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「図書館の魔女(4)」高田大介 講談社文庫「キリヒトにはマツリカの脳髄の中に、取るに足りない断片を引き寄せて一つの物語に組み立てていく強力な磁力の力の中心とでも言ったものがあるように思える。マツリカの頭の中に吹き寄せられた知識の断片は、その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な知恵に織り上げられてゆく。 それはまさしく図書館の似姿だった。マツリカの中に図書館がある。いやマツリカこそがひとつの図書館なのだ。」最終巻は、全4巻の中で最大長編なのだが、大どんでん返しもなく、これまでの展開を粛々と畳んで行くのに過ぎないように、私には感じられた。確かに幾つか明らかになったことはあるけれども、なくても物語全体には大きな影響はない。1番描きたかったことは、既に描き切れていたからである。それが、冒頭抜き書きしたキリヒトのマツリカに対する評価である。一見すると、ここで描かれているマツリカは現代のAIのようでもある。でもそれは「人間の姿をしたAI」ではない。「AIの能力を持った人間」として描かれる。それは同時に、言語学者としての著者が「現代の図書館を最大限活用したならば、貴方もマツリカになれるよ」というメッセージなのだろう。そのためには、人間としてのマツリカを、そしてそれを補佐する「高い塔=一ノ谷の図書館」のスタッフたちの人間性を描かなければならなかった。そのための物語だったのだろうけど、私が編集者ならば枚数を半分にしろと言ったと思う。エンタメとしてのスピード感がなかったからである。綿密に作り上げられた世界観を持った上橋菜穂子のデビュー作「精霊の木」は、編集者により3/4に削られた。更には、ファンタジーとしては世界観が未だ不十分。現代図書館の知識を十二分に応用したいという気持ちはわかるが、産業革命が未だ達成されていないのに、冒頭抜き書きにあるように、キリヒトが19世紀に確立した「磁力理論」に精通しているという設定はなんなの?とは思う。一事が万事。方々に出てくる難しい言葉は、「検索」すれば出てくるので、私は驚かない。著者が図書館の中の「(知識を)その強力な磁場の中で整序され、それぞれ所を得て配列され、有機的に組織づけられてさらに巨大な」物語を作ったのはわかるにしても、それをパラレルワールドとして成立させるだけの説得性が、未だこれほどの長編の中に感じられない。全く違う歴史過程で作られた世界ならば、そこまでは言わないけれども、この世界はあまりにも私たちの世界と似過ぎているので、大変気になるのである。‥‥厳しいことを書いてしまったが、冒頭抜き書した著者の「メッセージ」には、大いに共感する。主人公を、「言葉を発することはできないけれども、豊かな言葉を持ち」「その言葉を武器にして世界と渡り合う」「10代の少女」に設定し、それを補佐する者も、「10代の少年」に設定したのも、大きなメッセージを持っていて共感する。あえて言えば、「究極の問い」は、こうだったのかもしれない。図書館の中の「言葉」によって未来をつくることはできるのか。とりあえず、この物語の中では出来た。そこは良かったと思う。
2022年02月26日
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「どっちがどっち まぎらわしい生きものたち」梁井貴史・著 金子貴富・イラスト さくら舎もうね、何処を開いても面白い。試しに、適当に開いてみました。◯「ダンゴムシとワラジムシ」(84p)うーむ、困った。面白くないのではなくて、全部面白い。出来たら全文書き写したい。ゴメン、この調子でレビューするとものすごく長くなりそう。でも、私が「好きで」「後学のために」記録しているので、全部読まなくていいですからね。では、面白かったところの一部をメモ。⚫︎ダンゴムシもワラジムシも名前はムシになっていますが、虫(昆虫)ではなく甲殻類に属し、エビやカニの仲間です。⚫︎男女を問わず幼児に1番人気がある「虫」がダンゴムシです。「丸くなる」というのが、幼児にとってはチャームポイントとなるのでしょう。つまもうとしたら、くるっと丸くなるお菓子を発売したら、子どもに爆発的に売れるかも知れません。⚫︎ダンゴハムシには「交替性反応」といって、障害物にぶつかって最初に右に曲がった場合は、次にぶつかると左に曲がり、次は右に、次は左に‥‥という具合に、左右交互に進路をとる性質があります。もし障害物にぶつかるたびに同じ方向に曲がっていたら、ぐるっと一周回ってもとの場所に戻ってきてしまいますが、この性質により、敵に遭遇して逃げるときなど、より遠くに逃げることができます。⚫︎ワラジムシも足は7対ですが、ダンゴムシに比べて平べったい体をしています。ヨーロッパ原産の外来種です(はるばるヨーロッパからやってきて、日本で「草鞋を脱いだ」次第です)。こちらも石や床の下など湿ったところに住んでいて、ひの当たらない便所のあたりにうろちょろしているのが散見されるので、別名「便所虫」などありがたくないニックネームで呼ばれることもあります。両者ですが、ワラジムシはダンゴムシと違って、驚いても丸くならないので直ぐ区別できます。◯ムササビとモモンガ(12p)⚫︎ムササビもモモンガも漢字では「鼯」(←鼠編に吾!)と書くことから、昔は両者を区別していなかったことがわかります。区別するようになったのは、明治時代になってからです。⚫︎ムササビもモモンガも「飛ぶ」のではなく「滑空」します。哺乳類で飛ぶ(翼をバタバタさせる)ことのできるのはコウモリだけです。⚫︎彼らは決して地上には降りません。「ちょっと喉が渇いたので、地上に降りて岩の間から滲み出る湧水をごっくん」なんてことはありません。水分は食料に含まれる水分や夜露で補います。まさに完全な樹上生活です。人間の社会では「しっかりと足をつけて」などと諌めたりしますが、彼らは子どもを何と言って戒めているのでしょうか。◯アフリカゾウとアジアゾウ(15p)⚫︎ゾウの中でも、アフリカゾウは現存する陸上動物の中でも最大で、オスには体重8tに達するものもいます。その大きな体を維持するために食べている量は1日に150キロくらいで、食事時間は10時間以上です。そしてウンチの量は一日に75キロ。じつにダイナミックです。⚫︎1日に10時間も草を噛んでいたら、歯も摩滅してしまうのでは?と心配になりますが、好都合なことに臼歯(奥歯)は摩滅すると、6回も生え変わります。一本の臼歯の重さは約3kg。⚫︎アジアゾウはアフリカゾウに比べると体も耳も牙も一回り小さく、メスの牙は外から見えません。サーカスで芸をするゾウは、アジアゾウと思ってまず間違いありません。⚫︎象という字は典型的な「象」(しょう)形文字で、まさに象(かたど)られたものです。ゾウと呼ぶのは漢語の「象」の呉音が「ゾウ(ザウ)」に由来します。寿命は60-70年です。◯ミーアキャットとプレーリードッグ(29p)⚫︎ミーアキャットはアフリカ南部の平原や砂漠に住んでいます。日光浴が大好きで、朝は並んで日光浴をする姿が見受けられます。「キャット」と名付けられていますがネコの仲間ではありません(マングースの仲間)。岩場などに10-15頭の群れで暮らし、昆虫や小鳥を食べる肉食動物です。⚫︎プレーリードッグは北アメリカの草原に住んでいます。「ドッグ」と名付けられていますが、犬の仲間ではありません(リスの仲間)。犬に似た鳴き声をするのでこの名になりました。◯ニホンリスとタイワンリス(30p)⚫︎ニホンリス、タイワンリスともに体は濃褐色なのですが、腹部を見るとニホンリスは純白なのですぐに見分けられます。また、餌を食べている時の尾っぽを見ると、ニホンリスは太い尾を背中に乗せていますが、タイワンリスは尾はだらりと垂らしたままです。⚫︎野外(特に市街地)で見かけるのは、間違いなくタイワンリスです。ニホンリスは四国・九州の亜高山地帯に住んでいて滅多に人前に姿を見せることはありません。一方タイワンリスは観光地や住宅に住んでおり、人間の与える餌に寄ってきます。与えられた餌を両手で挟んでモグモグタイム。⚫︎「リス」の名は「栗(を食べる)鼠」という「栗鼠(りっそ)」が転嫁したものです。←台湾でたくさんタイワンリスを見た。台湾のみかとおもいきや、日本もミャンマーやマレー半島にも生息域を広げて害獣対象にもなっている、とのこと。そういえば韓国でも南部の住宅地で見たことを思い出した。◯カブトエビとカブトガニ(54p)⚫︎両者共にエビやカニの仲間ではなく、古代三葉虫から進化した仲間。カブトエビは3億年、カブトガニは2億年、姿や形を変えずに生きてきたため「生きた化石」と呼ばれる。では、3億年変えていないゴキブリは生きた化石なのでしょうか?残念ながらそうは呼びません。「生きた化石」という呼称は数の少ないものに限られています。←岡山県笠岡湾のカブトガニはいっとき絶滅したと言われていた。もしかしたら地球上で、1番生命力が強いのは、人類ではなくゴキブリなのかもしれない。◯イカの墨とタコの墨ってどうちがうの?(58p)⚫︎イカの墨は粘り気があるので、直ぐに固まってしまいます。敵が近づくとイカはポッポッといくつもの墨を吐きます。敵にしてみれば、一匹のイカを追っていたはずなのに、突然目の前に現れた複数の黒い物体(イカ)に面食らい、頭がパニック。手当たり次第に黒い物体に襲いかかっては「ん?これではない」「ん?これでもない」と歯軋りする敵を尻目に、イカはまんまと逃げおおせます。まさに「分身の術」と言ったところです。⚫︎一方、タコの墨は粘り気が少なく、さらさらして海中で勢いよく広がります。急にあたりが真っ暗闇になり、敵にとっては突然停電が起きたような状態で、何が何だかわからなく戸惑ってる間にタコはドロンします。⚫︎イカ墨のスパゲッティはありますが、タコ墨のスパゲッティはありません。⚫︎タコやイカの墨を墨汁代わりに字を書くことはできますが、真っ黒な字を書くことはできません。どうなるかというと、茶褐色になります。タコやイカの墨はメラニン色素であり、メラニン色素はタンパク質なので、時間が経つと腐敗します。そのため長持ちしません。⚫︎「いかさま」という言葉がありますが、これはイカで書いた証文が数年経つと消えてしまうことから「イカ墨」が訛ったものです。◯フグとハリセンボン(79p)←フグの雑学には、ミステリで使えそうなネタが山ほどある。⚫︎フグ。ふくれるので「ふく」、それがいつしか「フグ」と呼ばれるように。漢字で「河豚」と書くのは、体が豚のように肥大するからとも、釣り上げられたとき、「キー、キー」と豚のような声で鳴くからとも言われています。⚫︎フグの毒の成分はテトロドトキシンといい、神経を麻痺させます。毒は主に卵巣や肝臓、皮膚に含まれていますが、この毒は煮ても焼いても分解されません。毒に当たると、早ければ30分、遅いと3時間もしてから症状が現れ始めます。食べた途端に症状が現れるわけではありません。やがて痺れや麻痺、言語障害から呼吸困難に陥り、最悪の場合は死にます。⚫︎しかし、フグは生まれながらに毒を持っているわけではありません。稚魚の間は無毒です。フグは海底の土を小さな口で吹き飛ばしながら餌を食べますが、この時海底に住んでいる毒を持つ細菌も一緒に食べてしまいます。その毒がフグの体内に蓄積されるのです。したがって、稚魚の時から人工飼料で養殖されたフグには、毒はありません。⚫︎なお、フグ調理師免許は都道府県それぞれの免許であり、全国共通ではありません。そのため免許を取得した都道府県でしか認められないので他県では新たに免許を取り直ししなければなりません。⚫︎ハリセンボン。実際のトゲは370本ほどで、名前で言われる半分もありません。毒はありません。⚫︎なお、ハリセンボンという名前のカニもいます。ちなみに、指切りの際の常套句「嘘ついたら、ハリセンボン飲ーます」は、この魚やカニを頭から丸呑みさせるという意味ではありません。◯みそ汁のアサリの中の小さなカニ(83p)←こんなに書き写していたら、著作権者から苦情が来そうですが、その時は対処しますので、権利者はお知らせください。もうホントに全部書き写したいほど面白いんです!⚫︎アサリのみそ汁を食べている際に、時折貝の中に小さなカニが入っていることがあります。カニの子どもと思ってしまいますが、じつはこれは小さな大人のカニで、カクレガニ科に属するピンノというものです。それもメスです。⚫︎ピンノのメスは、生まれるとすぐに二枚貝の中に入ります。そのあとは一生そとに出ることはありません。貝の中にいることで、敵には見つからないし、貝が吸い込んだプランクトンを横取りできるので、食べるのにも困りません。自分で働く必要もなく、毎日「食べては寝て」の怠惰な生活を満喫(?)しています。怠惰な生活(寄生生活)のため、色素や体表面の石灰質までもが退化してしまい、体は白く甲羅もやわらかくなっています。⚫︎オスはどうしているのかというと、オスの体はメスの1/3ほどの大きさしかなく、開いた貝のわずかなすきまから自由に出入りできます。それでオスは繁殖期になるとその小さな体をフル活用して、手当たり次第に貝を訪問し、引きこもっているメスに出会うと「オー、ベイビー!ずいぶん探したゼェ〜い」と繁殖に励みます。メスは貝の中で卵を産み、卵からかえった幼生は「バイなら」と言い残して(これも既に死語でした)、貝の出水管から外に出ていき、メスはほかの貝に入水管から無断侵入してそのまま居座ってしまいます。⚫︎アサリの中に入っているのはオオシロピンノ、ハマグリの中に入っているのはマルピンノです。シジミの中にもシジミピンノがいることがありますが、きわめて珍しいことです。◯カモメとウミネコ(110p)⚫︎カモメの嘴は全面黄色で、ウミネコは先端に赤と黒の模様があります。尾羽はカモメは全面真っ白ですが、ウミネコの尾羽には黒くて太い帯があります。⚫︎カモメ(鴎)の若鶏には褐色のマダラがあり、これを「籠の目」の模様に見立て「カモメ」と名付けられたとも、あるいは小さい「カモ」のようであることから、ツバメ、スズメと同じ小鳥をあらわす接尾語「メ」を加えて「カモメ」と名付けられたともいわれています。⚫︎ウミネコ(海猫)は「ニャオー、ニャオー」とネコソックリな声で鳴きます。ウミネコは世界中で唯一日本とその周辺地域だけに繁殖している鳥です。⚫︎ユリカモメ(百合鴎)は日本には冬鳥として飛来します。ユリカモメは別名「ミヤコドリ(都鳥)」と呼ばれ、東京都の鳥(都鳥)となっています。しかし、ミヤコドリという別種の鳥がいて、混乱してしまいます。つまり、東京都の鳥(都鳥)は「ミヤコドリ」なのですが、ミヤコドリではなく「ミヤコドリと呼ばれている鳥」というややこしさです。◯以下、まぎらわしい名前の生きもの◯カジカ(130p)⚫︎魚のカジカ(鰍)は、全長12センチほどのハゼに似た魚です。鰍は鱗がないので体表は滑らかです。水の綺麗な砂利ぞこの川にすみ、主にトビケラやカワゲラなどの水中昆虫を食べます。身の閉まった味。北陸地方の伝統的な川魚料理の主役、ゴリがそれです。ちなみに「ゴリ押し」という言葉は、ゴリを取るために川底に網を当てて強引に進む様子から生まれました。カジカというのは、その味が「鹿の肉」のように美味しい=「河の鹿肉」ということに由来します。漢字では「鰍」と書きますが、これは造字で、早春に産卵したあと餌を十分にとって、秋には丸々と太り、秋が旬となることからです。⚫︎カエルの方は一般に「カジカガエル(河鹿蛙)」と表記されます。渓流に住んでおり、体長は5センチほどです。体は緑色を帯びた褐色で暗褐色の斑紋があり、石の上では保護色になっています。日中は川岸の石の下などに潜んでいます。5-7月の繁殖期にオスが岩の上などで「ヒュル、ルルルル‥‥」という美しい声で鳴きます。それが鹿の鳴き声に似てる、河に住む鹿ということから「河鹿」と名付けられました。万葉集にはガエルを詠った歌が十数種類あるとのことですが、その全てがカジカガエルのことを詠っています。▲遂に字数が5500字ほどになった。キリがないし、一種迷惑なので、この辺りで切る。もし、全部読んだ方はご苦労様でした。▲本書はトリビアな情報満載だし、一度読んだらなかなか忘れない書き方なので、初めてのデートや子どもを連れての動物園・水族館などで事前に読んでおけば「パパ!なんでも知ってるんだね!」と目をキラキラさせて尊敬されること必至です。▲Kazuさんの紹介。ありがとうございます♪
2022年02月26日
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「図書館の魔女(3)」高田大介 講談社文庫2022年2月x日、プーチンとウクライナ大統領と日本の◯◯は三者会談を行なっていた。今や世界の火薬庫と化したウクライナ危機を回避するためである。憲法9条を擁し、かつて世界中の平和の権威を持っていた日本は、とんでもない提案をした。それは、ロシア、ウクライナ、西側諸国全てに利益が上がる、三方両得とも言える提案であった。とまぁ、「図書館の魔女(3)」はこんな粗筋である。プーチンが「ニザマ帝」、ウクライナが「アルデイッシュ」であるのはわりとうまく嵌ったと我ながら思うが、流石に日本が「高い塔」のメンバーたちというのはあり得ない(←自国なのに、このように断言できることがちょっと悲しい)。でも、現実の戦争も小説内の戦争も、人・物の消失、物流の停滞からくる狂乱物価、そして将来への禍根しか残さない。なんとか避けてほしい。現代に「図書館の魔女」がありましからば。ここまではおそらく起承転結の「転結」直前、だと思えるので、改めて作品世界の設定について感想を述べたい。舞台は、産業革命も未だ起きていない、西洋と中東、中国を一緒にしたような「世界」。活版印刷は始まったばかりののようだから、図書館に集められる本は文字通り当時の知識の集積場である。その割には、医学や心理学等の知識は近代・現代に近づいている。条約が国の行動を縛る世界というのは、もはや現代国家の姿と言ってもいいかもしれない。キリスト教こそ出てこないが、ソロモン伝説や菩薩信仰、麒麟伝説などは存在する。「海峡地域」は、中心地たる「一ノ谷」を挟んで、現代グローバル世界のような一大貿易商圏をつくっている。その一ノ谷が、図書館の魔女たるマツリカの先代・タイキの代に、手紙(交渉)のみで「遂に起こらなかった第三次同盟市戦争」を実現させた。その権威が、軍事力よりも、産業価値よりも「一ノ谷」という国の存立基盤になっている、という奇跡のような「世界」である。図書館の魔女は、いわば電気やAIのない時代に、世界のシンクタンク兼国連事務総長を兼ねている。いまのところ、作者はウクライナ危機に役立つように世界平和に資する物語を作ろうとしてはいないと思う。それよりも描きたいのはひとえに「図書館の可能性」だろう。「図書館にいったい何ができるのか」ひいては「(ソロモンや文殊菩薩のような)知恵をどのように集めたら、世界をもっとよくしていけるのか」もう、そのためだけの小説だろう。反対に言えば、未来を作るためには、「いま・ここ」だけを見ていてはダメで、古今東西に通じなければいけないよ、というメッセージである。それを10代の若者マツリカとキリヒト、そして20代の大人の女性ハルカゼとキリンに託したのである。
2022年02月21日
