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市場の路地から広い通りに出てみると、白い城壁らしきものが続いているではないですか。まるで王宮みたいですね。ん、もしやナーラーイ王が造営したとか?事前に下調べしていないとこんなもんです ^_^;)ここが入口のようで。SOMDET PHRA NARAI NATIONAL MUSEUM とあるので、プラプラーン・サームヨート係員オススメのミュージアムとは、ここのことっぽいですね。入ってみましょう。右手の受付で拝観料を支払います。タイ人10バーツ、外国人30バーツ…。観光地は仕方ないですね ^_^;)入口そばに立つ案内板を読むと…アユタヤ王朝第27代のナーラーイ王(在位1656-88年)がフランス&イタリア人技師に共同でロッブリーに王宮を造営させ1666年に完成したとあります。それがここなんですね。ナーラーイ王の死後、荒廃した王宮を1856年にラマ4世が修復し、「プラナーラーイ・ラーチャニウェート」(พระนารายณ์ราชนิเวศน์ )と名付けたんだとか。ラーチャニウェートとは都以外の地の宮殿のこと。なのでプラナーラーイ宮殿ってなところでしょう。貯水池や倉庫の跡を左に見ながら、真っ直ぐ整備された歩道を歩いていくと、もう一つの門が。その奥に見える仏堂風の建物内からまずは見学するようです。サンダルを脱いで階段を上がると目に入ったのは、ナーラーイ王の像でした。アユタヤ王朝の中でもとくに外国との貿易に力を入れたナーラーイ王時代にちなみ、この館内には王治世の外国との関係についての展示がなされているようで。例えばこれは、フランスのルイ14世使節がアユタヤでナーラーイ王に謁見した際の絵。当時のフランス人による線描画を元に描き直したものだとか。逆にナーラーイ王もフランスに使節を派遣しています。なんでもオランダ東インド会社が貿易を独占しようと、チャオプラヤー川河口を封鎖して脅しにかかった事件があったそうな。結局オランダの企みは失敗。でもオランダの報復を危惧したナーラーイ王はフランスに近付いたということなんだそうです。ロッブリーに副都を築いたのも、有事の際に都の機能を移すためという理由もあったようで。さて、外国との関係と言えば、我が日本も。これは、ナーラーイ王治世の1681年にアユタヤのワット・ヨム壁画に描かれた日本人義勇軍の姿。原画は1893年に保存のために剥がされたものの、その甲斐空しくのちに完全に崩れてしまい現存せず。山田長政没後51年経っていますが、日本人はまだアユタヤの国政である程度の役割を担っていたと、この絵の解説にありました。ナーラーイ王即位に際して争いがあったのですが、動員された外国人部隊のうち日本人はペルシャ人に次ぐ規模の人数だったとか。中央に掲げられた日の丸に身が引きしまる思いです。ナーラーイ王治世で日本人以外の外国人も国政に重用されました。その中で、もっとも有名なのがギリシャ人のフォールコンです。ジャワのイギリス東インド会社で働いたのち、アユタヤの大蔵省商品大蔵局で職を得ます。そこは貿易を担う部署。有能だったことからナーラーイ王の寵愛を受け、見る見るうちに大蔵省の長に出世。大きな権力を背景に親仏政策を取ったことから旧勢力の中国人商人達から妬まれ、ナーラーイ王が晩年臥している機に乗じ、アユタヤをフランスに売る売国奴として処刑されてしまいました。1687年、40歳の若さででした。ちなみにフランス使節のナーラーイ王謁見の絵で、左下にひれ伏しているのが、フォールコンです。驚いたことに、ここにはそのフォールコンの遺品が展示されていたんですよ。フォールコン居館跡で見つかった什器との説明です。私はフォールコンは知っていたので、遺品を期せずして見ることができ、思わず感動。フォールコンの妻がまた興味深いんです。Marie Guimarという名(タイ名はターオ・トーンキープマー ท้าวทองกีบม้า)なんですが、なんと日本人・ベンガル人・ポルトガル人混血の人物でした。タイ・スイーツのフォイトーンやトーンヨートは、フォールコン死後、彼女がアユタヤ宮廷に作り方を伝えたものなのです。フォイトーンは、日本の鶏卵素麺(けいらんそうめん)に瓜二つ。平戸出身日本人である祖父から教わったのかもしれませんね。と言うのも、福岡の元祖鶏卵素麺松屋さんも、「初代当主、松屋利右衛門は長崎の出島を訪れた際、鶏卵素麺の製法を伝授されたと言われて」いるとのことなのです。17世紀後半と長崎という共通点。