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不在。かき消された存在。かき消された命。Kが亡くなってから1年が経った。彼の意識は一体どこへ行ってしまったのだろう?無となってしまったのだろうか?思念や記憶も全て消えてなくなってしまったのだろうか?
2010.07.30
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今日の帰り、駅まで歩きながらコヨーテさんのことを考えていた。お互いものを創り続けて、いったいどこまで行くのだろう?と。彼は寡黙にものを創り磨きをかけ、ひとり、立っている。ビルの合間に夕陽が輝く。心地よい夏の夕方の空気の中を歩きつつ、考える。それぞれが創り続けてどこまで行くのだろう、どこまで行けるのだろう?と。
2010.07.30
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昨年の「ヴェニスの商人」に続き、今年もシェイクスピアの舞台のちらしデザインの依頼を頂いた。今回は「オセロー」。昨夜、制作のSちゃんからのメールに気づき、日時やキャストなどの必要情報が届いたので、夜11時から夜中の3時まで一気に作業し、テキスト部分と裏面のレイアウトを大体形を作り終わった。久々の夜更かし。最近は早めに寝るようにしていたからなあ。表面のデザイン自体はまだ迷って考えあぐねている。テキストが入ったのでだいぶ気が楽になったけど、ペースはいつもながら遅い。最初はモノトーンでグロい感じでリクエストが来ていたのでその方向で進めていたのだが、事情により正反対のイメージへの変更の打診があり、そのギャップに悩んだのもある。全体のデザインと、ロゴが問題だ。炎、濁流。あり地獄のようならせん。赤、ボルドー、赤銅色、紫・・etc.迷う。白地の空白を残すか、赤や紫系のベタ塗り、またはグラデにするか。動的で少し扇情的。うねって突き進む心。濁流に、あり地獄に、呑まれ後戻りできない、はまってしまった心。そこからあふれる愛憎の情。炎か、魂の尾のようなゆらぎを上げるロゴがいい。風前の灯火みたいでもいい。淡くゆらりめらりと立ち上る煙かもやを帯びるロゴ。イメージは湧いても、それを形にする技量が足りない。でもいろいろ工夫してやってみよう。
2010.07.30
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電車で疲れて眠ってしまい、しかし降りる駅で目覚めて何とか乗り換える。眠りと覚醒のはざまのぼーっとした視界には電車内のありきたりの情景が、濃い濃度をもって迫ってくる。これは当たり前の日々ではない。いつ死ぬかもわからない。一瞬一瞬が貴い時間なのだ。自分のやること、やるべきことに突っ込んでいってのた打ち回らなければ何も見えてこないのではないか。
2010.07.26
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昨日は言われて嬉しいほめ言葉について考えていた。また、言われそうもないほめ言葉を考えていたら、むしょうにおかしくなってひとりで笑いをかみ殺していた。言われて嬉しいほめ言葉を考えていると、自分の在りたい姿、特質、人から見られる自分の特質、価値観の相違などが浮き彫りになる。
2010.07.22
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仕事帰りジムに寄って久々のHIPHOPのクラスに出た。楽しく、そして心を揺り動かされた。こんな感覚は久しぶりだ。ダンスは私にとってこんなにも解放につながるとは。しばらく忘れていた感覚。どばーっとエモーショナルなものが身体の中にあふれて頭の中を旋回し、汗とともに心をふりしぼった。breakthroughという言葉が浮かぶ。breakthroughしなければ。
2010.07.17
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上野の東京文化会館に二期会オペラ「ファウストの劫罰」を見に行った。H・アール・カオスのコンテンポラリーダンスとのコラボで、オペラもダンスも素晴らしかった!メフィストフェレスのあやしい存在感、プリマドンナの林正子さんの魅力的な声。アルト部分の声にも酔った。舞台装置も洗練され工夫され、かつダイナミックで美しかった。カオスのダンスはずいぶん前にTVで見て衝撃を受け、一度は見てみたいと思っていたのがやっと叶った。原作のゲーテの「ファウスト」自体にも興味が湧いた。長いようだが、読んで直にその世界観に触れてみたいものだ。いろいろと刺激を受けた夜だった。お誘い下さったN山さん、ありがとうございました!