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「知りたい会いたい特徴がよくわかるコケ図鑑」藤井久子 家の光協会こんな世界が広がっていたなんて!遂に10倍のルーペを買った。試しに、いつもびっしり苔が生えているなぁと思っていた樹の表面に近づき覗いてみると、今まで見ていた濃緑色の模様がなくなり、一面、花畑のような「朔(さく)」が生えていた。これだと、彼女の名前も知ることができる。たぶん68pにある「ヒナノハイゴケ」だろう。「低地の樹幹で最も普通に見られ、都市部の街路樹にも普通。雌雄同株で胞子散布は主に冬に行う。朔が成熟して帽と蓋が取れると、ルージュを引いたようなくっきりとした赤色の朔の口と朔歯が現れることから「クチベニゴケ」の別名がある」とのこと。またメモとして「胞子は朔の口からモコモコと盛り上がるように出る。その様子は抹茶ソフトクリームのようで面白い」とある。あと1-2週間しか期間がない。見てみたい。続け様に家の苔たちを見てみる。そうすると、全部同じように見えていた緑の苔が、全部違う表情を持っていたことがわかる。それと同時に、苔の観察は「かなり恥ずかしい」ということもわかった。宝石鑑定の要領なのでルーペから目を離したら絶対見えない。ルーペは小さいから傍目には「不審人物」のようにしか見えない。それでも苔観察は、半径数メートル有ればこと足りる。黙って観察せざるを得ないし、コロナ禍では格好の「世界が広がる趣味」ではある。さぁやるぞー、と言ったところで、本の貸借期間が過ぎる。あと2週間借りれない。気に入った図鑑は嵩張るけど買うことに決めた。検索と要覧では、電子よりも紙の方が圧倒的に便利だということもわかった。苔たち、また会いにくるからね。
2022年02月19日
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「図書館の魔女(2)」高田大介 講談社文庫上下巻の上巻後半にあたる本巻、少し安心した。蘊蓄話で終始するかと思いきや、巻末で思いっきりエンタメに振ったのである。ひとつの「会話」から、鮮やかな「展開」が描かれ、畳み掛けるように「危機」が訪れ、それを思いもかけない方法で「回避」する。当然、世の事象を見事に分析することができるのが「高い塔」スタッフなのだから、前半部分で細かく張り巡らされた伏線は、多くは回収される。さて、ここまで読んできても未だ私は、この作品が何を描きたいと思っているのか測りかねている。「いや、普通にわかるでしょ?図書館の魔女が実現する世界の平和しょ」と言われるのを承知で言う。もしそうなのだとすれば、今のところ、権謀術数でしか平和は訪れない、となる。そもそも、この世界は著者の思うようにつくっているのだから、将棋の棋譜を完璧にすることは容易くはないが可能だろう。著者の描きたいのは「世界の平和とは何か」ではない、と今のところ思う。後半に期待したい。
2022年02月19日
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「作りたい女 食べたい女(1-2巻)」ゆざきさかおみ KADOKAWA最初は単なる性役割分担批判のマンガだと思っていた。たくさんご飯を作りたい野本さんが登場する。料理が好きで、SNSで料理欄も設けている。でも「良いお母さん」「良い妻」になるために作っているわけじゃない。「自分のために好きでやってるもんを、全部男のために回収されるの辛い」と感じる野本さんであった。その彼女に、住んでるマンションの隣に月に7-8万もの食費を使わないと食欲が収まらない「食べたい女」がいることが判明する。2人の利害は一致して、「作り、豪快に食べてくれる」生活が始まる。女性同士だけど、美味しく食べてくれる、いろんな思いやりを示してくれる、そんな相手がいる、これがこんなにも嬉しいと野本さんは気がつく。2巻目で、それが「恋心」に発展するのである。まさか、この作品がBLならぬGL(ガールズラブ)の作品とは思わなかった。未だ2巻。未だ野本さんの片思いで、GLは成立していない。果たしてどこまで行くのか。注目したい。「このマンガがすごい」オンナ編第2位。
2022年02月18日
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『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) マンガ好き800人が選んだ「このマンガがすごい2022」において、「オンナ編第一位」になった本書を読んでみた。夫と死別した68歳女性が、美大映像科に途中入学して映画を作り始める物語。まだ一巻しか出ていない。私は「このマンガ」や「マンガ大賞」の上位に入った作品はチェックしている。そういう意味では小説と違って流行を追っている。マンガは時間的にそれが可能だからしているので、必ずしも賞をとった作品が総て素晴らしいとは思ってはいない。画は構成から光線の使い方からとても映像的で、若い作家なのに申し分はない。還暦すぎて再出発は、流行りに乗ったのがもしれないし、切実なテーマが立ち上がるのかもしれない。まだ始まったばかりでなんとも言えない。この賞は、ある程度玄人読みする人が選んでいるだけあって、期待値で賞を取らせたのかもしれない。(自分は)「映画を観る側」ではなく「作る側」なのかと気がつく主人公。そういう気持ちは、私はとっても共感する。私のレビューなんて、いつも大抵は「作る側の立場」で書かれている。気がついている人もいるとは思いますが‥‥。まだ始まったばかり。ホントに評価すべきなのは「これから」である。
2022年02月18日
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「ダンダダン」(1)-(3)龍幸伸 ジャンプコミックス「このマンガがすごい」オトコ編第4位。3巻まで一気読み。学園ラブコメ兼、オカルト兼、霊力取り込み変身モノ兼、超能力バトル兼、SF兼‥‥。編集者の作品紹介を借りれば、「怪異とバトルと恋が暴走中」!!基調はラブコメなんだろか?オカルトなんだろか?それを保証する作者の画力は、驚く他はない。冨樫義博と藤田和日郎と吾峠呼世晴を足して三で割ったような、詰め込み方と描き込みとPOPさとスピードを持っている。あとはテキトーに恋と友情と勝利と「」付き努力とセクシー場面が描かれる。「楽しいマンガを見せたい」という気持ちはヒシヒシと感じるものの、弱点は、最終的には何を描きたいのか、全然見えてこないこと。むしろ、ダリのようなシュルリアリスムな世界を狙っているのだと言われた方がスッキリするけど。そんな難しいことは全く考えていないっぽい。むしろ、若い人からは「そんな難しく考えなくて、良いんじゃね?楽しければ、良いんじゃね?」と言われそうだ。‥‥マンガって、むかしからそんなモンだろ?うーむ、上手く言えないけど、そんな作者は直ぐに飽きられると思うんだ。
2022年02月18日
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「このマンガがすごい!2022 決定今年のベスト10」宝島社今回、ネットカフェで集中して読書した。上位に入ったオトコ編4位、オンナ編1位、2位をチェックした。私は加藤周一の指摘を守って、文学は流行を追わないことにしている。人生は短く人生で読める本の数は限られているからである。よって、本屋大賞を流行世界の窓としている。ただし、マンガはもう少し間口を広げている。小説よりも速く読めるからである。「このマンガがすごい」賞は、マンガの直木賞というべき、玄人読みが選ぶマンガの大衆賞と、私は位置付けている。直木賞と同じように、此処に選ばれているからといって、私がその年のマンガ作品ベストだと思っているわけではない。証拠に「進撃の巨人」最終巻などはオトコ編16位になっている。私は昨年出たマンガの中でベスト5に入る作だと思っていた。「きのう何食べた?」「ゴールデンカムイ」はノミネートから外れた。どうやらこの賞は、新しい方向性を打ち出したマンガに敏感に反応するようだ。『チ。-地球の運動について-』については、今回一通り読んだのだけど、まとめる時間がなかった。かなりの力作ではあるが、またの機会にレビューしたい。「ルックバック」「怪獣8号」「女の園の星」は既に評している。もっとも、マンガの良いところは「多様性」にあるわけだから、私の意見も「多様性」のひとつに過ぎない。それぞれの1位の作者には、スペシャルインタビュー記事が載っている。それは滅多にない作者の生の声なので、貴重だろう。「ルックバック」(昨年12月にレビューした)の藤本タツキは、主人公2人のうち、藤野の方は自分がモデルだと認めていた。アシスタント時代の龍幸伸(「ダンダダン」)の絵もあるそうだ。「海が走るエンドロール」のたらちねジョンは、編集者主導のテーマ決定だった。以下参考までに、今年のオトコ、オンナ上位10人までをメモする。オトコ編★ 第1位 ★ 『ルックバック』 藤本タツキ(集英社) ★ 第2位 ★ 『チ。-地球の運動について-』 魚豊(小学館) ★ 第3位 ★ 『怪獣8号』 松本直也(集英社) ★ 第4位 ★『ダンダダン』龍幸伸(集英社) ★ 第5位 ★『東京ヒゴロ』松本大洋(小学館) ★ 第6位 ★『葬送のフリーレン』山田鐘人(作)アベツカサ(画)(小学館) ★ 第7位 ★『【推しの子】』赤坂アカ×横槍メンゴ(集英社) ★ 第8位 ★『トリリオンゲーム』稲垣理一郎(作)池上遼一(画)(小学館)★ 第9位 ★『ペリリュー 楽園のゲルニカ』武田一義(著)平塚柾緒(太平洋戦争研究会)(協)(白泉社) ★ 第10位 ★『ダーウィン事変』うめざわしゅん(講談社) (オンナ編)★ 第1位 ★ 『海が走るエンドロール』 たらちねジョン(秋田書店) ★ 第2位 ★ 『作りたい女と食べたい女』 ゆざきさかおみ(KADOKAWA) ★ 第3位 ★ 『大奥』 よしながふみ(白泉社) ★ 第4位 ★『うるわしの宵の月』やまもり三香(講談社) ★ 第5位 ★『女の園の星』和山やま(祥伝社) ★ 第6位 ★『ブランクスペース』熊倉献(ヒーローズ) ★ 第7位 ★『かげきしょうじょ!!』斉木久美子(白泉社) ★ 第8位 ★『しあわせは食べて寝て待て』水凪トリ(秋田書店) ★ 第9位 ★『ブランチライン』池辺葵(祥伝社) ★ 第10位 ★『ミステリと言う勿れ』田村由美(小学館)
2022年02月18日
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「図書館の魔女(1)」高田大介 講談社文庫「図書館こそ世界なんだよ」という図書館の魔女こと10代の少女マツリカと、その司書兼通訳兼秘書たる3人の若者が世界と対峙する、というお話なのかな。始まったばかりなのでよくわからない。この作品を多くの人はファンタジーという。私がファンタジーに求める条件は2つ。物語の始めから既に世界は作り込まれ、出来上がっていること。究極の問いが発せられ、作者が作った世界内だからこそ、鮮やかな解決で終わること。細かな描写は、かなりこなれていて存在感がある。食べ物や地下水道など。でもそれらは、中世から近代にかけたヨーロッパの文献から拾ってきたもののように感じられ、世界を作ったという感じかまだしない。お約束の「架空の地図」が提示されているが、「風の谷のナウシカ」や「守り人シリーズ」を想起するような地政で、まだ「おゝ」というような作り込みを感じられない。むしろ、ナウシカの「火の7日間戦争」が起きる前の世界のような気さえする。だとしたら興奮する(王蟲を作り出した知恵が図書館から発したのだとしたら‥‥)のだが、その段階まで至るにはこの時代から少なくとも数百年は必要なので関係はない。究極の問いは未だ発せられていない。よく考えたら、上下巻の未だ上の半分を読んだだけなのだ。もう少し読んでいこうと思う。
2022年02月12日
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「泣くな研修医」中山祐次郎 幻冬舎文庫私の父親の膵癌の大手術。とても大きな手術の担当医を務めてくれた先生は、たとえ研修医だったとはいえ決して忘れることはない(名前は忘れた。そもそも普通の若手医師だった)。淡々とした術式の説明をしたエライお医者さんの顔は思い出さないけど、病室に毎日顔を出してくれる若い先生の方を覚えるのが人情というものだ。手術の後に、若い先生は取り出した癌の塊を「希望するなら見せてあげる」と言った。行った部屋のなんと雑然としていたことか。奥の方に黒いソファーを置いてあるのを私は見逃さなかった。術後の1週間は私も父親の病室に泊まり込んだ(布団を借りてベッド傍に敷いた)。夜の8時ごろ少し顔を覗かせて、次の日朝7時ごろ顔を覗かせていた担当医。先生は無精髭を生やして、絶対あの部屋で寝泊まりしているんだと思った。「新・神様のカルテ」で知ったし、この本でも書いているのだが、そんな過労死レベルの長時間労働の研修医の給料が手取り20万円ほどだというのは、その当時は知らなかった。‥‥というのは、患者家族の側から見た研修医の姿。研修医の側から見ると、全く違った景色が見える。専門用語と俗称(スラング)が飛び交う、小さなミスが生命の分かれ道になる緊張感あふれる世界である。どんな仕事でも、はたからは全くわからない専門性と技術の習得が新人の最大の仕事であり試練である。数秒ごとに刻々と変わってゆく現象の意味を、何万という知識の中から瞬時に選び取り最善の処置をしてゆく。人間とはなんと高度な行為を重ねてゆくのだろうか。著書は現役医師。しかも解説者によるとかなり志の高いお医者様だったようだ。とてもわかりやすくエンタメ性の高い小説。天野隆治くんの成長を定期的に小説で覗いていこうと思う。
2022年02月12日
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「新・水滸後伝(下)」田中芳樹 講談社文庫田中版「水滸後伝」の後編である。よくもまぁ2巻にまとめたなぁと思えるほどの怒涛の展開ではある。上巻では、「水滸伝」生き残りの32傑が次第と再結集し、李俊や楽和、童威、童猛たちが(現在の)上海東海にある架空の島国・金ゴウ島の主になるまでを描いた。下巻では、遂に李俊が金ゴウ島隣の王国・暹羅(せんら)本島の王様になってしまう。妖術入り乱れてさまざまな戦いの後、32傑は武松を除いて一堂に集まり、新しい義兄弟4名、他に義を結んだ者4名、義兄弟たちの息子4名が集まって物語が終わる。清代の陳忱(ちんしん)が原作を書いたのは、ひたすら悔しかったからだろう、と腹落ちした。水滸伝108星の好漢たちの終わりがアレでよかったのか?弱きを扶け強きを挫く。それが発展して宋軍をも打ち負かす梁山泊になったのに、天命に支配された宋江の命令とは言え、あっという間に宋王朝に「帰順」し、主要星76人を失ってしまった。あの魯智深が、林冲が、秦明が、李逵が、九紋龍史進が、こんな終わり方で良かったのか!!本来なら彼らは理想の国を作りたかった筈だ。歴史は変えられない?そんなことはない。私に任せなさい。ようわからんが、海の東の彼方には幾つか王国があるらしい。台湾とか琉球とか、そんな名前使わんかったらいいんやろ?中華思想かも知れへんが、そこなら梁山泊残党でも充分支配できるやろ。彼らの夢はそこで叶えたらいいねん(←何故かだんだん関西弁に)。と、陳忱は思ったに違いない。その証拠に、今度は仲間は増えこそすれ、1人たりとも減らなかった。水滸伝で心残りだった、宋王朝への「礼」は燕青が叶え、憎き宦官や童貫などの宋軍の「腐った輩」は、きっちり落し前をつけ、案外いい人たちの聞煥章、何故かピンピンしている王進、扈成たちが重要な味方になってしまう。なんでもあり。パラレルワールド!ともかくハッピーエンド!田中芳樹は、ホントは「後伝」をひたすら編集者に読ませることで、講談社に普及版を刊行させたかっただけらしい。それがいつの間にか自分で描くことになった、と後書きでボヤいている。もっとも、楽しそうに描いているので、それはそれでいいのかも。扈成が言う。「この国はまだまだ豊かになれるよ。宋、高麗(韓国)、占城(ベトナム)、日本、天竺(インド)‥‥これらの国々のちょうど真ん中にあるから、貿易の中心地になれる。漁場も豊かだし、島の奥地は黄金が産出するし、森には香木がぎっしり生えている」()内は私の注。(198p)こういう書き方は、田中芳樹の分析なのだろうけど、実際台湾や琉球が、戦争に巻き込まれなかったら、豊かな独立国になっていたと私は思うのである。因みに、暹羅国の南側にいっとき李陵たちと敵対する三つの小さな島(と言っても五千人の軍隊を出す人口はあるのだが)がある。その一つが釣魚島という。ゲ、これは尖閣諸島の日本名魚釣島のことじゃないか!やはり清代から中国は魚釣島を占拠していたのか?と思ってはいけない。先ず位置関係が全く違う。しかもホントの魚釣島は数千人が生活できる島ではない。多くて数十人でいっぱいになる島なのである。清代に島の実態を全く知らなかったことが、これでかえって証明できるだろう。結局三島は李俊の王国と平和友好条約を結んでいる。
2022年02月12日
