2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全24件 (24件中 1-24件目)
1
今日は、娘の1才6ヶ月検診に出掛けた。開始の45分前に到着したのにもかかわらず、既にもう数人の親子が待っていた。込み合うと聞いて早めに来て見たが、上には上がいるものだ。さて、始まるまでの45分間、1歳半が大人しくしているわけもなく、どのお母さん方も、子供に振り回されている。特に、階段付近では、2~3組の親子が、階段の上り下りを子供と一緒にしていた。うちの娘も、階段を見るなりそこに突進し、その仲間に加わることとなった。既に階段を上り下りしていた親子のお母さんと目が合うと、「子供は、好きですよね、階段・・・」と、お互いに苦笑いを交わした。・・・で、結局、始まるまでの45分の半分くらいは、この階段の上り下り。私は、検診が始まるまでに、既にヘロヘロになってしまった。元気なのは、娘ばかりである。そろそろ、検診の開始時間なので、受付の場所へ娘を、引っ張るように連れて行くと、そこは、既に無法地帯と化していた。あっちで泣き、こっちで走り回り、振り回されるお母さんたち。どこにも、1歳半を上回る、敏捷な動きのできるお母さんなんていない。子供は、ちょこまかと逃げ回っている。「コラ、待ちなさい!!」と、どこでも、同じ台詞が繰り返されて、子供は、ますますふざけまわる。でも、子供が天下なのはここまで。いざ、検診が始まると、身体測定のため洋服を脱がされるだけで泣く子供。その後の内科検診で、泣き声はさらに倍増。その泣き声に吊られて、何が何だかわからないけど泣き始める子供。耳が痛くなるほどの、子供の泣き声の合唱だ。うちの娘も、身体測定で、洋服を脱がせただけで泣き始め、結局、最後の歯科検診まで、大泣きだった。そのため、最後にある、積み木を積んだり、パズルをしたりのテストが出来ないのではないかと心配したのだが。そこは、大好きな積み木があって、ご機嫌を取り戻し、どうにか無事、すべてのテストをクリアーできて、言葉が早いとのお墨付きまでいただけた。すべてが終了するまで、待っていた時間を含めると2時間。車に戻り、娘をチャイルドシートにのせ、運転席にうなだれた姿は、まさに、最終回の「あしたのジョー」のよう。真っ白な灰となって燃え、力尽きた。私には、娘の順調な成長を喜ぶ気力も残されていなかった・・・・
2003.01.30
うちのパパには、パパ独自の掟がある。それは、「お風呂を入ってからでないと、何人たりともベッドの中に入ってはならない。」という、神聖にして不可侵な掟なのだ。パパ自身はもちろんのこと、私や娘にまでそれは適応される。だから、昼寝したいな・・・と思っても、洋服のままベッドに入ることなど、許されざることなのだ。・・・とは言っても、昼間のパパがいない時には、よくベッドの中で娘と昼寝をしてしまっていたのだが。今日は、とても寒かった。外出から帰ってくると、娘は車の中で寝てしまったため、そのままベッドの中に寝かせることにした。昼間なのに、この寒さ。ベッドの中で寝なければ、風邪を引いてしまう。パパには、内緒で、娘をベッドの中に寝かせた。これくらいのことは、いつもしていたのだが、今日のは違った。2時間ほどして、娘が少し泣いて目を覚ました。そのため、布団をめくって、抱き上げようとしたとき、私は、自分の目を疑うようなものを目撃してしまった。なんと、娘を、靴をはかせたままベッドに寝かしつけてしまったのだ。ただでさえ、お風呂に入らなければ、寝ることの許されないベッドなのに・・・このことは、この日記だけのトップシークレット事項である・・・
2003.01.29
先日、土鍋の日記で紹介いしたとおり、うちの旦那様は、大きい好き(?)であるが、土鍋以外に、何が大きいのが好きかというと、それは車。今乗っている車も、某アメリカ製のスポーツタイプの車。燃費が1リッターあたり3kmというから、涙が出てくる。それでも、今の車では飽き足らず、アメ車の雑誌を買ってきては、穴のあくほど眺め、「8,000CCか~、かっこいいなぁ。なぁ、これいいよなぁ。」と、私に同意を求め、いかにも、もの欲しそうな目をする。そんなこと言われたって、子供一人抱えて、何でこの上、さらに燃費の悪い車に、何百万円もかけて買い換えなければならないのか、訳がわからない。私は、怖がりエコロジストである。怖がりエコロジストというのは、何か。私が小学生の頃、石油をこのまま消費し続けると、40年で底をつく・・・と言うようなことを、テレビで見た。