼い頃に乳歯が自然に抜けず、永久歯が顔を出してから乳歯を抜くことを繰り返した。さらに、大人になって乳腺の切開手術をした時に初めて気づいたのだが、麻酔が人より効きにくいのか、あるいはすぐに効果がなくなるのか、抜歯の時も治療の時も、後半は拷問を受けているような痛みがあり、歯医者さんは痛いものだと言われてただ耐え続け、すっかり歯医者嫌いというか、歯科医恐怖症になってしまった。ということは、いつも手遅れ状態でさらにひどい治療や抜歯をすることになり、今でも歯科治療の台に上がると恐怖心と緊張に震えてしまう。五十代頃からかかるようになった前の歯医者さんにはそのことを伝えて「とにかく痛くないようにお願いします」と言っていたので、あの恐怖心は薄らいでいるのだが、他の人の歯を削る音を聞くだけでもやはり体が硬くなってしまう。今回の歯医者さんは、訪問治療を引き受けるだけあってか、とても優しい人で、それだけで体の緊張が抜けるような気がしたが、やはり治療を受ける時には体も口も固くなってしまい、なんども「リラックスしてください」と言われ続けてしまった。私のPTSDはこれだなと思う。とにかく、もうまな板に乗った魚である。先生、よろしく料理いや治療してください。
2022年05月23日
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先日、不登校の親の会の世話人をしている人と、HSCと思われる中学生の話をする機会があった。少し前までは、不登校になりやすいこには発達障害的な傾向があると言われ、「発達障害」という言葉がよく聞かれた。最近は、HSPとかHSCという言葉が聞かれるようになり、それが学校が辛くなる要因と言われるようになってきたように思う。色々な研究が進むと、人間の様々な傾向や気質が細分化されてくるみたいだなと、少し天邪鬼な私は感じたりしてしまう。 私がこの単語を耳にするようになったのは、この数年だと思う。直接不登校のお母さん達や関係機関と話す機会が激減したためなのかもしれない。ということで、今日は私自身の学びのためにこの二つについて考えてみたい。まず、HSPについて書かれたネット情報から。HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)とは? では以下のように説明されている。HSPとは、Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の略で、人一倍繊細な気質をもって生まれた人という意味です。こうした気質を持つ人は職場や家庭など生活の中で気疲れしやすく、生きづらいと感じているタイプの方が多いのです。(中略)人の言動に動揺しやすかったり、人の感情に自分の気持ちも左右されてしまったり、周囲の音、光、匂いなどが気になって仕方なかったり。あなたは今、そんな毎日を過ごしながら世の中を「生きにくい」「疲れる」「つらい」と感じているかもしれません。職場や学校、組織に属するのが息苦しく、自分を変えなければと悩んでいる方もいるでしょう。ですが、それは生まれ持った性質「HSP(エイチエスピー)」かも。(中略)「DOES(ダズ)」と名付けた4つの特性…考え方が複雑で、深く考えてから行動する〇一を聞いて、十のことを想像し、考えられる能力がある〇調べ物をはじめると深く掘り下げ、その知識の広さを周りに驚かれる〇お世辞や嘲笑をすぐに見抜いてしまう〇物事を始めるまでにあれこれ考え、時間がかかる〇その場限りの快楽よりも、生き方や哲学的なものごとに興味があり、浅い人間や話が嫌いこのサイトでは、ほかにもうつ病になりやすいとか、チェックリストなどもある。次に、HSCについて。HSC(Highly Sensitive Child)ハイリー・センシティブ・チャイルドHSC(Highly Sensitive Child)とは、日本語では「非常に敏感な子」と紹介されています。5人に1人の割合で存在するとされ、音や匂いに敏感で、にぎやかな場所や集団行動が苦手といった傾向があり、学校生活に馴染めずに不登校などの原因になるとも言われています。例えば、ご子息の不登校に悩んでいる保護者の方の中には、その特徴として「人が大勢いるところではすぐに疲れてしまう」「人が怒っている声が苦手」「ちょっとしたことで傷付く」といったことに思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。HSCセルフチェック・感覚に強い刺激を受けると敏感に反応してしまう・環境の変化によく気づくほうだ・周りの人の気分によく左右される・痛みに対してとても敏感である・忙しい日は暗い部屋やベッドなど自分だけの空間で過ごしたくなる・カフェインに対してとても敏感である・明るい光、強い匂い、ザラザラした布、近くでのサイレンの音などに敏感に反応してしまう・豊かな想像力を持っていて空想しがち・騒音などで気持ちが落ち着かなくなる・美術や音楽など芸術に感銘を受けやすい・時々気疲れしすぎてしまい、1人の時間が必要・良心的である・ちょっとしたことで驚く・短時間でやることがたくさんあると取り乱してしまう・周りの人が落ち着かないと感じる環境にいるときはそうならないような配慮ができる (例:電気の明るさを変えたり、座席を移動させたり)・一度にたくさん頼まれるのを好まない・忘れものや間違いをしないように努力をする・暴力的な映画やテレビ番組はあえて避けるようにしている・たくさんのことが自分の周りで起こると不快になる・空腹になると集中できなくなったり、気分が悪くなったりする・生活の変化に弱い・デリケートな香りやいい香りを好む・一度にいろいろなことが起こると不快に感じる・苦しい、耐えられない状況は避ける、ということを普段の生活で最優先にしている・騒音や混乱した状況に悩まされる・誰かに見られていたり、競争させられたりすると、そうでないときに比べパフォーマンスが落ちる・両親や先生から「繊細な子」「内気な子」と思われているこれを読んで、多くの人が自分にも当てはまると感じたのではないだろうか。これって、もしかすると日本人に多い気質かもしれないし、本人にとっては困ることが多い特性かもしれないが、周囲の人にとっては静かで考え深く、平和的であり、真面目で信頼できるタイプかもしれない。このような人が力を発揮できれば、どれほど社会にとって良いことかと思うくらいだ。このようなタイプの子ども達が学校で受け入れられにくくなるということは、本人にとっては勿論だが、学校や社会にとって大きな損失となるような気がする。だからどうすればいいのかということは、私には今のところちゃんと主張できるものはないが、これらの気質をマイナスととらえることだけはやめなくてはならないだろう。逆に言えば、これらの特性とは真逆のタイプの方が、周囲を困らせることが多いような気がする。ちなみに、幼少期から若い頃までの自分を思い浮かべると、これらの要素が数多くあったような気がする。いつも周囲から浮いていると感じ、元気で明るい子を羨ましく感じ、乱暴な男の子に恐怖を感じ、みんなと一緒に遊ぶのが苦手で、周囲の人にどのように思われているかにビクビクし、逃げるように本ばかり読んでいたのは、きっとこの特徴のいくつかをもっていたためなのかもしれない。それでも私は何とか生きてきたし、数は少ないかもしれないけれど友達もいるし、この気質のおかげで周囲を気にしながら真面目にやってきたことで多少は人に信頼されたり、多くの人に助けられたりしてきた。若い頃はこんな自分に自信を持てず、自分が嫌いだったが、今はこんな私で良かったんじゃないかなと思えるようにもなった。人間は一色ではない。色々な色合いが混在している複雑なものであり、そのグラデーションがその人らしさを作っている。もしもこれらの特性を持つことで今苦しくても、決して自分を責めたり絶望してほしくない。きっと、あなたの良さを見つけて手助けしてくれる人がいるはずだから。
2022年05月02日
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知り合いから下記の記事を教えてもらいました。みなさんはどう感じるでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「不登校という言葉はもうやめよう」だって差別用語だから 2018年07月31日 14:59 by kito-shin 「不登校という言葉は最悪だ」。そう語るのはPN喜久井ヤシンさん。自身の経験を「不登校」という言葉で語りたくないという喜久井さんに、思いを書いていただいた。******** 私は『不登校新聞』のど真ん中で訴えよう、「不登校」なんて言葉は最悪だ、と。 まず「不」とは何事か。ガッコウに行かないこと、行けないことについて何十年も議論しているというのに、いまだに「登校の否定」によってしか語れないなんてどうかしている。もしも日本語で女性のことを「不男性」、LGBTを「不異性愛」、在日コリアンを「不日本人」などと呼んでいたら差別だろう。なのになぜ「不登校」はありなのか。そして便宜上必要だったとはいえ、「不登校」という言葉が、なぜ法律にも位置づけられてしまったのか。 この言葉の最大の欠点は、何十年と続いている社会問題が、子ども個人のせいであるかのように語られてしまうことだ。「学校恐怖症」や「登校拒否」などとも言われてきたが、この問題は社会全体の病理であり、個人の「不登校」が語られたところで改善していかない。「君が不登校になった原因は?」なんて愚問が子どもに向かってあと百年くり返されても、社会全体の「不登校」問題は変わらない。 「聾」のように「癩」のように「白痴」のように、「不登校」という語にこびりついた被差別の血の痕が見えないだろうか。私は旧世紀の差別語のように、この言葉を歴史上の遺物へと追いやりたい。ジェンダーでは多様な言葉が それとも一度、世に普及した言葉は変えようのない、当事者たちの選びようのないものだと信じているのだろうか? だとしたらまちがいだ。言葉はそんなものではない。 たとえばジェンダーに関する議論では、語彙の百花繚乱となっている。私自身が「ゲイ」にあてはまるのでくわしい分野なのだが、もし「LGBT」が「不異性愛者」という言葉でしか語れなかったなら、「LGBT」の情報は現在ほど広まっていなかっただろう。私のセクシュアリティにあてはまる言葉は、蔑称を含め「ホモ」「オカマ」「若気」「男色」「バラ族」「MSM」「ゲイ」「G」「同性愛」「ホモセクシャル」「「性的少数者」「性的マイノリティ」「セクシャルマイノリティ」「セクマイ」「クィア」「LGBT」、議論としては「SOGI」などがある。言葉は生きている。変えていくことは可能だ。 ひるがえって、ガッコウに行かない子どもを指すバリエーションは現在いくつある? 「不登校」……ほかには? まさかこれだけ? 私は、こんな言葉ひとつで的確に語ることができるとは思えない。新語をつくり社会の問題へ 私には喫緊に新語が必要だと思われる。子どもとガッコウとの関係を、社会全体の問題に限定して語るための言葉だ。どこかの外国語から翻訳を持ってくるとか、造語で「教育マイノリティ」とか「オルタナティブ・エデュケーション・チルドレン(AEC)」とか、「公教育集団」に対して「私教育集団」とかはどうか。 もしくは、被差別部落と同様にいっそ「被差別児童」と呼んでみてはどうか。「あなたはなぜ、被差別部落になったの?」という問いかけに違和感があるように、「なぜ、被差別児童になったの?」という問いに違和感をもたらし、質問者の口先を黙りこませるだろう。学校の問題とは個人問題ではなく社会問題であり、問題視する側の問題であることをはっきりさせる。 何も文科省や国が動いて「不登校」という言葉を変えなくてもいい。一人ひとりが勝手に「不登校」を嫌がって、勝手に新語を使いだしたらいいのだ。私は「登校拒否」が「不登校」へと変わった歴史的転換の熱量が、もう一度、この平成終焉の時代に変革を起こすことを希求する。言葉まであきらめさせるな。手始めに私はひとりでも「不登校」の言葉を嫌い、憎み、憤激する。そして、私はこの言葉を生涯かけて呪う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 確かに、言葉から受ける印象は重要な部分があります。ただ、言葉はそれを使う人たちの意識によって、プラスにもマイナスにもなり得ます。プラスイメージの適切な造語もありだとは思いますが、私のような高齢者になると、横文字や略語ではストンと理解できません。(学校に行かないことにマイナスイメージを持ちやすい世代です)現在の日本に、差別用語がどのくらいあるかわかりませんが、女性の私から見たら、若い頃から「女だから」とどれだけ言われてきたことでしょう。「男」も「女」も、性を区別するための言葉で差別用語ではありませんが、使われようによっては差別とも感じます。 ただ、「不登校」の言葉でくくられることに強い差別感を抱き、その言葉を忌み嫌う子どもや若者が多いのも事実でしょうから、プラスイメージで在宅できる言葉が見つかればいいとは思います。ただ、そんな言葉が見つかったとしても、学校に行かないことを良しとしない人たちが多ければ何も変わらないような気がします。この記事が書かれたのは、2018年でした。さて、現在の彼は新語を見つけたのでしょうか。みなさんはどうお考えになりますか?
