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「面白い‥‥‥」監督 : ニキータ・ミハルコフ 出演 : セルゲイ・マコヴェツキイ 、 ニキータ・ミハルコフ 、 セルゲイ・ガルマッシュ 、 ヴァレンティン・ガフト 、 アレクセイ・ペトレンコ 、 ユーリ・ストヤノフ 、 セルゲイ・ガザロフ ヘンリーフォン主演のアメリカの民主主義を謳った旧作のリメイクでありながら、現代ロシアを色濃く反映した新たな名作陪審員映画となっている。最初、陪審員たちは1時間半で終わるとたかを食っていたり、全員一致の原則で最初は11対1で有罪が圧倒的なのに、だんだんとそれが逆転していくさまも同じ。しかし、容疑者の子供はチェチェンの紛争で追われてきた孤児であり、陪審員たちも現代ロシアのそれぞれの階級や職業を代表しており、(巡業芸人、タクシー運転手、会社社長、商社会社員、芸術家、等々)それぞれの陪審員たちの人生が浮かび上がると同時に、ロシア社会に巣くう民族差別、容疑者の悲惨な人生も浮かび上がると言う見事な構成である。このような映画を見ると、陪審員としての大変さと同時に、いいかげんな弁護士に当たったときのチェック機能や、素人の視点や豊富な人生経験を生かしての裁判への判断は必要だな、と思ってしまう。ついに私には「今回は」裁判員へのお誘い手紙は届かなかった。前作や今作を見て、裁判員になろうとすると、しかし大きく後悔してしまうかもしれない。先ずは、裁判員と陪審員、名前が違う。此の間の報道だけ見ても、日本のそれと、アメリカやロシアのそれとは大きく違うことがわかる。1、裁判員だけで判断しない。プロの裁判官が同席をする。(原則として裁判員6名、裁判官3名)2、有罪か、無罪かだけを判定しない。有罪の場合の量刑の判断も行う。3、全員一致形式ではない。有罪判決をするために必要な要件が満たされていると判断するには、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない。だからこの映画のようなドラマは起こりえない。また一般的に映画「それでもボクはやってない」で示されたような素人の「常識」が生かされるような「事件」はこの制度では担当しない。殺人などの大事件のみを扱うのである。この裁判員制度によって刑事事件の99.9%が有罪になるような日本の裁判制度の改善に繋がるかどうかは非常に怪しい。痴漢事件はもとより、個別ビラ配布事件のような軽犯罪だけども、重大な事件には関与しない。それでも私は裁判員に選ばれたならば、積極的に参加したいと思う。(今回は来なかった。非常に残念)なぜならば、基本的に今の刑事裁判は「疑わしきは罰せず」の原則になっていないからである。「絶対死刑反対」と言う「思想」を持った人間は裁判員としては排除されるそうだが、私は「絶対」ではない。けれども、量刑を決めるときは「素人」としての判断を十分生かしたい。この映画でユダヤ人の男が、人種差別に反対だと言う一点で最初の頃から容疑者の有罪に反対していた。彼の口癖は「面白い」だった。私の心情も彼に一番近い。
2008年11月30日
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先の「図書」での巻末編集者座談会のなかで、編集者はいろんなところか新書のネタを探してきていると書いていた。著者に惹かれて依頼する、あるいは新聞・ラジオ・雑誌・テレビ・インターネットから、講演会やシンポジウムから、社内外のネットワークから、‥‥‥。だからすべては時事問題ではない。驚いたのであるが、これまで決まった企画でまだ本になっていない企画が400ぐらいあるのだそうだ。20-30年越しに作られる本も少なくない。すでに亡くなった藤田省三氏、水上勉氏の企画もあったそうだ。まえに紹介した小田実の短文「世直し再考」も元を言えば、「世直しの倫理と論理」の全面改稿だった。一方では、時期を捉えての新書も多くある。しかし残念ながら、あまりにも速い時の流れに追いつくのには、新書は作るのに時間がかかる。そこで岩波にはブックレットと言う体裁がある。ここでやっと本論。世界金融危機岩波ブックレットNo.70 金子勝 アンドリュー・デヴィット2008年10月7日発行、11月4日ですでに7刷である。(「BOOK」データベースより)サブプライムローンの破綻から、原油高や食料難が拍車をかけて進む世界的規模の金融危機―。いま、何が起きているのか。そして、どうすれば食い止められるのか。深刻な世界同時不況と言われる現在の状況を、詳細に解説する。 だ、そうだ。わからないところも多かったが、とりあえず手ごろな金融危機解説本である。あとがきの「脱出口を見失った日本」が実は一番わかりやすかった。小泉構造改革が、如何に無責任に今回の事態を招き、そして無責任にも、誰も責任を取らないか、を告発している。「つまり小泉政権は「構造改革」と言うブレーキをふみながら、インフレターゲットに基づく金融緩和制作と言うアクセルを踏むという異常な政策を続けてきたのである。」この構造改革が如何に、今回の危機を克服する体力をそいできたか、小気味いい文章でずばりと切っている。ではどうすればいいのか。著者のこの提言は耳をかたむけるべきだろう。 先ず、何より、雇用や年金・医療などの社会保障を立て直すことを優先すべきだろう。税制についても、所得の再配分を強化することを優先して組み立てなおす必要がある。そうしなければ内需がますます減少してしまうからだ。もちろんばら撒き公共事業ではいけない。知識経済の元手のインフラ投資は、道路ではなく教育である。 次に補正予算を組むのはいいが、小泉政権期に膨らんだ財政赤字がある以上、大規模なものは無理だろう。制約のある中での景気刺激策は、将来につながる有効なものでなければならない。そう考えると、石油や食料高の中で、それに対応しつつ将来につながる産業政策が必要である。欧州諸国に大幅な遅れを取っているが、大胆な自然再生エネルギーへの転換や食料自給率を高める農業支援を急いで強化しなければならない。 さらに、将来起こりうる大きなリスクであるドル暴落にそなえ、東アジアレベルで、通貨や貿易の連携を強めるべきである。かつてと違って、ユーロという対抗通貨が生まれ、地域通貨ブロックの動きも強まっており、ドル体制は危うくなっている。内需優先の経済政策、産業育成に重きを置いた補正予算、アジアとの連携を求める外交、何か間違ったことを言っていますか?どうして政府はその一つとさえ手をつけようとしていないのですか?
