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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)たまかぎるきのふの夕ゆふへ見しものを けふの朝あしたに恋ふべきものか万葉集 2391ほのかな光の中で、きのうの夕べ初めてちらりとお会いしたのにきょうの朝にはたまらなく恋しくなっているなんてことがあり得るのだろうか(・・・いや、確かにあるのだ、今のわたしのように)。原文(万葉仮名):玉響昨夕見物今朝可恋物たまかぎる:「夕」「ほのか」「一目」などに掛かる枕詞(まくらことば)。勾玉がほのかに光ること。古来、この部分(玉響)を「たまゆらに」と読む説も併存した。この場合、勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」(須臾)、あるいは「かすか」を意味する。夕ゆふへ:奈良時代当時の音韻では、ハ行は「パピプペポ」と発音し、この場合は「ユプペ」であった。濁音はなかった。この歌は「ふ(プ)」で韻を踏んでいるのが伺える。見し:「見る」は、古典文学ではしばしば「会う・逢う」こと。現代語でも「会見」などという。恋ふ:現代語の「恋」や「恋する」の語源だが、それよりも切迫したニュアンスがある古語動詞。恋ふべきものか:反語的疑問形。述べたことの強調と詠嘆の表現。・・・猫にも一目惚れはあるという。ましてや人においてをや。
2024年09月09日
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柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)鳴神なるかみの少しとよみてさし曇り 雨もふらぬか君をとどめむ万葉集 2513雷がちょっととどろいて曇って来たけれど雨も降らないかなあ 君と一緒にいられるから鳴神なるかみの少しとよみてふらずとも 我あはとどまらむ妹いもしとどめば万葉集 2514雷がちょっととどろいて 雨は降らなくても僕はどこにも行かないよ 君がここにいてくれるなら註妹いも:恋人、妻など、親密な間柄の愛しい女性をあらわした古語。妹子(いもこ)、吾妹子(わぎもこ)。「いもうと」ではない。(妹)し:特定の意味はない強調の助辞。「生きとし生ける」などに残る。
2024年09月03日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたさまをお待ちしていますとわたくしがひとり恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註君待つと:「あなたさまをお待ち申し上げております」と。「君待ちて」ではなく、「君待つと」という言い方になっているのが昔から疑問だったが、おそらくこういった直接話法的なニュアンスか(筆者解釈)。現代文なら「 」内に入る言い回し。おそらく、「秋」と「飽き」を掛けている。侘しく寂しい和歌的修辞である。「君」は天智天皇。当時は妻問つまどい婚(通い婚)、招婿しょうせい婚(庶民も、いわゆる「夜這い婚」)で、恋愛関係は自然消滅することも多く、夫婦・恋愛関係はゆるく不安定だった。女性は待つばかりということも少なくなかった。(ただし、母系制社会で、家屋敷・財産などの相続権は女性側にあり、政治的発言力などもかなりあって、立場は決して弱くなかった。)この民族的な感覚は、後世、花柳界・水商売の女性と男性客との関係性などにも影響を及ぼしたと思われる。貴人が乗って来る牛車ぎっしゃの(塩分を好む)牛をおびき寄せる「盛り塩」の風習などはよく知られており、現代にも及んでいる。恋ひ:古語動詞「恋ふ」の連用形。このまま「恋」の語源となった。恋いわびる。恋い焦がれる。恋しさをつのらせる。現代語より切迫したニュアンスだったと思われる。もとは「乞う、請う」などと同語源または同一語だったという見方もある。屋戸やど:家。万葉集に頻出する。「宿」とは別語。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2024年09月01日
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大伴家持(おおとものやかもち)振りさけて若月みかづき見れば 一目見し人の眉引まよひき思ほゆるかも万葉集 994夕空を見上げて若い三日月を見るといつか一目見た人のほっそりした眉が思い出されるんだよなあ。註1300年前の「近代人」、天才家持16歳の青春歌。奈良時代の平均寿命は短かったとはいえ、あまりにも早熟だなあ。振りさく:振り向いて仰ぐ。「眉引まよひき」に「迷ひき」が掛けてあるともいわれる(奈良時代当時の発音は同じ)。この場合、「人」は「私」を示し、「一目見た私は迷った(魅惑された)、それが思い出される」という別の文脈でも意味が通る。
2024年06月09日
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大伴家持(おおとものやかもち)春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯うくひす鳴くも万葉集 4290春の野原に霞がたなびいていて、何となく泣きそうになる。この夕暮れの光の中に、鶯も恋の歌を歌っているんだなあ。註鶯うくひす:後世、我々が「ホーホケキョ(法華経)」と聴いているあの鳴き声を、仏教伝来以前の古代人は「ウークピツ」と聴いていた可能性があり、それが語源であるとも思われる(筆者くまんパパ説)。奈良時代以前、ハ行はパ、ピ、プ、ペ、ポであり、サ行はツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォだった。「笹の葉」は「ツァツァノパ」であり、「すずめ」は「ツツメ」、「ひよこ」は「ピヨコ」だった。いずれもオノマトペ(擬音語)であると解される。
2024年06月08日
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山部赤人(やまべのあかひと)春の野にすみれ摘みにと来こしわれそ 野をなつかしみひと夜寝にける万葉集 1424春の野に菫を摘もうとやって来たわたしだが野原があまりにも懐かしく心地いいのでそのまま一晩寝てしまったよ。註「来(こ)」は、(現代語「来る」ではなく)古語動詞「来(く)」の連用形。短歌では、近現代でもしばしば懐古趣味的(レトロスペクティヴ)な効果・格調などを狙って用いられる。「そ・・・ける」は、強調・整調の係り結び。「そ」は平安期には「ぞ」になった。形容詞「なつかし」は、動詞「なつく(懐く)」と同じ語幹(「ゆかし」と「ゆく(行く)」の関係に相似)。「なつかしむ」は、それをさらに動詞化したもの。 スミレ Viola mandshurica ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2024年04月21日
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小野老(おののおゆ)あをによし奈良の京みやこは 咲く花のにほふがごとく今さかりなり万葉集 328青と赤の彩りも美しい奈良の平城京は咲いた桜の花が照り映えるように今盛りだ(ということだ)。註上司・大伴旅人とともに九州・大宰府に左遷された部下である作者の哀切な望郷の歌、という背景事情を知っても知らでも馥郁たる名歌である。あをによし:「奈良」に掛かる枕詞。「青丹よし」(青緑色と朱色が美しい)の意味という。ちなみに、「にきび」の語源は「丹黍」(赤いキビの実)といわれる。にほふ:一語で簡明に対応する現代語はない。しいて言えば「映える、輝く」などか。主として、華やかであふれこぼれるような美しい情景や色合い(視覚)について言うが、妙なる芳香(嗅覚)や余韻(一種の詩情、脳内感覚)なども含意する。これらの意味の一部(嗅覚)だけが現代語「匂い、臭い」に残った。具体的には、花や紅葉、女性の美しさなどについて用いることが多い。 奈良公園ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大
