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好き、嫌いネタで、もう少し引っ張ります。私が小学生の頃、「トムとジェリー」が夕方から放映されていた。何回も再放送されて、何回も見ているのに、また何回も見てしまうくらい好きだった。トムさんは、ねずみのジェリーを食べてしまおうと、あれこれ画策するのに、いっつも、ジェリーにしてやられてしまう。ここで、トムさん(さん付け)、ジェリー(呼び捨て)の呼び方でも分かるように、私は、小学生の頃から、トムさんを応援し続けている。トムさんの、間抜けで、怒りっぽくて、おだてに弱く、悪ぶっていて実はいい人(猫?)な所が、とても好きなのだ。そして、私の応援の甲斐なく、毎回ジェリーに負けてしまうところが、野球で言うなら阪神ファンのような気持ちになり、またさらに好きになってしまうといった所か。確かに、ジェリーは、弱い立場のねずみなのに、その機転のよさで立ち回り、本来は強いはずの猫であるトムさんを、こてんぱんにやっつけているのだから、子気味いい役回りではあるのだけど。ジェリーが食べられそうになると、ダメー食べちゃ、と思うのだが、実際に食べられることはなく、トムさんは、ジェリーに叩きのめされる。トムさん、やっぱりかわいそう・・・と思ってしまうのだ。だから、トムとジェリーのお話の中では、トムとジェリーに相対する敵が出てきて、二人が手を組むのが一番好きだった。いつもは、仲が悪い二人が、手を組んで、チームワークで乗り切る所を、ワクワクしながら見ていたものである。トムとジェリーだと、トムさんファンはやっぱり少ないのかしら・・・ちなみにうちのだんな様は、容姿、性格共に、トムさん系の猫型。私は、トムとジェリーと一緒に放映されていた、ドルーピーに容姿、性格共に似ている犬型である。(ドルーピー知っている人いるのだろうか・・・)
2002.10.31
パン屋さんでパンを買うと、一つづつ小さなビニール袋へ入れて、セロテープで封をし、大きな袋に入れてまた、セロテープで封をしてくれる。私にとって、このセロテープが厄介なのだ。近所のパン屋さんで、お昼に焼きたてのパンを買い、家に着いて、待ちきれずに大きな袋を開けようとすると、必ず、セロテープがピッチリついていて、ビニールが伸びる。伸びて伸びて、一向に切れないので、引きちぎると、手が痛くなるほどの力がいる。何せ、お昼ご飯のパンだから、食欲が先にたち、一刻も早く開けて、焼きたてのホカホカを味わいたい。お目当ての、クリームパンの入ったビニール袋を取り出し、セロテープを開けようとすると、これまたビニールに引っ付き、ビニールを伸ばすばかりで、セロテープが取れないのだ。こちらは、おなかが減って、気が焦っているため、力ずくで引きちぎると、勢い余ってクリームパンをつぶしてしまい、中身が出てしまう。しかも、焼きたてのアツアツなので、クリームが熱くて、やけどしそうになったりして。うまくセロテープがはがれる時もある。そんな時に限って、半分パンを残して封をし、大きな袋に戻してあとで食べよう、なんてする。そうすると、次に出そうとするとき、粘着力の弱まったセロテープが袋の中ではがれて、別のところに張り付いてしまい、次にパンを出そうとすると、袋だけが中にセロテープでついてしまい、パンだけが飛び出してきたしまう。これがカレーパンだと最悪だ。あのあげかすのボロボロまで、そこらに巻き散らかしてしまう。という具合に、セロテープは、あまりよい働きをしていない。ご丁寧に、セロテープで止めなくったって、パンは袋から飛び出るほどの暴れん坊でもないはず。だけど、やっぱり気の弱い私は、お店の人に、セロテープ止めないでとは言えず、なかなかはがれないセロテープにどんどん伸びるビニールを、力任せに引きちぎっている。こんなこと思うのは、私だけかしら・・・・
2002.10.30
我が家の娘(1歳4ヶ月になりました)は、電話で遊ぶのが大好き。しかも、本物でないとお気に召さないらしく、携帯電話屋で買った、見本の携帯電話(200円)は、すぐに飽きてしまう。私が、どこかに置き忘れてきたコードレス電話の子機をすばやく見つけ出しては、どこかへいたずら電話は日常茶飯事。そして、子機をもって、さも電話しているように、「うん、うん、あー、あー・・・」と、大きな声でやり始め、しまいに、「がはははははー。」と大笑いまでしている。まるで、私が電話しているときのよう。そっくりなのだ。それから、カギも好きで、私が、やはり、どこかに置き忘れたカギを探し出して、引き戸などで、カギを開ける真似をしている。おもちゃのカギと、本物のカギを取り替えようとしても、おもちゃのカギなんかには、見向きもしない。電話もそうであるが、本物にしか興味を示さないのは不思議である。お財布も置き忘れていると、中身をすべてばらまかれて、大変な惨状となる。カードやらお札が飛び散らかっている。(小銭入れは開けられないので、助かっているが。)リモコンも、ちょっとでも置き忘れると、喜んでテレビのチャンネルを変え遊んでいる。この間は、床に落として忘れていた口紅を拾って、口に塗る真似までしていた。大人のやることをよく見ているものだと感心した。娘が、いたずら盛りで困ると書こうと思っていたのだが、この日記を書くにつれ、実は、私の置忘れが悪いんじゃないの?ってことに気がついてしまった。いたずら娘で困りものと、締めくくりたかったのに、実は、私が、置き忘れの天才だったと気づくとは。そういえば、旦那様にも「お前、それで、本当に元銀行員か?」と、よく聞かれてたっけ。ハハハハハー・・・・・(笑ってごまかす)以後、置き忘れに気をつけることとし、娘のいたずら盛りに責任転嫁は致しません。以上。
2002.10.29

うちの旦那様は、恐ろしく恥ずかしがりやなので、ペアルックなんて死んでも着てくれないだろうし、私もあまり着たいとは思わないのだけど。なぜか、娘とのペアルックには、はまっている。今日は、ピンクがかったオレンジ色の、私はトレーナーで、娘はロンパースになったものを購入した。ワンポイントのプリントがかわいくて、豚の後姿が3つ並び、下の方に3本線が入っており、スポーツブランドのアディダスのマークをもじっている。ここのお店は、ブタがテーマでいろんな洋服のデザインに使われている。ロゴは、さすがに「ブタダス」にはなっていないが・・・。このマークが、娘は背中に大きく一つと、私は、左胸にワンポイントで入っているので、それとないペアルックと言う感じが気に入ってしまった。嬉しくって、会社から帰ってきた旦那様にさっそく見せると、「ブタが4匹だろ。」と言う。あきらかに、私を1匹と数えている。憎らしいー。夕飯のおかずには、私のほうに、多く肉を入れてやるっ・・・と小さな復讐をする気の小さい私である。
2002.10.28
