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錦美会 秋田音頭Akita OndoJapanese traditionalforklore songof Akita'Rap music'
2024年08月24日
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炭坑節月が出た出た 月が出た ヨイヨイ三池炭坑の上に出たあんまり煙突が高いのでさぞやお月さん 煙たかろサノヨイヨイ一山 二山 三山越え奥に咲いたる 八重つばきなんぼ色よく咲いたとてサマチャンが通わにゃ 徒あだの花あなたがその気で いうのなら思い切ります 別れますもとの娘の十八に返してくれたら 別れます晴れて添う日が来るまでは心一つ 身は二つ離れ離れの切なさに夢でサマチャンと 語りたい香春岳かわらだけから 見下ろせば伊田の竪坑たてこうが 真正面十二時下がりの サマチャンがゲージにもたれて 思案顔格子窓から 月がさすサマチャンの寝顔の 愛らしさ外した枕をすけさしょか思案なかばに 明けの鐘お札を枕に寝るよりも月が差し込む あばら家で主ぬしの腕かいなにほんのりとわたしゃ抱かれて 眠りたいたて杭ぐい 千尺二千尺下くだりゃ サマチャンのツルの音ままになるなら あの側で私も掘りたや 黒ダイヤ伯爵夫人となるよりも月の差し込むあばら家で主さんお庭で藁仕事わたしゃお側で 針仕事巻いた巻いた三十五函そこで選炭婦が苦労する棹取りゃ桟橋で花踊りウロウロするのは お役人ダイヤモンドがほしいなら一度来て見れ この鉱山へ男盛りのサマチャンが粋で掘り出す 黒ダイヤわたしのサマチャンとロを押す ヨイヨイわたしゃ選炭場でボタを選える見上げて見下ろす顔と顔にっこり笑うて 知らぬ顔サノヨイヨイ作詞者不詳 福岡県民謡
2021年09月21日
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野口雨情(のぐち・うじょう)証城寺の狸囃子証 証 証城寺証城寺の庭はツ ツ 月夜だ皆出て来い来い来い己等おいらの友達ア ぽんぽこぽんのぽん負けるな 負けるな和尚さんに負けるな来い 来い 来い 来い 来い 来皆出て 来い来い来い証 証 証城寺証城寺の萩はツ ツ 月夜に花盛り己等は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん作曲:中山晋平『金の星』大正13年(1924)12月号* 初出の翌年1月に、作曲者の中山晋平が「証 証」「ツ ツ」「来い 来い」の繰り返しの部分を、外遊中だった作詞者・野口雨情に無断で増補改作して発表。帰国した野口は、笑って事後承諾したという。○ 「證誠寺(しょうじょうじ)」(千葉・木更津市)ウェブサイト萩の花
2021年09月21日
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野口雨情(のぐち・うじょう)十五夜お月さん十五夜お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇いとま とりました十五夜お月さん 妹は 田舎へ 貰もられて ゆきました十五夜お月さん 母さんに も一度 あたしは 逢ひたいな作曲:本居長世児童雑誌『金の船』大正9年(1920)9月号 月見ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月21日
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由紀さおり・安田祥子(安田姉妹)花(春のうららの隅田川)* この動画の視聴には「ニコニコ動画」の一般会員登録(無料)が必要です。武島羽衣(たけしま・はごろも、又次郎・またじろう)花春のうららの隅田川のぼりくだりの舟人が 櫂かひの雫も花と散る 眺めを何に喩ふべき見ずやあけぼの露浴びてわれにもの言ふ桜木を 見ずや夕暮 手を伸べて われさし招く 青柳を錦織りなす長堤ちやうていに暮るればのぼる朧月おぼろづき げに一刻も 千金の 眺めを何にたとふべき作曲:滝廉太郎組曲『四季』第1曲として、明治33年(1900)発表。註舟人が:舟人の。cf.)「君が代」。見ずや:見ないか。見ようよ。ご覧よ。「見ず」と「水」の掛詞(かけことば)の意図もあるのかもしれない。われにもの言ふ:私に語り掛ける。げに一刻も千金の:本当に一瞬一瞬が値千金(あたいせんきん)の。プレシャス・タイムの。 花見 (1900年頃撮影、写真は江戸川。)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大
2016年04月01日
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さくらさくらさくらさくら やよひの空は 見わたす限り かすみか雲か にほひぞ出づる いざや いざや 見にゆかん (江戸古謡)さくらさくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににほふ さくら さくら 花ざかり(文部省 昭和16年改訂)作詞・作曲者不詳文部省音楽取調掛『筝曲集』(明治21年・1888刊)所収。* 幕末頃より琴の練習曲(筝曲)として用いられていた謡曲を採譜したものという。註やよひ:旧暦では、桜が咲くのは如月(きさらぎ、二月)から弥生(やよい、三月)頃だった。
2016年03月29日
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桑名貞子 うれしいひなまつり 雛飾り ひなあられウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2016年03月01日
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春よ来い みみちゃんレコード児童合唱団相馬御風(そうま・ぎょふう)春よ来い春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちやんが赤い鼻緒の じよじよはいておんもへ出たいと 待つてゐる春よ来い 早く来いおうちの前の 桃の木の蕾もみんな ふくらんではよ咲きたいと 待つてゐる作曲:弘田龍太郎「銀の鈴」大正12年(1923)4月号註旧かなづかい。みいちゃん:当時2歳だった作者の長女・文子あやこがモデルという。じょじょ:「草履(ぞうり)」の、作詞当時の幼児語。 * 松任谷由実は、代表曲の一つ「春よ、来い」(平成6年・1994)をこの曲からインスパイアされたと、CDジャケットに明記している。
2016年02月29日
