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「目の中にいれても痛くない・・・」と、我が子の可愛さを表現するのが、普通なのだろが、私の場合、 「できれば、鼻の中に入れておきたい!」 だって、新生児のミルクくちゃい匂いって、物凄くいいんだもん・・・。♪真綿色した 新生児ほど かぐわしいものわない~♪ (By布施明 「シクラメンのかほり」より)
2004.03.31
私、愛用のパーカーがある。二十歳の頃から愛用しているので、物持ちのいいことこの上なし。さて、このお気に入りのパーカー、前開きチャックになっている。うちのチビ息子が、おっぱい欲しいよ~!!とフンガフンガ文句を言っていたので、慌てて、パーカーのチャックを途中まで下げ、中のTシャツをたくし上げて、おっぱいをあげた。ゴックンゴックンと、勢いよくおっぱいを飲むチビ息子。やっぱり、男の子、飲み方が豪快でいいねぇ~なんて、ノンキに見ていた私。チビ息子が、満腹になりウトウトとして、おっぱいから離れた時衝撃が走った。 チビ息子の額から瞼の上を通り頬にかけて、くっきりと赤くジッパーの後が、テンテンテンと・・・おっぱいを飲む時、チビ息子の顔に、ずっとジッパーが当っていたらしい・・・。ゴメンヨ、痛かったか?? でも、この顔、誰かに似ている・・・ ああ゛!! 丹下段平!! 「立て!!立つんだ、ジョ~!!」 ゴメンヨ、息子。お前の顔で、ママ、大ウケ。楽しい午後のひと時・・・・。
2004.03.30
3時間おきの授乳に疲れ、爆睡していた時、それは起こった。ドタン!!と何かが落ちる音に続き、「ホンギャ~~、ホンギャ~~~!!」と、息子の火のついたような泣き声。何事ぞ!!と、ベッドから飛び起きると、床に息子が転がっていた・・・・。確かに、さっきおっぱい上げてベッドに寝かせたはずなのに。ベッドとは、大人用のシングルベッド。その真ん中に、息子を寝かせ、私は、その横のダブルベッドで娘と2人で寝ていたのだ。息子のベッドには、柵をしてなかったので、落ちたらしい・・・とは言っても、なんでなの、ど~ちてなの(小松政夫風に)。だって、まだ生まれて二十日、寝返りどころか、首も据わってないというのに。どうやって、移動して行ったのよう・・・。泣き叫ぶ息子に、とりあえずおっぱいをくわえさせたらピタリと泣き止んだ。泣き止めば、大丈夫だろう・・・・幸い、こういうことにうるさい夫は、隣の部屋で寝ていて、息子の泣き声に気がつかなかったらしい。よし、この事実、一生封印。なかったことにしよう・・・・・。 その後、 『頭を打った場合、24時間は、要経過観察。』ということを思い出したのは、息子がベッドから落ちて、72時間後のことだった。・・・・母ノンキだね♪・・・・ゴメンヨ、息子。
2004.03.20
自宅にビデオカメラを取りに来て、ほんの少しだけパソコンに触る時間が出来たので、慌てて書いています。皆さんのメッセージ読ませていただきました。こんなにお祝いの言葉を頂いて、と~っても嬉しいです。赤ちゃんは、名前が決まりました。あんなにやる気のなかった夫が、赤ちゃん誕生後に、一人でとっとと決めてしまい、私の意見は、まったく取り入れられませんでした・・・。いいんですけどね、別に。私の考えたなめと言えば、「岳人(がくと)、波留(はる)、拓哉(たくや)・・・etc」アホなほど、ミーハーな名前ばかりでしたから・・・ハハハハ。で、名前が決まったにも拘らず、私はと言えば、「トンちゃ~ん」と、つい癖で呼んでしまっています。トンちゃんは、とても穏やかな赤ちゃんで、「おぎゃ~!!」と泣くことは、滅多にありません。「あ~、う~!」と、お腹の減ったときには、文句を言うぐらいで、よく寝るし、おっぱいもよく飲む、とても物静かな子です。ま、まわりからは、これからどうなるか分からないよ~と脅されておりますが。と言うわけで、元気に毎日過ごしています。もうすぐ時間切れです。いずれまた、皆さんのところに、改めてお礼に伺います。本当にありがとうございました。とりあえず、近況報告でした。