2021年10月20日
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9月1日問題とは 夏休み明けの始業式に自殺をする子どもたち命絶つ子ども増 夏休み明けは特に注意、異変のサイン見逃さないで #今つらいあなたへ今日は、中学時代の過酷ないじめで苦しみ、そのトラウマと必死に闘い続けて命を削り、燃え尽きたようにあちらの世界に飛び立ったK君のご命日です。この日は、彼だけではなく、イジメを直接的・間接的原因として自死した、多くの若者のご命日でもあるのです。今日が、そんな悲しい日となりませんように祈ります。
2021年09月01日
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教諭の叱責で不登校「わが子も同じ」保護者から反響 毎日嫌だと涙/授業の前に気分悪く7/5(月) 9:06配信 岐阜新聞 岐阜県内の小学校で児童が担任の教諭の叱責(しっせき)をきっかけに不登校になっている問題を取り上げた「あなた発!トクダネ取材班」の記事を受け、取材班のLINE(ライン)には、複数の保護者から「わが子も先生に怒られて学校に行けなくなった」という声が寄せられた。 教育関係者からは「学校も指導の在り方を見直すべきだ」との声が上がった。 可児市の40代の女性は、小学5年の長男が「先生に怒られるのが怖い。話しかけても怒られるだけ」と登校を渋っていると話す。きっかけは週に1回の花の水やり当番を忘れ、担任の教諭に叱られたこと。忘れた本人が悪いことは理解しつつも、「叱るべきところで叱るのは当然だが、一人一人性格が違うのに全員に完璧を求めるのはどうなのか」とも思う。 「毎日なんとか頑張って学校に行っているが、担任は『来て当たり前、嫌なことがあるから逃げるのはずるいよ』と長男に言い、さらに追い詰めていると感じる」という。「毎日嫌だと泣く中、学校に行かせ続けて良いのか本当に困っている。私も甘やかして育てたのかと、自問自答の毎日だ」と複雑な胸中を明かした。 県内の別の女性は娘が小学1年の時、合唱祭に向けた練習中に教諭の厳しい指導を受け、一時不登校になった。その後叱責はなかったが、音楽の授業の前になると、めまいを起こしたり気分が悪くなったりする症状が2年生になるまで続いた。 「2年生での担任は若い先生だったが、娘の話をちゃんと聞いてくれた。ささいなことでも褒めてくれたり、悩んでいたら励ましてくれたり。様子を見ながら対応してくれたことで娘は乗り越えられた」といい、現在は問題なく通えているという。「褒めて育てると言われる世の中で、叱る指導は逆効果なのではないか」と疑問を投げ掛けた。 学校現場を知る関係者にこの問題について尋ねると「指導をきっかけに児童が教員を怖がり、学校に行けなくなるケースはよく聞く」との声が上がる。 県内のある小中学校関係者は、「厳しい先生に低学年学級を受け持たせると学級のまとまりが生まれ、3年生以降も教職員の指示をよく聞き、それが良いこととされる時代があった。だが不幸な子を生んでいるのなら、学校も考え直すべきだ」と話す。 「昔よりも保護者の教員に対する『かくあるべき』という許容範囲が狭くなっているのは確かだが、保護者や児童に理解されてこその教員だ。プロとして対応していかなければ」と言い切る。「問題が起きた際に、教員と児童の間で生じたずれを修復するためにも、学校と保護者が協力して何がいけなかったのかを振り返り、改善に取り組む必要がある」と強調した。 県立高校の男性教諭(42)は、過去に定時制高校で勤務していた時を振り返り、「生徒の6割が小中学校で不登校を経験しており、絶対に怒鳴ってはいけなかった。生徒は繊細で、必要がない場面で怒鳴ると恐怖や理不尽さを感じさせるのだということを常に意識していた」と明かす。 「厳しい指導で子どもは伸びる」「親が叱らなくなった今だからこそ、学校が叱らなければ」と考える教職員もいるというが、「100人のうち99人がその指導で育ったとしても、1人が教員のせいで学校に来られなくなることは公教育の場では許されない。こぼれ落ちる子の原因になっていることを学校は自覚すべき」と指摘する。 その上で「教室は閉鎖的な空間で、教職員が『自分が正しく導かなければ』と悪意なく指導をエスカレートさせやすい。違う目線を持った第三者の存在が学校には必要ではないか」と述べた。 ◇ 岐阜新聞は、暮らしの疑問や地域の困り事から行政・企業の不正告発まで、情報提供や要望に応え、調査報道で課題解決を目指す「あなた発!トクダネ取材班」を創設しました。あなたの知りたいこと、困っていることについて、ご要望や情報をお寄せください。LINEの友だち登録で取材班と直接やりとりもできます。 ひょっとすると、教師になった人の多くは厳しい指導を受けて育った人たちなのでしょうか。あるいは、嫌なことがあっても耐えるのが当然で、その修行をする場が学校だと信じて大人になった人が多いのでしょうか。または、品行方正・学力優秀でいじめも受けたことはなく、あまり嫌な思いをせずに教師になり、学校が苦痛になるということ自体が全く想像も理解も出来ない人が多いのでしょうか。その上に、仕事は多忙でそれをこなし学校に適応することに精一杯で、子どもの一人一人に目を向けるゆとりを失っているのでしょうか。 岐阜新聞、頑張ってますね。北海道新聞も頑張ってほしいです。今、新聞の購読者減少で、特に地方新聞は大変だと聞いていますので。
2021年07月07日
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昨日、コロナワクチン接種の一回目を、市内の大学で集団接種してきた。なかなか考えられた方式で、とてもスムーズで会場に入ってから一時間足らずで終了。今朝、少し打った場所が筋肉痛のような感じがするが、動かしたら感じる程度である。色々な変な情報も飛び交っているようだが、私はこれで半分ホッとしている。東京では感染拡大の兆しがあるようだ。天皇陛下がオリンピック開催での感染拡大を心配しているようだということで、「政治的発言はいかがなものか」と言う人もいるようだが、それって、オリンピックは政治問題だという証明か?昨日も書いたけれど、このまま突撃開催して被害者累々になったら政治家が責任取るのですか?この件について考え始めたら免疫力が低下しそうになるのでやめておこう。
2021年06月27日
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大坂なおみ、全仏オープン棄権 うつ病公表にキング夫人、ナブラチロワらレジェンドからも反響「あなたはとても勇敢」6/1(火) 12:36配信 プロテニスプレイヤーの大坂なおみ選手が6月1日、開催中の全仏オープン2回戦棄権をSNSで発表。大会前に「アスリートのメンタルヘルスを無視している」と取材拒否を宣言し、1回戦勝利後の記者会見に出席せず、課された罰金や、大会追放もありうると今後の展開が話題になっていました。大坂選手は想定以上の騒動になったことへ戸惑いを告白し、大会や他の選手、また自身の健康のためにもここでしりぞくことが最適だと述べています。 大坂選手はグランドスラムを初制覇した2018年の全米選手権優勝以降、うつ病を患っていると公表。コート上でたびたび見せるヘッドフォンをした姿は、不安を和らげるための行為だと明かし今回の取材拒否も自分自身のメンタルを守るためだったと強調しています。ジャーナリストに謝罪しつつも、そもそも内気でメディア向きの性格ではなく取材対応がストレスだったとつづっています。 大坂選手はInstagramから取材拒否声明を削除し、タイミングを誤りメッセージも明確ではなかったと一部の非を認めています。また大会運営側へ、文書で謝罪したと公表。一方で現状の取材対応制度は「時代遅れ」と批判し、その点に注目してほしかったと強調しています。しばらくは休養期間に入るとしつつ、今後は選手とメディアだけでなく、ファンを含めた全ての人が満足できる形を模索していきたいと意欲を示しました。 大坂選手の声明には多くの反響が寄せられており、本人が敬愛するビーナス・ウィリアムズ選手は「あなたを誇りに思う。ゆっくり休んで」とコメント。次世代トップと目される若手ココ・ガウフ選手も「強くあり続けて。心の弱さも含めてあなたを称賛します」と先輩を鼓舞しています。第4シードで出場する強敵ソフィア・ケニン選手は「彼女の選択、やっていることを尊重する。多くはコメントしないけれど、誰にでも葛藤している問題がある」と述べました。 また1970年代に活躍した元トップ選手マルチナ・ナブラチロワもTwitterで「アスリートとして、私たちは身体のケアについては教わるけれど、もしかするとメンタルは軽視されていたかも。記者会見をやるやらないのでは問題ではない」と自身の見解を投稿。同じく1960年代から80年代まで活躍した往年の名選手ビリー・ジーン・キングは「うつとの戦いを公表するとは、とても勇敢なこと」とし、大坂選手の健康を気遣いました。 大会を主催する仏テニス協会のギルズ・モレトン会長は公式サイトで「大坂選手の棄権をとても悲しく、残念に思う。早期の回復と、来年の出場を願っている」とのコメントを発表。加えて四大大会、女子テニス協会、男子プロテニス協会、国際テニス連盟同様に、選手の健康は過去から今に至るまで改善へと取り組んでいる重要な事項であり、今後も努力し続けると強調しています。ネット記事などを読むと、「それなら、最初からそう言えばいいのに」というようなことを言う人がいるようだが、私はそうは思わない。うつ病だったと知り、今までの不安定さなども腑に落ちた。会見拒否の強いツイートを知り、「これは感情コントロールができない状態で、何らかの心の問題を抱えているなんじゃないか?」と感じたからだ。別の記事でも書かれているが、注目度の高いスポーツ選手にはこのような状態になることが稀ではないようだ。成績の低迷している選手の中には、単なるスランプではないことが多いのではないか。やはり、スポーツ選手のメンタル面には、もっと丁寧な観察やサポートが常に必要な気がする。
2021年06月02日
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この一か月余り、ある青年の仕事上の相談でメールのやりとりをしている。彼は、小学生から高校生の頃まで、転校がきっかけでのイジメや不登校を経験している。そのほかにも、家庭的なトラブルや悲しい出来事もあり、なかなか厳しい中で育っている。そのせいもあってのことだろうが、元々の内向的な性格もあり、人に心を開きにくく、なんでも悪く考える心の癖がついてしまったようだ。それでも、本当に頑張って大学院まで行き、希望していた医療関係の職につくこともできた。私はそれだけでも大したものだと思うし、不利な状況に負けなかった自分に自信を持ってほしいと思ってきた。彼と出会ったのは大学生の頃だから、もう15年以上も彼の節目節目にメールのやりとりをしたり、会って話を聞いたりしてきた。昨年からコロナ感染が広まり、彼の勤める病院でも小規模ではあるがクラスターも発生し、かなりピリピリした雰囲気の中での勤務が続いていたようだ。職場がピリピリしてみんながストレスを抱えるようになると、それまでは見えなかった個々の人間性が見えてくる。つまり、通常なら見えないことが見えたり、トラブルにならなくていいことまでが起きてくる。内向的で、他の人と愚痴をこぼしたりできにくい彼は、どんどんストレスを自分の中にため込んできたようだ。そのせいもあるのだろう。体調にも色々変調が起き、ストレスは倍加する。という背景の中で、職場や同業者とのトラブルも降りかかり、「転職せざるを得ないかもしれない」ということがメール相談の発端だった。何度かのメールのやりとりをして、どうも彼の思い過ごしではないかと感じるようになり、それを指摘したり上司に自分の気持ちを相談することを勧めたりしてきた。結果としては、私の想像通りに彼の思い過ごしや、なんでも自分の責任を感じ過ぎることが、自分自身を苦しめてきたということが明らかになったと思う。しかし、用心深く人間への不信感が根っこにある彼は、まだ油断できないと思っているようだ。「貴方にはこんな心の癖があるね」ということを、今までも何度も何度も繰り返して伝えてきたし、「気になることがあれば、理解してくれそうな人に聞いてみよう」と言ってきたが、それを理解しつつもトラブルめいたことがあればすぐに自分の中に原因を見つけようとしてしまう。彼は、冷静に考えることが出来る時は、そんな自分の心の傾向性をよく理解している。それが自分を苦しめているのだともわかっている。しかし、やはり「すぐに悪い方向に感じ、考えてしまう」という心の癖は修正が難しいようだ。「悪い方に考えている時は、『また癖が出ているな』と考え直してみようよ」といつも伝えるのだが、長年付き合ってきて私のことを信頼してくれているはずなのにも関わらず、それが自分を丸め込めようとしているようにも感じているかもしれない。本当に「癖」というものはやっかいである。私自身、若い頃には彼のような傾向性があったし、そのせいで勝手に自分のせいだと思ったり、自分がこの仕事をしているのが間違いだと思うことを繰り返しもした。しかし、おかげさまで40代半ばころから、一種のピアカウンセリング的な会の世話人となったことがきっかけで、自分の心の癖が客観的に見えるようになり、どんどん自分が楽になっていった。彼に対しても、きっとそのような段階にいつかはなると信じているが、私と違うことは「いじめ体験」の有無である。それだけに、「イジメ問題」は簡単なものではなく、子どもの心に修正困難な傷を残してしまうことを、子どもに関わる仕事をしている人は肝に銘じてほしいと思う。
2021年05月12日
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「登校拒否・不登校ー親たちのあゆみー」■内容紹介■不登校になった子どもを受けとめられず揺れる親たち子どもと向き合い、自分と向き合い、登校拒否・不登校の子どもの親を生きる。もうひとつの当事者たちの出会いの物語。あの日の涙が希望の笑顔に変わるまで。子どもが学校に行かなくなったとき、親の気持ちも揺れるのです。子どもたちのメッセージを受けとめようと、いっぱい揺れて新しい生き方に踏み出せたのも、登校拒否・不登校を選んだ子どもたちからの大切なプレゼントかもしれません。■もくじ■はじめにわが子の登校拒否・不登校親と子の葛藤親の会に出会って全国のつどいにつながって学校に希望を当事者の声を聴く「手記」が描く生いのち命の「すがた・かたち」に寄せて登校拒否問題の現状と課題あとがき■著者略歴■登校拒否・不登校問題全国連絡会25年のあゆみ編集委員会1995年1月、阪神・淡路大震災直後の大阪で生まれた親たちの自主的なつどい「登校拒否・不登校問題全国連絡会」の25年の記録をまとめるためにつくられた全国の親たちによる編集委員会。「登校拒否・不登校問題 全国連絡会」は毎年全国大会を開催していますが、北海道では2006年に定山渓で全国大会が開催されました。その時には、私も実行委員として参加しました。そのご縁がずっと続いていた仲間がいて、その人からこの本を紹介されました。不登校や登校拒否になった子を持つ親の会は、全国に沢山あのますが、この連絡会の特徴は「子どもたちを中心にして、親や支援者、教師など」が語り合うネットワークなのです。多くの親は、子どもが不登校になった時に学校に相談することから始めるのが一般的ですが、その過程で学校が頼りにならなかったり、時には親子で責められたりして、学校と闘うような形になることがある。特にいじめなどに端を発する時には、守りに入ってしまいがちな学校や教育委員会が敵になることも多い。本当は、学校や教師も悩んでいたり苦しんでいたりするのに、どうしても仲間になりにくい関係となりやすいのです。親の会のネットワークもこの連絡会だけではありません。親子が不登校で苦しむことから早く脱却するために、学校教育から距離をとることもある。できるだけ早くに学校教育から縁を切り、別の形での子どもの学びや育ちを保障する方が親子の傷も深くならずに後遺症もないということも一つの考え方。私はどちらかというと、学校があてにならないと感じた時には学校を切り捨てた方がいいと思う方が多い。ただし、あくまでもそれぞれの状況によるし、学校を諦められないのが一般的なので、それを勧めているわけではない。「学校から離れたっていいんだよ。今は別の方法が色々あるよ」という感じなのです。そんな私にとっては、この連絡会のスタンスは希望です。一番大切なのは、学校が子どもにとって安心して楽しく通える場所になること。そのためには、学校の教職員に親や子どもの気持ちを理解してもらうこと。だから、この連絡会にはこれからも頑張ってほしいと願っています。さて、この本の感想である。ここには、連絡会に関わってきた親や教職員や支援者の体験記が載せられている。読みながら、何度も私の知っている親や子ども達の顔が浮かんできた。そして、プロセスは違っても、子どもが不登校になった時の親の心理的なプロセスには共通するものがあると感じた。それは今までも感じていたことだが、このように何編もの体験記を読むとそれが明確になった。ここに載せられているのは、体験記を書ける状態になった人たちだ。つまり、不登校や登校拒否で苦しんだりした人たちが、その日々を冷静に穏やかに振り返られるようになっている。しかし、同じような体験をしても、なかなか乗り越えられずに引きずり、さらに悪循環や不運が重なり、時にはニュースになるような事件につながることもある。その違いはなんなのだろうか。私は、そのポイントがこの体験記の中に見え隠れするような気がする。この本は、現在、わが子の不登校で悩んでいる人たちに読んでもらいたい。今の苦しみを乗り越えるヒントがたくさんあるし、何よりも先の見通しが立つのではないか。25年間、この連絡会を続けてきた多くの世話人の方々に、心からの感謝と敬意を表したい。
2021年02月09日
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昨日の北海道新聞の「まなびのひろば ぐんぐん」に、漫画家・女優の園山千尋さんの記事がありました。その記事で「不登校ガール 学校の階段がのぼれない」を知り、早速ネットで探してみました。 「Vコミ」に連載しているので、下記から読めます。「不登校ガール 学校の階段がのぼれない」 ご自分の体験を描いているそうです。 転校がきっかけで不登校になる子は多いと聞きます。きっと多くの人が共感する内容だと思うので、ご紹介します
2021年01月27日
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北方ジャーナルは、ひきこもりについてのルポを連載しているので、毎月読んでいる。今月の記事は、多くの人に読んでほしいと思い紹介する。写真で撮った画像なので読みにくいだろうから、興味のある人は北方ジャーナルをご覧ください。でも、この雑誌全国で売っているのかな?