2024年04月07日
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大伴池主(おおとものいけぬし)桜花さくらばな今そ盛りと人はいへど われはさぶしも君としあらねば万葉集 4074桜の花は今が盛りだと人はいうけれどもわたしは寂しくてたまらないのです。ここにあなたがいないのだから。註(君)とし:「と」も「し」も上古語の強調の助辞(副助詞)で、特定の意味はない。cf.)「生きとし生ける」。
2024年04月07日
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、大泊瀬稚武天皇・おおはつせわかたけるのすめらみこと) 御製(おおみうた、ぎょせい) 長歌ちょうか籠こもよ み籠持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ちこの岳をかに 菜摘なつます子 家聞かな 名告なのらさねそらみつ 大和の国はおしなべて われこそ居をれしきなべて われこそ座ませ われこそは告のらめ 家をも名をも万葉集 1籠かごだなあ 美しい籠を持って箆へらだなあ 美しい箆を持ってこの丘に春の若菜を摘んでおられる娘よ。家を聞こう。お名のりなさい。そらみつ 大和の国は押し靡なびかせて私がいるのだ。平らげて私が座しているのだ。私こそは告げよう 家をも名をも。註我が国が世界に誇る古代の巨編歌集『万葉集』(最終編纂者、大伴家持)の劈頭に輝く歴史的名歌。和歌の五七五の韻律が確立する以前の素朴で古拙な型をも示している。この岳をか:現・奈良県天理市付近の丘と比定される。(家聞か)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「聞く」)の未然形に接続して、話者の意思を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。(家と名を)告のる:求婚、婚約の儀礼的意思表示。プロポーズ。そらみつ:「大和」に掛かる枕詞。語源・語義未詳。われこそは告のらめ:係り結び。「われは告のらむ(私は告白しよう)」を強調した形。 山の辺の道(奈良県天理市)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2024年03月01日
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大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の けふ降る雪のいや重しけ吉事よごと天平宝字三年(759)旧暦元日因幡国いなばのくに(鳥取県)国府庁舎にて万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ、吉よき事よ。註わが国が世界に誇る古代の巨編『万葉集』の掉尾を飾る、最終編纂者(平たい言葉でいえば「編集長」)自らによる祝祭感溢るる記念碑的名歌。古来、雪が多い年は豊作であるという言い伝えがあった。新あらたし(き):古語は「あらたし」だったが、いつしか「あたらし」という訓みも生じ、現在に至っている珍しい単語。現代語でも、古語の形のまま「新(あら)たに」や「日々新た」「井浦新」などという。もとは動詞「改む(改まる・改める)」(更新する)と語幹を同じくする兄弟語。年のはじめの初春:旧暦(太陰暦)では、新年(旧正月)と節分・立春がほぼ同じ時季に訪れるので、この表現になる。文飾・修辞だけではない。けふ降る雪のいや重け吉事:「けふ降る雪のいや重け」(きょう降る雪はますます積もれ)と、「いや重け吉事」(いよいよ重なれ、よきことよ)の2文が重ねられている、和歌のお手本のような技巧。
2024年01月01日
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オミナエシ山上憶良(やまのうえのおくら)秋の野に咲きたる花を 指および折りかき数ふれば七種ななくさの花萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花万葉集 1537-1538註人口に膾炙した名歌であるとともに、派手な外来種が入って来る前の古代日本人の清楚な好みが分かる史料ともいえる。万葉集で、長歌と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、短歌と旋頭歌(せどうか)の連作はきわめて珍しい。というより、この一例のみか。一首目は5・7・5・7・7の短歌形式。二首目は5・7・7・5・7・7の旋頭歌の形式。尾花:薄・芒(すすき)の古語。詩的・雅語的表現としては現代でも用いられる(「枯れ尾花」など)。撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。女郎花をみなへし:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」であるとされる。美人も真っ青になるぐらい可愛いというわけか。朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。伊勢神宮外宮での観月会に供えられた秋の七草ナデシコハギ オミナエシ 伊勢神宮(外宮) その他は筆者撮影。ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2023年09月26日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしていますとわたくしがひとり恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註君待つと:「あなたさまをお待ち申し上げております」と。「君待ちて」ではなく、「君待つと」という言い方になっているのが昔から疑問だったが、おそらくこういった直接話法的なニュアンスか(筆者解釈)。おそらく、「秋」と「飽き」を掛けている。侘しく寂しい和歌的修辞である。「君」は天智天皇。当時は妻問つまどい婚(通い婚)、招婿しょうせい婚で、自然消滅することも多く、夫婦・恋愛関係はゆるく不安定だった。この、長い民族的な感覚は、後世、花柳界・水商売の女性と男性客の関係性などにも影響を及ぼしたと思われる。貴人が乗って来る牛車ぎっしゃの牛をおびき寄せる「盛り塩」の風習などはよく知られており、現代にも及んでいる。屋戸やど:家。万葉集に頻出する。「宿」とは別語。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2023年09月08日
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志貴皇子(しきのみこ)石いはばしる垂水たるみの上のさわらびの 萌もえ出いづる春になりにけるかも万葉集 1418岩をほとばしる滝のほとりの蕨が萌え出る春になったのだなあ。 ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン赤目四十八滝(三重県名張市赤目町) 荷担滝(にないだき)
