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痛みや苦しみの伴わない愛なんて愛とは呼ばない、なんていうと、それってSMの世界か?と誤解される方も、もしかしてこの世にはいるかもしれません。でも、違うのです。そういうことではないのです。真実の愛・・・それって一体なにか?僕がこの自問を内に宿す時、先日にテレビで放映された亀田選手と内藤選手の世紀の一戦の舞台裏に迫ったドキュメンタリー番組が脳裏によぎります。つまり、なにがいいたいのかというと、 ”親子愛” に集約される感動のドラマ、これに尽きるのではないか、そんな風に思うわけです。当然、男と女の間の愛も、時に真実の愛に発展することもあるでしょう。でもそれは欲情の炎で燃え果ててしまうケースが殆どであるといっても決して過言ではない。そこから、さらに一歩、その勇気在る一歩を踏み出せないまま、別れのドラマにエンディングの花を添えてしまう、そんな若気のイタリアンたちの何と多いことか。で、さきほどに日記で紹介したダイアナ・ロスとライオネル・リッチーが詠う永遠の名曲「エンドレス・ラブ」のPVを例にとれば、主人公の若いカップルたちがベッドでイチャイチャする愛欲の炎のシーンにばかり目を奪われるのではなく、ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーの見事な歌唱力、そして、その絶唱ともいえる二人のハーモニーが重なり合う曲の後半部分にこそ、心を奪われ感動の涙を流してほしいのです。なんて冗談風に書いてますが(笑)、でも、これって半分冗談、半分はマジですよ。本当、こうした事柄を綴ってゆけば非常に長い長い日記文章になるでしょうし、いや、ならなければおかしい。それほどに、この世の重要な真実を含んだお話であると思うから。痛みであるとか苦しみの季節を経過せずに、人生の成功者になれた人など、この世には、一人さえ、いないのでありまする。それは、愛も一緒でしょうし、友情だって家族愛だって仕事だって、きっと何だって同じことでしょう。美しい虹というのは、激しい雨、鬱々とした雨が過ぎ去った後でしか、空に浮かばないものです。人の心に浮かぶ希望や喜びだって一緒。しかも、瞬きの如く一瞬にしか姿を現してはくれない。だけど、その一瞬があるから、人は生きてゆけるのです。女神に出会えた喜びに心の底から感謝することが出来るのです。 では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今年もあと僅かとなってまいりました。今年の後半は、ちょっとシリアスというか、マジっぽい日記が多かったかなあなんて振り返っています。なので、たまにはギャグ炸裂な日記で一年の締めのひとつを飾ってみようか?みたいな(笑)。まあ、こういうことも大事なことだと思います。アクセス数は増えているのに、それに半比例するようにコメントの書き込みが日増しに少なくなってゆく原因もおそらくそこらへんにあるような気がしますし。自分としては先日のジャニス・ジョプリンのことを書いた日記みたいなのにアクセスが洪水のように集中してくれるとすごく嬉しい、なんか報われる気がするってなもので・・・これは本心だったりもしますが、でもねえ、あんまりマジな日記ばかり読まされる立場になってみたら・・・・・・疲れますよね、きっと(爆)。笑さてと、2009年に残された日数はあと僅か。今年はあともうひとつくらい後にまで残す日記を発信したいなあと考えている次第です。おそらく桜井章一さんのことを綴った日記になるかもしれません。まあ兎にも角にも、今年もあと僅か。気合入れて仕事に励み誠心いたしましょう♪ で、その後、温泉にでも行って、ゆったりしましょう(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.12.21
仕事納めの前の日、連休に入ったら一週間くらい、ただ眠っていたいと考えていました。なにもせずに、ただ瓦礫のようにひたすら眠りたいと願っていたのです。しかし、いざ連休がスタートしてみて驚きました。昼間にふと空を見上げて、驚いたのです。「こんなに空って美しかったっけ・・・・・」と。ちょっと反省。というのも、多くの人にとって仕事に費やす時間というのは一年の中でかなりのウェイトを占めますよね。そうした日々の中で、空を見上げて ”美しい” と感動する時間があまりないということは、一年の中で、そういった感動でもって心に栄養を与える時間を自分が持ち得ていないということを確実に示していると考えるからです。そんなわけで来年の抱負のひとつ、思いつきました。-----仕事に追われるばかりでなく、その、追われる日々の中であっても、空を見て美しいと感動できる時間を沢山持てる、そんな心の器を自分自身の内に育む-----まあそれはそうと、連休がスタートする前には、お正月休みが一週間もあるって凄い!ってワクワクしていたのだけれども、しかし、よおく考えたら、一週間なんて短すぎるよう気がしてきました。一週間で一体なにが出来る?そんな短いタイムスパンで、どれだけ自分に栄養を与えることが出来る?心底リセットできる?どれだけの素晴らしい貴重なる本を読むことが出来る?良き映画と出逢える?心が躍るような場所にどれだけ訪れることができる?ううう・・・なんか、けっこう難しいですね(爆)。 今日の日記は後で消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『喜びも愛も心の奥に仕舞いつつ、冬の光に照準を合わせ』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.12.20
日々の生活の中で、「もう、いやだ」なんて風に、くじけそうになることって、ありませんか?この日記を今読んでくれている、あなたにだって、きっとありますよね?そんな風に思ったことの一度や二度、誰にだってあるはずです。そんな時に、あなたの心を立て直し、奮い立たせ、背中を押してくれるものは、一体、何ですか?。ボクシングの内藤選手が、これまで厳しい練習を耐えながら頑張ってこれたのは、自分の小さな息子の笑顔があったからだと、先日に放映された番組の中で話していました。さて、あなたの場合、何が、あなたの勇気を支えてくれているのでしょう?。僕の場合、これは、いろいろあります。そうした色々ある中で、20代の後半から現時点において、一番大きいものを記せば以下のようになります。過去に出逢い、とてつもなく大きな影響を受けた、人生の道標となる人物から投げかけられた言葉を思い出すこと。そして、もし仮に、あの人物と再会した時に、今の自分は、あの人物と再会するに恥じない生き方をしているだろうか?と自問すること。そんな風な自問が内に生まれる時、自分の置かれた状況なんて、本当は実に甘いものかもしれないと奮起させられるのです。自分なんて、まだまだ甘ちゃんじゃないか・・・どうして、こんな程度のことで負けそうになってるんだ。たいしたことなど何もしちゃいないのに、どうして、こんな程度のことでダウンしそうになってるんだ?。あの人に会わせる顔もないじゃないか。恥ずかしい限りだ・・・・・。そういう風に思えてくることで、少しずつ心に沸き起こってくる炎。これは、すごく大きい。あなたの場合、何が、あなたの今を、明日への前進を、支えてくれていますか?。負けそうになっている時に、あなたの背中を押してくれるものは何ですか?。 では、また次回の日記で逢いましょう! ^-^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「誰が為に鐘は鳴る」そんなタイトルの古い外国映画があったような気がします。どんな映画なのでしょう?まだ見たことないんですが。それはそうと、今日の日記を読んで思ったことを、気兼ねなく、あなた自身の言葉で素直にコメント欄に書き込して下さいませ。きっと、そのコメントを読んだ僕のみならず、書き込みをしてくれた、あなたにとっても何か大切な事柄を齎してくれるかもしれません。こういうテーマの日記って、おそらく誰にとっても無縁の話題ではないと思うんですよ。勿論、いまこの日記を読んでくれている、あなたにとっても。人間にとっての永遠のテーマのひとつであるとさえ思うんですよね。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.12.06
日々の生活の中に、心と体に潤いを添えてくれる何かを持つことって、とても大切なこと。ひとつでも、ふたつでもいいのです。美しく香りの良い花のような、そんな潤いを齎す何かを持っていることは素晴らしいことだと思います。草原に咲き誇るほど、あふれんばかりの花々でなくてもよいのです。小さくてもいい、たったひとつでも、ふたつでもいい。心に栄養を与え喜ばせる花を持つことが大切。それがあることで自分の心の中に平穏と温かさを保つことが出来る、それがあることで、心の中心に戻ってこれる、それがあることで日々の暮らしに彩りが生まれる。そうした花を自分自身が知っていて、暮らしの中で大事に育むことが出来るのと、そうでないのとでは、生き方そのものに、大きな違いが出来てくるはずです。幸福と不幸を隔てる一線が、そこにあるかもしれないと言っても決して過言ではないでしょう。人生に本当に必要なことを見極めるって、きっと、何が自分にとって大切な ”花” なのかを模索し、そうと思える花を探し、そして大事に自分の心の中で育んでゆく日々の中で培われるのだと思います。 たとえば僕にとっての、上に記したような ”花” は何かと自問すれば、現在のところ、次のようなものになります。■ 仕事を通じて出逢った人々との交流の中で生まれる笑顔・・・まあこれは別に仕事でなくても何でもかまわないのですが、出逢ってくれた人との間に生まれる嬉しい感情を端的に象徴するものとして「笑顔」をまず一番にあげてみました。■ 音楽・・・素晴らしい旋律の響きに、心が至福の感情で満たされる瞬間。それに加え、心があらわれるような素晴らしい映画を鑑賞して感動すること。■ 日々の生活の中の、あたりまえのように思えるような、普通のこと・・・たとえば疲れて帰宅し、お風呂に入っている時に「ああ、幸せだなあ」と思えることや、喉が渇いているときに透き通った水を飲んだりする時に感じる幸福感。さて現在、テレビや新聞を賑わせている暗く重い報道の数々。まるで現在の日本が、暗いトンネルの中にいるかのよう。出口が見えている人は稀かも知れず、多くの人は大きな不安を隠しきれずに過ごしていることでしょう。だけども、不況で大変な御時世だからこそ、上にあげたような ”花” を、感謝の想いと共に大事にしたいと思うのですよ。不況だからといって暗い表情をしていたら、そこから抜け出すことは益々困難になってきます。ただでさえ暗い報道ばかりが駆け巡る御時世。そんな世の中で、暗い表情で沈みがちな人に、誰が仕事を発注したいと思いますか?まず、いないでしょう。皆、なんとか明るい方向へ向かいたいと願い、なんとかやりくりをしているのだから、少しでも自分が前向きで明るい気分になれる相手と、仕事であれ何であれ一緒の時間を過ごしたいと考えるのが自然なことなのだと思います。これは当然の話。多くの人が今、負のスパイラルから抜け出そうともがいているのですから。だから、地に足を確かにつけて、且つ、笑顔を大切にし、泣き言をいわない。自分の心の中で日々大事に育んでいる ”花” が自分を助け、そして他者の暮らしにも笑顔と感謝を運ぶ・・・そのような ”光のスパイラル” に自分が一歩一歩近づいてゆけるように心がけています。季節も、そして世界経済も寒い冬の真っ只中なことは確かですが、上に記したようなことを地道に行っていれば、今はどんな状況でもあっても、道は開いてゆくものです。今は厳しい寒さでも、少しずつ、あたたかな光が差し込んでくるものです。どんな時代であっても、恋するような、花の彩りを、自分の生活の中に育くむことを忘れないようにしたいです。 いま、あなたにとっての ”花” は、どのようなものですか?。 そして、冬の季節を乗り越えた後に、どのように咲かせたいですか?では、また次回の日記で逢いましょう☆>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 随分前に、ある女性アイドルが歌っていた曲で、「ストレスが女をダメにする、ストレスが日本をダメにする」そんな歌詞の曲があったように思い出します。たしか、バブル絶頂期の頃に流行していた曲です。バブル時代のように、誰も彼もが、儲けることに疾走していた頃と、現在の、大不況の只中のおける閉塞感と比較してみて、どちらが、より大きなストレスによる軋みを抱えているでしょうか?間違いなく、現在でしょう。バブルの頃は、どんなに働くことに疲労困憊しても、多くの人々にとって金銭的な保証や生活の安定が、足元からすくわれるなんて想定外のように思えましたし。翻って現在、ヒロシのコントのネタではありませんが、「視力はいいのに、未来が見えません」と嘆き不安とストレスに苛まれている人々のほうが圧倒的に多いことは確かだと思います。しかし、だからこそ、現在の日本のような状況だからこそ、ストレスから自らを解き放つ術を、慈しみ大切に守るべき ”花” を、自分自身の中に大事にしてゆきたいものだとも思うのです。ということで明日も笑顔で歩いてゆきましょう♪(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.11.26
良い本に出逢うことそれは 良い人と出逢うことに似ています暖かな風のように 心をなごませる暗い夜道に 月の光のように道しるべを照らす野に咲く美しい花の色彩のように 優しくさを心に運ぶきっと ブログで出逢う人々とのつながりにだって僕は そうしたものを求めているのかもしれないなんとなく そう思います先日にブログ開始5周年を迎えましたこれまで ありがとうございましたそして、これからも どうぞ よろしくお願いします 上の写真は何週間か前に撮った、虹の写真です。下の写真は25歳の時に、イタリアのルッカという街の広場の中心で偶然に出逢った美しい彫像。ブログ開始5周年ということで、このブログをスタートした当時、なんとなく心の中でイメージしていた何か、それを象徴するであろう写真を掲載したくなりました。では、また次回の日記で逢いましょう☆>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ブログをスタートして5周年にあたる日記では、なにかとても感慨深い想いを込めたいと、以前から考えてきました。だけど、いざ、5周年になってみたら・・・・・感慨深さよりも何よりも、自然に、気負うことなく、さら~っと文章にしたくなりました。5周年を境に、これからの日記の方向性として、肩肘張ることなしに今まで以上に自然体を大事にする方向性を考えている次第です。でも、これが一番難しいんです(笑)。これ本当に^^ということで、これからも、このブログをどうぞよろしくお願いします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.11.01
生きていると、前触れもなしに ”心の窓が開く”、そんな瞬間が訪れることがあります。もちろん、実際に心に窓があるかどうか知るよりもありませんから、この表現は形容です。では形容としての ”心の窓が開く” そんな瞬間が訪れる時とは、一体どんな時なのでしょうか?。なにかの弾みで偶然に、誰かと心があたたかく触れ合ったように感じた時、あたかも運命のように素晴らしい本との出逢いがあった時、至福の光に包まれるような、そんな美しい音楽と出逢った時、そうした様々な偶然に目の前に齎された諸々の要因によって、理由もいらないほどに唐突に、心の窓が開いてしまうことがあるのです。僕だけでなく、きっと誰にでもそうした瞬間というのはあると思います。-----心の窓が開く-----何に向かって、心の窓が開かれるのでしょう?。それは、たぶん、世界を見つめる瞳に宿る ”肯定” の意識。これに尽きます。ありのまま、そのままに広がる果てしないこの世界を、汚れた視線ではなしに、キレイな瞳のままで見つめることの出来る喜びへと心が開かれる。そういうことです。例えるなら、少し汚れていた窓にガラスクリーナーのスプレーをかけて掃除したら窓の外の景色がキレイに見えてきた瞬間。あるいは夜に、ふと、窓を開けたら星空が美しくどこまでの広がっていて感動する、そんな瞬間。そうした瞬間が、なにかのキッカケで自分の心の中に齎されるとき、「ああ、この世界に生まれてきて、よかった」と思えてくるんです。誰だって、そんな風な瞬間に巡り会うと、感動の光に心が満たされ、思わず子供のように笑みが零れる、止めどもなく涙が溢れてしまうはず。そして、透き通ってピュアな感情の波にさらわれてしまうことでしょう。心のレンズが磨かれ、瞳に宿る光が更に輝度を増すというのは、そういう喜びの芽が自分の中に確かに息づいていることを自分自身が感じられる喜び、つまり、生きている喜びの中にあってこそ、です。そうした喜びを大事にしていきたいと思います。さて、上に書いたようなことをどうして思ったのかというと、それにはワケ(理由)があるのです。今日は何となく気分がすぐれずにいたところ、ふと図書館へ出かけたくなり、車を走らせて最寄の図書館へ向かいました。図書館にて様々な本を手に取り、ぱらぱらと頁をめくっていたのですが、どの本を読んでみても心ここにあらずといった感じで、まるでどの本の内容にも心が入っていかないんです。仕方がないので図書館を出て何処か別の場所へ行こうかと考えはじめた矢先、たまたま目に入った一冊の本がありました。それは、「多生の縁」という本でした。 『多生の縁』http://item.rakuten.co.jp/book/1655748/この本を読み進めながらも、やはりどこか心ここにあらずといった感覚が拭い去れないように感じていた時です、自分でも驚くほどの集中力でもって、その本に掲載されてある一つの章と心が重なり合いました。鈴木秀子さんという方と玄侑宗久さんの対談の章。この対談の頁を読みながら、理由もないまま、人目もはばからず涙が溢れてきて、なぜか、自分があたたかで美しい光の中にいるような感覚に満たされました。おそらく、数年前の自分であれば、この本を読んでも、鈴木秀子さんという方と玄侑宗久さんの対談の章に出逢っても、心を強く動かされることはなかったように思えます。現在の自分自身の心の成長と歩をあわせるようにして、必然の如く、目の前にあらわれたのでしょう。上の写真は、今日に図書館で「鈴木秀子さんと玄侑宗久さんの対談」を読んだ後に、いいようのない喜びに心がいっぱいになりながら、帰宅に向かい車を走らせていた時に目の前に現われた風景。光に祝福されるために必要なこととは、きっと日々の生活をどれだけ肯定意識で向き合い、感謝と喜びと笑顔を忘れず前に進むか、その積み重ねに尽きるような気がします。美しい光と共に人生を歩んでゆくということは、天から降り注ぐ光にたいして素直にそれを感受し、内も外も、すべてとのつながりを感じながら自分自身の中にある光に栄養を与え育んでゆくこと・・・・・、そう、きっと、そう。それが、心の窓が開かれるということなのだと思います。では、また次回の日記で逢いましょう。 >>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 一週間前に、次の文章を日記に書いて発信しました。次の日になって、どうしてそんなことを想ったのか自分でもよく分からなくて、その日記はブログから消したのですが、今考えると、たぶん、今日に訪れることになる何らかの気づきにいざなわれるための準備だったような気がします。----------------------------------------------------------------------誰かに、 ありがとう 、と語りかけたくなる瞬間にこそ、”しあわせ” というものは在るように思います。たった、それだけの、言葉にすれば、たった3行程度の小さな想いに、この世の真実が宿っているように思える時、人は愛であるとか勇気であるとか、そんな風な大きな力の光を内に灯すことができるのかもしれません。それだけの、たったそれだけの小さなことを、噛み締めるように心に刻む時、人は本当の生きている実感を得るのでしょう。----------------------------------------------------------------------今、再読してみると、自分で書いておいて何だけども、いいこと書いてるなあって思いました(笑)。まあ冗談はさておき、喜びを大事にしない人生なんて暗闇と同じですよ。本当、そう思いますし、そうした大事なことを自分の中にも外にも満ちさせておくことが、人生をまことに豊かなものにすることにつながる・・・いえ、そのままイコールでつながるのだと思います。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.10.18
人間というのは実に不思議なもので、普通にしていれば順調に成長できそうなところを、敢えて右へ行ったり左へ行ったり急にUターンしてみたり、そんな風に落ち着きがなく、なにかと紆余曲折をへながら年齢を重ねてゆく生き物。当然、僕も例外ではなく、いえ、例外でないというより、上に挙げた不思議な生き物の代表格のような人間だったりします。---私はたいした人間ではない。毎日、愚かさから脱しようともがいている。---(ル・コルビュジェ LE CORBUSIER(20世紀に最も影響力のあったフランス人建築家))上に記したコルビュジェの言葉に、これまで何度勇気付けられたことか。(そうだ、自分だけじゃないんだ。きっと多くの人が、その人なりの人生の中で、どうにか人生をよいものにしたいと、もがいているのだろう)20代の頃、そんな風に自分に言い聞かせることで、過度に自己嫌悪に陥らずに済み、不器用ながらも前に進むことができたものでした。だけれど今の自分は、以前ほどには、このル・コルビュジェの言葉に共鳴できなくなっている。それは何故か?20代という感情の浮き沈みの激しい季節と現在をつなぐ30代の終わりに到るまでの架け橋の中で、様々な多々なる意義深い発見や気付きがあったからです。単刀直入にいえば、次のようなことになります。「人生というのは、実は、自分が想っている以上に、遥かにシンプルに、そしてスマートに、穏やかで豊かなものの連続として過ごすことが出来るものなのではないのだろうか」そうした内なる問いかけと模索、これに尽きます。現在の自分は、そのような模索の日々の中で、日々訪れる僅かながらの発見や気付きの集積を、何とか自分なりに自分の人生の中で善き方向に活かそうと努め、生きている。過去よりも、今よりも、近い未来に、スマートな生き方を実践できるようにと願いながら。まあ、単なる屁理屈かもしれませんけれども、こうした、もがき、こそが人間を人間たらしめているといえるかもしれない。さて、話を変えて。今日は仕事中に車を走らせていたところ、素晴らしい風景と出会いました。それはなんの変哲もない、実にありふれた田園風景。息をのむほどの神々しさに包まれたように感じ、思わず車を止めて、しばし、その風景に見とれてしまいました。ありふれた太陽の光が、こんなにも金色に美しく降り注ぎ、その光を受けて、稲穂は透き通りながら内も外も輝いている。美しさと生命のダイナミズムに溢れている。なんて素晴らしい風景なのだろう。とても感動しました。田舎に住んでいると、時折、こうした実にありふれた風景から、とても大事なものを教えられるのです。たとえば今日に目にした素晴らしい風景から、こんなことを想いました。「自然界の色彩というのは、なんて美しいんだろう」勿論、人口的なデザインにて描かれる色彩も人に感動を与えます。にもかかわらず、大自然の中に散りばめられた魔法の如き圧倒的な色彩の洪水の前には、そうした人工的なものは途端に色褪せてしまうように思えることも事実。では、どうして、変哲もないありふれた田園風景が、これほどまでに人の心に迫るのか?それは、きっと、全ての命を根底から支え未来へ向かって進ませている何か、神々しい何か、生命を生命たらしめているこの世の摂理のような何かが隅々にまで宿り、行き渡り、光り輝いているからなのでしょう。こうした清涼感と共振できる瞬間というのが、僕にとっての、生きる喜びの最大なるもののひとつであることは間違いありません。そして、自分の日々の愚かさを軌道修正させられる瞬間でもあります。人間は自然から、途方もないほどに大きなものを学びます。自分が考える以上に、それはとても大きいのだと思います。だって、自然という文字を見てください。自分という文字と一文字違いです。上手く説明できなくて歯がゆいのですが(笑)、この、一文字しか違わないというところに、両者を隔て、同時に、両者をつなぐ大切な真実が隠されているような気がします。自然という文字からは、大地から根が幾つも伸びて何らかの確かな事象へ実を結ぼうとする力強さを喚起させられます。一方、自分という文字は、自然そのまま大地から伸びた無数の根や収穫を己が他者に向けて果てしなく分ける、ということの限りない豊かさを内包しているように思わずにいられません。そのように思えば、とても大きな勇気が沸いてくるというものでしょう?僕自身、自分も、そのように生きてゆきたいです。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現代人は、自分達が自然の一部であるという、ごく当たり前のことを忘れがちになるものです。そこらへんのことに目をむけ、内なる命の流れを修正させてくれるべく、時に大自然は大いなる風景へと人をいざないます。そして、自然もしくは宇宙に流れ続けるエネルギーが、自然と共に、自然に抱かれ、長い歴史をかけて歩んでいた人間の知恵と努力(稲作における食文化)の結晶に、崇高な光を添えてたからものを与えてくれるのだと思います。芸術の秋なんていいますが、芸術だって何だって、自然からの偉大な恵みなくして自ら美しさを内包することはできないもの。そんな風なことを念頭に置きながら、これからしばらくの間、実りの秋を感じたいなあと考えています。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.09.18
宇宙からの限りない慈愛のエネルギーと、この地上で時折訪れる途方もない哀しみが回転木馬のようにめぐりめぐるのが人生。誰にだっていろんなことがある。当たり前の話だ。けども、自暴自棄になって命を捨ててしまってはいけません。人間は誰しも、手塚治の漫画「火の鳥」の主人公の一人である我王のように、必死に生き延びてゆこうと我に殴りかかるように決意し生きてゆかなければいけない。それが、生きる、ということなのだから。今日に書店で目にした本の表紙に記されていた事柄。日本における自殺者の数が、三期連続で年間3万人に上ったそうです。こういうことを知ると心が痛みますね。痛むと共に、実に複雑な想いがします。いやあ、なんというか、実に暗い話題で申し訳ないんだけれども、たまには、こういうことも心の片隅にでも置いて、現在の日本の状況を考えることも大事なことだと思います。さて、話は変わりますが、僕の友人に、ドイツ人女性と結婚した人がいます。その友人自身が子供の頃から何となくドイツ人みたいな感じの人なので、この結婚にはまるで違和感は感じませんでした。類は友を呼ぶというか、愛は国境を越えるというべきか。僕自身はドイツの人には今まであまり親近感を抱いたことはありません。フランス人かイタリア人と結婚したいなあと考えたことは、過去にあります。ヨーロッパを旅していた頃の話。で、ドイツという国は自殺率が高いんですよ。以前、デッサウというドイツの町を旅していた時、ふと、ドイツの自殺率の高さに纏わるエトセトラを思い出したんですよね。デッサウといえばバウハウスで有名な町。このデッサウという町には色んな都市伝説みたいなのがあって、非常に自殺者が多いと、まあそういう伝説、というより事実なんですが、これは実際にデッサウという町にいけば、町の空気として何となく理解できるような気がします。実に鬱々とした空気が町全体を覆っているからです。その原因として建築史家なんかがよく言うのが、バウハウスが行った近代建築の根底にあった思想やデザインの実験と人間生活との間に発生する軋轢の姿そのもの、となるのかもしれません。でも、どうなんでしょうね。僕にはそればかりではないように思えたことは事実。何故って?鬱々としているのは、別にデッサウばかりではなかったからです。ベルリンだってシュタットガルトだってケルンだって、いや、どこだって皆、ドイツという国自体が他のイタリアやフランスなどのヨーロッパ諸国に比すれば病的に鬱々としているように感じられて仕方がなかったから。でも、やはり、日本人と似ているなあと思えて仕方がない部分も多々あるように思えたこともまた事実でした。なんというか・・・・・考えすぎるんでしょうね、きっと。民族性として。なんとなく、そんな気がする。なんてことを、『素粒子』というドイツ映画を観ながら想いました。涙が止まらないほど、切なくなる映画・・・。堰を切ったように涙が止まらなくなる映画です。人生の色んな機微、不確かさ、人間の滑稽さと愛らしさの全てに向き合いながら、涙があふれる。かなり色んなことを考えてしまう映画です。『素粒子』http://item.rakuten.co.jp/mammoth-video/10009327/ヨーロッパ中で凄まじいまでの反響を巻き起こしたミシェル・ウエルベックのベストセラー小説の映画化!現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀を交えて痛烈に描いた問題の恋愛劇! (楽天市場商品解説文章より転載) 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17
