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にほんブログ村 判じ絵(はんじえ)は、江戸時代の駄洒落。洒落の効いた絵で言葉を示します。例えば、次のかえるの絵。「ガマ」が「茶」を入れています。これで「茶釜」の意味になります。それでは、動物の絵を中心に、判じ絵をご紹介します。みなさん、意味をお考えください。「1」「2」「3」「4」わかりましたか?まず、1番目。「歯」が「さかさの猫」の上にあります。だから、「は・こね」で、「箱根」になります。2番目は、「台」の上できつねが「こん」と鳴きます。だから。「だい・こん」で「大根」。3番目は、「さる」の上半身と、「とら」の上半身に濁点。「さる」の上半分の「さ」と、「とら」の「と」に濁点。「さ・ど」で、「佐渡」。4番目は、「つる」の上の「つ」、「井」の「い」、「た」が「手」に。「つ・い・た・て」で、「衝立」。いずれの絵も、下記のリンクからご紹介しました。【判じ絵】 「判じ絵」判じ絵で、頭の体操。気分転換にどうぞ< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2016.08.23
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にほんブログ村 豊田市千足町の行者堂。以前散策で この行者堂までは来ていました。あと数800m北に歩けば 高見観音があった 観音院ですが以前の散策では この場所から300mで近くに見えている 三中山 松元寺に向かって 東に進みました。その後は 八幡社に到着で高見彰七の神馬を見つけましたので 結果として良かったわけですが。この行者堂も紹介する機会がなかったと思いますので 今回紹介します。当時は彩色された石像に 特に関心を持っていませんでしたので 紹介しなかったと思いますが こちらの役小角は彩色されています。天保二年4月7日と書かれています 。愛知県では役小角や観音像に 彩色する例が見られます。積極的には会いに行きませんが 機会があれば紹介するかもしれません。 (記事: 音声入力 )【 神戸魔法の生チョコザッハ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.22
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にほんブログ村 カワセミやサギなど、野鳥の記事などを書かれてるmogurax000さん。先日、珍しいカワセミの行動が写真で紹介されていました。それは下記リンク先の「カワセミの挨拶行動」です。【カワセミのおじぎ】 「mogurax000さんの記事」2羽のカワセミが、交互に頭を下げたり、上げたり。mogurax000さんの写真を一部お借りして、以下でご覧ください。まるで挨拶の様で微笑ましい習性。そう思い、カワセミの挨拶行動の意味を調べました。すると意外なことがわかりました。カワセミの挨拶行動は”ナワバリ争いのケンカ”でした。YouTubeに動画もありました。(注意。音が出ます)挨拶と思うのは、ヒトの勝手な思い込み。人のものさしで生物の行動を見てはいけない。あらためて、再認識しました。mogurax000さん、貴重な記事をありがとうございました。【 キーホルダー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.09.25
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突然ですが、この湯呑をご存知でしょうか?左が上から見たところ、右が裏の高台です。 1年ほど前に入手した、この湯呑。シーサが面白いものの、使いにくい湯呑として保管していました。底の穴は、焼成時の割れを防ぐためと思っていました。しかし、この湯呑の正体が、突然に判明したのです。話は変わりますが、紀元前1世紀ごろの古代ギリシアに、ヘロンという偉人がいました。数学のヘロンの公式や、蒸気機関を利用した自動ドアなどの数々の発明を生み出した人。まるで200年以上生きたかのように語られる、謎の人物でもあります。そのヘロンの発明のひとつに、「戒めの盃」があります。それは、サイフォンの作用を持つU字パイプがついた盃。ある深さまでは、水を注いでも何も起きません。しかし水を入れすぎると、一気に水が流れ出し、盃が空になります。サイフォンの原理によるこの盃。面白いので、ストローと紙コップで自作しようかと考えていました。しかし、そこで「八分茶碗」という名を知りました。沖縄の「八分茶碗」は、別名「教訓茶碗」と呼ばれます。写真を見て驚きました。まさにそれが、私の持つ謎のシーサの湯呑だったのです。さっそく、水を注ぎます。ある深さで、急に底からあふれ出し、空になってしまいます。そして、これが「八分茶碗」であることが、実証されたのです。用途の分からない物を持っていること。今までシーサがサイフォンであることに気づかなかったこと。八分以上に水を入れたことがなかったこと。ご指摘の箇所は、満載ですね。もし知らずに、お茶やお酒をたくさん入れていたら大惨事になるところでした。何事も八分目が良いという、戒めの茶碗の教え。コレクションも、ほどほどにということなのでしょう。しっかりと教えられ、そして危うくだまされるところでした。2000年以上を越えた、ヘロンの悪戯に。【参考】 「戒めの盃の原理」
2008.07.20
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にほんブログ村 豊田市 観音寺の 高見観音を見た後 少し南下すると八柱社があります。少し長めの階段を上ると 途中に人影が見えてきます 。 その人影は階段を下りている いや正確には階段から外れて坂下っています。よく見るとその人影は石像です。そして 本を熱心に読むその姿は 二宮尊徳さんです。勉強熱心なのは良いですが 下り坂で本を読みながらは感心しませんね。安全第一でお願いします。拝殿に着きました。さらに階段を上ります。本殿に付き 階段を降り帰ることにします。まだ 二宮尊徳さんはおられました。ただ 人にあらざぬものという感じがします。お声がけすることなく 帰ることにしました。長い下り坂が少し怖い。行きはよいよい 帰りは怖い。二宮尊徳さんにも出会う機会は少なくなりました。もうあの方とは住む世界が違うのかもしれません。 (記事: 音声入力 )【 クリスマスケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.19
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国立西洋美術館に眠る、贋作のルノワール。1962年、川崎市のデパート美術展から、ルノワールの「少女」が盗まれました。所蔵者は経済企画庁長官、藤山愛一郎氏。有名政治家の所蔵するルノワールが盗まれた。そのニュースに、人々の注目が集まりました。さらに藤山氏は、絵が戻れば国立西洋美術館に寄贈すると発表。犯人に作品の返却を呼びかけます。しばらくして、トラックから投げ込まれた絵が見つかります。犯人も怖くなったのでしょう。しかし事件はこれからでした。実はこの「少女」の絵には、以前から贋作との声がありました。その様な絵でしたが、事件が有名になりすぎて美術館も後に引けません。もし美術館が断れば、藤山氏の面目も丸つぶれ。結局、西洋美術館は「少女」を引き取りました。その後の1969年、滝川太郎という人物が、ルノワールの贋作を多量に作製していたことが発覚します。いわゆる「滝川製ルノワール」で、その数は200点を超えました。そしてあの「少女」も、まぎれもない「滝川製ルノワール」でした。政治家の名誉。マスコミの報道。これらは、国立西洋美術館の判断ですら誤らせました。あの事件から50年近く。国立西洋美術館で「少女」が展示されたことは、一度もありません。【参考】 長谷川徳七,「画商の眼力」,講談社,2009年,235P
2009.06.15
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名古屋市の久国寺にいあるのは、岡本太郎の梵鐘だけではありません。浅野祥雲の観音像があることも、愛好家の皆さんの間で有名です。浅野祥雲は、コンクリート製の像を多数製作したことで知られています。「浅野祥雲って誰?」という方、桃太郎神社や関ヶ原ウォーランドのコンクリート像なら、中部圏在住者はご覧になった方も多いでしょう。これらの多数の像の作者が、浅野祥雲です。【桃太郎神社】 (画像はウィキペディアから)【関ヶ原ウォーランド】 (画像は関ヶ原ウォーランドH.P.から)いかがでしょうか?B級感があるユニークな像ですね。では、久国寺の浅野祥雲作の観音像をご覧ください。大きくて、コンクリート製としては精緻な像。久国寺では浅野祥雲の作品もお見逃しなく。 【楽天商品: 2020年イヤープレート】