2023年03月08日
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田氏肥人(でんしのうまひと)梅の花今盛りなり 百鳥ももとりの声の恋こほしき春来たるらし万葉集 834梅の花は今が盛りだ。たくさんの鳥たちの鳴く声が恋しい春がやって来たようだ。
2023年03月05日
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大伴旅人(おおとものたびと)帥そち大伴卿おほともきやうの次田すきたの温泉ゆに宿りて、鶴たづが喧ねを聞きて作れる歌一首湯の原に鳴く葦鶴あしたづは 吾あがごとく妹いもに恋ふれや時わかず鳴く万葉集 961湯が湧き出る野原の葦辺に鳴く鶴は私のように(亡き)妻が恋しいのだろうかひっきりなしに鳴いている。註次田すきたの温泉ゆ:現・二日市温泉(福岡県筑紫野市湯町)。
2023年03月05日
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大伴家持(おおとものやかもち)春の苑その紅くれなゐにほふ桃の花 下照る道に出で立つをとめ万葉集 4139春の苑の紅に映える桃の花々が照り輝いている道にあらわれて佇たたずんでいる少女。註にほふ:光を受けて美しく映える。現代語「匂う、臭う」の語源だが、古語としては、花や女性などに関して、主として視覚的(色彩的)な感覚のニュアンスで用いられている例が多い。下照る:花の色などが、赤く照り映える。この「した」は本来「下」ではなく、「赤みを帯びている、赤っぽい」を表わした上古語ともいわれる。
2023年03月03日
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大伴旅人(おおとものたびと)梅の花夢いめに語らく みやびたる花と我思あれもふ酒に浮かべこそ万葉集 852梅の花が夢に出てきて言うことには「わたしは自分をおしゃれな花だと思います。どうぞお酒に浮かべてくださいね。」註語らく:語ることは~。現代語にも残る「曰(いわ)く」「思わく」(「思惑」は当て字)「老いらく(の恋)」などと同様、動詞・助動詞の連体形に、漠然と「こと」「ところ」などを示す形式名詞「あく」が付いて約まり体言化する上古語特有の語法(ク語法)。みやびたる花と我思あれもふ酒に浮かべこそ:直訳すれば「酒に浮かべてこそ、雅な花だと私は思う」の倒置法であるという説明も可能だが、むしろこうした語法こそが係り結び(「こそ・・・けれ」など)の起源ではないかという説もある。この点は、天智天皇「わたつみの豊旗雲に入日さし今宵の月夜さやけかりこそ」(クリックで移動)の解説で触れた。梅の花が、夢枕に現れて語ったという言葉の(英文法でいうならば)直接話法。現代の普通文なら「 」の中に入るところである。酒:当時の酒は、濾していない(清酒ではない)白い濁酒・濁り酒。桃の節句の白酒の起源を想起させる。
2023年03月02日
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、大泊瀬稚武天皇・おおはつせわかたけるのすめらみこと) 御製(おおみうた、ぎょせい) 長歌ちょうか籠こもよ み籠持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ちこの岳をかに 菜摘なつます子 家聞かな 名告なのらさねそらみつ 大和の国はおしなべて われこそ居をれしきなべて われこそ座ませ われこそは告のらめ 家をも名をも万葉集 1籠かごだなあ 美しい籠を持って箆へらだなあ 美しい箆を持ってこの丘に春の若菜を摘んでおられる娘よ。家を聞こう。お名のりなさい。そらみつ 大和の国は押し靡なびかせて私がいるのだ。平らげて私が座しているのだ。私こそは告げよう 家をも名をも。註この岳をか:現・奈良県天理市付近の丘と比定される。(家聞か)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「聞く」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。(家と名を)告のる:求婚、婚約の意思表示(プロポーズ)。そらみつ:「大和」に掛かる枕詞。語源・語義未詳。われこそは告のらめ:係り結び。「われは告のらむ(私は告白しよう)」を強調した形。 山の辺の道(奈良県天理市)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2023年03月01日
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大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の けふ降る雪のいや重しけ吉事よごと天平宝字三年(759)旧暦元日因幡国いなばのくに(鳥取県)国府庁舎にて万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ、吉よき事よ。註わが国が世界に誇るあの厖大な巨編『万葉集』の掉尾を飾る、最終編纂者(今の言葉でいえば「編集長」)自らによる祝祭感溢るる記念碑的名歌。古来、雪が多い年は豊作であるという伝承があった。新あらたし(き):古語は「あらたし」だったが、いつしか「あたらし」という訓みも生じ、現在に至っている珍しい例。現代語でも、古語の形のまま「新(あら)たに」や「日々新た」などという。もとは動詞「改む(改まる・改める)」(更新する)と語幹を同じくする、いわば兄弟語。年のはじめの初春:旧暦(太陰暦)では、新年と節分・立春がほぼ同じ時季に当たるため、この表現になる。文飾・修辞だけではない。けふ降る雪のいや重け吉事:厳密にいうとこの言い回しは、「けふ降る雪のいや重け」(きょう降る雪はますます積もれ)と、「いや重け吉事」(いよいよ重なれ、よきことよ)の2文が重ねられている、和歌のお手本のような技巧。
2023年01月01日
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山部赤人(やまべのあかひと)田子の浦ゆうち出いでてみれば 真白ましろにぞ不尽ふじの高嶺に雪は降りける万葉集 318田子の浦よりうち出て見れば真っ白に富士の高嶺に雪は降っているのだなあ。Coming out from Tago's nestle cobe,I gazewhite, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peak(リービ英雄・英訳 Hideo Levy 2004)註(田子の浦)ゆ:一般的には「~より、から」の意味だが、この場合、動作(うち出でてみる)の行われる地点・経由地を示す奈良時代の格助詞。「~を通って」「~で」「~より、から」。田子の浦にうち出でてみれば 白妙しろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集 675 / 小倉百人一首 4田子の浦に出て見れば白妙のような富士の高嶺に雪は降りつつ。註新古今集、百人一首両方の撰者である藤原定家による改作か。優渥なこちらの形でもよく知られているが、私の好みをいえば、万葉集の原作の方に野趣があって圧倒的にいいと思う。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン田子の浦(静岡県富士市) 1886年撮影* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2022年12月29日