2021年01月16日
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池江璃花子が泣いた…自らを特集したNHK番組視聴「そんな時もあったなぁ」「私はまだまだこれから!」1/10(日) 22:25配信 中日スポーツ 白血病からの完全復活を目指す競泳女子の池江璃花子(20)=ルネサンス=が10日、自身のツイッターを更新。この日、NHKで放送された「池江璃花子ハタチの決意」に関して「#NHKスペシャル 見てくださり、ありがとうございました!」と感謝をつづるとともに、文字通りの成人の決意をツイートした。 池江は放送を振り返り「苦しかった時の映像も少し涙ながらにそんな時もあったなぁと振り返りながら見る自分がいました」と感想を漏らし、さらに「そしてこれからなりたい自分を改めて考えることができました。私はまだまだこれから!」と力強く締めくくった。 池江のツイートにはフォロワーから応援するメッセージが殺到。「そう、貴方はまだまだこれからです!!」「めっちゃ応援しています」「ほんとに努力の人ですね!私も頑張ります」などのコメントが寄せられた。私もNHK番組を見たけれど、よく頑張ってきてくれたなあと胸が熱くなった。随分昔から活躍しているような気がしていたので、今年成人式とあらためて知ってビックリ。これからの彼女がとても楽しみだ。それだけに、あまり無理してまた体を壊さないかとそれも心配。あなたの元気になった姿は、オリンピックの金メダル同等、いやそれ以上に価値があるし、同じ病気の人は勿論のこと、多くの人を励ましてくれてます。それにしても、本当に素晴らしい素敵な女性だ!池江璃花子さんオフシャルサイト
2021年01月11日
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新型コロナ感染後の「後遺症」が深刻だ。倦怠感や脱毛、微熱、嗅覚・味覚障害...120日以上も。重症化や長期化の恐れに、実態把握が急がれる クローズアップ現代+ 新型コロナウイルス感染後に陰性となり「治った」と思ったら、後遺症が長期にわたって続く可能性があることがわかってきた。感染者が9万人を超えるなか、コロナ治療後の暮らしをどう支えるのか、を考えた。 「コロナ後遺症」に苦しむ声がいま、次々とSNSに投稿されている。「また熱が。味覚嗅覚まったくなし。わたし退院したよね」「陰性が出てからも症状がまったく治らず。頭痛、倦怠感、湿疹といった症状が続いています。20歳で持病もないのに」「軽い息苦しさと鼻腔の鈍痛がしつこい」。 東京・渋谷区の平畑クリニックは、こうした後遺症に悩む患者を積極的に受け入れてきた。この半年で237人に上る。9月に感染が確認された30代男性は、「(退院して)外出するようになって、少し歩いただけでだるさを感じたり、熱が出たりもした」。平畑光一医師は、患者の中には、寝たきりになったり、夜も眠れなかったり、深刻なケースもあるという。「ものすごくつらい思い、想像を絶するつらさを抱えている」。後遺症が長期に及ぶ人も。今年春に感染した40代男性は、40度近い熱とせきがあり1カ月余り入院した。その後回復し陰性も確認、職場に復帰した。ところがその後、微熱や呼吸の苦しさが。半年以上も続いている。やむを得ず休職。いまは1日のほとんどを寝て過ごしている。第1波の時にPCR検査を受けられなかった人が後遺症に悩んでいる 国立国際医療研究センターは今月、後遺症に関して63人に聞き取りした調査結果をまとめた。もっとも多かったのは息切れ(11.1%)。これに嗅覚の異常(9.7%)、倦怠感(9.5%)が続く。こうした症状が120日以上続くことも分かってきた。厚生労働省も後遺症の実態について8月から3月末まで研究、どんな人に後遺症が出やすいか、調べることにしている。 平畑クリニックではさらに、「今年の春にPCR検査を受けられなかった」(後遺症)患者が相次いだ。患者の1人は「一番ジレンマに感じるのは、検査が陽性だったら治療もしてくれるけど、陽性が出ていない。ずっと時が止まっていて、夏とか全然生きていた覚えがなくて、いつまで続くんだろう」。平畑医師は、後遺症は予想以上に広がっているのではと懸念している。「37度5分以上の熱が4日以上続かないとPCR検査が受けられない時期があって、まじめに守った方々が、その後、後遺症で苦しむことになっている。これを放置するのはかなりよくないことだと思う。非常にそういう方が多い」。孤立を深めた人も多い。未知のウィルスに政府・自治体も手探り状態 最新の研究によると、後遺症の症状としては、倦怠感や脱毛、微熱、肺の障害、せき、たん、手足のしびれがある。このほか、聴覚異常や嗅覚・味覚障害、うつ不安、全身の筋力低下、とくに重症者には計算・記憶など脳の機能低下も見られるという。自治医科大学の讃井將満氏は、「はっきりした原因が特定されていない部分があるが、肺の炎症が残っていたり、血栓症が手足のしびれなどに関係するのでは、とも考えられる」という。さらに、「長期化のおそれがあり、少なくとも2年は経過を見る必要がある」という。 PCR検査が受けられなかった人の後遺症について、ニッセイ基礎研究所の三原岳・主任研究員は、「未知のウイルスなので、政府も自治体も手探りでやってきているのが実態だ。後遺症についても、不確実な意思決定を強いられている点で難しい問題だ。一方で、放置もできない。データもエビデンス(証拠)も少ないなかでどう政策を作れば良いのか。実態把握が急がれる」という。退院後は医療費自己負担、休職や退職も...経済的な不安は深刻だ 後遺症が患者に及ぼす経済不安も深刻化している。 2カ月前に退院した50代の会社員は、今も酸素吸入器を手放せない。感染が確認された4月から休職している。いつ仕事に復帰できるのか。医療費も重くのしかかる。指定感染症は入院費が公費負担だが、入院までと退院後は自己負担が発生する。生活を支えているのは給料の3分の2を補償される「傷病手当金」だ。受けられるのはあと1年余り。大学生の娘は退学も検討した。 国は傷病手当金の支給を国民健康保険の対象者にも拡大したが、支援がなお届かない人もいる。フリーカメラマンのAさんは、7月に広告会社と業務委託契約した直後に感染がわかった。退院した後も、倦怠感や指が震える症状に悩んでいる。入院中に契約を打ち切られたが、被用者でなかったため傷病手当金は受けられなかった。別の仕事を探すことも考えているが、指の震えが治る見通しが立たないうちは、就職活動に踏み切ることができない。 深刻化する生活不安にどう対応するのか。三原・研究員は「働き方の多様化に合わせて、そういった支援も広げる必要があったが、そうなっていないことが一気に顕在化した。一部制度が改正されて部分的な手当は広がったが、なお給付が少ない実態がある」という。 未知のウイルス!その後遺症に対する、医療や社会保障の制度対応を急がなくてはならない。新型コロナ感染者、5人に1人が3カ月内に精神疾患発症11/19(木) 20:00 新型コロナウイルスが感染者に及ぼす長期的な影響について、またしても気がかりな研究結果が発表された。新型コロナウイルス感染症の罹患者のほぼ5人に1人が陽性確認から3カ月以内に精神疾患を発症しているほか、精神疾患の既往歴がある人は新型コロナウイルス感染症にかかるリスクが65%高いことがわかった。精神疾患と新型コロナウイルス感染症の関連性についてはこれまでも報告されていたが、英オックスフォード大学とNIHR(英国立衛生研究所)オックスフォード健康・生物医学研究センターのチームによる大規模な調査研究で確認された。査読を受けた論文がこのほど発表された。チームは新型コロナウイルス感染症の罹患者6万2000人あまりを含む米国人6900万人の健康記録を調査。新型コロナウイルス感染症の罹患者と、別の呼吸器感染症や骨折、インフルエンザ、皮膚感染症といったほかの病気の罹患者を比較し、精神疾患の診断例の変化が新型コロナウイルスへの感染と関連しているかどうかを分析した。その結果、新型コロナウイルス感染症の罹患は、すべての精神疾患ではないものの、不安障害や鬱病、不眠症といった一部の精神疾患の発症リスクを高めることが確認された。新型コロナウイルス感染症の罹患と、精神疾患のうち、統合失調症など精神病性障害と新たに診断される例との関連性については、はっきりしたものは認められなかった。反面、新型コロナウイルス感染症の罹患が、すでに精神病性障害を抱えている人の再発リスクを高めることは確認された。精神疾患と診断されたことがある人は新型コロナウイルス感染症と診断される確率が65%高いという「予想外」の発見について、研究チームのマックス・タケは、ほかの要因がかかわっている可能性もあるため一段の研究が必要だと指摘した。一方で、精神障害は新型コロナウイルス感染症の「リスク要因の一つ」に加えるべきだと提言している。新型コロナウイルス対策のソーシャルディスタンシング(対人距離の確保)をめぐっては、孤立や不安、その他広範囲に及ぶ変化によって、メンタルヘルス危機が差し迫った問題になっていると、かねて論文や報告書で警告されてきた。今回の研究は問題の重大さを明確に示した格好だ。研究を率いたオックスフォード大のポール・ハリソン教授(精神医学)は、新型コロナウイルス感染症を生き延びた人はメンタルヘルス問題を抱えやすいという懸念を裏づける結果になったと説明。原因や新たな治療法を緊急に究明するよう促すとともに、そうした人に専門のケアを提供するサービスを用意する必要があると訴えている。これほど多くの後遺症を引き起こすとは…。この後遺症は、軽微な症状だけの感染者にも残るのだろうか。あるいは、「風邪かな?」と感じただけの感染者にも?もっといえば、無自覚な感染者にも当てはまるのか?現在は、様々なストレスの中で心身症的な症状が現れている人も多いだろう。本当に気がかりなことだ。
2020年11月23日
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全国の自殺者数、4か月連続で増加。女性は10月、前年比82%も増えるハフポスト日本版編集部10月の自殺者数が全国で計2153人となり、昨年同月に比べて約4割増えたことが、警察庁の統計で分かった。自殺者数は7月以降、4か月連続で増えていて、特に女性の自殺者数の大幅増が続いている。警察庁が公表した統計によると、10月末の自殺者数は速報値で2153人(前年同月比614人増、39.9%増)だった。男女別では男性1302人(前年比229人増、21.3%増)、女性851人(同385人増、82.6%増)で、特に女性の増加幅の大きさが目立つ。 (前年の統計:警察庁の自殺統計に基づく自殺者数の推移等)7月以降、特に女性の自殺者数が大幅に増加している。厚生労働大臣指定法人「いのち支える自殺対策推進センター」(JSCP)は10月に記者会見を開き、コロナ禍の自殺の動向について分析結果を報告。人気俳優の自殺報道や、新型コロナウイルスによる生活環境の変化などが影響している可能性を指摘した。自死をする人が増える要因は、記事に書かれていることなのかもしれないが、それにしても多すぎる。私はこのブログでも自死について時々書いているが、自死はその人の問題だけではなく、周囲の人の心を深く傷つける。もっと言えば、周りの人の心を殺すことにもなりかねない。今までに、家族の自死から立ち直れずに、病気になったり同じような死を選んでしまった人を何人も知っている。この世から消えたいほど辛い時もあるだろうけれど、そのことがどのような結果につながるのか、その時は気付かないことが多い。つまり、それほど心が狭く落ち込んでいる「うつ状態、うつ病」だと気付いてほしい。周囲の人が「もう死んでしまいたい」とか、「生きていてもしょうがない」などと呟いた時には、どうぞ「それほど辛いんだね」と寄り添ってください。そして、その人が唯一無二の大切な存在なんだということを、あなたの言葉で伝えてあげてください。暗い穴に落ち込んでいる時は、「自分は人に迷惑をかけるだけ」とか、「誰も自分の気持ちをわかろうとしてくれない」と決め込んで、どうしようもない孤独感のなかにあるのかもしれません。そう思うのが、すでにうつ状態の証拠です。そこに寄り添ってくれるまなざしがあれば、「この人には辛い思いをさせたくない」と思い、この世に踏みとどまってくれるかもしれません。人によっては、周囲にそんな孤独感や辛さを微塵も感じさせず、あちらの世界に行ってしまうこともあるでしょうが、多くの人は何らかのサインを出すことが多いようです。生きている身体は、寿命が尽きるまで生きようとするものなのですから。もうこれ以上、悲しみの連鎖を繋げないでください。
2020年11月11日
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以前は年に一度はやっていたのだが、関わってきた不登校関係の会の例会に合わせて、10月30日にシャンティ国際ボランティア会(SVA)の「絵本を届ける運動」の絵本作りをした。会報でお知らせはしていたが、誰も来てくれないかもと思っていたが、二人の小学生が参加してくれた。今回の絵本は、ミャンマーの難民キャンプに届ける絵本3冊と、ラオスに届ける絵本が2冊だった。始める前に、この絵本がどのような国のどのような子どもたちに届くのか簡単に説明し、絵本に翻訳シールを貼る時の注意などをお話してから作業に入る。二人は小学四年生だったので、最初はお母さんと一緒に作業をしていたが、やがて少し慣れてからは、お母さんは親の例会の方に参加し、私とお手伝いに来てくれたIさんと、子供二人の四人で作業を進めた。二人とも、ハサミの使い方も上手で、翻訳シールの貼り方もとても丁寧でその上に、最後にビルマやラオスの文字で自分の名前を書くのだが、それもとても上手で驚いた。不登校になってしまう子の中には、最近は発達障害気味の子もいるようだが、この二人はとてもしっかりしていて、言われたことはちゃんとやろうとするタイプだった。完成後は、時間もあったので少しおしゃべり。といっても、知らない大人と向き合って話すのはきっと緊張していたと思うのだが、少しずつ自分の好きなことや、今思っていることなどを話してくれた。4コマ漫画が好きだというFちゃんは、私が出したお題でスラスラと4コマ漫画を描いてくれた。T君は、自分が好きだった勉強のことや、今感じていることなどを小声ではあるが考えながら話してくれた。二人とも、とても心優しく人のことを思いやることが出来、色々と考えているんだなと思った。小学校4年生は、大人から見たら子どもだあるが、本人にとってはその時の自分やそれまでのことが全てなので、今まで得た情報や知識で将来を考えるしかない。それでも、一人でいる時間が長いということは、その年齢なりに自分を深く見つめ自分を分析したり周囲の大人たちや社会のことを考えているんだなとあらためて痛感した。会話の中で、学校に行くことが教育を受けることと思っているようだったので、「世界の中では、君たちと同じ年齢で学校に行っていない子の方が多いくらいなんだよ」と話す。そして、「勉強は自分で何かを知りたいと思って、自分で考えたり調べたりすることが一番大切なんだよ」とも。 そして、ふと自分の四年生の頃を思い出した。教えられたことをそのまま覚えることが勉強だと思っていた私だったが、ある時に「どうしてそのように決まっているのだろう」と思ったことがる。「ひょっとすると違うことだってあるんじゃないか?」という感じだ。例えば、大きさが倍くらい違うリンゴを並べて、「いくつある?」と聞かれたら、私は「二個」だと素直に思えなかったのだ。どう考えたって、全量は三個分はあるのに、どうして二個と言い切れるのかというように。そんなことは、実は結構あったと思う。だから、先生が「この問題わかる人は手を上げて」と言っても、間違うのがイヤで手を上げなかったこともあるけれど、本当に自分が考えていることが正しいのかどうか、確信が持てなかったことも多い。考えてみれば、私もかなり考え深い子どもだったように思う。本を読むことが好きだったせいもあるのか、頭の中で色々と思いを巡らしていて、人が言うことを聞いていないことも多かったように思う。だから、母には「いつもボーっとしてして人の話を聞いていない」と叱られた。言い返せなかったし、きっとボーっとしていた私が悪いとも思っていたが、「ボーっとしている」ということがどんなことかも、実はよくわからなかった。 多分、そんな私が今の子どもだったら、きっと学校に行けなくなっていたことだろう。私は不登校状態の子ども達に出会い話をする時、「ああ、この子はかつての私だ」と思うことが多々あった。今回もそんな気持ちになった。一緒に絵本作りが出来たことも嬉しかったが、そんなことを改めて考えられたこともありがたかった。そして、この子たちがどのように成長してゆくのかとても楽しみだと思った。自分なりに考えたり判断する力があり、どのような自分になりたいかも見えている。その上に、人のことを思いやったり、誰かの役に立ちたいという気持ちも持っている。(そうでなければボランティア活動に参加はしない)あと10年私が元気でいたら、20歳になった二人に会うことが出来るかもしれない。その時に、どんな若者になっているのだろうか。色々と考えてしまうことが多い気質をもっているから、多分悩みながらも自分の歩き方を探してしているように思う。悩むことも足踏みをすることも、挫折をすることも人生にはつきもの。でもその分だけ、嬉しいこと、楽しいこと、感動することだって沢山ある。それを糧にしながら、自分らしい生き方を見つけてほしいと願っている。
