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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”南 京 たますだれ”お題拝借・言葉の語源です。ちょっとだけプレイバック ” 劉家峡ダム & 炳霊寺 ” 炳霊寺涅槃像近くにかかる橋これを越えると左手のお堂に涅槃像垂直に切り立つ絶壁は壮観南京ではなく、北京ですが、雰囲気も似ているところもあるので”北京”紫竹園運河の閘門です。”北京”紫竹園運河の動物園裏の辺りです。今日も南京たますだれ、お題拝借あれこればなし言葉の語源。面白いてーまです。実は中国語の意味と発音がそのまま日本語になったのでは、と思われるものがあります。いきなりですが、隠語です。中国語で「どうぞお入りください」は「ヂンヂン」同様に「入り口」は「メンコゥ」となります。想像はつくと思います。ほかにも日本語で、人を呼び止めるとき、または、呼び寄せるときの「コラコラ」は、「コウラィ、コウラィ」に語源をもつのではないかと思います。 この文章まだ未完です。とりあえず書き込みのコピーです。 写真がないのが残念
2005年03月30日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”南 京 あれこれ”です。ちょっとだけプレイバック ” 劉家峡ダム & 炳霊寺 ” この日は雨。視界も足元も最悪だった。垂直に切り立つ絶壁は壮観このときボートはすでに時速80キロ。南京ではなく、北京ですが、雰囲気も似ているところもあるので”北京”紫竹園運河の閘門です。”北京”紫竹園運河の動物園裏の辺りです。今日も南京あれこればなし南京話に入る前に、余談である。昨日、BS2で「銀座の恋の物語」という、40年程前の映画を放映していた。何気なく、出演者名のテロップを見ていると、「峰 三平」という名前があった。どういう役者さんなのかは知らないし、画面上でも、それ以外のテロップの表示はなかったため、どなたかは特定できなかった。この名前を発見したとき、役者であり、司会などでも有名な「峰 竜太」と落語家の「林家 三平」の名前を思い出した。なんと強い因縁を感じさせる名前なのだろう「峰 三平」。ほんとにすばらしい。さて、南京へ。中山路のホテルから地図を片手に、一人でぶらぶらと町へ出た。行く先は「南京大虐殺同胞遭難記念館」。南京大虐殺については、肯定派、否定派とも、それぞれに口角泡を飛ばしているようである。しかし、否定派の反証意見はいかにも稚拙である。また、肯定派の意見も証言者の意見に何かすっきりしないものを感じていた。ましてや、終戦後何十年も経っての検証は、ほとんど推論の域に入ってしまう。何はともあれ、現認すべしと通りすがりの人に、道を尋ねながら裏道をほたほた歩いて行った。誰かの言葉に「来た、見た、勝った」というのがあったが、まさに、「来て、見て、有った」である。累々と折り重なる人骨の山、これを見て誰が否定することができようか。虐殺はあった。その数は30万とも、もっととも云われているが、その数なぞどうでもいい。虐殺は有ったのだ。それをやったのが、日本軍でも、国民党でも、共産党でも、誰でもいい。日本軍がやったかも知れない、国民党がやったかも知れない、或いは、共産党かも知れない。いずれの国や党も、一般市民もみな、後には虐殺を行っている。だからいいのか。という話ではない。虐殺の事実は事実なのだ。しかし双方の当事者が口をつぐむ以上、真実は表に現れない。要は、情報はいろいろ乱れ飛ぶ。その、一見、信頼できる筋の情報は、信用しないことだ。さて話を変えよう。「夫子廟」に行った。観光客ばかりでもないと思うが、結構な人の出に賑わいをみせている午後8時ごろ、境内のちょうど三叉路に有る、商店の前を通りかかったとき、前方の人ごみの中から突然、悲鳴とも、叫び声ともなんとも云えない、大きなうめくき声が聞こえた。驚いてそばにより、遠巻きにしている人達の肩越しにその中心を見ると、身障者と思しき人が、路上に腹ばいになり、さらに、えびぞりになって「物乞いの意味であろううめき声」を発し、苦しくなると、えびぞりをやめ、頭を地面にすりつけているのである。「なんてことを・・」と手を出して起こそうとすると、少し離れて様子を窺っていたらしい、多分、監視役であろう男がそばに来て、小声で「去ってくれ、いってくれ」と云った。同行していた上海のスタッフがそばにより、「行きましょうと」と肩をたたいた。100元を手渡して、立とうとすると、大粒の泪がぼたぼたと石畳にひろがった。南京の観光スポットはかなり有る。せめて3日ほどかけてあちこち散策していただければと思う。 写真がないのが残念
2005年03月29日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”南 京 ”です。ちょっとだけプレイバック ”青 海 湖 ” 頭痛はひどく、息切れもする状況では充分堪能することができなかったかな。青海湖の夕日も一興写真がなくてちょっと寂しいので、ついでに日月山 今日は南京ばなしを少し南陵を9時ごろ出発したが、南京には午後の1時半頃だったと思う。これも当然、道路改修の迂回がらみである。玄武湖もそう遠くない中山南路だったと思うが、「山水」というホテルのレストランで食事をしたときのことである。運転手のQさん、昨日の復習よろしく、腰と肩をまわしながら、「チェレ、チェレ」と大仰にテーブルについた。「揉もうか」と云って肩に手をかけると、本気でびっくりしたような顔をして「冗談、冗談」と笑って見せた。1週間近くの連続運転。さすがに疲れているであろうことは、容易に推察できた。そのQさん、今度は何を思ったか、「山水は良い。日本でも有名か?」とたずねてきた。てっきり、このホテルのことかと思った私は、失礼があってもいけないと思い、「私は初めて来たから様子がわからない。Qさんは何回か来たの?」