石油がなくなったら、電気もなくなり、車もなくなり、人間は、生活できなくなってしまう。・・・と、テレビに脅かされた印象が、未だに深く心に残ってしまい、車のスピードを出して、ガソリンを無駄にしているかと思うと、ドキドキしてしまうし、電気を無駄遣いしても、怖くてドキドキしてしまう。F1レースなど、ガソリンをドバドバ使うので、怖くて見られない。(真面目)昔に植え付けられた石油がなくなる恐怖が、未だに根強く残っており、その恐怖心にあおられて、省エネをしているので、私は、怖がりエコロジストなのだが。こんな私が、8,000ccのどでかいアメ車に乗り、ガソリンをこぼして走るような燃費を見たら、恐ろしくて、夜も眠れなくなってしまう。旦那様の、大きい好きには、なるべく協力したいが、アメ車だけは勘弁して欲しい。その代わり、11号の土鍋の文句は、もう言わないから・・・ところで、男の人の好きな車のタイプは、そのまま、好みの女性のタイプに通じるものがある・・・と聞いたことがあるのだが、そうすると、ガソリンを無駄食いする燃費の悪いデカイアメ車が好みなうちの旦那様は、食費のかかる、大きめの私(身長165センチ)が、好み・・・車の好みと女性の好みは、確かに通じるものがあるかもしれないと何だか納得する私である。
2003.01.28
ふと、娘の言葉が気になった。「おちがえ する」(お着替えする)「おずぼん」(ずぼんのこと)「お花」「ごほん」(ご本)「おくつ」(靴)・・・・と、娘の言う言葉の最初に「お」がついていることが多い。もちろん、私がそう言っているからなのだけど、何で、私こんなに「お」を多用していしまったのだろうか?自分でも、ふと不思議になった。私は、言葉はそんなに丁寧なほうではない。私の住んでいる静岡県東部の方言は、共通語と、大きな開きはないが、語気が荒いため、よその人が聞くと、普通に話していても喧嘩しているように聞こえるらしい。昔の新玉美千代さん主演のドラマ「細腕繁盛記」で、静岡の方言を強調して、意地悪役の富士真奈美が語尾に「~ずら」をつけて連発していたので、静岡というと、語尾に「ずら」をつけるイメージがあると思うが、(・・・というか、ドラマ「細腕繁盛記」を知っている人がそもそもいないか)私の住んでいるところは、語尾に「ずら」ではなく「だら」がつく。もちろん、生まれも育ちも静岡の私は、バリバリ現役の静岡弁。語気は荒く、語尾には「だら」のオンパレード。「これだら?」(これでしょ?)「そうだら。」(そうでしょう。)というかんじ。普通の会話の中で、丁寧に「お」をつけて話すことは、まずない。・・・なのに、何故か、娘に対しての言葉の始めに、「お」がついてしまうのだ。どうしてだろう・・・と記憶の糸を手繰り寄せてみると、うっすらとした記憶ではあるが、幼い頃、母が私に語りかけた言葉は、今、私が娘に使っているような言葉であったような気がする。この言葉の最初に「お」をつけた、丁寧な言葉は、母が私に語りかけたものかもしれない。子供が大好きで、優しかった母は、優しい言葉づかいで、幼い私に語りかけていてくれたのだろう。私が幼かった頃、どのように語りかけてくれたのか、確かめたくとも、亡くなってしまった母に聞くことは出来ない。だけど、私には、はっきりと自分でも覚えていない母の優しい言葉使いが、幼い娘を前にして、自分の中からあふれ出てきたように思えてならない。孫娘には会えなかった母ではあるが、母の優しい言葉が、孫娘にちゃんと伝わっている。私は、何だか、亡くなった母に、子育てを教えてもらったような気持ちになった。お母さんありがとう。あなたの孫は、あなたのおかげで、優しい言葉を使える子供になりました。
2003.01.27
寒い季節と言えば鍋料理。パパが、無類の鍋好きなので、寒い季節になると、我が家のメニューに鍋料理が上ることが多くなる。鍋料理は、主婦にとってはありがたいメニューだ。鍋に入れて煮込むだけで出来るので、料理時間は短いし、食後の洗物も少ない。・・・が、我が家の鍋料理には、大変な致命傷がある。それは、土鍋が、大きすぎるのだ。鍋好きのパパは、何故か、鍋は大きくなくてはならない、というこだわりがあり、我が家の土鍋は、パパと私で東京の合羽橋道具街で、足を棒のようにして探した特大品。新婚の2人暮らしなのにもかかわらず、土鍋は、11号。土鍋の大きさは、号であらわす。9号で4~5人用というのだから、我が家の11号のどでかさが分かっていただけるであろう。土鍋を出すのも一苦労なら、洗うのも大変。中身の具は、入れても入れても、巨大な鍋の中はスカスカ。当然、毎回毎回作りすぎて、すべて消費するのは大変なことになる。と、大変な土鍋なのであるが、新婚時代に、二人で探した大切な思い出の鍋である。大切な鍋なのだが、我が家の鍋料理は、この鍋のおかげで、とても大変なのである。