2004.03.10
「う~ん、う~ん!!」という赤ん坊の声で目が覚めた。うちの子、赤ちゃんのくせに、滅多にオギャ~と泣かない。大抵の用事(おっぱいが欲しい、おむつ換えてくれ)は、この「う~ん、う~ん!!」という唸り声(?)で教えてくれる。静かな男だ。さて、眠い目をこすりこすり、おっぱいをあげようと、息子を抱き上げたその時、「マ~マ~!!」と、息子が、大きな声で言ったのだ。目玉が飛び出しそうになり、眠気も吹っ飛んだ。「今、『ママ』って言ったの??」と、息子に問い掛けても知らん顔。また「う~う~(おっぱい、早くよこせ!!)」と言うばかり。でも、確かに、「マ~マ~!!」と言った。・・・・と言ったが、その場にいたのは、私一人の真夜中。次の朝、みんなに自慢してみたものの、あっさり親バカと笑われた。でも、本当に、本当に、「マ~マ~!!」って、言ったんだよう・・・。育児疲れの空耳なんかじゃないんだよう・・・。が、その後、「マ~マ~!!」と息子が言うことはなかった(4/10現在)・・・。
2004.03.09
出産後から、ちっともおっぱいが張ってこないことが心配だった。娘の時は、出産後2~3日したら、ある朝突然、胸だけ叶姉妹のようにパンパンに膨れ上がっていたのだ。あの叶姉妹になれる快感を期待しているのに、おっぱいは、ショボ~ンとしおれたまま。もしかして、娘の時より年を取ったから、もうおっぱいでないのか?!なんて、余分な心配をしてみたりして。毎朝毎朝、ショボ~ンとして、一向に膨らんでこないおっぱいに、ガッカリしながら、赤ちゃんにミルクを上げるその切なさといったら。別に、ミルクを否定しているわけじゃない。ただ、おっぱいを赤ちゃんにあげる、あの楽しみをまた味わいたいのだ。そして、今朝もまた、膨らんでこないおっぱいにガッカリしていたのだが、午後になり、だんだんおっぱいが、風船に空気が入ったかのように、ずんずん膨らみ始めたのだ!! 叶姉妹降臨!! じゃなくて。母乳が出てくる準備は万端整った。助産婦さんにマッサージしてもらうと、初めは、にじむ程度しか出なかった母乳が、あれよあれよと言う間に、ドッカ~ン、母乳大噴火。ピューピュー勢いよく噴出す母乳は、まるで、水芸。あっちから、ピュ~、こっちからもピュ~。あ~、コレで一安心。息子よ、3歳でも4歳でも気の済むまでおっぱい飲み続けておくれ。
2004.03.04
出産直後、息子を見た第一印象は、「かれんの生まれた時の顔にそっくり。さすが姉弟・・・。」と言うものだった。 そして、翌日。新生児室に陳列(?)されている息子を、よたよたした足取りで見に行った時の第二印象。「リトル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケーシー高峰・・・・・・・・・・・・・・(泣)。」寝かされているために違いない、きっと近くで見れば、違う顔なはず!!と、翌日の母子同室に望みをかける。 そして、待ちに待った母子同室の日の、第三印象は。「リトル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ガッツ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ガッツ石松・・・・・・・・・・・(泣)。」目が、小さい。目と目の間に、横筋が1本。(これが人相が悪く見える大元)。そして、お見舞いに来てくださる人たちの、何気ない一言が、私をノックアウトした。「赤ちゃん、ママ似ねぇ~。」え゛!?やっぱり、そう思う・・・・?。ってことは、私=息子。私=ガッツ似?! 私=ガッツ石松?! 私ってば、ガッツ石松に似てるのか?! 衝撃の事実発覚。その後、息子は、まぶたの腫れが引き、目が大きくなると、誰も私に似ていると言わなくなった。やっぱり、私=ガッツ似??大きな謎が残った。
2004.03.02