自分は英語ができなかったから、せめて娘くらいは・・・なんて思うのは、親の常。さてどうやって英語を娘に慣れさせればいいのかしらと、悩んでいたら、ゆみこままりんさんに、耳から慣れさせるのがよいとのご教授いただいた。ビデオなどで、見せるだけの刺激より、耳から慣れさせた方がよいのだそうだ。そこで、さっそく、公文式の英語歌詞カードつき英語の童謡CDを購入してみた。CDには、簡単な英語の童謡が30数曲入っている。アルファベットの歌やメリーさんの羊など、簡単なものばかりなので、娘も気に入ったらしく、音楽を聞いて、手拍子したり踊ったりする。特に、私がよく歌っていた「むすんでひらいて」の英語の童謡がとても気に入り、ちゃんと、日本語の童謡で覚えたように、手をぱちぱちたたいて、最後に手を上にあげていた。おお、メロディーは覚えてたのね、なんて、チョット感動する。小1時間ほどかかって、すべて聞き終わったので、CDを止め、私は夕飯の支度に取り掛かろうとしたら、娘が、CDラジカセの前に座り込み、「うー、あー」とボタンを片っ端から押しまくっている。どうやら、CDをかけろとせがんでいるらしい。あら、そんなに気に入ってくれたのね、なんて喜んでもう1度最初からCDをかけ、夕飯の支度しようとしたら、私の足に絡み付いて、「あっち、あっち」と言いながら、ラジカセの方へ私を戻そうとする。一緒に踊ったり、歌ったりしてと言う意味のようだ。仕方がないので、台所にCDラジカセを持ってきて、私は、陽気に踊りながら夕飯の支度をするという、荒業をする羽目になったのだった。娘が喜んでいるのだから、仕方がない。私は、数年(10年位?)前に、まだ、小柳ルミ子が大隈ケンヤ氏とラブラブだった頃、踊りながら料理をする変な番組があったけど、踊りながら料理するって結構大変だったのね・・・なんて、改めて感心したりしていた。さて、夕飯の時間になり、CDラジカセを止めた所、娘は、さっきと同じように、しゃがみこんで怒り始めた。仕方ないので、CDをかけ、時々手拍子をしながら、夕飯を食べた。さすがに踊りはしなかったけど。そして、この娘の英語童謡CDの一番の被害者は、ジャイアンツファンのパパであろう。何より楽しみにしていた年に1度の日本シリーズを、英語の童謡を聞きながら見なければならなかったのだから。「解説者の声がほとんど聞こえないよ・・・」とぼやいていた。でも、かわいい娘のためなので、じっと我慢するしかない。さて、明日も1日中、英語童謡CD三昧になるのだろうか・・・やっと娘が眠り、CDラジカセのスイッチを切りながら思ってしまう。いつまで続くのやら。************************ゆみこままりんさんのページは、大変有意義の情報が満載されているので、子育て中のお母様方は、是非一読して見てください。目からウロコが落ちるかもしれません。
2002.10.27
うわさには聞いていましたが、1時間以上もかけて日記を書き、いざ「◎日記に書き込む!」のボタンを押したら、「サーバーが見つかりません」というページに。焦って「戻る」のボタンを押てみたら、もう日記は、真っ白い灰・・・もとい、真っ白空欄になっていました・・・。私が、心血注いで書いた(と言っても、原稿用紙1枚半ほど)の歴史に残る(そんな訳はない)エッセイ風日記は、その痕跡を残すことなく、楽天のサーバーによって、木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいました・・・。あぁ、きっと、みなさんのおなかがよじれるくらい笑わすことのできる、渾身の自信作だったのに(見せることが出来なければ、何とでもいえる)。力尽きて、日記を再現することはもう、不可能なので、なくなった日記を悼み、ここに記録として記しておくことにします。
2002.10.26
私が、車でいつも通る道沿いに、一軒の八百屋さんがある。信号の手前にあるため、信号待ちのとき、いつも楽しませてもらっている。外に並べられた野菜や果物に、ご主人が書かれたであろう、ダンボールの切れ端の値札が立てられている。しかも、ものすごい達筆(?)な上に、野菜や果物の名前を、変に省略してあるので、何が売られているのか、読解に苦しむ時がある。私は、ここのご主人は、相当なせっかちさんじゃないかと踏んでいるが、実際に会った事はまだないので、真偽の程は分からない。なにせ、信号待ちで店先を覗かせてもらっているだけなので。今までの傑作は、「ブロコ1コ 100円」この「ブロコ」とは、「ブロッコリー」の省略形。「キャ別 100円」これは、「キャベツ」と書きたかったものと思われる。「ベツ」と書くも「別」書くもたいした省略にもならないと思うのだけど。それとも、「キャベツ」て漢字で書くとこうなるの?・・・なんて疑ってしまったが、そんな訳はない。そして、今日は、というと。「次郎 一山 300円。」「次郎柿」の「柿」を省略すると、なにやら人身売買しているよう。かわいそうに次郎君300円なのね、それも一山で・・・「キュリ 100円」八百屋のご主人は、今日は大変慌てていたと見られる。「キュウリ」の「ウ」抜いても、意味がわからなくなるだけで、大した時間稼ぎにはならないと思うのだけど。「キュリ」って、一体・・・今度は、この八百屋さん、何を省略してくれるであろうか、信号待ちが、私の密かな楽しみなのである。このお店、野菜も安いし、今度は、店内への潜入取材を試みようと思っている。
2002.10.25
うちのだんな様宛てに、免許証更新のお知らせが届いた。誕生日の1ヶ月前になると、更新のお知らせのはがきが届くシステムになっているらしいのだが、このハガキか来ない地域もあるという話を聞いたことがあった。誰から聞いたのだっけと考えていたら、銀行に勤めていたときのことを思い出した。私の直属の上司で、非常に仕事が出来、出世も早く、40代そこそこで、貸付のセクションを取りまとめる次長がいた。仕事に一生懸命になりすぎて、まわりが時々見えなくなり、かわいいオトボケを演じるので、周りからも好かれていた。その次長が、免許証更新するのを忘れて、免許失効してしまったのだ。しかも、それに気がついたのが、3歳になる娘が、財布の中身を出して遊んでいた時、引っ張り出された免許証を見て、期限が切れているのに気づいたのだそうだ。期限から、すでに2ヶ月が経過していた。その時、次長がいた地域は、免許証更新のお知らせの来ない所だった。次長は、警察に何とかならないかと直談判したが、「あと1ヶ月早ければ、なんとかなったんですけどねえ。」と言われ、悔しさだけが倍増し、免許証は失効してしまった。次長らしいオトボケではあるのだが、そこから、彼の苦難の道のりが始まったのだった。一度免許を取っているので、教習所には通わず、免許証センターで試験を受けるらしいのだが、これが難しいのだそうだ。次長は、かれこれ半年以上、毎月1回、貴重な平日の休みを取り、仮免許の試験を受け、落ち続けていた。自分流の運転の癖が抜けず、きっちり交通法規を遵守した運転が出来なくなっているという。やっと仮免許証に合格した時は、貸付係で、お祝いの飲み会を開催したほどだった。それから、次長が、取引先へ外出するときは、必ず、若い男子行員がお供することになった。仮免許証中の次長が運転するためには、仮免許練習中の札をつけて、免許証を持った人が同乗しなければならないためだ。「外、行ってくるよ。」と言う、次長の顔が、いつも嬉しそうだった。そして、やっぱりまた、本試験が受かるのに半年を要した。免許失効から、かれこれ、1年以上も経っていた。平日に休みを取り、試験を受けに行った次長から、本試験合格の電話が入ったときは、人ごとながら、係のみんなが喜んでいた。そして、私たち係で、本試験合格のお祝いとして、初心者マーク2枚に、ピンクのリボンをつけて、謹んで次長に進呈したのだった。それから、次長が外出する時には、車の前後にこの初心者マークが、貼られることになる。40歳過ぎた、おじさまが、銀行の白い軽自動車に背中を丸めて乗り、前後に初心者マークをつけて走る姿は、あんなに仕事のできる次長でさえ、哀愁が漂っていたのだった・・・
2002.10.24
