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蛍の光蛍の光 窓の雪書ふみ読む月日 重ねつついつしか年も すぎの戸をあけてぞけさは 別れ行く留とまるも行くも 限りとて形見に思ふ 千万ちよろづの心の端を ひと言に幸さきくとばかり 歌ふなり筑紫つくしのきはみ 陸奥みちのおく海山遠く 隔へだつともその真心は 隔てなくひとつに尽くせ 国のため千島の奥も 沖縄も八嶋やしまのうちの 護まもりなり至らん国に 勲いさをしく努めよわが背 つつがなく作詞:稲垣千頴ちかい原曲:「久しき昔 Auld Lang Syne」(イギリス・スコットランド地方民謡)明治14年(1881)11月24日刊「小学唱歌集」(第一学年用)註いつしか年もすぎの戸をあけてぞ:「年も過ぎ」「杉の戸を開け」「年も明け」と、遊び心あふれる三重の掛詞(かけことば)になっている。古今和歌集などで多用されている類の和歌風の技巧。わが背:父、兄、夫など、近しい男性をいう古語。*「NHK紅白歌合戦」エンディング・テーマソング
December 31, 2011
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里見義(さとみ・ただし)埴生の宿埴生はにふの宿も 我が宿玉の装よそひ 羨うらやまじ長閑のどかなりや 春の空花はあるじ 鳥は友おゝ わが宿よ たのしとも たのもしや書ふみよむ窓も 我が窓瑠璃るりの床も 羨まじきよらなりや 秋の夜半よは月はあるじ むしは友おゝ わが窓よ たのしとも たのもしや明治22年(1889)12月「中等唱歌集」所収粗末な土間の家も わが家。美しい宮殿の装飾を 私は羨(うらや)まない。のどかだなあ 春の空花は主 鳥は友おお わが家よ 楽しくも頼もしいなあ。蛍の光で本を読むような窓も わが窓。豪奢なラピスラズリの床も ちっとも羨ましくない。清らかだなあ 秋の夜半(よわ)月は主人公 虫は友達おお わが窓よ 楽しくも頼もしいなあ。原曲「マイ・スイート・ホーム(楽しき我が家)」作詞:ジョン・ハワード・ペイン作曲:ヘンリー・ローリー・ビショップオペラ「ミラノの乙女 Clari, Maid of Milan」劇中歌(1823)'Mid pleasures and palaces,Tho' we may roam;Be it ever so humble,There's no place like home;享楽と宮殿の中を僕らは歩き回ったとしてもこんなにみすぼらしくてもわが家にまさるところなし。A charm from the skiesSeems to follow us there,Which, seek through the worldIs ne'er met with elsewhere.天空から来た魅力が僕らをここに連れてくるみたいだ。世界中を探し回ってもほかのどこにもこんなところは決してないさ。Home! Home! Sweet home!There's no place like home!Oh! there is no place like home! わが家、わが家、甘く懐かしいわが家よ、わが家にまさる所なし。わが家にまさる所なし。
December 22, 2011
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巽聖歌(たつみ・せいか)たきびかきねの かきねのまがりかどたきびだ たきびだおちばたき「あたらうか」「あたらうよ」きたかぜ ぴいぷうふいてゐるさざんか さざんかさいたみちたきびだ たきびだおちばたき「あたらうか」「あたらうよ」しもやけ おててがもう かゆいこがらし こがらしさむいみちたきびだ たきびだおちばたき「あたらうか」「あたらうよ」さうだんしながらあるいてく作曲:渡辺茂日本放送協会(NHK)子供テキスト(昭和16年・1941) 山茶花
December 6, 2011
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高野辰之 故郷兎追ひしかの山小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷ふるさと如何いかにいます父母恙つつがなしや友垣 雨に風につけても 思ひいづる故郷志を果たしていつの日にか帰らん 山はあをき故郷 水は清き故郷作曲:岡野貞一文部省唱歌「尋常小学唱歌・第六学年用」大正3年(1914)6月刊* 原文旧仮名遣いのまま。
October 5, 2011
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野口雨情(のぐち・うじょう)証城寺の狸囃子証 証 証城寺証城寺の庭はツ ツ 月夜だ皆出て来い来い来い己等おいらの友達ア ぽんぽこぽんのぽん負けるな 負けるな和尚さんに負けるな来い 来い 来い 来い 来い 来皆出て 来い来い来い証 証 証城寺証城寺の萩はツ ツ 月夜に花盛り己等は浮かれて ぽんぽこぽんのぽん作曲:中山晋平「金の星」大正13年(1924)12月号。上記初出の翌年1月に、作曲者の中山晋平が「証 証」「ツ ツ」「来い 来い」の繰り返しの部分を、外遊中だった作詞者・野口雨情に無断で増補改作して発表。帰国した野口は、笑って事後承諾したという。千葉・木更津市「證誠寺(しょうじょうじ)」ウェブサイト萩の花
September 12, 2011
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虫のこゑあれ松虫が鳴いてゐる ちんちろちんちろ ちんちろりんあれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりんあきの夜長を鳴き通す あゝ おもしろい虫のこゑきりきりきりきり きりぎりす がちやがちやがちやがちや くつわ虫あとから馬おひ おひついて すいすいすいすい すいつちよん秋の夜長を鳴き通す あゝ おもしろい虫のこゑ文部省唱歌「尋常小学読本唱歌 第三学年用」明治43年(1910)7月刊註きりぎりす:コオロギの古名。この歌詞でもコオロギのこと。昭和7年(1932)の「新訂尋常小学唱歌」で、「きりぎりす」が「こほろぎや」に改められた。平成10年(1998)告知の「小学校学習指導要領」で、第2学年の歌唱共通教材とされた。* 古語と現代語での昆虫の名称の異同については、こちらをご照覧下さい。* 原文旧仮名遣いのままとした。
September 5, 2011