2020年11月01日
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7月に三浦春馬さんの自死のニュースでショックを受けた人が多いかと思いますが、昨日は女優の竹内結子さんの死が報じられ、なんとも言えない気持ちになっています。今年出産し子育てをしていたということなので、ひょっとすると産後鬱だったのかという思いもよぎりますが、残されたお子さん達のことを思うととてもやりきれない気持ちになります。 今年に入ってからの新型コロナによる様々な事象は、誰にとっても影響があり、感受性の強い人や不安感に囚われやすい人には、マイナスの影響が大きいことでしょう。夏頃から自殺者も増加傾向にあるというニュースも目につきます。芸能人は一角…コロナ禍と自殺者増加の関連/専門家 9/27(日) 20:46 日刊スポーツ 私もこの記事と同じような気持ちでいます。 そのような背景があれば、子ども達に影響が出るのはいわば当然だとも言えます。「学校行けない」親子悲鳴 コロナ休校から再開 6月の相談300件 支援機関知らず孤立「環境整えて」北海道新聞子どもが学校に行かなくなると、親は本当に不安になり焦ってしまいます。このブログでも時々書いていますが、子どもは学校に行かなくてはならないという気持ちはとても強いですし、大人が想像するよりも我慢強いものです。学校に行かなくなるのは我慢の限界が来たということだと思います。自死も同じです。三浦春馬さんの死の時にも書きましたが、自死のほとんどは、私はうつ状態かうつ病の症状だと考えています。鬱になりやすい人は、真面目で頑張り屋さんが多く、かつ周囲を気遣う優しい人が多いと思います。ですから、自分の限界まで頑張るし、うつ状態で今までと同じようなことができなくなると、「頑張れない自分が悪い」と思い、さらに頑張ることで悪循環に落ち込んでしまいがちです。 わが子が不登校になったお母さんたちにも、そのようなタイプの人がいます。「わが子がこのようになったのは、私の育て方が悪いのか」「あまやかしてきたからか」などと、自分に理由を求めようとすることがあります。そうなると、母親自身がどんどん落ち込んでゆくのです。そんな母親の気持ちを敏感に受け止める子どもは、さらに落ち込んでゆく。そんな悪循環に陥らないためにも、同じような体験をした人たちと語り合い自分の不安な気持ちを言葉で吐き出すことがとても大切なのです。大人も子どもも、自分の不安な気持ちを誰かと分かち合いましょう。そのことで自分の気持ちが整理できて、心に少しのゆとりが生まれます。その大切さを、多くの人に知っていただきたいと思います。
2020年09月28日
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今日で8月が終わり、明日は9月1日。この時期は、統計的に子どもの自殺が多いのです。私の知人の息子さんもこの日が命日です。子どもの自殺が多い「9月1日」をどう乗り切るか 9月1日が近づいています。筆者が書いた「こども六法」(弘文堂)は、いじめ問題をきっかけに出版を目指した本ですが、この日は、いじめに悩む子どもたちにとって重い意味があります。統計上、自殺件数が最も多い日 8月18日、筆者は東京都人権プラザ(港区芝2丁目)で8月25日まで開催されている展示会「心と体を傷つけられて亡くなった天国の子供たちのメッセージ」展のオープニングトークに登壇しました。この展示会は毎年8月下旬のこの時期、「9月1日問題」に向けて、いじめに悩む子どもたちの生命と尊厳を考える機会として開催されているものです。「9月1日」は過去の統計上、1年で最も子どもたちの自殺件数が多い日です。その原因の一つとして、いじめに悩む子どもたちが、新学期の学校から逃れるために命を絶つためと言われています。このことから、例年8月下旬には各メディアで、いじめや不登校、自殺問題に関する特集が組まれ、子どもたちが直面している困難と向き合おうという機運が高まる傾向があるのです。 ここ数年は夏休みの前倒しに伴って、自殺件数のピークがずれてきているとされますが、今年はコロナ禍による夏休み短縮を受けて、さらに、いじめ自殺を取り巻く時期的なピークが読みにくい状況となっています。 さて、先日のオープニングトークでは、いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」理事であり、いじめ自殺被害者遺族でもある小森美登里さんと、今年のいじめを取り巻く状況について意見交換しました。コロナ禍という100年に1度ともいわれる世界的大災害を前に、大人がパニック状態になっている昨今、いじめに悩む子どもたちに関する情報は根本的に減っています。「子どものいじめ問題」に関連するニュースがほとんどなく、一方でSNS誹謗(ひぼう)中傷問題や「自粛警察」、コロナウイルス感染者に対する嫌がらせといった「大人のいじめ問題」が大きな話題となっています。 もちろん、「ニュースになっていない」ことは必ずしも悪いことではありません。本当にニュースになるような事件が起きていないのだとしたら、子どもたちの間でいじめがそもそも、今年は問題になっていないのだとしたら、それはとても喜ばしいことです。しかし、そうであるならば、逆に現在の状況を基にコロナ以前の教育を見直す必要があるでしょう。 大人たちの関心が向いていない中で、子どもたちは、大人たちがあれこれと言ってこない状況をエンジョイしているのか、または、ニュースになっていないだけで人知れず思い詰めているのか。いずれの場合であっても、子どもたちの現状を把握しようとする姿勢を今一度見直さなければいけません。 そもそも、今年は大人たちが「大変な」1年になっています。仕事の遅れを取り戻し、感染予防と両立するというストレスの中で、数多く報じられているように、いじめやパワハラが発生し、その矛先が転じて、家庭内暴力や児童虐待の形で子どもたちに向けられた例もあります。 また、誰もがこのようなストレスを抱えている中で、子どもたちへの私たちの関心は知らず知らずのうちに薄まっており、普段であれば気付けるような子どもたちのSOSに対し、アンテナの感度が鈍っている可能性もあります。 大人も人間ですから、ストレスを抱えて感度が低下すること、それ自体が悪では決してありません。ただ、子どもたちを守るためには今、改めて、自分の状況を子どもたちの状況に先だって見つめ直し、場合によってはケアしておく必要があるのではないでしょうか。 9月1日問題に向け、筆者は個人的な取り組みとして8月24日午後7時から、ニコニコ生放送「明日学校へ行きたくない」というネット番組に出演、8月26日午後7時からは「いじめ問題を考えるYouTubeライブ」を実施します。 よろしければ、親子でご覧いただき、または悩みを抱えている周囲の子どもに紹介してあげてください。子どもたちに迫る「その日」がいつになるか、見通せなくなっている今年だからこそ、子どもたちの生の声を把握する取り組みを自分にできることから、考えていただきたいのです。今年は、コロナのために大人も子どももストレスフルな日々が続いています。例年以上に、子どもを取り巻く環境は複雑になっているでしょう。このところ、新聞のお悔やみ欄を見て若い人が亡くなっているとドキッとします。どうかそのようなことでなければと祈る思いです。様々な要因で、大人も子どもも抑うつ状態になりやすくなっていると思います。本当にうつ状態になったら、周囲の人に目を向ける余裕もなくなるし、体調が悪くなると考えることはマイナス循環に陥りがちです。上手にストレス解消をしたり、お子さんと色々な話をする中で、お互いの心の声に耳を澄ませてください。何かうまくいかない時に、「自分が悪いから…、もっと頑張らなくては」と思う時は、そのサインかもしれませんよ。こんな記事もありました。「言えないことは身体が語る」 夏休み明け前後に増える自殺の要注意サイン2019/8/19(月) 身体に変調が起き始めたら、「そのうち治るだろう」なんて思わないでください。子どもは大人が考えている以上に、本当に我慢強いのです。そして、「親に心配をかけたくない」という気持ちも強いのです。「死」という言葉を使うことがあったら、それは明確な「死にたいほど辛い」というサイン。それは大人にも当てはまるでしょうけれど、子どもは本来死を考えず生きたい動物です。私のように枯れ始めた生き物ではないのです。どうぞ、身近な子どもや若者の様子の変化に目を向けるようにしましょう。
2020年08月31日
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昨日、俳優の三浦春馬さんが自宅で自死したというニュースが流れ、とても驚いた。とても爽やかな好青年という印象で、私が彼を知ったのは「女城主直虎」の時からだった。あまり若い人向けの映画やドラマを見ないのでその後の活躍はよく知らないのだが、今回のことで流れた情報では、仕事は複数の予定や現在進行形のものがあり、仕事のし過ぎくらいの状況のようだった。積み重なってきた疲労が、心身のバランスを失うことになっていたのだろうか。子役のころから芸能界で仕事をしてきたから、「本音と建て前」を常に行きつ戻りつしてきたのかも。それを続けていると、自分を見失ってしまうことも多いのではないか。それでもきっと、プロとして仕事はキチンとやり、求められる「明るく爽やか」なイメージを崩さないよう頑張っていたのではないか。だからきっと、周囲の人たちは「どうして!?」と驚き、これから色々な憶測が流れるのではないだろうか。私も、これからも有望な才能あふれる人が亡くなったことはとても残念で悔しい。しかし、自死する人のほとんどは、ずっと人には気付かないような葛藤の時期が長く続き、何かのきっかけか、あるいは決意の末かはわからないが、自分なりの必然の行為なのだろうと思う。しかしそれはほとんどの場合、「うつ病、あるいは鬱状態」の症状としての決意と行動だと思う。 春先から、新型コロナウイルスで自粛生活が続いている。さらに、九州地方を中心とした豪雨災害で多くの人が亡くなり、今現在も苦しい状況の中を生きている人がいる。感受性が強く、社会や周囲の暗いニュースに人一倍心を痛めたり共感しやすい人は、その気分を必要以上に自分に取り込んでしまう傾向がある。ひょっとすると、三浦さんもそのようなタイプの人だったのかもしれないと思う。自分に厳しく人にやさしいタイプの人は、何かにつけて「まだまだ自分はダメだ」と思いがちだ。未来に対しても、明るい要素を見つけにくく、希望を抱くことが難しい傾向がある。そのような人は、実は現在はとても多いような気がする。 自分の自信を見失いがちで、今現在苦しい状況にある人は、三浦さんの死を自分に置き換えて考えてしまうのではないかと気がかりだ。 「あの才能あふれる三浦春馬さんが死んだのだ。自分が生きていてもいいのだろうか」「あの人でさえ希望を見いだせなかったから死んだのだ。自分が希望を見つけられるはずがない」「あの人に比べたら、自分はゴミのようなものだ。社会のお荷物だ」 そんな思いが心をよぎってしまわないかととても気がかりだ。そんな思いが心をよぎること自体が、すでに「鬱状態」であることの証拠です。明らかに、平常心を失っていることの証明です。 今、三浦さんのご家族や友人、仕事仲間の人たちがどれほどの衝撃を受けているかを想像してみてください。「そんな辛い状況だったことに、自分はなぜ気付けなかったのだろう」「あの時、自分がもっと彼の悩みを聞いてあげていたなら…」もしも家族であれば、その苦しみは想像以上です。そして、その苦しみはずっと長く続きます。一人の死は、周囲の多くの人の心を想像以上に傷つけるし、その傷はきっと完全に癒えることはないでしょう。 もしも、あちらの世界に行った方が家族や社会のためになると感じていたら、それは間違っています。そう感じてしまうことは仕方がないですが、その間違いにどうぞ気付いてください。 きっと三浦春馬さんは、今頃頭を掻きむしって後悔しているはずです。「自分はこれほど家族や仲間を嘆かせることなんて、想像していなかった」と。「できることなら、今すぐ生き返ってみんなに謝りたい」と思っているかもしれません。死んでから後悔しても、それは遅いのです。 「死んでしまいたい」という気持ちがよぎったら、「自分は鬱状態かもしれない」と思ってみてください。「うつ状態だから消えたくなるのだ。これは症状なのだ」と考えて、できれば心療内科とかカウンセリングのドアを叩いてみてください。今なら、「オンライン診療」や「オンラインカウンセリング」があるかもしれません。ただし、もし受診して医師やカウンセラーと話をして、もっと落ち込む気分になるようなら、それはあなたと相性が悪いのです。ですから、その医師やカウンセラーの言葉が絶対だと思わないでください。 先日、「カウンセリングを受けると落ち込む」という人の話を聞きました。なんだか自分が責められているような気がするというのです。そんな時は、迷わずにそのカウンセラーに見切りをつけましょう。 ちょっと話が飛びましたが、どうぞ三浦さんの死に影響を受けて、「自分なんか生きていても意味がない」なんて思わないでください。間違って死を選ばないでください。あなたが亡くなってしまったら、悲しみ傷つく人はあなたが想像するよりずっと沢山いますから。だから辛くても、何とか気持ちを切り替えて、今日と明日は生きてください。あなたが好きな人たちを、悲しませるような選択はしないでください。
2020年07月19日
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新型コロナウイルスの感染予防のための長期休校時期が終わり、全国の学校が再開されました。長い休みで勉強の遅れが気になるのは、親も学校も本人たちも同じですが、そのことによる長期間のストレスの蓄積や、焦りで「頑張らねば!」となってしまうとき、どうしても心身ともに追いつめられることが多くなります。また、長期間のひきこもり生活の中で、もともとひきこもり傾向にあった人たちは家族と顔を合わせる時間も長くなり、それがとても心配でした。学校に行くことが辛かったような子どもたちにとっては、当校はとても不安であったり、緊張がピークに達するような状況にあるかもしれません。また、子ども達が抱えたストレスは、いじめにつながりやすい状況であると思います。家庭内では「家庭内暴力」や「アルコール依存」、ストレス発散の場をなくしてしまった影響なども加わり、ちょっとの刺激で爆発しそうな空気があるかもしれません。そんなことを心配しているせいか、「自殺」や「家庭内殺人」のニュースが目についてしまいます。 とにかく、怒りや焦り、絶望に囚われてしまったら、何とか自分の気持ちを静めるようにしてください。たとえば「アンガーマネージメント」で検索したら、怒りをコントロールするノウハウを色々調べることが出来ます。誰もに有効な方法かあるわけではないでしょうが、参考にはなるでしょう。そして、自分に合った心のコントロール方法を見つけてください。その第一は、「自分が怒ってる」とか、「自分がすべて悪いように感じる」などの、自分の気持ちを意識することが出発点ではないでしょうか。自分の心を客観視するために深呼吸をして、怒りや絶望の程度をみつめることから始めるといいのではないでしょうか。 私はアンガーマネージメントを詳しく知っているわけではないですし、絶望から逃れる簡単な方法を知っているわけではありません。でも、自分がそのような思いにとらわれてしまうような時にとっていた方法は、「怒りや絶望が膨らむような場所から離れる」ということでした。夜中に絶望感が襲った時によく呟いていたのは「夜はろくなことを考えない時間なのだ」ということと、「朝になったら気分も変わる」ということでした。 人それぞれ状況は違うし、怒りや焦りや絶望の内容も違うけれど、とにかくその時間を何とかやりすごして、自分や他人を追いつめないことです。「他人」と書きましたが、自分以外の人はみんな他人です。家族は一番近くにいる他人ですから、腹が立つ場面も多くなります。でも、とにかく別の身体と心を持つ他人ですから、それを意識した方かいいと思います。親子でも、互いの気持ちは本当にはわからないのです。だから、他人に対するような適切な距離をとり、「私の気持ちを理解しろ」という願いは横において、その場から離れることです。 どうか自分を追いつめたり、自分や他人や社会に絶望しないでください。