2003.01.26
私は、小学生の頃、超能力者になりたかった(真面目)。テレビなどで、ユリゲラーのスプーン曲げなどが放映されていて、真剣に、スプーン曲げにも取り組んだが、真剣すぎるあまり、力が入りすぎて、スプーンが曲がっただけだった。揃いのスプーンの1つを曲げたので、母には痛く叱られた苦い思い出がある。それにも懲りずに、毎日100円のお小遣いをコツコツとためて、「あなたも超能力者になれる」(750円)という本を買ってきて、今度は、ESPカードの訓練を、毎日欠かさず行った。ESPカードとは、〇△□などの記号のカードが5枚を裏返して、どこにどのカードがあるか当てるものだ。これも、偶然以上の成果は出なかった。結局、私の超能力者になりたいという夢は、もろくも崩れ去ったのである。が、最近、娘にドッツカードというカードを見せている。これは、1なら赤い点丸1つ、2なら2つの赤い点丸が28cm四方の紙に書かれていて、1~100までのカードがある。これを、赤ちゃんに見せると数量の認識が出来るなどの効果があるという。99や100のカードなど、カード中、赤い点丸ばかり。大人が見ても区別は出来ないというが、試しに2つをぱっと見比べてみた。そうすると、どうも、数が少なく感じる方がある。なんと、そちらが99だった。そして、無作為に出したカードをぱっと見て、いくつか当ててみると、2回連続で当ってしまったのだ。私は、今ごろになって、超能力者になれたのだろうか。でも、依然として、スプーンだけは曲がらない。しかし、力ずくでは、小学校の頃よりも曲がるようになったが・・・(実験済み)
2003.01.25
週に1回程度、美容院をやっている伯母の家に遊びに行く。美容院と言っても、カリスマ美容師のいるような若者向けの店ではなく、常連のお馴染みさんが通う、お馴染みの美容院という感じ。そこで働く美容師さんも、私が生まれる前からそこでずっと働いている。だから、私も小さい時からかわいがってもらったし、今は、娘がかわいがって貰っている。娘は、美容院の中で遊ぶのが大好きで、いたずらしまくっているが、来ているお客さんには、愛想を振り撒いて、怒られずにすんでいるのだが。今日は、お客さんも少なかったので、私は、空いているドレッサーの前に座り、そこに積んであった女性週刊誌をぱらぱらと読んでいた。女性週刊誌は、自分では買う気がしないが、こういうところでたまに読むのが面白い。しばらくすると、遊び飽きた娘が、私の膝にのぼってきて、一緒に週刊誌を見始めた。週刊誌には、最近始まったドラマの写真がたくさん載っていたのだが、私は、いたずら心で、松島奈々子の写真を指差して、「これは誰?」と、娘に聞いてみた。すると、「マ~マ。」と言うではないか。週刊誌に載っていた、どの松島奈々子の写真を指差しても、「ママ。」と言う。私は、少々気持ちよくなって、矢田亜希子や長谷川京子の写真で聞いても、答えは同じく「ママ。」ムフフフフ・・・・思わず、娘の頭を力一杯なでてから、今度は、キムタクの写真を指差して「これは、誰?」と聞いてみると娘は、「パパ。」と答えたのだ。週刊誌に載っていた、いい男・・・ベッカム、福山雅治、坂口憲二などなども「パパ~。」と答えるのだ。・・・要は、男はパパで、女はママってことなのね。と、分かっていた結果ながらも、複雑な気分で、「じゃぁ、さぁ、これは誰?」と、ちょうど週刊誌の表紙に載っていたボブ・サップを指差してみた。今までの法則に従えば、「パパ」と答えるはず。そのことをパパに報告して、「かれんが、あなた、ボブサップだって・・・ププププッ」と、笑ってやろうと思ったのだが。娘の答えは、「ジージ。」「え?じぃじなの?」じぃじは、義父のことなのであるが、義父は、渡辺謙似のダンディーな人なのだ。まさか、と思い、色んなページの、色んなボブ・サップを指差してみたが、答えはすべて「じーじ。」だった。一体、娘の分別能力には、どのようになっているのだろうか。カッコいい義父がボブ・サップならば、美人の松島奈々子と、ハンサムなキムタクにされた私とパパは・・・あまり深く考えるのはやめておこう・・・・
2003.01.24