2008年11月27日
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先日の日曜日、秋晴れに誘われて県の山奥にある「吹屋ふるさと村」に行きました。国道180号線に案内看板があるので、そこからすぐかと思いきや、行けどもいけども山のなか、そんな奥に突如として、塗りこみ造り弁柄格子の堂々たる町屋が立ち並んでいます。吹屋銅山口江戸時代から明治にかけて中国第一の銅山町に加えて江戸後期からベンガラという特産品の生産が盛んになり、鉱工業地として、大いに繁盛したからである。ベンガラは緑はを原料にして赤い塗料として、建材や家具の塗料、陶磁器や漆器の顔料として国内に広く流通したそうです。町は結局赤一色です。うまいこと写真が撮れなかったので、銅山の財力の証である吹屋小学校の写真を載せます。1909年建築の和洋折衷の建物。今現在も現役小学生の学舎に利用されています。吹屋小学校昔の商家の中に入ると、非常に入り組んだ造りや、急な階段、隠し扉、等々凝った造りです。泥棒や乱暴者対策だったのでしょうか。明治時代初期のポスターを見てみると、商家の前をひっきりなしに荷馬や丁稚たちが通っています。昔はここが突如出現する都会だったのでしょう。ここから高梁川まで車で30分はかかったので、馬で行くと半日はかかったでしょう。鉱山の力です。ここのすぐそばに「犬神家の一族」のロケで有名になった広兼邸があります。田舎そばは具沢山で美味しかったです。
2008年11月25日
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07年夏に「私のすすめる岩波文庫」と言う「図書」の臨時増刊号について書いた。岩波文庫80周年。この本によって私は「アリランの歌」を読むことが出来たのである。今回宮崎駿の表紙の「図書」が平台で置かれていた。(もちろん無料である)「私のすすめる岩波新書」と言う臨時増刊号である。岩波新書70周年だそうだ。巻末特集に初代編集長だった吉野源三郎の「岩波新書創刊の頃」と言う短文がある。創刊は1938年であるが、計画が始まったのは盧溝橋事件のすぐあと1937年の秋ころからだったと言う。「とにかく私たち、日本人はこの現実を直視しなければならない。そのためには何よりも先ず、日ごとにつのる偏狭な国粋主義の思想に抵抗しなければならない」と考えていましたが、そのとき目にとまったのがほかでもない、ペリカン・ブックスでした。簡便な装丁、時期を得た一流著者の書き下ろし、創刊の岩波新書は大きな成功を収める。創刊の辞は社長の岩波茂雄が書いている。「吾人は非常時における挙国一致国民総動員の現状にすくなからぬ不安を抱くものである。」驚いたのであるが、岩波は赤版の巻末のすべてに付されるところにここまで書いていた。まあ、無料なので、みなさん手にとって持ち帰ってみていただきたい。私もまたぞろ、読みたい本が増えてしまって困っている。最近姿を見せないで心配している加藤周一がコメントみたいな薦める新書を紹介している。1.「万葉秀歌」2.「物理学とはなんだろうか」3.「昭和史新版」加藤ならば1は当然として、2については「敗戦後日本の散文の最も美しいものの一つ。」と書いている。3については意外にも「それによって小生が軍国主義を脱却した本です」とある。新版ではなく、旧版によって、ではあろうが、それにしてもそんなすごい新書だったのか、昔読んだような覚えはあるが、もう一度読んでみよう。218名からの回答のうち、一番多かったのは「日本の思想」(丸山真男)だったそうである。むべなるかな。意外だったのは、「羊の歌」(加藤周一)がベストテンぐらいに入っていると言うことだ。いろんなタイプの人が加藤周一という人間を愛している。他に多かったのは、意外にも「バナナと日本人」(鶴見良行)9人である。鎌田慧が「いまや世界認識の古典的な教科書であり、ルポルタージュの方法の入門書である」と書いている。之も未読である。今回増刷されたようなので読んでみたいと思う。「万葉秀歌」は7人。当然だろう。教科書裁判で関心が高かったのか、大江健三郎「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」ともに人気が高かった。「沖縄ノート」はまだ読んだことがない。読みたい。「歴史とは何か」(E.H.カー)も6人の人が挙げていた。これは大学のときの演習で読んだ。これはぜひとも再読したい。「自動車の社会的費用」(宇沢弘文)という本を5人もの人が挙げている。どうやら経済学の名著らしい。雨宮処凛は一冊だけ挙げていた。川田龍平も「豊かさとは何か」「法とは何か」の次に挙げていた。金平茂紀というTBS報道局の人も挙げていた。この本のなかに今年発行の岩波新書があがるのがそもそも異例なのではある。それはこの本だ。「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果)巻末に新書編集者の座談会があって、このように述べられている。A「今年の一月に刊行した「ルポ貧困大国アメリカ」が大評判になっていますね。夏には20万部を超え、今もよく読まれています」B「時代を先んじたところがよかったのではないでしょうか。アメリカ社会があのような深刻な問題を抱えていると、みんなうすうす感じ始めていたところに刊行されたわけです。日本でも「格差社会」と言われていたのが、「それどころじゃない。いまや問題は貧困なのだ」と言われ始めたときでしたから、アメリカの話は決して他人事ではないと感じられたのだと思います。書評がたくさんでましたが、それ以前から売れ行きがよかった。ネットでさかんに取り上げられたことが効いているようです。」この座談会で、編集者たちはアマゾンの書評やブログなどを参考にしていることを告白している。それはブログの書き手の私たちにとっても非常に励まされることではある。出来ることならば、出来るだけ多くのブログに目を通して欲しいと思う。そして発売当初だけでなく、一年くらい経ったあとの感想にも目を通して欲しい。読書は決して流行ではない。真面目に読んだ人の感想から、次の新書の企画のヒントを汲み取って欲しいと思う。
2008年11月24日
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(ちょっと粗筋)ひとりの男が失明した。突然目の前が真っ白になり、視力を完全に奪われたのだ。そして、それは悪夢の始まりだった。世界各地で同時発生した“白い病”は、爆発的な伝染力を持っていた。原因不明、治療法もない。これ以上の混乱を恐れた政府は、失明患者の強制隔離を始める。かつて精神病院だったという収容所に軟禁された患者の群れ。不安と恐怖、苛立ち、そして醜い争い…。秩序の崩壊した極限下で、彼らはその本性を次第にさらけ出していく。その中に、たったひとり“見える”人間が、盲目を装い紛れ込んでいた…。 監督 : フェルナンド・メイレレス 原作 : ジョゼ・サラマーゴ 出演 : ジュリアン・ムーア 、 マーク・ラファロ 、 伊勢谷友介 、 木村佳乃 、 ダニー・グローヴァー 、 ガエル・ガルシア・ベルナル 突然人類を襲う「理由のない」パニック時での集団のサバイバル映画と言う点では、たとえば「ハプニング」と同じではあるが、あれが人間ドラマが非常に薄かったのと比べれば、この映画には濃厚な人間ドラマがある。同じようなパニック映画で、濃厚な人間ドラマといえば今年の名作「ミスト」と同じなのであるが、確かに先が見えない恐怖、閉鎖された空間での人間心理を描いた映画ではある。しかし、まったく違った映画になった。なぜか。「ミスト」の場合は待ったなしの時間制限のなかでのドラマであった。しかし、こちらはしっかりと「考える」時間があった。その違いなのだろう。そして、実際はこっちの方が現実感はある。「ミスト」の場合はマーシャ・ゲイ・ハーデン がみこどな極限状態での女王の役割を演じたが、こっちの映画の場合はガエル・ガルシア・ベルナルが「蝿の王」を演じる。いろんなことを感じさせる映画であった。あの「白い病」自体にリアル感はないが、人間の行動の中には、たとえば「ナイロビの蜂」で見せたケニアのスラム街にもあっただろう貧困と暴力が反映されているような気もする。目が見えないと、経済活動は強制終了になり、人々は貧困に陥る。わずかな食料を求めて、たすけあい、そして「武力」による支配と、それに対する抵抗、そして連帯が始まる。私は見ていないが、「シティ・オブ・ゴッド」等、監督のテーマはこの辺りにあるのだろう。そのなかで人々はどのように行動するのか。日系、エスパニア系、アフリカ系、いろんな人種が交じり合った小さな集団のなかで、人々は肩を貸しあい、歩いていく。悲惨な場面も多いけれども、希望も見える映画なのである。