2019.12.07
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この場所は愛知県の岩崎御嶽社の本堂に向かって右側を下った場所にありました。逆光で露出を補正しているので明るく見えますが、薄暗い木陰になります。不動明王様は、今日もお怒りです。不動明王様を見つめていると、なにか視線を感じます。視線は左から??えっっ!!にらまないでください。なにも悪さはしていません、・・・たぶん、まだ。今度は逆から視線が・・・。・・・・・・。すみません。そんな目で見ないでください。もう帰りますから・・・。このコンクリート像、帰宅後調べると、やはり浅野祥雲さんの作品と推定されているとのことでした。作風からも、たしかに浅野祥雲さんの作品でしょう。東海地区に800体はあると言われる、浅野祥雲さんの作品。作風ばかりではなく、その無銘の作品探しも魅力です。無数の石像に囲まれて、若干の悪寒とともに、霊山で作品探しをしてみませんか?【日記1】 「石だらけの霊山は難所です - 岩崎御嶽社1 -」【日記2】 「不思議スポット『穴不動』 - 岩崎御嶽社2 -」【楽天商品: 猫は衆生を救う】
2020.01.20
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こちらの弘法大師像は、愛知県のJR春日井駅傍にありました。駅傍とはいえ、駅北口から見て右斜め前の道を入ったビル陰で、分かりにくい場所にあります。昭和7年建立のこの像は、浅野祥雲氏の作品と語られます。この場所は正栄寺とありますが、寺の建物はありません。訪問した際、女性がひとりでこの場所を整備していました。この像ができて間がない子供の頃、亡きご主人と遊んだ思い出がある場所とのことでした。一時期この像は、駅前の再開発で撤去が検討され、なんとか保存され残りました。平成19年には保守され、その時は地域の皆さんで寄付したそうでした。「誰かこの地の管理の跡を継いでくれればよいけど・・・」そういう女性に、「最近この像は知名度が上がっているから大丈夫」と私は答えました。しかし、女性は黙ったままでした。「弘法大師様の右手の細い道から裏に廻れる。 そうしたら、像の台座の下の御堂に入って、小さな大師様が見れる。」そう、女性は教えてくれました。「私は脚が悪くて、もう裏には行けないけど・・・」そういう女性にお礼を言って、細く荒れた砂利道を裏に回りました。御堂にはたくさんの大師様。地域の皆さんからの寄進仏の様でした。御堂内の大師様に一礼、そして振り向くと、一歩一歩確かめながら、ゆっくりと家路に向かう、あの女性の後姿がありました。【楽天商品: ねこの日の本日、劇場アニメ化「ねこねこ日本史」】
2020.02.22
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あの顔が忘れられません。名古屋市緑区の姥子山。住宅地の道路沿いに、3体の浅野祥雲の作品があります。弘法大師像は、祥雲の作品でも際立って完成度が高い像。台座の銘から、個人の依頼で銀婚記念に建てられたことがわかります。昭和7年建立。不動明王像も祥雲らしい作品。気になるのは一番左側の像。真っ白な顔が怖い。姿勢からは、弁財天像と思われます。姥子山の像は個人の管理なのか、保存状態がよくありません。それは、弘法大師像の台座を見ても分かります。コンクリートの外壁は崩れ落ち、鉄筋の心材がむき出しになっています。このままでは鉄筋が錆びて朽ち、像は崩落することでしょう。あの白い顔の弁財天は物言えず、崩落の危険を告げているに違いありません。そう思うと、怒りの表情に見えた白い顔が、いつしか悲しみを耐え忍ぶ、苦悩する忍耐の表情に思えてきました。【楽天】
2020.04.13
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愛知県日進市の岩崎御嶽山。石仏だらけのその地を離れ、奥の院へ徒歩で向かいます。岩崎御嶽山の小山を降り、隣山の山頂を目指します。上りばかりで移動は大変です。途中、浅野祥雲作品らしい軍人像もありました。奥の院の浅野祥雲作品候補を紹介します。獅子は如何にも、浅野祥雲作品と思います。浅野祥雲作品か?さて、如何でしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・※ 愛知のおいしい えびせんべい【 坂角総本舖・ゆかり 】にほんブログ村
2021.01.21
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キリシタン灯篭に疑問を持つ私。その中で、”本物”とされるキリシタン灯篭に出会いました。愛知県知多郡東浦町の越境寺(おっきょうじ)。そこには東浦町指定文化財の、いわゆる公認の切支丹(キリシタン)灯篭があります。それは一見普通の灯篭です。織部灯篭の形ですらありません。竿・笠ともに天城石製。竿長は90cm、胴回りは100cmから105cmで上部が太くなっています。上に乗る笠は高さ38cmです。この灯篭は、明かりを点すと真の姿が現れます。光を通して現れるのは、十字架。その十字架の大きさは、縦17cm、横13cm。この灯篭は、徳川家康の関東移封の際、共に従い相模玉縄城主となった水野忠守に保管を頼まれたものと伝わります。キリシタン灯篭と鑑定されたのは昭和40年。キリシタン灯篭研究家で鳥取民俗美術館長の松田氏により認定されました。この灯篭は越境寺に参拝しても、簡単には見つかりません。写真の本堂の裏側の木陰に、隠される様にありました。灯篭の傍には説明書きもあります。あくまで姿を隠そうとする様子。いかにもキリシタン灯篭らしいと感じました。【キリシタン灯篭の記事】 「キリシタン灯篭はどれでしょうか? 」【 邪教のあかし 】
2020.10.03
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生みの親に確証がないというのは、寂しいものです。そして会ってくれる人も少ないとしたら、なおさらでしょう。聖願寺の境内、本殿裏の石仏群とともに待つ者達がいます。その者達は浅野祥雲の作品”だろう”と言われます。作者の銘が確認できませんから、正確な作者はわかりません。聖願寺は以前紹介した、 名古屋市緑区姥子山の弘法大師像の傍にあります。弘法大師像からは、歩いて数分の距離です。【名古屋市緑区姥子山の弘法大師像】 「あの白い顔がわすれられない」制多迦童子様は、やはりこちらを見ています。でも怖い目ではありません。矜羯羅童子様は少し遠い目。やはり寂しいのでしょうか。弘法大師様もおられます。作風から、浅野祥雲の作品で間違いはないでしょう。これらの寂しい者達に、だれか会ってあげてください。【持ち物には名前を】
2020.10.07
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にほんブログ村 円空仏で有名な、名古屋市中川区の荒子観音寺。ここは前田家の菩提寺で、前田利家が本堂を再建したと伝わります。また、尾張四観音のひとつのここには、多くの円空仏があることで知られます。理由は、1676年頃に、円空が荒子観音寺に滞在したためです。日本の円空仏5374体のうちの4分の1以上の1255体が、ここにあります。特に山門の仁王像2体は、日本最大の円空仏です。仁王(阿像)は1676年の円空作で、高さ321.3cm。仁王(吽像)は1676年の円空作で、高さ305.7cm。最大の円空仏を見て、思うこと。円空のほとけさまは、ほどよい大きさが、いとおしい。・・・・・・・・・・・・・・・・毎月第2土曜日の午後、所蔵の円空仏が公開されています。拝観料500円で写真撮影不可ですが、詳細な説明もあり、一見の価値があります。当時は私も説明の方に質問などもしましたが、今は行動自粛で公開があるかもわかりません。事前にご確認ください。・・・・・・・・・・・・・・・・【 円空 】 にほんブログ村
2021.03.02
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にほんブログ村 リンク集更新 2025年7月24日掲載数 計116体●【リンク集1「神馬」編】 掲載数9体 (+参考2体) 「高見彰七 神馬編」●【リンク集2「観世音菩薩」編】 掲載数42体 「高見彰七 観世音菩薩編」●【リンク集3「その他」編】 掲載数8体 「高見彰七 その他」●【妙楽寺の仏像群】 掲載数57体 「妙楽寺」 「妙楽寺 追記」●【消失作品】 残念ながら消失・所在不明となった作品 計10体 「消失作品」●【年表】 「高見彰七 製作年 (年号記述があるもののみ)」●【高見彰七氏とは?】 「高見彰七の真実1」 「高見彰七の真実2」 「高見彰七の真実3」 「250体はなぜ消えた?」【 幻のチーズケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.12.16
