PR
Freepage List
Keyword Search
さいきん、同窓会や親族の集まりなどで思い出話をする機会が続けてあったのだが、困ったことに「話をした相手がそのエピソードを覚えていない」というケースが何度かあった。おまけ
幸い同窓会の時は自分と近いレベルの記憶力を持つ同級生がいて、そのエピソードを支持する証言をしてくれたおかげで「〇〇さんが合宿の時に男子学生からスネ毛を採集してまわっていた」とか「AくんがBさんに告白すると言ってるみたいなので、Cさんに先回りしてそれを止めて欲しいと(Bさんの友だちである)Dさんがお願いしていた」といったエピソードがあやうくワタシの創作話にされかけたのを、支持証言に留まらず更なる細部の情報を追加してくれたおかげで、パニックを回避することが出来ただけでなく、非常にスッキリした。
一方、親族の集まりのような場合はそのような援軍も期待できず、「あの記憶は現実なのか、オレの妄想なのか」というモヤモヤが抱えっぱなしになってしまう点で精神衛生上、まったく良くない。
いずれにしても、年を取れば取るほどそんな記憶力を持つ援軍さえも少なくなっていくわけで、ワタシの愛しい思い出が現実であろうが妄想であろうが、ほかの一切の人間にとってどうでもよくなっていくことは避けられない。三島由紀夫の絶筆となった『豊饒の海』4部作の最後のエピソードで、若くして夭逝した親友の恋人を60年の月日を経てついに見つけ出した主人公がその親友について彼女に興奮して語るのをよそに、相手から「そんな人は知りません」と無碍にあしらわれた上に、「いずれにしても、記憶なんて心の中の出来事に過ぎませんから」みたいなことを説教されて絶望するシーンを思い出す。
Comments
Calendar