2008年11月23日
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九条廃止論者からの意見はたいていパターン化されている。それに対して、こちらも彼らの言いがかりと同じ分量の知識しかもっていなかったとしたら、彼らを納得させれないのはもちろんのこととして、黙らせることも出来にくい。 反論は出来るだけ具体的に、そして事実でもってすること。が肝要だと思う。松竹伸幸氏が、それに特化した本を出してくれた。日本国憲法は時代遅れか? 松竹伸幸著 学習の友社そのうちの一つの意見に対する反論をそのままのせたい。(この場合、要約は意味がない。具体的事実にこそ反論の力がある。)少し長く、著作権の侵害ではあるが、護憲論者の学習のため(何よりも私自身の学習のため)です。許してくれますよね。Q2他の国では何度も憲法を変えており、60年間一言一句を変えないような異常な国は日本だけだという人がいますが、どう考えたらいいですか?答え 確かに改正の数だけを見ると、一度も改正していない日本は「特殊」な国です。でも、改正の中味まで踏み込んでみると、別なことがわかってきます。 第一、各国における憲法の位置づけには違いがあり、単純に比較できないことです。 たとえば、改正数が世界で一番多いのはスイスであり、1874年の制定以来140回も改正し、つぎはぎだらけになったため、1999年全面改正に踏み切りました。スイスで改正が多い最大の理由は、税率を憲法で決めているからです。改憲勢力は、スイスの改正数が多いことは強調しますが、消費税率を憲法で決めようとは言いませんから、都合の悪いことは隠しているのです。 また、連邦制をとる国家の場合、州の権限を尊重するため、憲法で国の権限を制限するのが普通です。ドイツも改正の多い国の一つですが(50回以上)、その理由は「連邦制をとっている関係で、連邦と州の権限を見直す改正を何度も行なってきた」からです。(2000年11月「衆議院欧州各国憲法調査議員団報告書」より)要するに、各国の国情の違いが反映するのです。しかも以上の事例からわかるのは、各国の憲法が改正されるのは、税率とか州の権限が国を勝手に変更できないようになっているからです。国が国民や州の権利を勝手に変えられないようにする目的のために何回も改正が必要になるということです。自民党が目指す改正方向は、逆に国民の権利を制限し、義務を果たそうとするのですから、問題外です。 第二。各国の改正事例を眺めると、日本国憲法の先駆性がかえって証明されるような場面も多いことです。 アメリカの憲法は1788年に制定され、18回(27項目)改正されています。最初の10項目の改正は、憲法制定の三年後にまとめて行なわれたもので、信教、言論、出版の自由や請願権を定めたものです。その後、現在に至るまでの改正の大半も、奴隷制の廃止や女性参政権の付与など人権にかかわるものです。 フランスでは、1789年に人権宣言がつくられ、2年後の最初の憲法に盛り込まれます。しかし、その内容は、社会権など含んでいないと言う制約がありましたから、第二次世界大戦後の最初の憲法(46年)で、男女の平等や勤労の権利などを定められます。その後、1956年制定の現在の憲法は、20回近く改正されていますが、ヨーロッパ連合に権限を委譲するなど、フランス独自の事情によるものが大半です。 どちらの国の例にせよ、日本では憲法規定としてはすでに実現されているか、憲法でなく法律の改正ですむか、日本の国情とは無縁な問題ばかりです。またアメリカの憲法には、いまだに男女平等や労働三権はじめ社会権、経済権の規定もないので、これから憲法を改正する場合も、日本の憲法を追いかけてくると言うことにならざるを得ません。日本の憲法はそれぐらい先駆的なものだということが、成果の憲法改正の事例から導き出されることです。 第三。各国憲法の改正されなかった部分に目を向けると、もっと大事なことがわかります。 フランスの現行憲法は、その前文で、1789年の人権宣言を厳粛に再確認すると述べています。200年以上も前に作られた宣言を、現在でも通用する原理として確認しているのです。宣言は18世紀に作られ、社会権がないという制約があり、そのため1946年憲法で補充されたのですが、それでも人類史上に不滅の意義を持つ宣言に愛着を持ち、減法憲法に生かしているのです。 アメリカ憲法も同様のことが言えます。アメリカ憲法はの改正は、憲法本体のあとに「修正条項」を付け加えると言う形を取っています。つまり改正は繰り返されていますが、本体は変わっていないと言うことです。最初の改正が行なわれたとき、本体も修正する案もあったのですが、ある議員が「憲法(制定)は人民の行為であり、その全体を残さなければなりません。しかし、修正は政府の行為なのです」と発言し、それが議会に受け入れられました。アメリカの人々にとって、憲法とは、国を挙げて独立戦争をたたかい、その結果として獲得したものであり、そのことへの誇りがあるから、憲法全体をそのまま残したと言うことなのです。 フランスの人権宣言も、アメリカ憲法が規定する民主共和制も、人類にとって不変的な価値を持つものとして、世界の人々の目標になってきました。そういう大事な原理はどの国も大事にしているものです。 日本国憲法九条も、この本の本文(第一部)で触れたように、いま世界の目標になっています。改正するわけにはいきません。以上です。これからは具体的に彼らに反論していきたい。最後の「この本の本文(第一部)で触れたように、いま世界の目標になっています。」第一部に何がかかれているかと言うと、例えばハーグ国際条約「1.各国議会は、日本国憲法九条のような、政府が戦争をすることを禁止する決議倭採択すべきである」このような実に豊富な資料を元に、世界で採択されたたくさんの決議、多くの責任ある立場の人の発言を紹介しながら、「憲法の力」を証明したもので、けっして「時代遅れ」にはなっていないと自信を持っていえる「根拠」を作るものになっています。氏のブログ「超左翼おじさんの挑戦 」其の他の議論も積極的にオープンに行なっています。(現在は「戦争責任」についての議論をしているようです)HPの資料庫には第一級の第一次資料があります。もちろんこの本の巻末にも、その資料があり、いろいろと活用できそうです。色々刺激を貰った本でした。麻生政権が末期的な様相を示しているいま、憲法論議は下火になっていますが、国民投票法が発動される2010年にむけ、必ず議論は起こってきます。今からその準備をしていかなければなりません。サッカー日本代表ではないけれど、「決して負けてはいけない闘いがある」
2008年11月22日
