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~「粉もの」のことなど~ 1月も今日でおしまい。明日からは2月。旧暦2月の別名は「如月」(きさらぎ)。寒いため着ているものの上に更に着重ねる意味の着更着(きさらぎ)から来たとの説もある。2月に入って直ぐ節分があり、立春となる。旧暦ではもう春。日差しも明るく、日没も少し遅くなったように感じる。俳句教室の2月の兼題(宿題)は「紅梅や」。1週間ほど前、早咲きの紅梅を観た。わずか2、3輪だったが。 衝突痕 「ドン」と言う音が聞こえた。居間の窓ガラスを見ると、白いものが付着している。外へ出て確かめると、柔らかい羽毛。正体は山鳩。キジバトやアオバトとも呼ばれるそうだ。居間の窓ガラスはかなり大きく、中に植木鉢を置いているせいだろうか。そして窓ガラスに青空がきれいに写っていた。これじゃ鳩も錯覚するはず。去年業者に窓ガラスの清掃を依頼したのも関係したかも。鳩は直ぐに飛び去ったようだ。 山鳩 本来は山などに生息する鳥だが、住宅地の傍にも現れる。ウィキペディアには警戒心が強いとあるが、近所のキウイの木に巣を作ったり、我が家の庭や畑に来て餌を捜す姿を良く見かける。時には番(つがい)で飛来することも。木の実や昆虫、ミミズなど何でも食べる雑食性。我が家にはアオキやウメモドキなど実のなる木もあれば、虫が食う野菜も育てている。デデポポと低音の鳴き声が可愛い。 お好み焼き 私は結構「粉もの」が好き。うどん、そば、ラーメンなどの麺類。安売りのパン。一昨日はウーメンを茹で、暖かい汁につけて食べた。昨日は考えた末、昼食はお好み焼を作った。粉は強力粉と「黄粉」を合わせ、水で溶いたもの。具材はキャベツの千切り、チーズ笹かまを切ったもの、レーズン、ケチャップ味の野菜炒めの残り物など。完成後は中濃ソースをかけて食す。なかなかの味でぺろり2枚完食。 新しく買った体重計は居間に置いてある。何しろ脱衣所が寒すぎて、素っ裸になると体重測定どころではなくなる。居間は夕方からシャッターを下ろし、カーテンを閉めて暖房を入れてある。風呂から上がると一目散に体重計に乗る。ここ数日の体重の増減はわずか100から200グラム程度。面倒な体脂肪率などは設定もしていない。バランスの良い食事で、便秘も無用。良いぞ自分。良いぞわが食生活。 奄美大島 テレビ番組で奄美の探訪記を観た。奄美の習俗や文化などの紹介。私は一度も訪れたことはないが、空の上からは何度も観た。フライトマップと島の形で、どの島か見当をつける。地図の赤丸部分が大島海峡。ここはリアス式海岸でとても入り組んだ独特の地形。狭い海峡の対岸が加計呂麻(かけろま)島。5回くらいは自分の目で確認出来た。座席の位置と当日の天候でも、見える島が全く異なる。 大島海峡(左)と奄美民謡の歌者(うたしゃ=歌手:右) 手前が奄美大島で、対岸が加計呂麻島。サンゴ礁が砕けた白い砂のせいで浅い場所はエメラルドグリーンに、海峡の深い部分が藍色に見える。島の形がギザギザなのがリアス式海岸の特徴。琉球王朝に属した時代があり、琉球文化の面影も残るが、沖縄と南九州の双方の影響を受けている感じ。独特の「こぶし」を利かせた民謡がとても素晴らしく、若手の歌者が数多く育っているのが頼もしい。 竹富島 先日の「ブラタモリ」の訪問地は沖縄の竹富島。地質や地形を中心に進行するのが番組の特徴。集落はすべて島の中心にある。そこは島の起源となった堅い岩(チャート)がある限られた場所。井戸もその周辺に多い。チャート岩礁を中心とした元の小島を取り囲むようにサンゴ礁が形成され、隆起を繰り返して島は今の大きさになった由。伝説によれ、屋久島、沖縄本島、久米島などから渡って来た6人(?)が島人の先祖だと。「ここより南側は立理禁止」の点線が引かれているが、きっと「星砂」の採取を警戒してるのだろう。 赤瓦の集落 隆起サンゴ礁は石ころだらけで、畑を作るの重労働とのこと。聖なる御嶽(うたき)は八重山地方では「オン」と呼ぶ。また祝女(ノロ)に相当するのが司(つかさ)。6人の司が6つのオンで祈り、12か所の井戸を守り、月に2回祈りと祭りを行うが、それでも昔より減った由。島の成立や伝説、祈りと祭り。狭く貧しい島で協力し合って来た島の歴史が理解出来た。私は島を訪れたことがあり、行った場所も地図で分かる。テレビ番組のお陰で、奄美や沖縄に関する知識が、増えて行くのが嬉しい。<続く>
2022.01.31
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~浪花節だよ女の人生は♬・・~ 『カムカム』のジョーとるいの結末に安堵した。いろいろあったけど、二人は夫婦になり女の子も生まれた。このブログは3日前に予約機能を使って書いているため、生まれた子の名前は知らない。だけど「京都編」なので、るいの娘で安子の孫娘は、きっと京都を舞台に成長して行くのだろう。曲折の多い脚本のため、今後の展開は全く不明。そしてアメリカに渡った安子のその後も心配だ。 るいと同様、額に傷を負った女性の話から始めよう。仮にA子と呼ぶ。彼女は高卒だが国立大学の教育学部に合格していた。だが当時は教師になるのは困難と親に言われ、定員内職員として私の元に来た。私の勧めで通信教育を受け大学卒となり、仕事に必要な資格も取った。そのA子が恋をした。彼女の結婚相手に相応しいかどうかを、上司の私に判断してもらえと親に言われたようだ。 だが思いつめた彼女に、否定的な意見を言える雰囲気ではない。彼女は額の傷を目立たなくする美容整形手術を受け、晴れて花嫁になった。それから何十年か後、当時のメンバーが私の歓迎会を催してくれた。同期生がA子のその後を教えてくれた。彼女の子供の一人が、国立大学の医学部に合格した由。優秀な娘の子供はやはり優秀なのだ。愛媛から徳島へ自転車でツーリング中に、彼女の実家にも寄ったっけ。 南果歩 A子と同期のB子は大卒だったが、非常勤職員として私の職場に配属された。ところが私がいくら注意しても上の空状態。そこで少々きつく彼女に対応した。ある朝何気なく彼女の机の下を見ると、驚くほど大量の抜け毛。彼女が指を絡めて抜いた頭髪だ。そのうち人事から連絡があり、B子は単位不足のため大学を卒業出来ず、結局高卒扱いになったと。高校は理数科で、大学は理学部だったのだが。 そしてB子とホテルに行ったとある男子職員が告げた。机の下の大量の抜け毛はきっと彼女のストレスが最高潮に達したためなのだろう。彼女の結婚式に私も呼ばれた。当然のように優秀な成績で大学を卒業し、立派な職員として勤務したとB子の紹介。新郎は有名企業の社員。彼が私に「B子に辛く当ったのは貴方ですか」と。祝いの宴ではどんな新郎新婦も褒められるんだねえ。知らぬは亭主ばかりなり。 「黒いオルフェ」 ある職場の後輩のC子はアフリカ人の留学生と恋仲になった。とても気立ての良い娘で、態度も体も堂々たるもの。だが両親に結婚を反対された彼女は嘘をついた。「お腹には彼の赤ちゃんがいる」と。大学院修了と同時に留学生はC子を連れて本国へ帰った。きっと今頃は国家的な人材として要職に就き、C子も「ビッグママ」になっていることだろう。どうか幸せであってほしいと願う。しかし女は強い。 厠神(かわやがみ)1 ある職場の部下だったD子が子供を産んだと、私は転勤先で聞いた。相手は他機関の既婚者。どうしてもその人の子供が欲しいと思ったのだろう。彼女が積極的に動いたようだ。生まれた子供は私生児となり、彼女はシングルマザーとなったはず。おんなは強いが、母となればさらにその強さが増すのだろう。転勤で全国を巡ると、それぞれの地で色んなことを経験する。 厠神2 良い縁組と思った若い男女が、私の転勤後に別れたと聞いた。彼は一人っ子の長男。そして彼女も一人娘。当初は良かったが、「家を継ぐ」ために「婿」になれ「嫁」によこせと、双方で諍いが起きたようだ。封建的な地方ではそんな事例がざらにある。ある女性に見合い話を勧めたら、転勤はこの地区内でお願いしますと。結局見合いは成立せず、彼女は女子短期大学の講師になったと後日聞いた。 厠神3 ある地で花嫁候補者の推薦を依頼され、気立ての良いF子さんを紹介した。ところが依頼主の夫人が後日断って来た。どうやらF子の実家を知っていて、家格が釣り合わないと判断した模様。F子さんは「相手は自分で探します」と怒った。それを謝ったのは20年以上も後のこと。当然仔細は話せないが、不慣れなことはすべきでない。ある地で「頼まれ仲人」をしたが、私たちが後に離婚する羽目になった。 他部局から私たちの職場に来たTちゃん。おっとりし常識的なお嬢さんだったが、その後地元で結婚。私が転勤した後もずっと年賀状をくれ、今回の寒中見舞いで長年の交流に感謝した。地味な仕事を丁寧に対処し、平和な家庭を築いた立派な主婦。やむなくクビにした人、他部局に出した人、ハローワークで募集し採用した人。不妊治療に励んでも子宝に恵まれなかった人。それぞれの顔を今でも思い出す。 自宅の25年目点検が無事に終了した。新型コロナの第6波が猛烈な勢いで蔓延し出した時期の接触は怖いが、朝から準備して担当者を待っていた。玄関先に「注意書き4か条」を置き、彼らも納得して点検作業に入った。隅々まで丁寧にチェックしてもらい、想定外の成果だった。きっと事前打ち合わせの際、前回点検時の不満を本音でぶつけたせいだろう。点検結果が送られて来るのは8日後の由。 クレオパトラ(左)とアントニウスの金貨 点検しに来た建築業者が帰ってほどなく、一人の女性が我が家を訪ねて来た。顔も名前も勤務先も知っている人。その彼女が一体私に何の用と不思議に思ったら、借金の依頼だった。へえ~っ、嘘みたい。彼女の事情は聞かなかったが、信用して貸した。さて、一体どんな結果になるか。 父は3度女に騙された。最初の妻、2番目の妻。3番目の妻。きっと人が良かったのだろう。そして私も妻に騙され、有り金のほとんどを持ち去られた。家を去る際、元妻が私に言った。「お父さんは女に騙されると」。元妻が私を騙し続けたのは本当。保険屋の女性の口車にも簡単に乗った。実害は少ないが短慮だったか。もし今回騙された場合は、父の回数と並ぶ。父との相違点は、家族に迷惑をかけてない点。ただし、「今のところ」だけど。 その夜はサラ・オレインの歌声で癒された。マレーシア人で外交官だった父と、日本人の母から生まれたオーストラリア人。確かメルボルン大学だったかを首席で卒業し、東大に留学した際「アニメの主題歌をネーティブで歌える人」の募集を見て応募。日本滞在は1年と限定されていたが、その間に父親が死亡し、34歳の今日までずっと日本で歌い、色んな分野に挑戦し続けて来た才能ある彼女。 確か話せる言語は6か国語、理解出来るのは8か国語くらいだったはず。幼少時からピアノとバイオリンを習い、怪我しないよう包丁を持つことも禁止で、自転車にも乗れない由。音域は3オクターブで絶対音感の持ち主。このところずと疲労を感じていたが、久しぶりに彼女の美しい歌声を聞いた。ただし、彼女に関する正確な情報はご自分で検索を。では。<続く>
2022.01.30
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~出て来た俳句ノート~ 3日連続でウォーキングをした。「思いついたが吉日」との意気込みだったが、直ぐに腰痛発生。上り坂で前傾姿勢になると、腰に負担がかかるのだろう。時々立ち止まって腰を回したり、手で叩いたり。家の中では自己流の腰痛体操とラジオ体操と軽いストレッチ体操なども。なかなか腰痛は治まらないが、下肢と臀部の筋肉が少しだけ戻ったような気がする。寝たきりにならないためにも、なるべく運動したい。 小春日和のある日。朝から洗濯と布団干しを決行。ついでに畑に埋めた小ぶりの大根を3本掘り出した。凍ったまま埋めたせいかまだ凍り、葉を切り落とした部分から腐り始めていた。30cmの地下でも、そんな変化があるのかと改めて認識。冷蔵庫に残っていた大根を先ず使おう。皮は刻んでピクルス用に、「本体」はザク切りにしてニンジンと一緒に圧力鍋で煮た。 茹でたメカブ それから買い物へ。いつもは週末にしか行かないのだが、冷蔵庫の食品が乏しくなっていた。連日3食を自宅で摂れば、減るのは当たり前だ。思い切って通常の2倍ほどの金額を購入。店を出ると駐輪場にSさんがいた。最初と2番目の職場の先輩。会ったのは1年ぶり。80歳を過ぎても自転車で来る。しかも普通のママチャリ。近く新しいのを買う予定と。しばし健康談議に花が咲いた。 帰宅後すぐに食品をそれぞれの場所に収納。続いて料理に着手。昨夜から解凍していたもの、朝から下処理していたもの。それらを大鍋に入れ、いつも通り適当に味付け。これで4日分にはなるはず。メカブ(昆布の根元)を小さく切って茹で、ピクルスを作り、その合間に魚を捌いて刺身になる部分、焼き魚にする部分、味噌汁代わりの鍋にする部分などに仕分け。我ながら手慣れたものだ。 タラの白子 珍しくタラの白子を買った。美味しいが高いため、10年くらい食べてなかった。タラの切り身、白菜、ネギ、豆腐、捌いた魚の不要な部分と一緒に鍋物に。白子はオスの精巣で、仙台ではかつて「キク」と呼んでいた。北海道の本場でなく、三陸近海でもマダラが獲れるようになったのだろう。さて、どんな出来栄えになるかは不明。アイスランド産のクジラのベーコンも買った。こちらも懐かしい味だ。 先日文書整理をしていたら、俳句ノートが出て来た。721番から2696番までは北陸勤務時の作品で、それ以前はやはり捨てたようだ。その後に転勤先で詠んだ作品が続いていた。まさか水戸でも詠んでいたとは。そこは定年前に辞職を決意した地。19年前の緊迫した心情がまざまざと蘇った。苦しみの中で走り、句を詠んだあの日々。それらの作品を、いずれ必ず読み返すつもり。 職辞して春風われのものとなる (しょくじしてしゅんぷうわれのものとなる) 山本読書室 江戸末期の京都にあった「山本読書室」をあるテレビ番組で知った。主宰者の儒医山本封山は私財を投じ事実を究める活動をしていた由。門弟は武士、貴族、町人、農民など1600余人と言う。蝦夷地を探検し、こよなくアイヌを愛した松浦武四郎も門弟の一人。私塾は事実や実物を重視し、60年間で51回の「物産会」を開催。蒐集品も記録も膨大過ぎて刊行不能だったが、その業績が現在見直されている由。 北京冬季五輪マスコット 元NBA(アメリカプロバスケットボール協会)の中国人選手姚明(ようめい)氏が現役のエネス・フリーダム選手を中国に招待したい旨表明。これに対してフリーダム選手は「もしウイグル族の奴隷労働収容所」に一緒に行ってくれるなら招待に応じよう」と応えた由。同選手はウイグル族と同じ文化を持つトルコの出身。ウイグル族に対する中国の弾圧に抗議して名前をフリーダム(自由)に変えた信念の人。 エネス・フリーダム選手 性的被害を訴えた女子プロテニス選手の抗議すら、合成写真やフェイクニュースで「亡き者」にした中国。ウイグル族への人権侵害は「ジェノサイド」(皆殺し・民族撲滅)と主張する国家もあり、北京冬季五輪への政府関係者派遣をボイコットする国も出た。今回の動きも、きっと陰で中国共産党が手を回しているはず。嘘は中国及び中国人にとって恥ではない。「嘘も方便」。それが彼の国古来の文化であり、歴史でもある。今回のフリーダム選手の勇気ある行動を支持し、拍手を送りたい。<続く>
