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「バウリンガル」という、犬の鳴き声を分析して、犬の気持ちを教えてくれるおもちゃがあるという。そんなに、日本の科学技術が進歩しているのであれば、犬と言わず、赤ちゃんの泣き声分析して、赤ちゃんの気持ちを教えてくれる「バブリンガル」でも発明して欲しい。例えば、赤ちゃんが「ホンギャ~」と泣けば、「オッパイ頂戴!!」だとか、「ウギャーーー」と泣いたら、「うんちして気持ち悪いでちゅ。」「ホゲ、ホゲ、ホゲ・・・」は、「ママ抱っこちて。」なんて。きっと、子育て中のママに飛ぶように売れるに違いない。こんな素晴らしいアイデアをメーカーに提示した私は、その報酬の代わりに、うちの娘専用の、「ダリリンガル」を開発していただくだけでいい。お金なんて要らない。うちの娘が、毎日毎日言っている「ダリダリダリ~」という、意味不明のダリダリ語。最近では、自ら作詞作曲でもしたのか、独特のリズムまわしもついて、「♪ダリダリダーリ、ダリダリ~♪」と絶好調である。このダリダリ語を、ぜひ「ダリリンガル」で解明してみたい。そして、わがままを言わせていただければ、「逆ダリリンガル」を開発してもらい、私の言葉を「ダリダリ語」に翻訳して、私がどんなに怒っているか、娘に伝えて欲しい、今日この頃である。
2002.11.29
2002.11.28
よく女性タレントがテレビで、「スッピンの顔だけは見せられない。」とか、「化粧してなかったら、誰だか分からない。」と言っていたりする。私にとっては、これはある意味羨ましい。なぜなら、私は、化粧しようとしまいと、何の変化も期待できない顔だからだ。その秘密は、ちんまりとした目のくっきりとした(?)奥二重にあると思う。片目をつぶり、そのまぶたの上に、くっきりとアイラインを書き、何色にも華麗なグラデーションをアイシャドウで施しても、パチッと目を開けると、それらの苦労は、すべて奥二重の溝に埋もれて、表に出てくることはない。あんなに苦労して書いた私のアイメイクは、瞬きのほんの一瞬しか垣間見られないのだ。しかし、もっと悪いことには、目のふちにアイラインを濃く書きすぎると、奥二重の性質上、アイラインが溝の重なりでまぶたの真ん中にもう1本出来てしまうのだ。それに、マスカラをした所で、奥二重の肉がまつ毛の上に重なるので、何をしても、まつ毛は長く見えない。そんなわけで、アイメイクはまったくしない。眉毛は書くが、尻尾を書き足すくらい。口紅は、適当に塗る。どうせ食べ物を食べればはがれてしまうし、塗りなおすのも忘れるので。ファンデーションは、以前、肌色の靴墨のようなもので、肌に負担をかけるだけと聞いたことがあり、つけていない。その代わりに、ほんのり色がつく程度の、肌色の色つき乳液のようなものを使っている。そんなわけで、私は、お化粧しても、すっぴんと大差ない顔になるわけである。たとえ、テレビの変身メイクコーナーに出演し、有名メイクアップアーティストの手にかかっても、この何でも隠してしまう奥二重はプロだって、お手上げだろうと思う。だから、メイクで別人になれるというのが、ある意味羨ましいのである。
2002.11.27
娘と二人、図書館に出掛けた。私は、ホームページの勉強をすべく、HTMLの詳しく出ている本など借りようと思っていた。娘の絵本もいいものがあったら借りたかったし。図書館に着くと、娘はもう大はしゃぎ。広いし、おもちゃ(本)は一杯あるしで、私が、本を探している隙に、すぐにどこかへ脱走してしまう。娘がいないことに気づいて、慌てて探し始めると、とんでもない遠くにまで一人で行っていたりする。この間まで、人見知りがひどくて、私の周りから一歩も離れられなかったのに。進歩したものである。脱走した娘を捕獲し、小脇に抱えて、お目当ての本棚に戻り、本を探し始めると、また逃げる、また捕獲の繰り返し。しばらく、本探しに没頭して、娘がまた脱走していたことに気づいた。周りをきょろきょろしても見当たらないので、探す範囲を広げてもまだいない。何だかチョット心配になってきた。あちこち探すうちに、遠くに、きょろきょろしている娘を発見した。「ママ~、ママ~。」と、私のことを探している様子。自分が脱走したくせに!!そっと娘に近づくと、娘は、私に気がつかず、ちょっと不安げな表情。そして、私を見つけた瞬間、ニコニコっと笑顔になり、「ママ、いた。」と言った。うん?待てよ、「ママ、いた。」って・・・・きゃー、初めて二語文話せた!!「ねえ、もう一回、『ママ、いた。』って言って。」と、娘を抱っこしながら言うと、娘は、「ママ、ダリダリダ~。」ガックリ。その後は、一度も「ママ、いた。」とは言えず、幻の二語文となった。空耳ではなく、ちゃんと言っていたはずなのに・・・
2002.11.26