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ちょっと仕事が忙しくて、なかなか記事がかけません。書きたいことや、書評や、映画評は山ほどあるのですが、いかんせん遅筆堂なので一回の記事を書くのに2-3時間ぐらい確保しないとダメなのです。(実際の書く時間ではありません)勝間和代ならば、喋るようにパソコン入力できるようなのですが、そして本で得た知識はいつもパソコンを持ち歩いていて、タグをつけてすぐにブログにインプットしているらしいのですが、なかなか真似はできないようです。さて、取り急ぎ最近発見した本「読書進化論」小学館新書 勝間和代著の紹介です。読書進化論「はじめに」の最初の10行でこの本の魅力は書きつくしています。そのうちの後半5行を書き写します。この本を読んでもらえると、何故いま、本野立ち居地が難しくなっているか、ウェブとどのように棲み分け、関わっていけばいいのか、どうやって本を選び、読みこなし、アウトプットにつなげるか、さらにブロガーや著者になって自分のメッセージを発信するにはどうすればいいのか、本をより売るにはどうすればいいのか、さまざまなヒントがちりばめられているはずです。このようにいたるところにまとめの文章が入り、全体的にも難しい言葉は使わず、なるほどと言う発想が多いのは偶然ではなく、まさにそれを意図して意識的に著者が書いているからだろうと思う。売れている自己啓発本では、トップクラスであるというのはよくわかる。触発されてあと二冊本を買った。おいおい紹介していきたい。リブロ青山店や丸善丸の内店などの本屋ぶらぶら歩記もあり、本屋の見方も参考になった。Chabo!という印税寄付プログラムを発想し、実践してたった三ヶ月で1000万を超える寄付を集め、世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に役立てるようにしているところもすごい。この本で、勝間和代と言う人を発見したのが、一番の収穫である。
2008年11月20日
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「魔王」の発表が2004年の12月。小泉という時代の申し子が自民党に歴史的な大量得票を与えた一年前に、伊坂はこれを書いた。犬養という歯に衣をを着せぬ言動で急激に人気急上昇中の野党政治家について、主人公の安藤はこのように言う。「国民は犬養の思うがままに誘導される。説明もないのに、いいように解釈して、物分りがよく、いつの間にかとんでもないところに誘導される。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」「仕方ないよ。こんな状況なんだし」となんて思っているうちに、とんでもないことになる。」今回の伊坂のテーマは「政治」である。この文庫収録の安藤弟が主人公の続編「呼吸」では、犬養は首相になっていて、国民投票がテーマになる。「魔王」伊坂幸太郎 講談社文庫 (「BOOK」データベースより)会社員の安藤は弟の潤也と二人で暮らしていた。自分が念じれば、それを相手が必ず口に出すことに偶然気がついた安藤は、その能力を携えて、一人の男に近づいていった。五年後の潤也の姿を描いた「呼吸」とともに綴られる、何気ない日常生活に流されることの危うさ。新たなる小説の可能性を追求した物語。主人公が冒頭のようなことを言っていたからといって、この小説は反ファシズムを訴えた作品だと判断すると、いつものように読者はどこかに置いてけぼりを食うだろう。だけど、単にゲームのように愉しめばいいのだ、と思っている読者がいたら、やはりそれも置いてけぼりを食う。言い換えれば、この微妙な匙加減が、伊坂幸太郎という小説家が現代に受けている秘密なのだろうと思う。伊坂はなかなか本音を見せない。そしてとても頭がいい。そしてとても誠実である。一言で言えば、現代的に「やさしい」のである。伊坂の立ち位置はどこか。私はそれを見つけたような気がした。主人公の兄弟の言葉ではなく、弟の奥さんのこの言葉がそうなのではないか。少し長いが、引用したい。「ムッソリーニの話なんだけど」店を出て、会社まで歩いているところで、蜜代っちが言った。「犬養?」「ううん、今度は本物のムッソリーニ」彼女は笑う。「ムッソリーニは最後、恋人のクラレッタと一緒に銃殺されて、死体は広場に晒されたらしいんだよね」「あらら」「群衆がさ、その死体につばを吐いたり、叩いたりして。で、そのうちにね死体が逆さにつるされたんだって。そうするとクレラッタのスカートがめくれてね」「あらら」「群集はさ、大喜びだったんだってさ。いいぞ、下着が丸見えだ、とか興奮したんじゃないの。いつの時代もそういうノリなんだよ、男たちは。いや、女たちもそうだったんだろうね。ただ、そのときにね、一人ブーイングされながら梯子に昇って、スカートを戻して、自分のベルトで縛って、めくれないようにしてあげた人がいたんだって」「あらら」私は言いながらも、そのときのその人の立つ状況を思い浮かべ、その度胸に圧倒された。「それはまた勇敢な」お前はその女の肩を持つのか、と罵倒され、暴力をふるわれても文句が言えない場面だったのではないか。「まあ、実話かどうかわからないけど、なんだか偉いなあ、とは思うのよね」蜜代っちは大切なものに息を吹きかけるような口ぶりだった。「実は、わたしはいつも、せめてそういう人間にはなりたいな、と思っていたんだ」「スカートを直す人間に、ってこと?」「ほかの人が暴れたり、騒いだりするのはとめられないでしょ。そこまでの勇気はないよ。ただ、せめてさ、スカートがめくれているのくらいは直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことぐらいはできる人間でいたいなって、思うんだよね」この人気絶頂の時期に、敢えて、小泉人気に棹差すような小説を、しかしスカートを直すだけの小説を、しかし影響力ははあるからとても効果的な反ファシズムの小説を作る、それが伊坂幸太郎の立ち位置なのだ。この小説の50年後の世界、「モダンタイムズ」が上梓されたという。どういう小説なのだろう。興味はあるがやはり文庫になるまで待つんだろうな。
2008年11月16日
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「主人は文学者でした」監督 : 堤幸彦 原作 : 宮崎康平 脚本 : 大石静 出演 : 吉永小百合 、 竹中直人 、 窪塚洋介 、 風間トオル 、 平田満 、 柳原可奈子 、 黒谷友香 、 麻生祐未 、 石橋蓮司 、 ベンガル 、 江守徹 、 大杉漣 、 余貴美子 、 由紀さおり 実はこの夏はひつこいくらい予告が流れていたものだから、刺激されて原作だとされている「まぼろしの邪馬台国」上下巻を買ってしまっている。ところが上巻の途中で、挫折中。自信家で、破天荒なひとだったということは、最初の数ページでわかる。全盲なのに、博識、そしてなおかつ元島原鉄道の社長だったというのだから驚き。もっと学術的な本かと思っていたら、自分の生い立ちや、自分を批判する学者を悪口のいいあいみたいに悪口を言う。全然学術的ではないのである。もちろん、卑弥呼の「ひ」を日と読んだり、火と読んだりせずに、干潟の干と読む件は、さすがに全盲の人が気がつくことだなあ(もちろんそれを実証しているという下巻は読んでいないので、考えの発想の仕方に感心しているのに過ぎないのではあるが)と感心したわけだが、一方では、卑弥呼の時代より五百年後の古事記の記述も、考古学的事実も同等の基礎に置いているのには、ちょっとあきれてしまった。それ以降読む気がうせたのは、そういうわけである。この映画はだから、邪馬台国島原説を説得力持って描こうとしたものではない。することはとうていできない。もうちょっと、九州の遺跡をしっかり見せてくれるかと期待していたのだが、残念だった。あういう男は、好きになれないし、なりたくもないのだが、和子さんが、そういう男にほれていくのは、和子の生い立ちである前段の物語があるから、説得力があった。結局ファーザーコンプレックスだったんですね。だから後半の夫婦愛に説得力がある。夫婦愛としては、成功していたと思う。それにしても、和子役になぜに吉永小百合?確かに、彼女の演技は説得力がある。けれども、映画の大半はほとんど30歳から48歳にかけての物語である。ほかの女優ではダメだったのか。それほどまでにこの年代の女優の質は枯渇しているのか。もちろんハセキョーや仲間幸恵ではダメである。吉野ヶ里遺跡を活用した卑弥呼の里の再現場面で、人々は羽織形式の毛皮を来ていたが、いかがなものかと思う。庶民は基本的には、貫頭着(頭のところをくりぬいた着物)だったと思う。また、宮崎が「ここが卑弥呼の墓だ、ここ掘れ」と言っていたところを最後で前方後円墳の形に見せていたが、九州から前方後円墳が始まったと言うのは、明らかな嘘。それに、あの形だとまずい。後期前方後円墳の形である。せめてホタテ形の前方後円墳にしないと卑弥呼の墓にはならない。結局宮崎康平と言う人は、学者としては後世評価されないと思う。果たして事実かどうかはしらないが、妻和子が葬式の場で、「夫は文学者だった」と言ったのは、非常に正しい評価であった。
