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根室からこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 私が落石で波に揺られていた同日、知床では、知床紅葉ウォークが開催されました。写真を見ると、なんだか楽しそうだったので、今回は、遅ればせながら、知床峠へ行ってみますヽ(゚∀゚)/ 峯浜のパーキングからの羅臼岳は、少し白髪混じりです。紅葉はもう終わってしまったのでしょうか。さすがに、雪壁みたいなことにはなっていないと思うのですが。。。 熊の湯の付近はあまり色づいていない感じです。 上るにつれて、ダケカンバBetula ermaniiが増えてきます。紅葉の時期は、黄色く色づく彼らでしたが、今年はすでに葉を落としていました。先日の台風で飛ばされたのでしょう。一歩遅かったです"o(><)o" 唯一の秋らしさは、ナナカマドの赤い実だけでした。 更に上って、知床峠の駐車場につきました。羅臼岳は、冬支度に忙しいようです。 森林限界(高木が生育できなくなる限界高度)より上のここには、ダケカンバは育ちません。高さ2mほどのハイマツPinus pumilaが、灌木状に広がっています。 周囲の白いのはもちろん、雪です。薄着できたのを後悔しました(;´Д⊂) 皆さんも、冬期間通行止めの前に、知床にお越しください!台風の際にも積雪があり、凍結による夜間通行止めが実施中です。お越しの際には、事前に道路情報をご確認ください。 ・道路情報はこちらから ・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.27
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 先日、同僚のOstrya japonicaさんから解説のリクエストを貰いましたので、今回は第21回「夢幻の鉄道・根北線」でも駆け足でご紹介しました、標津線を再びご紹介いたします。 Ostrya japonicaさんが歩いたのは、奥行臼駅から別海駅でした(別海駅は、開通当初は「西別駅」と呼ばれていました。場所は現在の別海町交流館「ぷらと」です)。 この区間の起工は昭和7年。川が多い湿地帯で、ケネヤウスベツ川、オンネヤウスベツ川、ポンヤウスベツ川、西別川と4本の川に橋をかけました。 Ostrya japonicaさんの写真に写っているのは、ケネヤウスベツ川だそうですね。 このような廃線跡は、それほど残っていません。 第21回では厚床-中標津-根室標津と探してみましたが、今回は、標茶-中標津で探してみることにしました。 標津線は昭和12年に全線開通となりましたが、いくつかの無人駅は、戦後新たに設置されました。 上春別駅はその一つです。 場所は西春別と計根別の間です。昭和38年に利用を開始しました。上春別駅 随分と荒廃しているので、上に乗ることはしませんでした。 ちなみに、上春別駅は北緯43度27分35秒、東経144度47分11秒(http://goo.gl/maps/cj1Tw)にあります。<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら 他の駅のほとんどは、別の施設が建設されていました。 けれど、寂しく思うことはありません。思い出の品は、しっかりと保存されています。西春別鉄道記念館<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら 今でも「西春別駅前」という地名の残っているここには、鉄道記念館が建てられています。館内には、当時使われていた切符や「さよなら標津線」プレートなどが展示されています。屋外展示 屋外には、樺太で仕事を終えた機関車「DL51-27」やJRの「キハ22 239」などが鎮座しています。駅名標 各駅の駅名標も残っています。 上春別駅もしっかり残っていました。 鉄道記念公園は11月から冬季閉鎖に入ります。 鉄道記念館は冬季も開館していますが、この秋に別海町に来てみませんか?参考文献:北海道鉄道百年史 ・鉄道記念館の情報はこちらから・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.24
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 「はらぺこ丸」君を連れて、色々なフットパスを巡っている私ですが、今回は、別海町グリーン・ツーリズム・ネットワークさん主催の旧標津線フットパス・ツアーに参加してきましたヾ(*´∀`*)ノ写真はヤウシュベツ川に架かる橋です。 奥行臼駅逓をスタートして、廃線跡をたどっていきます(奥行臼駅逓については、難読地名シリーズ第10回、歴史探訪シリーズ第20回をどうぞ)。レールや枕木は、すでに撤去されていますが、敷かれていた石は残っているため、ほんのちょっとだけ歩きにくいです。「はらぺこ丸」君的には、「『Stand by me』っぽくて、楽しいです」だそうですが。 台風の直後だったため、ちょっとした倒木もありました。通れないほどではありません(・∀・)Ω」 ところどころ残った枕木が、当時、ここが線路だったことを教えてくれます。「人の頭!?」の様に見えるのは、谷地(やち)坊主(ぼうず)です。谷地坊主は、スゲ類が繁茂して、逆とっくり状に株を作ったものです。数十年で高さ40cmにもなるんだとかw( ̄Д ̄;)w湿地帯ならではの光景ですね。 さて。今回のフットパスでは、色んな物を収穫しました。 収穫物1:鹿の角 牡鹿が雄々しく掲げている角は、毎年春頃に生え変わります。おそらく、春からずっとここに転がっていたのでしょう。 これは、同僚の「裕」さんに差し上げることにします。しっかりもののような記事を書く「裕」さんですが、かつて、某所で「鹿の角煮(かくに)」を「『鹿(しか)の角(つの)』煮(に)」と読んだおっちょこちょいさんだったりします。 「いや、鹿の角は皮膚が硬くなったものだから、水につければ柔らかくなるし、縄文人たちのアクセサリーはそうやって作るって言われてるし、出汁くらいは......」などと言い訳していましたが、これで「『鹿の角』煮」が作れますね(。・w・。 ) 収穫物2:山葡萄 たわわに実っているヤマブドウ。日当たりのいいところの、上の方にたくさん実っていました。種は大きいですが、太陽の温かみをいっぱいに浴びた甘酸っぱさが口に広がりました。 同道していた「はらぺこ丸」君に感想を訊くと、「甘くて美味しいですね。僕の初恋より甘い」と答えました。話が長くなりそうでしたので、詳しく問いませんでしたが、彼の初恋に何があったんでしょう(n¬_¬) 約7.5kmを歩いてゴール。別海町はあと4kmほど先になるそうですが、今回はここまで。皆さん、お疲れ様でした。 温泉の後は別海町観光協会さんオススメのソフトクリームをいただきます。おそるおそる「はらぺこ丸」君の感想を訊くと、「秋の焚き火みたいな、寒いけどどこかほっとする味」という、無難(?)な答えが返ってきました。 さて、今回歩いたコースの歴史的な背景を紹介は、当課の鉄道好き「裕」さんが、ご紹介いたします。お楽しみに! ■注意■ 今回歩いたコースは、熊の出現も多いため、少人数で歩くのは大変危険ですので、ご遠慮願います。毎年春・秋に今回のようなツアーが予定されていますので、参加されたい方は、別海町観光協会あるいは、別海町グリーン・ツーリズム・ネットワークにお問い合わせ願います。 ・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.22
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostria japonicaです。 自然豊かなこのねむろで、歩く楽しさを幾度となく紹介してきました。今回は、趣向を変えて、海上から根室の楽しさをお届けします。根室地域にはいくつかクルーズがありますが、今回は「落石ネイチャークルーズ」に参加してきましたヾ(*´∀`*)ノ さあ、まずは乗り込みます。船長さん、ガイドさん、よろしくお願いしますm(_ _)mコンブ漁で賑わう沿岸部を抜け、ユルリ島を目指します。ユルリ島はかつて人が漁のため住んでいた島でした。今でもユルリ島灯台は稼働しています。が、貴重な自然の残るユルリ島・モユルリ島は国の天然記念物に指定され、立ち入りは制限されています。 熱心に探していますね。とれた写真をちょっとお借りしましょう。 クルーズではこの2島をぐるりと回るコースが設定されています。モユルリ島近くの岩礁に整列したウミウ達。するりと伸びた首がキュートです(*´ω`*)珍しいトウゾクカモメは、漁船を後ろから尾行してきました。他のカモメたちが捕った獲物を横取りするワルイやつです。脚が黒いのが特徴ですが、腹の中も黒いんですかね(・・?見られるのは鳥達だけではありません。アザラシたちもゆったりとした時間を過ごしています。漁業と海獣たちとのつきあいかたも考えるべき時期にあります。 さあ、約2時間の航海を終え、港に帰ってきました。慣れていない所為か、船に載っているだけでくったりと疲れてしまいました。船長さん、ガイドさん楽しいひと時をありがとうございましたm(_ _)m 北方領土問題啓発のキャラクターともなっているエトピリカと出会える時期は、6月ごろで、今回は会うことしかできませんでした。 しかし、春には春の、冬には冬の鳥たちに出会うことができるのが、「野鳥の楽園」たるねむろの魅力です。これをご覧の皆さんも、大空を羽ばたく鳥達に会いに来ませんか? ※今回の記事は借り物の写真が多いため、転載・二次利用はご遠慮ください。・落石マリンビジョンのホームページはこちら・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.18
ねむろ丸ごといただきます。根室振興局地域政策課の食いしん坊「はらぺこ丸」です。 この三連休、鳥取県では、とっとりご当地バーガーフェスタ2013(平成25年10月13日(日)、14日(月・祝)開催)が開催、別海ジャンボホタテバーガー・プレミアムが参戦していましたが、残念ながら、3連覇を逃してしまいましたね。しかし、来年は、グランプリに返り咲くと信じています! さて。プレミアム版が登場した10月2日と同日、新たなジャンボサーモンバーガーがロールアウトしました。さっそく食べに行ってきましたよ! ジャンボサーモンバーガーはバンズからはみ出るほどのジャンボなサーモンフライを挟んだご当地バーガーです。ちょっと、飛行機に似ていますね。 中央の客室には、新鮮な野菜たちが搭乗し(はさまれ)、左右の翼には、2種類の燃料(ソース)が用意されています。おいしさだけでなく、楽しんで食べられる、にくい演出ですね。 飛行機が口の中にランディングし始めてから胃の中に格納されるまであっという間でした。 これをご覧の皆さんも別海町の味を確かめにおこしください。 ・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.15
