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貴重動画小島ゆかり短歌教室「言葉と心のリレー」
2014年10月18日
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平家物語・冒頭祇園精舎ぎをんしやうじやの鐘の声、諸行無常の響ひびきあり。 沙羅双樹さらさうじゆの花の色、盛者じやうしや必衰の理ことわりをあらはす。 おごれる人も久しからず、 ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者も終つひには滅びぬ、偏ひとへに風の前の塵に同じ。註名もない琵琶法師たちの創作と口伝(くでん)による伝承を経て鎌倉時代に成立。それを記録したこの文書は、現代文に通じる「和漢混淆文」の最初の達成ともいわれ、平安期までのやまとことばによる物語文学に比べ、現代人にはきわめて読みやすい。明治時代の文学における「言文一致体」の成立に、当時の落語の話芸が決定的な役割を果たしたといわれる事実と軌を一にするともいえよう。沙羅双樹:娑羅(しゃら)双樹。ヒガンバナ。マンジュシャゲ。* 原文に句読点はない。宇多田ヒカルが「traveling」の歌詞で一部文言を引用している。
2014年09月13日
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小田嶋隆 ポエムに万歳!【送料無料】価格:1,404円(税込)■ 「説明放棄」 「幼児退行」 きれいな言葉が犇く「ポエム化」問題を整理する ── 小田嶋 隆氏【ダ・ヴィンチ】
2014年06月21日
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○ 俵万智さんツイッター 20日付「ミもフタもなく言うと、おいしい肉料理のコツは・・・」・・・なるほど~、言えてるかもしれない。たぶん、「おいしい短歌」のコツも、「おいしい言葉」を使うことかもね
2013年11月21日
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「短歌人」1月号の詠草締め切りが迫り、目下ラストスパートの苦吟中 新年号とあってやはり何となく力が入り、私なりに多少なりとも新味・新境地みたいなものを示したい気持ちも相俟って、先月からの1か月弱の間にA4版フリーペーパー(無地の白紙)に横書きでびっしり8枚詠んだ。 なお罫線などがない紙の方が、思いつきやアイデアを自由にごちゃごちゃ書き込めて、開放的で私は好きである。 累計は、正確に数えたわけじゃないが、1枚20首として150首以上ある同工異曲の作も少なくないが、均せば毎日5~6首は詠んでるわけだ。 「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」は、けっこう真実だと思っている あわよくば「量(クォンティティ)が質(クォリティ)に転化する」ということにもなるわけだ。 その中から目ぼしいものを選んで、推敲(ブラッシュアップ)、文法チェックなどを施しつつ、約10分の1の決定稿15首に絞り込んでゆく。歌を詠んでいる(閃いてメモする)時間は最高に楽しくて、睡眠時間を削ってでもやってしまうのだが、こういった残務整理的・事務的な作業は、苦痛以外の何者でもない。あ~、メンドイ。楽しくも苦しくつらい歌の道なのである
2013年11月08日
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○賞レースで勝てない芸人は内輪ネタしかやってない それはネタじゃない ──「ナイツ」塙宣之に聞く【エキレビ!(エキサイト・レビュー) 28日】 古くは、偉大なる猿楽(能)役者・大成者で謡曲作家だった世阿弥の古典的名著『風姿花伝』を嚆矢として、優れた芸能者の芸道論は、生きた表現論・人生論・哲学論の傾(かぶ)きを帯びつつ、虚心坦懐に読んでみるとなかなか面白いものである。 現代日本の才能溢るる芸人、ナイツ・塙(弟)のこのインタビュー記事も、そんな芸談の一つとして興味深く、ほかの芸能・芸術・表現分野にも通底する鋭い分析を含んでいるように思う。 この「芸人」のところに「歌人」を代入しても、けっこう当てはまるような、・・・な~んて思ってしまった
2013年05月28日
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○ 内村鑑三の書幅発見 日光好き示す短歌【下野新聞(栃木) 1日付朝刊1面トップ】 日露戦争の際に非戦論を唱えたことで知られるキリスト教思想家・内村鑑三(うちむら・かんぞう、1861~1930年)が奥日光での感動を短歌に詠んだ直筆の書幅が、31日までにさくら市狹間田の関係者宅で見つかった。内村が日光を度々訪れたことはこれまでも分かっていたが、日光への思いを記した資料が発見されたのは初めて。専門家は「日光が内村にとって重要な場所だったことをあらためて裏付ける貴重な資料」と評価している。(江戸美佐子) 書幅が見つかったのは、内村に師事した旧熟田村長青木義雄(1869~1951年)の孫大村務さん(66)宅。青木も住んだ母屋の和だんすの中に、内村の別の書幅2点と共に見つかった。同市ミュージアムの学芸員らが、署名や筆跡などから内村の直筆と確認した。 大村さん宅からはこれまでも、内村が青木に宛てた400点以上の書簡などが見つかっている。 今回の書幅は縦65センチ、横26センチ。「霜枯に錦繍は消えて男躰山 常磐木に添ふて積る白雪」の短歌が「鑑三」の署名と「千九百十三年十一月四日」の日付入りで書かれている。 短歌には日光に紅葉狩りに来て時期遅れだったものの、かえって常緑樹が素晴らしかったことから歌を詠んだことが添え書きされており、内村の感動ぶりがうかがえる。
2013年04月03日
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順調に回を重ねて、早くも第6回を迎えました、結社「短歌人」の公式インターネット歌会が現在開催されています。興味のある方は、どうぞお気軽にご訪問くださいませ。■ 短歌人ネット歌会会場ただし、会員以外の方の参加(出詠、書き込みなど)は出来ません。この点はあしからずご了承ください。■「短歌人」に入会ご希望の方は、こちらからどうぞ
2011年07月10日
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そういえば今ふと気づいたのだが、このところ東北方面からのアクセスがほとんどなくなっている。この楽天ブログの管理画面には、簡単ながらアクセス解析機能も付いていて、訪問者のだいたいの傾向を察することが出来るが、これまで常連のお客さまだった、明らかに東北方面と分かるアクセス主がしばらく来ていない。今回の大震災の影響がこんなところにも現われている。本当にお気の毒でならない。この場を借りまして、遅ればせながら、心からご無事をお祈り申し上げます。さて、いつも短歌というものに真摯に向き合い、重厚真率な作品を詠み続けておられる、畏敬する短歌朋友(うたとも)がいる。彼女から先日、今回の大震災に絡んで「地震直後から、あるいはハイな状態で、あるいは気を励まして歌を詠んできましたが、『何でも歌のたねにしてよいのか』的な自責の念もあり・・・」というコメントをいただいた。慎み深い文意はやや模糊としているが、要するに「歌詠みは、今回の事態にどう向き合うべきか」といった趣旨と理解した。重い問いであると受け止めた。これは私も、地震発生直後から感じていたことであり、問題意識や感情は共有していると思った。考えさせられた。むろん、「自立したそれぞれの表現者が自由に判断し、決定すべきことである」という認識が前提であり、総括的な結論でもある。表現の自由ということである。・・・が、これだけではあまりにも鰾膠(にべ)も無く、何も言っていないに等しいだろうか。もう少しきちんと問題に向き合って考えてみることも無駄ではなく、ひいては短歌の修行でもあろうかと思われる。とはいうものの、私も全く文芸評論家や論客などではなく、突き詰めた論理的思考も苦手である。ちゃんとした論文などではない、取りとめのないことしか書けないので、それはご承知置きの上、ご了解願いたい。今回の大震災は、数万人に及ぶといわれる犠牲者と甚大な被害をもたらした。わが国にとって昭和の戦争以降では未曽有の大惨事となった。すでに各方面から、歴史的な国難といわれている。全く大袈裟でないと思う。引き続き発生し、今なお予断を許さない状態の福島原子力発電所の問題も、ここ数日でやや光は射してきつつあるようだが、大きな不安と不信を巻き起こしている。われわれ戦後生まれの中年以降の世代にとっては、生まれて初めての巨大な自然災害であった。民主党政府の無能無力ぶりは目に余るものがあるが、それは今脇に置くとしても、より根源的な部分で、人間と文明の無力さを感じさせられたといえる。人間の倨傲(きょごう)に対する大自然からの冷厳な審判、警告、または苛烈な試練といった捉え方が頭の片隅をよぎらない者はいないだろう。文学に関わる者は、唯物論者でない限り、必ずしも自然科学的な認識に立脚する必要はない。作品中では、例えば「天動説」の宇宙観に依拠してもいいとすら私は思っている。常識的な、あるいは小市民的な道徳観に立つ必要もない。それを超え、それより上位にあるべきだ。われわれは、人智を超えた今回の天災から、「天」や「神」といったものの存在を感じ取らずにはいられない。「啓示」「黙示」「摂理」「カタストロフ」などといった周辺概念も直ちに思い浮かぶ。旧約聖書の「バベルの塔」の神話や、ダビデ(デービッド)の詩篇を思い起こす人もいるだろう。以上書いたことは、私個人の感想だが、例えばこのように、多かれ少なかれ誰しもの心に何らかの深い強い情緒的反応がないはずがなく、それは場合によっては心底に沈澱して心身を蝕むこともあり得るし、一方で濾過され結晶化した心の叫びとなることもあるだろう。普段から短歌に親しみ読み詠んでいるわれわれは、自分の胸に手を当てて、また自分の力量に照らし合わせて、詠みたい、詠める、詠むべきだと判断すれば、詠めばいいと思う。が、この大災忌をどのように歌にするのか、直接的に詠むのか、間接的に表現するのかなど、わが歌友もコメントに書いておられたが、実際問題としてなかなか手に負えない面があると思う。新聞歌壇などは、今週(昨日今日の紙面など)は間に合わなかったようだが、次週からは震災関連の短歌で埋め尽くされることになるだろう。だが、こんな時に浮かぶ言葉といえば、誰しもだいたい同じようなことであろう。言っては悪いが、類型的な作品のオンパレードになることは容易に想像がつく。むろん、それが無意味であるとは言わない。それは、わが国民の深い精神の精華、いわば「平成の万葉集」の一巻となり得る、非常に有意義なことである。今こそ「五七五」が遺伝子に組み込まれているとまでいわれるわが国民文学・短歌の出番であり、独壇場となるかも知れない。ただ、われわれ、仮にも結社に所属してそれなりに研鑽を積んでいる歌詠みの端くれからすれば、なかなか困難な事態だと思うのも事実である。私は普段、半分茶化してオチャラケたような「狂歌」(俳句に対する川柳のようなもの)とか、言葉遊び的な歌風も好きなのだが、しばらくの間は詠めないだろうな~と感じている。社会状況的にも、自分の気持ち的にも、いわば一種の内憂外患という感じである。このところ数日間、震災がらみで私もかなり歌を作ってみたのだが、一読してみて、とても人さまにご披露できるようなシロモノではないと思った。・・・「時事詠に秀歌なし」という経験的警句は、真実だと思う。結局、凡庸な新聞記事のようになってしまう。試みに、大正12年(1923)9月に発生した「関東大震災」を、当時の歌人たちがどう捉えたのか、ざっと調べてみた。