2008年11月15日
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今年の流行語大賞はどれなるのかとふと思ってみてみたら、すでに候補が上がっていました。 2008年ユーキャン新語・流行語大賞の候補語60語を発表します。このことばの中から大賞・トップテンが選ばれ12月1日に発表されます。ご期待ください。 ねじれ国会 糖質ゼロ サブプライム ミシュラン オワンクラゲ キターー!! あげあげ 姫電 せんとくん/まんとくん グ~! アキバ系 ローゼン麻生 ポ~ニョ、ポニョポニョ、さかなの子~♪ メーク・レジェンド 千年紀(源氏物語千年紀) おなごの道は一本道にございます。 オネエマン(ズ) 言うよね? 霞ヶ関埋蔵金 朝バナナ 蟹工/蟹工船 エア芸 婚活 カレセン くいだおれ太郎 おバカキャラ 世界のナベアツ ホームレス中学生/解散! 私もあなたの作品の一つです これでいいのだ キモティー 屁の突っ張りでもないですから アラフォー 居酒屋タクシー 一斉休漁 ゲリラ豪雨 汚染米/事故米 名ばかり管理職 チョリ~ッス 後期高齢者 サイバンインコ ゆるキャラ 再発防止検討委員会 毒入りギョーザ チェンジ(CHANGE) あなたとは違うんです メタミドホス ロスジェネ(宣言) ゆとり世代/脱ゆとり教育 ねんきん特別便 燃料サーチャージ フィルタリング 上野の413球 よし、よし、よーし! 神様 仏様 上野様 ささやき女将(つぶやき女将) ガソリン国会 暫定税率 フリーチベット 何も言えねー この一つ一つにユーキャンが解説を付けてくれています。非常に適切なコメントをしてくれています。もしかしたら派遣労働者か。大賞候補としては、私は以下の七つをあげたい。 ●サブプライム 「現代用語の基礎知識」が行なった読者アンケートで「2008年最も印象強い言葉」に選ばれたのが「サブプライムローン」でした。新聞を賑わし始めたのは去年の夏ごろからだったでしょうか。たしかによく見出しを飾りました。でも最初は太平洋の向こう側の話なので実感も沸かなかったのですが、それが今年になってじわじわじわじわと上陸して来たというのが認めざるを得ない現実であります。(戻る) ●蟹工/蟹工船 「蟹工する」「これじゃまるで蟹工だあー」とここまで応用されるとこれも立派な流行語。共産党の志位さんも人気沸騰でこの春には「ウルトラC(志位)」なんて言われたけど、流行語になれず残念でしたね。ところでこの本をベストセラーへと仕掛けたのは出版社ではなく書店の店員さんだったというのはいい話ですね。上野駅のディラ上野店から150冊の注文を受けた版元も最初は耳を疑ったとのことでした。(戻る) ●ゲリラ豪雨 昨年、流行語トップテン入りしたのは「猛暑日」。あの想定外の暑さにもびっくりしましたが、今年の豪雨も仰天でした。実際、この名前は30年くらい前から存在していて、新聞などで使われることもあったようですが、今年は実際にこのネーミングが実感できる初経験だったと言えます。(戻る) ●名ばかり管理職 「そんなのどこの会社も一緒だよ、何いまさら騒いでるの?」なんて、クールなまんまじゃ日本の職場は永遠に変わりませんよ、ねえ課長さん、および店長さんたち。つまり、1月28日に東京地裁が出した判決は、とっても意義深い一歩の証しなんだと肝に銘じましょう。NHKの番組が2007年の秋に番組で紹介して広まったこの問題、北海道新聞は2006年の11月にすでにこの名称を使って報道していたことを付記しておきます。(戻る) ●後期高齢者 どんなに「長寿」「長寿」と呼びかえても、「長寿医療制度」という新しいネーミングはなかなか普及していない模様であり、「うば捨て」まがいの施策なんだと強烈にメッセージしたそのインパクトは近年まれにみる存在かもしれません。その意味ではやはり天声人語が書いておられたように、今年はこの言葉が流行語大賞にふさわしいということなのかもしれませんね。(戻る) ●あなたとは違うんです 「一般に、総理の会見がですね、国民には人ごとのように聞こえるという話がされておりました。今日の退陣会見を聞いておりましても、率直に、そのように印象を持つのです」。こう質問したのは中国新聞の道面記者。これ、ごく自然で、かつ見事に大多数の国民が抱くであろう疑問を代弁してくれていたように思うのですが、いかがでしょう? ちなみに「現代用語の基礎知識」が10月に行なった読者アンケートで「2008年最も印象強い言葉」第2位の得票を得たのがこの言葉でした。(戻る) ●ロスジェネ(宣言) 日本のロストジェネレーションといえば、朝日新聞や雑誌のAERAあたりで盛んにとりあげられていた段階では、どことなくオシャレな響きが感じられたのですが、この「失われた10年」のおかげで就職できないまま大人になった世代、ということになると、ちょっと誤解されやすいネーミングだったのかも。今年創刊されて、「ロスジェネ宣言」を掲載した雑誌「ロスジェネ」創刊号(かもがわ出版)あたりを開くと、彼らの団結する意図、彼らの抱えるプラカードの意味がわかるような気がします。(戻る) そして非常にシビアな目で見ると、大賞は「後期高齢者」か「あなたとは違うんです」になるのでは。でも、受賞者が表彰台に来ないから、ダメかな……。
2008年11月14日
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ついに「蟹工船」の映画化が決定した。遅きに逸するか、と気をもんでいただけにとりあえずめでたい。監督はSABU。スピード感溢れる展開の「DRIVE ドライブ」のエンタメを作る一方、「疾走」では、地域で疎外された少年と少女の暗い情念と希望を描いた作品も作る。松田龍平主演で「蟹工船」を映画化「テーマはきちんと描きますが、説教くさくはしたくない。エンターテインメントで、ポップな『蟹工船』になると思います」と監督は言う。その意気込みやよし。現代で作る以上、明日からの生活のめども立たないのに、インターネットゲームをしながらネットカフェ難民になってしまう若者の現状にあった映画にするべきだろう。ただ、気をつけて欲しいのは、わかりやすくしようとするのに気を使って、へんな映画にしないで欲しい。「希望を持てない」糞ダメみたいな蟹工船の労働者の気持はきちんとわかった上で映画を作って欲しい。少なくとも俳優たちは綺麗なインターネットカフェに泊まるのではなく、蒲田の1時間100円のインターネットカフェに一晩泊まってほしい。出来たら数日日雇派遣をしてみて欲しい。その上でポップでカルチャーな映画になったらいい。群像劇だから、俳優は松田龍平だけではないだろう。いろんな男たちをきちんと描き分けてほしい。問題は監督官の浅川である。イメージとしては、西島秀俊ではない。あんなに線が細い感じではない。でも彼は映画馬鹿だから、みごとに化けてくれるだろうという期待も持てる。
2008年11月13日