私と娘との最近の会話はというと、私が、「みかん食べるの?」と言えば、「あかん(みかんのこと)食べる~。」と言うし、「せんべい、食べないの?」と聞けば、「じいじ(何故か、せんべいのこと)食べない。」と、私の言葉を繰り返すことが多い。なので、私が、うっかり、「うわ、やばい!」などと言うと、娘も「うあ、あばい!」と、繰り返されるので、ドキッとしてしまう。今日も、車の運転していた時に、前方にヨロヨロと自転車をこいでいるおじいさんが、後ろも見ずに、私の車の前を横断しようとした。咄嗟に、クラクションを鳴らし、思わず「危ないわよ、おじい様!!」【↑上記発言は、日記に書くのがためらわれる言葉のため、音声処理を施した。】と言ってしまったら、娘も「おじい様!!」【同じく音声処理済。】と、同じ言葉を繰り返してしまったのだ。音声処理前の言葉は、皆様のご想像にお任せするとして、うっかりとした言葉はいえないなぁ、と反省する私だった。
2003.01.22
大した意味はありません。色の指定に「#」を先頭に、6桁の数字とアルファベットで色の指定をするわけですが、その日閃いた数字とアルファベットを使っています。それで、どんな色が出来るのか楽しんでいるわけです。ビビットカラーや薄すぎて見えない時は、多少調節していますが、毎日、色占いのように楽しんでおります。好きな色だといいことありそうだし、黄土色など出てくると、なんだかがっかり。さて、今日は、何色になるのでしょうか。組み合わせは、「#fc98d6」です。
2003.01.21
娘が生まれて間もない頃、私は、娘のことを「かれりん」と呼んでいた。ただ、「かれん」に「りん」をつけただけで、深い意味はなかったのだ。かれんと呼び捨てにするのもなんだし、かといって、ちゃん付けするのもつまらないし、精一杯の親しみをこめて「かれりん」と呼んでいたのだが。しばらくして、パパが「その、『かれりん』やめたほうがいい。」と言い出した。私は、この呼び方が気に入っていたので、「なんで、かわいいからいいじゃん、『かれりん』って。」と言い返したら、「バカ、お前、知らないのか?」と言う。「へ?、なんか、『かれりん』って問題あるの?」私には、何も思いつかない。「ロシアで人類最強のレスラーと呼ばれているカレリンを知らないのか?アレキサンダー・カレリン。オリンピックを4連覇した、あのカレリンだぞ。人類最強レスラーの名前で娘を呼ぶなよ。」私は、「かれりん」というオリジナリティーな呼び名が、他にも存在するなんて思いもよらなかった。しかも、人類最強レスラーだなんて。結局、パパの猛反対により、我が家で娘のことを「かれりん」と呼ぶことは厳禁になってしまった。かわいくて仕方のない娘を、筋肉隆々の大男と同じ名前で呼ぶことは、パパには、とても我慢できないことのようだったらしい。でも、この呼び方を意外に気に入っている私は、日記の中だけでも復活させようかと、思っていたりする。最近の娘のいたずら振りには、手を焼きっぱなしなので、人類最強レスラーの名前で呼ぶくらいのお返しを、娘にしてあげるのだ。娘よ、今日から、日記の中だけでもあなたのことを、かれりんと呼ぶことにするぞ。
2003.01.20
アンパンマンが子供に人気があるのは、アンパンマンというのが、子供にとって、非常に発音しやすい言葉だという要素もあるかもしれない。というのも、我が家には、アンパンマンのキャラクターがついたおもちゃは、何もない。幼児用雑誌4冊とその付録のアンパンマンが1個あるだけなのに、娘は、「アンパンマン、アンパンマン」と、何かにつけ言っている。絵を書いていれば、「アンパンマン、アンパンマン」みかんを食べては、「アンパンマン、アンパンマン」ご飯が食べ終わったら、「アンパーンマン。」・・・・おっと、これは、本人は「ごちそうさま」と言っているつもりらしいのでアンパンマンとは無関係なのではあるが。そんなこんなで、とにかく、一日中アンパンマンな娘である。
2003.01.19
私は、単純動作の繰り返しに、どうも弱いらしい。それに気がついたのは、娘にミルクを作る時のこと。ミルク缶から、スプーンで、1杯2杯と粉ミルクをすくっては哺乳瓶に移していると、3、4回目位に、何故か粉ミルクを哺乳瓶の外に、ザーッと落としてしまう。これが、かなりの頻度で失敗している。包丁を使っていても、みじん切りや千切りは平気なのに、何故か、ザク切りのときに限って、手を切ってしまう。単純に繰り返すだけなのに、失敗するのは、銀行員時代も同じだった。一番簡単な伝票を、繰り返し入力している時ばかりミスをするのだ。二重に入力してしまったり、出金と入金逆に入力したり、上司の報告するたび、ため息をつかれていた。そういえば、学生時代のテストもケアレスミスばかりだった。そもそも、問題文をよく読みなさいと、母から注意されていたが、その後の人生に、その教訓が少しも生かされていない。何が原因なのだろうか・・・なんて、格好つけて悩む問題なのではない。単に、私がおっちょこちょいなだけである。