2022.01.29
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~わが家のシンビジューム~ 昨年12月中旬。シンビジュームに花芽があるのを見つけた時は狂喜しました。1人暮らしになって5年。妻が捨てていったみすぼらしい株。それを2分割して枯れた根を取り除き、鉢を取り換えてミズゴケを敷き詰め、水やりを欠かさず、水溶性の肥料を施しました。夏は外の日陰に、冬は居間に取り込んでいました。日中はまるで温室のように気温が上がる窓辺に他の植木鉢と一緒に。 そして夕方からは暖房。乾燥が激しいため、2日に1度の水やりを続けたことが、きっと古株への刺激になったのでしょう。花が開き始めてから1か月近く経ったのに、元気で咲き続けています。ハイビスカスやシコンノボタンも冬季に咲きましたが、今ハイビスカスはすっかり落葉し、枯枝から小さな芽が出ています。今日のお話はこれだけ。ずらりと同じ花を並べただけ。一緒に愛でていただけたら嬉しいです。 私の「親ばか」ぶりを笑ってください。まあ育て親としてはそれくらい嬉しいのです。嬉しいのは新しい2本の花芽があることです。その株に支柱を施し、負担を少なくするため、この花は切ってお向かいのKさんに上げました。奥さまがとても喜んでくれました。花の嫁入りだ。ああ嬉しいな。<続く>
2022.01.28
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~ ニュースと私 ~ オミクロン株 新型コロナの感染者数が1日で6万人を超えたという。オミクロン株の解明はまだ不十分だが、次第に判明してきた由。予想外の変異コースをたどったようだ。しかし感染力の強さが恐怖。基礎疾患のある高齢者の罹患が恐れられている。感染阻止のための渡航禁止などで経済活動が減速し、国際的な影響も大きい。2月4日から開催予定の北京冬季五輪、パラリンピックの行方が心配される。 海保第11管区の艦船 さて、南九州、奄美、沖縄そして尖閣諸島の警備を担当する海上保安庁第11管区の乗組員のうち120名ほどが新型コロナに感染したとのニュースに驚嘆。尖閣を奪おうと虎視眈々の中国は、民間船を使って尖閣諸島の久場島に上陸し、新型ミサイルを瞬時に設置する作戦も想定されると聞く。アメリカはウクライナへの兵員派遣の構えを見せた。ロシアの侵攻に対する警告だが、両地区同時には戦えないだろう。 その沖縄県名護市長選挙で、現職の渡具知氏が当選し、普天間基地の辺野古移転反対を訴えた新人は5千票の大差で敗れた。民主党政権当時「最低でも県外」と、米国と合意済みだった辺野古移転を反故にした鳩山元総理。国際情勢と日本の安全保障との関係を認識出来ない、馬鹿な政治家だった。中国のプロパガンダは実に巧妙で、地元紙2紙の主張にすっかり踊らされている沖縄県民。 火山爆発による衝撃波の広がり(左)と海上自衛隊の輸送艦(右) 200もの島嶼からなるトンガの火山爆発による津波被害は、かなり深刻だった。トンガでは最大14mの津波が襲い、消滅した小島もあった由。地震ではなく火山爆発の衝撃波による津波発生は、初めてのことらしい。大量の飲み水や発電機を積んだ海上自衛隊の輸送艦が現地に向かった。コロナに感染した隊員は交代した模様。着岸出来ない場合に備え、ヘリコプターも搭載。トンガは日本への謝意を表明した。 大相撲初場所は、関脇の御嶽海が3度目の優勝。直近の3場所で33勝を挙げ、大関に推挙された。14日目に横綱が敗れたことで、取り組みを割り直しての直接対決。照ノ富士は膝と足首の怪我が影響したようだ。元大関朝の山の懲戒恩赦の声も出たが、理事会で否決された。来場所は2人の大関がカド番。新大関にはその上も狙ってほしい。応援に来たフィリピン人のお母さんがすごい美人だった。 「高槻で連勝や」と書かれた太鼓を背負っているのは藤井竜王。これは「王将戦」で勝利した際の「約束ごと」で開催地に因む仮装をするのが伝統。大阪なので「食い倒れ太郎」に扮したみたい。初戦の静岡では確か「大井川鉄道」の車掌だったはず。そして先日「竜王」の就位式に臨んだ。これで晴れての「四冠」。もし「王将」も奪取したら、初の十代での五冠達成。将棋の歴史が変わりつつある。<続く>
2022.01.27
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~長い話・短い話~ 岡山のHさんから電話が来て、かなり長い間話した。彼はつくば時代の後輩で、現役中は存分に実力を発揮し、退職後は私大の特任教授として専門職の養成に当たった。彼も麻雀仲間の一人だが、今ではせっせと家事をこなしている由。情報通の彼からはつくば時代の同僚や後輩たちのその後の様子を聞くことが出来た。懐かしいつくば勤務時代。あの壮絶な経験は未だに忘れることが出来ない。 住宅メーカーの青年には、かなりきつい調子で本音を話した。前回の点検時に来宅した社員があまりにも横柄な態度だったからだ。彼は私の剣幕に驚いたようだ。企業には企業の論理があるだろうが、建て主には建て主の論理がある。それも先がない後期高齢者の場合は、彼らの利得行為を簡単に受け入れることは出来ない。私の話の内容に驚いたろうが、人生の重さを彼が感じてくれたら本望だ。 夕方暗くなってからやって来た新聞の集金人と、長時間宗教談義をした。玄関先での1時間以上の問答で腰が痛くなり寒さで震えたが、真剣なやりとりだった。言うならば宗教上の真理と、科学としての真理の相違。彼女が教団から何をどう学んでいるかが分かって面白かった。私は教会に行かなくなって久しいが、神社や仏閣を訪ねた際も「アーメン」と唱え、科学を超越した絶対的な真理を今なお信じている。 「香典返し」は高級なドリップ式のコーヒーと洋菓子。私はインスタントで十分だし、装置もない。近所の方に上げようとし、3人目のTさんが引き取ってくれた。その代わりに新しく買った体重計の「設定」を頼んだ。メカに弱く視力が悪い私にはお手上げだが、彼女はあっという間に設定を終えた。緊急連絡用にと電話番号も聞き出した。いざという時に頼りになるのは、遠くの親戚よりご近所さんだ。 外階段の塀際のモッコウバラを剪定してる私を見て、お向かいのKさんが声をかけてくれた。彼は枝切鋏を器用に駆使して、邪魔な枝を伐ってくれた。そのKさん宅の電話番号も聞いた。以前は町内会製作の略図に電話番号も載っていたのだが、「個人情報保護」で消えてしまった。その後はずっと私がやり、伐った枝と落葉を片付け、枯れ菊を剪定し、裏の畑の雑草を抜いた。これで少しは安全安心になったかも。 畑に埋めたのを掘り出した大根は裏のSさんに上げた。寒さで凍り、成長が悪かった小さな大根だが、果たして役に立ったのか。南の畑の白菜のうち、食用可能な株が6個から8個ある。これも食べられるうちに誰かに上げようと思うが、貧弱な野菜でも喜んでもらえないとダメ。家庭菜園の野菜は農家が作ったものとは、見栄えも中身も違うからだ。むろん作った本人は美味しく食べてるのだが。 ひょっとしたらもうロウバイが咲き出しているかもと思い、小川の土手沿いに訪ねてみた。1軒は満開の花盛り。だがもう1軒はまだ咲き始め。なぜかと理由を考えた末に出た結論は、ほとんど咲いてないお宅のロウバイは垣根代わりで強めの剪定をしたと推定。我が家のモッコウバラの剪定は、堅い古枝が飛び出して危険なのと、よろけた場合咄嗟に垣根の桟を掴むため。俺も歳をとったものだ。ああ。<続く>
2022.01.26
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~いのちのはなし~ 夕食から1時間を過ぎてもまだ頭痛がする。おかしいなあ、夕食時にも血圧降下剤を飲んだはずなのに。念のために血圧を測定する。上が167で下が97くらい。これは危険。このところ続いていた頭痛が治まりかけたと安堵したのもつかの間。これは睡眠導入剤を飲んで早く寝るに限る。多分原因は室温の低下で血管が収縮したのだろう。温度を上げて室内が乾燥する方に関心が向いていたかも。 布団も冷え切っていたが、トイレに起きる回数も少なくて済み、まあまあ良く眠れたと判断。翌朝はいつもより早く目覚めて直ぐに暖房を入れ、布団を上げて着替え。外はまだ暗く、気温が低いとみてシャッターは上げなかった。新聞を取りに出ると敷石が濡れている。夜のうちに小雨が降ったみたい。だが新聞紙はビニール袋に包まれず、むき出し状態。朝食はいつもよりかなり早め。 朝食後に薬を服用し、歯磨き。次いでパソコンを立ち上げ自分のブログをチェック。出かける準備は出来ていた。この日は歯の治療日。前回はドクターの奥様の急死により、キャンセル。肩掛けバッグには、「ふくさ」に包まれたお悔やみやカメラ。心配していた腰痛は幸いにして出ない。それに雪のない道路は安心して歩ける。9時半に着くと、待合室には2人の先客。 1か月ぶりに会ったドクターは、少しやつれていた。最愛の奥様を亡くされてどれだけ気落ちされているか心配だったが、そこは男。冷静な一人の歯医者に戻っていた。私の番が来て治療室に呼ばれる。ドクターにお悔やみを述べ、些少の香典をお渡しした。すると先生は謝意を述べられ、「香典返し」を私に手渡した。懇意にしていた患者さんの中で香典を差し上げた方が大勢いたのだろう。 虫歯の治療を受けながら、遠慮なく先生に尋ねた。奥様の享年は59歳。この秋には還暦になるはずだったと。自宅のキッチンで倒れている奥様を発見したのは娘さん。死因となった「クモ膜下出血」には、高血圧が深く関わっていたようだ。普段から上が190近く、下が110くらいあったが、薬の飲み忘れもしばしばあった由。奥様はあまり物事に拘らない性格。それが逆に命取りになったか。 亡くなられる数日前に受けた「脳ドック」では、異常がなかったそうだ。だが冬の寒さ、日ごろの高血圧、体重増加などがまだ若い奥様の命を奪ったのではないか。私はそう推察した。この歯科医の新設以来の付き合いで、「東日本大震災」時も互いに励まし合った仲。患者にとっては何でも話せる奥様とドクターだった。こんな付き合いも珍しいのではないか。香典返しを手に帰途に就いた。 ここ数日の間。私は長らく気になっていた「文書整理」に勤しんでいた。「終活」の一環として文書を分類し、「見出し」をつけたトレーに収容する作業。年金関係、生命保険や医療保険関係、火災保険関係、介護や健康、後期高齢者保険関係、土地・家屋など不動産関係、インターネットの契約関係、家事支援などの各種サービス関係、葬祭など死後の処理関係資料。公共料金支払い関係。 パソコン横のデスクには、税金関係、後期高齢者健康保険関係の引き出し、文房具や郵便関係の引き出し。別のデスクには預金通帳類。そして飾り棚の引き出しなど2か所に各種の「取り扱い説明書」。そこまで整理後、「エンディングノート」2冊の内容と項目をチェックし、「相続関係の概説書」にざっと目を通した。これは大変な事態で、一大事業であることが即座に理解できた。 死後の始末をどれだけ生前に準備出来るか。同居している家族があれば何の問題もない。割と近くに家族が住む人も、住居が少し遠くても死後の財産処理や「故人の遺志」を家族間で共有していれば、何の心配もなく「あの世」に旅立てる。しかし我が家ではそのいずれもが欠乏。いくらエンディングノートに書いたり遺言を残しても、家の鍵さえ子供は持っておらず、コンタクトも取れてない絶望的な状態なのだ。 自宅の「建築後25年点検」が近くあり、打ち合わせのために訪れた建設業者と話をした。彼らは点検に名を借りた「リフォーム」を勧めて老人から金を搾り取ろうとする。「保険屋」も同様。死んだらそれ以上金はふんだくれない。出来るのは老人がまだ生きてる時。その相手の認知機能が衰えていれば、絶好のカモだ。老人も最後に欲張るとことの本質が見えなって騙される。危ない危ない。最後の際まで気を抜かずに頑張るしかない。<続く>
2022.01.25