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 前回に引き続き、今回は別当賀パス・ウォークの後編をレポートします(。≧ω≦。)ノ 日本離れした景観は、ちょっとしたもので、現在公開中の映画「許されざる者」のロケ地にもなりました(くわしくはこちら)。 写真に写っているのは、渡辺謙さん演じる主人公・十兵衛が住んだ家です。しっかりと景色に溶け込んでいますが、溶け込みすぎて倒壊し始めていますので、見学する際には十分気をつけてください。 崖際に出てきました。遠くに見えるのは、落石岬です。 今日は歩いている方はいますかね?とりあえず、手を振ってみます(`ω´)ノシ ついに海岸部まで降りてきました。広い砂浜を自由に歩いて行くと、 崖がどっしりと構えていました。薄く、整然と地層が積み重なっていて、一緒に歩いた「はらぺこ丸」君が、「ミルフィーユみたいだ、食べられそう。。。」とつぶやいていました(n¬_¬) 帰ってきたら「浜の母さん」のお弁当が待っていました(詳しくはこちら)地層を食べたがっていた「はらぺこ丸」君も満足してくれた--かな? これをご覧の皆さんも、日本離れした景観を見にいらしてください(^ ^)ノ ・根室フットパスの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.11
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 携帯電話をスマートフォンに変えて、そろそろ半年が経ちます。 スマートフォンは、携帯電話に比べて随分便利ですが、よくよく考えてみると、昔は固定電話すらなかった時代があったはずです。 今回は、電信電話記念日も近いので、根室の通信について振り返ってみましょう。 ※補足 電信電話記念日は、1869年(明治2年)10月23日に、東京~横浜間の電信線架設工事に着手したことにちなんだ記念日です。 通信事業は、かつて逓信(ていしん)と呼ばれていました。 郵便物の逓送(ていそう)と電信が主な業務でした。 つまり、現在の郵便局が、通信業務を請け負っていたのです。 余談ですが、郵便局のマーク「〒」は、逓信の頭文字「テ」を意匠化したものです。 根室地域の最初の郵便局は、明治8年、根室市梅ケ枝町に新設されました。当初は月6回、集配を行っていました。 集配回数が少ないようにも感じますが、全道的にも根室の郵便局設立は早く、いかに根室が賑わっていたかが分かります。 電信線の架設は、明治17年まで待つ必要がありました。 さて。「北方領土との通信はどうしていたのだろう?」と気になりませんか? まずは標津町でその歴史を探ってみます。 北方領土の国後島との距離が最も近いのは野付半島で、その距離は16kmしかありません。 そのため、野付半島の付け根である、標津町字三本木から国後島へ電線を敷設する計画があり、三本木に海底電信基地がつくられました。 海底に鉛で覆った電線を敷設しようとしましたが、潮流が激しく、三回失敗し、断念せざるを得ませんでした。標津の電信基地 しかし、当時の基地はポー川史跡公園に残っていました。電信線 当時の電信線は、径約6mmの線を、10本ほど螺旋状により合わせていたようです。 隣には、現在の光ファイバーケーブルもあり、技術の進歩に驚かされます。電話交換機 反対側には、寄贈された電話交換機が展示されていました(三本木電信基地で使用された電話交換機ではありません)。 標津-国後島との通信は叶いませんでしたが、根室-国後島は成功しています。 明治30年国後島-択捉島との電信が成立した翌月、根室-国後島との電信が開設されました。海底電信線陸上施設(2013年2月撮影)<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら 根室の海底電信線陸上施設は平成25年に保存のため、根室市により購入されました。 この建物は、国後島との通信に苦労した生き証人であり、また、静かに「国後島と根室市との近さ」を主張する建物でもあるのです。 参考文献:根室市史参考文献:標津町史参考文献:平成25年2月9日付け北海道新聞 ・ポー川史跡自然公園のページはこちら ・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.09
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 9月28日に、大地みらい信用金庫さん主催で行われた、別当賀パス・ウォークのイベントに参加してきました(。≧ω≦。)ノ ちょっと遅くなりましたが、今回は、別当賀のコースをご紹介いたします。 別当賀パスは、別当賀駅から一直線に海に向かうルートです。森→草原→海岸とダイナミックに切り替わる風景が楽しめます。 森の中には立派な木が身体いっぱいに日を浴びていました。少しやつれた感じがする木の肌には、風雪に耐え忍んだ威厳が感じられます。 森を抜けると、遮るもののない青空が視界に広がります。本来なら、ゲートの鍵が必要になりますが、今回は、主催者の方に用意していただいていました。 さわさわと、イネ科の植物たちのささやきばかりの秋ですが、よくよく目をこらすと、まだ元気に花を広げているかわいらしい娘がいました。 この花はウメバチソウ(Parnassia palustris)。低地から亜高山の湿地に、2cmくらいの花を咲かせます。9月の花ですが、まだ咲いていていじらしいですね。花も可愛らしいですが、葉もハート型で可愛らしいです こちらはエゾフウロ(Geranium yezoense)--かな?近縁種にチシマフウロ(Geranium erianthum)という花もあり、判別が難しいです。チシマフウロは、根室高校の校章の意匠にも使われているので、見つけたかったのですが。。。まだまだ、勉強が足りませんね (^_^; 坂を登ると海岸部が見通せました。今はあまり姿が見えませんが、春には鳥たちの楽園になっているそうです。 この丘を越えて、海岸部を目指していきますが、ずいぶんと紙幅を費やしていましたので、続きは次回の更新で(^_^)ノ ・根室フットパスの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.07
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 道東地域は、湿地帯が多い場所ですが、海岸部の海水と淡水の混じり合う場所では、塩分の多い湿地帯となるため、内陸とは異なる植物が見られます。 今回は、根室市の砂州春国岱と別海町の砂嘴野付半島を歩いてみました (*´∀`*)薄紫色の花弁のこの花はウラギク(Aster tripolium)です。草丈は30cmほど。群生することが多く、今回歩いた折にも、一面に咲いていました。 漢字では「浦菊」と書きます。海岸部に咲くので、「浦」が使われたのですね (゚ー゚*)ナットク この時期の海岸部は花だけでなく、紅葉を楽しむこともできます。 これはサンゴ草(Salicornia europaea)です。肉質の茎や葉が赤く色づき、サンゴの様に見えることから、この名前がつきました。 別名「アッケシソウ(厚岸草)」と呼ばれるのは、厚岸で発見されたことに由来します。 現在の色づき具合は2分くらいでしょうか。草丈が10cm程度と、低いため、満潮の時には冠水し、引潮の時には海水から身を出します。 随分と印象が変わりますので、潮汐のデータをチェックしてから訪れるといいかもしれませんね。 そろそろ花の季節も終わりですが、ぜひ、美しく彩られた海岸部を見にいらしてください(^o^)ノ ・春国岱ネイチャーセンターの情報はこちら・野付半島ネイチャーセンターの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.02
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 前回、第2ステージを歩いたので、今回は北根室ランチウェイ第3ステージに挑みます(。≧ω≦。)ノ 燃料を補給して、第3ステージに入ります。おそるおそる、橋を渡って、いざ出発。 遠くの景色も素敵な中標津ですが、足下に視線を下ろすと、秋の恵みが背比べもせず、寝転んでいました。 そして、道は牧場の中に突入です。牛さん、ちょっとお邪魔します m(_ _)m 午後になって、少し雲が出てきました。ちょっと急ぎましょうε( o・ω・)o 第3ステージのほとんどは、森の中の道になっています。元気に飛び跳ねるバッタさんや、冬支度に忙しいカエルさんとすれ違いながら歩いて行きます。 第3ステージからゆっくりと牧場から離れ、第4ステージでは登山に入るようです。今回は、残念ながら第4ステージに挑む時間はありませんでしたが、時間を作って、歩いてみたいですね。 第3ステージのゴールは養老牛温泉です。疲れた身体に、温泉はさいこーですね! さて。第2ステージ、第3ステージと歩いてきましたが、いかがだったでしょうか。これをご覧の皆さんも、ぜひ、根室に歩きに来てください(^o^)ノ 平成25年10月4日(金)には、中標津町で、全国ロングトレイルフォーラムも開催予定です。まだまだ、酪農地帯を歩く北根室ランチウェイから目は離せませんね。・北根室ランチウェイの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓・過去の記事をまとめた「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.10.01
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?道ばたに咲く風露(フウロ) 先日、初田牛パスを歩いてきました。 初田牛パスは13.5kmの、既存の農道を歩く道です。舗装されているので、サイクリングにも適しています。 初田牛は明治35年ごろから、牧畜などによる入植者によって拓かれた地区です。現在でも牧場が広がるこの土地は、古代の頃から人が住んでいました。 今回は、初田牛から根室の縄文文化を紹介します。現在の初田牛 縄文文化といえば、まっさきに思い浮かぶのが、土器や土偶ではないでしょうか。 北海道で土偶といえば、道内最初の国宝「中空土偶」、全国的に有名な青森県亀ヶ岡遺跡の「遮光器土偶」が有名でしょうか。 北海道全体では、道南から道央にかけて多く出土される土偶ですが、根室市初田牛でも一体出土しています。初田牛20遺跡出土土偶(根室市歴史と自然の資料館) この土偶は1988年、個人所有の牧草地から発見されました。 発見当時は、ばらばらの状態でしたが、破片のほとんどを発見できました。つなぎ合わせた大きさは約20cmほど。左足は、残念ながら、見つけてあげることはできませんでした。 正確な制作年代は未だ不明ですが、発掘調査から、近くに縄文時代後期のお墓があったことがわかりました。 土偶には、縄目のような紋様と、斜めの区切り(衣類の表現でしょうか?)があり、赤い塗料(ベンガラ)を塗ったあとがありました。 ちょっと表現の読めない彼(彼女?)ですが、実はおしゃれさんだったのかもしれませんね。出土した遺物(根室市歴史と自然の資料館) おしゃれといえば、近くのお墓からは、埋葬された方の装飾品が出土しています。中でも、漆塗りの櫛(右上)は珍しく、道東では根室市でしか見つかっていません。 これらの飾りは、弔う際に、亡くなった方の化粧をしたり髪を整えたりしたと考えられています。当時のおもいやりの社会を感じ取れます。 めがね橋 会期100年記念碑 初田牛パスでは、他にめがね橋や初田牛開基100年記念碑があり、近代へのノスタルジーを感じることができます。 これをご覧の皆さんも歩きながら昔に思いを馳せてみませんか?・根室市歴史と自然の資料館はこちら・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓・「超!!旬ほっかいどう」の根室地域の過去ログ「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.09.27