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早春賦 そうしゅんふ 吉丸一昌(よしまる・かずまさ)春は名のみの 風の寒さや谷の鶯うぐひす 歌は思へど時にあらずと 声を立てず時にあらずと 声を立てず氷解け去り 葦は角つのぐむさては時ぞと 思ふあやにく今日もきのふも 雪の空今日もきのふも 雪の空春と聞かねば 知らでありしを聞けば急せかるる 胸の思ひをいかにせよとの この頃かいかにせよとの この頃か作曲:中田章『新作唱歌』(大正2年・1913刊)所収。註春が訪れたら「胸の思ひを」打ち明けようと思っているのだが、気後れしたり雪が降り続いたりして、なかなかその機会は訪れない。うかうかうじうじしているうちに春が来てしまったので、ああどうしようかと今さらながら気が急(せ)くばかりの今日この頃である。やきもきするほどじれったくて純情な、昔の人の古風な恋心。あるいは発表当時、すでに古めかしく感じられたのではないかと思われるほどの、和歌的・擬古的な文語の文体と内容である。「胸の思ひをいかにせよと(胸の思いをどうするかと)」などを見ても、(男の方から求愛するのが普通だった)当時の社会通念からして(今でもけっこうそうだろうが)、この詞の潜在的な作中主体(私)は、一聴した印象と異なって、若い男かもしれない。歌は思えど時にあらずと:(恋の)歌を歌おうかと思うが、まだその時ではないと。角(つの)ぐむ:(草木が)芽吹く。萌える。さては時ぞと:さあ、今こそその時だと。あやにく:「あいにく、折り悪(あ)しく」の意味の古語。春と聞かねば知らでありしを/聞けば急(せ)かるる胸の思いを/いかにせよとのこの頃か:春と聞かなければ知らないそぶりでいられたのに、聞いてしまったら急かされるこの胸の思いを、いったいどうしようかと思い惑う今日この頃だなあ。
2015年03月05日
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桑名貞子 うれしいひなまつり 雛飾り ひなあられウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2015年03月02日
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春よ来い みみちゃんレコード児童合唱団相馬御風(そうま・ぎょふう)春よ来い春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちやんが赤い鼻緒の じよじよはいておんもへ出たいと 待つてゐる春よ来い 早く来いおうちの前の 桃の木の蕾もみんな ふくらんではよ咲きたいと 待つてゐる作曲:弘田龍太郎「銀の鈴」大正12年(1923)4月号註旧かなづかい。みいちゃん:当時2歳だった作者の長女・文子あやこがモデルという。じょじょ:「草履(ぞうり)」の、作詞当時の幼児語。 * 松任谷由実は、代表曲の一つ「春よ、来い」(平成6年・1994)をこの曲からインスパイアされたと、CDジャケットに明記している。
2015年03月01日
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キリストの降誕と聖家族(サグラダ・ファミリア)聖母マリアとイエス(聖母子)、マリアの夫でイエスの養父ヨセフきよしこの夜清し この夜 星は光り救ひの御子みこは 馬槽まぶねの中に眠りたまふ いと安く清しこの夜 御告みつげ受けし牧人まきびとたちは 御子みこの御前みまへにぬかずきぬ かしこみて清しこの夜 御子の笑ゑみに恵みの御代の 朝あしたの光輝けり ほがらかに讃美歌 109番* この歌の歌詞にはいくつかのバージョンがあります。Silent NightSilent night, holy nightAll is calm, all is brightRound yon Virgin Mother and ChildHoly Infant so tender and mildSleep in heavenly peaceSleep in heavenly peace静かなる夜 聖なる夜すべては鎮まり すべてが眩まばゆくその処女をとめなる母と子を包み込んでいとも優しく和やかに聖なる幼子は天上の平安に眠りたまふ天上の平安に眠りたまふ。Silent night, holy night!Shepherds quake at the sightGlories stream from heaven afarHeavenly hosts sing Alleluia!Christ, the Saviour is bornChrist, the Saviour is born静かなる夜 聖なる夜牧人まきびとたちはその光景にうち震へる。栄光が遥かなる天上より流れ来て天使たちが賛美のアレルヤを歌ふ。救ひ主キリストは生まれたまふ救ひ主キリストは生まれたまふ。Silent night, holy nightSon of God, love's pure lightRadiant beams from Thy holy faceWith the dawn of redeeming graceJesus, Lord, at Thy birthJesus, Lord, at Thy birth静かなる夜 聖なる夜神の子の愛の澄める光聖なる御顔から輻射する贖あがなはるる恩寵めぐみの夜明けの光芒よ主イエスは誕生したまへり主イエスは誕生したまへり。(拙訳)ヨセフ、イエス、マリア キリストの降誕ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年12月24日
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野口雨情(のぐち・うじょう)十五夜お月さん十五夜お月さん 御機嫌さん 婆やは お暇いとま とりました十五夜お月さん 妹は 田舎へ 貰もられて ゆきました十五夜お月さん 母さんに も一度 あたしは 逢ひたいな作曲:本居長世児童雑誌『金の船』大正9年(1920)9月号 月見ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年09月08日
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野口雨情(のぐち・うじょう)証城寺の狸囃子証 証 証城寺証城寺の庭はツ ツ 月夜だ皆出て来い来い来い己等おいらの友達ア ぽんぽこぽんのぽん負けるな 負けるな和尚さんに負けるな来い 来い 来い 来い 来い 来皆出て 来い来い来い証 証 証城寺証城寺の萩はツ ツ 月夜に花盛り己等は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん作曲:中山晋平『金の星』大正13年(1924)12月号* 初出の翌年1月に、作曲者の中山晋平が「証 証」「ツ ツ」「来い 来い」の繰り返しの部分を、外遊中だった作詞者・野口雨情に無断で増補改作して発表。帰国した野口は、笑って事後承諾したという。○ 「證誠寺(しょうじょうじ)」(千葉・木更津市)ウェブサイト萩の花
2014年09月08日
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月出た 出た 月が 円い 円い まんまるい 盆のやうな 月が隠れた 雲に 黒い 黒い まつくろい 墨のやうな 雲にまた 出た 月が 円い 円い まんまるい 盆のやうな 月が文部省唱歌明治43年(1910)7月刊『尋常小学読本唱歌 第一学年用』 月ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2014年09月08日
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うさぎうさぎ うさぎ なにを見て はねる十五夜 お月さま 見てはねる明治25年(1892)6月刊『小学唱歌 第二学年用』
2014年09月08日