2003.01.17
私の住んでいる所は、雪は滅多に降らず、降ったとしても積もることはまずない。積もるような雪が降るのは10年に1度くらいである。そんな温暖な地方に住んでいるため、寒さにはめっぽう弱い。朝起きて、温度計が5℃なんて示していると、布団に戻りたくなってしまう。豪雪地方の方には、こんなこと書くと怒られてしまうかもしれないが、中途半端に寒いため、暖房設備が行き届かず、家の中は、もしかしたら、暖房設備の行き届いた豪雪地帯のほうが暖かいかもしれない・・・などと考えてしまう。さて、そんな寒さに弱い私に、娘は、朝起きてそうそうに「おんも(外へ)行く、おんも、行く!!」とせがむ。今日は、朝から飛びっきり寒いのに、それでも娘には関係ないらしい。「おちがえ、おちがえ(お着替え)。」と、自分の洋服ダンスを指差し、着替えて外へ行くといって聞かないのだ。「外でたら、ママ凍え死ぬよ・・・きっと。」なんて、私の愚痴は娘に届かず、私は、朝もはよから、公園に、半ば娘に引っ張られるように連れ出された。やっぱり、外の寒さは厳しい。寒いと言うより、痛いほどだ。娘は、「あちゅいねぇ、あちゅいねぇ。」と、私に話し掛けてくる。娘は、言葉の最初を「あ」と発音してしまうため、例えば、みかん→あかん、ごはん→あがん となってしまう。そのため、さむい→あちゅいとなってしまい、暑いも寒いも同じ発音になってしまうのだ。そうとは、分かっていても、この寒い中、「あちゅいね、あちゅいね。」と連発させると、娘が、ものすごく耐寒能力に優れている人のようで、「あなたは、エスキモー人ですか?」と、我が娘ながら突っ込みたくなってしまう。しかし、公園につくと、ブランコや鉄棒に触るたびに、「痛い、痛い」と、手をさして娘は泣いていた。そりゃ、そうでしょう。この寒さの中、鉄の棒を触ったら、寒くて冷たくて、手は痛くなるでしょうよ。さすがに娘も諦めて、公園には5分もいることなく、家に帰ることができ、寒がりの私は、ほっとしたのだった。娘は、やっぱり、エスキモー人ではなかったのね・・・・と。
2003.01.16
昨年の子供の日に、義父母から娘へいただいたプレゼントは、キティーちゃんのヘアドレッサーセット。ピンクのかわいい鏡台と小さな椅子、化粧水の瓶、ブラシ、クシ、ドライヤー、などが、付いている(もちろんすべてプラスチック製)。このおもちゃを使いこなすのは、まだまだ先のことだろうと思い、娘の手の届かない所に置いていた。最近になって、娘は、私がお化粧することにとても興味を持ち始めた。私がお化粧していると、下の方から、「アー、アーそれ、それ~。」と、私の手にしている化粧道具を渡せとせがむ。あまりにもせがむので、化粧道具を入れたポーチごと娘に手渡してみた。どうせ、中身をすべて出したら飽きるだろう位にしか思っていなかったのだが。まず、娘は、アイブロウペンシルを取り出すと、眉毛のあたりをそれでなで始めた。おぉ、使い方があっている!次に口紅を取り出すと、ふたを取って唇に押し当てたのだ。いつの間に使い方を覚えたのだろう。そして、最後にファンデーションを取り出すと、手で顔に塗る真似までして見せたから驚く。やっぱり、1歳半でも女の子なのねぇ、と実感し、仕舞い込んであった、キティーちゃんのヘアドレッサーセットを引っ張り出してみることにした。すると、娘は大喜び。小さな椅子に座って、小さな鏡を見ながら、おもちゃの化粧瓶から、なにやら出すしぐさをして、顔にポンポンつけている。ブラシで髪を撫で付けたり、ドライヤーを髪に当てる仕草をしたりと、見ている私は、ただただ驚くばかりだった。うちの娘も、おしゃまさんになったものである。最近は、娘がパパに引っ付いてばかりいるので、私が、「ママの所においで」と言っても、「パパいー、ママナイナイッ。」と、少ない語彙で感情表現する。娘とのパパ争奪バトルも、激化し始める今日この頃である。
2003.01.15