私の車の前後左右には、小さな擦り傷が少しずつある。決して、大きな傷ではない。左のバックミラーは、ほんの少しブロック塀にこすってしまい、少しだけ塗装がはげている。前後ろのバンパーには、やはり同じような理由の小さな擦り傷が数箇所あり、タイヤのホイールにも、歩道の縁石に少し擦ってしまった跡が残っている。思うに、車両感覚が、微妙に足りないのだろう。あとほんの少し足りないので、小さな擦り傷を、車体につけてしまうのだと思う。この微妙な車両感覚のなさが、実生活にも表れている。居間から台所へ行く時に、毎日何度と通る引き戸に時々、足の小指だけ、引っ掛けてしまうのだ。その痛いことといったら!!「ヲアイウガーーーー!!!」と、言葉にならない叫び声をあげてうずくまってしまう。靴下を履いているときは、まだいい。素足でこれをやってしまうと、小指は、ガードされるものもなく、思いっきり引き戸にぶつかり、薬指から不自然に引き離されてしまうため、あまりの痛みに私はしばし立ち直れなくなる。ひどい時には、軽い捻挫になってしまい、腫れて靴も履けなくなってしまったのだ。1日に2回も、小指だけを打ち付けてしまうこともあり、私の小指は、いつも少しだけ痛い。そう、ぶつけるのは、いつも小指なのだ。薬指も中指もぶつけたことはない。自分の体は、これだけの幅があるという感覚で、ドアをくぐる時、なぜか、微妙に小指の分だけ、足りないのだろう。微妙に足りない車両感覚に通じる、微妙に足りない体幅感覚なのだろうか・・・・
2002.11.25
パパの高校時代の友人4人、そのうちの一人のお友達の女の子(19歳!!)そして私たち家族と、ドライブに出かけた。行き先は、山梨県にあるサントリー白州工場とシャトレーゼ白州工場の工場見学。もちろん目当ては、無料試飲と試食である。まず、最初にサントリー白州。きれいに整備された森の奥に、広大なウィスキー工場が建てられている。娘は、工場内の見学には、もちろん興味は全く示さなかったが、外に出ると、広くてきれいな森の広場で、走り回って楽しんでいた。さて、待ちに待ったウィスキーの試飲になると、男性陣が大喜びで、何度も試飲のお代わりをしていた。その試飲に出されていたウィスキーは、通常一瓶4~8千円もするものであり、飲まなきゃ損、と言わんばかりだ。私は、一口なめただけで、ギブアップ。ウィスキーなんて、どうして飲めるのか不思議だ。香りも味もきつすぎる。私と娘は、お皿にほんの少し盛られた、チーズやチョコレート、あられなどのおつまみを楽しんだ。さて、次に、シャトレーゼ白州工場を目指した。ここは、お菓子の工場で、アイスクリームが試食できるという。こっちの方が、ウィスキーよりも得意分野である私は、工場見学も上の空に、最終目的のアイス試食を目指した。スーパーにあるような、アイスを入れて売っている冷凍庫がいくつも並び、その中から、好きなアイスが、好きなだけ食べられるという。喜んで、アイスを食べ始めたのだが、おいしいと思ったのは、最初の2口3口。いくら室内が暖かくなっていると入っても、この寒い季節にアイスクリームは、食欲をそそらないらしい。娘にも手伝ってもらったが、1歳4ヶ月の娘が、アイスをパクパク食べれられる訳もなく、ほんの少しなめるのがやっと。試食なので、残してはいけないと思い、残り3分の2は、無理をして口に押し込んだようなものだった。ふと、一緒に来ていた19歳の女の子を見ると、最初に選んだアイスクリームとは、違うアイスを食べ終わろうとしていた。ぺろりと2個目のアイスクリームを食べ終わると、また冷凍庫の前に行き、新しいアイスを物色すると、3個目のアイスの袋を空け、おいしそうに食べ始めたのだった。アイス3個・・・・例え、アイス3個食べたら10万円上げると言われても、私には、絶対に食べられない。この寒い季節に、体は、アイスを受け付けない。いや、待てよ、19歳の頃だったら、やっぱり軽く食べられたかも。朝食から、ビックチキンカツ弁当を完食したこともあったし。やっぱり、若さって素晴らしい!!と、妙な感動を覚えた、私なのだった・・・そして、私も年を取ったのね・・・・
2002.11.24
なぜ、昭和57年から続いているなんて断言できるのか。昨日の日記からも推察できるように、私は物覚えの悪いタイプだ。その私が、なぜこの癖を昭和57年から続いていると、タイトルに出来るほど断言できるのか!?それは、そこに書いてあるから。そことは、500円玉の表(裏?)にである。私の癖とは、つい500円玉を集めてしまうことなのだ。おつりで500円玉が来ると、その日1日ラッキーデーのようにウキウキすらしてしまう。例えば、600円の買い物をした場合、1,100円渡して、500円のお釣りをもらう念の入れようだ。昭和57年、今からちょうど20年前、私はまだかわいい(?)小学生だった頃、岩倉具視の500円札に変わって、新500円玉が発行された。ニュースでそのことを知ったのだが、現物の500円玉は、なかなか私の手に入らなかった。何せ小学生なので、500円といえば大金で、そうそう巡ってくるものではなかったのだ。そして、発行から1ヶ月ぐらい過ぎ、ようやく母がどこかのおつりでもらってきた500円玉を、私に初めて見せてくれた。初めて触る、大きな硬貨にドキドキしたものである。それ以来、500円玉に対しては、なんだか手に入りにくいイメージ定着してしまい、今では、10円玉や100円玉と、大して変わらない存在の500円玉なのに、もらうと、そっと財布の隠しポケットに入れる癖が今も抜けない。だからって、貯めるわけでもなく、家計の苦しいときの助っ人として活躍してもらっているのだが。500円玉で一杯にすると10万円貯まるという貯金箱も持ってはいるが、そこに500円玉を入れることはまずない。何だか、入れるのももったいないくらい、愛着を持っている、500円玉なのだった。(貯めないことへの言い訳に聞こえるが・・・?)
