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1月24日日曜日。妻は早朝5時半にタクシーを呼び、青森へ旅行に行った。私はいつも通りブログを更新し、朝食を摂った後バス停へ向かった。外は一面の銀世界。暖冬と言われながらも3度目の雪。バスの中から見える街も、真っ白な雪景色ばかり。 仙台駅前で降り、そのまま地下の「青葉通り駅」に入る。ここは仙台と石巻市をつなぐ仙石線の始発駅。ここから乗るのは初めてだが、仙台駅まで歩く必要がなくて助かった。今日は松島を訪れる予定。天気予報では前日から雪なので、きっと素晴らしい雪景色が撮れるのではないか。そんな期待をしながら私は電車に乗っていたのだ。 陸前浜田駅周辺から雪の松島が見え始めた。松島海岸駅で降り、観光船乗り場付近に向かう。想像以上の雪の量。これは仙台よりも多そうだ。駅前の店にカキの殻が積んであった。客寄せのためだろう。松島湾ではカキや海苔の養殖が有名。厳寒期の今は、もっともカキが美味しい季節だ。町の人達が懸命に雪かきをしているが、そのまま雪が残っている箇所も多い。国道を渡って海に近づく。 最初に撮った景色がこれ。江戸時代に俳人の松尾芭蕉が弟子の曾良と一緒に東北を旅した。それを数年後に著したのが有名な「奥の細道」だ。う~む。これは絵になる。今日は良い写真が撮れそうな予感。私は喜んで雪の中をどんどん歩いて行った。 観光船乗り場は閑散としていた。これだけの雪だし、朝なので観光客もまだ少ない時間帯だ。桟橋には行かず、入口付近で雪を被った船を撮った。 これも同じ場所から、少し遠くを撮ったもの。左の奥に見える小島が雄島(おしま)。奈良時代から鎌倉初期まで、修行僧が立て籠っていた聖なる島だ。そこまで2kmほど歩けば良い写真も撮れるだろうが、今日は行く暇はないと判断。 左手に雪を被った福浦島が見えた。あの島には縄文時代の遺跡があると聞いているが、もう50年ほど行っていない。その島に架かるのが福浦橋。いつもなら赤い欄干が鮮やかなのだが、今日は雪を被って良く見えない。 こちらは「日本三景」の石碑。京都府の「天橋立」、広島県の「安芸の宮島」、そしてここ松島の3か所が日本三景として昔から有名。 この高い石碑には「特別名勝」と彫ってあるのだが、写真が暗くて良く見えない。石碑の奥に見えるのが福浦島だ。 海の上にはまだ厚い雪雲が横たわっている。その下に雪をいただいた松島の小島が点々と見える。 これは少し離れた場所から撮った似たような風景。 これは海岸の直ぐ傍の島。雪を被った風景は最高。やはりこの日に来て良かったと思う。 「五大堂」のある島から観光船乗り場方向を見ている。 これも五大堂から観た松島湾の風景。 五大堂から福浦橋と福浦島方向を観る。 観瀾亭から観た松島湾。雪のためにすっかり色が消えて、モノトーンの松島。まるで水墨画のようだ。この日に撮った写真は170枚ほどになった。それをこのシリーズでどう紹介すべきか悩んだのだが、結局は私が歩いた順番に近い形で見せるのが素直なのかも知れないと思った。<続く> 昨夜のサッカーリオオリンピック予選決勝戦、私は前半だけ見て眠ってしまった。韓国に先制され0対1のビハインド。これは負けたかも。そう思って寝たのだが、今朝起きてPCを開いたら3対2で逆転勝利。これには全く驚いた。後半2分にも追加点を取られて0対2.よくそこから逆転勝利したものだ。おめでとう手倉森ジャパン。弱い弱いと言われ続けたこのチームが、ついにアジアチャンピオンになったのだ。良く頑張ったね、選手達よ。
2016.01.31
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昨夜は何度か布団の中で目覚めた。室温が下がって足が冷えたのだろう。そして外は雪。今回も少し積ったようだ。さて前回の大雪の数日後、家の裏で幾つかの痕跡をみつけた。物置付近には見なれない動物の足跡。きっと裏の家から来たはず。たった一つだけの足跡は一体誰のものだったのだろう。 堆肥を作るコンポスト容器の周囲には、3つほど穴を掘った痕跡。これはきっとドブ鼠だ。だが土が凍っていたのか、容器の中には侵入出来なかったみたい。そして畑のブロコリーの葉が、鋭く食いちぎられている。これはヒヨドリの仕業。きっと大雪で餌に困っていたのだろう。北国の動物達は厳寒期に、みんな苦労をしてるんだねえ。 全豪テニス選手権の錦織は準々決勝で敗れた。相手は世界ランキング1位のジョコヴィッチ。さすがに世界ナンバーワンだけあって、ストレート負け。全く実力を発揮出来なかった。事前に対策を立て、練習もしたのだろうが、それは相手も同じこと。しっかり対応して錦織を下した。世界のレベルは高い。体格で劣る錦織だが、良くここまで来たとの思いはある。きっと何らかの手応えはつかんだはずだ。まだまだ夢に向かって頑張って欲しい。 リオオリンピックのサッカーアジア代表決定戦準決勝で、手倉森ジャパンは宿敵イランを下した。場所はカタールのドーハ。かつてここではワールドカップアジア代表戦があり、試合終了間際に同点に追いつかれた日本はW杯に行けなかったいわくつきの場所。いわゆる「ドーハの悲劇」だ。そこで同じ宿敵を下したのだ。 弱い弱いと言われていた今回のU23。国際親善試合でもなかなか勝てなかった。それを手倉森監督は辛抱強く指導し、少しずつ力をつけて来た。作戦も見事にはまり、選手全員でオリンピック出場決定。そして今日の決勝戦の相手は韓国。これも日本にとっては難敵だが、堂々と打ち破って優勝して欲しいものだ。頑張れ手倉森ジャパン!! 大雪で走れなかった日が何日か続くうちに、体調に異変を感じた。弱いながらも睡眠中に起きた動悸。これはまたもや不整脈の勃発かと心が曇った。そんな日が3日続いた。手術後も不整脈の再発は起こり得ると聞いていたが、これには心が挫ける。「だが」、と私は思い直した。これくらいならきっと走れるはず。そう信じて道に飛び出した。 いつものコースはまだ雪が残っていて危険。国道の広い歩道なら大丈夫なはず。風はあったが、雪はほとんど融けていた。ゆっくりゆっくり走った久しぶりのコース。悲しいけれどすっかり老人の走りで、脚が全く伸びない。それでも帰路は気持ちだけ歩幅を広げてみた。帰宅後ジョギングシュミレーターで測ったら、距離は12.6km。かかった時間は信号待ちも含めて2時間20分。ウォーキングと変わらないが、それでも満足した私だった。 悩んでいた走友会の新年会出席を決め、お世話役あてメールで申し込んだ。レースへの出場はもう無理。練習も思うようには行かない。それどころかここ数年、一、二度は死にそうになるほどの発作が起きた。昨年走友会の行事で参加したのは春のお花見だけ。それも退会を申し出ようとしたのが理由だった。 走れないランナーはもうランナーじゃない。まして錚々たるランナーが集まるのが走友会。そんな中に死にかけの老人が混じって、一体どんな意味があるのかと自問自答していたのだ。だが形だけでも良いから、今年も走友会に残ろう。自分でそう決めたのだ。そして当日は、会場までノロノロ走って行く積り。こんな格好の悪いランナーも、世界にはいるんだよ。 先日は「マイナンバー」が見つからなくて困った。そろそろ確定申告の準備をしようと思っていたのだ。2日ほど後にようやく見つかった。カードが紛失しないよう、封筒の中に入れていたのを忘れていたのだ。やれやれ良かった。でも大事なカードがこんなに小さいんじゃ、何だか心もとないんだよねえ。 さて、明日からは新しいシリーズを始める予定。170枚ほど撮った写真を一気に載せたら、果たしてどうなるのか楽しみだ。
2016.01.30
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早池峰岳神楽 「れきみん秋祭りシリーズ」をようやく書き上げた。仙台市歴史民俗資料館を訪れたのは昨年の10月24日。そこで宮城県や岩手県の伝統芸能や伝統工芸を観た。その際、簡単な紹介はしたが、神楽の紹介は今年に入ってからになった。ブログネタが乏しくなる冬季に残しておいたのだが、170枚近い神楽の写真をどんな風に紹介すべきか悩んだ末でもあった。動画ならいざ知らず、似たような写真が多く、しかも神楽の各シーンには一切の説明がなかったからだ。 宮城県内の神楽も岩手の早池峰岳神楽も観るのは今回が初めてだった。早池峰は東北の秀峰で、日本百名山にも選ばれた山。数年前、岩手の姫神山に登った時、遥か南方に白い雪を戴いた山が見えた。あれが早池峰山だった。昨年の正月に亡くなった妻の兄から、何度か早池峰山に登った話を聞いた。自分もいつかはと思いつつ、加齢と病気でついに山頂に立つことは適わなかった。義兄は写真が趣味でもあり、あの神楽も撮っていたように思う。 神楽などほとんど興味がなかったのに、今回このシリーズをブログに紹介したことで、私自身の意識が変わった。どれもが素晴らしい舞だった。歴史、伝統、人々の信仰心、そして昔からの東北の暮らしを思った。庶民の間で長年守られて来た伝統芸能。それを伝えた人々が決して豊かではなかったことを思うと、よくも今日まで連綿と伝えられたものと想う。ただの静止画を連ねただけだったが、それでも何らかの意味があったと思いたい。 男女の便所神 古いコタツ布団を裁ち鋏で切り、ゴミ袋に詰めて捨てた。ある時妻が鼻をつまみながら「臭い臭い」と言って私の部屋に入って来た。何せほぼ一日中部屋の中に閉じ籠っているため、加齢臭がきついのだろう。でも私は言った。「カーテンもコタツ布団も洗ってないんだよ。それにコタツ布団は破れているし」。遮光性のカーテンはこの家を建てた時以来ずっと洗っていないし、コタツ布団に至ってはこれまで30年近く使って来てボロボロなのだ。 まあ自分が死ぬまでそれでも良いかと思っていたのだが、妻がそんなことを言ったので、私も少々反撃したのだ。そんなことを忘れていた頃、彼女は私の部屋に何かを運び込んで来た。コタツ布団に代わりそうな製品だが、幅が足らない。彼女は「工夫して使って」と言い残して去った。そこで古い毛布を2枚ほど引っ張り出し、クロスさせてコタツ布団に変えた。まあまあ暖かい。これなら何とか大丈夫そう。何せ我が部屋で唯一の暖房器具がコタツなのだから。 これまでのを捨てるついでに、古いシーツや腋に穴が開いたセーター、襟が擦り切れたシャツも引っ張り出してゴミ袋に詰めた。これでかなりさっぱりした。何せ私の部屋の狭い押入れには、妻が不要になった毛布やシーツの類が何枚も積まれていたのだ。長年使用されないそれらは、押入れの肥やしでもあった。さらに遮光性のカーテンに○ァブリーズでもすれば、部屋の臭いはかなり減ると思うのだ。ただし私自身の加齢臭は別として。 我が家の山茶花 K先生の死を新聞で知った。東大の名誉教授で天皇陛下の主治医を10年ほど勤めた医師だ。私は3つ目の職場で若き日のK先生と何度か顔を合わせたことがある。あの時先生は確か、老人内科の研修医だったはず。良く私の職場へ来ては、調べ物をしていた。その頃から白髪頭で、私は相当年上だとばかり思っていたのだが、享年は74歳となっていた。私と2学年違っていただけで、とても意外な気がした。 先生はとても寡黙な人だった。今生天皇の前立腺がん摘出手術にも2度立ち会ったようだ。確か日本学士院の院長も務めたように記憶しているが、最近は物忘れが多いのであてにならないかも知れない。11も職場を異動し、様々な研究者と出会ったが、強い印象を残した学者の一人だった。あの野武士のような風貌が忘れられない。慎んでご冥福を祈りたい。合掌。長くなったので、続きはまた明日にしよう。<続く>