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~師との対話~ 滅多に人を褒めない講師が、この日は最長老の受講生を褒めた。唯一講師よりも高齢の方。その彼が提出する作品のほとんどが武張(ぶば)った句。生真面目な性格が彼の句や書かれた文字にも表れている。講師が褒めたのは声の大きさといつに変わらぬ彼の句。世界を股にかけて旅したのか、いつぞやはオーロラの句を提出。私は彼がある月刊誌に句を投稿してることを知っている。無口な努力家なのだ。 かまど神 私が提出したのは3句。先ずは季語の「繭玉や」を上五にした兼題。 繭玉や厨におはすかまど神 まゆだまやくりやにおわすかまどがみ 繭玉とかまど神の「取り合わせ」は上手く行った積もり。だが「厨におはす」が失敗。私は晴れがましく居間に飾られた繭玉と、暗い厨(台所)で家の安全を守るかまど神との対比が面白いと考えたのだが、「かまど神が厨(台所)に居るのは当たり前」なので、その「中七」が無用だと。「中七」は「下五の説明」に気を取られていたが当然のことを言うのは無駄。使える音が17音の俳句では特にそうだ。 2句目。 届きたる友の賀状の癖字かな とどきたるとものがじょうのくせじかな。 こちらも「賀状は届くもの」でちょん。言わずもがなのことは言葉の無駄だと講師。まだまだ推敲が足らなかったようだ。自分の句の言葉に酔ってしまうと、そんな単純なことが見えなくなるのだ。 通し矢 3句目。 振袖の白き腕や弓始 ふりそでのしろきかいなやゆみはじめ 「白き」を注意されるかと思ったが、結果は無添削。新年早々に矢を射る行事が季語の「弓始」。京都三十三間堂の「通し矢」が有名だ。振袖姿のお嬢さんが襷(たすき)をして弓を引く際に露(あらわ)になる腕の白さを強調した。添削はなかったものの、「袖」が衣偏(ころもへん)ではなく示偏(しめすへん)の誤字を指摘された。目が良く見えないのと、字の確認を忘れたことによる二重の失敗だった。 講義終了後、私は誰もいない教室で講師に尋ねた。講師が以前から今後の体調次第では講師を辞めると言っておられたことに関してだ。主催者からは「俳句教室」の講習期間は年度と無関係で、体調次第でいつ休み、辞めても良いと言われている由。肝臓がんが肺に転移して治療中だが手術は受けないと明言していた。それでいざという時の臨時講師を私に依頼されたが、私は体調不良を理由に断った経緯があった。 「体調は今も良くないが、手伝いたい気持ちはある」と伝えたら喜んで、今後休む際は「自習」と言う形で代理を頼むとの返事。体調の関係で安請け合いは出来ないが、今は講師と話せて良かったと思っている。無論彼の講義の継続が最良の道。私に人を教える力はないが、一緒に学ぶことなら可能。寒風の中ペダルを漕いで帰宅し、早速来月の兼題に着手。次回も難題だ。「上手くなるには挑戦心が必要」。講師の言葉を心に刻みたい。俳句の道は遠く厳しいが私の命が持ち、さらなる高みに到達出来るかどうか。頭痛がまだ続いている。<未完>
2022.01.24
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~準備そして当日~ 埋めた大根を掘る 当日が雪の場合を考え、バスの時刻を調べた。当日の寒さを心配して一番暖かそうな服装を選んだ。もしものことを考えて夕食のメニューを考え、翌日分のブログを予約。だが、天気予報はたった一日で変わる。それに寒気が厳しい今頃は、たとえ太平洋側が晴れていても奥羽山脈を越えて雪が飛んで来たり、強風になる場合もある。だが杞憂は無駄で、当日は自転車で行けそうな天気になった。 ギボシの種 会場へは早めに着いて、早速検温と入館票に記入。その際老人センターの職員と話して、来年度の開講などについて情報を得た。このところ感染者数が急激に増えた新型コロナのオミクロン株。3回目のワクチン接種も、来年度も俳句教室が継続されるか計画は未定。来年度は参加しないかもと賀状に書いてよこした仲間も含めて欠席者はなかったが、人数は最盛期の半数だ。 観葉植物 予め用意した「短冊」を出席者のテーブルに配る。「密」にならないよう、座席がかなり離れ、通気のため窓が少し開けられている。マイクの前の席に講師が座られた。新年の挨拶を交わし、短冊を置く。1人遅れたが、講師が黒板に短歌と俳句をひとつずつ板書した。講師の作品のようだ。彼は受講生の「短冊」にざっと目を通し、立ち上がって新年の挨拶をした。順番に受講生の名が呼ばれ、提出した兼題(宿題)の句を読み上げる。いつもながらの緊張の一瞬だ。 繭玉(まゆだま) この日の兼題(宿題)は「繭玉や」。まゆだまは小正月の縁起物で、「新年」の季語。「餅花」(もちばな)などの別名を持ち、色のついた小さな餅や繭の形をした飾り物を柳やミズキの枝に刺したもの。家内安全、豊作、商売繁盛などを祈る。餅も繭もかつては農業と人の暮らしに深く関わっていた。昔の暮らしには欠かせない年間行事だったのだろう。 壊れたハート だが兼題は「繭玉」そのものではなく「繭玉や」。つまり季語を「上五」にして、「中七」以下をどう詠むかと言うもの。「下五」に「繭玉や」が来ることはない。「切れ字」の「や」で終わる句はほとんどないのは、句の安定が悪いためで、かなりの名句でないと通用しない由。加えて講師は「取り合わせ」をも要求しているのだ。季語とそれ以外の無関係なものや事象を組み合わせる俳句の技法のひとつ。 季語を中心にそのことだけを丁寧に詠むのを「一句仕立て」と言い、正岡子規につながる近代俳句の正統派である「ホトトギス派」はその典型。ところがわが講師は「俳句の神髄は「取り合わせ」(二句一章とも言う)にこそあると主張して止まない。これが初心者にはかなり難しい作業で、頭の切り替えを要する。一句仕立てでさえ難しいのに、さらにその上を行くのだから。 たいていの提出句は、講師の意図に沿わないものだった。中には複数の季語を有する「季重なり」があったり、音数が足らなかったり余ったり、句のリズムが悪かったりで手を入れられる句が続出した。そして難しいと言わずに何にでも挑戦しなければ上手にはならないとも。それは十分納得出来る意見と感じた。俳句の世界は単純だが深い。少ない音数で自然と人との関りを詠む侘(わび)、寂(さび)の文学が「余韻」を有する所以だ。<続く>
2022.01.23
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~さまざまな準備~ その日を迎えるためには色んな準備が必要だろう。男はそう考えた。季節が移ろうように、時間は待ってくれない。そして命にも限りがある。さてその中で優先順位を決めて、やれるものから取っかかるしかない。しかし人間歳を取ると決断力も実行力も鈍る。でもそれは仕方ないさ。生きとし生きるものの宿命だ。だが人間は考えることが出来る。たとえ微力でも抗って前に進むしかない。 その日を無事に迎えるため、先ず食う。食うためには買い物をし、自分で調理し、毎食ごとに食事のバランスを考え、咀嚼し消化してエネルギーを得る。理屈では簡単なその道程も、自分が動かないと何も始まらない。その次は何だ。体調を万全に保つことか。最近しきりに頭痛がするのはなぜ。寒さで上がった血圧のせいか。それとも睡眠不足か。それとももっと怖い脳出血の遺伝のせいか。祖母、父、そして兄。 掛かりつけの内科へ行った。極力雪や氷が張ってない道路を選んで自転車で。これには危険を察知する能力が不可欠だ。転んで怪我したら全部自己責任。待合室にはもうかなりの人が順番を待っていた。2~3時間はかかる由。いつもの診察ですかと聞かれて、「薬だけ。それも睡眠導入剤で良いの」。これで10人以上を抜いた。隣の薬局で薬を受け取り、無事帰宅。 頭痛の正確な原因は不明だが、血圧降下剤はきちんと服用し、血圧を測っても正常値。次に疑われるのが睡眠不足。ブログに熱中しその後もテレビ。ブルーレイの影響か、集中し過ぎによる緊張。そして長時間窮屈な姿勢でいることでの腰肩首への負担による血流不全。そして冷たい寝床と頻尿による、深夜の起床。それらの複合作用だろうが、ともかく薬の力を借りてでも先ずは眠ることにしよう。 黄粉あんこ餅 そして大事なのが当日及び前後の天候。それによって会場へたどり着く交通手段と必要時間が異なる。老人の冬の悩みはそれだ。1週間の長期予報では、何とか自転車でも行けそう。だが寒気団が張り出して当日以前に雪が降りそうな気配。降っても融けるか。たとえ融けても凍結しないかと、そのルートを頭の中で思い描く。最悪の場合は杖を突いてバスに乗り、地下鉄で1駅分だけ乗り継ぐ方法も。 思案中の私に3回の電話。東京のK氏はつくば時代の麻雀仲間。退職後G会館の警備員をし、今は通学中の児童の誘導係。歳は私と同じで、奥様はかなり前に亡くなった。元気そうで良かった。徳島のIさんは徳島時代の麻雀仲間。良く朝まで戦ったものだ。大阪のM氏は徳島時代の麻雀と軟式野球の仲間。当時は数学の教授で、その後理事から副学長になった。転勤2年目で奥様とお子さんが大阪へ帰った由。 焼いた数の子 立場は違っても、お互い新しい大学づくりに必死だった。酒も飲んだし喧嘩もした。だから彼の気持ちは良く分かる。そして別れた奥様の気持ちも。私は3か所で都合20年間創設事務をやった。その苦しみを家族に伝えることの困難さ。彼は75歳の今でも軟式野球をやってる由。思い出話に花が咲き、30分近くも話し込んでいた。別れた奥様やお子さんの近所に住まっている由。思いやりだね。きっと。 所属走友会から「新年会&総会」の開催中止のメールが届いた。仕方ないよねこのオミクロン株の蔓延状態じゃ。それに私は腰痛で走るどころか、宴会の座席に長時間座るのも困難だろう。久しぶりに皆の顔を見て、長年のお礼と別れを告げたかったし、懐かしい温泉にも浸かりたかったのだが。だが、すべては運命。世界のこの状況を変えるのは、かなり難しい状況だろう。 私が思案中に、朝ドラの「カムカム」の様子が急変し出した。なんと東京へ出て行ったジョーが、社長の娘を好きになってしまったみたい。なんだよなんだよ。あれだけ「るい」と約束しておきながら。変だよ変だよといくら叫んでみても、ドラマの脚本はもう決まってて、変わらないのだろうしねえ。大相撲も千秋楽まで目が離せなくなり、トンガの火山爆発の被害にも驚いた。小島が一つ吹っ飛んだんだねえ。 さて最後に残ったのが兼題(宿題)の句を選んで清書し、人数分コピーすること。これで毎回悩むのだ。自分では良く出来たと思っても、清書しているうちに、「こう直した方が良い」と感じで書き直し。A4の用紙を4つに区切り、それぞれに3句を書く。だから書き直すと1枚につき12句を新たに書くことになり。それも気に入らないとさらに12句。選句と推敲の連続。俳句教室への道はまだまだ遠い。 <続く>
2022.01.22
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~新年の習作/俳句と川柳など~ 東雲の少し明かりて年始む しののめ 初日仰ぎ老残未だ生きむとす ろうざん 老残や初日は死出の一里塚 しで 妻去りぬ寓居に眩しき初日かな ぐうきょ=仮住まい 雲間より皇居へ急ぐ初日かな ビル街を抜け皇居へと初日の出 臭き息吐きてなまはげ退散す 「なまはげ}は「新春」の季語 村はずれ酔ひ潰れたる生身剥 なまみはぎ=なまはげの別名 結界や酔ひしなまはげ人もまた 初春のみ目美しき女人かな うるわし にょにん 初春やシンビジウムに日の光 子も孫も七草粥を持て余し ななくさがゆ グルメにも七草粥の優しくて 七草や笑ひ広がる奥座敷 寅年の七草を食ふ佳き日かな とらどし 七草を無用と笑う健啖家 けんたんか=食欲旺盛な人 <川柳は現代語を口語で表現するのが原則> 大根葉十把ばかりを煮たりけり じゅっぱ 大根は冬の季語 テーブルの上にも注ぐ初日かな 一杯の熱きコーヒー初読書 <どんと、とんど、松焚祭、左義長などの名称がある「小正月」の行事> 今日のブログに載せたのは習作のごく一部。俳句の季節には「春夏秋冬」のほかに「新年」があり、それぞれの季語があります。ここでは主として「新年」を詠み、季語のない川柳も楽しみました。「俳句教室」の兼題(宿題)句を30句以上詠み、うち3句を提出しました。 次回から別のシリーズを始めます。今回「クチコミテーマ」に選んだ「ブログは文学たりえるのか」ですが、書き手が文学を意識し、内容と形式を備えていれば十分文学になり得るでしょう。ジャンルとしての「日記文学」もありますが、すべてが該当する訳ではありません。無論ブログは有意義で、尊い作業です。当シリーズを閉じるに際し、ご来訪いただいた皆さまに、厚く御礼申し上げます。<完>
2022.01.21
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~最近の出来事などを詠む~ つぼみ 身近で起きた出来事や、訪ねたブログに触発されて浮かんだイメージ、届いた年賀状からの着想。それらを俳句や川柳や短歌としてメモしています。このシリーズのテーマは『ブログは文学たり得るのか』。習作を文学作品へと昇華させるにはかなり推敲が必要ですが、たとえ荒削りの原石にも光はあるでしょう。私はブログの世界は実験と認識しています。そして恥をかくのも修行のうちと。 <出来事から> 松の内笑顔優しき女逝けり まつのうちえがおやさしきひとゆけり 享年は知らねど哀し屋根の雪 きょうねんはしらねどかなしやねのゆき 享年を知らざる女や屋根の雪 きょうねんをしらざるひとややねのゆき 俳諧の道極めしか冬銀河 はいかいのみちきわめしかふゆぎんが<届いた年賀状から> 師の長寿願ひて祈る年始 しのちょうじゅねがいていのるとしはじめ 嬉しやの初日に映ゆる金亀城 うれしやのはつひにはゆるきんきじょう(松山城) 友の老ひ知る手がかりの賀状かな とものおいしるてがかりのがじょうかな ともかくも寒気見舞ひを出し終へぬ ともかくもかんきみまいをだしおえぬ<ブログから その1> 初春や友の手術の成功す はつはるやとものしゅじゅつのせいこうす 老残の身に有難き初日かな ろうざんのみにありがたきはつひかな 初空や残れる日々は知らねども はつぞらやのこれるひびはしらねども 老残のわれに眩しき初日かな ろうざんのわれにまぶしきはつひかな 珈琲のデスクに注ぐ初日かな こーひーのですくにそそぐはつひかな 初春や珈琲に生き返るとき はつはるやこーひーにいきかえるとき 一杯の珈琲温し年始め いっぱいのこーひーぬくしとしはじめ コーヒーを大人の味と知ったとき (川柳) <ブログからその2> 黄花亜麻 モラエスの愛せし花ぞ黄花亜麻夫婦の契り千年経るとも もらえすのあいせしはなぞきばなあまめおとのちぎりちとせふるとも 腰痛を持ちたる友を哀れみぬ吾も苦しむ同病なれば ようつうをもちたるともをあわれみぬわれもくるしむどうびょうなれば 冬の街北の大地を歩む友心を癒す珈琲一杯 ふゆのまちきたのだいちをあゆむともこころをいやすこーひーいっぱい いづれもが倭言葉を紡ぐわざ文学の道けふも勤しむ いずれもがやまとことばをつむぐわざぶんがくのみちきょうもいそしむ 掲載した作品は直感的に詠んだのをメモし、多少手を加えたもの。載せなかった駄作は狂句まがい。さて直感で選んだ言葉を「文学」に仕上げるには、さらに「語彙の引き出し」を調べ、文法や俳句、短歌の約束事などの確認作業を要します。これらのほかに「俳句教室」への提出句を3句選んで仕上げる作業が残っています。今日は教室の当日ですが、この文章は2日前に予約したものです。<続く>