根室振興局からお知らせです。当ブログで掲載してきた記事のアーカイブ・サイトを公開しました。歩く楽しさが見つかるフットパスなどのレポートや、誰もが一度は食べてみたい根室の食。好評のうちに最終回を迎えた"あすか"さんの「難読地名を巡る、地図の旅」シリーズや、静かに歴史ロマンを語る"裕"さんの「ねむろのちょっと歴史たび」シリーズ など、ねむろの魅力が詰め合わされた内容になっています。過去ログ検索にご利用ください。・ねむろの旬の情報はこちらから↓・「超!!旬ほっかいどう」の根室地域の過去ログ「ねむろアーカイブ」はこちら↓
2013.09.26
こんにちは根室振興局産業振興部商工労働観光課観光・交流戦略室です。 当室では、管内1市4町のご協力により年に8回イベント情報を発行しております。このほど最新10月号が発行されましたので、みなさまにお知らせします。ぜひ一度ねむろ管内へお越しください。イベント情報10月号はこちらをどうぞ。ねむろのイベントカレンダーはこちらをどうぞ。
2013.09.26
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 先日、気持ちの良い天候と虫たちの歌声に誘われて、北根室ランチウェイを歩いてきました(。≧ω≦。)ノ 歴史探訪シリーズ第3回、第4回では"裕"さんが、第1ステージを歩いていましたが、私は、開陽台を出発して、第2ステージを踏破します。 開陽台を下ったのち、牧場脇の森を進みます。 振り返ると、斜面には、牛さんたちがひなたぼっこ中。(*´∀`*)いつの間にやら開陽台の展望台も小さく見えます。 谷間の小川を越えたり。斜面を上がったり下ったり。 風に揺れるススキも、澄んだ高い空も、すっかり秋ですね。 第1ステージは平地に広がる牧場の間を抜けるようですが、第2ステージは斜面に広がる牧場の中を抜けていきます。 2つのステージの対比がおもしろいですね。第2ステージは「山の端」という感覚です。 はてさて、歩くこと、約2時間半。第2ステージはレストラン牧舎がゴール∩(^ω^)∩ 疲れた身体に燃料補給。補給後、第3ステージに挑みます。 レポートは、次回の更新で。お楽しみに!(´∀`)ノ 平成25年10月4日(金)には、中標津町で、全国ロングトレイルフォーラムも開催予定です。まだまだ、酪農地帯を歩く北根室ランチウェイから目は離せませんね。・北根室ランチウェイの情報はこちら ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.25
ねむろからこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 徐々に、木の葉も色づき始め、植物たちは秋の装いをし始めました。中標津町の花・エゾリンドウ(Gentiana triflora var. japonica)の時季も、もう終わりです。 エゾリンドウは、膝丈くらいまで伸びる多年草です。先端部に淡い青紫色の花を数輪咲かせます (*´∀`*) 恥ずかしながら、リンドウの「リン」は「凛」と書くものだと思っていました (o〃∇〃)凛としたたたずまいから、そう名付けられたのだと。。。「竜胆」が正解なのですね。(中標津町緑ヶ丘公園の移植地。平成25年8月撮影) 本州近畿から北、北海道までの山地の湿地帯に自生するエゾリンドウですが、現在ではその姿も少なくなっているそうです。 中標津町内では、緑ヶ丘自然公園や中標津庁舎前などで栽培もされています。 いつまでもエゾリンドウの咲く自然を残していきたいですね。 ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.24
ねむろ丸ごといただきます。根室振興局地域政策課の食いしん坊「はらぺこ丸」です。 秋ですね! この時期の根室では、キラリと光る刀のような魚が水揚げされます。そう、サンマ(秋刀魚)です。勢い余って、写真を撮る前に食べてしまいましたm(_ _)m 焼くと、香ばしい秋の匂いが舞い上がり、じうじうと脂が音を立て始めます。脂の乗ったサンマの刺身は、ほろほろと甘く、舌に蕩けていきます。 ちなみに、サンマの刺身はわさびではなく、一味唐辛子でいただくのが、根室流。ぜひ、みなさんも根室流を試してくださいね! 平成25年9月21日、22日には、根室市でさんま祭りが開催。炭も用意されているので、その場でねむろのサンマが楽しめます。くわしくはこちらから。 ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.19
ねむろ丸ごといただきます。根室振興局地域政策課の食いしん坊「はらぺこ丸」です。 根室地域では酪農業が盛んで、牛乳らしさがぎゅうっと詰まった牛乳を飲めます。 加工品であるチーズも美味しくて、笑ってしまうほど。中央はゴーダチーズ。左脇に控えているのは、チーズを焼いたチーズせんべい。右脇を固めているのは、根室の地酒・北の勝の酒粕を使った酒粕チーズです。 さて、相方のティラノサウルスに食べられる前に、私もいただきます。あなたもねむろをめしあがれ。 平成25年9月14日、15日には、別海町でチーズフェスティバルが開催され、中標津町と別海町から集まるチーズが楽しめます。くわしくはこちらから。・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.10
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 前回まで紹介しました続縄文時代や擦文時代の遺構は、昔の根室地域を知るための手段の一つですが、時代が下り、江戸時代になると文字資料も残るようになります。 歴史探訪シリーズ第2回「標津に生きた会津藩士」で紹介したホニコイ陣屋御造日記や第18回「幻の街・キラク」で紹介した加賀屋文書は、代表的なものです。 しかし残念ながら、私に古文書を読む能力はなく、当時の様子を描いた絵はないかと思っていました。 先日、標津にて念願叶い、幕末の標津を描いた屏風を見る機会に恵まれました。 今回は、標津番屋屏風についてご紹介いたします。2隻1双の屏風 2隻1双のこの屏風は会津藩の星暁邨(ほしぎょうそん)という絵師が書いたものです。現在では新潟市西厳寺(さいごんじ)に保存されています。函館 1隻は、函館を描いています。 中央の山は函館山で、遠くかすかに見えるのが、青森県下北半島です。交易のための船が続々入港している様子が見て取れます。標津 もう1隻のアキアジ漁をしている屏風が標津を描いたものです。 北海道によくありそうな風景ですが、場所が特定されたのは、神社に立っている幟(のぼり)のお陰です。神社のアップ 「士部津(しべつ)」という字が見て取れます。右横の碇は、現在でも残っています。 さらに、地元の研究者により、ホニコイ陣屋御造日記や加賀屋文書の記述から描かれた人物の特定までされています。加賀伝蔵 こちらの方は、加賀伝蔵。 アイヌの通辞(通訳者)から、漁場の支配人になった人物です。詳しくは第18回「幻の街・キラク」を御覧ください。南摩綱紀 こちらは南摩(なんま)綱紀(つなのり)。 文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)まで、標津で代官を勤めた人物です。彼は、文政6年(1823年)に会津藩に生まれました。学者肌で、代官の任期中にもアイヌの方々に学問を教えていたという記録が残っています。 任期を終え、会津に帰った翌年には鳥羽伏見の戦いが始まり、会津藩も戦場となります。終戦後の明治3年(1870年)、綱紀は許され、明治22年(1889年)には高等師範学校の教授に任ぜられるなど、日本の高等教育に多大な貢献をしました。 著書も多く、日本の地理の教科書「内地誌略」なども記しています。標津についてはどのように書かれているかと思えば、「温泉は標津」とあります。 今でも、標津町では温泉で癒やされることができます。綱紀も仕事の疲れを癒やしたことでしょう。 さて。 難読地名シリーズ第5回でも取り上げられた標津ですが、「標」の字を当てたのは南摩綱紀だと言われています。「標」には「しるし」という意味があります。読みにくい漢字ですが、彼は標津を人生の標と感じていたのかもしれませんね。 参考文献:北辺の会津藩旗(標津町歴史文化研究会 編) ホニコイ御造日記標津町では、今回取り上げた屏風やホニコイ御造日記を展示している「知られざる幕末会津藩北辺防衛の歴史」が開催中です。期間は平成25年10月6日までですので、お見逃しなく。 ・標津歴史文化研究会のfacebookはこちら・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.09.09
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。8月31日(土)に催された落石フットパス大会に参加して、秋めいてきた落石を散策してきましたヽ(゚∀゚)/ 落石のフットパスは、落石岬をぐるりと廻るコースになっています。急崖が多いため、覗きこむのは危険ですが、遠くに望む海岸線やコース内の丘陵は目を楽しませてくれます。 草原では、ヒオウギアヤメも終わり、ナガボノシロワレモコウ(Sanguisorba officinalis var. alba)が背を伸ばしていました。 一方、背を伸ばせていないのはこの方。膝丈もない高さのこの植物は、草ではありません。クヌギの成木です。冬の寒さや、土の栄養少なさのため、背を伸ばすことができず、このような大きさにしかなれないのです。 土の栄養の少ない場所に生える植物といえば、このようなものにも出会えます。これは、モウセンゴケの一種です。モウセンゴケは、食虫植物の1種。食虫植物は、虫を食べて育っているわけではありません。基本的には光合成を行い、育っているのですが、足りない栄養分だけを虫から補給しているのです。ちなみに、モウセンゴケは、突起から粘着質の液体を出し、虫を捕らえます(´~`)モグモグ 他にもいろんな植物や景色に出会いつつ、全員無事に約7kmを歩ききりました。 帰り着いたら、霧娘(きりっこ)弁当と海の幸が待っていました(^∀^)参加者の皆さん、運営に携わっていただいた皆さんお疲れ様でした。いろんな所から活力をいただける一日でした。 これをご覧の皆さんも、活力補充に来ませんか? ・落石フットパスや霧娘弁当の情報はこちらから↓・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.05