2つの繋がりが濃厚です。なんだかロッブリーの旅というより歴史の旅ですね、今回は(笑)さらに進むと、あっ、この帽子!入口像もフランス使節謁見の絵もそうですが、ナーラーイ王は決まってこの帽子を被っているので気になってたんですよ。ナーラーイ王期に官僚が被ったもので、プロシアの帽子デザインの影響を受けたと推定されているとのこと。帽子の縁の装飾によって階位が分かるようになっていたそうです。ひととおり見て、次は隣の2階建ての建物に移ります。1階は、アユタヤ時代より前のドヴァーラヴァティー時代やクメール時代(ロッブリー時代とも言います)の出土品の展示。いつの間にやら猫ちゃんがまとわりついて離れません(笑)これは7~8世に紀南インドのパッラヴァ・グランタ文字で刻まれたパーリ語碑文だとか。うーん、読めたら面白いだろうなー。仏像や碑文の出土品が無造作に展示されているのを眺めつつ、次は2階へ。王宮を修復したラマ4世ゆかりの品の展示スペースでした。そしてさらに隣にはこんな遺跡が。ナーラーイ王滞在時に、外国使節の謁見に使用していた建物だとか。これでひととおり見学し終えたはず。確かにここは見ごたえがありました。歴史好きの人だったら楽しめること間違いなしです。1688年にナーラーイ王が崩御した地でもあるプラナーラーイ宮殿をそろそろ後にするとしますか。時刻は、12:05。1時間10分もいたんですね。入口へ向かって戻ります。次は商店街でも歩いてみるかな。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:50バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。<参考>「パイパイマーマー(31) 港市国家アユッタヤーはだれが支えたのか?-「外来人国家」-」, 赤木攻,『タイ国情報』2010年7月号,日本タイ協会,2010年Wikipedia "พิพิธภัณฑสถานแห่งชาติ สมเด็จพระนารายณ์"ウィキペディア "ターオ・トーンキープマー"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/29
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プラカーン廟西側目の前には国鉄線路の踏切があり、その向こう側には、ロッブリーのシンボルとも言えるプラプラーン・サームヨート(พระปรางค์สามยอด)が聳えています。行ってみましょう。入口階段を上った左にチケット売り場がありました。タイ人10バーツ外国人50バーツとの料金表示が。外国人です、と告げると、受付の男性がキョトンとした顔をして、「タイ人じゃないの? どこの人? なんでタイ語話せるの?」とまたまたお決まりのパターン(笑)バンコクでタイ語を学んだことがあるんですと、これまたいつもの説明をすると、興味を持ったようで、わざわざ小屋から出てきてロッブリーの見どころを親切にも色々と教えてくれました。「ミュージアムには行った? 素晴らしいからぜひ行ったほうがいいよ」そこまで言うなら後で寄ってみますか。これが外国人用チケット。プラプラーン・サームヨートとは「三頂仏塔」の意味。案内板によると、12世紀、クメール王国最盛期の王ジャヤヴァルマン7世によってバイヨン様式で建てられた大乗仏教寺院なのだとか。大乗仏教とは意外ですね。で、3つの仏塔の前側に17世紀、アユタヤ王朝のナーラーイ王が仏堂を後付けで建てたのだそうで。確かにこの右側の仏堂の壁は3つの仏塔と石材が違って見えますもんね。うわっ、ここにも猿がうじゃうじゃ。親猿が子猿の毛づくろいをしています。かわいいなー。さすがに学習して、飛びかかられないように間合いを取って観察(笑)見事なクメール寺院遺跡が目の前にあるというのに、私の興味はもっぱら猿たちに注がれたのでした。南側を眺めたところ。柵上にも猿が。ちなみに左端がさっきのプラカーン廟。その前のクリーム色の門には「ナーラーイ王陸軍基地」との文字が。この数百メートル東に基地ができた時に建てられたんでしょう。1937年との銘板がはめられていました。目の前を真っ直ぐ南へ行くとロッブリー駅です。お、こっちにも親子猿が ^^ロッブリー中心部には、主にナーラーイ・マハーラート通り沿いに4つの大群と4つの小群の計2千匹の猿が生息しているそうです。そんな中、今年7月にロッブリーの猿保護団体が、「当局が猿を多数捕獲したために生息数が減った」とマスコミに訴える出来事がありました。