2022.01.20
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~離合集散と魂の独立~ 今日もブログを書いている。指先を切った手袋をして。水仕事で手がかじかんだので。ウオークマンで買った儀式用の白い手袋も、次第に汚れて来た。「汚れちまった悲しみに今日も小雪が降りかかる」。30歳で死んだ中原中也の詩の一節だが、雪国では何もしなくても死ぬ。屋根から落ちた雪に埋もれたりして。ホームレスは最低気温零下5度の仙台が、住まいの限界と聞く。住む家があるだけ私はマシか。 離合集散は人の世の常だ。幼くして母と生き別れた私は、その後色んな別れを経験した。若いころの同人仲間との別れ。信仰との別れ。文学との別れ。仕事との別れ。妻との別れ。去っていったものの数々。そんなことで私は案外別れに慣れて行ったのかも知れない。だが別れと同じくらいの出会いもあった。有難いことではないか。別れも出会いも生きていればこそ。自ら身を引いたことも多かった。 インターネットの世界でも色々渡り歩いた。ホームページ。掲示板。字だけの日記。ブログ。脅迫や嫌がらせもあった。WWWも結局は人間世界なのだ。だから何が起きても不思議ではない。死の直前までブログを書いていた人。認知症になった人。だが、それにも懲りず私はブログを更新し続けている。それも連日。いわば「ブログ中毒」だが、表現の手段が広がったのも確か。何でも載せられるブログは最強。 離婚した年に始めた短歌は1年も持たなかった。理由は簡単で、同人の代表を信じられなくなったためだ。人格も歌人としての資質も、その言動の何もかもが。多分私の方が感性も作品の完成度も優っていたはず。私は彼の添削を拒否し、この同人はやがて崩壊すると直感して退会した。私の退会後、3人が退会したと聞いた。長年管理職として組織を見、人を見て来た私の目に狂いはなかった。 その翌年から通い始めた俳句教室。変だと感じることが多くても、私は黙って聞いた。頑固で偏屈な講師でも、学ぶ点が数多くあった。それだけ私はずぶの素人。俳句理論や日本の短文学の歴史。それを「ただ」で学べるだけでも良いじゃないの。講師と喧嘩して辞めた人が過去にはいたみたいだが、私は人と喧嘩はしない。喧嘩するなら俳句と言う世界での勝負。素人には良い句を詠むしか道がない。 彼から学べるものは全て学んだ。そして私は作風をいろいろ変えて行った。だが自分の信念を貫いたことに変わりはない。表現は実験。人生もまた然り。実験を恐れれば進歩はない。若いころから詩や小説や短歌や芸術に親しみ、常に本物と接して来た私にとって恐るべきは自分自身の慢心。それを忘れさえしなければ、発展の可能性はある。教室を辞めた人も何人かいたが、去らば去れ。私は心身が許す限り残る。 他のブログや日常の出来事から触発されることも多い。詩心を揺さぶられて詠んだ俳句や拙い川柳は、実験かつ挑戦。恥をかくのも修行のうち。若いころから私はどれだけ汗をかき、恥をかいて来たことか。それらの全てが「肥し」になったと信じたい。人生死ぬまで修行。後どれだけ修行可能かは知らない。多分知ったに時は死んでるのだろう。 さて明日はその俳句教室。今日中にどの句を提出するかを決めて、清書する必要がある。だがあまりにも秀作が多過ぎて選ぶのが大変。それは冗談として、考え抜いて選んだ句が評価されないことも多い。やはり視点が違うのだろう。だが私は心の中で反論する。「全国紙の俳句欄に載る句は、彼の持論よりもっと自由だよ」と。「選者が多い全国紙は、彼が推奨する地元紙のレベルとは質が違うよ」と。さて、次回からそろそろ各論編へ進むべきか。<続く>
2022.01.19
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~春めく日の出来事~ 女性が追いかけて来た。米倉涼子似の人。だがよく見ると小池栄子似だった。北条政子役で今大河ドラマに出演中。その彼女が私に鍵を渡した。「ああゴメン」。郵便局の窓口で切手を買った。お金を出すときに邪魔になった鍵を財布から取ってカウンターに置いた。ATMへ向かった私を、局員の彼女が届けに来てくれたわけ。前から顔を知っていたが、米倉から小池そっくりに変化。少し歳を取ったんだねえ。 シドニーのレストランで女性に見つめられたことがあった。梅宮アンナ似の人。多分イタリア系の移民だろう。スパゲッティの後で彼女が勧めたオニオントーストを食べた。本当は満腹で食べたくなかったのだが、つい頷いてしまった。もう25年も前の話だが、彼女が私を見つめていた謎が今解けた。きっとチップを待っていたのだ。だが滞在4日目の私は疲労困憊で、全く気づかなかったあの時。 モノレールの車中では女子高生にウインクされた。日本人が若く見られるのと、外国では女性も積極的なのを実感。博物館で並んでいる時、背後に人の気配を感じた。振り返ると男。オーストラリアはホモが多いと聞いていたので、慌てて離れた。英語も碌に話せず、枕が変わって眠れないうえ12月は真夏。キャンベラ、メルボルン、シドニーと時間があれば走った。あの疲れた旅も、今では懐かしい思い出だ。 郵便局へ行ったのは、「お年玉付き年賀状」が当選したための引き換え。上が今回の「切手シート」。40枚中2枚なので高確率。賀状を欠礼すると寒中見舞いに書いたので、これがきっと最後の「お年玉」。結婚早々2等賞の掛け時計が当たった。ある年は4等賞の「園芸セット」が当選。あまり年賀状を出さなくなった今では景品も貧弱だが、1等賞は確か現金だったはず。ぜひ番号を確かめてね。 郵便局からの帰路、紅梅を見つけた。観たのはいつ以来だろう。周辺で最も早咲きの紅梅は懐かしい名前。父のお菓子屋の名が紅梅堂。昭和20年代にあったカバヤキャラメルと紅梅キャラメル。カバヤはカードで「カバヤ文庫」の本と交換でき、紅梅はジャイアンツ選手のブロマイドや切手帳だった。若くして死んだ父と姉と、一昨年死んだ兄。そして今では遠い戦後と、長く続いた貧乏の日々。 ベランダに布団を干した後、自転車で買い物に向かった。バス停前の花壇では、早くも水仙が咲き出していた。これは野生に近い生命力旺盛な品種。先般大量に作ったおかずが残り少なくなっていた。毎日食べればその分だけ確実に減る。落ちることない私の食欲をこそ、感謝すべきなのだろう。重たい荷物を背負って向かい風の中必死でペダルを漕ぎ、無事帰宅。 買った食品を素早く仕分けし、遅い昼食を摂り、干していた布団を取り込み、ブログを書くためパソコンに向かっている時チャイムが鳴った。玄関は開けずに居間の窓を開けて話すと、リサイクル品の買取り業者。最近はこの手の業者が次々にやって来る。話のついでに故障したデジカメを売った。値段はわずか100円。それなのに書類にいろいろと書かされた。ブログネタと思うことにするが、果たして安全か。 トンガの火山噴火による津波が日本にも押し寄せ、被害が出た。宮城県でもカキやワカメ養殖用のいかだが揺すられての破損や、ワカメが切れたことによる減収など。小型漁船の転覆も各地で起きたみたいだ。さらに心配されるのが今後の気象。火山灰が成層圏にまで達することで数年後には気温の低下による農産物の不作、ソーラー発電の低下などが懸念される由。新型コロナだけでも厄介なのに、本物のコロナ(太陽の外延部のガス)にも影響するとはねえ。CO2の増加にもつながるんだろうなあ、きっと。
2022.01.18
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~捨てたもの・出会ったもの そして源流から支流へ~ 沖縄に赴任する前、青年時代までに書いた詩を全て捨てた。これからは2,3年ごとに転勤することになる。いつまでも過去に拘ってはいけないと思ってのことだった。だが今になると惜しいことをしたと思う。感受性が強かった時期に書いた詩は尊く、二度と書けないものだったからだ。だが不思議なことが私に起きた。何と25年ぶりに詩が書けたのだ。これには自分でも驚いた。 書けた理由は分かっている。「内地」と異なる風景や文化や歴史。沖縄では有数の詩人が部下で彼の詩を読んだこと。そして上司による連日のパワハラ。それらの異常な感情が私に奇跡をもたらしたのだ。神様は「死」の代わりに「詩」をくれたと思った。だが魂を込めて発行した2冊の詩集は、家族の誰にも受け入れられなかった。妻などは「お父さんの詩はインチキだ」とまで言い切った。レ・ミゼラブル。 気になっていた「寒中見舞い」を出し切り、ついでに大掃除をした。それで気持ちの整理が出来た。その夜つくば時代の同僚Tさんから電話があった。私が出したハガキの文章が気がかりだったと、20分以上話した。奥様が2年前病気で倒れ、今は自宅で介護生活を送っている由。お世話してるのは娘さんと彼。それは初耳だった。そして次の言葉にはもっと驚いた。 私の辞職時の挨拶状の「職辞して春風(しゅんぷう)われのものとなる」の句を覚えていたのだ。19年前に私が詠んだ俳句。さらに沖縄で発行した2冊の詩集のことも。それはもう30年前の話で「それなのになぜ」と考えて、理由が分かった。彼は京大の文学部卒。きっと日本文学専攻だったはず。家族すら見捨てた私の魂を、まだ忘れず覚えていてくれた人がいたとは。彼の長く篤い友情に感謝だ。 白山 北陸勤務時代に「俳句紛い」を千句近く作った話は既に書いた。侘しい単身赴任の私のために、ランニング仲間がホームページを作ってくれたのだ。メニューは日記、俳句、歴史のコーナーと「掲示板」。それを毎日更新していた。足を傷めて走れなかった時期で、私は早朝に散歩しながら五七五を口ずさんだ。そのノートをある時に捨てた。断捨離の際、もう役に立たないと判断し、処分したのだ。 クロユリ 白山登山の最中にも120句は詠んだ。今にして思えばいかにも勿体ない話。俳句になってなくても、そこには北陸の自然と風景が描かれていた。つまり俳句の素材になり得たのだ。「偽物」から「本物」へと詠み直すことも可能だったのにと、悔やんでももう遅い。私が覚えているのはわずか2つ3つ。 春霞白山姫を虜にす。 (はるがすみしらやまひめをとりこにす) 白山神社の祭神は白山比売という女神だが「め」は口編に羊。季語は春霞で一応俳句になっている。 観音のマリアに紛う姿かな (かんのんのマリアにまごうすがたかな) 墓地の観音の後ろ姿がマリア様に見えた。これが私が粗製乱造した無季語のインチキ俳句の典型。 奥つ城の六字名号加賀は春 (おくつきのろくじみょうごうかがははる) 兼六園の桜と金沢城 最後の句は当時の風景を思い出して4年前に詠んだ作品。「奥つ城」はお墓のこと。「六字名号」は南無阿弥陀仏のこと。加賀国(石川県)はかつて一向宗(浄土真宗の一派)の宗徒が一世紀以上に亘って支配した時期があり、墓地のほとんどがその宗派で埋め尽くされ、墓はすべてが西を向き「南無阿弥陀仏」と名号が刻まれている。捨てたノートには「俳句の素」がたくさんあったのだ。 ブルーベリー 若いころの下宿先で、T大学博士課程の人が私に言った。大学でこんなのを聞いたと。「雨が降る日は天気が悪い悪いはずだよ雨が降る」。おいおい本気なのかよ。大学院でそんな話をしてるとは。そんなのは俺でも作れると、聞いた夜に100ほどの戯れ歌を詠んだ。だが今になって調べると、それは狂歌の類のようで、それも色んな形や呼び名があると分かった。 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 太平の眠気を覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず (注)「上喜撰」(お茶の高級種)を「蒸気船」にかけた掛け言葉。「太平を泰平と、眠気を眠りと」詠むのは明治期に入ってから。馴染みがない元歌は幕末の資料に残っているそうだ。 散切り頭を叩いて見れば文明開化の音がする それらを三味線などの音曲に載せて歌ったのを「都々逸」(どどいつ=左)と呼び、幕末の志士である高杉晋作が愛したそうだ。また坂本竜馬(右)は狂歌の先頭に五文字を加える「五字冠り」(ごじかむり)を愛した由。竜馬が詠んだのが以下の歌。 世の人は我を何とも笑わば笑え我なすことは我のみぞ知る いかにも竜馬らしい磊落(らいらく=こだわりのないこと)さではないか。 しかし日本の短文学は凄い。和歌(短歌)が時代と共に連歌(れんが)や俳諧(はいかい)となり、そこからさらに川柳、狂歌、近代俳句などが派生した。戦後「第二芸術論」で桑原武夫が近代俳句など短詩型文学を批判したが、歌壇や俳壇からの反論が相次いだ。無論正岡子規の流儀を忠実に守る派もある一方で、様々な試みもなされていると私は認識している。今日は話があちこち飛んだが、お許しあれ。<続く>
2022.01.17