2020年06月10日
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先週の木曜日あたりから、肌がムズムズする感じがあり、金曜日の朝目覚めたら首回りが赤く腫れていた。明け方に肌のかゆみで寝ぼけまなこで掻いてしまいながら目覚めた。前日も庭の草むしりをしていたので、そのせいだろうかと思いつつ、家庭薬の中にあるかゆみ止めの薬を塗り、小さめの保冷剤をガーゼ手拭いでまいて首にあてながら、腫れが引くのを待つ。夕方になり少しはましになったかもと思ったが、このまま寝るとまた掻きむしってしまいそうで、近くのドラッグストアでかぶれに効くという軟膏を買ってくる。それを塗って夜を過ごした。かゆみがあるので何回も目覚めるが、「掻いてはいけない!」という指令が脳から発せられるのか、ねぼけて掻いてしまうことはなかったようだ。6日(土)にあまり改善されていないので、これは病院に行くしかないと皮膚科へ。土曜日のせいなのかとても混んでいて驚いたが、一時間くらいで診察。やはり何かにかぶれたのだろうということで、軟膏をもらってくる。実は、20数年も前からのことだが、手足がかゆくなりブツブツも出るようになり、しばらく皮膚科に通ったが改善せず、我慢できないほどではないのでそのまま放置してきた。ちょうど更年期に重なる時期で、睡眠障害やホットフラッシュ、頭痛・肩こりなどがある時期で、肌のかゆみも更年期の障害の一種ではないかと勝手に判断し、時期が来るのを待っていた。当時の皮膚科の先生は、「肌が敏感になっているのと老化」のような見立てだった。しかし、更年期が過ぎても肌の状態は変わらず、無意識に手足を掻いてしまうことを繰り返し、その痕が手足のあちこちに見られる。一見、虫刺されのようにも見え、不快ではあるが我慢できなくもないのでそのままになっていて、せっかく受診したのだからそれも一緒に診てもらった。この皮膚科は何年か前に近所にできたもので、先生はまだ中年前後の男性。肌を見て「肌が薄くなっていて、過敏になっているのでしょうね」という。「やはり老化ですか?」と率直に聞いてみる。まだ50代の頃に女性の皮膚科医から「老化で…」と言われたことを思い出したのだ。彼は「老化」という言葉は使わず、「どうしても年齢が高くなると肌が薄くなってくるので…」とおつしゃる。なるほど、彼から見たら私は老人女性だけれど、そこは気を使っているんだなと思う。ということで、軟膏を二週間分もらってきた。そして二日後の今朝、首回りはうっすらと赤みを帯びた程度に改善。しかし、同じ軟膏を塗るようにと言われた手足は、さほど改善の気配はない。こちらの方はかぶれのような急性症状ではないので、しばらく根気よく薬を塗ってみようかと思う。これから決して若くはならないので、せめてこれ以上悪くならないことを願って。
2020年06月08日
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常用している高血圧の薬がなくなったので、かかりつけのクリニックに行った。二か月前に行った時は、新型コロナの感染が広がり始め、学校が休校になった直後だったと思う。このクリニックは医師もスタッフも全員女性で、見たところ子育て世代の人も何人もいるようなので、対応に大変だろうとは思った。その時には、通常の投薬の人は電話で受け付けて処方箋を書いてもらって、隣の薬局で薬をもらった。通常なら結構混んでいるクリニックなのだが、その時は投薬の人は診察しない方式をとっていたためか病院内はすいていた。今回は、前回先生に診察してもらって五か月近く経っていたので、投薬のみとはならなかった。クリニックに入って驚いた。受付窓口にビニールが下がっているのは最近ではスーパーでも見かける光景なのだが、受付の人も手術室に入る時のような装備をしているのだ。つまり、ビニールキャップを被り、薄手のビニールの防護服に手袋だ。待合室の患者もやはり少なくて、私もそうだったが、「しばらく検査をしていないので、今日時間があれば検査をしましょう」と言われている人が複数。診察室に入ると、先生はゴーグルまでつけていた。その格好で一日中診察や処置をするのは、さぞかし大変なことだろうと思った。そのためか、診察室や待合室の温度は低く設定しているらしく、じっと待っていると手足が冷えてくるくらいだった。そのための対策とおもうが、待合室にはひざ掛けが何枚も用意してあったが、見たところ使っている人はいないようだった。とにかくそのクリニックで感じたのは、「絶対にコロナには負けない!!」という強い意志だった。あれほど予防していたら、もしも感染した人が来ても、少なくても医療関係者には感染しないだろうと思う。検査を受けながら、「大変ですねー」と看護師さんに声をかけると、「皆さんそれぞれ大変なのですから」との返事があった。その言葉にも、先生やスタッフの責任感や思いやりを感じて、あの防護服姿と共に感動してしまった。このクリニックに対する信頼感は、私の中ではさらに高まった。そして私自身も、自分でできる感染対策はしっかりしようという気持ちにもなった。蛇足だが、ピンチになった時に自らを助けるのは、それまでコツコツ積み上げてきた信頼だと思っている。それは、個人でも組織でも、さらに大きな集団や国家でも同じだと思う。小さいことで嘘や誤魔化しを続けて何とかしのいでいたとしても、そのままでうまくいくわけはないはずだ。今の政管に対しての信頼感は、私の中では低下の一途をたどっている。
2020年05月13日
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昨日は、在宅医療や在宅看取りのことについて書いたけれど、今の新型コロナウィルスで志村けんさんのようになってしまっては、最期の時に家族も面会できず、お骨になるまで身内とは引き離されたまま。そんな死を迎えた人が、日本で5日現在で70人いらっしゃる。現在も都市圏を中心に感染者はうなぎのぼりだ。新型コロナウイルス感染症まとめ都市圏から地方に移動して発症した人のニュースを見るにつけ、申し訳ないが「北海道には来ないでください」と呟いてしまう。人は生まれた瞬間から死の瞬間に向かって歩いているようなものだ。だから、どんな原因であろうと必ず死ぬことは確かだ。それでも、生きている間に紡いできた家族や親しい人たちとの絆の糸から切り離され、人工呼吸器など管や機械に絡めとられたような死はイヤだなと思う。そう考えると、最低限、親しい人に最期の瞬間を付き合ってもらいたいと思う。新型コロナウィルスでは、様々なことを考える機会を得たと思う。「死」についてもそうだけれど、在宅ワークやネットを使った授業、インターネット利用での医療や、公的機関への申請や処理など、現代だからこそもっと活用できる資源があることに気付かされた。ずっと不登校について考える機会の多かった私としては、学校は必ずしも登校せずとも教育機会は作ることが出来ると、多くの人が気付いてくれていたらいいと思っている。死ぬような思いをしてまで、あるいは自分が病気になったり傷ついたりする危険性のある学校は、行かなくてもいいのだ。だからこそ、学校という場に行かなくなる子どもたちに対して、教育の機会を公的な財源で保証してほしい。それは、社会の「教育の義務」なのだから。
2020年04月06日
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ずっとひそかな疑問があるので、書いておこう。新型コロナウィルスの感染予防のために、「マスク、手洗い」などはよく聞くのだが、「うがい」の奨励をあまり聞かないような気がする。私の常識では、感染症予防対策には「帰宅後のうがい、手洗い」がセットなので、自分ではそのようにしているのだが、ふと気づくとテレビなどではあまり「うがい」という単語を聞かないような気がする。インフルエンザや風邪の予防には「うがい、手洗い」と言われてきたように思うが、新型コロナにはあまり効果がないのでしょうか。《追記》ショコラさんから下記のサイトを教えていただきました。コロナウイルスはなぜ石けんや洗剤で殺されるのか—高校化学のレベルで解説私は科学的知識は乏しいのですが、読んでいたら納得できる内容でした。やはりマスクと手洗いが予防の要のようですね。ちなみに、私の「うがいは必要ないのか?」という疑問に答えるサイトも見つけました。「うがい」しなくていいの? 新型コロナウイルス予防効果は...? この記事によると、「ウイルスは、のどなどの粘膜に入ると、一瞬で、すぐに吸収してしまう」そうです。なるほどと納得しました。この記事では、うがいは風邪には効果があるようです。ウィルスによって、随分性格が違うのですね。
2020年03月28日
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彼女は小学校時代から不登校となり、中学校はほとんど登校できず、中三の三学期に勇気を振り絞って登校して高校入学にこぎつけ、JRで一時間半近い距離の高校に一年間は皆勤。しかし頑張りすぎてしまったのか再び登校できなくなり、一年間は休学状態だったが結局退学。その後、自宅で好きな絵を描いたり手芸をしたり(その時期を一般的にはひきこもりという)、元気が充電されたら頑張ってアルバイト体験もしたりしていたが、「やっぱり高校でちゃんと勉強したい」と20代半ばで地元の定時制高校に入学。その頃から好きな漫画を自分でも描くようになり、それなりに色々なことがあったようだが無事に卒業後は、ちゃんと美術の勉強をしたいと大学にも進学。しかし、期待していたような学びの場ではなかったようで中退。その後は、自分がやりたいことや夢に取り組んできた。いわゆる「生きづらさ」を常に抱えてきたし、その結果として精神的な不安定を繰り返したり、長年精神科に通院してもいる。最近、多分「発達障がい」のような判定を受けたらしく、本人は「やっぱりね」と驚きもしなかったようだ。(しかし、はっきりして嬉しいというものではないだろう)その彼女が、長年の夢を一つかなえた。その知らせを受けて、一緒に関わってきた仲間とT市の田舎にあるフレンチのレストランで、三人でささやかにお祝いランチ。実は、彼女から直接連絡がある前に、そのお母さんからメールを受けていた。小学校時代の不登校から始まる家族の辛い日々を知っているだけに、私も本当に嬉しかった。思えば、高校に入学した時、定時制高校を卒業した時、大学に進学した時など、何度も「よかったねー」と喜び合った思い出がある。だから、今回の「本当に良かったねー」も一つの節目だとはお互いに思っている。きっとこれからも彼女は、様々な節目で躓いたり壁にぶつかったりすることだろう。しかし確かなのは、彼女は今まで困難な時期を、その都度乗り越えてきたという事実だ。そんな娘を、ご両親ははらはらしながらもずっと支えて応援してきたという事実だ。きつとその積み重ねが、それぞれを強くしてきたことだろうと信じている。本当によく頑張ってきたね。諦めないでくらいついてきた結果が認められて良かったね。これからもずっと応援しているからね。
2020年02月25日
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元農水次官に懲役8年求刑 長男殺害「強い殺意」 東京地裁12/13(金) 10:42配信 東京都練馬区の自宅で長男=当時(44)=を殺害したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(76)の裁判員裁判の論告求刑公判が13日、東京地裁(中山大行裁判長)であった。 検察側は「強い殺意で一方的に攻撃した」として懲役8年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求め、結審した。判決は16日。 検察側は論告で、長男英一郎さんは5月25日から被告と同居し、翌26日には被告に暴力を振るったとした。被告は妻宛てに「他に方法がないと思っている。どこかで死に場所を探します。英一郎も散骨してください」などと無理心中をほのめかす手紙を書き、「発達障害だった長男に親身に対応してきたのに失望感を持ち、殺害を考え始めた」と述べた。 その上で、英一郎さんの傷は36カ所を超える一方、被告はほぼ無傷だったと指摘。「強い殺意で、隙を狙い一方的に攻撃した。長男は被告を尊敬していたのに、突如命を奪われた」と非難した。 弁護側は、英一郎さんが「殺すぞ」と口にしたことから「5月26日の暴行を思い出し、自らの命を守るためとっさに事件に及んだ」と反論。「献身的にサポートしており、直前まで殺害は考えていなかった」と訴えた。 熊沢被告は最終意見陳述で、「反省と悔悟で過ごしている。息子があの世で穏やかに過ごせるよう、罪を償い、祈りをささげていく」と述べた。 起訴状によると、熊沢被告は6月1日午後、練馬区の自宅で、英一郎さんの首などを多数回包丁で刺して殺害したとされる。 この事件は、詳しく知れば知るほどやりきれない気持ちになる。被告に対して同情的な気持ちにもなるし、追いつめられてしまった時にはこのようなことになるかもしれないとも思う。それにしても、懲役8年の求刑は適当なのかどうか、私にはわからない。家庭内暴力はエスカレートさせてはいけない。私は20年以上、不登校やひきこもりの親と関わる活動をしてきた。わが子が不登校やひきこもりになった時、親によって様々な対応をするし、多くは学校や関係機関、時には医療機関に相談に駆け回る。私の印象では、親が自分の苦しさや焦りを乗り越えて、わが子の辛い気持ちを理解しようとする時期が早ければ早いほど、子どもの問題行動は軽減するような気がする。同時に、親が子供のことで同じような経験をしている人たちと情報共有することができれば、悲惨な悪循環からは脱するように思う。20年間で出会った親たちや当事者は、多分200人くらいにはなると思う。しかし、その中で子どもの家庭内暴力で大変な状態になった人は、少なくても私の知っている限り思い当たらないのだ。随分前だけれど、関わっている当事者の会に参加した男性がいた。その人は、息子が家庭内暴力で大変な経験をしたということで、自分の経験を現在悩んでいる人たちの参考にしてほしいと思って参加したらしい。そして、その時集まっていた10数人の母親に対して聞いた。「この中にも、お子さんの暴力で困っている人がいるでしょう?」と。しかし、集まっていた母親たちは顔を見合わせながら、首を横に振った。彼は私にも聞いた。「今日来ていない人の中にはいませんか?」と。私も思い当たらないので、「私が聞いている限り、親に暴力をふるっている人はいないです。ただ、妹や弟をいじめたり、壁に穴が空いたり、物に当たって壊すような話は聞きます」と。すると彼は、「そんなはずはない。みんな言わないだけだろう」とまで言った。私はちょっと頭に来て、「そんな決めつける言い方はやめてください」と言ったことがある。子どもが親に暴力を振るうようになるのは、親がどうしても自分の気持ちをわかろうとしないという絶望と怒りが爆発した時だと思うようになった。随分前だが、どなたかの講演か何かで、「子どもから暴力を受けるような状況になったら、まずその場から離れてください」と聞いた。「暴力はイヤだ」と毅然として言い、「貴方の気持ちが落ち着いたころに帰るから」と家を出るようにと。それ以来、私もその危険性を感じる人にはそのように話してきた。実際に、弟への暴力を知った時近くにアパートを借り、弟を連れて引っ越した母親がいる。兄のことも大切だけど、弟の心の傷が心配だったと言っていた。ストレス発散の相手が身近にいることで、兄の暴力もエスカレートすることも心配だったという。経済的には大変だったらしいが、私は「素早い対応は間違ってないと思う。偉かったね」と励ました。今回の事件の息子さんも、発達障がいを抱えていたという。彼が成長したころには、発達障害の知識も理解もあまりなかったと思うので、家族全員が大変だったことだろう。この事件を知った時には、きっと母親だけがずっと苦労していて、被告の父親が退職後に関わり始めたのだろうと思ったが、そうでもなかったようだ。歯車がどこかで狂い始め、さらに妹さんが自死したということでは、同情するにあまりあるけれど、しかし一番かわいそうなのは幼い頃から自分の特性を理解してもらえず、いじめられたり、辛い思いを重ね続け、偉大な父親に比べて強いコンプレックスに押しつぶされ続けてきた息子さんである。「殺してやる」と言ったかもしれないが、彼は実際には他人に危害を加えてはいない。両親には暴力をふるっていたが、それは彼の親への甘えであり、「俺はこれほど苦しいんだ」という叫びのようにも感じる。そのように追いつめてしまったのには、やはりどれほど努力したと言っても親には責任があるし、その努力もどこかで間違っていた部分もあるだろう。そう考えると、この求刑は適切なのだろうかと少し頭を傾げてしまう。ただ、この父親はどんな刑罰となろうと、命ある限り自分を責め続けることは間違いがないだろう。今現在、子どもの暴力で悩んでいる人に伝えたい。どうぞ、自分たち家族だけで何とかしようなんて考えないでください。そして、子どもの暴力を受け続けないでください。家を出るのは、子どもではなくて親の方にしてください。「おまえが暴力を振るわなければ自分は帰るから」と伝え続け、離れていても気にかけ心配していることを伝え続けてください。そして、自分の気持ちを整理するためにも、同じような体験をしている人とつながってください。【追記】子どものひきこもりや暴力で悩むときは、相談機関や警察、医療機関への相談も大切ですが、私は同じ経験を共有する人たちとのつながりがとても重要だと考えています。たとえば、下記の団体の支部は各地にありますので、ぜひ相談してみてください。今回のニュースで様々な取り上げられ方をしていますが、この団体の紹介がないことが私にはとても不満です。KHJ全国ひきこもり家族会連合会