娘と、童謡の「むすんで ひらいて」を歌っていた時のこと。手を握ってい開いて、手拍子をして・・・と歌に合わせて娘と踊っていた。娘は、手を閉じたり開いたりは出来ないけど、手拍子をしてとても喜ぶ。私も、それが嬉しくて何度も歌っていた。そこに、パパも加わった。パパも、歌って振り付けをするが、1箇所おかしい。「手を打って結んで~また開いて~」のところで、手拍子をしてグーを作り、私は手をパーにするのに、パパだけ足を広げる。「だって、『股開いて~』だろ」と言う。アホ。「握った手を、再び開くの『また』だ。」と私は反論。「いや、『股』だ。」と引かぬパパ。話は平行線のまま、結果は持ち越しとなった。でも、どう考えても、童謡で「股開いて」なんて、下品な言葉使わないと思うんだけど。
2002.10.23
車で近所をドライブしていたら、手をつないで帰る男女の中学生を発見した。な・な・なんと、まぁ。おばさんはビックリしてしまう。私が中学生の頃は、付き合うってことは、おませな一部の子達がしていただけで、男の子と一緒に帰るなんて、それだけで先生に怒られたし、まして、手をつないで帰るなんて!!そういえば、うちのだんな様は、超がつくほどの恥ずかしがり屋で、手をつないで人前を歩くなんて、もってのほかだった。時々、あなた、戦前生まれなんじゃないのというほどに、妻と言えども隣にいることを照れくさがる。いまどきの人にしては、珍しい部類だと思う。まぁ、私は、戦前の女性のごとく、3歩下がって歩いてはいるが、決して楚々と影を踏まぬよう配慮しているわけではない。後ろからだんな様の手綱を裁くためである。だんな様の事は、前に立てながら、実は後ろから糸引く悪代官というところか!?初々しく手をつなぐ中学生を見送りながら、やっぱりうらやましいなぁ・・・なんて思うのであった。
2002.10.22
銀杏の木の下を通り、あの独特の、銀杏の香りがすると、私はいつも、保育園の頃を思い出す。体の弱かった私は、越境して、お隣の市の泥んこ保育で有名な保育園に通っていた。この保育園は、子供のしたいことは何でもあり、泥まみれになって遊び、裸でプールに入り、思いっきり遊びを満喫できた。ある秋のこと、その保育園で銀杏とりに出かけた。銀杏と言うものを、聞くのも見るのも初めてなので、私はワクワクしていたのだが、その匂いにまず驚いた。何かが腐ったような匂いのする、泥んこになった梅干みたいなものが銀杏だという。しかもそれを拾って食べるんて。先生の説明では、この銀杏を拾ったら、しばらく土に埋めておき、まわりの果肉を腐らせ、種にして、その種の中身を炒って食べると言う。幼心に、(ホントにこんなに臭くて食べれるの?)と疑っていた。しかも銀杏を拾う時には、手がかぶれるから、直接触ってはいけないとまで言われ、疑惑は増すばかりであった。みんなで、触らないように注意さながら拾った銀杏は、袋いっぱいになり、園庭の隅の方に、目印を立て、埋められた。それから、程なく、その銀杏の実は、先生によって掘り起こされ、きれいに洗われると、外にコンロを持ってきて、大きな鍋で炒られ始めた。きれいに洗った白っぽい銀杏の種は、もうあの嫌な匂いはせず、炒られるほどに、香ばしいいい匂いがしてきて、食欲がくすぐられた。しばらく炒り続け、先生が味見と言うことで、一つの種を取り出し、トンカチでトントンと殻をつぶした。そして中から出てきたものは、なんときれいなエメラルドグリーン色だった。あんなきれいな色の食べ物を、私は見たことがなかった。きっと、すごくおいしいに違いない。先生がすごくおいしそうに食べている。私の期待感は一気に高まった。軍手をした先生が、熱い銀杏を一つづつ取り出しては割り、子供たちに配っていった。順番が巡り、私の手の中にも、ほんのりと暖かい、そのエメラルドグリーンの食べ物が配られた。ものすごい、期待を込めて、その一口を園児全員で味わったのだが・・・あの味が、5~6才のお子様に、受け入れられるはずはなく、子供たちは、一斉に、水を求めて水道に走っていったのであった。私は、あまりの期待はずれの味に、涙すら出したのを覚えている。私が、銀杏の味がわかるようになるのは、それから、十何年先のこととなる。今では、銀杏を串に刺し、塩を振りさっと火であぶったものを、ビールのつまみにしている。銀杏を食べると、未だに、大人になったような気がするのは、そんな経験のせいかもしれない。
2002.10.21
毎週日曜日は、だんな様の実家に遊びに行くことになっている。遊びに行くと、大抵、だんな様の弟夫婦と、その娘さん(2歳)も来ているので、うちの娘(1歳)といとこ同士、今日も大変な騒ぎとなっていた。1歳と2歳で、分からんチン同士のため会話も成り立たないし、おもちゃは取り合う、ばあばは取り合う、しっちゃかめっちゃかになるのだ。かと思うと、二人で突然抱き合ったり、手をつないだり、チユーしたり。忙しい忙しい。しかも、うちの娘が「かれん」で、弟夫婦の娘さんは「花音(かのん)」というややこしい名前のため、親でさえ、間違って名前を呼んでしまい、どっちを注意したいのか、しまいに分からなくなってしまう。この名前、別に意識して揃えたわけではない。もちろん、「花音」の方が2歳であるから、先につけたのだが、うちの娘の「かれん」と言う名前は、うちのだんな様が、子供が生まれるずーっと前からつけたいと思っていた名前なのだ。だから、偶然の一致。決して「花音」を真似たのではない、とだんな様は今でも悔しがっている。先に考えていたのは俺なのに・・・と。お昼ごはんは、小さいのが2人もいるため、マクドナルドでハンバーガー類を買ってきて家で済ますのが通例になっているのだが、この時、義母は、必ずチーズバーガーを25個買う。それも、個人個人、好きなハンバーガーを買ったほかにチーズバーガー25個がつくのだ。足りないと言うのが大嫌いな義母は、マクドナルドでの買い物の、基本がチーズバーガー25個なのである。もちろん、私たちは、大食漢家族ではないので、大量にあまったチーズバーガーは、各家族で頭割りされ、持ち帰ることとなる。次の日曜日までの毎日、私のお昼ごはんはチーズバーガーとなってしまうのはこのためなのである。大人6人に対し、チーズバーが25個は、1人頭4個という計算に、義母に早く気づいてほしい、今日この頃である。気が弱い嫁の私は、この計算式を義母に言うことはできない・・・チーズバーガーを、毎日1つずつ食べて、食費が浮くから、まぁ、いっか・・・
2002.10.20
今日の日記は、本題(楽しい日記)とは外れて、少々湿っぽくなってしまうことお許しください。10/17の日記の補足になります。私が、この「GIve The Kids World」を知ったのは、NHKの放送だったのですが、何故興味を持ったかについて、書いておこうと思います。私の母は、脊髄小脳変性症という難病指定の病気を突然発症し、3年の闘病後、静かに息を引き取りました。まだ、59歳という若さでした。脊髄小脳変性症という病は、原因不明の難病で、小脳が萎縮をしていくために、徐々に体の運動機能が失われていき、最後には寝たきりになって、自力呼吸すら困難になっていくというものです。私の母も、ゆっくりとその体の運動機能が失われていきました。だんだん歩けなくなり、字もかけなくなり、言葉もおぼつかなくなりました。画期的な治療法がまだなく、体の機能が失われていくのをほんの少し遅らす程度のことしか出来ません。母も私も、出口のない迷路の中をたださまよっているような日々でした。私は、父がすでに他界しており、兄弟もいないため、会社に勤めながら私一人での介護の日々が続き、身も心もボロボロになりかけていました。いろいろな本も読みましたし、よいと言うことは何でも試してみました。それでも、母の病状に変化は見られませんでした。私は、「病は気から」、この暗い毎日では、よくなるものも悪くなってしまうと、思い切って気分転換に、母と東京ディズニーランドに出かけてみました。