2010.07.15
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6/10"道"について考えていた。仕事の帰りに歩きながら、見えそうで見えない、わかりそうでわからないことがうすい膜の向こう側にあって、あと少しでわかりそうだったのに、届きそうだったのに、探り当てることができずにいた。でもすでにわかっているのかもしれない。"道"は"道"であって、すでに途上にいるということ。今関わっているすべてが1つに向かっているということ。"道"は"なる"ことではないということ。"なる"ことや"成功"というのは、道の通過点であって、道を歩んでいること、大きなものに向かっていること、自分の使命というものがあるならば、それに向かうことに比べたら、"なる"ことや"成功する"ことは瑣末なことなのだ。使命とまで言えるかわからないけれど、恐らく自分が駆り立てられるようにいろんなことをやっていて、そのどれもやめられずにいることは、単に私の趣味で趣向でやっているのではない、と思っていいのかもしれない。そんな不遜な考えが初めて浮かんだ。そうでなければそんなに享楽的なわけでもない私が、こんなに長くいろいろやっているのは何だか辻褄が合わないのだ。使命とまでは考えられないが、何か自分なりに大事なものを生み出すためにいろいろと労力とお金と時間を払ってやっているのだろうと思える。やってることの1つ1つが成功していないから、満足していないから、という理由でマイナスにとらえる必要はないのかもしれない。中途半端でアマチュアで、かと言って芸術と呼べるほど高尚だったり個性的だったりするわけではないことがずっと悩みだったけれど、きっと全体で何か形となるのだろう。全体で何かに向かっているのだろう。だから落ち着いて、ダンスも絵も走墨も文章も写真も詩も哲学も仏教も、学び、深め、関わり続けていけばいいのだろう。私は私なりの真実を探り当て、それを力みのない、しかし低く深く響く言葉にして絵本をつくりたいものだ。他の人が書いたすぐれた哲学的な絵本があったっていい。私には私にしか描けないものがあるはずだ。それはいいものができる予感がある。周りの人にしか理解されなくてもいい。それを創ることが大事なのだ。6/21I先生のバレエレッスン、3回目。疲れていたけれど、行ってよかった。バーでパッセ&ルルベのとき背中の引き上げをほめられたのが嬉しかった。センターでは、上体を回すとき骨盤がぶれて動いてしまうこと、ランベルセやアンデダンターンで腰が抜けてしまうところなど注意された。軸がしっかりしていないことが露呈してしまっている。振りがなかなか覚えられない。早く振りに慣れ、精度を上げるほうに気を使えるようになりたいものだ。Eちゃんを見ていると、踊りが自然な言葉のようだ。自然な呼吸、自然な動き、音楽との対話。見ていてそれだけで心地よい。夕方帰宅すると、だるくて疲れて1時間ほど寝てしまった。一度起きたけれど、しばらくソファでぐでっとしていた。汗を大量にかいたのでシャワーを浴び、少しすっきり。ジムのバレエレッスンではここまで汗をかけない。だくだくと汗をかけることが嬉しい。6/23密かに抱いているささやかな野望。うまく行くだろうか?もうこれくらいになると別に失うものもないわけで、思い切り好きなことをやるべきだと思える。雨、雨、雨。カフェの緑色のシェイドの縁を伝う雨粒。なめらかに流れ、落ちる。あとからあとから。通り沿いに植えられている柳の木も濡れそぼっていつもより、よりうなだれて見える。ダンスをやる私。それが生活の大前提にあるだけでずいぶん気持ちが軽く、しっくりくる。やっとこのスタンスに戻れた。シンプルに続けていきたい。そしてもっとダンスをやりたい。豊かさについて考える。ものの豊かさ、金銭や不動産をもつ豊かさ、時間的・空間的豊かさ、自己表現の豊かさ、コミュニケーションの豊かさ、etc.どれに価値をおくか、また実際感じられる豊かさはどれか。どの豊かさを望むか。6/25サッカーワールドカップ、日本がデンマークに3-1で勝って決勝トーナメントに進むことが決まり、今朝はどこも大盛り上がりだった。すごい。あんなにバッシングされてたのに。逆境にあっての精神的な強さと、チーム力に感動と勇気をもらえた。6/30昨夜はサッカーワールドカップ、決勝トーナメント、日本×パラグアイ戦だった。久々にサッカーの試合を見たなあ。日本はPK戦で敗れたものの、よくやった。よく頑張った。昨夜は俳優座劇場に「スタア」を見に行った。