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青木存義(あおき・ながよし)どんぐりころころ団栗どんぐりころころ どんぶりこお池にはまつて さァ大変泥鰌どぢやうが出て来て 「今日は!坊ちやん一緒に 遊びませう」団栗ころころ 喜んで暫しばらく一緒に 遊んだがやつぱりお山が 恋しいと泣いては泥鰌を 困らせた作曲:梁田貞大正10年(1921)「かはいい唱歌」註泥鰌どぢやう:「どじょう」の語源は、上古語「泥つ魚」の転訛とされ、歴史的仮名遣いは「どぢやう」。なお、「どぜう」は江戸期の誤用だが、江戸・浅草の名店「駒形どぜう」が有名になったため、この表記が広まった。
September 1, 2011
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女さをとめが裳裾もすそ濡らして玉苗たまなへ植うる 夏は来ぬ橘たちばなの香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植ゑわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年(1896)5月刊「新編教育唱歌集」所収註忍音しのびね:ウグイスの初音(はつね)。その年の初めての鳴き声。さみだれ:五月雨。旧暦五月(ほぼ現在の6月)頃に降る長雨。梅雨の長雨。「さ」はさつき(五月)、「みだれ」は雨が降る「みだれ(水垂)」という語源説がある。蛍飛び交ひ 怠り諌いさむる:「蛍の光、窓の雪」の故事にちなんで、怠け心をいさめる。楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。さつきやみ:五月闇。旧暦五月の闇。梅雨どきの闇。照明の少ない時代の月のない夕方以降は、本当に暗く感じられたろうと思われる。
July 3, 2011
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かたつむりでんでん蟲々むしむしかたつむり お前のあたまはどこにある 角だせ槍だせ あたまだせでんでん蟲々かたつむり お前のめだまはどこにある 角だせ槍だせ めだま出せ明治44年(1911)「尋常小学唱歌 第一学年用」文部省唱歌
July 3, 2011
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雪雪やこんこ霰やこんこ 降っては降ってはずんずん積る山も野原も綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ霰やこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ犬は喜び庭駈けまわり 猫は火燵で丸くなる文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」
February 22, 2011
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高野辰之(たかの・たつゆき)紅葉秋の夕日に照る山紅葉もみぢ濃いも薄いも数ある中に松をいろどる楓かへでや蔦つたは山のふもとの裾模様すそもやう 渓たにの流ながれに散り浮く紅葉波にゆられて離れて寄つて赤や黄色の色様々に水の上にも織る錦作曲:岡野貞一文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第2学年用」* 現在は4年生で習うようである。栃木・日光自然博物館 紅葉リアルタイム実況
October 19, 2010
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村祭村の鎮守の 神様の今日はめでたい 御祭日おまつりび ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる 笛太鼓年も豊年 満作で村は総出の 大祭おほまつり ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 夜まで賑にぎはふ 宮の森治おさまる御代に 神様のめぐみ仰ぐや 村祭 * ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ 聞いても心が 勇み立つ文部省唱歌「尋常小学唱歌 第三学年用」明治45年(1912)3月刊* 昭和17年(1942)、初等教育の言文一致化(口語化)方針の一環として、3番の歌詞2行を下記の通りに改訂。現在も踏襲されている。「稔みのりの秋に 神様の めぐみたたへる 村祭」(旧歌詞では「仰ぐや」が文語体。)
October 10, 2010
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野口雨情(のぐち・うじょう)七つの子烏 なぜ啼なくの烏は山に可愛七つの子があるからよ可愛 可愛と烏は啼くの可愛 可愛と啼くんだよ山の古巣にいつて見て御覧丸い眼をしたいい子だよ作曲:本居長世「金の船」大正10年(1921)7月号註誰もが知る、日本童謡の傑作。童謡だから、子供が歌うのは当然似つかわしく微笑ましいが、一流の歌手が歌った場合、余韻嫋々たる情感溢るる堂々の名曲と感じられることがしばしばある。個人的には、大御所演歌歌手・田端義夫さん(現在、91歳にしてご健在だという)の若き日の名唱が驚くほど心に沁み、今なお忘れがたい。ところで、歌詞の「七つの子」が「七歳の子」の意味なのか、はたまた「七羽の子」なのかは、諸説紛々、侃々諤々(かんかんがくがく)、喧々囂々(けんけんごうごう)である。僕はかねて、作詞者・野口雨情自身が、「七羽の子の意味である」と言明したという情報もあったように記憶しており、かつては「七羽の子」説がほぼ定説だったと思っていた。その場合、「たくさんの子」ぐらいの意味であろう。が、最近の言説では(ネット上で調べた限り)「七歳」説が有力になっているようで、いささか驚いているところである。それによると、この歌詞は雨情のご子息が7歳の頃に作詞され、「七つの子」とはその隠喩であるという。この説は、そのまた娘、すなわち雨情の孫娘に当たる方が主張されているという。・・・う~む、そうなのかな~?僕としては、やや疑問符の点滅が消えないが。ともあれ、「しゃぼん玉」の恐るべき2番の歌詞(失った乳児を詠んだともいう)や、「赤い靴」の“横浜・児童国外拉致事件”のような歌詞など、ミステリアスで謎めいた、時に怖い歌詞が津々たる興味を誘ってやまない野口雨情ワールドである。
October 2, 2010