2016.01.29
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<早池峰岳神楽4> さてさて180枚ほど写真を撮った仙台市歴史民俗資料館(れきみん)の秋祭りも、とうとう今日が最終回になりました。今日紹介する「早池峰岳神楽」(はやちねたけかぐら)は、岩手県の山間早池峰山の山麓にある早池峰神社に奉納される舞です。遠野市、宮古市、そして神楽を500年以上伝えて来た岳や大償(おおつぐない)のある花巻市の境界に近い、僻地の集落。きっと長い間この神楽を伝えて来たのは、現地の農民だったのでしょうね。 その見事な舞は、国の重要無形民俗文化財に指定されているだけでなく、ユネスコの無形文化遺産にも登録されるほど重要なもの。日本の誕生神話を思わせるような、とても神秘的な舞の連続でした。今日はその4つ目の演目である「天降り」(あまくだり)の続きの場面から始まります。なおこれまで書いて来たストーリーは全て私が考えたもので、演目の内容に関する説明は一切ありません。どうぞその辺をご理解くださるようお願いします。 「天降り」の舞も最終場面に近づきました。踊り手は既に被っていた面を外しています。 天つ神(天孫族)と国つ神(在来神)は共同して大八洲(おおやしま=我が国)の統治に成功し、祝いの舞を舞っています。 祝いの最高潮に達したところで、踊り手は剣を抜き、手に持って踊り始めます。いわゆる剣舞(けんばい)で、宮城県や岩手県にこの舞が様々な形で残されています。 剣舞は恐らく日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征伝説と通じるものがあるように、私は感じました。 最後に踊り手たちは頭を深々と下げ、舞台から去って行きました。 いよいよ最後の演目である「権現舞」(ごんげんまい)の始まりです。 踊り手は面を被らず、初めから素面で舞い続けます。 舞はとても軽快で、明るい感じがするものです。 両手に持った扇子で、周囲を鎮めるような仕草をします。 そこに恭(うやうや)しく権現さまが登場します。 権現さまは仏の化身でかつ神の使いでもあります。 神楽ではこの獅子が権現さまのシンボルです。 これ、静まらんか皆の衆。大八洲(おおやしま)は神の島なるぞ。 そしてこのわしが早池峰の神じゃ。 突然まさかの展開。お酒とマイクを持った神職が舞台に登場し、祝いの酒が届けられたとの紹介をします。きっと現地の神社でも、神楽の最中にこのようなことが実際に行われているのでしょうね。良いことは直ちに神と観客に報告するようです。 早速権現さまにもお神酒が届けられたと報告されます。 良く聞けよ、皆の衆。これからも早池峰の神の恩を忘れるでないぞよ。 この後、供物(くもつ)は静々と下げられて行きました。 権現さまは最後の最後まで、威厳のある姿を崩しませんでした。 これで早池峰岳神楽の5つの演目は全て終了。最後に宮城県石巻市の「雄勝法印神楽」にエールが送られました。早池峰は過疎化で、雄勝は東日本大震災の津波被害で、共に苦しみながら国の重要無形民俗文化財を長年に亘って伝えて来たのです。きっとその苦労がお互いに良く分かるのでしょうね。 たまたま夏に資料館を訪れてこのイベントを知った私ですが、これらの優れた神楽を観ることが出来て本当に良かったです。東北の宝だけでなく、日本の宝。いや、きっと世界の宝なのでしょうね。 最後にこの日私が観た4つの舞を再度列挙し、このシリーズを終了させていただきます。演じられた演目は全部で13に及び、とても見応えがありました。長い間お付き合いいただき、心から感謝しています。 1.川前の剣舞(仙台市青葉区芋沢:宮城県指定無形民俗文化財) 2.生出森八幡神楽(仙台市太白区茂庭:仙台市指定無形民俗文化財) 3.雄勝法印神楽(石巻市雄勝町:国指定重要無形文化財) 4.早池峰岳神楽(岩手県花巻市大迫町:国指定重要無形文化財、ユネスコ無形文化財登録)<完>
2016.01.28
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<早池峰岳神楽3> 国の重要無形民俗文化財であり、ユネスコ無形文化遺産に登録されている早池峰岳神楽は、花巻市の山間にある早池峰神社に奉納される舞です。500年以上の間、土地の農民によって伝えられた神楽も、3番目の演目である「女五穀」が舞われています。秋、収穫された穀物は早池峰の神に先ず奉納されるのです。 五穀とは、米、麦、粟、黍(きび)、そして豆のこと。豆に代わって稗(ひえ)を入れることもあるようです。この冷涼な大地に、よくも神さまは穀物を下されたもの。 収穫を寿ぐ舞も終わりに近づくと、踊り手は被っていた面を取ります。 神妙な面持ちで舞う踊り手たち。 最後は剣を抜いて舞い、静かに舞台から去って行きます。 ここからは4つ目の演目「天降り」(あまくだり)です。 この神楽にも鬼の面を被った踊り手が登場しました。さて、鬼は何の化身なのでしょうね。 ひょっとしたら天からの使いである天つ神を迎える国つ神(在来の神)なのかも。 天狗は時々首を傾げる様子が愉快です。 何かを手にしながら祈る天狗。 次に大きく手を広げる天狗。 天狗は首を傾げながらひょこひょこ歩きます。 そして大きく手を広げる動作を繰り返します。 この大八洲(おおやしま=ヤマト=日本)は元々わしらのものなんじゃが。 この弓矢を手にしたのが、恐らくは天孫族(天つ神)なのでしょう。 どれ、今からわしらがこの大八洲を治めてくれようぞ。 こうして天つ神と国つ神は協力して日本列島を治めた。まるで縄文人と弥生人の関係みたいですね。 こんな風にヤマトの国は成立したのかも。神楽を観て、私はそう感じたのです。 舞も終わりに近づき、面を脱いだ踊り手。 祝いの舞はなおも続きます。<続く>
2016.01.27
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今日は1月26日火曜日。朝の4時15分。自室の窓ガラスは既に凍っている。外気はマイナス4度ほどか。室温も0度に近いはず。手袋をしているが、それでも冷たい。それにしても大変な寒波襲来だ。 長崎では17cmの積雪で市内の交通は麻痺し、怪我人も多数出たとか。鹿児島はさらに雪が多く、奄美でも降雪があった由。沖縄本島北部の本部町では、観測史上初めての雪だったそうだ。台湾では60名近い死者が出、ニューヨークでは史上第2位の68cmの雪。ワシントンも60cmの積雪になった由。皆様も滑って転ばぬよう、十分ご注意くださいね~!! SMAPの分裂解散騒動には驚いた。何でも辣腕マネージャーとジャニーズ事務所社長との対立が原因らしい。まあ芸能界のことなどどうでも良い私だが、政治家まで騒動を心配していたのがビックリぽん。結局はキムタクの仲介(?)で元の鞘に収まるようだが、今後もまだ影響は残りそうな雰囲気だ。 女優土屋アンナと演出家甲斐某の裁判に判決が下された。結果はアンナの全面勝利で、甲斐某は直ちに控訴すると表明した模様。原作者の意向を無視した演出家と、原作者の意向を汲んで稽古に参加しなかった女優。私は彼女の言い分の方が筋が通っていると思っていたが、その通りの判決になった。下らない裁判は早く終わって欲しいものだが。 ベッキー騒動にも驚いた。芸能界のことなど関心がない私だが、あの真面目そうなベッキーが不倫とはねえ。第一相手のバンド名が良くない。「ゲスの極み乙女」だって。奥さんに隠れて浮気し、何とベッキーを実家に連れて行って挨拶までしていたとは。 それだけでなく何とLINEの内容まですっぱ抜かれた。もし違うなら否定出来たろうに、否定しなかったのは「本物」だったのだろうね。乙女は乙女でなく、ベッキーの信用は地に落ち、コマーシャルのほとんどが中止に追い込まれた。今後は損害賠償の動きが激しくなるはず。それにしても悪いのはゲスな男の方。とても「両成敗」なんてもんじゃないね。バンドにふざけた名前を付けた男は、きっと世の中を甘く見ていたのだろう。 スキーバスの転落事故には驚いた。大型バスの運転手は55歳くらいで観光バスを引退し、マイクロバスでの送迎などに変わるのが普通らしい。ところが今回死者15名の事故を起こした運転手は、65歳で長距離の大型バスに乗った由。ほとんど大型バスの経験はなく、初めて通る山道は曲がりくねっている。しかも夜間で傾斜が分かりにくい。 どうやら弱小バス業界共通の問題がありそうだ。こんな危険があるのでは、例え料金が安くても乗りたくないよね。軽薄な会社運営の犠牲になった若者達。実に勿体ない命だったと思う。合掌。 廃棄食品の流用事件にも驚いた。廃棄処分するよう依頼されたビーフカツを、何と転売していたのだ。本来「ただ」の物を1枚100円で売る店もあったとか。それがたまたまビーフカツを目にしたのが、発売元の社員。もしそうでなければ、永遠にバレなかった可能性がある。 この産業廃棄物業者を強制捜査後、コンビニのから揚げや有名ブランドの味噌など、他にも108品目を廃棄処分せずに保管していたことが判明した。「勿体ない」ことは確かだが、有害な事態もあり得、大事件に繋がる可能性もある。法に従うのが順当だろう。 大相撲初場所で大関琴奨菊が優勝したニュースは、日本列島を明るくしたのではないか。31歳、入幕後11年での初優勝とは遅咲きだ。怪我などでこれまで5度もカド番になった弱い大関がなぜこんなに強くなったのか。それには個人トレーナーの存在が大きいようだ。体幹を鍛え、メンタルを鍛え、平常心を養った。おまけに美しい嫁さんまでもらった。それが日本人力士として10年ぶりの優勝に繋がった。この分では横綱も夢ではなさそうだ。 それにしても今場所は休場が目立った。理由は相次ぐ怪我やインフルエンザ。また遠藤や逸ノ城などの成績不振も目立った。人気力士の遠藤は怪我を治せないまま土俵に上がり続け、さらに悪化させた。逸ノ城は太り過ぎと、稽古不足だろう。図体がでかいだけでは大怪我の元。力士に激しい稽古は付き物なのだが。 台湾の総統選挙は野党の民主進歩党(民進党)の女性候補が圧勝した。選挙前、中国政府は与党の総統と会談して、中国の影響を強く印象付けた。そのことが嫌われたのか、選挙結果は逆に動いた。台湾史上初めての女性指導者で、欧米で修士、博士の学位を取った秀才が、今後台湾をどう指導するのか注目だ。 今後アメリカはもとより日本も台湾との協力関係を強化し、中国をけん制することになるのではないか。これで中国が力づくで台湾を併合するのは、より困難になったと思うのだが。 沖縄の宜野湾市長選挙では、自民党推薦の現市長が沖縄県知事推薦の野党候補を下して当選した。老朽化して危険だとされる普天間基地が市の真ん中にある宜野湾市。もしこの米軍基地が撤去されれば新たな都市開発が可能になり、危険も除去される。ところが野党候補者は辺野古への基地移転には反対だった。それで一体何が解決するのだろう。全く不思議でならない。 尖閣諸島や沖縄への侵略を露わに表明している中国。南シナ海での岩礁埋め立てと軍事基地化はその典型で、平和を守るために日米の軍事協力は今後も欠かせないと私は思うのだが。 アメリカではつい最近、1700億円の宝くじ当選者が出たようだ。日本では九州の銀行が100万円定期預金した人に宝くじをつける企画を打ち出した。そしたら早速10億円の当選者が出たそうだ。アメリカほどではないにしろ、新年早々ついている人がいるものだ。 宝くじを買わない私が当選することはないが、先日お年玉つき年賀状が1枚当たった。賞品は3等の「切手シート」。82円と52円のが各1枚ずつ。合計で134円分のささやかな当選だが、先ずは目出度いとしておこう。