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炭坑節月が出た出た 月が出た ヨイヨイ 三池炭坑の上に出た あんまり煙突が高いので さぞやお月さん 煙たかろ サノヨイヨイ一山 二山 三山越え 奥に咲いたる 八重つばき なんぼ色よく咲いたとて サマチャンが通わにゃ 徒あだの花あなたがその気で いうのなら 思い切ります 別れます もとの娘の十八に 返してくれたら 別れます晴れて添う日が来るまでは 心一つ 身は二つ 離れ離れの切なさに 夢でサマチャンと 語りたい香春岳かわらだけから 見下ろせば 伊田の竪坑たてこうが 真正面 十二時下がりの サマチャンが ゲージにもたれて 思案顔格子窓から 月がさす サマチャンの寝顔の 愛らしさ 外した枕をすけさしょか 思案なかばに 明けの鐘お札を枕に寝るよりも 月が差し込む あばら家で 主ぬしの腕かいなにほんのりと わたしゃ抱かれて 眠りたいたて杭ぐい 千尺二千尺 下くだりゃ サマチャンのツルの音 ままになるなら あの側で 私も掘りたや 黒ダイヤ伯爵夫人となるよりも 月の差し込むあばら家で 主さんお庭で藁仕事 わたしゃお側で 針仕事巻いた巻いた三十五函 そこで選炭婦が苦労する 棹取りゃ桟橋で花踊り ウロウロするのは お役人ダイヤモンドがほしいなら 一度来て見れ この鉱山へ 男盛りのサマチャンが 粋で掘り出す 黒ダイヤわたしのサマチャンとロを押す ヨイヨイ わたしゃ選炭場でボタを選える 見上げて見下ろす顔と顔 にっこり笑うて 知らぬ顔 サノヨイヨイ福岡県民謡
2014年09月08日
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女さをとめが裳裾もすそ濡らして玉苗たまなへ植うる 夏は来ぬ橘たちばなの香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植ゑわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年(1896)5月刊『新編教育唱歌集』所収註忍音しのびね:春に鳴きはじめてまだ日が浅いウグイスが、声をひそめて鳴く声。初音はつね。さみだれ:五月雨。旧暦五月(現行暦のほぼ6月)頃に降る長雨。梅雨。「さ」は「さつき(五月)」の「さ」と同源の接頭語、「みだれ」は「乱れ」ではなく、雨が降る意味の「みだれ(水垂)」といわれる。玉苗たまなへ:美しく、瑞々しい稲の苗。蛍飛び交ひ 怠り諌いさむる:「蛍の光、窓の雪」の故事にちなんで、怠け心をいさめる。楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。さつきやみ:五月闇。旧暦五月の闇。梅雨どきの闇。照明の少ない時代の月のない夕方以降は、本当に暗く感じられたろうと思われる。
2014年05月26日
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茶摘ちやつみ夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る「あれに見えるは 茶摘ぢやないか あかねだすきに菅すげの笠」日和ひよりつづきの今日此の頃を 心のどかに摘みつつ歌ふ「摘めよ摘め摘め 摘まねばならぬ 摘まにや日本の茶にならぬ」明治45年(1912)刊『尋常小学唱歌・第三学年用』文部省唱歌註八十八夜:立春を起算日(1日目)として88日目をいう。今年は5月2日だった。あかねだすき:古来知られる鮮やかな茜(アカネ科)の根の染料で染めた襷(たすき、手拭いのようなもの)。アカネに止血作用があるという説もあるが、これはどうも後付けの理屈であろう。むしろ、この歌の基調に見られるような「ハレ」の行事における祝祷的な意味合いではないだろうか。ちなみに、「茜」という漢字の字源は「草かんむり」に「西」、すなわち夕焼けの鮮やかな赤みを持つ草ということのようである。
2014年05月26日
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高野辰之(たかの・たつゆき)朧月夜 菜の花畠に 入日薄れ見わたす山の端は 霞深し春風そよ吹く 空を見れば夕月かかりて にほひ淡し里わの火影ほかげも 森の色も田中の小路こみちを たどる人も蛙かはづの鳴く音ねも 鐘の音もさながら霞める 朧月夜おぼろづきよ作曲:岡野貞一文部省唱歌大正3年(1914)6月刊『尋常小学唱歌 第六学年用』所収。* 原文旧仮名遣いのまま。註1番の「(霞)深し」「(にほひ)淡し」の対比、および2番の「森の色も」「たどる人も」「鐘の音も」「朧月夜」と、日本語の構造上困難と見られる脚韻を踏んでいる意欲的な作品といえよう。 Lunar coronaウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年05月15日
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高野辰之(たかの・たつゆき)春の小川春の小川は さらさら流る岸のすみれや れんげの花ににほひめでたく 色うつくしく咲けよ咲けよと ささやく如く春の小川は さらさら流る蝦えびやめだかや 小鮒の群に今日も一日 ひなたに出いでて遊べ遊べと ささやく如く春の小川は さらさら流る歌の上手よ いとしき子ども声をそろへて 小川の歌をうたへうたへと ささやく如く作曲:岡野貞一文部省唱歌大正元年(1912)12月発行「尋常小学唱歌」所載。* 原文旧仮名遣いのまま。註のちに「初等科音楽」(昭和17年3月刊)改訂の際、当時の全般的な文学表現の口語化の流れの中で、文部省はこの唱歌の歌詞を現行の口語体に改訂したが、掲載した格調高い文語体のオリジナル詞の方が圧倒的に優れている上に、「ささやく如く」に見られる通り、論理的整合性もあって、無理がないように思われる。なお、この歌詞に出てくる小川は、現・東京都渋谷区代々木付近を流れる河骨川(こうほねがわ)。宇田川・渋谷川上流の支流。現在暗渠。今ではにわかに信じられないが、当時はのどかな田園風景が広がっていた。下記の通り、この歌を記念した石碑がある。* れんげ:蓮華(ハスの花)ではなく、レンゲソウのこと。■ 「春の小川」歌碑(東京都建設局ウェブサイト) ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン埼玉県上尾市平塚原市 沼川 柳津橋付近
2014年04月06日
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さくらさくらさくらさくら やよひの空は 見わたす限り かすみか雲か にほひぞ出づる いざや いざや 見にゆかん (江戸古謡)さくらさくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににほふ さくら さくら 花ざかり(文部省 昭和16年改訂)作詞・作曲者不詳* 幕末頃、琴の練習曲として用いられていた俗謡を採譜したものという。文部省音楽取調掛『筝曲集』(明治21年・1888刊)所収。註やよひ:旧暦では、桜が咲くのは如月(きさらぎ、二月)から弥生(やよい、三月)頃だった。
2014年04月04日
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武島羽衣(たけしま・はごろも)花春のうららの隅田川のぼりくだりの舟人が 櫂かひの雫も花と散る 眺めを何に喩ふべき見ずやあけぼの露浴びてわれにもの言ふ桜木を 見ずや夕暮 手を伸べて われさし招く 青柳を錦織りなす長堤ちやうていに暮るればのぼる朧月おぼろづき げに一刻も 千金の 眺めを何にたとふべき作曲:滝廉太郎組曲『四季』として、明治33年(1900)発表註舟人が:舟人の。見ずや:見ないか。見ようよ。ご覧よ。「見ず」と「水」の掛詞(かけことば)の意図もあるのだろう。われにもの言ふ:私に語り掛ける。げに一刻も千金の:本当に一瞬一瞬がプレシャス・タイムの。値千金(あたいせんきん)の。