劇団のときの同期の子が主演だった。終わってから楽屋に訪ねていき、少し話ができたのでよかった。頑張ってるなあ。彼女のひたむきさにはいつもすごいなあと思う。あの細い体にあんなエネルギーがつまっているなんて。疲れて、エネルギーが出なくて、ダンスなんて無理、これ以上やりたいことやるなんて無理、現状維持だけで精一杯、と打ちのめされる朝があり、夜がある。何かを大きく変えないと、シフトしないと、立ち行かないのかもしれない。7/2今年の目標に掲げていた身体づくり、改善のこと、あまりやれていない。今年も後半に入ったのだから、本気で取り組みたい。具体的に指針を決めないと。ダンスに復帰したのは喜ばしいことなので、このまま淡々と続けてカンを取り戻そう。気になるのは、骨盤のゆがみ、足のむくみとセルライト(!!)、上体の筋力低下、肩や首のこりと背中のかたさ、顔のこりとむくみ。・・・ほぼ全身ではないか。思わず苦笑。大通りに面したオープンカフェでぼーっとする。ひっきりなしの車の音。騒音に埋もれて、騒音に自分を明け渡していると、すべての音が自分の中からわいてくるような感覚を覚える。夕方のくもりの白い空。空。くう。仕事の集まりで、K坂さんに会った。また100km一緒に歩こうよ、と言って下さった。泣きたくなった。ありがたくて、嬉しくて。そして懐かしくて。胸にあつく湧き返る思い。先日から"道"について考え、今ここにいる、この場所、関わっているすべてのことが自分にとっての道だ、と思い至り、引き受けることを選んではいるけれど、と同時に、今ここで根本から覆し、変えることが自分にできるだろうか、という問いも自分にとって真摯なものとして迫る。大きなものを変える、捨てることができるだろうか。 4/23 道。道を求めてきたけれど、今いるここが道だ、と今さらながら気づいた。 理想ばかり追い求めてきてへとへとになって、理想さえ見えなくなっていた。 しかし、今、ここ、この私でいいのだ。 自分を現状を認めずにきたのだ。 追い求めなくてもいいではないか。 もうすでに道を歩んでいる。歩み続けている。 たくさんのものを吸収している。 素晴らしいと思える人たちと交流している。 ひとりひとりといい関係をつくっている実感がある。 こんな幸せなことはない。充実していることはない。 これを認めさえすればいいのだ。 この先には何もないのだ。 そう、高村光太郎の言う通りだ。 僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。 ものすごい真実をついた言葉だ。 今度の走墨作品展の課題作品のテーマは奇しくも"道"なのだ。 すべてが何かのたくらみにからめとられているように縁付いていて、不思議な感じ。7/3心に兆しているもの。小さな望み。昨日はN山さんから、今日はK子さんから、それぞれダンスに関連する舞台鑑賞の、ご招待や割引でのお誘いがあり、不思議な気がしている。7/4進んでいく、進んでいく。座り込んでいないで無意識にも歩き続けていると、やがて見たことない場所に辿り着けるだろう。うつむきながらでもいい、歩いて歩き続けて、進み続けている。バレエのレッスン、またバーでパッセルルベのときは引き上げがいいとほめられるが、センターになると、まるで引き上げができず、注意される。上体の筋力不足のせいだと思っていたけれど、できているときもあるのだから、まずは意識と身体の使い方の問題なのだろう。K子さんからのお誘いにのり、せんがわ劇場にコンテンポラリーダンスの公演を見に行った。しなやかさ、弾力性、生き生きとした身体。声を発する場面もあり、以前サイトウさんのブログでのやりとりを思い出したりしていた。(現在はコメントは何らかの理由で消去されているようです)声(言葉)も"身体"の一部ということ、すると"視線"も身体の一部なのだろうか、肉体から発せられる体温、汗、熱、もやはり身体の一部と言えるだろうか、などと考えていた。音楽をきいていると、踊りたくなる。店内のBGMに合わせて足がリズムをとり、歩き方がもうダンスのステップになる。他の人はなぜ踊りたくならないのだろう?とそのほうが不思議な気になる。7/10Jazzのクラスに出た。Jazzは本当に久しぶり。身体がHIPHOPの動きのほうに最近は親しんでいるせいか、何でもないステップで注意をされたりする。
2010.07.14
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