対して当局は、捕獲したのは苦情が寄せられたケースだけで、凶暴な性格の50匹程度。ロッブリー動物園に移送して森に放すか協議中、との説明でした。でも住民からも目に見えて猿の数が減ったとの声もあり、ちょっとした疑惑に発展しているようです。これだけ数が多いと交通事故に遭ったり、電線を噛んで感電死したり、犬に襲われて大けがを負ったりする猿も毎年多く出るそうで。さらに住民の物を盗んだり、体を噛んだりするので中には頭に来て猿目がけて発砲する人もいるんだとか。人と猿の共存はなかなか難しいようですね。猿目当てで訪れる観光客の存在が、なんとか今の状態を保たせている側面もあるようです。こらっ、イタズラが過ぎると捕まっちゃうぞ(笑)プラプラーン・サームヨートを後にして、ナーラーイ・マハーラート通り沿いに西へ歩いてみます。ところどころで猿を見かけますね。あっ、左手にも遺跡が。遺跡前の路地に入っていきます。案内板には、プラーンケーク礼拝所(เทวสถานปรางค์แขก)と。プラーンケークは訳せば「インド人の塔」ってなところでしょうか。元は10世紀に建てられたバラモン・ヒンドゥー教施設だったのを17世紀のナーラーイ王時代に修改築されたものだとか。こんな遺跡が旧市街に点在しているんでしょうね~。お、頭上の電線に猿が一匹。少ないけどこの辺にもいるのか。路地をそのまま南下すると、商店街に。振り返ってみます。町に溶け込んだ遺跡ってものいいもんですね。ちなみに私の左手には、市営生鮮市場が。路地沿いに長く続く市場で結構賑わっています。ところで、ミュージアムはどこにあるんだろう。たぶんそろそろ近いはずなんですが。時刻は10:48。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:50バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。<参考>Post Today "ร้องลิงลพบุรีกว่า2พันตัวถูกจับหายปริศนา" 2014年7月14日付Post Today "ลิงลพบุรีชะตากรรมวันนี้ช่างน่าเศร้า" 2014年7月18日付つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/25
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列車からロッブリー駅のホームに降り立ちました。とりあえずホームを列車進行方向へと歩いてみますか。すると左手に、遺跡のミニチュアが。ロッブリーはクメール遺跡で有名だもんな~なんて思いながら、視線を上げてみてビックリ。真後ろに本物の遺跡が見えるではないですか!なんと駅の真ん前にあるのか。あとで寄ってみましょう。さらにホームを歩くと、やはり左手にバンコク行きロッ・トゥー乗り場があんなところに。帰りはあれを利用しようかな。ホーム端近くまで歩きます。駅名看板の右にも遺跡が見えますね。あそこへまずは行ってみましょう。線路伝いに向かうと、思ったより大きな遺跡でした。案内板には、ワット・ナコーンコーサー(วัดนครโกษา)とあります。ロッブリーの歴史はかなり長いんですよ。タイ族がやって来る前の6~11世紀に存在したモン族のドヴァーラヴァティー王国がラウォーという名の都市をここに築いていました。ラウォーはサンスクリットで「水」の意味の「ラワ」に由来との説が有力。で、ラウォー・ブリー(ラウォーの都)が訛ってロッブリーになったんだとか。その後11~13世紀は、クメール王国(真臘)が断続的に支配。アユタヤ時代の17世紀にはナーラーイ王がロッブリーを副都とします。その後衰退したのち、19世紀に現王朝のラマ4世がナーラーイ王時代の王宮跡を整備、20世紀半ばのピブーン政権時代に都市計画設定・軍隊配置をして町を復興し、現在にいたっています。前置きが長くなりましたが、このワット・ナコーンコーサー遺跡もそんなロッブリーの長い歴史を反映しているのです。左のこんもりした遺跡がドヴァーラヴァティー時代、中央の本堂と右の仏塔がアユタヤ時代、写真には写っていませんが、さらにクメール時代の仏塔もある歴史のロマンを感じさせる遺跡となっています。うーん、ただ曇り空なのが残念!さらに線路伝いに北へと歩くと、ナーラーイ・マハーラート通りのロータリーに出ました。ロータリーの中央には廟が見えますね。何だろ?