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中村雨紅(なかむら・うこう)夕焼小焼夕焼小焼で 日が暮れて山のお寺の 鐘が鳴るお手々つないで 皆かへろ烏と一緒に 帰りませう子供が帰つた 後からは円い大きな お月さま小鳥が夢を 見る頃は空にはきらきら 金の星作曲:草川信「あたらしい童謡」大正12年(1923)7月刊
September 30, 2010
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三木露風(みき・ろふう)赤蜻蛉あかとんぼ夕焼小焼のあかとんぼ負はれて見たのはいつの日か山の畑の桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか十五で姐ねえやは嫁に行きお里のたよりも絶えはてた夕やけ小やけの赤とんぼとまつてゐるよ竿の先作曲:山田耕作「樫の実」大正10年(1921)8月号註桑の実:クワ(クワ科)の果実。英名 マルベリー mulberry。甘酸っぱくて美味。「桑実(そうじつ)」は、粒が集まった形態を示す言葉として、生物学など自然科学でよく用いられる。なお、俗にコクワ(小桑)の実と呼ばれるものは、マタタビ科のサルナシ(猿梨)。キウイフルーツの近縁種で、小さいが美味。他のマタタビ科植物と同様、ネコ科動物への催淫性がある。
September 28, 2010
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高野辰之 故郷兎追ひしかの山小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷ふるさと如何いかにいます父母恙つつがなしや友垣 雨に風につけても 思ひいづる故郷志を果たしていつの日にか帰らん 山はあをき故郷 水は清き故郷作曲:岡野貞一文部省唱歌「尋常小学唱歌・第六学年用」大正3年(1914)6月刊* 原文旧仮名遣いのまま。
September 13, 2010
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斎藤信夫 里の秋静かな静かな 里の秋お背戸に木の実の 落ちる夜はああ 母さんとただ二人栗の実 煮てます いろりばた明るい明るい 星の空鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜はああ 父さんのあの笑顔栗の実 食べては 思い出すさよならさよなら 椰子の島お舟にゆられて 帰られるああ 父さんよ御無事でと今夜も 母さんと 祈ります作曲:海沼実註背戸(せど):家の裏口、裏手。背戸口。昭和20年(1945)12月24日、東京放送局(JOAK、現NHK)のラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」で、少女歌手・川田正子の歌唱で放送・発表。童謡史上空前の大反響を巻き起こしたという。まだ、テレビも民間放送局(民放)もなかった頃である。後に、テレサ・テンの歌による中国語バージョン(「又見炊烟」)もあった。これもまた胸に沁みいる名曲であった(・・・ただし、歌詞は原曲と全く無関係の恋愛の歌)。【発表時に削除された、3番・4番の歌詞の原型】(元のタイトルは「星月夜」)きれいなきれいな 椰子の島しっかり護って 下さいとああ 父さんのご武運を今夜も 一人で 祈ります大きく大きく なったなら兵隊さんだよ うれしいなねえ 母さんよ僕だって必ず お国を 護りますこのように、戦後の混乱の中で急遽行われた童謡の歌詞の改訂・削除は、いずれ劣らぬ名曲の「汽車ぽっぽ(兵隊さんの汽車)」や「ちょうちょ」の軍国主義的・国威発揚的な部分、「我は海の子」の海軍応援歌(?)のような部分など少なからぬ例があり、その多くは、当時の日本放送協会(NHK)の自主規制的な判断で行なわれた。
September 13, 2010
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江間章子(えま・しょうこ)夏の思い出夏がくれば 思い出すはるかな尾瀬 遠い空作曲:中田喜直昭和24年(1949)、NHK「ラジオ歌謡」(「みんなのうた」の前身番組)で放送・発表(歌唱:石井好子)。* 著作権保護期間中につき、全文引用は出来ませんので、こちらなどをごらん下さい。
July 22, 2010
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)アメフリ雨 雨 降れ 降れ母さんが蛇の目でお迎ひ嬉しいなピッチピッチ チヤップチヤップランランラン かけましよかばんを母さんの後からゆこゆこ鐘が鳴るピッチピッチ チヤップチヤップランランラン あらあらあの子はずぶ濡れだ柳の根かたで泣いてゐるピッチピッチ チヤップチヤップランランラン 母さん僕のを貸しましよかきみきみこの傘さしたまへピッチピッチ チヤップチヤップランランラン 僕ならいゝんだ母さんの大きな蛇の目に入つてくピッチピッチ チヤップチヤップランランラン 作曲:中山晋平「コドモノクニ」大正14年(1925)11月号原文表記は、全文カタカナ。註蛇の目:蛇の目傘。当時主流だった和風の傘。(お)迎ひ:普通は、動詞「迎ふ(迎う)」の連用形「迎へ(迎え)」が正しいと思うが、当時の東京弁(方言)でもあろうか(白秋自身は九州生まれ)。
June 19, 2010
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佐佐木信綱(ささき・のぶつな)夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女さをとめが裳裾もすそ濡らして玉苗たまなへ植うる 夏は来ぬ橘たちばなの香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植ゑわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年(1896)5月刊「新編教育唱歌集」所収註「夏」と言っても、歌詞をよく読むと、梅雨に入ったかどうかぐらいの初夏(6月初め頃)の歌なので、今ご紹介するのは、まあまあのタイミングといえるだろうかさすがに明治の大歌人・佐佐木氏の作詞だけあって、最後の「夏は来ぬ」の一句を除けば、それぞれがほぼ独立した万葉・古今・新古今調の和歌として読める形になっている。語句の洗練も見事である。忍音しのびね:ウグイスの初音(はつね)。その年の初めての鳴き声。蛍飛び交ひ 怠り諌いさむる:「蛍の光、窓の雪」の故事にちなんで、怠け心をいさめる。楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。さつきやみ:五月闇。旧暦五月(ほぼ現在の6月)の闇。梅雨の闇。照明の少ない時代の夕方以降は本当に暗かったろう。