2002.11.22
一番最初の出会いに、間違えて名前を覚えてしまったために、いつまでたっても、正しい名前が覚えられない・・・そういう経験はないだろうか。私の場合は、「エリンギ」(あわび茸)を、「エンリギ」と、最初に覚えてしまったために、いまだに、頭の中で「エリンギ」と「エンリギ」を発音し比べないと、どちらが正しいものだったか、分からなくなってしまう。まだ他にもある。私は、幼い頃、右と左の概念を覚えるのに失敗したらしく、いまだに、右はお箸を持つほう、と考えないと、右か左か、分からなくなってきてしまうのだ。だから、当然助手席に座ってのナビは大変なことになる。「そこの道を、右・・・・じゃなくて左かな?・・・やっぱ右だ。」なんて、言うから、パパにとても怒られてしまう。右左が苦手だと、当然、東西南北もお日様が昇るほうが東、夕日が見えるほうが西、富士山が見えるほうが北(私の住んでいるところでは)なんて、考えないと分からなくなるため、間違えることは右左よりも多い。そうなってくると、皆様、私は相当の方向音痴かと思われるだろうが、方向感覚は、冒険野郎並にいや、犬の帰巣本能並、行きたい場所には、地図を見ながら一発でたどり着けてしまうのだ。ご期待に添えなくて申し訳ない。言葉の最初の覚え方に躓きがあると、いつまでも修正できないタイプのようだ。これを立証するかのように、私の血のつながった叔母は、「セブンイレブン」のことを、いまだに「イレブンセブン」と言っているし、「キャンディーズ」は「蘭ちゃん、ミーちゃん、スーちゃん」だと、言い張っている。たぶん、遺伝なのかもしれない。(本当は、本人の覚えの悪さを遺伝と言い切るこのずうずしさ!!)
2002.11.21
福沢君、いつも知らぬ間に、私の前からいなくなってしまう。今朝、会えたと思ったら、お昼頃にはさようなら。もっと一緒にいたいのに~。・・・この日記は、主婦の禁じられた恋の告白日記などではない。勘のいい方なら、福沢君でピンと来ているかと思うが、そう、1万円札の福沢諭吉君と私との一方通行の恋(?)を描いたものである。朝、台所の秘密の生活費隠し場所より取り出した1万円札。お財布に入れて、何でも買えるぞ~なんて、チョット気が大きくなるのもつかの間、すぐに、数人の夏目漱石君に変わっている。お給料前は、福沢君の顔すら忘れてしまいそうなほど、お会いできないし。福沢君、たまには、10人位でまとまって、私のお財布に遊びにきて見ない?・・・銀行員時代は、毎日福沢君を数えていたし、何千人もの福沢君、もって歩いていたのに(もちろん私のものではない)・・ねぇ・・・
2002.11.20
最近、娘に、赤ちゃんや子供がいると、「あ、おともだちいたね。」と言っていたら、「おともだち」と言う言葉を覚えたのだが。「あ、あそこに、おともだちいたよ。」と、私が言うと娘は、「おたたったったたちっ!!」と、力一杯言ってくれるのだ。北斗の拳でケンシロウが、「あたたたたたたたー。」と言って拳を出してるような、そんな感じにすら聞こえる。「お・と・も・だ・ち、でしょ。」と、私がどんなに教えても、「おたたたたったったたたたち!!」と、「た」ばかりが増えていく一方。「お友達。」と言いたい気持ちは十分伝わるので、これでよしとするか。しかし、子供や赤ちゃんを見るたびに、言うので、娘は外に出ると、ずっと「おたたったったたたたたちっ!!」を力一杯連発している。そして、お友達はというと、不審な顔で逃げていくのであった・・・・娘は怒鳴って言っているので、怒っている風にしか見えないから仕方がないのだが。そのことに、もちろん娘は気づいていない。「おたったたたたったたたち!!!」おいおい、ともだち減るよ・・・
2002.11.19
昼食に、3人で近所のラーメン屋さんに出かけた。ラーメンって、ふと無性に食べたくなるのだが、子連れの一人でラーメン屋に入る勇気はなく、今日は、パパがお休みだったので、やっと念願かなって、ラーメン屋さんに行けた。ここの所ずっと食べたかったラーメンで、店内に入り、匂いをかいだだけで、胃が活性化され、パワー全快、ラーメンのほかにレバニラ炒めとライス(小)まで注文してしまう。「そんなに一人で食べられるのか~。俺は、ライスは食わんぞ。」と、パパに言われてしまうが、胃の欲望ない押さえられなかったので、仕方がない。娘は、ご機嫌に、店員さんの持ってきた、子供用のお皿とスプーンで遊んでいた。すると、娘が上のほうを指差して、「ママ、ママ。」と言い始めた。何があったのだろうと、娘の指差す方を見ると、ラーメン屋さんの油で少々茶色くなった壁に、季節外れに真夏の生ビールのポスターが貼ってあり、そこには、ビキニ姿のないスバディーの女性が、生ビールのジョッキを片手に、微笑んでいたのだ。「えっ、この人、ママ?」と私が聞くと、娘は、何度も、「ママ、ママ・・・ママ。」と言てっくれる。「やっぱり、ママ、こんなにきれいかぁ~、フフフフ・・・」と喜びを隠せない私に、パパが一言。「そういうママがほしいよ~って言ってんだよ。どう、比べたって全然違うじゃんか。こんな素敵なママだったら、俺だって、どんなにうれしいか・・・」まぁ、なんとも憎らしいことをつらつらと言ってくれる。しかし、パパの言葉なんて、さっと聞き流して、「ママ、この人くらいのナイスバディーだもんねぇ、かれんは、知ってるもんねぇ。」と、頭をいい子いい子してあげた。きっと、子供の素直な目から見たら、私もああ見えるかもしれない。これまで、私には、ちっともいいことしてくれなかった娘も、少し反省してこんなカワイイこと言ってくれたのか、なんて思ったりして。と一人満足し、ラーメン、レバニラ炒め、ライス(小)を、一人で平らげた私であった。それだけ、食べる人が、とてもあんなナイスバディーだとは思えないのだが・・・