車椅子をレンタルし、初めて東名にのり、初めて首都高を通るという初めてづくしの旅行でしたが、何とかディズニーランドに到着できたました。車椅子に乗り換え、ディズニーランドに入ったときの楽しそうな母の顔は、今でも忘れることが出来ません。あの暗い毎日が嘘のようでした。ディズニーランドの中では、車椅子に乗った母に、キャラクターたちは、駆け寄ってきてくれます。母は、本当に子供に戻ったような無邪気な笑顔を見せてくれました。体が不自由なため、アトラクションにも待たずに乗らしてもらえ、ディズニーランドのキャストの方には大変お世話になり、歩けた時と同じように自由に楽しむことが出来たのです。ディスにーランドは、本当に夢の国、病気のことを忘れ、私たち親子にかけがえない楽しい1日をプレゼントしてくれました。この旅行から、1ヶ月半後のある朝、私が目覚めると、母はすでに息を引き取っていました。安らかな最後だったと思います。このような経験が、私にあったため、「GIve Kids The World」の活動には大変共感できました。「GIve Kids The World」の主な活動は、難病に苦しむ子供とその家族に、ディズニーランドでの夢のような日々をすごしてもらうためのお手伝いをすることです。遊びたい盛りの子供たちが、難病という足かせのために、外にすら出られない毎日、病院のベットの上でのつらい治療の日々・・・子供たちやその家族の苦労は、私には計り知れません。ほんの一時でも、病気を忘れるて、おもいっきり楽しみ、かけがえのないたくさんの思い出ができたのなら、病気に立ち向かう新たな勇気を与えらるような気がするのです。そして、それは、とても必要なことだと、難病の家族を持った一人として、実感するのです。娘が大きくなって、私の母の話をする時、この「GIve The Kids World」についても、話をしたいと思っています。そして、少しでも私たちが、難病と戦う人々に力を貸すことが出来たなら、母が病気で苦しんだことが、少しは無駄にはならかったような気がします。こういうボランティアがあるのだということが、一人でも多くの人に知ってもらえれば、また、よいきっかけに結びついていくのではないかと思い、少々個人的な思い入れではありますが、このような日記を書かせていただきました。Give Kids The World(英語) NHKで放送した概略の載っているページ
2002.10.19
私のサークルの後輩に、帰国子女の女の子がいた。私の田舎には、帰国子女なんて存在しなかったので、とても物珍しかったのを覚えている。ある時、彼女とテニスのダブルスを組んだとき、彼女が、ボールを打ち損ねた時、出てきた言葉は、「Oh-oh.(おっと)」または、「Ooops!!(やばい)」だった。咄嗟の言葉が、英語で出てくるなんて、アメリカ人みたい・・・と思った。(田舎者の私は、英語が出来る=アメリカ人という短絡的思考を持ち合わせているので)発音は、もちろん、ネイティブスピカー並である。私がどんなにまねをしても、「オッオ・・・ウープス。」とカタカナの発音にしかならない。生まれも育ちも、どころか先祖代々富士山の麓から一歩も出ていないのだから、仕方の無いこと。静岡の方言と標準語の使い分けも怪しいくらいだったのだから。また、ある時、私は、彼女とアイスクリームを買いにいった。いくつかのメニューを見て、私は、「ナッツ トゥー ユーをシングルで。」と、ごく普通に注文した。そして、彼女の場合は、「Nuts to youとstrawberryをdoubleで下さい。」英語の部分は、ものすごい発音のよさで、日本語の部分は、普通に日本語になっているのに驚いた。これぞ、まさにバイリンガルと言うものかと感心した。そんな彼女が、就職した。友人が、「彼女、Citicoop(シティコープ)に入ったたらしよ。」と教えてくれた。私は、「あんなに、英語が出来るのに、生協とはもったいないねぇ。」と言ったところ、友人に「Citicoopって、アメリカの銀行だよ・・・」と、あきれて言われた。どうやら、有名なところらしい。でも、私は、「コープ」といえば、学生生協しか連想できない田舎者であるから、仕方がない。そして、今では、この日記を書くために、ここに出てくる簡単な英単語を、四苦八苦しながら辞書で引かなければならないのだから、英語習得への道は、かなり長い道のりになりそうだ・・・
2002.10.18
今日、叔母の家に遊びに行くと、従姉妹が東京から帰ってきていた。この従姉妹は、40歳独身で、東京で働いているためか、見た目は30代前半に見える。私が赤ん坊の頃からの遊び相手である。その従姉妹が、「あなたから借りてた、英語の勉強するやつ、返すよ。」と言う。私は、貸したことも忘れていたその英語教材は、テープ10巻とテキストがついており、テープを聞くだけで、英語偏差値70超えると言うキャッチフレーズに引かれ、高校生の時買った通信講座だった。もう、14,5年前のものだ。貸したのも、4,5年前くらいだったと思う。さて、私の手元には、その教材が戻ってきたわけであるが、私の英語力の著しい低下は自覚している。海外旅行でも、全身を使って、ジェスチャーゲームのようにしなければ言葉が通じない。それに加え、「ティー プリーズ.(お茶下さい)」と言ったら、「Beer(ビール)」が出てくるという、すばらしい発音すらも兼ね備えている。これは勉強し直すいい機会かもしれない。それに、将来、私は娘と一緒にやりたい夢があり、それには、英語が不可欠なのである。その夢とは、アメリカの「Give Kids The World」というところで、ボランティアをすること。この「Give Kids The World」というところは、難病の子供たちが世界中から集まってきて、ディズニーランドなどのテーマパークを楽しんでもらうところなのだが、もちろん費用はかからない。ここの運営は、すべてボランティアによって行われている。そのボランティアも、やりたいと申し出る人が多く、2~3年待ちの状態だと聞いたことがある。今の英語力では、ボランティアなんて、どう考えてもできっこない。さて、自分の夢のためだけだと、途中で挫折するかもしれないが、娘とかなえたい夢ならば、やれるかも・・・なんて考えつつ、教材をまだ眺めているだけの私である。英語勉強する!?*Give Kids The World(英語)(NHKで放送した概略の載っているページ)については、また詳しく取り上げたいとおもいます。
2002.10.17
最近、うちの娘は、熱いものをフーフー冷まして食べることを覚えた。ご飯を口に入れてやろうとすると、必ず自分で、フーフーする。もちろん、娘の口に入れる前に、適温に冷ましてあるが、どうも、自分でやらないと気がすまないらしい。時には、冷たい麦茶にも、フーフーしている。そして、今日、いつものように、娘を寝かしつけるのに、添い寝をしながら母乳をあげていたところ、娘が吸っている感覚がふとなくなった。すると次の瞬間、今まで感じたことのない、くすぐったさが感じられたのだ。見てみると、案の定、娘がおっぱいに向かってフーフーしていたのだった。「こりゃ、何やってんの!!フーフーはいらないの。」と、注意しては見たものの、馬の耳に念仏とはまさにこのこと、娘は、そんな注意どこ吹く風で、ニコニコ笑って、またフーフーする。注意されるのを面白がって、フーフーし続けていた。こちらは、くすぐったいのと、娘の真剣なフーフーする顔が面白くて、笑いをこらえるのがとても大変であった。娘よ、いくら、瞬間湯沸し機のように怒りっぽい私でも、フーフーするほど、熱くほとばしる母乳は出せない・・・それとも、それを戒めるための、フーフーだったのか?