June 18, 2010
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八重紅梅高野辰之(たかの・たつゆき)春が来た 春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た花がさく 花がさく どこにさく 山にさく 里にさく 野にもさく鳥がなく 鳥がなく どこでなく 山でなく 里でなく 野でもなく 作曲:岡野貞一文部省唱歌明治43年(1910)7月刊「尋常小学読本唱歌」所収。白木蓮日本唱歌集
March 11, 2010
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吉丸一昌(よしまる・かずまさ)早春賦そうしゅんふ春は名のみの 風の寒さや谷の鶯うぐひす 歌は思へど時にあらずと 声を立てず時にあらずと 声を立てず氷解け去り 葦は角つのぐむさては時ぞと 思ふあやにく今日もきのふも 雪の空今日もきのふも 雪の空春と聞かねば 知らでありしを聞けば急せかるる 胸の思ひをいかにせよとの この頃かいかにせよとの この頃か作曲:中田章「新作唱歌」(大正2年・1913刊)所収。註春が訪れたら「胸の思い」を打ち明けようと思っているのだが、気後れしたり雪が降り続いたりして、なかなかその機会は訪れない。うかうかうじうじしているうちに春が来てしまったので、ああどうしようかと今さら気が急(せ)くばかりの今日この頃である。今日の目から見れば、やきもきするほどじれったくて純情な、昔の人の古風な恋心である。この歌詞の、自分の中だけで煮詰まっているシチュエーションは、見ようによってはユーモラスですらあるが、こういった乙女チックな心の揺れ動きは、一見奔放な現代の少年少女にも十分あり得ることかも知れない。誰もが身に覚えがある、思春期のほろ苦い感傷を含んでいることは確かだろう。そこがリアルであり、共感をもたらしてやまないところである。発表当時、すでに古めかしく感じられたのではないかと思われるほどの、擬古的な文語体が美しい。歌は思えど時にあらずと:(恋の)歌を歌おうかと思うが、まだその時ではないと。角(つの)ぐむ:(草木が)芽吹く。萌える。さては時ぞと:さあ、今こそその時だと。あやにく:あいにく、折り悪(あ)しく。春と聞かねば知らでありしを/聞けば急(せ)かるる胸の思いを/いかにせよとのこの頃か:春と聞かなければ知らないでいたのに、聞いてしまったら急かされるこの胸の思いを、いったいどうしようかと思い惑う今日この頃なのか。
February 24, 2010
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカペチカ燃えろよ お話しましょむかしむかしよ 燃えろよ ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカペチカ燃えろよ おもては寒い栗や栗やと呼びます ペチカ雪の降る夜は たのしいペチカペチカ燃えろよ じき春来ますいまに揚やなぎも萌えましょ ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカペチカ燃えろよ 誰だか来ますお客様でしょうれしい ペチカ雪のふる夜は たのしいペチカペチカ燃えろよ お話しましょ火の粉ぱちぱちはねろよ ペチカ作曲:山田耕筰大正12年(1923)12月作曲。大正14年(1925)5月刊「子供の村」初出。註ペチカ:ロシア式暖炉。作詞者自身は、原語のロシア語の発音に従い、「ペチカー」ではなく「ペーチカ」と歌うことを望んでおり、今日でも公の歌唱ではそうなっているという。栗や栗やと呼びますペチカ:「栗よ、おいで」と(ペチカが)呼ぶ。擬人化されたペチカが主語。いまに揚やなぎも萌えましょペチカ:「(春に柳の新芽が)萌える」と「(ペチカが)燃える」が掛かっている。いかにも歌人として出発した白秋らしい、和歌的な修辞。
January 24, 2010
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雪雪やこんこ霰やこんこ 降っては降ってはずんずん積る山も野原も綿帽子かぶり 枯木残らず花が咲く雪やこんこ霰やこんこ 降っても降ってもまだ降りやまぬ犬は喜び庭駈けまわり 猫は火燵で丸くなる作詞作曲者不詳文部省唱歌明治44年(1911)6月刊「尋常小学唱歌 第二学年用」註こんこ:擬音語(オノマトペア)ではなく、「来む来む」の転訛であると解されている(国語学者・大野晋氏説)。「む」は推量の助動詞だが、婉曲な命令のニュアンスもある。「雪よ、来い来い」という意味か。作詞者は、天才的童謡作詞家高野辰之であるとまでは断定できないが、当時の文部官僚であることはほぼ確かであり、少なくとも高野が深く関与したことは疑いない。「こんこ」は、いかにも聞き慣れない言葉だが、高野の郷里・長野の方言でもあろうか。犬として雪を喜び猫として炬燵で丸くなる熊である(拙作 ──「短歌人」2008年4月号掲載作品)
January 23, 2010
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北原白秋(きたはら・はくしゅう)揺籃ゆりかごのうたゆりかごの うたをカナリヤが 歌うよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよゆりかごの うえにびわの実が ゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよゆりかごの つなを木ねずみが ゆするよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよゆりかごの 夢に黄色い月が かかるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ雑誌「小学女生」(大正10年・1921)作曲:草川信註カナリヤ、枇杷の実、木ねずみ(リス)、黄色い月、いずれも黄色っぽいものでイメージが統一されているように思われる。皇后さま、難病の子に「揺籃のうた」披露──カナダ「小児病院」訪問【中日新聞7月10日付朝刊】 【トロント=森川清志】カナダをご訪問中の天皇、皇后両陛下は9日午前(日本時間9日深夜)、医療施設「小児病院(シックキッズ)」を訪問された。皇后さまは、難病の子どもがいる同病院の読書室で、北原白秋作詞、草川信作曲の子守歌「揺籃(ゆりかご)のうた」を歌われた。皇后さまが公の場で歌を披露するのは珍しい。 皇后さまは約10人の子どもがいた読書室で、天皇陛下とソファに座り、英語で「会えてとてもうれしい。私が子育てをしていた時の子守歌を披露します」と話した。 優しい表情で1、2、4番を歌い「Sleep well tonight(今夜はぐっすり眠ってください)」と笑いかけた。両陛下は子どもたちと懇談。子どもの一人は「よく眠れそうです」と話していた。 両陛下は、ピエロに扮(ふん)したセラピストが手品やゲームで子どもを和ませるプログラムも見学。天皇陛下はピエロに「何年やってるんですか」と話しかけていた。 同病院は18歳以下の子どもを対象に、最高水準の医療を提供する専門病院。理事長は日系人弁護士のコニー・スギヤマさんで、日本人医師も働く。心理カウンセリングにも力を入れている。
