全3618件 (3618件中 1-50件目)
にほんブログ村 高見観音のヒビ割れの原因について推察します。ヒビ割れの原因は下記が大きいと思われます。1.塗装の剥離 塗装の剥離により、防水性が失われます。 その結果、モルタルが直接、風雨に晒され劣化します。2.ノロによる補修 接合部はノロ(セメント+水)で補修したと考えられます。 ノロの耐水性は低いので、補修箇所は劣化しやすくなります。 この結果、ノロを使った箇所から割れが発生します。 妙楽寺の大型観音にも、補修痕とヒビ割れが見られます。3.浸透水の影響 接合部から浸透した水は、冬季に凍結して膨張します。 そしてヒビ割れが起きます。高見彰七氏は観音像の定期的な塗り替えを望んでいたでしょう。しかし塗装が剥がれたモルタル像は、石像に似ています。そのため、塗装が剥がれたモルタル像に違和感が感じられません。この石像に似たモルタル像の姿が再塗装の必要性を忘れさせ、劣化していくモルタル像の悲劇を生んでいるように思います。【前の記事 1】 「高見観音の製作方法 1」【前の記事 2】 「高見観音の製作方法 2」【 すべてがおしまいになったカエル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.16
コメント(39)
にほんブログ村 高見観音の製作手順について推察します。専門家の指導を受けていますが、私からの情報を基にした推定です。今後、まだ見直しがあるかもしれません。また型枠を使ったモルタル像の作成は難しいこともわかりました。1.型枠原型像 型枠の型取りをするためには、観音像の原型像が必要です。 原型像は粘土などの造形が容易な素材で作ったと推定されます。2.分割型枠の使用 小像を除く、高さ80cm以上の観音像では2分割型枠を使っています。 その型枠は組み立ててモルタルを流し込むのではなく、 観音像前半身、後半身別の型枠にモルタルを入れて固めたようです。 モルタル像の取り出しを考慮し、型枠には離型剤を塗ります。3.補強材の使用 モルタル像の補強は金網が使われます。 しかし高見彰七氏は、大型化を意識して鉄筋を使ったようです。4.メートル法の採用 高見彰七氏はメートル法で観音像を製作しています。 これは尺貫法を使う仏像の慣例からは異例です。5.前後の接合 前後別々に製作したモルタル像は、接合しなくてはなりません。 前半身像と後半身像は、 接合面に専用接着剤かセメントを塗り、接着します。6.前後接合面の処理 この工法では前後の接合部が明瞭に残ります。 その接合面を埋めるためには、「ノロ」を使います。 ノロとはセメントを水で希釈したパテ状のものです。 ノロを接合面に塗ることで、接合面は綺麗に継ぎ目なく仕上がります。7.塗装 モルタル像で塗装は必須です。 防水し耐久性を保つためと、ノロなどでの補修箇所を隠すためです。 残念ながら、高見観音の多くは塗装が剥離しています。 「妙楽寺の大型観音」 この観音像も前後接合面でヒビ割れ次回はなぜ、この結果接合面がひび割れたかを説明します。【前の記事】 「高見観音の製作方法 1」【 合掌 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.14
コメント(39)
にほんブログ村 高見観音の製法について考察します。● 型枠の使用について 浄法寺の高見観音の足元側面からの写真です。 像の前後で着物の裾の造形に段差ができています。 (浄法寺) 型作成のミスと思われますが、 同時に型を使った証拠でもあるでしょう。● ヒビ割れについて 高さ1mを超える高見観音の多くに、 型の接合部に相当する箇所にヒビ割れが見られます。 特に多くの大型作品が並ぶ妙楽寺では、 大半の像に同様のヒビ割れが観察されます。 (妙楽寺)● ヒビ割れの理由 「型の接合部だから割れる」という表現は正しくはありません。 それには製作法が関わっています。 (妙楽寺)●前後の材質の違い モルタル(セメント+砂)での作像には、流動性の良いモルタルを 型に流しこまなければ、型通りのモルタル像はできません。 また細かい砂を含めたモルタルでなければ、大粒の砂や小石が 顔に出ると失敗作になります。 後部背面も同じモルタルで良さそうですが、高見彰七氏は特に 背面にはコンクリートに近い粗いモルタルを使ったようです。 強度を高めるねらいかもしれませんが、 劣化の結果、背面が粗材に見えているのかもしれません。 ただし、今日の工芸などに使われているモルタルに比べて、 高見彰七氏が使ったモルタルは粗く、コンクリートに近いものです。 (心学院) 次回、専門家の意見を参考に、 製作手順から、ひび割れの理由等について説明します。【 虚無・猫 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.12
コメント(38)
にほんブログ村 愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品、現地確認の続きです。「型枠の使用」高見観音の多くは、最低前後2個の型枠を使って作られています。そのため、浄法寺の高見観音には、前後の型造形にズレまでありました。(浄法寺 高見観音像の前後型ズレ)「接合部のひび割れ」また高見観音像に多く見られる接合部のひび割れが、高林寺の観音像でも見られます。大型観音像の衣装の裾には、補強用金具の露出まであります。ひび割れは、特に高林寺では小型観音像でひどい状態です。小型観音像の頭部を上から見ると、穴が開いているようにも見えます。なぜひび割れが出るのかなど、独学では知識不足がありました。そこで建築関係の専門家に質問し、かなり理由が明確になりました。それに関しては高見観音像の製作について触れなくてはなりません。次回、専門家のご指導も得て、その製作方法について述べます。皆さんからもご指摘があった、多くの理由が明らかになると思います。【 おちょこけし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.10
コメント(37)
にほんブログ村 現地確認ができていなかった愛知県豊田市 高林寺の高見彰七作品。ようやく、この高見観音の現地確認ができました。こちらは以前、「FDG公式さん」が発見された観音像です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」現地確認の目的はいくつかありましたが、まずは下記から。●観音像の寸法測定 悪評高い私の高見観音像の寸法測定。 この曖昧な計測を反省し、今回は巻き尺で寸法測定しました。 ・大型観音像: 高さ160cm × 最大幅40cm × 最大厚さ40cm ・小型観音像: 高さ 76cm × 最大幅20cm × 最大厚さ20cm小型観音像は足元が土に埋もれていますので、全高は80cm程度と思われます。この計測から、下記がわかりました。 ・高見彰七氏は観音像を尺貫法ではなく、メートル法で作成 ・大型観音像は、小型観音像の2倍の大きさの相似形 ・観音像は整数の寸法比で製作。 高さ:幅:厚さ=4:1:1特に仏像は尺貫法での製作例が多く、メートル法の採用は意外でした。計測すると気づきもあります。この現地調査の結果も踏まえて、高見観音の製作方法を考察します。【 鬼滅の刃 日輪刀 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.05.07