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にほんブログ村 愛知県の五色園には、人知れず森に埋もれた像もあります。そのひとつ日光菩薩がある場所をご紹介しましょう。この像は意外にも、五色園で最も有名な「信行両座」の近くにあります。まずは「信行両座」のお話から。法然上人は、門弟たちに「信不退」と「行不退」のどちらの考えかを問いました。「信不退」とは、弥陀の本願を信じるだけで不退転が得られるという考え。「行不退」とは、信じるだけではだめで、念仏の行が必要とする考え。ほとんどの門弟たちは、「行不退」を支持しました。そこにひとり、遅れて駆けてきた門弟がいます。その門弟は、熊谷蓮生房。とても真剣な表情です。彼は迷わず、皆と違う「信不退」を支持しました。一同の意見がそろった後で、法然が自身の考えを述べました。「私は”信”である」と。それを聴き、門弟たちは”行”を支持した浅はかさを恥じたそうです。****さて、冒頭の日光菩薩は、この信行両座の後方を右の森に入るとあります。道なき草地に踏み入れて、森を目指します。草で隠れた足元には、マムシがいるかもしれません。穴があったり、沼地かもしれません。それでも信じて森を目指します。すると突然、けもの道が現れ、この日光菩薩に出会います。今回のコンクリート像も、すべて浅野祥雲の作品です。五色園にも、私が出会っていない浅野祥雲の作品がまだ森に埋もれています。楽しい探索ですが、やはり危険です。探索は、ほどほどに。【日記1】 「魅力的なコンクリート像 ― 五色園 ―」【日記2】 「夏は厄介です ― 五色園2 ―」【日記3】 「踏みつけては駄目です ― 五色園3 ―」【日記4】 「迷う道で救いの手が ― 五色園4 ―」【日記5】 「名古屋の心霊スポット ― 五色園5 ―」 【楽天商品: ひょっこり】 < ↓ ランキングクリックはこちらから ↓ >にほんブログ村
2020.02.04
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愛知県犬山市の成田山。そこには茶色一色に塗られた、数多くの浅野祥雲作品があります。場所は成田山入り口にある、駐車場前の丘。斜面に五大明王と八大童子の、計14体が置かれています。茶一色で塗られると、まるで陶器製の仏像の様です。斜面に階段があり、比較的近くで見ることができる仏像もあります。牛の乗る大威得明王。倶利伽羅明王は独特のデザイン。阿耨達童子は龍に乗ります。やはり、金剛夜叉明王は目を惹きます。成田山の本殿に向かおうともせずに、ひたすら写真を撮り続ける私。駐車場前ですから、車中からの冷たい視線が私の背中に刺さります。長々と撮影後、私はようやく本殿への階段を上がります。目的は、次の浅野祥雲作品。実は成田山には、さらに37体の浅野祥雲作品があります。その紹介は、またいつか別の機会に。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※コンクリート像と下記の陶器(せっ器)をくらべてみましょう【 常滑焼 / 備前焼 (木南知加選) 】 にほんブログ村
2020.11.03
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にほんブログ村 「FDG公式さん」が発見された矢作川橋近傍の推定・高見観音。現地確認の結果、私の見解の誤りに気づきました。幾つか訂正点が在りますので、現地確認の経緯も含めてご紹介します。私は名古屋鉄道本線 矢作橋駅で下車し、徒歩で現地に向かいました。天気予報が外れ、現地はかなりの雨降り。悪条件での散策となりました。駅から東にしばらく歩きましたが、現地への道にアクセスできません。仕方なく、一旦国道1号線に出て、車道を横断しました。さらに橋の手前で車道沿いに南下すると、目的の小道への入り口に遭遇。入り口には鎖が張られ、徒歩でしか入れません。その道を傘をさして、矢作川沿いに歩きました。しかし観音像は見当たらず、舗装道も終わりました。その奥の鉄橋で土手道も行き止まりのようです。とても不安になりながら、さらに奥に進みました。するとたくさんの花が咲くその奥に、観音像が見えてきました。情報があってもこの難易度。FDG公式さんの新発見にはあらためて驚嘆します。ところでこの場所にたくさん自生しているこの花は「ヤブラン」でしょうか?ご存知の方は教えてください。さて、思っていた以上に綺麗な観音像でした。一目で私の見当違いに気づきました。傘を差しながら、観音像の高さを計ると地面からの高さは65cm。私はこの観音像は高さ120cmクラスと勝手に思い込んでいました。この大きさの認識違いがきっかけで、他の見解の誤りにも気づきました。やはり現地確認は重要ですね。なぜ観音像の寸法が重要で、私がなぜ寸法を計るのか。その理由や、見解の訂正について、次回お話します。【 多機能防災ラジオ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.09.28
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巨大な深海生物、ダイオウイカ。触腕を含めると、6メートルを超える大きさになります。ダイオウイカを刺身にすると、何人前になることでしょうか。”いかめし”にして、かぶりつくのも良いかもしれません。しかし、残念ながら、ダイオウイカは食用には向きません。体に多量の塩化アンモニウムを含み、ダイオウイカはにがくてとてもまずいそうです。塩化アンモニウムは、水より軽い液体です。ダイオウイカは多量の塩化アンモニウムを体に含むことで、重い体が沈まないようにしています。そのまずい体には、海に住むための工夫があります。塩化アンモニウムを含む体は、ダイオウイカを救ったのかもしれません。ダイオウイカが美味しければ、人間が食用にねらったことでしょう。多量の”イカ刺し”も、巨大な”いかめし”も、実現しそうにありません。天が与えた防衛手段に、今回もダイオウイカは救われました。
2018.06.20
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見事なアヒル口の童子様。愛知県尾張旭市新居町の大弘法様の横におられます。もちろん不動明王様もおられます。私の過去の記事をご覧になられた方は、違和感を覚えられたかもしれません。そうです、童子の配置が逆なのです。本来、「慈悲」を示す矜羯羅(こんがら)童子様は向かって右が正位置。そして、「憤怒」を示す制多迦(せいたか)童子様は左が正位置。不動明王様、気になりませんか?傍では阿弥陀如来様も、不思議そうに考え込んでおられます。昭和3年作の勝川の不動三尊は正位置なのに、昭和6年作のこの像はなぜ逆位置になったのでしょうか。”こんがら”と”せいたか”の童子を逆に配置。作者の浅野祥雲さん、”こんがらかって”しまいましたか?【日記1】「弘法大師様を守りたい」 【日記2】「幸せな街のアイドル」 【日記3】「大弘法様は高さ10メートル」 【楽天商品】
2020.03.08
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こちらは三跡の一人、小野道風。愛知県春日井市 観音寺にあるこの像も、浅野祥雲作品です。観音寺は道風公園に隣接しています。浅野祥雲と書きましたが、正確には浅野”雲岳”作品です。道風像の台座の裏、左下に「雲岳」の銘があります。寄付主「山口悦太郎」の名前は、以前もありましたね。小野道風は、小野妹子や小野篁の子孫でもあります。春日井市出身という説があり、平安時代に宮中に勤めました。小野道風といえば、柳とカエル。(出典: https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/furusato/2000/1020_kaeru/index.html )何度も柳に飛びつこうとし、そして願いが叶い飛びつくカエル。道風はそのカエルの姿に、あきらめずに努力することの大切さを知ったと言われます。道風像の傍にある、このカエルも浅野祥雲(雲岳)の作品でしょうか。一方で道風は、空海の書を激しく批判したとも伝わります。芸術家らしい逸話ですが、当然に道風を嫌う人も少なくはありませんでした。道風像の傍には、道風記念館があります。その展示説明では、道風を嫌う絵師により、次の明治時代の道風の絵では、あえて醜く描かれたらしいとありました。(画像出典: ウィキペディア )その絵に比べ、浅野雲岳の小野道風は凛々しいお顔でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ 萬古焼は三重県四日市の陶器です。【 小野道風 刺繍しおり / 陶器 カエル付き萬古焼 急須 】 にほんブログ村