ねむろ丸ごといただきます。根室振興局地域政策課の食いしん坊「はらぺこ丸」です。 秋といえば味覚の秋!!9月7日(土)、8日(日)、根室市の根室港岸壁にて、花咲ガニ盛りだくさんのカニ祭りが開催されます! Ostrya japonicaさんに言わせると、花咲ガニはヤドカリの近縁種なんだそうですが、そんなことより、「旨い!!」ことがダイジなんです!あなたも根室を召し上がれ!! ・詳細は根室市観光協会のページからどうぞ ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.04
ねむろ丸ごといただきます。根室振興局地域政策課の食いしん坊「はらぺこ丸」です。ハンバーグ9月1日(日)に催された「別海町ブランチマーケット」を堪能してきました。 各ブースでは、別海産の和牛やズッキーニなど地元の食材を使ったメニューを中心に提供されていました。あいにくの天気にもかかわらず、売り切れ続出の盛況ぶり!!メンチカツ 舌の上で踊る肉汁の旨さを、写真では伝えきれなくて残念で仕方ありません。。。気になる方はぜひ、別海町でねむろを召し上がれ!! ・別海町観光協会のページはこちら・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.09.02
こんにちは根室振興局産業振興部商工労働観光課観光・交流戦略室です。 当室では、管内1市4町のご協力により年に8回イベント情報を発行しております。このほど最新9月号が発行されましたので、みなさまにお知らせします。 ぜひ一度ねむろ管内へお越しください イベント情報9月号はこちら(9月号・画像)をどうぞ。ねむろのイベントカレンダーはこちら(根室振興局のページ)をどうぞ。
2013.08.29
北海道根室振興局地域政策部地域政策課です。 金曜夜8時に北海道で放送されている「北スペシャル」。今週は「北のまほろば ~野付半島の四季~」が放送されます。 上空から見た野付半島 根室管内の東部に位置し、オホーツク海の潮の流れによって造られた日本最大の砂嘴(さし)である野付半島。トドワラ、ナラワラ、フラワーロード、原生花園などとさまざまな見所があります。野付湾では打瀬舟による北海シマエビ漁が毎年夏と秋の2回にわたって行われ、野付湾の代表的な風景となっています。また野付湾は、多くの野鳥の餌となる甲殻類や貝類などが生息しており、2005年にラムサール条約登録湿地に登録され、その貴重な自然環境が再確認されました。 トドワラ 打瀬舟今回の番組では、四季折々、様々な表情を見せる野付半島で海の幸を分かち合う人々の暮らしを見つめ、海の恵みに抱かれて生きる豊かさが描かれています。ぜひ番組をご覧いただいて、野付半島の豊かな四季を感じてください。 <番組情報> 放送局:NHK総合テレビ(全道放送) 番組名:北スペシャル「北のまほろば ~野付半島の四季~」 放送日時:8月30日(金) 20時00分~20時43分 語り:斎藤歩(さいとう・あゆむ)俳優 村上里和(むらかみ・さとわ)NHK旭川アナウンサー 番組ホームページ:http://www.nhk.or.jp/sapporo/kitaspecial/ ※ 番組の放送日時、内容、タイトル等は変更する場合があります。 ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.29
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 曇り空が多い最近ですが、大地に目を向けると、植物たちが元気に色とりどりの花を咲かせてきます。 「北海道を代表する花」の時季は終ってしまいましたが、街路に植えられた株に実った果実が赤く色づき始め、私達の目を楽しませてくれています(o・ω・o) そう、北海道の花といえば、ハマナスRosa rugosaですね。ハマナスはバラ科の落葉低木樹です。 北海道110年を記念して一般公募を行い、「純朴、野性的で力強い」「花の色が鮮明で、葉も美しい」「生命力が強く育てやすい」などの意見により、昭和53年に北海道の花に指定されました。 標津町を始めとした多くの町でも町の花として採用される、人気の花で、7月頃に鮮やかなピンクの大輪を開きます('ω'*) 野付半島などの浜辺には、ハマナスが自生しています。雪が降りてもハマナスの幹や枝は枯れ落ちることはありません。力強い、というイメージはここから来たのかもしれませんね。 ところで、ハマナスの実は随分と美味しそうな見た目をしていますね。実際、ローズヒップとしてお茶や香水の原料になっていますが、食用にも適するのではないか、と思って同僚の裕さんに訊いてみました(?´・ω・`) 「果実はビタミンCが豊富で、アイヌの方々も食用にしていたらしい。 『標津町歴史文化研究会』※で出している冊子『北辺の会津藩旗』に レシピが再現されているから試してみたら?」※出版時は「標津の歴史と文化を知ろう会」という名称でした。 と、興味深い情報を頂きました。機会があったら試してみようと思います。その時は、また当ブログにてご報告いたしますね(^∀^)ノ ■ヒストリー・ハンター(仮)裕からのおしらせです。標津町では、平成25年9月1日から「知られざる幕末会津藩 北辺防衛の歴史」が始まります。新潟県からはるばる海を渡った標津番屋屏風のホンモノがやってきます!これを機に、幕末会津藩を知ってみませんか? ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.28
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 歴史探訪シリーズ第23回、第24回と道東の世界文化遺産候補である標津湿原周辺の遺跡をご案内しました。 道東では、道央・道南と異なり、樺太から海洋漁労民族であるオホーツク人が南下してきました。彼らは、その後、アリューシャン列島を北上し、オホーツク海沿岸一体に広がっていきます。 では、その後はどうなったのでしょうか。 続縄文時代の終わりから擦文時代まで確認されたオホーツク文化ですが、その後、彼らの生活の痕跡は確認されていません。 戸川幸夫の小説「オホーツク老人」では、オホーツク人は元々住んでいた人達に追われた、と描写しています。 しかし、本当にそうでしょうか? 色々な遺跡を回ったり文献を読んで勉強していますが、争いで怪我をした方の遺骨が出土した、という報告を、私は寡聞にして存じません。また、仮に、オホーツク人と現地の方の仲が悪かったのなら、なぜオホーツク人は何百年もの間道東にとどまったのでしょうか。 実は、現在ではオホーツク人と擦文人が共存していたと考えられています。 その証拠は羅臼町の飛仁帯から出土しました(飛仁帯の情報は難読地名シリーズ第24回を御覧ください)。ここの出土物は、オホーツク文化と擦文文化の中間の特徴を持っています。 この文化様式は、出土した土地の名前を借りてトビニタイ文化と呼ばれます。 詳しく見てみましょう。 古代文化の手がかりの多くは土器に残っています。 例えば、縄文文化は縄目模様を使った土器「縄文土器」に代表されています。その文様は時代ごとに流行が変わったり、地域色があったりと、年代解析や土地ごとの勢力を解析する手がかりとなります。 擦文土器は、その名の通り、土器表面を擦ったような文様が特徴です。 しかし、年月とともに流行も変わり、擦文時代も終わり頃になると写真のような土器を使うようになります。 擦文土器(羅臼町立博物館収蔵) 特徴として、1.ラッパ状に縁が広がる、2.土器中部に文様を配置する、3.文様は幾何学的なものを彫り込む、という点が挙げられます。 一方、オホーツク土器は、 オホーツク土器(羅臼町立博物館収蔵) 1.縁の直前でくびれ、2.縁に文様を配置し、3.文様は波型のもの貼り付ける、という特徴を持っています。 では、トビニタイ土器を見てみましょう。 トビニタイ土器(羅臼町立博物館収蔵) トビニタイ土器の形は、擦文土器と同様に1.ラッパ状に広がり、2.土器中部に文様が配置されています。 しかし一方で、オホーツク土器と同様に3.波型の文様を貼り付けています。 トビニタイ土器の存在は、オホーツク人と擦文人が互いの文化を尊重しつつ、交流を深めていった様子を想像させるのです。 さらに、近年、出土した遺骨の遺伝子調査では、オホーツク人の血と擦文人の血が入った方の存在も明らかになっており、婚姻関係も結ばれていたと考えられています。 オホーツク文化と擦文文化の出会いは、「異なる文化同士が出会う」というケースの一つです。 この二つの文化は「共存」という選択肢をとったと考えられています。「共存」にたどり着くまでに多くの苦労があったことでしょう。習慣が違ったでしょうし、言葉も通じなかったかもしれません。それでも、彼らは争いを避けるために共存の道を歩んだのだと、私は考えています。 道東における遺跡は、とても珍しいモノですが、私は、遺跡の希少性より、共存を選んだ精神性が最も尊いモノだと感じています。 これをご覧の皆さんも、共存の精神に触れに道東にいらしてみませんか? 参考文献:北海道の考古学(宇田川 洋 著)参考文献:増補 アイヌ考古学(宇田川 洋 著)参考文献:増補改訂 アイヌ伝承と砦(チャシ)(宇田川 洋 著)参考文献:北方考古学の新地平(柳澤 清一 編)参考文献:オホーツク老人(戸川 幸夫 著) ・羅臼町郷土資料館の情報はこちらから・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.08.26
根室振興局農務課です。根室管内の中標津町では、かつて1980年代に小麦栽培に取り組みましたが赤かび病や穂発芽が発生して失敗に終わりました。しかし近年の気候の変化や品種や栽培技術の改良、また普及センターからの働きかけもあって、JA中標津では「小麦の大地プロジェクト協議会」を立ち上げ、2011年から小麦の試験栽培に取り組んでいます。写真は春よ恋という品種でパン用としてよく使われています。昨日は坪刈り調査を行いました。地元では小麦を栽培することによって、小麦と乳製品とを合わせた地産地消のメニュー開発のほか、刈り取った後の茎(麦稈といいます)を牛の敷きわらとして利用したり、草地の雑草軽減につながる小麦作付モデルの確立など、酪農地帯ならではの大きな期待がこの小麦栽培試験に寄せられています。小麦の本格的な栽培を目指し、中標津の挑戦はまだまだ続きます!