July 11, 2009
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チューリップさいた さいた チューリップのはながならんだ ならんだ あか しろ きいろどのはな みても きれいだな作詞:教育音楽協会作曲:井上武士昭和7年(1932)刊「エホンシヤウカ(絵本唱歌)・ナツノマキ」所収* 原文は全てカタカナ。近所で、けさ写す。
April 16, 2009
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仰げば尊し仰げば尊し わが師の恩教の庭にも はや幾年いくとせ思へばいと疾とし この歳月としつき今こそ別れめ いざさらば互に睦むつみし 日ごろの恩別るるのちにも やよ 忘るな身を立て 名を揚げ やよ 励めよ今こそ別れめ いざさらば朝夕慣れにし 学びの窓蛍のともし火 積む白雪忘るる間ぞなき 行く歳月今こそ別れめ いざさらば作詞作曲:文部省音楽取調掛明治17年(1884)3月刊「小学唱歌集」所載註作詞作曲者は正確には不詳だが、当時新設されたばかりの文部省音楽取調掛(その後政府から独立して東京音楽学校、現・東京芸術大学音楽学部)関係者だった柴田清熙(きよてる)、稲垣千頴(ちかい)、加部厳夫(いずお)、里見義(ただし)などのうちのいずれか、または何人かの共作と思われる。作詞には、日本初の近代的国語辞典「言海」「大言海」の著者で国語学者の大槻文彦が関与したとの説もある。言海(げんかい、「ことばのうみ」とも読む):国語辞典。多くの文学者・文人墨客たちに愛され続けている掛け値なしの名著。短歌を詠んでいた祖父母も、この辞書をボロボロになるまで愛用していました。僕も愛用者、というより「愛読者」の末席を汚しています。(・・・ただし、全文カタカナ・旧かなづかひ、語の配列も旧かなづかひ準拠で、ハードルは相当高いです、念のため。)いと疾とし:とても速い。「愛(いと)し」とは無関係「今こそ別れめ」:今こそ別れよう。「今別れむ」の強調表現の係り結び。「こそ」に対応して、勧誘の意味の助動詞「む」が已然形「め」に活用する。もちろん、「分かれ目」ではない。やよ:古語の呼びかけの感動詞。なあ。ねえ。おい。用例「思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きか悩まむ(思っているという心の程は、ねえ、どんなでしょう。まだ会ってもいない人が噂で悩むかしら?)」(紫式部「源氏物語・明石」)1番の歌詞「幾年いくとせ」「いと疾とし」「歳月としつき」などには、和歌的な音の響き合いの言葉遊び感覚がありありと感じられる。
March 10, 2009
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たきび 巽聖歌(たつみ・せいか)かきねの かきねのまがりかどたきびだ たきびだおちばたき「あたろうか」「あたろうよ」きたかぜ ぴいぷうふいているさざんか さざんかさいたみちたきびだ たきびだおちばたき「あたろうか」「あたろうよ」しもやけ おててがもう かゆいこがらし こがらしさむいみちたきびだ たきびだおちばたき「あたろうか」「あたろうよ」そうだんしながらあるいてく作曲:渡辺茂日本放送協会(JOAK、現NHK)子供テキスト(昭和16年12月刊) 山茶花
February 23, 2009
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巌谷小波(いわや・さざなみ) 一寸法師指に足りない 一寸法師小さい体に 大きなのぞみお椀の舟に 箸の櫂 京へはるばる 上りゆく京は三条の 大臣どのにかかえられたる 一寸法師法師 法師と お気に入り 姫のお供で 清水へさても帰りの 清水坂に鬼が一匹 あらわれいでてくってかかれば その口へ 法師たちまち 躍りこむ針の太刀をば 逆手に持ってちくりちくりと 腹中つけば鬼は法師を 吐き出して 一生懸命 逃げて行く鬼が忘れた 打出の小槌打てばふしぎや 一寸法師ひと打ちごとに 背がのびて 今はりっぱな 大男作曲:田村虎蔵「尋常小学唱歌 第一学年」明治38年(1905)10月刊* 原文は全文カタカナ(漢字無し)・旧かなづかいで、非常に読みにくいと思われるので、現在一般的な漢字かなまじり・現代かなづかい表記に適宜改めた。
October 1, 2008
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浦島太郎昔々浦島は 助けた亀に連れられて竜宮城へ来て見れば 絵にもかけない美しさ 乙姫様の御馳走に 鯛や比目魚ひらめの舞踊まいおどりただ珍しく面白く 月日のたつのも夢の中うち遊びにあきて気がついて お暇乞いとまごいもそこそこに帰る途中の楽たのしみは 土産に貰った玉手箱 帰って見ればこは如何いかに 元居た家も村も無く路に行きあう人々は 顔も知らない者ばかり 心細さに蓋取れば あけて悔しき玉手箱中からぱっと白烟しろけむり たちまち太郎はお爺さん作詞作曲者不詳。文部省唱歌「尋常小学唱歌 第二学年」明治44年(1911)6月刊
September 30, 2008
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武笠三(むかさ・さん) 案山子山田の中の一本足の案山子かかし天気のよいのに蓑笠着けて朝から晩までただ立ちどほし歩けないのか 山田の案山子山田の中の一本足の案山子弓矢で威おどして力んで居をれど山では烏がかあかと笑ふ耳が無いのか 山田の案山子作曲:山田源一郎文部省唱歌「尋常小学唱歌 第二学年」明治44年(1911)6月刊
September 30, 2008