最近、娘は、自分でスプーンを使ってご飯を食べるのが、とても楽しいらしい。でも、口に入る手前でご飯が落ちたり、手についたご飯を、手をブンブン振って、取ろうとしたりと、私は、いつもヒヤヒヤしながらそれを見守っているしかない。なにせ、少しでも手出ししようものなら、ご飯を手に持って投げて怒るのである。被害を最小限にくい止めるためにも、娘には、気のすむまでご飯を食べさせるかない。もちろん、落ちたご飯を受け止めるポケットのついたエプロンもさせているが、その中に落ちるご飯よりも、外に落ちたり、娘についたりしているご飯の数の方が、圧倒的に多いのである。娘が、満足いくまでスプーンでご飯を食べたあと、私の仕事が始まる。下に落ちたご飯を、娘が踏みつける前に素早く拾い、娘についたご飯は、一つづつ取っては、私の口に運ぶ。捨てるのはもったいないし、取って口に入れたほうが、片付けが早いのだ。娘の顔や袖口、ズボンについたご飯を、一つづつ取って食べている時、ふと、この光景どこかで見たことがある気がしてきた。もしかして、デジャヴ?・・・なんて、神秘的なものではなかった。ご飯粒を、取っては口に入れている様は、まるで、小猿の蚤取りをしている親猿のよう・・・猿の親子に似ている、私たち親子なのだった・・・
2003.01.14
ある日の会話。パパ「ここにみかん落ちてるけど、誰がやった?」私 「かれん(娘 1才6ヶ月)に決まってるでしょ。」パパ「ここに水こぼしたのは誰だ?」私 「かれんが、そこでお水飲んでたよ。」パパ「俺の携帯がない!!」私 「かれんが隠してんでしょう。箪笥の中に入ってるかもよ。 最近、何でも箪笥に入れるから。」パパ「テレビのリモコンは、どこ?」私 「いつもの所にないなら、かれんがどこかにやった。」パパ「おれの肩に、お菓子のかすがついてる・・・」私 「さっき、かれん抱っこしたときにつけられたんじゃない?」パパ「臭い!!誰だ、おならしたのは!!!」私 「・・・・・かれんだと思うけど・・・」ごめんね、最後のだけ、私でした。何でも、かれんのせいにしてごめんなさい。
2003.01.13
書店に行き、久しぶりに文庫のコーナーをチェックすると、私の大好きなシリーズの新刊が発売されていた。クライブ・カッスラー著ダーク・ピットシリーズ最新刊「マンハッタンを死守せよ」おぉ、と手にとって見ると、「下巻」と書いてある下巻があるのなら、上巻、上巻、上巻・・・・探してみたが見つからない。どこを探しても、隣の山積みの本を1冊ずつめくってみても、上巻がない。しかも下巻すら最後の1冊だった。とても欲しい本の、下巻しか見つからない時ほど悔しいことはない。このダーク・ピットシリーズは、シリーズ18作にもなる、冒険アクションものである。本を読んでいると、ハリウッドの超大型アクション映画を見ているような気分になり、読後の、スカッとした爽快感がまたたまらない。そして、何より魅力的なのは、主人公のダーク・ピット。身長は190センチ近くあり、黒い髪は短く刈り、オパールグリーンの瞳、強靭な肉体、日に焼けた肌、車好きで、アメリカンジョークがお得意だ。ただ、日本語訳されたアメリカンジョークは、あまり面白くないのが難点ではあるが。この主人公に、半ば恋焦がれてこのシリーズを読み続けている。2年に1度のペースの新刊を心待ちにしているのに、今ここにあるのは、下巻のみ。私は、そこらを歩き回る娘を、小脇に抱えて、猛然と次なる書店を目指した。絶対に上下巻で手に入れなければ、意味がない。・・・・そして、次の書店では、何冊も山積みされていて、私は、無事に、愛しのダーク・ピット様に会うことが出来たのである。あまりの嬉しさに、「♪愛しのダーク・ピット様~♪」と、「いとしのロビン・フット様」By榊原郁恵(古!)のメロディーに乗せて、替え歌まで唄ってしまった。しばらくは、娘の昼寝中は、楽しい読書が出来そうである。このシリーズは、アメリカでは人気のようであるが、日本では、好きだと言う人に、会ったことがない。映画化の話もあり、ダーク・ピット役には、ジョージ・クルーニー、ハリソン・フォード、トム・クルーズなどの名前が出ているらしい。でも、このスケールの大きなアクションものを映画化できるのだろうか、ハリウッドの手腕に期待したい。
2003.01.12