プラカーン廟(ศาลพระกาฬ)と書いてあります。案内板を読むと、11~13世紀にクメール様式で建てられた仏塔の基礎部の上にアユタヤ時代にビシュヌ神を祭る廟を建てたものだそうで。現在の廟は1933年築のものだとか。狛犬ならぬ狛猿が鎮座していますね ^^さすが「猿の町」として有名なロッブリーだけのことはあります。ところでその猿は一向に姿を見かけないんですが…、と思いつつ右手から裏に回ってみると、うはっ、いたいた。猿がいっぱい!しかもあれがクメール様式で建てられた仏塔の基礎部ですね。帰ってから調べたところ、元々プラカーン廟の周囲には木が多く茂り、そこに住む猿が廟のお供え物のフルーツなどを食べにくるようになってこの一帯に住み着き、数が増え、「猿の町」となったんだそうです。でも今ではお供え物ではなく、猿用のエサ場が設けられているのでした。猿保護のためというより、こうしておかないと参拝客が猿に襲われるからかも ^_^;)さらには、水飲み場まで。子猿が気持ち良さそうに泳ぎまわっています。かわいいな~。思わずカメラを向けると…手前の子猿が飛びかかって来た!!それを合図にさらに1匹、2匹と私目がけて飛んできてぶら下がります。ぎょえ~!!こら、髪を引っ張るな! イテテテテ…(>_
2014/12/22
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6月のバンコク滞在時、急に丸一日空いたので旅をすることに。でも予定外のため行き先のプランを準備してなかったんですよね。うーん、どこに行こう ^_^;)悩んだ挙句、サクッと行けて旅をした気分に浸れそうなロッブリーにエイヤッと決定。まずは場所をグーグルマップから拝借した地図で確認しましょう。ロッブリー県はバンコクから国道1号線パホンヨーティン通りを北上すること約155kmに位置する人口90万人ほどの県です。ロッブリー中心部は、地図上「ロッブリー」の「ブ」の字の辺り。そこまで国鉄に揺られて行こうではないですか。決行日は2014年6月19日(木)。まずは29番の赤バスでフアランポーン駅へ向かいます。ラマ4世通りからフアランポーン駅舎の真ん前まで乗り付けてくれるんですね。06:45到着。下車したところで前を歩くおばさんに目が点。マルカン酢???マルカンはタイに事業所を設けてないはず。あまりにも気になったので後で調べたんですが、このTシャツはユニクロが2006年にマルカンとタイアップして販売したものでした。でもですよ。ユニクロのタイ1号店オープンは、2011年9月。つまりマルマン酢Tシャツ販売終了後4年あまり経過しているのです。おばさん、どこでゲットしたんですか!いまだに気になって仕方ありません(笑)さて、本題に戻ります。フアランポーン駅内に入りますか。窓口で「ロッブリー」と告げ切符を購入。50バーツ也。「9番線」と言われたので向かうと、お、これだ。07:00発デンチャイ(เด่นชัย)行きですか。最後尾は荷物車なんですね。郵便物かな?乗り込んで待つと、15分遅れで出発。車内は結構ガラガラで、すぐに検札がやってきました。半分に折ってパチン。このスタイルがデフォのようですね。左側の車窓には線路沿いにずっと工事の光景が続いています。高架鉄道の建設なんでしょうね。フアランポーンを出発して1時間42分で、アユタヤ駅到着。時刻は、08:57。わんさと人が乗り込んできます。のどかな景色の中をさらに北上していくと、サラブリー県のバーンモー駅(บ้านหมอ)手前で右、つまり東側の車窓に山が出現。ナコンナーヨックからサラブリー南東部に連なる山々に違いありません。旧日本軍が最終決戦地として選び、現在陸軍士官学校となっている場所もあの一角のはず。以前訪れたのが懐かしいです。そんなこんなでボーッと景色を眺めながら揺られていると、ロッブリー駅に入線しました!車内アナウンスが無いから気が気じゃないですよね(笑)時刻は、10:03。フアランポーン駅から2時間48分でした。おっと、のんびりしていられない。降りなければ。<旅費交通費>29番バス:0バーツ(無料バスでした)列車:50バーツここまでの合計:50バーツ※旅は2014年6月19日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/18