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「顔の考古学」設楽博己 吉川弘文館※一度「パレオマニアの吉備国遺物の旅」で扱ったテーマではあるが、加筆訂正してもう一度出す。出来あることならば、専門家の意見を聞いてみたいほどの考察になったと自負している。「池澤夏樹の旅地図」を読んだときに「パレオマニア」の取材方法を知った。少しそれを真似て、一つの遺物をめぐる小さな旅をした。よって、本書の感想は一部のみ。久しぶりに古代吉備文化財センター(岡山市北区花尻1325-3)に行った。センターは吉備の中山の中腹にある。吉備の中山は、様々な古墳や弥生時代の磐座(いわくら)がある聖なる山だ。だからか、此処には神社で1番格式の高い一ノ宮も、日本で唯一ひと山に2ヶ所もある(吉備津神社、吉備津彦神社)し、新興宗教黒住教の総本山も此処にある。何度も来ているので、選ぶ遺物の目処はついている。当然弥生時代。一つ選んで、それが出土した場所に行き、感じたことを書くのが「パレオマニア」のやり方だった。選んだのは、吉備の国発祥で謎の多い「分銅型土製品」である。名前の由来は、江戸時代に使われた秤の重りに似ているためであり、分銅として使われたわけではない。これまでに中国・四国・近畿・北陸・九州から900点あまり出土して、そのうち4割が岡山県出土となっている。私の一番好きなのは、最も最近(弥生時代後期)に作られた、ほとんど縄文時代の土偶のような「顔」のついた土の板だ。くびれがついた小判型。岡山市加茂政所(かもまんどころ)遺跡出土。上半分に表情のみの顔がつく。もうどう見ても、赤ちゃんの顔に見える。しかし、これを赤ちゃんの顔だという研究者はあまりいない。これは「顔」であるということでは意見は一致している。しかし、目が左右対称では無いことなど、つまらない所に注目している。「微笑んでいる」様に見えるのは、「のちに埴輪にも見受けられる『魔除けの効果』」〈辟邪〉を狙ったのだという見方もある。ひとつ発見したのは、普通壊れた形で出てくるのが多いのに、これは完成形で出土したのである。近くから出土したほかの顔付き土製品(時代区分はほんの少しだけ赤ちゃん顔よりも古い)が無表情で、しかも壊れた形で出てきたのと何故か違う。分銅型土製品は、壊れた形で出てくることの方が「正常」なのである。真ん中のくびれで、二つに割れて出てくることが多い。また、まとまって出てくることはなく、住居跡から出土する。500年前のそれは顔さえなくて、抽象的な模様のついた分銅型土製品だった。なんらかの家ごとの宗教行為があったのに違いないと、私も思う。また、私の好きな赤ちゃん顔の土製品は、下がむしろ大きく、ホントの分銅型をしていて、いわゆる普通の分銅型土製品とは違うという指摘もある。弥生時代後期の最終時期の土器として何の意味があるのだろうか?現在の研究では、子どもの枕元に置く魔除けではなく、上に飾り物を刺せる穴もあり、左右に通し穴もあることから、額につけて面のように使ったのでは無いか?という説もある様だ。赤ちゃん顔の土製品にも左右の穴はあったが、飾り物の穴はなかった。また、思ったよりも鼻は高くて、ちゃんと鼻の穴は二つある。くびれは小さい。よって最初から壊さないことを前提にして作ったということだろう。だとしたら、壊して魔物を他所に持っていく効果とは違う祭祀に変化したということだろう。しかし額には付けたのかもしれない。ときは弥生時代後期の中頃(AD150年ごろ?)。ここで何が起きたのか。か^_^目的により、肝心なことは聞かない。資料の場所と出土場所のみ教えてもらった。発掘報告書は売り切れていて無かったが、その場でデジタルで見えるようになっていたので読ませてもらった。出土場所に行ってみた。場所は、文化財センターから吉備津神社に降りて、180号線を西進し、山陽自動車道と交わるところである。その工事中に発見された遺跡なので、今は高速道路の下になっている。東側はすぐ緩やかな、ちょっと見、神南備山(かむなびやま)に近い形の山が迫り、北も山が近くにある。西は足守川がながれ、南にはほとんど小森にしか見えないが、楯築(たてつき)遺跡の小山が見える。弥生時代最大級の墳丘墓にして、最も謎に満ちた弥生の王墓である。元気な子供が走れば30分ぐらいの距離と見た。吉備国中枢祭祀場から生活圏にある、津寺遺跡と併せてこの辺りは、まさしく吉備国の中央地区だった気がする。常に楯築の山を見ながらの生活だったのだ。さて、やっと「顔の考古学 異形の精神史」(設楽博己・吉川弘文館)で言及されている分銅型土製品について述べる。少ししか書いていないので、全面的な考察ではないが、とりあえず最新研究は見ているようだ。土製品はずっと縄文時代と関係ないと言われてきたが、近畿の縄文時代晩期終末の長原式土偶が、近畿姫路市丁・柳ヶ瀬遺跡あるいは総社市真壁遺跡の前期土製品に繋がるのではないか?という研究を紹介している。これにより、縄文土偶が分銅型土製品につながる道が見えてきた。設楽さんは、特に土製品の「顔」の「笑い」の意味について、私と(少し違うが)似ている意見を持っていた。つまり、魔除けの効果(辟邪)を狙ったものではないとする意見である。何故ならば(1)顔があまりにも穏やかで微笑ましい。(2)魔除けの鯨面絵画資料が墓から出るのに対して、土製品は墓からでない。設楽さんは「女性をかたどり、柔和な笑顔をたたえている」「おそらくは出産にかかわる護符のような機能」を持っているのではないか?と考えを述べる。それを補強するもうひとつの要因として、土製品の顔には、一切鯨面(刺青)の表現がない。ナント!赤ちゃん土製品の出た加茂政所遺跡の数百メートル西の津寺遺跡の、しかも弥生時代後期から鯨面線刻土偶が出土しているのである(←知らなかった)。「入れ墨は男子の習慣」だと書いたは魏志倭人伝である。設楽さんは土製品を「女性」だと言うが、私は少なくとも、最終末期に作られた赤ちゃん土製品は「赤ちゃん」だったと思う。赤ちゃんにも入れ墨はもちろんないからだ。赤ちゃんだという根拠は、赤ちゃんの顔だからである。あどけない寝顔のような顔にしか見えないからである。だから、出産の時にも効果を発揮しているかもしれないが、それ以外の時にも効果があるかもしれないのである。私は、やはり、子供を助けるための祭祀だったと思う。同時に子供が助ける祭祀だったのかも知れない。赤ちゃんは眠っている。夢を見ている。幸せな夢を見ている。安心しきっている。これまでも、これからも、病気も飢えも争いも憎しみもない空間が、この赤ちゃん土製品の周りにはあり、それを保証するだろう。集落で行われた豊作を祈る祭り(青銅器祭祀)が下火になるにつれて分銅型土製品も姿を消していった。家々での出土だったことを考えると、村の祭りを司る力は低下して、楯築の王の王国の強力な呪術の力が、人々の生活を守る様になっていったのかもしれない。150-180年に、この赤ちゃん土製品を使って家々で行われた或る秘儀の継承は必要なくなっていったのかもしれない。楯築王墓の儀式の成功の時、赤ちゃん土製品は、まるで家の御守りのように大事に家の隅に祀られていただろう。それは同時に全く新しい時代の曙光を意味する。弥生時代が終わろうとしていた。
2022年02月04日
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「学問のすゝめ」福沢諭吉 佐藤きむ訳 角川ビギナーズチコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。チコちゃんは聞きます。「学問のすゝめ」は何を書いている?「学問のすゝめ?知ってるよ。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず、というヤツでしょ?明治の四民平等を広めた人だよね」そんな風にドヤ顔で答えてくる一般人のなんと多いことか。ボヤーっと生きてるんじゃねーよ!その人に聞きます。「貴方は学問のすゝめを最初から最後まで読んだことがありますか?」おそらくほとんどの人は読んでいない。私も、大学のゼミで、半年かけて読むまでは、福沢は四民平等を訴え、自由民権運動を理論面から支えた人だと思っていた。ところが、最後まで読むと福沢は自由民権運動にほとんど関心を持っていないことがわかる。何故こんなことになったのか?理由はある。福沢諭吉は、話しこどばで学術書を書いた先駆けであり、本書は明治のベストセラーになったので、簡単に読めるとみんな勘違いしているのだ。いざ紐解くと、かなり高度で幅広い問題を論じているので、ほとんどの人が途中で挫折するのである。或いは最初だけ読んで理解した気になっている。それは「読んだ」とは言わない。「四民平等」の「権理」(権利)を述べたのは、ほぼ最初のみ。そのあと、「自由」と「わがまま」の違い、や「政府が産業を起こすべきか」「民間が産業を起こすべきか」とか、国民はこれから「実業」を学ぶべきだとか、「人と人との付き合い」は「国と国との付き合い」につながるし、「一身独立」してこそ「一国独立」する、というような、現代でも「意見の分かれる事案」ではあるが「重要なこと」をつらつら、ほぼ4年間(1872-76)かけて書いている。全17巻の啓蒙書集である。明治時代初めてのベストセラーだった。一巻20万部も発行された。全て合わされば340万部も国内に出回ったという。当時の出版事情、識字率を考えれば、ものすごい影響力を持っていたとは言えよう。結果的に明治時代のブルジョワ資本主義を理論面から支えたのかもしれない。その方向が正しいのかどうか、そもそも日本は福沢の思った方向に行ったのか、その辺りを検証しようとすると、物凄く難しい学術書にならざるを得ない。福沢は「もし、国民が全員学問に志して物事の道理を知り、文明の風潮に進むならば、政府の法もいっそう寛大で情け深いものとなるでしょう。法が過酷になるか寛大になるかは、国民の品性によってどちらかの傾向が強まるのです」(佐藤訳)という。だから富国強兵は、福沢の当然の帰結であったし、イギリスの属国に成り下がったインドなどは絶対避けたい国の姿でした。この方向に、第二次世界大戦の日本の悲劇があると思っている私には、やはり漢文調の本を書き続けていた中江兆民の「小国主義」を対置してしまう。「学問のすゝめ」は何を書いている?一言では表せない、明治時代初めての国のグランドデザインを書いていた。
2022年02月03日
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「明日へつながる5つの物語」あさのあつこ 角川文庫紐解いたのは、「岡山藩物語」が収録してあると聞いたから。岡山市が自治体PR誌としてつくった6篇の短編集なのだが、未取得だった。此処には2篇載っている。古代がテーマのあと4篇が不掲載だったのは残念だったけど、これも読み応えあった。この短編集全部、時代や地域の周辺で頑張っている者たちに焦点を当てている。池田綱政なんて、名君で父親の池田光政と比べると知られていないし、地元では名臣・津田永忠こそ知られているけど全国的には無名である。ましてや、国宝・閑谷学校のあの見事な石の壁を築いた石工なんて、誰も知らない。後楽園の造営、備前平野の広大な沖新田の干拓を支えた高い技術の基に、大阪で孤児になった藤吉の頑張りがあった事も読んだあとなら信じられる。幸島稲荷神社のひょうたん石は全く知らなかった。今度行ってみよう。あとの数篇も、企業や自治体とのコラボ企画である。あさのあつこは、私は長編作家として位置付けていた。有名になった「バッテリー」にしても、天才投手の物語として描けば1-2巻で終わる内容だ。それが全7巻になったのは、ひとつ一つの気持ちを丁寧に汲み取っていった結果であるし、あさのあつこさんはそういう書き方しか出来ないのだと思っていた。本巻も、出来事よりも、主人公たちの気持ちを描いている。それでもスパッと終わらせて、後味が良い作品ばかりだった。いっとき、あさのあつこコンプリートを目指して、あまりもの「多作」ぶりに諦めたことがあった。また少し読み始めようかな、と思わせた文庫オリジナルであった。
2022年01月30日
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「おでんくん あなたの夢はなんですかの巻」リリー・フランキー 小学館単に、リリー・フランキーが「東京タワー」を刊行する前の著書を探しただけだった。描いた時期は、おそらく御母堂死去の直後。狙ったわけじゃない。狙ったかのように、当時の彼の夢がそのまま描かれていた。英語の題名は「The Adventure of Oden-kun」(おでんくんの冒険)。別に海外展開を狙っていたわけじゃないだろう。非英語圏の映画作品に英語の題名が付くのを真似たのだろう。絵も文章もリリーなので、映画大好き青年としては監督になった気分でつくったに違いない。映像も構成も、とても映画的だった。なんでも知ってるつもりでもほんとは知らないことが、たくさんあるんだよ。最初の絵は、東京タワーとその下の道沿いにあるおでん屋さん。「世界のふしぎ、いろんなきせき、もしかしたらそれはみんな、おでんたちのしわざかもしれないのです」そういう〈天の声〉があって、東京タワーは、やがてグニャグニャしておでんくん世界に入ってゆきます。おでんくん、と言いながら何故か餅巾着の姿をしているおでんくんは、仲間たちと力を合わせて、お客さんのお母さんの「ガンノスケ」を退治してしまいます。「きせき」は起きました。最後におでんくんはおでん村に帰ってゆきます。おでんくんの夢、それは「東京タワー」という小説に書いているので、そちらをご覧下さい。こんな、はたから見ると極めて自分の心情を描いた絵本が、何故か受けたらしい。たくさんのシリーズが出来たそうです。「あきらめないことそれが夢をかなえるたったひとつのほうほうなのじゃ」だいこん先生はそう言っていました。まるで、リリーさんの半生のようでもあり、いい加減なリリーさんの性格のようでもあります。でんでーん。
2022年01月29日
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し「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」リリー・フランキー 新潮文庫主人公の〈ボク〉が東京に出るまで、ほぼ毎日読んで2週間かかった。読み通すことが出来ない本は他に幾つもあるのだけど、どうしてこんなに読むのが遅いのかよくわからなかった。〈ボク〉と僕は、ほぼ同世代だ。僕にとっては異次元の世界と、同次元の世界が、交差しながら進む「1人語り」に、僕は幼少時を追体験してお腹いっぱいな気分になっていたのかもしれない。どんなに平凡な人生でも、ついつい誰かにむかし語りを始めれば、それは途轍もなく面白い物語になることがある。筑豊から出てきた少年が、東京で紆余曲折して、オカンの最期を見届ける。少年期がとてつもなく面白い。要は語りようなのだろう。「小学生になって、ボクは突然、活発な子供になった」1人汽車、学芸会の仕切り、イタズラ、柔道場通い、白いままの夏休み宿題、麻生何某の選挙ポスター掲示板の柱のバット転用等々、ひとつひとつのエピソードを膨らませば、一冊の本になりそうなことも、数文字で済ませて、怒涛の如く少年時代が過ぎてゆく。そういうひとつひとつが、僕と全然違う。〈ボク〉の初レコードは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だったという。僕のそれは南沙織の「色づく街」であったこともつい思い出してしまう。そうそう、500円のレコードだった。親子には簡単になれるけど、家族は違うと感じてしまう〈ボク〉とは違って、僕は当たり前のように親子も家族も満喫していた。そのこと自体にショックを受けて、なかなか前に進めない。東京に出てきてからの〈ボク〉は、一般的に自堕落な80年代の若者を過ごし、一般的に独り立ちをして、一般的にオカンを東京に呼び寄せる。本人は次第と一般的ではなくなってゆくのだけど、仕事と恋の描写は見事に省略される。何故かスラスラ読めてしまう。本屋大賞コンプリートのために読み始めた本。読み終わった今ならば、僕も母親と父親の最期までの長い物語を書けそうな気がする。読んだ直後のほんの1時間の間ぐらいの走馬灯の勘違い。脳内再生は、どうしてもリリー・フランキーにはならない。どうしてもオダギリ・ジョーになってしまった。しかも朝ドラ出演中の60年代のジョーになってしまう。脳内再生はどうしてもオカンは樹木希林になってしまう。内田也哉子さんはあまり再生されない。リリー・フランキー自体は作家よりも前に凄い役者なのだ、という僕の刷り込みがある。2013年の「そして、父になる」の優しい父ちゃんと「凶悪」のサイコパスの振り幅の凄さ。その源泉を、この作品から読み取ることができる。そうか、どちらもちゃんと見てきたものだから演じることが出来たんだ。ひとつどうでもいいこと。この文庫本は、2010年の初版のまま、岡山の本屋の棚の一番下に並んでいた。つまり、11年間売れることもなく、返品されることもなく、居続けた。新潮文庫「7月のヨンダ?」チラシが挟まっていた。凄いことだ。これが本屋大賞受賞作としての、実力と運命なのだろうか。ごめんね、そしてありがとう。そうだね、僕も逝ってしまった人にそんな言葉しか浮かばない。
2022年01月28日
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「クリスマスを探偵と」伊坂幸太郎 河出書房新社大学一年生の伊坂幸太郎は「サンタを信じられなくなった大人」だった。でも、伊坂幸太郎は最初から伊坂幸太郎だった。彼はそんな彼に向けてサンタのプレゼントを書く。リアルの中のウソ、ウソという名の奇跡。だってクリスマスだから。そんな想いは回り回って彼に絵本というプレゼントとして返ってくる。世界的な画家の絵とともに。絵本だからもう一度眺める見出しのページをめくるとドイツ・ローテンブルクの切妻屋根の街並みひとつ一つの灯りがグリュック(幸せ)に包まれてるこじつけだけど、見方を変えるとだけど、サンタのいる街に見えてくる。
2022年01月25日
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古代吉備文化財センターで選んだ遺物のふたつ目は、「袈裟襷文銅鐸」である。2014年に、180号バイパスを建設中に総社市福井で見つかりました。場所は神明遺跡。総社市北側の今は田んぼが広がるところですが、出てきた遺物をみると、総社平野を代表する集落だった様です。その後、この東側南側は吉備国の中枢になるわけですが、弥生時代は未だ一集落だったのでは無いか。銅鐸は山の中腹で見つかることが多い。埋納状態が明らかにならないことがあるが、ここは集落の中で、埋納状態が詳細まで明らかになった。しかも、吊り手に流水紋を飾る珍しい中期の銅鐸だった。使われていた形跡もあり、それが埋納されたということは、長く使われた銅鐸が「何故」「此処に」「いつ」埋納されたのかという「謎」を解く材料がひとつ増えたことを意味する。しかし、未だ謎は解けていない。山の中腹にしろ、集落の中にしろ、楕円形をした穴の中にヒレを上下にして横たえるという形式は、どこでも同じ。ということは、銅鐸をめぐる全国的な「教え」があったということなのだろう。いつ、埋納したのか、ハッキリ分からない。けれども、紀元前後ではないか、とあの頃の発掘担当者は言っていた。と、すると、その150年後に楯築の王の祭りがあったわけだから、その150年間の間に銅鐸の共同体の祭りから、王を弔い、王の神権を継承する方に、人々の関心が移ったと見なくてはならないだろう。発掘地は、5-6年前に現地説明会に行った頃とあまり変わっていなかった。古代吉備文化財センターにある資料しか見ていないので、池澤夏樹の取材よりも遥かに簡単であるが、発掘報告書や博物館の説明書を読むだけで、現地に行って書くだけでは、レポートようし一枚にもならないことがわかった。本になるぐらいの取材旅というのはどんなに大変なのか、逆にわかった気がした。
2022年01月23日
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池澤夏樹「パレオマニア」の取材方法を真似て、博物館で好きな遺物を2つ選んで、その発掘地に行き、記事を書くということをやってみたい。久しぶりに古代吉備文化財センター(岡山市北区花尻1325-3)に行くと、企画展「真金吹く吉備」をしていた。その感想はまたの機会に。何度もきているので、選ぶ遺物の目処はついている。当然弥生時代。ひとつは、コレ。吉備の国発祥と言われる「分銅型土製品」である。名前の由来は、江戸時代に使われたばかりのおもりに似ているためであり、分銅として使われたわけではない。これまでに中国・四国・近畿・北陸・九州から900点あまり出土して、そのうち4割が岡山県出土となっている。私の一番好きなのはコレ。岡山市加茂政所遺跡出土。もうどう見ても、赤ちゃんの顔に見える。しかし、これを赤ちゃんの顔だという研究者はあまりいない。これは「顔」であるということでは意見は一致している。しかし、目が左右対称では無いことなどに注目している。微笑んでいる様に見えるのは、「のちに埴輪にも見受けられる『魔除けの効果』」を狙ったのだという見方である。ひとつ発見したのは、普通壊れた形で出てくるのが多いのに、これは完成形で出土したのである。近くから出土した顔つきのが無表情で壊れた形で出てきたのとちがう。また、この土製品は、下がむしろ大きく、ホントの分銅型をしていて、いわゆる普通の分銅型土製品とは違うという指摘もある。弥生時代後期の最終次期の製品らしく、何の意味があるのだろうか?左右に一般的にある「穴」はついている。現在の研究では、子どもの枕元に置く魔除けではなく、上に飾り物を刺せる穴もあったことから、額につけて使ったのでは無いか?という説もある様だ。この土製品にも穴はあったが、飾り物の穴はなかった。また、思ったよりも鼻は高くて、ちゃんと鼻の穴は二つある。くびれは小さい。よって最初から壊さないことを前提にして作ったということだろう。だとしたら、壊して魔物を他所に持っていく効果とは違う祭祀に変化したということだろう。弥生時代後期の中頃、ここで何が起きたのか。ひとつは、楯築遺跡に繋がる、王の出現だということなのだろうか。私はセンター職員に聞いて、出土場所に行ってみた。場所は、文化財センターから吉備津神社に降りて、180号線を西進し、山陽自動車道と交わるところである。その工事中に発見された遺跡なので、今は高速道路の下になっている。東側はすぐ緩やかな、ちょっと見には神南備山に近い形の山が迫り、北も山が近くにある。西は足守川がながれ、南にはほとんど小森にしか見えないが、楯築遺跡の小山が見える。走って30分ぐらいだろうか。吉備国中枢祭祀場から生活圏にある、津寺遺跡と併せて、この辺りは、まさしく吉備国の中央地区だった気がする。常に楯築の山を見ながらの生活だったのだ。私は、やはり、子供を助けるための祭祀だったと思う。集落で行われた豊作を祈る祭り(青銅器祭祀)が下火になるにつれて分銅型土製品も姿を消したこと、家々での出土だったことを考えると、村の祭りを司る力は低下して、王国の強力な呪術の力が、人々の生活を守る様になっていったのかもしれない。
