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今日は”飛行機内の中国人 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日内閣改造があった。官邸に入る姿をテレビで見たが、誰一人としてまともな歩き姿はなかった。前を見て歩くのはいだろうが猫背の体は上下動、左右に揺らすは上半身オムツバサミの下半身蟹股歩きの足元を上目遣いが確かめる口先使って物言う女口がへの字で環境環境「あそうあそうと」もの云う口がやけに斜めに引きつって少なくとも50年以上は人間をやっているのだろうにもっと綺麗に歩けないものだろうか。人は所作事にその本性がでるものだ。下賎は下賎の歩き方しか出来ない。さて、そんなことはさておき今日は 飛行機内の中国人 ばなし飛行機に乗るといつも見る情景である。通路をふさぎ平然と荷物をどうしようと思案している中国人。お陰で通路の前はガラガラ後ろは混雑。席に着くなりシートはフルリクライニング。小姐が新聞を持ってくればほぼ全員が受け取り、隣のシートまでの大びらき。隣も負けずに大びらき。何を読むのか知らないが一体2時間、何を読む。三文紙の内容がそんなに難しいとは思えないが丹念に読んでいる、不思議な光景である。航空会社の宣伝雑誌を見れば内容全くなしのこの雑誌、実に丹念に活字を追っている。食事が出れば音立ててピチャピチャクチャクチャお茶ズーズー合間に活字を追っている。それほど忙しいのか中国人。貧乏ゆすりは震度6。シートのボルトがゆるみそう。離陸直後のトイレは当然。着陸態勢また当たり前。ベルトサインもなお平気トイレ通いの中国人。赤子も吃驚。中国人。オムツバサミのその歩き。今日は新閣僚のほぼ全員がオムツバサミ歩きだったのには日本人の中国人化??と、ちと吃驚。まぁ堕落するのは簡単だけどネェ・・・恋人同士か知らないがお手撤ないで幼稚園。おでことおでこをくっつけて二人仲良く高いびき。そんな子供が子を造る飛行機に乗れるようになった新中産かも知れないが乗りなれていることを装ってもお里が知れてるのに気取らないで乗ればいいものを。飛行機に初めて乗るのに慣れたる素振り着陸直前、携帯電話。スーツ着てネクタイ締めてもその所作は昔のままさ新中産まだまだジェントルしらなさすぎる★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月31日
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今日は”ビザ延長 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は ビザ延長 ばなし2003年のこと。ビザを延長するため、滞在中のフフホトの市役所に行った。友人も見送り方々付き合ってくれたが関係書類をそろえ窓口に提出するとさっきまで動いていたパソコンが動かないという。PCの故障かと訊くと回線が繋がらないとのこと。こちらは11時過ぎの列車に乗る予定にしていたので、その旨告げると、窓口の女の子は「私にもどうしようもない」との毎度の答え。「そりゃまぁどうしようもないわなァ」と思いながら待合のソファー座って待っていた。半時ほど経った頃だろうかアラブ系の人間が3人、延長申請にきたがどういう訳か延長は認めないとの判断が下ったらしい。窓口でもめ始めた。その状況を奥で見ていた上司らしき人が厳しい顔をして、かなり強い口調で理由はわからないが「延長は認めないと」はっきり云った。云われた彼らは、暫らく3人で話していたがどうしようもなく帰っていった。これの様子をづッと見ていた私は少し不安になり時間もかれこれ1時間経過するしPCの故障も、ひょっとしてビザを出さないための口実かと疑いを持ったので、再度、その上司らしき人に「延長は出来るのか」と念を押して尋ねてみた。「日本人には皆あげる。心配ない だけど回線が繋がらなければどうしようもない」と苦笑いをしながら答えた。そして「もう少し待てば繋がるかも知れないから、・・」とソファーを差して待っているよう促した。時計を見ると時刻は10時を廻っていた。待つこと更に1時間。こんなことも有ろうかと列車のチケットは買ってなかったので今日の出発をあきらめた直後、窓口の女の子が「おいで、おいで」と私を手招きして呼んだ。「PCが動いた。すぐ手続きするから」と書き込み事項の確認をしながら必要事項を入力していった。そして手続き費用を窓口で支払いするよう言われた。して、その額は「250元」私は思わず吹き出して、声高らかに復唱し、「250元。ガハハハハァ~~」だった。なんだか象徴的な「250元」を支払いパスポートを受け取り役所を出ようとしたときこちらへ向かって電話しながら歩いている上司らしき人がニコニコと笑顔でこちらに手を振ってくれていた。私は手を振って、会釈で答えながらもあと15分速ければ列車に間に合ったのにと思ったが、「でもまぁ延長も出来たことだし、ゆっくりするか」と気分よく友人とともに大学の寮へ引き返した。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月30日
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今日は”桂林2題 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 桂林2題 ばなし中国へ通いはじめて間がないころ、桂林へ行った。私たち10人程の団体を乗せたジェットは80人ほどの定員に対し半数も乗っていないような状態だった。平原にボコッ突き出す岩山の間を縫うように小ぶりのジェットは山間の空港にたどり着いた。タラップがつけられ外に出ると目の前にレンガ造りの平屋建て、窓枠のサビ止めがはげ、少なくとも3~40年は経っているであろうこじんまりとした空港ビルが誠につましく私たちを出迎えてくれた。空港ビルに入ることなく横手のゲートへ案内されながらも振り返るとジェットのすぐ向こうに岩山が竹の子のようにボコボコと突き出し滑走路の脇まで迫っていた。これが初めての桂林の第1景だった。ゲート前のバスに乗り、とりあえずホテルへチェックイン。食事と市内調査の名目で、夕方近くの自由市場へ向かった。夕食の買出しなのだろう。多くの客で賑わっている市場の中はかなりきついアンモニア臭が漂い、少し先にはブタの顔がぶら下がっている。そんな光景を見ながら歩いているとコンクリートで作られた売り場の台にはガラスの水槽のような器に蛇が絡み合いながら売られていた。その下では練炭火鉢の上に載せられた蓋付の入れ物からは羽をヒヨヒヨとさせながら鶉が何羽か取り出されている。これから毛をむしられるのだろう。視線を台の下に移すと、売り場の台に沿って風呂の水漏れ防止に使うコーキング剤のようなものが目に入った。珍しく丁寧な工事がしてあるものだと感心しながら見ると、そのこげ茶色のコーキング剤のようなものはコンクリートの台の立ち上がり部分に沿ってまっすぐに向こうに伸びているのだが、手前と先の方では幅が違うし、長さも中途半端。やはり、中国。工事がずさんと更に一歩寄ろうとしたとき真ん中あたりが少しだけ「クネッ」「・・・・・」思わず足を止め、改めてよぉ~~~く見ると「・・゛」弱って売り物にならなくなった蛇がほんとに力なく、まっすぐに伸びていた。如何に端っこ、いや、隅っことはいえ・・・・しかも、そこは客が歩く通路側。あんまりにも大胆な売り方にこれも中国かと納得させられた光景だった。桂林の印象的な2景であった。念のために書き添える。空港はその2年後に現在の新しい場所に移動し大型ジェットが飛べ、空港施設も充実している。