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搭乗したウドンタニー空港15:35発のノックエアーDD9213便は、順調にドンムアンへ向けて飛行を開始。CAさんの機内アナウンスを耳を澄ませて聴いていると、タイ語のアクセントがちょっと変なのに気付きました。さらに否定語(~ではない)のไม่(マイ)をบ่(ボ)と言っているではないですか。なんと、イサーン語訛りでの機内アナウンスでした。やりますね、ノックエアー(笑)機内食は往路と同じくAuntie Anne's。今回は濃厚なチョコでコーティングされたプレッツェルでした。これがなかなかに美味しいのです ^^山並みの景色だったのが、バンコクへ近付くにつれて、地平線の先まで広がる田園風景に!インラック政権の間はコメ輸出量が世界2~3位に落ちていたものの、今年は悲願の1位に返り咲いたコメ輸出国タイの原風景といえるかもしれませんね。そして同じ形の家々が建ち並ぶムーバーン(新興住宅街)の上をかすめて、ドンムアン空港にほぼ定刻16:35のとおりに着陸。空港内に移ると、うおー、懐かしい!!そう、こうでしたよドンムアン空港って。やばい。涙が出そうですよ。さらに追い打ちをかけるように、「sawasdee」が昔のまんまじゃないですか! (>_
2014/12/15
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ウドンタニー市内からウドンタニー空港まで公共交通機関でのアクセス方法としてソンテオ路線があるのではないかと思い、タイ語でググッて見つけた「空港出入口(ウドン・ピチャイラック学校反対側)から15番ソンテオに乗る」という情報を信じて、15番ソンテオに乗ってみることに。Landmark Plazaを出て、時計台ロータリーから噴水五差路まで歩きます。カーオ・ピアックでの食事後にプラチャック親王ロータリーから乗車した15番ソンテオは、噴水五差路からポーシー通りに入ってUD TOWN方面へ向かいました。ということは、逆行きには噴水五差路とプラチャック親王ロータリーの間で待っていれば確実に乗れるはずです。噴水五差路からプラチャック親王ロータリー方面へちょっと歩いたところで立って待っていると、案の定やって来ましたよ~。運転席を覗いて尋ねてみます。空港へ行きますか?「行かないよ」ええっ、マジで!?頭が真っ白になって呆然とソンテオを見送る私…。ネットの情報はガセってことか? どうすればいいんだ。心を落ち着かせて文面を思い起こします。ウドン・ピチャイラック学校の反対側が空港出入口と書いてあったな。じゃぁ、その学校に行くかを尋ねてみるか。待つことわずか6分で次のソンテオが来たーっ!本数が多くて助かりましたよほんとに。ドキドキしながら尋ねます。ウドン・ピチャイラック学校に行きますか?コクリと頷く運転手。やった!乗り込みます。時刻は14:08。しかし空港には行かずに空港入口目の前の学校になら行くとはなんともナゾですね。朝は止まっていた水が、今は勢いよく噴き出ている噴水五差路の噴水を眺めつつ、ソンテオに揺られていきます。途中でお客さんの乗り降りが多少あったものの、ついには私一人に。さすがに不安になりながらiPhoneのマップで現在地を追っていきます。ソンテオはウドン・ピチャイラック学校が角にある交差点を左折してウドンタニー空港入口の方向へと。ほっとしかけたところでソンテオはなんとUターン。慌ててブザーを押して下車し、運賃を払います。時刻は、14:24。乗車時間たった16分でした。降りた目の前は、セブンイレブン。セブンイレブンを背に右を向くとこんな風景。左に見えるのがウドン・ピチャイラック学校。正式名称はウドン・ピチャイラック・ピッタヤー学校(โรงเรียนอุดรพิชัยรักษ์พิทยา)でした。100メートルほど先の右手がウドンタニー空港入口です。15番ソンテオは、白いバンの手前でUターンしたのです。たぶんここで折り返して市内に戻るルートなんでしょうね。つまり、ウドン・ピチャイラック学校へは行っても、ウドンタニー空港入口までは行かないと(たった100メートルなのに)。そういうことなんですね。なのでウドンタニー空港に到着して市内まで安く出たい場合には、入口まで歩いて出たところを左折。セブンイレブン前まで来て待っていれば、ウドンタニー中心部へ行く15番ソンテオが来るはずです。でももし違ってたらごめんなさい(笑) 利用を考えている方は、「UD TOWN?」などと乗車前に運転手さんに聞いてみてくださいね。空港入口まで歩く間に屋台が出ていたので、熱中症予防対策のために、ジュースを購入。マウンテン・デューですよ。