2002.11.17
私が、台所で色々と片付けごとをしていると、いつもなら、絵本を持って、読んでとせがんでくる娘が来ない。パパと二人で居間にいるはずなのに、声もしない。はて?と思い、居間に戻り、そっと中ををのぞいてみると・・・・二人は、ソファーの上で、ひっしと抱き合っていたのだ。「何してんの、そこの2人!!」と、私が声をかけても、抱き合った二人、微動だにしない。娘は、パパの首に手を回し、手をパタパタして、パパをよしよししている。パパは、娘を抱きしめて、もう、岩のように動かない。しばらくして、ようやく離れた二人は、少し見つめあい、まるで恋人同士のよう。それを、嫉妬交じりの目で見つめる私は、役回りで言うと、恋人を取られてしまった少し年増の元恋人、目尻のしわが気になりだした途端、ピチピチギャルに恋人をさらわれたと言うところか。しかし、パパは、ものすごい照れ屋で、私にはプロポーズすらしていないのに、娘に対する、このストレートなまでの愛情表現。たまには、私にも見せて欲しいと思う、一人たたずむ、元恋人役の年増・・・もとい、私であった・・・・・(涙)
2002.11.16
車を運転しながら、ラジオを聞いていると、新作映画の予告宣伝が耳に入ってきた。デンゼル・ワシントン主演の「ジョンQ‐最後の決断‐」と言う映画だ。内容のあらすじに耳を傾けてみると、貧しさのために、心臓移植が受けられず、このままではただ死を待つのみという息子のために、病院を占拠し、息子を移植者リストに入れるよう要求する父親の話だという。何だか、あらすじを聞くだけでも、涙が出てきそうな話ではないか。子供をもつ親ならば、子供のためなら、見を投げ捨てでも子供を救うものだ。ふと、以前テレビでタレントの関根勤さんが話していたことを思い出した。関根さんは、自身一人娘さんをお持ちでかわいくてしょうがないと言う。そのことを、たとえ話で話されていて、「例えば、娘が、病気になって、僕の心臓を移植した助かるって、医者に言われたとするじゃないですか。そうしたら、僕は、医者の質問が終わるのも待たず『移植します』って即答しますよ。」と言っていた。このテレビを、パパと一緒に見ていたのだが、パパも、うんうんと頷いていた。パパも娘には心臓移植するらしい。それを聞いた、司会者が、「じゃぁ、奥さんが、あなたの心臓を移植したら助かるって言われたら?」と質問すると、「・・・・チョット考えさせてくださいって言いますね・・・。娘なら、即答しますけど、妻はねぇ・・・」と言葉を濁していた。私が、ジッとパパのほうを見ると、パパは、「・・・・考えさせてください。」と言って、私に頭を下げてきたのだった。そりゃ、娘と比べたら、負けるのは分かっているけど、嘘でも、「移植するさ、君のためなら。」なんて、目をキラキラさせながら言ってほしかったのに。「私は、娘にもパパにも、私の心臓くらいいくらでもくれてやるぞ。」と私が言うと、パパが、「嘘つけ。」と疑りの目を向けていた。確かに、少々強がりの台詞だったかもしれないが・・・娘だったら、確かに即答するけど、それがパパだったら、話を聞いたお医者様に、「そこをなんとかなりませんかね・・・」なんて、交渉は少々してしまうかもしれない。でも、パパに心臓移植してあげると思う。たぶん・・・・
2002.11.15
パパが、最近、珍しく相撲を見るようになった。今まで、スポーツと言えば、巨人しか興味がなかったくせに。どうして相撲も見るのか聞いてみると、「高見盛がいいんだよ。」とのご返答。私は、相撲の時間は、ちょうど夕飯の支度で忙しいのだが、手を休めて、チョット拝見することにした。若貴兄弟のフィーバーにのった、にわか相撲ファンだった私にとって、相撲を見るのなんて、10年ぶりくらいのことだった。さて、お目当ての高見盛が登場した。大きくもなく、小さくもなく、いい男でもなく、不細工でもなく。見た目は、ごく普通のお相撲さんみたいだけど。「よーく見てろ、ここからが面白いんだ。」とパパが言った時は、時間一杯、最後に塩を取りに行く高見盛が画面に映っていた。タオルで体の汗を拭った高見盛は、突然、力一杯、自分の顔や胸、腕を叩き始めたのだ。しかも、グーで、これでもかと言うほど力一杯にだ。顔は、真剣そのもの、悲壮感すら漂っている。なんだか、(この勝負に勝って、おっかぁに、暖かいセーター買ってやるだ。おっかぁ待っててけろ。)と、いう彼の心の声が聞こえてきそうだった。(実際は、そんなこと思っていないと思うが・・・)以前、水戸泉が「ソルト シェーカー」の異名を取るほどに、大量に塩を投げて、有名になったが、あのパフォーマンスよりも、強烈なインパクトがある。しかも、(たぶん)ご本人は目立とうとしてやっているのではない。すごく純粋に、相撲頑張ろう、と気合いを入るための儀式のような感じでこちらも、何だか応援したくなってきてしまうのだ。「な、面白いだろ。」とパパが得意そうに言った。確かに、これは見る価値があるかもしれない。声を限りに、高見盛を声援するもむなしく、武双山に負けてしまった。高見盛の寂しげな後姿には、(おっかぁ、明日はがんばって、おっかぁのセーターさ買うで、まっててけろ・・・)と、言っているかのようだった。(あくまで、私の想像の台詞)かくして、今日、また一人高見盛のファンがここに誕生した。明日こそ、勝って、田舎のおっかぁにセーター送ってやれ!!(しつこいようであるが、本人は、そんなことは考えていないと思う。)
2002.11.14