当時は、近代短歌が爛熟期を迎え、綺羅星のごとき歌人が才を競っていた時期である。ところが、詞華集(アンソロジー)の類いをひと渉(わた)り捜してみてまず気がつくのは、震災を直接に詠みこんだ作品は、意外なほど少ないということである。日本近代史に特筆される大震災の重大さを思えば、まことに意外な事実だが、時事をそのまま詠み込むことは野暮、または歌人の任ではない ──「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾が事にあらず」(藤原定家)という感覚が強かったとも推察される。そうした感覚は、現在ですらあると思うからだ。あるいは、衝撃が大きすぎて歌にならなかった、出版社も打撃を受けたなどの事情もあるのかも知れない。はたまた、もしかすると民心の動揺・軽挙妄動を恐れて、当時存在した検閲に引っ掛かったとか、政府の干渉があったなんてこともあり得るかも知れないが、これは詳らかではない。歌人もその時代の中で生きている以上、それぞれの濃淡はあっても、意識的無意識的を問わず状況に深く影響されることは当然である。直ちに思いつくだけでも、明治期の近代の勃興、社会主義思想の輸入に端を発したプロレタリア労働運動の発生、昭和の大戦、そして戦後の混乱や尖鋭化した学生運動とその敗北、バブル経済の興隆と衰微など、歌はそれぞれの時代を直接・間接に映してきた。(ただ、それらの実例に触れようとすれば全くキリがなく、あまりにも私の手に余ることなので、ここでは一切省略させていただくが、そうした名歌・秀歌の一端は、このブログでも折に触れてぽつぽつご紹介しているところである。)そうした近現代史の中に、関東大震災もある。それは、明治以来イケイケドンドンだったこの国に、初めて大きな陰が差した瞬間だったのかも知れない。
2011年03月21日
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現代短歌の名匠・石田比呂志氏が、昨24日永眠された。享年80歳だった。いかにも九州男児らしく、豁達磊落(かったつらいらく)でユーモラス、酒を愛してやまなかった私生活も含め、「最後の無頼派」の意気と粋を全身に漂わせた大好きな歌人だった。長い間、本当に勉強になり、楽しませていただいた。この場を借りて、謹んで哀悼の意を表しますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。犬猿の仲といはるるヒロシとふ二人の歌人どこか似てゐる(拙作、歌誌「短歌人」4月号掲載予定詠草)* 石田比呂志氏と穂村弘氏。石田比呂志氏 80歳 【読売新聞 2月25日付朝刊】(本名・石田裕志 =いしだ・ひろし= 歌人、読売西部歌壇選者) 24日、脳出血で死去。告別式は26日午前11時、熊本市健軍2の1の29 玉泉院健軍会館。喪主は歌誌「牙」会員、阿木津英(あきつ・えい)さん。 「牙」主宰。ユーモラスかつ辛口な視線の作風で知られた。1986年に「手花火」30首で短歌研究賞を受賞。主な歌集は「無用の歌」など。昨年8月に第17歌集「邯鄲線」を出した。代表歌に酒のみてひとりしがなく食うししゃも尻から食われて痛いかししゃも(歌集「滴滴」昭和61年・1986)[読売新聞 2月25日 0時13分配信]
2011年02月25日
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昨夕(きぞ)いそいそと近所のコンビニで「文藝春秋」3月号を買ってきて、さっそく一杯やりながら西村賢太氏の芥川賞受賞作「苦役列車」を読み始めたが、世評にたがわず巻を置く能(あた)わずの面白さで一気に読了、久方ぶりに小説を読むことの楽しみを堪能した。同時受賞の朝吹真理子氏の「きことわ」も、パラパラと繰りつつ、ざっと瞥見。こちらは明らかにフランス文学マルセル・プルースト/アンドレ・ジッド系マトリョーシュカ入れ子細工の時空構造を以て、過去と現在を往還する脳内実験的人工楽園。仏文をやりたかった僕にとっては、朝吹というやや特異な苗字を聞くだけでピンときて直立不動のプリンセス真理子(しんりし)内親王殿下であらせられ、むしろこちらの方が本丸というべきであろうが、なかなかハードルが高く思われるのも否めない事実である。・・・「きことわ」は、のちほど改めてゆっくり熟読玩味することにしてと。いずれも、純文学の新人賞にふさわしい渾身の力作中篇。まず言えることは、いずれの作者も文章表現がずば抜けて上手いということ(天下の芥川賞を授けられた作品であるからして、当たり前といえば当たり前だが)。・・・と同時に、よくもまあこれほど対蹠的な作家・作風が並んだものだと、その天の配剤の妙に感心。どちらも、ロケーションとしては共通に、南関東の海辺近くで展開される物語、いうなれば「海辺の光景」である。しかし、試みにそこに現われる固有名詞の地名を拾うならば、こなた「昭和島の羽田沖、平和島、芝浦、豊海、鶴見の現場」などであり、かたや「逗子、葉山、湘南の別荘」、はたまた「三億五千万年前のデボン紀の海」などである。ああ何という月とスッポン、・・・いや、ドブ貝というべきか。「苦役列車」は、東京「江戸川区のはずれ、ほぼ浦安寄りの町」に生まれ、理不尽な暴力の跋扈する雰囲気の中に育ち、不運不遇な少年時代の間にすっかりひねくれやさぐれて、狷介固陋で陰鬱頑冥な「若年寄」のような人となりを獲得しつつも、それなりの最低限の見栄と矜持という根拠なきプライドのようなものを辛うじて保持しているかに見える孤独な19歳の若者が主人公(プロタゴニスト)である。その主人公「北町貫多」が、今や「中卒・逮捕歴あり」のキャッチフレーズ(?)で、フリーターの希望の星と仰ぎ見られている作者「西村賢太」その人の分身であることは、誰の目にも明らかである。その自伝的リアリティに、そこはかとなく鬼気迫る。ややカッコよく言うと「沖仲仕」ともいうのであろうか、その実、最底辺の日雇い港湾労務者として、単調できつい肉体労働の対価である5,500円の日当で糊口を凌ぐ生活の中で、ある日ふと爽やかで人好きのする同年輩のスポーツマンの青年と現場で知り合い、一緒に「覗き部屋」やソープランドに行ったりと、やや奇妙でささやかな友情を育むかに見えつつ、案の定、酒の上での些細な行き違いから、なし崩しに予定調和的な破局を迎え、元の木阿弥の孤独な貧窮生活に戻るという、自虐的・破滅的な「イタイ」私小説の枠組みを持つ力作である。安酒を引っかけて帰ってきて、「エロ雑誌の美女三人」をオカズに「日課の自慰行為」に耽る描写なんぞも、しごく当然の日常茶飯事としてさらりと描かれる。上品な女性読者などは顔を顰め、目を背けるであろうリアルで即物的な描写が淡々延々と続くが、あにはからんやその筆致は決して単調ではなく、退屈させずページを繰らせる。男の読者であれば、おのれの境涯はともかくとして、主人公の気持ちや言動は分かる分かると共感しきりの渦中に投げ込まれる。お世辞にも上品とはいえないが、決してDQN(ドキュン、今風のならず者)ではなく、ある種の鋭敏さと繊細さもありありと宿しているこの若者とお近づきになりたいとは決して思わないが、遠目に見ている分には十分に感情移入や共感ができる内面の吐露がじわじわと胸を打ってくる。19歳の男子なんて、学生だろうが労務者だろうが、本質的にはだいたい同じようなものだとの感慨も湧く。・・・銀の匙(スプーン)を銜(くわ)えて生まれてきたルーピー鳩山兄弟のようなごくごく一部の特権階級を除けば、だが。これは、いわば「ファーブル昆虫記」の観察みたいなものだな。それを人間に適用した。特にフランスで発達したフローベールなどのリアリズム(写実主義、現実主義)をさらに推し進めたエミール・ゾラなどの自然主義(ナチュラリズム)の系譜の、日本的変奏である田山花袋以降の私小説の正統な末裔である。そういえば「にっぽん昆虫記」という日本映画の名作もあった(今村昌平監督、左幸子主演、昭和38年・日活)。これも全篇リアルな描写の中で、主人公の逞しい女の一生が語られる。さらに言うなら、30~40年前だったら「社会主義」だとか「革命」とかの観念形態に誘導されつつ語られていたかも知れない貧窮をめぐるモチーフの数々が、安易に陳腐きわまる政治や経済の問題とか、はたまた文学ではよくありがちな罠である「神」とか「不条理」とか「実存」とかに一切還元されないで終始するところがとりわけよく、ある種のリアルさと「純粋性」さえ際立たせている。青春小説としての「すがすがしさ」さえ湛えているといって差支えないだろう。大いなる物語 ──「大風呂敷」といってもいいだろう── は、すでにあらかじめ終わっているのが現代である。今どきキリスト教やマルクス主義でもあるまいて。これが本来の小説というものでありつつ、こういうフラットさこそが今という時代なんだな~と思わなくもなかった。選評で、こういった点での踏み込みが慊(あきたりな)いという趣旨のことを言っている選考委員もいて、やや同感できる部分もあるが、むしろその人の文学観の「古典性」を露呈していると見るべきなのかも知れない。また、賞獲り、わけても芥川賞ともなれば、大胆な起伏・冒険・暴走よりは、やはり端正な完成度、調和的な小宇宙の構築が評価されがちであり、ここであまりに奔放さを要求するのは作者に酷であり、望みすぎであるといえよう。それは今後の健筆に期待するべきであろう。なお、作者・西村氏と主人公・北町についてのある程度詳しい情報は、こちらにまとめられているので、ご覧下さい。・・・ネットって本当に便利ですね~■ 芥川賞作家・西村賢太の分身、北町貫多の7つのひみつ
2011年02月18日
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結社誌「短歌人」1月号に、かねてより蔭ながら深く尊敬している俳人の坪内稔典(つぼうち・ねんてん、としのり)仏教大教授・京都教育大名誉教授の論考がゆくりかに載っていて、視線が釘付けとなった。それは、短歌人所属の歌人・吉岡生夫氏の評論集「狂歌逍遥」への書評文の一部であるが、わが意を得たりという気持ちになった。以下、当該部分の最小限の引用をお許し戴きたい。引用 ■ 紹介と批評 吉岡生夫評論集「狂歌逍遥」坪内稔典氏批評文「そうなのだろう」よりやや強引な言い方をするが、歌が新しくなるときはたいてい狂歌的なのではないか。石川啄木のへなぶり、斎藤茂吉の赤茄子、そして近くは俵万智のカンチューハイや穂村弘の象のうんこ。それらの歌はなにがしか狂歌的である。君が眼は万年筆の仕掛にや、絶えず涙を流して居給ふ 石川啄木赤茄子の腐れてゐたるところより幾程もなき歩みなりけり 斎藤茂吉「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの 俵万智サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい 穂村弘狂歌的なものが短歌を新しくする。そのように言ってもいいだろう。念のために言い足すと、狂歌が歌を新しくするのではない。あくまで、狂歌的に突出した逸脱、それが歌を新しくする。(引用終わり)・・・ああ、なるほどと思った。いずれ劣らぬ近現代短歌の名歌四首であるが、こういう括りで並べられたのを見たのはもちろん初めてであるし、類例も見たことがないほど斬新だと思う。ただ、斎藤茂吉の歌に巧まざるユーモアを見る視点は、「短歌人」の小池光氏が、それまでになかったものを初めて歌論に持ち込んだもので、広く納得され評価されている。上記の括りには、石田比呂志氏や藤原龍一郎氏を加えることも可能ではないかと思う。一見、不倶戴天の犬猿の仲であるように見える(笑)名匠・石田氏と鬼才・穂村氏は、この視点で見れば、案外近いところにあるような気さえする。実は、この種の見方は、朧気ながら僕の頭の片隅にもずっとあった感覚で、僕の短歌鑑賞のツボでもある。それを明晰な言葉で改めて言ってくれた。さすが達人の言であると感服した次第だ。いつも僕が引っかかり面白がってきて、力及ぶかどうか分からぬがあわよくば自分でも作りたいと念願している短歌は、言われてみれば「狂歌的な短歌」であると、ずばりと言い当てられた気がする。ちなみに、そういう坪内氏の詠む俳句も、まさに持論通りの狂歌的・川柳的な句風といっていいだろう。「一月の甘納豆はやせてます」で始まる甘納豆連作(句集「落花落日」昭和59年・1984)も圧倒的だが、桜散るあなたも河馬になりなさい(同)などは、現代俳句最高水準の境地を示す、いうなれば「川柳的な俳句」の傑作であると思う。ただし、もちろんこれが川柳ではなく、俳句であることは言うまでもない。