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~別世界への旅路~ 最初の職場での勤務は3年間で終わった。定型的な仕事は自分には向いてないし、精神的な苦痛も感じていた。そこで新設機関への転勤希望を出した。その希望が叶って始まる新たな生活。これまでとは全く異なる分野なのに加えて、新設機関のため「無」の状態からのスタート。そして職場は仮校舎から現在地へと新築移転し、以後天職となるその仕事に夢中になって取り組んだ。 さて、若き日に出会った宗教や文芸や音楽が無駄にはならなかったと思う。旧約聖書の詩編や讃美歌、借用した法句経(ほっくきょう)。それらは文語体で書かれ、古語を交えた韻文もあった。日本語の美しい響きに感銘し、言霊(ことだま)すら感じた。美術や文学もそうだが、なるべく若いうちに「本物」に出会うことが大切だと思う。それは他の分野も同様だ。結局「偽物」には偽物の価値しかない。 職場では軟式野球部に入って練習に励み、試合にも出た。新しい分野の仕事と環境の変化は、私の心身を健康にした。やがて4年遅れで大学へ通い始める。勤労学生が中心の夜間部だ。だが全国的な大学紛争が仙台にも波及し、職場の大学もそして夜学のある大学も学生運動のプロ集団によって封鎖された。私は二部の学生委員会に所属していたが、逃げ出した先輩に代わってやむなく委員長になった。 夜学の学生には職場の組合の猛者もいて、混乱の元になった。だが一般学生の代表である私たちは穏健な主張で混乱を乗り切った。体重は10kg以上減り、病院に担ぎ込まれたことも。それでも4年間で得たものは多く、妻とも知り合って結婚し、資格取得のための講習やより上位の専門試験にも合格出来た。礼拝堂の地下食堂の天ぷらそばの味、クリスマス礼拝や、委員長としての演説など今なお忘れられない。 試験合格が契機となって東京へ転勤し、その後も転勤を重ねた。国内最先端の電算化を実施していた3番目の職場では、懸命に専門雑誌のタイトルを覚え、英文タイプを打ち、不得意なコンピュータ操作に苦しんだ。国内初の新構想大学となった4番目の職場では、全国から集まった優秀な同僚たちの実力を知らされた。そこで10年勤務した私は、一大決心をし新天地へと向かう道を選んだ。 何もないところから私が作った5番目の職場。理想に燃えて構想を練る私を、上司であるM教授は理解し、学長をも説得してくれた。心身はすり減ったが、それまでの経験がすべて生きた。いやそれらを駆使して全国にないものを作った積もりだ。3度の創設事務は累計で21年に及び、私の誇る最後の作品となって今も立派に機能しているはず。仕事に悩んだ時は深夜に起き、真っ暗な海岸を1人で走ったっけ。 退任される際、M教授は私に1冊の本をくれた。世界的な大脳生理学者であった先生は、ホトトギス派の俳人で、フランスのパスツール研究所で勤務された時も俳句を詠んだ由。その本の内側に私への献辞と共に自筆の句が添えられている。「汐時の鳴門轟く良夜かな」 巨草が先生の俳号だった。 世界的な学者と心を通わせて築いた職場。私は何度か転勤を重ねたが、本当に偉い人は決して威張ったりしない。文化勲章を受章された先生や、若くして学士院賞を受賞された先生。皆穏やかな方だった。 ところが世の中にはトンデモナイ人もいて、激しいパワハラに遭ったり、部下の裏切りにあったりもした。「胡麻をする能力」がない私は、本音で語り馬鹿正直に生きるしかなかった。若くして病死した後輩たち。パワハラを受けて自殺し、失恋して自殺した後輩。途中から研究者へと転身した同僚や部下。彼らの顔を一人一人思い出す。そして私が死なずに済んだのは実に「文学に守られていた」からなのだった。 雪国 沖縄では25年ぶりに詩を書け、2冊の詩集を出した。人事権を握る女ボスに飛ばされた雪深い北陸では、1年で千句ほどの「五七五」を作った。季語も知らず基本知識もないがリズム感は育てられ、後に生きた。短期間の博物館勤務は、知識や観点が豊富で多様になった。やはり「本物」との出会いが大切だ。早くからインターネットに接した私はやがてブログにも出会うのだが、それはしばらく後になる。 さて人生に無駄などない。離婚したことも含めて良い経験だ。「もしもあの時」と考えることもあるが、すべては自分が良いと判断して選んだ道。失敗もまた貴重な経験だ。失敗し躓いたからこそ得られたことも多かった。人生然り。文学も同様だと思う。すべては「修行」と考えたら、この世に生を受けたことに先ず感謝すべきなのだろう。今日は文学論より人生論になったかもね。<続く>
2022.01.16
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~再び故郷へ戻って~ 小学校の教科書では「オッペルの象」と習った宮沢賢治の童話が、本当は「オツベルの象」と濁ることを今回調べて知った。出版社の担当者が字を間違えたのが真相のようだ。しかし音楽教室があり、いきなり「三人の王の行進」や「オーゼの死」をレコードで聞かされた松山の小学校には驚いた。仙台の木造校舎には音楽教室などはなかったはず。傘が人数分なかった我が家では、ネギを刻んだのがおかずだった。 松山で小学校は1年3か月、中学は3年。そして高校へは入学後1か月しか通わなかった。父が急死したのだ。次は静岡で稼ごうと考えた父は税金対策のため全財産を3番目の妻の名義に書き換えていたようだ。大きな夏みかんが実っていた愛媛県庁の前庭。北国生まれの私たちにはとても珍しい風景だった。死の直前の父と行った今治市の「唐子浜」をその35年後に訪ねた。人生はまさに夢幻だ。 広瀬川と仙台市 義母は遺産の10分の1しか私たちに渡さなかった。私たちは成人してなかったし、義母(と呼ぶのも嫌だが)は親戚の弁護士と相談の上だったのだろう。そんな事情で仙台では何度か転居を重ねた。兄は勤めながら夜間高校を卒業し、私はようやく公立高校に授業料免除で転校出来た。だが2年の秋からは部活を練習のある運動部から文芸部に変えた。放課後にアルバイトをするためだ。 青葉城隅櫓 男女共学で柔らかい雰囲気の県立高から転校した仙台の高校はすべて別学で、ガサツな校舎と校風。違えば違うものだと感じた。アルバイトは仙台名産の配達。それでも就業前に夕食を摂ることが出来たのは幸い。「手当」は全部兄に渡した。元旦は電報の配達を、夏休みには某文具メーカーの倉庫で重たい段ボールを担いだ。そして夕方からはいつもの配達。クタクタでも頑張れたのは若かったからだろう。 文芸部では詩と小説を書いた。詩は慣れていたが小説は初経験。甘っちょろい青春ものだったが、印刷され文集に載った。書いた詩は「ガリ版」で詩集を自作した。たまたま文化祭に来た姉がそれを読み作れば東京で売ってやると。そして思いがけないことが起きた。ある女子高の演劇部員から詩の創作を頼まれたのだ。その詩を「鶴の恩返し」の劇で朗読するらしい。 私は文語体の短い詩を書いて彼女に送った。それを60年ぶりに思い出してみた。もう少し長かったはずだが、どこか忘れた部分がある感じ。 トントンぱたりとんぱたり トントンぱたりとんぱたり つうが織りたる織物は 黄金の布に銀の布 ついによひょうが見たものは 一人機織る鶴ばかり 白い姿の鶴ばかり あわれよひょうよどこへ行く 愛しきつうの面影を 探し求めて雪の中 今日もさまよう雪の中 演劇は大成功だったようだ。彼女からお礼の手紙が届いて、私は彼女が通う教会に顔を出すことになった。これも奇縁。弟が生まれた直後に別れた生母はクリスチャンだった。聖書の言葉と讃美歌の調べは多感な高校生を虜にした。私は結婚する牧師のために詩を書き、教会のオルガン奏者が作曲した歌を、式の当日に聖歌隊の一員として歌った。自作の詩が歌になった人生初めての経験だった。 彼女から東京の大学に行って良いかと聞かれた。私には彼女の進学を止めるなんの権利もない。きっと交際したいと思ったのだろうが、17歳の私にはまだ重すぎる決断だった。それに私は既に就職が内定していた。その後は勤務しながら合唱団に入って歌を歌い、教会では子供たちの世話をした。若くして出会った宗教は、たとえ一時的にせよ心の汚れを洗い、魂を清らかな世界へと導いてくれた。 石川善助の詩碑 教会の勤労青年部の早朝礼拝で行った山の頂上に、その詩碑はあった。詩を読んだ途端に魂を撃ち抜かれた。なんという素朴さ。それでいて暖かくて清純な言葉。詩の題は「化石を拾ふ」。私も小学生時代に化石を拾ったことがあったし、詩も早くから書いていた。そして母の暖かさも家庭の味も知らずに成人した。そんな体験と感情が、この詩を読んだことで一気に蘇ったのだろう。 化石を拾ふ 光りの澱む切り通しのなかに 童子が化石を捜してゐた 黄赭(きあかつち)の地層のあちらこちらに 白いうづくまる貝を掘り 遠い古生代の景色を夢み 遠い母なる匂ひを嗅いでゐた ・・・もう日は翳(かげ)るよ 空に鴉は散らばるよ だのになほも探してゐる 捜してゐる 外界(さきのよ)のこころを 生の始めを 母を母を 石川善助 石川善助(1901-1932)は仙台市国分町「芭蕉の辻」(かつての奥州街道が通った商店街で、現在は青葉区国分町1丁目)の商家に生まれ仙台商業を卒業後、仲間と共に詩や童話の創作に励み、同人誌「感触」や「北日本詩人」の創刊に関わる。1932年(昭和7年)東京大森駅付近の線路を酔って歩き側溝に転落して溺死。死体の発見は死後10日目だったそうだ。彼の死を悼んだ友人らがその後詩集「亜寒帯」や童話集などを刊行した。 詩碑は仙台市太白区向山4丁目愛宕神社境内(愛宕山頂上:愛宕大橋南たもと付近から階段などで)にある。一生で何度か自分の生き方を決める場面に出会うが、この詩碑との遭遇がその後も私を詩に誘い、日本短文学との出会いにつながったと感じている。<続く>
2022.01.15
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~死は唐突に~ キャベツ 今週の出だしはあまり調子の良いものではなかった。だがそれは私自身の話であって、王将戦に挑戦していた藤井竜王は7番勝負の初戦に勝った。次回の会場は高槻市摂津峡にあるホテル。その場所は知っていた。高槻には2年住み、ランニングの練習やロードレーサー(自転車)で遠出もしていたからだ。峠を3つ越えて京都府の舞鶴まで往復したこともあった。転勤族にはどの地にも思い出がある。 白菜 大相撲の初場所が始まった。新型コロナに力士が感染し、親方以下全員が休場した部屋も出た。大関貴景勝は足首を痛めて3日目から休場。次の場所は大関になって5回目のカド番だ。正代は5日目で3勝2敗。2人の大関が奮わない中で、5連勝と照ノ富士の勢いが止まらない。土俵際まで追い込まれながらも、そこから逆転の横綱相撲。新横綱が3場所連続で優勝すれば100数年ぶりの大記録とか。 ウメモドキ 11日が成人の日の祝日であることなど、頭の中から消えていた。なぜ3連休なのかと言うのも含めて。18歳を成人とする規則が今年成立する。来年からは18歳、19歳、20歳が成人式とばらばらの市町村が出る模様。しかも1月は行事が多く、5月の連休に挙行する自治体が多いと予測される由。かつては1月15日までに20歳の者が対象で、3月生まれの私は翌年回しになり参加しかった。 枯菊 火曜日の朝歯科から電話があり、急遽予約日を変更することになった。変だなあと思ったが、病院の都合では仕方ない。翌日は自転車で眼科に行った。新雪の淡雪なので道路は融けると判断。途中までは確かに良かった。だが坂道でブレーキをかけた途端、まるでスローモーションのように転倒した。右足が車輪と車体との間に挟まって抜けない。あれには焦ったが、それでも何とか足を抜いて立ち上がった。 椿のつぼみ 転んだ原因は視覚障碍者用の点字プレート。雪で隠れて見えなかった。しかも表面が滑らかだったため、ブレーキ作動で横滑りしたのだ。幸い怪我はなく、横断歩道を渡ってからは車道を行った。車道は雪が融けているし、車の方が注意してくれる。眼圧と視力を測定し、目薬を処方してもらい、3月に「視野検査」を予約した。薬局からの帰路スーパーに寄り、納豆と歯ブラシを購入。納豆餅にするためだ。 残菊 水曜日の朝。再び歯科から電話で、予約日の変更通知。理由はドクターの奥様が急逝されたため。数日前には元気だった。だが「頭の動脈瘤云々」と言っていた。死因はクモ膜下出血。動脈瘤が破裂したのだろう。まだ50代に入ったばかり。優しくて朗らかなで、私はドクター同様奥さんも大好きだった。私より25も若く、あんな良い人をなぜ神様は天国に召したのか。以下は予約日を忘れないように出してくれたハガキに描かれた彼女の作品。人柄が良く分かります。 ドクター 息子さん 奥さんの訃報を知った日の夜。シャッターを下ろしてもなお、強い風の音が聞こえた。ゴーゴゴゴーゴゴ ゴーゴゴゴー。甘いリンゴも吹き飛ばせ 酸っぱいリンゴも吹き飛ばせ。 ゴーゴゴゴーゴゴゴーゴゴゴー 女子大生の頃は人形劇をやってたと話してくれた奥さん。一度は手作りの人形を持って来て見せてくれた。たくさんの優しい心遣いをありがとうございました。どうぞ天国で安らかに眠ってくださいね。また会う日までさようなら。<献句> 松の内笑顔優しき女逝けり 享年を知らざる女や屋根の雪
2022.01.14
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~小学生から中学生へ~ 「われと来て遊べや親のないすずめ」。「古池や蛙飛びこむ水の音」。一茶や芭蕉の名句を知ったのも多分小学生時代だったと思う。仙台から松山に転校したおかげで、私は水泳を覚えた。場所は瀬戸内海の海水浴場の外れ、5mほど先の岩まで手足を動かしたら行けた。唯一私が泳げるのが平泳ぎ。翌年6年生では伝馬船から海に飛び込み必死にもがいた。その成果が40年後のトライアスロンにつながる。 中学校の敷地は松山城の二の丸跡。石垣には良く登った。校門前の坂を上ると「立志の塔」があった。昔なら14歳で元服だ。中学は他の小学校からの生徒と合流し、番長同士の対決もあった。1年の担任は美術の先生。2年は国語で3年は数学。1年では学級委員を命じられ、峠越えで40kmを歩いたこともあった。2年の担任には可愛がられた。拙い詩も短歌も褒めてくれたT先生。 法隆寺 修学旅行で行った関西の寺院。そこで初めて詠んだ短歌のうち覚えているのが下の3首。 斑鳩の里に聳えし塔みれば花のごとくの古(いにしえ)思ほゆ 緑なる春日の宮の朝の風吊り灯篭を揺すりをるかな 老人の鐘撞き堂に一人ゐて石山寺は線香のかほり 先生は「新古今調だね」と言うが、古語は何となく覚えたもの。ダム建設の現場を訪れて書いた詩は、「名詞止め」を褒められた。そのダム湖のある川を40年後にカヌーで河口まで40km以上漕ぎ下ることになるとは知る由もない。先生は元オリンピックで銀メダルを取った水泳選手の娘。先生が詠んだ下の俳句を今でも良く覚えている。その60年後には自分も俳句教室に通うという縁に驚く。 マスク取りて顔に笑いの広がりぬ 中学生時代に読んだ「人間襤褸」(「らんる」はぼろ切れの意味。著者は大田洋子で、広島原爆の被害の様子を詳細に記した小説。生々しい表現と被害の実態に驚嘆。ぼろ切れ同然に倒れ死に行く群像。中学生には残酷な現実だが、読んで良かったと思う。その何十年か後に2度訪れた原爆資料館。この本は文学少女だった姉の蔵書。私の詩を新聞に投稿し、詩集を仲間に売ってくれた美人の姉は若くして死んだ。 湊町銀天街の古書店を訪れたのも中学時代。私が見たのは美術全集や古い彫刻など。美術や歴史に惹かれる素地は、多分あの時代に築かれたのだろう。1年の担任美術のF先生にもなぜか可愛がられた。養子だった先生は、きっと東北から四国に流れ着いた私に、ある種の哀れみを感じていたのではないか。松山に赴任し40年ぶりに再会した際、先生は椿の花の版画をくれた。今は懐かしい少年の日の思い出だ。<続く>