2022年01月22日
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「文豪ナビ 藤沢周平」新潮文庫・編時代劇作家は、文豪ナビシリーズには「司馬遼太郎」「池波正太郎」「山本周五郎」と、この「藤沢周平」ぐらいしか編まれていない。とりわけ、藤沢周平は他でも、文庫本の読本になる率が高いと思う。それほど、語っても語っても語り尽くせない世界があるのである。正月、本屋の店頭に文庫オリジナル本を見つけたので、無条件で買った。もはや藤沢周平で未読の作品は数冊しかない。なんらかの発見があるだろうと期待しての買い物である。半分以上は作品紹介である。「市井の哀歓」「海坂藩」「武士の矜持」「捕物帖」「義に生きる」と5つに分けて短くまとめている。他には作品から抽出した名言集。ちょっと藤沢周平読み始めました、という人のための入門編である。もう何度転載されたかわからない、井上ひさし筆の「海坂藩・蝉しぐれ地図」も出てきた。ここまで何度も出てくるのならば、この地図を改変して、藤沢周平全ての海坂藩作品地図を完成させてほしい。権利の問題もあるかもしれないけど、もうそろそろ出来るでしょ。評伝の名手・後藤正治の「評伝」が載っていたが、正直枚数も読み込みも不足していた。ただし、藤沢周平没後に発見された「未刊行初期短編」の作品評から筆を起こしているのは、今までの読本にない視点だった。「木地師宗吉」を作品の完成度のみで評価しているが、私はもっと別の視点も書いて欲しかった。珍しいのは、批評家や作家の藤沢周平論ではなく、俳優からのコメントが何人分も載っていること。特に「たそがれ清兵衛」で壮絶な死闘を演じた田中泯のそれは面白かった。真田広之も田中泯も、お互い殺すつもりで撃っているので、2人とも毎日「怖かった」そうだ。1週間かけた、あの死闘だったらしい。次の「隠し剣鬼の爪」でも永瀬正敏の身体に防御用クッションをしっかり巻いて師匠役の田中泯は遠慮なく胴を撃つ。永瀬正敏はうずくまりなかなか起き上がれなくなったらしい。こんな映画は少なくなった。最も面白かったのは、藤沢周平の愛娘・遠藤展子さんのコラム「父にとっての家族」。数年前に発掘された「藤沢周平 遺された手帳」を全面展開して、「あの時の父親の気持ち」を初めて推察している。また、「獄医立花登手控え」シリーズのおちえは、明確に高校生の展子さんがモデルだったらしい。道理で、最初の頃のおきゃんな様子がリアルだった。かなり取材したらしい。娘に、ともだちの様子をしつこく聞いていて、「お父さん、娘のことをよく聞いてくれる」と思っていたら、不良仲間の友達が、そっくりの描写で出てきた、という。叔母さんの松江は、二番目の奥さんのエピソード(母に何か言われて黙って二階に消えるところなど)が使われている。「普通が1番」という口癖の藤沢周平の良好な家族の姿が浮かび上がる。藤沢周平の既に移転した後の住居跡を探して、冬の大泉学園町を歩いたこともある。もはや、何もかもが懐かしい。
2022年01月20日
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「書痴まんが」山田英生・編 ちくま文庫ごめんなさい。本の中身は、ほとんど読んでいません。表紙についてのみ、語らせていただきます♪表紙は諸星大二郎「栞と紙魚子シリーズ」の紙魚子さんが、古本屋の店番をしているイラスト(初出・2010大阪古書研究会の合同古書目録「萬巻24号」に描き下ろし)の「部分」です。最近の大阪の天神さんの古本まつりのフライヤーとしても使われているらしい。背後の背表紙を見ていただきたい。判読できるものだけでも「生首の正しい飼い方」「自殺のススメ」「古本探検」「不思議昆虫図鑑」「珍妙昆虫図鑑」「陳氏菜経」「邪馬台国は火星にあった」「古墳の呪的紋様」「殺伐詩集」「地獄の三時のオチャ」「サイボーグベビーの逆襲」「異聞馬頭教」「根暗なミカン」「魔王瑠死滅の生涯」そして、紙魚子さんが読んでいるのが「怪人猫マント」。どうです?いずれも、「あってもよさそうな本」と思いませんか。ブクログで検索したらいずれも、「この世に無い本」でした。「古本探検」などは「関西古本探検」はあったんだけど、この書名は一応ありません。ホントは原画は、もっといろんな背表紙を載せているんですよ。右上に隠れている「室井恭蘭全集」(1-7巻)などは、室井恭蘭で検索したら、信濃の地方図書館で見つけたという情報まであるのですが、良く調べると、とんでもないことになっています。右下に隠れている「虹色の逃走」などは、このアンソロジーに載っている諸星大二郎「殺人者の蔵書印」で詳細に語られています。是非お読みください。「殺伐詩集」「陳氏菜経」などは、紙魚子さんの他の短編で出てきます。背表紙だけで、いろんな妄想がムクムクと湧いてきます。「根暗なミカン」には、背表紙に可愛いイラストまで付いています。根暗だけど、かなり凶暴そうです。当然、ときは正月なのでしょう。美味しいミカンほど幸せだった時はまた短くて、ちょっと腐ったミカンと一緒にされるとオミクロン株と見紛う様なスピードで影響されてしまう。その危機を脱した根暗なミカンの運命や如何に‥‥という内容なのかもしれません。「サイボーグベビーの逆襲」たるや、ボス・ベイビーならぬサイボーグベビーですか!もうはちゃめちゃで楽しそうです。「邪馬台国は火星にあった」全然不思議じゃない。「邪馬台国比定地」で検索してみてください。もう無数にありますから。みんなオラが村にとか思っている様です。エジプトもあります。それなら、タイムパラドックスやら使って火星にあってもおかしくない。「古墳の呪的紋様」これはね、考古学を少し齧ったモンならば「装飾古墳」のことだな、とピンときます。でも「装飾古墳の世界をさぐる」(大塚初重・祥伝社)ぐらいの普及本がせいぜいのところで、アレを最初から「呪的紋様」だとするのは諸星大二郎ぐらいなモノです。大塚初重先生の書物を紐解くと「朝鮮半島から幾何学紋様は来たのだろう」とか、「星とか太陽とか鏡を意味しているのだろう」とか、つまらないことしか書いていません。まあ、諸星先生の解釈は名作「暗黒神話」をお読みください。今回の本屋アンソロジー。前回は古い短編が主でしたが、今回は2010年代の短編も相当採用されています。未だ読んでないけど、面白そうです。
2022年01月19日
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「雑種文化 日本の小さな希望」加藤周一 講談社文庫加藤周一という「知の巨人」がいた。現代日本に「思想家」という冠をかけ得る人がいるとすれば、私は先ずこの人を挙げなくてはならないと思っている。思想家とは(1)その思想が生涯に於いて首尾一貫していること(2)その思想が独創的で且つ社会に多大な影響をもたらしたこと。コレを、私は「思想家」の定義にしている。よって、思想家とは、テレビに出ている(東大出の)有象無象のコメンテーターのことではない。思想家とは、竹中平蔵のようなマヌーバーのような理論で以って政界に(ひいては日本社会に)多大な(悪)影響を与えたような人物でもない。よって、吉田松陰は思想家ではあるが、その弟子の何人も政治家ではあったが遂には思想家たり得なかった。木戸孝允然り、伊藤博文ならば尚更。また、いっとき戦後思想界を牽引したと言われる丸山真男と清水幾太郎のうち最後まで自らの思想を進化させていった丸山は思想家だが、安易に保守に寄り添った(転向した)清水は思想家ではない。反対に一般的には無名だが、戦中戦後を通じて日本的唯物論を論じた古在由重は重要な思想家である。閑話休題。没後13年。これから日本思想史に位置付けが始まる加藤周一の代表作を再読した。かと言っても、本書は加藤周一の論文集であり、日本の雑種性を正面から論じた文章はごく短い。また、私は幾つかずっと疑問があった。そのことを含めて、この機に探ってみたい。「日本文化の雑種性」(「思想」1955・6)⚫︎「伝統的な日本」と「西洋化した日本」で分けて考えると、「日本文化の特徴は、その2つの要素が深いところで絡んで容易に抜け難いところ自体にある。←これが加藤周一の「雑種文化論」の概要である。なんだ、当たり前のことじゃないか、と考える人は多いだろう。加藤周一がこれを堂々と論じてはや半世紀以上。誰もが堂々と言えるようになったことが、改めてこの論文の影響性のひとつかもしれない。もちろん加藤周一は「西洋化」だけを問題としていない。「神ながらの道」があった古代に「仏教化した日本」も同じように、「二つの要素が深いところんで絡んで」いるのは、私たちが日々実感するところだろう。⚫︎ キリスト教圏の外で、西欧の文化がそれと全く異質な文化に出会ったら、どういうことがおこるか、それが日本文化の基本的な問題である。←雑種化は多くが認めることになった。実際加藤以前にもそのことを論じた人はいた。では、雑種化そのものは、未来の日本にどういう意味を持たせたら良いか?という問いかけをしたのは加藤周一の「独創」だった。そのためには、加藤周一は、もう一編文章を書いて寄稿する必要があった。「雑種的日本文化の希望」(「中央公論」1955・7)西洋文化が日本に入って雑種化した時に、何が残って何が残らなかったか、それが雑種化の「意味」のひとつになると加藤周一は言う(戦後民主主義の不可逆性)。もう少し具体的に言うと西洋伝来の民主主義という考え方、『「社会科教育を受けて成長した子供」「選挙権と教育を含めて原則上の男女平等を得た女性」「土地を得、得たことを当然と考えはじめている農民」「訓練された組織労働者」「戦前よりも世界情勢に敏感になった知識人」』これらのことは「ものの考え方や感じ方の変化がおこって容易にもとに戻らぬものがあるだろう」と加藤周一は分析している。←それから67年が経った。このうち「組織労働者」だけは大きな後退が起きた。しかし、戦前までは後退してはいない。「子供たち」はまた別のステージに上がっているだろう。非キリスト教的世界でのヒューマニズムの発展が、文化の面、特に思想・文学・芸術の面でどういう形を取り得るかという見通しを立てることは、この当時の中国・インドの問題ではなく、日本の問題であった。加藤周一は、そこに日本の雑種性の「小さな希望」を見出している。近代的合理主義の背景に、「プロテスタンティズムの倫理」を日本に求められないとすれば、何がその思想を支えるのか。朱子学にしろ、実存主義にしろ、日本人の民衆の根に降りはしなかった。マルクス主義「のみ」が、「西洋伝来のイデオロギーを日本の大衆の道具に使おうとした」。しかし外国で既に出来上がった型を輸入したために「日本の特殊性に応じたイデオロギーの型を生む」には至っていない。という。「それ」はどうしたら生むのか。以降、いろいろと述べているが、実は「日本の特殊性に応じたイデオロギー」「小さな希望」は何処にあるのか。遂には具体的には語らなかった気がする。ただ、雑種文化だからこそ、優れたものを生み出す可能性がある。そのことまで言及した人は、加藤周一だけだったことは強調するべきだと思う。1974年「文庫版あとがき」‥‥私がここで言おうとしたのは、現代日本の文化の雑種性に積極的な意味を認めようではないか、ということと、対外的には、排他的でもなく、外国崇拝でもなく、国際社会のなかでの日本の立場を、現実に即して、認識しようではないか、ということであった。1974年、加藤周一は既に「日本文学史序説」を著し始め、日本文化の姿の全体を明らかにしようとした。しかし、「現実に即して」どういう「日本の特殊性に応じたイデオロギー」を用意するのが、国際社会での生きる方向なのかは、遂には著さなかったように私は思う。←それで良いよね。いま、「特殊なイデオロギーがないこと」もしかしてそれこそが日本の生きる方向なのかと、これを書きながらふと思った。あ、「ずっと思っていた疑問」について、展開できていないですよね。なんか、ぐだぐだした文章になっています。昨年の夏から書き始めて、途中放り投げ、また書き始めたので、こんな感じになっています。つまり、今回再読してもハッキリわからなかったんです。かつて高校生の時に梅棹忠夫「文明の生態史観」で、日本の地政的な立場がアジアよりも西欧的な文明化への道を歩もうとしている、という「わかりやすい説」に私は影響されました。大学時代に加藤周一はそれを明確に批判した文章を読み、生態史観を卒業しました。小松左京の「未来学」を読んで、じゃあ日本の未来の青写真はどうなのか、と青臭い青年は未来が気になって仕方なかったのも、この頃です。マルクスの「共産党宣言」を読んで、「日本型の革命」は何なのだろう?と思ったのも、この頃です。柳田國男は「日本人の本性は事大主義である」という。そんな日本人の何処に希望があるのか?と思い、民俗学の講師と夜を徹して討論したのもこの頃です。その中で、「いま・ここ」主義の日本の文化を、国際的視野と歴史的知識で眺めながら半世紀論じ尽くした加藤周一の言説に、その「回答」があるのではないかと、ずっと約40年間思ってきた私です。加藤周一の著作に手をかけて登って眺めてみたら、未来を見渡すことができるのではないか?有為な若者だった私も、少しは何か役に立てることができるのではないか?とずっと思っていた。青年老い易く学なり難し。むしろ、終わりが見えてきた。あと10年で、形を作りたい。未だよくわからない。もう少し再再読してみたいと思う。
2022年01月18日
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「池澤夏樹の旅地図」池澤夏樹 世界文化社スタンダールが自分で選んで刻ませた墓碑銘が「アッリゴ・ベール、ミラノ人。生きた、書いた、愛した」であったことは広く知られている。(略)ぼくならば「生きた、書いた、愛した」の他にどうしても「読んだ、旅した」が加わる。(245p)そういう池澤夏樹だから、本書を紐解いた。結局私の人生も、大学4年間のほかは岡山を離れたことはないけど、魂は池澤夏樹に近い。ギリシャにしろ、沖縄にしろ、フランスにしろ、行ってみないとわからないことは多い。でも基本として移住者にはなれない。池澤夏樹は徹底しているから5年ほどは住んでみるけど、やがて気がついたら他に移っている。そうやって池澤夏樹は旅人として生きてきた。それが、一冊の中に縦横に語られている。自分の本領は自分語りではなく、旅で得たことを語り広げることだと、池澤夏樹は若い時に規定した。だから材料を集める必要がある。山の頂点にある作品をモノにするためには、その基底部の広い土地を自分のものにしなくてはならない。それは物凄く理解できる。池澤夏樹に5年間の旅が必要だとしたら、凡人たる私には時々の旅含めて20-30年間の「世界」の見聞が必要だということだろう。豊富な写真と自らの旅体験を解説したインタビューとエッセイ、他者の批評、好きな旅本、旅映画、旅音楽の短評、著作ガイドを載せる。また、自分語りはしないが、唯一の例外として幸せだった6歳までの帯広体験を新聞連載としてまとめた文章も載せている。以下は、インタビューの一部を抜粋して、以上に書いたこともう少し具体化する。⚫︎僕の場合は、最初から飛行機の旅。シベリア鉄道ではないんです。安くてもホテルに泊まる旅でしたから、前にも言ったように、旅を目的にしない。旅先で見たものが大切なんであって、旅はその手段でしかないんです。(略)行かなければ見えないものはあるし、それを見なければ仕事にならない‥‥だから行くんです。(略)取材の旅でも、必ず見つかるものを取ってくることを取材とは言わないんです。もう少し越えていかないとわからない。駄目かもしれない範囲が普通のジャーナリストや作家の取材よりももう少し広くて、ダメでもともともある程度見込んでおかないと、予定したものしか見ないで帰ってくることになる。(75p)⚫︎「池澤さんは還暦の前に新たなステージに移られた。そのエネルギーは、やはり作家としての挑戦として受け止めていいのでしょうか」‥‥全然違います。この商売は仕込みに時間がかかるんです。ここまでくるのに、どうやったって50年はかかるんです。天才は別ですよ。ぼくはたたき上げですから(笑)。何かの素質はあったと思いますが、ぼく程度の素質だけでは何もできない。人にとって意味あることを言うためには、土台を作らなければならない。それには時間がかかるんです。ピラミッドの斜面の角度が変えられないとしたら、高くするには底の幅を広げないといけない。ですから、まだ三合目。(78p)⚫︎「『パレオマニア』の取材の旅はどうだったんでしょうか」‥‥時間と労力が大変でした。一回の取材で2ヶ月分書くわけです。一回の取材は2週間かかります。年の四分の1は旅の空という暮らしが実質3年から4年かかりました。新聞連載と重なったときは、休載していました。(略)(知識は)走りながら勉強するの。みんな一夜漬け。ロンドンに行って博物館を見る。これを何度もしました。基本的には毎回ロンドン発の旅の形をとっています。まさか韓国に行くのにロンドン発にはしなかったけど。大英博物館を見て回って、気に入ったものを見つけて、それをデジタルカメラで撮影する。博物館の中は三脚さえ使わなければ、撮影は自由で、ストロボも大丈夫なんです。だから、ちょっと気になったものは全部撮る。物を撮ったらその説明プレートも撮る。そうしないと、後で何が何かわからなくなるから。それをその日のうちにコンピュータに取り込んで、タイトルをつけながらぼくなりのカタログをつくるわけです。その中から気に入ったものを一点選び、それが、どこでできたかを調べる。大英博物館のブックショップが非常に役立ちました。あれだけ本が揃っていますから。トランクいっぱいの資料を買って帰る。という旅の繰り返しでした。(略)僕の旅は、移動の体験が三分の一、遺跡を見るのが三分の一、後は考えること。印象より一歩踏み込んだ、今まで誰もやってこなかった旅だったと思います。実際には、行く先々の大半は観光地で、旅としては楽なんですが、その割に普通の人が見過ごしているところまで踏み込んで見ていけば、意味のある旅になる。(90p)←『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』は買って読むことに決めた。パレオマニアとは、古代狂の意。
2022年01月16日