2016.01.26
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1月19日火曜日。全国的に大雪が降った翌日、私は長靴を履いて雪景色を撮りに行きました。今日はその時の写真に、へぼ俳句を添えてみました。 雲厚く夢凍へたる冬木立 色消して流れ去るなり冬の川 雪解けの水路溢れて寒未だ 足跡の一つも見へず雪の橋 山間の圃場静まる雪の朝 どか雪の重みに竹の耐へかねし 石一つ雪に埋もれし姿かな 橋脚の空見上ぐれば雪の谷 雪の谷繋ぎし橋の天高く 遊ぶ子も居らず遊具の白き雪 ブランコの雪も融けざる寒さかな 階段の先に雪雲続きけり 蝋梅の雪を背にして香りたる 橋渡る人影もなし雪の道 青空に清しき貌の雪の山 木立みな大寒の日は沈黙す 一本の輪だち残して雪の坂 欅いま裸木となりて雪に立つ 雪中の薔薇も凍へて倒れけり 屋根の雪青空目がけ墜ちむとす 長靴で歩いた距離は3km。雪道はかなり疲れてしまいました。<完>
2016.01.25
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<早池峰岳神楽2> 早池峰岳神楽(はやちねたけかぐら)は岩手県の秀峰早池峰山の麓にある早池峰神社に奉納される神楽で、500年以上の歴史があります。国指定の重要無形民俗文化財であり、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている舞は、岳(たけ)と大償(おおつぐない)と言う、いずれも花巻市のはずれにある山村の集落で細々と守られて来たのです。最初の鶏舞(とりまい)が終わって、今は2番目の「天女」が舞われています。 天女の舞は面をつけ、晴れ着を着て踊ります。まるで天上から日本列島を見降ろしているかのように。 恐らくは大変な過疎地の農民によって伝えられて来た舞なのでしょう。 しかし、これは武骨な農民が舞って来たとは思えない優雅なものなのです。 ヤマトの国の繁栄を寿ぐかのような天女。 天女が被っているのは、お祝い用の烏帽子(えぼし)です。 天女は永遠の頬笑みを浮かべながら、静かに舞台を去って行きました。 ここから演目が変わります。3つ目の「女五穀」(おんなごこく)です。 手に持っているのは植物が染め抜かれた布。きっとこれを五穀に見立てているのでしょうね。 五穀とは人が常食とする5種類の穀物で、米、麦、粟(あわ)、豆、黍(きび)のこと。稗(ひえ)も入るとの説もあります。神話ではイザナミノミコトが火の神を産んだ時にほとを火傷して重傷を負いますが、それでも粟や稗などを産み続けたと書かれています。「ほと」は陰部のこと。この時の怪我が元になり、彼女は死んで黄泉の国に下ります。 縄文時代は採集だけでなく栗やエゴマなどの植物を栽培していたことが判明しています。 最近の研究では、縄文人は粟や稗なども栽培していたと考えられています。 大切な稲が大陸から日本列島にやって来たのは弥生時代。沖縄ではアマミキヨ、シネリキヨの男女神が五穀を持って沖縄本島の北側からやって来ます。 二人は海人(あま)族で、さしずめイザナギとイザナミに相当します。 沖縄本島南端の知念半島の海岸に、受水走水(うきんじゅ、はいんじゅ)と言う小さな田圃があります。そこが2人の神が沖縄で最初に田植えをしたと伝えられる田圃です。 一方日本列島では、あっと言う間に今の青森県まで稲作が広まります。 だがその後で稲作出来る範囲が南へと後退してしまいます。 稲作が東北の北部に再び戻るのは数百年後。寒さに強い品種が完成した後だったのです。 ともあれ、冷涼な北の大地で食べて行くのは大変なこと。 「五穀」に感謝するのは当然のこと。そしてそれを与えた神に感謝するのは当然のことだったのでしょう。 山間部の僻地に今も伝わるこの舞には、人々の「食」への願いが籠められています。 神社の名を大きく示すこの動作は、神への感謝以外の何物でもないでしょう。 有難きかな、穀物の霊。有難きかな、早池峰の神。 穀物と神々への感謝の舞は、まだまだ終わることがありません。<不定期に続く>
2016.01.24
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<早池峰岳神楽1> 仙台市歴史民俗資料館(れきみん)秋祭りの催しである芝生公園での演技は、とうとう最後の早池峰岳神楽(はやちねたけかぐら)になりました。早池峰山は岩手県のほぼ中央にある山で、標高は1914m。「日本百名山」の一つであり「花の百名山」にもなっています。中でも、エーデルワイスに似たハヤチネウスユキソウが特に有名です。この山はアプローチが深く、東西南北のいずれにも登山口があり、そして早池峰神社が置かれているようです。 早池峰山は花巻市、遠野市、宮古市の境界にあります。その麓である花巻市の岳(たけと大償(おおつぐない)の2つの地区で継承されて来た神楽の総称が「早池峰岳神楽」で、早池峰神社に奉納され500年以上の歴史を持っています。国指定の重要無形民俗文化財であるばかりでなく、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、日本の代表的な神楽なのです。 ネットの地図検索で探したら、大償は山間の小さな集落でした。きっと相当の過疎地なのでしょう。でもそこに「神楽館」があることも分かりました。そんな山間で500年以上も伝統の神楽を伝え続けて来た人々の努力に、先ずは敬意を表したいと思います。 最初の神楽は「鶏舞」(とりまい)です。鶏の冠を被り、面はつけません。踊り手はとても神妙な表情をしています。鶏は朝一番に鳴く鳥。きっとこの舞は日本の国の夜明け(国の初め)を象徴しているように思うのですが。 踊り手は2人の男で、とても静かな舞が続きます。 静かであると同時に、とても緩やかな舞でもあります。 深々とお辞儀をする踊り手。これは一体何を表しているのでしょう。説明は一切ありません。 地味な着物姿の踊り手2人が、くるくると廻りながら舞います。 手を広げるしぐさは、きっと鶏が羽根を広げる姿なのでしょうね。 扇子を広げ、神妙な面持ちの踊り手。 これは日本列島誕生の物語なのでしょうか。謎めいた舞でした。最後に踊り手は一礼して舞台から去ります。 ここからは2番目の「天女」が始まります。面をつけ、晴れ着を上から重ね着しています。 天女の表情も、舞そのものもとても明るいものです。 天女は天の国から日本列島に遣わされた使いなのでしょうか。 ヤマトの国の繁栄を祈るかのような天女の舞。 この大八島に幸あれ。このヤマトの国に幸あれと。 天女の顔には穏やかな笑みが浮かんでいます。 人々の暮らしが豊かなものでありますよう。 そして天のご加護がありますよう。 厳粛な中にも華やかな舞。 天女の舞はなおも続きます。<続く>
2016.01.23
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大雪が降った翌日、私は長靴を履いて少し遠くまで写真を撮りに出かけました。これだけ降るのは仙台でもあまりありません。それに運動にもなるかと思ったのです。 坂の途中から、遠くの団地が見えました。暖冬傾向にありましたが、本来の冬到来ですね。 約4km離れた太白山も、雪に覆われています。 今下りて来た坂道を振り返ると。 電話ボックスの前に、除雪された雪の山が。 広い畑も一面の雪です。 白菜がすっかり雪に埋もれています。 小さな谷川はZ川の上流部です。 通行止めの看板。しばらく雪がなくて役に立っていなかったのですが。 看板の脇をすり抜けて、山道を登ってみます。 ここが分岐点。車は通行止めですが、人は通行可能です。 この坂道がいつも凍結します。傾斜がきつく、車はスリップして危険です。 登って来た山道を戻ります。下りは違った風景が見られますね。 山林の中にも深い雪。 樹木の幹にも雪が残っています。 北国の樹木は、こうして冬の寒さに耐えているのです。 これでも大部分の雪は、落ちてしまったのでしょう。 雪の上に落ちた枯れ枝です。 枯葉が真っ白い雪の上に一枚だけ。 細い笹が雪の中に立っています。 アイビー(ツタ)の周囲は雪が融けてますね。 小さなアオキ。生きている物の周囲は熱で雪が融けるのでしょう。<不定期に続く>
2016.01.22
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1月16日土曜日。仙台ではうっすら雪が積もりました。我が家の近辺では今季の初積雪でした。いつもの年より3カ月近く早い椿の花にも雪が積もっています。 近所の白い南天の実。 これは我が家の南天です。 雪を被った山茶花が寒そうですねえ。 近所のピラカンサスの真っ赤な実と白い雪。 2階から見た畑(左)とブロッコリーに積った雪(右)。 1月18日月曜日。全国に大雪が降りました。朝、窓を開けると一面の銀世界です。仙台気象台発表の積雪は7cmでしたが、我が家の近辺ではその倍ほど積り、この日は2回雪かきをしました。東北新幹線や仙台空港発の飛行機が休止し、東北道の一部で通行止めとなり、バスの運行中止が多く、一部の大学と高校が休講となるなど大混乱の一日でした。 ベランダから見えた近所の様子。 雪に埋もれた車1。 雪に埋もれた車2。 我が家(手前)とお向かいさんの車。 この日の畑は、すっぽりと雪に覆われています。 雪を被った白菜(左)と東側の畑(右)。 雪の重みで倒れる南天です。 暖冬で発芽したアイリスも雪の中です。 シャラの樹(左)と郵便受け(右)。 雪を被る2基のソーラー灯。右の方は雪が積もって暗いせいか、点灯しています。 近所の小川も真っ白ですねえ。 近所の風景。雪原と家々です。 最後は我が家のユズの樹です。この日はかなり疲労感が残りました。水分の多い雪はとても重く、2回の雪かきで疲れてしまったようですね。<続く>
2016.01.21