2022.01.13
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~教科書で出会った文学~ 私が小学校で最初に使った国語の教科書はこれか。画像検索で引っかかっただけだが、最初の文章は「たろうさん、はなこさん」だったはず。サンフランシスコ講和条約が締結された日、私たちは校庭に並び「今日から日本は独立した」との訓話も校長の名前も記憶は鮮やかだ。昭和天皇が国体のため仙台に行幸された際は、お車が通過するまで決して顔を上げてはいけないと先生に注意された。そんな時代。 覚えている最初の詩は大関松三郎のもの。お百姓さんが畑で薬缶から直接水を飲む場面で、確かごっくんごっくんのイメージが強い。彼は新潟の農民の子弟で、戦前「生活詩」の指導を受けていた。その後兵士となり戦死。師が保管していた大関の詩を戦後詩集として出版。民主教育を目指していたGHQ(進駐軍)の目に留まって教科書に載ったのではと推察。5年生(昭和29年)のころだと思う。 また急速に広がったのが作文で、戦後民主主義啓蒙活動の一助となった。無着成恭(むちゃくせいきょう)が山形県で実践した綴り方教室「山びこ学校」はその代表だろう。 その3年ほど前、新聞社から2本の鉛筆が届いた。私の詩を姉が地元紙に投稿したのだ。鉛筆は掲載の謝礼だったのだろう。「青い海 白い雲 浜辺では「まて貝」が出たり引っこんだりしている」との幼いもの。父と行った海水浴場の風景を思い描いたのだろうが、まて貝は空想。海水パンツなど買ってもらえず、裸同然だったはず。教科書で詩に出会うより前、私は「詩人」としてデビューしていた。 私が出会った最初の小説は教科書の「走れメロス」。メロスを信じて身代わりの受刑者となった友を救うため、必死に王宮まで走り抜いたメロス。2人の友情に希望を感じた。太宰治は津軽出身で、本名は津島。対馬へ旅した折、元寇の際に島民が船で逃げた先が津軽だったとバスガイドの話。津軽には対馬姓や津島姓が多い。800年前の史実が継承される不思議。私が地名や人名に関心を持つ所以でもある。 教科書で知った最初の短歌は与謝野晶子の「金色のちひさき鳥のかたちしていてふちるなり夕日の岡に」。意味は分かったが、旧仮名遣いの「いてふ」が銀杏であることに驚いた。「てふてふ」が蝶々と知るのはさらに後日。教科書は新仮名遣いに変わっていたし、当用漢字も年々変わった。それなのにこの歌が教科書に載ったのは、優れた文学でありかつ作者が女性だったからではないかと推察している。 明治天皇御集 同じころ「児童年鑑」で明治天皇の御製「ちはやぶる神路の山をいづる日の光のどけく春立ちにけり」を知った。今回ネットで確認したら明治天皇は生涯で9万3千首もの和歌を詠まれ、「明治天皇御集」上中下3巻に編集されている。この歌は下巻にあり天皇が56歳の立春の日の御製。しかしよく70年近くも忘れずにいたもの。私は「山」を「岡」と覚えていたのだが、これもきっと何かの縁なのだろう。 俳句は教科書ではなく、いきなり「本物」と出会った。正岡子規の「春や昔十五万石の城下哉」。(はるやむかしじゅうごまんごくのじょうかかな)。場所は四国松山城旧三の丸東堀端にその石碑があった。この句碑はJR松山駅前、堀端と場所を移し、現在は道後温泉の「子規記念博物館」の前にあるようだ。博物館へも入ったことがある。しかし仙台出身の私がなぜ松山にいたのか。 松山城 確か昭和26年のこと、仙台駅前の火災のもらい火で店が延焼し借金が出来た父の夜逃げ先が、四国の松山だったのだ。その3年後、中学生の兄、小学生の私と弟が夜汽車を乗り継いで父を訪ねた。給食費が払えないほど困窮していた。転校先の小学校は市の中心地にあり、裕福な家庭の子女が大半。ある時道後温泉に行こうと決まり、私も同行したが所持金が1円足らず1人だけ歩いて帰った。 道後温泉 実に生意気な餓鬼どもで、旧制の松山中学に赴任した「坊っちゃん」が手こずったのが良く分かる。因みに私の中学校は松山城の二の丸にあったが、文化庁の方針でその後取り壊された。懐かしい母校と校歌を今も覚えている。縁とは不思議なもので、父の客死で仙台に戻った私がその30年後に松山に赴任したのだから奇縁と言うべきか。俳句や短歌、詩との縁も切れなかった。人生は不思議で愉快だ。<続く>
2022.01.12
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~プロローグ~ 今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の初回を観た。予想に反してかなり面白かった。私は「歴史」が大好きだ。文学なんて目じゃない。だが私が興味を持っているのは考古学や日本の古代史や人類学など、それに類した分野で、中世史にはほとんど関心がなかった。だが大河ドラマともなれば、観ないわけには行かない。話題にもなり、NHKが組んだ「番宣」のための解説番組も観た。 ドラマの脚本は三谷幸喜が担当したようだ。タイトルに初めて「アラビア数字」が使われたことが話題になり、英語の表記があったことにも驚いた。ドラマの中で俳優が今風の「ためぐち」をきくのも痛快で、何の違和感もなかった。気になって北条頼政や義時、政子に関するYOUTUBEも観、鎌倉時代の流れもおおよそつかんだ。それが私流の番組を楽しんで観る秘訣だ。 朝ドラの「カムカムエブリヴァデ」がますます面白い。脚本は藤本有紀の担当。彼女の脚本は朝ドラ「ちりとてちん」で出会ったのが最初。落語と言う特殊な世界を描いたドラマで、俳優が慣れない落語に挑戦する姿を見て楽しんだ。落語の中の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ」の崇徳院が詠んだ一首が今なお忘れられない。女優貫地谷しほりのデビュー作だったことも。 女三代の100年の歴史を半年の放送期間中に完結させるのだから、話のテンポが速いのは当然だ。それが意外性の連続で、その後一体どう展開するのだろうと想いが膨らむ。だが脚本家は視聴者の期待を裏切らない。2代目の「るい」役の深津絵里の実年齢が48歳と聞いて仰天。その彼女が18歳の乙女に戻り、若やいだ声で話し恥じらう姿。脚本家も凄いが、役者のプロ根性もどっこい負けてはいない。 ドラマ「おらが春」も興味深く観た。「おらが春」は俳人小林一茶の句集の名。原作は田辺聖子の「ひねくれ一茶」。1993年(平成93年)の「吉川英治文学賞」受賞作品で、原作にドラマ性を加味して最初に放送されたのが2002年(平成14年)。私も当時観たはずなのに、記憶が薄れている。 台本 理由は簡単。その当時私はさほど俳句に関心を持ってなかったからだ。だが今回は違った。一茶の一生と俳人としての成長を如実に感じ、時々に詠まれた句に感銘した。自己を見つめる目と俳句を追及する心の厳しさ。多少とも俳句に関わる者には嬉しい贈り物だった。 これがまあ終の栖か雪五尺 一茶 これがまあついのすみかかゆきごしゃく 終の栖は人生の最期に住んだ家のこと 五尺は約1m50cm 自宅は長野県の寒村にあった。 さて、このシリーズを書き始めたきっかけはある方のブログを拝見したこと。そこに掲載された作品が私の詩心を呼び起こした。少年時代から触れて来た詩、短歌、小説、俳句、エッセイなど。そして自己流の詩や短歌や小説や俳句。そして今では日課となったブログ。それらとの遭遇と、自らの想いを書ければと願う次第。大層なタイトルの割に中身がないことは承知の上だが、ネットに晒して恥をかくのも修行と考えている。連続となるか非連続かは未定だが、先ずは一歩踏み出した。<続く>
2022.01.11
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~まずは一歩から~ ある日の午後、思い切って外へ出た。近所の坂道を歩こうと思ったのだ。自信はあったし、前夜の「腰痛体操」でも調子良かった。だが歩き始めてすぐ、腰に痛みが走った。坂道の傾斜で背骨に負担がかかったのだろう。そして西風がきつい。午前中はポカポカ陽気だったのに、夕方近くなると急に気温が下がる。奥羽山脈を越えて来る西風のなんと冷たいこと。歩けたのは2kmほど。これが私の現実だ。 歩こうとしたのには理由があった。兄嫁が3千歩歩いたと先日電話で話していた。それでも少ないそうだ。ある人からの年賀状に「腰を傷めて全く歩けなくなった」と、最後の年賀状になるとも書かれていた。登山が好きで元気だった人がねえ。私も腰痛持ちで他人ごとではない。独り住まいの私が歩けなくなれば、暮らしが成り立たなくなる。今後のためにも何とか歩いてみよう。そう思ったのだ。 雪だるまのニンジンの小さな手 翌日も歩いて郵便局へ行った。前日同様すぐに腰痛発生。だが我慢して歩を進めた。可愛い雪だるま発見。日が当たる顔は融け、小さなニンジンが見えた。これは手だろうか。なんと可愛い作品。近所の子供が作ったようだ。日蔭にまだ雪が残る裏道。転ばないように慎重に歩く。おっかなびっくりのへっぴり腰。恰好悪くてもこれは自分のため。何も恥じることはない。 広場でゲートボールに興じるお年寄りたち。そういう自分も立派な後期高齢者。元気だった頃はあんなゲームが運動になるかと馬鹿にしていた。練習で80kmも走れたからで、自分を「鉄人」だと信じていた。それが今ではヨロヨロのヨタヨタ。寒い中でゲートボールを楽しめる彼らの方がずっと健康。人間一寸先は不明。かつては500kmレースを完走した人の腰が曲がっている姿を、昨年遠くから見かけた。 郵便局へ行ったのは「寒中見舞い」用の私製ハガキを買うため。年末にはまだ残っていたが、既に品切れ。仕方なく「官製はがき」を買い、生活資金を少しだけ下して帰途に就いた。ゲートボール場は氷が融けて水浸し。お年寄りたちの姿は消えていた。あんな泥んこ状態じゃゲームは無理。往きよりも帰りの方がずっと楽に歩けた。冬休み中の小学校は雪があるだけで、子供の姿が見えない静かな校庭。 夕方が迫った。帰路に見つけた雪だるまは形が崩れて泥んこ。スノーマンのなんとも儚い命。苦しんだ散歩だが、少しは運動になっただろうか。翌日から「寒中見舞い」を少しづつ書こうと、官製はがきと届いた年賀状とをテーブルにセット。「その気」が起きるようにと準備の積もり。でも食事は決して疎かにしない。それは命を繋ぐために不可欠の「儀式」。毎回美味しいと感じられるのが嬉しい。 翌日は「資源ごみ」回収日に備えて、古新聞、古雑誌、段ボール毎に紐で縛った。この日手を付けた「寒中見舞い」は数枚。なにせ住所から文章まで全部手書きのため、時間がかかるのだ。いつもパソコンのキーを叩けば「自動変換」されるため、すっかり字を忘れている。漢字は正確な字を思い出せない。そこれに目が良く見えない。何とか胡麻化して仕上げる。自作の俳句を添えたのが2枚。 金曜日。半月ぶりに灯油を購入。料金は3千数百円。1個のポリタンクに残量があったため、中途半端な値段になったのだ。5日、北朝鮮が新型弾道ミサイルを発射。700km先の目標物に命中したそうだ。日本のEEZ外ではあったが迷惑な話。さて宮城県内でもオミクロン株による感染者が発生。そしてついに「第六波」襲来が宣告された。東京都内で10cmの積雪。翌朝も凍結で事故が多発した。
2022.01.10