2020.11.10
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にほんブログ村 神社では、年末年始に向けた準備が進んでいます。注連縄(しめなわ)や紙垂(しで)を新調した神社も多くあります。写真の両端が細く中央が太い注連縄は「大根注連(だいこんじめ)」です。それに対して、神前に向かって、左が細く、右が太いのは「牛蒡注連(ごぼうじめ)」。また、写真の紙垂は「吉田流」です。「白川流」と「伊勢流」は、次の図で示します。年末年始の御参拝、紙垂なども見比べると気づきがあるかもしれません。【 牛蒡注連 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.11.18
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にほんブログ村 先日の 力石についての記事を 覚えておられるでしょうか。矢作八幡社の力石です。 この記事で 力石に書かれた文字から 重量は40貫目 ( 約150kg )としました。 その後 Xを通じて この力石の重量を 実際に測ったという情報をいただきました。「盤持ち道そばつぶ」さんです。さらにそばつぶさんは この八幡社の力石を持ち上げています。次の動画をご覧ください 時間は13分40秒程度のところです。実測での力石の重量は121.7kgだったそうです。持ちにくいこの力石を 実際に持ち上げられる方がいるとは驚きました。そばつぶさんは 各地の力石を持ち上げているそうです。情報、ありがとうございました。またブログをご覧いただきましたこと 感謝いたします。【 苺のコンポートタルトケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.15
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にほんブログ村 静かな夜 ひとりパソコンに向かって 文字を書く。 音声入力で 文字を書く。 Windowsキーと H キーを 同時に押す。 音声入力の開始だ。 パソコンのマイクは指向性。周囲に雑音があっても拾うことはない。それでも音声入力は ひとり静かな部屋で入力したい。 文章のみ終わりに”。”を打つ。”。”を 打つコマンド「句点」と命令する。 しかし、「楽天」と表示された。まただ。楽天ブログの縛りだろうか。 「句点」が「楽天」になる誤変換が多い。 音声コマンド 「それ削除」、「楽天」が消えた。仕方がない、手入力だ。 「いいね」 しかし、今度は「いいねぇ」と表示された。 私の発音が悪いのだろうか?繰り返す 「いいね」 また 「いいねぇ」になった。音声入力、「いいね いいね いいね」表示は 「いいねぇ いいねぇ いいねぇ」おかしい 。「ね ね ね ね ね」 「ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ ねぇ」そんなに私の滑舌が悪いのか? ふう 落ち着こう 手入力しかないだろう。 そう思い直して画面を見る。 「ねぇ こっちみて」覚えのない文字が 表示されている。 おかしい。 今は何も話してないし 打ってもいない。 周囲の音を拾ったのだろうか。しかし PCのマイクは指向性。 そして マイクは私に向かっている。 音源があるとすれば 私の方向。あるいは私の・・・・・・。「そうよ、私はここよ」その声はごく明瞭に けれどどこか人のものではない声として 私の後ろ 耳元に限りなく近い場所から、聞こえた。ひとりパソコンに向かう 音声入力な夜。 そんなことがないかと 少し期待している。 (文章:音声入力 / 画像:AI Google Geminiにて生成)【 モンブランケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.17
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にほんブログ村 今日は、この方をご紹介しましょう。ここは、愛知県津島市の身代山弘法寺。ご紹介するのは、「浄め地蔵菩薩」様です。笠を手にした高さ約2.5mの大きな地蔵菩薩様。見慣れたお姿の浅野祥雲作品です。では浄めて戴きましょう。地蔵菩薩様の近くにお進みください。笠を仰いで、しばし黙祷。浄められたでしょうか。地蔵菩薩様の手前の手水台も、浅野祥雲作品。彫刻が見事です。迫力のある龍。地蔵菩薩様に浄めて頂き、心和やかになりました。【 なごやかに 】 にほんブログ村
2020.10.20
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にほんブログ村 高見彰七のコンクリート像「神馬」編●【No.1 八幡社】 「豊田市 八幡社の神馬」 ・所在地: 愛知県豊田市 本地町 八幡社 ・製作年月: 昭和40年10月 ・作家銘: 「高見彰七」在銘 ・特徴: 白色塗装,一部鉄筋露出●【No.2 福田神明社】 「みよし市 福田神明社の神馬 昭和31年3月製作」 ・所在地: 愛知県みよし市福田町 福田神明社 ・製作年月: 昭和31年3月 ・作家銘: 在銘,判読できず ・特徴: 塗装剥がれ●【No.3 宮口神社】 「豊田市 宮口神社の神馬 昭和33年10月製作」 ・所在地: 愛知県豊田市宮口町 宮口神社 ・製作年月: 昭和33年10月 ・作家銘: 「彰七」在銘 ・特徴: 白色塗装 道路拡張工事により、2021年11月撤去・廃棄●【No.4 米野木神明社】 「日進市 米野木神明社の神馬 昭和36年10月製作」 ・所在地: 愛知県日進市米野木町 米野木神明社 ・製作年月: 昭和36年10月 ・作家銘: 作家銘確認できず,高見彰七 確認報告あり ・特徴: 白色塗装●【No.5 八柱神社】 「豊田市 八柱神社の神馬 昭和41年4月製作」 ・所在地: 愛知県豊田市長興寺 八柱神社 ・製作年月: 昭和41年4月 ・作家銘: 作家銘なし ・特徴: 白色塗装、本殿に向き立像●【No.6 傍示本春日神社】 「東郷町 傍示本春日神社の神馬 製作年不明」 ・所在地: 愛知県愛知郡東郷町 傍示本春日社 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 作家銘なし ・特徴: 白色塗装、仔馬●【No.7 本徳八柱神社】 「豊田市 本徳八柱神社の神馬 製作年不明」 ・所在地: 愛知県豊田市本徳町 本徳八柱神社 ・製作年月: 不明 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 220cm, 最上段台座寸法 幅180cm,奥行き55cm ・発見者: @FDG_official01 さん●【No.8 豊田市 鞍ヶ池公園東 矢並八柱神社】 「豊田市 矢並八柱神社の神馬」 「豊田市 矢並八柱神社の神馬2」 ・所在地: 愛知県豊田市矢並町 八柱神社 ・製作年月: 昭和29年 ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・寸法: 神馬のみの高さ 190cm, 前後長195cm ・発見者: @FDG_official01 さん●【No.9 茨城県 八溝山 八溝嶺神社】 「茨城県 八溝嶺神社の神馬」 ・所在地: 茨城県 八溝山 八溝嶺神社 ・製作年月: 昭和55年(推定移設) ・作家銘: 無銘, 奉納者銘あり ・発見者,画像提供: 「ツネツネツネ」さん【 相馬焼 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2022.09.17