2011年01月12日
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この記事は、後で続きを書くとか書きましたが、なんだかんだ言いながら大体の論点は書いてしまって、満足しちゃったというか飽きちゃった気分なので、書かないかも知れません。すいませ~ん「トイレの神様 批判」などのキーワードで検索すれば、何が批判されているのかがすぐ分かると思います。ちなみに僕の場合、沁みまくった曲として直ちに思いつくのは、ケツメイシの「トモダチ」。これもけっこう長いんだけど、厖大な量と緊密な質のラップのライム(叙事詩、歌詞)で徐々に徐々に盛り上げていって、サビのメロディが炸裂するところでは、僕の場合必ず泣くことになっている。独断的にいえば、鳥肌モノのJ-POP完全作品だと思う。この曲については、かなり以前だが、確かこのブログでも既に書いた記憶がある。そのほかにも、ケツメイシの曲は力作揃いで、本当にすばらしいものが多い。こういうのを基準に考えたら、評点も辛くなっちゃうよね。昨年大ブレイクし「NHK紅白歌合戦」出場効果でこの新春に再ブレイクしている植村花菜の「トイレの神様」は、いろんな意味で興味深い作品だと思う。思えば、昨年春ぐらいからラジオなどでよく耳にしていた。僕は普段テレビはあんまり見ない生活をしており、ラジオを聴いてることが多いので、なおさら馴染みがあった。あの9分52秒のフルサイズ・バージョンのオンエアが多かったのが記憶に残る。ラジオ放送向きだったこともあり、ラジオの現場ディレクターの琴線をまず鷲掴みにしたと察せられ、あれよあれよという間に社会現象といえるような大ヒットになっていった。その間、僕はそんなに本気になって聴き込んだわけではなく、いわば聴き流していたので、なるほど世評にたがわず、なかなかいい歌だな~ぐらいに思っていたのだが、同時に、何やら微かな違和感が胚胎してくるのも事実だった。僕が子供の頃、折しも日本は高度成長期で、両親とも忙しく働いていたので、僕も「お婆ちゃん子」として育った一人である。その祖母はアララギ派の短歌など詠んでいて、歌集も残っている。思い出もたくさんあり、受けた影響は絶大だったと、今にして思う。その祖母を詩歌作品に詠み込むとしたら、こうなるだろうか? という素朴な疑問が湧いた。なんかどこか引っかかるんだよね~。人それぞれだとは思うけど。最近になって、インターネット上で、この歌詞が激しい毀誉褒貶と賛否両論の渦中にあることを知って、それらを丸一日かかって熟読してしまった。その批判(非難?)は、単にタイトルの「トイレ」という尾籠で刺戟的な言葉への反発から、歌詞の深い分析に基づく傾聴に価する意見や、場外乱闘的な作者の人格攻撃に至るまで、あらゆる次元に及んでいるのだった。それらに驚くと同時に、あ~やっぱりな~、という感じも拭えなかった。僕も微かに感じていた違和感の正体が、激しい言葉で綴られていた。ネット上の言論は、時にこういった微妙な異質感に対して冴え渡るのではないか。J-POP、というか流行歌は、歌詞に加えてメロディ、リズム、サウンド、そして何より歌唱、また歌い手の魅力、売り方(プロモーション)などの多くの要素が入っているので、歌詞単体で評価するのはフェアではないといえるかも知れない。事実、この歌を楽曲として聴いた時と歌詞だけを読んでいる場合では、かなり印象が違う。まるで別物といえるかも知れない。それにしても、この歌詞は、詩歌など言語表現に興味があるものなら、熟読玩味して十分分析する必要があり、またそれに価する「出来不出来(?)」だといえるだろう。僕は、基本的にはまあまあいい歌だと思っている。いわゆる「感動の押し売り」的な面も確かになくはないが、売れてなんぼ・売れなきゃカスの芸能界であるから、ある程度はしょうがないだろう。問題はその程度と質である。作詞技巧的に上手いところと、稚拙なところ・冗長なところが同居している、いわば舌足らずな表現になっているところに隙と難点があり、各方面からこうまで突っ込まれまくっているのだろう。ちなみに作者・植村花菜は、シンガー&ソングライターとしての実力はつとに認められつつも、これまで全くヒットに恵まれず、メージャーシーンでは鳴かず飛ばずのカナリヤだった。10枚目のシングル・リリースになるこの歌が当たらなければ、今年あたり契約解除・都落ちの瀬戸際だったという。作者も必死だったのだろう。ポピュラー音楽評論家・富澤一誠氏によると、こうした経緯は「海援隊」が世に出た「母に捧げるバラード」(作詞:武田鉄矢、1973)と酷似しているという。彼らも、尻尾を巻いて故郷・博多に帰るかどうかの瀬戸際で、乾坤一擲の大ヒット曲を生み出した。それなかりせば、現在余人を以て代えがたい個性の名優となっている武田も存在しなかったということになる。・・・芸能界って、ホント博打だよね~。さてこの歌に戻ると、固有名詞の使い方はけっこう上手い。「(吉本)新喜劇」なんて、なかなかいいんじゃないかと思う。これがあざといという意見も少なくないが、あざとさと鋭さは紙一重であり、これが許容されなければ表現者はやってられないだろう。「鴨なんば」なんて初めて聞いた。もちろん「鴨南蛮」は知っているが、この関西訛り(?)も半ば固有名詞的に機能して、リアル感を醸し出すのに寄与している。作者本人と目される作中主体「わたし」は「おばあちゃん」を見捨てて勝手に出て行って、最後まで和解してないのに、「おばあちゃん」は「わたし」を待っていてくれたとか勝手な解釈をして自分に酔ってるんじゃないかという意見もある。ここに悪しきナルシシズム/自己愛を嗅ぎ取った批判がきわめて強い。これは確かに事実としてそうなのかも知れないし、単に言い方が舌足らずなのかも知れない。いわば、短歌用語でいう「言いさし」になっていて、受け手に解釈を委ねる形になっている。受け手は自分なりにイメージを補完するよう迫られる。この辺も面白い。少なからぬ違和感が次々と湧いてくる、一種の軽い心理的な不思議ワールドだ。・・・が、これら全てが、作者の狙い通りであるという可能性も排除できない。トーク番組などでの作者の受け答えを聞いていると、理路整然と立て板に水であり、頭脳明晰で意識的な表現者タイプであることは一目瞭然であった。10分弱という長尺も、刺戟的なタイトルも、レコード会社や周辺スタッフの反対を作者が押し切ったという。表現に対して矜持と信念があることが十分にうかがえる。むろん、関西弁もきわめて有効に機能している。東男から見ると、関西弁の遣い手は羨ましい、もしくはズルいといつも思っている。これだけで独特の情感が醸成されるアドバンテージがある。・・・が、いずれにしても、今私は「短歌人」3月号締め切り間際で、頭から火~噴いているところです~考察の続きはまたの機会にいたします。毎年そうなんだけど、この正月の締め切りが精神的に一番キツイんですよね~。お屠蘇気分の抜けない正月ボケの状態での作歌作業は、はっきりいって無理だと思うんです~(笑)そんなこんなで、今日のところはこの辺で~
2011年01月07日
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前記事でちょこっと触れたお笑い芸人・ピース又吉(またよし)のセンスがけっこうスゴイんじゃないかと各方面で話題になっているので、その一端をご紹介してみたい。■ ことわざアレンジ(フジテレビ系全国ネット「笑っていいとも」6/18放送分より)「焼け石に水」をアレンジすると 「世界の終わりに一次予選通過のお知らせ」 「出棺後に名医来日」 「ミイラに保湿液」 「全治二ヶ月にマキロン」「棚からぼた餅」をアレンジすると 「間違って録画した時代劇が面白い」 「転んだから自転車に轢かれなかった」 「怪我したが久々にかさぶたを見れた」 「絶滅する中で結束」(同番組8/6放送分)「のれんに腕押し」をアレンジすると 「三途の川で人工呼吸」 「お経に相槌」 「骨壷に告白」 「見ず知らずの外国人に祖父の形見をあげる」(同7/16OA分)「雨降って地固まる」をアレンジすると 「街が崩壊して富士山が見える」などだそうだ。ある種、一部のニューウェイヴ短歌などとも相通じるぶっ飛んだ発想と、横溢するネガティヴでペシミスティック(厭世的)な感性が、何ともブンガク的で面白い。
2010年11月16日
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所属している結社「短歌人」の第3回インターネット歌会が、きのう22日から堂々開催されております~っ■ 短歌人ネット歌会会場はこちら今回は参加作36首の盛況で、力作揃い。一瞥して壮観だと思いました。皆さまも、どうぞご自由にご閲読下さいませ~。(ただし、「短歌人」会員以外の方の書き込みやトラックバックは出来ませんので、ご了承下さい。)僕自身も(どれとは言えませんが)作品を出品していますが、実は今回は推敲不足でちょっと失敗したと思っているので、開催期間中はおとなしめにしているつもりです~
2010年10月23日
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歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ)さんが永眠されました。享年64歳の若さでした。かねてから大ファンであり、深く敬愛しておりました。この場を借りまして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。生前最後の歌集は、昨年12月刊の「葦舟」となりました。河野裕子 歌集「葦舟」価格:2,700円(税込、送料別)■ 河野裕子「体力温存」(「短歌研究」2008年11月号)歌人の河野裕子さん死去 戦後女性短歌の第一人者 64歳【読売新聞】 女性の身体性に深く根ざした感覚で、家族の関係や日常を詠んだ歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日午後8時7分、乳がんのため亡くなった。64歳だった。家族で密葬を行い、後日、お別れ会を開く。喪主は歌人で細胞生物学者の夫、永田和宏・京都産業大教授。 京都女子大在学中、23歳で角川短歌賞を受賞。〈たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか〉などの生命力あふれる歌で戦後生まれの女性歌人の先頭を切った。1977年「ひるがほ」で現代歌人協会賞、2001年「歩く」で若山牧水賞、09年「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞と迢空賞を受賞した。宮中歌会始選者も務めた。 18歳で歌誌「コスモス」に入ったが、89年に退会、翌年、「塔」に入会した。和宏さんは93年から「塔」主宰を務め、長女の紅(こう)さんも01年に現代歌人協会賞を受賞した歌人。 00年に乳がんが見つかり、手術を受けた。より切実なものとなった家族との日々を、〈をんなの人に生まれて来たことは良かつたよ子供やあなたにミルク温める〉と詠み続けていたが、08年に再発が分かった。 09年に出た第14歌集「葦舟」でも、〈そこにとどまれ全身が癌ではないのだ夏陽背にせし影起きあがる〉と、病に立ち向かう日常を短歌に託した。 