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昨日、一番安いガソリンスタンドが120円になっていた。今日は数軒それに追随していた。ついにここまで来た。感慨深い。九月の終わりには172円まで行っていたと思う。たった一ヶ月半の間に50円下がった。株価よりも落ち方が激しい。120円と言う数字は実は思い出がある。2005年12月17日の安い水準の岡山県のガソリン価格だった。何故覚えているかと言うと、九州平和と古代を訪ねる旅(1)この旅のために一番目に入れたのがこの価格だったからである。やがて数日後、福岡で117円のガソリンを入れてものすごく安い、と思った記憶があるし、九州大分から愛媛に渡ったとたんに132円になってびっくりした覚えがある。では、ガソリン価格は比較的安定していた3年前に戻ったということなのだろうか。イヤ、この120円は同じ120円でも、3年前のそれとは違うだろう。今ガソリン価格は産出量と需要と供給で決まっていくものではなくなってしまっている。ガソリン価格はこれからさらに落ちるだろう。そしてまた反発する。実態とはかけ離れて、本来海を行く魚が空の上でくるくる回っている。マネーゲームで石油価格がころころ変わり、小麦価格がころころ変わる。そんな経済を根本から「規制」する、そんな政治をする人間が本当の政治家だろうと思う。オバマはどうするのだろう。(すみません、私経済音痴なのでまるきりわかりません)日本では望むべくもない。選挙で替えようと言う所以である。
2008年11月12日
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「いいの?(バイオリンをやめて)あなたのいままでの人生を棒に振ることになるのよ。」「これからの人生の方が長いですから」監督 : 中原俊 原作 : 吉田秋生 出演 : 福田沙紀 、 寺島咲 、 杏 、 大島優子 、 はねゆり 、 武井咲 、 米倉涼子 、 菊川怜 、 上戸彩 、 柳下大 、 京野ことみ 、 大杉漣 、 富司純子 平日の夜のレイトショー。珍しく、むさくるしい男が三人だけの淋しい鑑賞だった。一週間目にしてこれだと配給側は苦しいだろうな、と思う。しかし、作品としては、そんなには悪くなく、むしろいいほうの出来だったと思う。ぶっきらぼうで、集団に染まらない祐樹桃を福田沙紀が存在感を持って演じている。総じて女の子たちはみんな存在感があってよかった。校則に縛られた少し古臭い女子高のなかで、昔「不祥事」があって上演禁止になっている演劇をやろうとする女の子たち。しだいと熱を帯びていく「若さ」を演じている。むさくるしいおっさんが見るべき映画ではない。ぴちぴちの女の子たちが見るべき映画である。完璧に宣伝を間違えている。過去の作品のことはほとんど忘れていた。たぶん今回も少しずつ違うリメイクなのだと思う。だとしたら、あと十数年したら、もう一回中原監督はこの作品を作るべきだろう。そのとき初めて「桜の園」三部作は完成するだろう。
2008年11月11日
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取り急ぎ、ご報告。昨日夜に「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会」から賛同表明に対するお礼と報告のメールが来た。不当逮捕の三人が釈放されていることは一応知っていたので、よかった、よかったと悦びたいと思っていたのであるが、なんと最後の一文で「「救援会」は今後、3人の不起訴を勝ち取るまで闘いを続けてまいります」とあるではないか。てっきり不起訴処分決定で、無罪放免されたのだと思っていた。無罪放免でも、警察のやり方を二度起こさないための運動や、マスコミ対応の批判は必要だと思っていたが、もしも起訴されたならば、刑事裁判の99.9%は有罪になるという日本の理不尽な裁判制度はまだ残っているわけだから、まだまだインターネットでの注視は必要と言うことである。麻生でてこい!!リアリティツアー救援会ブログへの注目をこれからもしていきたいと思う。以下届いたメール「麻生でてこい!!リアリティツアー救援会 不当逮捕弾劾声明」に賛同をいただいたみなさま、ご支援をいただいたみなさまへご報告が遅くなり、大変申し訳ありません。10月26日に東京・渋谷で行われた「リアリティツアー2――62億ってどんなだよ。麻生首相のお宅拝見」にて不当・不法逮捕された3名は、11月6日午前、11日ぶりに釈放されました。早々とメーリングリストやブログを通じてこの不当逮捕の問題を取り上げていただいたみなさまや、弾劾声明に賛同していただいた全国・全世界のみなさまの声(約700件:7日時点)により、3人が釈放されたものと感謝しております。本当にありがとうございました。6日19時から総評会館で行われた「でてこい3人!でてこい麻生!!麻生邸リアリティーツアーの不当逮捕に抗議する集会」には約250人の方々にお集まりいただき、3人も元気な姿を見せ、釈放を喜びあいました。集会では、3人がそれぞれの言葉で当日の状況や拘留中の様子、そして支援者への感謝を述べました。また、会場で当日の映像を見ながら警察の無法ぶりを再確認し「何らかの形でやり返す」ことを決意しました。また、警察発表を無批判に流すマスコミの姿勢を批判し訂正を求めました。「救援会」は今後、3人の不起訴を勝ち取るまで闘いを続けてまいります。引き続き、ご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。11月9日
2008年11月10日
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知る人ぞ知る韓国の全国紙「ハンギョレ」は特異な生い立ちを持った反権力の新聞である。2000年に伊東千尋が週間「金曜日」に連載したルポをまとめたブックレットであるが、今回初めて読んで、大学新聞会OBとしては少し血が騒いだ。たたかう新聞「ハンギョレ」の12年 岩波ブックレット1987年軍事政権がいよいよ末期症状を呈していた頃、70年代に軍政に反対した記事を書いて職を追われたジャーナリスト四人が、新しい新聞を作ることを決意する。何が新しいのか。先ずは権力と資本から真に独立するために、資本金は民衆からの寄付で集める。50億ウォン(当時約8億6千万円)。韓国ドラマ「砂時計」でも触れられていたが、当時はテレビや新聞の信頼度は地に落ちていた。その不信感はBSEのデモなどを見ていると、おそらく今でもある。政府の言いなりの嘘の記事を書かない新聞は求められていたのである。そして幾多の苦労と感動的なエピソードのあと、その金を集めきるのである。それでもギリギリの設備と情熱だけの報酬でスタートせずに入られなかったにもかかわらず、やがて「ハンギョレ」は10代全国紙のなかで影響力では4位、正確と公正さでは一位の地位を得るようになるのである。コンピューター版組みと言う最先端の技術と、化石のような印刷機のもとで創刊号が刷り上ったときには、大きな歓声に包まれる。ほかの新聞と違うところは例えば、「世論媒体部」。常に新聞の一ページをメディア批判に充てることにする。例えば、「国民記者席」。読者の投稿を積極的に載せるのである。学生は大学の学生運動の動きを書き、労働者は職場の不正を告発した。もちろん記者は一切賄賂を貰わない。そしてたとえ記者クラブの所属していなくても、次第とハンギョレの記事は信頼を勝ち取っていく。例えば、こんなことがあった。財閥である現代建設に労組が出来たとき、労組の委員長が行方不明になった。会社側に雇われた暴力団に拉致されたのである。だが、当時の韓国ではそれが日常的な出来事だったこともあり、ほかの新聞は無視した。しかしハンギョレはそれを調査して大きく報道したために社会問題になり、現代建設だけでなくほかの大企業も労組に対してこれまでのような好き勝手しなくなったのである。このことは日本のマスコミも他山の石としていただきたい。歩いただけで逮捕!! と言う事体があっても、ついにはマスコミは警察の一方的な発表以外は一切報道しなかった。6日に三人は釈放されたらしいが、もしもハンギョレのようにきちんと報道していたならば、かえって特ダネをものにすることが出来たに違いないのである。ハンギョレは徹底的に民主的な会社である。労組はもちろんある。むしろ記者評議会としての役割を担っている。さらにすごいのは、社長と編集局長を選挙で選ぶのである(97年より)。そして実際に選びなおされている。(元が反動的であったわけでは全然ない。)給料も、ほかの全国紙の三分の一。しかも、高卒と社長との開きは3.5倍しかない。