2013.08.21
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 歴史探訪シリーズ第23回「道東の世界文化遺産候補・前編」から、道東の古代の歴史に触れています。しかし、前回分を読んで「足りない」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。 そう、道北から道東にかけて栄えたオホーツク文化が抜けていますね。 今回は、オホーツク文化に迫ってみようと思います。 オホーツク文化は、オホーツク海沿岸に花開いた文化です。 樺太から南下し、道北から道東、アリューシャン列島に広がったと考えられています。 主に漁猟で生計を立てていたと考えられており、遺跡からは数多くの漁労具や海獣の骨製品が出土しています。シャチ型土製品(羅臼町立郷土資料館収蔵) オホーツク文化の代表的な遺跡であるモヨロ貝塚では、一風変わった埋葬方式が確認されています。屈葬(脚を折り曲げて埋葬する方法)した上で、顔の上に瓶を被せるのです。 彼らの文化の特徴は使用していた土器や住居跡にも見て取れます。 ポー川史跡公園で、それを見てみましょう。 ポー川史跡公園には、カリカリウス遺跡という、縄文時代からアイヌ文化期にかけての遺跡が広がっています。 カリカリウス遺跡は豊かな海や標津川に程近い段丘に位置し、隣接している湿地帯ではお茶にもなるイソツツジが自生しています(くわしくはOstrya japonicaさんの更新回で)。 彼らにとってここはとても暮らしやすい土地だったのでしょう。竪穴住居跡 写真は復元展示されている竪穴住居跡です。 縄文時代、続縄文時代の住居の床面は楕円あるいは長方形でした。 しかし、オホーツク文化の家は五角形あるいは六角形をしています。 また、家の中央に配置された炉をコの字に囲むように、座面が配置されていました。 この配置はアイヌの人々の住居「チセ」にも共通するものです。復元住居 これらの情報は、当時の人々が床を作るため、柱を立てるために土を掘った跡から分かることです。一方で、地上部分は推測するための証拠がほとんどありません。 ポー川史跡公園には写真にあるような木の皮で葺いた復元住居がありますが、実は想像の域を出ないのです。 屋根を葺くための素材としては、藁や茅、土も候補に上がります。ちなみに、チセは寒さを防ぐために土葺きであったそうです。 あるいは、夏は茅葺き、冬は土葺きと、季節ごとに葺き方を変えていたかもしれませんね。ヒカリゴケ 現在では復元住居の炉に火は入っておらず、ヒカリゴケ(Schistostega pennata)が観察出来ます。 さて。 年表ではオホーツク文化は途中で途切れてしまっていますが、オホーツク文化はどうなってしまったのでしょうか。 次回は、オホーツク人の行方を追って、羅臼町立郷土資料館に行ってみます。 参考文献:北海道の考古学(宇田川 洋 著)参考文献:増補 アイヌ考古学(宇田川 洋 著)参考文献:北方考古学の新地平(柳澤 清一 編) オホーツク文化の影響を受けた可能性のある擦文文化、アイヌ文化ですが、江戸時代末期には和人の文化が流入します。 そして、ここ根室では1789年にクナシリ・メナシの戦いが起こります(くわしくは歴史探訪シリーズ第8回「クナシリ・メナシの戦い」を参照してください)。 ポー川史跡公園では、毎年6月に北海道アイヌ協会標津支部の主催で、なくなった方を弔うためのイチャルパ(慰霊祭)が行われています。イナウ(幣) 機会があれば、参列しに根室にいらしてください。・ポー川遺跡公園のホームページはこちら ・世界遺産暫定一覧表記載への提案書に関する情報はこちら ・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.08.16
根室が大好き、根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 8月の第2週はイベントが盛り沢山でした。少々、遅くなりましたが、盛り上がった根室管内をレポートです!ヽ(゚∀゚)/ 8月7日からは第6期落石計画が始まりました 人里から離れ、時間の流れからも切り離されたような建物は、 かつて落石無線電信局でした(詳しくは歴史探訪シリーズ第19回をどうぞ)。 現在では、根室出身の版画家・池田良治さんのアトリエとなっています。 霧に沈む落石岬は、まるで異空間のようでした(=゚ω゚)8月9日からは金刀比羅例大祭が始まりました 金刀比羅例大祭は、北海道三大祭にも数えられるお祭りです。 2トンものお神輿が街を練り歩き、 4つの祭典区がそれぞれ、 華やかな山車を駆り、 小山車が街を賑わわせ、 金棒(錫杖)が空気を震わせ、 獅子舞が舞い踊ります。 海霧(ジリ)にも負けない、力強いお祭りでした ヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノ 8月10日からはなかしべつ夏まつりが始まりました 中央の櫓を中心としたぐるりに 約6,000個の提灯が配される様は圧巻です! 準備には一ヶ月以上もかかるのだとか。 中央ステージの出し物の他に、提灯神輿の練り歩きや、 東西対抗綱引きなど、楽しいイベントも盛り沢山でした!O(≧▽≦)O さて。ひと通り、私が遊んできたイベントを紹介してみました。その賑わいは、人間以外の方も気になったようでw( ̄Д ̄;)w 今年来られなかった方も、来年は是非根室管内に遊びに来てくださいね! というわけで、今回のタイトルは「エゾシカの親子も気になるまつりの夕べ」でした。 ・金刀比羅神社例大祭の情報はこちらから・なかしべつ夏まつりの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.14
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。別海町のご当地グルメ・ジャンボホタテジンギスカンを食べてきました!ヽ(゚∀゚)/ ホタテ型鉄板に、具はモヤシ、玉ねぎ、アスパラ、カボチャにピーマン、そ・し・て、ホタテと--あれ? チーズ? チーズはどの時点で食べるのですか?と、訊いてみると、「具材と一緒に火を通して、絡めてお召し上がり下さい」とのことで、早速試してみました。気になるお味は--ぜひ、別海町にいらして確かめてみてください! ジャンボホタテジンギスカンを提供しているのはこちら◆ポークチャップの店ロマン別海町別海鶴舞町120-3 TEL 0153-75-2458営業時間/11:00~20:00(11~3月は~19:00) 休日/木曜(祝日の場合は翌日)◆ジャンボ双葉別海町別海緑町25 TEL 0153-75-2221営業時間/11:00~14:00,16:00~21:00 休日/不定◆べっかい郊楽苑別海町別海141-100 TEL 0153-75-0711営業時間/11:00~14:00,17:00~20:00) 休日/月曜◆西春別温泉 ペンションクローバーハウス別海町西春別95 TEL 0153-77-1170営業時間/11:00~21:00 休日/無休 ・ジャンボホタテジンギスカンの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.12
根室が大好き、根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 今週末の根室管内は、夏まつりでアツくなります!先日のブログで、金刀比羅神社例大祭についてお知らせしましたが、中標津町ではなかしべつ夏まつりが開催されます!期間は8月10・11日。一ヶ月以上も前から準備が進められている、この櫓。鈴生りも斯くも、という迫力で飾られている提灯の数はなんと、約6,000!現在でも1つ2,000円ほどで飾るための提灯を買えるそうです(;゜ロ゜) 過去の様子はこちら↓ 立派な御輿、と思いきや、担がれているのは、またも提灯!!ワッショイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワッショイ 夜には、提灯に明かりが灯され、賑々しくも、幻想的な光景になります。 昨年は金刀比羅神社例大祭だけで満足してしまった私ですが、今年は中標津にも足を伸ばそうと思います! 皆さん、どちらのお祭りも見に根室に来ませんか? ・なかしべつ夏まつりの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちら↓
2013.08.07
根室が大好き、根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 7月の終わり頃から、まち中に祭囃子が聞こえるようになりました。そう、今週末から金刀比羅神社の例大祭です!ヽ(゚∀゚)/ 期間は8月9・10・11日。振興局からも担ぎ手が参加します! 昨年の様子はこちら↓天狗を先頭に、 神輿が雄々しく練り歩きます!ワッショイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワッショイ 神輿の後ろには、各祭典区の山車が賑々しく続きます。 商店街には、ずらりと夜店が並び、その長さは、300mを下りません! 昨年は残念ながら、悪天候のため、神輿の練り歩きもコース変更を余儀なくされましたが、今年は晴れるといいですね 八(^□^*) ・金刀比羅神社例大祭の情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.06
根室が大好き、根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。今回は、前回の続きです。厚床フットパスを満喫しちゃいますヽ(゚∀゚)/ 写真は根室市の某所ですが、この時期、管内各地の牧場で見られる光景です。転がっているのは、牧草ロールです。中身はイネ科のチモシーとマメ科のクローバー。 ラップで包んだ後、乳酸発酵させると、牛さんたちのご飯になります。熟成された牧草は、イネ科独特の歯ごたえとともに、桃によく似た芳醇な香りが鼻に抜け----るかどうかは分かりませんが、これをご覧の皆さんは、牛さんのご飯を試食することは慎んでいただくようお願い致しますm(_ _)m 遠目に見ると、コロコロと可愛らしい牧草ロールですが、近寄ってみると、ずっしりとした堂々たる存在感があります。なんせ、牛さんたちの主食ですからね。 2段重ねの牧草ロールの上に立つと、ちょっとした高さになります ((;゚Д゚))牧草ロールを扱う重機も力強そうです (≧∀≦)∩」 では、満を持して、牛さんたちのご登場。手のひらの中身は配合飼料という、トウモロコシ等を混ぜたご飯です。ざらりとした固い舌の感触が印象的でした。そして、いよいよ搾乳です。 乳首はおよそ太さ2-3cm、長さ10cm。思ったより柔らかいそれを、人差し指から小指へ、順に握りこむように、搾ります。真っ白い牛乳が勢い良く出てくるのには、ちょっと感動です。 実際には、写真のような搾乳機械でシステマチックに行われますが、本来、赤ん坊を育てるための牛乳を、貰い受けていることに変わりはありません。私たちの命は、様々な生命の営みに支えられているのです。 フットパスを歩いていると、様々な野生動物に会うことがあります。 概ねシャッターチャンスを逃してしまうので、ブログ上には載らないことが多いのですが(^^;)この日は、フットパスの近くでタンチョウの優雅な姿を切り撮ることができました。 これをご覧の皆さんも、生命の躍動を実感しに根室にお越しください(^∀^)ノ ・根室のフットパスの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.05
こんにちは、 根室振興局です。 根室振興局では、管内1市4町のご協力により年に8回イベント情報を発行しております。 このほど最新8月号が発行されましたので、みなさまにお知らせします。 ぜひ一度、ねむろ管内へお越しください! イベント情報8月号はこちらをどうぞ。 ねむろのイベントカレンダーはこちらをどうぞ
2013.08.05