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<雄勝法印神楽2> 雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は国の重要無形民俗文化財。昔々山形出羽三山の修験道(法印)によって、宮城県石巻市雄勝地区に伝えられたとされています。2つ目の演目は「日本武尊」(やまとたけるのみこと)。そうなんです。この白い面を被ったのが日本武尊です。 「やまと」は日本の国のこと。「たける」は雄々しい男。そして「みこと」は男子の尊称です。従って日本武尊は古代日本の英雄だったと言うわけです。 父に蛮族を退治するよう命じられたタケルは各地に遠征してその地の蛮族を征伐します。 九州では熊襲(くまそ)や土蜘蛛(つちぐも)を退治して、タケルの名声は高まります。 その勢いを恐れた父は、タケルに東北の蝦夷退治を命じました。 勿論命令を拒むわけには行かず、タケルは都から古代東北へと向かいます。 タケルは途中熱田神宮の斎宮である叔母に挨拶に立ち寄り、宝剣「草薙の剣」を借用します。 ところがタケルは老婆に騙され、宝剣を奪われてしまいます。 実は老婆は鬼の化身でした。屋根の上に登ってタケルを待ちうける鬼。 福島県には今でも「安達ケ原の鬼婆」伝説が残っています。 鬼が待ち受ける家の前までタケルがやって来ました。 頭上から突然タケルを襲う鬼。 タケルも屋根の上の鬼に気付きました。 両者の力は互角。 手に汗握る熱戦が続きます。 宝剣を取り戻そうとして、鬼の背後に迫るタケル。 鬼も宝剣を奪われないよう必死で抵抗します。 ついに宝剣に手をかけるタケル。 長い戦いの末、タケルは鬼に奪われた宝剣を取り返しました。 タケルは喜び勇んで踊ります。 一つ前の仙台市太白区の「生出森八幡神楽の国鎮之舞」でも日本武尊伝説は神楽の形で伝えられていましたが、さらに北にある石巻市雄勝地区にも、舞としてタケル伝説が残されているのが不思議です。舞が終わりに近づくと、踊り手は仮面を脱いで観客に顔を見せます。 日本武尊は伝説上の人物ですが、きっと古代日本にはそれに近い人が実際にいたのでしょうね。 国の重要無形民俗文化財に指定された神楽は、さすがに見応えのある立派な舞でした。このような神楽が今も引き継がれていることに、宮城県民として誇りを感じます。<不定期に続く>
2016.01.20
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<雄勝法印神楽> 中断していた「れきみん秋祭」を再開します。第4回は「雄勝法印神楽」。これで「おがつほういんかぐら」と呼びます。雄勝は宮城県の北部の海岸部の町。今では合併して石巻市になっています。雄勝硯(すずり)とカキの養殖で有名な町ですが、東日本大震災で壊滅的な被害が出たところでもあります。 この小さな町の神楽は、かつて山形の出羽三山を拠点とする羽黒派の修験道(法印)によって伝えられたと言われています。国の重要無形民俗文化財に指定された優れた舞を、津波の被害で苦しみながらも頑張って守り続けています。 最初の舞は「順唄」。「じゅんぱい」と読みます。「神拝」から来てるとも考えられ、夫婦和合を通じて古代の祈りの形を連想させます。 夫役はさしずめ「イザナギノミコト」でしょうか。 勇壮な男の舞です。 妻はそれなら「イザナミノミコト」の代役かもね。 男は女を追いかけ・・ やがて二人は静かに向かい合います。 触れ合うご弊は夫婦和合のシンボルのようです。 激しく舞う夫婦。「新しい国」を産んでいるのかも知れません。 舞には日本の古代の姿が投影されているのでしょうか。 やがて夫は去り、舞台には妻一人だけが残されます。 一人舞い続ける女の姿。 古来女性は太陽だった。 そして天照大神(あまてらすおおみかみ)も卑弥呼(ひみこ)も一人者だった。 女は神に仕え、人々に神の言葉を伝えた。 皇室の女性も同様に、斎宮(いつこのみや)となって神に仕えた。 女は舞う。何かに取り憑かれたように。 だがその姿はとても神々しい。 女は子を産み、その子孫は日本列島で繁栄していった。 この舞が私達に何を伝えようとしているのかは分からない。 だがこの神聖な舞を通じて、私達の祖先が何かを伝えようとしていたことは確かだ。 艶やかな衣装を身にまとった女の舞はさらに続く。 それにしてもこのように素晴らしい神楽が東北の片田舎に残されていたとは驚異だ。 女とは実に不思議な存在。だが生命の根源であることに間違いはない。<続く>
2016.01.19
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仙台市青葉区八幡にある大崎八幡宮は藩祖伊達政宗公の命によって創建された桃山様式の神社。社殿は国宝に指定され、その境内で行われる松焚祭(どんと祭)は300年の歴史を有しています。夕方4時半に神官によって点火されたどんとは、今盛んに燃え盛っています。高さ4m、周囲40mにも及ぶ日本一のどんとの周りには専門の係が、厳重に火を管理しています。 この日の参詣者は10万人に上ったそうです。 一方裸参りの団体は110団体で、参加者は3200名に上った由。 拝殿で祈祷を終えた善男善女は、黙々とどんとの周囲を廻ります。 どんとは年神様を天に送る清浄な火。この火に当たって1年間の無病息災を祈ります。 どんとの火もこれで見納めです。来年までさようなら。 帰途に就く私を尻目に、続々と詰めかける裸詣りの人々。 周囲には夕暮れが迫っていましたが、裸詣りの本番はこれからです。 今回は初めて最寄りの地下鉄駅(国際センター駅)まで無料の送迎バスが運行されていました。その車中から見た光景です。裸詣りの人々がまだ次々と大崎八幡宮に向かって黙々と歩いていました。皆さん風邪引かないようにね~!!<完>
2016.01.18
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さて、大崎八幡宮の境内に集められた正月飾りは4m近い高さにまで積み上げられています。周囲の長さは約40m。これは日本一の規模とのことですよ。 夕方の4時30分。神官が祝詞(のりと)を読み上げて、いよいよ松焚祭(どんと祭)の始まりです。 実はバスを降りて最初に目にしたのは神社でも神官でもなく、裸詣りの一行でした。この日裸詣りを挙行したのは合計で110団体、延べ3200人に上ったそうです。 裸詣りをするのは男性だけとは限りません。勇気ある女性達も白装束に身を固めて黙々と歩いていました。 一行は手に持った鐘をカランカランと鳴らしながら歩いています。 この日の最高気温は5度でしたが、夕方には0度ほどまで下がっていました。 お参りする方も寒いでしょうが、観てる方まで寒くなりますね。 女性達も弱音を吐かず、凛とした姿でお参りしていますね。 大崎八幡宮付近の商店では裸詣りの装束を揃えてくれ、そのマネキン人形が立っています。 ようやく大崎八幡宮に到着です。石段の下では、裸詣りの人々が登る順番を待っています。 ここから長い石段。口には「含み紙」を咥え、穢れを払っています。提灯には灯りが点ります。 裸詣りのルートは一方通行で、団体がかち合わないようになっています。 その頃にはどんとに火がつけられ 担当の職員が厳重に火の管理をしています。 次々に裸詣りの団体が押し寄せています。 真剣な表情の女性達。神々しい姿です。 境内には入ったものの、祈願を受ける拝殿はまだこの先です。 拝殿の横で、静かに祈願の順番を待っています。おお寒そう!! 拝殿での参拝を終えると口から「含み紙」が外れ、少し寛いだ表情になります。そのまま帰途に就く団体もありますが・・ ほとんどの団体は「どんと」の火に当たってから帰ります。 この火に当たると1年間無病息災で過ごせると言われています。 中には冷えた背中を暖める人もいます。 でも裸で火に近づくと熱いみたいですよ。 2周3周して暖を取る団体もありました。まだまだ善男善女の列は続きます。<続く>
2016.01.17
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「れきみん秋祭り」を連載中ですが長くなります。そこで先日取材した大崎八幡宮のどんと祭と裸詣りを割り込ませていただきますね。 一の鳥居と扁額 「大崎八幡宮」は仙台の旧市内西部、青葉区八幡にあります。元々は征夷大将軍坂上田村麻呂が、現在の岩手県奥州市水沢区に九州の宇佐八幡宮を勧請して鎮守府八幡宮を創建したのが始めです。これを室町時代に奥州探題となった大崎氏は現在の大崎市田尻に遷祀し、尊崇していましたが伊達政宗に滅ぼされます。 政宗はこれを悼み、当時の居城であった岩出山に大崎八幡宮として遷移しました。後に岩出山から仙台城に移った際、多くの寺社と共に大崎八幡宮も遷移したのです。こうして現在地に移されたこの神社は「仙台総鎮守」として、これ以降仙台の人々に尊崇されることになりました。 石段前の風景 1月14日。「小正月」のこの日、大崎八幡宮の境内では、神事の松焚祭が行われます。これは神社の行事としての正式名で、市民の間では「どんと祭」として親しまれています。お正月飾りを持参した市民がどんとの火に投げ入れ、無病息災を祈ります。また商売繁盛、家内安全を祈って市内の善男善女が裸参りを挙行するのもこの日です。 「長床」前の風景。他の神社の神門に相当します。江戸初期のもので、国の重要文化財に指定されています。 長床の裏面です。 長床に懸けられた垂れ幕です。 奉納された神馬の絵馬です。(長床内) 奉納された弓矢です。(長床軒先) 奉納された造酒(左)と仙台名物の縁起物「松川だるま」(右)です。 拝殿 大崎八幡宮の社殿は仙台藩祖伊達政宗公の命により、慶長9年(1604年)から3年間をかけて創建した桃山様式の建造物です。旧豊臣家お抱えの巨匠を招いて建造された社殿は、随所にきらびやかな金具と黒漆で飾られ、極彩色のます組みは桃山建築の真髄として、建物全体が国宝に指定されています。 拝殿の一部(左)とその内部(右)です。 拝殿の側面です。 拝殿の軒下です。 (参考資料:パンフレットから)左は拝殿主要部。右は軒下のます組みです。 御神体遷座図(慶長12年作、参考資料:パンフレットから) 拝殿格天井の格子絵(参考資料:パンフレットから) 社務所と神職。 巫女(左)と縁起物の破魔矢(右)。 参拝客(左)と引いた御神籤を結んだ枝(右)。 境内の「八幡石」(左)と社務所の富士山の絵(右)。 参拝客で賑わう境内と、延々と続く屋台の群れ。この日大崎八幡宮を参拝した客は10万人に達したそうです。<続く>
2016.01.16