2014年04月04日
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てふてふ野村秋足(のむら・あきたり)てふてふ てふてふ菜の葉にとまれ菜の葉に飽いたら 桜にとまれ桜の花の 栄ゆる御代にとまれよ あそべ あそべよ とまれ稲垣千頴(いながき・ちかい)おきよ おきよ ねぐらのすずめ朝日のひかりの さしこぬさきにねぐらをいでて こずゑにとまりあそべよ すずめ うたへよ すずめ註原曲はスペイン民謡。数ある唱歌の中でも最も古い部類である。1番の歌詞は、明治7年、愛知県師範学校(現・名古屋大学教育学部)教諭だった野村秋足が、地元・尾張地方のわらべ歌を採譜して編曲。2番の歌詞は、明治14年11月刊『小学唱歌集』収録に際して、文部省音楽取調掛の稲垣千頴が作詞。昭和22年、文部省は1番の歌詞「栄ゆる御代に」を「花から花へ」に改訂するとともに、2番を削除した。元になった尾張地方のわらべ歌は、以下の通り。蝶々とまれ菜の葉にとまれ 菜の葉がいやならこの葉にとまれ
2014年04月03日
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仰げば尊し仰げば尊し わが師の恩教おしへの庭にも はや幾年いくとせ思へばいと疾とし この歳月としつき今こそ別れめ いざさらば互に睦むつみし 日ごろの恩別るるのちにも やよ 忘るな身を立て 名を揚げ やよ 励めよ今こそ別れめ いざさらば朝夕慣れにし 学びの窓蛍のともし火 積む白雪忘るる間ぞなき 行く歳月今こそ別れめ いざさらば作曲:大槻文彦、里見義、加部厳夫(文部省音楽取調掛)作曲:不詳明治17年(1884)3月刊『小学唱歌集』註いと疾とし:とても速い。「愛(いと)し」とは無関係。「今こそ別れめ」:今こそ別れよう。「今別れむ」の強調の係り結び。「分かれ目」ではない。勧誘の意味の助動詞「む」が已然形「め」に活用。やよ:古語の呼びかけの感動詞。なあ。ねえ。おい。 cf.)「思ふらむ心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の聞きか悩まむ」(あなたが思っているという心の程は、ねえ、どんなでしょう。まだ会ってもいない人が噂で悩むでしょうか)紫式部「源氏物語 明石」
2014年03月24日
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梅高野辰之(たかの・たつゆき) 春が来た 春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た 花が咲く 花が咲く どこに咲く 山に咲く 里に咲く 野にも咲く 鳥がなく 鳥がなく どこでなく 山でなく 里でなく 野でもなく作曲:岡野貞一文部省唱歌明治43年(1910)7月刊 『尋常小学読本唱歌 第三学年用』* 「尋常小学唱歌」一覧白木蓮
2014年03月24日
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やなせたかしアンパンマンのマーチ何のために生まれてなにをして生きるのかこたえられないなんてそんなのはいやだ!今を生きることで熱いこころ燃えるだから君は行くんだほほえんでそうだ うれしいんだ生きるよろこびたとえ胸の傷がいたんでも* 歌詞全文作曲:三木たかし唄:ドリーミング
2014年03月12日
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大漁唄い込み (斎太郎節・さいたらぶし、遠島甚句・とおしまじんく)(エンヤトット エンヤトット)松島の サーヨー 瑞巌寺ほどの(ハ コリャコリャ)寺もないとエーアレワエーエ エトソーリャ大漁だエー前は海 サーヨー 後は山で 小松原とエーアレハエーエ エトソーリャ大漁だエー石巻 サーヨー その名も高い 日和山トエーアレハエーエ エトソーリャ大漁だエー(ハア ヨーイヨーイ ヨーイトナ)ハアー 押せや押せ押せ (コラサッサ)コラ二挺櫓で押せや押せば港が (ハア ヨーイトナ)アレサ近くなる (ハア ヨーイヨーイ ヨーイトナ)ハアー 三十五反の (コラサッサ)コラ帆を巻きあげて 行くよ仙台(ハア ヨーイトナ)アレサ石巻(ハア ヨーイヨーイ ヨーイトナ)ハアー 南風吹かせて (コラサッサ)コラ船下らせて もとの千石(ハア ヨーイトナ)アレサ積ませたい(ハア ヨーイヨーイ ヨーイトナ)( )内は囃子宮城県民謡編曲:後藤桃水(大正14年・1925頃)
2014年03月11日
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サトウハチローうれしいひなまつりお内裏様と お雛様二人ならんで すまし顔お嫁にいらした ねえさまによく似た官女の 白い顔* 歌詞全文作曲:河村光陽昭和11年(1936)1月、キングレコードより発売・発表。註昭和前期のいわばニュー・メディアだったといえる「(SP)レコード」で発表された、詩人・作詞家サトウハチローの出世作。先行して文部省唱歌「雛祭」(昭和8年・1933)が発表されていたので、タイトルが「うれしいひなまつり」になったが、こちらの方があまりにも名曲だったせいか、唱歌の方は影が薄い、というより今日完全に忘れ去られている。私も全く聞いた覚えがない。日本音階と短調を繊細に駆使した哀調溢れる河村光陽の旋律・編曲もすばらしい。なお、「お嫁にいらした ねえさまに」の行(くだり)は、縁談が決まっていながら18歳で夭折した実姉への鎮魂の想いが反映しているともいわれる。長かった冬を越え、やっと雪解けと花の季を迎えた早春の重陽(ちょうよう)の節句にまことにふさわしい、典麗優雅な童謡の名曲である。 雛飾り ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2014年03月02日
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相馬御風(そうま・ぎょふう)春よ来い春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちやんが赤い鼻緒の じよじよはいておんもへ出たいと 待つてゐる春よ来い 早く来いおうちの前の 桃の木の蕾もみんな ふくらんではよ咲きたいと 待つてゐる作曲:弘田龍太郎「銀の鈴」大正12年(1923)4月号註旧かなづかい。みいちゃん:当時2歳だった作者の長女・文子(あやこ)がモデルという。じょじょ:「草履(ぞうり)」の、作詞当時の幼児語。* 作詞者・相馬御風の生涯と、その郷里である新潟・糸魚川につきましては、こちらのけん家持さんのブログをご覧ください。 * 松任谷由実は、代表曲の一つ「春よ、来い」(平成6年・1994)を、この曲からインスパイアされたと、CDジャケットに明記している。
2014年02月22日
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雪雪やこんこ 霰あられやこんこ 降っては降っては ずんずん積もる山も野原も 綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ 霰やこんこ 降っても降っても まだ降りやまぬ犬は喜び 庭駈かけまわり 猫は火燵で丸くなる文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」* 原文は旧かなづかい。