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 夏になり、ビールの美味しい季節がやってきました。中標津町内で栽培された大麦を使用した地ビールが誕生しました!ヽ(゚∀゚)/7月29日から販売されているのは、その名もずばり、中標津ビール。 涼しげな色合いのビールですが、見た目を裏切らない、透き通るような味わいです。 肴はもちろん、ホッカイシマエビ(写真奧にうっすら写っているのがシマエビです) 気になるあなたは、ぜひ、中標津町にいらしてご賞味ください!(*>∀<)o(酒) 中標津ビールを販売しているのはこちら◆酒店「なかはら」中標津町東1条北2丁目・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.08.02
も~ぅ、根室が大好き、根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。出だしを飾っていただいたのは自画像ではなく、ホルスタインです。今回は彼女たちの職場におじゃましました!ヽ(゚∀゚)/ 根室管内には数多くのフットパスが整備されています。根室市には、厚床や落石を中心に5本のフットパスが整備され、別海町では、別海町グリーンツーリズムネットワークさんが中心に活動され、中標津町では、美留和まで北根室ランチウェイが続き、標津町では、旧標津線沿いのルートが一般利用され始めました。羅臼町では、フットパスという名称はありませんが、知床連山を登山道が貫きます。 このブログ内で、何度か紹介させて頂きましたが(詳しくはこちらとこちらとこちら)、今回は牧場を横切るフットパス--厚床フットパスをご紹介いたします。 厚床フットパスは厚床駅周辺の10.5km。時間の関係もあったため、今回ご紹介できるはその一部です。 残念ながらこの日は曇り空。海霧(ジリ)に包まれることもなく、雲が泣き出すこともなく、結果的には良かったのかもしれません。酪農喫茶"Grassy Hill"を出発し、キッシング(kissing) ゲート(gate)を抜けます。 キッシングゲートは、人ひとりがようやっと通れるくらいのサイズのゲートです。牛を逃がすことなく、人が通るためのゲートとなっています。名前の由来は判然としないそうですが、「恋人同士がkissして別れる場所だから」という説もあるとかなんだとか(//∇//)ゲートを抜けると、広々とした牧草地をのんびりと歩きます。毎日の喧騒を忘れ、開放的になりますね。たとえば、こんな風に。(`・ω・´) ちなみに、カッコつけてもらった彼は、税務課で頑張っている新人さんです。 隣接した放牧場のホルスタインさんと戯れた後は、格子状防風林の中に入ります。ここは殖民軌道の跡ですね。 わたしの隣では同僚の"裕"さんが、殖民軌道の歴史を語っていましたが、知りたいという方は、歴史探訪シリーズ第5回「厚床の鉄道」をご覧ください。 時間の関係上、今回はここで引き返し、伊藤牧場で搾乳体験をさせて頂きました。 この様子はまた後日。(^∀^)ノ ・根室のフットパスの情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.31
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えてた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 歴史探訪シリーズ第22回「義経と弁慶(羅臼の足跡)」では、ちらりと世界文化遺産「平泉」のことに触れました。最近では富士山の登録に日本中が湧いていますね。 北海道に暮らす私達の身近にも、文化的に貴重なものは多く存在します。 代表的な所では、道南や北東北を中心とした縄文遺跡が「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」として、国内の世界文化遺産の登録候補に挙がっています。 今回から数回にわたっては、道東で世界文化遺産登録を目指す「北海道東部の窪みで残る大規模竪穴住居群」ご紹介いたしましょう。 まずは北海道が辿ってきた歴史を概観してみましょう。 本州では、狩猟採集を中心とした生活をしていた縄文時代の後、稲作文化を取り入れた弥生時代に突入します。 しかし、北海道では冷涼な気候のため、稲が育たなかったため、縄文時代の文化とよく似た生活を続けます。この時代が続縄文時代と呼ばれる時代です。 本州での中世--北海道の擦文時代では、ソバやキビなどの雑穀の農耕が行われます。 そして、アイヌ文化に続くのです。 彼らがどのような生活を送ってきたのか、残念ながらその記録は残っていません。 しかし、彼らが残した家屋の建築跡や土器などの什器を調べることで、生活の様子などの文化を知ることができます。三本木遺跡 当時の家屋は竪穴住居と呼ばれています。 発掘すると、土を掘って床面にした痕跡や家の柱や周囲に設けた柵の跡が見られます。 写真の三本木遺跡は、標津町の海岸砂丘にある続縄文時代から擦文時代にかけての遺跡です。 道東に分布する遺跡にはひとつの特徴があります。 古道遺跡 写真は古道(ふるどう)遺跡という、標津川の河岸段丘に分布する擦文時代の竪穴住居跡の一つです。 大きく凹んでいるのがわかりますか? この窪みは、遺跡を見やすくするために、人為的に行ったものではありません。自然と窪みとなって遺っているのです。 窪みとなって竪穴住居が遺っていることは、東北アジアの一部にしか見られない特徴となっています。 その理由は3つあります。1つは、当時の人々が竪穴住居を建てる際に、深く土を掘っていたこと。2つ目に、冷涼な気候のため、土が積もりにくいこと。最後に、海風により土が飛ばされやすい気候にあったこと。この3点です。 古道遺跡にはアイヌ文化期に建造されたチャシも存在します。 サケが遡上する標津川に近い、河岸段丘であるため、場所が良かったのかもしれませんし、先祖代々住み慣れた場所であったのかもしれません。 しかしながら、実は、擦文時代の文化がそのままアイヌに引き継がれたのか、という点には多くの未確定な要素が残されています。 なぜなら、アイヌ文化期では、擦文時代まで使われていた土器類が使用されなくなったために、什器が発掘により出土しなくなったのです。 そのため、アイヌ文化期の初期において、どのような暮らしが営まれていたのか、未だによく分かっていません。北海道の遺跡を発掘することは、アイヌの人々の文化や歴史を理解する上でも非常に重要なことなのです。 さて、次回は標津町のカリカリウス遺跡で、道東の中世の歴史をご紹介いたします。 参考文献:北海道の考古学(宇田川 洋 著)参考文献:増補 アイヌ考古学(宇田川 洋 著)参考文献:北方考古学の新地平(柳澤 清一 編)■補足 アイヌの人々は漆器をはじめとした木製品を使っていました。 しかし、火山列島である日本において、木製品は腐りやすく、遺りにくい物となっています。考古学者の頭を悩ましていることの一つではありますが、一方で、地層における火山灰は、年代を知る上で重要な証拠となっています。・古道遺跡や三本木遺跡も紹介しているポー川遺跡公園のホームページはこちら・世界遺産暫定一覧表記載への提案書に関する情報はこちら ・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.07.29
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 先日、天気に誘われて、羅臼町までドライブに行ってきました。今日はどこに行こうかな(*´∀`)♪ などと考えながら車を走らせていると、ひときわ色鮮やかな公園が! 峯浜は、羅臼町と標津町の境にあります。峯浜パーキングからは知床連山島が見えるビューポイントになっています。 峰浜港公園はそんな峰浜の一角に位置する公園ですが、まさかこんなことになっていようとは。。。実はこの花はタンポポではありません。タンポポと同じキク科のブタナというです。タンポポよりも背が高く、茎が途中で分かれています。ヨーロッパ原産の野草なので、自分で繁殖したのだと思いますが、圧倒的な繁殖力ですね(´ー`A;) 峯浜は羅臼町の発祥の地でもあり、羅臼町郷土資料館もあり、なかなかに楽しいスポットです。これをご覧のあなたも羅臼町の玄関、峯浜に来てみませんか (^∀^)ノ ・羅臼町郷土資料館や峰浜パーキングの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.25
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 最高気温20℃前後の涼しい根室管内ですが、今回は目に見えて涼しい写真を撮るために忠類川の上流にやってきました(*´∀`)♪ 忠類川は秋にはサケが遡上し、忠類川サーモンフィッシングも開催される自然豊かな川です。 上流の金山の滝は、標津十景にも数えられる、風光明媚な--をや?(゚_。) 何か映り込んだみたいです。拡大してみましょう。 これはサクラマスです。川で生まれたサクラマスは、海で大きく育ち、産卵のために川に帰ってきます。ちなみに、川に残ることを決めた個体はヤマメと呼ばれます。 橋から見下ろすと、優雅に泳いでいますね。ちょっと水面が反射して見にくいですが。。。(´ー`A;)同僚の"裕"さんに「きれいに撮れたマスの写真ありませんか?」と尋ねてみたら、出された写真がこちら。 ああ、美味しそうな鱒のルイベ......て、違う!(≧∇≦)/お隣は〆サンマだそうです。 涼しい夏をお探しの方も美味しい魚料理をお探しの方も根室にいらしてみませんか (^∀^)ノ ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.23
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 6月1日についに開通した知床横断道に行ってみました。 知床半島は火山活動で立ち上がった山です。そのため、知床半島には天狗岩などの奇岩が多くあります(天狗岩については難読地名シリーズ第38回「茂瀬刈別川」を御覧ください)。 そして、奇岩には伝説がつきものです。 今回は奇岩にまつわる伝説--義経伝説をご紹介いたします。 源義経は平安時代を生きた武将です。片腕となる武蔵坊弁慶と源平合戦にて平氏を打ち破った彼らですが、義経の兄・源頼朝に追われ、奥州藤原氏の元(現在の平泉。世界遺産にも指定されています)に落ち延びます。 残念ながら、彼らの平穏な暮らしは長くは続きませんでした。追手から逃げ切ることができず、平泉で彼らは若くして命を落とします。 しかし、です。 義経と弁慶は生きていて、平泉から北海道に落ち延びたという伝説が残っています。これが義経伝説です。 彼らの足跡は北海道の随所にみられます。最も有名な伝説は本別町にあり、そこには義経を祀った神社もあります。 さて。 では、羅臼での彼らの足取りを見てみましょう。 材木岩 羅臼灯台の足元の大岩は材木岩と呼ばれています。柱状列石と呼ばれる、溶岩が固まった姿のこの岩には、こんな伝説が残っています。 羅臼に来た弁慶は、羅臼と国後島を結ぶ橋を架ける決心をしました。 順調に進んでいた大事業でしたが、村長の娘と恋仲になり、工事は滞りがちになってしまいます。 それを見た神様が怒ってしまい、橋に使うための木材を石に変えてしまったのです。 実際に、国後島にも同じような地形があるとの記録も残っています。歴史探訪シリーズ第9回「佐藤久右衛門の澗」に使われている石材も、国後島から持ってきた材木岩の一本のようです(くわしくはこちら)。 もう一つ、義経にまつわる伝説をご紹介いたします。 ヲショロマウ(岩磯)、往古義経公此処に鯨の流れ寄りしをきりて蓬の串に刺して焼入れし時、其の串折れて火の中に倒れしや、公驚き給ひ、尻餅突き給ひしと云う故事有り。 松浦武四郎の知床日誌にかかれたこの伝説は、尻餅沢とよばれる沢にまつわる伝説です。 しかし、この場所の特定がなかなか難しいのです。 最有力候補は、遠くから見ると熊のように見える、熊岩です。 尻餅沢の伝説は、実は北海道の至る所に残っています。 それらの場所の共通点は1.直立した岩(=串)がある、2.窪みあるいは凹みがある、の2点です。 つまり、熊岩が「串」、背後の窪みが「尻餅の跡」ではないでしょうか。オショロコッ川 次点候補がこちらです。 涼し気な水が流れ落ちているこの川の名前は、オショロコッ川。<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら そう、松浦武四郎が日誌に書いている川の名前と一致するのです。 しかしながら、周囲に「串」らしき岩はなく、名もない川にオショロコッ川という名を、後世の方が借り受けてつけたのかもしれません。 だいぶ紙幅を費やしてきましたが、羅臼に残っている伝説はこれだけではありません。 皆さんも、伝説の地を探しに羅臼にいらしてみてはいかがでしょうか。 参考文献:羅臼町史参考文献:松浦武四郎紀行集(吉田 武三 編)参考文献:北海道の口承文芸(北の生活文庫企画編集会議 著) ここで、ヒストリー・ハンター(仮)からのお知らせです。 羅臼の沖合では、クジラたちが暮らす豊かな海が広がり、ホエールウォッチングを楽しむことができます。 歴史ロマンとともに、羅臼を堪能しにいらしてください。 ホエールウォッチングの情報はこちらから。・ 根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.07.18