と聞くと、怪訝な顔をしながらも、中国語がよく理解できていないと思ったのか、「山水は音がいいでしょう。日本でも有名だと聞いたから私も買った。」と、私の後方の、入り口近くにある大型のスピーカーを指差した。それを見て思わず吹き出し、100席以上はあるレストラン一杯に、高らかに私の笑い声が響き渡った。衆目を集めた私たちのテーブルは、一瞬、全員がうつむいて、唇に人差し指をつけ、かすかに「シーっ」と目を合わせた。ほどなく、そのいきさつを見ていた通訳のHさんも「はじめは私も意味が分からなかった。いま、やっと分かった。」と、また、「シーっ」。ホテルの「山水」と音響メーカーの「山水」の話が程よく混同され、なかなかの盛り上がりだった。暫らくして、ウェートレスが注文をとりに来た。曰く、「当店は、お茶の種類を豊富に用意してございます。龍井茶、烏龍茶、菊茶、花茶、プーアール茶・・・・有名なお茶は何でもございます。お好みのお茶は何がよろしいでしょうか。」と流暢に12種類ぐらいのお茶の種類を並べた。が、しかし、「じゃ、菊茶をください」と云うと、まもなく「誠に申し訳ございません、今日は菊茶は用意いたしかねます。」とのこと、通訳のKさん、「じゃ、花茶を」というと、ウエイトレスが、これまた足早に帰ってきて、「申し訳ございません・・・」と、先ほどと同じ。「じゃ、プーアール」というと、これまた申し訳なさそうに帰って来た。結果は同様。「じゃ、何があるの」と聞くと、結局烏龍茶でした。一年ほど後にも、食事をしようと「山水」に行ったとき、やはり同様の、お茶のお勧めの流暢な響きが流れた。このときも、メンバーはまったく一緒だったので、思わず顔を見合わせながら「菊茶」を頼んだ。結果はOKだった。レストラン「山水」料理の味は悪くない。店内の従業員さんの接客態度も悪くない。ぜひ、機会があれば一度、お運びください。お勧めです。南京のホテル&レストラン「山水」話でした。楽天トラベルで見つけました。こちらからどうぞ 「南京山水大酒店 」住所は記憶違いでしたが、あまり離れていないので、そのままにして置きます。 写真がないのが残念
2005年03月28日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”安徽省から 南京 ”です。ちょっとだけプレイバック ”コルラから天山越え ” あの高所の、砂と岩山の織り成す姿はまったく不思議な世界である。下り始めて少し後、こういう姿が見えてくる。今日は南京を少し写真がなくてちょっと寂しいので、昨日の写真をそのまま流用。 黄山についてはあれこれ言っても見る場所、時期、人の感性により大きく差が出ると思うので、あまり言わないでおこう。黄山を出たのは朝9頃だったのだが、途中の激しい道路工事と、迂回路でまよったりしたものだから、途中の「南陵」という町で早めのホテル入りとした。交通の要所らしく、街内の道路は比較的早くから整備されていたようだ。ホテルを探そうよ。というと、運転手のQさん、何を思ったか前方の交差点で交通整理をしているおまわりさんのお立ち台に直接車をつけ、敬礼をすると、「この辺のいいホテルはどこ」と大胆な質問をした。ところがおまわりさんは何の違和感も覚えなかったのか、ごく普通に振り返るようにして、「あそこっ」と指差して教えてくれたのである。そしてなんと、進行方向の逆になるそのホテルの方向へ、誘導してくれたのだ。「日本ではこの状況はありえないよ」というとQさん曰く。「中国でもあまりない。だから先に敬礼をした。軍隊と警察は大体同じ敬礼をすれば、大体大丈夫。」と、茶目っ気たっぷりに笑った。泊まったホテルは、招待所だったが、以前、「江沢民」一行も視察旅行で宿泊したことがあるそうだ。フロントに写真が大きく飾ってあった。上海以来、杭州、黄山と、長距離を一人で運転しているQさんさすがに疲れが出てきたのか、「チェレチェレ」といいながらテーブルにやってきた。「疲れたの意味か」と聞くと、「上海語が分かるか」と、大きな目をさらに開いてびっくりしたような表情できいてきた。そして、お茶目のQさん、さらにオーパーに「チェレ、チェレ」と腰をくねらせた。南京は明日にしよう。 写真がないのが残念
2005年03月27日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”浙江省から安徽省のつづきで 黄山 ”です。ちょっとだけプレイバック ”コルラ 鉄門関 ” この渓谷と川の流れが裁縫の民族との境界になった。この門の2階は開放され、ミニ博物館のようになっている。今日は少しだけこの時期の安徽省つづきで黄山杭州を出て8時間程、あちこちの寄り道を経て黄山のふもと、屯渓に着いたのは午後5時頃。ふもとの町には夕霞がたなびき、ウイークデイのせいか、清朝時代の町並みを復元したみやげ物街には人影はなく、閑散としていた。店員さんたちも手持ちぶさたのようで、いいカモが来たと思ったのか、愛想よく応対してくれた。上海のスタッフが、翌月外国に行く際の土産を買うといって、交渉している様子を見ていると、私たちが買い求めた額の、さらに半額を提示していた。さすがにその金額にはならなかったが、私たちに比べても少し安かった。 私たちが行ったときは雲海は見られなかったので借りてきた写真をごらんあれ。 上の2枚は「フォトチャイナ」から拝借しました。下の写真は山頂のホテル向けの荷物である。ふもとから歩いて上がってくるのだが、重量は60キロ~80キロ程度になるという。一回上がって20元~30元。重量によって違うそうだが、山中を歩いていると、石段を上がってくる姿を絶え間なく見る。これを一日2回繰り返す人もいるという。これは「世界旅行」のページから拝借です。 あちこちの写真がたくさんあります。行って見てあげてください。