コメント(45)
にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像について考察する前に、コンクリートに関する私の知識不足が問題です。少しコンクリートの基本を整理しましょう。まずは基本用語から。セメント,モルタル,コンクリートの違いは何でしょうか。〇セメント: 硬化前の粉体。主成分は石灰石〇セメントペースト: セメント+水〇モルタル: セメント+水+砂〇コンクリート: セメント+水+砂+砂利建築では、砂利とは約20mm以上の大きさの石を指すようです。高見彰七作品には大きな砂利は使われていない様に思います。高見彰七作品はコンクリート像かモルタル像と呼ぶのが正しいでしょうか。また、コンクリートは次の2つに分類されます。〇生コン: 工場で混ぜ合わされ運搬される硬化前のコンクリート〇現場練りコンクリート: 現場で混ぜ合わされるコンクリート私は硬化前のコンクリートは全て生コンと思っていました。工場で砂や砂利と混ぜたものだけが生コンでした。これらの用語を確認しつつ、次は高見彰七作品の製法を考察します。【 ソフビコレクション 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.25
コメント(86)
にほんブログ村 シランは、そのやんちゃな表情が良い。庭、公園、花壇など、赤紫の花が良く目立つ。シランは元気一杯、今まさに春を謳歌している。これほど身近なランも他にはないだろう。どこにでも咲いているように思えるシランだが、実は野生のシランは絶滅危惧種だという。私達が見るシランは園芸種か、そのこぼれ種らしい。やんちゃそうに見えて、実ははかない。やはりシランはラン、紫蘭なのだ。 シランの魅力が、またひとつ増えた。【 ブルーシラン / 白花シラン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.23
コメント(41)
にほんブログ村 人気衰えぬ「ガチャ」市場。いまやガチャは日本文化の一部になりました。(画像出典: Wikipedia)楽天市場のリンクを利用して、ガチャの世界をのぞいてみましょう。●大ヒット商品「コップのフチ子」 シリーズ販売総数、累計2000万個!●赤べこがガチャに「神獣ベコたち」 シリーズ販売総数、累計250万個●参拝のお供に「合掌」●猫に負けられない、「招福犬」●ガチャの沼にはまる人もいるらしいガチャの購買層は、意外と成人女性が多いとのこと。私も面白グッズがないか、探してみたくなりました。< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.21
コメント(38)
にほんブログ村 今日はお菓子作りを化学的に考えたいと思います。ハピハピハートさんは、ベーキングパウダーの代わりに重曹でお菓子作りをされています。ベーキングパウダーに含まれるリン系の添加剤を避けての健康への配慮からです。【ハピハピハートさん】 「重曹でスコーン作り」ベーキングパウダーの発泡作用は、重曹の作用です。重曹を加熱するとCO2が発生して生地が膨らみます。重曹 2NaHCO3 → 炭酸ソーダ Na2CO3 + CO2 + H2Oこの反応は65℃以上に生地が加熱されると進みます。問題はこの時できる炭酸ソーダがアルカリ性ということです。このアルカリ成分により、重曹だけでお菓子を作ると「苦味」が残ります。このアルカリ成分は中和しなくてはなりません。つまり「酸性」の成分を加える必要があります。ベーキングパウダーでも酸性剤が配合されています。身近で無害な食用添加剤では「クエン酸」が良いと思います。クエン酸はレモンなどの柑橘類にも含まれます。原理的には、クエン酸か柑橘類を生地に加えると苦味が抑えられます。(重曹やクエン酸は食用のもの)ただしこの方法には欠点があります。実は、重曹とクエン酸を混ぜる方法は、ラムネ作りの方法です。私も以前に重曹とクエン酸,砂糖,塩などを混ぜてラムネを作りました。重曹とクエン酸の粉末を混ぜ、水を加えると急激にCO2が発生します。その勢いはラムネ瓶の口にビー玉を押し込み、栓をしてしまうほどの激しさです。重曹とクエン酸の粉末を混ぜただけではCO2は出ません。しかし生地作りで牛乳や水分を混ぜると、加熱前に発泡します。ベーキングパウダでは、この現象がゆっくり進む工夫がされています。重曹とクエン酸を混ぜる時も、工夫しないと発泡が早すぎます。重曹の分子量は84、クエン酸(C6H8O7)の分子量は192(無水)。3:1の比で中和しますので、重量で重曹1:クエン酸0.8で中和します。ただ実際はクエン酸をやや少なめにした方が生地作りは楽そうです。つまり下記の工夫が必要かと思います。1)クエン酸の生地への添加をなるべく生地作りの後半にする2)多量の水分や牛乳の添加も後にする3)クエン酸の代わりに、レモンなどの柑橘類で中和するそうでなければ、大急ぎでお菓子作りをしなくてはなりません。すでにお菓子作りではトライ済みかもしれません。あまり有用な話ではありませんでしたが、とりあえずお菓子作りを化学してみました。【 ラムネ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.19
コメント(40)
にほんブログ村 古代には存在したが、失われた技術。そして今なお再現できない技術。そのひとつに「ダマスカス鋼(ダマスカスナイフ)」があります。古代インドで作られていたダマスカス鋼。刀剣などに使われたこの鋼には、表面に木目調あるいは水滴状の美しい模様が表れます。「ダマスカス鋼(ダマスカスナイフ): 古代インド王朝」(画像出典: Wikipedia)しかしその製法は18世紀には失われてしまいました。ダマスカス鋼の模様は、融点や結晶化の温度が異なる成分により作られると推定されます。しかし今なお、その完全な再現には成功していません。今日でも「ダマスカスナイフ」は作られています。しかしこれは、古代インドのダマスカスナイフとは違います。「現代のダマスカスナイフ」(画像出典: Wikipedia)現代のダマスカス鋼は、異なる金属を積層し鍛造して作られます。バウムクーヘンの様な構造で、表面には古代のダマスカス鋼に似た模様が表れます。しかし現代のダマスカス鋼には古代と大きな違いがあります。古代のダマスカス鋼は、再度溶かして固めると、再び模様が出ます。一方、現代のダマスカス鋼は、溶かすと二度と模様は出ません。失われた古代の技術。古代インドの人々は、私達が知らない何を知っていたのでしょうか。【 ダマスカスナイフ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.17
コメント(40)