2014年02月04日
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皆様 どうぞよいお年をお迎えください千家尊福(せんげ・たかとみ)一月一日いちぐわついちじつ年のはじめの 例ためしとて終おはりなき世の めでたさを松竹まつたけたてて門かどごとに祝ふ今日こそ たのしけれ初日はつひの光さしいでて四方よもに輝く 今朝のそら君が御影みかげに 比たぐへつつ 仰ぎ見るこそ たふとけれ作曲:上真行 明治26年(1893)8月「官報3037号附録」で「小学校祝日大祭歌詞並楽譜」として『君が代』とともに公布。二番の歌詞は、公布当初「初日の光明(あき)らけく治まる御代の今朝の空」と、明治天皇とその御代の賛歌というべき歌詞であったが、改元に伴い大正2年、文部省告示で現歌詞に改訂。
2013年12月31日
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東くめ(ひがし・くめ)お正月もういくつねるとお正月お正月には 凧あげてこまをまはして 遊びませうはやくこいこいお正月もういくつねるとお正月お正月には まりついておひばねついて 遊びませうはやくこいこいお正月作曲:滝廉太郎明治34年(1901)7月刊『幼稚園唱歌』所収
2013年12月30日
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キリストの降誕と聖家族(サグラダ・ファミリア)。左から聖母マリアと神の子イエス(聖母子)、マリアの夫でイエスの養父ヨセフ。(『新約聖書 マタイ伝福音書』および『ルカ伝福音書』に基づく。)きよしこの夜清し この夜 星は光り救ひの御子みこは 馬槽まぶねの中に眠りたまふ いと安く清しこの夜 御告みつげ受けし牧人まきびとたちは 御子みこの御前みまへにぬかずきぬ かしこみて清しこの夜 御子の笑ゑみに恵みの御代の 朝あしたの光輝けり ほがらかに讃美歌 109番Silent NightSilent night, holy nightAll is calm, all is brightRound yon Virgin Mother and ChildHoly Infant so tender and mildSleep in heavenly peaceSleep in heavenly peace静かなる夜 聖なる夜すべては鎮まり すべてが眩まばゆくその処女をとめなる母と子を包み込んでいとも優しく和やかに聖なる幼子は天上の平安に眠りたまふ天上の平安に眠りたまふ。Silent night, holy night!Shepherds quake at the sightGlories stream from heaven afarHeavenly hosts sing Alleluia!Christ, the Saviour is bornChrist, the Saviour is born静かなる夜 聖なる夜牧人まきびとたちはその光景にうち震へる。栄光が遥かなる天上より流れ来て天使たちが賛美のアレルヤを歌ふ。救ひ主キリストは生まれたまふ救ひ主キリストは生まれたまふ。Silent night, holy nightSon of God, love's pure lightRadiant beams from Thy holy faceWith the dawn of redeeming graceJesus, Lord, at Thy birthJesus, Lord, at Thy birth静かなる夜 聖なる夜神の子の愛の澄める光聖なる御顔から輻射する贖あがなはるる恩寵めぐみの夜明けの光芒よ主イエスは誕生したまへり主イエスは誕生したまへり。(拙訳)ヨセフ、イエス、マリア。 キリストの降誕 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013年12月23日
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やなせたかし手のひらを太陽にミミズだって オケラだってアメンボだってみんな みんな生きているんだ友だちなんだ作曲:いずみたく昭和37年(1962)2月、NHK「みんなのうた」で放送、発表。歌唱:宮城まり子、ビクター少年合唱隊 / デューク・エイセス□ 歌詞全文註不朽の名詩、名曲。童謡の歌詞という枠組みを超え、現代詩の一傑作といってもいいのではないかと思う。初めて聞いたのは幼児のころだったが、「生きているからかなしいんだ」の一行とともに、深く心に刻み込まれた。この詞を書いたのが、当時無名の童話作家・放送作家だったやなせたかしという人であることも、はっきりと銘記した。なお、「アメンボ」は当初「ナメクジ」だったという。なるほどと思う。■ ハリセンボン 春菜が“北川景子”に、はるかは“深田恭子”に生まれ変わる
2013年10月22日
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権藤はなよたなばたさまささのはさらさらのきばにゆれるおほしさまきらきらきんぎんすなごごしきのたんざくわたしがかいたおほしさまきらきらそらからみてる補作詞:林柳波作曲:下総皖一昭和16年(1941)3月刊、文部省『うたのほん』註のきば(軒端):屋根の軒の端。ごしき(五色):緑・紅・黄・白・黒。陰陽五行思想に基づく。たんざく(短冊):和歌などを詠む際に使われた、装飾が施された縦長の分厚い紙片。七夕の短冊は、もともと学問・技芸の上達を祈るためのもの。きんぎんすなご(金銀砂子):蒔絵まきえや襖絵ふすまえなどで用いられる、金箔や銀箔を細かく粉状にしたもの。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2013年07月07日
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林古渓(はやし・こけい)浜辺の歌あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しのばるる風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色もゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しのばるる寄する波よ かえす波よ 月の色も 星の光かげも疾風はやちたちまち 波を吹き 赤裳あかものすそぞ ぬれひじし病やみしわれは すでに癒いえて 浜辺の真砂まさご まなごいまは作曲:成田為三大正7年10月、冊子「浜辺の歌」として出版、発表。〔大意〕1 朝、浜辺をさまようと、昔のことが偲ばれるなあ。2 夕べ、浜辺をぶらつくと、昔の人が偲ばれるなあ。3 疾風(はやて)が突然波を吹いて 赤い着物の裾がずぶ濡れになった。 病(やまい)を患っていた私もすでに癒えて 浜辺の真砂(のようにきらきら光る) 愛すべき子(愛子・まなご)になったのだなあ、今は。 註ワルツ(三拍子)のリズムに乗せた旋律がまことに流麗優美な不朽の名曲。「(昔のこと)ぞ・・・しのばるる」は係り結びで、強調、整調。「(赤裳のすそ)ぞ・・・ぬれひじし」も同様。「もとおる」:ぶらぶらする。ぶらつく。原歌詞は第3節まであったが、作詞者(著作権者)は第3節が趣きを失っているものとして削除を希望したため、昭和22年7月刊「中等音楽」で削除。以後、ほぼ全てのテキストで第2節までとなっている。第3節は、万葉調の上古語を用いているせいもあり難解・晦渋で、正直言って意味が今一つよく分からない。「不出来」という作者本人の評価は妥当とも思う。なお、平成14年(2006)7月16日付の読売新聞文化面の記事によると、この歌詞は、作曲者の成田為三氏(1893-1945)が、ラブレターの中で同窓の女性に捧げた恋歌が元になっているという。贈られた矢田部正子さん(1900-1989、旧姓・倉辻)は、「私には決まった人がいます。」と返信し、成田氏はあえなくフラれ、撃沈した。昔は、洋の東西を問わず名家の子女には親などが決めた許嫁(いいなずけ、フィアンセ)がいることが多かった。矢田部正子さんは、この事実を夫で声楽家の矢田部剄吉氏に最後まで話さなかったが、夫の死後、養子で声楽家の鈴木義弘さん(記事掲載当時70)に明かし、鈴木さんがコンサートで公にしたという。・・・ただし、この記事の逸話と、林古渓作詞とクレジットされていることの詳細な事情は不明。