娘がまだ、はいはいも出来なかった頃、抱っこをすると、ぺったりと私に寄りかかってきて、それだけで、ジーンと幸せだったのだが。最近は、抱っこしても、前のようにぺったりと寄りかかってきてくれることは少ない。抱っこしても動き回り、すぐに「おんり、おんり。」と言って、おりてしまう。時々、私が、遊びまわる娘を捕まえて、抱きしめるのだけれど、嫌がって逃げられてしまう始末。私の欲求不満はたまるばかりなのではあるが、そんな時は、娘の寝起きを狙う。寝起きの娘は、フラフラと起き上がり、歩いて寝室から私のいる居間までやって来る。そうして、私に抱きついてくるのだ。私も、ひっしと抱きしめる。まるで、何日かぶりに会った親子のようであるが、離れていたのは、ほんの数時間。しばらく抱きしめると、私の欲求不満は、すっと解消される。朝の至福のときである。
2003.01.09
娘が昼寝をして、暇になると、よく楽天内をランダムで回ることがある。育児の合間なので、さらさらっと見ながら、「はっはーん。」「ひ~~~。」「ふーん。」「へぇぇぇ~。」「ほほぉ。」と、ハ行連発で拝見させていただいている。いろいろな年齢層の、いろいろな人々が作るHPをランダムで見るのは、今まで興味のなかったことを知ることが出来たり、違う視点の日記が読めたりと、なかなか面白いのだが。「踏み逃げ厳禁!!」とか「キリバン絶対報告して」なんて、トップページに書いてあると、ドッキリしてしまう。気の弱い私は、それだけで、ドキドキしてしまうのだ。他のHPを拝見させていただく時は、カウンターの数よりも、トップページのデザインや日記に目がいってしまう。そのため、キリバンを踏んでいたとしても、まず気づかないだろう。娘が、いつ目覚めるとも分からないので、掲示板に書き込む余裕もあまりない。そういう人間は、ランダムしてはいけないのかなぁ・・・なんて、思っては見るのだが、やっぱり、色んなホームページが楽しめるランダムはやめられない。心臓を、時々ドキドキさせて、ランダムする、育児中の主婦を、どうかお許しください。
2003.01.08
私の髪は、右側が外はね、左側が内はねという癖がある。小学校の卒業文集の写真からして、そういうはね方の髪になっているので、これは生来の髪の癖として諦めている。お風呂上り、私は髪の毛を、タオルで巻き上げておく。こうすることで、前髪を立ち上げて後ろに流す癖をつける。しばらくして、タオルをはずし、自然乾燥した後、そのまま寝てしまうが、ここからが、次の日の髪形を決める大切なポイントとなる。私の髪の長さは、肩ほどの長さであるのだが、寝るときには、はねないように撫で付けてから枕に押し当てる。そして、冬の寒さで、ほとんど寝返りも打たない。寝返りしたとしても、無意識に髪を撫で付けて、枕の下に押し当てている。そうすると、次の日は、多少の外はね、内はねは、その日の寝方次第ではあるが、そこそこ整った髪形になるのだ。そう、私の専属ヘアスタイリストは、枕なのである。「その髪の流れ具合いいねぇ。」と、人に褒められても、その髪型を、次の日に再現することは出来ない。なぜなら、枕が専属スタイリストだからである。私の寝相と、枕が織り成す絶妙のコンビネーションは、再現は出来ないのだ。ドライヤーでブロウなどしない、その日任せのヘアスタイルを、私はとても気に入っている。ずぼらな性格と言ってしまえば、それまでのことではあるが・・・
2003.01.07
このお正月に、娘が覚えた言葉に、「ね~~!!」というのがある。小首をかしげて、かわいらしく「ねー♪」と言うのは、7~8ヶ月の頃からお得意にしていたのだが、今回の「ね~~!!」は、まったく違う。例えば、奥さん同士が井戸端会議で旦那の悪口を言い合い、「腹が立つわよ、ね~~!!」と言う時の「ね~~!!」というイントネーションなのだ。しかも、何を心得ているのか、言うタイミングが絶妙なのである。私が、「パパ、これくらい自分でやればいいのに!!」と、ずぼらなパパに対し独り言を言っていると、すかさず娘が、「ね~~!!」と、合いの手を入れてくれるのである。いつの間に覚えたのであろうか。怒っていても、この娘の合いの手の「ね~~!!」を聞くと、つい笑ってしまう。娘も喜ばれているのが分かると、「ね~~!!」を連発してくる。そうすると、娘と私の会話は、まるで近所の奥さんの井戸端会議のようになる。私「自分だけ食べて、ずるいよね~~。」娘「ね~~!!」私「これ小さいよね。」娘「ね~~!!」私「キムタクのほうが、かっこいいよね。」娘「ね~~!!」・・・・まるで、我が家には2人のおばさんが居るかのようである。
2003.01.06