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月29日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”川島芳子 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 川島芳子 ばなし最近なぜか「川島芳子」の名前がちらついていた。いずれも2~30年ほど前に読んだ本である。内容に関する詳細も、私の記憶からほとんど消えかけていたので、斜め読みながら読み返してみると「昭和22年10月22日午前11時35分 川島芳子死刑判決」の一文があった。もう知る人も少なくなってきたであろうが、東洋のマタハリ、男装の麗人とも云われ戦前には「水谷八重子」主演で時代のヒロインとして、若き人生が舞台化されたこともある清王朝第14皇女である。日本名があるのは日本人「川島浪速」の養女になったからである。詳細は文献を当たってもらえば宜しいので此処にはかかないが、愛新覚羅溥傑は人生を全うしたのに所詮利用されただけの彼女が死刑とはいささか不合理とも思う。もちろん、死刑に至る真の罪状はいまだにはっきりとはしていない。国民党は何を急いだのだろう??蒋介石にはよほどの邪魔者だったのだろうか?まぁ、今となればそんなことはどうでもいいことなのかも知れないが私の霊感がまたまた敏感になりだしたようだ。あなたの知らない世界はあなたの傍に・・・・★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月28日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は 黄土高原に雪が降る ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。2番煎じが大好きのそろそろ道も下り坂楽天・転落・落天と命運尽きる予兆見え・・・上がり過ぎた気球は破裂し盛者必滅も世のならいブタにはブタの分がある人には外せぬ道があるまぁ私にはブログが出来ればいいことで別に楽天でなくてもほかにゴロゴロとある。民放も楽天が口出しするTBSなぞ見る気もない。世論を嘗めないほうがよいと思うがTBSの件は凶と出たようださて、そんなことはどうでもいいこと今日は 黄土高原に雪が降る頭の中がストップモーションのため、昨日は情報を補給しようとアルバムをめくっていた。しかし、そこもやはり内モンゴルだった。2000年の1月4日銀川からエジンホロに入った。それから2日ほどは暖かく気温が2度ほどあり、ジンギスカン陵の雪も解けかけていた。この調子だとフフホトまで田舎道を走っても問題なくいけると考えた私は友人に、明日出発のタクシーを調達するよう依頼した。この地域では少しは名が売れている彼なら少しは安くしてくれると思ったからだ。期待通り、通常800元ほどの料金をなんと600元に値切ってくれた友人はちょっとばっか得意げに「少しは役に立ちますでしょう」と云うと「ニコッ」と、いい笑顔を見せた。当日、やって来たのはあの北京ジープ。運転手は軍隊が着るような深草色の外套をしっかりと着込み、分厚い手袋をはめていた。この頃、エジンホロのタクシーはほとんどが北京ジープだったので別に驚きもしなかったがこの完全武装とも云えるほどの衣装に一瞬不吉な予感・・・・・。そして、それはすぐ現実の物となった。「今朝からヒーターの効きが悪い」と運転手。外気はマイナス15度。隙間風がピューピューと入ってくる北京ジープで450キロを走る?????わが友は昨日と違って申し訳なさそうにうつむき加減であった。フフホトにも連絡していたので腹を決め、「仕方が無い。行くか」と乗り込んだ。朝9時。天候は快晴である。エジンホロから東勝にでて国道を行くのが一般的なルートらしいがこの日はエジンホロ郊外に出ると直接清水河へ行きそこからフフホトを目指すというルート設定をしていた。田舎道だが簡易舗装のその道はドライブコースとしては絶好だったが真冬の内モンゴル。ほとんど暖房の効かない車内はかなり寒く日差しの温もりが嬉しかった。ほとんど変わらない風景が2時間ほど走ると変化を見せた。黄土高原の端を走っているらしい。雪の黄土高原の大地が深くえぐられ渓谷の陰が映り黒と黄、そして白の三色の色模様が異様に写った。そんな風景の中、南下する黄河の一番狭いといわれる場所を通過する頃日は西に傾き始めていた。此処までなんと7時間程かかってしまった。まぁ、途中で食事をしたから正味6時間。凍結路面は当たり前のこの時期は、スピードを上げることもままならず、致し方なしとした私は運転主君と並んで橋の袂に立つと♪♪♪♪♪雪に名前を書いちゃった♪♪♪♪♪結局フフホトに着いたのは午後9時を過ぎ、日が落ちてからの寒さも格別の12時間のドライブとなった。ホテルに入ると待ち構えていた友人が「心配しましたよ。」と駆け寄ってきた。聞けば、ホテルのロビーで4時間ほど待ったという。「暖房が壊れていたそうですねぇ。 朝、エジンホロから連絡がありました。 寒かったでしょう。でも、あまりにも 遅すぎるので、本当に心配しました。」異国の地にも、持つべきは友である。その後2人で始めた飲み会(といっても彼はほとんど飲めない)で今日のルートを説明すると「そこは外国人はまだ入れないところです。 軍隊とか、警察のような車が 多くなかったですか? 見つかればちょっと きついかも知れないです。」「そう云われれば、外套着た 見張りらしい者の姿がやけに目に付いたなぁ」「多分それがそうですよ。」「でも、運転手は何も云わなかったよ」「でも見つかれば、罰金が必要かも知れません。 今度から気をつけてください。」「はい、今度から気を付けます。先生。」と高笑いでごまかし、何も知らないことをいいことに脳天気な私だったが、♪♪♪♪♪雪に名前を書いちゃった♪♪♪♪♪どうしよう★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月26日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”おこうまんじゅう と 内モンゴル ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。おこうまんじゅう と 内モンゴル ばなし 先日、すばらしいお饅頭を愛媛で発見した。所は「愛媛県 上浮穴郡 久万町 入野」その名は「おこうまんじゅう」ほんとに薄い薄皮に「あん」が包まれておりほとんど「あん」だけかと思えるようなまんじゅうである。全くしつこさが無く、あっさりと上品な味は口に残らず、日ごろ甘いものの後口の悪さが嫌いな私でさえあっと云う間に4個も食べてしまった。ほんとに美味しいこの饅頭が全国菓子品評会無鑑査も頷ける。近くへお越しのは是非お試しあれ。このお店、国道33号沿いにあり、以前は高知・松山間の行き来の途中に団体旅行の観光バスも出入りしいてたらしいが最近はバスもこのルートを通る数が減り、少しばかりさびれぎみである。旅行客にとっても残念なことである。お近くへお越しの節は是非ともお立ち寄りあれ。本物を知ることは真に幸せなことである。さて、本物を知ったこの口が悪いのか、本物の味を覚えたこの頭が悪いのか、味は全く違うのに、全く何の脈絡も無くなぜか「羊肉」を「内モンゴル」を連想してしまった。♪♪♪♪♪流れ流れてさすらう夜は今日はエジンホロ、明日はアルコルチン ちょっと字余り ♪♪♪♪♪♪♪バスのシートに座っているとこんな歌が頭をかすめ、草原の羊が頭をよぎり友の顔が浮び、鼻の奥がツーン・・・・・。11月5日からの青島赴任が決まったが暫らく内モンゴルにはいけそうもない。