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先週末のハイテンションから、この土曜日はまた思いがけない展開になった。1~2ヶ月前から気になっていたちょっとした動悸、最近はちょこちょこ起こるので不審に思いつつも、気にしなくていいですよ、カロリーの取りすぎに気をつけなさいとか何とかあるいは更年期障害の前兆とか(早すぎるけどありえなくない)言われるのを期待してかかりつけの医者に行った。私はこのF先生が好きで、信頼している。えらぶったところがなく、患者をひとりひとり自分で呼びにきて、診察室のドアを手で押さえ、開けて待っていてくれる。温厚でほがらかで正直なところも気に入っている。インフルエンザのときもノロウィルスのときも腸炎のときもお世話になった。循環器科もやっていて、発作性頻拍症(心臓がばくばくなる病気)を患った友人もこのF先生に信頼を置いている。症状を話すと「それは気になるよね~はっはっは」と笑いながらも心電図をとられた。先生はときどきぴょこんと跳ねてる心電図のラインに顔を近づけ「んんん~~」とひとしきりうなったあと、「胸が苦しいと言っても、即心臓、というわけじゃなくてストレスの場合もあるし、神経の場合もあるし、肺の場合もあるし、」と言いつつ、「一応ニトログリセリン出しておきましょ」とサンプルの薬を差し出す。「ニトログリセリン??!」思わず聞き返してしまった。なんだか爆弾の材料の名前みたい!「これが効いたら狭心症、効かなかったら狭心症じゃないから」・・・き、狭心症って言ったら、心臓病じゃない?そんなこと言われるなんて思ってもみなかったので、「ときどき胸が苦しいと言っても軽いし、気にしなくていいですよね?」とダメ押しで尋ねてみると「気にしたほうがいいよ!!」と返されてしまった。・・・・・・軽い気持ちで、安心したくて医者に行ったのに、爆弾(ニトログリセリン)をもらって呆然として帰ってきた。先週のあの輝かしい希望に満ちた時間から急落下。これからだっていうときに。やっと踊る場をつくるところまでこぎつけたのに。私のからだに何が起こってるのだろう?まさか、踊れなくなる?ものすごく不安になって、いろいろぐるぐる頭をめぐる。大げさだけど、"死"の一文字も浮かんで。しかし、今のところの結論から言えば動悸が起こったとき、爆弾(ニトログリセリン)は効かなかった。3分置いて2錠目を舌下に入れてもまったく効かず。やがて症状は自然消滅。???看護士の友人と、発作性頻拍症だった友人とに話し、総合して考えてみると、私のはどうも狭心症ではないような。先生も「わからないけどはっきりしたほうがいいから」と言っていたのでもしかしたら狭心症の可能性を消すために、あえて最初にこの爆弾を処方したのかもしれない。そして考えられるのは、ストレスによる不整脈。そういえばたった数分取った心電図に、すでに不整脈が出ていると言われた。先生に「最近ストレスを感じてますか?」と聞かれたとき、「え?特に・・・」と答えたが、後から考えればそんなはずはないのだ。昨年からジェットコースターのような心理状態にさらされ、そして周囲に病気、死、鬱病などが渦巻いている中で自分を保ち、身内を支えなければならなかったのだから、ストレスを感じていないはずがなかった。ストレスに麻痺していたのだろう。そう考えると納得が行き、少し安心する。対処のしようがある。もちろん、またF先生のところへ行き、その後の経過を話し、どのように判断されるかわからないけれど。しかしこういったマイナスのことがあると、落ち込んだり怖くなったりもするけれど、生の輪郭がくっきりすることは確かで、そのこと自体は悪くない。それを実感した。もし、例え狭心症なのだとしても、まだ軽い症状なわけだし、対処しながら私は可能な限り、踊り、創り、活動していこうとするだろう。なんとか身体と折り合って、限られた中でより密に情熱を凝縮させようとするだろう。あるいは、もしも命に関わるような病気だとしたら、こんなのんびりした自分ではいられなくなる。そんな考えがまっすぐやってくると、では今までののんびりした自分は一体なんだろうと思ってしまう。不確かな未来を勝手に想像して見つめながらも、実はそんな自分は盲目だったということに気づく。こうして書いている間も軽い動悸が続いている。ちょっと苦しい。深呼吸してみる。身体の声を聞きたい。まだ踊る時間をください。