昨日、無事終了したシャンプーの代わりに、新しいシャンプーを購入してきた。今回は、「特売に騙される」なをモットーとし、有名人気女優YさんのCMで、前から気になっていたシャンプー&リンスをセットで購入してしまった。キャッチコピーの「パールの輝き」に心惹かれていたのだ。テレビのコマーシャルでも、人気女優Yさんのサラサラストレートヘアーが、このシャンプーを使えば、あなたもこうなるのよ~と訴えかけているようだった。本当は、シャンプーが切れただけなのだから、シャンプーだけ買えばいいものを、なんだか、シャンプーとリンスをセットで使わないと、サラサラにならないわよ・・・と有名人気女優Yさんのポスターが、私に言っているような気がして、つい、リンスまで買ってしまったのだった。さて、ワクワクしながら、使ってみると、香りは、特売のものより断然よい。そりゃ、特売の3倍の値はするのだからあたりまえであるが。楽しみなのは、乾かしてからのサラサラ感。ドライヤーで乾かしてみると、おぉ、サラサラとしてくるではないか。気分は、上々、鼻歌交じりにドライヤーを続けようとしたら、うちの娘が、足にまとわりついてきた。パパが、娘と遊ぶのに飽きて、テレビを見始めたらしい。まったく、まだ30分も経っていないのに。仕方なく、髪は半乾きのまま娘と遊び、眠くなってそのまま寝てしまったのだ。ハッと目がさめ、朝を迎えたときには、悲惨な状況となっていた。半乾きのまま寝たために、下にして寝ていた右側はペッタリ、左側は、見事な外はね、後ろは、すべて右側に髪が流れる、最悪な寝癖となっていたのだった。しかし、どうして寝癖は、水で濡らしても直らないだろうか。ずっと、髪が左全体に流れているという、一目で分かる寝癖ヘアーの私に、サラサラになったかどうかなんてことは、もうどうでもよかった。考えてみれば、女優さんなんて、専属のヘアーアーティストがいつもブローしてしてくれ、何時でも、ベストな状態なのだ。あぁ、子育て中主婦の私が、あんなサラサラへーを望めるはずがないことを今ごろ気がつくなんて・・・・今回は、CM戦略に踊らされてしまった。つくづく騙されやすい主婦だ。それにしても、使い残した特売のリンスはどうすりゃいいんだ。
2002.11.13
今日、やっと、私のシャンプーを、最後まで使い終わることができた。長い長い道のりだった・・・・あれは、遡ること半年前。近所の安売りのドラッグストアーで、「特売!!980円」の赤い太文字の張り紙に引かれ、大きなポンプ式シャンプーを手にとると、裏に、「サロン用 定価3,200円」なんて書いてある。サロン用というのは、美容院で使われているシャンプーと言う意味らしい。しかも、天然ハーブ配合で、今なら20%増量キャンペーン中につき、1200ml、つまり1.2リットルのシャンプーが980円。普通のシャンプーの3倍はあろうかというビッグさに加え、定価3,200円が、980円なんて、これはお買い得、買わなきゃ損、損・・・・とばかりに、主婦魂に火をつけられてしまったのだ。シャンプーとリンス、それぞれ1.2リットル入り980円を購入した。さっそくその晩、ワクワクしてシャンプーとリンスを使ってみたのだが。使い心地は、悪くはないが、だからと言って特別よくもなかった。サロン用なんて、言うわりに、ちっともさらさらしないし、香りは、ヘンテコなハーブといわれれば、そんな感じの匂いがする。しかも、それはいつ終わるとも知れない、1.2リットル入り。ドンと風呂場に置かれること半年ちょっと。今日、やっと終わったのだ。毎日、少しでも早く終わらせようと、2度シャンプーをし、多目のリンスをつける毎日。その努力が報われたような、そんな達成感すら感じられた。もう、特売には騙されないようにしよう・・・何度、同じ過ちを繰り返してきたことか。だけど、やっぱり特売には、からっきし弱い私なのだった。そうそう、まだ、リンスは少し使い切れずに残ってしまった。こういう場合はどうしたらいいのだろう。シャンプーとリンスとが、同時に使い終わるということはまずないものである。
2002.11.12
こうなれば、3連発、今日は締めくくりとして、「大」の話にいきついてしまおう。お食事中、あるいは直後の方は、ここから先、読むことをお控えください。それでは・・・・我が家は、築30年の木造のため、冬はシンシンと寒くなる。そのため、冬は、台所と居間の間を引き戸で閉じ、暖房が十分行き渡るようにしているのだが、それでもまだ寒い位だ。夜も9時を過ぎ、寒さでパパと私は、居間に閉じこもるのに対し、娘は、一人で、台所へ行ったり、廊下へ出たり、家中歩き回っている。しかも、扉を開けることは出来るが、閉めることが出来ないので、私が、いちいち後を追っかけて扉を閉めて歩かなければならない。そうしないと、温まった空気が一瞬にして冷気に飲まれてしまうからだ。いつものように、娘は外に出たり入ったりしていたのだが、ふと、居間に入ってこなくなった。台所で、ジッと立ち止まっているらしい姿が、引き戸の曇りガラスにぼんやり映った。静かな時は、必ず何かやらかしている時なので、何をしているのか心配になってのぞくと、台所の奥のほうにたたずみ、頭をブンブン左右に振って、「いー、いー」と言っている。どうやら、ほっといて欲しいらしい。私は、パパと顔を見合わせて、はてな?どうしたんだ?という素振りをした。いつもと様子が違う。心配になって、今度はパパが扉を開けてのぞいてみると、やっぱり、首をブンブン横に振るばかり。静かにしているならいいや、と思いそうしていたのだが、しばらくして、そのなぞが解明された。台所から、微かではあるが、「う~ん、うん・・・・は~。」と、娘のいきむ声が聞こえてきた。「うん・・・、うんんん・・・。」と、かなりふんばっている。どうやら、大きい方をしているらしい。でも、普段は、そ知らぬ顔で普通にしているのに、今日に限って、台所の隅のほうで、人知れずにするなんて、急に、大きいのするのがはずかしくなっちゃったのかな、なんて、パパと話をしていたら。ガラッと引き戸が開き、台所の冷気とともに、えもいわれぬあの香りが、ドッとなだれ込んできた。「おまえ~、出たな~。」「へへへへへ。」娘は、恥ずかしいのか、ごまかし笑いしていた。それにしても、部屋中、あの臭い充満してしまったために、温まった空気を、一旦換気せざる終えない、寒い夜だった。もちろん、娘のオムツには、ほんわか湯気の出たアツアツの「大」が、こんもりとされていたのだった・・・