2013年05月17日
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厳谷小波(いわや・さざなみ)ふじの山あたまを雲の上に出し四方しほうの山を見おろしてかみなりさまを下にきくふじは日本にっぽん一の山青空高くそびえたちからだに雪のきものきてかすみのすそを遠くひくふじは日本一の山作曲者不詳文部省唱歌明治43年(1910)『尋常小学読本唱歌 第二学年用』* 現・学習指導要領では第3学年用で、題名は『ふじ山』。 パブリック・ドメイン 富士山画像
2013年05月17日
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旧・新橋ステーション(東京・汐留)── 画像クリックで拡大大和田建樹(おおわだ・たけき)鉄道唱歌 東海道篇 下31 見よや徳川家康の おこりし土地の岡崎を 矢矧やはぎの橋に残れるは 藤吉郎のものがたり32 鳴海しぼりの産地なる 鳴海に近き大高を 下りておよそ一里半 ゆけば昔の桶狭間 33 めぐみ熱田の御みやしろは 三種の神器の一つなる その草薙の神つるぎ あおげや同胞四千万 34 名だかき金の鯱しゃちほこは 名古屋の城の光なり 地震のはなしまだ消えぬ 岐阜の鵜飼うかいも見てゆかん 35 父やしないし養老の 滝は今なお大垣を 三里へだてて流れたり 孝子の名誉ともろともに36 天下の旗は徳川に 帰せしいくさの関が原 草むす屍かばねいまもなお 吹くか胆吹いぶきの山おろし37 山はうしろに立ち去りて 前に来きたるは琵琶の海 ほとりに沿いし米原は 北陸道ほくろくどうの分岐線38 彦根に立てる井伊の城 草津にひさぐ姥うばが餅 かわる名所も名物も 旅の徒然とぜんのうさはらし39 いよいよ近く馴れくるは 近江の海の波のいろ その八景も居ながらに 見てゆく旅の楽しさよ40 瀬田の長橋横に見て ゆけば石山観世音 紫式部が筆のあと のこすはここよ月の夜に41 粟津の松にこととえば 答えがおなる風の声 朝日将軍義仲の ほろびし深田は何いずかたぞ42 比良の高嶺は雪ならで 花なす雲にかくれたり 矢走やばせにいそぐ舟の帆も みえてにぎおう波の上43 堅田におつる雁がねの たえまに響く三井みいの鐘 夕ぐれさむき唐崎の 松には雨のかかるらん44 むかしながらの山ざくら におうところや志賀の里 都のあとは知らねども 逢坂山はそのままに 45 大石良雄が山科の その隠家かくれがはあともなし 赤き鳥居の神さびて 立つは伏見の稲荷山 46 東寺の塔を左にて とまれば七条しちじょうステーション 京都々々と呼びたつる 駅夫のこえも勇ましや47 ここは桓武のみかどより 千有余年の都の地 今も雲井の空たかく あおぐ清涼紫宸殿せいりょうししんでん 48 東に立てる東山 西に聳そびゆる嵐山 かれとこれとの麓ゆく 水は加茂川桂川49 祇園清水きよみず知恩院 吉田黒谷くろだに真如堂 ながれも清き水上に 君がよまもる加茂の宮 50 夏は納涼すずみの四条橋 冬は雪見の銀閣寺 桜は春の嵯峨御室おむろ 紅葉もみじは秋の高雄山たかおやま51 琵琶湖を引きて通したる 疏水の工事は南禅寺 岩切り抜きて舟をやる 智識の進歩もみられたり52 神社仏閣山水の 外ほかに京都の物産は 西陣織の綾錦あやにしき 友禅染の花もみじ53 扇おしろい京都紅べに また加茂川の鷺さぎしらず みやげを提さげていざ立たん あとに名残は残れども54 山崎おりて淀川を わたる向うは男山 行幸ぎょうこうありし先帝の かしこきあとぞ忍ばるる55 淀の川舟さおさして くだりし旅はむかしにて またたくひまに今はゆく 煙たえせぬ陸くがの道56 おくり迎うる程もなく 茨木吹田すいたうちすぎて はや大阪につきにけり 梅田は我をむかえたり 57 三府の一いつに位くらいして 商業繁華の大阪市 豊太閤ほうたいこうのきずきたる 城に師団はおかれたり58 ここぞ昔の難波なにわの津 ここぞ高津こうづの宮のあと 安治川口に入る舟の 煙は日夜たえまなし59 鳥も翔かけらぬ大空に かすむ五重の塔の影 仏法最初の寺と聞く 四天王寺はあれかとよ60 大阪いでて右左 菜種ならざる畑はたもなし 神崎川かんざきがわのながれのみ 浅黄あさぎにゆくぞ美しき62 神崎よりはのりかえて ゆあみにのぼる有馬山 池田伊丹と名にききし 酒の産地もとおるなり63 神戸は五港の一つにて あつまる汽船のかずかずは 海の西より東より 瀬戸内がよいも交じりたり64 磯にはながめ晴れわたる 和田のみさきを控えつつ 山には絶えず布引ぬのびきの 滝見に人ものぼりゆく64 七度ななたびうまれて君が代を まもるといいし楠公なんこうの いしぶみ高き湊川みなとがわ ながれて世々の人ぞ知る65 おもえば夢か時のまに 五十三次はしりきて 神戸のやどに身をおくも 人に翼の汽車の恩66 明けなば更に乗りかえて 山陽道を進ままし 天気はあすも望のぞみあり 柳にかすむ月の影作曲:多梅稚(おおのうめわか)明治33年(1900)5月10日「地理教育 鐵道唱歌」として発表。* 原文は旧仮名づかい、旧字体。 ウィキメディア・コモンズ 新橋ステーション
2013年05月13日
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大和田建樹(おおわだ・たけき)鉄道唱歌 東海道篇 上1 汽笛一声いっせい新橋を はや我わが汽車は離れたり 愛宕あたごの山に入りのこる 月を旅路の友として 2 右は高輪たかなわ泉岳寺 四十七士の墓どころ 雪は消えても消えのこる 名は千載せんざいの後のちまでも 3 窓より近く品川の 台場も見えて波白く 海のあなたにうすがすむ 山は上総かずさか房州か 4 梅に名をえし大森を すぐれば早も川崎の 大師河原だいしがわらは程ちかし 急げや電気の道すぐに 5 鶴見神奈川あとにして ゆけば横浜ステーション 湊みなとを見れば百舟ももふねの 煙は空をこがすまで 6 横須賀ゆきは乗換と 呼ばれておるる大船の つぎは鎌倉鶴ヶ岡 源氏の古跡や尋ね見ん 7 八幡宮の石段に 立てる一木ひときの大鴨脚樹おおいちょう 別当公暁くぎょうのかくれしと 歴史にあるは此蔭このかげよ 8 ここに開きし頼朝が 幕府のあとは何いずかたぞ 松風さむく日は暮れて こたえぬ石碑は苔あおし 9 北は円覚建長寺 南は大仏星月夜ほしづきよ 片瀬腰越江の島も ただ半日の道ぞかし 10 汽車より逗子をながめつつ はや横須賀に着きにけり 見よやドックに集まりし わが軍艦の壮大を 11 支線をあとに立ちかえり