2002.10.16
パパの実家に遊びに行くと、義母がちょうど外に出てきた。「あら、偶然。今ね、かれんちゃんのクリスマスプレゼント買いに行こうと思ってたのよ。」と義母が言う。かれんというのは、恥ずかしながら、うちの娘の名前である。「クリスマスプレゼント・・・?」季節は秋、今は、確か10月の半ば・・・「そうそう、ブランコがいいかなと思ってね。」義母は、ニコニコしながら言うので、私は頷いてみたのだが、クリスマスプレゼントとは?そのまま私達親子は、おもちゃ屋まで、なかば引きずられるように連れて行かれた。店内では、3種類の中から、室内用ブランコを選ぶように言われるが、遠慮して、一番安いものを選ぶと、それは、あれよあれよという間に、我が家に配送され、運び込まれていた。所要時間にして、30分というところか。組み立てられたブランコは、思いのほか大きく、結局、玄関前の廊下にしか置くことができなかった。それでも、義母は満足げにブランコを確認し、あっという間の嵐のように、笑顔で去っていったのだった。残ったのは、玄関入ってすぐの廊下で、寂しくゆれるブランコ(クリスマスプレゼント?)だけであった。私も、人生そこそこ生きているが、10月にクリスマスプレゼントをもらったのは初めてである。そして、玄関を開けるとすぐブランコという、そんな家に住むのも初めてである。この義母の、その他の伝説については、また後日。
2002.10.15
青木政司さんとは、日曜日7時からTBS系で放映している「さんまのスーパーからくりTV」の「お悩みパビリオン」のコーナーに出てくる、とっても元気なおじい様、御年87歳。登場する時に、いつも「今日のおやなみは(お悩みは)?」言って、いろいろな人の相談にのるのだが、そのオトボケ回答で悩みが解決されたことは、あまり無い。私は、どんなお笑いタレントよりも、青木さんに笑わされてしまう。青木さんは、聞き間違いの天才なのだ。あるとき、小学生の女の子が、「長生きしたいの。」と相談したところ、青木さんお答えは、「そう、お譲ちゃん、長崎行きたいの。家族で行ってくれば。」だった。「とっとこハム太郎。」 を聞き違えて、「チ〇ポコハメ太郎?」(〇内の文字は、自主規制。やっぱり、ここには、書けない・・・)と言うし。「ナルシスト。」を聞き間違えて、「ナルピンコ?」だし、あまりのおかしさに、このコーナーの時間には、水物を口に含んではいけない。コントのように、ぶーっと噴出してしまう恐れがあるからだ。そして、私が、一番、青木さんに笑わせていただいたのは、「自意識過剰。」を聞き間違えた、「じいさん炎上?」である。燃えてどうする。ほんとにこの人、とぼけているのかしら、それとも、スーパー頭が回転するおじい様?来週の「さんまのスーパーからくりTV」では、青木さんが、時代劇に挑戦すると言う。見逃さないように、今からもうビデオ予約を入れてしまう私なのである。人間は笑うと、癌細胞をも殺す「キラー細胞」が増え、免疫力が増すらしい。何も考えずに、いっぱい笑える、青木政司さんの一言は、健康増進に、お勧めある。
2002.10.14
うちの娘は、いまだに、私のことをママと呼ばない。それを逆手にとって、「パパとママどっちが好き?」と聞くと、答えは当然、「パパ。」何度聞いても、ママはいえないので、「パパ。」を連呼するのみ。それを、わざとパパの前でやるのである。パパはもうデレデレになり、鼻の下が、マントヒヒのように伸びてしまう。そして、極めつけは、義母の前で、それを行うのだ。義母は、もう目を、五木ひろしよりも細めて喜ぶ。「そう、パパのことそんなに好きでしゅかぁ~。」義母は、娘に「パパ。」と言わせたくて、「パパとママどっちが好き?」を、繰り返し続ける。娘も、素直なもので、「パパ、パパ、パパ。」と、パパの大安売りである。義母にとって、自分にとっては他人である嫁のことが好きな孫娘よりも、自分の息子が好きな方がかわいさ倍増、面倒も見たくなるというもの。パパだって、ご機嫌麗しくなってしまう。ママが寂しいのでは、と思われるかもしれないが、何の、私には、娘を引きつけてやまない「母乳」という最大の武器があるので、「パパとママどっちが好き?」の答えくらい譲ってあげるのだ。娘よ、「パパ。」と呼ぶのは、無料だから、いくらでも「パパ。」と呼んでなさい・・・てなものである。娘の「パパ」連呼で、パパは、娘を可愛がり、義父母も娘を可愛いがる。いいことづくめなのである。
2002.10.13
あれは、まだ花の独身の頃。友人と二人で、京都へ縁結び祈願に出かけたことがある。私たち2人は、もちろん彼氏はいなかったし、それらしき影すら周りに存在しなかった。27歳を過ぎ、少々あせりが生じていた頃である。京都の神社、仏閣に参拝しては、「いいご縁がありますように・・」と拝む。たとえ、安産祈願のお寺でも、その意志は曲げなかった。有名どころは、すべて制覇し、さすがに疲れて、ホテルに帰る途中で、「占い 3000円」という看板が目に入ってきた。これは、占ってもらえとの、神のお導き?なんて気がしてきて、二人は、引き寄せられるようにその中へ入ってしまった。占いというと、薄暗い部屋を想像するが、中は、蛍光灯が明るく照らしていて、占い師と思われる人が、普通の格好で真ん中に座っていた。「何、占いますの、お嬢さん。」話し方は、まさに、関西のおばちゃんで、私の想像する、占い師=神秘的をすべて覆すものであったが、入ってしまったものを引き返すわけにも行かず、とりあえず、私の結婚運を占っていただくことにした。私は、おばちゃんの差し出した紙に、自分の名前、生年月日を書いた。すると、おばちゃんは、手元の使い古された本をあちこちめくって、紙になにか難しい漢字を書いていく。四柱推命で占うらしい。そして、しばらくそんなことを繰り返し、おばちゃんは、開口一番「お姉ちゃんの結婚は、難しいわ。」と言い放った。「へ?」私は、ショックに普通の返事すら出来なかった。すると、おばちゃんは、私が聞こえていないと思ったのか、もう一度大きな声で、「結婚難しいなぁ。そうやねぁ、おねえちゃんの結婚をわかりやすくたとえるとな・・・」たとえなくてもいいよ・・・と私の心の声は、おばちゃんには届かず、おばちゃんは、そのまま大きな声で続けた。「道に落ちているコンタクトレンズ探すより難しいわ。道にコンタクトレンズ落ちると、なかなか見つからないやろ、それと同じやねん。まわりの親戚の人とかにな、『私結婚したいから、相手探して』って言って回らなあかんな。相当難しいで、おねえちゃん。」私は、奈落の底に突き落とされた気分で、そこから後に言われてことはあまり覚えていない。友人も占ってもらったが、それほど悪い結果でなかった。料金を支払い、すっかり暗くなった外に出ると、二人でしばらく黙ったまま歩いた。友人はこのとき、なんと声をかけていいのか分からなかったらしい。だが、それくらいのことで、落ち込む私ではなかった。「探し出したる。地を這いずり回ってでも、落ちたコンタクトレンズくらい探し出してやる~。」と、決意を新たに、翌日も、めげもせず縁結び祈願を続けたのであった。その甲斐あってか、私はそれから3年後、無事結婚し、その友人も私の半月後に結婚をした。そして、今、私には1歳になる娘がいて、友人には、10ヶ月になる男の子がいる。妙に縁のある友人である。占いなんて、信じない。あくまで、参考にする程度。占いの結果は、打ち破るためにある・・・と私は今でも信じている。