嬉しさ半分、寂しさ半分の今日この頃である。はぁ~~~★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月24日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”桂林の川下り ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。先日来、中国関係が騒々しい。まぁ、毎度おなじみであるからまたいずれ収まるだろうが、それはそれとして今日は 桂林の川下り ばなし初めて桂林へ云ったのは94年8月のこと。ガイドに連れられて乗った船はほぼ予定通りにスタートし、透明な流れが船を後押しするように快適に下っていた。1時間ばかり経ったであろうか最上部のデッキに立って景色を眺めていると、前方に水遊びをする子度たちの姿が見えた。暑さも一番厳しい時期だから当然といえば当然なのだがその遊びのようすが少し違う。そのとき私の視界に、船の上から誰かがバナナと思しきものを子供達に向かって投げているのが眼に入った。先ほどの水面の何かに向かって泳いでいる子は川面に浮かぶその投げられたバナナに向かって泳いでいたのだ。あたりを見渡すと水の中にあって此処に投げてくれとばかりに一生懸命船に向かって手を振っている子。岸辺を走りながら手を振っている子。さまざまである。その傍では母親らしきおばちゃんがその様子を見ながらニコニコと洗濯をしていた。船の上からは面白半分からか、更にいろいろなものが投げられていた。そしてそれを追いかける子供達。この構図は一体何なのだろう。この船には日本人のツアー客がばかり何組か乗っていた。その日本人が川の中の子供達に向かっていろいろものを投げ込んでいたのだ。この日本人達はなんて馬鹿なんだろうと腹が立ったのと同時に子供達の姿になんとも哀れさを感じた。あの子達はその後どうなったのだろうか。center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月20日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”研修生との刃傷 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 研修生との刃傷 ばなし昨日の喧嘩話に続いて今日は刃傷ばなし。ある年、21歳の子が研修生としてやってきた。優秀な共産党幹部の息子である。しかし、食器もまともに洗えない。食べたもののカスはほおりっぱなし。気分が乗ってはしゃぐときには大はしゃぎ、乗らなきゃブスッと仏頂面。食事の支度も他人の分は作らないが人が作ったものは遠慮なく食べる。一人だけ輪から離れる等、協調性も何も無い子だった。そんな子だから当然仕事もまともにやらない。半年も過ぎた頃、あまりの身勝手ぶりに業を煮やした私が、意見をしようとすると自分の部屋に入っていった。その対応に切れた私がしつこく呼び続けると部屋から出てくるなり台所へ行った。顔を顰めてブツブツつぶやきながら私のそばへやってきたその手には刃渡り30センチ程の細見の肉切り包丁があった。その尋常でない様子に私も立ち上がり「どうするつもりなんだ。 舐めたまねするんじゃネエ くるなら来い。 皮かむりが3人前のことすんじゃネェ」と煽るとその馬鹿は私を目指し突っ込んできた。蹴り上げた右足は相手の胸を直撃し、馬鹿は壁に寄りかかるようにして倒れたがその手はしつこく包丁を握っていた。包丁を取り上げようと傍に寄ったとき馬鹿がその包丁で再度私に向かってきたのだ。「胸を蹴られたら暫らくはまともに息が出来ないはず」と思った私に隙があったのだろうが、包丁は、蹴りだした私のふくらはぎを直撃した。右足からは血液が勢いよく鼓動にあわせて噴出している。それを見た馬鹿はへなへなとその場に座り込んでしまった。この間僅か数分の出来事である。風呂から上がったばかりの1人の研修生はこのありさまに呆然とし言葉も無く故里への電話に没頭していたほかの研修生も止めに入る暇すらなかった。相手が座り込こむと同時に蹴りをいれて包丁を取り上げたが、出血はひどく明らかに動脈が損傷していることが判った。応急的に止血はしたが、歩くたびタオルを突き破るようにして出血は続いた。急ぎタクシーを呼び病院へ行き手当てをしてもらったが、部位が部位だけに縫合がしにくいとのこと。ドクターはその動脈と切れた筋肉を1時間ほど押さえ続け、何とか縫合し止血をしてくれた。翌日改めて聞くと、上手く縫合できなければ、右足切断しか方法が無かったそうである。これまた全治1ヶ月の重症であった。この馬鹿研修生、自分のしたことが判っているのかいないのか最後の最後まで詫びの言葉は無かった。もちろん本件は刑事事件として立件できるし、研修を打ち切り、返すことも出来た。しかし、あえて私はその両方とも選択せず、1年間の研修期間を全うさせた。優秀な共産党員の息子であれば当然それは理解できるだろうと思う。いや、当然出来ないか。だって優秀な共産党員の息子は馬鹿でぐうたらだから頭もつかえないか。center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月19日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”研修生とのけんか ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 研修生とのけんか ばなしある研修生、体はでかく、その身長は185センチ体重は110キロ程あった。彼は酒を飲まないときはごく正常であるが、ひとたび酒毒に犯され始めると言動が大きく変化する。中国における自分の立場の優位性と現況との差に対する不満に始まり食べ物が口に合わない、酒が無い、女が居ない、奇声を発し最後にはお漏らし・・・その傾向は来日以来日増しにひどくなり3ヶ月を経過したその日、特にひどく現れたその症状に嫌気した私は思わず手を上げた。こぶしで殴るというのはちょっとばかりきついと思い「いい加減にしろと」と平手で往復ビンタにした。彼は叩かれて吃驚したからか、何度目かの不始末に気がついたからかおとなしくなり、「すいませんもう寝ます」と部屋へ入って行った。人を叩いて気分がいい訳もなく自分の短気も反省しながら1人飲み直しのグラスを傾けていると私の手に異常を憶えた。薬指の第1間接(爪側)がやけに痛んだ。そこで自己診断してみると、指先を曲げようとするが曲がらない。しかし、左手で曲げると曲がる。大きく腫れてはいないがそれなりの痛みはある。因って結論は「腱が切れている??」だった。さっきの往復ビンタが???まさか???、今まで喧嘩して拳を使えば手が腫れることはあっても骨折や腱の断裂など経験したことがなかった私の手がいや、指が・・・。1日おいて医者に行くと結果は自己診断どおり、「腱の断裂」。いきさつを話すと、ドクター曰く、「往の時はならないけどね復の時にはよくなるよ。知らないのそんなこと。」「知らないのって、私ゃ医者じゃないんだよ」「医者じゃなくたってそんなことは知ってるべきだねぇ何時までも若くないんだから・・・ったく。ほっといてもその内痛みは消えるから大丈夫。だけど、指は曲がらないままだよ。オペする?いっそほっとけば!?」私より3級上の、もう付き合いも20年以上になるドクターはさらりと言ってのけた。「大丈夫ったって、曲がらないなんだろ。指。そんなの当然だろう。するよオペ。」と、全治1ヶ月の、予想だにしない結末となった。因果応報とはこのこと。「むやみに人を叩くものではない」と肝いりした36歳の私だった。