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山部赤人(やまべのあかひと)わが屋戸やとに韓藍からあゐ植ゑ生おひし枯れぬれど 懲こりずてまたも蒔かむとぞ思ふ万葉集 384わが家の庭に鶏頭を植えて育ったのは枯れてしまったけれどこれに懲りずにまた種を蒔こうと思うのだ。註「万葉集は、奈良時代の『サラダ記念日』だ」という見方もあると、万葉研究の泰斗で歌人の佐佐木幸綱氏が短歌総合誌で語っていた記憶があり面白い説だと思ったが、さしずめこの歌などはまさにそんな感じで、当時のライト・ヴァース(軽い口語体)という気がする。われわれの先人たちは、普段おおよそこんな言葉で喋っていたのだろう。韓藍(からあゐ):鶏頭(ケイトウ、ヒユ科)。東アジア大陸から来た藍の意味。「あゐ(あい)」は今では濃い青のことだけをいうが、上古では広く印象的な美しい色を表わしたという説が有力。「くれなゐ(紅)」、「あじさゐ(紫陽花)」などの造語成分でもある。生おひし枯れぬれど:連体形の準体言(見なし体言)用法。古文には頻出する。「育ったもの(草花)は枯れてしまったけれど」の「もの(草花)」が省略されている。「吾が屋戸に韓藍蘓(そ)へ生ほし枯れぬれど~」と訓(よ)む説もある。大意は同じ。原文(万葉仮名)「吾屋戸尓 韓藍蘓生之 雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念」
2022年11月02日
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オミナエシ山上憶良(やまのうえのおくら)秋の野に咲きたる花を 指および折りかき数ふれば七種ななくさの花萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花万葉集 1537-1538註人口に膾炙した名歌であるとともに、派手な外来種が入って来る前の古代日本人の清楚な好みが分かる史料ともいえる。万葉集で、長歌と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、短歌と旋頭歌(せどうか)の連作はきわめて珍しい。というより、もしかするとこの一例のみか。一首目は5・7・5・7・7の短歌形式。二首目は5・7・7・5・7・7の旋頭歌の形式。尾花:薄・芒(すすき)の古語。詩的・雅語的表現としては現代でも用いられる(「枯れ尾花」など)。撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。女郎花をみなへし:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」であるとされる。美人も真っ青になるぐらい可愛いというわけか。朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。伊勢神宮外宮での観月会に供えられた秋の七草ナデシコハギ オミナエシ 伊勢神宮(外宮) その他は筆者撮影。ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2022年09月08日
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大伴家持(おおとものやかもち)新あらたしき年のはじめの初春の けふ降る雪のいや重しけ吉事よごと天平宝字三年(759)旧暦元旦万葉集 4516新しい年の初めの初春の今日降りしきる雪のようにますます重なれ、吉よき事よ。あけましておめでとうございます本年もよろしくお願い申し上げます
2022年01月01日
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作者未詳言霊ことたまの八十やその衢ちまたに夕占ゆふけ問ひ 占正うらまさに告のる妹いもはあひ寄らむ万葉集 2506言霊に満ちた数多くの辻に夕占を問うと吉祥の言葉が告げられた。あの娘は私になびくだろう。註言霊の八十の衢:「言霊が多い」ことと、「数多くの衢」を掛けている。八十は数多いことの詩的表現。言霊(ことたま、ことだま):言葉の霊魂、霊力。衢(ちまた):道の分かれるところ。辻。今でいう十字路やT字路、分岐点など。一種の異界への入り口と見なされていた。ちなみに、道の「み」は「御」と同源。一種のアニミズム(原始信仰)的な聖なる場所だった。峰、宮の「み」も同様。夕占(ゆふけ):辻占(つじうら)。黄昏時の辻に立って、聞こえてきた人の言葉で吉兆を占った習俗。占正(うらまさ)に告(の)る:吉祥の言葉が告げられた。「告(の)る」は「詔(みことのり)」「のたまう(←のりたまう)」「名のる」などの造語成分。「則(のり)」なども同源。重大な発言や宣言をいう。妹(いも):親しい間柄の女性を言った。「妹(いもうと←いもひとの音便か)」の造語成分だが、意味は異なる。
2021年12月08日
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山部赤人(やまべのあかひと)ぬばたまの夜のふけゆけば 久木ひさき生おふる清き河原に千鳥しば鳴く万葉集 925夜が更けてゆくとヒサギが生えている清らかな河原に千鳥がしきりに鳴いている。註ぬばたまの(射干玉の):ぬばたまのように黒い意から、「黒」「夜」「夕」「宵」「髪」などにかかる枕詞(まくらことば)。さらに、夜にかかわるところから、「月」「夢」などにもかかる。ぬばたまは、ヒオウギの種子をいう。丸くて黒い。久木(ひさき):「楸」とも書く。現在のキササゲ、またはアカメガシワのことともいわれるが、未詳。しば(屡):しきりに。現代語「しばしば」と同源。
2021年12月08日
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志貴皇子(しきのみこ)葦辺あしへ行く鴨の羽はがひに霜零ふりて 寒き夕べは大和し思おもほゆ万葉集 64枯れた葦の叢(くさむら)のあたりを行く鴨の背に霜が降りて寒い夕べは大和の奈良の都が思い出されてならないなあ。註羽交はがひ:左右の翼が合わさるところ。鳥の背。cf.)羽交い絞め。翼が合わさる形からいう。慶雲3年(706)旧暦九月二十五日~十月十二日(今の10月から11月ごろ)、文武天皇(もんむてんのう)の行幸(ぎょうこう、みゆき)に随行して難波宮(なにわのみや、現・大阪市中央区付近)に滞在していた皇子が、妻のいる都を偲んで詠んだ歌。・・・貴公子ゆえか、ホームシックになるのがちと早いか。難波宮の遺跡は、現在の大阪市中央区馬場町・法円坂・大手前四丁目付辺に及んでおり、大阪歴史博物館やNHK大阪放送局のある一角も難波宮の跡であるという。→難波宮史跡公園難波は、後に「難」の字を悪字として「浪速」「浪花」「なんば」などと書くようになり、現在に至る。時代背景となるこの前後の歴史はきわめて錯綜していてややこしいが、かいつまんでいうと、古代最大の内乱だった壬申の乱(672)によって天武天皇(大海人皇子)系皇族が権力(皇統)を掌握して以来、天智天皇の第七皇子だった志貴皇子は、政治の公職からは生涯遠ざけられた。ただ、そのぶん和歌や学問などには沈潜できたようで、多くの名歌を残した。なお、すぐ上の兄で第六皇子の白壁王は、後に光仁(こうにん)天皇になった。
2021年11月24日