2005年03月26日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”浙江省から安徽省のつづき黄山までいけるかな ”です。ちょっとだけプレイバック ”ボストン湖二景 ”コルラ ボストン湖の芦原ボストン湖の漁師。だけど彼はほんとは失業者仕方なく近くのテントで漁師をしている。遠くにかすむのは天山山脈今日は少しだけこの時期の安徽省つづきネット上でそれらしい写真があったのでちょっと借用しました。臨安を出て黄山に向かうとき、峠越えをする前は下のような情景で、山はもっとはるか遠くになる。峠超えをすると下のような情景になる。かなりの勾配を昇って来るのだが、峠を越える最中から、下のような情景がひろがる。 旧日本軍はこのような山を越えて意味のない行進を続けたのだ。 山を下り、里村についても、おそらく60年前と変わらない情景であろうと容易に推測できる風景だった。沿岸部の発展などまったく無縁の様にも見えるが、ところどころ道路改良と、町中の建物のいくつかの新築は始まっていた。実質経済成長率8%の恩恵はまだ、この町には充分反映されていなかった。家内営業の小さなレストランや、市場で見かける子供たちにはまだ、裸足の姿も多く見かけた。同行の中国人スタッフも、「この辺りの子供は、義務教育の中学への進学率が50%になっていない。小学校でさえ、3年生程度で休学する子度が30%はいる。」と云っていた。その学校に行けない子供が、親世代になったときその子供をきちっと就学させることができるのだろうか。見せ掛けの繁栄より、実のある教育画でできるよう、今の親世代を再教育する必要があると思った。慢性失業率25%といわれているその現況はこの辺りに起因すると思う。しかし、この景色を楽しむ時は、無粋なことは忘れよう。ぜひ、こちらも一度、お運びあれ。飛行機で「屯渓」へ飛ぶより趣があることはどなたも否定できないと思う。
2005年03月25日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”ちょっと飛んで浙江省から安徽省黄山までいけるかな ”です。ちょっとだけプレイバック ”砂漠公路” 砂漠公路入り口ここからコルラまで、700キロ砂漠公路の両側にはこのようなグリーンベルトが現在造成中 今日は少しだけこの時期の安徽省「朧月夜」という歌がある。「菜の花畑に入日うすれ」と始まる歌詞だ。今、日本ではあの歌の情景に出会うのは、鳥取のような田舎にに居ても難しいのだが、その情景が中国にあった。しかもその規模が広大である。4月のはじめ、安徽省に行った時である。杭州から車で入ったのだが、浙江省の臨安辺りに差しかかったとき、それまでは、農村のところどころに点在していた菜の花畑が、ここでは大地全体が、菜の花畑なのだ。とにかく山の向こうまで、地平の彼方まで、菜の花畑なのだ。遠くの山々の緑はまだ淡く、春霞に煙むる田んぼには、田起こし前の満開の菜の花があふれていた。天秤棒を担ぎ、或いはクワを持ち、お花畑行き交う人も遠くにあるのに、何かしら顔が明るく見えた。モンゴルの緑の大地も壮観だがこの、見晴るかす黄色い大地も心和む情景だった。4月の中旬ごろまでに、ぜひ一度お運びください。杭州から黄山方面へ1時間ぐらいです。写真がないのが残念。
2005年03月24日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”またまたシリンホト(錫林浩特)で 夜空 ”です。ちょっとだけプレイバック ”ホータンの西”ジャワ ホータンの西 扎瓦のバザール風景わずか1キロ程度の距離が、30分もかかった。 ホータンの西 扎瓦のバザール風景シリンホトの続きに入ろうか。破れたままの天井もそのままの、どろどろの服を着たまましっかりと、シャワーを浴びさせて頂いた電力賓館を出たのは、朝8時半頃。玄関前の草原には、あたりの緑より、一段と背丈の高いコスモスが秋風に揺れていた。そして、群青の空はあくまで高く、草原は時に深く、時に鮮やかに緑の光を返していた。車に乗って草原の道を行くこと30分ほど。「旗」の境界辺りに着いた頃、車が止まった。見ると、例の「ハダ」と「銀杯」が用意され、昨夜の宴席に出席していた人、全てが、集まり、歌と共に、別れの「三杯酒」が始まった。出会いと別れに、歌と酒。車で行けば、出迎えは「旗」の境界で、そして、見送りも「旗」の境界まで。古くからの自分たちの作法を時代が変わっても当然の如く、何のてらいもなく継承していく。この姿に心底から感激した。その日カシュカトに入っての宴席で、こんなこともあった。例により挨拶と乾杯がつづくのだが、日本側の代表が、「少し、飲み続けで調子が悪いので、日本の習慣を尊重して頂いて、乾杯は一度で・・・」というと。答礼の乾杯では、「私はモンゴル族だからこの乾杯は、モンゴルの習慣を尊重して頂いて3杯で・・・」というやり取りもあった。もちろん冗談交じりに、であったが。何はともあれ、感激の別れの酒を頂き、草原のぬかるみで何度となくスタックを繰り返しながら、数十車線もある草原の道をダライヌールにたどり着いた。シリンホトへお出でになったら少し奮発して、車を借り上げ、橋のない川を渡り、川底を走り、ぜひ、草原の中の、方向もわからなくなるようなあの道を走って見てください。人間が変わります。写真がないのが残念。