2002.11.11
娘の鼻風邪は、依然、絶好調(?)。鼻の穴と同じ太さの青っ洟が、常に2本たれている。くしゃみをすると、それが怒涛のようにおしよせて、青い鼻水の波が、唇を飛び越え・・・汚いので以下は割愛する。娘の青っ洟を見ていると、なぜかノスタルジックな思いに浸ってしまうのは、何故だろ・・・そう、あれは私がまだ5歳になったばかりで、新しい保育園に行ったときのこと。私は、体が弱く、熱ばかり出していたため、通っていた幼稚園から、親の希望で、自然保育で有名な保育園に越境して通うことになった。そこは、何をするのも自由、決まり事など無い、本当に楽しい所だった。お昼寝も、お昼ご飯も園児が好きなところで出来る。木の上や、遊具の上でもかまわない。泥んこになるのもかまわず、遊び疲れるまで遊ぶことが出来た。私は、幼稚園から転園してきたため、このほぼ野性と化した園児たちに、なかなか馴染むことができなかった。幼稚園では、みんなでお遊戯したり、机に座って絵を書いたり、いわば、小さな小学校みたいなことをしてきたので、この、すべて園児の自由で、何をしたってかまわないということが出来なかったのだ。例えるなら、文明人が、いきなりアボリジニー一族の中に入ってしまったというところであろうか。まぁ、それでも子供だったので、徐々に友達も出来、園の雰囲気にも慣れたのだが、最後まで出来なかったのが、髪の毛まで泥をつけて泥んこ遊びすることだった。どうも、髪の毛を汚くするのが嫌だったのだ。今にして思えば、そんなことできるのは、小さなうちだけだから、是非、頭の先から足の先まで、真っ黒泥まみれになって遊んでみたかった。そして、不思議だったのは、そこの保育園児の80%(推定数値)が、常に青っ洟をたらしていたのだ。私は、体は弱いが、青っ洟を常にたれ続けることはなかった。どうして、私以外の子供たちが、常に青っ洟をたれていたのか、今でも謎である。幼かった私には、自分以外のほぼみんながたれている青っ洟がとても羨ましくもあり、また、おしゃれなアクセサリーでも見るような、そんな憧れの眼差しすらその青い二筋の鼻汁に注いでいたのだったけ・・・なんてことを、娘の青っ洟を見ながら思い出していた。
2002.11.10
例えば、A君が一世一代のプロポーズを、大恋愛中のB子ちゃんにしたとする。「君は、僕の星だ、光だ、太陽だ!!結婚してくれ!!!」でも、神様のいたずらか、A君の鼻の下にチョコンと鼻くそがついていたとしたら、B子ちゃんは、YESの返事をためらってしまうかもしれない。そればかりか、一瞬にして冷めてしまい、「嫌よ。」と言ってしまう可能性だってある。例えば、大好きなアイドルC君が、テレビでアップになった時、鼻の下に、小さな小さな鼻くそがついているのを発見してしまったら、一気に冷めて、どうしてあたし、こんな人に夢中だったの・・・・なんて考えるだろうし、かわいそうなアイドルC君は、有名人なだけに「鼻くそアイドル」なんて、週刊誌の見出しをにぎわしてしまうことだってある。A君もアイドルC君も、ほんの小さな鼻くそに、人生を狂わされてしまったのだ。こう考えると、鼻くその存在ってすごい。人の人生すらも狂わせてしまうのだから・・・なんて、バカなことを考えてしまったのは、娘の鼻風邪が、最高潮に達し、鼻のまわりがガビガビで、取りきれない鼻くそが、いつも顔をのぞかせているからだ。娘が、私に向けるいつもの満面の笑顔も、鼻くそ一つついているだけで、とてもマヌケな顔に変わってしまう。もちろん、私は、娘が笑うたびに大笑いしてしまうのだ。笑うのは、体にとてもいいことらしいので、娘は、知らぬ間に親孝行している、孝行娘なのかもしれない。それにつけても、娘の鼻くそってすごいわ。【本日の日記のお詫び】下品ながら、「鼻くそ鼻くそ」と連呼してしまったことをお詫びします。ただ、「鼻くそ」に丁寧語がなく、「お鼻くそ」と呼ぶのも変だし、だからと言って、親しみをこめて「鼻くそさん」と呼ぶのもいかがなものか・・・と思い、敬称略(?)し、「鼻くそ」という言葉を使わせていただいた。不幸にも、食事中にこの日記を読まれた方には、お詫び申し上げます。
2002.11.09

私は、我が家唯一の「母乳産出人」であるにもかかわらず、娘は、最近私にいたずらしたい放題。私の鼻の穴に指を突っ込むは、自分の鼻水は私のズボンになすりつけるし。トイレ掃除のブラシは、あれからまたやられた。パパには、「パパ~。」なんてカワイイ声出して甘えちゃって。「ママ~。」なんて呼びやしないし。そこで、この不当な扱いに抗議すべく、これまで、無料だった母乳に対し、交換レートにて販売することにした。交換レートは、「1ンマ=1チユー」とする。「ンマ」は、娘が、母乳をせがむときの言葉で、「チュー」とは、私が娘のホッペ(口にも)チユーすることであり、この2つを、交換する際の単位として用いるのとする。故に、今後、「ンマ」と1回言って母乳をせがんだらチユー1回、2回言ったら、2回チユーするから、覚悟しときなさいよ!!**************************昨日の日記に書いた、ビッテ式家庭保育園の記録日記は、別に日記を書くことにしました。第2日記はこちらへどうぞ日記の感想はこちらへ
2002.11.08