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吹黄刀自(ふきのとじ)真野まのの浦の淀の継橋つぎはし情こころゆも思へか妹いもが夢いめにし見ゆる 河のへのいつ藻もの花のいつもいつも 来ませわが背子せこ時じけめやも真野の浦の淀に架けられた橋のようにつぎつぎと心より思いをつのらせているからか近頃はおまえが夢の中に現れるよ川のほとりに靡くきれいな水草の花のいつもいつもおいでになってくださいああ、あなた来る時など定めないで万葉集 490-491註1300年前の恋の歌。男女の恋愛感情は今も少しも変わっていない。この2首は男女の相聞歌(恋歌)を擬している、きわめて技巧的だがリアリティのある佳品。当時の庶民は妻問婚(つまどいこん、俗にいう「夜這い婚」)だった。刀自(とじ)は、女性の尊称。関西の一部では現代でも使う語。吹黄刀自は全く不詳だが、当時としてはかなりの教養があった女性か。真野の浦の淀:現・神戸市長田区苅藻付近かと比定される。いつ藻(斎つ藻)の花:清らかで整った美しさのある水草の花。ここまでが「いつも(何時も)」を導く序詞(じょことば)。3句目、「いつもいつも」の字余りも、情熱を示してむしろ効果的。
2021年11月24日
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作者未詳信濃しなのなる千曲ちくまの川の細石さざれしも君し踏みてば玉と拾はむ万葉集 3400信濃の千曲の川のありふれた小石も君が踏んだものだから、珠玉とばかりに拾うよ。註まさに、元祖フェチ歌というべきか。古代人の素朴なフェティシズム(物心崇拝)が微笑ましい東歌(あずまうた)。「細石を踏んだ君」は、裸足だったのだろうか。昔の人の方が、八百万(やおよろず)の神や言霊(ことだま)・木霊(こだま)などへのアニミズム(精霊信仰)を含め、こういった心理は強かったかも知れない。千曲川:大河川・信濃川の上流域。細石さざれし:「さざれいし」の約まったもの。
2021年11月20日
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オミナエシ山上憶良(やまのうえのおくら)秋の野に咲きたる花を 指および折りかき数ふれば七種ななくさの花萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花万葉集 1537-1538註山上憶良の名歌。万葉集で、長歌と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、短歌と旋頭歌(せどうか)の連作はきわめて珍しい。というより、もしかするとこの一例のみか。一首目は5・7・5・7・7の短歌形式。二首目は5・7・7・5・7・7の旋頭歌の形式。尾花:薄(すすき)の古語。詩的・雅語的表現としては現代でも用いられる(「枯れ尾花」など)。撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。女郎花をみなへし:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」であるとされる。美人も真っ青になるぐらい可愛いというわけか。朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。伊勢神宮外宮での観月会に供えられた秋の七草ナデシコハギ オミナエシ 伊勢神宮(外宮) その他は筆者撮影。ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年10月03日
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山上憶良(やまのうえのおくら)長歌瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交まなかひに もとな掛かりて 安眠やすいし寝なさぬ反歌銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも万葉集 802-803(遠い赴任先で)瓜を食べれば、子供が思い出される。栗を食べれば、まして偲ばれる。いずこからやって来たものだろうか、面影がしきりに目の前にちらついて、熟睡できぬ。銀も金も珠玉もいったい何になるのだろうそれより遥かに勝っている宝の子供に及ぶだろうか(・・・いや、及ぶはずがない)。註万葉集、ひいては和歌史上屈指の名歌。「子宝」という語とともに永遠に銘記される。食(は)む:「食う」「食べる」の意味の上古語だが、短歌では現代でも用いる。(鳥が嘴で)「啄(ついば)む」(「突き・食む」の音便)、「蝕(むしば)む」(「虫・食む」)など動詞の造語成分として残存。眼交(まなかい):目と目の間。目の前。目(ま)のあたり。もとな:しきりに。やたらに。わけもなく。「根拠(もと)無く」の意。しかめやも:反語的疑問形。強い否定と詠嘆のニュアンス。「若(し)く(及ぶ)」+推量の「む」(だろう)+疑問の「や」+詠嘆の「も」。【原文(万葉仮名)】宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 マクワウリ アジウリ クリウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月15日
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作者未詳少女をとめらにゆきあひの早稲わせを 刈る時になりにけらしも萩はぎの花咲く万葉集 2117乙女たちに行き会うように夏と秋が行き合う早稲を刈る時になったらしいなあ。萩の花が可憐に咲いた。註少女をとめらに:「ゆきあひ」にかかる枕詞(まくらことば)。「乙女たちに行き会う」というイメージを含意する。行ゆきあひ:隣り合う二つの季節が行き合うような季節の変わり目。特に夏から秋についていう。短歌表現では現代でもよく使われる。この歌にエロティックなニュアンスがあるのかと問われれば、否定できないように思う。ふと、萩の花から『赤いスイートピー』(松田聖子)を連想してしまった。どちらも同じマメ科植物で、花も酷似しているし。作詞者・松本隆氏は明言していないが、「心の岸辺に咲いた赤いスイートピー」とは、ほぼ間違いなく、心身ともに結ばれた「初夜」の象徴的表現であろう。平均寿命がせいぜい30歳だったといわれる万葉時代(奈良時代)、男女とも今から見れば早熟で、皆いわば生き急いでいた。
2021年09月10日
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作者未詳影草かげくさの生おひたる屋外やどの夕陰に 鳴く蟋蟀こほろぎは聞けど飽かぬかも万葉集 2159影草の生えている庭先の夕陰に鳴く虫の音はいくら聞いても聞き飽きないなあ。註作者未詳:初の勅撰和歌集である古今和歌集以降では、「よみ人知らず」(古今集撰者・紀貫之らの造語か)と言うようになったが、万葉集では一般にこう呼ぶ。蟋蟀こほろぎ:中世以前には、セミなども含む鳴く昆虫の総称だったという。今でいうコオロギは、古語では「きりぎりす」と言った。今でいうキリギリスは、古語では「機織(はたをり)」。江戸時代前期の松尾芭蕉の名句「あはれやな甲かぶとの下のきりぎりす」も、コオロギのこと。 鳥居清広 浮世絵(作品名不詳) 江戸時代ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年09月10日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしてわたくしが恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註「君」は、天智天皇。当時は妻問婚(通い婚)。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2021年08月31日