2005年03月23日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”またまたシリンホト(錫林浩特)で 夜空 ”です。ちょっとだけプレイバック ”カシュガル から”東北餃子館と西域南道 カシュガルの東北餃子館餃子ももちろんおいしいがなんといっても蘭州牛肉面は最高。値段も5元と、とってもリーズナブル場所は中心部から西南方向へ2キロほど。タクシーの運転手さんの需要が多いらしい。 カシュガルの町を少し抜けると西域南道のこのような風景が、暫らく続く。西域南道は緑が比較的多かった。シリンホトの続きに入ろうか。宴席の「モンゴル人」のメロディーをいつまでも耳に残しながら、ホテルに帰った。ホテルはあの「電力賓館」。シャワールームの天井は破れたままだった。軽くシャワーを浴びて、隣のベッドの住人と静かに二次会をはじめたとき、わが友人のお迎えである。「ちょっと出かけましょう。シリンホト最後の夜ですから。」と。酔いつぶれた初日の分を取り返そうという貧乏ったらしさ故か、酒好きのその性のなせる業か、一も二もなく車に飛び乗った。出かけたのは、ホテルのすぐそばながら、町はずれの小さなレストラン。前には大草原が広がっている。ここでもまた奥の宴席から、あの「モンゴル人」が聞こえてきた。これまで、モンゴルの歌など聴く機会もあまりなく、このシリンホトに入ってから耳にした歌の数々は、云えばカルチャーショックであった。短いフレーズに、同様の意味の歌詞。同じようなメロディーラインの曲が多いのだが、どこかが違う。しかし、非常に耳心地がいい。特に、哀切漂う「ロンジア(または、ノンジア)」は最高の歌だと思う。中国語の歌詞があるので歌ってみるが、どうしても最後まで歌いきれない。歌の途中で、泪があふれてくるからだ。意訳すると、「故里の川はとうとう流れる。岸辺の馬もさびしく、首をうなだれている。美しい娘、ロンジアは、遠くにお嫁にいくよ。」といった、内容のどこにでもあるような歌詞である。云えば、結婚式の時に歌われる、別れの歌なのだがそのメロディーと詞が、聞く人の琴線を大きく震わす。日本では、ウヨンタナというモンゴル人の歌手がCDを2枚出しているので、ぜひ一度お聞きいただきたいと思う。ホームページも開設しているはずだ。歌を聴き酒を頂き、程よく酔ったころ、酔い覚ましにと、店の前の草原に出てみると、満天の星が降っていた。まるで宇宙の星、全てが私をめがけて降り注ぐような錯覚さえ覚え、私は今、宇宙の中心に居ると思った。無限の星に抱かれてなら、このまま天空へ昇って行ってもいいとさえ思った。そしてこのとき、司馬遼の「街道を行く・モンゴル紀行」の一節に須田克太が「この星ですよ、私が子供のころ見た星は。」司馬亮が「どの星ですか」とたずねると、「全部です。この星、全てですよ。」と、須田克太。そんな会話があったことを思い出した。ぜひ一度、内モンゴルへお運びください。あの大地、あの漆黒の闇、あの星たちにめぐり合えば、きっと人生が、否、人間が変わります。追記ウヨンタナのホームページがありました。こちらから、行ってみてあげてください追記2久しぶりに、いい脚本家が出てきたと思う。「成瀬活雄」その人である。昨日からTBS系で「青春の門」をやっていたのだが、その脚本を手がけていた。近年、内容の薄い脚本が多い中で、久しぶりのヒットであると思った。写真がないのが残念。
2005年03月22日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”まだまだシリンホト(錫林浩特) ”のつづきです。ちょっとだけプレイバック ”カシュガル ”エイテイガール寺院 エイティガール寺院前広場から寺院は現在修復工事中です。また広場右手には大規模ショッピングセンターが建築中です。 エイティガール寺院礼拝堂内部 さて、今日もシリンホトのお話の続きです。町全体の視界は広く、空は高くいかにも「草原の中の町」ということが実感できる。町中から50キロほど郊外に出ると頂上が、まっ平らの山々が見える。この山を「平頂山」というのだが、この山々にまつわる伝説を紹介しておこう。その昔、ジンギスカンがまだ、中国統一を成し遂げる前の話である。戦を終えて帰る途中、ちょうどこの辺りに着いたとき、乗っていた馬が、疲労困憊していたのか、「ジンギスカン様、私の寿命はこれまでのようです」と云ってその場で倒れ、息を引き取ったそうだ。ジンギスカンが愛馬を丁重に葬り、愛馬との思い出を回想していると、草原の彼方からこちらに向かって来る野生の馬の群れの中に、純白の馬を見かけたそうだ。とっさに部下の馬を駆り、その純白の馬を捕まえて乗ろうとすると、その白馬曰く「私は世界で一番強い方にしかお仕えできません」とその場を走り去ってしまっただそうだ。その言葉を聞いたジンギスカン、怒り来るって刀を抜き、周辺の山々の頂上を切り取ってしまった。さぁ、それを見た白馬は「先ほどは失礼致しました。あなた様こそ真に私の主。これから一生懸命仕えさせていただきます。」と、ジンギスカンの前に深々と頭をたれた。その後、ジンギスカンはこの愛馬と共に元王朝を築き上げたということだそうだ。めでたしめでたし。モンゴル族にとってのジンギスカン信仰は絶大である。だから、彼のことを少しでも批判するような意見をいうと、大喧嘩になる可能性がある。事実、私は、大喧嘩してしまった。シリンゴル草原は8月一杯は花があふれている。650種といわれるハーブの香も真に心地よい。肉がおいしいはずだ。シリンホト最後の夜、草原の宴席で聞いた歌に、久しぶりに鳥肌が立った。そのお話はまた明日。今日はNHKの「新シルクロードに」照準をあわせて時間配分をしているので、あしからず。今日は西の騎馬民族、ハザック族のお話のようだ。写真がないのが残念。
2005年03月20日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”またまたシリンホト(錫林浩特)の ”つづきです。ちょっとだけプレイバック ”カシュガル ”& 香妃廟 香妃廟の入口。当時の政略結婚の犠牲者のひとりでしょう。当時の状況では、NOといえなかった香妃と同様の話は内蒙古、青海省、雲南など現在の少数民族の元王家にはよく聞かれる話である。さてシリンホトである。泥酔の状態にありながらも、辛うじて洗濯をしたことにしてベッドへ入り、おそらく数十秒の内であろう。隣のベッドの高いびきもものともせず、深い眠りに入った。翌朝、なぜか、すがすがしく目覚めたとき、隣の高いびきの住人から暫らく、ことの成り行きの説明を受けた。なぜかはわからないが、頭痛がない。かなり普通なのである。あれほど、いや、それほどまでに正態を失っていながら、アセトアルデヒド症候群が発生していないのである。まだスッポンポンのままヘッドに居ると「覚えているか」と云いながら友人が部屋に入ってきた。