なつかしー。日本で最近見かけませんよね?ちなみに右手の車が数台出てきているところがウドンタニー空港入口です。そこからスタスタと空港敷地内に入ります。時刻は、14:28。左手に飛行機が駐機している様子を見ながら、強烈な日差しの中をひたすら歩いていきます。ジュース買っておいてほんとに良かった!お、ようやくターミナルだー。全景はこんな感じ。14:35到着。入口からたった7分なのか。暑さでバテたのでもっと長時間歩いた気がしてましたよ。涼しくて生き返るターミナル内でチェックインし、エスカレーターで2階へと。こんなペラペラなボーディング・パスです。大勢の人でごった返す待合ロビーから外を眺めると、あれがこれから乗る15:35発ドンムアン行きノックエアーDD9231便のようですね。機体に NOK NAANFAH と愛称が書かれているのが見えました。<旅費交通費>15番ソンテオ:7バーツ(たぶん)ここまでの合計:3,342バーツ※旅は2014年5月15日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/11
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セントラル・ウドンタニー内で涼みすぎちゃいました。気付くと1時間以上経過 ^_^;)そろそろ行きましょう。セントラル前の通りを渡り反対側で待っていると、ソンテオがすぐにやって来ました。9番って書いてありますね。さっき15番ソンテオの後ろにいたやつじゃないですか。乗っちゃいましょう!時刻は、12:13。このまま道なりにノーン・プラチャック(プラチャック沼)方面へ真っ直ぐ走ると思いきや…いきなり右折して北へ一直線!ありゃー、中心部から遠ざかる…。町並みどんどん静かになっていくのを見て、堪らずブザーを押して下車。時刻は、12:19。下の地図でいうと「噴水五差路」の「差」の字のあたりです -_-;)仕方ない。ランチをする店を探しがてら歩いて戻るか。でもウドンタニーならではの料理どころか、食堂すらほとんど見かけないんですよ。人口的にそんなもんなんですかね?それとも夕方になれば屋台が並ぶんでしょうか。一向に目ぼしい食堂が見つからないまま歩き続けていると、黄色い目立つアメ車が。あれ?ラオス・ナンバーだ。そうか。国境を跨いで行き来できるんですね。15分で噴水五差路(ハー・イェーク・ナンプ)まで戻って来ました。うーん、カーオ・ピアックの辺りなら食堂があるかも。さらに8分歩いて、クロムムーン・プラチャック・シンラパーコム親王像の立つ、プラチャック親王ロータリー到達。右折してシースック通りに入り、カーオ・ピアックまで来たものの他に食堂が見当たらず。みんなどこで食事してるんだー!そのまま通り沿いを歩き続けると、代わりに出現したのは…ウドンタニー刑務所 -_-;)町のはずれまで来た感があるので一本北のポーシー通りへ。賑やかな商店街に出ると、お、アヒルだ(笑)これに「UDONTHANI」って書くだけで立派なウドンタニー土産に変身するじゃないですか。観光客に売れると思うんですけどねー。なぜ誰もやらないんだろ?こっちにある、この円盤状のもの、コムローイでした。私、コムローイが空に上がっているのをまだ見たことが無いんですよ。コムローイの実物を見るのも勿論初めて。まさかこんなところでお目にかかるとは(笑)「コムローイ各サイズあります」と書かれています。へえ~、色んな大きさがあるんですね。知りませんでした。これだけ賑やかなポーシー通りなのに食堂ほぼ皆無!見かけたのはカオマンガイやソーセージの屋台だけ。さすがに暑さと歩き過ぎで疲れてきましたよ。もう朝カイガタを食べたキンオーチャーでいいかな。と思い、行ってみると…既に閉店。忘れてた。11:00で閉まっちゃうんでした -_-;)さらに一本北の道に出るも、相変わらず食堂が見当たらず。いったいどうなってんだー。すると、Landmark Plaza なるショッピングセンターが出現。もうここでいいや!涼めるし。時刻は、13:23。ソンテオを降りてから1時間あまり歩きづめでした -_-;)エスカレーターで営業店が少なく淋しい各階を通過して上階に上がると、綺麗なフードコート発見。ヘトヘトになった私はもうなんでも良くなってパット・ガパオ(挽肉のバジル炒めご飯)を食べたのでした。ウドンタニーまで来て何やってんのやら(笑)でもこのフードコート、見晴らしが結構いいんですよ。こんな感じでウドンタニー市街を見渡せます。