副編集局長の金孝淳氏は日本についてこのように言う。「日本の新聞は韓国と比べて成熟していますが、それと正反対に社会は不正に陥っています。今の日本のマスコミには、先頭に立って闘う姿勢や勇気が弱いのではありませんか。韓国の新聞は、政府が悪いことをすれば突きます。日本の新聞は攻撃的な記事があまり見えません。日本の記者は礼儀正しすぎるのではありませんか。一般の読者に伝える義務を怠っているのではないでしょうか。」おおいに同意する。7日に数少ない「先頭に立って闘う姿勢や勇気」のある一人のジャーナリストが亡くなった。筑紫哲也氏である。私は彼の仕事のすべては支持しない。また、いつも注目していたわけでもない。けれども、アンカーや編集長を離れて個人に戻ったときに発する言葉や記事の幾つかには共感することが多かった。来るべき憲法改悪国民投票の折には、マスコミのなか苦しいだろうけれども護憲の立場で何らかの役割を果たしてくれるであろうことを期待していた。来るべき関が原で護憲側の有力な武将だった。突然ではあったけれども、かっこよく、みごとな戦死であったと思う。私はあくまで遊軍の中のしがない一兵卒に過ぎないけれども、噂に聞こえたかの大将の戦死を此処で悼んでいる。
2008年11月08日
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うち、ちょびっと幸せなんや監督 : 古厩智之 原作 : 田村裕 出演 : 小池徹平 、 西野亮廣 、 池脇千鶴 、 イッセー尾形 、 古手川裕子 べつにベストセラーの映画化だから見たわけではない。監督が「まぶだち」(2001)「ロボコン」の古厩智之だからである。ちなみに「まぶだち」はその年のマイベスト3だった。(個人的な経験が影響しています)実に丁寧にロケーションしていると思った。地方都市の普通のいろんな表情を何気なく見せてくれている。全部関西の地方都市かと思ったら、沖縄県浦添市で色々とロケをしていた。中学校の校門、団地の中のうんこすべり台のある公園、海岸沿いの道路、いかにも安そうな借家、一人の世間知らずの中学生が、なんとかひと夏休みくらいは死なないで生きていける。まだ死んでないコミュニティーが存在している社会。学校では、破産して父親に逃げられた兄弟がどのようにして生きていったらよいのか、全く教えてくれない。だから彼らは一人で生きようとする。そして一歩間違えれば、本当に取り返しのつかないところまでいってしまうのである。何度も何度も食べる場面が出てくる。ああ、生きていくギリギリのところで食べることはこんなにも大変なんだなあ、とそいうこことも実感させてくれる。20代後半の池脇千鶴が高校生の役をしているが、なんの違和感もない。実に彼女は役者である。彼女がふと漏らすのが冒頭に書いたせりふである。いい味を出していた。古手川裕子を久し振りに見た。ちょっとむくんだ顔が如何にも不治の病にかかっていそうでよかった。お母さんの顔をしていた。
2008年11月06日
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ジョン・ウー'S「赤壁」は吉川英治タイプの「三国志」でした。監督・製作・製作総指揮・脚本 : ジョン・ウー 出演 : トニー・レオン 、 金城武 、 チャン・フォンイー 、 チャン・チェン 、 ヴィッキー・チャオ 、 フー・ジュン 、 中村獅童 、 リン・チーリン けれん味たっぷり。関羽、張飛、趙雲、甘興がこれでもかと言うほどに見せ場を演じ、劉備は家臣のために草鞋を組み、老成しているかのように落ち着いた青年孔明や、大人な周瑜、曹操は英雄色を好む。全く日本も中国もおんなじ三国志を愉しんでいるのだとなあ、と思った。それプラス、ゲーム感覚も取り入れている。吉川英治版「三国志」は中学時代、「宮本武蔵」「新書太閤記」を読んだあとに間髪いれずに読んだ覚えがある。読み出したら本を置くあたわず、すぐに最後の方まで読んだ。さすがに英雄が次々と死んでいき、孔明のみが残り、「出師の表」を書くあたりで息切れがしたけども、講談調の三国志は嫌いではありません。この映画、「平安」を願う場面などは出てきますが、平和がテーマではありません。ただ、ただ、かっこいい男たちを描きたい、それだけなのだろうと思う。それはたぶん成功しています。ほとんどたいくつしませんでした。まあ、当然赤壁の戦いの直前で第一部は終わるわけです。それを覚悟して観にいくがよろしかろうと思います。一応次も見たいと思います。
2008年11月05日
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ふるい話であるが、今年9月19日、岡山の貴重な単館系映画館のシネマクレール石関が閉館になった。後残ったのは、シネマクレール丸の内の2スクリーンのみで、この映画館をなんとしてでも護りきらねばおそらく見るべき映画の数は三分の二くらい減るだろうと思える。閑話休題、その閉館一日前に地元映画サークルが自主上映会をした。岡山をロケ地にした映画を最期にここで流して閉館を悼もうという企画である。「バージン・ブルース」(1974)万引き常習犯の女子大生と、事業に失敗した中年男の逃避行を描いた異色のロードムービー。監督: 藤田敏八出演: 秋吉久美子 / 高岡健二 / 長門裕之 / 野坂昭如 / 赤座美代子藤田監督はなんとこの年に「赤ちょうちん」「妹」と並んで青春三部作を一挙に公開する。その最後を飾る作品。結局つかみどころのない秋吉久美子を描きたかったそれだけの映画のようだ。ほかの言い方をすれば、「コケティッシュ」な秋吉の魅力が爆発した作品。長門裕之がまるで桑田圭介みたいな顔をして頑張っていた。凡作だとは言った。ところが、岡山県人にとっては、「おおっ」「おおー」の連続になる。後半全くの岡山オールロケ。桃太郎の銅像が登場する前の岡山駅前、後楽園茶屋の風景、そしてなんと建替える前の倉敷駅前、阿智神社に鷲羽山。児島競艇所、そして私はこの時期までこんなのがあるのとは知らなかったのであるが、今は跡形もない児島の流下式塩田の風景。30年前の懐かしい風景やら、かすかに覚えている風景がてんこ盛り。特に駅前の風景などは、この30年間にどこの地方もたぶん変わっていると思う。「駅前再開発」がこの戦後60年の歴史でもあるからだ。カラーで人が動いている。白黒写真で見るのとは違う、なんとも懐かしい風景でこれだけでも見てよかったと思った。ところで、この記事で1000個目の記事になりました。
2008年11月04日
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昨日の私のドジ記事に対するたくさんの温かい言葉ありがとうございます。財布を落としたのは、この「古代吉備よもやまツアー」に参加したからです。高校教師を講師に地元学習サークルが主催したものです。先ずは吉備津神社。実は観たのは初めてでした。実はここで財布落としました。桃太郎の鬼退治として全国的に有名な大吉備津彦大神を主祭神とするものの、建物自体は室町期に建てられたらしい。その古さ、規模ともに全国屈指の大社です。比翼入母屋造という拝殿と本殿が並んで建っているという日本唯一の建築。また上田秋成「雨月物語」の鳴釜神事でも有名です。吉備津彦に退治された温羅(鬼)の首は最初岡山のこうべという処に埋められたのですが、うーん、うーん、という声が鳴り止まず、犬に食わせても鳴り止まない、それで温羅の首のいうとおりに総社のアゾという処で作られた釜の下に埋め、アゾの巫女に占わせたならば、占いの時にだけなるようにしてやろう、とまあ都合のいいことをいって静かになるわけです。これを見ても温羅が完全に退治されたようには思えません。吉備津彦は大和朝廷からの征服者、温羅は地元の朝鮮系豪族と考えれば、結局温羅は大事な祭を取り計らう裏の大物として生き残っているようです。鳴る釜は吉備津の本殿から少し離れたところに今もずっと火を絶やさずに炊き続けられており、釜も今だにアゾで鋳物として作られています。