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<生出森八幡神楽> 太白山遠望 昨年の10月末、私は仙台市歴史民俗資料館主催の「れきみん秋祭り2015」へ行きました。外の芝生公園で伝統芸能が実演されることを知っていたからです。私が観た2番目の踊りは「生出森八幡神楽」。これで(おいでもりはちまんかぐら)と読みます。生出森とは太白山の古名。この中腹にあるのが生出森八幡神社で、ここには舞台がありますが、私はまだ神楽を観たことがありませんでした。では早速神楽の様子を紹介しましょう。 お囃子を担当する人達です。太白山から10kmほど離れた名取市に、平安末期に創建された熊野三社があります。そこには京都の白川家に800年間伝わる榊流神楽が奉じられていました。明治初期、生出森八幡神社の氏子達は、夜な夜な熊野三社に通い、その神楽を見て学んだそうです。その甲斐あって仙台市無形民俗文化財に指定されるほどの神楽になったのです。 神楽とは天の神を招魂し、鎮魂し、神の動作を真似るもののようです。一説によれば天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸に隠れて世の中が真っ暗になった際、アメノウズメノミコが半裸で舞ったのが最初と言われています。神々の笑うさざめきの声が聞こえて思わず顔を出した所を、タジカラオノミコトが思い切り岩戸を開き、再び世の中に太陽の明るさが戻ったと言われる神話です。恐らくは皆既日食だったのだろうと考えられています。 神官の姿で踊る「四方拝」(しほうはい)の舞です。舞の源が何だったのかを感じさせます。 厳かな舞が続きます。 この舞のお囃子を担当してるのは若い女性達でした。 中には男性も混じっていました。 厳粛な「四方拝」の舞はここまでです。 巫女(みこ)の姿をした女性がしずしずと現れました。 2番目の舞「神子の舞」(みこのまい)の始まりです。本来巫女は「神子」と書いたのかも知れませんね。その方が実態に近いように思います。 ひょっとして巫女は天照大神なのでしょうか。「神子の舞」はこれで終わりです。 次に立派な天狗の面を被った男が舞台の上に現れます。 これは日本武尊(やまとたけるのみこと)。三番目の舞「国鎮の舞」(くにしずめのまい)の始まりです。 実は宮城県南部の青麻(あおそ)神社に日本武尊伝説が残っています。 北の蛮族を退治に来た武尊は戦いで死に、魂は白鳥になって都に帰ったとの言い伝えです。 奈良時代には阿倍比羅夫が海路秋田の蝦夷を、征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸路岩手の蝦夷を、さらに文室綿麻呂が青森の蝦夷を征伐しています。日本武尊の伝説は恐らく弥生時代の開拓に伴うものだったのでしょう。 「国鎮の舞」には、きっと大和朝廷の北進政策が投影されているのだと思います。 日本武尊伝説の舞は、ここ生出森八幡だけでなくさらに東北の北部へと伝えられて行きます。 宮城県北部から岩手県北部にかけても、その伝説を伝える舞が残されているのです。 神楽は歴史そのものではありませんが、形を変えて遠い時代の出来事を現代の私達に伝えてくれます。 ここからは仙台市歴史民俗資料館にあった「生出森八幡神楽」の写真です。参考までに載せました。 実際に神社の舞台で舞われたものです。これは「神子の舞」ですね。 「国鎮の舞」の実演風景。 生出森八幡神社でもあの「東日本大震災」の折りには、鳥居や神社裏の岩が崩れるなど大きな被害が出ています。次回は「雄勝法印神楽」を紹介します。どうぞお楽しみに~!! <不定期に続く>
2016.01.15
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<川前の剣舞(けんばい)> 昨年の10月末に仙台市歴史民俗資料館主催で開かれた「れきみん秋祭り2015」ですが、屋外の芝生公園では早速民俗芸能が始まっていました。少し遅れて行ったため最初の踊り(愛子の田植踊)は終わっていました。30分間踊り、休憩が30分間。その間に次の団体が準備すると言う段取りです。 2番目の踊りは川前(宮城県仙台市青葉区芋沢)の剣舞(けんばい)。400年以上の伝統があり、宮城県無形民俗文化財に指定され、文化庁の功労賞を受賞しています。元々は仙台市青葉区八幡の龍宝寺から伝わったとされる念仏剣舞で薬師十二神将を象(かたど)り、人間の煩悩(ぼんのう)を取り除く役目を担っているそうです。華麗な踊りは江戸時代藩主から褒められ、伊達家の家紋の一つである「九曜紋」の使用を認められています。 この日披露したのは4つの踊りですが、最初は「大入羽」(おおいりは)です。 踊り手が現れました。鬼の仮面を被っています。 紫の布に染められているのが「九曜紋」です。 鬼の面を被ったのが十二神将の化身のようです。 女性の姿をしたのが仏でしょうか。必ず対になって踊ります。 ここから踊りが変わりました。どうやら小入羽(こいりは)のようです。 動画でお見せ出来ないのが残念ですが、動きはかなり速いですね。 手には扇を持っています。 腰を落とした独特の動きを見せます。 二人一組での踊り。ここから三番目の「南無阿弥陀仏」に入ったようです。 時々近寄って互いに背中を寄せる形を取ります。 いよいよ太刀を抜いて踊る「太刀のきり」に入りました。仏法を冒す者を剣で懲らしめる剣舞。念仏踊りの一種です。背中には九曜紋が輝いています。 2人一組での舞いですが、剣は交えずにクロスします。 片脚で退却するしぐさを繰り返します。 十二神将の乱舞です。これで川前の剣舞を終わります。明日は「生出森八幡神楽」をご紹介します。どうぞお楽しみに~!!<続く>
2016.01.14
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昨年の10月下旬、私は仙台市歴史民俗資料館を訪ねました。ここで「れきみん秋祭り2015」が開かれることを知っていたからです。参加するのは初めてでしたが、宮城県内などの伝統芸能が観られると喜び勇んで出かけたのです。会場の公園には何やら屋台が並んでいます。そして芝生では伝統芸能が間もなく始まりそうですよ。 先ずは公園内に設置されたお店屋さんの方からご案内しましょう。最初は仮面屋さんのお店でした。 ここは「おいしい屋台」のコーナーです。昔懐かしい「芭蕉煎餅」が並んでいました。芭蕉の葉のように大きな「せんべい」なんですよね。これは仙台独自のお菓子かなあ?江戸時代から中心街には「芭蕉の辻」と言う四つ角もあったんですよ。 今でこそ寒さで震えていますが、この頃は結構気温が高く、かき氷屋さんも出ていたのです。 女の子が頼んだのは、青いシャーベットでした。 こちらはタコ焼きの店先。美味しそうな匂いが漂っています。 最後は焼きそばの店。ソースの匂いがプーンとしていましたよ。 伝統芸能の合間に歴史民俗資料館に入ると、伝統工芸の実演をやっていました。この日は仙台箪笥(たんす)の飾り金具のベテラン職人、八重樫榮吉さんの実演でした。 暗がりの中で八重樫さんが懸命に作業していました。金属に「たがね」を当て、金槌で丹念に叩いています。 下書きと完成した彼の作品です。 見事な龍です。 これも龍ですね。 これは唐獅子でしょうか。 繊細な鹿の姿です。 唐子(からこ:中国の童子)です。 牡丹の花です。 菊の花です。これらは漆塗りのケヤキの箪笥に釘で打ちつけられ、飾りになるのでしょうか。多分このままではなく、重厚な色を塗られるように思うのですが。明日からは各地に伝わる伝統芸能(舞)をご紹介しますね。どうぞお楽しみに~!!<続く>
2016.01.13
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昨日走っていた時、何か白い物が空に舞っていた。雪だろうか。そう思って良く見ると、それは綿毛。きっとタンポポの綿毛だろう。この時期に飛ぶなんて、とても珍しい現象だ。夕方のニュースで、仙台は今シーズンの初積雪だった由。我が家付近では降らなかったんだけどねえ。 この日は成人の日でもあった。これからは若い人たちに頑張ってもらわないとね。午後から高校サッカーの決勝と、高校ラグビーの決勝戦をTVで観戦。今朝はマイナス2度の予報。これからは零下の朝が続く。今日辺り、畑の大根を抜いて土に埋める必要がありそうだ。もちろん凍らせずに春まで持たせるためだ。 さて今日も今年いただいた年賀状の話の続き。ウルトラマラソンの仲間であるTさんからの年賀状は、例年通り参加レースのオンパレード。昨年出たのはウルトラマラソンが8レース、フルマラソン10レース、その他5レースの合計23レースを楽しんだ由。平均して月に2レース近く出ていた訳だ。年賀状には結婚された娘さん、息子さん家族など4組の夫婦の姿も写っていた。実にめでたい光景だ。 奈良のIさんの年賀状は夫婦で出たレースの記録。彼と奥さまが一緒に出たレースは12だが、全て奥さまの記録の方が勝っていた。凄いものだねえ。それも60代なのに、夫婦そろって3時間台でフルマラソンを走っているとは。愛媛出身の彼とは、大阪勤務時代に1度会っただけなのだが、今もこうして毎年年賀状を送ってくれる。 香川のYさんのも昨年出たレースを丹念に載せている。もう75歳になるが、フルマラソン以上の距離のレースも4度完走したとは大したもの。その間に施設慰問を含めてハーモニカの演奏会を、30回以上行ったとある。また亡き奥さまの書かれた書道展を開かれたようだ。 これは沖縄勤務時代の上司だったSさんからの年賀状。職場で一番偉い人だったのに、彼は退職後好きな絵を描き続けている。もう85歳にはなったはずだが、こうして精進を怠らない。若い頃は芸大出身の奥さまに絵を教えていたという。偉ぶらない人格者。85歳にもなって絵を描き続け、しがないかつての部下に年賀状を送り続けていることに驚く。ありがたいことだ。 広島のIさんからは、いつも通り釣果の写真が入った年賀状が届いた。彼は大阪勤務時代の同僚で、オーストラリアへの出張も一緒に行った仲。今年の写真は大きな「座布団ヒラメ」で、体長は77cmとある。さて、一体何人前の刺身が出来るものやら。山陰ではイカ釣りに興じ、「沖漬け」も作ったとある。年末の「第九」合唱も4年目で、今回は余裕で歌えたとあった。友の活躍が嬉しい。 大学の後輩T君からの年賀状は、自筆の似顔絵入りのものだった。彼は当時グリークラブで歌を歌っており、その後転勤しながらもずっと合唱を続けていたようだ。今年は70代に突入するとある。私も歳を取るわけだ。 筑波勤務時代の後輩Jさんからは、昨年も奥さまと外国旅行を楽しんだとある。オーストリア、スロベニア、イタリアに行った由。写真はインスブルックで微笑む夫妻の姿だった。 研修仲間だった愛知のKさんからも、イタリア旅行の写真付き年賀状をもらった。サン・マルコ広場やミラノのドオーモが写っている。私も元気になったら、どこか外国へ行きたいねえ。 高校時代の恩師からは達筆な年賀状をいただいた。心臓の手術を受けたようだが、83歳でまだまだお元気。東京と筑波時代の上司からもお元気そうな年賀状をいただいた。もう85歳は過ぎたはずだが、有難いものだ。2番目の職場(仙台)の先輩Oさんからの年賀状は筆で書かれたもの。彼は途中で退職し、書道家になった方。毎年のことながら実に見事な筆だ。 男の料理を続けている後輩のS君。今年も徳島マラソンをエントリーしたと言う鳴門勤務時代の部下M君。今年は仙台に寄りたいと言う宮崎の弟。みんな元気そうで嬉しい。 私は12月中旬に手術を受け、今回は妻の兄の喪中だったこともあって年賀状は出さなかった。来月になったら近況を記した寒中見舞いを出そうと思っている。いよいよ寒さが本格的になって来た。読者及びブログ友の皆様も、どうぞ風邪など引きませんようにね~!!