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にほんブログ村 先にご紹介した名古屋市 日泰寺での高見観音の現地確認。日泰寺では、鯖弘法、化粧地蔵もご紹介しました。日泰寺では「アレ」は観なかったの?そう思われている方もおられるでしょう。ご心配なく、もちろん観ています。「アレ」、つまり浅野祥雲作品です。二体の兵士像が、日泰寺の墓苑にあります。日泰寺の墓苑ではありますが、背景に見える西蓮寺と隣接しています。いつもの様に、兵士像の寸法も測定しました。兵士像は草木に隠れているため、上着裾から上の見える部分の寸法です。上着裾から上 73cm兵士2体分の幅 65cm厚さ 20cm兵士は兄弟で、日中戦争に関連した戦没者の慰霊像です。氏名もわかりますが、個人情報ですので伏せます。まだ若い命が戦争で失われました。8月になると、戦没者の無念さを想わざるをえません。この兄弟が見つめる先、目視できる距離にも兵士像があります。次回はその兵士像についてもご紹介します。【 名古屋 風来坊 手羽先唐揚げ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2024.08.09
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にほんブログ村 AIの活用について 私は試したいことが一つあります。 それは高見彰七作品の AI化処理。名付けて 「高見彰七作品AI化計画」です。都市計画の推進による道路拡張 や 今後起きるであろう南海トラフ地震の影響を考慮すると コンクリート像を長く維持することは難しいかと思われます。そこで私は せめて高見彰七作品を 少しでも多く写真に留めることにより長くその存在を 伝えたいと考えています。 またせっかく 写真に残すのですから AIの活用により さらに 特別な 高見彰七作品の 楽しみ方があるのではないかと考えました。 加えて AI処理であれば 今後私の体調が悪化して 十分に移動ができなくなったとしても 自宅で検討することも可能です。 まず最初に 愛知池の高見観音のAI処理から始めます。AIとしては Google Geminiを使っています。本来コンクリート造は耐水対策として 表面に塗装をしなくてはなりません。そこで AIによる 仮想の塗装を 考えました。AIに 仏像として相応しい塗装を ペイントするように指示しますと 次の画像のようになりました。こちらはオリジナルの画像です。まだ不満はありますが 短時間での処理としては まずまずではないでしょうか。このような 画像の塗装処理の試みにどのような効果があるかはまだ十分わかりません。少しずつ そのAI活用の価値を考えながら 時々記事として掲載していきたいと思います 。・・・・・・・・・・・・・・今回の記事も 音声入力で作成しました。音声入力は簡便で 画面に向かって話しかけていると YouTuberになったような気がします。また話す言葉を 慎重に考えますので 頭の体操にもなりそうです。キーボード入力が苦手な方には お勧めします。【 ショコラドショコラ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.13
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花が枯れた後に、あなたは驚くことでしょう。そこには髑髏が残されるのですから。(画像出典: livedoor.blogimg.jp)花は皆が良く知るキンギョソウ。キンギョソウは、姿も色も愛らしい植物。(画像出典: フリー画像 https://photo-pot.com/)髑髏の正体は、キンギョソウの莢(さや)。莢、つまり種を包んでいた殻。髑髏の目や口の穴は、種が出た痕。この髑髏は、まさしくキンギョソウが生を全うした後の姿。人は死に骨となり、髑髏を残す。死んで髑髏を残すなら、キンギョソウは人に近い植物なのかもしれない。****「楽天商品 (鬼灯の冷徹)金魚草が地獄に咲く理由がよくわかりました」
2019.04.28
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この毘沙門天像、どこかで見たような気がしませんか。この像は、名古屋市の熱田神宮に隣接した、秋葉山円通寺にあります。実はこのコンクリート像も、作者は浅野祥雲です。毘沙門天の前の花筒に祥雲の銘があります。境内の南端にありますので、逆光で写真写りが悪い点はご容赦ください。毘沙門天が踏みつけている悪鬼をご覧ください。憎めないこの表情は、まさに浅野祥雲の作品です。毘沙門天の前には香炉があります。香炉を持つ小鬼が、実にかわいらしい。小鬼の表情をご覧ください。とても良い顔をしています。初詣で熱田神宮に行かれたら、ぜひ秋葉山円通寺のこの像もご覧ください。・・・今年はお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。【楽天商品: 干支】
2019.12.30
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にほんブログ村 18世紀、フランス革命前夜の激動の時代。その時代のフランスを彼女は生きました。彼女の名は、マドモワゼル・リア・ド・ボーモン。彼女は外交官であり、フランスの女スパイでもありました。当時、フランスとロシアは敵対関係にありました。フランスはロシアとの関係改善を望みますが難攻。そこでロシアの女帝エリザヴェータを個人的に味方に付けることでした。【マドモワゼル・リア・ド・ボーモン】(画像出典: Wikipedia)美しさで知られたエリザヴェータは、フランス貴族の社交界に強い憧れを持っていました。そこでロシアに、スパイとしてボーモンが送り込まれました。ボーモンの一流の貴族夫人の身のこなしに、たちまちエリザヴェータは魅了されました。彼女はエリザヴェータのフランス語教師にまで任命されました。そしてボーモンはエリザヴェータをとりこにし、両国の友好関係を回復しました。実際、ボーモンの貴婦人としての素養は卓越していました。マリーアントワネットも彼女を気に入り、ドレスをプレゼントしたほどです。そればかりか彼女は武芸にも長け、フェンシングも一流でした。【右: マドモワゼル・リア・ド・ボーモン】(画像出典: Wikipedia)しかし、彼女には大きな秘密がありました。マドモワゼル・リア・ド・ボーモンは偽名でした。本名は、デオン・ド・ボーモン。実は男性だったのです。ボーモンは「ベルサイユのばら」のオスカルのモデルです。(オスカルは男装の女性)【 フランス リモージュ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.02.22
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にほんブログ村 観音院のもう一体の新発見の報告。在銘の高見観音の向かって右にある坐像です。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」植木の陰にあり、坐像を見るアングルは限定されます。横から見ても前後の接合部が不明瞭です。胸厚の薄さは高見彰七作品の特徴です。頭部のワレは痛々しい。鉄筋も露出しています。背面はシンプル。表情も含めて、高見彰七作品と考えて良いでしょう。現地確認も完了しましたので、リンク集登録させていただきます。【 リンク集3 (No.9) 坐像 】 ・所在地: 愛知県豊田市千足町 観音院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・寸法: 高さ67cm, 胸部幅35cm, 胸部厚15cm 台座 30×30cm ・発見者: FDG公式さん●この坐像は誰か?この坐像は仏像とも、人物像とも捉えられます。そのヒントは、観音像と坐像の中間位置手前にある石板にあります。石板には「仏縁 〇〇〇〇〇(個人名)」とあります。観音像の向かって左隣の大黒天にも同じ個人名が施主としてあり、「平成11年」の年号もあります。高見彰七作品と少し年数が離れますが、「仏縁」の名のとおり、この石板の方が、坐像に所縁がある可能性がありそうです。観音院の住職の可能性もありますが。興味深い高見彰七作品でした。【 ショコラドゥショコラ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.29