2002.10.12
市が主催する、1歳児子育て講座なるものに参加してきた。1歳児を持つ親が、子育ての健康を相談したり、親子遊びを教えてもらったりでき、その上無料だという。どうせ、用事もない暇な専業主婦の私は、ママ友達が出来るかもという、淡い期待を胸に参加したのだった。なにせ私のママ友達は、義理の妹一人きりで、それは親戚に分類しろといわれると、いなくなってしまうのである。指定の場所は、市のセンターの4階にあり、開始時間の10分前くらいにつくと、そこはもう、赤ちゃんとママの大群が押し寄せていた。どこを見ても、赤ちゃん赤ちゃん、ママ、ママである。赤ちゃんは、ヨチヨチ歩きして、ママがそれを追いかけて、あっちでは誰か泣き、こっちでは赤ちゃんが転ぶ。私も娘も、その雰囲気にすっかり飲み込まれてしまい、普段、私と二人っきりの娘は、私にしっかりしがみついて、離れようとしない。この中で、ほかの赤ちゃんと遊ばせようとしても、嫌がるだけなので、仕方なく私は、隅のほうで、この様子を観察させてもらうことにした。ママの年齢は、20代前半から、30代までというところか。赤ちゃんは、1歳児限定なので、ヨチヨチ歩きが半分くらい、はいはいしている子もいる。会場全体が、ごった返していた。そんな中、ふと、目にとまるきれいなママがいた。年齢は20代中ごろといったところか。Tシャツにジーパンという、ママファッションの定番中の定番な格好が大半を占める中、彼女は、黒のストレートパンツに白いシャツを襟を立ててきていた。それだけでも目立つのに、顔立ちは、モデルの長谷川理恵さんのようで、ほっそりとしていているのに、ひときわ目立つ存在となっていた。しかもエルメスの黒のトートバックをマザーバック代わりに使っている。気になるのは、そのお子様であるが、男の子のようで、白のシンプルな長袖Tシャツに、黒のスパッツ、何気にママとペアルックなのだ。そして、他のお子ちゃまたちと、一線を画すアイテムが彼にはあった。首に下げられたおしゃぶりのその紐が、エルメスのリボンなのである。私はというと、Tシャツにジーパンというママファッションの定番に、マザーバッグは、通販のおまけにもらったバッグを愛用している。娘は、普通のシャツにスカート。2人分の洋服代を合わせても、きっと彼のおしゃぶりリボンには及ばないだろう。そのママが、お子ちゃまのよだれをぬぐうハンドタオルは、先日あるデパートで見かけた、1つ2000円もするという超豪華な刺繍付きミニタオルであった。私は、子供のよだれをぬぐうのは、10枚300円、洗いくたびれたガーゼと決めている。2000円もするタオルで、食べ物でギトギトになった子供の口を拭うなどということは、清水の舞台から飛び降りても出来ない。そんなことなら、自分のTシャツのすそで拭いてしまうだろう。カリスマ主婦として名高い三浦リサ子さんが、妊娠中に、グッチのバッグを斜めがけして、そのおなかをカバーするのがリサ子流・・・なんてやっていたのだが、私は、何がリサ子流、そんなこと真似できる人は、そうはいないはずと、高をくくっていたのだが。こんな田舎にも、ファッション雑誌の中のようなママもいるのかと感心してしまった。そんなこんなで、やっぱりママ友達も出来ず、人間観察だけに終わってしまった、子育て講座であった。
2002.10.11
わが娘へ。・人前で、いいかげん、私のことを「ママ」とよんでほしい。「パパ」はまだいいが、「バァバ」と呼ばれると、少々切ない。・麦茶を噴き出すことはまだいい。トマトシチューを噴出すのだけは、やめてくれ。真っ赤な油染みが絨毯やクッションに点々と残るのは気持ち悪い。・転んだ時、泣き場所を求めて、立っている私の股間に顔をうず め、ワンワン泣くのはかわいい。しかし、泣きながら、私のズボンのチャックを下げるのはいかがなものかと思う。・お風呂上りのパパの、大切なものが、あなたの目の前にぶる下がっているのが悪いとは思うが、引っ張るのは止めてほしい。まだ、あなたの弟か妹を作る予定でいるので、支障が出てしまうかもしれない。・リモコンを隠すのだけはやめてほしい。あなたの絵本の間からテレビのリモコンを探し出すのに、1時間以上費やしてしまった。・トイレに一緒に入ってきて、一緒にいきむのも止めてもらいたい。・お風呂で、頭をぬらすのを嫌がって、途中で脱出しないでほしい。どこもかしこもビショビショになる。・チュウをしても嫌がらないで。抱きしめた時も脱出しないで。たまには、おとなしくしてみてください。そうしないと、いつまでもしつこいぞっ。以上、聞き入れられることは、皆無に等しいでしょうが、母の切なる願いです。
2002.10.10
この日記は、昨日の日記を読んでから読むと、話がつながるようになっています。*******************************************************で、昨日、私のメールを見た彼女から、早速の返信があった。仕事が終わってすぐの時間だったので、まだお土産は見ていないようではあるのだが。メールは、「まじか?君のその口調は、120%怪しい匂いがするが。」というものだった。さすが、長い付き合いだけあって、鋭すぎる。私は、すぐに、「な、何が?ちみー、20年来の友人に失礼な言い方だなぁ。ぼくがちみのお土産を忘れる訳がないじゃないか!!ワッハハハハハハー」とメールを送ったが、焦りがにじみ出てしまったようである。すぐに、彼女からの返信が届き、「20年来だから、確信したね。ぜったい、一筋縄じゃないね。」というものだった。その後、ただ遅れただけで、他意はない旨のメールを送ったが、彼女には、もうばればれだったようである。やっぱり、長年の友達には、私の行動パターンを読み尽くされているものらしい。お土産を見た彼女からは、普通の受け取りましたというお礼のメールが届いた。彼女を笑わせるためには、私は、まだまだ修行が足りないようである。