2016.01.12
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今年に入っても世界の情勢は相変わらず厳しいものがある。北朝鮮は正月早々水爆実験に成功したと言う。だが、アメリカの見立てでは、水爆の規模ではない由。それでもこれで4度目の核実験には違いない。そして拉致問題は一向に解決する兆しはない。 そのお隣の韓国の危機管理能力は相変わらずお粗末だ。扉を半ドアのまま飛行機を飛ばすとは、開いた口が塞がらない。最終決着のはずの慰安婦問題も、ソウルの日本大使館前の少女像移転すら解決がつくかどうか。それに今回の北朝鮮の核実験も、事前に察知することは出来ず、巨大な放送設備で反撃するのがせいぜいの措置だ。 中国の海警艦船は、ついに機関銃を装備して尖閣諸島付近に現れた。そして南沙諸島の埋め立て地に造った滑走路では、着陸実験を2度行った。国際法を全く無視した無法者だ。そんな緊迫した状態なのに、日本の一部の政党や知識人は安保関連法案を「戦争法案」と呼んでいる。どうやら彼らは「平和」を唱えてさえいたら平和を保てると思っているようだ。 サウジアラビアとイランが国交を断絶した。スンニ派とシーア派の対立だ。湾岸諸国やアフリカの一部国家もサウジに足並みを揃えて、イランとの国交を断った。これでISへの対応には混乱が生じること必至。いずれもアメリカが「世界の警察官」の座を降りてからの混乱。オバマ大統領にもう少し勇気があれば起きなかった事態のようだ。 こんな暗い年明けだからこそ明るい話題が望まれる。そこで今年いただいた年賀状の中から幾つか紹介したい。最初はランナー編。神戸のNさんからいただいた年賀状は手書きのもの。昨年は鹿児島から天草諸島を経て、長崎まで一人で走った由。恐らく距離は300km近いのではないか。細かい字でびっしり書かれた年賀状は毎年のこと。 彼とはたった1回「さくら道ネーチャーラン」の応援のため金沢で一度会っただけの仲。もう14年も前の話だ。それなのに今でもこうして一年の想いを綴った年賀状をくれる。彼はその後ギリシャのスパルタスロン(250km制限36時間)も完走しているランナー。もう40代になったと思うが、相変わらず元気で頑張っているようで嬉しい。 東京のSさんからは自分が主催するレースの写真が入った年賀状が届いた。今でこそ全く走れなくなった私だが、彼が主催するレースにも何度か出た。206kmの「佐渡島一周」には3度出て3度とも完走したが、道路工事、迷子、距離感の狂いで同じ箇所を3往復するなど、いずれも210km以上走ってしまった。 66kmの「八丈島一周」は風速30mもの暴風雨の中を走る、忘れられない思い出になった。不調から復帰した直後に走った「寅さん詣り」も40kmの公式表示が、実際は42km以上あったっけ。せめて「粟島一周」(新潟県32km)にでも出たい希望があるのだが、果たして今の私に走れる距離かどうか。 同じ走友会のM仙人の年賀状には今年の目標が書かれていた。100km12時間30分。フルマラソン4時間10分。ハーフ1時間50分。10km50分。そして最大の目標は「故障なく走れること」とあった。これが今年76歳になるランナーなのだから恐れ入る。本当に鍛えたランナーは、こんな高いレベルを維持出来ると言う証明でもあるが、こんな奇跡はランナーうちの1%にも当たらないないはずだ。「走れる体に戻り、また一緒に走りましょう」と、私に対する言葉が添えてあった。ありがたいことだ。何とかゆっくりでも走りたいと願わずにはいられない。 同じ走友会のOさん、K長老、Dさんからも私の健康を気遣うコメントが入った年賀状をいただいた。私は昨年、走友会を退会しようと、お花見の会場へ行った。お別れを言うためだったが、励まされてそのまま残った。走友会の行事に出たのはその1度だけ。後は体調が悪くてずっと家にいた。もちろんレースどころではなく、全く走れない月もあった。年末に3度目の不整脈手術を受け、今は本当にゆっくりと走っている。また仲間の顔が見たいものだ。<続く>
2016.01.11
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1月6日(水)は毎年消防出初式がある。これはブログネタの取材にはちょうど良いかも。そう判断して、私は会場へ向かった。式典の後に消防音楽隊のマーチングバンドなどがあり、その後市民広場に登場したのが市内7つの消防団員だった。彼らは各団ごとに梯子を持って入場して来た。これから始まるのが「伝統梯子乗り」だ。 1)梯子の上にすっくと立つ消防団員。 2)以下見事な演技をたっぷりとご覧あれ!! 3)これらは「江戸火消し」の流れを汲む伝統芸。 4)いなせな「木遣り節」の歌声に乗っての演技が続く。 5)梯子の高さは8m近く。言ってみれば2階の屋根の上に立っているようなものだ。 6)市内の7つの消防団が、この技を受け継いでいると言うから凄い。 7)背景の建物は、市役所の庁舎だ。 8)左は宮城野消防団の提灯。 9)そして右は青葉消防団の纏(まとい)だ。 10)梯子に乗っているのは全員が若い団員みたい。 11)東日本大震災の時、海沿いの消防団の中には職務で亡くなった団員も多かったと聞く。 12)そんなこともあって団員数は不足気味。目下募集中のようだ。 13)演技前の消防団員。 14)寛ぐ団員の姿。 15)空中では団員たちの熱演が続いている。 16)お~い。梯子の上は寒くないか~い? 17)そんな恰好をして、怖くはないのか~い? 18)あっちの梯子でも、こっちの梯子でも頑張って演技している団員たち。 19)まあ、そんなところで倒立ですか~!! 20)こっちなんか、すっかり反り返っているもんなあ。 21)こちらは足だけで体重を支えているよ!! 22)出動前の団員たち。 23)こちらも出動前の団員たちの姿。 24)2人1組での演技。 25)まあスリル満点の演技だねえ!! 26)これは2人の息がぴったり合わないとね。 27)市役所の庁舎を背景にして続く熱演。 28)おおっ、何か垂れ幕が見えるぞ? 29)やっぱり消防団だけあって、最後は「火の用心」だよね!! 30)最後は敬意を表して太白消防団の纏。これが私の住む町を火事から守っている。どうも有難うね~!! さて昨日は26枚の写真を載せ、今日は30枚の写真を載せましたが、まだ許容量には達してないですねえ。やはり楽天ブログの「改善案」は本物だったみたい。私など容量が大幅に余っているので、大いに活用しないとねえ♪<完>
2016.01.10
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1月6日(水)、仙台市消防局の出初式があった。これはブログ用の写真を撮るには持ってこい。そう判断し、予めHPで時間と場所を確認して、バスで街へと向かう。場所は市役所前の「市民広場」。これは40年来変わってないはず。会場に近付くと隊列が見えた。この日集合した隊員らは、合わせて1150名だった由。 出動した防災ヘリコプターは1機。 そして出動した消防車両は合わせて32台だったそうだ。 壇上で挨拶する奥山市長(女性)も消防用の制服に着替えている。 消防署員の整列。 市内各消防署の団旗が見事。 こちらは消防音楽隊。 整列する消防団員。市内の消防団は7つで分団は56.団員数2121名、保有車両は120台とのこと。 消防団女子隊員。 待機する消防音楽隊。この際なぜ消防署に音楽隊が必要かなどと、野暮なことは言わないでおこう。 演奏中の消防音楽隊。やはり格好良いね♪ 消防音楽隊の演奏をバックにしてカラーガード隊員によるドリル演技 華麗な演技に拍手が起きる。 大型の梯子車が待機中。 いよいよ梯子車による訓練が始まる。 これは市役所の5階からロープで垂直に下りる訓練。8階からロープで斜めに下りる姿は、あまりに速度が早過ぎてシャッターが押せなかった。 梯子車から救助に向かう隊員。 隊員の救助訓練風景。 仙台市議会議場の壁をよじ登る消防隊員。 消防団員の入場。 梯子を持ったいなせな姿だが、団員数は東日本大震災のためにかなり減った由。 おおっ!梯子を立てたよ。さて今から始まるのは何? この日、市役所には羽生結弦選手の健闘を讃える看板が出ていました。彼は仙台市の出身ですからね。右は私。この日の服装は、寒さに備えて「完全装備」でした。<続く>
2016.01.09
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1月3日(日)。次男が使っていた部屋へ植木鉢を移動。また彼が着ていた洗濯後のパジャマなどを、畳んでベッドの上に置いた。 1月4日(月)。歩いて眼科へ行く。この日は「視野検査」の予約日。新年早々待合室には大変な数の患者さん。今日は院長だけでなく、奥さんの副院長まで診察に当たる由。呼び出されて検査室に入り、先ず気になっていた視力検査を受けた。次に眼圧測定。そして最後に視野検査。これは6分ほどかけて焦点を見続けるため、毎回目が痛くなって困る。視力も落ちていたようだし、視野もさらに狭くなったような気がする。 院長による診察の結果、視力の低下は思ったほどでもない由。それに私のような年齢になると、その時の体調で良く見えたり見えなかったりするのが普通だそうだ。実は昨年の10月頃、急に目が見えなくなり希望を失っていたのだ。視野の欠損部分も、さほど広がってはいないそうだ。これにも驚いた。特に右下周辺が見辛く、最近は道路の凸凹や傾斜に気付かず転倒しそうになることが多かったからだ。 そうか。それほど心配することはなさそうだが、目が見えないのは困るんだよねえ。隣の薬局に処方箋を出し、緑内障用の目薬2本を受け取る。これで3カ月は持つだろう。 夜は凍傷で手足の指19本を失った登山家が、単独無酸素でエベレスト登頂に挑戦する番組をTVで観た。これで5度目の挑戦。まだ登頂に成功したことはない。サポート隊はいるが、第3キャンプからは単独行動。激変する天候と、高山特有の体調に苦しみ、吐く登山家。それを彼自身が撮影する。今回も2回アタックしたものの、頂上直下の思わぬ雪に前進を拒まれ、止むなく撤退することになった。