吉凶の観立ては幸あれば鳴り、禍あれば荒らかに鳴るという。つまり神主の胸先三寸なわけです。次に行ったのは、楯築(たてつき)弥生墳丘墓です。知る人ぞ知る弥生時代最大の墳丘墓(全長72m)、質的にもほかに類を見ない異例なことだらけ。主墳の頂上には木棺を取り囲む盾の様な巨石が建てられている。縄文のストーンサークルのような規則性もない。謎です。(写真参照)または木棺には30キロもの朱が敷き詰められていたし、弧帯紋が施された異様なご神体(亀石)の存在もある。この弧帯紋は纏向遺跡(飛鳥時代に先駆ける大和王権の中心的な町)の弧文円板と同じ。葬送儀礼で共通している。と言うことはどちらが先か。時代的に吉備が先なのは明らかである。私の大好きな遺跡です。その次は楯築の二代目といわれている鯉喰神社弥生墳丘墓。鯉喰神社の下が墳丘墓です。「普通二代目というとさらに大きい墓を建てるものですが、何故この墓は規模が小さくなったのですか」と私が質問しました。「弥生時代はそんなに墓の大きさに拘らなかったのではないか」「一代目があまりにもカリスマがあったということなのではないか」というのが講師の答でした。ここはまだ未発掘の遺跡です。探したら土器が見つかるかもよ、といわれてみんなで探したらほんとに見つかりました。すごい。特殊器台特有の赤土を使っています。(写真参照。携帯のカメラでボケボケですみません)次は造成時では日本一の大きさだった造山古墳です。講師は「無料で自由に立ち入ることの出来る墓としては、世界一かもしれない」と言っていました。宮内庁の管轄ではないんです。無料なんです。ピラミッドも始皇帝陵も有料なので、お得です。みなさんぜひ吉備に来て見ませんか。
2008年11月03日
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と、つくづく思える一日でした。実は昨日、大事な大事な免許書、お金、其の他もろもろが入った財布を落としました。昨日一日は「古代吉備よもやまツアー」ということで、朝から歩け歩けだったのですが、終わってイオンに行って、さあ「レッドクリフ」を観ようとしたときに財布がないのに気がついたのです。後ろポケットからいつこぼれ落ちたのか、全然わかりません。見学箇所に急遽戻ったのですが、もうすっかり暗くなっていて、一箇所行って諦めました。私の財布は自称「ドラえもんの財布」で、キャッシュ、、クレジットはおろか、各種会員証、趣味と言ってもいい十数種類のポイントカード(映画カードにいたっては12回無料で見れるポイントがたまっている)いろんなクーポン券でパンパンです。一万五千円のお金はどうでもいいから、仕事に不可欠の免許証の再交付だけでも考えると、胃がきりきり痛みました。今日は朝から見学箇所をもう一度観て回って‥‥‥無い。吉備津神社の社務所にも届いていない。最期の頼みの綱の交番に行き、紛失届けを出しました。そのときに落し物が届いていないか、聞くと、ここではわからないという。警察署からあったら知らせが行くから、と言われました。その時点で、90%諦めました。大きい財布なので道に落ちたならば、たぶん昨日の参加者が気がついてくれると思うのです。昨日腰を下ろしたところは全部くまなく見ましたが、なかったし、誰か拾って交番に届けるのに1日2日のタイムラグはあるかな、道沿いの溝に落ちたならばまだしも川に落ちていたなら、アウト。それどころか、お金ほしさに盗んでぽいとゴミ箱に捨てたならばアウト。それどころかスリに‥‥‥、悪いことばかり考えました。ふと気がついて警察署に電話しました。そしたら、財布が届いているというではないですか。嬉しくてタクシーで飛んで行きました。どうやら昨日のツアーの最初のところで、落としていたらしい。警察署もいろんな伝を頼って私のうちの電話番号を調べていたところらしい。「日本に生まれてきてよかった。世界の中で、こんなにも財布の返って来る率が高いところはないだろうな。」としみじみ思いました。持ってきた人にお礼をしたいと言うと、警察署の人は「名前は伝えるの拒否されています。なんもしなくてもいいから」とのことで、納得しないまま帰りました。あとで思いなおして、「名前は聞かなくてもいいから、お礼のお金だけでも預かって欲しい」と電話すると、「個人情報保護の関係で相手が名前も御礼も拒否されているので出来ません」とのこと。この個人情報保護云々が出来てから、世の中なんかぎすぎすしてきました。なんか突然みんなとても大事な秘密を抱えて、人とのつきあいが難しくなって来ているみたいです。この前観た「釣りバカ日誌19」にこんな場面がありました。鈴木建設もいまや、セキュリティーにうるさくなってみんな首からカードをぶら下げて部屋に入るには必ずそのカードキーではいるようになっています。連絡はすべてパソコンのメールに変わっているようです。営業三課の課長が部屋に入ると、みんな黙ってパソコン向かっています。課長はおもむろに会議で決まったといって「メールのやり取りばかりで挨拶がなくなった。みんなで朝の挨拶三唱をすることになりました。」というのです。三課のみんなはしぶしぶ三唱。そんな時、かの浜崎伝助のいつものようにカードキーを忘れて、ドアの向こうから鍵を開けてもらうように頼む歌うような声が聞こえてきます。浜崎伝助が三課に入ると、急に三課は活気つき世間話に花が咲くのです。この辺りの脚本は絶対山田洋次ですね。セキュリティーがそんなに大事なのでしょうか。あの法律が一人歩きして、人と人とのつながりを壊してはいないでしょうか。確かに大事な部分もあります。でも何とかならないのでしょうか。
2008年11月02日
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タイでは上映禁止になったらしい。全く不当だとは思わない。この映画のままだと、まるでタイの警察が協力しているから、幼児売春がはびこり、ひいては生体臓器売買がはびこっているかのように描いている。事実がどうであれ、政府はそれを赦す度量がなかったのだろう。しかし、当たり障りのない物語を作ることでこぼれ落ちる真実の方が多い。この作り方でよかったのだ。もちろん、日本人だけが頑張ったからあの売春組織が摘発されたのではない。ちょっと雑な作り方ではあったが、NGO等のタイの民衆の力であの犯罪が揮発されたというつくりにはなっている。監督・脚本 : 阪本順治 原作 : 梁石日 主題歌 : 桑田圭祐 出演 : 江口洋介 、 宮崎あおい 、 妻夫木聡 、 佐藤浩市 、 鈴木砂羽 今日でDVDで「アメリカンギャグスター」を観た。1970年代初頭、アメリカの麻薬取り締まり捜査官の3/4が逮捕された顛末をひとりの黒人胴元と白人の麻薬取り締まり捜査官の視点から描いた骨太の映画なのである。自国の恥部をきちんと描く。アメリカは時々このような傑作を作ることがある。俳優の演技力、細かな歴史考証、日本映画はまだその辺りでは太刀打ちできない。一方タイの映画界も、これぐらいの映画を作るようになったならば、もちろん他国の映画監督がこのような映画を作る必要はなくなる。しかし、「アメリカンギャングスター」よりこの映画の方が優れている部分ももちろんある。この映画には被害者の視点が満ち溢れて、きしきしいっているのだ。日本人の俳優たちも良かった。けれども、頑張ったのは何よりも、タイの子供たちだ。俳優かおまけの存在感を見せていた。この映画を日本人の監督が日本で作った意義はなんなのか。それはとりもなおさず日本だけではないが、とりわけアジアの大国日本が、この犯罪に力を貸していることの、江口洋介の代表される身を切るような後悔なのだろう。乾いた文体で、一歩ひいた視点でひとつひとつのエピソードを積み重ねていく監督の姿勢はさすがだと思った。ただ、江口洋介はあんなあぶないところで、子供も助けずに一人過去の記憶にふけっていたのはいただけなかった。気持ちはわかるが、もう少しうまい処理をしていたならば、今年の邦画のベストに上げていたのに。
2008年11月01日
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