わたる相模さがみの馬入川ばにゅうがわ 海水浴に名を得たる 大磯みえて波すずし12 国府津こうづおるれば馬車ありて 酒匂さかわ小田原とおからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より 13 いでてはくぐるトンネルの 前後は山北小山やまきたおやま駅 今もわすれぬ鉄橋の 下ゆく水のおもしろさ14 はるかにみえし富士の嶺ねは はや我そばに来きたりたり ゆきの冠 雲の帯 いつもけだかき姿にて 15 ここぞ御殿場夏ならば われも登山をこころみん 高さは一万数千尺すせんじゃく 十三州もただ一目 16 三島は近年ひらけたる 豆相ずそう線路のわかれみち 駅には此地このちの名をえたる 官幣大社の宮居みやいあり 17 沼津の海に聞えたる 里は牛伏我入道うしぶせがにゅうどう 春は花さく桃のころ 夏はすずしき海のそば18 鳥の羽音はおとにおどろきし 平家の話は昔にて 今は汽車ゆく富士川を 下るは身延の帰り舟19 世に名も高き興津鯛おきつだい 鐘の音ねひびく清見寺せいけんじ 清水につづく江尻より ゆけば程なき久能山20 三保の松原田子の浦 さかさにうつる富士の嶺を 波にながむる舟人は 夏も冬とや思うらん 21 駿州すんしゅう一の大都会 静岡いでて阿部川を わたればここぞ宇津うつの谷やの 山きりぬきし洞ほらの道22 鞘より抜けておのずから 草なぎはらいし御剣みつるぎの 御威みいつは千代に燃ゆる火の 焼津の原はここなれや23 春さく花の藤枝も すぎて島田の大井川 むかしは人を肩にのせ わたりし話も夢のあと24 いつしか又も暗やみとなる 世界は夜かトンネルか 小夜さよの中山夜泣石よなきいし 問えども知らぬよその空 25 掛川袋井中泉 いつしかあとに早なりて さかまき来る天竜の 川瀬の波に雪ぞちる 26 この水上みなかみにありと聞く 諏訪の湖水の冬げしき 雪と氷の懸橋かけはしを わたるは神か里人か 27 琴ひく風の浜松も 菜種に蝶の舞坂も うしろに走る愉快さを うたうか磯の波のこえ28 煙を水に横たえて わたる浜名の橋の上 たもと涼しく吹く風に 夏ものこらずなりにけり 29 右は入海いりうみしずかにて 空には富士の雪しろし 左は遠州洋えんしゅうなだ近く 山なす波ぞ砕けちる30 豊橋おりて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道 東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡がまごおり
2013年05月12日
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吉丸一昌(よしまる・かずまさ)早春賦そうしゅんふ春は名のみの 風の寒さや谷の鶯うぐひす 歌は思へど時にあらずと 声を立てず時にあらずと 声を立てず氷解け去り 葦は角つのぐむさては時ぞと 思ふあやにく今日もきのふも 雪の空今日もきのふも 雪の空春と聞かねば 知らでありしを聞けば急せかるる 胸の思ひをいかにせよとの この頃かいかにせよとの この頃か作曲:中田章「新作唱歌」(大正2年・1913刊)所収。註春が訪れたら「胸の思ひを」打ち明けようと思っているのだが、気後れしたり雪が降り続いたりして、なかなかその機会は訪れない。うかうかうじうじしているうちに春が来てしまったので、ああどうしようかと今さら気が急(せ)くばかりの今日この頃である。やきもきするほどじれったくて純情な、昔の人の古風な恋心。あるいは発表当時、すでに古めかしく感じられたのではないかと思われるほどの、和歌的・擬古的な文語体である。「胸の思ひをいかにせよと(胸の思いをどうしようかと)」などから見て、(男の方から求愛するのが普通だった)当時の社会通念からすると(今でもけっこうそうだろうが)、この詞の作中主体「わたし」は、曲の印象と異なって、若い男かもしれない。歌は思えど時にあらずと:(恋の)歌を歌おうかと思うが、まだその時ではないと。角(つの)ぐむ:(草木が)芽吹く。萌える。さては時ぞと:さあ、今こそその時だと。あやにく:あいにく、折り悪(あ)しく。春と聞かねば知らでありしを/聞けば急(せ)かるる胸の思いを/いかにせよとのこの頃か:春と聞かなければ知らないでいたのに、聞いてしまったら急かされるこの胸の思いを、いったいどうしようかと思い惑う今日この頃か。
2013年04月08日
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てふてふ野村秋足(のむら・あきたり)てふてふ てふてふ菜の葉にとまれ菜の葉に飽いたら 桜にとまれ桜の花の 栄ゆる御代にとまれよ あそべ あそべよ とまれ稲垣千頴(いながき・ちかい)おきよ おきよ ねぐらのすずめ朝日のひかりの さしこぬさきにねぐらをいでて こずゑにとまりあそべよ すずめ うたへよ すずめ註原曲はスペイン民謡。1番の歌詞は、明治7年、愛知県師範学校(現・名古屋大学教育学部)教諭だった野村秋足が、地元・尾張地方のわらべ歌を採譜して編曲。2番の歌詞は、明治14年11月刊「小学唱歌集」収録に際して、文部省音楽取調掛の稲垣千頴が作詞。昭和22年、文部省は1番の歌詞「栄ゆる御代に」を「花から花へ」に改訂するとともに、2番を削除した。元になった尾張地方のわらべ歌は、以下の通り。蝶々とまれ菜の葉にとまれ 菜の葉がいやならこの葉にとまれ
2013年04月08日
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さくらさくらさくらさくら やよひの空は 見わたす限り かすみか雲か にほひぞ出づる いざや いざや 見にゆかん (江戸古謡)さくらさくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににほふ さくら さくら 花ざかり(文部省 昭和16年改訂)作詞・作曲者不詳 * 幕末頃より琴の練習曲として用いられていた俗謡を採譜したものという。文部省音楽取調掛「筝曲集」(明治21年・1888刊)所収。註やよひ:桜が咲くのは、旧暦では如月(きさらぎ、二月)から弥生(やよい、三月)頃という認識だったろう。
2013年03月31日
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武島羽衣(たけしま・はごろも)花春のうららの隅田川のぼりくだりの舟人が 櫂かひの雫も花と散る 眺めを何に喩ふべき見ずやあけぼの露浴びてわれにもの言ふ桜木を 見ずや夕暮 手を伸べて われさし招く 青柳を錦織りなす長堤ちやうていに暮るればのぼる朧月おぼろづき げに一刻も 千金の 眺めを何にたとふべき作曲:滝廉太郎組曲「四季」として、明治33年(1900)発表註舟人が:舟人の。見ずや:見ないか。見ようよ。ご覧よ。「見ず」と「水」の掛詞(かけことば)の意図もあるのだろう。われにもの言ふ:私に語り掛ける。げに一刻も千金の:本当に一瞬一瞬がプレシャス・タイムの。値千金(あたいせんきん)の。
2013年03月31日
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雪雪やこんこ 霰あられやこんこ 降っては降ってはずんずん積もる山も野原も綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ 霰やこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ犬は喜び庭駈かけまわり 猫は火燵で丸くなる文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」* 原文は旧かなづかい。