歌人・俵万智さんの話「自分が歌を作り始めたころから活躍されていて、大きな目標だった。女性らしさを肩ひじ張らず、おおらかに自信を持って表現されたのは、すごく新しかった。恋や命を育む母など女性ならではの歌を作ってこられた。本当に残念です」〔読売新聞 2010年8月13日〕■ 読売新聞1面コラム「編集手帳」8月14日付 河野裕子さんの歌は小欄でも過去に何度か引用させてもらった。どの記事も、ふさぐ心で筆をとった記憶がある◆例えば6年前、大阪府内の男子中学生(当時15歳)が親から食事らしい食事を与えられず、小学2年並みの体重24キロ、骨と皮の餓死寸前で保護されたときに引いた一首。〈しつかりと飯を食はせて陽(ひ)にあてしふとんにくるみて寝かす仕合(しあわ)せ〉◆あるいはロシア南部、北オセチアで武装集団が学校を占拠し、100人を超す子供たちが犠牲になったときに引いた一首。〈朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの〉。ふっと世相が暗くなるたび、燭(しょく)台(だい)の灯を借りるように河野さんの歌を借りてきた◆「母性」というものを詠ませては、当代随一であるのみならず、記紀万葉から数えても指折りの歌人であったろう。乳がんを手術し、闘病生活を送っていた河野さんが64歳で亡くなった◆いままた、母親の「育児放棄」によって幼い命が二つ、無残に散ったばかりである。〈子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る〉。その人が残した燭台の灯が胸にしみる。〔読売新聞 2010年8月14日 01時08分〕河野裕子さん 64歳 歌人、毎日歌壇選者【毎日新聞】 現代女性短歌を代表する歌人で、毎日歌壇選者の河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日午後8時7分、乳がんのため死去した。64歳。葬儀は近親者だけで行う。お別れの会を後日開く。喪主は夫で歌人の永田和宏(かずひろ)さん。 熊本県生まれ。京都女子大在学中に角川短歌賞を受賞した。さらに、歌集「ひるがほ」で現代歌人協会賞、「歩く」で若山牧水賞、「母系」で迢空賞を受賞するなど、戦後生まれの女性歌人の第一人者として活躍した。1990年から毎日歌壇選者を務めていた。 長男の淳さん、長女の紅さんも歌人。10年前に乳がんを患ったが、闘病の傍ら旺盛な作歌を続けていた。12日夕も毎日歌壇の選歌原稿を送るなど、最後まで仕事を続けていた。〔毎日新聞 2010年8月13日 13時08分〕現代女性歌人の第一人者・河野裕子さん死去 64歳【朝日新聞】 女性の身体や感性をしなやかに詠みあげた、戦後生まれを代表する歌人、河野裕子(かわの・ゆうこ、本名永田裕子〈ながた・ゆうこ〉)さんが12日午後8時7分、乳がんのため死去した。64歳だった。葬儀は近親者のみで行う。お別れの会を後日開く。喪主は朝日歌壇の選者を務める歌人で京都産業大教授の夫、永田和宏(かずひろ)さん。 熊本県生まれ。1969年、23歳で角川短歌賞を受賞しデビュー。青春の恋愛歌をおさめた第1歌集「森のやうに獣のやうに」(72年)のほか、「ひるがほ」(76年)で現代歌人協会賞、「桜森」(81年)で、現代女流短歌賞を受け、現代の女性歌人の第一人者となった。 〈たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり〉のように、自然と女性の体の豊かさを重ね、のびやかに歌ったほか、〈君を打ち子を打ち灼(や)けるごとき掌(て)よざんざんばらんと髪とき眠る〉と、言葉の力強さを大胆に打ち出す作風で知られ、恋愛、結婚、出産、子育て、闘病、母の介護など、女性の人生をモチーフに詠み続けた。 母の最期をみとる歌集「母系」で2009年、歌壇で最も権威のある賞といわれる迢空(ちょうくう)賞と斎藤茂吉短歌文学賞をダブル受賞した。 夫の和宏さんが編集発行人を務める歌誌「塔」で活躍した。「おしどり歌人夫婦」で知られ、ともに宮中歌会始の選者。長男の淳さん、長女紅さんも歌人。 10年前に乳がんを患って手術した。その後、再発し、がんと闘いながら創作活動を続け、毎日新聞の歌壇選者を務めていた。〔朝日新聞 2010年8月13日 12時49分〕歌人の河野裕子さん死去 女性歌人第一人者【産経新聞】 みずみずしい感性で、女性としての生を力強く表現した短歌で知られ、本紙夕刊のエッセー「お茶にしようか」を連載中の歌人、河野裕子(かわの・ゆうこ、本名・永田裕子=ながた・ゆうこ)さんが12日、乳がんのため亡くなった。64歳。葬儀は密葬で行う。喪主は京都産業大学教授で歌人の夫、永田和宏(かずひろ)さん。後日、お別れの会を開催する予定。 熊本県出身。昭和44年、京都女子大在学中に「桜花の記憶」で角川短歌賞を受賞。47年に最初の歌集「森のやうに獣のやうに」を出し、同年、学生時代に知り合った永田さんと結婚。その後、妊娠、出産、子育て、家族のことなど、身近な題材を研ぎ澄まされた感性で表現した。 昭和52年、「ひるがほ」で現代歌人協会賞、平成14年、「歩く」で紫式部文学賞、若山牧水賞、21年、「母系」で斎藤茂吉短歌文学賞、迢空賞を受賞。21年からは宮中歌会始選者をつとめた。 河野さんはがんを患いながらも、昨年9月から、夫の和宏さん、長男の淳さん、長女の紅さんとともに、産経新聞夕刊文化面で、歌人一家リレーエッセー「お茶にしようか」を連載していた。〔産経新聞 2010.8.13 13:32〕
2010年08月14日
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斎藤茂吉の、秀歌とされることも多い有名な歌「ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを吾は食ひをはりけり」(歌集「白桃」所収、昭和17年・1942)について、歌人・小池光氏がその歌論書「茂吉を読む 五十代五歌集」(平成15年・2003年)の中で批判的に論評していることについて、読者の「頑固者さん」からお尋ねのコメントがありました。そこで、くだんの書物の当該部分を全文引用することにいたします。この断章は、この本全体の中でも、批判的な筆致がかなり際立っていると思われます。この部分の書物全体の中でのパースペクティヴ(位置感)につきましては、図書館などで原著に当たってご確認下さい。* 敬称につきまして、個人的には「小池先生」と呼びたいのがやまやまなのでありますが、「短歌人」においては、民主的結社運営の理念上、「先生」を使わない規約になっておりまして、郷に入っては郷に従うことといたします。ご了承下さい。〔以下の文章は、著作権法第32条(引用の要件)に照らし、「研究目的」として違法性が阻却されるものと見なして引用します。〕■ 小池光「茂吉を読む 五十代五歌集」より 茂吉の歌集は多くの場合しばらくたってから当時の作が歌集にまとめられるので、刊行順と作歌順は同じではなく、そこに編集、選択、削除といった要素が加わってややこしい。 『白桃』はハクトウでもシラモモでもなく、シロモモと読む。これは昭和八年夏の一連に「白桃」というのがあり、その冒頭の、ただひとつ惜をしみて置きし白桃しろもものゆたけきを吾は食ひをはりけりの一首にちなんで命名されたことはあとがきに記されている。 誰にもなんとなく気に入った歌があり、なんとなく気に入らない歌がある。この一首はたいへん有名だが、わたしはかねがねなんとなく釈然としない。それで歌集の順番通りではないが集題となったこの歌についてはじめに少し書く。 まず、まったく感覚的なことだが、シロモモという音感がどうも発音しにくいのである。オ音の重なりがモガモガしてうるさく、魅力的にひびかない。白桃をことさらにシロモモと訓ませるのは茂吉のほとんど嗜好というべきで、広義の造語といえるものだが、茂吉にしてはどうも些事をいじくりすぎるような気がする。もちろんシラモモと訓ませたくなかった理由はわかる。物質感を出すためだ。白をシラと転じて物の上に関するとき、それは色彩名というよりよほど情緒、気分を引き出すコードとなる。白雪、白妙、白鷺、白梅・・・・・というときがそれである。こういう作用がかぶさってのシラモモでは、この桃の稀なる重量感、物質感が出ない。それはわかるのだが、さればとてシロモモは音としておもしろいかとなれば述べたような疑問を持つ。(なお植物図鑑でシロモモを引くとヤマモモの一種と出ている。もちろん茂吉はハクトウを食ったのでヤマモモを食ったのではない)。 ふと思い出したが白桃をシラモモと訓ませる例では中島栄一にこういう歌がある。君が鼻の汗だにを吾は吸ひたきに白桃しらももを食ふ卓にこもりて中島栄一『花がたみ』 中島栄一らしい屈折のある相聞歌だが、茂吉歌が意識下にあるのは明らかで、ことさらにシラモモの訓は茂吉シロモモへの違和感の表明と取るのはうがち過ぎか。 それはともかく、茂吉の白桃歌は、出だしの「ただひとつ惜しみて置きし」というところにもつまずく。桃ははじめからその一個だけあったのか、それとも複数個あったほかのはみんな食べてしまい、ことさら見事な一個だけ残したのか。それが曖昧である。桃を一個だけもらう(買う)ことはありそうにないから、あそらく後者なのだけれど、文脈上から明確でないのは瑕瑾ではあろう。はじめから一個しかなかったものと、選択され意図的に残されたものでは、モノの表情が別になるからこのことは重要なのである。 というような点は些細な点だが、本当に問題なのは下句で、どうもこれが共感するところにならない。「ゆたけきを吾は」と破調にしてまで顔を出す「吾は」が強すぎて押し付けがましく感じられるのである。「食ひをはりけり」が更にも強く、強すぎる。たかが桃一個を食う歌ではないか。過剰に荘重なのである。 もっとも、過剰に荘重というのは茂吉の特質であって、さまざまな場面で出会うところのものである。そして多くの場合、過剰に荘重であることがえもいわれぬユーモア、愛嬌の源となって独特の魅力を与える。たとえば、同じくだものを食う歌でも、乳ちちの中になかば沈みしくれなゐの苺を見つつ食はむとぞするという『寒雲』の一首などは、たかが苺ミルクを掬うのに間尺に合わない過剰な荘重さが伴い、そこに計らざるユーモアが生じてわれわれを微笑させる。わたしは、茂吉のこういうおかしみを愛する。それは茂吉以外ではお目にかかれない短歌の風景である。 そのおかしみは文体が勝手に荘重さを作り上げてしまうところの、別にいえば意味のない、ひとつの儀礼性に由来する。苺の場合、たかが苺ミルクをかくも大仰に述べきった文体と行為との巨大な落差がおかしい。ところが白桃の場合、無意味さにつき抜けるようには思えず、なにか意味ありげな、おもわせぶりな感慨が伴ってしまうように写る。これが困る。われわれは苺ミルクの歌でくすくす笑ったようには、白桃の歌では笑えない。厳粛になる。しかしこの厳粛さはどことなく作り物めいている。わざとらしいのである。それが気持ちに添わない。白桃は実際のくだものではなくなにかのタトエではあるまいか。惜しんでとって置いた桃をついに食ってしまうとは、そこになにか寓意のようなものが潜んでいるのではあるまいか。そんな風に思えてくる。永井ふさ子問題と重なる時期であるので、そういう方向からの下衆な解釈もつけ込む余地もあるわけである。そんな風にこの有名な歌はどうもきわどいところがあって上等な作とは思えない。以上は、いかにも小池氏らしい精緻かつ繊細な分析に基づく批評だと思います。なお、小池氏の論旨について、細かい点で若干の記憶違いがありましたことは率直にお詫び申し上げます。ただ、僕は大筋この見方に同意します。小池氏が編集人を務める「短歌人」に所属する者としての「ご無理ごもっとも」的な賛意も皆無とまでは申しませんが、それはさしたることではなく、あくまで自己の言語感覚に照らしての共感です。