自慢ではないが、ボトル1本は、さほど苦にならずに飲む人間にとって、高々10杯程度の「白酒」に、正態を奪われるはずがない。いろいろと話を聞いてみると、結局、あの「ナイヂュウ」の飲み方に起因するようである。あの「ナイヂュウ」は飲むときは、5~6度程度のアルコール度であるが、なんと腸内醗酵をするのだそうだ。少量の酒でもいつまでも体があったかくいられるというのも、その作用のせいだそうだ。おまけに、小腸は腸内アルコール濃度が4~7%程度のとき、養分の吸収率が高まる。よって、空港で飲んだ「ナイヂュウ」がすでに腸内醗酵をはじめ、腸の吸収率が高まっているところに、「白酒」をのみ、さらに追い討ちを掛けるように、まさにチェイサーとして、「ナイヂュウ」を飲む。逆スパイラルに入り込んでしまうのは、理屈の上でも理解できた。しかし、上手に飲めば、これほど良い整腸剤もない。慢性の便秘症の女性にはもってこいの飲み物と思った。今は、京都伏見の造り酒屋が原酒を輪入し、小瓶で売り出しているそうだ。どうぞ一度お試しあれ。納得したところで、昨日のわびを云い半乾きのズボンをはき、支度を整え、再び、悪夢と荷物の待つ草原へ向かった。追記この日記を書き終わって一服つけていると、偶然にも、このときめんどうを見てくれた友人から電話があった。縁というのはこういうものか。写真がないのが残念。
2005年03月19日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”シリンホト(錫林浩特)のつづき ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガンの火焔山 ”& コングル山 タシュクルガンの火焔山 パオの入り口で始まったあの「三杯酒」。このときも同じように民族衣装に身を包んだ女性たちが銀の杯並々と酒を注ぎ、「ハダ」をもってやってきた。さっきの「ナイヂュウ」と同じかと一気に飲むと、のどが焼けた。食道が焼けた。56度の「草原白酒」だった。このときメンバーの中で、初めて内蒙古へ行ったのは私だけだったので、要領を得たほかのメンバーは、お先にどうぞと、私に初回の酒を勧め、試したようだった。ひとしきり挨拶の「三杯酒」が終わり中に入って座につくと、それぞれの杯に「草原白酒」が注がれ、挨拶と乾杯が延々と続く。との時「草原白酒」のチェイサーとして飲んだのが、「ナイヂュウ」である。ほんとに曲者の酒である。程よく酔ったころ、出てきた料理が「ショーパーロウ(手八肉) 」。ボイルされた羊が骨付きで出てきた。ほんの30分ほど前までそこに居た羊である。立ち上がる湯気と共に肉からは、かぐわしいハーブの香がした。ハーブの香のする羊の肉は、今まで食したことがない。さすが世界一の草原「シリンゴル」。すごい肉を食べていると、ご満悦だった。しかし、記憶があるのはこのあたりまで。気がつくと、ホテルのバスタブの中で服を着たまま、冷たいシャワーを浴びていた。翌日、いきさつを確認すると、表で小用を足したあとその場に倒れ、意識がなくなったとのこと。嘔吐と失禁でどうにもならず、急ぎホテルへつれて行った。漢方医にも診せたが、大丈夫だろうと、ぬる目のシャワーをかけたままにしておいたそうだ。何せ、どろどろである。致し方なかったか。気がついたのは、夜8時ごろ。そのときもう一人の「ナイヂュウ」被害者がベッドに倒れこんでいた。写真がないのが残念。
2005年03月18日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら>今日は”シリンホト(錫林浩特) ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガンの火焔山 ” タシュクルガンの火焔山 タシュクルガン道中火焔山3 シリンホト空港では雨の中、滑走路わきで、いきなり「三杯酒」という歓迎の儀式が始まった。民族衣装に身を包み、モンゴル民謡を歌いながら差し出される「ハダ(旗)」を首に掛けられ、天の神様、地の神様への感謝、さらに、今日出迎え頂いた皆さんへの感謝とお礼、そして、今日、この歓迎を受ける自分の、この幸福が永遠であることを祈念しながら、銀の杯になみなみと注がれた酒を頂くのである。このとき飲んだ、「牛乳酒」が曲者であることも知らずに。{牛乳酒」。現地では「ニュウナイヂュウ」というが、一般的には「ナイヂュウ」で通用する。ほのかな牛乳の香と味。口の中では、ま~るく広がり、微炭酸の刺激は、のど越しをさわやかにする。思わず「もう一杯」と云いたくなるような<この酒のアルコール度は5%程度。誠に危険は感じさせない代物であるし、実は大変な効能を持ったすばらしいお酒である。が、しかし、これが曲者なのだ。「三杯酒」の歓迎の儀式を終え、いざ草原へ。車に乗って20分もすると車内暖房は血流の促進をたすけ、「ナイヂュウ」の効果は増進し、気分は一気に「スーパーハイ」。はじめて見る風景は、想像をはるかに超えた。雨だというのに天空は高く、はるかに続く草原の緑は、決して空とひとつにならず、どこまでも草原である。この情景に、気分はただただ「スーパーハイ」。市内方向への幹線道路を外れ、見晴るかす草原の道をさらに小一時間。小雨に煙ぶる草原に、灰色のパオが現れた。子供からお年寄りまで、家族親戚一同そろっての出迎えである。そしてここでも、あの「三杯酒」が始まった。写真がないのが残念。