壮絶な雪山との戦いに絶句。世の中には凄い人がいるものだ。 1月5日(火)。この日は新年第1回目の「燃えるごみの日」。ごみを出すのは実に1週間ぶりだが、我が家のごみは少なく、小さな袋1個で済んだ。それにペットボトルなど、再利用出来る物も別に出す。息子が飲んだビールやハイボールなどのアルミ缶は取って置いて、子供会の資源ごみに出す予定。これでさっぱりし、いつものように玄関や風呂の掃除を行う。午前10時半、着替えて走りに行く。 この日は新しい道を通ってZ川へ出た。川岸は風が強くて寒い。たちまち1人のランナーに抜かれた。まだ60代前半の人だろう。脚が良く出て、スピードがある。それに比べれば私はまるで歩いているような速度。実は元旦に8km走った後、「これなら30kmレースに出れるかも」と思ったのだが、翌日の強い疲労で無理だと悟った。それ以前に練習で20kmから25km走れないと駄目だ。折り返して西に向かうと風は一層強くなり、体が冷えた。 帰宅後PC「ジョギングシュミレーター」で測ると、距離は10.5kmだった。これまでは11kmと計算していたのだが、新しい道路が直線のため短くなったのだろう。昼食は小さなパン、ヨーグルト、果物中心。これも極力体重を減らすため。このせいか夕方近くなると、久しぶりに空腹感を味わった。体重計の電池が切れたので入れ直す。 1月6日(水)。この日は仙台市消防局の出初め式が市役所前の市民広場である。バスで向かい、今年の初取材となった。市役所の8階からレンジャー部隊がロープを伝ってスルスルと下りて来る訓練に驚いた。あまりにもスピードが速くて、カメラのシャッターが切れないのだ。 市内7か所の消防団員による伝統的な「梯子乗り」は、約8mの高さの梯子の上でのパフォーマンス。確かに格好は良いのだが、実際の消火作業や救助の場面でそんな状況はないだろうと思うのだが。 1月7日(木)。この日も新しい道路2か所をコースにして走った。やはり西風が強い日。結局は薄手のウインドブレーカーを最後まで脱がずに走った。そして手袋は厚めの物を使用。それで寒さがかなり防げた。これまで8kmと計算していたのが、測り直すと9kmちょっと。わずか1kmしか増えてないが、直線になったのでこんなものか。 夜は「七草粥」らしき雑炊を食べた。ただし入っていたのは、多分聖護院大根とセリのはず。体重が68kgちょうどになっていた。出来ればランナーだった当時まで戻したいのだが、後1.4kg減らすのは至難の業だろう。マックス爺の戦いは当分続きそうだ。<完> 楽天ブログは1月5日から搭載出来る写真の容量を、大幅に緩和増大したようです。(1日当たり、及び全体での)私はまだ確認していませんが、明日はどれだけ載るか試す予定です。
2016.01.08
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そうそう、元旦に俳句を作ったので載せておきたい。 霜の朝侘助の首落ちにけり 元日に布団干しけり一人者 餡子餅甘さほど良く共白髪 初日の出曇りたる後雪となる 初雪の早くも融けて露の玉 ランニングダイアリーも2016年のものに切り替え、早速走った距離と場所を書き込んだ。 1月2日(土)。この日もお節料理を食べ、朝からお酒をいただく。いや~、甘露甘露。冷や酒は良く効くねえ。正月2日と言えば、やはり箱根駅伝。パソコンを点けながら、見るともなしにテレビを見ている。 私のブログに神奈川のブログ友カンジさんが、どこが本命かと書かれていたので、当てずっぽうに、青山学院、東洋大学、駒澤大学と答えたのだが、何と最終順位は確かその順番だったはず。初日は結局青山学院が一度もトップを譲らずにゴールし、往路優勝を決めた。 引き続き、ラグビーの大学選手権を観戦。決勝は朱色のジャージの帝京大学と若草色のジャージの大東文化大学との戦いだったが、帝京の圧勝でトライが次々に決まった。しかし「前へ」の明治大学や、海老茶と黒の縞模様の早稲田の強さは、一体どこへ行ってしまったのだろう。五郎丸人気で湧くラグビーだが、この人気も一体いつまで続くものやら。 夜は「日本百名山一筆書き」の再放送総集編(2)を観る。どんな悪条件になっても、プロアドベンチャー田中陽希のチャレンジ精神が衰えることはない。何度か観た彼の登山スタイルだが、観る度に凄さが分かる。 この日は前日の疲れが出て走れなかった。そんな日は無理せず、体操だけに止めた。昨年体調が悪かった時は、その体操すらしなかった。メニューは自己流体操、自己流ストレッチ体操、つま先立ち100回、スクワット100回、蛙脚スクワット30回、タオルギャザリング100回。足首廻し左右30回ずつ、壁押し適宜、青竹踏み100回、貝殻踏み100回、ゴムエキスパンダー10回、腹筋30回。これで15分ほどはかかる。暖かい時期はこれに屋外での「ぶら下がり」が加わる。 1月3日(日)。この日も朝からお節料理と日本酒で始まった。その後自室で「箱根駅伝」を観ていたら、次男が「これから東京に帰る」と顔を出した。「ええっ?」と思ったが、翌日は月曜日。早速仕事が始まるのだろう。「元気でね」と言って別れた。 彼は1冊の本を置いて行った。前日古本屋で買った関裕二著『ヤマト王権と十大豪族の正体』だ。パラパラと目次を見て、面白そうと感想を言ったのだが、彼はそれを聞いて早めに読んだか、あるいは読みかけのまま、私に預けて行ったのだ。神社や古代史に関心を持っているのは、きっと私に似たのだろう。また夫婦2人だけの生活に戻って淋しくなるが、これも老人の宿命だ。 結局「箱根」は青山学院の圧勝だった。第2日目の復路も一度もトップの座を譲らない完全優勝。これは日体大に次ぐ2度目の快挙で、39年ぶりの出来ごとだった由。気温が高くなったこの日は脱水症状になり、フラフラ状態の選手も出た。「たすき」を繋げなかった大学やシード権を落とした大学。毎年のようにそんな悲劇を観るのも、箱根駅伝の特徴だ。 「箱根」を観終えて直ぐTVを切り替えた。住友がかつて経営した愛媛の「別子銅山」の回顧録だ。私は四国の松山で足掛け8年ほど暮らしたことがあり、当時の山深い「別子山村」のことや、鉱害で苦しんだ新居浜市のことも知っていた。そして瀬戸内海に浮かぶ小島、四阪島へ精錬所を移動した事情も。 だが、先進諸国に追い着き追い越そうとした明治時代の創業者が、あれほどの苦しみを味わっていたことは知らなかった。鉱害ですっかり禿山になった別子の山々に、住友の社員達は今でもせっせと植林しているようだ。青々とした山並みが戻ったかつての村。まさに良心的な企業の姿がそこにあった。国が公害をもたらす中国とは、まるで雲泥の差だ。 それを観終えてから、近所の公園に走りに行った。この日も膝に神経痛のような痛みが出た。そしてゲップ。これは不整脈手術の後遺症なのだ。「人工的」にゲップを起こし、胃に溜まった空気を外に出す。それを何度か繰り返すうちにようやく「膨満感」が治まって来る。これもなかなか苦しいものだ。 この日走ったのは7km。周回コースはどうしても飽きるし、途中で帰りたくなってしまうのが難点。結局正月の3が日間は全て昼食を抜いた。少しでも体重を増やさないためだ。夜は『ブラタモリ』を観る。彼らが今回訪れたのは長崎。ブログ友ローズコーンさんが住む街の歴史と地理を探る旅は、観ていて飽きることがなかった。<続く>
2016.01.07
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12月26日(土)。この日はごろ合わせで「ふろの日」。一年間頑張って来た自分へのご褒美に、近所のスーパー銭湯へ行く。ここは天然温泉。普段は800円だが「ふろの日」は半額の400円で入れる。4年9カ月ほど前の「東日本大震災」で、ガスが供給されず、風呂に入れなかった時ここに来た。1時間半ほど寒空に並んで整理券をもらい、35日間でたった2回だけ入った風呂だった。「あか」が浮かんだ湯船が、あれほど有難かったことはなかった。 12月29日(火)。2階への階段を登った時、右膝に激痛が走った。これは神経痛だろうか。以前坂道で自転車を漕ぐ時に起きた痛みとは違った種類のようだ。これではたとえ不整脈が治まったとしても、走るのは無理だろうなあ。そんな気持ちになってガッカリ。結局この痛みは一日中続いた。 夜は久しぶりのプロボクシング世界タイトルマッチ観戦。井上尚弥の強さは相変わらずだが、八重樫東がまだ引退せずに頑張っていたとは意外。試合後見事に勝利した彼は、3人の子供をリング内に入れて家族に感謝した。素晴らしいファイター、素晴らしい家族愛だった。 12月30日(水)。早朝から妻が植木鉢を移動して欲しいと言う。次男が今日帰省するためのようだ。前もって話してくれたら、余裕を持って準備出来るのに。ブログを書いていた私は腹が立った。2階の南の部屋から、北側の部屋への移動。中には重たい鉢が幾つかある。私が死んだら、こんな作業は無理。きっと幾つかの植物は冬も外に出され放しで枯れてしまうだろうなあ。ふと、そんなことを考えた。 朝食後は2階の窓ガラスを全部掃除した。先ず洗剤を溶かしたお湯にタオルを浸して拭き、次に乾いたタオルで2度拭きする。これでピカピカになる。全作業を終えると大汗。でも気持ち良い暮れの大掃除になった。ベランダは数日前に私が掃除済み。 昼過ぎ、次男が帰省。私の顔を見るなり「案外元気そうだね」と一言。彼は妻とも相性が良いし、私とも話が合う。だからこうして帰って来ると、家の雰囲気が明るくなって良い。夜は元料理人の彼が夕食を作った。材料も全て彼が買って来たもの。さすがに味が良いし、飾り付けが見事。彼が買って来た日本酒も美味しかった。後日材料費として2万円を私の小遣いから渡した。 12月31日(木)朝日や生花など、元日用の写真を撮る。以前作ったもの5首に加えて、狂歌25首ほどを作成。これも元旦のブログ用。新年早々内容がどうかとも思ったが、ブラックユーモアを解してもらうのも良いと判断。合計30首の狂歌を時系列に直しながら、さらに推敲を重ねる。 夕食後は自室でまたまたボクシングの世界タイトルマッチを観戦。