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今月の映画評「すばらしき世界」 昨年観た映画は109作でした。その中で、ベスト5に入った作品です。 魅力は、主人公三上を演じた役所広司に尽きます。人生の大半を刑務所で過ごした主人公が、再出発をする話です。もはや若くはないし持病もある。今度こそまともな職に就こうと頑張るのだけど、社会はなかなか彼を受け付けない。しかも、アパートの騒音を注意するのに、ついヤクザまがいの強面を使って見せたりする。仏の顔と鬼の顔が共存する難しい役を、役所広司は絶妙な演技でやって見せました。隣に三上が越してきたら、私たちはどう対応するのでしょうか? 保護司やケースワーカー、町内会長、昔のヤクザ仲間、そして当初彼をテレビ番組で扱おうと取材を始めて途中で諦めた若い作家崩れの青年(仲野太賀)の目を通して、等身大の三上という人間が浮き彫りになっていきます。 西川美和監督は凡そ15年以上前の著作で「まだ諦めきれない、もう一度闘うんだ、やりなおすんだ、と歯を食いしばっているような人物たち。そういう悔恨だらけの、黄昏の中に佇むヒーロー」を描いてきた、と告白しています。今作も正にその通りであり、それは翻って私自身でもありました。 いろいろと我慢しなくてはいけないことが多く、理不尽なことも多い。「シャバは空が広い」それだけが、この「すばらしき世界」の正体なのかもしれません。 主人公の最後に、力を貰いました。(原作・佐木隆三「身分帳」、2021年作品、レンタル可能)
2022年01月15日
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「映画評 シン・エヴァンゲリオン」「家族で楽しめる正月映画を教えてくれ」「君の家は中学2年の男の子だったよな。アマゾン・プライムは登録しているか」「している」「ならば、エヴァシリーズを4作全部観ることをお勧めする。今ならば、今年の新作含めて全部アマプラで観れるし。何しろ今年のマイベストワンは庵野秀行監督の『シン・エヴァンゲリオン』なんだ。面白いぞ」「お前の趣味はオタク気質だから信用できないな」「それは否定しないけど、息子さんと内容を巡って、ああでもない、こうでもない、と会話できるぞ。4作ムリならば、最新作だけでも良い。息子さんが既にチェックしている可能性はあるし、冒頭には過去作のダイジェストもある」‥‥と、ここまで書いて月一度の映画評に再度「シン・エヴァ」を書く企ては諦めた。何故ならば、エヴァシリーズは確かに全て配信されている。しかし、それはAmazonプライムに限った話だ。DVDでも未だ「シン」は出ていないのである。よって、12月号の映画評はいったん「初恋のきた道」になり、やがて「グランパ・ウォーズ」になった経緯は既に書いた。今年のBest10も既に書いた。一位は「シン」になった。どうしようもない。Best10を載せようかとおもい!この文章を書き始めたのであるが、既に発表していることを思い出してやめた。ネタを描き始めてやめた話を2つも書いたので、この辺りでやめにしたいが、色(写真)がないので、年末の年越しそばを二つ載せたい。上は、岡山市内に場末の食堂で食べた蕎麦。下は、岡山国際ホテルで特別食としてメニューに入っていた年越しそば。どちらも850円。どちらも、6割蕎麦ぐらいで、特別美味しくはなかった。
2022年01月14日
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「古代の食を再現する みえてきた食事と生活習慣病」三舟隆之編 吉川弘文館横文字である。よって研究者向けである。よって興味ある部分のみ「つまみ食い」する。しかも、古代とは言いながらほとんどの言及は、木簡文字等の文字資料のある奈良時代以降になっている。ただし研究態度は、考古学や民俗学との融合や調理実験検証の成果などを交流していて好感が持てる。私はずっと不満だったのだが、平安時代にしろ弥生時代にしろ、現代の博物館にある「古代の食事」展示のなんとみすぼらしいことか。殆どは材料をそのまま置き、或いは煮て焼いているだけ。とても美味しそうには見えない。【内容紹介】古代日本人は食べ物をどう加工し、調理していたか。「正倉院文書」から土器、木簡までを総動員し古代食を再現。古代日本人の食生活や、病気との関係を明らかにする。オンライン開催の2020年9月のシンポジウム討論も収録。では、この本で「美味しそうな調理」が出たかというと、出ていないと言わざるを得なかった。唯一の主張は、「単なる材料を並べただけの再現は、もうやめにしたい」という意思表示だけであった。そこだけは評価したい。反対に言えば、ここまでが現代研究の到達点なのである。西欧古代料理の到達点となんとかけ離れていることか(←おそらく、文字の歴史が1600年ほどの日本と3000年以上ある西欧との違い)。以下内容は、弥生時代まで遡れる可能性のある知見と関連する知見のみをメモする。⚫︎ 甑(蒸し器)を使った古代の炊飯方法 西念 幸江/著「奈良時代はうるち米を蒸していた」というのを調理実験すると、蒸しただけでは食べれるご飯はできなかった。今までの定説の再考が必要。⚫︎ 古代の食事と生活習慣病 シンポジウム総合討論 奈良時代「正倉院文書」の貧乏な写経生も多くは、ご飯等を相当食べていた(現代一般男性の最大が3800kcalとすると、写経生は5600kcalもあった。更には塩分も現代は7.5gが推奨されているが、87gも提供されている)。彼らは「糖尿病」になっていた。それでみると、「日本霊異記」にある皮膚病や視覚障害の原因もそれが疑われる。また、写経生の病欠の記録には足病、腹病、皮膚病、赤痢がほとんど。これも糖尿病の合併症の可能性が高い←琵琶法師が多く輩出したのは、こういう背景があったからなのか。これが米しか支給のなかった都市の貧乏人の病なのか、お米が新しい栄養源となった日本全体の国民病なのかは、未だ検討が必要。←田舎では、米だけを食べるはずがなくて、きっと「都会病」と位置付けて良いと私は思う。⚫︎ 『延喜式』にみえる古代の漬物の復元 土山 寛子/ほか著・根や灰汁の処理を行わず、重石や落とし蓋を使わないと直ぐにカビが発生した。重石で空気が遮断され、漬け汁も出ると1か月は保存できる。塩は約4%ほど。また、塩水で洗うと良い。10%以上の濃度の梅干しでは数年保存はできるが、野菜はどうしていたのか。⚫︎ 古代の堅魚製品の復元 堅魚煎汁を中心として 三舟 隆之/著 中村 絢子/著煮鰹に塩漬けして干したもの、或いは海水で煮て天日干ししたものが「堅魚」。削って酒に浸して旨味を出すのに使われていた可能性はある。⚫︎ 古代における猪肉の加工と保存法 高橋 由夏莉/ほか著煮佛後に塩漬けして5日天日干すと保存が効く。←「図書館の魔女」には「塩漬けした獣肉で出汁を取った雑穀スープ」が出てくるが、そのような使い方は弥生時代からあっても全然おかしくはない。⚫︎古代における「豉」の復元現在の納豆というよりか、寺納豆。グルタミン酸もあり、免疫力も増すことから薬として使われてきた。
2022年01月13日
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「楠勝平コレクション」山岸涼子・編 ちくま文庫昭和マンガのアンソロジーを刊行し続けてきたちくま文庫が、満を持して個人コレクションを立ち上げ「楠勝平」を最初にとりあげた。当然の選択だろう。【内容紹介】1960年代後半から70年代初めの騒然とした時代、実験作が覇を競った『ガロ』。その片隅で、人の世のはかなさ、江戸庶民の哀歓をみずみずしく描き、迫り来る死をも凝視して逝った幻の作家。同時代にその息吹にふれ、市井の人々へのあたたかな眼差しに魅了されてきた作家が編む、珠玉の文庫オリジナル・傑作選集。【収録作品】「おせん」「茎」「梶又衛門」「鬼の恋」 他 著者について楠 勝平(くすのき・しょうへい) 1944年、東京に生まれる。中学の頃より心臓弁膜症を患う。15歳のとき貸本マンガ「必殺奥義」でデビュー。白土三平、水木しげるらが常連の短編誌『忍法秘話』に作品を発表する一方で、同人グループによる短編誌『破―ブレイク』を刊行。その後、白土三平の赤目プロでアシスタントのかたわら、『ガロ』を中心に『COM』や青年劇画誌に佳作を発表したが、病が悪化。1974年、30歳で逝去。 「山岸涼子と読む」と副題を付けているが、山岸涼子のソレは5頁の解説に過ぎない。それっぽっちの文章では語りきれない「観たことのない世界」が、作品集の中にはある。最初に出会ったのは、青林堂のマンガ傑作集の一巻を古本で買ったものだった(「おせん」)。その頃好きだった山本周五郎の作風に似てはいた。が、明らかにそれとは一線を画す何かがあるとは思っていた。今回30年ぶりに読むと、当時はあまりにも展開が速すぎて汲みきれなかった「おせん」の悲しみも、「ゴセの流れ」のジンの残酷さも、その他多くのことが、今なら想像できる。山本周五郎作品はテレビドラマにできるが、楠勝平作品の多くはテレビドラマにはできない。「どうして主人公はあんなに豹変するの」「救いが全くない」「話が飛躍し過ぎている」等の苦情が来るのが必至だからである。場面転換の鋭さ、下町景色の再現度の高さ、隠しきれない叙情、なによりも自らの死を意識している者だけが描ける世界を描いて、おそらく唯一無二の作品群だと思う。今までの単行本は3冊のみ。いずれも限定発行か絶版。この普及版の発行が、楠勝平再評価の決定打とならんことを祈りたい。楠さん、貴方の生命削った作品群はどのような目に遭おうとも決して埋もれるべきものではないのだから。多分、「梶又衛門」「鬼の恋」は単行本初収録。
2022年01月11日
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「フーガはユーガ」伊坂幸太郎 実業之日本社文庫「僕の喋る話には記憶違いや脚色だけじゃなくて、わざと嘘をついている部分もあるので、真に受けないほうがいいですよ」伊坂幸太郎はエンタメ作家である。ちょっとトボけて、ちょっと優しく、それでいて不思議な主人公が出てくるのが特徴である。リアルな現実を描きこみながら、一つの嘘を紛らわすことでしか、真実を描けないことがある。歴史家には出来ない。小説家にしか出来ない。それがエンタメの役割だろう。いっときはブンガク者になろうとした時期があったような気がする。伏線回収を行わず、ディストピア作家になろうとした時期があったような気がする。でも最近は吹っ切れて、読者が望む小説家になろうとしてるかのようだ。曰く。魅力的なキャラ。伏線回収。アクション。勧善懲悪。笑って泣ける小説。でも寅さんじゃないけど、笑って泣ける話ほど難しいものはない。「嘘をついているー」もそうだけど、前半から新幹線にしろ、ボウリングにしろ、ワタボコリにしろ、そして章立てに使われた熊のぬいぐるみにしろ、伏線アリアリ。お陰で半分予想がついた、と同時に1/4はビックリした。そして1/4は途轍もなく寂しくなった。閑話休題。フーガとユーガは双子の兄弟。同時にひとつだけ「現実離れした能力」を持つ、そして「辛い現実」を生き抜いてきたバディである。そんな2人の2010年代の物語。正月の一気読みでした。
2022年01月10日
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12月に観た映画の最後の2作並びに2021年のベスト10を発表します!「マトリックス レザレクションズ」恐ろしいことに、20年経っても全く同じことを、まるで猫の「デジャヴ」のようにやっていた。反対に言えば、20年前から仮想現実の話を作ろうとしたら、アレ以上のこと(当然少しは変化はある)が出来ないのだということを証明してしまった。キアヌ・リーヴスもキャリー=アン・モスも、20年の歳だけをとった。それは見事に現れていて、それを記録した作品とも言える。スミスもサイフォスも、代替わりしたのに、である。STORYネオ(キアヌ・リーヴス)は自分の生きている世界に違和感を覚え、やがて覚醒する。そして、マトリックスにとらわれているトリニティーを救出するため、さらには人類を救うため、マトリックスと再び戦うべく立ち上がる。キャストキアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス、ジェイダ・ピンケット=スミス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、プリヤンカー・チョープラ・ジョナス、ニール・パトリック・ハリス、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、クリスティナ・リッチ、(日本語吹き替え版)、小山力也、日野由利加、諏訪部順一、中村悠一、内田真礼、津田健次郎、本田貴子、水樹奈々、間宮康弘、小野大輔スタッフ監督:ラナ・ウォシャウスキー上映時間148分2021年12月27日MOVIX倉敷★★★「偶然と想像」必ず、人生にしても、ドラマにしても偶然がドラマツゥルギーを与える。監督・脚本家の想像が、ドラマをつくるだけでなく、俳優の想像がドラマを創造する。極限に限定した設定で、終始彼らにそのセリフを喋らせることで、ひとつの世界が出来上がる。更に観客が、それを解釈してゆく。何度も観たい!そう思わせる、稀有な作品。特に女優がいい。古川琴音が全面に出ているが、玄理、森郁月、占部房子、河井青葉が良い。彼女たちになんらかの賞を挙げたい特に森郁月が良かった。(解説)親友同士の他愛のない恋バナ、大学教授に教えを乞う生徒、20年ぶりに再会した女友達…軽快な物語の始まり、日常対話から一転、鳥肌が立つような緊張感とともに引き出される人間の本性、切り取られる人生の一瞬…小さな撮影体制でリハーサル・撮影時間を充分に確保し、俳優たちの繊細な表現を丁寧に映した。まるで劇中に流れるシューマンのピアノ曲集『子供の憧憬』のように軽やかかつ精緻で、遊び心に溢れた俳優の演技は必見だ。日本映画の新時代を感じさせる映画体験が、観るものの心を捉えるだろう。偶然――それは、人生を大きく静かに揺り動かす第一話 魔法(よりもっと不確か) 撮影帰りのタクシーの中、モデルの芽衣子(古川琴音)は、仲の良いヘアメイクのつぐみ(玄理)から、彼女が最近会った気になる男性(中島歩)との惚気話を聞かされる。つぐみが先に下車したあと、ひとり車内に残った芽衣子が運転手に告げた行き先は──。第二話 扉は開けたままで 作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、出席日数の足りないゼミ生・佐々木(甲斐翔真)の単位取得を認めず、佐々木の就職内定は取り消しに。逆恨みをした彼は、同級生の奈緒(森郁月)に色仕掛けの共謀をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。第三話 もう一度 高校の同窓会に参加するため仙台へやってきた夏子(占部房子)は、仙台駅のエスカレーターであや(河井青葉)とすれ違う。お互いを見返し、あわてて駆け寄る夏子とあや。20年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込むふたりの関係性に、やがて想像し得なかった変化が訪れる。2021年12月30日シネマ・クレール★★★★2021年Best10 1.「シン・エヴァンゲリオン」2.「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」3.「コレクティブ 国家の嘘」4.「デューン 砂の惑星」5.「すばらしき世界」6.「花束みたいな恋をした」7.「サマーフィルムにのって」8.「グレタ ひとりぼっちの挑戦」9.「アオラレ」10.「21ブリッジ」
2022年01月09日
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12月中間の3作品です。「ラストナイト・イン・ソーホー」怖くない、ホラー映画。というよりか、青春かつalways調の特撮映画、さまざまな楽しみ方ができる作品だった。最後まで、自分を殺そうとしたラスボスを許して仕舞う、珍しい作品。こういう英国映画良いと思う。STORYファッションデザイナー志望のエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ロンドンのソーホーにあるデザイン専門学校に入学するが、寮生活に向かず一人暮らしをすることに。新しいアパートで暮らし始めた彼女は、1960年代のソーホーにいる夢を見る。エロイーズは夢の中で、歌手を夢見るサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と出会い、肉体的にも感覚的にも彼女と次第にシンクロしていく。キャストトーマシン・マッケンジー、アニャ・テイラー=ジョイ、マット・スミス、ダイアナ・リグ、テレンス・スタンプ、リタ・トゥシンハム、シノーヴ・カールセン、マイケル・アジャオ、ジェシー・メイ・リー、カシウス・ネルソン、レベッカ・ハロルドスタッフ監督・脚本・製作:エドガー・ライト製作:ニラ・パーク、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー脚本:クリスティ・ウィルソン=ケアンズ撮影監督:チョン・ジョンフン衣装:オディール・ディックス=ミロー編集:ポール・マクリス音楽:スティーヴン・プライス美術:マーカス・ローランド2021年12月12日MOVIX倉敷★★★★「あなたの番です 劇場版」2時間で決着つけるとしたら、そうなるよね。それでも、テレビを見てないとイマイチわからないつくりはどうなのか?それに、真相がわかったからと言って、何か観客に得になるようなことはあったのか?何もない。それなのに、こんなに観客がいる。田中圭が「死んじゃダメだ。みんな誰からから愛されているんだから!」と叫ぶ。セリフとしては、感動的だけど、作品としては、人生観が変わるほどの説得力はない。それに、とうとう管理人さんを巡る謎が解けなかった。(←ネットで調べると、黒島と内山が、なんらかの彼らの計画を察知して殺した説を採用していた。でも、映画本編でちゃんと解説しろよ、と思う)(ストーリー)穏な日々をおくる菜奈と翔太は、引っ越して2年後、晴れて結婚!住民会を通じて仲良くなったマンションの住人たちを招待して船上ウェディングパーティーを開催することに。幸せいっぱいの菜奈と翔太と住人たちを乗せて出港するクルーズ船。そして、起こる、連続殺人・・・!逃げ場のない船上で、一人、また一人と殺されていく。謎解きに乗り出す、菜奈と翔太と住人たち。だが、そこには、思わぬ殺意が交錯していた・・・!!?監督 佐久間紀佳出演 原田知世、田中圭、西野七瀬、横浜流星、浅香航大、奈緒、山田真歩、三倉佳奈、大友花恋、金澤美穂、坪倉由幸、中尾暢樹、小池亮介、井阪郁巳、荒木飛羽、前原滉、大内田悠平、バルビー、袴田吉彦、片桐仁、真飛聖2021年12月20日岡山イオンシネマ★★★「ビルド・ア・ガール」「ほぼ」事実を基に描かれた、フィクション。90年代に突如出現した辛口「女子高生批評家」のアップダウンを描く。原作者自身(現在40数歳?)が脚本担当。最後は定番、まとめにかかるなど、かなりわかりやすい。「ビルド・ア・ガール」は「自分づくり」と訳されていた。しかも、本格的にライターとして描き始めたコラムのテーマなんだ。16歳にして、既に街の図書館の本を全て読み込んだと豪語する彼女は、男の子との「偶然の出会い」によって道が開ける可能性はよう知っているだけにないと知る。1ページの作文の宿題に30ページを渡してしまい、実は300ページの元作文があるのだと教師に言ってしまうような、暴走気味、容姿はイケテナイ女の子。いそうでいない、いなそうでいる、女の子。やってみて、潰れて、それでも若い、やり直せる、という主張が眩しい。部屋の好きな作家たちが、見事にバラバラ。結局、この「教養」が彼女を助ける。目的なくとも、本は読んでおくに越したことはない。(解説)主人公のジョアンナを演じるのは、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』や『レディ・バード』での名演技で強烈な印象を残した新星ビーニー・フェルドスタイン。劣等感もパワーに変えて、自らの力で未来を切り開くヒロインを魅力たっぷりに熱演する!そんな彼女が初めて恋するロック・スターのジョンを演じるのは、人気ドラマシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』のシオン・グレイジョイ役で注目を集めたアルフィー・アレン。ミステリアスな雰囲気と大人の包容力を備えた、ヒロインに寄り添う紳士を好演する。さらに主人公の運命を占う重要な役どころでオスカー女優のエマ・トンプソンが登場。オアシス、ブラー、プライマル・スクリーム、ハッピー・マンデーズやマニック・ストリート・プリーチャーズといった人気バンドが旋風を巻き起こした90年代前半のUKロックシーン。原作はキャトリン・モランの半自伝的小説「How To Build A Girl」で、脚本も彼女自身が担当。当時のロック・ジャーナリズム業界の裏事情もうかがい知れる。「何かが起こるのを待っていても人生は変わらない!」と、勇気を出して初めての世界へ一歩踏み出したジョアンナは、数々の失敗を経験する。それでも“いま”のジブンをフル活用し困難に立ち向かう。その姿には世代を超えて、誰もが勇気をもらえるはず。がむしゃらに突き進むジョアンナに共感せずにはいられない!2021年12月26日シネマ・クレール★★★★