2月27日破水判明。尿漏れと間違えていたため、びっくりしたなぁ~もう。感染止めの注射と、抗生物質が処方される。 2月28日感染止めの注射を打つため、病院に行く。昨日、左側にこの注射を打ったので、右側に打った。以降、2週間に渡り、左右のお尻が痛くて、寝返りに苦労することになる。先生に検診してもらうが、相変わらず、出産の予行まるでなし。出産の始まる兆しとして、子宮口が下がり、柔らかくなって開き始めてくるのだが、私の場合、子宮口の位置は高いうえに硬く、開く気配もない。破水しているのに、お産が始まらないのは、先生の口ぶりからすると、危ないらしい・・・が、本人のほほん。赤ちゃんが生まれたくなったら、出てくるっしょ。翌日は、日曜日だが、検診に来るようにと言われる。 2月29日朝9時少し前、病院に向かうため、夫の実家を出る。「いってきます~。2時間くらいで帰ってこれると思います。」なんて言って出発。まさか、そのまま出産に突入するなんて、夢にも思っていない。感染止めの点滴を二時間ほど受けながら、陣痛の具合を見る機械をつけられる。最初は、さほど張っていなかったお腹だが、お昼近くになって、少しずつ、規則的な張りと痛みが出てくる。経産婦なので、このままお産になる可能性もある・・・ということで、お昼ご飯を病院で食べ、午後も様子を見ることに。このまま、生まれたらいいな・・・と思う反面、娘の時は、陣痛が始まってから出産まで24時間かかり、しかも、途中、陣痛が弱まってしまったため、陣痛促進剤を投与されたので、時間がかかるかもしれないなぁと、あまり期待していない。病院で、1人寂しくお昼ご飯。が、食べている最中に、だんだん、お腹の痛みが強くなってくる。なかなかいい陣痛がきはじめ、子宮口も下がり始めたらしい。夫に、出産になるかもしれないから、入院の支度を持ってきてもらうよう電話で連絡する。夫が来てから、陣痛は、徐々に強くなり、子宮口も2センチくらい開いてきた。3時になり、痛みの間隔も7~8分くらいになるが、おやつのシュークリームを食べる余裕もある。4時。「福山(雅治)のラジオ番組が始まるね~。」と、強くなる陣痛の中でも、まだ余裕があった。その後、陣痛はドンドンドンドン強くなり、途中、夫の腕を、力いっぱい握っていた。いつもは、クールな夫も、痛みに苦しむ私の姿に圧倒されたのか、背中をさすりながら「頑張れ~!」なんて声をかけてくれた。なんか、夫に応援されただけでも、出産した甲斐があったよ・・・。5時。ようやく待ちに待った分娩室へ移動。さぁ、息んで一気に生み出すぞ!!娘の時は、息み始めたら陣痛の痛みが感じられなくなったので、痛みも、もうここまで・・・・と思っていたら。息み始めても、息むのを止めると、物凄く痛い。痛いのが、終わんないよ??何で??と、パニクってしまうが、もうここまで来たからには、息んでひねり出すしかない・・・。と、無我夢中で息み、息む所間違えて、顔に力が入ってしまい、翌日、顔の毛細血管が切れ、紫色の細かい点々だらけの恐ろしい顔となるのだが。さて、頑張って息んでいる最中、一度意識がぶっ飛んだ。自分がたくさんの人に取り囲まれている夢を一瞬見て、現実に戻ってきたのだが、あれ?私、何力んでるの??と、記憶喪失状態。あ゛!!子供産んでたんだっけ!!と、思い出し、また息み続けた(笑)。長い間息んでたいたように感じていたが、実際は、分娩室に入ってから、30分ほどで生まれてしまった。 お産が始まる兆候がちっともなく、破水だけしてしまい困っていたが、蓋を開ければ、超安産。本当に、分からないものである。今回は、陣痛促進剤を使うことなく、自然な陣痛で出産することが出来た。赤ちゃんが、本当に生まれたかった日を選んで生まれて来た様で、とても嬉しかった。しかし、4年に一度の閏年を選んでくるあたり、さすが私の息子、笑いのつぼを押えている・・・だって、4年に一度の誕生日なら、成人式が80歳。息子が80歳だと、私は113歳・・・・生きて息子の成人を祝ってやろう(ぶ)。
2004.03.01
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