2008.02.23
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次々と過去へ流れ去る。少し前までの、出来事も、見たものも、意欲したものも。私の横を通り、後ろへ後ろへ流れ去る。それが惜しくない。新しい風がやってきて、一瞬ごとに自分が新しく生まれ変わる。細胞が入れ替わる。全てが変わってしまう一日が、瞬間が、ある。それを知っている。良しにつけ悪しきにつけ。そうやって進んでいるのだから、否定したり逃げたりするのは無意味だ。受け止め、自分も変わっていく。過去の自分に固執しない。そういう潔さを、望む。一足飛びに高いところへ飛び込むこと。それには瞬発力、決断力、集中力が大事だ。そして実行力。それらはみんな私に足りないものだ。
2008.02.18
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Nちゃんを見送ったあと、Yさんの依頼でパソコンの作業をちょちょっとしたら、そのお礼にとYさんに食事に誘われた。近くに新しく出来たインド料理屋さんに行った。インドのビールを飲み、手のひら3枚分くらいの大きなナンにほうれん草のカレーやシーフードカレーをのせて食べながらいろいろ熱く語り合った。Yさんとは、4年前に出会い、走墨を学び始め、理想を熱く語り合い、お仕事をいただいたり、私の仕事について相談にのっていただいたり。いつもパワーをもらい、語り出すとお互い止まらなくなって面白い。昨年、私がひどくパワーも自信もなく、甘えと依頼心が出ていたときにはシビアにがつんと活を入れられた。悔しく情けなく、それをバネにして1つとりあえず実現してしまったものもある。本当はそんなに年齢の差はないのに、人生のキャリアはずいぶんずいぶん違う。その前向きな姿勢と、人脈と、ガッツとに感嘆してしまう。Yさんは小さなイベントスペースを春から本格的に始動するらしく、まずは和の伝統芸能の企画を定期的に開催するという。Nちゃんの琵琶のライブはその第3弾に採用となったのだ。私はイベントスペースの話を聞いてから、とても興奮していた。ひそかに、今年はダンスのライブをやる場所を探すつもりだったから。ライブをやりたいと告げるとあっさりとOKをもらえた。走墨作品展が秋だから、晩秋になる予定で、ここ数年望んでいたことが思いがけず近いところで実現することになった。私は興奮し、高揚していた。これこそが一番に望んでいたことであり、ずっとつまづいていた最大のことだった。友人たちと組んでいたユニットを解散してから8年、最後の舞台に立ってから7年、離婚して多くを失ってから6年、生活を立て直し、傷や悩みと闘い、ジムで細々とダンスを続けながら、はいつくばるように歩んできた。そして昨年はジムもやめた。そこには先がなかったから。ステージの可能性を踏まえて友人や知人に声をかけたり、ライブスペースのある店とつながりができたり、ここ数年の間、何度か契機はあったけれど、ことごとくうまく進まなかった。私に力も自信も足りなかったせいもある。それがようやくここまで来た。急な巡り合わせでこうなった。急に生き生きと全てが色づいて見える。ステージをやること。そのたった1つの可能性だけでこんなにも変わる。やっとここまで来た。昨年はこの話が来ても、こんなふうになれなかっただろう。昨年を乗り越えなければ、ステージは無理だっただろう。ちゃんと時期というものがあって、回っている、と感じた。先週浴びた、あの象徴的なフラッシュライト。あの瞬間が鮮やかに立ち上がってき、今を照らし出す。心臓がわななく。広春先生の描いてくださった走墨作品、ダンサーの絵も私を後押ししてくれているように象徴的だ。今年は詩集をつくり、走墨作品展にいいものを出す、と思っていたけれど、ひそかに一番願っていたダンスの場も持てそうで、一気にヒートアップしてしまった。欲張りだと言われようと、詩、アート、ダンスは私の中の3本柱だ。そのすべてが今年に集結して叶われようとしている。ブランクも大きすぎるし、本当にすべてし遂げられるか途方にくれもする。でも、後はやるだけ。深く沈みこんだら、後はジャンプするだけ。思い切り深呼吸して、空に身を投じて。