主人公である2人の男女。純朴そうな青年と、彼に恋する言葉を話さない不思議な少女。この映画の何が素晴らしいかって、それは舞台となる自然の雄大さとか色々あるけれど、なんといっても主人公の一人である言葉を話さない少女のピュアな美しさが際立っている。「なんで、このコ、こんなにも素敵な表情をしてるんだろう?」そう思いながら映画を見ていると、ふと、きづくのです。ああ、そうか。このコは、恋をしているんだな。と。恋をすると、人は、美しくなる。そして、ピュアになる。ということで、皆さん、是非この映画を観て、感動しましょう。この、実に素晴らしい名作映画を観て心の底から超感動し、男は逞しさを身につけ、女性達は今よりももっとキレイになっちゃいましょう。『天上の恋人』http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988102353032/. 2009.09.25日記さて以下に、先日に発信した素晴らしい日本映画に纏わる日記文章を復刻します。------------------------------------------新宿区歌舞伎町保育園 2009.09.23日記------------------------------------------歌舞伎町に保育園?!?!、って一体どういうこと?なんて思ったんですが、意外にも、心に染み入る、とても素晴らしい映画でした。『新宿区歌舞伎町保育園』基本的にコメディ映画。笑いの中に、涙腺を刺激され、つい、ホロリとしてしまう感動的なシーンが多々あります。何度も繰り返し観たくなる、そんな名作だと思いました。生きる目的もないまま刹那的に生きるホスト達が、ある日偶然に目の前に現れた若い女性から小さな赤ん坊を預けられ、その女性は逃走。途方に暮れるホストたち・・・。仕方がないので、おしめを取り替えたり、哺乳瓶でミルクを与えたりしているうちに、自分の中の何かが変化してゆく。そして、何の因果か、歌舞伎町で働く若いママさんたちも小さな子供を強引に彼らに預けるようになり、ホストたちは戸惑いながらも、目の前の子供達の世話をしながら、今まで感じたことのなかった生き甲斐に目覚めてゆきます。ある日、保育園を開業しようと決意した彼らの前に、様々な壁が立ちふさがり・・・・・・・。そんな風な物語です。かなりホロリとさせられる映画ですよ。勿論、基本的にはコメディ映画なので抱腹絶倒の笑いが最初から最後まで用意されてあり、それだけでも十分に楽しめること必至。笑えて泣ける、素晴らしい映画。とても感動しました。http://item.rakuten.co.jp/asahi-record/00000933511/ミュージカル『テニスの王子様』のスタッフ&キャストによる青春コメディ。歌舞伎町のど真ん中に“ホスト保育園”を開業した3人の元ホストたち。行き場のない子供たちとの交流の中で、成長していく彼らの姿を描く。(楽天市場商品解説文章より転載) 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17
若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。生き急ぐ必要なんて、本当はどこにもないのです。とは言っても、そういことって、ある程度の年齢に達してはじめて口にすることが出来ることでもある。若い時に、多くの人が若気の至りの如く悩んだり、身勝手な性急さを持て余したりすることも、自然なことなのかもしれない。それで、昨夜の日記の補足。どうして僕が、今よりもずっと若かった頃に、大金と途方もなく大きな名声がほしいと考えていたのかというと、それは実に単純な話でした。有り余るほどのお金があれば、自分で好きなようにデザインした最高の建物が作れると考えたことが、ひとつ。自らがクライアントになるのですから、これは文字通り、好き勝手に作ることが出来るわけです。現に、そうした富豪と建築家を兼ねた人って外国とかには存在するんですよ。建築が好きな人なら、皆、そういうことに憧れるものなんです。そして、もうひとつ。何にも不自由しないほどの大金があれば、世界中を旅することが出来ると考えていたことが、ひとつ。旅するに必要な大金を貯めるために何年も現場労働で血と汗を流しながら大金を貯める暇があるのだったら、一攫千金でも何でもいいから、有り余るほどの大金が手元にあった方がいいじゃないか・・・そんな実に安直な発想でした。あと、途方もない名声がほしいなあと考えていたことの理由とは、これもまた実に安直な発想。ジャッキー・チェンとか、ああいう有名な人って、音楽家でもないのにレコードを出したりしますよね。で、大きな名声があったら簡単に、自分の作った音楽がレコードになって世界中に発売される。稚拙すぎる発想だけれど、なんとなくそんな風に考えていたのでした。今、考えると、我ながら、すっごいバカだなあって思います(爆)。でも、それが若気の至りというものです。好き勝手に、次々と、自分が願ったことが叶えられるのであれば、それって幸福なことでしょうか?バカを言ってはいけません。社会のしがらみの中で、どうすれば自分の願いに近づくことが出来るか?そういうことを、ない頭をふりしぼりながら日々考え続けることの中で、少しずつ鍛えられてゆく内面の成長というものこそが、真の意味で、たからものなわけです。こういうことって、ある程度の年齢に達さないと理解出来ないことのような気がします。さて、日記の冒頭に記したことに話を戻しましょう。若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。という話でした。本当、そういうことって、いっぱいあるものです。おそらく誰にとっても。たとえば昔、こんな風な不思議な体験が沢山あったんだけども、どうしてそんな風なことが身の周りに起こるか皆目わからない・・・そんな風に腕を組みながら考え込んだことって誰にでもあるでしょう?。ないと、おかしいですよ。でも、だいたいが、それなりに歳を取ってくると、多くの人が、どこどこの誰々の本に書いてあったから、というのではなしに、自然と、多くのことが腑に落ちて理解出来てくるというものなんです。だから、歳を重ねることって、別に悪いことじゃない。いや、むしろ、素晴らしいことである。老けたって、いいじゃないか(笑)。いたずらに老けてゆくわけではないのだから。大事な意味があって、皆、老けてゆくわけです。そんな風に想う今日この頃です。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想を沢山お待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17
空を見上げれば毎日のように雨雲が立ち込め、新聞やテレビの報道からは暗いニュースが沢山目に入ってくると、気分的に落ち込むこともあります。誰だってそうでしょう。これは僕に限った話ではないと思います。でも、そんな時に、ふと、心が救われることがあるのです。偶然に目の前に姿を現した存在によって。何だと思いますか?それは、書店や街角で出逢った見知らぬ小さな子供の表情に宿った満面の笑み。たまたま偶然に目の前に現れたにすぎない小さな命、その命に宿った無垢な笑顔・・・まるで魔法のようにこちらの心に深く浸透してくる、天使のような笑み。すると不思議なことに、それまで落ち込んでいた気分が空気にとけてゆくみたいに、すうっと消えてしまうのです。「目の前の小さな他者の顔に浮かんだ笑顔の眩しさに比べたら、君の抱えている悩みなんて如何に小さくてチッポケなものなのだよ」もし、神様がいるとしたら、きっと諭すように僕に、そう呟くことでしょう。そんな風に、なにか大事なことを、忘れかけていた大切なことを自然と悟らされる瞬間、そうした瞬間が僕はとても好きです。至福の瞬間といっても決して過言ではありません。書店や街角で偶然に出逢うことがある、見知らぬ小さな子供の話に戻しましょう。殆どの場合、満面の笑みを顔に浮かべた小さな子供のそばには、母親か父親がいます。子供が心から楽しそうに笑顔でいる場合、ひとりでそうしていることはまずありえない。必ず、近くに自分の親の姿があることを知っているから、彼らは安心し、心から穏やかな笑顔でいれるのです。気分的に沈んでいる時、上に書いたように見知らぬ小さな子供の笑顔に出逢ったことによって、こちらの心に巣食っていた雨雲が消えてゆくのを感じた時、僕は感謝をこめて、心の中で、こう呟くのです。「見知らぬ小さな子供、そして、この子の親・・・ありがとう」そう心の中で感謝しながら、目の前の小さな子供に向かって、にらめっこしたりして笑わせてあげると、大抵の場合、その子の親も笑顔になってくれます。気がつくと、その場には魔法のようにあたたかな空気が流れてゆきます。この場合、魔法の根源は ”笑顔” です。小さな笑顔が、その場に魔法のような空気を運んだといえるでしょう。さて、一体どうして僕は、目の前にいる見知らぬ小さな子供にだけ感謝せず、その子の親に対してまで感謝の想いを届けたくなるのでしょうか?。理由は、いたってシンプルです。気分的に落ち込んでいた心に不思議な光を届けてくれた笑顔の主は勿論、小さな子供であることは確かではあります。でも、その笑顔は、小さな子供ひとりのものではないからです。その眩しいばかりの笑顔、愛にあふれた無垢な笑顔を作り出しているのは、小さな子供と、その親・・・その二つの存在が共に共鳴しあってこそ生まれます。小さな子供と、その親との間にあるもの、それこそが無条件の愛の姿であり、限りない力を生み出す根源であり、地球上のみならずきっと宇宙全体に流れるありとあらゆるもの全てをつなげているエネルギーの根源。きっと、それこそ究極のパワー。きっと、この世で最も美しく崇高なエネルギー。あたかもモーツアルトの旋律のように永遠性を伴いながら未来へ流れ続ける光。そんな魔法のような瞬間に出逢えるということは、実はものすごいことなのだと思います。だから僕は、見知らぬ相手であっても、そんなことには関係なく、小さな子供とその親の、両方、に感謝するのです。天候にも社会情勢にも左右されることなく、いつだって人の心に笑顔とやすらぎを運ぶものの存在・・・大らかな愛。それ以上に、大事なものなんて、この世にはきっと、ない。お金?仕事?社会的地位?子供のお受験?そっちの方が圧倒的に大事という人も、少なくはないかもしれません。お金がなかったり仕事がなかったりしたら、笑顔どころではないですから、当然といえば当然のことでしょう。とはいえ、本当に大事なものを蔑ろにし置き去りにしてしまっては、そんなものはみな砂の城といっしょですよ。せっかく築きあげても、いつか必ず足元から崩壊します。無条件の信頼関係の上に成り立つ、大らかな愛、あたたかな光。人はそれを、普段の生活の中で、何かの拍子に忘れてしまったり失いかけたりしているだけ。現在の不安定な社会情勢、多くの人々が心をなくしかけている時代であれば、尚更のことでしょう。しかし、だからこそ忘れてはいけないのだと思います。全ての人と人とをつなぐ、至福の如きあたたかな光は、いつだって本当は皆の心の中にあるということを。そうした光を自分自身が心の奥に確かに持っていることを一人一人が思い出し、多くの人がそれを互いに共振し、分かち合うことで、必ず社会は良くなってゆくと信じています。では、また次回の日記で逢いましょう ^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 前々回の日記http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/diary/200907070000/そして、前回の日記http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/diary/200907200000/に引き続き、今日の日記も、テーマは、ずばり「愛」です。日本再生へ有効な処方提言のひとつとなることを願いながら、稚拙ながらも僕なりの想いで模索した結晶の欠片ともいえます。で、前回の日記内容と話がつながっていないではないかい?という御指摘もあるかと思います。そうなんですよ、直接的にはつながってはいません。角度を少し変えたダイジェスト的なお話を発信することで一応の仮の終止符を打つことした次第。前々回、前回の日記の流れをまとめた文章が既に膨大な量となっており、しかも、かなり壮大なものとなっており(単に、自分でそう思っているだけです。笑)、これはちょっと日記という媒体で発信するものとは違うような気がしてきたのですよ。ゆえに「これは困った」と腕を組みつつ、「どうしたものか」と思案を重ねた結果、次のアイディアへと辿り着きました。「本当に読みたい人が、もし、いるのであれば、いつか、その人へ小冊子か何かにして無料で贈りましょう」そんなグレートなアイディアです。我ながら素晴らしいアイディアだと思いました。ということで、次回からの日記は別な話題でお送りしたい方向で考えております。ではでは、チャオ♪ また次回の日記で(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.08.10
映画の世界において、恋愛映画やミュージカル映画というのは、とても人気がある。それらの映画における、理屈ぬきに心が躍るシーンの連続の中に、人は何を求めるのでしょう?たぶん、それは上質な夢やロマンス。きっと人は、日常生活の中で心に溜まった垢を、それらの映画に感動することで洗い落とす。だから、人は良質な恋愛映画やミュージカル映画に魅了されるのだと思います。こういうことって映画の世界に限らず、小説や詩あるいは音楽などにも同じようなことがいえるでしょう。素晴らしい物語というのは、それが映画であれ本であれ音楽であれ、人の心を洗いキレイにしてくれます。親が小さな子供に絵本を読んで聞かせてあげることにも、上にあげたようなことは同様にいえます。絵本の中の物語を読み聞かせることによって、親は子に、生きる上でとても大切なことを教えているのです。小さな子供を膝の上にのせながら、親が子に絵本を読んで聞かせてあげるということで教えることが出来るのは、愛情の大切さ。あたたかな体温を伴い親の声から伝わってくる短い物語の中から、小さな子は果てしなく大きな旅へいざなわれます。そして、その物語にこめられた作家の願いやメッセージを通じて、子は親の手の中で、幼いなりにも愛を学んでゆく。だけど、大人になると人は、いつしか、こうした人と人との間に生まれる、あたたかなつながりの大切さを忘れがちになってしまうものです。そんな風に、とても大切な何かを忘れそうになった時にはどうすればよいのでしょう?。病は気から、といいますよね。最近、梅雨の影響だろうか何だか心が不安定だなあ、とか、肩がとても凝るなあ、そんな風に感じることがあったなら、手っ取り早い方法として、絵本を読むといいですよ。気の部分に滞っていた何かが、澱んでいた何かが、中和され、さらさらとなってゆくのが自分でわかるはずです。というのも僕自身、書店などで偶然に絵本を手にとって、それを読み始めたことで、肩の力が不思議なほどに抜けて、体が軽くなるようなことって沢山あるからなんです。心が疲れたら、絵本を読むに限ります。絵本には、人と人との間に生まれる、あたたかな愛情の結晶が、最良の温度でこめられているからです。そうした愛情の結晶・最良の温度が、絵本を読む者の心に、あたたかさを運び、その人の心の中のほころびを、そっと修正してくれる。このような上質な愛情の結晶としての、上質な映画や本や音楽、時に絵本といった諸々の芸術作品に触れ続ける限り、人は自分の心をキレイに磨き続けることができます。そして、いつまでも、そこに触れる人の心の中に、愛は枯れることなく流れ続けてゆきます。どうして人には愛が必要なのでしょう?。時代性に関係なく、命が未来に運ばれるために必要で重要な普遍的テーマに深くつながっているからです。おそらく何千年も前の時代に生きていた人たちも、それを考えていたでしょうし、何千年先に生きる人たちも同様に、同じことを考え続けるはず。そもそも、愛って、何だと思いますか?。正直いって、僕にもよく分かりません。しかし、ただ、愛とは理屈ではないことだけは確かだと思います。きっと、愛とは、プラスの方向に作用する(もしくは作用させる)命のエネルギーのことです。人にとって、愛というのは、とてもとても大事なものです。枯れることのない泉のように、永遠へ向かい流れ続ける命のメロディが神々しく奏でる至上のエネルギー。それがないと個体である人間一人一人ばかりでなく、社会全体が健やかさを失うでしょう。よく、体を温めれば健康になるって言いますよね。それは、心だって同じこと。冷え込んだ心を温め回復へ向かわせ、人に笑顔を運び、永遠の命の流れに近づけさせてくれるもの、それが、愛なのです。 では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 前回の日記中で予告していた、赤ちゃんと母親との良き関係性についてのお話は、次回の日記に綴ることにします。文章が非常に長くて文字数制限を遥かにオーバーしてしまったということも理由のひとつですが、それに加えて、日記を読む人にとっても、あんまり長い文章を読まされるのは大変だろうなあと想像するからです(爆)。よって、いくつかの短い文章に分けて、以降に少しずつ日記発信してゆきたく思う次第です。それはそうと、7月21日は僕の誕生日です♪^^奇しくも自民党の解散が行われる予定日と重なってしまいますが(笑)、兎にも角にも、誕生日なのです。「ああ、またひとつ歳をとってしまった・・・やだなあ(爆)」というのは本音だったりもするんですが、これを機に、これからは一つ一つ歳を重ねることに喜びを感じるような、そんな人生にしてゆきたいなあとも考えを新たにしています。ということで、これからもルカの街並ブログをどうぞ宜しく御願いします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.07.20
雨が続いていて少し憂鬱と思っていた矢先、とても感動するお話に出逢いました。全盲のピアニストのお話です。それは、辻井伸行さんという若者が某国際ピアノ・コンクールで優勝した際のお話でした。「THE21」という雑誌を仕事後に立ち寄った書店で立ち読みしていて、そのお話を知ったんです。その記事を読みながら、あまりにも心を打たれてしまい、涙が出そうでした。コンクールで優勝した後に行われた記者会見で、一人の記者が無神経と思える質問を辻井さんにしたそうです。それは、目が見えない一人の若者に対して、あまりにも心無い質問であると思えるほどに無神経で粗暴な質問であったといいます。「もし、一日だけ目が見える日があったら、一番見たいのは何ですか?」一人の記者が、そんな質問を投げかけたというのです。しかし、辻井さんは笑顔で、その記者からの質問に答えたそうです。以下に、その記者会見における辻井さんの受け答えを紹介した記事内容からの抜粋を太文字で記しましょう。「お母さんとお父さんの顔がみてみたいです。友達の顔や星、海や花火もみてみたい。でも、いまは、心の目でみているので十分に満足しています。」この、辻井さんの受け答えを読み、思わず目頭が熱くなりました。(なんて、ピュアな心を持った青年なんだ!)と。THE21という雑誌の記事に掲載された記事文章には、他に、このようなエピソードが記されていました。辻井さんのお母さんは、辻井さんが生まれた後に、自分の子供が全盲で生まれてきたということを知り、あまりのショックで悩み、自分の子の未来を案じるあまり、子供と一緒に自分も死のうと考えたこともあったといいます。その後に、どのように試練を乗り越えながら、この親子が愛情を育み進んできたのかは、その詳細については記事中で記されてはいなかったのですが、相当の苦労の連続だったことと想像します。兎にも角にも、幾多の試練の末に勝ち取った国際コンクールにおける優勝という、日本人初の快挙を成し遂げた奇跡の物語には、胸が熱くならずにはいられませんでした。次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19
さよならしようと手をあげたら林檎の木の枝にさわった枝を手折ってやり場なくその花の白さを見つめているうちにきみの汽車はもういない・・・・・(寺山修司著『愛さないの愛せないの』より)僕には、”愛” というのが一体どんなものなのか、まだよくわからない。正直いって、まだよくわからない、というよりも、全然わからないといった方が正確でしょう。でも、そんな僕にとっても、わかることがあります。それは、愛というのは、心をあたため、穏やかな気持ちへいざなうだけのものではないということ。もっといってしまえば、きっと愛というのは、あたたかさ以上に、切なさや、やりきれなさといった、そんな感情、こらえきれないよな強い感情の上に成り立っているのかもしれない。たとえば、あなたが海へでかけたとします。海から吹いてくる風は、どんな匂いがしますか?蜜のように甘い匂いですか?そんなことはないでしょう。海から吹いてくる風は、涙のように、しょっぱいはずです。でも、それが時に甘く感じられるのは、そこに人が愛を想うからです。命の根源としての海に想いを馳せながら、永遠にただよう波の音に身をゆだね、穏やさへ心がいざなわれるからだと思います。次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19
随分前に、そんなタイトルの歌がありました。記憶違いでなければ、谷村有美さんの歌。どんな歌なのか思い出せません。というより、実際にその歌を聴いた記憶がなかったりもします。でも、とても素敵なタイトルだなあと思ったことは今でもよく憶えています。コチラの日記に書いたことと重複しますが、本当、自分の心をあたためてあげるって、とても大切なことですよ。なにか辛いことがあっても、落ち込むことがあっても、心を冷えたままにしてはいけません。自分の心の中の愛は元気だろうか?と、自分自身をいたわってあげるということって、とても大事なことです。だって、結局のところ、自分を大事にしてあげられるのは、最終的には、自分だから。自分の心の中の愛が元気かどうか、そこに瞳を向かわせることができる人には、他者の心を気遣う、あたたかな天使の眼差しが宿っています。愛は、それを内に大事にしている人にしか、他の人にも、愛を運ぶことは出来ないのかもしれません。 . 2009.07.21 23:18:53さて、今日の日記に追記する形で、今しがた読んだ物凄い日記を、以下に紹介させて下さい。『損して得をとる』 ←クリック☆次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19
小さな子供は、どんな時に不安を感じるでしょう?たとえば、小さな子供が街の中で親の手から離れてしまい迷子になっている状況があるとします。その時、その子が不安で泣きそうになるのは、親の姿が見えずに、どうしたらいいか分からないからです。しかし迷子になった子供も、親の姿を発見したら、不安から解き放たれるでしょう。そして、その子の心に宿った不安や悲しい感情は静かに消え、自然と微笑みに変わってゆくはず。こうした場合、小さな子供にとって親の存在というのは、地球にとっての太陽のようなもの。それから引き離されたら自分の中のエネルギーだって行き場を失うのです。小さな子供というのは、親との一体化を確認することで内なるエネルギーのバランスを図っているということが出来るのだと思います。思春期の少年少女は、どんな時に不安を感じるのでしょう?受験という言葉が重く心にのしかかる季節を生きる彼らの最大の不安材料は、やはり進学という言葉が象徴するように、近い将来に対する不安でしょう。あるいは学校によっては、イジメや学級崩壊といった実に現代的な不安要素が充満しているところもあるでしょう。そういう環境に身を置いている生徒であれば、受験や進学に加え、相当のストレスに苛まれるはず。下手したら勉強どころではなくなるかもしれません。そんな風に幾多の不安を抱えながら日々学問や部活動に励む彼らは、一体どんな時に己の内に巣食う不安を解消出来るのでしょうか?。僕自身の経験からいえば(個人的な話でしかないかもしれませんが)、親や最も身近な信頼出来る先生やクラスメートとの会話を通じて、内なる不安から開放されたように思い出します。親や先生や友人といった最も身近で信頼の置ける他者たちとのつながりの中で、なんとか不安に押し潰されずに済んだともいえます。子供と大人の間を季節を生きる者にとって、心の中に勇気が生まれて、少しずつ前に進めるのは、こういう関係性があってこそ、なのだと思います。大人は、どんな時に不安を感じるのでしょう?先行きが見え難い状況の中に身を置いている時、小さな子供や思春期の少年少女と同様に、やはり多くの大人達だって不安に駆られるはずです。たとえば会社をリストラされて再就職もままならない時。たとえば自分の恋人との関係が上手くいっていない時。たとえば結婚したパートナーとの間に不協和音が生じ、家庭崩壊に至ろうとしている時。たとえば巷で物騒な事件などが多発していて、日本の未来を案じながら動揺を禁じえない時。たとえば自分が高齢者になった時に果たして年金はもらえるのだろうか?もらえない確立の方が圧倒的に高いと考えた時。そのように、「たとえば~~の時」というのは、大人の世界だと、それはもう星の数といってもよく、小さな子供や思春期を生きる少年少女が抱える不安材料などとは比較出来ぬほどに多種多様なバリエーションで溢れています。そして、その解決策だって全てが一筋縄とはいかないでしょう。では、そんな時、大人は一体どうすれば良いのか?小さな子供と違って、親の姿を探せば、それがイコール不安材料を消すことにはなりません。大人の心に巣食う不安は、大人同士で解決のヒントを模索し、最終的には自分で答えを出すしかないのです。上記したような事柄を長々と述べたことには、ワケがあります。人生に不安材料というのは、年齢に関係なく、誰だって持っている。小さな子供でも、思春期の少年少女でも、大人達でも、皆、内に抱えている。不安という感情を誰もが年齢に関係なく持っているとして、それと同じように、不安を解消する最も大きな術も、また年齢に関係ない。つまり、こういうことです。「他者との心のつながり」の中で、人は自分の心の中に巣食う ”不安” という感情を鎮め、勇気の火を内に灯すことが出来るということ。このような問題の打開策というのは、年齢に関係なく、また性別にも関係なく、きっと誰にとっても普遍的なこの世の真実といえるだろうと思います。お金が沢山あっても自ら命を絶つ裕福な人というのは少なくありません。また、収入があまり高くないにもかかわらず、小さな家の中で家族つつましく毎日を笑顔で生きている人々もいる。この差は一体どこから生まれるのでしょう?職場のストレスから家に引きこもりになってしまう若い人達が現代、少なくないそうです。また一方で、「先の見えない時代」「100年に一度の不景気」そんな風に多くの人々が不安に駆られている現在日本において、しかし着実に業績をあげている元気なビジネスマンもいる。この差は一体どこから生まれるのでしょう?何となく思うのです。現在の日本が如何に不安材料でいっぱいだとしても、人と人との間のつながりから心を満たされたり励まされたりする習慣を大事にしている人というのは、ピンチに強いのでは?もし、日本中の多くの人々がそうした習慣を大事にし、社会自体がそのようであり続ける限り、人々の暮らしの中から笑顔は消えることはないのではないだろうか?、と。それが、枯れることのない泉のように、幸福感を次の世代に受け継ぐということなのではないだろうか、と。現在の日本には大人のウツばかりでなく、子供の世界にまでウツの症状が蔓延しつつあるといいます。まったくもって、ひどい話です。ここまでくると文明の末期症状なのではないかとさえ思ってしまいますが(それは言いすぎかも?)、それほど酷い世の中だと思います。しかし、現代日本に蔓延る酷い報道の数々を毎日のように目で追えば、このような日本の状況というのは、実は当然の成り行きのようにも思えてくるのです。大人の世界が、人と人との心のつながりの大切さを蔑ろにし続けてきたことの証、その集積の実像として、現在に報道を駆け巡っている物騒な事件の数々というのは、大人達の前に正確に姿を現していると考えるからです。(次回の日記に続きます)次回に発信する日記は、今日の日記内容の続きとなっております。文章があまりにも長くなってしまったために、二つに別けることにしました。以前にテレビで見た、赤ちゃんと母親の、実に興味深いお話を紹介しながら、今日の日記で書いた事柄の正当性を僕なりに証明したく思っている次第です。そして、なんらかの時代への処方が確かに見えてきたなら是幸いと考えています。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 七夕だというのに、なんだか堅苦しい内容の日記で申し訳ない(笑)。でも、時には、このような事柄を、ブログというプチおおやけな場で問題提起することにも何かしらの意味があるようにも想います。それはそうと。今日の日記内容とダイレクトにつながらない事柄であっても、「僕は(私は)日本のここがこういう風におかしいと思います。だから、こうした方がいいと思います」というのがあれば、そうした意見も是非書き込んで下さい。話が広がるように思うからです。ただ、ひとつお願いがあります。僕自身が「朝まで生テレビ」みたいな討論・激論は性に合わないので、場を荒らすような過激な書き込みは御遠慮願いたく思う次第。素直に自分は今、日本の現状にこう想っている、そんな風な心ある姿勢が感じられる人からの書き込みをお待ちしています。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.07.07