2010年07月30日
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好評だった4月の第1回に続き、所属している結社「短歌人」の第2回公式ネット歌会が開催されることになりました■「短歌人」インターネット歌会会場3日(土)に第1次暫定発表、5日(月)に詠草確定、同時に相互批評のコメント開始の運びです。皆さま、よろしければ見てみておくんなまし~なお、ご覧になるのはもちろんご自由ですが、参加や書き込みが出来るのは「短歌人」所属会員か定期購読者に限られます。他の結社や一般読者の方が書き込みをしても一切反映・掲載されませんので、この点は悪しからずご了承下さいませ。今後、歌会等に参加してみたい方は、お気軽に「短歌人」にご入会下さいませ~ ■ 「短歌人」ご入会案内なお、歌会への内容へのご意見ご感想などがあれば、なんなりとこのブログにコメントをお書き込み下さい。もちろん僕も参加していますが、今回は早くも夏バテのせいかボ~っとしていて詰めが甘く、出来栄えには今ひとつ自信がありませんので、そこらへんのとこ、あんまり突っ込まないよ~にお願いいたします~作者名は、リアル歌会同様、相互批評の間は伏せられており、堂々公開は26日(月)になります。
2010年07月02日
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おお~っ! われ見出せりエウレカ。■2ちゃんねる 近・現代日本の詩歌(詩・短歌・俳句)かねて「2ちゃんねる」ってものの影響力に一目置いているのは事実だが、実際に読んでみると、なんだかゴチャゴチャ・チマチマしていてさっぱり議論が進まない感じで苦手意識がある。・・・が、中にはこんなまともなスレッドもあったのか~と、いささか心洗われる思いである整然として、ほとんど荒れてない。・・・こりゃまるで、きちんとキビシ~検閲がある「短歌人・ネット歌会」みたいではないか(笑)一応目を通しておきたいわ~。短歌関連の他のスレッドも、こんな感じでマトモにやってくんないかな~実は僕も、フランス19世紀末象徴主義(サンボリスム)を詩的故郷とする一人なので、一部のレスポンスとは、けっこう問題意識を共有できる部分もある。さらに、829の指摘:「作者が読者に対して、本歌を知った上で読んで欲しい=本歌取り作者が読者に本歌を知られたくない=剽窃」・・・なんてのは、パスティーシュと盗作の見きわめ方として、なかなか言い得て妙な至言じゃなかろうか(・・・もっとも、すでに同趣旨のことを誰かが言ってたような気もするけど)。ただ、ざっと読んだ限り、短歌実作の役にはあんまり立ちそうもないけどね~
2010年06月30日
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川柳「お大事に」と言ってた医者に先立たれ伊集院光 編「銀色シルバー川柳 ── 北枕」(平成7年・1995、絶版)
2010年05月25日
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ビートたけしの民主主義論 2 ── 「だから私は嫌われる」よりとにかく、バカなことをやっているやつに、それは価値のないことだと教えてやらなきゃいけないんだ。それなのに誰でも、どんな行為でも、それなりの価値があるって考えるのが、民主主義の一番いけないところだね。だから私は嫌われる
2010年05月25日
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ビートたけしの民主主義論 1 ── 「みんな自分がわからない」より今の子供は、ほんとに偉そうにしてるよ。親から金をもらうのが当然のことのように思っている。親もまた、ねだられれば、子供にすぐ小遣いをやる。だから我慢ということを知らない。その上、みんなで意見を言いましょうなんてとんでもないよ。昔は「嫌なら止めろ」だったんだ。「まずけりゃ食うな」とかさ。今は、理由を言わなきゃいけない。文句を付けろというんだ。文句を付けて、それを自分の都合のいいように変えてもらうことが民主主義だと教えている。どこでそんな教育が始まっちゃったんだろう。だから、あらゆることで下品なやつばっかり増えたんだ。品の良さっていうのは、とりあえず腹におさめちゃうっていうことだろう。まずいなと思っても、ちゃんと食って、それでもほんとにまずいなら食わないってことだけだった。それが、いろんな難癖を付けるようになった。みんな自分がわからない
2010年05月25日
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ビートたけしの文学論 ── 「みんな自分が分からない」よりだいたい近代的な人間だなんて言われていても、脳には古い部分が残っていて、何かの拍子にピョコッとそれが顔を出す。それを題材にして文学はなりたってきたわけだろう。立派な青年が、急に野獣と化してしまったり、人の女房を寝取ったり、それを悔やんだりする。結局はそれが人間の基本で、情念だか怨念だかテンションだか何だかわからないものが、文学になったり、ゴッホの絵になったりしているんじゃないか。みんな自分がわからない
2010年05月25日
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ビートたけしの日本文化論 ── 「私は世界で嫌われる」より本来、日本の文化というのは、内向していくものが多いだろう。お茶でも小さな茶室に閉じ込めて、精神的にも中へ中へとこもっていく。ところが最近は、外へ飛び出していく文化がいいとみんな思っていて、同じ方向へ一斉に向かうんだね。いつの間にか、文化のベクトルが逆になってしまった。私は世界で嫌われる
2010年05月25日
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このほど、所属している結社「短歌人」が、公式のインターネット(ヴァーチャル)歌会を催すという。■ 短歌人ネット歌会会場はこちら歌会の幹事役で歌人の生沼義朗さんからいただいたコメントによると、こうした試みは初めてではなく、他の結社で前例があり、「短歌人」においても以前に行われたことがあったそうで、今回は再開第1回だという。ご指摘、まことにありがとうございました。それにしても、いち早くインターネット・ウェブサイトを導入したことといい、さすがに尖鋭・先進的な社風で知られるわが短歌人であるというべきであろう。一般的な注目度や“歌壇的視聴率”もけっこう高くなるのではないかと期待されるところだ。〔なお、参加や書き込みが出来るのは「短歌人」所属会員か定期購読者に限られ、一般の方が書き込みをしても、たぶん一切反映(掲載)されませんので、悪しからず~。〕もちろん閲覧するのはご自由ですから、皆さんよかったら読んでおくんなまし~もちろん僕も参加しています。作者名は、リアル歌会同様、相互評価の間は伏せられており、堂々公開は26日になるようです。ただ正直言って、歌によっては、普段の月例作品などの歌風から、同じ結社に所属するものとして、すでに作者名が一目瞭然・バレバレな方もいるが、これはむしろご自分の文体を確立していらっしゃるということでもあり、ある意味大したものだと思う。・・・コメントする場合は、素知らぬ振りしてすっとぼけなければいかんね~それにしても、一人一首ってのは、奈良・平安の昔から歌会・宴(うたげ)・歌合戦では当たり前の作法なのであろうが、これがけっこうキツイ。僕の場合、下手な鉄砲数打ちゃ当たる流(・・・割と連作形式が好き)なので、数はけっこう詠める方だが、逆に一首に絞り込むことがなかなか出来ない。ここ数日は、慣れない作業に緊張しまくりで、体調(おなか)壊したよ~んまあそれはともかく、忙しくてリアルな歌会に全然参加できず、くすぶっている僕にとっては、こういうのやってくれたらいいな~と、かねてから密かに切望してきたことであり、メチャクチャうれしい朗報である。誰もが一目置く大結社「コスモス」に所属する親愛なる歌トモに、(やや自慢げに)知らせたら、ウチでもやってほしいけど、平均年齢が高くて(インターネットを使いこなせる人が少ないので)無理かな~という感じだった。なるほど、そうかも知れないね~。波田陽区ではないが「残念っ!」ですね~(・・・ふ、古い!)。まことにおいたわしゅう存じます。・・・あ、ごめん、冗談です~
2010年04月01日
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「読売新聞」の今日2日付朝刊の文化面(当地・関東では28面)に、アララギ正統派の流れを汲む結社「塔」の主宰でもある歌人の永田和宏氏(62)が仮名遣いについてインタビューに答えた「開放感ある旧仮名で短歌」という見出しの記事が載っている。そう長い記事ではないが、きわめて示唆に富む内容である。現在、歌壇の梟雄(きょうゆう)というべき地位にある大御所の、新(現行)仮名遣いから旧(歴史的)仮名遣いへの“転向”宣言が論議を呼んだのは2年前のことだった。当時、結社内部で大きな反響を呼んだと伝えられ、引き続き短歌ジャーナリズムを賑わせたことも、短歌ファンにとって記憶に新しい。その顛末が、なるほどこういった経緯だったのかというあらましが分かった。結社誌「塔」でも、1956年~1993年までは、統一して旧仮名での表記をやめており、それは創刊者で歌人の高安国世氏の意思でもあったという。永田氏は、「年を取って、旧かなのもたらすゆったりとした歌の呼吸がほしくなった。歌は豊穣なもの。仮名遣いを二者択一で強制するのは良くない」と考えるに至り、2年前の還暦を期に旧仮名遣いでの実作を始めたのだという。六十歳ろくじゅうになれば旧仮名に変えんとぞ言えばやめよと声が笑えり(永田和宏氏作。ただし、この歌は新仮名遣い表記。)「(旧仮名遣いのもたらす)自在な、ある種の開放感に、魅力を感じるようになった」と永田氏は言う。「淫してはならない。でも、普段の生活と密着した仮名遣い(註:新仮名遣い)から離れ歌を詠むことで、日常の時間から切り離されて、より自由になった」。僕も「仮名遣いを二者択一で強制するのは良くない」というご意見に賛成である。旧仮名を使いたい人は旧仮名で、新仮名でいきたい人は新仮名で詠めばいいと思う。・・・というよりはむしろ、そうした考え方こそ普通であって、これが何らかの理由で新仮名のみに規制されていたという事実のほうが驚きである、というのが本音かも知れない。ただ、短歌をある程度本格的にやろうとする場合に、仮名遣いの選択は、それぞれの個人が最初に決断に苦しむ関門であることも確かだろう。文体、ひいては表現内容にも多かれ少なかれ連関して来ざるを得ないからだ。どちらを択ぶにせよ、その人なりに一貫性が求められることも言うまでもない。ちなみに、永田氏の奥様でやはり歌人の河野裕子氏は、僕の知る限り、少なくとも歌集では一貫して旧仮名遣いだと思う。お嬢さんの永田紅(こう)さんは、どっちだったっけな?・・・忘れたなお、僕のことなどはどうでもいいのだが、この際ついでに言ってしまえば、僕は旧仮名遣いを偏愛しているので、よほどの心境の変化でもない限り、一生これで行くつもりである。旧仮名が「ある種の開放感」をもたらすという認識は、僕のごときヘボ歌詠みにとっても全く首肯できる感覚であり、共感やまざるところである。ところで現在、朝日新聞の歌壇は、かつての「塔」と同様に、新仮名遣いの表記のみになっていると思うが、そろそろ再考すべき時期に来ているのではないかと、僕は以前(いつ頃だったか失念したが)このブログで書いたことがあったと思う。この点については、この機会に、これ幸いと改めて特筆大書・力説したいところである。
2010年03月02日