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にほんブログ村 長く探していた化粧地蔵にようやく出会えました。存在するらしいとはわかっていましたが、場所がわからなかった化粧地蔵。自動車などでは入れない場所にあると推定して、徒歩で捜索しました。場所は児島半島南部、岡山県玉野市胸上の坂を上ったところです。車の入れない細い道を進むと祠が見えてきます。化粧地蔵は祠の中、立像と六地蔵です。提灯や花入れなど、様々な物が置かれています。地域の方々がこまめに手入れをされているのでしょう。お地蔵が、なにやら話しかけてくださっています。お地蔵様: 「よくここまでたどり着けなさったね。 褒美にこれを授けましょう。」kopanda06: 「えっ、手に持たれている宝珠をくださると? ありがたい話ですが、私が受け取る訳にはいきません。 お地蔵様が持物として皆のためにご活用ください。」親しみを感じるお地蔵さまでしたから、声が聴こえる気がしました。次回はこの場所のGoogle map ストリートビューをご紹介します。また六地蔵も詳しく見ることにしましょう。【前の記事】 「化粧地蔵でほのぼの (その51)」【 鬼盛りフルーツタルト (岡山) 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.11.04
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ネットで千葉県のトンネルが奇怪と話題になっています。調べると、千葉県富津市金谷の旧島戸倉隧道とわかりました。Google Mapの画像の貼り付けは、著作権上厄介です。Google Map規定に従い、ストリートビューのリンクを紹介します。【Google Map】 「旧島戸倉隧道ストリートビュー」IEでバージョンが9以下の方は、うまく開けないかもしれません。すみません。外観上、トンネル半分が封鎖されています。内部に入ると、その半分は物置です。ストリートビューでご覧ください。実は、トンネルの半分が「私有地」とのことです。たしかに奇怪に見えますが、そうでしょうか。このトンネルの横には、国道127号線の新道とトンネルがあります。このトンネルは、利用価値が低下した短い旧道にあります。世の中には完全に封鎖された「廃トンネル」が多くあります。「私有地」になっている廃トンネルも多くあります。旧島戸倉隧道は、完全には廃トンネルになかったトンネルではないでしょうか。旧道を通行したいという住民の希望があって。それよりも、私が不思議なのはGoogle Map。ストリートビューで新道のトンネルを見ることができません。なぜかストリートビューは広く便利な新道を無視して、旧道のトンネルに曲がって入っていきます。ストリートビューに、別の不思議さを感じた話題でした。
2016.05.04
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食器に使われることが多い、西洋陶器。その陶器に毒性があったとしたら。現代でも生産国によっては、陶器の釉薬は必ずしも無毒ではありません。1960年代にも、陶器の釉薬で鉛中毒を起こした人はいます。それは、手製の陶器に炭酸水をいれて飲んだ人。あるいは、りんご酒を陶器の食器で飲み続けた人です。1970年代にも、陶製の容器でりんごジュースを飲んだカナダの子供が死亡しました。鉛酸化物や鉛炭酸塩を含む釉薬は、融解温度が低くなります。しかし酸に触れると鉛が溶け出す欠点があります。ジョサイア・ウェッジウッドは、無鉛の釉薬の開発に熱心でした。しかしジョサイア・ウェッジウッド2世は、残念ながら鉛には無関心でした。最近では鉛が溶け出し難い珪酸鉛の釉薬,無鉛の釉薬が開発済み。そしてイギリスで鉛釉薬の使用が制限されたのは、1913年になってからでした。1950年代には、さらに使用が制限されます。スッタフォードの陶工の鉛中毒の死亡者は、それまでは年平均7人でした。それが1953年以降は、ゼロになったのです。現在、法律で制限しているのは、イギリスなど数カ国です。中近東諸国は鉛を含む釉薬の陶器で、鉛を溶かす酢を使った伝統料理を食べているのです。最近も中国製土鍋からの、鉛の溶出が確認されています。あなたは毒入りのカップを、お使いになっていませんか?*【鉛に関する過去の日記】:運命は鉛とともに ― ベートーベン ―】【 栗パイ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2007.10.20
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ペルーで古代の遺物として知られた、カブレラ・ストーン。1万5000点以上もあるその石には、密に彫刻が彫られていました。その図柄には、恐竜と人間とが刻まれたものもありました。6600万年前に雑滅した恐竜と、20万年前に出現した新人類。両者がともに刻まれたカブレラ・ストーンは、謎の遺物オーパーツとされました。発掘場所が不明で、彫刻は鋭く新しすぎる。カブレラ・ストーンには、疑問点も多くありました。そして、カブレラ・ストーンの真贋が疑われ、ついには偽造者が名乗り出ました。やはりカブレラ・ストーンは偽物でした。カブレラ・ストーンは偽物とわかりましたが、今もペルーでは作り続けられています。多量に作られたカブレラ・ストーンは、ペルーの観光土産となっています。贋作と知られれば、土産物として売って収益を得る。ペルーの人は、実にたくましい。「カブレラ・ストーン」 (画像出典:ウィキペディア)こちらもペルー製(カブレラ・ストーンはありませんでした)
2018.02.12
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にほんブログ村 かきがら神社は、鎌倉・長谷寺の境内にあります。絵馬のかきがらには願い事。日本語以外も多く、海外の方にも願掛けの風習が知られているようです。奈良と鎌倉の長谷寺には、ともに大きな十一面観音の木造仏があります。奈良・長谷寺の十一面観音像は高さ10メートル強。国宝・重要文化財指定の木造彫刻で最大です。一方、鎌倉・長谷寺の十一面観音像は高さ9メートル強。やはり最大級の木造彫刻です。この奈良と鎌倉の十一面観音像は姉妹仏だったと伝わります。同じ仏師によって彫られた、2体の観音像。1体は奈良・長谷寺へ、もう1体は「良縁の地へ」と海に流されました。海に流された観音像は、三浦半島の長井の浜に流れ着きました。観音像は仮屋ヶ崎に祀られ、後に鎌倉・長谷寺に移されました。浜に流れ着いた時、観音像はかきがらに守られていたと伝わります。それが由来となり、かきがらがこの境内に祀られています。奈良と鎌倉に別れた十一面観音像。かきがらがつなぐ数奇な運命に、心惹かれる伝説でした。*****「楽天商品 牡蠣の”おいっす!たーくん”」< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2019.08.28
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エヴァンゲリオンの綾波レイが巨大化しました。出現場所は名古屋駅前。ナナちゃん人形がいたはずの場所に、今は綾波レイが出現。その身長は6メートル10センチ、体重600キロ。この姿は、1月29日~2月4日の期間限定。その前は、スーモでした。ナナちゃん、頑張っています。【楽天商品: 綾波レイ】
2020.02.01
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名古屋市中区大須。そこには招く様に手を上げた”まねき狐”がいます。神社の名前も”まねき稲荷”。愛知県では”特殊扱い”される、まねき狐。しかし、まねき狐は、けっして特殊なものではありません。ご覧の様に、神棚用に販売される狐は、手を上げて招いています。「神棚用 稲荷狐」実は、まねき狐は、まねき猫の起源と言われます。狐は、米を食べるネズミを食べる縁起物。商売繁盛を願う稲荷社に、まねき狐として祀られました。稲荷社には、子孫繁盛のご利益もあります。そのため、狐の尻尾を男性器にした狐の置物も作られました。特にその狐は、遊郭や水商売のお店で人気になりました。そして、それらの場所では、神棚にまねき狐を祀りました。明治5年、明治政府は公序良俗を乱すとして、まねき狐を禁じました。そこでまねき狐をまねて作られた「まねき猫」が普及しました。愛知県には常滑市という、まねき猫の産地があります。まねき狐が愛知県で希少なのは、まねき猫の御当地だからかもしれません。【 ペアまねきコンコン 】
2020.09.27