にほんブログ村 驚きの高見彰七作品(高見観音)が発見されました。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の恩真寺(鈴木正三遺跡)です。住所は愛知県豊田市山中町曝田100。豊田市東部の山間部にあるため、私は自身の体調を考慮して現地確認を自粛しました。写真はFDG公式さんから、許可を得てお借りしました。お顔がやや他の高見観音とは異なる印象を受けます。しかしこの観音像は高見彰七の在銘です。銘は観音像の背面に直接刻まれています。昭和40年10月18日寄附者 〇〇〇〇高見彰七作吉浜善光寺本坊柳池院(リンク集2 No.6)も観音像に直接銘板が取り付けられています。ただし銘板に作家銘はありません。今回の高見観音は、像自体に作家銘が刻まれた初の発見例となります。FDG公式さん、ありがとうございます。高見彰七作品リンク集2に、No.17として登録させて頂く予定です。(リンク集) 「リンク集」年表にも追記しました。FDG公式さん、いつもありがとうございます。私もかなり知名度が低い神社仏閣にまで訪問していますが、その比ではない日頃の探索ぶりです。さすが地域で埋もれつつある文化財や歴史を探索する、FDG(フィールドディスカバリーゲーム)の活動だと思います。お陰様で様々な情報整理も進みました。近くご紹介致します。【 ジェラート 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.15
コメント(38)
にほんブログ村 ニュートンが没頭した錬金術。彼が追い求めたのは「賢者の石」の製法でした。賢者の石には「不老不死」と「万物を金に変える」力があります。ニュートンは万物の根源は「水銀」と「硫黄」と考えました。そして賢者の石は「賢者の水銀」から作られるとしました。そして彼が得た答えは、賢者の水銀は「アンチモン」であること。なぜかというと、アンチモンが「星状レグルス」とわかったから。しし座の最も明るい星「レグルス」。この星は天体の「王」とされます。一方、ワインには「酒石酸アンチモン」の結晶ができます。この結晶は「星状レグルス」と呼ばれていました。ニュートンは「星状レグルス」から「賢者の石」のヒントを得ようと、ワイン造りの研究に専念します。(画像出典: Wikipedia)なにか、わけがわからなくなってきました。つまり、万物を金に変える「賢者の石」は「賢者の水銀」、すなわち「アンチモン」から得えられます。アンチモンは王の星「レグルス」の名を冠した「星状レグルス」に含まれるから、ワインの研究が重要だったのです。整理してもよく理解できませんが、今日、美味しくワインが飲めるのは、錬金術師ニュートンのおかげかもしれません。とはいえ、錬金術は失敗。無理は無理。力押しでは駄目ですね。【 ワイン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.13
コメント(41)
にほんブログ村 ニュートンの万有引力やプリズムの発見。これらの業績の大部分は、当時のペストの流行を避けての疎開中になされました。では、彼が残りの時間を何に使ったかというと、それは「錬金術」や「オカルト」の研究でした。後年、人々はニュートンの前近代的・神秘的な研究者の側面を隠そうとし、彼の科学業績を称えた都市伝説を創作しました。猫専用の扉に付けた出入口「キャットドア」の逸話も都市伝説のひとつです。ニュートンは2匹の猫を飼っていました。猫の出入りのため、大きな猫用に大きな穴、小さな猫用に小さな穴の、2個の穴を扉に開けました。すると、大きな猫も小さな猫も大きな穴を通り、小さな穴を通る猫はいませんでした。偉人も思い込みから失敗することがある逸話として伝わりますが、ニュートンが猫を飼っていた記録はない、キャットドアは彼以前に発明されていたなど、この話は眉唾とする見解が多くあります。そもそもニュートンがこの様な失敗をするとは思えませんが、信じるか信じないかは、あなた次第です!【 キャットドア 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.11
コメント(40)
にほんブログ村 あれは青く晴れた空に、春風に吹かれて桜の花びらが舞う、まさにあなたのための日だったかつて、まだ幼い僕の手を引いての散歩道、あなたは僕に花の名前を教えてくれた本当に、あなたは花が好きな人だったあの春の日、僕は一輪の桜の花を手に、静かに眠るあなたに別れを告げた思うより大きく、思うより白い木箱の中に眠るあなた僕はあなたに、ともに消える桜の花を手渡したきっと届かない声で、僕はつぶやく「最期に見る花は桜だったね」あれから何度目の春だろう桜の花が咲くたびに、僕はあの日のことを思い出す【 桜 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.08
コメント(57)
にほんブログ村 岡山県玉野市 三宝院近くの化粧地蔵、続きです。本来、六地蔵は各々の地蔵が巡る六道によって、並び順や持物が決っているはずです。しかし持物は地方で様々。並び順もまちまちで、調べ出すと混乱します。化粧地蔵近くのストリートビューです。前の道を歩いていくと化粧地蔵があります。もちろん車は通れません。岡山県玉野市胸上1289祠は正面の白く見える細い道を入って数十メートル先です。手前にはおとなしそうな犬がお昼寝しているかと思いますが、近くを通るのでほえられます。あまりに細い道で分かり難いと思います。なぜこの化粧地蔵の場所がわかりやすいとされているのか、私には不思議に思えました。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その26)」【 岡山デニム ウォレット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.06
コメント(40)
にほんブログ村 岡山県玉野市 三宝院近くの化粧地蔵、続きです。祠の中には大小2体の座像もあります。大きな座像は真面目な表情。まっすぐこちらをご覧になっておられます。小さな座像は、少々お疲れなご様子。座禅ばかりでお辛いのでしょう。こちらは六地蔵。様々な持物を持ちです。次回は化粧地蔵近くの様子を、ストリートビューでご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その25)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その27)」【 児島デニム 帽子 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.04
コメント(38)
にほんブログ村 岡山県 児島半島の化粧地蔵探索。玉野市胸上の三宝院近くの化粧地蔵を紹介します。三宝院近くの化粧地蔵は「わかりやすい場所」と紹介されています。しかし私は見つけられず、三宝院のご住職に教えて頂きました。実はこの化粧地蔵、自動車では通れない道沿いにあります。Google mapのストリートビューもありません。後ほど近くのストリートビューでご紹介しますが、三宝院南西のため池の近くに化粧地蔵はあります。そこでは立像1体、六地蔵、座像2体の化粧地蔵が、しっかりとした祠の内部に祀られています。まずは立像のご紹介から。綺麗なお地蔵様ですが、なにかおかしい。よく見ると、視線があらぬ方向に向けられています。この視線の先には提灯がありました。綺麗な提灯に見とれておられるのでしょうか。視線をそらされると、願いごとを聴いてくださっているか不安です。願掛け中は、こちらをご覧頂けますように。次回は座像や六地蔵をご紹介します。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その24)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その26)」【 一輪挿し 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.04.02