中心部に3つ並んだロータリーのうちまだ見ていない一番北の「時計台ロータリー」が中央やや上に少し見えていますね。ガパオを喰らいつつウドンタニー空港までの足をどうするか考えます。トゥクトゥクで行ったらつまらないしなと、ためにしiPhoneで「ウドンタニー空港 ソンテオ」とタイ語でググってみると、pantip.comのこのスレッドに「空港出入口(ウドンピチャイラック学校反対側)から15番ソンテオに乗る」とあるじゃないですか!15番ソンテオって言えば、私がUD TOWNのところまで乗った路線です。よし、あの15番ソンテオでウドンタニー空港へ向かってみましょう。飛行機の出発時刻は15:35。もう13:40です。やばっ。そろそろ出ねば!<旅費交通費>9番ソンテオ:7バーツ(たぶん)ここまでの合計:3,335バーツ※旅は2014年5月15日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/08
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カフェを後にしてセントラルへ行く前に近くにあるウドンタニー・バスターミナルへ寄ってみることに。カフェから左へ行き、最初の交差点を左折して数十メートル進んだ左手の…この路地が入口で、奥に見える水色の建物がウドンタニー・バスターミナルでした。入っていってみると、ちょうどブンカーンからのバスが到着。そのバスを追いかけて走る人、数人。バイクタクシーの運ちゃんがお客さん確保に必死なんですね ^_^;)遅れて走って走っていった運ちゃんも(笑)バスターミナル建物内はお客さんもバスも多くて、なかなか活気があります。さすがイサーン北部の中心地。並んでいるバスを眺めていたら、ラオス文字が目に留まりました。ラオスのビエンチャンとタイのウドンタニーを結ぶ国際バスだ!特別な国際線ターミナルがあるわけでもなく、普通の国内線バスと並んで停車しているのがなんとも不思議な感じです。貼り出された時刻表には、08:00~18:00の間に6本運行だったところが×が書かれていて横に8本の出発時刻が手書きされています。増便されたのかな?運賃は80バーツ。国際線とは思えない安さ!そのラオス行きバスのチケット窓口発見。「NO VISA NO TICKET」との注意書きが。そりゃそうですね ^_^;)さて、もう開店した頃なので向かいますか。セブンイレブンの右手に入るとバスターミナルです。正面奥に見えるのが、セントラル・ウドンタニー店。こんな位置関係です。日差しがキツイので早く入りたいですよー。あれ?もう開店しているのにこの人達はなんで待ってるんだろう?と思ったところで、左手に何やらブースがあるのに気付きました。ほう、セントラルの入口横がロッ・トゥー乗り場になっているのか。コンケン~マハーサラカム~ロイエット線、ノーンカーイ線、ブンカーン線が30~60分毎に出発しているようです。ここで驚いたのが、メータータクシーがいるではないですか!ウドンタニーは歩いて感じてはいましたが、都会なんですねー。さてさて、そろそろ涼を取りにセントラル・ウドンタニー店内へ。時刻は、10:48。…とは言ってもセントラルはセントラルでして、バンコクのとまったく変わり映えせず。フードコートも歩いてみたのですが、カーオ・ピアックもカイガタも無く、ウドンタニーならではの料理が皆無!イサーン料理でさえ、バンコクのショッピングセンター内のフードコートと同じ程度の品揃えなのです。これじゃつまらないと思いますよー。でもそういう郷土料理は町中の有名店で食べるものであって、デパートで出しても不味いし高いしで売れないんでしょうかね。十分に涼んだところで、もう一回ソンテオにあてずっぽうに乗ってみますか。<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:3,328バーツ※旅は2014年5月15日(木)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/04