2005年03月17日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら今日は”シリンホト(錫林浩特)へ ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガンの湿原から ” タシュクルガンの湿原から崑崙 タシュクルガン道中火焔山右岸下流 タシュクルガン道中火焔山右岸上流 初めてのシリンホトへは空路、北京から飛んだ。このとき北京は、気温37度。搭乗した飛行機はプロペラの40人乗り。おそらく50年以上前のロシア製の輸送機を改造したような飛行機だったのだろう。シートは後部の一部が折りたたみになっており、最近まで、それを片付けて、家畜を空輸したことがあるという代物だった。搭乗の際、扇子を渡された。これはサービスなのかと思いきや、なんと、キャビンの温度は50度以上。そう、エアコンがないのである。「蒸し風呂状態のキャビンで、せめてこれをご利用ください」ということで、なんとも言葉がなかった。待つこと15分程度、さらに、離陸して10分程度経ったころであろうか、今度は荷物棚の上あたりから水蒸気の噴出である。一瞬ドキッとしたが、なんとこれが、外気導入型の自然空調設備らしい。その水蒸気が出てからまもなく、機内は快適な温度になったのだ。しかし、どんな奥地に行っても、あれ以来、このような飛行機にはお目にかかってないので、多分最後のチャンスだったのだろう。ほんとにいい経験をさせて頂いた。8月17日午後2時30分。パイロットの腕がいいのか、飛行機はすべる様にして、草原の中の滑走路らしいところへ無事到着した。「らしい」というのは、いつも見慣れたきれいに舗装された滑走路が見えないうちに、「ひょっとしてあれ、これ。」と思っているうちに、滑走をはじめたからである。何はともあれ、無事到着したシリンホト空港の天候は雨。外気温7度であった。なんと、北京との温度差30度。1時間半で、30度だ。半そでのTシャツで降りた身にはさすがに厳しい寒さだった。このあとがまだ大変なのだが、今日はこれまで。写真を張れないのが残念。
2005年03月16日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら今日は”ダライヌールからシリンホト(錫林浩特)へ ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガン古城から ” タシュクルガン古城からかすかに見える崑崙の雪
2005年03月15日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら今日は”カシュカト(克什克騰)に行ってみよう ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガン古城から ”タシュクルガン古城からムシュタキ山方向 タシュクルガン古城から湿原。この古城に上がるのは、酸欠のため、ほんとにつらかった。赤峰から北西に200キロほど。昨年行った方に聞くと、道路はほんとにきれいに舗装されていたそうだ。私が行ったのはもう9年前。そのときは逆ルートで、シリンホトから赤峰までの移動だっただが、今回は逆にたどってみよう。カシュカト、漢字では「克什克騰」と書く。現地の人はクーチーと云う。漢字の「克什克騰旗」を省略してクーチー(克旗)である。町中でただ一軒のホテルが、カシュカト賓館である。招待所を改装した程度のホテルで、もちろん星などない。しかし、ここのオーナーは、大の日本贔屓である。ホテル内には、日本の風情を感じさせる宴会用の部屋も用意してある。窓は障子、松竹梅をあしらった箱庭。なかなかのものであった。料理として、刺身も出てくるが、これはちょっと問題。キングサーモンの刺身仕立てである。日本人はあまり食さなかったが、最大級のおもてなしをいただいた。ホテルからそう遠くないところに温泉病院がある。92度の源泉を利用して、長期療養型の温泉治療が行われている。何か、成分の効用が顕著らしく、92度のお湯をバスタブに半分ほど張り、43度程度にさめたところでそのお湯につかる。水で薄めては意味がないと云うことであった。もちろん、日本の温泉場のような施設ではない。あとで聞いてわかったことだが、私たちは特別だったようだ。友人たちに、こういうところに日本の温泉場のような施設を作ったらどうか、と云うと、もう少し豊かになれば何とかなるかも知れないとのことだった。今日は写真がないのが残念。ビデオから起こそうとするがどうもうまくいかない。
2005年03月14日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら今日は”瀋陽とくれば大連かな ”です。ちょっとだけプレイバック ”カラクリ湖の風景のつづきのつづき ” カラクリ湖には、仙人の水浴び伝説があるそうです。カラクリ湖の手前の比較的小さな池が、仙人が天から降りてきて、足を下ろしたところということでした。いずこの地にも似たような話があるのは、人の考えの及び方は、基本的に同じということか。本日鳥取は大雪です。現在30センチ以上あるようです。先ほどのニュースでは44センチと云っていました。3月中旬にこんな大雪は、私が生まれて以来50数年、初めてのことかも知れません。下の写真は自室前の現在の様子です。17時26分現在、大雪警報発令中です。 さて大連です。「アカシアの大連」と云う言葉に、ロマンチックなあこがれを感じ、たずねてみたのはもう9年前の6月上旬です。当時は建設・改造ラッシュで、なんともホコリっぽい印象ばかりだった。山の手の旧日本人街あたりは、まだ閑静な住宅街の名残があり、かすかにアカシアの柳絮も飛びはするが、予期していたものとは大きく違っていた。下の写真は借り物ですが、現在の大連中心部のようです。山の手の旧日本人街側から、港の方向を見たものだと思います。以前は、市内の市場を歩くと果物等がかなり安く買い求めることができたが、最近はどうなっているのだろう。発展して、みな、スーパーなのかな。黄昏の大連。老虎灘付近の海岸では、潮を香りながら、静かな夕日が楽しめる。 東北一帯はまだ、あまり奥地に行ってないのでこれからでしょう。残留孤児たちの逃避行の後追いをしてみたいと思っている。内蒙古にも、ロシア侵攻以来かなり凄惨な状況が発生した場所が何箇所かあり、そのうちの一箇所は、いまだに開放されていない。