コメント(42)
にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像 リンク集2「観世音菩薩像」更新しました。観音像はNo.15まで追記しましたが、後半は写真がまだ掲載できていません。新情報のご提供、ありがとうございました。これからも情報をよろしくお願いします。●【リンク集1「神馬」編】 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 「妙楽寺」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」【 桜アイス 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.31
コメント(41)
にほんブログ村 豊田市 野見御嶽神社の高見観音(無銘)の続きです。【前の記事】「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補)1」【前の記事2】「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補)2」この高見観音には、ひとつの謎があります。それは、この観音像の横に建てられた銘板です。名板には「しあわせ観音」とあります。さらに「昭和62年正月」とあります。2024年3月現在、昭和46年以降は在銘の高見彰七作品は見つかっていません。最新の高見彰七作品でしょうか?その答えは、やはり銘板にあります。銘板には「寄贈 松光院 石川宗法」とあります。つまり昭和62年に松光院から野見御嶽神社に移設されたわけです。当然、このしあわせ観音の製作年はそれ以前になります。近くの心学院も、庭松山 心学院でした。この付近には寺名に「松」が付く寺院は多くあります。松平家と所縁がある地域だからでしょう。しかし調べても、付近に松光院は見つかりません。おそらく松光院は廃寺になり、その際にこの高見観音は移設されたのだと推定されます。廃却されることがなく、本当に良かったと思います。【 訳ありバウムクーヘン 切り落とし1kg 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.27
コメント(58)
にほんブログ村 それでは、豊田市 野見御嶽神社の観音菩薩像の検討をします。【前の記事】 「野見御嶽神社の観音菩薩像(高見彰七 作品候補) その1」●全身の比較 身体を大きくねじる姿「流れ形」の観音像。 高見観音の特徴ですが、等身大・在銘の観音像は限られます。 その例として、豊田市 古瀬間御嶽神社の高見観音があります。 左:野見御嶽神社, 右:古瀬間御嶽神社 いかがでしょうか。 開いた胸元、肩口からの着物のライン、合掌の表現、 着物の裾までのライン、足元の表現などそっくりです。●お顔の表現 古瀬間御嶽神社の高見観音は高い台座の上にあります。 そのためお顔を見上げる形となり、比較が困難です。 そこでお顔は、半流れ形ですが在銘の 高浜市 吉浜人形前の高見観音と比較します。 左:野見御嶽神社, 右:吉浜人形前 野見御嶽神社は少し面長です。 それ以外、眉、鼻、目、口の表現は似ています。 着物の胸元の表現の違いは、流れ形と半流れ形の違いです。以上から、野見御嶽神社の観音像も高見彰七作品だと私は思います。高見観音初の多色塗装例となります。(ただし白一色の塗装例はあります)FDG公式さん、ご報告ありがとうございました。そしてブログへコメント下さった皆さん、ありがとうございました。大半の皆さんが「これも高見観音」とコメントされていました。もはや私の画像での検討は蛇足でした。さて、この野見御嶽神社の高見観音には、まだ面白い点があります。それについては次回、ご報告します。【 銀座 千疋屋 フルーツクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.25
コメント(39)
にほんブログ村 当ブログへ訪問頂いている皆さんも、すっかり高見彰七作品に精通されておられます。一目で高見観音の判別が可能なご様子で驚くばかりです。その皆さんへ、最高難度の高見彰七作品候補の登場です。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は先回ご紹介した高見観音(無銘)がある愛知県豊田市の心学院から徒歩圏内です。少し山を登った野見御嶽神社にそれはあります。写真の右側ですが、いかがでしょうか。スタイルは「流れ形」。等身大の大きな像です。彩色されているために、判別が難しい。しかもお顔も傷付いています。まずは皆さんで、高見観音か否かをご検討ください。もし高見観音であれば、初の彩色された高見観音の発見例となります。次回は私もこの観音像を検討します。【 三色だんご 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.23
コメント(38)
にほんブログ村 豊田市野見町の心学院には不動明王像もあります。これもセメント製です。【前の記事1】 「心学院の高見観音 その1」【前の記事2】 「心学院の高見観音 その2」彩色された不動明王像です。お顔はかなりラフな造り。背後から見ると、セメントが新しそうです。屋根で守られていたからかもしれません。高見彰七作品に類例がないレリーフ作品。新しく見えるセメント。以上から、この不動明王像が高見彰七作品か否か、判定ができません。みなさんは如何思われますか?【 冷凍:中華ごま団子(桜あん) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.21
コメント(42)
にほんブログ村 豊田市 庭松山 心学院(こころがくいん)の推定高見観音の特徴をご紹介します。【前の記事】 「心学院の観音菩薩像 その1」●高見観音の台座について 写真をご覧ください。 台座が何かおわかりでしょうか? 側面しか見えませんが、おそらく「石臼」だと思います。 庭の飛び石などでの石臼の流用はよくあります。 しかし観音像の台座に当初から石臼を予定するとは考え難く、 (1)他の寺院から移設された、 (2)高見氏が観音像を持ち込み、設置を依頼された、 の上記のどちらかと思われます。 (2)の例は高浜市の吉浜人形前にありますが、 しっかりとした台座があります。 従いまして推定ですが、この観音像は(1)移設だと思います。●観音像製作時の型枠の使用について 観音像の前後の接合部らしき箇所が経年劣化しています。 特に頭部から上半身には、明瞭な接合線がある様に見えます。 前後でセメントの材質が違う様にも見えます。 顔を繊細に造形するため、前面にはきめ細かいセメントを使い、 後部は強度を重視して骨材が多いセメントを使ったかもしれません。 ただそれでは、前後で乾燥時の収縮率が異なり、 接合部が割れやすくなりますが。 下半身にも接合線らしい線はあります。 ただし衣装の裾にも、前後の造形の不整合はありません。いずれも推定ですが、現地で見ると様々なことがわかります。【 バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.19