因みに「出来の悪いほど可愛い」という言葉を改めて実感させてくれた彼の研修生はその後そういうことは一切無くなり現在内モンゴルに暮らしている。もちろん現在でも私との交流はあるし、一番心配している子でもある。しかし、その彼も今年、43になった。center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月18日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”中国のおばちゃん不法滞在 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 中国のおばちゃん不法滞在 ばなしもう5年ほど前のことかと思う。名も知らぬ留学生の母親を岡山から北京まで連れて帰ったことがある。ことのいきさつは、その夏、私の友人である留学生に「次の週末モンゴルへ行ってくるよ。」の一言から始まった。私の知人「それはちょうどいい。実は連れて帰ってほしい人がいる。留学生仲間の母親が来ているんだがそろそろ、帰らなきゃならない。だけど、一人では帰れないから、人を探してたんだ。」とのこと。そんなのお安い御用と当日、空港ロビーで待ち合わせし出国手続きに入った。当然私は問題なく通過できたのだが、なぜかそのおばちゃんが引っかかってしまい一向に出てくる様子がない。仕方なく引き返し、「何か不都合でも?」と聞いてみた。長期滞在をしているので、「外国人登録カードを出すように云ってるのですが。通じません。そういうものは持ってないと云ってるらしいのですが。」と係官。改めて問い直してみると「私は何にも知らないし、何も持っていない。」「そんなこと云われても・・・」と思いながらも係官に「手続きは留学生の娘がやったらしく、本人は全く要領を得てないようなんですが・・」係官、「実はこちら不法滞在なんです。」私「はい?????不法滞在????」「失礼ですがこちらとはどういうご関係で?」「ご関係も何も・・。たった今そこで逢って、北京まで行くのだったら宜しくと、云われただけの関係なんですけど。・・・・。」それからいきさつを詳しく聞いてみると留学生の娘のところへ来たのはいいが、滞在1ヶ月ほどして、持病の胆石が悪化結局オペをすることになり、治療のため滞在が3ヶ月以上になってしまったとのこと。その間、所謂法定手続きを踏んでいなかったと、云うことらしい。そのことを係官に説明しながら「でもいまさら娘の所へ返すわけにも行かないでしょう。」と私。係官「と、いわれても不法滞在ですから・・・。」「でも、悪意があった訳じゃないんだから・。」「でも原則はねぇ。・・・・ 本来、きちっと調査しなけりゃ ならないことなんですからねぇ。」「でも、何も危険な香がするわけじゃなし。 病気だったんだし。オペしてるし・・・ 調べりゃ判るじゃん。 第一、こんなおばちゃんに何が出来るの。」「そうですよネェ。じゃまぁ 今回は特別に・・・・。ということで・・・」何が「そうですよねぇ」なのかは判らないが、まぁ、意外とあっさり通してくれた。私としては、私が上海、北京と乗り継いで今日中にフフホトに行くことが出来れば、そばに誰が居ようと問題はなく、途中北京で迎えの人に引き渡せばいいだけのことなのだから、と簡単に引き受けたのだが予期せぬ展開にちょっと面食らってしまった。北京では、ちゃんと迎えの人に引渡しそのおばちゃんは長春へ帰って行った。一緒に食事をと、強く誘われたが丁重にお断りし、私もフフホト行きへ。オット、そのときお土産に西瓜、瓜、バナナ等、頂いた果物類は空港にある、首都機場賓館カウンターの小姐に上げると、大層喜んでくれた。もちろんそのとき、「次に来たとき安くしてね・・」と云うと親指を立ててたが、おおよそ顔は覚えていないだろう。もちろん私も覚えていない??かな・・・しかし、このおばちゃん、パスポートを垣間見たとき私より2歳程年上だったが・・・・・・・。15歳以上、年上に見えた。ごめんなさい私はそのとき確か38歳だったと思います。center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月15日
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関係各位拝啓 秋冷の候各位におかれましては日々のブログ書き込みに精励のことと拝察申し上げます。さて、かねてより期待しておりましたところの♪♪♪♪♪オータムジャンボ宝くじはおおハズレでございました。内モンゴルが、羊肉が遠のいた~~いろいろと各位のご尽力を賜りながらも私の精進の至らなさ故か常々神がそばにおわします方とはやはり違うのか、全く、かするにも及ばずのことと相成りましたる次第にございます。ここに我が非力の結果をお詫び申し上げますと共に今後もこの非力な小生を見放されることなく宜しくお引き立て賜りますことを願いつつ、ここにご報告申し上げます。よって、かねてよりの約定でございますが、なにとぞ次回、再度購入致し得る折までお待ちいただきますよう宜しくご理解賜りますことお願いを申し上げます。されば、気候も定まらぬ昨今ではございます。どうぞ御身お大切に遊ばされ、日々お過ごしあらんことを祈念いたしつつ筆を置かせていただきます。 敬白。
2005年10月14日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”眠れぬ夜の赤峰朋友 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。ということで、勝手ながら今日をALA中国リンク記念日に制定します。一切の異議は認めませんので悪しからず。さてさて、となると何か中国に関わることを書かねばなるまい。しかし♪♪♪♪♪私の頭は はあぁ~~ ストップモーション ふぅぅ~~眠れないよるばかり ♪♪♪♪♪やはり中国といえば内モンゴル。これしかない。というわけで、今日は「眠れぬ夜の赤峰朋友」ばなし2003年10月半ば私は友人の公用車に同乗し途中では今年の初雪を見、未舗装ながら開通したばかりの道路を快適に走り、更なる友人に逢うために、アルコルチンから赤峰に入った。赤峰に入り、休息のためにホテルを取ると早々に遅がけの昼食を頂こうという話になった。友人の1人はすでにホテルで合流したが、さらに、私を此処まで運んでくれた友人の元上司を呼ぶことにした。電話をすると「今、他の席にいるので30分ほどしたら行く」とのこと。じゃ、先にやろうと食事を始めて1時間ほど、やっと来ました、その彼が。遅くなったことを詫びながら握手の手を求めるようにまっすぐ私のそばへやってきた。握手をしながら「私には250キロほど離れた所に兄弟が居るが、1年中に1度も行かない。それを日本から何度も来るとは・・・」といって更に硬く手を握り返してきた。数え年でいけば彼は私より2際年下の50際。しかし、その風貌は私よりもはるかに年長であるように見える。因みに私は数えの42歳であった。現在、赤峰市の相当のポストに居るが、何の衒いもなく「アルコルチンでは一番上だったのに此処に来たら、もう一人偉い人が居る」と云って顔をしかめて見せた。この奔放さが好きで、赤峰に着いたら必ず逢うことにしている。更に酒も進み話が弾んでいるうち、我がアルコルチンの友の話になった。彼曰く「アルコルチンの彼は、獣医として学校の専門学校の助手をしていた頃、その人格に惚れ込み、私が請うて政府の仕事についてもらうようになった。こんなに器のある人間は私の周辺には彼をおいて他にはいない」と我が友人を褒め称えてくれた。