2022年01月08日
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2021年12月に観た映画は8作品でした。三回に分けて紹介します。「そして、バトンは渡された」映画の時、私は「絶対ファンタジーにしてほしくない」と思っていた。ちょっとあり得ない設定だけど、あり得るかな、と思わせて欲しい、と思っていた。それは出来たか?子役は可愛かったけど、やはり荷が重かったと思う。ファンタジーにしないためには、みぃーたんが父親に捨てられたと思ったとき、みーたんが母親に捨てられたと思ったとき、その傷を隠しながら立ち直る様を映像として見せなくてはならなかった。それは観客の想像にまかされた。でも、それは奇跡だと思う。もちろん、泣くよりは笑顔でいようという母親の教えがあったからこそ、高校生活を乗り越えられたとは思う。でも1番重要だったのは、小学校5-6年だ。その時の複雑な心情を全部省略したのはダメだ。稲垣来泉が幼い頃の宮崎あおいにそっくりで、ファンとしては、父親になったような気持ちになった。もちろん、幼い頃のようなカリスマ性はない。でも、そっくりというのは、こんな複雑な気持ちなんだ!【ストーリー】瀬尾まいこ原作『そして、バトンは渡された』(文春文庫 刊)を永野芽郁×田中圭×石原さとみ出演で映画化。4回苗字が変わっても前向きに生きる優子(永野芽郁)と義理の父森宮さん(田中圭)。そして、シングルマザーの梨花(石原さとみ)と義理の娘・みぃたん(稲垣来泉)。ある日、優子の元に届いた母からの手紙をきっかけに、2つの家族が紐解かれていくー。優子が初めて家族の《命をかけた嘘》を知り、想像を超える愛に気付く物語。映画のラスト、驚きと感動であなたの幸せな涙があふれ出す……。【公開日】 2021年10月29日【上映時間】 137分【配給】 ワーナー・ブラザース映画【監督】 前田哲【出演】 永野芽郁/田中圭/岡田健史/稲垣来泉/朝比奈彩/安藤裕子/戸田菜穂/木野花/石原さとみ/大森南朋/市村正親2021年12月6日イオンシネマ岡山★★★「コレクティブ 国家の嘘」もの凄いドキュメンタリーを観た。最初はジャーナリストが鋭く国家の嘘を大暴きにして、国が転覆しないまでも一新するのではないかと期待をもたせる。お決まりの重要人物の事故死があり、直ぐに反対派が保健相に就くなどの改革まである。想田監督と同じ、観察映画に徹する絵つくりが、まるで映画のような緊迫感を生む。そして、まさかのラスト。2016年ごろから世界を席巻するポピュリズムの政治、そして2020年から始まる世界感染症の医療危機をも彷彿させる、ヨーロッパの一小国の「9割が腐敗している」現状、そしてまるで今年冬の日本の総選挙を彷彿させる程投票率のもとでの保守党の「圧勝」!「もう30年、ルーマニアは変わらないぞ」と叫ぶ父親の電話が、もう痛くて痛くて。(ストーリー)2015年10月、ルーマニア・ブカレストのクラブ・コレクティブでライブ中に火災が発生。27名の死者と180名の負傷者を出す大惨事となったが、一命を取り留めたはずの入院患者が複数の病院で次々に死亡、最終的には死者数が64名まで膨れ上がってしまう。カメラは事件を不審に思い調査を始めたスポーツ紙「ガゼタ・スポルトゥリロル」の編集長を追い始めるが、彼は内部告発者からの情報提供により衝撃の事実に行き着く。その事件の背景には、莫大な利益を手にする製薬会社と、彼らと黒いつながりを持った病院経営者、そして政府関係者との巨大な癒着が隠されていた。真実に近づくたび、増していく命の危険。それでも記者たちは真相を暴こうと進み続ける。一方、報道を目にした市民たちの怒りは頂点に達し、内閣はついに辞職へと追いやられ、正義感あふれる保健省大臣が誕生する。彼は、腐敗にまみれたシステムを変えようと奮闘するが…。カタリン・トロンタンCATALIN TOLONTAN (47)調査報道記者・スポーツ記者ガゼタ・スポルトゥリロル紙の編集長を務めるスポーツ記者。この数年間、ルーマニアのスポーツと政治の腐敗に関する一連の調査を主導し、何人もの大臣の辞任や、何人もの政治家の投獄に繋がった一連の裁判を引き起こしたことで、大きな名声を得た。 クラブ「コレクティブ」の火災の後、編集者チームのミレラ・ネァグ(47)とラズバン・ルツァク(21)と共に、コレクティブの悲劇に関与した国家機関の役割を調査し始めた。コレクティブの火傷患者に影響を与えたブカレストの病院での医療行為に関する彼らの調査は、ルーマニアの歴史において最も偉大なジャーナリストによる捜査のひとつである。また、ヘキシ・ファーマ社に対する徹底的な調査は、医療システム全体を崩壊させた。ヴラド・ヴォイクレスクVLAD VOICULESCU (33)金融スペシャリスト、慈善家、保健相(2016年5月〜12月)ウィーンにあるエルステ銀行の投資部門の副社長として長年勤務していた。27歳で「サイトスタティック・ネットワーク(cytostatic network)」を設立し、薬を入手できない患者のために、オーストリア、ドイツ、ハンガリーからルーマニアにがん治療薬を密輸する数十人のグループを結成。患者の権利を守る活動をしていた彼は、前任者が辞任に追い込まれた後、新たに保健相に就任した。彼は大臣のオフィスをアレクサンダー・ナナウ監督に開放し、保健省への前例のない常時アクセスを可能にする。テディ・ウルスレァヌTEDY URSULEANU (29)建築家火災の生存者。頭や体に重度の火傷を負い、指は切断しなければならず、容姿は大きく変わってしまう。しかし、彼女は前向きで、生きていることに喜びを感じる。新しい自分を受け入れ、自分のトラウマをアートで癒すことで、他の人の手本になりたいと考えている。カメリア・ロイウCAMELIA ROIU (47)ブカレスト大学病院の麻酔医「コレクティブ」クラブの火災の後、ルーマニア初の内部告発者となった。彼女は、火傷患者の死因についてルーマニア当局が厳重に管理していた秘密を、ガゼタ・スポルトゥリロル紙のトロンタン氏と彼の調査チームに明かすことを決意する。彼女の勇気に触発され、医師や関係者らは、ルーマニアの医療システムに蔓延る不正の告発に乗り出した。2021年12月7日シネマ・クレール★★★★「パーフェクト・ケア」医者と施設と後見人が結託したら、合法的にやり放題なのか?とっーても怖い作品。途中からヤクザと知恵合戦、復讐合戦になるけど、それは映画的サービスに過ぎない。まぁ、どっちともやられて欲しい、できたらマーラの方がやられて欲しいと感じたのではあるが、最悪の展開に‥‥。ラストも、気持ちいい終わり方じゃない。でも、これがこの作品の価値だといえば、その通り。観て後悔はしない、観て良かった。この恐怖感をあと数十年間持続して、間違い犯さないようにしよう!ところで、途中マーラが奥歯を死体に埋め込んで偽装工作をやる映像が執拗に出てきたが、意味ないので、あれは編集でカットしたほうが良かったんじゃないか?それよりも、あのあとCEOとして成功する過程をもっと描いて欲しい。全然リアルじゃない。悪の描き方としては、近年ないエグさ。女の同性愛者というのは、あり得る設定であり、許せる。相棒(エイザ・ゴンザレス)も美人で、ちょっと羨ましい。そういえば、敵役も小人で、監督にちょっとこだわりがあるのかもしれない。まぁキャラ設定としては、アメリカあるある。日本ではあまりやらない。STORY判断力の衰えた高齢者をサポートする法定後見人マーラ・グレイソン(ロザムンド・パイク)は裁判所からの信頼も厚いが、その正体は合法的に高齢者の資産を奪い取る悪徳後見人だった。彼女は新たな獲物として、資産家のジェニファー(ダイアン・ウィースト)に目を付ける。身寄りのない彼女なら難なくだませるはずだったが、その背後にはロシアンマフィア(ピーター・ディンクレイジ)の影が見え隠れしていた。(解説)デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ゴーン・ガール』(14)で失踪した妻エイミーを怪演し、第87回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるなど高い評価を獲得した俳優ロザムンド・パイクのあらたなる最高傑作が誕生した!主人公マーラを演じたロザムンド・パイクは本作で第78回ゴールデン・グローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)受賞。監督は『アリス・クリードの失踪』(11)のJ・ブレイクソン。キャストロザムンド・パイク、ピーター・ディンクレイジ、エイザ・ゴンザレス、ダイアン・ウィーストスタッフ監督:J・ブレイクソンプロデューサー:テディ・シュウォーツマン、ベン・スティルマン、マイケル・ハイムラー撮影監督:ダグ・エメット美術監督:マイケル・グラスリー衣装デザイナー:デボラ・ニューホール音楽:マーク・キャナム2021年12月14日MOVIX倉敷★★★★
2022年01月07日
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「ノースライト」横山秀夫 新潮文庫去年5月に横山秀夫の著作を20年ぶりに再読した時に、最近描けていないのはネタ元が尽きたからだという意味のことを書いた。全く失礼なことを書いた。横山秀夫は新たなステージに登った。久しぶりの新作がやっと文庫化した。勇躍して紐解くと、その新しいテーマ、その瑞々しさ、隅々まで絞り込んだ表現、それなのに変わらないスタンスに驚愕した。誤解を恐れず言えば、女流作家には描けない、ぶざまにも美しい「男の矜持」が、全篇にわたって描かれていた。建築を設計し建てることは、小説を書くことに似ている。青瀬の〈Y邸〉は、横山秀夫にとっては、辿り着いた最高傑作に似ているのだろう。かつて横山秀夫は、新聞記者時代に培ったサツ回りの経験を膨らませて10数年を突っ走った。今回それを総て捨てている。捨ててどうしたかというと、おそらく子供時代から培ってきた「感性」を、この作品に注ぎ込んだ。じぶんの原点は何かを問い直し、それに沿って一から創り上げた。まるで、青瀬が〈あなた自身が住みたい家を建ててください〉という言葉に救われたように、まるで、岡嶋が〈足りないものを埋めること、埋めても埋めても足りないものを、ただひたすら埋めること〉という言葉で救われたようにおそらく横山秀夫が描きたかったものは「巧い、暗い、恐い、そして美しい」ナニカなんだったのだと思う。上質のミステリとして巧く緊密で硬質な文体は暗く時折見せる心理描写は恐くそしてすべてが美しいずっと積読状態だった「日本美の再発見」(ブルーノ・タウト)は、今年は紐解こうと決心した。kinya3898さんのレビューで文庫化を知った。
2022年01月06日
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「中国の歴史(4)三国志の世界」金文京 講談社学術文庫「中国の歴史」シリーズ4巻目、「三国志演義」を歴史学の側面から検証する本。その方面に関心のある方には、面白いはず。私は「第9章 邪馬台国をめぐる国際関係」のみについて記す。日本や朝鮮半島の考古学からのみ深掘りしてきた私ではあるが、この時代の中国の文献史学の信頼性は無視出来ない。批判的検証を経てどのように弥生時代末期を描いたか?1番大きな検証は以下。「卑弥呼は景初2年に洛陽に来たのか?3年に来たのか?」魏志東夷伝には景初2年(238年)、使者・難升米が6月に朝鮮半島の帯方郡に来て、天使に朝貢したいと申し出たので洛陽に向かわせ、12月に貢ぎ物生口(奴隷)男女10人と班布二匹二丈を献じたとある。コレは考古学界では景初3年の間違いであるというのが定説である。大きな理由は、景初2年6月は魏と戦闘中で帯方郡公孫氏が8月に滅びる直前であり、そんな余裕はなかったというのが大きい。しかし、金文京氏は景初2年であると主張する。読んでみると、非常に説得力がある。たかが1年の違いではない。この一年で、皇帝の代替わりがあった。よって、たかが東夷の小国に、生口10人というみすぼらしい贈り物に対して「鏡100枚」等という破格の待遇を授けた意味合いが、まるきり変わるのである。金文京氏は文献を読んで、景初2年でも無理がないと判断する。そうすると、倭国に対して期待したのは、呉に対する魏の「牽制」だったことがハッキリするのである。つまり、呉国が海を渡って公孫氏を援助させないようにする、呉と倭国との朝貢関係を結ばせない、とさせたのである。それは景初2年でなくては意味がなかった。三国時代は、諸葛亮孔明が期待するように、三国が併立して平和をもたらすものではなかった。どうしたらいち早くTOPになるか、魏としては何としても朝鮮半島を自分のものにして呉国からの挟撃を潰さなくてはならなかった。そのためには、蛮国たる邪馬台国への過剰な接待など当たり前のことだったのである。魏にとり、卑弥呼が凄いから、倭国が凄いから、「親魏倭王」になったわけでは無かった。見方を変えると、まるきり違う世界が見えてくる。つくづく「文字の力」は大きい。炎天下、大汗をかいて山を登り、土を掘り返してやっと掴んだ仮説も、机上の考察ですんなり覆る。以下、完全私の覚えです。完全無視を。とりあえず、勉強になった。・後漢光武帝中元2年(57)正月、「倭の奴国、貢を奉じて朝賀す」・安帝永初元年(107)10月、「倭国王帥升等、生口160人を献じて請見を願う」←因みに、松木武彦氏は帥升を吉備国王と見ている。・155年曹操生まれる。(ー220)・161年劉備生まれる。(ー223)・165年高句麗新大王即位。・167年「この頃卑弥呼即位」と文京氏は書く。ちょっと根拠が不明。誕生としても少し早すぎる。・179高句麗の故国川王即位。・182孫権生まれる。(ー252)・197高句麗山上王即位。王の兄反乱、遼東の公孫度が援助するも失敗。・201扶南大王立つ。・207遼東太守の公孫康が袁氏を斬る。袁氏滅亡。 劉備、諸葛亮を得る。・208 赤壁の戦い・216曹操魏王となる。・220曹操死亡。曹丕皇帝に。・221劉備皇帝に即位。・223孫権黄武の年号をたてる。・227諸葛亮出師表 高句麗の山上王死去、東川王即位。・228遼東の公孫康死去、公孫淵即位。 孫権皇帝に。建業に遷都。 大月王が親魏大月氏王に封ぜられる。・232孫権、遼東に周賀らを派遣。 魏の田豫、遼東を討つも成果なく撤退。 遼東の公孫淵、呉に使節を派遣。 田豫、成山で呉の使節の周賀を斬る、曹植死去。・233孫権は使節を送って公孫淵を燕王に封ず。 12月公孫淵は呉の使者を斬る。魏は公孫淵を楽浪公に封ず。呉の使節の従者、高句麗に至る。 陳寿生まれる。(ー297)・234魏の明帝が親征、呉軍は撤退。 諸葛亮死去。 高句麗王が呉に使節を送り臣従、呉も使節を送る。・236高句麗王が呉の使者を斬り首を魏に送る。・景初元年(237)魏、公孫淵を討つも失敗。公孫淵は燕王を自称、明帝、海船を建造させる。・景初2年(238)1月、司馬懿が遼東を征伐。他将軍が海路、楽浪、帯方郡を攻める。公孫淵は呉に援助を求める。 6月、倭の卑弥呼の使節、難升米ら帯方郡に至る。 8月、遼東の公孫氏滅亡。 12月、明帝重病。この頃、難升米ら洛陽に到着。魏は卑弥呼を親魏倭王とし、鏡などを下賜する。・景初3年(239)1月、明帝死去。曹芳(少帝)が即位。 2月曹爽が実験を握り、司馬懿を太傅に祭り上げ政権から遠ざける。 4月呉国遼東援助部隊が到着、既に時期を逸す。・元始元年(240)3月、帯方郡太守が健中校尉を倭に送る。・241、孫権は四路に分けて魏を攻撃するが、失敗。・243、12月倭の卑弥呼の使節、伊声耆ら洛陽に到着。・246、2月魏の母丘倹、高句麗を攻め、丸都を陥落。高句麗王を粛慎の境界まで追い詰める。・247 王きんが帯方太守となり、張政を倭に送る。 倭に内紛が起こり、卑弥呼は帯方郡に訴える。・248 高句麗東川王死去、中川王即位。・249、この頃卑弥呼死去。壱与が女王になる。 司馬懿がクーデター、曹爽一派を誅殺。 壱与の使節が入貢。・251 司馬懿死去、司馬師が跡を継ぐ。・263 蜀が滅ぶ。・265司馬炎が魏帝を退位、晋武帝として皇帝になる。・266 11月倭の使節が晋に貢物を献ずる。
2022年01月03日