2008.02.17
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翌日曜日、琵琶をやっているNちゃんがうちに来た。彼女のホームページ作成の仕事を引き受けたので、その2回目の打ち合わせ。私は少し前からひとりで妄想していることがあった。Nちゃんの琵琶をこれまでも応援したいな、と思っていたので、ホームページ作成の仕事の依頼は嬉しかったが、さらに具体的にちょっとしたコーディネイトをしたいと思っていたのだ。土曜日、走墨教室のオーナーYさんに話してみると、なんとちょうどYさんも、イベントスペースの企画をこれから始めるところで、琵琶の演奏家を探していたのだと言う。あまりのタイミングの良さにびっくりしながらも、日曜日、ホームページの打ち合わせの後引き合わせると見る見るうちに6月の演奏会の日時やチケットのことまで話がまとまってしまった。ここまで1日で決まると思っていなかったので、正直驚きながらも、こうした"即決"やタイミングってやっぱり大事だなとつくづく思った。6月、私もスタッフとしていろいろ手伝うつもり。琵琶や自分の世界を広めようとしているNちゃんにも、イベント企画を手探りで進めているYさんにも感謝されたが、妄想していたイベントを実現してくれる2人に、私こそが感謝している。不思議なめぐり合わせにわくわくしている。
2008.02.17
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この土日は興奮し、高揚した2日間だった。土曜日、注文してあった広春先生の走墨作品集を受け取った。B4版サイズの、ずっしり重い高価なものゆえ、これまでは買いあぐね、教室にあるものをときどきめくって満足していた。しかし今年は作品展の年だし、やはり手元に常に置きたいと思い、思い切って申し込んでみたのだ。作品集の中表紙には、購入した人それぞれに名前と、何かしらメッセージを先生が書いてくれるのは知っていたけれど、私のを開いてみると、思わず目を見張ってしまう走墨作品が描かれていた。右ページには"華になる"という文字。"華"が黒いドレスの、凛とした女性の立ち姿のように描かれている。そして左ページには踊る人の姿、その動き、衣装のひるがえりが躍動感をもって描かれていて、これは私だからこそ描いて下さったモチーフだとわかり、思わずじーんとしてしまった。2万円以上するこの豪華な本に、こんな作品を描くのには大変なエネルギーと集中力が必要だろう。本当にやり直しが効かない作業だ。高価だから、と買いあぐねていたけれど、先生にとっては一冊一冊売ることさえ、真剣勝負なのだと思うと、本当に頭の下がる思いがした。この中表紙の生の作品だけでもじゅうぶん購入金額以上の価値がある。私は嬉しさのあまり、ぴょんぴょん飛び跳ねてしまい、そこに集まっていた人たちに大いに笑われてしまった。こんな嬉しさは久しぶりだ。意欲もわいてくる。作品展に向けて真剣に取り組んで、いい作品を書きたいと改めて思った。
2008.02.17