コメント(36)
にほんブログ村 高見彰七作品の新発見のお報せを頂きました。発見者は今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の心学院です。スタイルは「流れ形」、丸みのあるお顔立ち。検証するまでもなく、高見観音でしょう。やや眉が上がり、何かご不満があるかの様な表情です。台座を除いても、高さ120~130cmはあるでしょう。FDG公式さん、いつもありがとうございます。心学院のこちらの観音像も高見観音として登録させていただきます。次回は、この心学院の高見観音の特徴についてご紹介します。【 とろける生大福 さくら 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.17
コメント(38)
にほんブログ村 高見彰七作品候補発見の連絡を頂き、現地確認と検証を終えています。記事の準備を進めていますので、お待ちください。【 桜もなか 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.16
コメント(23)
にほんブログ村 近所の空き地に、白い花が咲いてひさしい。だれかの帰りを待つように、その白い花は長く咲き続けている。最近までこの場所には、家が建っていた。その家の高齢のご婦人は園芸が好きらしく、花が多い庭だった。ある夜、救急車のサイレンが響き、その家の前で止まった。赤灯の瞬きが周囲を照らし、やがて無慈悲な闇に包まれた。そして、その家は主(あるじ)を失った。家は空家になり、ほどなく建屋は壊され空き地になった。その後も空き地には花が咲いた。けなげに咲く花の姿には、花を愛した主の記憶があった。その花言葉は「誠実」だという。主のいない庭の片隅に、今年もノースポールの白い花が咲いた。【 月化粧 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.14
コメント(41)
にほんブログ村 岡山県南 児島半島 胸上地区東部の化粧地蔵探索、続きです。大きい化粧地蔵の座像は綺麗なお顔立ち。赤い衣装は「天然痘(疱瘡)除け」に由来する厄除けと言われます。さるぼぼ,くくり猿,赤べこなど、赤い縁起物は多いですね。特に子供が関わる縁起物や祭祀では赤色が多用されます。小振りな遊戯坐(ゆげざ)の化粧地蔵は化粧に乱れが……。なぜ遊戯坐という特有の座り方なのか、勉強不足でわかりません。この場所のストリートビューです。岡山県玉野市胸上1278地蔵堂の周辺は開けていますが、ここに到る道は細いのでご注意を。周辺には廃屋も多くありました。大きな商店や病院などからも離れ、自動車が使い難い細い道。住民が減少するのも仕方がないかもしれません。地域の子供達が化粧するという化粧地蔵。住民が減る中で、今後もこの風習が継承されるか心配です。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その23)」【 岡山デニム トートバッグ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.12
コメント(37)
にほんブログ村 岡山県南 児島半島の化粧地蔵探索。再び玉野市胸上地区に戻ります。場所は、岡山県玉野市胸上1278。祠の中に化粧地蔵があります。化粧地蔵は大小2体。大きな化粧地蔵の台座には、製作年が刻まれています。「寛政六寅 六地蔵尊 三月廿四日」つまり本来は、江戸時代寛政6年3月24日に六地蔵として祀られたようです。しかし今は2体のお地蔵様しかありません。小さな化粧地蔵のお顔立ちは少々怖め。仲間の地蔵様がいなくなりお怒りなのでしょうか。小さなお地蔵様は、座り方も独特で「遊戯坐」。その台座には、健康・厄除・豊漁などの御利益が刻まれています。六道を巡り、万人を救うお地蔵様。お地蔵様は皆さんのおそばにもおられ、御利益をくださることでしょう。では、お地蔵様から一言。ついて今夜、あなたの枕元に立つつもり……あなたに、ついて行っても良いですか?【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その22)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その24)」【 春のバウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.10
コメント(40)
にほんブログ村 現在確認済みの高見彰七の作品数を整理しました。無銘の推定作品、撤去された作品も含みます。●神馬: 6体 (宮口神社の神馬は撤去)●観音菩薩像: 17体 (割目池の地蔵菩薩も含む) (三好 森下交差点の観音像は妙楽寺に移設。 こちらに含めず、妙楽寺でカウント)●その他: 4体 (大狐,霊神像,釈迦如来像など)●妙楽寺の仏像群: 57体 (三好 森下交差点から移設の1体含む)◇◇◇ 合計 84体 ◇◇◇現状で84体とかなりの数になります。また大狐や大型観音像など、浅野祥雲にはない大型の作品もあります。一部の作品を除いては無塗装で劣化が見られること。知名度が低く、作品が安易に撤去されやすいこと。これらから、破損あるいは撤去された高見彰七作品も多いと思われます。廃棄、未発見の作品を含めると、高見彰七作品は100体を超えるのではないでしょうか。下記のリンクも、整理・登録を進めます。【リンク集】 「高見彰七作品」【 桜餅だんご 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.07
コメント(50)
にほんブログ村 ヒメオドリコソウの葉はなぜ赤く染まるのだろう。その疑問は、ヒメオドリコソウがシソ科の植物と知って納得した。ただその姿には、踊り子が舞う様な軽快さはない。幾枚も重なった葉は、分厚い冬服を重ね着して、寒風に耐える彼女のようだ。「ちょっと厚着をしすぎじゃないか?」オドリコソウにそう問いかけたなら。「だって寒くて、ほっぺが真っ赤じゃない?」春風のような笑顔で、君はそう答えるのだろう。【 クッキー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.05
コメント(42)
にほんブログ村 続いて、割目池の地蔵菩薩像の検討です。【前の記事1】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その1」【前の記事2】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その2」観音菩薩像とよく似た技法です。今回も比較として妙楽寺のコンクリート像群を参照します。妙楽寺には珍しい地蔵菩薩像があります。左は割目池、右は妙楽寺の地蔵菩薩像です。観音菩薩像と同様の共通点があります。加えて、服の襟の表現も似ています。一方で相違点は下記の通り。『相違点』 1)割目池の像は目が微笑んでいない 2)割目池の像は顔に丸み(下膨れ)がない 3)妙楽寺の像は耳が大きい妙楽寺には耳を大きく表現した像が幾つかあります。参拝者の願いを聴くという意味でしょうか。私は割目池の地蔵菩薩像も高見彰七作品と思います。おそらく初期の作品ではないでしょうか。【 ねこってる 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.03