2019年12月13日
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この日は、所属するボランティアグループが補助申請している財団法人から、現地調査が来る日。私は代表は降りているのだが、例会と重なるために「絶対に出席してください」と事務局担当から言われていた。久々の緊張感で目覚めたのだが、起きた時から体調に違和感が。その違和感は、「膀胱炎」の前兆に違いない。以前に病院からもらった薬を探して服用して出かける。財団からの担当者との話し合いが終わり、例会には出席せずにかかりつけのクリニックへ。このクリニック、最近はいつ行っても混みあっていて、この日も11時40分頃に行ったのだが、待合室は混んでいた。結局、2時間も待って終了したのは2時過ぎ。午後の診察は2時からなので、すでに午後の患者さんが待っている。先生やスタッフの人たちは、昼食や休憩をとれたのだろうかと心配になってくる。まあ、人の心配よりも自分の身体が一番なので、無事に薬をもらった来れたので一安心だ。
2019年09月18日
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昨日は9月1日。中高生の自殺が一番多い日である子どもの自殺…中高生は9/1、小学生は11/30が最多その日は、私の友人の息子さんの命日でもあるこのブログでも時々彼のことについては書いていると思うが、彼は中学時代のひどいいじめがPTSDとなり、その後重篤なうつ病を発症した。しかし、そのような状況の中で将来への希望を失わず、通信制高校から福祉系大学に進学し、優秀な成績で卒業後、念願の福祉の仕事に就いた。しかし、うつ病が完治していたわけではなく、治療しながらの就業だった。そして運の悪いことに、その職場でかつてのいじめ体験をフラッシュバックさせる状況があったようで、彼は仕事を続けることが出来なくなり退職した。退職してもフラッシュバックと悪夢に襲われる日々が続き、とうとう自宅マンションの最上階から身を投げてしまった。必死で止めようとした母親の目の前である。あれからもう8年が経過したけれど、ご両親にとってはつい昨日のことのようなことのようで、その悲しみと苦しみはずっと続いている。目の前にいて息子を救えなかったと自分を責め続ける母親は、それがPTSDとなっている。私が願うことは、「とにかく生きていてください」ということだけだ。死にたくなるほど辛い日々を耐えて生きることは、どれほど辛いことだろう。それでも生きていてほしいと願う。あなたの命は、自分一人のものではない。あなたを育てたお父さん・お母さん、その親であるおじいちゃん・おばあちゃん、あなたのことを心配してくれたり、大切に思ってくれている人々みんなのものなのです。あなたの死は、それらの人々の心に深い傷を残し、時にはその人を病気にさせてもしまう。死にたいと思っている時は、「こんな私では、みんなが迷惑する」というような気持ちも併せ持っていることが多い。でも、そのように自分を責めたり、人への思いやりや愛を持つあなたは、自分で思っているよりもずっと大切な存在なのです。そのことを苦しい今は理解したり実感することは難しいかもしれないけれど、騙されたと思ってもいいから、どうぞ生きてみてください。この時期を乗り切ったら、きっと違う世界が見えてくるはずですから。今年はテレビでも9月1日を意識したコマーシャルや番組が多かったような気がする。特に、中学時代にいじめや不登校を経験したという中川翔子さんが、色々な形でメッセージを発信していた。それが、いじめや不登校で苦しみ、時には死ぬことを考えている子どもたちの生きる力になっていますように。
2019年09月02日
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不登校調査は学校介さず…来年度数百人聞き取り8/20(火) 10:03配信 読売新聞 不登校の原因や背景を詳細に把握するため、文部科学省は来年度、欠席が続く小中学生から学校などを介さずに、聞き取り調査を行う方針を固めた。不登校の児童生徒が5年連続で増加し、過去最多の14万人を超えている中、いじめや家庭状況などの背景を多面的に探ることで今後の対策につなげる。いじめとの関連検証 学校などを通さずに、文科省が児童生徒から実態を聞くのは初めて。民間の調査機関に委託して実施する。対象は数百人で、関連費用を概算要求に盛り込む。 背景にあるのは、いじめの認知件数が過去最多となっているのに対し、学校側が挙げる不登校の理由では、「いじめ」の割合が極めて低い状況にあることだ。 文科省では毎年、「問題行動・不登校調査」を行っており、不登校の要因は、「学業不振」「進路に係る不安」「いじめ」などの調査票に示された区分から、学校側が選択し、教育委員会経由で文科省に報告している。ただし、要因を児童生徒から聞き取っているケースは少ないという。 2017年度の同調査(複数回答)では「家庭状況」が36・5%と最多で、「友人関係」(26・0%)、「学業不振」(19・9%)が続き、「いじめ」はわずか0・5%で、723人だった。 これに対して、いじめの認知件数は同年度、小中学校で約39万8000件と過去最多を記録。「不登校の要因として挙げている数字と実態に大きな乖離(かいり)がある可能性がある」(文科省幹部)として、学校や教委を介さずに、児童生徒から聞き取ることを決めた。具体的な質問方法や項目は今後詰めていくが、学校や部活動での状況、教員や親との関係などについて選択式で尋ねることを検討している。 文科省では「不登校になった原因の本質を浮かび上がらせ、いじめの実態についても検証したい。いじめに伴う自殺という最悪の事態となることも防ぎたい」としている。 ◆不登校=文部科学省は年間30日以上の欠席と定義するが、病気などの理由は除いている。同省の「問題行動・不登校調査」によると、2017年度は小中学校で14万4031人で、統計開始の1998年度以降で最多。中学生では31人に1人が不登校。学校が、不登校の子供に聞き取りもせずに判断して報告する調査は、実態とかけ離れているとはずっと思っていた。そんな虚しい調査と分析では、ピント外れな対策しかできないのは言わずもがなだろう。いじめの問題だって、認知件数は増えているが、同時に「解決済み件数」も増えていることと想像する。いじめられている子と、いじめている子に話し合いをさせ、「もうしないね?」「じゃあ仲直り」なんて強引に握手させて「解決」なんてこともあるだろうから。ちなみに、当市のいじめ実態調査を見た時、某学校からは「解決率100%」なんて、よく恥ずかしくもなく報告するものだと呆れたことがある。本人がいじめられたと感じたことが、100%解決しているなんて、その想像力のなさにビックリである。学校の先生たちも、何とかいじめの問題を解決したいと思っていて、学校に来ない子も減らしたいと頑張っていることだとは思う。でも、それらの問題を「本人や家族の問題」とばかり捉えようとするのは根本的に違うだろう。子どもたちは「学校に行けない」のだ。学校に何か要因があると考えるのが自然だろうと思うのだが、学校や教育委員会には少なくても今まではその発想が足りないと感じている。
2019年08月22日
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不登校新聞に掲載された記事である。ネットでも読めるのでリンクしておきます。『どうか生きてください』樹木希林が亡くなる直前、娘につぶやいた9月1日への思い 9月1日は子どもの自殺が多い日です。夏休みが終わり、また学校に行かなくてはならないという追いつめられた気持ちが、死の世界への誘惑になってしまうのです。私もこの時期になると、「何とか死なないでほしい」と願います。北海道はすでに夏休みが終わり、様々な葛藤や悩みを抱えた子どもたちが、それぞれ必死に自分自身や周囲と闘っていると思います。死にたい気持ちを無理に抑えてまで学校に行くことはありません。子どもの中には、信じられないほど我慢強い子どもたちがいます。そんな子には、親や周囲の人に心配をかけたくないと思う、人一倍の優しさのある子も多いのです。その優しさや我慢強さを、「弱い」と叱咤激励してしまう大人もいます。多くは、子どものためによかれと信じて「もっと強くなれ」「社会に出たらもっと大変なんだから」なんて言ってしまう。それは、ギリギリまで耐えている子にとっては、脅しでしかありません。自分が弱いと思い込み、将来がもっと怖くなるだけです。我慢しすぎると辛さで心が壊れてしまうことがあります。壊れつつあることを自覚できる子どもは(大人もですが)少ないです。気が付くことができるのは、周囲の人だけです。できれば、家族がそれに気づいてほしいと願います。いつもと違う雰囲気を感じたら、「ちょっと元気がないけど、どうかしたの?」とか、腹痛・頭痛・朝起きられないなどの身体症状が出たら、迷わず「学校は休んだ方がいいよ」と言ってあげてほしい。「あなたが生きていてくれることが一番大切」という思いや、「あなたの健康だけが心配」という思いを、様々な形で伝えてほしい。 我慢し続けた結果、不登校にはならなかったけれど対人恐怖になってしまう人がいます。何とか耐えきったと社会に出てから、かつてのいじめのフラッシュバックに苦しみ、生きる希望を失って自死する人もいます。学校はその子の人生を保障するものではありません。苦しく辛いことばかりの場所に適応しようと頑張るのではなく、自分が安心して好きなことを探せる場所をみつけることにエネルギーを使ってください。どうか生きていてください。
2019年08月21日
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何と、昨日の夕方頃から急激な悪寒に襲われ、その後急に発熱。最近体温計を使う機会がなかったのだが、探し出して検温したら38℃5分。私は熱があると頭痛が強くなる傾向があり、頭もガンガンである。数日前から夫も風邪気味だったので、それが移ったのかもしれない。そういえば、息子二人も風邪気味だと言っていた。というわけで、昨夜はアイスノンで頭を冷やし、夫が病院でもらっていた風邪薬を飲み早々に寝た。しかし、平熱になったのは明け方近くで、その頃はやけに蒸し暑い気温となっていた。それでも、起きて朝食を食べたりしているうちに調子が出てきて、今、このようにブログを書いている次第。夫は出かける用事があり、「ちゃんと寝てろよ」と言ったけど、もう寝るのに疲れてしまった。それでも、まだちゃんと治ってはいないはずなので、これから横になることにしよう。
2019年08月16日
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川崎市カリタス学園の児童への殺傷事件、その後、わが子も同じような事件を起こすのではないかと44歳の息子を父親が刺殺した事件で、「ひきこもり」が悪い意味でクローズアップされています。このことについて、所属する団体の記事に書いたものを、多少手直ししてここに載せたいと思います。「ひきこもり」と言っても一人一人状況は違いますし、何と言っても現在の日本では15~34歳の若年無業者は56万人満40歳~満64歳のひきこもりは61万3000人合計すると117万人を超えるのです。私は、現在の日本の教育や社会の状況を考えると、この数字はなかなか減少しないだろうと考えています。また、世間体を気にして家族の問題を他の人に話しにくい日本人の気質も、それに拍車をかけているように感じます。さきほど、お昼のワイドショーを見ていても、わが子が他人に危害を加えるかもしれないと恐れ、「自分の責任でなんとかしよう」と手にかけた父親に対し、「気持ちはわかる」とか、「自分も同じような状況なら同じ選択をしたかも」という橋下徹氏の発言が紹介されていました。しかし私は、気持ちはわからないでもありませんが、その論調にはとても心配なものを感じます。私は、この父親が覚悟を持って息子の問題に向き合わなくてはならなかったのは、家庭内暴力が始まったという中学生の頃だったと思うし、そのことへの問題提起はもっときちんとされてほしいと思うのです。確かに、仕事をせずに家族以外の人とのつながりがなくなっているわが子や親族を見て、心配になる気持ちはよくわかります。親の責任で何とかしなければと、家族だけで解決したいと考える気持ちも理解できます。今の社会では、「ひきこもり」というとマイナスイメージだけが先行していますし、その原因も「親の育て方が…」というような偏見を持たれやすいので、親自身もなかなか人には相談しにくいのでしょう。きっと成長と共に子どもは動き始めるだろうと見守るのは大切ですが、それは放置しておけばよいということではないのです。「不登校になると将来ひきこもりになる」という偏見もありますが、決してそんなことはありません。まず、「不登校のきっかけ」は、ほとんど学校に関わることばかりです。「いじめ」「部活」「教師のからかい、無神経」などなど、枚挙にいとまはありません。現在は、「不登校は誰にでも起こりうることで問題行動ではない」と、文科省ですら明言しています。むしろ、不登校は子ども自身の心身が過度に傷つかないための防衛反応です。危険な場所から身を守ることができ、安心して自分の学びができる場所が見つかったら、むしろ自分の意志を持つたくましさを身につけて、自分の道を歩き始めます。子どもが安心して学校から一時撤退できる時間を、いかに早く持つことが出来るかが肝心です。親自身が不安に駆られて、子どもの不安や辛さ、苦しみに寄り添うことができないことが問題なのです。そうならないためには、親自身が不登校への正しい理解や、共通する経験を持つ人と安心して話し合えることが大切です。(各地にある親の会にまず参加してみましょう)そのうえで、必要な相談機関や病院、もちろん学校などと主体的に関わる必要があるのです。つまり、親だけで学校に何とか行かせようとするのは、一番良くない対処方法なのです。その意識はかなり浸透してきたようで、20年前と今では、親の会に参加するまでま時間は随分変わりました。かつては不登校が始まって一年以上も経ち、親が万策尽きてやっと参加する人が多かったのですが、現在は数か月で親の会に参加する人が増えてきました。私の印象では、小中学生時代に不登校になり、その時の親の対処が適切であれば、そのことでこじれてしまうことはむしろ少ないような気がします。しかし、大学までは順調に成人したはずの人のひきこもりの場合は、悩んで親の会に参加する人は少数派です。「きっと疲れたんだろう」「少し休んだらまた仕事をするだろう」という期待を持ちながら、見守るうちに月日が経ってしまうのが現実でしょう。でも、それを見守っている親が不安でないわけはありません。