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。一足遅く別海町のご当地グルメ・ジャンボホッキカツ丼を食べてきました!ヽ(゚∀゚)/ サクサクの衣の中からは、肉厚でジューシーなホッキの旨味が舌に広がります。 トッピングには、山わさびと鮭節、特製醤油をお好みで。 ぜひ、別海町にいらしてご賞味ください! ジャンボホッキカツ丼を提供しているのはこちら◆ポークチャップの店ロマン別海町別海鶴舞町120-3 TEL 0153-75-2458営業時間/11:00~20:00(11~3月は~19:00) 休日/木曜(祝日の場合は翌日)◆ジャンボ双葉別海町別海緑町25 TEL 0153-75-2221営業時間/11:00~14:00,16:00~21:00 休日/不定◆べっかい郊楽苑別海町別海141-100 TEL 0153-75-0711営業時間/11:00~14:00,17:00~20:00) 休日/月曜◆西春別温泉 ペンションクローバーハウス別海町西春別95 TEL 0153-77-1170営業時間/11:00~21:00 休日/無休◆道の駅おだいとう レストラン四角い太陽別海町尾岱沼5-27 TEL 0153-86-2449営業時間/9:00~16:00(5/1~10/31は~17:00)それぞれ1時間前ラストオーダー休日/月曜(5/1~10/31は無休)◆酔楽まる太別海町尾岱沼港町175 TEL 0153-86-2006営業時間/17:00~23:00(LO 22:40) 休日/日曜(臨時休業あり) ・ジャンボホッキカツ丼の情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.16
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 新暦のお盆も間近に迫り、各地でイベントの準備や開催も増えているのではないでしょうか? 我が根室振興局も、7月14日に開催予定ねむろ港まつりの「千人踊り」の準備に余念がありません!(`ω´) 昨年度の根室振興局チームは総勢101名。その記録がこちらの写真です。どうです、この勇姿!いかがですか、この笑顔! 千人踊りはまつり当日まで参加を受け付けています。私も根室振興局チームに参加です。 これをご覧の皆さんも一緒に踊りませんか? ・千人踊りの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.11
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 朝日に一番近い街に暮らしていると、窓から差し込む陽光に起こしてもらうことが多々あります。 尾岱沼えびまつり前日祭の日の起床時刻は午前5時。しまえび漁の打瀬舟が見られるのでは? と思い、一路野付半島方面へ車を走らせました。 着いたときには、今一歩遅く、帆はたたまれていましたorzイベント当日だから早めに上がったのですかね? 仕方がないので、野付半島を散歩することに。 一緒にいるのは今年生まれた仔でしょうか。可愛らしいですね。ですが、ちょっと、通していただけませんか?(´・ω・`) 今の時期の野付半島では黄色い花を多く見かけます。遊歩道を縁取るこの花は以前にも紹介した別海町の花・センダイハギです。 ユリ科のこの花はエゾカンゾウ(学名:Hemerocallis dumortieri var. esculenta)。ポピュラーな高山植物であるためか、いろいろな名前を持っています。別名はエゾゼンテイカ、内地ではニッコウキスゲ、アイヌ語ではカッコク・ノンノ(カッコウのなく頃に咲く花)と呼ばれます。 1つの花は1日しか咲きませんが、次々と花を咲かせ、長い期間、花を楽しむことができます(*´∀`)♪ 野付半島を走るフラワー・ロードでは、エゾカンゾウの群落を見ることができます。 エゾカンゾウの後はヒオウギアヤメの時季です。打瀬舟を見るのもリトライする必要もありそうですし、まだまだ野付半島から目は離せそうにありませんね(^∀^)ノ ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.08
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課Ostrya japonicaです。 先週の土日は素晴らしい天気に恵まれ、絶好の行楽日和でしたね。わたしも、6月27日に掲載した記事の予告どおり、尾岱沼えびまつりにいってきました!ヽ(゚∀゚)/ 尾岱沼といえば、シマエビ!ヽ(゚∀゚)/ ジャンボホタテ!ヽ(゚∀゚)/ アサリ!ヽ(゚∀゚)/ さて。えびまつりでは、食い気だけに走ることなく、観光船でクルージングに参加してみました。野付半島の中間部です。手前には擦文時代から続く豊かな森が広がり、遠くには知床半島がそびえます。こちらは野付半島の先端部。高さがなく、肉眼でも分かりにくかったです(^ ^;歴史探訪シリーズ第18回「幻の街・キラク」で”裕”さんが歩いたのはどのあたりでしょうかね?洋上から見たトドワラとネイチャーセンターです。こうして海から見ると、ずいぶん印象が違いますね。クルージングは尾岱沼えびまつりの日以外にも運行しています。運がいいとアザラシにも出会えるそうですよ!上陸したら、ふたたび食い気に!こちらは尾岱沼名物「しまえび丼」。まるごと揚げられたシマエビは、頭からいただきます。この時期にしか食べられない一品です。食に観光に、ぜひみなさん、魅せられに来てください! ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.07.03
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか? 前回「桜の名所・奥行臼」では奥行臼に残る駅逓やJR奥行臼駅をご紹介しました。 今回は奥行臼駅から線路を辿って行きましょう。 厚床駅から奥行臼駅まで進んだ線路は、ここから中標津駅を目指し、内陸側に入っていきます。記録によると、奥行臼から本別海を経由した海岸線沿いに線路を敷設する案もあったようですが、最終的には、現在の形になったようです。 次の駅は別海駅です。 開通当初は西別駅と呼ばれていましたが、昭和51年に別海駅と改称され、現在では、交流館「ぷらと」になっています。 別海駅-奥行臼駅間の廃線では、別海町グリーンツーリズムネットワークさんが、定期的にフットパスのイベントを開催しています。 別海町郷土資料館には、当時の様子を記録した展示もありますので、併せて足を運んでみてはいかがでしょうか。 別海町駅を出ると、春別駅があります。 世界銀行の融資による機械開墾を行ったパイロットファームの拠点の一つで、その名残は、北海道道8号線の別名「パイロット・ロード」にも見て取れます。 美味しい別海牛を購入できるショッピングスポットですね(詳しくは歴史探訪シリーズ第14回「別海開拓「佐上信一」編」を御覧ください)。 続く中標津駅は現在バスターミナルとして、また、美留和まで続く70kmにも及ぶフットパスのスタート地点として交通の要衝となっています(詳しくは歴史探訪シリーズ第3回、第4回「中標津開拓」を御覧ください)。 中標津駅を出た線路は、一転、根室海峡に向かいます。 近くにハリストス正教会のある上武佐駅には痕跡が残るだけですが、川北駅には運行に用いられていた車体が残っていました。川北駅「海・山・川・大平原」に恵まれた標津町は水にも恵まれているらしく、川北駅の裏手にはこんこんと清水が湧き出していました。ピリカの泉 そして、終点根室標津駅です。 現在では、大きな広場になっていますが、役場の裏辺りに回転台が往時のままに残っていました。根室標津駅回転台 また、図書館前の広場には、役目を終えた蒸気機関車がその身を休ませています。蒸気機関車 標津線を駆け足で巡ってみましたが、いかがだったでしょうか。 そして、もう一つご紹介します。 根室管内に開通が予定されていた幻の線路があるのです。 それは、オホーツク管内の斜里駅から根室管内の根室標津駅を結ぶ根北線です。 昭和12年に斜里町駅から工事が着工されましたが、昭和15年以降、太平洋戦争の影響により、工事は中断します。 終戦後の昭和32年に、完成していた斜里町駅-越川駅は開通しましたが、根室管内に線路が伸びることなく、廃線となってしまいました。使われることのなかった越川橋梁 完成することのなかった根北線ですが、現在でも夢幻の想像の旅へ誘ってくれています。 参考文献:北海道鉄道百年史(百年史編さん委員会 編)参考文献:北海道の鉄道(田中 和夫 著) ・別海町グリーンツーリズムのHPはこちら・別海町郷土資料館の情報はこちらから・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.07.01
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 根室地域で花の時季が到来し、このブログでも何度か紹介してきましたが、今回は野付半島に花を探しに来てみましたヽ(゚∀゚)/今回も高山植物ですね。やはり身近に高山植物が咲く根室はすばらしいです。 訪れた時間帯は引き潮だったらしく、遠くまで干潟が見えていました。 こちらは別海町の花・センダイハギ(学名:Thermopsis lupinoides)。まるっこい、黄色い花がかわいいですね。訪れた頃はまだ咲き始めでしたが、そろそろ野付半島全体にこの黄色い花が咲き乱れているでしょうか。 この花はクロユリ(学名:Fritillaria camtschatcensis)です。アイヌ語では「黒い葉を持つ」という意味で「アンラコロ」と呼ばれます。たしかに、写真ではびっくりするほど黒く見えますが、実際には濃い紫色のようです。アイヌの方は花を染料にしていたそうですよ。 北海道のホームページを覗いてみたら、こんなエピソードが紹介されていました。「好きな人への思いを込めたクロユリを、 人に知られないようにその人の近くにそっと置く。 送り主は誰か知らぬまま、 相手がそのクロユリを手にすれば、 二人はきっと結ばれる......というアイヌ伝説がある」なんともロマンチックですね(*´ω`) ちなみに、クロユリの球根は食用になっていたらしく、なにやら食欲が刺激されます。 そんな私に朗報が飛び込んできました!∑(*゚д゚*)来る平成25年6月29日(土)、30日(日)に尾岱沼えびまつりが開催されます。これは行かなくては! これをご覧の皆さんもぜひ別海町にお越しになってくださいね(^∀^)ノ ・野付半島ネイチャーセンターの情報はこちら・尾岱沼えびまつりの情報はこちらから・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.06.27
こんにちは。 根室振興局産業振興部商工労働観光課観光・交流戦略室です。 当室では、管内1市4町のご協力により年に8回イベント情報を発行しております。 このほど最新7月号が発行されましたので、みなさまにお知らせします。 ぜひ一度、ねむろ管内へお越しください! イベント情報7月号はこちらをどうぞ。 ねむろのイベントカレンダーはこちらをどうぞ。