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カメラマンに人気の川辺の鳥。その代表は、やはりカワセミでしょう。美しい姿と、一瞬で魚を捕らえる俊敏さ。カワセミにはなわばりもあり、いつも同じ場所付近に現れます。そのため、カメラマンは同じ場所でカワセミを待ち続けます。posted by (C)mogurax000 カワセミには、面白い習性があります。「求愛給餌」と呼ばれる、雄から雌へのプロポーズがその習性です。posted by (C)mogurax000くちばしの下側が紅いのが雌です。posted by (C)mogurax000カワセミのプロポーズでは、プレゼントが必要です。そのプレゼントは、魚。雄はそのために、懸命に魚を捕ります。posted by (C)mogurax000捕った魚は、雌に渡されます。手渡される魚は、魚の頭を雌側に向けるのが基本。これは、雌が食べやすい様にするためのエチケットです。posted by (C)mogurax000水辺の青い宝石、カワセミ。美しい貴公子の様な雄カワセミも、彼女には弱いのです。*****本日のカワセミの写真は、「mogurax000さん」から許可を得てお借りしました。写真の著作権はmogurax000さんにありますので、流用などはおやめください。mogurax000さん、ありがとうございました。〇mogurax000さんのブログ 「もっくんのブログ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・※ カワセミつながり【 ブローチ / ムービングバード 】 にほんブログ村
2021.01.10
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にほんブログ村 土壌に石灰岩が多い欧州は、水に多くのミネラルを含む硬水。火成岩が多い日本は軟水です。それぞれの水には、相性が良い料理があります。例えば、お茶。欧州では例外的に軟水のイギリスでは紅茶が、やはり軟水の日本でも煎茶などが広まりました。それは軟水とお茶の相性が良いためです。参考前に、軟水・硬水に適した料理を表にまとめました。なにかの参考になればと思います。「軟水・硬水に適した料理」【 容器が廃棄しやすく環境にやさしい ラベルレス・ボトル 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2021.06.21
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にほんブログ村 愛知県日進市を訪問した折に、市立図書館にも立ち寄りました。2008年開館。2011年度、第17回愛知県「人にやさしい街づくり賞」特別賞を受賞。2012年度、「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功者表彰」 内閣府特命担当大臣表彰優良賞を受賞。総工費29億4000万円の負担は地方都市には軽くはありませんが、デザインのみでなく、バリアフリーへの配慮があるのは良いことと思いました。【 ケーキセット 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2023.11.29
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にほんブログ村 高見彰七作品候補、新発見の報告がありました。私が遠方に出る所用があり、新発見の掲載が遅れました。発見者は、今回も「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」私は現地未確認ですので、画像はFDG公式さんからお借りしました。観音像は特に発見が困難な場所にありました。矢作川沿いの小道に観音像はあります。少しいつもと違う御顔立ちです。目を開いている点も、印象の違いになっています。鼻の穴まで作っている点も従来とは違います。隣には弘化2年と書かれた石柱があります。観音像は台座から外れてしまっています。台座には「交通安全 南無阿弥陀仏」(推定)の文字があります。謎多き観音像ですが、私は高見彰七作品だと思います。リンク集登録させていただきます。【 リンク集2 (No.35) 観音菩薩像 】 ・所在地: 愛知県岡崎市矢作町 名鉄本線矢作川橋近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・その他: 台座に「交通安全 南無阿弥陀仏」 ・発見者: FDG公式さんこれで確認された高見彰七作品は、117体となりました。消失作品7体や検討中の作品1体もあります。自力では発見は困難な今回の新発見。引き続き情報をお待ちします。私は最近、消失作品にばかり出会っています。特にいつもながら、FDG(フィールド・ティスカバリー・ゲーム)の探索力には驚きます。「FDG公式」さん、新発見おめでとうございます。なお、謎多き今回の観音像。その検証の過程は、次回以降の記事でご紹介します。【 ブックマーカー 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.09.13
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にほんブログ村 矢作川橋付近の観音像、続いて「弘化2年の石柱」について考察します。1)石柱は何か?「弘化2年の道標」を検索すると、下記が候補に挙がります。【画像出典】 「足助町 弘化2年の道標」この足助町の道標がある場所は、今回の観音像がある矢作川の上流、その支流の近くです。今回の石柱も弘化2年に同じ街道沿いに建てられたのかもしれません。2)高見彰七と石柱の関連は?コンクリート製ではなく石柱、しかも弘化2年(1845年)となると、高見彰七と石柱の関連はないと思われます。3)観音像と石柱はなぜこの場所にあるのか?発見場所は国道1号線(旧東海道)の近くです。両者は国道1号線沿いにあり、拡張工事などで移設されたと推定します。台座の「交通安全」の文字が、観音像も本来は道路沿いにあったことを示唆します。観音像の周辺には、台座から外れた外れた際の破片がありません。おそらく移設時の観音像の吊り下げで破損したのでしょう。そこで観音像の背面で台座にもたれかけさせた様です。石柱は移設品を一ヶ所に集める意味と、観音像の側方への転倒防止の役目で、この場所に置かれたと思われます。以上が私の推定です。観音像が移設品なのは間違いないと思いますが如何でしょうか?【関連記事1】 「矢作川橋近傍の観音菩薩像 その1」【関連記事2】 「矢作川橋近傍の観音菩薩像 その2」【 かおなし 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.09.17
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にほんブログ村 矢作川橋近傍の推定・高見観音。現地確認で驚いたことがあります。それは「FDG公式さん」撮影のこの写真。(画像提供: FDG公式さん)さすがFDG公式さん、私が観音像背面を見たがるとご存知です。当然、私も背面の撮影を試みようとしました。しかし、この写真をご覧ください。観音像の向こうに見える茶色の箇所は河川敷の道。観音像の背後は崖です。橋脚の水位計から、高さは4~5メートルあるとわかります。私が恐る恐る撮影できたのは次の写真。傘を片手に、濡れた草で足が滑りそうなのもありますが、とてもこれ以上背後には回り込めません。あれはFDG公式さんがアスリートだから撮影できた写真なのです。御覧の皆さんもFDG公式さんの真似はされませんように。さて、頭部には砂利や鉄筋の露出があります。高見彰七作品の特徴があります。現地確認でも私には限界がある。それを再確認した今回の現地確認でした。すみませんが、肝心の見解の修正報告は次回へ順延させて頂きます。【 災害トイレ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.09.30
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にほんブログ村 矢作川橋近傍の推定・高見観音、現地確認の続きです。前に観音像の高さが65cmだったのが予想外だったと書きました。観音像の高さは高見彰七作品を考えるうえで重要です。以前に、高さ70cm程度以下の観音像と、120cm前後以上の観音像には違いがあると書きました。それはおそらく製法の違いです。120cm前後以上の観音像では、像の前面と背面の接合部でヒビ割れが確認できます。これは、前面と背面を接合して製作したためと思われます。前面と背面をセメントやノロで接合した場合、接合面が弱くなり剥離しやすくなります。一方で、70cmクラス以下の観音像では、接合面の割れがない像が多くなります。単純に接合面にかかる負荷が大型像の方が大きいためかもしれませんが、私は観音像の大小で製作方法が異なるためと考えています。今回の観音像も、明確な接合面のヒビ割れは確認できませんでした。私が接合面からの剥離と考えていた像の足元の段差も、観音像前面の着物のたもとの表現と確認できました。つまり今回の観音像には前後間のヒビ割れは確認できず、像の足元付近での剥離は見つかりまでんでした。やや異例ではありますが、この観音像は下半身背面で段差のある造形をしています。ヒビ割れは確認できず、高見観音としての特徴はひとつ減ります。ただし頭部背面の粗いモルタルの使用や鉄筋の使い方などの特徴はあります。やや根拠は薄くなりましたが、現地確認でも高見観音だという印象は変わらず、高見観音としてのリスト登録は変わらずリンク予定です。また台座のどちらが前かという疑問はありましたが、交通安全などの文字がある反対面は粗い仕上げでした。文字のある面が観音像の前側で、台座に残る観音像の一部は、観音像の前面の裾部分と推定されました。ところで、弘花2年の石碑がなぜあるのか。これも現地確認でわかりましたので、次回ご報告します【 防災対策: 寝袋 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.02