2002.10.09
ディズニーランドに行ってきて、一つ重大な忘れ物があった。高校時代からの友人Tさんへのお土産を忘れていたのだ。それに気がついたのは、ディズニーランドから帰ってきた翌日、Tさんからメールを読んだ時だった。「お土産なんて気にしなくていいからねー。」というもので、もちろん、これは、催促メール以外の何者でもない。初めてのディスに-ランドということで、舞い上がっていたのと、私と主人の実家へのお土産が結構多くて、Tさんを思い出さなかったこともある。それに、彼女は、甘いものを一切食べないし、ミッキーやドナルドなどのキャラクターをあまり好まない、珍しいタイプの女性なのだ。そのため、ディズニーランドのお土産売り場で、彼女が喜びそうなものは、何一つ無く、故に、すっかり忘れ去ってしまったのである。さて、余分に買い合わせたものは、なにもない。我が家用に買った物は、プーさんのぬいぐるみ(娘用)だけであり、彼女にまわせるものがない。考え抜いて、考えても解決策は浮かばず、1週間が過ぎた日曜日、我が家は、紅葉を見に富士山の新5合目までドライブに出かけた。そこで、私の解決策は、ひらめいてしまったのである。そこで買ったのは、「富士山に行ってきました!!」と箱の表大きく書かれた、観光地でよく売っているクッキーと、彼女の好きそうな、抹茶羊羹(甘いものでも、和菓子は食べるらしいので)。そして、今日、昼間は彼女が留守なことを見越して、ポストにお土産を入れ、Tさんにはメールをしておいた。「遅くなってごめんね。ディズニーランドのお土産、ポストに入れておいたから。」もちろん、富士山の新5合目で買ったお土産2つは、東京ディズニーランドの袋に入れておいた。はてさて、彼女は、私のこのお茶目な(自分で言うな!)ジョークを受け入れてくれるだろうか・・・
2002.10.08
我が家の門の脇に、高さ2メートルほどのもみじの木が植えてあリ、そのもみじの下に車を置いておくのだが、1ヶ月ほど前から、車に小さなフンが落ちてくるようになった。そして、最近では、そのフンの主が木から、ポトポト落ちてくるようになった。そのフンの主とは、体長2センチ弱の、見事な蛍光黄緑色をした毛虫君なのである。見るだけで、鳥肌が立つその気色悪い色合いは、本当に天然ものかと疑いたくなる。落ちてきて、砂利の上にひときは鮮やかな蛍光黄緑が、もぞもぞ動いているのだから、気持ち悪いことこの上ない。たまに、車のサイドミラーの上にも落ちているのだが、いくらスピードをあげて走っても振り落とされない。スタントマンも真っ青である。問題は、娘が、この周りで遊ぶことである。まだ、1歳少々の娘は、何でも口に入れてしまう。これ以上想像したくないので、話を先に進めて、万が一のことを考え、私は、落ちてきた此奴等めを、成敗することにした。奴等に恨みはないが、娘のためである。傘をさし、木をゆすり、落ちてきた奴等を片っ端から踏んづけるという原始的作戦を実行した。落としては踏み、落としては踏み、10数匹の駆除に成功した。とても気味の悪い作業ではあったが、娘のためと思うと出来てしまうものである。これで、とりあえずは大丈夫。様子を見て主人にでも消毒してもらおうか・・・なんて、考えていたのだが・・・私が、重大な過ちを犯していたことに気がつくのは、それから、数時間後のことになる。夕飯の片付けが終わり、お風呂に入ろうと、脱衣所で靴下を脱いだ時、私は、わが目を疑った。靴下の裏に、あの蛍光緑色の、直径1.5センチほどのシミが出来ていたのだ。そういえば、自分の靴で踏むのは嫌なので、主人のサンダルを履いて踏んづけていた。ということは・・・・「うわっー----何も考えないもんね-----!!」自分の考えが先に進まないように、大きな声で一人言を言いながら、私は靴下を洗濯機に投げ入れたのだった。幸いなことに、靴下は、1度の洗濯で、またもとの白さを取り戻した。
2002.10.06
車のナンバーが、以前は、地名の後の数字が2桁っだったものが、3桁に変更され、自分で好みの数字を選べるようになった。どうやら、「品川 300」とか、「静岡 500」というのは、番号を選ばずに、通番で取ったもので、「湘南 332」とか、「足立 552」というのが、自分で選んだものらしい。信号待ちや、駐車場などで、この変則的3桁(「静岡301」など)を見ると、どうしてこの人、このナンバーにしたのかしら、と考えてしまう。「・808」というナンバーだと、8月8日が誕生日なのかなとか、「・777」は、パチンコ好きなのだろうか・・・と暇つぶしには、もってこいである。主人の友達は、「7087」というナンバーをつけている。彼の名前は、オザワさんであるが、何故、その前に「7」がついているのかと言うと、「ラッキーセブン オザワ」なのだそうだ。こればかりは、私の推測の域をはるかに越えていた。銀行のとても冴えない男の子は、「9284」というナンバーだった。聞いてみると、自分の名前「クニヤス」をつけたという。やっぱり冴えないやつだ。二十歳過ぎて、幼稚園じゃないんだから、自分の持ち物にいちいち名前をつけるなよ・・・と思った。そして、先日、「7878」という、ナンバーを見つけた。もちろん、3桁の番号は、「332」であるから、自分で選んだに違いない。「7878」・・・「ナハナハ」なんて、せんだみつおのファンなんだろうか。謎が深まり行く秋である。
2002.10.05
夕飯の支度をしていた時のこと。今日は、キュウリの酢の物でも作るかと、キュウリ2本をスライスして塩もみにした。ワカメも水で戻して、さて、調味料を合わせるという段階になって、酢が切れていることに気がついた。酢が無ければ、どんな達人にも酢の物ができない。でも、ここまで準備して、もう引き返すことはできない。酢の物以外に振り替える応用力なんて私にはないので、ここは、何とかして酢の物を完成させねば、と脳ミソをフル回転させて・・・・チ~ンひらめいた。私は、冷蔵庫を開け、扉に入っている「ゆずポン」を取り出し、ボールに入れると、適当に砂糖を入れた。ゆずポンには、醤油と酢が入ってるから、これに砂糖を入れればゆずも入った三杯酢のできあがり、私って天才かも・・・。うまくいったら、伊東家の食卓に、裏技で出そうかなんて、取らぬ狸の皮算用をしながら、味見をしてみたのだが・・・ガ~ン、何だか、甘くなった味ポンなだけで、三杯酢には程遠い。でも、キュウリとワカメが入れば、酢の物らしい味になるかも、と思い混ぜてみるものの、やはり、甘口の味ポンにキュウリとワカメを和えた味。手直ししようにも、もう、手立ては無いし、だんな様が帰ってくる時間は、刻々と近づいてきている。わたしは、ええいとそのまま器に盛り付けてしまった。あとは、野となれ山となれだ。そして、夕食の時間。何も言わずに、出した酢の物は、娘が手を突っ込んで、キュウリを散らかし、主人は一口食べて後は、箸をつけず、出したときから大して減らぬまま終わりを迎えた。途中までは、成功かと思ったものの、結局は大失敗。台所で、一人寂しく、酢の物をほうばりながら、私は、「バンザ~イ・・・なしよ・・・」とつぶやいたのだった。※注釈※「ばんざ~い・・・なしよ」とは、25年位前に放映されていた「スター誕生」で行われていた。合格者が出ない日に、番組エンディングで、萩本欽一さんがお客さんと一緒に、「ばんざ~い」をした後に、やや斜めに手をかしげて、「なしよ」と残念そうにするものである。30代の人なら、分かると思うのですが・・・