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虫のこえあれ松虫が鳴いている ちんちろちんちろ ちんちろりんあれ鈴虫も鳴き出した りんりんりんりん りいんりんあきの夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえきりきりきりきり きりぎりす がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫あとから馬おい おいついて すいすいすいすい すいっちょん秋の夜長を鳴き通す ああおもしろい虫のこえ 作詞作曲者不詳。文部省唱歌「尋常小学読本唱歌」明治43年(1910)7月刊*旧かなづかいの原文を、現代かなづかいに直した。
September 18, 2008
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高野辰之 故郷 兎追ひしかの山小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷ふるさと如何にいます父母恙つつがなしや友垣 雨に風につけても 思ひいづる故郷志を果たしていつの日にか帰らむ 山はあをき故郷 水は清き故郷作曲:岡野貞一文部省唱歌「尋常小学唱歌」大正3年(1914)6月刊*文語体の詞でもあり、旧かなづかいのままとした。
September 18, 2008
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月の沙漠 加藤まさを月の沙漠を はるばると旅の駱駝がゆきました金と銀との鞍くら置いて二つならんでゆきました金の鞍には銀の甕かめ銀の鞍には金の甕二つの甕は それぞれに紐で結んでありましたさきの鞍には王子様あとの鞍にはお姫様乗った二人は おそろいの白い上着を着てました 曠ひろい沙漠を ひとすじに二人はどこへゆくのでしょう朧おぼろにけぶる月の夜を対ついの駱駝はとぼとぼと沙丘を越えてゆきました黙って 越えてゆきました作曲 佐々木すぐる「少女倶楽部」大正12年(1923)3月号初出。*原文は旧かなづかい。また「沙」の字が当用漢字にないことから、タイトル表記を「砂漠」と書き換えた例もある。
September 15, 2008
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里の秋 斎藤信夫静かな静かな 里の秋お背戸に木の実の 落ちる夜はああ 母さんとただ二人栗の実 煮てます いろりばた明るい明るい 星の空鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜はああ 父さんのあの笑顔栗の実 食べては 思い出すさよならさよなら 椰子の島お舟にゆられて 帰られるああ 父さんよ御無事でと今夜も 母さんと 祈ります作曲:海沼実註昭和20年(1945)12月24日、東京放送局(JOAK、現NHK)のラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」で、当時天才少女歌手と謳われた川田正子の歌唱で放送、発表。童謡史上空前の大反響を巻き起こしたという。もちろん、まだテレビも民間放送局(民放)もなかった頃である。後に、テレサ・テンの歌による中国語バージョン(「又見炊烟」)もあった。これもまた胸に沁みいる名曲であった(・・・ただし、歌詞は原曲と全く無関係の恋愛の歌)。背戸(せど):家の裏口、裏手。背戸口。【参考】発表時に削除された、3番、4番の歌詞の原型(元のタイトルは「星月夜」)きれいなきれいな 椰子の島しっかり護って 下さいとああ 父さんのご武運を今夜も 一人で 祈ります大きく大きく なったなら兵隊さんだよ うれしいなねえ 母さんよ僕だって必ず お国を 護りますこのように、戦後の混乱・激動の中で急遽改訂、一部削除された童謡の歌詞は、他にも名曲「汽車ぽっぽ(兵隊さんの汽車)」や「ちょうちょ」、海軍応援歌(?)「我は海の子」など少なからぬ例があり、その多くは、当時の日本放送協会(NHK)の判断で行なわれた。私ごとだが、戦時中ニューギニア戦線に出征していた大伯父が、この夏87歳で鬼籍に入った。この歌の歌詞は、万感胸に迫るものがある。話はそれまくるが、その伯父は、戦後は長く当地・栃木の奥日光中禅寺湖畔にあった学生援護施設「奥日光大学村」(すでに廃止)の“村長”(という名の管理人)を務めていた。・・・と言えば、直ちにピンと来る方もいらっしゃるだろうが、'70年前後には学生運動・過激派活動家の潜伏先になっていた時期もあり、全共闘の“大スター”秋田明大や唐牛健太郎も、快適な隠れ家としてフツ~に寝泊りしていたと、後に聞いた。当時ここが、公安の出先機関と化していた日光警察署の厳重な監視下にあったことは、当時日光警察署の刑事であり、その後県内の警察署長を歴任した、父の知り合いの好々爺から、いろんな自慢話や武勇伝とともに、直接聞いたことである。NHKが取材に来て、ニュースのトピックスとして放送されたこともあるが、もしかすると、そちらの方の含みもあったのかも知れない。伯父は神官免許も持ち、僕の知る限り頑迷なまでにバリバリの保守主義者であった。はたして当時、公安警察のスパイ的役割を務めていたのかどうかは、当然知りたいところであるが、とうとう聞きそびれてしまった。口は堅い人だったから、聞いても答えなかったろうが。大げさに言えば、最悪ここが「あさま山荘」になっていたかも知れない。そんな梁山泊というか、左翼の巣窟、戦士の休息所みたいなところに、何も知らない小学生の僕は、毎年夏休みごとにノホホンと泊まりに行って、左翼革命家のおにいちゃんやおねえちゃんたちと無邪気に遊んでもらっていた。みんな、普通にいい人たちばかりで、すごく楽しかった覚えがある♪そんな時代もあったねと、思わず笑っちゃうね~。時代は変わる。・・・今思うと、若干身震いがするけどね
September 8, 2008
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佐佐木信綱 夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女が裳裾もすそ濡らして玉苗植うる 夏は来ぬ橘の香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植えわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年5月「新編教育唱歌集」所載。註「夏」と言っても、よく読むと初夏の歌のようなので、今掲載するのは証文の出し遅れの感が否めないかも。「夏は来ぬ」の一句を除けば、それぞれがほぼ独立した短歌として読めるのが面白い。佐佐木氏は、明治の大歌人。近代最古の短歌結社である「竹柏会(心の花)」を創設し、文芸全般に大きな影響を与えた。現在も「心の花」は、孫で歌人の佐佐木幸綱早大教授(朝日新聞歌壇選者)が主宰を務め、伊藤一彦氏(毎日新聞選者)や俵万智氏(読売新聞選者)などの歌人を擁し、広く尊敬されている有力結社。楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。