以前から、子供のために何かしてあげたいと思いつつも、時の流れに身を任せすぎてしまった私。赤ちゃんの頃から、読みや算数や百科事典の知識まで、子供は、無限に吸収できることを本で知った。それは、娘が生まれて、3ヶ月位の頃、ネットサーフィン中に、偶然、ドーマン式の「赤ちゃんに読みをどう教えるか」という本の存在を知ったことから始まる。この本を、娘が1歳になる頃、偶然、図書館で見つけ、手に取ることが出来た。本を読み感動して、娘にも教えなきゃと、画用紙を買って教材を作ろうとしたのはいいが、私の行動は、そこでストップしてしまった。毎日の、時の流れに身を任せ、何だかやらなくなってしまったのだ。遡れば、胎教の時もそうだった。赤ちゃんに胎教をし、天才を3人も育て上げた、ジツコ・スセディックさんという方の存在をテレビで知ったのはだいぶ以前のこと。それ以来、私も胎教してみたい・・・というのが夢であったのに。いざ、妊娠してみると、ひどいつわりに加えて、仕事もしていたため、とても、胎教をする暇もなかった。むしろ、仕事中は、気分が落ち着かず、怒ってばかりで、胎教としては、劣悪な環境だったと思う。私の胎教したいという夢は、儚くも崩れ去っていた。そして、今回、娘に何かしてあげたいけど、何をどうしていいのか皆目見当がつかなかった私に、一筋の光が見えてきた。「ビッテ式家庭保育園」という、早期幼児教育の教材との出会いである。この教材には、私が今まで本で読んだ、ドーマン式、母乳育児等々、すべてが含まれていた。もちろん、それなりの値段はするし、過去、これだけ時の流れに身を任せてしまった私。やり続けられる不安がよぎったが、ここで、皆さんに宣言したら、続けられるかもしれないと思い、今日の日記に書くことにした。というのも、この私が、日記を2ヶ月以上、しかも、毎日原稿用紙にして2枚ほどの日記を書き続けているなんて、何をやっても3日坊主の私には、奇跡的なことなのである。これも、読んでくれる人が、ほんの数人でもいて、しかも、時には、感想までいただけるなんていう、すばらしいシステムのおかげであると、私は思っている。ここに、少しでも、記録することで、こんな私でも続けられるかも・・・と言う、安易な発想に至ったわけで、娘の発育と共に、書いて行きたいと思っている。どうやって書いていくかは、只今思案中のため、それはまた後日。
2002.11.07
夜、娘が何度も泣いて、しかもおっぱいをあげても飲まずに泣くばかり。我が家は川の字に寝ているため、向こう側に寝ていたパパもたまらずに起き出し、娘を抱っこしてなだめてもダメ。何とか。おっぱいを飲ませて寝かしつけても、1時間もしないうちに、また泣き始める。・・・で、朝起きた時には、私は、寝不足でフラフラになっていた。何で、あんなに泣いたのか?夜泣きの始まり?でも、うちの娘は、1歳4ヶ月なので、今更夜泣きもないと思うし。そして、娘が起きてきたとき、原因は判明した。どうやら、鼻水で鼻が詰まって寝られなかったらしい。起き上がったら、両方の鼻から、タラ~ッと鼻水がきれいにたれてきたのだ。拭いても拭いても、たれてくる。拭こうとすると逃げ、押さえつけても、顔を左右に激しく振るため、鼻水拭くだけでも大変な作業だ。私が、洗濯したり、掃除したりのほんの少しの間、娘から目を離すと、たれてきた鼻水を、自分の手でなでくりつけてしまうため、気がつくと、両方のホッペが、鼻水でペッカリガビガビになっている。そして、鼻からは、見事な2本の青っ洟が吊る下がっていた。昔の子供って、みんなこうだったんだよなぁ・・・なんてノスタルジックに浸っている場合ではない。このガビガビになった鼻水をきれいに拭くのが一苦労なのだ。水でぬらしたティッシュで拭いても、拭いても取れない。そのうちに、くしゃみを一つしたら、娘は、顔中鼻水の大洪水になってしまった。本人も、顔面の鼻水が気持ち悪かったらしく、両手で、鼻水を顔全体に広げてくれた。それじゃあ、気持ち悪さが増すばかりだよ・・・私は、鼻水がでたら、ティッシュを使って簡単にかみ、こんな顔中に広げて、気持ち悪い思いはしない。鼻をかむことが出来るって、素晴らしいことなのね・・・なんて、変なことで、感動してしまう私だった。娘は、今夜はぐっすり寝ることが出来るように、病院へ行って薬でももらってこよう。
2002.11.06
「おーい、なんだか、『ダリダリ』言ってるぞ~。」と洗面所から、パパが私を呼ぶ。行って見ると、歯を磨いているパパの横で、思いっきり背伸びをしながら、「★〇※$ダリ、дёЧダリ~ダリ~ダリ~。」と、訳のわからない言葉に、なぜかダリを加えた、娘独自のダリダリ語で、何かを伝えようとしていた。「自分のハブラシ取れって、言ってるんだよ。」と、私が言うと、パパは、「本当か~。」と疑いつつ、ハブラシを渡してみると、娘の満足笑顔。「ほら、合ってたでしょ。」と、得意げの私。ダリダリ語同時通訳できるのは、世界広しといえども、私一人なのだから。だからと言って、ダリダリ語を話すことは出来ないが。ダリダリ語を話すことができるのは、世界広しといえども、やっぱり、娘一人なのだけど。でも、なんで、「ダリダリ~」なんて言う様になったんだろうか・・・
2002.11.05
少し大きめの公園へ、家族3人車に乗って出かけた。この公園には、高低差2~3メートルあり、滑る面にローラーがついたタイプの少し大きな滑り台がある。うちの娘には、まだ早いかな・・・なんて心配していたのだが、その心配も無用だったらしい。娘は、その滑り台を見るや、一目散に目指していった。一人では、もちろん無理なので、私が後ろに座り、娘を押さえながら滑ったのだが。結構スピードが出て、足でブレーキをかけつつ行かないと、大変なことになりそうだった。(おいおい、こんなにスピードの出る滑り台、子供には危ないじゃん・・・)なんて思ってしまったのだが。滑っている小さな子を見ると、途中スピードが落ちて、手で滑り台の縁を押していたりする。そんなにスピードも無く、ゆっくりとしたペースで降りているのだ。私たち親子だけが、ジェットコースターのようなスピード感を楽しんでいた。ふと、重力の法則(?)を思い出した。重量が増せば、加速度が増す。そっか、私、重かったんだ!!この滑り台を滑っている中の誰よりも!!!っていうか、だんとつに重いでしょうよ・・・子供一人産んだお尻は、漬物石並だし。高校時代に習った物理の知識が、初めて役に立った日だった。でも、加速度の公式なんて、脳ミソ取り出して、ひっくり返して、振ってみてもどこからも、その痕跡すらも、出てこなかったけど・・・確かに覚えたはずなのに、「母さん、物理の公式、どこいったんでしょうね・・・・」映画「人間の証明」風の台詞が頭をよぎったのだった。