2002.10.04
私が、初めてパソコンを手に入れたのは、今から14年程前のこと。まだ、パソコンのデータ-をカセットテープに取れていたころである。フロッピーディスクも、やたらとでかかった。メモリーが、64バイト(キロバイトではない)だったと記憶している。NECの98シリーズが幅を利かせていたが、高価なため買えず、その一ランク下の、PC88シリーズのものを、親に駄々をこねて買ってもらった。当時は、マイコンショップ(今のパソコンショップのようなもの。非常に、マニアックな人しか行かないような小さなお店)で購入したが、今のような、丁寧な説明も、アフターケアーもなかった。私は、パソコンは、今のように、何でもできる魔法の箱だと思っていたしかし、当時のパソコンは、ウィンドウズのような便利なOSなどあるはずもなく、自分でプログラミングしなければ、計算すらできない代物だった。そんな基本的なことを、買ってから初めて知ったのだった。数学を、最も苦手とし、親の敵ほど憎んでいる私に、プログラミングなんて、とうていできる芸当ではない。哀れ大失敗、私の大いなる無知のために、パソコンは、出始めの頃のファミコンよりも劣るゲームしかできない、大きな粗大ごみとなってしまった。それから、私は、パソコンアレルギーになり、私には無理なもの決め付けていた。その後、ウィンドウズが出るまで、パソコンに触れることはなかった。そして先日、ふとしたきっかけで、初代のパソコンを、私より少し前に購入し、真剣にプログラミングをやっていた同級生の男の子が、実は、ある有名ゲームのゲームデザイナーになっていると知り、おったまげたのだ。ゲームデザイナーと言えば、今をときめく、花形職業、億万長者になっているに違いない。私も、あの頃からパソコンをやっていたら、今ごろは・・・と考えずに入られなかった。しかし、数学嫌いの私に、数字の羅列のようなプログラミングは毛虫の行列にしか見えず、注視するのが拒まれたのだから仕方が無い。しかし、そんなに数学嫌いなのに、何故銀行員になったのだろう。謎も深まり行く秋である。
2002.10.03
バーチャル農場と言うホームページがある。農場に登録すると(もちろん無料)、2000コミー(農場での架空通貨単位)と、やさがお、キューリップ(農場で育つ、架空の植物)と言ったものの種がもらえ、畑をレンタルして(1つの畑は、1ヶ月50コミー)自分で育て、市場に売ってコミーを稼ぐ。面白いのは、いろいろな種類の植物があって、それぞれを掛け合わせると、別の植物ができたりする。それが高く売れたりするのだ。育て方も、それぞれ水分量が違い、本当の植物を育てるように、気を使わねばならない。つまり、植物を育てて、市場で売り、金を稼いでいくゲームなのだ。お金持ちになると、何十万コミーか支払って、馬を買い、馬主になることもできると言う。ゲームの中くらい、大金持ちになったるで~という、下心満々でこのバーチャル農場を始めたのは、1ヶ月ほど前のこと。最終目標は、もちろん馬主になることである。すると、初めてすぐに、見ず知らずの方が、20000コミーも私に送ってくれたのだ。初心者さんがんばってと言うもので、寄付のようなものらしい。どうやら、このバーチャル農場、見ず知らずの人間に、20000コミーもの大金をポンと放り出してくれる程の億万長者がいるらしい。実生活にもいてほしいものだが、それは、置いといて・・・畑のレンタル料は、1面1ヶ月につき、50コミー程で、種も、100コミーから500コミー位で手に入る。そうなると、20000コミーもあれば、手広く農場経営を始めて、どんどん金が雪ダルマ式に増えて・・・なんて考えたのだが、結局のところ、レンタルしたのは、畑16面の農場一つ。これは、1回のログインで手入れできてしまう小さなものである。やっぱり、20000コミーもの大金を手にしてしまうと、桁が多すぎて、一度に使いきれない貧乏性なのである。畑にも、いちばん簡単に育てられるものばかり植えて、気ままに花を交配するので、高額の植物がなかなか手に入らない。故に、金は減るばかりで、一向に増える気配はない。赤字経営者である。やはり、大雑把でいいかげんな、私のような性格には、経営者は向いていないのだと、こんなゲームで再確認してしまった。そして、よく銀行員を10年も続けられたものだ。10,000円以上が計算できないのにもかかわらず・・・馬主どころか、破産が近い今日この頃である。・・・バーチャル農場に興味を持った方、私のお気に入りのところに、バーチャル農場入れておいたので、行ってみてくださいな。
2002.10.02
フジテレビのニュースを見ていたら、木村太郎氏が、似合わないカッパ(レインコートと言えない私)を着て、城ヶ島から中継をしていた。顔が大きいのに、カッパのフードを被っているため、さらにそれを強調して、なんともおかしい姿だ。スタジオで、気取ってコメントしていた面影はない。雨にバシバシ打たれ、ご老体に鞭打っての台風実況中継は、痛ましいの一言である。なのに、木村氏の音声がつながらず、口をパクパクしているだけの情けないお姿だけが流れた。ところが、そんな木村氏に対し安藤アナは、「木村さん、音声がつながったらお願いしますぅ。」と、ささっと切り、次の中継につないでしまった。あぁ、無情、木村氏必死のレポートはお茶の間には届かなかったのである。こういう台風中継は、新人アナウンサーがやるものと、相場が決まっているはず・・・なのに、何故、木村太郎?安藤優子の陰謀か、はたまたプロデューサーの太郎いじめか、木村太郎リストラへの第一歩か!?音声がつながらなかったのも、わざとじゃないか・・・なんて思ってしまう、勘ぐり深い主婦なのでした。
2002.10.01
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