草原に、どんなにキレイな花々が咲き誇ろうとも、この存在の美しさには敵わない。そんな風に思える神秘的で美しい昆虫がいます。アゲハ蝶です。このあいだの日曜日の午後、車を走らせていたところ、道路脇の木々に茂った藤に心惹かれました。車を止めて、その藤を眺めようと外へ歩き出そうとしたその瞬間、視界に突如、この世のものとは思えないほどの美しい色彩を身に纏った蝶が現れたのです。音もなく軽やかに宙を舞う、アゲハ蝶。一瞬にして、時間が止まるような感覚に身体が支配されました。時間が止まり、全ての世界の動きさえ静止した中で、アゲハ蝶だけが美しく浮遊してるような、そんな光景に自分がいる不思議な感覚。まさに、夢の世界みたいに。アゲハ蝶を見たのは、今年になって2度目。今回見たのは、少し大きめのアゲハ蝶々で、羽の美しさは筆し難いほどであり、それはもう奇跡そのものと形容する以外に表現の術がないといっても過言ではありませんでした。まるで宇宙の暗闇のような艶やかで神秘的な深い黒の色彩に覆われ、そこに海のようなBLUEとエメラルド・グリーンの色彩が煌く。初夏の季節に生まれた奇跡・・・・・奇跡なんて言うと大仰しいと思われてしまうかもしれませんが、僕の目の前に突如姿を現したのは、”奇跡” とか ”魔法” とか、そんなふうにしか形容出来ない光景でした。その日は夜遅く眠りにつくまで、感動の余韻は微熱のように続きました。毎年、夏が近づいて、草原を舞うアゲハ蝶を眺めるたびに、次のように想いを馳せます。アゲハ蝶の美しさというのは、世界中に存在する自然界の至上の美、その結晶の色彩なのでは、と。たとえば人が、コバルトブルーやエメラルド・グリーンの海の色彩に想いを馳せる時、地球の藍色を心に思い浮かべる時、宇宙の艶やかな暗黒と星屑の眩い煌きを想う時、ひまわりの微笑むような黄色と出逢う時、誰もが、そこに美しさを感じ、生きていることの喜びが自分自身の内に湧き上がるのを感じるはずです。それらの究極ともいえる美しい色彩を含めた、地球上の全ての美の総和から織り成され抽出された最も美しい色彩の宝石箱のような存在として、アゲハ蝶は魔法のような輝きを纏いながら草原を舞っている。この世に存在する至上の色彩そのものとして、アゲハ蝶は存在し、僕らの前に姿を現す。多少なりとも詩的で誇大な言い回しかもしれませんが、僕にはそのように思えて仕方がないのです。これはイメージ画像。何百枚もある世界中の蝶々の画像を集めた写真の素材集の中から、先日に見たアゲハ蝶のイメージに最も近い画像を選びました。実際のアゲハは、この画像と比較できないほどに神秘的な美しい色彩を放っています。言葉になど表現出来ない美しさです。草原に浮かぶオーロラのような 。ちなみに、この画像のアゲハの名前は、カラスアゲハといいます。自分が見たアゲハの正式な名前は何なのだろう?と気になって書店で調べてみたら、カラスアゲハなのでは?との仮の結論に達しました。でも、ちょっと違うような気もするんですよ。というのも、実際に見たそのアゲハの羽はブルーというよりもエメラルドグリーンに近かったように思い出すからです。カラスアゲハの場合、羽がコバルトブルーなので、なにかおかしい。もしかしたら、アオスジアゲハである可能性もあります。こちらのアゲハは、今手元にある本を調べる限り、日本で5月から8月にかけて生息すると記されてありますし、羽がまさにエメラルドグリーンだからです。カラスアゲハか、アオスジアゲハの、どちらかだったのでしょう。話は変わりますが、次の一枚は先日に撮った花の写真です。仕事で訪れた区役所付近の公園の花壇に咲いていた青い花。何となく蝶々のような感じがしませんか?素敵ですよね。 では、また次回の日記で逢いましょう ^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ この日記を書くのに、おぼろげな像が言葉を伴ってくるまでに、3日もかかりました。もっともっと素晴らしい文章で、アゲハ蝶に賛美の想いを届けるに相応しい文章で、日記をまとめたかったのだけれど、いかんせん頭悪いというか(笑)。でも、夏が本格的に訪れるのは、これから。アゲハ蝶を沢山目にする季節は、まだ始まったばかり。アゲハ蝶を通して僕が世界を見つめ探す言葉や想いの旅だって、同じように始まったばかり。これから本格的な訪れを迎える夏の季節を、とても楽しみにしています。「ラブ・ストーリーは突然に」なんて歌が、随分前に流行りましたが、まさに先日のアゲハ蝶との出逢いは、そんな風に突然に目の前に現れた出逢いでした。この世で最も美しい色彩の生命体のように感じて、感動のあまり数秒の間、身動きできなくなったほどでした。なにか、良いことが起こる前兆のようなものだったらいいなあって想っています♪。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.05.12
<うつ病生徒>「いる」公立中37% 首都圏163校で調査http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_junior_high_school__20090613_2/story/12mainichiF0613m101/上にリンクを貼ったのは何週間か前のinfoseekサイト記事。かなり気になってしまいリンク先のアドレスを保存していたんです。残念なことに保存期間が過ぎてしまい現在閲覧することは出来ません。それで、この記事を読んで色々なことを考えずにはいられなくなり、最近そんな風に心の片隅で思考を重ね過ごしていました。僕の中学生時代、これはもう20年以上も前のことですが、当時の僕は「うつ病」なんて言葉さえ知らない普通のバスケット部員であり、「うつ」なんて症状の生徒がクラスの中にいるなんてことに想い寄ることもなかったですし、また、そうした症状が学生間に蔓延るなんて現象も皆無で、なんだかんだいってもとても平和な時代だったと思います。いろいろな青春時代特有の若気の至りみたいな言動は多くの生徒達が抱えていたものだけど、それは「心の病」とは程遠い、言ってみれば昔のジェームス・ディーンの映画のような「理由なき反抗」の延長線上にある類のそれだったわけです。いわば、健全な不健全さ、一過性の不良としての季節を生きる生徒達は少なからず存在しても、だからといって彼らが心の病に端を発した理解し辛い犯罪に走ったりすることはなく、いわゆる不良と呼ばれる生徒でさえ部活動や放課後の時間なんかには普通の生徒達と悩み事を話し交わしたり、恋の話に夢中になったり、漫画本やレコードを貸しあったりしていたものでした。不良とそうでない生徒達との明確な区分けなど当時の学校にはなかったし、当然、心の病を抱える生徒と普通の生徒との境界線についてあれこれ考える先生達もいなかったでしょう・・・勿論、そうしたことを考える必要もなかったからです。なんだかんだいっても、皆が普通の、たわいもない思春期を生きている中学生でした。もし、仮に、僕が今、タイムスリップして中学生に戻ったとします。ありえない、とかツッコミ入れないで下さいまし(笑)。で、中学生に戻るとしてですよ、うつ病生徒が37パーセントもいる中学校に在籍したいなんてつゆにも思わないですよね。即効で逃げますよ。まあ敵前逃亡みたいなもので、戦う意味もないというか話にならないというか、そんな場所は地獄以外の何ものではないじゃないかと思わずにいられないからです。でも、そうした環境、学校のあり方というものを作り出しているのは紛れもなく、僕ら大人だったりもします。何週間か前に、 「現代日本の学校という名の戦場は、醜いモンスターを生産する工場である」なんてタイトルの日記を発信したのも、そうした言いようのない理不尽さに対する想いの噴出だったりもするわけです。数年前に矢沢永吉さんが主演した映画に「お受験」なんて作品がありましたが、僕にはああした世界なんて、まっぴらごめんだという想いがある。しかし、現代日本のこうした状況というのは他の先進国においてもラット・レースの如く何十年も前から続いているもの、その過激な教育産業の加熱ぶりは今に始まったことではない。ピンク・フロイドというイギリスの世界的に超有名なバンドの1980年代に作られたアルバムに「ファイナル・カット」という作品があって、その中に、こんな歌詞が登場します。日本人のせいでイギリスの造船工場が沢山潰れたことを嘆く歌詞の後に、次のフレーズが続くのです。しかし、日本人にも苦悩は耐えない。日の昇る国では毎日、子供達が自殺してゆく繰り返しますが、これは1980年代に作られ世界中で大ヒットしたアルバムの中で歌われていた事柄です。当時の日本の中学生・高校生達は、「不良少女と呼ばれて」なんてテレビドラマがあったように、非行に走ることで心のバランスを計ることで何らかの心の隙間を埋めたりバランスをとることが出来た。しかし、あれから20年が過ぎて一体どうなったのか?理不尽な環境の中で逃げ場も見出せず、挙句の果てには生徒の「うつ病」が4割近く蔓延するなんて学校になってしまったではないか。これでは過去に不良少年が学校裏でタバコを吸っているお馴染みの風景の方が何倍も、いや、比較すら野暮なほどに圧倒的に健全であったとはいえないだろうか。僕は、これからの学校は、古きインディアンの教えや中国古典、勿論、日本がかつて大事にしていた神社思想など、様々な国や文化で培われてきた、いにしえの教えから世界の在り方を学ぶ、そんな風な授業を基本に置く、そんな学校へ移行してゆかなければいけないと考えている。そういう意味で、現在のちょっとした神社ブームというのは、とても善きことだと思っています。こうした動きを世界的な不景気に必ず蔓延るナショナリズムの一環として収束し捉える向きもあるかもしれないけれど、僕は全然そうは思わない。少し話は逸れますが、今しがた、ふと思い出した言葉を記しましょう。ジャック・マイヨールというフランスのダイバーの生涯を描いたドキュメンタリー映画から、セリフの引用です。---自分が幸福だと思っている者だけが、周囲の人々を幸福にできる。だから私はイルカと一緒にいることにした。イルカはいつも幸福で、楽しく暮らしている。楽しみのために生きる秘訣を知っているのさ。---(ジャック・マイヨール)『ジャック・マイヨールの海と夢』http://item.rakuten.co.jp/book/3752969/ 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.05.11
昨夜遅く、深夜のテレビの報道番組を見ていて、思わず言葉を失ってしまいました。プロレスラーの三沢光晴さんが亡くなったとのことを伝える報道。試合中に対戦相手からのバックドロップを受けて失神、そのまま意識不明、病院へ運ばれるも、そのまま還らぬ人へ。プロレス・ファンの多くが、「まさか」と絶句したことでしょう。三沢光晴さんといえば日本で最も有名なプロレスラーの一人で、あのレスリング団体ノアのTOPでもある真の実力者。その実力者である選手が試合中に亡くなるなんて、ありえない、そう感じて、言葉を失ったに違いない。しかし、今日様々なスポーツ新聞を手にし記事を読んで知った限り、昨夜の三沢選手は体調が悪く、リング上の動きも精彩を欠いていたことが観客からもハッキリ伝わっていたとのこと。もともとバックドロップという技は非常に危険な技であり、元来、その技を相手にかける選手も相手が受身を取れるような角度で投げるものです。その技を受ける選手も阿吽の呼吸で、咄嗟に危険を避ける受身でもってマットに叩きつけられる。もともとレスラーというのは、デビューする前に、この”受身” というものをしっかり体に身につけるべく相当の訓練をします。受身が上手く出来ないと致命傷を負うほどの怪我に至るからです。プロレスというのは昔から多くの人が指摘するように、「ロープに投げられた選手は走って戻ってこなければいけない」スポーツです。これを八百長と見るか、はたまたサーカスのように真剣なものと捉えるかは人それぞれといったところでしょうが、しかし、そちらにせよ、かなりのハード・トレーニングを必要とする長年の修練なくして成立しない競技であることだけは確か。対戦相手との無言の信頼関係がないと、死と隣り合わせの実に危険な代物であり、単に八百長などといって笑って済ませられる商売ではないのです。多くのスポーツ新聞が指摘していたように、昨日の三沢選手は明らかに体調不全で、本来ならば試合に出られる体ではなかったのかもしれない。しかし、ノアというプロレス団体の代表選手、花形選手である三沢選手にとって、試合を休むということは考えられないことだったのでしょう。それに加え、近年のプロレスが、より過激になってきており、より危険で高度な技の応酬へと進化し続けてきていること、そして、また、観客もそうした過激さに馴れてしまっていることも、今回のような悲劇に至った最大の原因には違いない。特に、三沢選手が所属していたノアというプロレス団体は、選手や技の応酬、テクニックにおいても世界最高頂であり、その過激すぎるとも言える精度の高さゆえに世界的に名を轟かせている団体でもあったのだから、いつかは、このような悲劇が起こることは明らかだったはず。皮肉なことに、ノアという団体の代表である三沢選手に、そうした悲劇が襲い掛かることになろうとは。しかし、です。リングの上で人生の幕を閉じることが出来れば本望だ、というレスラーもいます。これは以前に、今回の三沢選手同様に試合中に亡くなった選手を追悼特集した、あるプロレス雑誌にて多くのプロレス選手が語っていたこと。そのような意味合いで考えれば、F-1のアイルトン・セナがレース中に燃え尽きたのと同じように、三沢光晴さんもリングの上で己が選んだ最上の人生を燃え尽きたと捉えることこそ、プロレス・ファン、三沢選手を応援してきた全てのプロレス・ファンに必要なことではないだろうか。いや、そのように考えなければ、殆どのプロレスファンは今回の三沢選手の悲報に対して心の整理がつかず、悲しみから立ち直れなくなるはずです。それほど、三沢選手というのは日本のプロレスの歴史を支えてきた偉大なレスラーでした。三沢光晴さんのご冥福をお祈り致します。. 2009.06.14 22:15:32 ---------------------------------------------誠実、人義、筋 2009.06.16日記 ---------------------------------------------日本で最も優れたプロレス団体はどこだと思うか?と聞かれたら、迷うことなく「それは、ノアだ」と即答するでしょう。なぜか?その理由は、三沢光晴さんという人物像に集約されるといっても決して過言ではない。映画評論家の淀川長治さんについて触れたある一冊の本の中に、次の文章が出てきます。以下に太文字で紹介しましょう。「これからビジネスマンとして成功したいなら、この三つを忘れちゃダメだよ。ひとつは、誠実であれ。お次は、ジンギを忘れるな。このジンギは、任侠映画の仁義じゃないよ。人情と義理の人義。それから、筋を通せ。これを忘れないようにしなさい。」誠実、人義、筋。この三つはその後、私が仕事をするうえで目標とした言葉であり、私の人生の支えとなりました。(『淀川長治が遺してくれたもの』より抜粋)上にあげた三つの言葉である、誠実、人義、筋。これらが無理なく自然に当てはまる人物というのは、そう中々いるものではない。プロレスという、巨額の大金や人々の欲望が蠢く世界、また、裏切りや騙しといった汚れた部分がつきまとう ”いかがわしい” 世界であれば尚更のことで、多くのプロレス団体というのは人事に関して絶えず激しい混乱を抱えており、あの団体の常務がまた変わったらしいぞなんてことは日常茶飯事で、社長がコロコロ変わる団体だって少なくはありません。そんな世界で、一つの団体が絶大なる信頼を集める同一人物によって運営が長く持続可能となった例を僕は二つしか知らない。ひとつは、ジャイアント馬場さんが率いた全日本プロレス。そして、もうひとつが、先日に亡くなった三沢光晴社長が率いた「ノア」というプロレス団体です。特に、ノアの選手間の信頼関係や心のつながりの深さは驚愕すべきものであり、世界的に見ても例がないのではと思えるほどの強い結束を感じさせるプロレス団体は他にないといっても全然大袈裟な話にはならないでしょう。それほどまでに、三沢光晴選手率いるノアというプロレス団体は奇跡的なほどの強固な結束力と選手の質の尋常ではないレベルの高さでもって、世界中に名を轟かせていたのでした。当然、そうした結束力の核となっていたのが三沢選手の人徳であったことは間違いなく、これはプロレスファンであれば誰もが認めることでしょう。実は、ここ数日にわたり僕自身、心の中に穴があいたような感覚で過ごしていました。やはり三沢選手の突然の悲報の影響が非常に大きかった。偉大な人物の死にリアルな実感が沸かないまま心に穴があいたような感覚になりながらも、様々なことに想いを馳せていました。偉大な人物というのは亡くなった後でも、残された者にとても大きなものを遺す、それは別に金額的な遺産を指していっているのではなく、精神的な大きな大きな財産を残された者達の心の支柱に残してゆくものです。今の時代、そうした真に偉大な人物というのは希有になっているかもしれませんが、しかし、三沢光晴さんという人物は間違いなく、そうした偉大な人物であり、沢山の人間たちをまとめ率いてきた真のリーダー像を体言した者であり、一人の人間としても実質堅固・有言実行を貫き通す立派な存在でもあった。ここ数日の間にわたって、そのような想いが深まらずにはいられませんでした。さて、サンジョルディの日生みの親にして、現代の易経研究における第一人者として広く名を知られる 【亞】さん の本に次の一節があります。太文字で引用しましょう。民はそんな君主の姿に示された真心を観て、心服し同化した。「親の背中を観て子は育つ」というように、「観」は理屈ではない。心のありようを観ただけで、同化して精神が成長するのである。どんなに言葉できれいごとをいっても、真心がなければ人は感化されない。(『「易経」一日一言』p.61より抜粋)三沢選手は、上の文章に当てはめれば、まことの意味での「君主」であり、「親」であった。だからこそ長い歳月の中で、多くの選手達に心から慕われ団体のTOPとして選手たちばかりでなく無数のファン達の心までをも率いることが出来たのでしょう。本当に偉大な、素晴らしい人物を亡くしたことは実に残念なことはありますが、でも、三沢光晴さんの偉大な魂の灯火を僕らはこれから受け継いでゆくべきであり、三沢選手の悲報を悲しんでばかりばかりではいけません。三沢選手の試合は、もう、これから見ることは出来ない。三沢選手のインタビューを雑誌で読んで、そこから勇気付けられることも、もう、これからはない。でも、三沢選手の偉大な魂が、これからも僕達の心の中で生き続ける限り、これからもずっと、僕達は三沢選手から大きな勇気をもらい続けることが出来る。そう考えたら、胸に浮かび上がってくる言葉は、ひとつしかない。「三沢さん、ありがとう」. 2009.06.16 21:53:45 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。
2009.05.11
苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。(ドフトエフスキー)正しき者は、悩み多し。(旧約聖書)普段から真面目に仕事に精を出している人が、なにかのきっかけで悲しいことに見舞われ落ち込むことってあります。そんなふうに悩み多い時間に埋没している状況に陥っている人を見たら、「正しき者は悩み多し」なんて言葉を、そっと投げかけてあげることって大事なこと。ということで、昨夜遅くに読んだ他者の日記に対して僕は日記の冒頭にあげたふたつの言葉を贈りたくなったわけでした。まあ、誰かはちょっと書けないですけど・・・スランプ気味な内容の日記だったし。兎にも角にも、気持ちは分かるなあとか思いながら昨夜その日記を読んだものでした。悩みは尽きねえんだな、人間だもの。相田みつをさんだって、そう言っていますし、人間だから、誰だって色々あるわけです。だけど、美都☆姫さん風にいえば、「それでも、いいんです」となるのでしょう。で問題となるのは、悩みすぎて健康を害したり、悩みに埋没したまま前に進めない状況が長く続きすぎることでしょうか。それでは、もともこうもないというか、生きてる証から自らを遠ざけることにもつながるような気がします。せっかく太陽が人々や全ての生命に命の輝きを与えてくれているのに、笑顔に戻れないことが長く続くのは罪なことかもしれませんよね。そういう意味で考えると、なるべく人は笑顔で生きる義務がある、なんてかなり強引かもしれないけれど、そういう理屈があってもあながち間違いではないでしょう。今日は月曜日。どんよりとした雨雲がたちこめる空模様ですが、はりきって行きましょう♪. 最終更新日時 2009.06.08 12:41:33 12本の薔薇さんから素晴らしい書き込みが入りました。こんなにも心に染み入る書き込みが入るとは予想外のことでしたが同時に感動せずにはいられない、ということで、上の日記文章に追記する形で、少しばかり文章を以下に続けることにします。幸福を追い求める旅の中で、人が様々な軋轢やトラブルに遭遇するのは当たり前のこと。そもそもが、人が生まれてくるのって、お母さんのお腹の中からオギャ---と泣きながら生まれてくるわけですよね。お猿さんみたいな顔で泣きながら生まれてきて、この世の光と出会う。つまりは、人がこの世に生まれてくること自体、光と出会う旅への出発みたいなものであり、それは大人になった後でも、なんらかの幸福感への希求となって死ぬまで続くわけです。赤ちゃんだって生まれるときは苦しくて泣いている。お母さんだって、赤ちゃんを産むときには苦しくて泣いている。赤ちゃんから成長した少年や少女だって陸上の短距離走の最中に転べば痛くて涙を流すでしょうし、それは大人だって同じこと。時に、仕事や恋人との関係で上手くいかないと苦しくて涙を流すのです。なんて考えると、悩んだり苦しんだりすることって、生きてゆく上で当たり前のことであり、別に恥ずかしいことでもなんでもないということが自然と、誰にだって理解できることでしょう。「あ、そういえば、ここ何年も悩んだことってないなあ」なんていう人がいるとしたら、・・・・・いえいえ、そんな人など、この世には一人としていないはず。それって死人と同じですよ(笑)。生きていれば、苦しいことが山ほどあったり悩んで、時に土砂降りの只中にいるような気分になることは当たり前のこと。死人じゃないのだから、苦しいことや悩みの一つや二つ持ち合わせていられることに感謝するくらいが丁度いいのかもしれません。さて、ここで先人の言葉を幾つか。希望のない人間は小説を書かない (オコナー)悪妻が文豪をつくる (松本清張)人生に起こる悩みや苦しみというのは、上の松本清張の言葉に当てはめれば「悪妻」みたいなもので、古今東西、偉大な作家というのは少なからず悪妻に磨かれていったわけです。こういうのって作家に限った話ではなく、楽天の野村監督も例外ではないでしょう(笑)。逆説的にいえば、悩みや苦しみのない人には希望だって生まれないし、たいした己の人生のドラマ・物語だって紡ぐことさえできないものです。 今日の日記は後日に消す可能性が非常に高いので、さらあっと読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想を沢山お待ちしています。
2009.05.11
------------------------------------------------天国からのラブレター 2009.06.04日記------------------------------------------------いましがたテレビで見た番組に感動し心が熱くなりました。北野武さんが司会を務める番組にて放送された、「天国からのラブレター」と題され本当にあった話を再現フィルムで伝える番組でした。久々にテレビを見て心の底から熱い想いが込み上げてきた気がします。手が不自由な画家と、その妻と家族の、実際にあったお話・・・至高の愛の物語。番組の途中から見たので凄く惜しく想いました。番組のはじめから見たかったです。その画家が生まれつき両手が不自由だったのか、それとも何らかの自己で両手を失ったのか、番組の途中から見た僕には分からなかったのだけれど、運命の出会いをへて奥さんと結ばれるまで、かなり厳しく辛い人生を送ってきたであろうことは伝わってきました。あまりにも不器用で、あまりにもピュアな魂。若い頃に自分の描いた絵がコンクールか何かに入選を果たし、大金が舞いこんでも、それを全て寄付してしまう人のようでした。お人よしだから、そんなことをした、なんて単純な話ではないのです。自分は世の中で困っている人を助ける人でありたい、という強い信念ゆえの行動だったとのこと。天涯孤独な身で小さな頃から世の中の荒波にもまれ必死に生きてきた中で、様々な人に助けられ、また自分自身も絶えず助けを求めてきたことの証なのでしょう。そんな苦い想いが根底にあったのだと思いました。奥さんもまた逆境の連続で生きてきた女性であり、運命なのでしょうね、その画家と出会ったのは。不器用且つ本心を周囲に漏らすことのない頑固者である旦那を守りながら、何もない貧しさから共に家庭を築き上げた二人。いい男、いい女、というのは、ああいう男女を指していうのだと思いました。表層的な姿かたちや、華々しいライフスタイルを生きる男女だけを指して「いい男、いい女」「いい人生」というわけではないです。今夜、あの番組を見ることが出来た人は幸福だと思います。ここ数年の中で、あんなにも心を打たれ目頭が熱くなった番組はなかったように思います。本当、素晴らしい番組でした。. 最終更新日 2009.06.04 21:55:30------------------------------------------------どんな本が好きですか? 2009.06.03日記------------------------------------------------つくづつ本というのは面白いと思います。本が面白いというより、その人と本との関わり合い方が面白いというべきでしょうか。なんだか、似ていますよね。自分がどんな傾向の人とのお付き合いを大事にするかと、自分がどんな本に惹かれ大事にするのかということって。似ているような気がします。本にしても、知人・友人にしても、自分で選ぶもの。意識しようと意識しまいと、そこには自ずと自分自身の哲学なり生き様なりが、その時々なりの姿で確実に投影される。なんて考えていたら、こういうことって本や人に限った話ではなくて、映画だろうと音楽だろうと絵画だろうと何だろうと、自分が触れ合う全ての事柄に同じことがいえるのかもしれない、なんて風にも思えてきました。そう考えたら、毎日、自分が出会うもの、そのたびごとに選択するものの連続の上に人生が成り立っていて、そうしたことの日々の集積の中で自分の意思が闇夜に浮かぶ剣のように浮き彫りになり、そして磨かれ続けてゆく。そう、人生というのは、ある意味、孤独というものを大事にすることから始まる、きっと誰にとっても。だから、”孤独” というものにネガティブな感情を抱いたり常に明るい方にしか目をやることがない人には深い内省もない分だけ成長もない。極論でもなんでもなく、そう思います。僕が好きな本というのは、作家というのは、旅のイメージが似合う、そんな本や作家です。旅というのはある意味、孤独と表裏一体なもの。見知らぬ街を訪れる人の心にわきおこるのは楽しい感情ばかりというよりも圧倒的に新鮮なストレンジャーとしての孤独であるはず。孤独さを感じながら彷徨うからこそ、そこで出会う物事もまた心に深く強く焼きつくわけで、また、見知らぬ他者の何気ない心遣いに触れる時に、人の心のありがたみだって一層身に染みるというもの。そういう意味で僕が好きな作家は誰かなあなんて考えてみると、とりあえず今は、塩野七生さんが真っ先に思い浮かびます。いや、塩野さんだけじゃないぞ、他にも・・・・・・。なんて感じで、話の続きはまた次回の日記で。(書くかもしれないです。でも別なことが書きたくなるかもしれません)。まとまりのない日記で失礼。今しがた、僕のブログをリンクしてくれた方のブログを発見し、その方の日記を読んでいたら塩野七生さんの本のことが書かれてあったので、つい嬉しくなってしまいました。なんか、めちゃくちゃ頭脳明晰な方だと感じました。それで、「僕のブログなんぞをリンクして、アホ菌が伝染したら大変ですよ、でもとても嬉しかったです、ありがとうございます」なんて書き込みしようかどうしようか迷った挙句に、今夜はもうかなり眠いので何も書き込まず、嬉しい気分のまま安眠へといざなわれることにします。ということで、皆様、おやすみなさい。良い夢を☆. 最終更新日 2009.06.03 23:30:10----------------------------------------------------いい男を目指そう!----------------------------------------------------日々こつこつと懸命に仕事をしている人を見ると元気になる。そんな時、自然と、自分も頑張ろうと思うし、エネルギーが沸いてくる。不思議なもので、このようなエネルギーの連鎖が起きてる時って、自分が見ていないところで必ず誰かがこちらを見ている。勿論、その逆も当然あります。モチベーションが低い時に、つい怠けてしまっている時に仕事上で重要な誰かが何処かから見ていることも大いにあるわけです。どちらにせよ、自分で分からないだけで、必ずどこかで誰かは自分の行動を見ているのです。それで上に書いたようなエネルギーの連鎖や共振が起きている時には、不思議なくらい同じ時期に仕事が集ちゅして舞い込む。たとえば次から次へと仕事をこなして疲労困憊している時なんかに、「この不景気に、なんで??」と思うくらい、次から次へと仕事の依頼の相談の電話が鳴ったりするのですよ。だから、人はなるべく、大勢の人々が良質なエネルギーを共振させている場に参加して、自分もその場に良いエネルギーでもって交わっていた方がいい。不景気だからといって何もしないで家にこもっていたりしてはいけないのです。先日にコンビニで雑誌を立ち読みしていて驚いたのだけれど、今、会社を理不尽な理由で解雇され再就職もままならず、そのまま家に引きこもりと化してしまう若い人達が多いそうです。引きこもることで開けてくる自分の未来など、あまり期待出来ないように思いますし、それこそ八方塞がりの泥沼状態から抜け出せなくなってしまう可能性も非常に高い。こういう時代だからこそ、やはり勇気をもって混沌とした磁場へ踏み出すということがとても大事になってくるような気がします。話は変わりますが、日経ビジネスAssocie6月号に、とても面白い話が載っていました。岩瀬大輔さんという人の書いた記事です。以下に太文字で紹介しましょう。「社会のパラダイムが変わろうとしている今は、エリートの人にとっては不利で、そうじゃない人にとっては、社会の構造や階層をひっくり返せるチャンスだと思います。社会が安定している時は、ヒエラルキーが全部決まっていて、年上の人は追い越せないし、いい大学じゃない人はいい大学の人を追い越せないといったことがある。でも、今は下克上オーケーです。」いいこと言うなあ、本当その通りだなと唸りました。今の世の中で、たとえば僕自身が他者の仕事振りを見ていて「この人は格好いいなあ、素晴らしいなあ」と思える人って、学歴とか全然関係ないですもん。このあいだ知り合った車の営業マンの方で、凄く多忙でお客さんからの信望も厚く引っ張りだこの方がいました。年齢は30歳前後といったところ。それで、僕はこんな質問をしてみたんです。「営業の仕事に入る前は何をされていたのですか?」こんな答えが返ってきました。「車の修理工場で働いていました」なんというか、こういう人ってけっこう好きなんですよ僕は。さて今、ふと思い出した言葉があります。ウィーンの建築家集団、コープ・ヒルメルブラウがだいぶ前に放った言葉。「時代が困難になればなるほど、建築は強靭になる」現代というのは兎にも角にも非常に困難な時代ではありますが、こうした時代の途方もない混沌さ加減に自ら飛び込んで激流に流されない強さや心の軸を内に育むことで齎されるものって同時に非常に大きいのだと思います。で、先日の日記で紹介したスザンヌ☆さんの日記の話の中で書いてあった ”いい男” を目指すべく、最近僕は仕事面で奮闘しているのであります。こういう時代に仕事に精を出してコツコツと逞しく前進し続けていれば、僕みたいなアホ系もてない君でも、もしかしたら「いい男」になれるんじゃないかなあって、なんか、そんな幻想も抱いたりもするんです(笑)。まあ、いい男への道は遠く険しいことは確か・・・・・というか、男はいつの時代でも逞しくあれ、って感じですよね。「戦後生まれの人たちは一度も微兵制度に遭っていないでしょう。戦争にも行かず、人を殺してもいないという、こんなラッキーな世代は実はないんですよ。」 (五木寛之談)酷い不景気、混迷とした時代なんていったって、所詮は戦時中や、それ以前の日本よりは、現代は遥かに平和で生き易い時代なわけです。いい男を目指そう!なんて言ってられること自体、平和と言わず何と呼ぼう?。ただ、平和だとかいっても、多くの人々が文化・精神の拠り所を失いつつあるという意味では、相当に現代日本は酷いことになっているとは思いますが。兎にも角にも!老いも若きも男も女も、皆さん、いい男・いい女を目指しましょう!(爆)(って、いい男って一体どういう男のことをいうんでしょうね?・・・難しいところです。また後日に考えてみたいと思います). 最終更新日 2009.06.03 22:11:52 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.05.11