2002.11.04
日曜日の朝、悲劇は突然襲ってきた。休みなのでいつもより遅く起きてきたパパは、遅めの朝食をとり、歯を磨くために、洗面台に行った。その時、その後姿を、じっと見つめていたのは、我が家の、お笑い系1歳児。何かを企んでいると、この時、私が気づいていれば、被害は最小限で食い止められたのかもしれないのだが。私は、朝食の片付けを始めた、その時、「をあああーーー。」パパの、声にならない悲鳴が聞こえてきたのだ。私は、手についた洗剤を流し、洗面所に続く廊下に出てみるとそこには・・・トイレの便器洗い用の柄付きタワシを、ブンブン振り回しながら、洗面所から出てくる娘の姿があったのだった。滴り落ちる雫が、廊下に飛び散っている。もちろん、私の悲鳴も声にはならなかったけど。そんな私の顔をみて、逃げようとする娘。このまま逃がしては、2次被害、3次被害も免れない。私は、走り出そうとする娘を、すんでのところでとっつかまえた。手にしていたトイレ掃除のブラシも取り上げ、2次被害は免れたのだが。廊下に点々と飛び散る、水しぶきの跡、跡、跡。はっと思い、洗面所をのぞくと、顔を洗っていたために、動くことが出来ず、ズボンに雫をつけられたパパがポツ~ンとたたずんでいたのだった。原因は、トイレから出てきたパパが、しっかりとドアを閉めなかったため、この1歳児が易々とトイレに侵入でき、奥にひっそりと置いてあった、このブラシを手にすることが出来たようだ。私もパパも無言のまま、私は廊下を雑巾で拭き、パパは、パジャマを脱ぎ、そっと洗濯機に入れた。娘だけが、この様子を、面白そうに笑って眺めていたのだった・・・「そこの、ちっちゃいの、笑うなっっっ。」私の注意も、娘の笑いを増幅させる効果しかなかったのだった・・・
2002.11.03

そろそろ年賀状の季節になった。私は、なぜか、この年賀状に、手作りというこだわりがあった。小学生の頃から、色鉛筆で一つづつ違う絵柄のものを作った。別に、絵柄なんて一緒にしても、それぞれに届くのだから関係ないのだが、同じ物を書き続けると、自分が飽きてきてしまうので、違う絵柄にしていた。社会人になってからは、千代紙でちぎり絵を作ってみたり、干支のスタンプを利用して作ったりもした。この頃になると、友人から届く年賀状に、「結婚しました。」という、ウェディングドレス姿のものや、「家族が一人ふえました。」と、赤ちゃんが写った写真付きのものが送られてくるようになったのだが、頑固一徹、年賀状手作り職人の私は、こんな写真だけの年賀状では、面白くない、と、やっかみ半分、認めていなかったはずなのに・・・・子供が出来た途端、私も家族写真年賀状派の一員になってしまったのだ。あれほどの手作りへのこだわりは、今は何処・・・確かに、パソコンとデジカメで手作りしてはいるが、これは、機械を使っているので、私の中では、手作りには入らない。おまえの所の子供の成長なんてどうでもいい・・・などと言っている人もいるかもしれない。だが、そんな声は、私の耳には、届かないのだ。家の娘のかわいさは、写真で伝わるわけもないし、親の私だけの宝物。さて、今年も親バカ丸出し、自己満足だけの子供の写真付き年賀状作るぞ。ちなみに、今年の年賀状で使った写真。
2002.11.02
もう少しだけ、好き嫌いネタ。東京に一人暮らしをしていた時のこと。おいしいと雑誌に載った、浅草のお好み焼き屋に、友人と行ったことがあった。7~8人で行ったので、いろいろなメニューを頼み、当然、焼きそばも注文した。おいしいと有名なだけあって、お好み焼きはどれもおいしく、満足したのだが、ただ、焼きそばだけは、納得がいかなかった。麺が太いし、柔らかくて、あまりおいしくない。だけど、私以外に、焼きそばに不服を言う人もいないので、こんなものなのかな、と思っていた。そして、友人と大阪へ旅行した時にも、お好み焼きの本場大阪で、もちろん、大好きな焼きそばも頼んだら、やっぱり、東京と同じような、太くて柔らかい麺。あれれ、なんか違う・・・でもそう思ったのも、やっぱり、私一人。そして、最近になって、実は、私がみんなと違っていたことを知ったのだ。私の住んでいる市のお隣に、富士宮市があるのだが、この富士宮市で、富士宮焼きそば学会というものがあることが、夕方のテレビのニュースで流れた。富士宮の焼きそばは、この地域独特の腰のある麺を使った、この地域特有のものだという。そして、テレビに映った焼きそばの麺は、私がいつもスーパーで買うのと同じ麺であった。つまり、私が、小さな頃から慣れ親しんでいた、チョット固くて腰があり、細めの麺の焼きそばは、この地方にしかないものだったのだ。どうりで、今まで、どこで焼きそばを食べても、いつも食べているのと違うなぁと思ったはずである。私がいつも食べていた焼きそばのほうが、普通の麺と違っていたのだから。焼きそばは、富士宮の焼きそばが一番。でも、まったくメジャーではないので、このおいしさが伝わらないのが、残念である。
2002.11.01
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