私が「そういう目をもった人が彼のそばに居てくれるとは私もとても嬉しく思う」と返すと、「そして、日本にもそういう人が・・・」となんだかお互いに誉め殺しのようになったが、この宴会は私の帰りのバスの時間もあり、夕方前にお開きにとなった。お開きの前に「次は何時来る。どこに行きたい。」と彼。「ハルハ河の辺りに・・・・」と私が云うと「じゃ、そのときは私が案内しましょう。 ついでに、小姐も・・」と云って彼はニヤッと笑った。思わず期待と共に高笑いしながら「私も大好きだ。その方面は」というと、彼も高らかに笑っていた。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月14日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”「炒大蒜」 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOALA中国さんよりリンクの申し入れがありましたので快くお受けいたしました。ご覧になってください。今日は 「炒大蒜」 ばなし私の中国の友人達には酒飲みが多い。特にモンゴル族には大酒呑みが大勢居る。別に彼らの向こうを張って居るわけではないが彼らのうち、或いは彼らの友人のうち誰かがダウンするまでは呑み続けているらしい。「らしい」というのは私自身、その辺りの記憶が不確かな場合、いや、もっと言えば全くもって何も想いだせない場合が多いからである。記憶がなくなるまで呑み続け、気がつけばベッドの上ということがほとんどである。友人達に「昨日はどうだった。」と訊くと「大丈夫。みんな楽しかった。」と云ってくれる。そして、そういう言葉をまともに信じる私はいつも記憶が無くなる。乾杯に乾杯が続き、宴たけなわになる頃友人に「おいあれを頼んでくれよ」と云うと「あれですね。あのものですね。」と返す。「そう、あれ。」「やっぱり、あれが要りますか。」「あれがなきゃ、また死んじゃうよ。」「最近ちょっと歳をとりましたか?」「馬鹿。うるせー。 君たちとは10歳違うんだからなっ。 色々大変なんだよ。」と開いた手の指を差しながら「これが、30代。これが40代 歳によっていろいろと変化があるんだよっ。 だから、肝臓も大切にしなきゃ色々と 問題が発生するわけよ。」「はいはい。」とこんな会話で、宴会の最中必ずオーダーするのが今日の主題の「あるもの」である。そこで今日は、この酒席に欠かせない「あるもの」を紹介しておこう。「炒大蒜」。もちろんメニューにはない。特別な料理ではないが、高級レストランでもオーダーすればもちろん作ってくれる。ニンニクを炒めて”塩コショウ”だけのシンプルな味つけである。ただ、味付けは色々でかまわない。例えば酢醤油でも、ソースでも醤油マヨでもOKである。本人の好みに合わせればよい。これを食べれば肝臓はその機能を最大に発揮し、アルコール分解能力を飛躍的に高め、後に発生する「アセトアルデヒド」の発現を効果的に抑えてくれる。よって不愉快な二日酔いに悩まされることもなく、酒が残っていても、非常に心地よい状態を提供してくれる。時間とお暇の許す方は是非一度おためしあれ。「炒大蒜」実に妙薬である。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月13日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”中国 新中産 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAO今日は 中国新中産 ばなし最近は上海で長居はしなくなったが中国へ来初めの頃はあちこちと歩き廻った。特に旧日本租界は開発から取り残されたように60年前の姿が色濃く残っていた。「犬と中国人はいるべからず」と書かれた立て札があったといわれる公園、魯迅旧居、内山書店跡、スメドレーの暮らしたマンションなど色々有る。もちろん旧跡の、その全てを廻ったわけではなくただ租界のなかをぐるぐると巡っていたらたまたまそういう所に出くわしたというのが正解かも知れない。その頃、一部の内国人がこの租界に自由に出入りし、それが出来ることが富や権力の象徴であり、ステータスであるかのようにいわれたことがある。今、新しい租界が生まれつつあるように思う。一部の中国人しか行けないであろう店や住居群の乱立。そこに集い暮らすことが、まるでステータスの証しで有るが如くにあごを上げて出入りする新中産。ビールの注ぎ方も飲み方も知らない人間がビール談義に事寄せて、「ここのピザは上手い。」「ビールは○○がいい。」とか「ワインはこれが甘くていい」「このロックは本物だ」などとジャズを聞きながらホザク。中身がないのに知ったかぶりするんじゃネェ。プレスリーも知らないでロックを語るな。コルトレーンを知らないでジャズを語るなもちろんデビス、サッチモは言わずもがな・・・・8月に行った、新天地での一コマである。国に歴史があるように音楽にも映画にも歴史はある。君たちが今聞いてる音楽はつい最近のものでしかない。この音楽が出来た過程を知ってから論評するようにすべきだろう。自国の歴史にはなるほど詳しいかも知れないが、他国の歴史を知らなさ過ぎる中国人。歴史だけではなく全てに意識を向けるべき。まだそこまで大人になれないかだから4000年変わらない。♪♪♪♪♪ブンナよ木からおりてこい♪♪♪♪♪こんな積もりじゃなかったけれどまた、ほざいてしまった。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月12日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴル列車トイレ始末記 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAO今日は 内モンゴル列車トイレ始末記 ばなしその日、集寧から通遼往きの列車に乗っていた。窓の外にはただただ真っ白の雪原が広がっている。窓枠の水滴は凍り、そこ此処から凍てつく風が吹いてくる。おそらくマイナス20度以上の外気温は2重になった窓を通り抜け直接肌を差してくる。集寧を出てからおよそ7時間、「正藍白旗」という駅に着いた。時刻は午後10時前である。日本のように何分程止まるとか、「停車時間は何分です」などのアナウンス全く無い。少し長めの停車時間が気になり始めた頃後方のデッキの辺りから車体のどこかを叩くような「ガーン、ガーン」という響きのある音がしてきた。デッキに行き外を覗くと、女性車掌がハンマーを振り上げホームとの隙間からデッキ下の左側の何かを叩いていた。私もそれが何かを確認すべくホームに降り、近寄ってみると、そこには、なにやら氷の塊のようなものが凍り付いており、それを落とそうとてこずっているようだった私より先に降りていた恰幅のいい男性に「何をやってるの」訊くと車体の叩いている上辺りを指差しながら「ここはトイレだろう」。「あ~~~っ。じゃ、それは・・・・」その男性はニコニコ笑いながら頷いた。「オーッ」と私も頷いた。女性車掌の力ではなかなか埒があかず、その男性が車掌からハンマーを受け取り、渾身の力を込めるようにして何度か打つとその塊はバラバラッと線路の上に砕け落ちた。薄明かりの中、散らばったものを良く看るといかにもなるほどと納得できるものだった。夜になって一層寒さが増した外気は本来流れ落ちているはずのものを排水口の外側に凍りつかせてしまっていた。この作業を待っていたわけではないのだろうが程なく列車は次の駅へ向かって出発した。やがてまたこういう時期やってくる、中国・内モンゴルトイレ始末記である。