そのうちに、親子の会話もなくなり、そのような状態の家族のことを身内や知人にも話せなくなり、やがて親も退職して社会との接点が少なくなると、いよいよ家族が社会から孤立してしまいます。川崎市の事件では、同居する叔父や叔母が精神保健センターに相談していたようですが、本人との接点がほとんどなくなってしまった状況で支援機関に相談しても、本人の気持ちは全くわからない状態でのアドバイスしかできません。ですから、悩み始めた時が家族以外の人に自分の悩みを話す時なのです。私は、問題を複雑化・深刻化させるのは、家族が孤立してしまうことが大きな要因だと思います。家族の危機対処への研究はいくつもあるのですが、家族社会学での「家族ストレス対処理論…二重ABCXモデル」(マッカバン、アメリカ)が参考になると考えています。参考実は、この理論を知ったのは、慶應通信で卒論を書いた時であり、あれからすでに20年が経過しています。この論文が発表されたのは1980年代ですのでもう40年も前の研究ですが、私は今もとても参考になる理論だと思っています。要するに、家族内でストレスがかかる事態が生じたら、まずそれまでに家族が持っている資源(知恵、情報、能力、身内のサポートなど)で何とかしようと頑張るでしょう。(前危機段階)その後、今までの方法ではうまくいかないと判断し、次の対処方法を求めて相談・支援機関、同じ体験をした人たち、医療機関などにつながろうとします。(後危機段階1)そこで得た情報で新しい家族のやり方を試して、それがうまくいくかどうかを判断しながら次の方法を模索する。(後危機段階2)その循環がうくまく流れ始めたら、問題の解決につながるという理論です。(良好適応)その繰り返しの中で、家族のつながりや信頼関係も強まり、その安心感の中で家族それぞれが力を蓄えて自ら動くことが出来るようになることも多いのです。もちろん、やってみてもうまくいかないことだって起きますし、その方が多いかもしれません。(不適応)それは当事者が必要としていることと違っている時に起きることが多いようです。人には、今その時に必要なものが違いますし、求めるものも時間と共に変化します。親の愛情を求めている時に正論で責められたら、切れてしまうというようなことです。その部分は誰にもわからないことなので、ずっとわが子を見つめて心配してきた親の感覚で試行錯誤するしかないことです。今まで、何人もの不登校やひきこもりの子を持つ親御さんや、時には当事者のお話を聞いてきましたが、それぞれこの理論のプロセスに沿っているような気がしています。とにかく、家族内でなんとかしなければと思い詰めることは、一番良くない対処方法です。初期の段階ではそのように頑張ることも必要なのですが、そればかりでは限界があるとできるだけ早くに気付き、次の段階へと進むことがとても重要だと思います。先程のワイドショーでは、親が相談できるところがないなどと話されていましたが、そんなことはありません。全国ひきこもり家族会連合会のページから、各地の親の会や相談機関等のリンクがあるので、悩んでいる方はまずそれを見てほしいです。そして、できればすぐに近くの親の会に足を運んでみてください。同じような体験をしている人たちと話すことで、「一人ではない」という気持ちになり、孤独感が少しは軽くなります。そして、他の人の話を聞くことで、具体的な日常生活の知恵や対処方法に気付くこともできます。今回息子さんを殺めてしまった父親は、「ぶっ殺してやる」という息子の言葉に強い危機感を抱いたようですが、一般論としてはそのような言葉を発することでガス抜きをしていることが多いのです。過度に恐怖心にかられて超えてはいけない一線を越えないでほしい。家族と言う枠から一歩踏み出すことが、今できる最善のことなのだと思います。【追記】斎藤環氏「ひきこもりの犯罪率は低い」…リスクは自殺、無理心中、子殺し6/4(火) 22:16配信 斎藤氏は2日のツイッターで「ひきこもりはモンスターではない。ひきこもりは通り魔にならない」と投稿。「でも、ひきこもりは家庭内暴力をともなうことがある。家庭内暴力は往々にして『子殺し』の悲劇につながる。それは防ぎうる悲劇だ」とした。 4日のツイートでは「定義に合致する意味でのひきこもりが通り魔をした事件はいまだかつて存在しません。ひきこもりの犯罪率は著しく低いです」と投稿。「家庭内暴力と通り魔は攻撃性のベクトルが逆なのでほぼ両立しません。今後懸念すべきリスクは、将来を悲観した当事者の自殺と無理心中(未遂)、疲弊した親による『子殺し』」とした。 長男を包丁で刺したとして殺人未遂の疑いで逮捕された元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)=東京都練馬区=は「川崎の20人殺傷事件を知り、長男が人に危害を加えるかもしれないとも思った」との趣旨の供述をしている。捜査関係者によると、熊沢容疑者は、長男について「中学2年のころから家庭内で暴力や暴言があった。その後、引きこもりがちだった」と説明しているという。斉藤環氏の「家庭内暴力」についての記事
2019年06月04日
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中高年のひきこもりは推計61万人余り 39歳以下を上回る 2019年3月29日 21時46分 長期間自宅に閉じこもる、いわゆる「ひきこもり」の人は、40歳から64歳までの年齢層の1.45%、推計で61万人余りに上ることが、内閣府の調査で明らかになりました。これは4年前の調査で推計された39歳以下の「ひきこもり」の人数より多くなっていて、対策が急がれます。内閣府は「ひきこもり」の実態を把握するために、若者を対象に調査してきましたが、長期化する人が増えていることから、去年12月、40歳から64歳を対象とする初めての調査を行い、全国の男女5000人のうち3248人から回答を得ました。調査で、「自室からほとんど出ない」や「趣味の用事の時だけ外出する」などの状態が半年以上続いている人を広い意味での「ひきこもり」と定義した結果、これにあたる人の割合は1.45%となりました。これにより、40歳から64歳で「ひきこもり」の人は、推計で61万3000人に上り、4年前に15歳から39歳を対象にした調査で推計した54万1000人より多くなりました。男女別では男性が4分の3以上を占めたほか、ひきこもりの期間が「5年以上」と答えた人は半数を超えていて、中には「30年以上」と答えた人もいて、対策が急がれます。内閣府は「『ひきこもり』は若者だけでなく、中高年でも想像以上に多いことがわかった。支援対象を拡大するなど、効果的な施策を打ち出していきたい」としています。53歳男性 身の回りの世話は90歳近い母が…「90歳近い母親に今でも身の回りの世話をしてもらっています。親が死んだら生きていてもつらいだけ、自分もすぐ死んでもいいってずっと思ってきました」。東京・品川区に住む山瀬健治さん(53)は、大学を中退したころから現在に至るまで、およそ30年間、断続的にひきこもりを繰り返してきました。20代からIT企業などいくつかの会社に勤めましたが、仕事がうまくいかずにつらくなって辞めてはひきこもり、また働いては辞めるということを繰り返してきたといいます。ひきこもっていた期間は合わせて10年以上になります。父親は9年前に亡くなり、現在は87歳になる母親と自宅で暮らしています。発達障害があり片付けなどが苦手で、食事や洗濯、買い物など身の回りのことは母親に頼っていると言います。生活費は、母親が持っている不動産の収入や蓄えなどでやりくりしています。現在、障害のある人の就職支援などを行う「就労移行支援事業所」に通い、サポートを受けながら仕事を再開したいと望んでいますが、見通しは立っていません。山瀬さんは「社会から長い間孤立して仕事も長続きしないだけでなく、高齢の母親に身の回りの世話までさせて申し訳ないと感じています。幸い親はまだ元気ですが、もし介護が必要な状態になっても、世話をしたり、亡くなったときにいろいろな手続きをしたりということは、おそらく自分では何もできないと思います。今後のことを考えると不安やプレッシャーを感じます」と話していました。介護の現場では…東京町田市の地域包括支援センターで、介護に関する相談員を務めているケアマネージャーの安達聡子さんは高齢の親に対する支援のなかで、中高年の子どもがひきこもっている事例が数多く見つかると指摘します。中には民生委員から90代の女性の様子がおかしいという連絡を受けて、訪問したところ、女性の認知症が進行していて、50代ぐらいの無職の息子が同居していた事例などがあったということです。こうしたケースでは、親の年金だけを頼りに生活しているため、経済的に困窮していたり、子どもが自分や親に対する支援を拒否したりする場合も多く、対応が難しいといいます。安達さんは「親が元気なうちはいいですが、認知症が進んだり、亡くなってしまった場合、子どもは生活することが難しくなってしまいます。こうしたケースは想像以上に多く、深刻な状況になっています。自分たちも何とか手を差し伸べようと、いろいろな支援制度を紹介したり、ほかの行政機関などに相談したりしていますが、本来業務だけでも手いっぱいで、十分な支援が届いていないのが現状です」と話していました。高年齢化と長期化が問題今回の内閣府の調査で改めて明らかになったのは、ひきこもりの「高齢化」と「長期化」の問題です。「ひきこもり」をめぐっては、これまでは主に「若者がいじめや不登校などを理由に部屋に閉じこもる」問題と捉えられてきましたが、専門家や当事者などからは中高年のひきこもりが多数いるという指摘が以前からあり、今回、国による初めての全国的な調査で「高年齢化」が実際に裏付けられた形です。今回の調査では、ひきこもりの期間は「3年から5年」が最も多かった一方で、「5年以上」と答えた人が半数を超え、中には「30年以上」と答えた人もいるなど「長期化」の傾向もみて取れます。このような「高年齢化」と「長期化」を象徴するのが、80代の親が、50代のひきこもりの子どもの生活を支える、「8050問題」と呼ばれる問題です。ひきこもりが長期化すると、子どもが高齢になる一方で、さらに高齢の親が働けなくなったり、年金などわずかな収入しかなくなったりすることで、家庭が生活に困窮して社会から孤立してしまう問題です。こうした家族は、なかなかみずから声を上げづらく、親子が共倒れになることでようやく知られることもあります。去年1月には、札幌市のアパートで、82歳の母親とひきこもりの状態にあった52歳の娘の遺体が発見されました。助けを周囲に求められず、先に亡くなった母親のそばで娘は亡くなるまで生活していたといいます。一方で、高齢の親への支援をきっかけに、同居する子どものひきこもりが明らかになる事例も相次いでいます。ひきこもりの家族などで作る「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」が、高齢者の介護の相談や支援を行っている全国の「地域包括支援センター」を対象に去年の末行った調査では、有効な回答のあった260余りのセンターのうち、6割近くが、相談を受けた高齢者の家庭に、ふだんは家にいてほとんど外出しない状態が半年以上続くひきこもりの子どもがいるケースがあったと回答しました。中には、ともに認知症の70代の両親と同居していた50代の未婚の娘がひきこもっていた事例などがありました。一方で、ひきこもりの子どもと面談できなかったり、親の支援が必要なくなったあと関係が途絶えるケースもあり、複数の行政機関や団体が連携して支援に当たる必要性が指摘されています。調査を取りまとめた愛知教育大学の川北稔准教授は「地域包括支援センターはひきこもり支援の専門ではないので、気がついたからといってすぐに動くことが難しい面はあるが、ほかの機関とも連携しながら、問題が浅いうちにその家庭とつながりをつくって支援や見守りに生かしていくことが大切だ」と話しています。専門家「多様な支援が必要」ひきこもりの問題に詳しい愛知教育大学の川北稔准教授は「今の40代の人たちは第2次ベビーブームの時期と重なっていて、人数自体が多く、ある意味では予測された結果と言える。ひきこもりの人は若い人だけでなくどの年齢にもいるということが今回の調査ではっきりと裏付けられた」と話しています。その要因については「今の40代を中心にした人たちは就職氷河期を経験した世代で、不本意な就職をして不安定な雇用状態のままで過ごしてきた人も多く、社会的に孤立するきっかけを多く持っている。また、ひきこもるきっかけは、学校や就職だけではなく何十年も働いてきた中で、途中でつまづいてしまったり、親の介護のために仕事を辞めてしまった人などいろいろなタイプが含まれている」と指摘します。そのうえで、必要な支援について「これまで行政などの支援は若い人に絞られていたが、対象を年齢で限定せずに生活に困っている人全般の相談窓口を設けたり、就労の支援だけではなく、孤立している人の居場所をつくるといった多様な支援活動が必要になってくる」と話していました。やっと実態に近い数字が出てきたという印象である。もっと詳しい分析をしてほしいと思うが、60歳以上の退職後のひきこもりについては、40代くらいまでのひきこもりとは少しタイプが違うのではないか。はっきりしているのは、これは若者問題ではないということだ。そして、ひきこもってしまう人が「親の経済力に甘えて働かない」なんてのんびりしたものではなく、本人も親も大変悩んで困っているということである。中高年ひきこもり61万人、15歳から39歳のひきこもり54万人(4年前)、中高生の不登校者数14万人(2017年)、これは日本社会の土壌から生み出されていると思っている。それは、これだけ見たら困った問題にしか感じられないが、物事には必ず功罪がある。この現象がどのような意味を持つのか、もっと考えてみたいと思う。
2019年03月30日
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このブログでも、時々青少年のいじめや自殺について書いてきた。私は、ずっと関わっているボランティア活動の中で、学校におけるいじめや体罰、それを主要因やきっかけとして始まる不登校や、追いつめられた結果であろう自死のケースを見聞きしてきた。できれば学校名や関係者の本名を書いて告発したい気持ちに駆られることもあるが、それだけは自制し、封印しながら一般論のように書いてきたし、これからもそうするつもりだ。いじめや不登校の話を聞くようになってもう20数年も経ったが、この問題は一向に改善してきたようには感じられず、むしろ陰湿化、過激化しているようにさえ感じる。特に、学校の教師がいじめに加担することなど、かつてもあったけれどとても少数だったように思う。以前は、先生の対応の不手際で問題がこじれてしまったり、いじめが陰湿化するような話が多かった。それが今では、先生がいじめを容認し(放置ではない)、いじめる側になってしまったりする。あるいは、先生のからかいや過度な叱責、体罰等によって、生徒がいじめを正当化しやすくなる場合もある。さらには、いじめが表面化した時に、「生徒自身で解決させる」ような対応をしたりすらする。本当に、にわかには信じられない言動が教師側にある場合があるのだ。そのような辛い学校に耐え切れずに親に相談し、親がビックリして学校に訴えたりすると、学校はほとんど間違いなく自己防衛本能による対応を始める。いじめている生徒や、不適切な言動をする教師に学校長や教育委員会が問い詰めた時、正直に事実を語る児童生徒や教師は多くはないと思う。とにかく、いじめている子や不適切な言動教師は、「一緒に遊んでいた」だの、「指導していただけ。子どもも反省したし、その後は笑っていた」なんて言ったりする。周辺の子ども達にいじめの実態を聞いたとしても、後が怖くて本当のことを言えない場合が多い。その結果、「いじめの事実は確認できなかった」「体罰はなかった」などが学校や教育委員会の見解となる。児童生徒が自殺したとしても、明確な遺書でもない限り「死人に口なし」なのだ。つまり、学校に相談したとしても、それでいじめが解決することは多くはないのだが、教育委員会への報告では「解決」なんてことになり、いじめ件数は結構あるけれど、解決率100%などという、私から見たら「信じがたい統計結果」となっていたりする。このようなことをずっと見聞きしてきた私は、今の学校教育(特に義務教育)自体がいじめの発生装置のように感じるようになった。こんな風に書いてはいるが、私は義務教育は勿論のこと、そのほとんどが公立であることは重要だと思っている。毎日のように、いじめ自殺関連のニュースを目にするたびに、どうしてこんなことが続くのだと悲しくなる。