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「図書 2022年1月号」今回から表紙が杉本博司さんになった。見たらわかるように(?)シェイクスピアである。これって、写真なのか?細密画なのか?どうも写真のように見えない。ところが、「表紙解題」で杉本博司さんは、終始写真の話をしている。「私はこの写真を操る技術者として、真を写すとは如何なることかを探求してきた」らしい。とすれば、これは写真の加工品なのか?次回でもう少し詳しい解説を待ちたい。因みに、一般的なシェイクスピア写真よりも遥かに生き生きしている。連載「うすねこやなぎいろ4」で柳広司さんは沖縄問題について語る。2022年は「沖縄本土復帰50年」になる、ということもある。現在満を持して沖縄復帰の「歴史」を小説化しているということもある。それは置いといても、柳広司さんは、この間の沖縄に対する扱いについて終始怒っていた。それは私の怒りともシンクロしている。出来たら全部書き写したいくらいだけど、大迷惑になるので自粛する。是非本屋からくすねて来て読んで欲しい。「北杜夫と躁うつ病とZ旗」高橋徹(精神科医師)という短文を読んで、小学生の頃「さびしい王様」というのんびりした物語を読んだ後に、中学生の時に「楡家の人びと」という暗い話を読んで、「この人、同じ人なんだろうか?」とビックリしたことを思い出した。Z旗とは、躁病時に、長編にかかる時に自分を励ますためにかかげたものらしい。今回遺族から引き取った大量の遺品の中にあったらしい。昔の「さびしい王様」シリーズは、ゆったりとした文字で、かわいい絵がたくさんあった美品の本だったのであるが(続きを自分の小遣いで買ったのでよく覚えている)、検索したら完全絶版でどこにも置いてなかった。「漢字の動物園ln広辞苑4」(円満宇二郎)では、一月、おめでたい動物たちが、選ばれた。曰く、鷹、鶴、亀、鳳凰、麒麟。初夢には鷹は出てこなかったけど、こんな妄想をした。亀の項で発見。亀といえば、甲骨文字。広辞苑によると「亀甲・獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字」らしい。日本は一般的には鹿の骨を焼いて占卜する。でも本来は亀だったのだ。「荘子」には、死んでから3000年(←現代から5500年前!)もの間、大切に祀られ続けている亀が象徴的に言及される話があるらしい。古代でも亀の化石を発見していたことがあったのかもしれない、と円満さんは推測しています。古代からいるからこそ、未来が見えるという考え方は、現代にも通じる。浦島太郎に亀が登場するのは偶然ではなかった。「海のトリトン」にも何百歳という亀が登場するが、最近ナイジェリアで推定年齢344歳の亀が亡くなったらしい。もっとも眉唾モノですが。科学的には亀の平均寿命は100歳ほどらしい。‥‥遠い昔、幼児の頃に既にお爺さんだった亀に、壮年になってまた出会うという「語り(物語)」があった。亀は未来を言い当てていた。それがいろいろ伝わって占卜まで行き、その時メモされた文字が最古の甲骨文字にたどり着いた可能性は十二分にあるだろう。誰か小説にしないかな。
2022年01月02日
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ホテルで正月を迎えた。屋上から御来光を拝めると言うので、登ってみる。この時にしか開いていないからである。登ってみると、2年前にきた湊茶臼山古墳から朝日が登る設計だった。まさか意識していたのか?今日は良い御来光だった。朝日を浴びた岡山市街。ホテルのおせち料理。雑煮は、すましのぶり、ほうれん草、煮た丸餅というシンプルなものだけど、ウチとは魚のぶりが入るところは違う。
2022年01月01日
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「地球の歩き方 旅の図鑑シリーズ 世界の祝祭」地球の歩き方編集室編人類はハレの日である「祝祭」を、常に年間の節目として生きてきた。此処には約200ほどの全世界の「観光化」された祝祭が、その場所と2022年の開催予定日とを記し、写真と解説によって紹介している。本の性格から、学術的な視点の鋭さはないと想像されるけれども、「あゝこんなのがあるんだ」という発見はある。コロナ禍のもと「歩き方」が生き残るための「旅の図鑑シリーズ」の傑作のひとつだろう。写真・文章の著名は一切無い。これまでの膨大なデータを編集・加工して最新情報を付け加えたものだろう。と推察する。一応行き方は、書いているけれども、かなりアバウトだし、そもそも今年本当にその日に祭が開催される保証はない。それなりに調査して行く必要はあるだろう。日本の祭はこの本では省略されている。欧米はキリスト教、中東圏はイスラム教、東南アジアは仏教と結びついた祭りが多いけれども、その中に見事に冬至、春分、夏至、秋分の季節の移り変わりと、収穫祭の名残が溶け込んでいる。私はやはり、東南アジアの祭りに興味がゆく。バリ島の「ニュピ」(2022年3月13-14日)は、ヒンドゥー暦や古代ジャワ暦による「新年」の祭りである。見事に「悪霊」たちが登場ずる。4月のミャオ族のバレンタインデー「姉妹飯飯」は素敵だし、台湾の有名な旧暦3月23日(4月)の「大甲媽祖巡礼」は一回観てみたい。東南アジアでは4月は多くの場所で二十四節気の清明節のお祭りをする。墓を掃除して、お供えをする。実は、私の村では親戚でもなく村でも無い単位で、氏神様の木の下で毎年当番を決めて掃除とお供えをしている。こういうのを知ると、世界は繋がっていることを感じる。(中国では清明は三連休、台湾、シンガポール、マレーシアでは祝日、沖縄でも年中行事になっている)世界では、宗教と離れて、「英雄」が神になって祭られることがある。フランス・オルレアンではジャンヌ・ダルク祭りがあり、媽祖巡礼もそのひとつだし、キング牧師記念日はアメリカの数少ない祝日になっている。今は名前のない多くの祭りも、もとは英雄たちの行いを忘れないように伝えられてきたのだと私は思う。新年を迎える時季に、世界では民俗的な祭が同様に行われることも興味深い。バリ島の「ニュピ」もそのひとつなのかもしれないが、ルーマニアの「クマ踊り祭り」(12月30日)、アルプス版のナマハゲと言われる「クランプスの行進」(12月5日)、緑の三精霊が新年に福を呼び込むスイスの「シルベスタークロイゼ祭り」(12月31日)、クリスマスも、もとは新年祭だったのだろうと思う。今年もホントにお世話になりました。良いお年をお迎えください。
2021年12月31日
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「縄文里山づくり 御所野遺跡の縄文体験」御所野縄文博物館編 新泉社82ページに「御所野縄文里山カレンダー」が載っている。春夏秋冬の生活サイクルを図化したもので、考古学の読本にはよく掲載される。しかし、今まで見た中で、1番豊かな情報が載っていた。理由がある。縄文御所野遺跡は岩手県二戸郡一戸町にあり、7.7haの台地から丘陵まで含め、博物館を構えた縄文公園になっている。青森県三内丸山よりも規模は小さいけれども、非常に密度の濃い情報発信をしていて、とても感心した。御所野縄文里山カレンダーは、御所野遺跡がこれまで果たしてきた「実験考古学」の成果である。木を育て、住居をつくり、縄をつくり、薪を用意し、土器を作成し、木の実を採り、トチノキの実や栗の実を加工し、ウルシを使い、カゴを編んでゆく。その中で、「あ、こんな工夫をしていたんだ」という私の初めて聴く「発見」が、山のように記されていた。例えば、雪深い東北では、深く掘り込んだ土付き屋根の竪穴式住居になる。それは知っている。しかし、雪解け時に屋根土が窪みになって、そこから腐ってゆくのを防ぐために、春先に土屋根の叩き締めが必要だということは、初めて知った。例えば、トチノキの実やクリの実は、そのままではすぐ食べれなくなるので、採取すると直ぐに粉状に加工しなくてはならない。それらは、村の総出の労働力が要ったろう。その他、村総出の労働力は意外に多いということに初めて気がついた。一般的に、稲作文化が人々の階層化を進ませたと教科書は言う。しかし、一万年もの間、縄文時代に人々は協力しながら村を運営した。リーダーはいたにしても、何故、階層化が進み、国が出来、戦争が始まらなかったのか?私は新たな疑問が湧いてきた。実の粉では、財産の余力など作れなかったからか?それだけなのか?一千年余の弥生時代の間に始まったと言われる「戦争」が、実は最大の戦争(倭国大乱)が「話し合い」で終わったのは、縄文時代の教えがあったからなのではないか?古墳時代、大陸から悪しき思想が、その教えさえも侵食したのではないか?‥‥などと、私はいろいろと妄想した。以下純粋マイメモ。・木を伐採すると、新たに出る萌芽を利用して、縄文人は自分たちに必要な木を選んで育てた。・縄文時代は建築資材としてクリにこだわっていたが、古墳時代以降はヤチダナ、コナラ、サクラになってゆき、やがて90%コナラになる。・クリが石斧での伐採に適していた。春では直径20センチは5-6分で切れた。・直径5mの竪穴式を建てる場合には、直径20センチ、長さ15メートルの木が30本ほど必要。・伐採木は直ぐに樹皮をはぐ。虫が入り、なかから腐食するから。伐採は新陳代謝を繰り返す春から夏がいい。伐採後はそのまま乾燥させるか、捩れや割れを防ぐために水につけて陰干しする。・土屋根の腐食を防ぐために、冬は雪下ろし、春は叩き締めをする。堰板は下を焼いて腐食を防ぐ。・ひとつの竪穴住居にひと束100メートルの縄が14束必要だった。・縄は鳥浜貝塚や忍路土場遺跡からも出土するシナノキを使った。樹齢20-25年を使う。・木から樹皮を剥がしたあとに、外皮から内皮を剥がす。1-2か月水(流水でなく澱んだ水)につける。そのあと内皮を剥ぎ取り、岩盤の上で清流で水洗い、滑りが取れたら繊維を細かく割いて、3-5日乾かします。・薪はカラマツとクリ、コナラ。順に燃焼が高い。しかし、長時間保つのはその反対。灰を確保するには、春から秋にかけてコナラを燃やすのがいい。弾けないということでも、基本的にコナラが薪の材として優秀。・トチノキの実が8割で圧倒的。次にクリ、そしてオニぐるみが少し。・トチノキの実は、収穫したらそのまま広げて乾燥。そのあと、外側の硬い皮を剥くために一度茹でる。柔らかくなった皮を剥き、剥いた実に灰をまぶし、水を入れて一晩そのまま。黄色の上澄みを捨て、また水を、入れる。ニー三日繰り返し、灰を洗い流す。実を弱火で焦げないよう程度にゆっくりかき混ぜる。出てきたアクを捨てながら、溶けてペースト状になるまで煮る。最後に袋に入れて水を搾る。1週間広げて乾燥。粉にして保存。・スズタケを竹のように加工してカゴを編む。・サルナシの枝でカゴを編む。
2021年12月30日
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「幻獣の話」池内紀 講談社学術文庫しっかりとした辞典を選ぶとしたら、「幻獣辞典」(ボルヘス)が河出文庫で出ている。原典に挑むとすれば、「東方見聞録」「山海経」などが手に入りやすい。この薄い文庫本は、それらに向かうための先導役としては打ってつけかもしれない。黄金の国チパングを広めたマルコ・ポーロは、「私はホントに見たんだ」と主張して、ホラ吹きの異名を取った。しかし、今になってみると「樽のような蛇がのし歩いた」「スマトラに棲む一角獣」「犬の顔を持った人間」の正体は、その描写が詳細なだけに容易に推察がつく、ということを実はこの本で初めて知った(答え合わせは本書の一章目を見て)。※コレ、ゼッタイクイズ番組のネタになる。大航海時代が終わって、架空の生き物が「博物誌」から消えるのは18世紀後半らしい。反対に言えば、それまでには、立派な学者が大真面目に架空の生物を論じていたということだ。日本の日光東照宮には霊獣が、種類にして150余、総数約800体、一つの建物を埋め尽くすように刻まれているという。そうか、そういう処だったんだ!突然行きたくなった。鳳凰、龍、麒麟の他に龍馬、猩猩(しょうじょう)、獏、やがて鳴蛇(めいだ)、蜃、息とかかなりマイナーな幻獣のオンパレードである。それらの主な原典は「山海経」。もとは中国古代の地理書ではあるが、やがて百科全書になったという。紀元前3世紀の戦国時代に成立、その後何度も手を加えられた。小野不由美「十二国記シリーズ」のもとになっているのは御承知通り。だから、学者が語らなくなっても語り手はなくならない。幻獣の話は古代の専売特許ではない。現代こそ、うごのたけのこ、の如くウヨウヨと蔓延っている。池内紀さんはロボットもその一つだという。人間はなぜ幻獣を産み出すのだろうか?明確な答えの出ない、この問いを、池内紀さんは絶えず発している。私は、さまざまな答えを用意しながらイメージを宇宙にまで広げている。
2021年12月28日
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「蓑虫放浪」望月昭秀・文 田附勝・写真 国書刊行会蓑虫山人‥‥ 。絵の技術にはムラがあり、立派な人物でもなければ有名でもない。定職にも就かず、各地で人の好意に甘え、勝手に遺跡を発掘し、変な格好をして変な行動をして、ー死に方に立派もなにもないものだがー風呂上がりにのぼせて死んでしまったような人物だ。(28p)何故、こんな人物のために、こんな立派な書物を作ったのか?図版と写真が非常に豊富。雑誌「Discover Japan」連載をまとめた。要は好奇心の塊なのである。旅が好きで、たまたま出会った縄文遺物が好きで、勝手に発掘する中で、明治20年、亀ヶ岡遺跡の最初の紹介者にもなる。あの国宝級の遮光土器(宇宙人の姿をしたヤツ)が出た遺跡である(おそらく蓑虫山人が発掘者)。そういうわけで、縄文時代のフリーペーパーを10数年前から作ってきた望月昭秀さんにしてみれば、他人のようには見えないのだろう。私も、とても親近感が湧いた。幕末、岐阜県の豪農の家に生まれ、家を飛び出し、放浪の人生を送る。池大雅や渡辺崋山、鉄斎などの南画を見様見真似で描いていて、絵日記を残している。俳諧も好きだった。若き日は勤王の志士の真似事?もしている。大ボラ吹きなので眉唾モノなのだけど、西郷隆盛と月照の心中を助けたのは自分だと言っているらしい。でも絶対ウソとも言い切れない。ともかく、現代ユーチューバー顔負けの「やってみよう」精神に溢れている。また、南画の絵はお世辞にも美術品とは言い難いが、味があり、現代流行りのマンガエッセイのように感じる。読んでいくうちに誰でも蓑虫山人を好きになってゆく。不思議な本だ。後書きを読むと、意外にも写真家・田附勝さんの方から企画を持ち出したのだという。放浪して、地方の素封家と仲良くなって、観光地をプロデュースして、博物館を作る夢を生涯持つ。対象者の懐に飛び込むことを常とする写真家の田附さんとしては、なんとなく通じるところがあるのかもしれない。有名ではないけど、無名じゃない。あゝこんな風に人生を送れたら、どんなに良いだろ。
2021年12月28日
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「暗数殺人」Amazon primeで鑑賞(10月末で配信終了)。誰かが「良かった」と言っていたので、寝不足になるのを承知でつい観てしまった。刑事の執念の調査。というのではポン・ジュノの「殺人の追憶」が有名であるが、あれは犯人が見つからなかったし、刑事は大きく脚色されていた。ところが、この作品は驚くことに、最後の字幕で、実在の刑事は1人であり、まだ(未解決の残りの殺人)の捜査をしている。犯人は自殺したことが告げられた。2018年作品であるが、つい最近の終身刑決定の実在事件を映画化していたのである。刑事の役は、かつて「1987、ある闘いの真実」で国家権力の塊のような警察署所長を演じたキム・ユンソクが、今度は定年間近の僅かな証拠から知能犯の供述の隙を見出すベテラン刑事を演じた。犯人役のチェ・ジフンは、残っている供述ビデオを見て研究したのか、鬼気迫る犯人像を作り出した。まるで最近の事件とは思えない、まるで長い間に韓国民の血肉の記憶となっているかのような悪夢のような連続殺人犯人を演じた。「殺したのは7人」と犯人は供述したが、明らかになったのはまだ2人(と13歳の時の父親殺し)だけだ。でもおそらく後2人は確実に殺している。それも事件化されていない「暗数殺人」として残ってる。韓国は、このような人の怨念が漂っているかのようなラストを描くのが得意である。釜山周辺の街がロケ地になっていて、ロケ地巡りになかなか打って付けの作品。キム・テギュン監督作品。2021年10月29日深夜。Amazon prime★★★★
2021年12月25日
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実は、今月の映画評は「グランパ・ウォーズ」の前に、もう一つ作っていた。これ以上字数を削れなかった為と、あまりにも過去の作品なので、締切直前になって方向転換した。勿体ないので、ここに記録する。「初恋のきた道」「家族で楽しめる正月映画ってないだろか?」「では、とっておきの隠れた名作を紹介しよう」「我が家は、難しい年頃の中高生がいるんだけど」「そんな世代こそ観て欲しい。初恋はあらゆる世代に、心に響くと思うんだ。チャン・イーモウ監督の『初恋のきた道』(2000年作品)です。主演はチャン・ツィイー。デビュー作です。ブクブクの赤い服を来て、人形のようにコトコト走る田舎娘が超カワイイ。初めと終わりは、1998年のパートで白黒、間に1958年のカラーの昔話が入るという構成も新鮮でした」「どんな初恋なの」「簡単にいえば、村一番の美しい娘が、町から来た小学校のイケメンの先生に恋をして、ひたすら追っかけ回し、そして恋を成就するお話です」「少女マンガみたい。何処が名作なの」「当時、これは身分違いの恋だったの。娘をそれを自覚しているから、当番で先生の賄い食を作る時張り切ったり、子どもと一緒に歩いているところを毎日遠くから見たりすることしかできない。でも、そういう想いは必ず狭い村の中で、青年にもつたわるもので、もう少しで両思いになりそうになる。でも‥‥という話です。この時、2人に訪れる困難は、マンガにありがちな人の意地悪ではなく、時代なんです」「時代って?」「それらしきセリフがひとつあるだけなんだけど、どうも青年は毛沢東の権力闘争のひとつだった反右派闘争の煽りを食って、都会に嫌気がさして地方に来たみたい。そしたら地方は、貧しいけど、美しい。古いしきたりはあるけど、お焼きやマントウ、餃子は美味しく、瀬戸焼き直しのような物を大事にする文化もある。秋は白樺林の紅葉が綺麗で、冬の吹雪は厳しくも美しい」「私たちの子供の頃とかぶるね」「そういう家族の話もできるだろ?美しい少女の一途な恋と、それに応える誠実を絵に描いたような青年を見て、新春から少し福をもらって欲しい」(2000年中国作品)
2021年12月24日