もし初恋の相手と再会できるとしたら、それが互いに当時のままの姿と心で可能であるとしたら。現実には、それは不可能なことでしょう。偶然、初恋の相手と再会を果たし、たとえ瞬時に心だけタイムスリップを果たしたとしても、長く過ぎた歳月を逆戻りすることは出来ません。時の経過は人の外見に、確実に今を刻んでいます。でも、それに近い状況を可能にするものがあります。それは映画や小説、時に音楽や絵画。思い出の写真だってそう。実際に言葉は交わせませんが、遠く過ぎ去りし日の美しい風が唐突に目の前に、当時のままに再び吹いてくる、そんな魔法のようなことを往々にして可能にしてくれます。僕にとって初恋に似た淡い若葉の頃の心象風景に唐突に引き戻してくれるものが、最近ありました。映画、古い異国の映画作品。予期せぬ再会が齎してくれたのは、過去への追想と同時に、現在の自分にきっと必要であったかもしれぬ何かでした。その、何か、が一体どのようなものなのか想いを馳せているところです。高校生の頃に最も好きな映画は『甘い生活』という名の古いイタリア映画。なぜその映画に惹かれたのかというと、監督がフェデリコ・フェリーニだからという理由に加えて、ローマを舞台にしていることもありましたが、でも一番の理由は出演している女優さんに惹かれたというのが一番の理由だったように思います。出演している女優といっても、いうなれば端役に過ぎない役柄であり、出演シーンは二つの場面のみ、その二つの場面は総長さにして3分にも満たない僅かな時間。にも関わらず、その女優さんに惹かれたのは、この映画において実に重要な役柄(天使のような存在)として描かれていたからです。おそらく映画史上類を見ない程に有名な ”端役” に違いありません。フェデリコ・フェリーニの代表作である『甘い生活』という永遠の名作のラストシーンは、この女優さんの笑顔のアップで幕を閉じるのですから。先日、久々に、この映画の有名なラストシーンを観ることが出来ました。マーチン・スコセッシが監督した古いイタリア映画への愛がこめられた「私のイタリア映画旅行」という映画作品に主要な名場面と共に、このラストシーンも登場します。それで久々に、高校生の頃にとても好きだった女優さんを観ることが出来て、不思議な感覚になりました。20数年前の自分にタイムスリップしたかのような不思議な感覚。説明は難しいのだけれど、唐突に昔のままの自分として今、この映画と、そして、この女優さんの笑顔と対峙し、あの頃と同じように惹かれている、そんな感覚。なんというか、唐突に初恋の相手と再会したような気分。でも相手は何も変わっていなくて、また、自分も昔のままの姿に戻っている・・・文章にすると意味不明な感じだけど、そんな風に不思議な感覚に包まれてしまったのでした。フェデリコ・フェリーニ監督映画『甘い生活』http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/ivcf-5287/さて、話を変えて、先日に発信した幾つかの過去日記を以下に復刻することにしましょう。---------------------------------------------------------人生への愛の喜び 『私のイタリア映画旅行』 2009.05.12 日記---------------------------------------------------------最近に鑑賞した最も素晴らしい映画のひとつ。『私のイタリア映画旅行』この映画の中で、監督のマーティン・スコセッシが、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の代表作である『甘い生活』について言及しているシーンがある。以下に太文字で引用しましょう。手を振る少女純粋な瞳で語りかけてくるが、彼には届かないこの作品は、いま見返してもテーマに相反して絶望感を感じさせない映画や人生への愛の喜びが勝っているのだこの、マーティン・スコセッシ監督の語りかけにこそ、映画への、人生へのあたたかな眼差しや愛が宿っているように感じます。今夜、衛星放送でフェリーニの『甘い生活』が放映されたようです。残念・・・衛星放送が観れる環境でないこの身(笑)。久々に、この永遠の名作を鑑賞したくなりました。『私のイタリア映画旅行』http://item.rakuten.co.jp/book/3759125/人生への愛の喜びを与えてくれるのは、何も映画ばかりとは限りません。映画はそれを、忘れかけていた頃に思い出させ気づかせてくれますが、それは、草原を舞う美しく神秘的なアゲハ蝶だって同じこと。先日に出逢ったアゲハの神々しい姿から、今、様々なことへ想いが馳せています。---------------------------------------------------------幸福をつかまえるには? 2009.05.17 日記---------------------------------------------------------幸せになりたい、愛があふれた生活をおくりたい。誰もがそう願っているはず。では、幸せになりたい、愛をいっぱい感じたり豊かな人生を生きたいと願う人が多いのに、巷には ”幸福” を謳う本が溢れているのでしょう?自分が願うふうに、現実がそうは上手くならないことのあらわれだと思います。もし、この世に生きる全ての人々が常に幸福であるのなら、書店で無数の ”幸福へいざなう本” を目にすることもないのだから。幸福をつかまえるには、一体どうすればいいのだろう?そんな風なことを、僕もよく考えます。多くの人々と同じように、幸福ってなんだろうなあとか、いつも幸せでいられたら素敵だなあ、とか。それで、最近、よく草原を舞う蝶々を目にしながら、こんなことを想うんです。「ああ、キレイだなあ。写真に撮ろう♪」でも、そんな時に限って蝶々はカメラのレンズの前に留まってはくれないものです。ほんのちょっとした人の気配が空気の振動として伝わっただけで、軽やかに遠くの方へ飛び去ってしまうから。花を写真に撮るのとはわけが違います。そんなふうに、惜しい気持ちを抱きながらも、次のようにも想ったりもするのです。「カメラに撮っても仕方がないな。美しい存在に出逢えただけでも幸せと思わなきゃ」と。ましてや、目の前の蝶々を網か何かで捕まえたりしようなどとは考えないことです。そういうことって、とても大事。幸福だって、これと同じようなことがいえるような気がします。捕まえようなんて、思わないことです。さて、上に書いたような、草原を軽やかに舞う蝶々の風景を目で追いながら、最近、僕は次の言葉を思い出していました。素敵な言葉です。今月のメインのブログTOPの格言にあげることにしました。ヘッベルという詩人の言葉です。~幸福は小鳥のようにつかまえておくがいい。できるだけそっと、ゆるやかに。小鳥は自分が自由だと思い込んでさえいれば、喜んであなたの手の中にとどまっているだろう。~復刻日記に加えて、最近に撮った自然の風景写真を以下に幾つかまとめて掲載します。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.05.11
最近に観たナチス・ドイツ絡みの映画をもう一つ日記に書くことにしよう。初めに断っておくけれど、僕はナチスという過去の遺物(と仮定して文章を進める)に対して何ら憧憬の想いを抱いているわけではない。ごく稀に存在するらしい軍服マニアでもなければ、戦争映画に心を躍らせる類の映画ファンでもないし、過去の二度に渡る世界大戦の記録に目を通して歴史から何かを学び取ろうというささやかな向上心があるわけでもない。数時間前に書いた日記の中で紹介した『敵こそ、我が友』を観たいと思った一番の理由は、ある雑誌でこお映画に纏わる次のエピソードを紹介する記事と出逢ったからだった。----第二次世界大戦後、ナチスの戦犯であるクラウス・バルビーが南米に逃亡する際の協力者となった存在の一人が、ヴァチカンのローマ法王であった。-----正確な記述ではないが、おおよそそんな風な文章が目に入ったのだ。僕が『敵こそ、我が友』という過去の世界規模での戦争という惨劇を追ったドキュメンタリーに興味を持った最初にして最大の理由がそれだった。上に挙げた記事内容を読んだ際に思い出したのが作家の塩野七生さんが以前にエッセイに書いていた事柄。その中には、このような記述があった。これも記憶をひもときながらの引用であるので正確な文章ではないが、大体の内容を以下に記そう。-----人類最高の頭脳集団はアメリカのNASAではなく、イタリアのヴァチカン内部、ローマ法王を中心とする云々云々・・・・・-----これは多分、世界の覇権の大部分を治める西欧文明の精神的支柱となっているキリスト教の総本山こそが、実は西欧文明の魂の拠り所であり、また人々の欲望や苦悩の根源のみならず権力の本質が集中する場所であるとの解釈で塩野さんは記していたのだろうと思う。宇宙への飽くなき探究心やロマンなど、この地上で何千年も繰り広げられてきた人類の営みの上に築かれた権力構造の前には実にちっぽけなものでしかないのだ。ということでヴァチカンが一体どのようにナチス・ドイツの戦犯と関わり、彼が海外へ逃亡する手助けを担うこととなったのか、その経緯と理由を知りたくなったというのがそもそものきっかけだったわけなんですよ。でもって数時間前に日記で紹介した『敵こそ、我が友』という映画鑑賞へと到ったわけなのです。この映画はおおよそ10日ほど前に観た映画なのだけれど、今もって頭にこびりついて離れない、そんな強い衝撃があったことは確かで、そうした余韻は今日に別なナチス・ドイツの戦犯を描いたもう一つの映画鑑賞へと僕を駆り立てたのでした。で、今しがた鑑賞を終えたその映画のタイトルが、『マイ・ファーザー 死の天使 』。いやあ、まいったまいった。この映画もきてます。相当に、きてます。クラウス・バルビー同様、ナチス崩壊後に国外逃亡に成功した戦犯( ”死の天使”と呼ばれ恐れられた人物=ヨゼフ・メンゲレ)の行方に纏わるエトセトラに迫った映画なのですが、この映画の興味深い点は、戦犯であるナチスの生き残りである人物とその息子との対話を軸に描かれた所謂ヒューマン・ドラマとしての側面を併せ持っている点。当然、息子の心境は地獄のような葛藤そのもの。内密に南米へ逃れ身を隠し潜伏している実の父に、親族からの極秘の情報を元に会いに行く先で起こる様々なドラマが物語の中心となっています。息子といっても年齢は中年で、かつてヨーロッパを恐怖に陥れたナチス戦犯の一人である父は既に老人。当然、息子は実の父が犯した強制収容所における狂気の人体実験の数々なんかを調べ上げ知り尽くしているのです。心の中にある想いの核心にあるのは、父という人間を理解したいという想い、その一点のみ。目の前に現れたのは、心優しき一介の年老いた男・・・戦犯をイメージさせる面影などどこにもなく、息子との再会を心から喜ぶ普通の老人の姿。映画の主人公である息子は怒涛の如き内面の葛藤に襲われます。戦犯として世界規模で指名手配されている父を告発し警察へ密告すべきとの良心の呵責と、実の父を理解し助けたいと願う気持ちの狭間で激しく揺れ動く内面。そして物語は驚愕のラストへ向かい疾走してゆく・・・・・。お話の続きに興味を抱いた方がいましたら是非、映画をご自身で鑑賞して下さい。『マイ・ファーザー 死の天使 』http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/jdxd-25508/ちなみに、上の映画に登場するヨゼフ・メンゲレを南米へ逃亡させたことにも、ヴァチカン・ローマ法王、そしてアメリカの思惑が絡んでいます。事実は、そして歴史とは、小説よりも映画よりも遥かに奇なり、です。. (2009.05.24 00:14:24)---------------------------------------敵こそ、我が友 2009.05.23日記---------------------------------------最近に観た映画の中で、ダントツに凄かったのがこの映画。怒涛の如く眩暈級に凄まじい作品です。『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~』随分前は戦争に従軍した体験を持つ人というのが周囲に、沢山ではなかったけれど、それなりに存在していたものでした。今では本当に少なくなったと思います。シベリアで捕虜生活を送っていたことのある親戚のお祖父さんも数年前に亡くなり、知人で日本兵として戦争を体験した人の殆どが他界しています。近所で上記した体験を持つ人を思い浮かべると、今は一人しかいなくなってしまいました。戦争を知らない子供達なんて歌が昔ありましたが、もちろん僕もそうした戦争を知らない世代。そんな僕にとって、いや、現在を生きる多くの日本人の瞳には、日記の冒頭にあげた外国映画は実に衝撃的に映るのでは?と思います。一切の誇張なしにいうけれど、これまでの価値観が根元から崩れざるをえない、日頃我々が考えている平和への想いみたいなものがいともたやすく足元からすくわれてしまうこと必至、そんな映画です。この映画はドキュメンタリー作品で、主要な登場人物たちは悪名高きナチス・ドイツの高官であった人物達。物語の主人公ともいうべきクラウス・バルビーの生涯を軸に映画は進行してゆきます。戦時中に残虐の限りを尽くした彼が、ナチス崩壊後どのように海外逃亡を図ることが出来たのか、その経緯が描かれるシーンに思わず絶句。なんと、イタリアのカトリック総本山であるヴァチカンの要であった司祭達の協力によって、彼は逃亡に成功していたりするのです。こうした史実は、この映画で描かれてあることの、ほんの氷山の一角に過ぎません。良くも悪くも、歴史で語られることの殆どない影の部分に、こうした映画を鑑賞することによって触れることは稀少なことです。実に衝撃的なシーン(バルビー自身の回想シーンや音声によるインタビュー音源や、晩年にフランスへ強制移送され裁判で終身刑を言い渡される映像、それらを取り巻く果てしない混沌の渦)が、てんこもりとなっております。まさに、口あんぐりといった映画なのだけれど、色々な意味で、観ないよりは観た方がいいかもしれませんと思いますし、愛とか平和への想いを内には育むのは、それからでも決して遅くはありません。『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~』http://item.rakuten.co.jp/book/5905133/---------------------------------------------------------------------------------タイトル(英名):『MON MEILLEUR ENNEMI』 制作国:フランス制作年:2007年ナチス・ドイツの親衛隊中尉として数多くのユダヤ人を迫害し、“リヨンの虐殺者”と呼ばれたクラウス・バルビー。その知られざる過去と激動の人生をサスペンス・タッチで再現してみせたドキュメンタリー・ムーヴィー。 【解説】“戦犯クラウス・バルビー"は、第二次世界大戦終結後38年が経った1983年、フランス領ギアナでフランス当局に逮捕され、4年後の1987年、戦時中の17におよぶ人道に対する罪で終身禁固刑を宣告されました(1991年に病死)。映画『敵こそ、我が友戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』は、そんなバルビーの戦中、戦後の残虐で欺瞞に満ちた“3つの人生"を、数々の記録映像やインタビューを駆使して描き出した衝撃のドキュメンタリー作です。 その“3つの人生"とは、第1が、ドイツ占領下のフランスでレジスタンス活動家やユダヤ人を迫害し、「リヨンの虐殺者」とも呼ばれた冷血非情なナチス・ドイツ親衛隊員としての人生。 第2が、戦後冷戦下のヨーロッパでアメリカ陸軍情報部(CIC)のためにスパイ活動を行ったエージェントとしての人生。 そして第3が、チェ・ゲバラの暗殺計画をも立案したという、南米ボリビアでの軍事政権支援者としての人生です。『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』(1999)、『ラストキング・オブ・スコットランド』(2006)などジャーナリスティックな視点で描いた優れた映画を発表している監督のケヴィン・マクドナルドの本領は、この映画でも遺憾なく発揮されています。 バルビーの人生を追うことから見えてくる国家の裏の姿、世界の権力構造の実相……。 マクドナルド監督はこの映画を通して、今私たちが生きている社会の表層からは見えない真実を突きつけます。 現代社会を理解するために、幅広い世代に見てほしい作品です。 (以上、青文字の説明文章は、楽天市場商品解説文章より転載)http://item.rakuten.co.jp/book/5905133/---------------------------------------------------------------------------------. (2009.05.23 13:25:43)今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『アゲハ蝶』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.05.11
風を感じるのが好きです。花を見つめるのが、海や空に想いを馳せるのが、人の笑顔と出逢うが好きです。そして、美しいこの世界が好きです。世界には沢山の色彩があって、遠くから眺めたら、それらはきっと、まじりあいながら藍色に輝いています。花や風や海や川、人間や動物も、みなそれそれの色彩を放ちつつ、ひとつの色彩の風景を紡いでいて、それは、現在・過去・未来、時の流れだってそう。このブログで出逢う人との交流だって、同じように、きっと藍色の風景に包まれながら、豊かにそれぞれの命を彩っているにちがいない。 ---藍色---この言葉には思い入れがあります。深い、思い入れです。20代の頃、スケッチブックに絵を書いたり、自分が理想とする家のスケッチを夢想するままに描く時に、僕は、それぞれの絵や文章にタイトルをつけていました。それらのタイトルには共通する言葉がありました。「藍色」”藍色の家” とか、 ”藍色に輝く海” だとか、自分で特別に意識していたわけでもないのに、藍色という言葉ばかり使っていたんです。当時の僕が心に思い描いていた風景には、ギリシャや沖縄の青い海の色彩やアゲハ蝶々の鮮やかな色彩が、すがすがしく心地良い風と共にあふれていたものでした。藍色というのは英語にすると、文字通り、BLUEということになるのでしょうか。でも、僕は勝手に自分なりの解釈で使っていました。自然の中で輝く色彩、それがBLUEを中心とした色彩で輝いているのであれば、それは「藍色」なのだ、と。なので、自分が勝手に想い描き夢想しながらスケッチする架空の風景に散りばめられた色彩が、ホワイトであろうと黄色であろうと何色であっても、僕の中では、アゲハ蝶々が健やかに飛び交う風景を彩った「藍色」の風景だったのです。あれから10年以上の歳月が過ぎて、現在の自分が再び、藍色の風景を駆け巡っているように感じています。当時の自分と現在の自分とが違うのは、スケッチブックの中にだけ理想の風景・美しい色彩を塗りこむことにのみ収束されないだけの強さを内に育むことが出来た点でしょう。10年もかかったけれど、いろんなことがあったけれど、ようやく最近、10年前とはまた異なった、より、リアルな風景に踏み出せつつあるような気がしています。過去の自分なら、スケッチブックの中でしか描くことの出来なかった藍色の風景を、今ならリアルな風景として、生活の中で彩ることが出来るんじゃないかな・・・そんな淡い予感と期待、願い。あれから10年が過ぎて、藍色に輝く風景に、いま一度、踏み出している自分が現在、います。以前の自分なら、こういうことは言葉にはできていませんでした。時の経過を感じると共に、少しばかり成長した自分がここにいることは事実。良きこと・・・とても善きこと。そんな風に、自分なりに深い感慨にふけりつつ(笑)、先日からブログTOPの模様替えを少しずつ行っている次第です。ということで、これからもどうぞ宜しくお願いします☆☆☆では、また次回の日記で逢いましょう♪>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 藍色への想いを綴った日記で、サクラの花の写真。違和感を覚える方もいることでしょう。・・・でも。これが現在、春の季節における僕自身の「藍色風景」です(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.21
先日に鑑賞した外国映画は、とても考えさせられる映画でした。タイトルが「この自由な世界で」。映画を見れば分かりますが、”この自由な世界で” というのは、自由な世界を謳歌する、という意味合いではありません。自由主義経済が加速するこの殺伐とした時代の中で、人はどのように生きてゆけば良いのかを問う、そんな映画。なので原題は、 ”it's a free world・・・” 。言葉の終わりに、疑問符のように、「・・・」がつきます。この映画を鑑賞しながら、ふと頭を過ぎったのが、人材派遣会社でボロ儲けした折口会長。あるいは、「金で買えないものはない」という発言で有名なホリエモンさん。巷では、物質主義の時代の終焉、新しい価値の創造、そのような時代の到来を予見する声がチラホラと様々なブロガーの日記等で見られますし、それはそれで素晴らしいことですが、ところがどっこい。イギリスの現在、ヨーロッパの現状は、日本のそれと大差がないばかりか、もう誰も止められないんじゃないか?というほどに「自由な世界」の中で格差は広がり、人々の心は荒れ狂うまま軋みまくっている・・・これが実際のところなのでしょう。「この自由な世界で」http://item.rakuten.co.jp/forestplus/4988102623135/上にあげた映画の主人公は、人材派遣会社を立ち上げ、ボロ儲けしたけれど、果たして彼女は、そして彼女の小さな息子は、あの後、幸せになるのだろうか。僕は想うのですよ。まず、無理だろう、と。確かにお金がないと何も出来ないし、質素な生活よりは贅沢にものを買える環境の方が素敵かもしれない。だけど、です。彼女と小さな息子が社会的地位や大金を得た後で失ってしまったものの方が、得たものよりも遥かに大きく、それは取り返しがつかないほどの損失であるように僕には思えたこともまた事実。たとえば、先日の日記に ∵.:*・*雪花*∵.:*・さんから舞い込んだ素晴らしい書き込みコメントに書いてあったような、家族で公園で笑顔で芝生の上に寝っころがりながら春の季節を感じる幸福感のようなものは、この映画の主人公の親子に、映画のラストの後で訪れることはあるでしょうか?。難しいですね・・・たぶん。(でも、身の危険を守るためにボディガードを常時雇うというのであれば可能かもしれません)。物語のエンディングの後味の悪さは、これから移民となりロンドンへ向かうであろう一人の東欧女性の無垢な微笑を映し出すことによって一層浮き彫りになってくるように思いました。以上、『この自由な世界で・・・』 と銘打った2009.04.21日記の復刻でした。話題を変えて。待望のGWがスタートしたので意気揚々と自然散策へ向かいました。やはりGWには自然散策が一番。お金もかからないし、健康にもいいし、最高のGWの過ごし方だと思います。皆さんも是非、GWには雄大な自然に抱かれて、新緑の若葉のように身も心もリフレッシュして下さい。今日に山の奥深くで出会ったのは雄大な川。眺める角度や位置によっては、藍色に輝いたり、エメラルドグリーンに見えたり、なんとも素晴らしい風景でした。次の写真は昨日に撮った市役所の前の公園の花壇の写真です。新緑の季節に、BLUEの色彩が美しく輝いています。まるで蝶のように。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『藍色風景への想い』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。
2009.04.20