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大伴家持(おおとものやかもち)痩せたる人を咲わらへる歌石麻呂いはまろに吾われ物申まをす 夏痩せに良しといふものぞ鰻むなぎ取り食めせ万葉集 3853痩せた人を笑った歌(その痩せこけた姿を見るにつけ)石麻呂に友としてあえて僕は物を言う。夏痩せに良いというものだぞ。ウナギを取って召し上がれ。註石麻呂いはまろ:大伴家持の親友。石麻呂は字(あざな、通称・ニックネーム、おそらく幼名か)。成人名、吉田連老(よしだのむらじおゆ)。鰻(むなぎ):「うなぎ」の古語。語源は「胸黄」といわれる。天然ウナギを見ると、ビタミンA(カロテン)系の栄養素の色だろうか、確かに胸が黄色い。今日は土用丑の日。よく鰻料理店の壁などに、この歌を刷り込んだポスターが貼ってあったりする。こういった万葉集の「戯咲歌・戯笑歌(ぎしょうか)」の数々は、近世の「狂歌」の源流となり、江戸の知識人であった平賀源内は当然知っていただろう。土用の丑の日にウナギを食すという食習慣(恒例行事)を創始した源内の発想は、この辺りから生み出されたと思われ、幕末以降一気に定着した。なお、ウナギは古くは筒切りまたは丸刺しの串刺しで、焼いて食べたものと考えられる。その形が「蒲(がま、かば)の穂」に似ていることから、「蒲焼」の名が付いたという説が有力。「蒲焼」という単語の初出は、いわゆる現在言う形の蒲焼になった江戸中期を遥かにさかのぼる室町時代の1399年(応永6年)の「鈴鹿家記」という本であることも、この傍証となる。ちなみに「蒲鉾」も同様な語源で、原型は今でいう「竹輪」のようなものである。形だけで言えば「きりたんぽ」なども似ている。 ウナギ 蒲焼ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2021年07月28日
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大伴家持(おおとものやかもち)痩やす痩やすも生いけらばあらむを はたやはた鰻むなぎを取ると川に流るな万葉集 3854(夏痩せで)痩せても痩せても生きていればいいのだがはたまた、はたと一念発起してウナギを取ろうと川に流れて溺れ死ぬなよ。註上掲3853番からの連作(というより、ブラックユーモアの「オチ」といった方が当たっているかも知れない)。この二首でおどけて笑わせているのだが、その中にも堂々たる調べの格調が感じられるのは、さすがに和歌の父・大伴家持の面目躍如である。 ウナギウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン
2021年07月28日
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作者不詳伊香保いかほろのやさかのゐでに立つ虹ぬじの 顕あらはろまでもさ寝をさ寝てば万葉集 3414伊香保の山の麓の川の八尺(やさか)の高さの井堰(いぜき)に虹が現れるように人に露わになるまでもずっとあなたと共寝していられたらなあ。註伊香保ろ:現・榛名(はるな)山、またその辺りの意味。「ろ」は「そこらへん」を示す「ら」の東国訛りか。古代の「伊香保」は、温泉郷で有名な現在の行政上の群馬県渋川市伊香保町に比べ、遥かに広い範囲を指していた。まあ、大雑把だったのだろう。現在の東京の地名「渋谷」も、古くは遥かに広い範囲を含んでいたことと相似(ちなみに、地名の「渋」は水の流れが渋滞・滞留する場所の意味という。渋沢、渋川、渋井など、いずれも水に関わりがある)。「伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の」の上3句までが、状況説明でありつつ「顕はろまでも」を導く序詞(じょことば)の構造になっている、古代の歌としてはなかなかの技巧。顕はろまでも:(恋人との秘めた仲が)人に露見しても構わないほど。上野国(上つ毛・かみつけのくに→こうずけのくに、ほぼ現在の群馬県)の東歌(あずまうた)。東歌は、当時の各地の民謡・俗謡のようなもので、古代の地方人の大らかな息づかいを生き生きと伝えている。また、独特の訛りがあるのは今も同じか。ごめんねごめんね~各地の国府(大和朝廷の出先機関)などを通じて、「租庸調」などの現物納付の税(みつぎもの)とともに、都(奈良・平城京)に送られ収集されたものと考えられている。なお、古代においては虹は凶兆とされていたといわれ、あの厖大な万葉集で虹という言葉が出てくるのは、わずかにこの一例のみであるという。今日の感覚から見れば何とも奇異だが、確かに虹は、原理を知らなければ不気味な現象に見えなくもない。何らかの天変地異すら連想させたのかも知れない。事実、その後も和歌ではほとんど詠まれていない。
2021年06月23日
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山部赤人(やまべのあかひと)田子の浦ゆうち出いでてみれば 真白ましろにぞ不尽ふじの高嶺に雪は降りける万葉集 318田子の浦よりうち出て見れば真っ白に富士の高嶺に雪は降っているのだなあ。Coming out from Tago's nestle cobe,I gazewhite, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peak(リービ英雄・英訳 Hideo Levy 2004)註(田子の浦)ゆ:一般的には「~より、から」の意味だが、この場合、動作(うち出でてみる)の行われる地点・経由地を示す奈良時代の格助詞。「~を通って」「~で」「~より、から」。田子の浦にうち出でてみれば 白妙しろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集 675 / 小倉百人一首 4田子の浦に出て見れば白妙のような富士の高嶺に雪は降りつつ。註新古今集、百人一首両方の撰者である藤原定家による改作か。優渥なこちらの形でもよく知られているが、私の好みをいえば、万葉集の原作の方に野趣があって圧倒的にいいと思う。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン田子の浦(静岡県富士市) 1886年撮影* 画像クリックで拡大ポップアップ。
2017年02月03日
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作者未詳誰たそ彼かれとわれをな問ひそ 九月ながつきの露に濡れつつ君待つわれそ万葉集 2240誰だあれはと、私のことを問わないでください。九月の雨に濡れつつ、あなたを待っている私なのです。註誰そ彼:「黄昏たそがれ」の語源。ただし、この歌の場合は「誰だあれは?」という本来の疑問の意味で、夕暮れ時とは無関係。薄暗くなって誰であるか分かりにくい時間帯を中世まで「たそかれどき」と呼び、その略で「たそがれ」となった。(われを)な(問い)そ:「な…そ」は穏やかな制止を表わす用法。(どうか)…してくれるな。しないでくれ。当時の「君」の用法から見て、作中の「われ」は(おそらく若い)女、「君」は男である。九月ながつき:旧暦の九月。新暦のほぼ10月に当たる。語源は「夜長月よながづき」が約つづまったものというのが定説。(われ)そ:強調の係助詞。後世の「ぞ」に当たる。…なのだ。だぞ。cf.)「うまし国そあきつ島大和の国は」。「な…そ」の「そ」とは別語。「誰そ」、「問ひそ」と「われそ」で脚韻を踏んでいる。