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「カーオ・ピアック」を出て目の前のシースック通り(ถนนศรีสุข)を東へと歩きながらソンテオが走ってくるのを待ちます。さっきまでひっきりなしに走っていたのに、いざ乗ろうとするとなかなかやって来ないな。そういうもんですよね ^_^;)そうこうしているうちにロータリーに行き当たりました。中心に男性の像が立っています。タイが1893年にフランスによりメコン川東岸のラオス等の領土を奪われた際、2国間の取り決めでタイはメコン川から25km以内に軍隊を駐留できなくなりました。そこで止むを得ず50km離れたこの地に駐屯地を移したのがウドンタニーの始まりです。その時の指揮官はクロムムーン・プラチャック・シンラパーコム親王。もしかしたら像の人物がそうかもしれません。巨大アヒルの浮かぶノーン・プラチャック(プラチャック沼)の名もこの方の名に由来したんでしょうね。というわけでタイの中では比較的新しい町なんです。ちなみにウドンタニーとは「北の町」という意味。イサーン地方北部の中心地という意味合いなんだと思います。このロータリーでようやくソンテオがやって来たので乗車。時刻は、09:30。乗る時に撮影する暇が無かったので、後続のソンテオで勘弁を ^_^;)後ろは9番ですが、乗車したソンテオには15番との表示がありました。同じくあずき色です。ソンテオはまた次のロータリーに。ここはハーイェーク・ナンプ(ห้าแยกน้ำพุ)、日本語に訳すと「噴水五差路」と呼ばれているようです。その名のとおり真ん中には噴水が。水は止まってますけど…。ウドンタニー市内にはロータリーが3つ並んであり、そのうちここは真ん中にあるもっとも大きなロータリーです。噴水五差路でポーシー通り(ถนนโพศรี)に入ったソンテオは東へと向かいます。で、南北に走る国鉄線路を渡ったところで下車。あてずっぽうで乗車したわりにはうまくいったかな(笑)時刻は、09:37。運賃をメモるのすっかり忘れました!たしか7バーツだったような。すみません m(_ _)m逆戻りして線路を渡り直します。すると前方右手に、UD TOWN というショッピング・モールが。あ、UDONTHANIのUDか!でもさすがに10時前ではオープンしている店は、スタバのみ。ウドンタニーまで来てスタバに入るのもなあとパスします(笑)西側の道に出ると向かいには、IT PLAZA というビルが。パンティップ・プラザみたいなところですかね?さらに北へと歩いていくと右手にありました。国鉄ウドンタニー駅。時刻は、09:50。入口で犬も人も仲良くしゃがみこんでいます(笑)静かなもんですね。列車到着時には多少活気が出るんでしょうか。ここから列車でバンコクに帰ったら11時間前後かかります…。とくに見るものも無いので駅を後にすることに。駅入口から正面を眺めます。うひゃー。炎天下しばらく歩かなきゃならなそうだな。意を決して真っ直ぐ歩いていくと、右手にセントラル・デパート・ウドンタニー店の巨大な姿が見えてきました。入口には開店を待つお客さんの姿が。中で涼もうと思ったんだけど、10:30オープンかな。どうしよう…。おっ、セントラルのちょうど向かいにカフェ発見。ここで一休みしましょう~。時刻は、10:06。土禁の店内に入りアイスラテを注文。いやー、涼しくて生き返る!若い女性2人で切り盛りしているようです。左手奥はパソコンが並ぶネット・カフェになっていて年配の欧米人が店員と英語で何やら話しながらネットに興じています。そう、ウドンタニーに来てからというもの、他の町との違いを感じていたんですよ。それが2つともこの店に凝縮されています。1つは、一人身の欧米人お年寄り男性の姿が多いこと。さっきのソンテオ車内にもいたんです。この後、街中でも何人も見かけました。決まって一人なんですよね。もう1つは、英語が流暢な住民が多いこと。この店の女性もタイ人訛りが感じられない綺麗な英語を話すんです。1960~70年代のベトナム戦争でアメリカ軍がウドンタニー空港を北爆を行う爆撃機の出撃拠点の一つにしていたという経緯が関係ありそうです。戦争特需でウドンタニーは発展しましたし。話し易そうなので店員さんに空港へのアクセス方法を聞いてみると、「ソンテオはありません。普通はトゥクトゥクで行きます」とのこと。120バーツか値切れば100バーツで行ってくれるかも、と。本当にソンテオ路線は無いのかなー。<旅費交通費>15番ソンテオ:7バーツ(?)ここまでの合計:3,328バーツ※旅は2014年5月15日(木)に行いました。<参考>Wikipedia "จังหวัดอุดรธานี"つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/12/01
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