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月11日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”チョコッと内モンゴル ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAOいよいよ秋の気配が漂ってきた。今日の鳥取は20度ほどしかない。汗っかきの私にとってはありがたい季節である。これから厳しい寒さが始まる内モンゴルでも朝晩はそろそろ氷点下になる頃だ。と言うわけで、今日はチョコッとモンゴルばなし一昨年のの10月7日は銀川から東勝まで、費用80元で6時間のバス移動。そこから更にタクシーに乗り換えエジンホロである。2年ぶりのエジンホロは大きく変わりかけていた。中心部から1キロほど離れたところに新都心を建設中である。ここも開発されて味がなくなるのもそう遠くはないだろうが、どこへ行っても同じようなつくり方では全く退屈する風景になるのだが、その土地の人にとってみれば新しくなり都会的になることは嬉しいことらしい。「何でそうなるの???」とは、云わないが・・・・・・。さてそのエジンホロ緑の増えた風景に満足しながらいつものように「ジンギスカン陵」の入口にあるホテルへ入った。我が友人はこの辺りでは顔が通っているからかどうかホテル代を安くしてもらっていた。。1泊80元で控えの間つき、内装良好。ベッドも新品。家具も新品とリニューアルしたところらしいその部屋は、そこまでは5星並だった。が、しかし、我が友人、ニタッとしながら洗面所のドアをあけた。「立派になったであろう」と洗面所を見て「さすが、中国。さすがモンゴル。 イヤー立派だよ。ギャハハハハ」と目は点の高笑いだった。我が友人も「そうですねぇ。ここは中国です。モンゴルです」と心得た返事を返し、再びニタッと笑った。便座は便器の上に斜めかかり、明かりも床も前と変わらず薄暗い。シャワーを浴びるのに床のぬめりが気になるようでは中国貧乏旅行は難しいがさすがエジンホロ。乾燥しているせいか、もっと安い部屋でもヌメリはない。この部屋、改装途中なのだそうだが、私は「まぁ、部屋がきれいだからいいよ。なんと云ってもこれで80元は安いよ。充分、充分。贅沢だよ。」だった。どうせ飲んだくれて寝るだけである。控えの間で二人きりの大宴会の開始で有る。ひとしきり飲んで騒いでいると「先生、そろそろ歌を聴きますか」と彼。「もちろん。あの歌を聴かないと モンゴルに来た気がしないなぁ・・。」「じゃ呼んできます。 少し高いですけどいいですか?」「日本人嘘つかない。大丈夫」「じゃ、500元いいですか。」「大丈夫。いくら貧乏でもそれくらいあるよ。」と待つこと10分程。さっきまでゲストハウスでやっていたモンゴル民族舞踊の一団から5人をつれてきた。「控えの間」は、こういう目論見があったのか、いつも頓珍漢なことをする子なのにこのときは段取り良くことを運び、いつものように記憶喪失の朝がきた。音に酔い、酒に舞、歌に泪のエジンホロ。ジンギスカンもさぞ喜んでくれただろう。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月10日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”内モンゴルで、涙チヨチョ切れ ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAO今日は、涙チヨチョ切れ ばなしある年お土産用として「シバス」を1本とナイトキャップ用として贅沢にも「バランタイン30」を1本持って入った値段は10倍以上違う。宴会を始めるにあたって「シバス」の封を切り、飲み始めたがそんなもの5人で飲めばすぐに空っぽ。続いて「モンゴル王」もじきに空っぽ。その頃になると程よくよいが廻り始める。ここで私の「スケベ心」が動いてしまった。ついつい「もう一本ウイスキーがあるよ」と口が滑ってしまったのである。上手い酒を飲ませてやりたい気持ちが半分飲ませるのがちょっと惜しいという気持ちが半分づつない交ぜになりながらも口が勝手に・・・・・・・。云った以上は出さないわけにはいかず、封を切った・・・・・・・。友人の一人が試し飲みをすると「うん?これはいい酒ですぇ」とダブルを「キュッ」。これを見ていた他の友人達もダブルを「キュッ」。「キュッ」。「キュッ」。「キュッ~~」と・・・。見る間にボトルが半分空いた・・・・。「もう一杯」と注ぐと「キュッ」。そして「キュッ」。「キュッ」。「キュッ」。お化けの「キュッ~~~」。ものの15分もかからないで1本が空~~。「シバス」はいい。でも、「バランタイン」は「バランタイン30」は・・・・・。そのアトの「蒙古王」は全く味がなかった。♪♪♪♪あけた男が馬鹿なのか飲ませた男がばかなのか空いたボトルに唇つけて咽び泣くよな夜がきたそんな男のフフホトブルース ♪♪♪♪♪♪ はぁ~~~っ。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月09日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”小三峡で チョッといいはなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAO今日は、小三峡で チョッといい話98年2月、春節の最中三峡下りに出かけた。重慶について2日後の乗船だったが予約客はあまりなさそうだったのに30人ほどのツアーが成立していた。ツアーの一員に以前、久留米に暮らしたと言うアメリカ人夫婦がいた。このご夫婦の周辺にいつも若い女の子達がいて英語で話し掛けているものだから勝手にどこかの大学のゼミの旅行かと思っていたがそうではなく、たまたま乗り合わせ、船室が同室になっただけの関係だったそうだ。私がひとり旅をしているのを察したらしくその後夫婦の奥方の方がしきりに英語で話し掛けてきた。私も最近は英語をほとんど使わないので単語としては中国語のほうが先に出てくる。そういう状態では会話もなかなか成立しにくいのだが簡単な言葉を使いながらもなんとか適当な会話をしていた。小三峡に行ったときのことである。渇水期のこととて舟艇をすりながらの遊覧だったがいよいよどうにもならずスタックしてしまったときのことだ。牽引してもらう船の到着と離礁に2時間ほどとられ本船へ帰るのが明らかに3時間ほど遅れることになった。程なく同行していた中国人のうち10名ほどとと香港からの二人連れがどうしても通りがかった別の船で帰ると主張しはじめ、舟底が支えたままの船を何とかして岸につけろといきまいてる。船長が話をつけたらしい船がそばにきて乗り移ろうとするがあまり接近できず船の舳先から川岸までは5メートルほどだったが一度川岸におり、下手に移動して乗り移ることになった。12人が下船した直後、さらに別の船が少し沖合いを通過したその時、その船の横波を受けた私達の船は大きく、転覆しそうな程傾いた。私とその老夫婦がほぼ同時に英語と中国語で「動かないで!!!!」。「機を見て敏」とはこのこと。船長がすかさずエンジンを全開にすると船はスムーズに離礁しバックした。盛大な歓喜の声と拍手が起こる中、降りた12人を見捨てた私達の船は軽くなった船体共々、悠々と帰っていった。私達は思わず「ガッツポーズ」その後1時間ほどして彼らも本船に帰ってきたが結局その日は5時間ほど出航が遅れた。そのご、この老夫婦とはそのツアーの間じゅう仲良く過させてもらったが、武漢で別れを云い行動を別にした。慌てるこじきは貰いが少ない。天は彼等を見放した。