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炯眼の宗教学者・山折哲雄(やまおり・てつお)氏の書くものは、何を読んでも独自のきらめく視点が披瀝(ひれき)されていて、いつも敬服しているが、けさの読売新聞朝刊1~2面に掲載されたコラム「地球を読む」の文章も、またなかなか揮(ふる)っていて、一気に読ませる。「優劣判定 今昔/仕分け人 元祖は定家/歌壇のボス 悩ませた西行」という記事である。それによると、我が国の「事業仕分け」の元祖は、歌聖・藤原定家(ふじわらのていか、さだいえ)その人なのだそうで、それまでの日本文芸の粋である和歌を渉猟網羅(しょうりょうもうら)、俯瞰睥睨(ふかんへいげい)し「仕分け」して成った集大成こそが「新古今和歌集」なのだという。・・・凡人には思いも寄らない、やや唐突・突飛ともいえる譬えだが、言われてみれば、なるほど案外言い得て妙かも知れない。そして、どうしても「仕分け」の対象に出来なかった最高峰の歌人が、ほかならぬ同時代人であった西行(さいぎょう)法師なのだという。「西行の存在が定家による仕分けの事業を拒絶して」おり、「のり越えがたい山岳を形成していたということが想像される」のだという。・・・う~む、この辺けっこう分かる。同感。後世の芭蕉は、その辺の消息を見抜いており、両者の歌を「定家の骨、西行の筋」と評していたという。芭蕉は、よく知られているように(いわば「大人ナチュラル」な)西行贔屓(びいき)の立場であったが、定家の都の書斎における彫心鏤骨と、西行の風狂の旅の漂泊流転を対比していたという。「筋」とは、足腰の筋肉の筋でもあるという。山折氏は、今日我々の眼前に展開される「事業仕分け」も、専門家による骨身を削るメス(定家)と、それを迎え撃つ、足腰を鍛えた余裕と自信(西行)の真剣勝負であるという。・・・最後の方は、何が言いたいのか今ひとつ分かったような分からんような、「名文」と「迷文」の境界線上にあるような人を食った文章であるが、全体として深みがあり、面白い文章である。和歌・短歌に興味がある読売新聞購読者の皆さんには、必読というべき論文である。・・・読売を購読していない皆さんは、最寄のコンビニで買うか、図書館でお読み下さい
2010年02月01日
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前々項の松尾芭蕉の俳句に関して、いつもご愛読いただいている楽天ブロガー仲間でネット友のJiM*NYさんから、コメントで鋭いご指摘を受け、きわめて的確な問題提起だと思いました。いつもありがと~、感謝してます~俳句や短歌の途中で、「や」とか「かな」とか、終止形でいったん文が終わるのを「切れ字」と言うが、芭蕉はこの手法を完成させた天才であり、特に「や」の用法はまさに独壇場といえる。まさに、工夫の句風、詠風、作風である。芸能の淵源、能の用語で言えば「芸風」と言ってもいいだろう。代表作といわれる名句でも、古池や蛙とびこむ水の音夏草やつはものどもが夢の跡しづかさや岩にしみ入る蝉の声荒海や佐渡に横たふ天の河・・・など、驚くほど愛用・多用している。まことに見事というほかはない。なお、「や」は、「か」と並び、もともと疑問の係助詞・終助詞だったが、その後疑問の意味はほとんど失われて、詠嘆や強調の間投助詞になった。ちなみに、芭蕉は伊賀出身の関西人である。現在の関西弁の語尾の「や」(「あいつはほんまもんのアホや」などと使う)は「にてあり(にてある)」が転訛して→「ぢゃる(おぢゃる)」→「ぢゃ(じゃ)」→「や」と音便化したもので、文法的には助動詞に分類され、語源は全く異なると思われる。来年のNHK大河ドラマで頻出するであろう土佐弁の語尾「ぜよ」は、おそらく「ぢゃ(じゃ)」が別に変化した「ぜ」に「よ」が付いたものだろう。・・・が、言葉の来歴はそう単純明快なものではなく、一部は助詞の「や」の詠嘆的なニュアンスも取り込まれているとも考えられなくもない。「にて」は現代語でも決して死語ではない。改まった表現では普通に用いられる。「ホテルにて挙式」、「ホテルで挙式」、どちらも可である。が、日常語としての趨勢は「で」が優勢であろう。「にて」を含む文節は、口語としてはたいてい「ダ」行になってしまうようである。これは、現代語「じゃん」ときわめて似た経緯である。僕と妻は普段、ごく普通に「じゃん」言葉で話しているが、これも「にてはないか」→「ぢゃないか」→「じゃない?」→「じゃん」と転訛したものである。
2009年12月01日
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花水木の花が咲いている。おのずと、一青窈(ひとと・よう)のJ-POP不朽の名曲「ハナミズキ」が思い出される。見事というほかはない歌唱、旋律、アレンジメントは、聴いているだけで思わずウルウルしてしまうぐらい我が琴線を震わせてくれるが、一方で、謎めいた文言の並ぶ歌詞の難解さは、発表当初から一部で話題にされて来た。一時は定番の「結婚式ソング」として珍重されたとも聞くが、どう見てもそれは大きな勘違いであろう。正直、日本語リテラシー(読解能力)の衰弱を嘆かざるを得ない。なお、最近僕はちょっと疲れ気味なので、昨夜大量のサプリメントを飲んだところだ。多少効いて来たみたいだ。委曲を尽くした解析はちょっとしんどいので、文飾を廃し結論のみ簡明に書くことにする。少なくともこれは成就(じょうじゅ)した恋の歌でないことは明らかである。歌詞中の「僕」が、一種のカムフラージュ・目くらましになっているが、これは明らかに女性である。ロストラヴソング(失恋歌)、それも自ら身を引く女の歌であろう。かって知ったる親友、「薄紅色の可愛い君」に恋人を寝取られたのであろう。たぶん一時は、ストーカー状態に近いぐらいの顛末があったことも仄めかされている。アメリカ・テネシー州歌「テネシーワルツ」は、恋人の男を同性の親友に奪われた怨恨の歌であるが、この歌詞のCC(カーボンコピー)でもあり、アジア的海容の変奏曲でもあろう。「テネシーワルツ」の一人称の主人公も、半ば以上友達を許しているが、「ハナミズキ」では全面的に許容している。その代わりにこの歌を作ったみたいなメカニズム、悔しさをバネに文学的に成功したみたいな過程が透けて見える。これすなわち、自分を見ている自分がいるというメタでリアルな意識が感じられ、現代詩としての鑑賞に堪え得る価値があると言える。一青窈は、のちにMy Little LoverのAKKOから、その夫・小林武史を略奪するという冒険(アヴァンチュル)に走ったわけだが、まさにそれを予告するような内容でもあったといえよう。なお、一青窈自身がどこかで、これは「ニューヨーク9.11事件」についての詞だと言ったという情報もある。もし本人がそう言ったのだととすると、もちろん無下には否定できないが、ますます謎は深まるばかりで皆目見当が付かなくなり、もはや収拾不可能だ~
2009年04月28日
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前エントリーの西行の名歌に関して、「春死なむ」が終止形でなく、それに接続する「こと」や「もの」などの体言が省略された、「連体形の準体言(見なし体言)用法」であろうと書いたが、これは古典ではきわめて広く用いられる語法なので、ちょっと説明しておきたい。この語法は今なお決して死に絶えたわけではなく、現代日本語でも(特に詩的な表現などにおいて)しばしば散見される。「貼るはサロンパス」は「貼る(もの)はサロンパス(である)」などの括弧内が省略された言い回しである。「(思い込んだら試練の道を)行くが男の生きる道」(「巨人の星」テーマソング)は、「行くことが男の生きる道である」の省略形である。松任谷由実「14番目の月」にも出てくる「言わぬが花」という言葉は「言わぬ(こと)が花(なり)」の省略。同様に、「負けるが勝ち」も「負ける(こと)が勝ち(になる)」の省略。古典文法に則った文語を用いることも多い短歌では、例えば「北朝鮮の愚かなる見ゆ」などといった表現が可能である。これは、「北朝鮮の愚かなることが見ゆ」の省略形である(「見ゆ」は「見える」を意味する古語動詞の終止形)。
2009年04月05日
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そういえば、このブログは短歌ブログだった。・・・たまには短歌のことも書かなくっちゃね~(笑)これは「短歌人」仲間の皆さんに書きます。外部の方には今ひとつよく分からない話題で、すいません歌誌「短歌人」の12月号(最新号)を読んで、思わずぶっ飛ぶほどノケぞったのは僕だけじゃないだろ~。石井辰彦という、たぶん老練な歌人が、20代30代の若手歌人の短歌作品をズラリと並べた上で、軒並みコテンパンにけなして、片っ端からバッサバッサと斬り捨てているのだ。誰これ?何これ?パリコレ?すいません、僕はこの人を知りませんでした~。ネットで検索してみると、おわ~っ、巨匠・岡井隆氏、異才・穂村弘氏、天才・蜂飼耳氏、おまけに僕の師匠・藤原龍一郎先生らともツルんで遊んでるぜいどうも僕がモグリらしい。・・・薄々気がついてはいましたが。こんな辛口批評、(昔の歌壇では確かにあったのを読んで知っているが)最近では久しぶりに見たと思う。のたまわく、「技術的に拙い部分には目をつぶるとして、どうして彼らの多くはこんなに覇気がないのだろう。日常の些事を詠むのもいいが、若い歌人がそのような短歌ばかり発表していてどうするのか。短歌という文学を半歩でも前進させようという気概が、残念ながら今回の作品群からはほとんど感ぜられなかった」という前書きから始まって、確かに僕もスゴイと思っている2~3人を除き、ひとりひとり各個撃破してゆく趣きである。胸倉をむんずと掴んで、みぞおちに膝蹴りを入れるみたいな、世にもオトロチ~文面である~気の毒だし、おそらく著作権の問題もあるので、具体的に書けないのが残念である。しかも残念なことに(?)それはけっこう正鵠を射ているように思えるからコワイ。悪いけど、一つだけ言及させてもらうと、「チャーハン作る妻子のために」は僕も同感だ。こんなのばっか詠んでいる39歳の男性がいる。この人は、日本語を使って、いったい何がしたいのかな~@@?と思っちゃうのは正直なところである。57577に嵌ってればいいってもんじゃないよね。チャーハンは僕も好きだし、作るのもうまいと思う。・・・なるほど、激しい魂の叫びの歌のあとなんかに、こういう「脱力系」のホンワカほのぼの歌をポンと置くのは、構成として悪くないテクニックだと思う。・・・でも、徹頭徹尾、全部この調子ではね~、ど~にもならない。少し大げさな言い方になるが、短歌とは、和歌の長い伝統を身にまとった、日本文化を代表する、世界最高水準の「詩」だと思う。こういうのばっかりってありえないだろ~。この人には、明らかに思い切った自己変革が必要だと思う。気が弱い人だと、下手するとこれっきり筆を折る人もいるかも知れないような、キッツイ批判である(・・・もし僕だったら平気だけどね。僕は生来けっこう気が強い方である)。わざと出来の悪い歌ばかり選んだのではないだろうけど、そういっては悪いが、確かにどれもいささか微温的というか小春日和というかノーテンキというか、ぬるま湯に漬かっているような歌が多くて(・・・すみません、お前はいったい何様なんだ~!!とツッコまれそ~であるが)、このぐらいのこと言われても仕方がないかな~と正直思った。確かに、誰かが言わねばならないことだったのかも知れない。黒澤明監督の「椿三十郎」での三船敏郎と若侍たちの図柄が目に浮かんだ。メチャクチャ面白かった。・・・が、それと同時に相当ビビったのも事実である体中すくみあがったので、日本酒の熱燗を飲んで人心地ついたもちろん、真っ先に心配になったのは、オレの詠んでる歌は大丈夫なのか~?ということである。これは人情というものである。・・・あわてて最近の詠草を読み返してみた――結論。ギリギリセーフかな。・・・というか、むしろそれなりにけっこう冒険してる、頑張ってる方だと思う。でも、決して大丈夫、大船に乗った気で、とは言い切れないだろう。僕も毎月締め切り前には、軽くノイローゼ&トランス状態になって空中浮揚するほどの勢いと気合で詠んでいるが、たまにスケベ心が出て、女性読者などをそこはかとなく意識したりしてスヰート&ロマンチックかつほのぼのな歌を詠んだりしている。けっこうヤバイな~。オレも怒鳴られそ~である。しかし、こういうフルメタルジャケットの鬼軍曹みたいな人がいてこその結社であり、歌壇である。すごく勉強になった。・・・というか、結局、メチャクチャ面白かった~