July 11, 2008
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野口雨情(のぐち・うじょう)兎のダンスソソラ ソラ ソラ兎のダンスタラッタ ラッタ ラッタラッタ ラッタ ラッタ ラ 脚で蹴り蹴りビョッコ ピョッコ 踊る耳に鉢巻 ラッタ ラッタ ラッタ ラソソラ ソラ ソラ可愛いダンスタラッタ ラッタ ラッタラッタ ラッタ ラッタ ラ とんで跳ね跳ねビョッコ ピョッコ 踊る脚に赤靴 ラッタ ラッタ ラッタ ラ「コドモノクニ」大正13年5月号初出。作曲:中山晋平註(耳に)鉢巻:たぶん、今で言う「リボン」のことだろうね
April 13, 2008
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土井晩翠(つちいばんすい)荒城の月春高楼の花の宴めぐる盃さかづき影さして千代の松が枝え分け出でしむかしの光今いづこ秋陣営の霜の色鳴きゆく雁かりの数見せて植うる剣つるぎに照り沿ひし昔の光今いづこ今荒城の夜半よはの月変はらぬ光誰たがためぞ垣に残るはただ葛かづら松に歌ふはただ嵐天上影は変はらねど栄枯は移る世の姿写さんとてか今もなほ嗚呼荒城の夜半の月春のお城の花のうたげのめぐらせる杯に光が射して永遠の松の枝から別れ出た昔の輝きは今どこに行ったのだろう?秋のお城の霜の色鳴いて飛んでゆく雁の数のようにおびただしく地に突き刺した剣に沿うように照り映えた昔の光は今どこに行ったのだろう?今 荒れた城にかかる深夜の月変わらない光は誰のためにあるのだろう?生垣に残っているのは ただ葛だけ松の木に歌うのは ただ嵐の声だけ天の光は変わらないのに栄枯盛衰の世の姿その姿を照らし出そうとしているのかああ 荒れ果てた城の夜半の月(拙訳)「中学唱歌」(明治34年3月刊)所収作曲:滝廉太郎註千代(の):字面を額面通り読めば、「永遠(の)」だが、この場合は、作詞者の郷里である宮城県仙台を示唆しているとする説が強い。仙台の古名。日本近代唱歌の名作中の名作である。ご覧の通り、きわめて格調高い、研ぎ澄まされた擬古的な文語文である。・・・が、仔細に読むと、何を言っているのか解釈が難しい部分もある。「植うる剣」って、いったい何だ? 分かります?このことについて、コメントで貴重なご示唆をいただきました。まことにありがとうございます。ご意見はごもっともと思われますが、さらに考究してみます。それにしても、昔の人は一読して意味が分かったのかな~??お気づきの点がありましたら、大方のご叱正を期待します。
April 13, 2008
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さくらさくらさくらさくら やよひの空は 見わたす限り かすみか雲か 匂ひぞ出づる いざや いざや 見にゆかん (日本古謡)さくらさくら 野山も里も 見わたす限り かすみか雲か 朝日ににほふ さくら さくら 花ざかり(昭和16年改訂)註作詞・作曲者不詳。幕末頃の俗謡を採譜したものとされる。明治21年(1888)、文部省音楽取調掛(その後東京音楽学校、現・東京芸術大学音楽学部)刊「筝曲集」所載。
April 3, 2008
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朧月夜 高野辰之 菜の花畠に 入日薄れ見わたす山の端 霞深し春風そよ吹く 空を見れば夕月かかりて におい淡し里わの火影ほかげも 森の色も田中の小路を たどる人も蛙かわずの鳴く音ねも 鐘の音もさながら霞める 朧月夜作曲:岡野貞一文部省唱歌「尋常小学唱歌」大正3年6月刊原文は旧かなづかい。
April 1, 2008
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サトウハチロー うれしいひなまつりあかりをつけましょ ぼんぼりにお花をあげましょ 桃の花五人囃子の 笛太鼓今日はたのしい ひな祭りお内裏様と お雛様二人ならんで すまし顔お嫁にいらした ねえさまによく似た官女の 白い顔金のびょうぶに うつる灯をかすかにゆする 春の風すこし白酒 めされたか赤いお顔の 右大臣着物をきかえて 帯しめて今日はわたしも はれ姿春のやよいの このよき日なによりうれしい ひな祭り作曲:河村光陽昭和11年(1936)1月、当時のニューメディアだったといえるレコードで発売・発表され、詩人・作詞家サトウハチローの出世作となった。タイトルは、先行して文部省唱歌「雛祭」(昭和8年)があったため、「うれしいひなまつり」になったが、こちらがあまりにも名曲だったせいか、文部省唱歌の方は今日完全に忘れ去られている。日本音階を大胆に駆使し、哀調溢るる河村光陽の旋律・編曲も、まことに見事である。鬼神をも哭(な)かしむる傑作といえよう。→関連情報。
March 2, 2008
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春よ来い 相馬御風(そうま・ぎょふう)春よ来い 早く来いあるきはじめた みいちゃんが赤い鼻緒の じょじょはいておんもへ出たいと 待っている春よ来い 早く来いおうちの前の 桃の木の蕾もみんな ふくらんではよ咲きたいと 待っている註原文は歴史的仮名遣い。作曲:弘田龍太郎「銀の鈴」大正12年4月号初出。じょじょ:「草履(ぞうり)」の、当時の幼児語。*松任谷由実は、代表曲の一つ「春よ、来い」(1994)を、この曲からインスパイアされたと、CDジャケットに明記している。
March 1, 2008
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野口雨情 しゃぼん玉しゃぼん玉 とんだ 屋根までとんだ屋根までとんで こわれて消えたしゃぼん玉 消えた 飛ばずに消えたうまれてすぐに こわれて消えた風 風 吹くな しゃぼん玉 とばそ作曲:中山晋平「金の塔」大正11年11月号註昔も今も、女の子を怖がらせている2番の歌詞は、野口雨情が、生まれてすぐに亡くした長女に捧げた魂鎮(たましず)め(鎮魂)の歌であるという説が有力。そう見ると、「玉」と「魂(たま)」の同音異義語にも意味があるのかも知れない。が、この説に確証といえるほどのものはない。戦前には、当時日本の農村に存在した悪しき習俗「間引き」を歌ったものであるとする解釈も囁かれたといわれる。詩的表現が時に孕む、心胆を寒からしめる凄みを示すエピソードと言えるかも知れない。