井岡はクレバーなボクシングで勝ったが、高山は偶然のバッティングで負傷し流血。試合の途中で中止となり判定負けした。29日に引き続き、「ライジン」とか言う総合格闘技も観戦。やはり大晦日は格闘技に限る。「紅白歌合戦」はコマーシャルの合間にちらっと観ただけ。史上最低の視聴率だった由。除夜の鐘も聞かずに就寝。こんなことは果たして何年ぶりだったのだろう。 平成28年(2016年)元旦。初日もきれいに空に出た。居間に集まって新年の挨拶。そして妻の作った「おせち」と日本酒、ワインで乾杯。今年は新聞の広告に載った北海道産の魚を頼んだ由。カニ、アワビ、イクラ、刺身用の魚など、いずれも立派なもの。写真を撮り忘れたが、味も最高だった。私が買っておいた大吟醸は辛口だったが、味に深みがあった。TVでニューイヤー駅伝を観戦。仙台も日中は雪がちらつく寒い一日だった。 午後2時半ごろ、運動着に着替えて外へ出る。今年の初ランニングだ。12月中旬に3度目の不整脈手術を受けた身。そして年末には膝に神経痛のような痛みが出た。この体で果たして走れるのか心配だが、駄目なら戻るか歩けば良い。そう考えて8kmのコースを選んだ。実に52日ぶりのランニング。走り出して直ぐ、膝に痛みが走った。やはり無理か。でもそのうち体が温まったせいか、痛みは出ずに済んだ。 私がランニングを開始したのは35歳の元旦。あの時はわずか3kmしか走れなかった。あれからまる36年が経った。今年で37年目のラン。走った距離は累計86420kmになった。寒かったが我慢出来た。ヨロヨロ、ノロノロのゆっくりランでも走れるのは嬉しい。無事8kmを走り切った。ランニングダイヤリーを新年の物に切り替え、元旦の場所に走った場所と距離を記入。その夜は安心して眠った。<続く>
2016.01.06
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このシリーズは昨年の旅で出会った美術品などを紹介しています。今日はその最終回。最初は青森県鰺ヶ沢のリゾートホテルで撮ったものですが、中には街で撮ったものも混じっています。 蔓で編んだ籠とハーブです。 ちょっと素朴な木の彫刻です。 木の幹に「日本」と刻まれています。 石に刻まれた現代風の道祖神です。 紫陽花の押し絵です。 繊細なネジバナの絵ですね。 壁に飾られていた樹の絵です。 津軽人の誇りである岩木山の絵です。 絹の衝立に描かれた岩木山とリンゴ園の絵です。 リンゴの収穫を描いた版画です。小学生の作品でしょうか。 ここからは10月末に泊った筑波山のホテルの日本画です。 いかにも日本的な松ですね。 これは花車とでも言うのでしょうか。 桜が咲いている春の風景です。 色鮮やかな孔雀が、こちらを見つめています。 再び扇子を手にして立つ女性です。 こちらはおまけの彫刻。これらはホテルではなく6月末に訪れた青森県立郷土館にあった彫刻です。さて、「宿の美シリーズ」は今回で終わりますが、楽しんでいただけたでしょうか。この旅で撮った写真はまだまだたくさん残っており、いずれ改めて紹介したいと考えています。ではまたね~。<完>
2016.01.05
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このシリーズは昨年の旅行時に泊ったホテルで出会った、花や美術品など美しいものを紹介しています。最初は青森県鰺ヶ沢のリゾートホテルのものです。 石製の壺。美しい模様が入った大理石みたいですね。 同じ石で出来たボールです。 赤と黒の鮮やかな漆で描かれた花です。 妖しい魅力を秘めた扉です。 大きな時計がカチコチ音を立てていました。 窓辺の布と人形です。 ロシアの入れ子人形、マトリョーシカが並んで立っていました。 美しい着物が飾られていました。 これは木の細工物。津軽の伝統工芸の技でしょうか。 装飾的な市場の絵です。 川岸に係留された船の絵です。 これも装飾的な寝殿造りの邸宅の絵です。 扇を描いた日本画です。 織物で出来た衝立です。 衝立と観葉植物です。 旅をしたのは6月。紫陽花が活けられていました。 窓辺の植物です。この旅は北東北の歴史を訪ねる旅でした。 窓辺の赤い花。旅は私にたくさんの収穫をもたらしてくれました。 ちょっと変わった観葉植物。歴史の勉強にもなりましたが、旅そのものも楽しめましたよ。 大きなロウソクと白い紫陽花。出来たら今年も体調を見ながら、旅へ出たいと思っています。 <続く>
2016.01.04
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このシリーズでは、昨年泊ったホテルに飾られていた絵や書、生花、装飾品などを紹介しています。安直ですが、読者の皆様にも楽しんでいただけたら幸いです。 青森県鰺ヶ沢のホテルで撮った写真です。最初は植木鉢。 宗左近の書「0」。 同じく「夕日」。これは何となく読めますね。 達筆過ぎて、私には読めません。 宇宙への賛美でしょうか? 自由な書体で書かれた詩。 貝と木の枝で書かれた「感動の」です。 こちらは「努」と「人」かな? 壁の模様です。 こちらはペルシャ語を装飾代わりにしていました。 こちらも壁の装飾品です。 装飾のバラの花です。 不思議な雰囲気の花の絵。 植物と絵のコラボはいかが? 木の素材を生かした椅子です。 鏡の不思議な世界。 鏡の前に並んだガラス製品。 大きくて派手な花瓶ですねえ。 いかがでしょうか。ホテルや旅館の装飾には宿泊客を寛がせ、癒してくれる作用があると思うのですが、私達はあまり気にも留めてないことが多いのではないでしょうか。まだもう少し続きます。<続く>
2016.01.03
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昨年私は何度か旅をしました。観光旅行、歴史を訪ねる一人旅、そしてかつての職場の仲間との懇親会などです。その旅の紹介は既に済んでいますが、その時に泊ったホテルなどで撮った写真がまだたくさん残っています。今回はホテルや旅館など宿泊施設に飾られていた、花や絵や置物などの美術品を紹介したいと思います。ただし花は、季節外れになった感もありますが、どうぞお許しを。では早速ご紹介しましょう。 最初は、6月に泊った秋田大湯温泉のホテルに飾られていた生花です。 生花2 生花3 生花4 美しい花ですが、これは造花でしょうね。 ホテルは結婚式場を兼ねているのか、ウエディングドレスが飾られていました。 椅子に添えられていた花です。 書と花のコラボレーションです。 達筆な書です。「雪月花」でしょうか? 廊下にあった格子戸です。 温泉にゆらめく照明です。 廊下の壁と小さな絵です。 廊下に飾られていた人物画です。 これは翌日見学した「大湯環状列石」(ストーンサークル)ですね。 ここからは青森県鰺ヶ沢のリゾートホテルで撮った写真です。最初は花の絵。 神秘的な森と湖の絵でした。 不思議な雰囲気を漂わせた植物ですね。 一面に広がる枯木の絵でした。 これは雪の小川でしょうか。 こんな風に私はどこででもこれは良いなとか、面白そうだなと思った写真を撮っています。それは後日、ブログネタが乏しくなった時期に役立つと考えているからです。新年早々、その古い写真が役立ったようですね。<続く>
2016.01.02
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<微笑・苦笑・爆笑 歳末&新春狂歌> 皆様あけましておめでとうございます。今日は2016年平成28年の元旦です。拙いブログではありますが、今年も一年間どうぞよろしくお願いしますね。 さて、皆様は一休さんをご存知だと思います。あの「とんち」で有名なお坊さんですね。一休宗純は実在の僧。彼が詠んだ狂句に次のようなものがあります。 門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし お正月に飾る門松はめでたいようでめでたくはない。なぜならお正月になると一つ歳を取り(昔の「数え年」はお正月に歳を取る仕組みだった)、それだけ「あの世」に近くなると言うのが、彼の言い分。 そこで一休さんの句を手本に、私も狂句を詠んでみました。これはあくまでもブラックユーモアなので、正月早々縁起でもないなどと怒らずに、どうぞお許しいただきたいと存じます。なお約束事として2つお願いします。一つ目は句の終わりに必ず「めでたくもあり、めでたくもなし」をつけていただきたいこと。二つ目は、出来るだけ声を出して読んでいただきたいことです。ご面倒でもどうぞよろしくお願いしますね~。では! 暖冬の年に限って原油安 めでたくもありめでたくもなし(以下下の句省略) 笑うより笑われて来たこの一年 元気良く今日も徘徊家忘れ この一年病気病気で明け暮れて また一年薬と注射で生き延びた ぜいたくを言わなきゃ何とか生きられる 年ごとに増えるは顔のしわばかり 多忙なる長男正月帰れない 初雪に喜び勇み転ぶ人 歌合戦目覚めた時は除夜の鐘 年神の居所もなし四畳半 めでたくもありめでたくもなし(以下下の句省略) 年神と貧乏神が同居して 厳かな初日拝んで風邪ひいた お年玉上げたい孫は遠過ぎて 正月は古女房と二人きり 歯が抜けて食いたい餅が噛み切れず 欲張った喉の雑煮が飲み込めず どうしましょ入歯に餅が引っ付いた 元旦の「喪中」が「夢中」になるお酒 一杯のお屠蘇(おとそ)で酔って昼寝する 年賀状来たのは良いが老眼で めでたくもありめでたくもなし(以下下の句省略) 長生きし閻魔(えんま)さまから年賀状 よしやるぞ!誓う初夢目が覚めた 初夢は七億円の大当たり 今年こそ三日坊主の日記帳 薄い髪元旦の風おお寒い 初詣で帰りに落とす財布かな 年男新年早々寝たきりで 書き初めも筆が震える齢となり 待合室年寄ばかりの新年会 笑う門には福来る。今年も大いに笑いましょう。そして健康第一でこの一年を過ごしたいものですね。改めて、今年もどうぞよろしくね~!!
2016.01.01
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