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~幻(まぼろし)か現(うつつ)か~ 朝方近くなってから夢を見た。良く夢に出る川の傍の道。泥の中から次々に這い出て来る子犬たち。川が流れていることもあれば、蛇行することも。橋が壊れていたり、道が分からなくなったりもあった。最近空を飛ぶ夢は見ない。夜中まで起き、睡眠導入剤のお世話になることも増えた。そして頭痛は寝不足のためか、寒さで血圧が上がったのか。日中の転寝はまるで天国にいるみたいだ。 大坂なおみ選手が「メルボルン・サマーセット」で4強のニュース。心に病を抱える彼女が政治的な発言をしたことでさらに追い詰められ、東京五輪は途中退場になった。その次の全米オープンも途中欠場。だが今回はプレーを楽しめたと言うが、ベスト4で辞退。理由は新年の猛練習で疲労が重なっていたこと。この後の全豪オープンはどうなるだろう。出張先のメルボルン市内を走ったのが懐かしい。12月で夏だった。 米軍基地内のコロナ感染者数が半端じゃない。沖縄(数か所)、山口、神奈川など。昨年8月の日米政府の合意で駐留米軍のコロナ感染について厳格に取り組むことになっていたはず。それが任期満了に伴う海兵隊の交代時、アメリカはPCR検査を徹底しないまま兵士を日本に派遣したようだ。それが基地内から基地外へ、兵士から日本人就業者へ。そして山口からは隣県の広島にも飛び火した。もし今「有事」となったら、米軍は機能出来るのか。危機管理が疎かでは、戦いどころではないだろう。 北朝鮮がまたしてもごねている。東京五輪の際は出場手続きをしながら不参加。それを理由にIOCは「北京冬季五輪」では国として出場停止処分にしたが、出場資格のある選手の参加までは禁止していない。だが北は「世界のいやがらせ」と「コロナ感染」を理由に不参加を表明。そのことが原因か、最新型の弾道ミサイルを日本海に発射した。コロナ、食料不足で苦しんでいるのは分かる。だが軍のハッカー集団がサイバー攻撃やネット犯罪で軍事費を調達してるのも判明。すべてが国連決議違反だ。 中国も変だがロシアも変。旧ソビエト連邦に所属していた、ベラルーシやカザフスタン政府の国民への弾圧が激しい。ロシアは隣国ウクライナ国境に10万人以上の兵を終結させ、その大部分がまだ現地で待機中。コロナに伴う世界的な不況と、国家間、国家内の分断が激しい。民族問題に異常気象問題に、食糧難問題。どの国も今は生き残りをかけて必死。だが他国への侵略は許されない。真実を報道しないマスコミの怠慢と、真実を知らされない市民の困惑。 「幻日」(げんじつ=光の屈折の関係で太陽の周囲に幾つもの太陽が出現する現象)の写真はすべてネットから借用した。今世界で起きている様々な現象も、果たして現実なのかそれとも情報操作が混じっているかは不明。そしてマスコミが必ずしも正義とは限らない。今は価値観が迷走し、世界的な合意が成立し難い時代。国連を見よ。安保理の常任理事国は、いずれも拒否権を持つエゴの塊ばかりではないか。 雪雲の中の太陽 と、ここまで書いたら急に空が曇って来た。慌てて2階に駆け上がり、干していた布団を取り込む。これは幻日ではなく、現実。私が撮った雪雲の中の太陽。無論一つしか見えない。幻日が起きる気象条件が整ってないのだ。まだ少し頭痛がする。寝不足か室内の気温が下がって血圧が上がったのかは不明。1日に1つお話を書いて予約する私の日課が何とか完了。ただただ感謝あるのみだ。
2022.01.09
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~わが貧しき食事~ 雪ではない。正体は大根おろし。しかも我が家の畑から引っこ抜いたもの。抜いたばかりのころはまだ凍っていた。零下5度にもなれば生きている野菜でも凍る。極寒地では立木すら凍って割れると聞く。さて、大根の皮は刻んでピクルスに変身し、葉っぱは煮物や炒め物に変身する。大根おろしに掛けるのは納豆に付いている「たれ」。あれで十分だし、サバの缶詰の「汁」ならなお美味しい。 大根の葉は干しておいたのを刻んだ。その方が甘味が増し、かつ鉄分やカルシュウム分が増すらしい。他にシイタケ、切り昆布、タマネギ、野菜入りのさつま揚げが入っている。先ず鍋に油を引いて軽く炒め、それから適当に味付け。残っていた煮物の汁、出汁醤油、味醂を入れて煮、最後にごま油を加えた。10本分の葉を入れたため、大増量。勿体ないが煮汁は捨てた。大根葉を干すうちに風で跳んで来た「砂」が鍋の底に沈んでジャリジャリしてたので。でも味は最高。土の味も砂の味もしなかった。 ポテトサラダも大量に作った。失敗だったのが予め圧力鍋で似たジャガイモとニンジンが少し堅かったこと。ご飯の時と同じ時間にしたのだが、もっと時間をかけ温度を上げた方が良かったみたい。でもスプーンで小さめに切れたのでOK。軽く湯通ししたタマネギとハム、刻んだ柚子の皮も混ぜた。トマトは潰れて汁が出るため、食事の時に切って添える。残念だが傷んだキュウリは捨てた。 ピクルスと言えば聞こえは良いが、何のことはない。野菜の酢漬け。素材は大根の皮、ニンジン(皮付きのまま)、タマネギ、柚子の皮。漬け汁は穀物酢、レモン果汁、ポン酢。それに以前のピクルスの残り汁を少々。ほとんど1年を通じて食べているため、酢の消費量はかなり多いはず。大根もタマネギも自家製なので、タダみたいなものだ。わが手料理は胃袋にも懐にも優しいのでR。 「お雑煮」の汁が残っていたのを有効利用した「力そば」。鶏肉で採った出汁で味は良い。それに刻んだ水菜を追加し、小さな餅を2個入れた。使える物は何でも利用するのが私流。当然冷蔵庫の整理にもなるし、食品の防腐管理にもつながる。「三段」あったお節も、ほとんどが胃に収まった。 お節の「甘いもの」はヨーグルトと一緒に食べた。黄色いのはキンカンの甘露煮だった。ここにない「栗」は薄い塩味だった。どれも美味しくてパクパク。右はあんこ餅。溶いた粒あんが傷む前に食べようと、ある日の昼食にしたが「薄く」てもあんこはやはりあんこの味だ。お口直しに、紅白蒲鉾と沢庵2切れを添えた。お茶は玉露の粉茶。値段は安いが美味しい。茶碗の底の「おり」は薬代わりだ。 ある日突然ケチャップの味が恋しくなった。だがスパゲッティを茹でれば時間がかかる。そこで「冷や飯」をチンしてオムライスを作ることにした。具はタマネギとハムと言う単純さ。卵焼きは別に作って載せたが、オムライスに見えるかどうかは問題外。無論我が家にグリーンピースなどはない。 そしてこれがオムライスを主食としたその日の夕食。おかずは「大根葉の炒め物」、「ピクルス」、「しめ鯖」。そしてお飲み物は超安物焼酎のウーロン茶割りを1杯。我ながらバランス良い食事と自画自賛。量が少ないので、摂取カロリーはそう高くないはずだ。 こちらは翌日の朝食。ご飯は冷や飯にお湯を注いで「チン」したもの。おかずは前夜の夕食の残り物がほとんど。コロッケは半分だけ。ソースをかけたアジフライは3分の1だけ。そして味噌汁は朝食時だけにしている。それでなくても塩分の摂り過ぎ傾向にある私。納豆は「たれ」なしのまま。しめ鯖や沢庵の塩分で十分。かくして今日もマックス爺は食べ、かつ生き延びるのでR。
2022.01.08
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~ 花屋さんにて ~ 暮れも押し迫った昨年の12月。パソコンの修理のため近所の生協に行きました。修理店のコーナーが生協内にあるのです。近所の電気屋さんがパソコンを扱わなくなったため、そこに相談するしかなくなりました。結局は中古のパソコンに買い替えたのですが、そのついでに隣の花屋さんに寄って、写真を撮らせてもたいました。新しいパソコンには「写真の在庫」が全くなかったためです。今回はそれを載せます。説明もなし。美しい花で心が癒されたら幸いです。こんな「写真展」を時々入れますね。何せ楽が出来ますので。 バラと何かな? シクラメン シクラメン シンビジウムかな? ちょっとアップし過ぎたかな。多分花束だったはず。 またまたシクラメン登場 あれっつ。前にも出たやつかな? これも同じものを撮ったかも。m(__)m 花束の先端をパチリと一枚。トルコキキョウだろうか。 まるで夢のような花ですが、名前は知りません。トルコキキョウの八重かもってさ。 カーネーションのオンパレード この白い花見たことあるなあ。名前はストックで良い香りがするみたい。 黄色い花を見ると元気が出ますね。「オンシジューム」ではとのご指摘も。 どれもみんなランの仲間のように見えますが。 これで花の写真は在庫一掃。後は寂しい写真だけになりました。ではでは(@^^)/~~~🌸花の名前を教えてくれた「かやねずみの家」さん、どうもご親切にありがとうね。
2022.01.07
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~雪降り続く~ ベランダの手すりの隅間から見た塀際 1月4日火曜日。また雪が降り始めた。今年最初のゴミ出しに行く。「あまり無理しないでね。何かあったら声かけて」と近所のHさん。頼みたいことがあるのはあるが、出来るだけ自分でやるようにしている。甘えてはいけない。自分にも他人にも。ともかく無理はしない程度に頑張る。人生もそしてブログも。ブログに苦しむ人の気持ちが分からない。思ったことをただ正直に書けば良いだけの話。 枯れたガザニア Mさん宅の車が見えない。きっと仕事始めなのだろう。救急車のサイレンが聞こえる。誰かが体調を崩して病院に向かうのだろうか。郵便受けから新聞を取る。年賀状が来ていた。きっと前日に届いたのだろうが、前日に私が取りに出なかっただけの話。かつての部下が某有名私大の教授になってから久しい。彼との出会いは42年も前なのに、なんという律儀さ。若かった頃の真剣な彼の表情を思い出す。 フユボタン 「カムカムエヴリヴァデ」を観てから、朝食の支度を始める。懸命に生きるるいが愛おしい。るいの恋が成就するのか。るいを試すように登場する多様な人々。彼女はどんな生き方を選び、どんな男を夫として選択するのだろう。冷蔵庫の中から適当におかずを選び、ご飯とおかずとみそ汁を温める。ぐい呑みで1杯だけの日本酒とリンゴと納豆と若干の漬物。 自家製浅漬け 野菜不足にならないよう浅漬けを大量に作っていた。主な素材はこの冬収穫第1号の白菜、ニンジンの千切り、自家製のタマネギ、切り昆布と柚子の皮。安かった「切り昆布」と「塩蔵ワカメ」は中国産だった。きっと日本から種を譲ったものだ。だが韓国の高級イチゴは日本の品種を無断で持ち出したもの。平昌冬季五輪のカーリングの「もぐもぐタイム」で食べていたのもそうだ。韓国は卑劣な国だと思う。 物置からジャガイモとタマネギを持って来た。ジャガイモは芽が出ていて生きている。タマネギも芽が出ているが、本体は凍っていた。東の畑に残っていた大根の1本を抜いた。こちらも凍っている。ジャガイモはポテトサラダを作り、タマネギはチャーハンの材料にし、大根は剥いた皮をピクルスの具材にする予定。干していた大根の葉はさつま揚げと一緒に煮物にしたら美味しいと「おかず大作戦」が膨らむ。 パソコンを代えたら取り込んだ画像の縮尺が以前のと違うため、時々失敗をする。それに私の頭は良く誤解するよう老化が進んだ。左はPCのトップページ。文字は10時5分の時間表示なのに、私はてっきり1月5日だと認識していた。良く見ると下に1月4日(火)と見えるが、これは拡大して初めて分かった。耳は聞こえ難く、目は見え難く、その上曜日や月日の正確な認識がない「サンデー毎日」の日々。 右の襤褸(ぼろ)切れは指先を切ったパソコン用の手袋。これは5年ほど前に走っていた時、拾った婦人用。薄くて小さくて作業用にもってこい。風で飛んで来た大きなビニール袋なども、そのうちごみ入れ用に使おうと、ガレージの洗濯竿に吊るして乾かした。笑わば笑え。私は貧乏も他人の評価も全く気にしていない。我は我なり。わが道を一人行くのみ。 時々養老孟司さんのYouTubeを観ている。「まる」が先生の膝に抱かれている。彼は東大の教授を57歳で辞めた。医学部の教授会で辞職することを宣言したら、「不安はないのか」と問われたそう。東大教授の定年は当時60歳。先生は質問した教授に「あんたは死の不安はないの」と逆に尋ねた由。人生に不安は付き物とそのころから達観していたのだ。それが「バカの壁」の執筆につながったのかは不明だが。 野ばらの実 YouTubeで先生がある人の死について語っていた。そこで調べると死の真相が分かった。名前は知っていたがなるほどそうだったのかと納得。老化による心身の衰弱は誰しもが避けられない命題。今は高齢者の独り暮らしが普通になった。高齢化による孤独はいずれ来る道。あまり他のブログを訪れなくなったのもそれが一つの理由。養老先生には老妻がおられるが、わが妻は大金を持って家を出た。果たして何が幸せなのかは誰も分からない。 中国の動きがおかしい。「第1列島線」はとっくの昔に突破され、今や艦載機を載せた空母「遼寧」が太平洋でヘリやジェット機を飛ばしている。台湾への爆撃機出動は既に防空識別圏から逸脱し、東海岸にまで回り込んでいる状況。さらに世界中から食料を大量に入手しているとの情報も。北朝鮮は日本企業を利用して金を騙し取り、ロシアはウクライナへの侵攻を虎視眈々と狙っている。 アジサイの枝 アメリカは11月に「中間選挙」。一方の中国は2月に「北京冬季五輪」を、秋に「共産党大会」を控えている。どちらも引くに引けない状況であるのは確か。それでも1月3日に、米中ロ英仏の5ケ国は多国間の外交取り組みを引き続き追及する旨の共同声明を発表し、「核戦争をしない」ことを確認したと言う。やれやれと言った気もするが、決して「通常兵器による戦争」が否定された訳ではない。 雪のツルニチニチソウ ここまで書いたら猛烈に腹が減って来た。そこでラーメンの大盛りを作り、午後からは「料理大作戦」を開始。もちろん私の戦争に「核」は不要。人間生き残るためにはエネルギーが不可欠。さてわがブログは予約機能を使って書いている。これは公開2日前の原稿。ブログの今後の企画も若干あるが、それもその時の感触しだい。ともかくこうして書けるだけでも有難い。外ではまだ雪がちらついている。
2022.01.06