2013年02月02日
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きよしこの夜清し この夜 星は光り救ひの御子みこは 馬槽まぶねの中に眠りたまふ いと安く清しこの夜 御告みつげ受けし牧人まきびとたちは 御子みこの御前みまへにぬかずきぬ かしこみて清しこの夜 御子の笑ゑみに恵みの御代の 朝あしたの光輝けり ほがらかに讃美歌 109番Silent NightSilent night, holy nightAll is calm, all is brightRound yon Virgin Mother and ChildHoly Infant so tender and mildSleep in heavenly peaceSleep in heavenly peace静かなる夜 聖なる夜すべては鎮まり すべてが眩まばゆくその処女をとめなる母と子を包み込んでいとも優しく和やかに聖なる幼子は天上の平安に眠りたまふ天上の平安に眠りたまふ。Silent night, holy night!Shepherds quake at the sightGlories stream from heaven afarHeavenly hosts sing Alleluia!Christ, the Saviour is bornChrist, the Saviour is born静かなる夜 聖なる夜牧人まきびとたちはその光景にうち震へる。栄光が遥かなる天上より流れ来て天使たちが賛美のアレルヤを歌ふ。救ひ主キリストは生まれたまふ救ひ主キリストは生まれたまふ。Silent night, holy nightSon of God, love's pure lightRadiant beams from Thy holy faceWith the dawn of redeeming graceJesus, Lord, at Thy birthJesus, Lord, at Thy birth静かなる夜 聖なる夜神の子の愛の澄める光聖なる御顔から輻射する贖あがなはるる恩寵めぐみの夜明けの光芒よ主イエスは誕生したまへり主イエスは誕生したまへり。(拙訳)
2012年12月24日
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一の谷合戦図屏風 作者未詳 土佐派平 敦盛たいらのあつもり(左)と熊谷直実くまがいなおざね (画像クリックで拡大)大和田建樹(おおわだ・たけき)青葉の笛一の谷の 軍いくさ破れ討たれし平家の 公達きんだちあわれ暁あかつき寒き 須磨の嵐に聞えしはこれか 青葉の笛更くる夜半よわに 門かどを敲たたきわが師に託せし 言の葉あわれ今わの際きわまで 持ちし箙えびらに残れるは「花や 今宵」の歌明治39年(1906)7月刊「尋常小学唱歌・第四学年用」 作曲:田村虎蔵(初めは「敦盛と忠度」の題名)註一の谷の軍いくさ : 1184年旧暦二月(新暦3月)に摂津国福原(現・神戸市兵庫区、中央区付近)および須磨(同須磨区)で行われた源平合戦の一つ。 源氏・鎌倉方が圧勝し、平氏方は壊滅的惨敗。 『平家物語』『源平盛衰記』などに多数の逸話。 ○ 一ノ谷の戦い(平氏敗走)わが師に託せし言の葉:いくさの前夜、平忠度たいらのただのりは、和歌(言の葉)の師・藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい・としなり)に詠草を託して戦地に赴いたという。箙えびら:矢を入れて右腰につける武具。「花や 今宵」の歌 : 平忠度辞世 「行き暮れて木のしたかげを宿とせば花や今宵のあるじならまし」(旅を行くうちに日が暮れて、桜の木蔭を一夜の宿とするならば、花が私をもてなしてくれる今宵の主人なのだろうなあ)。 パブリック・ドメイン 『一の谷合戦図屏風』
2012年12月18日
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土井晩翠(つちい・ばんすい)荒城の月春高楼の花の宴めぐる盃さかづき影さして千代の松が枝え分け出でしむかしの光今いづこ秋陣営の霜の色鳴きゆく雁かりの数見せて植うる剣つるぎに照り沿ひし昔の光今いづこ今荒城の夜半よはの月変はらぬ光誰たがためぞ垣に残るはただ葛かづら松に歌ふはただ嵐天上影は変はらねど栄枯は移る世の姿写さんとてか今もなほ嗚呼荒城の夜半の月春の城の花のうたげのめぐらせる杯に光が射して永遠の松の枝から別れ出た昔の輝きは今どこに行ったのだろう。秋の城の霜の色鳴いて飛んでゆく雁の数を見せておびただしく地に突き刺した剣に照り沿えた昔の光は今どこに行ったのだろう。今 荒れた城にかかる深更の月変わらない光は誰のためにあるのだろう。生垣に残っているのは ただ葛だけ松の木に歌うのは ただ嵐の声だけ天上の光は変わらないのに栄枯盛衰の世の姿その姿を照らし出そうとしているのかああ 荒れ果てた城の夜半の月「中学唱歌」(明治34年3月刊)所収作曲:滝廉太郎
2012年12月12日
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青木存義(あおき・ながよし) どんぐりころころどんぐりころころ ドンブリコお池にはまって さあ大変どじょうが出てきて こんにちは坊ちゃん一緒に 遊びましょうどんぐりころころ よろこんでしばらく一緒に 遊んだがやっぱりお山が 恋しいと泣いてはどじょうを 困らせた作曲:梁田貞大正10年(1921)「かはいい唱歌」[旧仮名遣い・原文]団栗どんぐりころころ どんぶりこお池にはまつて さァ大変泥鰌どぢやうが出て来て 「今日は!坊ちやん一緒に 遊びませう」団栗ころころ 喜んで暫しばらく一緒に 遊んだがやつぱり小山が 恋しいと泣いては泥鰌を 困らせた* 「どじょう」の語源は、推定上代語「泥つ魚(うを、または、いを)」(泥の魚)の転訛とされ、歴史的仮名遣いは「どぢやう」(大槻文彦説)。なお、「どぜう」は江戸期の誤用だが、現在も続く江戸・浅草の名店「駒形どぜう」が有名になったため、この表記が広まった。
2012年12月10日
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野口雨情(のぐち・うじょう) しゃぼん玉しゃぼん玉 とんだ 屋根までとんだ屋根まで とんで こわれて消えたしゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えたうまれて すぐに こわれて消えた風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ作曲:中山晋平雑誌「金の塔」大正11年(1922)11月号註昔も今も女の子を怯えさせている不吉ともいえる歌詞は、生まれてすぐに亡くした長女に作詞者が捧げた魂鎮(たましず)め(鎮魂)の念が反映しているという説が有力。そう見ると、「玉」と「魂(たま)」の同音異義語にも意味があるのかも知れない。が、この説に確証といえるほどのものはない。戦前には、当時日本の農村に存在した悪しき習俗「間引き」を詠ったものであるとする解釈もささやかれたといわれる。詩的表現が時に孕む、心胆を寒からしめる凄みを示すエピソードと言えるかも知れない。
2012年12月10日
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