コメント(38)
にほんブログ村 豊田市 割目池の検討、続きです。【前の記事】 「割目池の観音菩薩と地蔵菩薩 その1」まずは割目池の観音像の検討から始めます。比較として妙楽寺のコンクリート像群を参照します。これらは高見彰七作品と考えて良い仏像群です。「妙楽寺のコンクリート像」この仏像群は、それぞれが違う様で似ていると感じます。似ていると感じるのは、共通した特徴があるからです。では検証しましょう。左は割目池、右は妙楽寺の観音像です。まずは共通点を洗い出します。『共通点』 1)前髪の造形 2)円弧を描く眉 3)眉から鼻ㇸつながるライン 4)三角形の鼻 5)一本線で彫られた目 6)唇の造形 7)目、口、鼻、眉などの配置や大きさ 8)2重に珠状に表現された首飾り『相違点』 1)割目池の像は目が微笑んでいない 2)割目池の像は顔に丸み(下膨れ)がない つまり割目池の観音像は微笑んでおらず、凛々しいお顔をされています。この凛々しさは、初期の高見観音の特徴と私は考えています。造作を重ねるうちに、穏やかな表情に変わったのでしょう。これらから、私は割目池の観音像も高見彰七作品で間違いないと判定しました。如何でしょうか。【 福々ねこ煎餅 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.03.01
コメント(42)
にほんブログ村 再び、高見彰七作品候補についてのお報せがありました。今回も「FDG公式さん」からです。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は先日の愛知県豊田市の浄法寺の南方です。浄法寺から離れて割目池(われめいけ)という大きな池があります。その池のさらに南側、池の裏手に当たる住宅街に2体のコンクリート像があります。まずは皆さんもご覧ください。高見彰七作品か否か、判別の難しい作品です。観音菩薩像。頭の帽子からは地域の信仰がうかがわれます。こちらは地蔵菩薩像。高見彰七作品であれば珍しい作品例です。いかがでしょうか。次回以降で私も高見彰七作品か検証します。FDG公式さん、ありがとうございました。この場所は、私では確実に見付けることはできないでしょう。検証いたしますのでお待ちください。【 クッキー イラストプリント 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.28
コメント(40)
にほんブログ村 愛知県豊田市本新町4丁目の浄法寺。高見観音,鯖弘法の他にも、ここには珍しい石仏があります。次の石仏が何かおわかりでしょうか?そうです。1面ですが、この石仏は馬頭観音です。ただしこの馬頭観音には特徴があります。馬頭観音の頭部を上から見るとよくわかります。写真写りに難ありですが、頭部に馬ではなく牛がいます。牛になっている馬頭観音は時々あります。馬頭観音ではなく、「牛頭観音」と呼ぶ方もおられます。その由来を「牛頭天王(ごずてんのう)」に求める方もおられますが、道教まで関連付ける必要もないでしょう。以前、「豚」を供養した馬頭観音をご紹介しました。【馬頭観音の記事】 「豚を祀る馬頭観音」その馬頭観音は、大正時代の豚コレラの供養のための石仏でした。馬に限らず、牛でも豚でも、人と近い関係にある動物を馬頭観音は祀っています。その後、数百メートル離れた道沿いに、浄法寺の解説板を見つけました。解説板は浄法寺の南側にあります。(解説板は撮影していたのですが、見落としていました)弘法堂自体が、昭和10目㎜頃に本新町6丁目から移設されたとあります。弘法堂は光岡一統が建てたとあります。またその後、岡部一統の石仏とともに祀られたそうです。道標地蔵(みちしるべ)も今回の記事の1枚目の写真左側にあります。馬頭観音や鯖弘法は岡部一統が祀ったと思われます。この馬頭観音が浄法寺にあるのは、頭部が牛という珍しさが幸いだったのかもしれません。祀られる動物たち、そして祀った人の想いを偲べば、馬頭観音やその他の石仏が長く保護されることを願います。【 カステラプリン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.26
コメント(40)
にほんブログ村 愛知県豊田市本新町4丁目の浄法寺。ここには四国霊場八十八箇所ミニ周遊の石仏が並んでいます。しかし、浄法寺の四国八十八箇所周遊には奇妙な点が幾つもあります。奇妙なのは弘法大師の座像に紛れて、関連のない仏像が幾つも含まれていることです。先日ご紹介した高見観音(コンクリート像)もそのひとつです。注意深い方は、先日の高見観音の写真をご覧になり、気づかれたかもしれません。お分かりでしょう。高見観音の横に、鯖弘法(鯖大師)が立っています。四国霊場には「鯖大師本坊」があり鯖弘法が祀られています。だから四国霊場八十八箇所周遊に鯖弘法があってもおかしくはない。そう思われるかもしれません。ところが、「鯖大師本坊」は四国別格霊場 第4番札所です。「別格」は四国霊場八十八箇所に含まれません。もし別格も祀るなら、別格二十箇所もなければなりません。しかしあるのは別格第4番札所のみです。さらにこの鯖弘法の台座も、他の八十八箇所の石仏と異なります。形の異なる台座に「三好〇字黒笹(〇は町?) 六十二番」と、浄法寺のある豊田市とは別の地名が刻まれています。この鯖弘法は、三好町黒笹から移設されたのでしょう。よくあることですが、お寺の御住職が趣味で仏像をコレクション、いやもとい、貴重な仏像の保護のために集める場合があります。この鯖弘法も、四国別格霊場二十箇所巡りの中から、鯖弘法だけが移設・保護されたものと推定します。そうすれば、皆さんも予想されるでしょう。その通りです。この場所には、さらに珍しい石仏もあります。次回はその石仏をご紹介します。【 季節限定 いちごモンブラン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.24
コメント(40)
にほんブログ村 早くも道端に青い小さな花が目立つようになってきた。早春に咲く花、オオイヌノフグリだ。オオイヌノフグリは、他の植物との争いを避けるように早春に咲く。逃げるように咲くけれど、オオイヌノフグリは強い。その茎や葉は繊毛で覆われ、霜や雪にも強い。寒さに耐える力があるからこそ、早春に群生できる。まだ少ない虫たちの助けが得られなくても、オオイヌノフグリは数百の種を作り増えてゆく。他の植物が茂る夏の間、オオイヌノフグリは種の姿で、暗い土の中、この早春を待っていた。春に向けて、その準備は進んでいた。また1年が過ぎ、間もなく春になる。オオイヌノフグリが生きる努力をしていた間、私はなにをしていたのだろう。【 春限定 さくら抹茶大福 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.22
コメント(41)