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「5アンペア生活をやってみた」斉藤健一郎 岩波ジュニア新書電気契約を60アンペアから最低の5アンペアに切り替えた独身新聞記者の体験記。予想通りキッカケは東日本大震災。被災時は福島県郡山支局員だった。おそらく自分なりにエネルギー問題を考えようという意味で著者は始めたのだろう。それは分かる。でも‥‥著者は5アンペア生活を始める理由をこのように書く。「(原発再稼働)反対の声を上げることは大切なことだろう。でも、〈反対を叫ぶだけで解決策を示さず〉電気をどんどんばんばん消費する生活をこれまで通り続けて良いのだろうか」「(電気の大量消費の)生活を、ぼくたちが享受しているうちは、首相に「君たちが望むから再稼働するんだよ」と言われても〈仕方ないんじゃないか〉」(72p 〈〉を付けたのは私)これには、私は大いなる違和感を覚えた。特に〈〉内の言葉です。もちろん著者は他人に5アンペア生活を強要していません。でも、それでも、この発想自体はダメです。『グレタ ひとりぼっちの挑戦』というドキュメンタリー映画を観ました。彼女は15歳ということもあって、活動を始めて一年もすると、欧州エネルギー会議に招待されるほどになっています。しかし、そこで会議での議長の発言を聴いた彼女はヘッドフォンを外し、もう聞きたくないとジェスチャーするのです。そこでは、ちょっとした水道水の節約提案を得々と話す政治家がいました。議長が5アンペア生活について話しても同じ反応をするでしょう。でも、彼女がそうしたのは、発言者が議長だったからです。彼女はその2年後、国連で結果を出さない政治家を罵倒しました。罵倒する権利が、彼女にはあるからです。18歳の少女でもわかる話です。政治家と市民を同列に論じてはいけません。「解決策を示す責任」を負っているのは、政治家です。同時に、マイ箸運動をやっているから、エネルギー問題に「私は責任を果たした」と考えるのは正解なのでしょうか。環境問題に1番責任を負うのは、政策であり、政治家なのだから、その政治家をチェックする、そのために何ができるか、少しでも近づくことをするのが、市民の責任だと私は思います。著者は東日本大震災での貴重な経験をもとに、完全に原発再稼働反対の意見を持っていた。そういう意見を持っているならば、「(私たちが電気の大量消費をしているしていない関係なく)私たちは原発を望みません」とハッキリ首相に向けて書いた上で、この本を書かなくてはならなかった。ジャーナリストとして彼が出来ることは、マスコミを通じてエネルギー節約生活体験を広げることだと思ったのかもしれません。それは間違っていない。しかし、それと同時に、『(今のところの再稼働政府を許すことになる)間違った認識』を広めてはいけません。ごめんなさい。かなりグダグダと書いてしまいました。どうしても看過できなかった。こういう形で、現状肯定してしまう若者が、あまりにも多いので‥‥。閑話休題。著者の体験は、私にとっても、とても身近なことで、だからこの本を紐解いたのです。私はこの12年間、一切「自前での」クーラーと、暖房機による冷暖房を使っていません。自家用車も同様です。それは12年前に父親の家を相続した時に、一挙に狭苦しく暑苦しい部屋から、風通しよく、密閉した環境に移れて、試してみたら「出来た」からです。それだけであり、エコを考えたからでも、モテたいと思ったからでもありません。実際には、周りから「危ないからやめろ」とか「変わってるね」と言われるのがオチで、正直著者のように良い方に注目されたことは一度もありません。私も褒められたいからしているのではなく、昔はできたんだから当たり前と思っていました。近年はだんだん「チャレンジ」に変わってきています。地球温暖化を肌で感じていて、今年こそもうダメだ、と思うのですが、今年はなんとかやり過ごせました(扇風機は使うようになりました)。著者が言うように、30度を超えると扇風機無しではとてもやってはいけません。10年前までは、それでも10時過ぎて朝までは30度を切っていたのですが、近年は午前3時ごろまで落ちないようになってきました。著者は今でも5アンペア生活を続けていられているのでしょうか。以下参考にできること。と参考数値。・シャワー浴びて、扇風機に当たると、一挙に身体を冷やす・布団にゴザを敷いて寝ると快適・湯たんぽよりも、豆炭あんかの方が、24時間燃え続けるし、高くない(本体3000円、豆炭240個1200円)。参考までに一般的な家庭での使用量を紹介すると、電気の場合、月の標準使用量は290キロワット時(東京電力)です。ガスは32立法メートル(東京ガス)。水道・下水道は1人世帯で8立法メートル、3人世帯で21立法メートル(東京都水道局)です。(14p)扇風機 「強」でも0.6アンペア 省エネのエース洗濯機 脱水の時に最高4アンペア冷蔵庫 0.8から2アンペアノートパソコン 立ち上げ1 あとは0.6アンペア液晶テレビ 2.6アンペア熱くなる家電は一様に5アンペア以上に。家電の墓場へ。著者は2年後に、2キロワット時(190円)の使用量へ。太陽光発電さえ始めているからね。因みに、私の月使用量は71キロワット(11月)。斉藤さんの始める前のクーラー使わない10月は、以前は90キロワットで、5アンペア始めて最初の月は40キロワットになったそうだ。以前のクーラー使う7月は133キロワット。まぁ、私の使い方はかなりビミョーな使い方ですね。本書は12月1週のmomchapさんのレビューを読んで知った。
2021年12月22日
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「PUBLIC HACK 私的に自由にまちを使う」笹尾和宏 学芸出版社「ビッグイシュー418号」を読んで紐解く。路上ライブやストリートダンスや大道芸などがどんどん規制されていて、私たちは決められたところでしかそういうことは出来ないと思い込んでいないか?公共空間は、工夫さえすれば、実は「私的に自由に使う」ことができる空間である。水辺でランチ、チェアを持ってビール缶を飲む、川が見える場所でBAR、くにたち0円ショップ、アーバンスペースディスコ、ストリートダンス、外朝ごはん、公園で寝袋野宿、芝生の上で映写機とスクリーン使って映画会、河川敷でカラオケ、路上ライブ‥‥これらは全部届け無しで利用可能です。やって良いこと、悪いこと、をどのように見極めていくか。法律は道路法、道路交通法、都市公園法、河川法などがあります。自治体ごとに違うので、確認する必要があります。詳しくは読んでもらうとして、法律をどう読み解くかが大切です。「何人も、交通の妨害となるような方法で物件をみだりに置いてはならない」→裏を返せば、通行の邪魔にならないスペースであれば、テーブルを置くことは禁止されていないこと。「場所を移動せずに露店や屋台を設置する場合をはじめ、道路の交通に支障が出る行為には許可が必要」→ビッグイシューのような手売りや、車両を用いた販売形態など、ただちに移動可能な用意で露店すれば許可は不要。(都市公園法)「占有行為には許可が必要」→私的な個人使用、グループ使用とみなせる内容(規模・時間)の行為(=自由使用)であれば許可不要。ただ、やはりというか、「通報される」と、警察は法律度外視して止めにかかってくるそうです。そうならないための対処法も書いています。法律は時代と共に変わります。公園でのボール遊び禁止、渋谷区でのハロウィン期間中の路上飲み禁止は、昔はありませんでした。自分で自分の首を絞めない。自分で禁止を作らない、ことが大切ですね。また、著者は公共空間の使い方のノウハウだけを述べているわけではなく、使うことはどういう意味を持つのか、きちんと提案している。また、自治体の先進的な取り組みも紹介している。やってみる、そのことが大切。路上ライブも、本来ダメだけど通報されたら禁止するというところも有れば、単に見つけるだけならば声かけて終わるところもある。法律が何を求めるているか、を踏まえての対応なので素晴らしいと思う。花見じゃなくても、気を向いた時に仲間を誘って「水辺ダイナー」なんて、気軽にできたら良いなぁと思う。
2021年12月21日
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「中流の復興」小田実 NHK出版2007年7月30日、小田実が亡くなった。その前日は、参議院選挙で第一次安倍内閣が歴史的大敗を喫した日だった。他所は知らず、私の周りの巷では「小田実さんは、この結果を聴いて笑顔で旅立ったに違いない」と噂した。実際この1か月後に安倍首相は突然辞任し、改憲策動はしばらくは大きく後退するのである。2021年、安倍院政が始まった。来年の参院選は、安倍元首相にとっては15年ぶりのリベンジの改憲を問う選挙になる。という時点で、小田実の最期の声を聴きたくなった。既に後書きを書くとき(2007年4月)には癌は進んでいて自らの死を覚悟していた。「生きている限り、お元気で」と結んでいる。この遺言とも言える書物で、小田実は「小さな人間」として発言し、「小さな人間」の為に終始話をしている。ハッと気がついたことが多い。「被害者であるのにもかかわらず加害者になる」のではなくて「被害者であるからこそ加害者になる」。(21p)←実際に戦争をするのは私たち小さな人間です。アメリカ兵は加害者として生まれてきたわけではなかった。その前に戦争に駆り出された被害者だった。だからこそ、被害者=加害者になる。私たちは軍隊とは違う論理、原理で、違う次元に立ってモノを考える必要がある。台湾海峡に危機があるから基地や兵器が必要なのではない。論理を変える。「こうしたことの基本にあるのは、日米安全保障条約という軍事条約です。(略)日米関係は、軍事条約を中心にした内容で、日米平和友好条約というものは現在も存在しないんですね。それなら、日米平和友好条約をつくって、その上で防衛の問題があるんだったらそこで討議しようじゃないか、と考えていけばいい」(23p)←「(日米関係は)既に友好条約を結んでいるのと同じようなものだから必要ない」と反論が来るかもしれませんが、私は全然違うと思います。日本国憲法に「軍」を書き込めば、大きく憲法の論理が変わるように、日米に「平和友好」を書き込めば、その日から日米地位協定の見直しは必須になり、何十年も作られる見込みさえ立たない辺野古基地建設は直ぐに見直されるだろう。だからこそ、自民党は決してこんなことは言い出さない。むしろ真の軍事条約にしようと改憲を狙っている。平和友好条約を言い出す政府を作ることが大切です。「虫の視点」「大きな構想」「市民立法」「平和経済」「小国・日本」「日本文化は女々しい」など、小田実独自の表現で、最後の数年間の市民運動を総括している。その思想の全体像の紹介は勿論出来ない。私は、死亡の3ヶ月前にも関わらず、最後の最後までフィリピンの残酷な人権侵害に対して「後書き」のほとんどを使って精力的に、まさに命を削って裁判のスポークスマンになろうとしている小田実を見ただろう。市民運動とは、正にこの人がやってきたことを云うのだと思う。
2021年12月20日
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「ルックバック」藤本タツキ 集英社ジャンプコミックス「このマンガがすごい2022男性部門」第一位。たった一巻。セリフ最低必要最小限。コレを一位に推す若者たちについていけなくなっている自分に愕然とする。きわめて真っ当な「友情・努力・勝利」。石ノ森も50年前に試みた絵巻物語。でも、若者たちにとっては、初めて見る世界。それをイジる権利は、私にはおそらく髪の毛一本ぶんもない。だいたいのストーリー自分の才能に絶対の自信を持つ小学四年生の藤野と、引きこもりの京本。(←2人合わせれば藤本になる)田舎町に住む2人の少女を引き合わせ、結びつけたのは漫画を描くことへのひたむきな思いだった。藤野には斬新なストーリーセンスがあり、京本には圧倒的な画力があった。それぞれが才能を認めて嫉妬し、そして2人で高め合う季節と、別れて道を進む季節。そんな時、現代世界の「あの事件」に似た悲劇が起きる。
2021年12月19日
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今月の映画評です。映画評「グランパ・ウォーズ おじいちゃんと僕の宣戦布告」「家族と一緒に正月に楽しめる作品を探しているんだけど、何か良いのある?」「ピッタリのがあるよ。一人暮らしになったお爺さんを心配して娘が同居を決めてしまったお陰で、中学1年のピーターは屋根裏部屋に移されることになっちゃう。ピーターは部屋の交換を求めてお爺さんに宣戦布告をするんだ。最初は取り合わなかったお爺さんも度重なる孫の悪戯に相手をするようになる。果たして戦争の行方は?というやつです。なかなか楽しいアメリカのコメディでした」「爺さん世代は、孫と会話弾むかもしれませんね」「お爺さんは、名優ロバート・デ・ニーロで、孫との知恵比べが段々と面白くなっていく様がおかしみになっています。娘のお母さんは「キル・ビル」以来のユマ・サーマン。脇役に芸達者が揃っていて、子役のオークス・フェグリーを引き立てています。中学のいじめ問題も絡んでいて、子どもも共感するんじゃないかな」「悪戯に悪戯を返すのは、ちょっと大人気ない気もします」「お爺ちゃんは戦争を始める前に家族を巻き込まない、家族には秘密にする等、交戦規定をむすぶんだけど、ピーターに『本当の戦争はゲームじゃない。勝者も痛みをともなう』とクギを刺すことを忘れません。やがて、2人の戦争は大騒動と発展していき、孫は「痛み」とは何なのか、わかってゆくというお話です」「落とし所も良さそうですね」「それに、デニーロはギャングのボスも散々やってきたから、途中それらしき格好になる展開もありニヤリとします」(2021年米国ティム・ヒル監督作品)
2021年12月18日
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「ザ・ビッグイシュー 第420号」(2021年12月1日発行)表紙は若かりし日のクィーンの写真。スペシャルインタビューは、72歳になったドラムのロジャー・テイラー。フレディとの関係も、「ボヘミアン・ラプソディ」のことも、全て前向きに語っているのが印象的。特集は「戦争を克服する」。科学者池内了さんが、対談をこなし、特別寄稿をしている。特に人文科学を代表して藤原辰史さん(食の思想史)との対談が面白かった。・私たちはまだ、過去の戦争で経験した、スペルタクル的に遂行される旧態依然とした総力戦に引き摺られている‥‥(藤原辰史)←電磁波攻撃(サイバー攻撃)によって、その国のコンピュータや電気製品が無力化すれば何が起きるか?尖閣問題のためにミサイル基地や100億もする戦闘機を買うことの馬鹿らしさ。また、遺伝子組み換えをして環境を破壊することも可能になる。この時に必要なのは、軍事力ではなくて、外交力だろう。←そのために「芸術で街をいっぱいにして、ピカソで国を守ろう」と言う池内了さんの主張が、現実的な選択肢になる。その他では、・とうとうドイツ新政権で最賃が1500円以上(12ユーロ)になることが合意されたというニュース(2015年には8.5ユーロだったのに!)。日本といろいろ比較されることが多いドイツで、こういうことになっていることは大きい。もっとも、実現はこれから。860万人に影響するこの改定を現実化しなくてはならない。日本は1000円までが、まだまだ遠い。岡山に至っては、やっと861円だ。・濱口竜介監督の「偶然と想像」の記事。「偶然をとらえることで、かけがえのない時間を記録することができる」。俳優の偶然の演技に注目。「あまりにもシステマティックになると、人に関心を払わなくても物事が進んでゆく傾向にありますが、人がおざなりにされて仕舞う状態の中では人はあまり幸せではないと思うんです」
2021年12月17日
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「新・水滸後伝(上)」田中芳樹 講談社文庫田中芳樹に「新・水滸伝」という著作は無い。何故本編をすっ飛ばかして「後伝」から始めたのかは、おそらく(下)まで行けばハッキリさっぱり分かると思う。それは兎も角、北方謙三の「岳飛伝」が終わって水滸伝ロスに陥っている私としては、楽しい読書だった。全数十巻ではなく、たった2巻で済みそうだし。ご丁寧にも目次の後に「水滸伝百八星一覧表」があり、108人全員表記してくれていて、そのうち本編あとも生き残った33人に⚫︎がついている。(原作本編では、呉用や史進、扈三娘さえ既に亡くなっていたのか!←すみません、北方水滸伝を知らないと何のことやら分からないと思います)その次に「新・水滸後伝の世界」と題して北宋時代の地図があるのであるが、杭州の東の海の辺りに暹羅本島という台湾を小さくしたような島が浮いている。私は北方謙三「水滸伝シリーズ」を愛読していたので、読本を通して北方水滸伝には出てこないこの島を舞台に李俊たちが大暴れする展開を知っている。ちょっとドキドキする。「楊令伝」や「岳飛伝」の辺りで亡くなっていった傑物たちが、性格は違えども、また生き生きと喋って活躍してくれるのは、なんとなく嬉しい。童貫が卑劣漢で、聞煥章が良い奴だと言うのも、原作はそうだったんだなぁ、と新鮮である(←北方水滸伝未読の方々すみません)。パラレルワールドでまた彼らが生き返った気がする。田中芳樹は、こんなひねくれた読者を想定しているわけでは無い。「梁山泊が恋しいよ杜さん(杜興)。全く、宋頭領(宋江)は何でまた、あんなに帰順(宋王朝に従うこと)したがったんだろうな。俺たちみんな、朝廷づとめなんてまっぴらだからこそ、梁山泊に集まったんじゃないか」「俺も不思議だがね、楊君(楊林)、宋頭領の帰順欲求には、みんな不満を持っていたけど、あの人に背かなかったじゃないかね」「考えてみりゃ、そのほうが不思議だな」「ま、天界で定められたことだ。しかたないさ」(73p)()内は、私の注。原作本編において、宋江が帰順したことで、梁山泊英傑が使い回され、次々と戦死し、騙し討ちで宋江などは毒殺された。それによって梁山泊は殆ど壊滅状態になったことを田中芳樹が皮肉っている所である。原作水滸伝は、天命思想によって動いていたので、読者含めてみんなが不満に思う愚者宋江の命令(運命)には、逆らえなかったのである。おそらく、水滸後伝は、それらの不満を払拭するような話になっているのかもしれない。因みに、北方水滸伝の宋江は、そこまで愚者では無い。上巻までの私のみたところは、そういう本編水滸伝批判と、水滸伝本来の荒唐無稽さにリスペクトする話を狙っているのかもしれない。
2021年12月16日
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「カレンの台所」滝沢カレン サンクチュアリ出版 9月に本書が大賞を獲り、直前までドッキリを疑っていた滝沢カレンがホントに獲ったのだと確信して号泣したという記事を読んで、予約した。3か月かかった。レシピ本大賞をとるだけあって、とっても新鮮な刺激をくれる本だった。 レシピ本の定型を外し、文、イラスト、完成写真で構成され、文は「撮影現場でそのまま書き、言葉が沸き上がっているさま」がそのまま本になったらしい。分量表示は一切無い。その面白さは、ひとつの料理をピックアップして此処に紹介すれば忽ち理解されるのだけど、いかんせん、レビューが長くなりすぎる。 不思議なことに、「ほぼほぼ」失敗なく作れそうだという文章になっている。そもそも、自分がつくる毎日の料理は一切分量を計らないわけだから、ホントに料理が好きな滝沢カレンがいつもの感じで作ってゆけば、美味しいものが出来て当たり前なのだろう。 コロナ禍で、手軽で時短料理が求められてきたトレンドが変化したらしい。「いつもはしないけど、ちょっと料理してみようかしら。でもハードルは低い方がいい」。という初心者が、おそらくターゲット。 「一体いつまでたったら仲良くなれるんだかというほど、毎回泣かせにかかる玉ねぎのみじん切り」、(中華丼の具は)「まぁこんくらいで口に運びたいなと「個人差♪個人差♪」とつぶやきながら切っていただいたらいいと思います」と、とってもイメージ湧く描き方。少し手間はかかるし、(100g 100円以上の肉は買わないという信条を持つ)私にはハードルの高い肉がしょっちゅう出てくるけど(←この基準は書いてみてちょっと異常だと気がついた)、「サバの味噌煮」「中華丼」「しゅうまい」「肉じゃが」「ドレスオムライス」など、作ってみたい。いつも今日は作るぞーと一日中思っていたのに、直前5分でやはりテレビが始まるから野菜炒めでいいや、と心変わりしてきた日々にサヨナラ‥‥できるかな。
2021年12月14日
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