<center>★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月07日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”北京の善人 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。無料のインターネットテレビを発見した。中国ドラマがありますぞ。今まで全く気づかなかったが、勉強にはなるかも・・GYAO先日はスピカオードリさんの3000番の切り番を踏むやら今日はただの中国語番組を放送するテレビを発見するやら、そんなこんなでここ何日かはラッキーデイが続いている。なにやら近い感じが・・・・・・・ぐふっ・・そういう気分のいいところでちょっと気分のいいはなし。今日は ”北京の善人”ばなし2000年7月のこと、前日上海入りした私は北京を1時半頃に発つフフホト往きの飛行機に乗るべく北京空港に降り立った。チケットを購入すべくカウンターに行くと予定していた便はすでに満席。夕方の便しかなかった。仕方なくその便を抑えたが、もてあました時間をどうするか、荷物を肩に取敢えずと西単に向かったが、「黒車」を使ったのでタクシー料金は200元だった。車を降りた私は昼時でも有り、たまたま目にしたピザ屋へ入り一枚頼んで「誰が食べる」と吃驚する店員の意味がわからないままに辺りを見渡すと、なるほど皆、1/6ピースしか食べていなかった。日本では1枚ぐらい当たり前だろうと思いながら出てきたものをすっかり平らげると店員を見やった。すると彼の店員さんも横目に観察していたらしく改めて、あきれたような仕種をしてみせた。勘定を済ませ、表に出、長安街に出かかるとちょうどタクシーが止まっており、不思議にその運転手と視線が合ってしまった。視線に誘われるように車に乗ると「夕方まで時間があるからどこか いいとこないか」と聞いてみた。年の頃60前後と思われる彼は「何回ぐらい来た?」「北京は10回ぐらいだろう」「頤和園はどう」と聞くと「時間が足らないだろう」等と話しているうちに、ふと「盧溝橋」が頭をよぎった。7月7日からそう遠くないこの日久しぶりに行ってみるかと、「盧溝橋に行ってよ」と云ってみた。「盧溝橋?・・・好」と云うと車を出した彼は走り出して数分後、独り言のように「盧溝橋がどういうところか知ってるか」と云った。暫らく間をおいてから、少しとぼけて訊いてみた。「さっき言った意味は、 その付近は車がないということか」と。「・・・・・そうだ」内心「云いたいことはわかってるよ」と思いながらも「じゃ、まっててよ。1時間ぐらいだから」。「押金を預けておいてくれたらいいさ。待つよ」。到着して「押金」を200元払い、かれこれ1時間半も発った頃、車に帰った。「こんなに長く待つとは思わなかったよ」と彼。「しっかり勉強してきたから・・」と私はニヤッと笑って見せた。彼はその笑にはまともに答えず「じゃ、行くか」と車を出した。走りながら、今度は比較的ゆっくりの北京語で「アンタも時間は充分有るだろう。 空港へは高速を通らなくてもいいだろう」「いいよ、だって6時頃迄に行けばいいから」「じゃ下の道を行こう。」「じゃ、途中で何か食べようよ」「何でもいいか・・」「もちろん。」「ちょっと郊外に出て麺はどうだい」「当然いいよ」車を止めたのは、新しく派手なマンションが建ち始めた一角の、小さいが小奇麗な店。(余談ながら、主のオバサンは太かった。)まぁ、そこそこの味の「牛肉麺」を食べ空港に着いたのは6時半頃。料金を払おうとメーターを見るとなんと140元弱。あまりの安さに「間違ってないか」と訊くと「こんなもんさ」「じゃ」と返して貰った「押金」をそのまま渡し「おつりはチップだよ。アンタいい人だねぇ」と言うと、嬉しそうな表情に、軽い敬礼をつけて答えてくれた。空港から西単迄が200元。西単から盧溝橋経由空港が140元。なかなかの北京である。充実した北京の半日を過したその日私は気分よくフフホト往きに乗った。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月06日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”日本と中国 ばかばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。先日の馬鹿女以来どうも女に関する苛立ちネタが頭をよぎるそんなわけで今日は、日立には悪いがインスパイアー ネクスト日本と中国ばかばなし歯茎をしっかり見せて、口を横に開いて「ははしはかんなぁ~い」。「え~っ。うそ。まじぇ~・・・」「それってぇ・・・・・・みたいなぁ」。おまけに答えは全て「半クエッション」。ガキがただの流行と使うのはまだしもか、飾りたくったブタまでがこれを良かれとまねをする。このブタども不思議なことに話すとき、誰にも納得してもらえない意見と知ってか知らずか、一人納得するようにやけに首を縦に振る。馬でもあるまいに。ブタはブタだろう。まぁ、ブタも交配を重ねれば馬にも鹿にもなれるかも知れないが人様にだけはなれねぇよなぁ。ところが、女だけかと思ったこの症状。大方の馬鹿男にも感染していた。50面下げた男が「え~っ。うそ。まじぇ~・・・」「それってぇ・・・・・・みたいなぁ」。おまけに答えは全て「半クエッション」。話をしながら首を縦縦、口は横横。話し終わっても口は開いたまま。「ポカーン」この世には考えられないほどの馬鹿が存在するものだと思う。何でも他人のまねをしなければならない性分の国民だからなのか、単なる馬鹿か、こういう人間が為政者やマスコミに利用され世を危険な方向へと流れさす。日本も100年前と変りゃしないか・・・。しかしまぁ、変わらない国はやはり中国。4年ほど前のこと。銀川から国内線に乗るため団体でチェックブースを通過しかけると、中国人グループが割り込んできた。私が「団体だから後に並んでくれ」と云うと「俺たちは急ぐんだ」。じゃあちょっと拝見と搭乗券を見ると我々より1時間も後の便。「俺たちの方が先きに出発だろう」といっても割り込みを中止しようとしない。そのとき私たちに同行していた上海農業局の友人が雷を落とした。「そのパスを持っていれば、お前達が乗らなきゃ 出発しないんだ。後に並べ」と。その一言で珍しく検査官が動いた。「うしろ。後に並べ」と手で指図をしている。もちろん私も尻馬に乗って「彼のいうとおりだ。並んで並んで・・」と。おう。これで一見落着と思いきや、私たちの団が半数ほど通過したとき突然、乳飲み子を抱えた女が割り込んできた。この騒ぎを見ていたであろうにと思いながらまたも「団体だから後に並んでくれ」と云うと「でもこんなに小さい子がいるんだから・・」と赤子の頭をなでている。 「だから、さっき彼が言っただろう これは団体だからチェックは 一緒にする必要があるんだ。」といっても下がろうとしない。係官はその女を無視して我々を通過させようとしているのにゲートを半分ふさいだまま動こうとしない。ここで「私」の出番到来。「就是中国。没文化」と聞こえよがしに云うと、さすがに辺りに気まずい雰囲気が流れたが、そんなことは知ったこっちゃない。事実は事実と、周りを無視して苦虫噛んだような顔をしている検査官からビザを受け取り「さぁ行きましょう。」と一団を促し中に入った。その後、乳飲み子女がどうなったかは知らないが、分別のつかない馬鹿はそこにもいた。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月05日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、ブタのメイクと日本人 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。