2005年03月13日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 日記のお気に入り一覧はこちら今日は”瀋陽 ”です。ちょっとだけプレイバック ”カラクリ湖の風景のつづき ” カラクリ湖の左方です。この丘は高さが10m程度゛ですが、酸素不足で、上るのは一苦労でした。日記が消えてしまったため、一部復刻しました 918記念館内の展示品と、今は故宮の清朝の最初の宮殿です。瀋陽には旧関東軍関係、抗日戦線関係の戦跡が多い。
2005年03月12日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”長春から南へ ”です。ちょっとだけプレイバック ”カラクリ湖の風景です。” カラクリ湖の風景です。午後からは風がでて波が立ち、水面の情景はいっぺんしました。ただ、湖畔には、さまざまな糞が転がっていますので座るときは要注意です。さて長春です。ビデオから起こそうとしましたが解像度があまりよくないので、やめにしました。写真は無しです。旧満州の首都であることは、多くの方がご存知かと思います。嘗ての日本の関東軍関係、皇居等は有名なので、触らないでおきましょう。長春から南に70キロ程度のところに伊通というところがある。さらに、伊通の西50キロ程度、長春と瀋陽の中間あたりに四平街というところがある。(現在は四平市となっている)いずれも旧日本軍と、中国抗日戦線軍との激しい戦闘が繰り返されたところだそうだ。また、このあたりは、日本の旧三大財閥がそれぞれに覇権を争ったあたりでもある。五味川純平の「人間の条件」の中で、朝鮮族の男性が雪原を逃亡するシーンは(映画では、地井武雄が演じていた)このあたりの状況が設定されている。 四平を通過して通遼近くへ入った時の写真です。もちろん内蒙古です。9年前、長春の旧児玉公園を歩いているとき、すれ違いざまに、当時60数歳であろう歳の老婆が何気ない顔で「チュイ、チュイ」と云いながら、私とすれ違った。意味がわかったので、振り向くと老婆は「フン」と鼻を空に向けた。こういう状況は、後にも幾度か出会ったが、最近はほとんどない。これも、単に、時の流れなのだろうか。
2005年03月11日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”ハルビンで、ひと休み ”です。ちょっとだけプレイバック ”鏡沙湖対岸左方の風景です。” 鏡沙湖対岸の左方は、岩山に砂がかぶさっているという、不思議な情景です。白く見えるのは、すべて砂です。天気予報を見ると、今日の北京はマイナス3度からプラス5度の気温変化でしたが、実際はどうでしたでしょうか。あまり寒さは感じなかったのではと、思います。しかし、その北京の寒さは、鳥取には3日遅れでやってきます。案の定12・13日は雪マークでした。さてハルビンですが、60年前までは、東洋のパリとも云われた程の街。中央大街の石畳はなかなかノ風情です。建物も昔のままニ、往時の風情をしのばせるものがあります。最初に行ったのは9年前。そのとき、松花江にかかる橋に上がろうとして、警備兵に銃を向けられたのは、強烈な印象でした。 最近行ったのは3年前ですが、かなり状況も変わり改革開放の波は、北のこの町にも当然のことながら伝っていた。中央大街では、客寄せに、歌手が今はやりのニューポップスを歌い、店の前では客寄せのファションショーが行われ、小金を持った人たちがそれを取り巻く。日本でも見慣れた光景である。どこの国でも、似非何々というのがいるが、今、中国は、わかりもしないでロックを聴き、わかりもしないで絵画を買う、似非文化人。うれしがってコーラを飲み、砂糖とミルクたっぷりのコーヒーをさもうまそうに飲む。そういう似非中流が幅を利かせている。西洋のコピー、アメリカのコピーをうれしがっている日本人と、あまり変わらないようだ。日本人が少し変化をはじめたのはつい最近。ということは、この国もあと最低、60年は変わらないかも。しかし、老百姓のやり方、見方、考え方は4000年の間、基本的に何も変わっていないのだからこれからもほとんど変わらないのかも知れない。いずれにせよ、この国のいいところはそのまま残してほしい。現代を、第2の文革にしないでほしい。 中央大街の時計屋さんは、130年の歴史があるようですが、写真がありません。またの機会に。これはロシア正教会です。写真は借り物です。 この河にも数十万の遺体が流れたといわれている。奥地から逃げ帰ってきた日本人開拓団員。日本人によって命を失った中国人。その人たちのお骨はまだ、この流れの中にあるのだろう。グアム、サイパンの浜辺で遊ぶ日本人たちもこの河で泳ぐ中国人も、みな人間か。
2005年03月10日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”赤峰から天津まで直行バス ”です。ちょっとだけプレイバック ”午前中のタシュクルガン火焔山” 赤峰を午後6時ごろ出発するのですが、いつものとおり30分から1時間程度の遅れはあります。途中、深夜11時ごろに食事タイムがありますがそれ以外はノンストップで走り続けます。食事の時、降りなければ、外に出られないようにかぎをかけてしまいますので、要注意です。天津には早朝6時ごろ到着です。駅のそばの交差点でおろしてくれますが、希望すれば天津港まで乗っていくこともできます。延長金額は10元です。天津では、星無ですが、友誼路の科技大厦ホテルがお勧めです。季節によりけりですが、200元から300元程度。設備は4星の中以下3星の上、以上。2階の日本料理屋の、名前は「おたふく」だったと思いますが、会員カードも持っているのにど忘れです。こちらは、安くておいしいと思います。以前、南市食品街の日本料理屋で食事したときは200元超の値段で火の通っていない煮物、黒く変色した刺身、だしの入っていない味噌汁等。まったく話にならないものが出てきて、さすがの私も閉口した事があります。神戸の方が経営しているということでしたが現在はどうなっているのかわかりません。