2010.11.28
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カテゴリ: がらくた箱
ハルジさんと姪御さんの日記
高校までは実家の家族、親類、同級生という限定された狭い世界に生きていたからということもあるだろうが、自分と関心を共有できる他人は自分が知る限り周囲にはいなかった。
彼らが好きとか嫌いとかそういう問題ではなく、自分の居場所がここには無い、という結構切実な気分だったことはぼんやり覚えている。

大学に入ると当然ながら学部学科があり専攻があって、学生が各地から集まる。学問ジャンルへの関心が同じというだけでなく、そこへ至る思考回路がどこか似通っていることが多いせいか、その中にはものの考え方や趣味嗜好が似たような人間も結構いて、遠慮無く話したいことが話せる、という感覚を大学で初めて知ったような気がする。そして、そういう相手との付き合いを通じて自分の視野が広がる、という感覚も。
いろんなややこしさから切り離されて自由になったからなのかと思っていたが、それだけじゃなくて、たぶん「自分の言葉が通じる」という感覚を初めて味わったからかもしれない。

実家を出ることは己の精神の安定を得るための最大の方策だったということか。だとしたら、高校卒業と同時にとにかく家を出ようと思ってたってのは、閉塞感から逃げるための本能的な選択だったのかもしれない。

それほどにエポックメーキングだった大学時代だが、その頃の同級生や教員との付き合いは大学在学中限りで、その後の人生ではほとんど関わりが無い。それもずっと不思議に思っていたのだが、やっと分かった。
大学時代ってのは要するに、自分と話の合う人がいるということを知るきっかけというか触媒だったのだな、と思う。触媒としての役割が終われば、大学時代にさして未練も感じなかったのだろう。
自分の記憶に残り、今も続く付き合いにつながるのは日本の大学を卒業してからの、しかし仕事とは関係ない場所での人間関係だなあ考えてみると。


通じる人がいるからそっち方面はそういう人限定にして、通じなければ通じないなりに自分の出し方を臨機応変に変えれば良い、と思うようになった。
まあ要するに大人になったってことなんだろうか。

焦燥感に駆られているくせに智恵も力も無い高校生の頃の「卒業したらこんなところから出ていかなくちゃ」という切実な気分を思い出すと、これから家を出ようとしている若い人たちを、まあがんばれよ、とちょっと励ましてやりたい気分になるおばさんなのであった。





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最終更新日  2010.11.28 23:50:48
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