2013.06.26
根室振興局観光・交流戦略室のtravel tanteiです。今日は、これからますますトレンドになる「歩く旅」とテッパンスイーツをご紹介します。 まずは「歩く旅」から・・・。フレッシュな情報に敏感なみなさんはご存知かもしれませんが、「ロングトレイル」をご紹介します。ロングトレイルとは、登山道・ハイキング道、林道などをつなぎ合わせた距離の長い自然歩道を宿泊しながら歩き、土地の自然や文化、地域の人とのふれあいを楽しむ旅のことですが、最近ファンが増えてきています。ちなみに、日経トレンディ2013ヒット予測の第1位が「日本流ロングトレイル」なんですよ。 こちら根室地域には、ロングトレイルコース「北根室ランチウェイ」があります(念のため、ランチとは昼食の意ではなく牧場(ranch)のこと)。道東の中標津町から開陽台、養老牛温泉、西別岳を通り、弟子屈町のJR美留和駅までの全長71.4kmのコースですが、知床連山に連なる根釧台地の大牧場地帯の道と摩周湖外輪山などの山岳道が愉しめることが大きな特徴です。 このコースは、6つのステージで構成されておりますが、6月23日(日)に、なかしべつ観光協会さんの主催で開陽台からレストラン牧舎までの第2ステージ(10.1km)を対象とした体験ツアーが実施されましたので、その一部をレポートします。 まずは、出発ポイントの開陽台の風景です。ライダーのみなさんあこがれのスポットですね。眼下には町営牧場の牛が見えて、雲の影が牧草の緑の絨毯に映ってヨーロッパのような景色。コースは、画像の丘の向こう側にむかって歩いて行くイメージです。 開陽台から出発してすばらくすると、森の中を歩きます。ダイエットにはたいへん効果がありそうな登り坂もあったり・・・(汗) 牧場地帯を歩くコースですので、牛もこんなに近くに見ることができます。牛たちも興味があるのか寄ってきました。 途中の小川をわたる橋です。ロングトレイルならではのワイルドさですね。小川の水は透明感があってとても綺麗でした。 こちらは、コース途中に何か所かある熊よけの鐘です。北海道ならでは、ですね。 続いて「マンパス」をご紹介します。まずは「マンパス」って何???と思いますよね。北根室ランチウェイは牧場の中を歩くことがありますので、人が歩くコースの出入り口から牛が逃げないようしなくてはなりません。そこで、人間は通れるけど牛は通れない出入り口、すなわち「マンパス」が必要となるわけです。 「マンパス」はいろいろな形があって、これを見ているだけでも結構面白いですよ。機能美と芸術性を感じてしまいます。それでは第2ステージの「マンパス」をいくつか。 こちらは、Vの字のスリットをぬけるタイプです。 こちらは、2本の杭の間に踏み台があるタイプです。 こちらは、高さの異なる平均台のような板のブリッヂをクロスさせたタイプです。これなら多少重いバックパックを背負っていても、楽に有刺鉄線を超えることができます。 こちらは、勝手口のような木の扉のタイプです。扉の裏側でしっかりロックがかかるようになっています。 レストラン牧舎の少し手前の風景です。広い草原と空の下を風を感じながら歩くランチウェイ三昧です!この風景が見ることができて、幸福感ヤマモリです。 歩く旅で、自分だけのとっておきの風景を探しに来ませんか。 第2ステージ終点のレストラン牧舎では、イチオシメニューの牧舎カレー(牛すね肉をじっくり煮込んだコクのあるカレー)をいただきました。この日はこれで終了でしたが、パワーのある方はさらに第3ステージ(8.5km)を歩くと人気の養老牛温泉まで行けますよ。ランチウェイがある中標津町には、歩き旅の疲れを癒す温泉やパワーの源となるグルメがもりだくさんです。 (北根室ランチウェイの情報はコチラ) (中標津町の宿泊・温泉情報はコチラ) (中標津町のグルメ情報はコチラ) 続いて、テッパンスイーツをご紹介します。ランチウェイではたくさんの牧場を歩いたわけですが、牧場といえば牛乳、牛乳を使ったテッパン且つ定番のスイーツといえばソフトクリームです。 実はこれを書いている私はちょっとソフトクリームが苦手でした。食べた後の喉の渇きや後味の甘さがなんとなく・・・だったんですが、こちらのソフトクリームを食べて認識が一変!上品な甘さ、ミルキーなコク、後味のさわやかさ・・・とにかく美味い!!!地元では、作業着を着た男性が缶コーヒー代わりにソフトクリームをおひとつ、なんて光景も見かけます。 ロングトレイルで消費したカロリーを補うべく、この日も地元中標津町でソフトクリームを堪能しました。写真は、中標津空港近くにあるラ・レトリさんのソフトです。こちらは中標津産の生乳を使用し、コクと甘みがあります。お隣り別海町では、地元産の牛乳を使った甘さ控えめで牛乳本来の味を活かしたソフトクリームが人気!それぞれ味の流派が異なりますので、ソフトクリームのハシゴも可能かも。 酪農王国 根室にはソフトクリームが食べられるお店がたくさんあります。是非お試しを! (根室のソフトクリーム食べ歩きマップはコチラ)
2013.06.26
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 快晴の知床横断道で、美しい景色を見ることができ、幸先の良いスタートを切った休みの日。標津湿原に寄ってみることにしましたヽ(゚∀゚)/ 立ち寄った日には、1789年に起こったクナシリ・メナシの戦いの慰霊祭(イチャルパ)が執り行われており、私も末席に参列させていただきました。 この手の話はヒストリー・ハンター"裕"さんが詳しいので、彼にお任せするとして、今回は標津湿原で出会った花たちをご紹介です(^∀^)本来なら標高の高いところでしか見られない花たちに出会えましたよ!高山植物が身近で見られるのは根室ならではですね。この花はエゾイソツツジ(学名:Ledum palustre ssp.diversipilosum )です。高さ50~80cm程度の低木で、白く小さな花が球状に咲きます。高山植物なのですが、低湿地で見られるのは、道東ならではですね。 調べてみると、このツツジの葉はアイヌ語で「ハシポ」と言い、お茶にして飲んでいたそうです。どんな味がするのか興味がつきません((o(^∇^)o)) そよ風にゆったりと揺れるこちらはワタスゲ(学名:Eriophorum vaginatum )。花ではなく、種を運ぶための綿毛です。別名をスズメノケヤリ(雀の毛槍)といいます。「雀」は「小さい」という意味で、「毛槍」は大名行列の時に使った道具の一つです。 人間が使用する毛槍は160cmくらいですが、ワタスゲは30cmくらいです。もし、ワタスゲを使えるサイズの小人(こびと)さんがいるとしたら、身長は30cm位になるのでしょうか。出会ってみたいですね。。。(*´ω`)ノちなみに、アイヌの伝説の中にはコロポックルという、小人の話があります。夢は広がりますね。・ポー川史跡公園の情報はこちら・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.06.24
根室からこんにちは。根室振興局地域政策課 Ostrya japonicaです。 6月1日についに知床横断道が開通し、うきうきしながら登ってみましたヽ(゚∀゚)/もちろん、今回は徒歩ではなく、車で、です。 新緑と残雪とを同時に見るという、希有な風景を走ります。見上げると、羅臼岳がそびえ、見下ろすと、雲海が広がっていました。雲海に浮かんでいるのは国後島です。知床連山は火山活動によって立ち上がった山で、熊の湯温泉や瀬石温泉、相泊温泉の源流は「山」にありそうです。ちょうどこの日は「知床開き」の開催日で、私も海の味覚を堪能させていただきました(´ω`)さて。この時季、民家の庭先などで、赤紫や白い花を見かけます。 これは芝桜(別名:ハナツメクサ、学名:Phlox subulata )です。這うように広がり、桜に似た花をつけます。暑さ寒さに強いため、この地域でも植えられているようです。芝桜は北海道滝上町の滝上公園や大空町(旧東藻琴村)の芝桜公園が有名ですね。実は羅臼町の花でもあり、タイトルに挙げた市の花でもあります。 花に食、壮大な山や景色を楽しめる羅臼町にぜひお越しください(^∀^)ノ 6月21日(金)~23日(日)には札幌センチュリーロイヤルホテル2Fロビーで羅臼町のPRが行われるそうです。。。くわしくはこちら。 ・根室の旬の情報はこちらから↓
2013.06.19
こんにちは。根室振興局地域政策課のヒストリー・ハンター(仮)裕です。隔週ペースで根室管内の遺跡・遺産をご紹介します。 古くから漁場として栄えた根室管内はいろいろな人達が暮らしてきました。その足跡は様々な場所で、いろんなかたちで残っています。古代から近代まで根室の歴史とともに、地域の話題を簡単にお伝えして行きたいと思います。 わたしと一緒にちょっと昔に思いを馳せてみませんか?「桜前線の終着点」とも言われるここ根室でも残念ながら、桜の時季は過ぎてしまいましたが、今回は好事家ならではの桜の名所をご紹介します。<地図の出典> この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものです。地図閲覧サービストップページはこちら奥行臼駅逓 ここは奥行臼にある駅逓です。 駅逓は北海道の開拓のため、明治年間に各地に作られた交通の拠点でした。駅逓と駅逓の行き来のため馬を飼い、旅人たちの宿泊施設として活躍しました。 奥行臼にある駅逓は明治43年に、山崎藤次郎を駅逓取扱人として開設されます。 当時掘っ立て小屋だった建物は、増改築を重ね、現在のように2階建てになりました。 この建物の一隅には2枚の畳が置かれています。花見用の畳 2階の雨戸を戸袋に仕舞い、畳を敷き、花見に興じたそうです。 屋内には当時使われていた器物や写真が残されており、花見を楽しんでいる一枚もしっかりと残っていました。 残念ながら、当時植えられた桜はすでに枯れ、今では別の桜が毎年花をつけています。 当時数百あった駅逓も、現存しているものは少なくなっています。 ここ奥行臼の駅逓は平成23年にその価値が認められ、国指定史跡となりました。 さて。 昭和5年に駅逓制度は廃止されますが、奥行臼は交通の要所であることは変わりありませんでした。 大正14年には殖民軌道・根室線(厚床~中標津~開陽~三本木)が開通し、この路線と入れ替わるように昭和12年に国鉄・標津線(厚床~中標津~根室標津、標茶~中標津)が開通します。 現在の奥行臼駅 標津線は、平成元年に惜しまれながらも廃線となりましたが、いまでも当時のままの駅舎が残っています。 入ってすぐ振り返ると、「花見」はやっぱり「奥行臼」 奥行臼が花見で賑わっていたことを偲ばせる看板がありました。 奥行臼駅と連絡していた殖民軌道・風連線(奥行臼~風連~上風連)は、昭和39年に全線開通しました。 昭和30年代はパイロットファームで知られる機械開墾が進んだ時代でした。 集められた牛乳を運ぶために使われたこの路線は、別海町内でも最も息の長い殖民軌道でしたが、昭和46年に廃線となりました。当時の貨物車や回転台 いまでも、当時使われていた貨物車や駅員詰所、回転台跡をみることができます。 人や物資を運んでいた線路ですが、今では当時の息遣いを運んできてくれます。これをご覧の皆さんもちょっと昔を感じてみませんか? 参考文献:簡易軌道写真帖(今井理、森川幸一 著)参考文献:北海道の鉄道(田中 和夫 著)参考HP:別海町 ■補足 奥行臼駅逓は、ドラマのロケ地にもなっています。 平成17年に放映された「ハルとナツ」がそれです。 ブラジル移民の際に引き離された姉妹の数奇な運命を描いた作品です。 物語は昭和9年の北海道から始まりますから、ちょうど冷害凶作が続いた時代ですね。別海町ではムシロ旗を掲げた農民と、当時の北海道長官・佐上信一が膝を突き合わせて、今後の別海町発展を思案していた頃です。 詳しくは歴史探訪シリーズ第14回「別海町の開拓」をご覧ください。・奥行臼駅逓の情報はこちらから・根室地域の旬の情報をお届けするブログ「E北海道ねむろのくにブログ」はこちら↓
2013.06.18
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