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今回も秋田のダンナの実家でございます。舅が入院しているのに加えて、舅の妹が重度の肺ガン。S屋のおばちゃんと言えば、姑と近所で、仲良しで、わたしらが帰るたびに、どやどやとやってきては、笑顔でお金だのお菓子だの差し入れてくれた人です。元気なおばちゃんの笑顔がどうなっているのか、なんだかさびしいですが、それだけお世話になったので、顔を見に行かなくてはなりませんね。しばらくは、こんな話ばかりの年が続いてます。こういうことに慣れるということはないですね。普段は忘れているけれど、どんな顔をしていくかな。ちょっと胸がちりちりします。それにしても、気になるのは、舅は妹の病気を知りません。おばちゃん、義父に会いたいんじゃないかな。
2006.04.29
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昨日、某会館の駐車場の前を通りかかったとき、猫発見。生きているのか、おまえは・・・?結構値段の張るよさげな車だし、車の持ち主が飼い主ではあるまい。
2006.04.24
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今日は、高校のクラス会に行ってきました。当時は400人くらいの定員で、去年、100人規模だったのですが、今年はその続きという感じで、12名くらいだったかな。共学の県立高校で、10周年記念をむかえるか、といった時期でした。教員では、おひとりだけ見えてました。この方は、豪放な先生で、地学の時間は60パーセントくらいはラジオを聴きながら天気図を書かせられていました。「モッポ1000ミリバール、風力4・・・・」とか、そんな淡々と読まれる放送を聞き取りながら、等圧線とか前線とか書き入れていくのです。K先生→天気図というイメージ。いろいろ習ったことは忘れても、手と耳を動かして書き記したその授業だけは覚えています。生物の実験のあとは、蛙の足を焼いて食べている良い匂いがしたりして。先生の思い出はつきないのですが、今でも元気で、エジプト行ったり、マラソンやったり、ああいう年の取り方も楽しそう。
2006.04.23
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キリスト教を信じていた頃、泊まりがけの行事などで、朝に夕にデボーションという時間を取ることがあった。デボーションという時間は、神に祈りを捧げたり、聖書を読んだりして過ごす。今はもう特定の神様は信じていないが、会う人や仕事に打ち込む、奉仕する、と言う気持ちはあった方が良いように思う。自分を失うほど、何かに打ち込むときは、必要だ。かと言って、変な方に酔って自分を見失うことはおかしい。ものごと紙一重で、良いことと悪いことは混ざり合いやすい。正しいことと自分に酔うことも似ているし、正しいことはこれと言って白黒完全に思いこんで押しつけることはおかしいが、正しいことが何であるか見分けることを放棄してしまっても、それもまた、むなしいように思う。
2006.04.19
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個人的には結構泣けました。途中から見始めて、お姉ちゃんの話が特にね。わたしは、2歳上の姉がいるのですが、2歳違いの女きょうだいというのは、結構たいへんなたたかいの世界。甘えと孤立に揺れ動く妹の気持ちがよく分かるわかる。(まるちゃんは、6年生と3年生だから3歳ちがいか。)しかし、作者は、まるちゃんなのか、むしろ陰でこっそり写真を撮ったりしながら、距離を置いて人間関係を薄笑っている野口さんの方が近いのか。まあ、どちらにせよ作者の一部であることは間違いなさそうだけれど、実写版の方が、わたしの裏と表よ、というような存在感を感じた野口さんでした。(野口さんの行事でのお姉さん役が、おかしい。)このごろ、『ブスの瞳に』をわざと『もも(妹)の瞳に・・』と言い間違えて嫌がらせをしている兄ちゃんです。やめなさい!と言いつつも、久しぶりにムスコちゃんと会話が弾むようになってうれしい母です。ギターも弾いてね・・・なんて密かに期待してたりして・・・。
2006.04.19
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ちょっと衣替えしてみました。去年の春に撮ったみつまたの花。お隣に住んでいたムスメの友達が、ばたばたと関西に引っ越していきました。わたしの方は、東京にいる間に父が逝き、舅が入院したりして、その間ずっと仕事を増やしてきたので、迷惑の掛け通しだったと思います。そして、新しいご家族をお迎えする隣家。北海道からの小さい子連れの家族です。二人いて一人目が幼稚園。環境の変化でさぞたいへんなことではないかと思います。せっせと近隣の地図など描いてみました。今年は、お仕事をちょっと減らして、わたしも住み心地の良い楽な生活をしてみたいな、と思います。
2006.04.02
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