しかし、あれで続いていれば世の中おかしいでしょう。当然のことながら、代金は支払っていません。私は、2度と行く気はないですね。しかし、ここは安心です。どうぞ利用してあげてください。他に1階に「小百合」というパブがあります。ここは、以前に日立に所属しバレーの全日本で活躍していた中国人が、日本人向けに営業しているお店です。こちらは、まぁ、状況視察程度にしておけばいいかな。日本人の赴任者が、寂しさを紛らすために結構集まっているようです。最近は天津の変化も激しく2年も行かなければ町の状況が大きく変わっています。多分去年の10月にはモノレールが市内から港まで開通していると思います。天津からは燕京号でどうぞ。 船内の設備は2003年に改装したばかりですから、そんなに悪くないと思います。食事メニューもいろいろなあり、安い。といっても、近年少し高くなったような気がしますが、それでもまだ、安い、と思いますょ。船のゆれは気にならない程度でしょう。今年から料金体系が、以前の2シーズン制から年間通じて同額になったようです。時間がある方は船旅もお楽しみください。 関門海峡の夕日です。(これは日本を出たときだけ。)
2005年03月05日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”赤峰のおはなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”ホータンダムへの途中で崑崙” この顔は大方の人がお分かりでしょう。モンゴル族が崇拝するジンギスカンです。以前に、モンゴル族のある人と飲んでいて「毛沢東とジンギスカンは基本的に同じだ。略奪と分配。そして強権発動しかやっていない。」と云ったらそんなことはないと、大喧嘩になりました。私としては、権力を握る者は大方一緒だ。という事を云いたかっただけなのに、世の中難しい。因みに、今日の写真は、CCTVからの借り物です。 赤峰市は広大です。60年前は日本の領事館もあったそうです。現在星級のあるホテルはありませんが赤峰賓館は15階建ての三ツ星級都市型ホテルで、料金は200元程度です。ほかのホテルは、あくまで中国人向けですがそちらは70元程度から130元でOKです。赤峰とシリンホトの中間ほどにカシュカトというところがあります。特別な町ではないのですが、近くの標高1500mの地点ある、塩分濃度が1.8%と云われる湖の「ダライヌール」の光景はなかなかのものです。また、ここの鮒は名物なのですが、その内骨は鳥取の湖山池名物の鮒の倍の太さがあります。ビデオから起こそうと思ったのですが、いい絵が取れないのでやめました。その近くの山並みです。ついでですが、鳥取の鮒は今が旬。「子作り」或いは「子まぶし」とも云いますが、内子をゆでて刺身にまぶし、わさびでいただきます。臭みもなく最高です。草原のパオで聞く馬頭琴はなかなかに趣があります。特に「ロンジア」(または「ノンジア」ともいう)という曲は、聞けばいつも涙が流れます。歌は、今日は遠くの町にお嫁に行くけれど、次に生まれてくるときは男に生まれ、生涯両親のそばを離れない。という内容です。 日本では「ウヨンタナ」というモンゴル人女性歌手が「コルチン}{天の壁}の2種類のCDを出しています。1度、お買い求めになってみてはいかがでしょう。モンゴルには、他にもほんとにいい歌があります。 また次の機会にご案内いたしましょう。 モンゴルに行きたい。冬のモンゴルは最高。友人は、なぜこんなに寒いときに来るのかといいますが、吸い込まれたくなるようなあの青い空と、無限に続く白銀の大地。これは日本では味わえないでしょう。
2005年03月04日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”アルコルチンから赤峰まで ”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガン道のコングル山です。” フフホトから通遼まで下の写真のような、直通の2等寝台列車が走っています。ほかに、集寧から通遼までの鈍行列車もありますが、こちは旧来の3等寝台です。しかし、きれいだと、料金も100元高い。アルコルチンは、通遼から西へ250キロ程度。ただ、中国人ニとって、250という数字はあまり強調されたくない数字だと思いますので、260キロ程度としておきましょう。 アシユハンという村に出会うまで、おおよそ200キロ。この間、ただただ草原だけが続きます。 このように並木があるあたりは、旧満州国時代には、日本人入植者がいたと云うことです。 この時10月初旬。黄葉は、もう終わりに近づいていました。でも、木の葉が一度に全部黄葉することはないそうです。緑のまま、寒さのために落ちてしまう木の葉もあるそうです。 まるで「草原のでべそ」のような山に、この年の初雪が降りました。 今から73年前、1932年3月1日。満州国が建国されます。この際、当時「徳王」率いる内蒙古連合自治政府は時の日本の政権に協調し、満州国建国に協力しています。この時期に、パオトウ、トンリャオ、ハイラルなどの空港も日本軍によって造られています。
2005年03月03日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日も”パソコンの回復に手間取りお休み”です。ちょっとだけプレイバック ”タシュクルガン道 から
2005年03月02日
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花粉症などのアレルギー対策は、フリーページの花粉症項目をごらんください。私には、確実に効果がありました。 今日は”パソコンの回復に手間取りお休み”です。その前にプレイバック ”タシュクルガン道 からここはコングル山です。
2005年03月01日
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