2016年12月13日
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山部赤人(やまべのあかひと)田子の浦ゆうち出いでてみれば 真白ましろにぞ不尽ふじの高嶺に雪は降りける万葉集 318田子の浦よりうち出て見れば真っ白に富士の高嶺に雪は降っているのだなあ。Coming out from Tago's nestle cobe,I gazewhite, pure whitethe snow has fallenon Fuji's lofty peak(リービ英雄・英訳 Hideo Levy 2004)註(田子の浦)ゆ:一般的には「~より、から」の意味だが、この場合、動作(うち出でてみる)の行われる地点・経由地を示す奈良時代の格助詞。「~を通って」「~で」「~より、から」。田子の浦にうち出でてみれば 白妙しろたへの富士の高嶺に雪は降りつつ新古今和歌集 675 / 小倉百人一首 4田子の浦に出て見れば白妙のような富士の高嶺に雪は降りつつ。註新古今集、百人一首両方の撰者である藤原定家による改変か。こちらの形でもよく知られているが、私の好みをいえば、圧倒的に万葉集の原作がいいと思う。 ウィキペディア・コモンズ パブリック・ドメイン田子の浦の写真 1886年撮影 * 画像クリックで拡大ポップアップ。
2016年10月26日
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天智天皇(てんちてんのう/てんじてんのう)わたつみの豊旗雲とよはたぐもに入日いりひさし 今宵こよひの月夜つくよさやけかりこそ万葉集 15大海原に浮かぶ豊かに旗のごとくたなびく雲に入日が射し今宵の月夜が亮さやかならんことを。註古代の純真素朴な雄渾さと、悠揚迫らぬ帝王の風格を漲みなぎらせた名歌。豊旗雲とよはたぐも:神秘的に豊かな美しさのある、旗・吹き流しのようにたなびく雲。層積雲の一種。わたつみ:海の霊。転じて、海・海原の意味。さやけし(さやか):くっきりとして、清澄なこと。「爽やか」は別語。さやけかりこそ:原文の訓読は諸説紛々である。【原文】(万葉仮名)渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 今夜乃月夜 清明己曽「さやけかりこそ」は、歌人・佐佐木幸綱早大教授(短歌結社「心の花」主宰)などの読みで、現在ほぼ定説といえる。その祖父、佐佐木信綱氏(「心の花」創始者)は「あきらけくこそ」と訓じた。また、「きよらけくこそ」の読みもあり、捨て難い。「まさやかにこそ」の読みにはやや無理も感じるが、魅力がある。こそ:この終助詞「こそ」の文法的解釈には諸説あり、厳密にいえばなかなか難しい。「広辞苑」によれば、誂(あつら)え(指示命令)の意味を持つ上古語動詞「こす」の古い命令形であるという(さらにその語源は、上代の動詞「来(こ)」+「す」だという)。「聞こし(召す)」なども類似の語構成と見られる。「こそあれ」「こそあらめ」(「~であれ」)の省略であるとする、平安時代以降の古典文法では常套といえる解釈もあったが、「広辞苑」や三省堂、ベネッセなどの古語辞典を見る限り、軒並み否定されているようである。しかし、いずれにしても命令に近い願望、祈祷を意味する「~であれ」「~であらんことを」のような意味になることに変わりはない。のちに発達した「こそ・・・けれ」などの係り結びは、もともと倒置法が起源であるとする説がある(国語学者・大野晋氏ら)が、この歌の結びの「こそ」は、それ以前の文法的形態を示していると思われ、詠まれた年代の古さを示している。* この歌にインスパイアされたという中村岳陵の日本画「豊幡雲」(昭和11年・1936)を写した綴れ織りは、宮中晩餐会などでおなじみの皇居・豊明殿の壁面の装飾として知られる。 層積雲 Lenticular cloudウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月16日
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額田王(ぬかたのおおきみ)君待つと我あが恋ひをれば わが屋戸やどの簾すだれ動かし秋の風吹く万葉集 488あなたをお待ちしてわたくしが恋しさをつのらせているとわが家の簾を動かして秋の風が吹いた。註秋の名歌。「君」は、天智天皇(近江天皇)。 国宝 源氏物語絵巻 宿木 (歌と画像に直接の関係はありません)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月06日
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山上憶良(やまのうえのおくら)長歌瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交まなかひに もとな掛かりて 安眠やすいし寝なさぬ反歌銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも万葉集 802-803(遠い赴任先で)瓜を食べれば、子供が思い出される。栗を食べれば、まして偲ばれる。いずこからやって来たものだろうか、面影がしきりに目の前にちらついて、熟睡できぬ。銀も金も珠玉もいったい何になるのだろうそれより遥かに勝っている宝の子供に及ぶだろうか(・・・いや、及ぶはずがない)。註万葉集、ひいては和歌屈指の名歌。食(は)む:「食う」「食べる」の意味の上古語だが、短歌では現代でも用いる。(鳥が嘴で)「啄(ついば)む」(「突き・食む」の音便)、「蝕む」(「虫・食む」)などの動詞に痕跡。眼交(まなかい):目と目の間。目の前。目(ま)のあたり。もとな:しきりに。やたらに。わけもなく。「根拠(もと)無く」の意。まされる宝:短歌形式の心地よい韻律ゆえに、一見すんなりと読めてしまうが、改めて仔細に読んでみると、この四句目の正確な解釈は意外に難しいように思う。この部分を何となくぼかしてある解説が多いようにも見受けられる。上記拙訳では、「(金や銀や玉などより、もっと)勝(まさ)った宝(である子供に~)」という文脈を採ったが、「(金や銀や玉などの)勝(すぐ)れた宝(も子供には~)」という読みも成り立つ。どちらが正しいかは微妙なところである。ただ、いずれにしても歌の大意に影響はない。【原文(万葉仮名)】宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 マクワウリ アジウリ クリウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年10月03日
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作者未詳少女をとめらにゆきあひの早稲わせを 刈る時になりにけらしも萩はぎの花咲く万葉集 2117乙女たちに行き会うように夏と秋が行き合う早稲を刈る時になったらしいなあ。萩の花が可憐に咲いている。註少女をとめらに:「ゆきあひ」にかかる枕詞(まくらことば)。「乙女たちに行き会う」というイメージを含意する。行ゆきあひ:隣り合う二季が行き合うような季節の変わり目。特に夏から秋にいう。短歌表現では現代でもよく使われる。
2016年10月02日