にほんブログ村 ネットで高見彰七情報を検索していました。すると1年ほど前から、Youtubeで高見彰七作品の動画を掲載されている方がおられるのに気づきました。「ひでぽん」さんという御方で、高見彰七作品も取り上げられています。動画は周囲の様子もよくわかりますのご紹介させて頂きます。【(1)愛知池など】 【(2)吉浜人形など】 【(3)福田神明社など】 【(4)三好稲荷閣など】 特に動画(1)「愛知池など」には、下記の貴重な情報がありました。「以前、宮口神社近くの旧153号線沿いの民家に、 たくさんの動物や人物の置物がならべてあった。 それが高見さんのお宅だったのかも? TVでも取り上げられていた。今はその家ももうない。」高見彰七氏のご親族が今は宮口におられないとすれば、宮口神社の神馬(高見彰七作品)があっさりと撤去された理由も納得できます。高見彰七作の謎に迫る重要な情報です。「ひでぽん」さんは私のブログもご覧頂いているご様子。上記の動画のコメントが何年頃だったか知りたいと思います。こちらのブログは、楽天ブログユーザーしかコメントできません。「ひでぽん」の動画か、X(旧Twitter)からコメント頂けるとありがたいのですが。【 ひなまつりのケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.20
コメント(45)
にほんブログ村 豊田市本新町の浄法寺の高見観音からは興味深いことがわかりました。【前の記事1】 「浄法寺の高見観音 その1」【前の記事2】 「浄法寺の高見観音 その2」浄法寺の高見観音を見て気づいたのは、その製法についてです。大型の高見観音については、最低でも前後2個の型枠を使って製作されたらしいことは以前に考察しました。【大型像の製法】 「豊田市中町の子安観音像」小型の観音像については未検討でしたが、浄法寺の高見観音にはわかりやすい特徴がありました。●浄法寺入り口 路傍の観音像この観音像には、前後中心線で縦に合わせ目があります。ただ、前半分を型枠で作り、後ろ半分を手作業で肉盛りした可能性もあります。しかし、この像の足元付近をご覧ください。裾の模様が前後で合っていないことがわかります。前後とも型枠を使わなければ、こうはならないでしょう。●浄法寺 四国八十八箇所周遊並びの観音像この観音像にも前後の合わせ目の様な痕があります。ただし、前半分を型で作り、後を手作業肉盛りした可能性もあります。仮に型を使って製作しても、つなぎ目は生乾きの段階で手作業で修正するのが普通でしょう。着物の模様がずれたままというのも不思議です。セメントが完全に乾燥するまで型に入れていたのでしょうか。前後とも型、あるいは前のみ型枠使用。いずれにしても、小型の高見観音でも型枠が使われた可能性があると推定しました。皆さんは如何思いますか?【 薄皮鯛焼き 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.18
コメント(40)
にほんブログ村 豊田市本新町の浄法寺の調査、続きです。【前の記事】 「浄法寺の高見観音 その1」FDG公式さん新発見の高見観音を確認でき大満足。ついでにと、高見観音像背後の石像を見ることにしました。ここにあるのは珍しく四国八十八ヶ所ミニ周遊です。三河地区に多い西国三十三観音ミニ周遊ではありません。ですので、観音像ではなく、弘法大師の座像が並んでいます。しかしよく見ると、その中に一体の立像があります。しかもそれはセメント製、コンクリート像です。風化はしていますが、こちらも高見彰七作品でしょう。高さ70~80cmと、浄法寺のもう一体の高見観音より小振りです。野ざらしではないためか色白な観音様。正面にまっすぐ立つ「直立型」です。こちらも無銘ですが、推定 高見観音として登録です。次回、浄法寺の高見観音について考察したいと思います。【 信玄桃 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.15
コメント(58)
にほんブログ村 再び、高見彰七の観音菩薩像新発見のお報せがありました。今回も「FDG公式さん」の新発見です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」場所は愛知県豊田市の浄法寺です。住所は豊田市本新町4丁目。浄法寺はこじんまりとした見つけ難いお寺です。入り口もわかり難く、お寺の東側が入り口。観音像も東側の細い道沿いにあります。Google mapでも付近を「寺」で検索しても浄法寺は出てきません。「浄法寺」と検索すると見つかります。観音像は身体をねじった「流れ型」。高見彰七作品の典型的な姿です。高さは120~130cm程度。下膨れのお顔立ちも特徴的。ただお顔にヒビが入り、このままでは破損の恐れがあります。無銘ですが、今回の観音像も高見彰七作品とみなせると思います。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。FDG公式さん、ありがとうございました。また、さらに新発見がありますし、考察もしたいと思います。次回以降で御紹介したいと思います。【 陶器の雛人形 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.13
コメント(40)
にほんブログ村 今回ご紹介した岡山市南区小串地区の化粧地蔵。こちらは珍しくgoogle mapでも「化粧地蔵」と表示されます。やはり口元が印象的。投げキッスでもされそう。よく見ると、緑の蛍光色が頭の周囲に塗られています。後光の表現でしょうか?ともかく、この場所のストリートビューを表示します。岡山県岡山市南区小串大きな道路(県道74号)沿いにあり、見つけやすい化粧地蔵です。化粧地蔵探しの入門編としても良いでしょう。ただし他の地域の化粧地蔵とは少し離れます。それが残念な点でしょう。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その21)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その23)」【 岡山デニム スマホポーチ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.11
コメント(38)
にほんブログ村 岡山県南の児島半島を海岸に沿って北東に移動します。すると、今まで化粧地蔵を見てきた玉野市をわずかに外れ、岡山市南区小串地区に入ります。小串は児島湾の入り口にあたり、江戸時代には港町として栄えました。小串港は岡山藩の米蔵が置かれ、多くの回船が訪れました。そのため京文化の影響を受けたためか、この地にも化粧地蔵があります。小串の化粧地蔵は道路沿いのわかりやすい場所にあります。化粧地蔵は大小2体、祠の中にあります。鮮やかな配色が印象的なお地蔵様。大きな化粧地蔵は錫杖を持ち、口紅を塗った様なお化粧。小さな化粧地蔵は、ややリアルなお顔立ち。化粧地蔵には、花や水も供えられていました。大切に守られているとわかる化粧地蔵でした。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その20)」【次の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その22)」【 岡山白桃レアチーズムース 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.08
コメント(55)