人間による環境破壊が地球に及ぼす悪影響への懸念とかを日記に書くと、悲観論者のように思われてしまうような気がして、なかなかそうしたことって書く気になれない。懸念とか、そんな風に物事をとらえる人って、どんな状況においても全ての因果関係を悲観的に結びつけて考えてしまう癖を持っているのでは?なんて批判されそうで、最近は口にするのも億劫にさえ思っている。これから日記に書こうとするのは、別に悲観論的な人類の未来予想図でも、エコに関する重要なエトセトラでもなんでもない。ただの、ありふれた僕自身の、個人的な幼少時代にまつわる思い出話です。子供の頃は夏休みになると、いつも友人達と川へ出かけては、一日中泳いでいたものでした。川を泳いだり、潜ったり、魚を釣ったり獲ったりするのです。ただ、それだけの繰り返しで、毎年、夏の季節は過ぎてゆきました。当時は今のように環境汚染がどうのこうのという話は耳にしたことはありません。川は汚染されているから子供達が泳ぐことを禁止すべきだ、なんて風に、大人たちが眉間に皺を寄せて川での遊泳を禁止することもありませんでした。今、実際に、どれほど川が汚染されているか、僕には詳しいことは分かりません。ただ、僕に分かるのは、僕が子供の頃に泳いでいた当時の川の姿は、そこにはないということだけです。近くに工場が出来たり老人施設が出来たりして以来(それは僕が中学に入った後くらいから)、何かが少しずつ変わっていったということくらいです。今、仙台の田舎町でも、ここで泳ぎたいなあと感じる川というのは、よほどの山奥へ出向かなければ見つけることは出来ない。それくらい、澱みのない美しい川の流れに出会うことは、ここ田舎でも、そんなに多くはない。少し前に、こんなことがありました。近所にあるコンクリートで作られた用水路を眺めながら、50代の中頃くらいの年齢の歳の離れた従兄弟と会話していた時の話です。「オラが子供の頃は、ここで毎日、うなぎを獲って家で食べていたもんだ。いくら獲っても獲っても、うじゃうじゃ、うなぎがいたもんだ。」「本当ですか?!」「みんな、毎日、食べてたよ」そういえば、その用水路は、僕が子供の頃には普通の小川でした。僕自身もその小川で毎日、フナを釣って遊んでいたものです。鯉も、たまに釣れました。でも、うなぎは一度だけ友人が釣ったことがあるという程度であり、その小川が以前に、うなぎの巣窟であったという話は俄かに信じ難い話であったのです。そのことを従兄弟に話したら、「少しずつ変わっていったんだ、田んぼの農薬とかのせいで。今じゃ魚一匹もいねえべ」こうしたことに、一抹の寂しさを感じることって、別に悲観論ではないように思います。素直な感情の発露、です。このような素直な感情の発露を、悲観的で後ろ向きな ”ノスタルジー” としてではなく、現在・未来に対する一つの警笛のようなニュアンスでもって受け止めることの出来る感性や想像力って大事なような気がするのですが如何なものでしょう。「人類の歴史は、未知のウィルスとの闘いの歴史でもある。だから、いちいち心配していたらキリがない・・・」なんて云々云々する人が稀にいるけど、どうなんでしょう?パンデミックの歴史って、そんなにそんなに古いものなのでしょうか??。現代から遡り、たかだか数百年の歴史しかないのでは?と、そういう意見には、つい眉を細めたくもなります。未知のウィルスは何処からやって来るのか?と自問すれば、-----それは人間社会から。つまり、自然と人間社会との間に存在する「歪み」「軋み」そのものである-----と考える術以外に、僕には今のところ合点の行く自答を内に持つことが出来ていません。こうした考えを、未来への処方を放棄しただけの無意味な悲観論と捉えるかどうかは、この日記を読んでくれている、あなたの自由。また機会を設けて、自然にまつわる色々なお話を日記に書きながら考えてみたいと思います。 ☆☆☆話を変えて☆☆☆昨年の後半から今年のはじめにかけて発信した過去日記の中から、自分自身で気に入っている日記を幾つか、以下にリンクつきでピックアップします。是非、再読していただけると嬉しいです。 旅人は星を数える リリー・フランキーと小さな女の子と天使 天空の城ラピュタ 翼をなくした天使が、いつか再び飛ぶ日 リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方 新年あけましておめでとうございます アイ・ラブ・ユー イノセント・ラブ 次に紹介するのは、2冊のお勧めの本です!今年になって発売された本の中から、楽天ブログでも有名な2人のブロガーの本を紹介します。【亞】さんの本。『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/うみねっと2さんの本。『運命は「波」で解ける』http://item.rakuten.co.jp/book/5974879/今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『藍色風景への想い』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.04.20
仕事の昼休みになると、沢山の人々が大きなコンクリートの箱から抜け出して、広い公園に集まり始めます。巣穴から一斉に出てくる蟻たちのように、公園に集まってきます。オフィスビルという名のコンクリートの箱の中にだけいたら、誰だって窮屈で仕方がなくなるというもの。昼休みくらいは、大きな公園で日向ぼっこししながら、青空の下で伸び伸びしないと息がつまるでしょう。昼休み。こういう時間だけ、普段は機械的に動き回っている人達も、公園に咲いている花々と似ているように思えてくるから不思議です。公園で色々な人たちを眺めていると、面白くて、いつまでも飽きません。50歳をとうに過ぎたであろう大人の男が、子供のような表情で、桜の木を、じっと見ている。アラサー風な女性達がケータイ電話を片手に桜の木のまわりを笑顔で歩いている。花壇のそばで、いつまでもじっと小さな花を眺めている小さな子供もいます。いろんな人たちを眺めているだけで、桜や、すいせんの花を見つめているだけで、昼休みは、あっという間に過ぎてゆきます。皆、大きな空の下で、花々を見ている。きっと、公園で咲き誇る春の花々を見ていると、皆の心も昼休みの間だけは、健やかに無垢になれるのだと思います。そして、少しだけ生き返るのでしょう。やはり、コンクリートの箱の中で咲いている瓶の花を眺めているよりも、大きな公園で沢山の花々を眺める方が、心も体も、自然とイキイキしてくるというものです。街の乾いたアスファルトの上を往復し、オフィスビルの中で黙々と仕事するだけでは、人の心だって、小さな瓶の中の花と同じように、乾いて、しぼんでしまいます。そういう意味で考えると、街の中にある大きな公園は、人と、自然に流れるエネルギーやリズムや調和とを回復させる大事な場所であるように思えてきます。春を代表する花といえば、桜。そして、すいせん。桜は、上空に近い場所で美しく咲き誇っています。一方、すいせんは、地面からちょっとだけ高いところで微笑むように咲いている。空ばかり見上げて歩いていたら、あぶなく踏んでしまいそうな場所で咲いている花です。 桜。 すいせん。どちらの花も、陽の光に恋するように、上を向いて咲いています。どちらの花も、青空の色彩が、とてもよく似合います。花の大きさも色彩もまるで異なるのに、どちらの花も、太陽の光をあびて、うっすらと輝いている。艶やかに、穏やかに、心地良さそうに。人間は、このふたつの花の中間あたりの高さの場所で呼吸をし、歩き、生きている。そして、空と地面と、その両方を眺めている。通勤へ向かう道の途中で。仕事の昼休みの公園で。いろんな場所で。空を見上げれば、桜の花々が青空に映え、地面を見つめれば、すいせんが、いろんな花々が咲き誇り、微笑んでいる。春って美しい。春って、素敵です。花々も、人も、同じように、陽に恋するように、やさしく穏やかに微笑んでいるように感じます。では、また次回の日記で逢いましょう ^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 仙台では今、桜が満開です。今日も沢山の人達が、街の公園内でケータイで桜の写真を撮っていました。春って、素敵ですね♪(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.15
気持ちの良い青空、ぽかぽかした陽の光。くすぐるような穏やかな風。こんな日曜日には自転車でお散歩に限ります。時速20kmとかで爆走サイクリングではなくて、きままに、ゆっくりスケートするみたいに。こういう場合、自転車に乗ってどこへ?とか考えてはいけません。花が咲いているなあ、キレイだなあと思ったらそこで休憩して、花を眺める。川の流れが清清しいなあ、素敵だなあと思ったら、そこでまた自転車をとめる。雲がまっしろで気持ちがいいなあ、と空を見上げながら、時速5kmくらいで自転車をこぐ。ゆっくりと音もなく、あたたかな陽だまりの中をスケートするみたいに。こういうのって、自動車では味わえない醍醐味があるんですよ。だいたい、車を時速5kmで運転してたら、うしろの車から石を投げられてしまいますよね(笑)。自転車だと、どんなにゆっくり走っても、誰も文句ひとつ言いません。車社会のハイ・スピードな時間の流れに馴れてしまっている人にとっては退屈に思えるかもしれませんが、同時に見えてくるものだってあるはず。刺激的なんじゃないかなあって思います。ゆっくり進まないと目に入らない風景や音や光というものがあって、そうしたものが無数に僕らを囲んでいる、というより共にあるのが本来の世界なのかもしれません。早く走れば早く目的地に着くけれど、時間と代償に失ってしまうものだって、きっとあるわけです。仕事はお休み。何もしなくて、いい日。そんな日曜日には、自転車でお散歩。 笑顔でお散歩^^では、また次回の日記で逢いましょう♪ (^^)>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 先週の日曜日にひきつづき、今日も青空。まぶしいくらいの青空です。素晴らしい日曜日。自転車で散歩を愉しんだ後は、図書館へ行く予定です。皆さんも素敵な日曜日をお過ごしください♪(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.05
どうしてこの人と、この場所でバッタリ出会うの?!なんて風にビックリ仰天したことありませんか?僕はけっこう、そういうことあります。中学そして高校と、とても好きだった外国のギタリストと偶然に出会ったことがあります。道で、ばったり、出会ったのです。原宿の歩行者天国で。19歳か20歳くらいの話です。そのギタリストの名は、ジェフ・ベック。イギリスのミュージシャン。ばったり出くわした時、目を疑いました。これは夢なのか?と。でも目の前にいる外人の顔には、明らかに ”ジェフ・ベック” と書いてありました(書いてないですけど、そんな感じでした)。誰が見ても、ジェフ・ベック本人なのです。頭が真っ白になるくらいガチガチに緊張してしまいました。少し話を前に戻しましょう。はじめ、ジェフ・ベックの顔が視界に飛び込んできた時、僕は少し大きく声にしてしまったんですよ。「あ、ジェフ・ベックだ!」と。しかも日本語で(笑)。それで、その後に、(これは夢なのか?)となったわけです。やはりあの人はジェフ・ベックに違いないと判断した僕は、その人物の背について一緒に歩き出しました。そして、ふと、相手の前に飛び出して言ったのです。「ジェフ・ベックさんですね?!」(またまた日本語で)。すると、目の前の人物は、しばしコチラを見つめた後に、無言で頷きました。(うお--!すっごい!!)と感動した僕は、言葉を続けました。「握手してください!」(しつこいくらい日本語で。笑)。右手を勢いよく差し出したので、相手も握手を求めていると分かったのでしょう。同じように右手を出しかけた後に、その手を一旦戻し、何故か左手を出し握手してくれたのでした。「ありがとうございます」と日本語でお礼を言ったら、少しだけ微笑んでくれて、そしてすぐにスタッフとおぼしき人達と共に歩き去ってゆきました。心臓がドキドキして止まりそうなほど緊張したものでした。これには後日談があります。(どうして右手ではなく、急に思い立ったように左手で握手してくれたんだろう?)そんな疑問を抱いていたのですが、数ヵ月後に合点がいきました。ある音楽雑誌を読んでいたら、ジェフ・ベックのインタビューが掲載されていたのです。偶然に道でバッタリ遭遇出来たのは、ジェフ・ベックが公演のために来日していたせいだったようでした。そして、インタビュアーとのやりとりの中で、こんなことをジェフ・ベックは語っていました。「ファンから握手を求められると俺は左手で握手することにしている。なぜなら、心臓に近いのが左手だから」なるほど!だから左手で握手してくれたのか。僕は了解しました。さて話を変えて。今日、素晴らしい音楽DVDを購入しました。ジェフ・ベックのコンサートDVDです。彼のコンサートの模様を収めたDVDって初めて。あんなにも世界的に有名すぎるアーティストなのに、単独でのコンサートDVDが初めて世に出たというのも不思議な気がしますが、これは本人の強い意志でそうなっていたようです。非常に神経質かつ繊細なギタリストであるために、ちょっとした演奏のミスでも後世にまで映像が残ってしまうことが我慢ならないというの、これまでコンサート映像を収めたDVDが発売されなかった理由とのこと。まあ兎にも角にも、ファンとして、これほど待ちに待った日はありません。素晴らしいコンサート(というかライブハウスでの公演)、そればかりかキャメラはジェフ・ベックの演奏を指の動きまでクローズアップしながら追ってゆきます。まるでギタリスト志望の人たちへの教則本的DVD・・・そんな風に捉えることは十分に可能。逆にいえば、ギターに興味がない人が見たら、何がなんだかよく分からないかもしれません。とにかくエキサイティングでスリリングな映像、音の連続。ファンにとっては堪らない一枚です。ジェフ・ベック DVD【Live At Ronnie Scotts Club 】http://item.rakuten.co.jp/ajewelry/sibp-123/日記の冒頭に話を戻して。ちなみに、高校生の頃にとても好きだったミュージシャンには殆ど会いました。すべて偶然に、でした。時と場所を越えて、色んな場所でいろんなミュージシャンと偶然に道端とか色々な場所で出会ったのです。どうしても会いたいのに会えなかったのは、3人のミュージシャン。シド・バレットとケイト・ブッシュ、ロバート・クワイン。不思議なもので、会いたくても、会えないアイドルというのは、この世には確かに存在します。いいえ、偶然に会えてしまったりすることの方が不思議ですね(笑)。シド・バレットとロバート・クワインはもう亡くなったので会えないのだけれど、いつか、ケイト・ブッシュには会いたいなあって想っています。 ☆☆☆話を変えて☆☆☆昨年の後半から今年のはじめにかけて発信した過去日記の中から、自分自身で気に入っている日記を幾つか、以下にリンクつきでピックアップします。是非、再読していただけると嬉しいです。 よく見る夢、海の夢 ~心の中の海~ リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方 本物と出逢うということが齎す可能性 新年あけましておめでとうございます アイ・ラブ・ユー あたたかな風 ~虹を見た日 イノセント・ラブ さて、次に紹介するのは、2冊のお勧めの本です。今年になって発売された本の中から、楽天ブログでも有名な2人のブロガーの本を紹介します。【亞】さんの本。『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/うみねっと2さんの本。『運命は「波」で解ける』http://item.rakuten.co.jp/book/5974879/今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『自転車でお散歩日和♪(^^)』 ←クリック!上にリンクを貼った日記、その他の日記への感想を沢山お待ちしています!!(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.04.04
今、島田伸介さんの番組を見ていたら、とても面白いことを話していました。人の心の中の、思い出に関する割合は次のようになるというのです。良い思い出 4割悪い思い出 3割どうでもいい思い出 1割嫌な感情を記憶の中にとどめておく割合が、3割以内になるよう、脳の中で調整が働くという話でした。3割を超えてしまうと、生きてゆくのに不都合な状態になるので、人間の体というのは悪い思い出を忘れてしまうように出来ているようです。子供の頃に極度に嫌な思い出があった人が、普段はそのことを思い出せないでいるケースって多いらしいのですが、そういうのは脳内のメカニズムで、悪い思い出より良い思い出の割合が上回るように調整が働くために、自然とそういうことになるといいます。人間て、うまく出来ているんだなあ。なるほど。それでなんとなく思ったのですが。現代社会、心の病に陥る人の数が多くなっているというのも、上にあげた島田伸介さんのお話と、なにか深い関係があるのでは?、と。たとえば、仕事上手な人は遊び上手なんて言いいますね。これって、仕事で内にためたストレスなり疲労感を、遊ぶことで浄化させる(上に話に当てはめると、良い思いでに変える)ということになるのでしょう。だけど、仕事のストレスを何らかの方法で転換させる時間を持てないほどに過剰残業などに追われてしまっている人はどうすればいいのか。あるいは職場の人間関係が極度に緊迫していて、その軋みの値が、人の中の「良い思いで」を作り出すために必要な時間なり何らかのメカニズムを著しく破壊してしまうほどに熾烈であった場合、おそらく、悪い思い出は3割でとどまることをしないはずです。4割、5割・・・となってしまえば、それは人体内で異常事態を引き起こし、それは様々な病の症状としてあらわれるでしょう。当たり前の話なのかもしれません。常に人間は、自分の心の中の良い思い出の割合が、悪い思い出の割合を上回っていないと生きてゆけない。という、日記の前半であげた島田伸介さんのお話に照らし合わせて考えてみると、世の中で起こっている様々な心の病に関するエトセトラの処方だって、少し見えてくるような気がします。良い思い出というのは、人にとって、とても大切。親が小さな子供を遊園地や海へ連れてゆくのも、そうした楽しい出来事が「良い思い出」へつながり、子供の心を、子供の未来を豊かにするということを、親は本能的に分かっているからなのかもしれないですし、そういうことは子供の心だけでなく、親の心にとっても栄養となることは確かです。親子の場合だけでなく、老いも若きも、すべての人間にとって大切なことなのでしょう。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今日は青空。まぶしいくらいの青空。素晴らしい日曜日です。ちょっと車でドライブしてきます♪ ^^◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.03.29
聴いた途端に涙がこぼれそうになってしまう、そんな歌ってありますよね。ただただジ---んときて、聴き入ってしまう、そんな歌。ありますよね? あなたにも、きっと。昨日、偶然に出会った小泉今日子さんの「Innocent Love」という歌も、そうした歌のひとつ。逢った途端にひと目惚れ、ではないけれど、聴いた途端にたまらなくいとおしくて切なくて、とにかくジ---んときちゃって、そして涙が溢れてしまいそうになった歌。歌詞とメロディ、曲の構成や演奏(特にヴァイオリンの響き)が、こんなにも一体になって、言葉にならない感動を運んでくる歌って、久々に出会った気がします。「Innocent Love」小泉今日子さんの最新アルバムのTOPに収録されている歌です。http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988002559176/このアルバムには他にも沢山の素晴らしい歌が収録されているのですが、歌そのものよりも、歌詞それ自体が単独で素晴らしい。歌詞カードだけでも繰り返し読んでしまう、そんな風な、詩集としても素晴らしいのです。特に、「美しい世界」というタイトルの歌の歌詞が、とにかく素晴らしい。小泉今日子さん自身が書いた詩に、他の作曲家がメロディをつけた歌。この歌の歌詞を読みながら、「すごく気持ち分かるなあ」とか想ってしまいました。なんというか、僕が自分で書いた言葉そのものを見ているような錯覚・・・そんな風に思えてしまうほど、共感してしまったんですよ。でも、こんなにも素晴らしい歌詞なのに、曲調が不自然なほどに爽やかに明るすぎて、つい違和感を覚えてしまうのは何故だろう。もっと切ない風なメロディで良かったんじゃ?もっと、暗さがあっても良かったんじゃ?初期のCoccooの歌みたいな、刹那な雨と雲の切れ間から光が差し込んでくるような、そんなメロディが、この歌詞には相応しいような気がします。素晴らしい歌詞なだけに、なんだか少し勿体無いように感じたのは、たぶん、この歌詞に僕自身が大きく感情移入してしまったからでしょう。本当、素晴らしい歌詞だと思うので、その歌詞からの抜粋を、以下に太文字で掲載しましょう。美しい世界を あなたと見たいなあ だけど美しい世界が 見つからないの小さな悲しみが またどこかで生まれた世界の片隅で 誰かが泣いた世界は暗闇のなかで 迷子になってるよひざを抱えて震えてる 小さな子供みたいに美しい世界を あなたと見たいなあ だから長生きがしたいなあ ずっと手を繋いで歩いて行きたいなあ 寄り添いながら(「美しい世界」作詞 小泉今日子)歌詞を読んだだけで、泣けてくるって感じしません?すごく不安定でヘヴィーで切ない心象風景が続いた後に、さらあっと愛らしく、小さな幸福感への願いが顔をのぞかせる。こういう感覚って、とても好きです。素晴らしい詩だと思います。小泉今日子さんの最新アルバムである『ナイスミドル』には、飛びぬけるように元気な歌とか理屈ぬきに明るくなれる歌って、ほとんどありません。たとえば以前の小泉今日子さんの代表曲である「学園天国」や「マイ・スイート・ホーム」のような歌を期待して聴いたら肩透かしをくらうことになるでしょう。だけど、このアルバムが暗い内容のアルバムかといえば、全然そんなことはありません。大人のための歌・・・大人の女性が自然体で現在の自分を、必要以上の明るさを身に纏うことなく、歌っている。そう、自然体・・・・・という言葉が似合う。太陽の下で元気いっぱいに微笑みながら咲き誇る花々のような自然体ではなく、雨の中で優しく静かに咲いている一輪の美しい花のような、自然体です。まあ、それにしても、少し前まで国民的アイドルだった人が、ここまで真摯な内面をみせしまうことに、本人は不安を感じたりはしなかったんでしょうか。ファンの対応として、もしかしたら極端に二極化するように思えてならなかったりもします。「あれ・・・なんかキョンキョン、元気ないなあ」と感じるファンと、「ああ、本当はこんなふうにとっても繊細な心を持った人だったんだなあ」と感じながら、ますます好きになるファンとに、賛否両論、極端に分かれるような気がする、と。僕は、後者の方です。日記の冒頭にあげた「Innocent Love」という歌の歌詞は、「美しい世界」よりも、もっとヘビー。かなりヘビーで痛い歌詞なのに、だけど、春の夜風のように、雨上がりの空のように、この歌はなぜか優しくあたたかい。切ないメロディと美しいヴァイオリンの響きが、雨上がりの夜の静けさの中、虹の彼方へいざなうように聴く者の心に感動の火を灯します。とにかく、美しい歌。「Innocent Love」の中で歌われる ”イノセント” は、10代や20代の頃に誰もが持っていた真っ白で純粋なイノセントとは違います。この歌から感じる切なさも、また同様に、思春期のそれとは異なります。だけど、小泉今日子さんという大人の女性が歌うイノセントな愛は、こんなにも美しい。生きていることの痛みが、美しさに昇華される瞬間って、こういう歌を聴きながら心を動かされている瞬間のことを指していうのでしょう。たぶん、10年前の小泉今日子さんには歌えなかった歌のはず。この歌の歌詞も日記の中で記したいのだけど、この歌だけは、実際に自分の耳で、じかに歌として、ひとりで聴いてほしいです。奇跡のように、美しい、素晴らしい歌。大人の、Innocent Love。小泉今日子さんは、今も等身大の自分のまま、美しく輝いている。いろんな辛いことは沢山あったはずだ。だけど現在を、過去とはまた違った美しさで、小泉今日子さんは生きている。「Innocent Love」という歌を聴きながら、どうして現在も、過去から何ら変わらず、小泉今日子さんが美しいままでいられるのか、そのナゾに少しだけ触れ得た気持ちがしました。離婚とか色々と辛いこといっぱいあっても、それでも現役バリバリで前に進んでこれたのは、きっと、小泉今日子さんの中にあるイノセントな部分に拠る部分って大きいのでしょうね。『Nice Middle』小泉今日子http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988002559176/(収録曲目)1.Innocent Love2.samida-rain3.小泉今日子はブギウギブギ4.秘密の森5.Bye Bye6.君の住む街へ7.SLEEPY8.恋する男9.美しい世界10.あなたと逃避行11.今日の約束このアルバム、名作です。10代や20代の若くてイノセントなアイドルには決して歌えない、大人の世界の美しいイノセントな愛があふれています。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 小泉今日子さんの「Innocent Love」最近に出会った歌の中で、群を抜いて素晴らしい歌。初めて聴く歌なのに、一瞬にして心をつかまれました。こういう名曲に出会うと、音楽が好きでよかった、と心から思えます。最近、なぜか小泉今日子さんのベスト盤を図書館から借りたりしていたのも、もしかしたら、無意識の内に、この歌に出会うためだったのかもしれない、ってマジで想っています。それくらい素晴らしい歌です♪皆さん、聴きましょう(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.03.16
もう随分前のこと。ロンドンの床屋さんで髪を切ってもらっていた時、髪を切ってくれていたのが20代くらいのイギリス人女性でした。キレイな人でした。そして、穏やかな印象の、笑顔のとても素敵な人でした。彼女と何気ない世間話をしていた時の話です。「あなたは日本人?」「そうです」「私、何年か前に東京で英会話学校の講師をしていたのよ」「あ、本当ですか!日本に住んでいたことがあるんですね」そんな感じで、髪を切られながらお話をしていました。どんな風なことを話したのか、今あんあり思い出せないのですが、ひとつだけ今でも脳裏に焼きついていることがあります。「あなたにとって東京はどんな街でした?」そんな質問をした僕に、彼女は数秒の間を置いてから、「渋谷、地下鉄、満員電車・・・」と言葉を発した後に、急に黙ってしまいました。行間を読むというわけもないのだけれど、なんとなく、彼女の沈黙を読み取るように僕は呟きました。「クレイジー・・・・・?」すると、彼女は、途端に笑顔になりながら、「アイム・ソーリー」と小さな声で僕に謝るように囁いた後、笑いながら「イエス」と答えました。PARISの地下鉄とかの方が東京の地下鉄より、よっぽどクレイジーだと思うし、彼女が働くロンドンだって似たようなものだと思うんだけれど。PARISとかロンドンという都市の喧騒と、東京のそれとは、彼女の中で、どのように違って映ったのだろう。多分、彼女が東京で働いていた時期というのが、バブル期だったのかもしれません。あの頃の日本は、東京のみならず、確かにクレイジーな狂騒の只中にあったように思い出します。だけど、当時の東京・日本ばかりがクレイジーだったわけではない。イギリスだってフランスだって当時は前代未聞級に相当な建築ラッシュに沸いていたわけですし。アメリカだって、日本と比較できないくらいにクレイジーだったはず。ニルヴァーナの歌が爆発的に大ヒットしていたような時代ですよ、相当に過激に病的だったはずです。で、今、こんなことを思い出しているのは何故って?けっこう深い話になるような気がしますが、この話の続きは、またいつか気が向いた時にでも日記に書くことにしましょう。昨夜の日記を書いた後に、ふと、なんとなく思い出した事柄なエトセトラだったりもします。*********************************話題を変えて。お勧めの本を紹介します。東京もロンドンも素晴らしいですが、この本も凄く凄く素晴らしいです!楽天ブログでも有名な、【亞】さんさんの新著!!『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/歴史的な名著ですよ。読んで損は絶対にしません。いや、損をしないばかりか、一生の心の財産になること確実です^^そして、同じく楽天ブログでも人気の、うみねっと2さんの本が絶賛発売中です!(^^)歴史的な名書といえば、この本もスーパー・グレート!いまだに最高にロックンロールしている超グレートなダイヤモンド☆ユカイさんが書いた本です。ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』最高にお勧めの本!!ダイヤモンド☆ユカイさんの自叙伝!!。-----世間は何やら沈んでいるらしいが、俺の歌を聴けばぶっとんだ気分になること間違いない!これからもすべてを笑い飛ばすことができるサムシングを披露していくつもりだ。そのために必要なら俺は御開帳だって厭わない!俺のファンが、ロックの神様が、いつも笑ってくれたら最高だ!!キープオンロックンロール!-----(ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』より、文章の一部を抜粋)今、この閉塞感あふれる日本で最も輝いている超格好いい男のひとりであるダイヤモンド☆ユカイさんのこの本を読んで、皆さんもキープオンロックンロール!!今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『イノセント・ラブ』←クリック!上にリンクを貼った日記、その他の日記への感想をお待ちしています!!(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.03.15