August 17, 2007
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野口雨情 赤い靴紅い靴 はいてた女の子異人さんに つれられて行つちやつた横浜の 埠頭はとばから船に乗つて異人さんに つれられて行つちやつた今では 青い目になつちやつて異人さんのお国にゐるんだらう赤い靴 見るたび考へる異人さんに 逢ふたび考へる作曲:本居長世「小学女性」大正10年12月号註表記は、原文のまま。テキストを素直に読めば、人さらいの歌かと思う。また今日(こんにち)では、新潟の海辺から、北朝鮮工作員によって連れ去られた(拉致された)横田めぐみさんを連想してしまうのは、日本人の人情のしからしむるところである。この歌に限らず、野口雨情の歌詞には、謎めいて不思議で、不気味で怖いものが少なくない。この歌にも、ドラマチックないわく因縁ともいうべき事実が秘められているらしいので、興味のある方はウェブ上で検索してみると詳細な解説が出てくるが、詞の内容に直接に反映しているわけではないと思われるし、僕個人としてはそうした“秘話”めいたものに興味はない。こういう作詞の背景のようなことは、ポピュラー音楽でもよく語られるが、たいてい興醒めの効果しかないというのが、僕の経験から得られた教訓である。本文テキストのミステリアスさは、ミステリアスさのまま受け止めたい気持ちだ。
August 16, 2007
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西條八十(さいじょう・やそ) 肩たたき母さん お肩をたたきませうタントン タントン タントントン母さん 白髪がありますねタントン タントン タントントンお縁側には日がいつぱいタントン タントン タントントン真赤まっかな罌粟けしが笑つてるタントン タントン タントントン母さん そんなにいい気もちタントン タントン タントントン作曲:中山晋平「幼年の友」大正12年5月号註私ごとだが、本日は亡き母の命日。・・・昔の日本女性は、本当に優しくてよかった~
August 16, 2007
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林柳波 おうまおうまの おやこは なかよし こよしいつでも いっしょに ぽっくり ぽっくり あるくおうまの かあさん やさしい かあさんこうまを みながら ぽっくり ぽっくり あるく作曲:松島彝(つね)文部省唱歌「ウタノホン」昭和16年3月原詞は全文カタカナ。
August 15, 2007
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林柳波 海海は広いな 大きいな月がのぼるし 日がしずむ海は大波 青い波ゆれてどこまで つづくやら海にお船を 浮かばして行ってみたいな よその国作曲:井上武士文部省唱歌昭和16年3月「ウタノホン」所載。註「うかばして」は、東京弁(標準語ではない)であろうか。現在は「うかばせて」が普通。原文は、カタカナ。ウミハヒロイナ 大キイナツキガノボルシ 日ガシヅムウミハ大ナミ アヲイナミユレテドコマデ ツヅクヤラウミニオフネヲ ウカバシテイツテミタイナ ヨソノクニ
August 8, 2007
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佐々木信綱 夏は来ぬ卯の花の匂ふ垣根に 時鳥ほととぎすはやも来鳴きて忍音しのびねもらす 夏は来ぬさみだれのそそぐ山田に 早乙女が裳裾もすそ濡らして玉苗植うる 夏は来ぬ橘の香る軒端の 窓近く蛍飛び交ひ怠り諌いさむる 夏は来ぬ楝あふち散る川べの宿の 門かど遠く水鶏くひな声して夕月涼しき 夏は来ぬさつきやみ蛍飛び交ひ 水鶏鳴き卯の花咲きて早苗植えわたす 夏は来ぬ作曲:小山作之助明治29年5月「新編教育唱歌集」所載。註楝あふち(おうち):栴檀(せんだん)。
August 7, 2007
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きんたろう 石原和三郎まさかりかついで 金太郎熊にまたがり お馬のけいこハイシ ドウドウ ハイ ドウドウハイシ ドウドウ ハイ ドウドウ足柄山の 山奥でけだもの集めて すもうのけいこはっけよいよい のこったはっけよいよい のこった作曲:田村虎蔵「幼年唱歌」(明治33年6月発行)所載。このブログサイトのタイトルを頂戴した、童謡の名作。いまだに「うたのおけいこ」がいいか、「おうたのけいこ」がいいか、迷っている。現在一般的な、現代カナ遣い・漢字カナ混じり文に直した。原文は、歴史的仮名遣い、全文カタカナ。以下の通り。キンタラウマササカリカツイデ キンタラウクマニマタガリ オウマノケイコハイ シ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウハイ シ ドウ ドウ ハイ ドウ ドウアシガラヤマノ ヤマオクデケダモノアツメテ スマウノケイコハツケヨイヨイ ノコツタハツケヨイヨイ ノコツタ
March 8, 2007
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作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一の天才的コンビの生み出した名作はまだまだ目白押しで、秋の歌なども、春にもましてすばらしいが、そのご紹介はやっぱり秋にするのが自然だろうね~。ところで、それとは別に、この名コンビの作品と言えばこれを落とすわけにはいかないだろう。先日の教育基本法改正に際して最大の問題となり、今後遠からずタイムテーブルに乗ってくると見られる憲法改正問題でも、最大の焦点のひとつになるであろう「愛国心」の問題にからんで、政治的に非常にナーヴァスな、キナ臭いものをはらんだ、デンジャラスな名作である。この歌詞を見ただけでいきり立つ人、顔面蒼白・ワナワナになる人も、一部にはいるだろうと承知している。ご紹介するにも、ちょっと虎の尾を踏むようなリスキーさを感じるざんすね。日の丸の旗 高野辰之白地に赤く 日の丸染めてああうつくしや 日本の旗は朝日の昇る 勢い見せてああ勇ましや 日本の旗は作曲:岡野貞一文部省唱歌。「尋常小学唱歌」(明治44年5月発行)所載。昭和16年3月、「ウタノホン」収録に際し、口語体の「うつくしい」、「勇ましい」に改訂された。岡野貞一の作曲したメロディは、童謡・唱歌としては異例なほど重厚で、「君が代」の変奏曲のような趣きさえある。
March 7, 2007
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