閑古鳥の巣箱

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2006.02.03
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テーマ: 日常の雑談(2775)
カテゴリ: カテゴリ未分類
オタクは世間的に受け入れられにくい。

世間の構造に反しているから「オタク」と命名されているのであり、
もし受け入れられたらそれは単なる大衆でしかない。
それはこちらも願い下げだ。オタクはアウトサイダーであることに
ある種の優越感を持っているのだから。
しかし「オタクは虚構に逃げず、現実を直視すべきだ」
という批判は何だか腑に落ちない。
この言葉の背後には「現実は虚構より価値がある」という


人類の歴史は現実からの逃避ベクトルが深く刻印されている。
宗教の始まりは「死」にあったといわれている。
今まで動いていた者が突然動かなくなる。これをどう理解するのか。
「感覚器官や脳が停止したのだから見ることも考えることも出来ず、
後はただ腐敗して白骨化するのを待つだけです」と
淡泊に答えられても救われない。
でも「人間というのは魂の入れ物だから、
肉体は滅んでも霊魂は永遠だよ」と
言われれば何となく救われた気持ちになる。
人はどうやら「永遠」という言葉に弱いようなのだ。
逆に自分がなくなってしまうことにこの上ない恐怖を感じる。


この永遠性を確保するためである。日本の家制度も血統を継ぎ祖先を
供養することで永遠性を確保してきた。
たとえ強引でも天皇制を維持しようとするのも未だに
この永遠性の神話を信じ続けたいからといえる。
真に現実を直視するならお墓も先祖供養も死者のためのものではない。

私は、私が死んでも葬式はいらないし
(たとえ数人でも死に顔を晒したくないんだよ)
戒名もいらない(高いんだよ)お墓もいらない
(日本は狭いんだから場所取るなよ)と思うのだが死人に口なし。
これらは死者ではなく遺族の気を済ますための
儀式だから私の意志など全く関係ないのだろう。

プラトンはイデア論で、個別の事物や現象の背後にこそ
完全不滅の真実があり、実在的存在であるとした。
これは仏教などとも似通っているのだが、共通しているのは、
万物は流転するものでそれ自身にはあまり意味がなく、
虚構世界(観念の世界)こそ真実であるとしたことだ。
考えようによっては科学というものも永遠性を持った真理の探究で、
現実というものがしばしば忘れられがちだ。

近代以降神の存在感は小さくなり、
最近では家制度も薄れてきているが、
それらはただ形を変えているだけということになかなか気づかない。
私は都会に住んでいるが、どこを見渡しても全て人の手によって
作られたものだ。家、道路、駅、電信柱云々。これらは全て人間が
「こういうものがあったらいいのに」という空想の産物が
現実になったものだ。
私は「虚構がまずありき」の世界で育ってきたのだ。

そればかりではない。恋愛というのも実は虚構の産物に過ぎない。
映画、アニメ、小説などであたかも当たり前のように恋愛を扱うから
そんなものがあるような気がしてくるが、あるのは性欲に過ぎない。
もしくは「吊り橋効果」のように、恐怖や運動後などの心拍数の変化を
恋愛感情と勘違いしているか・・・。

さらにいえば「母性愛」などというのも虚構の産物だ。
「子どもをいつくしむのは女性の本質的な性質に基づく」
という発想が歴史に登場したのは、18世紀、
産業社会の登場と男女の性別役割分業の
固定化といった事態が生じてからである。それまでは子育てをしない、
平気で我が子を殺すといった母親が結構いたようだ。
確かに我が子を愛おしむ感情は普遍的なものかも知れないが、
父親より母親の方がより顕著であるという科学的根拠も実はない。

あっちをみてもこっちを見ても虚構に囲まれた世界なのだ。
こうなると何が現実で何が虚構かの境界線もよく分からなくなる。
そうだ!森林浴に行けば良いんだと思っても、
そこは人間が手を施した作られた自然だ。

人は永遠性を求めると同時に世界を自分好みに
作ってしまおうという願望もあるようだ。
学校のグラウンドにしても自分の脳内ワールドでは不要な雑草は
無駄な情報であるため抜かれる。本来強い草を抜き、
弱々しい花を保護し一から育て上げる・・・というのは
「萌え」とやっていることは同じだ。

また、しみやしわは化粧で消され、髪は植毛し、歯は矯正し、
顔は整形され、脂肪は燃焼される、
全ては頭の中にある「美しい自分」に近づける努力であり、
やっていることは虚構世界を現実世界に持ち込むことだ。
誰もありのままの現実を望んでいないことがよく分かるではないか。
ニーチェは現実を直視出来る「超人」になれといってみたが、
当の本人は発狂して死んでいるんだからあてにならない。

オタクはわざわざ現実世界に持ち込まなくとも、虚構世界のままで
満足出来る人間だ。人間は視覚と聴覚でほぼ全ての情報を
取り入れているので、実際に虚構世界のものを現実に作るのも、
虚構世界のまま楽しむのも、さほど違いがないのだ。
結局、電気信号で伝わったものが事実なのだから。

いわゆる大衆もオタクも目的は変わらない。
ただその目的を達成する方法が違うだけだ。
むしろあまり変わらないということを認めたくないがために、
弾圧をしているのかも知れないが。

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Last updated  2006.02.04 03:19:42
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