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10年以上ぶりにSスタジオに来た。バレエのオープンクラスに参加するために。周りの風景のあまりの変わりよう。1つ1つ見ながら懐かしい道を辿る。雪の降った翌日で、ひどく晴れて上着がいらないくらいあたたかかった。緩んだ空気。ところどころ残る雪の白、空の青。晴れやかで静かな日曜の午後。懐かしすぎて不思議な感じ。なくなってしまったお気に入りのファストフードの店や、新しくできた店、ビル、地下鉄の駅。変わらないものもあった。作業服の店。昔ながらの喫茶店。ダンスの公演本番前にみなでお参りした神社。レッスン帰りに通った長い歩道橋。会わなくなってしまった仲間のひとたち。今も誰かが歩道橋を渡っていはしないかと思ってしまう。いろんな思い出。そして今私はまた別な位置にいる。同じ新宿の街を歩いていても。大通りを北上する。ゆるやかに左にカーブを描く成子坂。遠くの車がきらきら光って、ゆったりしたにぎわいを感じさせる。北新宿の界隈は、再開発のため以前のつつましい商店街と静かな住宅街の姿はない。むき出しのだだっ広い空き地になっていて、遠くのSスタジオの建物群を大通りから見渡せた。掘り起こされた土が山になっている。無秩序に生えている草。有刺鉄線。くたびれた古い建物、そして廃墟。すぐ向こうには逆に真新しいマンションが突如そびえ立ち、舗装された広いこぎれいな歩道は、何か別世界へと続くエントランスのようでシュールでもある。スタジオの周りには、独特の空気が流れている。キャリーケースを転がしオーディションに向かう若者、髪を結い上げた、バレエレッスン帰りの少女、べたべた貼られた舞台のポスター、芝居の稽古の休憩中なのか、稽古着のまま外で談笑する男の子たち。相変わらず危なっかしいスタジオの外階段。入り組み、複雑な大小さまざまなスタジオ。目指すスタジオの重い扉を押し開けると、中は広さもわからぬほど真っ暗だった。事務所に尋ねると、私の出ようと思っていたレッスンは、事情により、急に休講になったと告げられた。ここまで来て残念だが、私はそれほど落胆はしていなかった。それより、不思議だった。なんのための時間だったのだろう。機会だったのだろう。日差しはあいかわらず照りつけ、昨日の雪をほぼ溶かしつくし、どこまでもこの午後が続くかのように思えた。私は過去に身を置き、そしてまぎれもなく現在に身を置いていた。不思議な感覚に打たれていた。後悔はなく、徒労感もなく、来てよかったと思ったけれど、それでも軽いめまいにも似た疲れを感じ、夕方からの用事はあるが、いったん帰ることにした。遠く旅してきたような錯覚を覚えた。帰りの駅に立ち、電車を待っているとき、ふと思う。行ったことのない場所へ、いろいろ行ってみよう、と。別段旅行するとかではなく、ちょっとした興味やちょっとしたお誘いがあったら、物怖じせず、なるべくいろんな街、いろんな駅に行ってみる。些細なことだけれど、ついマンネリになりがちな私には、それは改革を意味する。マンネリは安心なのだ。それを壊す。そして思い込みや偏見をなるべく捨てて、物事を見る。取り組む。そんな方針までわいてくる。これまでどれほど狭い枠に自分をはめこんでいただろう。そしてその枠から物事を人を見ていた。時間をかけてこれまで徐々に自己の確立をしてきたのだから、当然だし、それはそれでもいい。必要なことであっただろう。しかし、これからしばらくは、それを注意深くいったん外して、見てみる。考えてみる。そうすると全く違ったものが見えるかもしれない。可能性が広がるかもしれない。発想ができるかもしれない。何もこれまでの自分、築いてきたものに固執する必要はないのだ。列車のシートに座り、そんなことを考えていると、突然、フラッシュライトが私を襲う。強烈な光の点滅の繰り返し。このノートの白い紙面に影を落とす私自身の指。ピンに一点とめられて標本にされている蛾のように私の思考は感覚のピンにとめられ、細く細く身動きできなかった。息をつめた。それは動きだした電車の窓から差し込む午後の日差しが、線路脇に立つ幾枚もの大看板に遮られ、その隙間隙間から瞬間的に、より強烈に閃光を放っているのだった。何かが私に啓示を与える。焼き付けようとする。私はなるべく自分を空(くう)にして、それを感じ、写し取ろうとする。空(くう)という言葉が自然に出てしまった。昨年から仏教や禅を学んでいることと、これもつながっている。今日のことも、この先のどこかへつながっている。
2008.02.10
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