2008年11月29日
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よみ人知らず暑さ寒さも彼岸まで註川柳の上(かみ)一句がないような成句であるが、人口に膾炙した見事な成句。この場合、欠落がむしろいいのかも知れない。根拠はないが、案外近代の論理的感性の匂いがする。明治以降の気象庁あたりの洒落者の仕業ではないか。昔の知識人は、骨の髄から洒落っ気があった。冷暖房が不完備だった頃(・・・といっても、そんなに昔の話ではないが)、秋の涼しさ、春の暖かさを待ち望んだ人々の心が、彼岸という仏教的世界観の中に、甘美に融解してゆく。一つの言葉の魔法である。夏目漱石の名作のタイトル「彼岸過迄」からのインスパイアドだろうか?彼岸は、もうすぐだ。
2008年09月12日
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サザン30周年ということで小文を書いていて思い出したが、そういえば歌人・俵万智さんはサザンが相当好きと見えて、作品の中で効果的に使われていると思った記憶があるので、彼女のメジャー・デビュー作(?)で、一世を風靡した名歌集「サラダ記念日」(1987)をけさ久しぶりに繰ってみたら、やはりと言うべきか、3首もあった。・・・以下、「研究目的」ということで、テキストの引用をお許しいただきたい。思い切りボリュームあげて聴くサザンどれもこれもが泣いてるような吾の好きなサザンオールスターズを弟も聴く年頃となる忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ「サラダ記念日」の中では、むしろ地味目な感じの3首であるが、どれもこれもが細心の神経が行き届いていて、平明でありつつ上手いなあと思う「どれもこれもが泣いてるような」と言うのは、桑田のヴォーカルの特徴をとらえて見事。2首目も「吾の」なんて万葉集みたいな上古語を唐突に使って、ある種の格調とメモリアル(記念碑)感を醸し出している。・・・いうなれば、和歌短歌は「そんじょそこらの散文とは違うのよ~、ツンツン♪」感でもある3首目の「ひねもす」も同工異曲な古語の使い方。歌集の中で、そのほかのJ-POPについては、けさざっと見た限りでは、松任谷由実の「ダウンタウン・ボーイ」への言及が一箇所あるだけだと思う。・・・なるほど、確かにこれもすごい名曲で的確な使い方だと、かつて片田舎のダウンタウン・ボーイであった僕も思った。「サラダ記念日」は、普通に庶民的な、当時の20代前半ぐらいの女の子のデレ~ッとした日常生活を詠みながら、ビミョ~なツンツン・タカビ~・シンデレラ系お嬢様感も漂わせている。今の言葉でいえば、その「ツンデレ」な感じが、絶妙と言えるかも知れない。こうして見ると、確かに当時、プロ歌人から一般読者にまで、あまねく衝撃を与えただけのことはある。ちなみに、当時から上野千鶴子東大教授を首魁とする、闘うジェンダーフリー過激派フェミニズム陣営からは、「女の敵」だの「タヌキ顔」呼ばわりだのされて、激しく敵視されているのは、まことにご迷惑さま・お気の毒さま~と言うほかはないそれはともかく、当時、僕もそのインパクトを、けっこうまともに受けとめた一人だ。そして、しばらく経ってからだったが、自分でも歌を詠む真似事をしはじめた。200万部以上売れ、短歌表現におけるポピュラリティ(大衆性)を代表する分かりやすい作品であるが、歌壇のプリンセスと呼ばれ、今なお別格扱いである俵さんは、やはり庶民の心(・・・というのも手垢にまみれた言い回しだが)と同時代性ということを、天賦の才で熟知している才女と言うべきであろう。・・・めちゃくちゃ尊敬している。というか、崇拝に近い
2008年06月27日
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角川「短歌」6月号は、我が「短歌人」編集人の小池光先生の論文や、同じく「短歌人」の“インターネット事務総長兼コンプライアンス(法令遵守)憲兵総長”の生沼義朗先生の新作短歌をはじめ、そこかしこに存じ上げている名前があって、とっても楽しくて読み応えがあった。相変わらず爽やかで青臭くて、“これが青春だ”というか“スピッツ”みたいな(?)千葉聡さんの新作も、読んでていささか気恥ずかしいながらも、微笑ましく読めた。・・・大きな声では言えないが、けっこう隠れファンである。生沼義朗さんの新作の連作「塩キャラメル」は、本当にすばらしい出来。諧謔味、軽妙洒脱さと重厚さが同居した表現は、まさに圧倒的。我らが大師匠である小池光先生の歌風に近づいておられるのかな、とか正直思った。だいたい「塩キャラメル」というタイトルからして上手いよね。僕も最近くだんのシロモノをスーパーで見かけたのだが、甘いものに興味がないので、それっきりスルーしてしまった。もしかすると、ちょっとしたブームにでもなっているのかも知れないが、こういうところに着眼する注意力が凄いよね。・・・神がその爪の欠片(かけら)を爪切りから棄てたようなものが雹(ひょう)だという意味の一首は、その奇想天外さとともに、古事記か旧約聖書の重厚と、ラブレーのガルガンチュア物語を読んでいるかのような豪快な哄笑を惹起する。・・・同時多発的にいろんなブログで苺ジャムを煮ている景色を見ているという意味の歌は、早春の光景のワンショットであろうが、「同時多発(テロ)」という物騒なニュアンスを孕む用語との違和感、脱臼が面白さになっている。早春の屈折した名歌。また、広辞苑最新版が採用したことで話題になった「ブログ」という言葉が、短歌のメジャーな発表の場で使われた意義も大きい、というか、やられた~と思う(笑)実は僕も、コスモス所属で楽天ブロガー仲間のたまにゃん1203さんと、結社誌に「ブログ」という言葉をどちらが先に載せるか、ひそかに競争していたので、ちょっと悔しい。僕のはボツになった。たまにゃんさんのは、・・・載ったんだっけ?いずれにせよ、こんな風なウェルメイドな歌を、いつか僕も詠んでみたいものである。・・・いや、僕ももう若くないので、あんまり悠長なことを言ってられないのである。急がねば~さて、本誌の中で目を引くのは、何と言っても俵万智・一青窈(ひとと・よう)対談「短歌の作り方を教えてください」である。両者とも僕は大ファンなので、2大アイドルの競演という感じで、狂喜乱舞である。特に俵万智さんは、人生の大恩人であると認識している。僕もご多聞にもれず、思春期の10代前半ぐらいから短歌に興味はあったのだが、やはりあの歴史的傑作歌集「サラダ記念日」の表現革命の刺戟がなければ、なかなか自分で詠んでみようという気にはならなかったと思う。一青窈さんは、シンガー&ソングライターとして高く評価されており、大ファンであり、とりわけその作詞家としての実力は、J-POPアーティストたちの中でもピカ一といって間違いないだろう。ミュージシャンと言うよりは、たぶん詩人肌の資質である。このブログサイトでも折に触れて書いてきた。(以下、敬称略)その一青が、どういう風の吹き回しか分からないが、短歌を詠んでみたいのだという。そこで、実作者としてはもちろん誰もが認める天才的トップランナーであり、情理と節度をわきまえた歌壇の上品なスポークスマン的存在でもあり、何よりもプロフェッショナルな「教育者(高校国語教諭)」でもあった俵万智の教えを乞いにやって来た、という設定(?)らしい。来月号から「万窈(まんよう)のとびら」という連載記事が始まるという。その“番組宣伝”を兼ねた対談である。・・・う~む、これは今後とも買わずにはいられない。これは角川編集部の見事な企画であり、陰謀であり、戦略だ~・・・ただ、何となくこうなる脈絡は理解できるのだ。一青窈さんは、ご存知の通り、最近人気J-POPユニット My Little Lover(マイラバ)のAKKOから、夫で天才音楽プロデューサー・作詞作曲家の小林武史を略奪した(寝取った)わけだが、僕の見るところ、かねてから小林氏はサザンオールスターズとの活動などを通じて、明らかに和歌をよく勉強し摂取していると思う(アルバム「世に万葉の花が咲くなり」など以降)。マイラバの歌詞にも、濃厚に新古今和歌集的な「たおやめぶり」の感性の影響が見られたと思う。これも折に触れてこのブログサイトで書いてきた。一青窈自身の作品も、非常に濃密な詩世界と同時に現代詩的な難解ささえも湛えている。そこからもう一歩先に進もうとすれば、和歌・短歌1300年の分厚い伝統に入ってくるのも一つの有力な道筋ではある。さすが、クレヴァーな女性だな~と思う。名曲「ハナミズキ」や「もらい泣き」の完璧にして奥深い詞なんか見ていると、最高に筋のいい新人であることは間違いない。・・・とはいえ、先行きはなかなか平坦ではないようで、ひとごとながらハラハラしてしまう。対談は、「しろうと」の一青が「くろうと」の俵を質問攻めにする感じで進行した。「ありをりはべりいまそかり」に代表される古典文法が、全く分からないらしい。・・・「見つめていしに」の「いし」が謎の言葉だというのには、あ~、一青窈ともあろう者にしてそうなのか~と嘆息してしまった。「欲し」が「欲しい」ではなく「い」が省かれているのは、筆者の感覚ですか? という質問は、一瞬ギャグで言ってるのかな~と思った・・・一応、説明します?「いし」は「ゐし」で、「ゐ」は「居」、「し」は過去を示す助動詞「き」の連体形で、このあとの名詞か代名詞(「こと」など)が省略されているわけです。こういった省略は、古典文法ではしばしばある。したがって、「いしに」は、現代語でいえば「いた(ゐた)のに」ということだけどね~、やはりそこには、そこはかとなきニュアンスの違いがあるわけで。それも味わいってものです。「欲し」問題は、順序が逆で、古語「欲し」の連体形「欲しき」の音便が「欲しい」になったわけです。僕ら歌詠みの端くれから見れば、こういったことはイロハのイに属することであり、角川「短歌」の執筆陣、読者のほとんどにとってもそうであろう。いわばこの雑誌の中で「しろうと」は一青窈ひとりだけであって、その孤立感・違和感がなんともおかしく、またいろんな意味で勉強になった。芸能人なんて恥かいてナンボでもあるし、けっこう本人もおいしい思いをしているのではないかとも思うけどね。・・・それにしても、なるほど、薄々気づいてはいたが、短歌の世界って一般の人から見るとものすごくマニアックな伏魔殿みたいなものなんだね~と、彼女の言動を通じて思い知らされた。ちょっと言葉オタクになってるかな~、などと時々思わないでもなかったが。僕なんかも、「あらまほし」ぐらい当たり前に使うし、古事記・万葉集にしか出てこないような極め付きの古語(「かなしきろかも」とか「いはひもとほる」とか)を使ったり、いろいろとケムに巻いたり小細工を弄したりするのがけっこう嫌いな方ではないので、自戒を込めて受け取ったこれを企画した編集者は偉い。本当に面白いですよ~ん。次回以降も楽しみ~
2008年06月19日