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~サラリーマン川柳入選作から~ 昨年末、保険屋さんが挨拶に来た。カレンダーや景品と一緒に「サラリーマン川柳」の小冊子が入っていた。内容は2020年に募集したものだが、折角なのでブログで取り上げようと考えた次第。小冊子をデジカメで撮った画像なので、果たしてきれいに収まるかは不明だが、この鬱々した昨今「ワハハ」と笑い飛ばしてもらえたら嬉しい。 リモートで便利な言葉”聞こえません” (1番右) 嫁の呼吸五感で感じろ!全集中!!!(右から2番目) 十万円見ることもなく妻のもの(右から3番目) 会社へは来るなと上司行けと妻(一番左) じいちゃんにJ.Y.parkの場所聞かれ(一番左) 我が部署は次世代おらず5爺(ファイブジイ=左から2番目) お父さんマスクも会話もよくずれる(右から2番目) お若いと言われマスクを外せない(一番右) 抱き上げた孫が一言密ですよ(一番左) 義理なのにチョコのお返し倍返し(左から2番目の2) 我が家では夫婦げんかもリモートで(左から2番目の1) 待ち合わせマスクの妻がわからない(右から2番目の左) 我が夫見ざる言わざるグチ言わず(右から2番目の右) 定年後いつでも俺は不要不急(一番右の左) 心配ない三密我が家は会話なし(一番右の右) 妻は言う家事も含めてテレワーク(一番左の左) 育休の夫にさらに手がかかる(一番左の右) gotoに妻を誘うもソロキャンプ(左から2番目の左) 妻の指示不要不急のお買い物(左から2番目の右) 免許より返納したい我が夫(右から2番目の左) 妻は言う次も帰省はオンライン(右から2番目の右) マスクでも瞳を見てわかる思いやり(一番右の左) 道後の湯今年は家内と老後の湯(一番右の右) 在宅増主婦は家事増自粛なし(一番左の左) 同じバス娘に避けられ時差出勤(一番左の右) リモートの休憩時間待つ愛犬(左から2番目の左) ストレスは娘ピエンで俺胃炎(左から2番目の右) 還暦を赤いマスクで祝う会(右から2番目の左) 帰宅したパパに手洗い子が指導(右から2番目の右) 帰省せぬ孫に送ったポンジュース(一番右の左) 娘との会話始まる自粛中(一番右の右) 有料化袋忘れて手で抱え(左の左) ショッピング袋よりたまる段ボール(左の右) アイデアは良かったのですが、写真のサイズをいろいろ変更しているうちに、ボケてしまったり、見難いのも出てしまいました。楽をしようとした結果です。どうもごめんなさい。そこで慌てて補正してみました。さて、皆さん苦心の作品がちゃんと読めたかな。m(__)m では私も便乗して。 汗染みた母校の襷ゴールへと オミクロンに会長真っ青尾身苦労 初場所もコロナ休場の力士あり 甘いもの除いてお節食べ尽くす 核戦争止めるって本当?五人衆 米、英、仏、中、ロ 五か国がスパイ衛星で見張りっこ 怖いものコロナ中国核戦争
2022.01.05
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~シンビジウムが満開に~ 元旦の新聞はやけに分厚かった。仙台地方の名物「初売り」のチラシが大量に入っているのと、正月の特別仕様で、不要なページがたくさんあるためだ。大部分は古新聞の袋行きとなり、TVの番組欄を探すのにも一苦労。後日ニュースで知ったのだが、「初売り」のための人出が結構あったようだ。私はもちろんずっと家の中。新聞を読み、TVを観、ブログを予約するだけ。2日は洗濯、3日は布団干しも。 箱根駅伝は往路復路共に青山学院がぶっちぎりの完全優勝。シード権争いも激烈で、法政が最終区で東海大を逆転して10位に滑り込んだ。あまり熱心には観ず、復路はTVの音を聞きながら、いつの間にか眠っていた。1月3日の仙台は青空のポカポカ陽気で布団を干したほど。眠りから覚めると、シンピジウムが満開になっていた。 帝京大 明治大 ラグビー全国大学選手権の帝京大対京産大の試合を観た。接戦だったが最後は帝京が逃げ切った。これで9日の決勝は明治(関東対抗戦1位)対帝京(同3位)の関東勢同士の戦いとなった。かつての明治は強かった。「前へ前へ」の北島監督の姿が目に浮かぶ。 3が日に観たのは他に「ドラマ大化の改新」。超大作の再放送で、見覚えのある場面や登場人物で思い出した。岡田准一演じる藤原鎌足は、正確には中臣鎌(なかとみのかま)か鎌子(かまこ)が本名。しかも中央豪族の中臣氏ではなく、常陸国(現在の茨城県)が本拠地の傍流。一旗上げようと明日香の都に上り、蘇我入鹿を殺害した(乙巳の乱)ことで重用され、藤原氏の姓を賜った。平城京鎮護のために春日大社を建て、藤原氏の氏神を祀った。常陸の鹿島神宮の鹿が来たとの縁起だが、鹿が空を飛ぶことは不可能。だが今も奈良公園では神鹿として大事にされている。 <源頼朝> <北条政子> <政子の父北条時政> 「鎌倉殿サミット2022」が面白かった。もちろん今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に因む特集だ。頼朝の死の真相。二代将軍頼家、三代将軍実朝の若過ぎる死の真相。頼朝亡き後、なぜ微力の北条氏が執権となったのかなど、歴史家や小説家などがそれぞれの立場から自説を述べる。 頼朝は実権を握るために木曽義仲、義経、頼範、行家などを次々に死に至らしめる。まさに「兄弟は他人の始まり」だ。彼の死には「落馬説」、「病死説」、「怨霊説」、「暗殺説」、「北条陰謀説」などがある由。さらに鎌倉時代の正史である「吾妻鏡」にも、不審な点があると言う。 頼朝像 歴史は後に書き換えられることもある。頼朝を好きだった徳川家康が、「吾妻鏡」の一部を書き直させたとの説もある由。鎌倉時代は平安時代までの「古代」から「中世」に代わり、その後約600年間に亘る武士による支配の始まりだ。鎌倉はあくまでも「鎌倉殿」であり、「鎌倉幕府」ではなかったと言う。「13人」による合議制が本当にあったのか。それにしても政子の存在が大きい。まさに「尼将軍」だ。 1月2日の夜、急にご飯を食べたくなって米を研いだ。味噌汁が美味しい。年末年始の間に、野菜の煮物、キュウリ2本、豆腐半丁が悪くなっていたため捨てた。冷蔵庫に入れていても安心とは限らない。「勿体ない主義」の私などは特に要注意だ。食べ物が無駄にならないよう、ちゃんと管理せねばと反省。「お節」は順調に消化中。体裁は良いが、中身はそれほど無いのだ。それでも助かったのは事実。 このブログを読んでいる弟が私の体調を心配して、正月早々電話をくれた。同じく兄嫁も心配して電話をくれたが、彼女はブログのことは知らない。沖縄の保険会社の方が、ご丁寧にもメールをいただいた。沖縄を去ってからもう30年も経つと言うのに、なんと義理堅いことか。この会社との付き合いは「つくば」以来なので、もう40年以上になる。未だにお世話になっているのも何かの縁だろう。 植木から出た脇芽 新旧2つのパソコンを交互に使ってブログを書こうとしたが、古い方では更新が出来ない。きっと「パスワード」とIPアドレスが異なると判断されたのだろう。まあ新しい方のPCだけでも、目下の不便はない。いや、多少の不便があってもまだ我慢出来る範囲だ。 私が転寝(うたたね)をしているうちに満開になったシンピジウム。布団も干せたし、今夜は暖かい布団でぐっすり眠れそうだ。そこで新春の一句をば。 初春やシンピジウムに日の光 どうもお粗末さまでした。
2022.01.04
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~新年2日目~ 結局元旦に食べた餅は5個だった。朝はあんこ餅が2個、雑煮が2個。昼は簡単に済ませ、夜は大根おろし納豆餅を1個。合計で5個とは食べ過ぎのような気もするが。今回買った「切り餅」は2.5cm四方ほどの小さなもの。これにはびっくりした。袋の外からは大きさは見えない。だが重量は800グラムと書いてあるので推定は出来た。何分安いのが良かった。日本製なので品質は良いはず。 元旦に観たテレビ番組は4つ。「六角精児の呑み鉄」は再放送。「日本最強の城SP」は初めて観た城も懐かしい城もあった。「生命溢れる奇跡の惑星・地球大紀行」にも観たことのある画像あり。失敗したのが「最強キング決定戦」。これはタイトルで判断し、最後の方しか観なかったが、世界史上6人の英雄伝で、初めから観るべきだったと後悔。すべてNHKの特集番組。やはり歴史番組は刺激になる。 2日目の朝食 元旦の夜は早めに寝た。以前から感じていた疲れ。夜中までTVを観ていたせいだ。2日は朝の6時台に起床して洗濯機を回す。溜めると洗濯するのも干すのも面倒。加えて厳冬のため外干しが難しい。この日はあんこ餅1個、お雑煮1個。実は小さな餅で助かった。元旦に喉に餅を詰まらせた方が6人。うち2人が亡くなった。袋には食べやすいサイズと印刷してあった。地元の企業の良心的な商品だった。一人暮らしの私は誰とも話さない日がほとんど。そのため声帯を使わず嚥下障害を起こしやすいと言う。小さいサイズの餅で大正解だったのだ。 「お節」も金額に相応しい内容と量。体裁良く見た目にも美しい。その中から適当に皿に取っている。自分では作れないプロの味と素材。少量でもお正月気分を味わえた。いつもに比べたら、これでも豪華だし手抜きが出来てありがたい。庭に雀が寄って来る。きっと雪で食べ物に困っているのだろう。先ごろは山鳩も来ていた。住宅地の中の畑は、小動物たちの命を繋いでいるオアシスなのかも。 伝統の「箱根駅伝」の往路がスタートした。テレビの音を聞きながら翌日用のブログを書いている。1区は中央大学が抜け出し、これまで破れなかった一番古い記録を破っての新記録だったようだ。昨年の「予選」も観たが、最近は新鋭校の進出が目立つ箱根だ。さてこの後ゴールまでどんな展開になるのか、注目して観たい。と言いつつ、2区からはほとんど観ず、ゴール結果だけ知った程度。 洗濯物を初めて居間に干した。暖房を入れている居間は乾燥しやすく、取り込んでいる植木鉢の水やりも欠かせない仕事。室内の湿度を保つために洗濯物を干した。仙台は今日も寒く、水道水が手を切るように冷たい。それもまた北国の冬の日常。血圧の急上昇と、食べ過ぎ、飲みすぎに注意。体重計が壊れて記録が出ないため、正確な体重の確認が出来ないでいる。相変わらずの貧乏暮らしだ。
2022.01.03
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~大晦日そして厳寒の元旦~ 初日の出 (茨城県大洗海岸 磯前神社) 弟が水戸勤務の時に彼の家に泊めてもらった。だが通信社勤務の彼の家には夜中も電話が来る。そんな訳でほとんど眠れずに朝を迎えた。その日は「勝田マラソン」(フル)で、当日はみぞれ混じりの寒い日だった。眠れずに寒風と霙の中をゴール出来たのは、まだ若かったせいだろう。それから数年後私も水戸勤務になった。マウンテンバイクで大洗海岸のこの神社に行ったのも、今は良い思い出だ。 大晦日の午前中をかけて大掃除をした。フローリング、和室、キッチン、居間。どこも汚れていた。だが疲れを感じ放置していた。だが新年を迎える前に、少しでもきれいにしよう。年賀状も出さず、松飾も飾る気にならなかったので、せめてもの気分転換。ただし、書類整理は新年は持ち越した。「終活」の一環なのでいずれは処理する必要があるのを、面倒がっていたのだ。 ピンポーン♬ クール宅急便がやって来た。ずいぶん前に注文していた「おせち料理」。本当は前日の夕方以降に届く予定。外からも室内が見えるよう電気をつけていたのだが、私がPCに向かっていたため遠慮したのだろうか。郵便受けに入っていた「お届け時不在メモ」を観て、改めて配達日を指定し直したのが上。解凍まで14時間かかるとあるので、包みを解いて和室に1箱ずつ並べた。 大晦日に観たテレビ番組は「格闘技ライジン」。サッカーの三浦知良の次男孝太のデビュー戦もあってリングサイドに両親が来ていた。1回3分0秒の見事なTKO勝ちだった。父親のカズは息子に「やるなら思い切りやれ」と送り出したそうだ。プロボクシングWBOスーパーフライ級のタイトルマッチは、井岡一翔が防衛したが、迫力のない試合だった。35歳で元大工の挑戦者が良く頑張ったと言うべきか。 たまたま「ローマの休日」を観た。1953年(昭和28年)の制作で当時オードリーヘップバーンは24歳。本当にノーブルで魅力的な女性だと感じた。私がこの作品を観たのは数年後の中学生時代。その頃の料金は2本立てで60円くらいだったはず。それから彼女のファンになり幾つかの作品を観たがどれも素敵だった。それから時が経ち、彼女は虫垂がんのためウイーンで死去。確か62歳だったはず。 その他年末に観て面白かったのが、「超常映像の解明」、「グレートトラバース3総集編」、「解剖学者養老孟司の日々」。正確なタイトルは不明でいずれもNHKの制作。「超常映像」はほとんど謎が解明されるが、昨年今年と仙台上空で確認された物体(上)ラジオゾンデだと思われるが飛ばした人、団体が不明。中には偏西風に乗って地球を4,5周するものある由。ただ悪戯やインチキ画像も多数あった。 「グレートトラバース3」は何枚か写真を撮ったので、いずれ特集したい。素晴らしい挑戦の連続で、改めて感激した。見落とした画像も多く、私も登った山が出て来たのには驚いた。解剖学者養老先生の物事に捕らわれない独特の考え方と生き様には、感じさせられること、考えさせられることがたくさんあった。自分と社会を見つめる達観した目。愛猫マルは20歳で死んだが、先生はまだまだ元気な85歳だ。 元旦は雪の朝になった。最低気温は零下5度。積雪は5cm。早起きした近所の人が、親切に我が家の外階段を雪かきしてくれていた。私が腰を傷めていることを知っているのだ。ゆっくり起床して、布団を上げ、シャッターとカーテンを開け、スコップを持って外へ出、丁寧に除雪した。気温が低いため凍結すると滑って危険。それからおもむろに元旦の宴(朝食)の準備。 料理は3つの「お節」から食べたいと思うものを適当に選んで皿に盛り、残りはタッパーウェアに種類毎に収納して冷蔵庫へ。箱は分解して「雑紙」の袋に。これで冷蔵庫の中がすっきり。日本酒は地元一ノ蔵の特別純米酒をお猪口で3杯ほど。お雑煮はこの朝作ったが餅は入れていない。昼を過ぎたらも列に腹が減って来た。朝食べたものが少量で消化したのか。お雑煮とあんこ餅をこれから作る予定。 こんな風にマックス爺の新年がスタートした。さて、シンビジウムが大晦日の夜に咲き始めた。先月中旬はまだ固いつぼみだったのが、暖房と水やりのせいでようやく咲いてくれた。前妻と離婚して丸4年。彼女は良い方の鉢を持ち去り、私は残った貧弱な苗を分割して育てた。それが4年目にして初めて3つの花芽をつけた。一時は枯れたようなあの古株がだ。ただただ感謝。残されたわが人生も、かくありたいと願う年頭。
2022.01.02
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~2022年を寿ぐ~ 明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願いいたします あまり気張らず「マックス爺のエッセイ風日記」を 書き続けたいと考えております 読者の皆様もどうぞお元気で過ごされますよう
2022.01.01
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