静岡に住んでいるためか、みかんは買わずにもらうことが多い。直接みかん農家と知り合いと言うわけではないのだが、もらいすぎたから、お裾分けといった感じで、みかんが我が家にも、巡り巡ってやってくる。私は、あまりみかんが好きなほうではないので、消費するのに四苦八苦していたが、今年は、貰っても貰っても、すぐになくなってしまうのだ。犯人は、1歳半になったうちの娘。みかんの皮をむくのが、彼女のマイブームで、むいたあとは汁をダラダラ流しながら、みかんの房を頬張っている。そんな訳で、洋服には、毎日、みかんのシミがたくさんついているのだが。娘は、「みかん」のことを「あーかん」と発音しており、いつものように、「あーかん、あーかん・・・」と言って、みかんの箱から、みかんを自分で取り出して、皮をむいていた。しかし、今日は、取り出したみかんが悪かったらしい。「あーかん。」と言っている娘を見て、私は、背筋が凍ってしまった。深緑色の粉が、口の周りや手にべっとりとつき、みかんの汁が、手からダラダラとたれていた。そう、娘は、腐ったみかんを手にしてしまったのだ。その姿は、まるでスプラッタムービーのようで、私は、目にした光景が信じられなかった。慌てて娘を抱きかかえて、台所で手や口の周りを洗ったのだが。カビを少し食べてしまったようである。大丈夫かよ~・・・・私の心配をよそに、娘は、また新しいみかんを取りに走っていっってしまった。1歳半に、腐っているみかんは区別できないよねぇ・・・と、一つ勉強になった私だった。
2003.01.05
家族3人で、市内にある「道頓堀」というお好み焼屋さんに、昼食に出かけた。最近出来たばかりで、チョット気になっていたお店だ。チェーン店らしきこのお店、タヌキがトレードマークらしく、看板に描かれていたり、入り口に、大きなタヌキの陶器の置物が置かれていたりする。中に入ると、ほぼ満席でどこも家族連れだ。お正月は、外食しよう、だけどチョットお安くお好み焼がいいかな・・・なんて、我が家の考えと同じなのだろうか。掘りごたつのようになった席に通され、メニューを見ると、お好み焼、焼きそばに始まり、関西風お好み焼、広島焼き、もんじゃ焼き、ちぢみ、鉄板焼きにクレープまである。鉄板で焼ければ、何でもありのお店のようである。我が家は、娘の希望で焼きそばと、私の好きなもんじゃと広島焼き、パパは、ホルモン焼きを注文した。(注文に、我が家の力関係が現れている?)さて、注文の品がくるまで、娘が割り箸をいじったり、机の脇に置いてある、ソースや鰹節に興味を示し、気をそらすのが大変だった。と、その時、おかしな言葉が聞こえてきた。「ポンポコポン~。」なんだ??と振り返ると、店員がお客さんを案内していた。お客さんがまた入ってくると、店員さんが、「いらっしゃいませ。」と言う。ここまでは、どこでもある普通の風景であるのだが、その後、「新規3名様ご案内いです。ポンポコポン~。」と言うのだ。それを聞くと、他の店員も、「ポンポコポン~。」と声を合わせて言うのだ。どう見てもおかしい風景だ。店員も、いやいやながら言っているらしく、入ってくるお客さんの4組に1組の割合くらいでしか、「ポンポコポン~」と言わない。他店との差別化を図るためのアイデアなのかもしれないが、妙に不自然さをかもし出している。食事を終え、店を出るまで、店員のやる気のない「ポンポコポン~。」の声を、笑いをこらえて聞かなければならなかった・・・。何でポンポコポンなんだんろう。だから、店のシンボルがタヌキ?疑問の残る昼食となった。
2003.01.04
一年の計は元旦にあり・・・と思っていたのにもかかわらず、日記更新できない私。主人の実家でも日記が書けるように、携帯で日記メール更新登録しておいたのに。にもかかわらず、結局、更新できず、2日の始まりとなってしまった。あぁ、今年も日記更新が思いやられる1年かもしれない。31日、楽しみにしていた紅白歌合戦も、11時頃に眠気に負けてしまい、今年もまた、どちらが勝ったのか分からない。NHKの行く年来る年で、雪の降り積もるお寺の鐘を、しみじみと聞きながら年を越す予定だったのに、ちょうど私は高いびき。ハッと気がついて、目を覚まし、テレビを見てみると、どこかの偉いお坊さんでもお話をしているようだ。まだ、行く年来る年に間に合ったと安心してしまったのだが、時計を見たら、0時30分を回っていた。あれと思い、もう一度、テレビをよく見てみると、偉いお坊さんだと思った人は、ノーベル賞を受賞した小柴教授だった・・・。こんなスタートの2003年。家族3人、健康で、よい年になりますように・・・とお祈りしたいが、初詣もまだ行っていない。とにかく、本年もよろしくお願いいたします。こんな私ですが・・・・
2003.01.02
全24件 (24件中 1-24件目)
1