いつだって煌びやかに光り輝く街、眠らない都市。日本中から毎日ひとびとが津波のように押し寄せる一極集中のエネルギーのダイナミズム。あらゆる場所が所狭しとひしめきあい、それはキラキラ眩しい遊園地のよう。田舎に住んでいる者として、TOKYOには、そんなイメージがあります。これは僕に限った話ではなく、殆どの地方に住む人が東京という都市に抱いているイメージではないかと想像します。「TOKYO!」という新作映画を鑑賞しました。これは3つの短編映画で構成されるオムニバス映画です。結果からいうと、僕は気が滅入ってしまいました。この映画が駄作のように感じたからという意味ではなく、ただ、自分が歳を取ったような気がして気が滅入ったということです。なんというか、この映画に一貫して流れる空気というかセンスみたいなものが、理解出来ないんです。映画の中に入ってゆけない。「ダメだ、ぜんぜんついてゆけない。ああ、自分もオヤジになってしまったのか・・・・・」そんな暗いため息がこぼれてしまいました。3つの短編のうちの前2つを憂鬱な気分で鑑賞し終えた後に、最後のひとつがスタートしました。これはフランス映画界の巨匠というか有名な監督である、レオス・カラックスが撮った作品。これがあったから、少し救われた、そんな気が・・・映画が始まって最初の10分くらいの間にはしていました。レオス・カラックスの監督作って幾つか観たことがあって、映画の中へ抵抗なく入ってゆけたからでしたが、しかし、前2作とはまた異なった憂鬱さ、いや、もっと深い憂鬱さに沈むことになるとは予想も出来なかったです。やはり世界的に有名な映画監督だけあって、物凄いエネルギーが渦巻いていて映像に一気に引きずり込まれることは必至なんですが、「この監督・・・日本が嫌いなんじゃ??」とか、つい思ったりしてしまう場面があまりにも多過ぎるんです。映像の美しさや斬新さは超一流なのに、この殺伐とした空気は一体なんなのだろう・・・。それで楽天市場で、この映画の商品解説を読んでみたら、なんと全ての監督が外国人でした。日本映画なのに、なぜか、外国人の監督だけを集めて作られたオムニバス映画。なんか、不思議。でもって・・・つまらない、ように、つい、感じて眠くなってしまう。あるいは、どうしようもない嫌悪感をぶつけられているようで避けたくなってくる。正直いって、よく分からない映画でした。というより、これらの外国人映画監督にとっての、日本という国、TOKYOという街が、彼らにとって「よくわからない街」であったということの心象風景として映像に反映されてしまったというのだろうか。日本に滞在もしくは住んでいることに積極的で自覚的な、エネルギッシュで感性豊かな監督に、こうした映画とは、もっと違った「TOKYO!」を撮ってほしいなあと、つい思ってしまうのは僕だけではないような気がする。映画に対し深い愛と情熱を持った日本人の監督に。でも、どうなんだろう。今の日本人って、多くが自分自身の場所に、なんらかの言葉なり風景をとらえることが非常に難しくなっている、そんな状況であるようにも思える。であれば、尚更、外国人の映画監督に、なんらかの期待・希望を委ねるというのは酷なことではなかったのだろうか。このオムニバス映画を観ながら、つい眠くなってしまった僕以上に、彼ら外国の映画監督達だって、TOKYOという街で何をすればいいのか何を撮ればいいのか、本当は途方に暮れていたのかもしれません。『TOKYO!』http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988021132961/*********************************話題を変えて。お勧めの本を紹介します。侍ジャパンもイチローも素晴らしいですが、この本も凄く凄く素晴らしいです!楽天ブログでも有名な、【亞】さんさんの新著!!『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/歴史的な名著ですよ。読んで損は絶対にしません。いや、損をしないばかりか、一生の心の財産になること確実です^^そして、同じく楽天ブログでも人気の、うみねっと2さんの本が絶賛発売中です!(^^)歴史的な名書といえば、この本もスーパー・グレート!いまだに最高にロックンロールしている超グレートなダイヤモンド☆ユカイさんが書いた本です。ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』最高にお勧めの本!!ダイヤモンド☆ユカイさんの自叙伝!!。-----世間は何やら沈んでいるらしいが、俺の歌を聴けばぶっとんだ気分になること間違いない!これからもすべてを笑い飛ばすことができるサムシングを披露していくつもりだ。そのために必要なら俺は御開帳だって厭わない!俺のファンが、ロックの神様が、いつも笑ってくれたら最高だ!!キープオンロックンロール!-----(ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』より、文章の一部を抜粋)今、この閉塞感あふれる日本で最も輝いている超格好いい男のひとりであるダイヤモンド☆ユカイさんのこの本を読んで、皆さんもキープオンロックンロール!!今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『イノセント・ラブ』←クリック!上にリンクを貼った日記、その他の日記への感想をお待ちしています!!(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.03.15
「あなたに会えてよかった」という歌を、いま、久々に聴いています。先日に図書館から借りてきた『anytime』という名のベスト盤CDに収録されている小泉今日子さんの代表曲のひとつ。この歌を久々に聴きながら今、いろいろなことに想いが馳せているんです。小泉今日子さんの歌声って、どうしてこんなに、あたたかいのだろう?とか、この歌、本当いい歌だなあ、とかそんな風なことのエトセトラに考えをめぐらせているんですよ。^^あなたに会えてよかった、というより、この歌に会えてよかった、そんな気持ちになりながら。僕には、この歌に出会えてよかった、と思える ”歌” が心の中に沢山あります。だけど、「この人に会えて、よかった」と心から思える ”人” って、どれだけいるだろう?最近、そうしたことを考えることがなかったことに、ふと気づきました。なんというか、冬の空気のように、心が乾いていたように思います。忘れかけていた、とても大事なことを、「あなたに会えてよかった」という歌は思い出させてくれました。「あなたに会えて、よかった」って思える人を、どれだけ心の中に持っているかというのは、その人なりの幸福度を測る尺度のひとつになりうるような気がします。自分の心の中で、何人でもかまわないのだけど、とにかく、相手のことを思いながら、自分と出会ってくれて、ありがとう、って思える人がいるということは幸せなことだと想うからです。たった、ひとりでも、ふたりでも、いい。自分が、その人のことを想いながら、「あなたに会えてよかった」と笑顔になれる。それだけのことだけど、小さなことかもしれないけど、やはり、そういうことって、とても幸せなことなんだって思います。小泉今日子http://item.rakuten.co.jp/book/5893547/では、また次回の日記で逢いましょう☆☆☆>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ もうかれこれ、ひと月くらいの期間、後にまで残す日記を書いていなかったことに先日きづきました。少々あせりながら(笑)、だけど、いろんなことを考えつつ・・・・・、なりゆきに心を任せていました。だけど、さすがに、ひと月も間隔が空いてしまうのは、なんかマズイ気もするなあとか思ったので、小泉今日子さんの話題で日記を書いた次第です。こういう風に、さらあっと短い文章で発信する日記というのも時に素敵なことです。というよりも、「あなたに会えてよかった」という、小泉今日子さんの歌が最高に素敵なのでしょうね。それと「マイ・スイート・ホーム」という歌も最高に素晴らしい!!。というか、この歌が一番好きかも♪^^勿論「月ひとしずく」も、とっても素敵な歌。『anytime』という名のベスト盤CD、名盤ですね。歌を聴いて感動した想いを、長い文章で説明したって、あんまり意味があることのようには思えない。それよりも、ただ、この、あたたかな風を心に運んでくれる素晴らしい歌を聴いて感動できる自分の心を大事にしたいなあって思います。そうそう。きっと、そういうこと♪ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.03.14
20代のはじめの頃、歌を作るのがとても好きでした。ただの趣味でしたが、趣味というより作るのが楽しくて仕方がない、そんな風に歌を作っていました。歌を作ることで、別のどこか他の世界を、空を飛ぶように駆け巡るような感覚に惹かれていたのです。誰かに聴かせるわけでもなく、ただ1人でギターを弾きながら歌を作っていると、心の中に、ふわ~っと、虹のような色彩が広がったものでした。そんな風なことが楽しくて、20代の頃は、歌を作るのがとても好きでした。あれから10年以上の月日が流れて。今夜、久々に歌を作りました。とても素敵な歌です。春風のような、歌。20代の後半や30代になっても、歌は時折つくってはいたのだけれど、どこか屈折したような、少し痛い旋律の歌ばかりでした。作った後に鼻歌を歌ってみても、どこかしら哀しい響きが心に残るような歌ばかり。歌を作ったことで自分の心が喜ぶような、そんな風な歌ではまったくなかったことは確か。当時に作った歌は、今でも自分ではとても好きです。だけど、歌を作っていることが楽しいというような感覚ではありませんでした。なので、そういう意味では、歌を作ったことで心の中に虹が広がるような感覚になれたのは、実に久しぶりなことなのです。嬉しいです。とても嬉しいです。すごくすごく嬉しいです(^^)今日は朝から、空にかかる大きな大きな虹を見ました。目覚めたら雨が降っていたので、少し憂鬱だったりもしたんだけれど、でも仕事へ向かう先の車の運転中に、空いっぱいにどこまでも広がる美しい虹が姿をあらわしたのです。あんなに大きな虹は初めて見ました。そういえば、最近は虹を見ることが少なくないです。とても美しい色彩で空にかかる虹ばかり。グレイな空模様が続いていたからでしょうか? 不思議と虹と出逢うことが幾度かありました。ひとことで、虹、といっても、空にかかった虹の美しさは言葉では言いあらわせないですよね。魔法にかかったような、そんな気持ちになってしまうものです。 虹を見たということ。それが、なにか、良き前触れだとしたら?そう考えると、仕事の疲れもみんな吹き飛んでしまいます。なんか自分って、けっこう単純な性格だったりします(笑)。-----さて話題を変えて-----昨夜に発信した日記を、以下に再掲載することにします。書き込みがひとつも入らなかったこともあり、そして、ちょうど今日の日記のないように続く話になっているように思うから、そして、人生いろいろあるけれど、そんな風にいろいろあるから、時に美しい虹が心に広がることもあるのだと、そんな風に思えたから、ひとつの日記枠に収めたくなったのでした。昨夜に発信した日記のタイトルは、「海と天使とボサノヴァ」。昨夜、自然と心の内から、こぼれおちた言葉です。------------------------------------------------------海と天使とボサノヴァ 2009年2月13日の日記より復刻------------------------------------------------------ただ 今は 背中の羽をやすめて心をおだやかにさせてあげよう子らの見る夢のように ただ無垢に しずかに体が重くなったなら、心が重くなったならなにもせず 羽をやすめて しずかにあたたかい光を想うhttp://item.rakuten.co.jp/book/933507/http://item.rakuten.co.jp/whiteoffice/apj-51/きたのじゅんこさん『スリーピング・ビューティー』---------------------------------------------上の文章は数日前の夜に、自分のために書いた言葉の雫。とにかく肩凝りが酷くて、しかも原因が分からなくて、気分はもう最悪みたいな(笑) そんな風に考えていた時に、何の因果か書いた文章です。日記に書こうとか想いながら書いたのではありません。自分のために書いただけに過ぎない文章であり、もっといえば、自然に零れ落ちただけの言葉の連なりに過ぎず、たぶん無意識の内に自分で自己療法みたいに暗示をこめて言葉を紡いだ、そんな文章です。でも、こういうのって、自己暗示みたいなのって時に体に効くんですよ。とても。即効性はあまり期待できませんが、少しずつ時間をかけて効いてきます。上の文章を、自分に言い聞かせるように書いた次の日くらいに、どういうわけかボサノヴァの音楽だけを聴いていたい衝動に駆られてしまいました。ボサノヴァというジャンルの音楽は、もともとそんなに詳しいわけではありません。知っている曲といえば、多くの人が知っている「イパネマの娘」であるとか、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲の何曲かくらい、ただそれだけ。詳しく知っている音楽ジャンルでもないのに、どうして唐突にボサノヴァに浸りたくなったのか自分でも分かりませんでした。ただ、昨年の夏に『ボサノヴァ』という映画を観て心がゆったりしたことを思い出したという理由も多々あったことは事実。それで一昨日から今夜にかけて、仕事帰りに最寄の図書館やTSUTAYAで、有名なボサノヴァのCDを沢山借りてきました♪(爆)。そうしたら、とても不思議なことが起こったんです。先日前まで酷かった肩凝りの痛みが、日を追うごとに少しずつ軽くなってきまんですよ。不思議なことは、そればかりではなく、仕事先で逢う人逢う人の顔も、先日前までよりも、皆、明るく爽やかに見えてきました。素晴らしい!(^^)いま思えば、酷い肩凝りの原因というのは、仕事での売り上げを伸ばすことにばかり神経を、ねじるように使っていたからなのでしょう。自分自身の心に、余裕がなかったということです。それと、もうひとつの原因。今は冬の季節です。日照時間が少なくて、太陽が燦燦と顔を見せてくれる瞬間があまりない。これは多分、大きいような気がします。毎日毎日、グレイな空の下では誰だって気が滅入りますからね。人間だけでなく、すべての生き物はみな、そうなんだと思います。誰だって、太陽が好き。海が好き。笑顔でいることが、好き。ボサノヴァには海を想う歌とか、恋の歌が多い。だから、ボサノヴァって素敵。理屈ぬきに、心が輝きながら透き通ってきます。海の波間に浮かぶ光の粒子みたいに。今夜も、ボサノヴァを聴いています。今、聴いているのは、昨夜に引き続き、アントニオ・カルロス・ジョビンのCD『波』。とにかく素敵なアルバム・・・・・リオ・デ・ジャネイロの海から吹いてくる風が心の中に舞い込むような、そんな感覚になれます。海の波そのもの。シンプルで爽やか、そして、あたたかい曲ばかり。アントニオ・カルロス・ジョビン『波』http://item.rakuten.co.jp/cd-abbey/uccu-5007/この映画も素晴らしいですよ。青い海と空を背景に、沢山の伝説のボサノヴァ・ミュージシャン達の歴史的な映像が堪能できる映画です。『ディス・イズ・ボサノヴァ』http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988002530984/では、また次回の日記で逢いましょう^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ あたたかな天使の夢。そして、海の夢。空いっぱいに美しい虹が広がる夢。少し、疲れたら、そんな夢を心に思い浮かべながら、ボサノヴァを口ずさみましょう。きっと、よいことが起こりますよ。この、時に殺伐とした報道溢れる最中の日本で、そして世界で、僕は敢えて、そうした報道が照らす部分に波長を合わせないようにしています。そんなものに自分の心の焦点を合わしても、いかなる実りも収穫もないと考えるからです。でも世間の動向から逃避するという意味合いで述べているわけではありませんよ。逆風が吹き荒れている最中であっても、自分自身をイキイキとさせていることが大事なのだと思いますし、そんな風な自分であれば、自然と良き未来は運ばれてくるのだと思います。という意味合いで、自分に諭すように書いています。頑張っていれば、良きことはきっと自然と運ばれてくるものです。春風のように^^◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.02.14
複数の天才っぽい人達が何やら難しい言葉を駆使して会話している様に遭遇してしまう、なんてことが20代のはじめの頃にはよくありました。デザイン関係の専門学校に通っていた頃の話。仕事後に疲れた身体をもてあましながら、それでもなんとか通っていた夜間の専門学校。僕にとって、あの場にいれたことは最大の美しい青春の思い出の一ページ。どうしてって?それは単純に物凄い人物達から受ける刺激が半端じゃなく強烈で面白かったからです。後に日本建築学界の様々な賞を総なめにすることになる1人の天才もその場にいました。名前は敢えて書かないけれども。今、思い出すと鳥肌が止まらなくなるほど、半端じゃなく物凄い人物ばかりと時と場所を共にしていたんです。どれだけ刺激的だったか、誰にでも想像がつくでしょう、と思います。で、その場に居合わせた当時の僕は、あんまり自分には関係のない事柄のようにしか思えなかったんですよ。というより意識的に彼らと距離を置いていたというべきか。別にアウトサイダー風に気取っていたとか、自分を卑下していたとか、そういうんではないのです。ただ、単純に、話に加わるよりも、外から眺めていたり話を聞いていたりする方が、その時の自分には自然なことのように思えたというだけのことでした。そんなある日。ある東大生だったかどこかのエリート学生(昼間の学校の後に夜間の専門学校に来ていた生徒。そういう人も結構いました)が、自分の作品の説明を発表している時のこと。彼の作品は実にアバンギャルドで、ぱっと見、理解困難で深遠そうな作品でしたが、僕には彼がその作品をデザインする過程の中で探し求めながらも打破できずにいるであろう何かもすぐに分かりました。だけれど自信満々に作品を解説している彼が何となく鬱陶しく感じてしまい、つい一言二言、ひとり言のように言葉を発してしまったんです。なんか知らないけど、場がシ---ンとしてしまいました。その後に、講師の方がそばに近寄ってきて、「君はとてもいいことを言った、もっと沢山話してくれないか」とマイクを僕に手渡しました。沢山話してくれと言われても困るなあとか思いながら仕方がないので勝手気ままに思ったことをマイクを手に10秒か20秒くらいかけて話したら、さっきよりもさらに場が静まり返ってしまいました。なんか怖くなったので、それ以上話すのは止めたのですが、その後に嬉しいことが沢山起こったんです。授業が終わった後に、作品を解説していたその生徒が近づいてきて話しかけてくれました。先程に僕がマイクで喋っていた時には、怒ったように顔を真っ赤にしながら逆上していた彼が、なぜか笑顔で歩み寄ってくれたのです。「ごめんね、別に喧嘩を売るつもりで喋ったつもりじゃなかったんだ。気にしないでほしい」そんな風に謝った僕に対し、彼は作品を構想している中で実は行き詰っていることを自分では内心分かっていた旨をそっと話してくれました。「何かが足りないことが薄々と分かっていながら、だけど出口が見えない焦りから突っ走っていたけど、一番気づかれたくなかったことを、あなたに言われてパニックになった。だけど、少し見えてきたものがある、ありがとう。」彼は恥ずかしそうに、そう僕に話してくれました。それで、その後にも嬉しいというか不思議なことが幾つかあったんです。他の生徒達からも質問攻めにあってしまったのでした。「さっき君が喋っていたことをもう一度ゆっくり説明してほしい。早口すぎて聞き取れなかったとこがあったから」あ、ごめんなさい、何を喋ったか、あんまし憶えてないんです、とか言葉を返しながら、だけど他者から注目されることのカタルシスを何となく感じつつ(笑)、僕は思ったものでした。(自分の考えを話すってことは、場にエネルギーを生み出すことにもつながるんだなあ!すごくいいことなんだ!) と。クラスに上手く溶け込めていなかった僕が、それ以降、積極的に、エネルギッシュな生徒達と沢山の言葉を交わすようになったことはいうまでもありません。今夜、ある方の日記を読んでいたら、ふと僕自身の過去の青春の一ページを思い出して、つい日記に大した意味もなく綴りたくなった次第(笑)。まあ兎にも角にも、誰にとっても青春の一ページの一つや二つはあるものです。そうした美しい思い出というのは、決して過去のみにとどまってはいない。今に続いている、断絶することなく水のように流れながら。そんな風に思えると、現在の自分を必要以上に卑下する必要などどこにもないし、そんな暇すらないことに気づくような気がします。過去の青春の一ページ、輝いた栄光の季節の思い出に囚われたままで終わらず、すっごいバカっぽいオーラを放ちながら(爆)今も走り続けている、そんなグレートな人物がひとり。あの伝説のバンド、レッド・ウォーリアーズのヴォーカルだったダイヤモンド☆ユカイ。そのダイヤモンド☆ユカイさんの自叙伝が発売となりました!。ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』今、僕の一番のお勧めの本です!!!^^-----世間は何やら沈んでいるらしいが、俺の歌を聴けばぶっとんだ気分になること間違いない!これからもすべてを笑い飛ばすことができるサムシングを披露していくつもりだ。そのために必要なら俺は御開帳だって厭わない!俺のファンが、ロックの神様が、いつも笑ってくれたら最高だ!!キープオンロックンロール!-----(ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』より、文章の一部を抜粋)*********************************☆話を変えて☆ダイヤモンド☆ユカイ著『成りさがり』も最高に素晴らしいんだけれど、次に紹介する本も素晴らしい、というか、歴史的な名著ですよ♪。楽天ブログでも有名な、【亞】さんさんの新著!!『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/読んで損は絶対にしませんよ。いや、損をしないばかりか、一生の心の財産になること確実です^^そして!、同じく楽天ブログでも人気の、うみねっと2さんの本が絶賛発売中です!(^^)今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『あたたかな風 ~虹を見た日 』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています!!(^^)その他の、コメント書き込みが入っている日記であれば、自由に書き込みをしてください♪気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.02.13
素晴らしい人と出逢うことで齎される効用は、小さな奇跡が自分に舞い込むことです。素晴らしい人と出逢うと、自分が、それまで考えも及ばなかった何かへ想いがいざなわれはじめます。少しずつ。 一歩、一歩。その時には、うっすらとした予感みたいなものだとしても、後になって、その人が言っていたことを何度も思い出しているうちに、小さな芽が大地に顔を出すように、自分の心の中にも、小さな奇跡が生まれます。そして、その小さな奇跡は積み重なって、いつしか大きな奇跡となり、自分を、そして触れ合う沢山の人達の心を、幸せにしてゆくのです。上に若葉色の太文字で記した文章は、先程に、たった5分か10分の僅かな時間の中で零れ落ちた文章がもとになっています。短い時間の中で、瞬きのように心の内に零れ落ちた言葉のしずくを、少し時間をかけて校正しました。自分で言うのもなんですが、上の文章ってなんだか、 ”詩” みたいですね。詩のような文章を書いたのは、久しぶりのことです。本当に心が喜んだときにだけ、僕は、詩のような言葉を手帳に記したくなります。心の底から喜びを感じたときだけ、僕は自分のポケットにしのばせている手帳に、言葉を刻むのではなく、春風のように、言葉を、内なる想いを、記したくなるのです。こんな気持ちになれたのは本当に久々のこと。とても嬉しく想っています。どうして、僕は唐突に、春風みたいな心もちで、詩のような言葉を手帳に記したくなったのでしょう?それは昨日に参加した、ある講演会がキッカケとなっています。素晴らしい講演会、・・・言葉に出来ないほどに素晴らしい講演会でした。2月という、まだ寒いこの冬の季節に、今野華都子さんの講演会が、僕の心に、 一足早く、春風を運んでくれたのです。本当に素晴らしい講演会でした。参加できたことの幸運に感謝の気持ちでいっぱいになっています。この講演会を企画してくれた橘企画様、そして、実に貴重なお話を聞かせてくれた今野華都子様。心から、ありがとうございます。 では、また次回の日記で逢いましょう♪^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今日の日記を読むことが出来る人は幸運です。心から、そう想います。そんな願いを込めて、心をこめて、今日の日記を書きました。今日の日記の中で書いたことを、そして、この日記の中で紹介した講演会が僕の心に運んできた大きな感動・心の成長を齎してくれたものの本質にある何か、その何かを知りたい人がいたら、僕は次に紹介する一冊の本を、手渡したいです。多くの人に読んでほしいと想います。かけがえのない心の財産となるはずです。一切の誇張抜きに、そう想います。是非、読んでほしい、この奇跡のような素晴らしい本を。「顔を洗うこと 心を洗うこと」http://item.rakuten.co.jp/book/5658226/こちらのフリーページも読んで下さると、とても嬉しいです^^http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/13000◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.02.09
日曜日に図書館でユーミンのベスト盤CDを借りてきました。二枚組CD。このベスト盤を聴きながら、こぼれる言葉は・・・ただひとことです。「素晴らしい」。心の奥深くまで浸透してくる曲の数々、大きな感動で心がいっぱいになります。ユーミンほどに圧倒的に「天才」を感じさせる日本の女性音楽家って、他にいるでしょうか?あ、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがいますね。他には・・・・・ちょっと僕は思い浮かばないです。それにしても、ユーミンって、なんというか、宇宙的規模での ”天才” みたいな、そんな風な存在に思えて仕方がないんですよ。本当、それくらいに、ユーミンって素晴らしい音楽家だなあと思わずにいられないです。話を冒頭に戻しますが、このユーミンのベスト盤CDは、言葉を失うほどのすっごい名曲で始まります。「守ってあげたい」が第一曲目に収録されているのです。誇張抜きに、この曲は半端じゃなく物凄い・・・永遠の名曲というのはこういう曲をさしていうのです。どうして、この曲が最初に流れる曲として選定されたのでしょう?思うに、この曲が第一曲目に選ばれたことにこそ、このベスト盤、ユーミンの人生の集大成における深い意味、長き歳月に渡り発信してきたメッセージに宿る本質を語る何かが確かにある、からなのだと思います。この曲って確か、30年くらい前に流行った曲ですよね? その頃まだ僕は生まれてませんけれど(ウソウソ、冗談♪笑)、全然古さを感じさせません。それなのに、今聴いても、まるで色褪せて聴こえてこないから不思議。きっと100年後とかに聴いても、同じように感動するような気がします。それほどに、この曲のメロディや歌詞、構成のディティール、選ばれたミュージシャンの演奏技術の、すべてのクオリティが高いのです。圧倒されてしまいます。鳥肌が止まらないほどに、すごい。さっき、ユーミンのことを、”宇宙的規模での天才” なんて書きましたけれど、このベスト盤を聴いていると、「もしかして、ユーミンって地球人というよりも宇宙人??」って、つい思ったりしちゃうんですよ。「なんで、こんな凄い曲が書けるの?!!、しかも、こんなにも沢山! 信じられない!!」 みたいな。本当、信じられないほど素晴らしい曲!のオンパレードです。あなたは、鳥肌が立つほどの、涙が止まらないような感動を伴うことなく、聴くことが出来るでしょうか?この、ユーミンのベスト盤CDを。松任谷由実 「neue musik:YUMI MATSUTOYA COMPLETE BEST VOL.1 」http://item.rakuten.co.jp/book/3867942/曲目タイトル (楽天市場サイト解説文章内から以下に)[Disc1]1.守ってあげたい2.恋人がサンタクロース3.BLIZZARD4.サーフ天国,スキー天国5.ダイアモンドダストが消えぬまに6.きみなき世界7.SWEET DREAMS8.ノーサイド9.時をかける少女10.ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ11.Valentine's RADIO12.青春のリグレット13.Hello, my friend14.DESTINY15.埠頭を渡る風[Disc2]『neue musik:YUMI MATSUTOYA COMPLETE BEST VOL.1』/CDアーティスト:松任谷由実曲目タイトル:1.リフレインが叫んでる2.最後の嘘3.真珠のピアス4.DANG DANG5.青いエアメイル6.VOYAGER~日付のない墓標7.春よ,来い8.ANNIVERSARY9.輪舞曲(ロンド)10.DOWNTOWN BOY11.シンデレラ エクスプレス12.カンナ8号線13.真夏の夜の夢14.groove in retro15.愛は…I can`t wait for you, anymore16.卒業写真では、また次回の日記で逢いましょう♪^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 「守ってあげたい」という曲をはじめて聴いたのは、もうだいぶ昔のことのような気がします。中学生の頃?高校生の頃??・・・正確に思い出せないくらい随分前の記憶です。有名な曲だから、今まで何度も耳にしてきたはずなのに、このあいだ初めてこの曲をきちんと聴いたのでした。そうしたら、言葉が出ないくらいにビックリしたのです。こんなにも素晴らしい曲だったなんて・・・・・今さらながら、このユーミンって凄いなあと感じています。僕は眠るまえに、「花のサンフランシスコ」という古い外国の歌を、ほぼ毎晩ヘッドフォンで大音量で聴いたりするのですが、これからは、ユーミンの「守ってあげたい」も、「花のサンフランシスコ」同様に大事なフェイバリットソングになりそうです♪このような曲を聴いていると、音楽って本当に素晴らしい!って思います。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.02.04