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どうも~、ちょっとご無沙汰でした~。個別のコメントには書いたんですが、現在私は結社「短歌人」に入会して初の投稿となる、同人誌7月号の歌稿(詠草)に釈迦力になっておりまして、ちょっとした5・7・5ノイローゼになっております(笑)。12日必着なので、いよいよ明日ぐらいにはひとまず決着しないと。しかしこれがまた、ハマると楽しくて甘美なノイローゼでありまして、一種自虐的な快感すらある。・・・だから私はやめられない。同人誌に載る短歌というのは、プロの歌人、アマチュアを問わず、みんな全身全霊、全人格、全教養を傾注して詠んできますから、さすがにレベルが高くて、下手な歌を出したんでは、フフンと鼻で笑われそうです。そうなったら正直、滅入るかも知んないね~。けっこう難しい漢字にもルビ(振り仮名)も振ってなかったりして、読めないほうが悪い、と言わんばかりのや~な感じ。・・・こりゃマジだぜ~。同人誌をあんまり読むと顔面蒼白になるので、なるべく読まないことにしています(笑)・・・そんなわけで、ブログの方はこのところ放擲しております。それどころじゃないよ、って感じざんす。お許し下され~。まあ、道楽も多少は緊張感がないと面白くないし、続けるにはある程度発奮材料も必要ですよね。・・・とか何とかかんとか言いながら、まあ乏しい才能なりに相応の短歌が10数首ぐらいは揃ってきたので、ま、こんなもんでいいかな~と、幾分ホッとしているところです。載るのかどうかもよく分かりませんが、まんまと7月号に掲載されたら、これ見よがしにここで発表しますので、お楽しみにね~
2007年05月07日
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第七十七条 次の各号のいずれかに該当する者は、それぞれ当該各号に掲げる行為について当該行為に係る場所を管轄する警察署長(以下この節において「所轄警察署長」という。)の許可(当該行為に係る場所が同一の公安委員会の管理に属する二以上の警察署長の管轄にわたるときは、そのいずれかの所轄警察署長の許可。以下この節において同じ。)を受けなければならない。一 道路において工事若しくは作業をしようとする者又は当該工事若しくは作業の請負人二 道路に石碑、銅像、広告板、アーチその他これらに類する工作物を設けようとする者三 場所を移動しないで、道路に露店、屋台店その他これらに類する店を出そうとする者四 前各号に掲げるもののほか、道路において祭礼行事をし、又はロケーションをする等一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用する行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で、公安委員会が、その土地の道路又は交通の状況により、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者2 前項の許可の申請があつた場合において、当該申請に係る行為が次の各号のいずれかに該当するときは、所轄警察署長は、許可をしなければならない。一 当該申請に係る行為が現に交通の妨害となるおそれがないと認められるとき。二 当該申請に係る行為が許可に付された条件に従つて行なわれることにより交通の妨害となるおそれがなくなると認められるとき。三 当該申請に係る行為が現に交通の妨害となるおそれはあるが公益上又は社会の慣習上やむを得ないものであると認められるとき。・・・この第77条第2項(第3号)の規定により、伝統的なお祭りなどは、土曜日・日曜日に幹線道路を止めたりして大手を振って行えるわけですね。警察権力の側が「許可をしなければならない」という形の規定は、けっこう珍しいんじゃなかろうか。これほど官僚的な文章の中にかすかに見出せる、人の温もりが感じられる(?)条文である。・・・ほとんどコピー&ペーストな記事でした。
2007年02月25日
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僕は、昔から「道路交通法」の大ファンである。膨大な条文を読んでいると、うっとりしてしまう。いや、マジで。この難解さ・晦渋性は、文学、ことに「現代詩」の域に達している。論理的厳密さと整合性を極点まで追求すると、論理を突き抜けて詩が顕現してくるという、一つの見本といえよう。・・・これは半分皮肉をこめたジョークだが、半分本音だ。すでに、大詩人・谷川俊太郎が、詩集「日本語のカタログ」に、一種の詩のようなものとして収録している。また氏の持ち味を最大限に発揮した、静謐でスタティックな詩集「定義」にも、「道路交通法」の条文が影響を与えたと僕は見ている。まず、序の口から。第十九条 軽車両は、軽車両が並進することとなる場合においては、他の軽車両と並進してはならない。う~む、なにげにワケ分かんない&すばらしい。以下は、一つの白眉といえる。第三十八条 車両等は、横断歩道又は自転車横断帯(以下この条において「横断歩道等」という。)に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車(以下この条において「歩行者等」という。)がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道等の直前(道路標識等による停止線が設けられているときは、その停止線の直前。以下この項において同じ。)で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路の前方を横断し、又は横断しようとする歩行者等があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない。2 車両等は、横断歩道等(当該車両等が通過する際に信号機の表示する信号又は警察官等の手信号等により当該横断歩道等による歩行者等の横断が禁止されているものを除く。次項において同じ。)又はその手前の直前で停止している車両等がある場合において、当該停止している車両等の側方を通過してその前方に出ようとするときは、その前方に出る前に一時停止しなければならない。3 車両等は、横断歩道等及びその手前の側端から前に三十メートル以内の道路の部分においては、第三十条第三号の規定に該当する場合のほか、その前方を進行している他の車両等(軽車両を除く。)の側方を通過してその前方に出てはならない。すばらしいのひと言だ。横断歩道をモティーフとして、現代日本語で書かれた散文詩の傑作である。僕は古い六法全書を持っているが、これでもいつのまにかずいぶん分かりやすく改正されてしまって、非常に不満である。・・・ま、普通の言葉で言えば、「ワケの分からない悪文の典型」と言うんだろうけどさ。もちろん、車や自転車を運転する皆さんは、きちんと理解して、遵守シナケレバナラナイ。
2007年02月25日
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僕なんかの無勝手流・自由狼藉・奔放自堕落フリースタイル短歌に引き換え、正統派の短歌作品を発表しつづけておられるブロガーも少なからずいらっしゃいます。その一つが、たまにゃん1203さんの楽天ブログ 瑠璃色の珠実 です。Click here日常生活などの中の詩情を、しっとりとした筆致で、あるいはハッとするような視点で、時にきららかな表現で詠んでおられ、すてきだなあと日ごろから尊敬しております。ご本人の了解を得まして、ここにご紹介申し上げます。ぜひ、ご一読をお薦めします。
2007年02月16日
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マライア・キャリーが、その超絶の歌唱力を世界に知らしめた名曲「恋人たちのクリスマス」がラジオや街角で流れる頃となった。この歌詞は本当に微笑ましい、笑える。楽しい。オリヴィア・ニュートン・ジョンが世に出た「そよ風の誘惑 Have You Never Been Mellow」なんかもそうだが、泰西の歌の歌詞って、ストレートでユーモラスで、日本語の歌詞の感覚からすると、これ、コミックソングではないかと思われるようなのも多い。この曲の歌詞も、“プレゼントなんて要らないわ、おもちゃを持ったサンタクロースなんて誰が喜ぶの?クリスマスツリーのもとで、暖炉のそばで、All I want for Christmas is you(わたしがクリスマスにほしいのは、あなただけ)”のサビが落ちになっていて、途中で想像はつくが、“やっぱし”の予定調和ぶりで、老若男女が楽しめるウェルメイドなポップチューンになっている。アメリカ人というのは、こういうのでシミジミできてしまうのかも知れない。・・・陽気な奴らだ。しかも英語の“you”は至極便利であり、恋人や夫や妻かも知れないし、この聖夜に生まれたとされる神の御子なるイエス・キリストかも知れないという多義性を持たせることができる。例えば、ジョージ・ハリソンの一見ラブソングのようにも思える曲の歌詞のほとんどの“you”は、“God”の意味であるといわれる。しかも単複同型であるから、これは複数の「子供たち」のことかも知れない。これはもともとyouが、二人称単数だったthouの複数形であったことによる(thouは、現在、非常に古めかしい詩的・宗教的表現などに使われるだけになっている)。ここでどうしても連想してしまうのは、和歌史上の最高傑作の一つ、「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子に若(し)かめやも」(山上憶良、万葉集803)である。――逐語訳:銀も金も宝玉も何になるのだろう、これらに勝る宝である子供に及ぶだろうか(いや、及ばないだろうなあ)。くまんパパとしてはやはり、銀も金も玉もなにせむにクリスマスには汝らの笑みとなってしまふのである(盗作)。この千数百年前の和歌が、どうもこの作詞者にパクられたらしい。・・・というのはもちろんジョークですから、念のため。ビートルズの代表曲の一つである「愛こそはすべて All You Need Is Love」の歌詞の発想にも似ている。・・・これは、ややマジです。たぶん、MISIAの「Everything」は、この歌詞の影響を受けていると見て間違いないだろう。何となくこの時期に聴きたくなるところも似ている。これまた日本人離れした驚くべき歌唱力でぐいぐい盛り上げるスケールの大きな名品だが、難を言えば、ちょっと長すぎて冗漫さがある。こういうコッテリしたご馳走は、日本人の消化器系には重すぎる。もう少し、やや物足りないぐらい短くてもよかったかな、なんて思う。ところで、全然話は変わるが、映画「犬神家の一族」は、興行的に低迷している(興行用語で言うと「コケた」)らしい。時間とお金をかけて非常に丁寧に作られた作品だけに、いっそう敗北感が際立っているようだ。敗因は芸能畑ジャーナリズムなどであれこれ分析されているが、30年前の映画化はともかくテレビで何度もリメイクされており目新しさがなかったことや、30年前に斬新だった幻想的なレトロ(懐古)趣味が、豊かになった今では当たり前になったこと、また、松嶋奈々子が熱演しているが、やはり有り体にいって旬を過ぎかかっていて若い客層を呼び込めなかったことなどが挙げられている。確かに、単なる懐かしさ(ノスタルジー)だけで、客はお金を払ってはくれない。例えば「三丁目の夕日」は、同じ古い時代へのノスタルジーでも、スクリーンの上に、これまで誰も見たことがない、あるいは忘れ去られていた新しいノスタルジーが再創造されていたことが違っていた。豪華キャストといわれても、それは供給側の論理に過ぎず、富司純子、松坂慶子さんらがかつて大スターだったことは分かるが、僕らの世代から見てももうおばあちゃんだし。やっぱり芸能・ショービジネスって水もの(オミズ)だね~。感性の問題だけに、難しい。相変わらずまとまりのない記事でした。
2006年12月23日
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