にほんブログ村 椿の花が落ちていた花ごと落ちるその様を、忌むべき姿と人は言う美しい姿のままでの哀しい別れを、人は望んではいない痛い氷雨にさらされ、冷酷な寒風に引き裂かれ美しかった花色は褪せ、花びらを落としてなお生きることを花は強いられることもある傷ついても、辛くても、花はそれを語る術を持たないそれ故に哀しい椿は、美しい花のまま落ちることを選ぶだが、人には語る術も、頼れる友もいる耐え難いほどに傷ついたなら、支えを求める生き方もある人は椿ほどに孤独ではないひとり落ちることを選ばなくとも、生き抜く術は必ずあるある漫画家の訃報に想いを馳せながら美しいまま落花した、椿を空しく見つめていた【 湯呑 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.06
コメント(40)
にほんブログ村 久しぶりに、高見彰七の観音菩薩像に新発見のニュースがありました。今回の情報も「FDG公式さん」から頂きました。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」新発見の観音像は、愛知県刈谷市の野田八幡宮近傍にありました。野田八幡宮の駐車場端に忠魂碑があり、その傍に地蔵堂があります。観音像はその地蔵堂の裏に隠れる様にしてありました。写真でも地蔵堂の後に、観音像が小さく見えています。今も信仰の対象らしく、観音像には花が供えられています。作家銘はありませんが、典型的な高見観音の容姿です。高見彰七作品らしいお顔立ちです。ただ、かなり風化しています。小さな観音像ですが、見下ろすような前のめりの姿勢です。野田八幡宮はこの地区では最大級の神社。私も訪れていましたが、完全に見逃していました。観音像の場所は刈谷市南部生涯学習センター「たんぽぽ」の前、野田八幡宮駐車場から赤い鳥居を潜らず、左に行くとあります。この場所はまだ野田八幡宮の境内なのかもしれません。鳥居前、駐車場脇でもあり見逃していました。ごく近くに、昌福寺の高見観音(リンク集第2集「観音菩薩」編 No.2)もあります。昌福寺の高見観音は作家名在銘です。【昌福寺の高見観音】 「観音菩薩編 No.2」今回の観音像も高見彰七作品とみなして良いでしょう。高見彰七作品リンク集に登録させて頂きます。FDG公式さん、ありがとうございました。【 観音菩薩像 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.04
コメント(40)
にほんブログ村 疲れがたまる週の後半。癒しが欲しくなります。【 とろなまチョコ バウムクーヘン 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.02.02
コメント(43)
にほんブログ村 不動明王像と毘沙門天像が好評でしたので、アップでご覧ください。不動明王像毘沙門天像【記事1】 「東陽寺1 (青面金剛)」【記事2】 「東陽寺2 (役小角)」【記事3】 「東陽寺3 (不動明王・毘沙門天)」【記事4】 「東陽寺4 (毘沙門天と邪鬼)」不動明王像と毘沙門天像を対にして祀る例は比較的あるようです。*****さて、久しぶりに「高見観音 新発見」のおしらせがありました。現地確認もできましたので、準備ができ次第、ご紹介したいと思います。【 バレンタイン チョコ 猫ラベル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.01.31
コメント(37)
にほんブログ村 興楽山東陽寺へなぜ訪れたのか。今回は、その理由をご紹介しましょう。愛知県日進市の興楽山東陽寺のご紹介記事【記事1】 「東陽寺1 (青面金剛)」【記事2】 「東陽寺2 (役小角)」【記事3】 「東陽寺3 (不動明王・毘沙門天)」東陽寺には、毘沙門天像を観に行きました。正しくは、観たかったのは毘沙門天像の足元です。毘沙門天が何かを踏んでいるのがおわかりでしょうか。毘沙門天像は、しばしば邪鬼を踏みつけています。その邪鬼がとてもユーモラスです。この邪鬼は、とてもしぶといのでしょう。踏みつけられても頭を上げ、起き上がろうとしている様に見えます。私はこの邪鬼をgoogle mapの写真で知りました。一目見て会いたくなり、東陽寺を訪れた訳です。この嗜好が共感頂けるかはわかりませんが、それがkopanda06、この私です。【 鬼滅の刃 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.01.28
コメント(46)
にほんブログ村 愛知県日進市の興楽山東陽寺のご紹介。【記事1】 「東陽寺1 (青面金剛)」【記事2】 「東陽寺2 (役小角)」東陽寺には、不動明王像と毘沙門天像もあります。綺麗に彩色されていて、ガラス戸越しに屋外から見ることができます。炎や持物の剣が特徴的な不動明王像。宝棒と宝塔を持ち、独特の姿勢を取る毘沙門天像。毘沙門天は、別名では多聞天。実は私が東陽寺を訪れた理由は、この毘沙門天像にあります。その詳細は次回の記事で。【 2024年 ピーターラビット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.01.26
コメント(48)
にほんブログ村 愛知県日進市の興楽山東陽寺のご紹介が滞っていました。先回の「青面金剛」に続き、今回は「役小角(えんのおづぬ,役行者)」をご紹介します。【前の記事】 「東陽寺1 (青面金剛)」以前、役小角の石像をご紹介した際、意外に東日本では役小角の知名度が低いことを知りました。奈良など関西地区では知名度が高いので意外でした。東陽寺にも役小角の石像はあります。長頭巾、顎鬚、高下駄、腰掛けた座り方。特徴が多く、すぐに役小角とわかります。この役小角の石像は珍しく着色されています。役小角は7〜8世紀に奈良県を中心に活躍した修験道の開祖です。実在の人物とされますが、その生涯には後世の脚色が多く、超人的な行いが多々伝わっています。伝説では役小角は孔雀王の呪術を使い、雲に乗り空を飛んだとあります。さらに鬼神を従わせ、意のままに操ったと言われます。修験道の寺院に限らず、愛知県でもしばしば見かけます。わかりやすい仏像ですので、ご近所でも見つかるかもしれません。【 節分福鬼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.01.24
コメント(36)
にほんブログ村 寒風が吹く中、スイセンが咲いていた。スイセンはうつむいて花を咲かせる。その姿からスイセンは、ギリシャ神話の美少年ナルキッソスに例えられる。ナルキッソスは水面をのぞき込み、そこに映る自身の顔を見た。その美しさに恋した彼は、自身に恋して水面に手を伸ばす。その結果、彼は水中へ落下して命を落としてしまう。このギリシャ神話に由来して、スイセンの花言葉は「うぬぼれ」。スイセンの花がうつむいているばかりに、ひどい花ことばだ。冬に咲く花は多くはない。淋しそうに咲くスイセンの姿は、うぬぼれからは程遠い。震災の報道を耳にするからだろうか。スイセンのうつむく姿は、私には孤独と寒さに耐え偲ぶ被災者の姿にしか見えない。【 ノリタケ 福袋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.01.22
コメント(44)
全3618件 (3618件中 1-50件目)