日本人のおばさんメークと中国人スッチーメイクもう5~6年前だと思う。上海で乗った岡山往きの飛行機にいかにも「ざーます夫人」てぇのが一団乗りこんできた。見るからに品のない肩を左右に揺らしながらの歩き方をし、どこかのブランド物らしい物を着てはいるんだろうが全く品のない着方。挙句の果てがその話し方。「私たちは上流よ」とでも云いたげに、「中国はもう2度とねぇ・・・」「あたしは、現地の添乗員に 中国は40年遅れてるは・・ と、云ってやったわ」「アタクシなんぞとてもとても 奥様のようには・・ホッホッホ・・・」等とのたまわっていた。私の真後ろの席だったのでその品のない話し方といい、話の内容といい耳障りだったものだから、「悪いけれど機内だから少しトーンを 落としてください」といった。それを聞いてババァの反応「あら、失礼いたしましたわ。 前の方がうるさいんですって!! でもねそんなにでもないのにねぇ・・・」全く反省の色がない。そこへスーッチーが新聞とか毛布などをもって機内を歩いてくるとまたまた声高に、「まぁ、見て、あれ、み~んな一緒。 個性がないのよねぇ。 メイクの仕方も教えて挙げなくっちゃ」「ネェ。」「そうよネェ」この後眉のひき方がどうのこうの、ファンデーションが濃いだの薄いだのリップの色がどうのと、例の独特の上品気取りの話し方でホザクホザク。ババァども。いかにも聞き苦しいので私は立ち上がり、キッチリと後を向き「お三方、今日のメイクはなかなかノリが よさそうですよ。スッチーとは 比べ物にならないぐらいイイワー。 さすが日本だよねぇ。メイク次第で ブタでも人間の面構えになるんだねぇ。馬鹿 テメェらがどれほどの着こなしをしてんだよ。 いかにも品がなさ過ぎるよ。オバサン。 第一、日本語もまともに話せねぇような奴が 3人前の日本人面するんじゃねぇよ。 テメェらのどこに個性があるんだ。馬鹿。 そういうみっともない奴が日本人面してるのは 全く腹がたつぜ。オバサン、 いやさババァ 何でもいいから黙ってろい。 全く気分がわるいわ。へっ」 ちょっと長台詞だったがキッチリと言わせて貰った。その一団の男どもから何がしかの反応があるかと思ったが何もなく、着陸するまで比較的静かだった。しかし、降り際に、イタチの最後っ屁なのか「もう2度と岡山なんかには来ないわ」とのたまったババァがいた。私も負けずに「2度と中国に往くんじゃネェ。 中国はなぁ、まともな日本人が往くところさ ブタが云っても始まんないよ。 次に行ったら揚子江に浮かぶぜ。 ハッハッハツ。へっ!ブタめが」女に限らず男でももちろん、この手合いは結構いるが、はっきり云おう。「中国にブタは往かぬこと。食っちまうぞ。」当然、まずくて食えないだろうが。因みに高松の一団だった。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月04日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、香港人とモンゴル族 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外 合掌・合掌 また 合掌 なにも言わずにただ合掌この「財神到」は風任さんご推奨です。今日は 香港人とモンゴル族2001年の1月。その年は暮れから中国に入っていたは、銀川からいつもの列車で、「パオトウ東」に到着した。何故いつも「パオトウ」ではなく「パオトウ東」なのかというと、こちらのほうが、バスの駅もあり、タクシーも多く後のの行動に便利だからである。その日は少しリッチに星つきのホテルに泊ろうとタクシーに乗った。客待ちの運転主君は22~3才のお兄ちゃん。指名すると嬉しそうに車に案内してくれ、乗るなり、やけに親しげな声で「大哥、どこに行く」。私「ホテルを探したいんだ」彼「大哥、三ツ星以上の・・・・・」私「そう、安いとこあるか?」彼「大哥、有る、有る」話好きなのかこんな調子でホテルに着くまでの15分程、彼との会話が続いた。その中で「大哥、どこから来た。」それ来た。内蒙古以外をを旅行するとき、特に、南の方へ行くときは、いつも、大体、ほとんど「内モンゴルから来た」と云っているので、その日はタクシーに乗る前から心の準備をしていた。そこで、私「香港だよ。行ったことあるか」彼「大哥、ないよう。」私「そう、いいとこだよ。一度おいで・・」彼「あはは、大哥、そりゃ無理だよ」 でも大哥、香港ではタクシーの稼ぎはいい」私「まぁ、まあだろ。でも、日本より良いらしいよ」彼「大哥、日本も行った事がある??」私「有るよ。30回ぐらい」彼「30回。大哥、そりやすごいよ。 大哥、何の仕事してる」私「・・・・・。服装方面だよ」などと口からでまかせを話していたが、だんだんと危ない雰囲気になってきたが、そのうちついたホテルが「天外天賓館」。お金を払い車を降りてフロントに行くと彼がついてくる。頼まないのに値段交渉をしてくれ、おおよそ半額になったのは良かったのだが、「もう良いよ」と云いながら、身分証代わりのパスポートを出すと「エイ、大哥、日本人か・・・」私「すまない。そうなんだ。日本人なんだ。」彼「大哥、道理で、言葉が南じゃなかったよ」私「わかったかい?」彼「大哥、私は遼寧だ。 北の言葉に近かったから・・・」私「それはありがとう。嬉しいよ」と答えては見たが彼は呆れ顔をしていた。何にあきれていたのかは知れないが「大哥」のお兄ちゃんと、「似非香港人」のある日の出来事だった。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月03日
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アレルギー対策は、フリーページをどうぞ。私には、確実に効果がありました。 今日は”今日は、旅行社の馬鹿女 ばなし ”です。ちょっとだけプレイバック ”コングル山 と 青海湖”タシュクルガン道からコングル山 タシュクルガン道カシュガル郊外月が変わってしまった。あり前のことながら放っておいても時は過ぎてゆくが、その流れる月日の中でまた2人、馬鹿女を見つけてしまった。それも、日本の某、私の暮らす町の中で中国によくいる似非文化人的、或いは、似非中流的自惚れ女、もっと云えば、利口づくりの似非キャリアウーマン的馬鹿女。その馬鹿どもの居場所は私がバイトで出かけるY旅行社。彼女達はそこの内勤社員。気に入った人間とチャラチャラしていてまともに仕事が出来ない馬鹿女に、いや、仕事とは何かが判っていない馬鹿女に添乗業務に必要な書類のプリントアウトを依頼したところ何時までも出てこない。「まだ出ないの」と訊くと、「出てます」とプリンターを指差す。「あんたねぇ、依頼した仕事は きちっとフィードバックをしろ。 こっちは待っているんだよ。 そんなこと当たり前だろう。」と私。必要書類を持って別の場所で行われるミーティングに移動中、彼の馬鹿女から携帯に電話が入った。オフィスを出て5分後である。「さっきはすいませんでした。」と、ここはまだ、少しは救える過渡思った瞬間、次の台詞「だけど、アンタ呼ばわりされる憶えはありませんから。」とのたまい一方的に電話を切った。それを聞いた私は思わず、「ボケッ。死ね。馬鹿か!!」その後に会食の席に同席したもう一人の馬鹿女とくだらない話でワーワーキャーキャー。箸もまともに使えないガキが3人前にほざくな。まぁ、何を云われても相手にする気はないが厳しく接してやろうと思う。仕事は仕事。ねっ。★★★★★★ 上海問屋さん ★★★★★★★★★★★★★★★50代以上ポイント2倍
2005年10月02日
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