先日に不思議な夢をみました。虹色の風船を手にしている、そんな不思議な夢でした。その不思議な夢をみた日の僕は、とても疲れていました。仕事で疲労困憊していたのです。それで帰宅してすぐ、ソファに横になるなり、気がつけば眠りの世界へ滑りおちていました。眠っていた時間は、30分にも満たない僅かな時間。その時にみたのが、上に書いた不思議な夢。どんな夢だったのかというと?説明が難しい・・・・・なぜなら、物語性のようなものがあるわけでもないからです。一言でいうならば、ただ、”不思議な夢” 。それは、宙に浮かぶ沢山のキレイな色彩の風船を眺めている夢でした。風色の風船、 夢色の風船、 虹色の風船、 いろんな色彩の風船が、透き通った空を背景に、目の前に浮かんでいました。夢の中で僕は、それらの風船を眺めながら、「きれいだなあ」とつぶやきました。そして、虹色をした風船をひとつ手に持ちました。その風船を見つめながら、想いました。「大きくふくらませすぎてもいけないし、元気がなくなったみたいにしぼませてもいけない」文章にしてみると、ただそれだけの夢なのですが、夢から覚めて、ふと考えたのです。「この夢は、自分自身の現実生活に与える何らかの示唆は大きいような気がする」、と。それで、今日になってようやく、先日にみた夢が示唆するものが何だったのかが、少しだけ見えてきたような気がします。きっと、あの風船は、僕自身の心の投影だったのでしょう。なんとなくそんな風に、思います。みんな、誰もが心の中に、自分だけの、いろんな色彩の風船をもっています。その風船は、大きくふくらませすぎてもいけないし、元気がなくなったみたいに縮ませてもいけません。http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/acbf-10622/あなたも大事にしてくださいね。自分の心の中の、風船♪では、また次回の日記で逢いましょう(^^)>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今日の日記内容は、いろいろな話に広がってゆく内容だと思います。広く深く応用が可能な話のはず。実際、この話を幾つかのお話にふくらませ発展させた内容も、心の中に今あったりもするのです。でも、とても長い日記になってしまうので、このお話はまた機会を設けて日記に書きましょう♪どうして、風船の夢をみたのか、その理由を考えていたら、ふと思い出しました。数ヶ月前に見た、あるフランス映画のことを。http://item.rakuten.co.jp/guruguru2/acbf-10622/それは『赤い風船』という名作映画。かなり古い時代の映画なのですが、古さを全く感じさせない素晴らしい映画です。だけど、この映画・・・セリフがない映画なのです。しかも、とても短い映画。PARISの街並を、小さな子供が、赤い風船を追いかけながら歩き回るという、ただ、それだけの映画だったりもします。でも、ただそれだけの映画なのに、いつまでも心に残る味わい深い作品なのです。『赤い風船』美しく詩的なイメージがどこまでも広がる素晴らしい映画です^^◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.01.30
「私」と「あなた」を、つなぐものって、何でしょう?たとえば、英語で ”アイ・ラブ・ユー” なんて洒落た言葉があります。この場合、「私」と「あなた」を、つなぐものは「愛」です。なんだか、とても簡単な、いたってシンプルなことを語っているだけのように思えますが、同時に、これって実は、かなり深遠な話なのだとも思います。アイ・ラブ・ユー・・・・・「私」と「あなた」を、つなぐ「愛」これの、一体どこが深遠なの? なんてツッコミが入りそうですね。そうしたツッコミに対して僕は、「なんで?と言われても困るなあ」としか答える事が出来ません。気が利いた適切な答えを述べることなど僕には出来ませんが、ただ、次のようなことは少しだけ言えます。「あなたが、本当に、誰かと、心と心がつながったように思える瞬間って、沢山ありますか?」そんなにそんなには多くないはずです。沢山はないはず、と思います。沢山はないばかりか、実は、一日に一度そうしたことが自分に起こって、つい感動したり笑顔になれたりすることの方が圧倒的に多いのではないでしょうか?少なくとも僕にとっては、そう。誰かと、本当に、心と心がつながったように思える瞬間って、そんなにそんなには多くないのです。きっと僕だけでなく、これは多くの人にとっても同じことがいえるような気がします。アイ・ラブ・ユー。「私」と「あなた」を、つなぐ「愛」というのは、ごくごくシンプルで簡単なように思えて、だけど、簡単に思えるほど、手を伸ばせばすぐに触れることの出来るくらいに、僕らは確かな「愛」を持ち合わせてはいないものなのです。そして、愛の意味さえも、僕らは殆ど分かっちゃいない。それは僕だけでなく、この日記を読んでくれている、あなたも、多分そう。きっと誰にとっても、とても難しくて、とても大事なテーマだから、「愛」という言葉に普遍性が宿っているといっても、決して過言ではない。僕は、そう思います。さて話を変えて。「アイ・ラブ・ユー」という言葉をタイトルにした映画を、ふたつ知っています。ひとつは、フランス映画。もうひとつは、中国の映画(原題名は「I LOVE YOU 我愛イ尓」です。アイ・ラブ・ユーなんていうくらいだから、さぞかし素敵な恋愛映画なのでしょうね♪と思われる向きはあるかと想像しますが、ところがどっこい、このふたつの映画は、素敵なファッショナブルな恋愛映画でないばかりか、少々、”痛い”、映画だったりもします。人は誰もが、生きている中で孤独を感じたり、人を好きになることの不安とか内なる葛藤をいだいたり、時に身近な誰かと心が通い合った瞬間に感じる喜びと、その後に時間を置いてから再び彷徨いこむ一人の時間というのを知っている。子供の頃に、親から、人を愛する気持ちを大切にするようにと願いを込めて、「アイ・ラブ・ユー」と毎日のように言葉をかけられた人でも、大人と呼ばれる年齢になると、愛の意味について、自問自答を繰り返すように、深く考えるようになるものです。親と子をつなぐ「ラブ」は海のように青く深いかもしれませんが、恋人同士の心をつなぎとめる「ラブ」は、時にうつろいやすく脆い。いつだって両手に、しっかりと抱きしめることの出来るほどに、確かなものではないのです。だから、いつだって、喜びと悲しみは交錯し、やさしい時間と不安の狭間で心がゆれる。「私」と「あなた」を、つなぐ「愛」。アイ・ラブ・ユーというのは、本当はいつだって、そうした不安定な心の上に成立している。これが真実なのだと思います。だから、上に記した、ふたつの「アイ・ラブ・ユー」という名の映画は、痛い映画なのです。このふたつの映画の主人公、一方は男。もう一方は女。フランス映画の「アイ・ラブ・ユー」では主人公の男はプレイボーイで、愛する対象に困ってなどいない青年なのですが、ある日偶然に拾った小さなバービー人形のようなおもちゃに心惹かれます。その小さな可愛らしい人形は主人公に向かって、ボタンを押すと優しい声で ”アイ・ラブ・ユー” と囁いてくれるのです。いつだって、自分の気の向いた時に、ボタンひとつで優しく ”アイ・ラブ・ユー” と。この人形は面白いなあと思った主人公は、だんだんと、心の中がその人形に支配されてゆきます。まるで、この世で最も大事な存在であるかのように、どこに行くにも、遊び相手の女性の部屋にいく時も、その人形をポケットに忍ばせるようになるのです。しかし、様々な心の紆余曲折をへた後、主人公は途方もない虚しさに襲われます。そして映画の最後に、彷徨うように主人公は海へでかけ、波打ち際で大声で泣き崩れる。中国映画の「アイ・ラブ・ユー」では主人公は女性です。こちらの映画の主人公は、前述したフランス映画の男と異なり、愛の対象は人形ではなく、自分の夫。人間なのだから、人形などと違い言葉も交わせるし、想いも通じ合うはずなのですが、しかし、この夫婦は気持ちが擦違ってばかり。擦違うだけならまだしも、主人公の女性の愛が一方的に強いがために、夫との心の隙間が大きくなってゆきます。”もう、別れよう” そんな言葉を繰り返すようになる夫。”あなたの本当の気持ちが知りたい”そう、繰り返す妻。平行線をたどりながら、いつまでたっても寄り添うことのない二人の男女の心。距離ばかりが膨らんでいっても、しかし彼女は前向きな姿勢を忘れない。ある日、主人公の女性は突飛な行動に出ます。日増しに自分を避けるようになってゆく夫の体をロープで縛り・・・・・・・。この、ふたつの「アイ・ラブ・ユー」に纏わる映画には共通点があります。それは、”アイ・ラブ・ユー” の ”ユー” が、 ”ユー” になっていないことです。”ユー” は、そこにあるようで、ない。愛の対象の欠落が意味するものは一体何かというと、これは実はものすごく奥の深い話になってくる。つまり、アイ・ラブ・ユーの、”ユー” が欠けるということは、同時に ”アイ” さえも見失ってしまうということ。上のふたつの映画の主人公たちは、「アイ・ラブ・ユー」ではなく「アイ・ラブ・ミー」、もっと言ってしまえば、I WANT TO LOVE MEな心の過程にいるわけです。アイ・ラブ・ユーの、「アイ」 と 「ユー」 をつなぐ 「ラブ」。「LOVE」の意味、そして「ME」ではなく、「YOU」をLOVEすることの意味とは?I LOVE YOU 我愛イ尓ウォ・アイ・ニー etc・・・・・・・・国によって色々な表現、言葉があると思いますが、日本語でいうところの、「わたし」は「あなた」を「愛している」の間にある、「愛している」って、あるいは、英語でいうところの、”I” と ”YOU” の間にある、”LOVE” って、一見、簡単なように思えて・・・、だけど、すごく深い気がしませんか?では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今夜に「I LOVE YOU 我愛イ尓」という中国の映画、若い夫婦の愛に関する少しねじれた物語を観て、ふと10年くらい前に観た「アイ・ラブ・ユー」というタイトルのフランス映画を思い出しました。ひとくちに、アイ・ラブ・ユーと言っても、そこには実に深い人間のドラマがあるのだと思いつつ、自分という人間と、それを取り囲む周囲の誰かの存在をつなぐ、「ラブ」に、今日の日記では少し想いを馳せてみました。けっこう重要なことのように思えてきたからです。僕ばかりでなく、きっと誰にとっても、大事なことのような気がします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.01.17
2009年のスタートですね!。皆様にとって、今年も良き一年になりますように祈念致します。一年のはじまりの日記として適当かどうか分かりませんが、今日の日記では音楽に関するエトセトラな内容で書きたいと思います。音楽の話というより、正確にいうと弦楽器の演奏に纏わるお話です。http://item.rakuten.co.jp/book/3878178/ビブラートという言葉を知っていますか?これはギターやヴァイオリンなどの弦楽器で用いられる奏法なのですが、初歩の初歩で培うべきテクニックであるにも関わらず、最も高度で深遠な難しいテクニックのひとつでもあります。どのようなテクニックかといえば、弦を揺らすことによって楽器の音色に様々な表情を与える技術です。僕はヴァイオリンは弾きませんが、ギターを毎日趣味で弾いているので、こうしたことを語れるわけです。ビブラートというのは非常に難しく奥の深い技術です。でも、それが少しずつでもマスター出来てきた時の感動は言葉に言いあらわせないほどであり、至上の喜びを内に運びます。素晴らしいビブラートは演奏に、海の波のような、うねりを運びます。音に、青空を羽ばたく白い鳥のような、命を吹き込みます。これは楽器の演奏に限った話ではなく、人が生きてゆく中でも同じことが結構当てはまるでしょう。たとえば、何気ない他者との会話。仕事における自分のリズム。恋人達が愛の言葉を交わす時だって、そう。ただ単調に一本線で味気なく脚本に記されたセリフを読むよりも、言葉にならない内なる想いを唇に振るわせる方が、相手に多くの想いを届けることが出来るはずですし、より大きな感動の場面を共有出来ると思います。ちょっとした工夫やアイディア、心のあり方次第で、味気ない日常に芳醇とした、うねりが生まれるのものなのです。それは、たとえるならフランス文化における ”エスプリ” のようなもの。エスプリって何?と質問されたなら、答えに窮するけれど判る人には判る、としか説明のしようがないそこを敢えて文章として自分なりに何とか説明しようとすると、強引かもしれないが次のようなものになります。---人々の暮らしに潤いを齎す精神の豊かさ---みたいなものが、まるで芳醇としたワインの香りのように、都会の中であっても田舎町であっても、文化として人々の暮らしに彩を与えている様相。直訳すれば、そんなに難しいことでも何でもなくて、単に「精神」と邦訳されるだけの ”エスプリ” という言葉。だけど、これは言葉で説明されるよりも何よりも、実際にフランスへ行ったり、フランス映画に心底感動したりしないと理解など出来ない類の言葉かもしれません。僕がそうだったように。頭で考えても仕方がないことって、世の中には沢山あるのだと思います。人が海で泳ぐということだって、同じように説明されるでしょう。鳥が青空を羽ばたくことだって、勿論、同じことです。 ギターの演奏におけるビブラートと ”エスプリ” には深い関係があるように僕は考えています。そして、現代日本社会に足りないものは、僕が思うに、人々の心と心をつなぐ愛のビブラート・・・・・これに尽きるのではないか、とも。ビブラートが上手くなるように演奏を心がけながら、同時に心の片隅で ”エスプリ” に想いを馳せる。そして少しずつ、楽器を弾くということがどんなことなのかを身体で理解出来てゆく人生の素晴らしさも、笑顔の美しさも、人と言葉を交わすことで生まれる感動も、---少しずつ---、手に取るように分かってくる。人生というのは、きっと、そういうものだと思います。さて、これから始まる 2009年。僕は、ビブラートへの想いを深めながら、ただ忙しく走り回るのではなく、人と人との心がより豊かに愛と笑顔を伴いつつ共振し互いに前に進んでゆけるような、そんな風に仕事に励み、人生に取組みたいと考えています。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 今日の日記はサブのブログで追求してきた事柄のひとつを、現在の自分なりに昇華させた内容になっています。ちょっとまだ上手くまとまっていないのだけど、自分が向かうべき方向性として、そんなには間違っていないんじゃないかなとの自負はあります。新しい一年の幕開けに、こうした日記が書けたことを嬉しく感じています。ということで、これから始まる新しい一年、本年度もルカの街並ブログをどうぞ今年も宜しくお願い致します!!お互い、今年は最高に素晴らしい一年にしましょう!(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.01.01
私が起業家として出発しようとしていた時、金持ち父さんは私に、セールスの仕事に就くようにと勧めた。理由を聞くと、彼は、「それが起業家の仕事だからだ」と答えた。「決して忘れてはいけないよ。起業家の成功は、大学の学位や会社の肩書きでは測れない。起業家の成功は、その人がどれだけのOPM[other peoples money=他人のお金]を集められるかで測られる」(著書『金持ち父さん 貧乏父さん』で有名なロバート・キヨサキ氏による記事内容から引用)ロバート・キヨサキ氏のこのお話から浮かび上がってくるのは、---起業家の能力=どれだけ他者の信用を得ることが出来るか=それによってしか他人のお金は集まってこない---という、いたってシンプルでありながら深遠で普遍的な真実。つまり対人能力、人の心をつかむ力を含めた総合的な人間力がものをいうのであって、高度な学歴の有無などは最終的に、企業家として成功を収める素質を示す材料にはならない、ということが述べられているように思います。たとえば上に記したロバート・キヨサキ氏の記事文章の中の「起業家の成功」という言葉を、「○○の成功」のように他の様々な言葉に言い換えても何ら違和感はないはずです。政治家としての成功クラシック音楽の指揮者としての成功ベストセラー作家としての成功(いろいろなケースを自由に考えてみて下さい)きっと、ピタっとあてはまるのではないでしょうか。なぜなら、人が生きてゆくのは結局のところ、人と人とが互いに生きている世界なのであって、如何なる種類の成功であれ、人と人との関係性の中で生じる多々の軋轢や問題を、その人なりの努力でクリアーした上で齎されるものだからです。つまり、どんな種類の成功であっても結局のところ鍵となるのは、その人間の内面に宿る「人間を見る力」「人間力」に他ならないということなのでしょう。さてこれから紹介する一冊の新刊書は、親のコネも学歴なども一切関係ない「無」の状態から這い上がり、24の若さで起業、その後30年に渡り無借金経営を続けている人生の成功者の書いた本。楽天ブログでも有名な よびりん♪さん の新刊書です。この本は仕事に直接関係する本ではありません。ビジネスに纏わる様々なアドバイスが綴られている実用書でもなく、また難しい経営理論や実践のための具体的なノウハウの一言もこの本には綴られているわけでもない。超優良企業の経営者が書いた本なのに、この本には経営のために必要な技術のエトセトラを直接そのままに伝えようとはしていません。もっと本質にある大事なものを、シンプルでわかりやすい言葉で綴り読者に伝えようとしているのです。本の中に綴られているのはタイトルが示す通り、イソップ童話をめぐる数々のお話。そう、あの誰もが知っているイソップ童話です。紀元前の時代から現代に渡って語り継がれている有名なイソップ童話の数々を紹介しながら、それらの話が現代においても普遍的に照らし出すこの世の真実を、小難しい言葉や経営理論等を一切交えることなしに、子供から大人まで誰でも簡単に読むことが出来る文章表現と可愛らしいイラストによって提示されてあります。あたかも、 ”いつの時代であっても本当に大事なものはシンプルなものなんだ” と優しく囁きかけるように。『リーダーのための「イソップ童話」の正しい読み方』http://item.rakuten.co.jp/book/5907346/【内容情報】(「BOOK」データベースより)景気の衰退、倒産、破産、企業の不祥事、人間不信、心の荒廃による事件が相次ぐ今、イソップの教えに学ぶ。 【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 イソップ寓話に学ぶ(金の斧、銀の斧/アリとキリギリス/うさぎとかめ/北風と太陽/狼少年/旅人とクマ/狐と鶴/農夫とガチョウ/ネズミとネコ/ネズミの恩返し/三本の小枝/ネコときつね/すっぱい葡萄/コウモリと鳥と獣/キツネの知恵/お金を積んだ馬/ウサギの引越し/なぎさのカニ/ニワトリと宝石/農夫の教え)/第2章 自分を知れば、道は開ける(自分の弱点を知る/考えすぎ症候群を判定しましょう/自分の努力目標を、しっかりと確定するのです/自分も知らない、自分自身の行動パターン/冷静度を考察する/あなたの問題解決パターンはこれだ!/あなたのファイヤーマン(ウーマン)度を判定する!/あなたの金銭感覚をズバリ、判定する!/あなたの粘り強さを判定する!/あなたの積極性を考察する/あなたの家族の相性をズバリ当てよう!/あなたの理想のタイプをズバリ当てよう!/あなたの過去、現在、未来をズバリ推察しましょう!)/第3章 八正道に学ぶ(正見―お人よしを卒業しよう/正思―反省/正語―感謝/正業―報恩/正命―平常心/正進―愛の心/正念―自由な心/正定―勇者の心) 【著者情報】(「BOOK」データベースより)市川善彦(イチカワヨシヒコ)日本ガード・サービス株式会社代表取締役社長。福岡大学経済学部非常勤講師。中小企業大学校講師。タナベ経営講師。福岡信用金庫総代。1952年1月、長崎県佐世保市生まれ。1976年8月、24歳の時に起業、自社ビル、社員寮、自宅を無借金で建て、その後30年以上も無借金の超優良企業のオーナー社長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(以上、楽天市場商品解説文章より転載)世代を超えて沢山の人々の心にすんなりと届くよう、全ての文章表現が読みやすさに配慮して書かれてあります。読破に要する時間は一時間もあれば十分でしょうし、おそらく山手線を電車に乗って一周するくらいの時間で読み終えることが可能なはずです。だからといって、この本が週刊誌の雑記事のように短時間のうちに読み捨てられるほど安易な内容であるかといえば、勿論そんなことはありません。読み進めることは誰にとっても容易ですが、一度読み終えた後も必ず再読せずにはいられない奥深さがこの本にはあるのです。そして読者は何度も何度も繰り返し、この本に書かれているこの世の真実に想いを馳せることになるでしょう。この本は起業家もしくはビジネスマンにとって即効性の見込める実用書でも難しい経営理論を説くものでもありません。しかし、紛れもなく、人生に成功したいと願うすべての人にとって不可欠なバイブルとなるはずです。人生に成功する上で必要な、人間力を培うために必要なエッセンスが凝縮されている。つまり、ビジネスであれ何であれ、人生を本当に心豊かに成功させたいと思うのなら、人間にとって最も大切なことである ”心を大事にしなさい” とこの本は読者に語りかけているのです。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 先の見えない厳しい時代だからこそ、多くの人々が心を見失いつつある時代だからこそ、人はイソップ物語に示されてある時代性を超えた普遍的な真実に目を向けることが必要になってくるのでしょう。きっと誰もが子供の頃に一度は読んだことがあるイソップ童話。だけど、その童話に宿っているであろう真実は、大人のために用意されてあるといっても実は過言ではないほどに深遠な世界観に貫かれています。「ふん、いまさらイソップ童話だなんて」と考える人がいるならば、そういう人にこそ、イソップ物語に登場するキリギリスのような末路に陥らないためにも、是非この素晴らしい本を手にとってほしいです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.12.03
仕事をしていても何をしていても、結局、生きていて最高に素晴らしいと思える瞬間って、すごくすごくシンプルな事柄によって齎されるものです。たとえば仕事の休憩中に、何気ない世間話の最中に誰かが言った冗談が最高に面白くて、皆で大笑いしてしまう瞬間ってあるじゃないですか。そういう時には、なんだか心が生き返るような気がします。僕らが生きているこの世界は、本当はものすごくものすごく複雑に絡み合った無数の因果で成り立っている。でも、人の心を強く動かし、笑顔で前に進むエネルギーを与えるものって、意外や意外・・・・・実にシンプルなものが殆どです。なぜでしょう? なんか不思議じゃないですか? ^^紀元前から語り伝えられている、あのイソップ童話だって、実にシンプルなお話ばかりです。”お金儲けに必要なノウハウやスキルはこうだ!” なんて一言も書かれてはいませんし、子供からお年寄りまで誰にとっても普通の日常生活で知っている事柄だけで、全てのお話が構成されている。だけど、この世で、人生の成功者と呼ばれる中で心ある成功者であれば、きっと誰もが人生の教訓として大事に心の片隅に置いているに違いないお話ばかりだと思います。『リーダーのための「イソップ童話」の正しい読み方』http://item.rakuten.co.jp/book/5907346/【内容情報】(「BOOK」データベースより)景気の衰退、倒産、破産、企業の不祥事、人間不信、心の荒廃による事件が相次ぐ今、イソップの教えに学ぶ。 【目次】(「BOOK」データベースより)第1章 イソップ寓話に学ぶ(金の斧、銀の斧/アリとキリギリス/うさぎとかめ/北風と太陽/狼少年/旅人とクマ/狐と鶴/農夫とガチョウ/ネズミとネコ/ネズミの恩返し/三本の小枝/ネコときつね/すっぱい葡萄/コウモリと鳥と獣/キツネの知恵/お金を積んだ馬/ウサギの引越し/なぎさのカニ/ニワトリと宝石/農夫の教え)/第2章 自分を知れば、道は開ける(自分の弱点を知る/考えすぎ症候群を判定しましょう/自分の努力目標を、しっかりと確定するのです/自分も知らない、自分自身の行動パターン/冷静度を考察する/あなたの問題解決パターンはこれだ!/あなたのファイヤーマン(ウーマン)度を判定する!/あなたの金銭感覚をズバリ、判定する!/あなたの粘り強さを判定する!/あなたの積極性を考察する/あなたの家族の相性をズバリ当てよう!/あなたの理想のタイプをズバリ当てよう!/あなたの過去、現在、未来をズバリ推察しましょう!)/第3章 八正道に学ぶ(正見―お人よしを卒業しよう/正思―反省/正語―感謝/正業―報恩/正命―平常心/正進―愛の心/正念―自由な心/正定―勇者の心) 【著者情報】(「BOOK」データベースより)市川善彦(イチカワヨシヒコ)日本ガード・サービス株式会社代表取締役社長。福岡大学経済学部非常勤講師。中小企業大学校講師。タナベ経営講師。福岡信用金庫総代。1952年1月、長崎県佐世保市生まれ。1976年8月、24歳の時に起業、自社ビル、社員寮、自宅を無借金で建て、その後30年以上も無借金の超優良企業のオーナー社長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)(以上、楽天市場商品解説文章より転載)この本は、世代を超えて沢山の人々の心にすんなりと届くよう、全ての文章表現が読みやすさに配慮して書かれてあります。読破に要する時間は一時間もあれば十分でしょうし、おそらく山手線を電車に乗って一周するくらいの時間で読み終えることが可能なはずです。だからといって、この本が週刊誌の雑記事のように短時間のうちに読み捨てられるほど安易な内容であるかといえば、勿論そんなことはありません。読み進めることは誰にとっても容易ですが、一度読み終えた後も必ず再読せずにはいられない奥深さがこの本にはあるのです。そして読者は何度も何度も繰り返し、この本に書かれているこの世の真実に想いを馳せることになるでしょう。この本は起業家もしくはビジネスマンにとって即効性の見込める実用書でも難しい経営理論を説くものでもありません。しかし、紛れもなく、人生に成功したいと願うすべての人にとって不可欠なバイブルとなるはずです。人生に成功する上で必要な、人間力を培うために必要なエッセンスが凝縮されている。つまり、ビジネスであれ何であれ、人生を本当に心豊かに成功させたいと思うのなら、人間にとって最も大切なことである ”愛の心を大事にしなさい” とこの本は読者に語りかけているのです。******************************さて話を変えて。これから紹介するのは仙台で来年2月に開催される講演会です。この講演会に参加できる人は幸福である。そう一切の誇張なしに僕は断言出来ます。今野華都子さんの講演会だからです。これまで様々な著名人の講演会やセミナーに参加してきましたが、数年前にはじめて今野華都子さんの講演会に参加した時に受けた感動はまさしく ”事件” としか形容できないほどに衝撃的なものでした。後にも先にも、あのような感動を受けることは、今野華都子さんの講演会以外にありえないのではないだろうかとさえ思えるほどです。別に大袈裟なことを言っているわけではありません。本当に、今野華都子さんの講演会はものすごいのです。2009年2月8日(日曜日) 場所:仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール講演タイトル『人を信じ、人を愛し、人を育てることは、私の使命です』*****講演会の詳しい情報は楽天規則により掲載は控えますが、インターネットによる検索で今野華都子人を信じ、人を愛し、人を育てることは、私の使命です ↑ これらの言葉を入力検索すれば講演会の案内サイト等に辿り着けると思います*****この講演会を主催される、仙台の橘企画様からの案内状が先日に届き、今からドキドキしながらとても楽しみにしている次第。以前に今野華都子さんの講演会に参加した際の報告日記をまとめたフリーページがあります。宜しければ、そちらも御一読くださると嬉しいです。http://plaza.rakuten.co.jp/lukanomatinami/13000←クリック!今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。『リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想を沢山お待ちしています!!(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2008.12.02