親はまず学校に相談するのが常だし、私もそれが正規ルートだと思う。しかし、その後の学校側の対応に疑問を抱いたら、まずはそんな学校には行かせないことだ。「子どもが安心して登校できると思えない限り、休ませます」と毅然として言うことだ。さらに「でも、学校は子どもに教育を受けさせる義務がありますよね。休んでいる間、学校や教育委員会は何をしてくれますか」と言ってみよう。多分、何もできないだろうし、義務のような家庭訪問は迷惑だけれど、学校へのプレッシャーにはなる。万が一にでも、子どもが信頼している先生が一時間でも訪問学習指導をしてくれれば御の字だ。最近の学校側の言い分には、「親がモンスターペアレント化しているので対応が大変」がある。そんな親もいるだろうが、学校にきっかけがあって不登校になるタイプの親にそのような人は少ない。本物のモンスターと一緒にしてもらいたくないと私は思っている。「学校に行くのが辛い」と言い始めたら、あまり理由を問い詰めずに「少し休んでみようか」と言って欲しい。いじめられているとするなら、それは屈辱的なことであり、自分がそのような扱いをされているとは言いたくないことがほとんどだ。ましてや、大好きな親にそんなことは言いたくないし、心配だってかけたくない。だから、子どもは健気にも耐えられるだけ耐えるのがほとんどで、どうにも我慢できなくなった時にやっと言うか、その前に体調に変化が起きるのが常だ。つまり、登校時間になると発熱や腹痛、下痢、時には足が痛くて動けなくなったりもする。めまいでふらついてしまったり、過呼吸や強迫神経症的手洗いなどもある。どれも仮病ではない。本当にそうなってしまうのだ。とにかく、過剰なストレスに長期間さらすことは避けよう。その結果、精神的な疾患を発症することも稀ではない。さらに、自死などに至ってしまっては、その後の家族の苦しみは死ぬまで続くと言っても過言ではない。今は春休み。学校に行くことが辛い子どもたちには少しだけホッとする時期。しかし間もなく春休みは終わり、あの地獄のような日々が始まると思うとき、その苦しみの日々から解放されたいと思うのは自然なことだ。その「解放」が、死の世界への旅立ちであってはならない。逃げ道は、家族が作ってあげてほしいと切に祈る。下記の記事を見つけた。読んでいただきたい。第1回 日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52631 第2回 「いじめ自殺」多発にもかかわらず、学校の有害性が問われない不可解 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52633 第3回 いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53330 第4回 人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53333
2019年03月27日
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数年前から血圧が高くなっている自覚はあった。父・祖父・曾祖父と脳梗塞や卒中(昔は「卒中」とか「中風」と言っていた)で倒れているので、私たち三姉妹も40代後半から徐々に血圧は高めとなり、妹二人はすでに服薬している。私は一番年長だが、食生活や運動、食べ物などでいろいろと気を使い、なんとか今までは薬を飲まずに頑張ってきた。血圧は測っているので、それでも徐々に高くなってきていて、いよいよ自己防衛は限界かなと覚悟し、午前中、実家の近くのクリニックを受診してきた。長いおつきあいになると思うので、「かかりつけ医」としてよい医院を探していて、子育てをしながら頑張っている女医さんのクリニックを選んだ。初診なので早めに行ったのだが、とても混んでいてびっくり。(予約はしていない)問診から始まり各種の検査をして最終的に薬をもらったのが12時過ぎ。看護師さんに聞くと、今日はいつも以上に混んでいるとのこと。スタッフは全員女性ということもあるのだろう、患者も八割は女性だった。私はほとんど病院にかかることがないまま今に至っているので(尿路結石、インフルエンザ、歯科程度)他の病院のことはよくわからないのだが、少なくても今まで以上に丁寧な説明をしてくれた。とても印象が良かったので、これからはこの先生にずっと見てもらおうと決めた。私が90まで生きたとしても、多分この先生ならまだ頑張っていらっしゃると信じたい。ということで、様子を見ながら高血圧改善の服薬を始めることになった。私にとっては、間違いなく記念日である。
2019年03月13日
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今週の初めに、親しくしている友人から体に違和感があることを聞いた。話を聞くと、私も少し心配になり、すぐに病院で調べてもらうようにと言っていた。「どこの病院がいいだろう」と聞かれても、私はよくわからない。それで、親しくしている保健師さんに聞くことを勧めた。懸念していたのは癌性の病気である。近年は二人に一人は癌性の病気になるとも言われている。仕事をしている彼女は、保健師さんに紹介された病院を今日受診することになっていた。この数日、やはりその結果が気がかりだった。彼女の前では、「とにかく受診するまで心配してもしょうがないよ。まずは早く病院に行くこと」なんて努めて明るい声で言ってはいたものの、どうしても悪い想像に流れてしまう。夜中に目が覚めたら、さらに最悪のことすら頭をよぎる。この私ですらそうなのだもの、本人はもっと不安だったことだろう。実は、私も彼女も長寿遺伝子を持っている可能性が高い家系だ。だから、何の根拠もないのに「百歳まで生きる覚悟はしなくちゃね」なんて冗談すら言い合っていた。そんな罰当たりなことを笑いながら話していたバチが当たりませんようにと、つい祈ったりもしてしまった。しかし、天は能天気な私たちにちょっと活を入れたらしい。先程メールが届き、「おかげさまで異常なしでした!」とのこと。本当にホッとした。久々の緊張感と、その後の安堵感である。今の健康を感謝し、ありがたく思わなければと心から思っている。
2019年02月23日
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教諭、生徒を「ピロリ菌」 恵庭の中学 緊急説明会で謝罪02/22 05:00 北海道新聞 【恵庭】恵庭市立中学校の50代の男性教諭が、担任する男子生徒を「ピロリ菌」と呼ぶなど不適切な言動をしていたことが21日、分かった。学校は同日、全校の保護者向けに緊急の説明会を開き、校長とこの男性教諭が陳謝した。 学校によると男性教諭は1月下旬、クラスごとにビデオ撮影をする際、男子生徒に詳細を伝えず、1人だけ教室に置き去りにした。またこの生徒を「ピロリ菌」「ピロちゃん」と呼んだり、輪ゴムを飛ばして他の複数の生徒の体に当てたりするなど、不適切な言動があったという。 今月1日に外部から通報を受け、学校が同学年の全生徒や男性教諭に聞き取り調査して把握した。男性教諭は「軽い気持ちでやっていた」と行為を認め、3日に校長と男子生徒宅を訪れて謝罪。学校は市教委に事実関係を報告したが、いじめや体罰があったとは認めていない。男性教諭は平常通り勤務している。 校長は北海道新聞の取材に「軽はずみな言動で子供の心を傷つけ、非常に申し訳ない。今後このようなことがないようにしたい」と話している。これを「いじめ」ではなく「軽はずみな言動」で済ませている学校や教育委員会に、強い怒りを覚える。このような教師の言動が放置されてききたことはいじめの温床に近く、これは氷山の一角のように感じる。このようなことが対人恐怖や不登校などにつながるのだ。この機会に、しっかりと教育現場の検証をしてほしい。この教師に何のおとがめもないとしたら、それを生徒たちはどう感じるのであろうか。謝るだけなら猿でもできる。しっかりと教育者としての姿勢を正してほしいし、教育委員会として強い態度このようなことが起きないような対策をしてほしい。「いじめ防止対策推進法」は、児童生徒によるいじめを対象としているようだが、昨今は「教師によるいじめ」のニュースも珍しくはない。文科省も道教委も、このようなことがニュースになったらしっかり対処してほしい。このようなことがニュースになることは、ほとんど氷山の一角なのだから。いじめ防止対策推進法のあらまし(平成25年6月28日付け官報)
2019年02月22日
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池江璃花子さんの更新されたツイッターを読んで驚いた。彼女って、いくつだったっけ? 18歳ですって!!あの言葉は間違いなくご本人のものだと思うし、だとするなら18歳でこれだけ人として成熟できるのだろうかと。大変な病気だとわかって間もなく、パニックにもならずにすぐに気持ちを切り替え、多くの人の言葉に冷静に耳を傾け、自分の置かれた立場をしっかり見据え、自分が今なすべきことを心に決める。それだけでも多くの人は時間がかかるだろうと思う。その上に、周りの人や同じ病気を闘う人のことに思いを馳せ、応援のメッセージに多くの意味を感じ取り、前向きに自分の力に変えようとする。本当に彼女は、人として尊敬に値する人だと思った。今までも、彼女の競泳選手としての様々な業績に驚きと感動をもらったし、その時々の笑顔や言葉に「この子は本当にいい子だな」と思ってはきたけれど、これほど凄い人だったとは。神様は時々、意地悪とも思えるような試練を与えることがある。今回もそうだし、こんな時私は、「神様なんていない。あまりにも意地悪過ぎる」と思ってしまうのだが、この数日のことを考えると、神様は特別の人に特別の使命を与えるのかもしれないとすら思う。だとするなら池江璃花子さんは、神様の期待以上の使命を果たしていると思う。どうぞ、これ以上の試練を与えないようにお願いします。彼女はまだまだ神様の場所には行かずに、この世で人としての使命を果たすことが出来る人です。必ず戻ってきて、あの素晴らしい笑顔を見せてくださいね。
2019年02月14日
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下記の記事を読み、とても納得することが多かったので転載しておく。野田市虐待死 栗原心愛さんと船戸結愛ちゃん事件に共通する父親の過剰な家族依存 千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さん(10)が、父親の栗原勇一郎容疑者(41)による虐待で死亡した事件で5日、千葉県柏児童相談所の二瓶一嗣所長が、千葉県庁で会見を開いた。 心愛さんが勇一郎容疑者に「お父さんに叩かれたのはウソ」という手紙を書かされ、児童相談所の保護が解除されていたことを明らかにした。 昨年3月、東京・目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が虐待で亡くなった事件との共通点の多さを指摘するのは、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)などの著書があるルポライターの杉山春さんだ。 一時保護から帰宅、遠方への転居、子どもの転校。その間に関係機関の判断や対応、引き継ぎにミスがあり、最悪の事態になってから表面化する。父親を含めて一家で転々とするかたちは「現代的だ」と分析する。「男の人たちが仕事や社会的な評価ではなく、家族に依存し、過剰なアイデンティティーを持ってしまい、外に向けて、立派な家族であることを装えなくなると、仕事を放り出してでも転居してしまう。これは新しい形だと感じます。日本の社会は特に男性たちに対して、存在を否定するようなマイナスの突き上げが強く、DVも虐待も顕在化しています。恥や屈辱といった感情を抑え込めず、自分の正しさを証明しようとすることで、暴力をふるい、困窮をし、転居、転職、転校を繰り返すようなケースは今後さらに増えるのではないでしょうか。このままでは子どもなど家族の中でも一番弱いところに被害が出てしまうと危惧しています。これらの事件は社会の縮図のように感じます」(杉山さん) 社会から排除され、存在を否定されたと感じた加害者が、子どもの教育や将来のためにと“しつけ”に執着したり、子どもに関する問題には特に威圧的な態度で公的機関に乗り込んでくる。心愛さんの両親と学校、市教委の話し合いの場で、「訴訟を起こす」と学校の対応を批判。担当課長は「大きな声で恫喝され、威圧的な態度に恐怖を感じ、強い要求に屈してしまった。その後、どのような影響が出るか、心にひっかかりながらも渡してしまった」と説明している。「目黒の事件でも、傷害容疑で不起訴になったことを前面に出して父親は行政に強く出ました。今回の件も、日常的な話し合いの場で恫喝されながら『これは暴力だ』と冷静に判断し、対応できる教員がどれだけいたでしょうか。 自分のアイデンティティーが揺るがされていることは、その人にとって生きるか死ぬかの問題であり、学校など公的機関への対応に非を見つけるとあらゆる手段を使い、全身全霊で糾弾しようとします。時間がたてば先鋭化する。 すべての教師や公務員が、適切な訓練もないまま、暴力的に追い詰められながら、正義感を持って冷静に対応できるとは限りません。恐怖を感じ、あの親の子だからと諦めてしまう人もいます。必要なのは、暴力が起きている場所では、法律に則り、子どもの人権を第一にした、国家権力の行使です。訓練を受けていない教師や職員が矢面に立つ必要はない。しかし、その後、暴力親ときちんと向き合って、治療につなげ、社会に戻す仕組みも必要です。そういったDVや暴力への対応策が日本はまだまだ十分ではないと感じます」 カナダでは、セルフ・エスティーム(自尊感情)を揺るがされた人が抱えた怒りを取り除く加害者治療に取り組む。暴力行為が発生すると、スピーディーに裁判が行われ、治療命令が下され、児童相談所や女性センターと連携して動くという。(AERA dot.編集部・金城珠代)「父親の過剰な家族依存」という言葉で、連想する人がいる。もう10年近くも前に関わった父親なのだが、まさにこのようなタイプの人だったと思われる。虐待までには至っていなかったと思われるが(私はその父親としか関わっておらず、子どもや母親と話してはいない)、子どもの不登校問題で妻と意見が合わず、自分の実家のある北海道に転校・転居してきたと言っていた。(しかし、当市は実家のある町ではないし、実家とは疎遠と言っていた)私の立場は不登校の親の話し合いの会の世話人であり、基本的には親の言い分を十分に聞きながら子どものためにどうしたらよいかと一緒に話し合うことが最優先だった。とてもキチンとした身なりで、人当たりはとてもよく、子どものことを第一に考えているということを強調していたし、そのために転校してきた学校とも十分連絡を取りながら頑張っているという話だった。あまり詳しく書くことはできないが、結局母親が来道し、子供二人(小学生)を強引に連れて行ったと興奮した電話が来たことから、市役所の相談窓口二つを教え、冷静に子どものためにどちらが良いのか考えてくださいとお願いして電話を切った。幸か不幸か、私はその時本州に旅行中で「すぐに会いたい」という彼の要求には物理的に答えることは不可能で、30分くらい本州の暑さの中で携帯電話で彼を落ち着かせることに必死だった。申し訳ないが、電話を切った時に「旅行中で良かった」と内心ホッとしたものだ。その後、時々経過報告の電話等があったが、どうしても自分の言い分を関係機関は理解しないと怒っていたが、その後子どもたちを追ってまた本州に転居した。(律義にそんな報告はしてきた)そのようなタイプの父親に出会ったのは初めてだったので、当時はかなり戸惑ってしまった。一見、子どものことを第一に考えているように見えるが、彼に言わせれば「子どもの気持ちを理解しようとしない自分勝手な母であり妻」のところに、どうして子どもが帰りたいのかと疑念も抱いた。結局は「良い父親」であるためは子どもが必要だったのかと自分なりに解釈し、転居によって会うことがなくなってホッとしてもいた。今、彼らはどうしているのだろう。ストーカー的な父親に苦労していなければいいのだが…。少し思い出話になってしまったが、「暴力行為が発生すると、スピーディーに裁判が行われ、治療命令が下され、児童相談所や女性センターと連携して動く》カナダの対応を見習ってほしいと心から願う。
2019年02月06日
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