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オミナエシ山上憶良(やまのうえのおくら)秋の野に咲きたる花を 指および折りかき数ふれば七種ななくさの花萩の花尾花葛花くずはな撫子の花 女郎花をみなへしまた藤袴ふぢはかま朝顔の花万葉集 1537-1538註山上憶良の名歌。万葉集で、長歌と短歌(反歌)の組み合わせの連作形式は多いが、短歌と旋頭歌(せどうか)の連作はきわめて珍しい。というより、もしかするとこの一例のみか。一首目は5・7・5・7・7の短歌形式。二首目は5・7・7・5・7・7の旋頭歌の形式で、民謡風の野趣がある「鄙ぶり」。尾花:薄(すすき)の古語。詩的・雅語的表現としては現代でも用いられる「枯れ尾花」など)。撫子:ナデシコ科の多年草。セキチク、カーネーションと近似種。女郎花をみなへし:オミナエシ科の多年草。秋に黄色い可憐な花を咲かせる。語源は「美人(をみな)・減(へ)し」であるとされる。美人も真っ青になるぐらい可愛いというわけか。朝顔:桔梗(ききょう)のこととされる。現在言うアサガオ(ヒルガオ科)は、まだ(中国から)伝来していなかった。伊勢神宮外宮での観月会に供えられた秋の七草ナデシコハギ オミナエシ 伊勢神宮(外宮) その他は筆者撮影。ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年09月30日
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作者未詳影草かげくさの生おひたる屋外やどの夕陰に 鳴く蟋蟀こほろぎは聞けど飽かぬかも万葉集 2159影草の生えている庭先の夕陰に鳴くコオロギの声はいくら聞いても聞き飽きないなあ。註作者未詳:初の勅撰和歌集である古今和歌集以降では、「よみ人知らず」(古今集撰者・紀貫之らの造語か)と言うようになったが、万葉集では一般にこう呼ぶ。蟋蟀こほろぎ:中世以前には、セミなども含むあらゆる鳴く昆虫の総称だった。今でいうコオロギは、古語では「きりぎりす」と言った。今のキリギリスは古語では鳴き声から「機織(はたをり)虫」。江戸時代前期の松尾芭蕉の名句「あはれやな甲の下のきりぎりす」(おくのほそ道)も、コオロギのこと。 鳥居清広 浮世絵(作品名不詳) 江戸時代ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年09月19日
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よみ人知らずきのふこそ早苗とりしか いつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く古今和歌集 172ついきのう早苗を取って植えたのだったが稲葉をそよがせて秋風が吹いているのはいつからだろう。註「こそ・・・しか」は強調の係り結び。訳文のように逆説のニュアンスとなる。「しか」は過去の助動詞「き」の已然形(すでに終った動作を示す活用形)で、疑問形ではない。逆に下(しも)の句は「か」や「や」が省略されているが、「いつ」があるので疑問の意味。 田ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年09月19日
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大伴池主(おおとものいけぬし)桜花さくらばな今そ盛りと人はいへど われはさぶしも君としあらねば万葉集 4074桜の花は今が盛りだと人はいうけれどもわたしは寂しくてたまらないのです。ここにあなたがいないのだから。註(君)とし:「と」も「し」も上古語の強調の助辞(副助詞)で、特定の意味はない。cf.)「生きとし生ける」。
2016年04月01日
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小野老(おののおゆ)あをによし奈良の京みやこは 咲く花のにほふがごとく今さかりなり万葉集 328青と赤の彩りも美しい奈良の平城京は咲いた桜の花が輝くように今盛りだ(ということだ)。註上司・大伴旅人とともに九州・大宰府に左遷された部下である作者の痛切な望郷の歌、という背景事情を知っても知らでも馥郁たる名歌である。あをによし:「奈良」に掛かる枕詞。「青丹よし」(青緑色と朱色が美しい)の意味という。ちなみに、「にきび」の語源は「丹黍」(赤いキビの実)といわれる。 奈良公園ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン * 画像クリックで拡大
2016年03月28日
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、大泊瀬稚武天皇・おおはつせわかたけるのすめらみこと)御製(ぎょせい、おおみうた) 長歌ちょうか籠こもよ み籠持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ちこの岳をかに 菜摘なつます子 家聞かな 名告なのらさねそらみつ 大和の国はおしなべて われこそ居をれしきなべて われこそ座ませ われこそは告のらめ 家をも名をも万葉集 1籠かごだなあ 美しい籠を持って箆へらだなあ 美しい箆を持ってこの丘に春の若菜を摘んでおられる娘よ。家を聞こう。名のりなさい。そらみつ 大和の国は押し靡なびかせて私がいるのだ。平らげて私が座しているのだ。私こそは告げよう 家をも名をも。註この岳をか:現・奈良県天理市付近の段丘と比定される。(家聞か)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「聞く」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。(家と名を)告のる:求婚、婚約の儀礼(プロポーズ)。そらみつ:「大和」に掛かる枕詞。語源・語義未詳。われこそは告のらめ:係り結び。「われは告のらむ(私は宣言しよう)」を強調した形。 山の辺の道(奈良県天理市)ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2016年03月19日
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雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、大泊瀬稚武天皇・おおはつせわかたけるのすめらみこと) 御製(ぎょせい、おおみうた) 長歌籠こもよ み籠持ち 堀串ふくしもよ み堀串持ちこの岳をかに 菜摘なつます子 家聞かな 名告なのらさねそらみつ 大和の国はおしなべて われこそ居をれしきなべて われこそ座ませ われこそは告のらめ 家をも名をも万葉集 1籠かごだなあ 美しい籠を持って箆へらだなあ 美しい箆を持ってこの丘に春の若菜を摘んでいる娘よ。家を聞こう。名のりなさい。そらみつ大和の国は押し靡なびかせて私がいるのだ。平らげて私が座しているのだ。私こそは告げよう 家をも名をも。註この岳をか:現・奈良県天理市付近の段丘と比定される。(家聞か)な:「~しよう」。活用語(この場合は動詞「聞く」)の未然形に接続して、話者の意志を示す上古語終助詞。万葉集に頻出する。おそらく、奈良時代当時の口語だったのだろう。(家と名を)告のる:求婚、婚約の儀礼(プロポーズ)。われこそは告のらめ:係り結び。「われは告のらむ(私は宣言しよう)」を強調した形。 山の辺の道 奈良県天理市ウィキメディア・コモンズ パブリック・ドメイン *画像クリックで拡大。
2015年03月15日
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