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にほんブログ村 矢作川橋近傍の推定・高見観音、現地確認の最終回です。今回は弘化2年の石碑についての確認です。結論としては、やはりこの石碑は観音像の転倒防止に使われていました。1)観音像が石碑と台座側に傾いて置かれている 次の写真を御覧ください。 観音像は台座に支えられるとともに、石碑側に傾いています。 石碑が観音像の転倒防止に役立っているのがわかります。2)石碑が前向きに傾いている 観音像手前の弘化2年の石碑は、大きく前傾しています。 観音像の支えとしての意図がうかがわれます。3)石碑,台座と観音像の間に詰め物がある 次の写真でおわかりでしょうか。 台座と観音像の間に瓦の破片が詰められています また石碑と観音像の間にも数個の石が詰められていました。 観音像を固定しようとする意図がみられます。4)詰め物の瓦は小石は固定があまく、実際は機能していない 詰め物には隙間があり、固定されていません。 実際には観音像の固定には役立っておらず、 プロの業者の仕事ではありません。 最終的な観音像の設置は、地元の素人が行ったと推定できます。以上から、弘化2年の石碑は、観音像の転倒防止に使われていると確認できました。また詰め物の緩さなどから、最終的には地元住人が設置に関わったと思われます。幾つもの項目が判明し、有意義な現地確認でした。それにしてもこの場所は、意外に電車からは目立つ場所です。私の現地確認中でも、往復5~6本の電車が鉄橋を通過しました。さすが運行本数の多い名古屋鉄道本線です。電車の車窓から見ていた人からは、雨に濡れながら、草むらに埋もれて、巻き尺を手にした不審者が見えたことでしょう。【 防災対策: 非常食 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.04
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にほんブログ村 矢作橋近くの高見彰七作品、新発見の報告。現地確認での訂正箇所を反映した、リンク用まとめを掲載します。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」観音像は特に発見が困難な場所にありました。矢作川沿いの小道、名鉄鉄橋近くに観音像はあります。少し小柄な観音像ですが、綺麗な造りです。高さ1m以下の小振りな観音像ですので、前後接合面での割れはありません。小振りな観音像では、前後側面のワレがない高見観音が多くなります。高さ1m付近を境に、高見観音の製作方法が異なるのかもしれません。像の後頭部付近では大きな骨材(砂利)が露出しています。モルタル像でこれほど粗く大きな骨材は通常は使いません。骨材が表面に露出して、繊細な細工を損なう恐れがあるためです。高見彰七作品では、像後部には粗い骨材を含むモルタルがしばしば使われます。これには粗い骨材を配合し、像の強度を高めようとした意図があったと思われます。「背面のモルタルに粗い骨材を配合している」今回の観音像にも、この高見彰七作品の特徴があります。観音像は台座から外れてしまっています。台座には「交通安全 南無阿弥陀仏」(推定)の文字があります。文字のある面が前面の様です。本来この観音像は、交通量の多い国道1号線(旧東海道)、矢作橋付近にあったと考えられます。移設時に、観音像は台座から外れたと思われます。隣には弘化2年と書かれた石柱があります。この弘化2年の石柱は、同じ矢作川支流、足助町ににある弘化2年の石柱との関連が推定されます。「足助町の弘化2年の道標」【画像出典】 「足助町 弘化2年の道標」この石柱や台座と観音像の間には、瓦片や小石が詰められています。また観音像は両者側に傾いています。石柱と台座は観音像転倒防止の支えとなっています。現地確認の結果、高見彰七作品と判断しました。リンク集登録させていただきます。【 リンク集2 (No.35) 観音菩薩像 】 ・所在地: 愛知県岡崎市矢作町 名鉄本線矢作川橋近傍 ・製作年月: 不明 ・作家銘: なし ・その他: 台座に「交通安全 南無阿弥陀仏」(一部地中埋没) ・寸法: 観音像 高さ65cm, 胸部幅25cm, 胸部厚22cm 台座 幅25cm, 奥行25cm 石柱 幅7寸, 奥行8寸, 地上露出高約30cm ・発見者: FDG公式さんこれで、高見彰七作品は117体確認済みとなりました。消失作品7体や検討中の作品1体もあります。自力では発見は困難な今回の新発見。引き続き情報をお待ちします。いつもながら、FDG(フィールド・ティスカバリー・ゲーム)の探索力には驚きます。「FDG公式」さん、新発見おめでとうございます。【 ホテルオークラ クリスマスケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.13
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にほんブログ村 高見彰七作品候補・新発見の連絡を受け、現地確認しました。今回はその速報です。発見者は、皆さんもよくご存じの「FDG公式さん」。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」しかも今回は観音像と坐像の2体。像の高さだけで160cm、台座を含めると高さ270cmの大きな観音像。さらに珍しい在銘の高見観音です。もうひとつは坐像。これも現地確認で高見彰七作品と判断しました。詳細は次回以降でご紹介します。リスト登録上、観音像と坐像は各々別の紹介となります。都合により詳細のご報告が遅れそうですので、まずは速報でご紹介させて頂きました。【 抹茶スイーツケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.19
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にほんブログ村 「高見彰七」在銘の観音像、新発見の報告。発見者は「FDG公式さん」です。【FDG公式さん】 「FDG公式さんのH.P.」今回は在銘の作品、疑いなく高見彰七です。現地確認も完了していますので、リンク集登録させていただきます。【 リンク集2 (No.36) 観音菩薩像 】 ・所在地: 愛知県豊田市千足町 観音院 ・製作年月: 不明 ・作家銘: あり。「高見彰七」 ・その他: 台座に家紋 ・寸法: 観音像 高さ160cm, 胸部幅43cm, 胸部厚30cm 台座 上部幅73cm, 奥行60cm, 高さ110cm ・発見者: FDG公式さん高さ160cmの観音像が高さ110cmの台座に乗った大きな作品です。台座には家紋があり、特定の人物のために制作された観音像だと推定されます。穏やかな表情が多い高見観音ですが、こちらの高見観音は凛々しいお顔です。高見観音の特徴、側面の前後接合部(ヒビ割れ)もあります。台座背面には「高見彰七作」と縦書きされた銘があります。数少ない在銘作品は、いずれも特定の奉納先に向けて作られた作品。「特定の奉納先」ということが、作品が在銘になる必要条件なのかもしれません。「FDG公式」さん、新発見おめでとうございます。そして、いつもながら、ありがとうございます。以前のこのエリア付近も探索していましたが、観音院は見落としていました。あらためて、見落としがちな場所にこそ、高見彰七作品はあるものだと思いました。観音院の別の高見彰七作品については、別記事にて検討いたします。【 フルーツロールケーキ 】 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2025.10.27
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