この世界的な不景気の只中で、不安感漂う世相と逆行するように、着実に打ち上げを伸ばしている会社があるものです。そうした会社の話を聞いたりすると「すごいなあ!」と、つい感動してしまいます。感動しながら、元気がわいてきます。「BIG tomorrow」という雑誌の先月号に、すごくいいことが書いてありました。堀之内丸一郎さんという人が書いていたコラム記事中にあった言葉です。太文字で下に記しましょう。不況だから売れない・・・?では以前は売れていたの?不況だし・・・と言い訳してる人は好況でも売れないいいこというなあって思いません? ^^今しがた、ハリーさんの今日の日記を読んだら「すっごい格好いいなあ!」と感じながら、ふと先月号の「BIG tomorrow」にあった堀之内丸一郎さんの言葉を思い出しました。やはり、どんなに不景気の中であっても、実質堅固に売り上げを伸ばしている凄い会社というのはあるのだと思ったら、なんか元気がわいてきました。「12月は単月で過去最高の1億近い売り上げを記録しそうです」(ハリーさんの今日の日記より一部を抜粋)是非、皆さんも今日のハリーさんの日記を読みに行って熱い心意気と共振してください(^^)『チャンスかも』←クリック!!話は変わりますが、今日の河北新報(宮城県の新聞)に、アメリカの車産業のビッグ3に国が公的資金を投入するか否かでもめている問題についての記事がありました。その中で驚いたのが、公的資金の投入に踏み切らない理由の中で、”日本人の勤勉さを見習え” みたいなのがあったようなのです。アメリカに生産拠点を置く日産やトヨタやホンダなどの自動車メーカーは、厳しい景気の後退の中であっても堅実な経営で生き残っている。あなたたちは、そこまで頑張っているのか?国民の税金で助けてやる価値があるのか?、と。まあ、本当の理由はそればかりではなく、様々な奥深く蠢く熾烈な影の政治的なやりとりの泥沼が問題の根本にはあるようなのですが、それは別としても、日本人の勤勉さが議論の渦中で引き合いに出されること自体、日本人として素晴らしいことのように思います。**********************************あと、余談ですが昨夜に発信した内藤みかさんの本の感想日記は、書き直してまた後日に発信したいと思います。今朝起きて読み直したら、自分で書いた日記なのに「ん?何がいいたいのかよくわかんない♪爆」モードに包まれて即効で消してしまった次第 ^^; 。機会を改めて、もっと気合を入れた凄い感想日記にチャレンジしたいと計画しています♪ (まあ、いつになることやら・・・・・汗)。こんなにも物凄い内容の本なのに、適当に安易な感想を綴っても、それは内藤さんに申し訳ないですから☆**********************************今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。『リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2008.12.02
車の運転席に白鳥の羽根とおぼしき白い羽根がひとつありました。昨日の話です。とても美しい、そして、あたたかい空気を心に運ぶ羽根のように感じました。白鳥が沢山いる公園の近くで最近仕事をしていたからかもしれないけれど、なんか不思議だったのです。「誰が置いたの?」なんて敢えて愚問は言いません。誰か知らないけれど、置いていってくれてありがとう。白鳥の美しい羽根は僕に何を語る?小さな白く美しい羽根には崇高な光が宿っていました。--------------------------------------------------------------以上、昨年の10月に書いた過去日記より文章の一部を抜粋して復刻しました。最近、過去に書いた日記を復刻してばかりいます。その理由として色々あります。人生、色々(by.島倉千代子)なのです。新たに日記として発信したい事柄はいっぱいありますし、本当に書きたいことが沢山沢山あったりもします。でも、そうした気持ちに記述が追いつかないというか、文章としてそれを日記に書いている暇があったら、より深く広く美しく、無言のうちに熟成させたい想いみたいなものがあって・・・・・。今はそういう想いを大事にしていたい、そんな12月の夜なのです。と同時に、理由はそればかりではないことも確か。いま読みたい本や雑誌等が沢山あって、同時進行で何冊かの本を乱読している最中だったりもします。”乱読はいけないよ、乱読=乱毒だからね。毒がまわっちゃうよ”なんて言われてしまうかもしれませんが、でもまあ、こういうのも時にありかも☆ですよ。人生には乱読が必要な時期も往々にしてありますし、乱読モードな季節の中でしか齎されたい何か大事な事柄だって、きっとあるわけです。本当、人生、色々ですよ。今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。『リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2008.12.02
小室哲哉さんの事件は、ここ最近に報道で目にした事件で最大の衝撃、激震だった。天才的な音楽の才能を発揮する存在が、ビジネスや社会情勢に関して実に盲目的な才覚しか持ち得ていないケースというのは多々ある。いや、そのようなケースが実は殆どであるといって決して過言ではないだろう。たとえば歴史に名を残したアーティストの多くが、それを影で支えていた天才的な手腕の持ち主であるマネージャー等の存在抜きにありえないことが殆どであるように、華々しい才能を支えているのは優秀な側近の存在だったりするのが殆どの場合、事実なのである。モーツアルトの妻は悪妻として歴史に名を残しているけれど、僕がこうした考えには合点がいくことはまずない。もし、モーツアルトが自身の生活を支える経済的基盤に関して秀でた嗅覚があったのなら、話は全く別なものになっていたのではないだろうか?つまり、モーツアルトの妻は悪妻として後世に名を残す運命に陥らずに済んだのではないか。というのが僕の持論だ。モーツアルトにはそのような嗅覚がゼロだったのであろうことは、彼が残した奇跡のような数々の至福の名曲に微笑む無垢な魂が物語っている。そんな天才性をただひたすら生きる存在を傍で支えるためには誰だって ”悪” と思われても仕方がない部分を自ら遂行せずには、互いの生活さえ成り立たないのである。僕が先程に、小室哲哉さんの事件に関する報道をテレビのブラウン管越しに目で追いながら、思わず胸が痛くなった最もたるものは、小室さん自身の痛切な表情は勿論だけど、それ以上に、テレビに映し出された小室さんの ”妻” であるKEIKOさんという女性の顔写真に宿った天使の如き無垢な美しさだった。正直、言葉を失ってしまうほどに、それはあまりにも美しい姿をとらえた写真であった。勿論、小室さんの妻には一切の罪はない。”たいへんショックを受けており、コメントをお出しできる状況にございません”アナウンサーが読み上げた彼女の声明文には嘘偽りはないと僕は思う。あくまで僕の想像に過ぎないけれど、おそらく、小室さんは自分の妻には事の真相を殆ど伝えていなかったのではないだろか?。ひたすら隠しながら、同時に、自分の傍らにある無垢な純性を守るように、自分自身の心の拠りどころにしていたのではないだろうか。あたかも自身の創作の源を守るかのように。そのように仮定した場合、僕には何となく判るような気がする。テレビ画面に大きく映し出された小室哲哉さんの、やり場のないような、どこにも逃げ口が見つけられなかったような、悲痛な涙の理由が。小室哲哉さんは自分の夢の世界で輝き続けるシンデレラを愛し、己が生み出す至高の音楽を通して賞賛し続けた。800を超える、あんなにも美しい曲群を創作し続けた。多くの人々の心を感動で満たし続けた。問題は、小室さんが一人で全てを背負い込んだことにある。彼はきっと、自分の妻を、悪妻ではなく、いつまでもシンデレラのままでいられるように、いろいろな影の汚れた部分を一人で背負い込み、逃避行を続けてしまったのではないだろうか。おそらく小室哲哉さんの半生は僕ら常人が想像も出来ないくらいに、孤独なものだったに違いない。平成の日本音楽界に咲いた最も美しく華やかな花が行き着いた運命・・・・・。こんな悲劇が、あっていいのだろうか。そして、小室哲哉さんが抱えた悲劇は僕らの人生とは一切無関係だとは果たして言えるだろうか。あなたは、小室哲哉を責めることが出来ますか?僕には、そんなこと、できない。ただ、涙がこぼれて仕方がないだけだ。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 以上、気紛れ日記として発信しようと思いながら書き殴っただけの文章、いいたいことがまとまっていないことは確かだけど、誤字脱字も読み返さぬままそのままに残しておくことにする。この日記を残すことには何かしら意味があると思う。それが多分に、いつにも増して”日記表現”などという陳腐さに拍車をかけるに過ぎないとしても。繰り返し、言う。何度でも、言う。---こんな悲劇が、あっていいのだろうか?---どうして、ひたすら音楽を愛し音楽の神から愛された者に神はこんな仕打ちをするのだ、と。僕には今、小室さんが、我々がバブルに浮かれた歳月における負の累算という十字架を背負ったキリストに思える。この日記を読んでくれている、あなた、に無関係な話ではない。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.11.04
ブログ開始から4年目へ遂に到達となりました。いってみれば今日は僕にとってブログを開設した”記念日”です。”記念日” といえば、結婚記念日とか建国記念日とかサラダ記念日(笑)とか色々ありますね。人間ひとりひとりが大切にしている”記念日”って、人の数だけ、出来事の数だけ沢山あるのでしょう。そもそも人はどうして記念日を大切にするのでしょうか。その理由として、大きく分けると次の3つの事柄に集約されると思います。---初心を忘れないこと------これまでの歩みを振り返りながら現在の自分自身の立ち位置を確認すること------これからの歩みに想いを馳せること---さてブログ開始4周年記念に際し、上に挙げた3つの事柄を、これまでの僕自身のブログ上での4年間の歩みに当てはめて考えてみました。以下に記しましょう。初心は一体何だったのだろう?と自分に問いかけてみたら、ふと思い出したのがブログを開始して2日目に書いた日記のタイトル。『愛を探す旅人たち』これはフランス映画「IP5」のサブタイトルです。「IP5」という映画を話題にしながら、”愛って何だろう?あなたは今、何を探していますか?”なんて風なことを淡々と綴った日記でした。4年前に書いた日記です。そのように振り返ってみると、僕のブログライフにおける初心って ”愛を探す旅” ということになるのでしょう。ちなみに一番はじめに書いた日記内容は、かつて旅の途中で訪れたイタリアのルッカという街の広場の中心で出逢ったマリア像についての思い出話でした。人がブログを始めることの理由には、人それぞれ星の数ほどの理由があるはずです。それがたとえ確固たるものとして理由づけできないように思えたとしても、本当は自分が分かっていないだけで何らかの見えない赤い糸の結びつきみたいなものがあったはず。僕の場合、ブログをスタートすることになったキッカケは本当に些細なものでした。そこに確かな強い意志など当初は何ひとつなかったのです。正直いって、”他人から勧められて迷った挙句に仕方なく始めたブログ”。これが正確なところだったりもするわけです。では、僕がブログを始めたことに理由などなかったのでしょうか?そんなことはありません、と今なら答えることが出来ます。理由は、あったのです。それは当時の僕の意識を超えた部分にありました。運命に用意されていたかのように、理由は確かに存在していたのです。話の続きは、また後日。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ---ブログを始めた理由---。それはきっと、この日記を読んでくださっている ”あなた” にだってありますよね?。何か大事な理由があるから(あるいは心の内に隠されていたから)、ブログを始めたはずです。あなたが日々、日記を不特定多数の他者に向けて綴っていることにも、最初にあなた自身が心に描いた何らかの理由や初心が流れ続けているのだと思います。あなたがブログを始めた理由は、どのようなものですか?時にはそうしたことに想いを馳せるのも良いものですよ。普段は忘れてしまっていたり気づいていない何かだって、見えてくるかもしれません^^さて月日がたつのは本当に早いものですね。あっという間に、まるで瞬きのように、気がつけば今、ブログ開始4周年になっていたりします。自分でも少し驚いています。4年間という歳月の中でブログを通じご縁があった皆様に心から感謝すると共に、どうぞ、これからも宜しく御願い致します。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.10.30
或る偉大な天才が生んだ作品の数々が集められた美術展に先日偶然に訪れました。『巨匠ピカソ 魂のポートレート』場所は六本木、東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館。以下に少しばかりピカソ展の感想を。Picasso関連URL http://www.rakuten.co.jp/hanafusui/429909/574573/#700264パブロ・ピカソ Pablo Picasso(1881.10.25-----1973.4.8)。ふたつの世界大戦に揺れる激動のヨーロッパに生きた、数百年に一人の偉大な天才芸術家。その作品に漲っているのは美と混沌、純粋さと制御不能な野生。愛のようでありながら同時に暴力のよう。理性と反理性の狭間を激しく行き交うピカソ自身の手の痕跡、そして何ともエロティックな夢と現・・・・・。兎に角、凄い。・・・何が? 作品群に宿るエネルギーが。兎に角、圧倒される、茫然と言葉を失うままに。展示会の会場を支配しているのは強烈な青空、眩しい太陽、海から吹いてくる風。作品の前に立つと、ここが日本ではなくてスペインであるような錯覚に陥ってくる。ピカソがスペイン南部アンダルシア地方の海のそばにある街マラガで生まれたことを考えてみると、それは当然のことなのだろうか。つまり、次のようなことがいえるのかもしれない。会場に展示されている作品群はピカソが生きた怒涛の時代背景そのものであり、ピカソの人生そのものでもあるのだと。と同時に、翻って、僕らの生きている世界そのものの本来の姿であるともいえなくもない。ピカソが生きた世界は既に終わったものとしてでなく、実は姿を変えて現在も続いていることを、この展示会は告げているように僕には思えた。http://www.rakuten.co.jp/artofposter/639589/641406/#635777ピカソの存在自体が20世紀美術界において最大の事件であった、と言っても何ら誇大な話にはならないでしょう。良くも悪くも、それくらいに巨大な人物であるわけです。これは誰にも否定など出来ない事実として今も尚、世界中に与えている影響は限りなく大きい。そういう意味で今回にサントリー美術館にてピカソの作品群に出逢える人は、”幸運”である、と一切の誇張なくいえるはずです。こんな展示会は滅多に存在しないような気がしますよ。なんて贅沢な企画なのでしょうと思います。PARISのピカソ美術館の大改装に伴い沢山のピカソ作品が日本に一時的に持ち込まれたという、そんな風に稀少過ぎる機会なのですから。日本にいながら実際のピカソの手の痕跡群にこんなに沢山じかに触れることが出来る機会なんてそうそうあるわけがないのです。作品集とかの本で触れ得るピカソの絵画と全く異なった感動の次元へ唐突に運ばれること必至。本物の絵画が放つ陰影、感動は、横浜みなとみらい21の展望台から実際に夜景を眺めるのとそれを撮影したポストカードを見つめるのと同じくらいに別次元のものです。ひとつの巨大な事件を体験する=それが今回の『巨匠ピカソ 魂のポートレート』といっても決して過言ではありません。http://www.rakuten.co.jp/artofposter/639589/1884996/#1473596このピカソ展は12月14日まで開催されており、またサントリー美術館から徒歩で行ける場所にある国立新美術館でも視点を変えたピカソ展が同時開催されている模様。実はそちらの展示会の方は小旅行から帰宅して知った次第。まだ二ヶ月も開催されている。勿論、あらためて年内に僕は機会を設けて二つの個展を訪れる予定です。さて先日に横浜と鎌倉、そして少しばかり東京を散策してきたのですが、横浜と鎌倉と六本木という一見、何の関係もない三つの場所から感じたものは多大なものがありました。それらの三つの場所を散策した一泊二日だけの小旅行にも関わらず、その二日間で訪れた場所の数々を振り返ってみると、不思議なことに何か共通する要素が浮かびあがってくるような気がしてくるのです。気が赴くままに共通点と思える何かを探りながら、以下に三つの場所の印象を簡単に綴ってみよう。 横浜 ---海に隣接した煌びやかな異国情緒、燦燦とした夜景と共に光輝く街・・・何度でも訪れたい街 鎌倉 ---自然の美しさとハイセンスに培われた文化・美意識が息づき続ける場所の魅力。偶然、神奈川県立近代美術館に再会。その美術館を設計した坂倉準三(1904---1969)はPARISでフランスの代表的な建築家ル・コルヴュジェーの弟子として働いた経験を持つ人物。日本の感性とフランスの空気が何の違和感もなく交じり合っている静かなたたずまいは奇跡的でさえある。鎌倉の一角で確かに、僕はPARISと出会った 六本木 ---日本であって日本ではないような無国籍風な街、まるで近未来の風景。最先端技術の結晶が聳えるミッドタウンエリアでPICASSOとスペインに触れた。ただの偶然に、六本木ヒルズを見るだけの目的で赴いた先で。以上、気侭に三つの場所を振り返ってみたら、少しだけ見えてきたものがありました。それは、ふたつのキーワードとして記すことが可能であるように思えます。”海” そして、”外国、異文化”。でも、そればかりではないような気も、同時にすることは確か。う---ん、一体なんだろう?海と異文化という二つに象徴されるものを通じて僕の中に新たに見えてきた何か、そんな何かに再び目を向けることが出来た貴重な機会だったということなのでしょうか。兎にも角にも、横浜や東京という地盤に脈打つエネルギー、そして、そこに絶間なく息づく人々のエネルギーは半端じゃなく凄いなあと感じた小旅行でした。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 秋が日増しに深まってゆく今日この頃ですね。芸術の秋、食欲の秋、そして秋は旅が似合う季節でもあります。久々に小旅行して身も心も最高にリフレッシュ出来ました。本当、横浜サイコーです!!今からコツコツ小銭を貯めながら、年内にもう一度横浜と東京へ足を運びたいなあと想います。勿論、ふたつのピカソ展が一番の目的です。あ、それと、もうひとつ。横浜のみなとみらい21の展望台で眺めた美しい夜景がまた見たい!本当、素晴らしかったです。またいつか必ず訪れたいなあと思っています^^◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.10.23
あなたがよく見る夢ってどんな夢ですか?将来の夢とかじゃないですよ、睡眠中の夢の話です。僕はたまに海の夢を見ます。いや、正確には、昨年あたりまではしょっちゅう海の夢を見ました。今年に入ってからどういうわけか海の夢を見なくなったのです。海の夢が見れないと、とても寂しくなります。なぜなら、海が夢の中に出てくる時って、日常生活の中に良いことが起こることが往々にしてあるからです。言い換えれば、海が夢の中に出てこないと、良いことが日常生活の中で起こりにくい。きっと僕にとって海の夢が見れないこと=日々の中で何らかの不安に苛まれていることの反映といっても過言ではありません。「あらら、ルカの街並さんってとても分かりやすい人ですね」そんな声が聞こえてきそうな気もしますが、自分でいうのもなんだけど、そうなんです。結構、単純な性格しています。まるで子供のような性格です。海が夢の中に出てくると、それが日常の善きこととイコールでつながっている。逆に、海が舞台になっている夢が見れない日々が何ヶ月も続くと、(ああ、自分って今スランプ状態なんだなあ)と自然と気づく。このように考えてみると、本当自分って凄く単純な性格なんだなあと思えてきます。単純な性格だからこそ、自分が寝ている間に見る夢が確実にその時々の自分の心を映し出しているといえるのでしょう。☆☆☆最近、とても嬉しいことが☆☆☆それは一体どのような嬉しいことなのかというと?何の因果かここ数日間の間に、海の夢を頻繁に見るようになってきたのです。自分の心が生き返ってきた・・・・・大袈裟でもなんでもなく、そのような感慨の只中で今僕は穏やかさにつつまれています。久々に海の夢を見れるようになってきた理由は何だろう? と考えてみました。きっと、その理由の主なものは、先日に『家族』という古い日本映画を鑑賞したことが大きなキッカケになっているような気がします。気がするというよりも絶対にそうに違いない。そして、ここ数日間の僕自身の心の状態の微妙な変化と平行するように、日常生活において良いことが少しずつ起こり始めている。良いことに少しずつ囲まれてきています。たとえば、懐かしい友と偶然に街角で再会し笑顔で世間話をする。逢う人逢う人から仕事を頼まれたり、仕事面において良き評価を頂く機会に恵まれる。こうしたことって小さなことなんだけれど、僕にとっては凄く嬉しいことなのです。そして、海の波間に浮かぶキラキラした光の粒子のように、自分の心の中が少しずつ輝きはじめてゆくのを感じています。とても、ありがたい。今、あなたの心の中の海は輝いていますか?では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 先日にコンビニで手にした日刊ゲンダイにおける記事内容から少しだけ以下に確固づけで抜粋。「英エコノミスト誌の最新号の表紙には、崖っぷちに立つ人の影が描かれている。~中略~確実に世界の終わりが近づいているというムードだ。~中略~「これからは何が起こってもおかしくない。想像を絶することが起こる。日本人も覚悟を決めるべきだと思います」。誰にも予測不可能な未来地図、世界が抱える激しい混沌の渦・・・・・良いことなんてありゃしない。・・・本当にそうでしょうか?敢えて僕は否、と答えたい。こんなにも殺伐とした現代であっても人間にとって大切なことを自分の心の片隅に忘れずに置き続けていれば、必ず、道は開けるもんだ。つまり、どんな時代であっても人情を、そして人の心のありがたみを忘れちゃいけない、ということのような気がするのです。これから過酷な時代が訪れるとしても、それは変わらず普遍的な真実に違いないでしょう。そのように僕は信じたいし、願いを込めたいと想っています。心ある人には必ず、道は開ける、と。って、1週間くらい前の気紛れ発信日記内容と同じこと再度書いていますが、本当そのように己の心に言い聞かせながら前に進んでゆかないと、これからの時代には生き残っていけないように思います。人情、人の道、そして自分の心の中の”海”を大切にしながら生きて生きたいものです。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.10.17
なんともいえない懐かしさが込み上げて胸がいっぱいになっています。山田洋次監督作品『家族』という映画を観たら、言葉に出来ないくらい感動してしまったんです。この懐かしさは一体、どこから湧き上がってきたんだろう?なんか不思議・・・・・。初めて出逢った映画なのに懐かしいって、とても不思議な感覚。まるで、子供の頃に家族や近所の人達と一緒に海へ出かけた時の記憶がよみがえるような懐かしさ。そんな懐かしさかもしれません。と同時に、子供の頃にテレビでよく見かけていた俳優さん達や女優さん達の活き活きとした表情に再会できたことが、懐かしさを運んでいたのでしょうか。今まで僕は、殆どといってよいほど日本映画を観てきませんでした。子供の頃から現在に至っても、外国の映画にばかり視線が向かっていたように思います。そんな僕だから、山田洋次という人物のことは何も知らないし、どんな映画を撮ってきた人なのかも全然分かりません。とても気になったので、フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)で山田洋次監督のこと及び『家族』という映画の時代背景等を調べてみました。Wikipediaにおいて『家族』という映画は1970年に作られた映画であり、山田洋次監督の代表作の一つとして紹介されてありました。1970年というと僕が生まれた次の年です。この映画を観て、どうして僕が心いっぱいに懐かしさへいざなわれたのか?多分その理由はこの映画が作られた時代背景と僕の幼少期が重なる部分にあるのかもしれません。しかし、理由はそればかりではないでしょう。ある特定の時代背景に自分の過去の記憶を重ね合わせたことで生まれる懐かしさ、というよりも、時代性を超えた普遍的な何かが、この映画には溢れていることが最大の要因に違いありません。きっとこの映画の根底に流れているのが、今の時代には希薄になっているかもしれない ”心のあたたかさ” や”人間愛”だから、あたかも海の浜辺に打ち寄せる波のような大きな感動で観る者の心をつつみこむのだと思います。山田洋次監督作品『家族』---スタッフ---制作:三嶋与四治 脚本:山田洋次、宮崎晃 撮影:高羽哲夫 美術:佐藤公信 音楽:佐藤勝 ---キャスト---井川比佐志 倍賞千恵子 木下剛志 瀬尾千亜紀 笠智衆 前田吟 花沢徳衛 森川信 ハナ肇とクレージーキャッツ 渥美清 春川ますみ 太宰久雄 塚本信夫 梅野泰靖 三崎千恵子 家族(かぞく)は1970年に松竹で制作、公開された山田洋次監督の映画である。長崎県の小さな島を離れ北海道の開拓村まで旅する一家の姿をドキュメンタリー風に撮った異色作。日本万国博覧会開催中の大阪や公害に悩む東京など旅の風景に高度経済成長期の日本の社会状況が浮かび上がるとともに、南北に広い日本の情景の多様さをも映し出す。キネマ旬報ベストテン一位に輝くなど山田洋次の代表作の一つとなった。いわゆる民子三部作の第一作。(映画解説出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)http://item.rakuten.co.jp/s-premium/da4624/『家族』本当、素晴らしい映画です。心の奥底まで感動が染み込んできますし、胸が熱くなります。それにしても昔の日本映画の俳優さん・女優さんたちって実に味わい深い名優さんばかりですね。自分の生まれ育った国の映画なのに、なんだかカルチャー・ショックを受けてしまった気がしています。ちなみに今まで僕が見たことのある日本映画というと、黒澤明監督の作品が何本かと溝口健二監督の作品が何本か、それに加えてエトセトラが少しばかり。これから沢山機会を設けて、山田洋次監督映画を鑑賞しようと心に誓いました。では、また次回の日記で逢いましょう!(^^)>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 山田洋次監督作品『家族』。これは今日に図書館で見つけた古い映画です。いやあ、日本映画ってすっごいなあ、と思いました。外国の映画もとっても素晴らしいけれど、日本の映画だって、とってもとっても素晴らしいですね。これから沢山の素晴らしい日本映画と出逢いたいなあと想いつつ、今夜は美しいお月様が夜空に浮かんでいます。とても美しい夜です^^◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2008.10.13
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