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先週のウオーキングでひねった足首、もう痛みはまるでないがまだ腫れが残っているかな。汚い写真でゴメン1週間ぶりに外科医に行って来た。かかとの下の方が黒ずんでいるのは内出血した血が下に降りてきたため、もう湿布はいらないが あと1週間ほどリハビリをやってみてください。ということで 週3回足首に超音波を5分、電気治療を10分やることになった。1週間で治るかと思っていたのだがなかなか治らないものだ転んだ時擦りむいた 左ひざもまだ かさぶたの状態なのだからこんなもんか。医院の待合室には薪ストーブが鎮座している。炎の動きを見つめて 焦る心を落ち着けよう。今日もまた家で引きこもり ひまだから 1カ月ぶりに「さくら」を洗ってやった。
2017/01/31
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日曜日、安城市歴史博物館へ行った。途中で中国人経営、店員も中国人の店で腹ごしらえした。八宝菜+台湾ラーメン定食う~ん 失敗の味だった それでも ライス以外は完食。博物館では「家康の名参謀『本多正信』展」を見た。前日の中日新聞に紹介記事。会場入り口はしょぼいが本多正信ゆかりのあちこちの資料館から寄せられた資料の数々はすばらしく見ごたえのある者だった。14時から歴博講座「徳川家康と本多正信・正純父子」があった。新聞に出たせいか聴講のジジババが会場に入りきれないほどだった。私は40分も前に最前列に席を取った。講座史料に載せられた大坂冬の陣の布陣図。真田丸も見える。本多正信は若い時、一向一揆で一揆方につき乱平定後出奔15年ばかり行方不明、その後家康の元に帰参。それからは家康に能力を買われ家康の最側近として活躍した。その活躍の内容を今回知ることが出来た。大久保彦左衛門は正信・正純父子について「(彦左衛門の兄である)大久保忠世が普段から塩味噌薪にいたるまで正信一家の面倒をみていた。正信の出奔中は後に残った妻子の面倒をみてやり帰参のとりなしもしてやった。正信も恩義を感じて毎年大晦日から元旦には忠世宅でめしを食うのが習わしだった。それなのにその恩義も忘れたのであろうか。(忠隣(忠世の嫡男)を讒により改易させた)」と恨み言を述べている。家康の下「両将(雄)並び立たず」だったのだろう。来週の土曜日には特別講演がある。これも聴講したくなった。
2017/01/30
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妹の所で餅をついて食べてくると言い置いて かみさんが出かけた。車には 餅つき機(パン焼き機)を積んだ。つきたての餅の味を妹の孫たちにも味あわせてやりたいオバ心か。それにしても なんで今頃 と考えていたら、昨日28日が旧正月だった。子供の頃は 旧正月にも餅を食べていたなあ。さて爺は 今日の昼飯を どうしよう。
2017/01/29
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足首のねんざは順調に回復している。対馬の仏像盗難事件の結末もう あきれてものも言えないから勝手に 人の口(三河湾徘徊人さん)借ります。
2017/01/28
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日曜日のウオーキングで足首をねんざ、今日も一日PCの前で過ごしている。やっていることは地図の印刷。3月で4年間続けた神社の役員任期が終了する。ひまになるので この機会に 長年温めていた長崎から江戸まで享保14年象道中約1400キロを歩いてみようかと思っている。そのための足慣らしの日曜日、たった30キロで疲れて足首をひねってしまった。大丈夫かとの不安は大きいのだが 今年やらなければ、来年はもっと体力が落ちる。まあ行けるとこまで行って、えらかったら一度帰宅して何回かに分けてもいい。ともかくやって見よう。と 思っているのだ。歩くからには 出来る限り当時に近い旧街道を歩きたい。WEBで旧街道マップのHPを見つけたが うまく印刷ができない。別のHPから印刷した道路地図に書き込むことにした。まず長崎から小倉の長崎街道から始めた。出発地点飯塚宿長崎から始めて飯塚宿まで67枚の地図が出来上がった。長崎街道は約236km、飯塚まで191km、長崎街道だけでも まだ15枚くらいは必要。この調子では 一体何枚の地図が必要になるのだろう。大坂から先は一度歩いた道だから、要所地図だけでも歩けるだろうか。ともかく 大阪まで作ろう。
2017/01/26
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昨夜風呂あがりに取り替えた包帯は朝には緩んでいた。今朝は2度目の取り替え。湿布して包帯を巻く、緩すぎるとほどける、きつすぎると歩きにくい。何事もほどよい加減というの難しい。それでも2回目だから、かなり上手く出来たと思う。もう痛みはないのだが、今日1日は安静にしていようか。今日の昼はビフテキ、250g。塩コショウして魔法のフライパンで焼き、アルミホイルに包んで15分。昨日のタレをつけた。このタレ、ステーキ丼を作ると旨いだろうと気がついたが、もうステーキがなかった。
2017/01/24
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午前中、外科医院へ行った。昨日、30km歩いて 家まであと900mまで帰ったところでミゾレ模様の風雨が強くなった。あいにく雨具の用意がなかったので帽子の上からタオルで頬かむりした。右からの強風に顔を左に向けて歩いていたら道に窪みがあるのを見落とした。右足を窪みに踏み込んで足首を思い切りひねってしまった。左膝から地面に転がった。しばらく間をおいて立ち上がり、そのまま歩いて家にたどり着いた。早めに風呂に入り足首に湿布をして、一応 30キロ完歩の酒にした。次女がコストコで買って来た味付けポーク。今朝起きたら、痛みはあまりないのだが、少し腫れている。以前も、同じことがあった。あの時は放置したのだが 実は骨折していて自然治癒していたと後日わかったという記憶がある。念のため外科医院で受診した。折れてはいないが、1週間湿布を続けて様子を観ようと言われた。午後、することがないから暇つぶしに ローストビーフを作ってみた。塩コショウした肉の表面をフライパンで焼き、ラップしてポリ袋に入れ沸騰した湯へ5分、その後火を止めて20分で出来上がり。タレは肉を取り出したフライパンに醤油・酒・砂糖・ニンニクを入れ煮たてた初めてにしては上手く出来た。ビールが欲しくなる。
2017/01/23
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「動物の旅~ゾウとラクダ」という本を買いに「東海道二川宿本陣資料館」に行って来た。朝9時の開館と同時に入れてもらい目指す本を買っただけで宿場を後にした。豊橋駅に戻り名鉄電車に乗り換えて国府(こう)駅に降りたのは10時ちょっと過ぎ。そのまま旧東海道 御油の追分に直行。ここから街道を上る(京方面へ歩く)。橋を渡ると御油の宿入口の枡形宿場はずれに東海道随一と言われる松並木がある、天然記念物。松並木を過ぎるとそこは赤坂の宿。昨年まで営業していた旅籠「大橋屋」がある。いつかは泊まってみたいと思いながら果たせぬうちに後継難で廃業してしまった。建物はどうなるのか案じていたが所有者が地元豊川市に寄贈して現在保存整備中。まずはめでたし。御油・赤坂そして次の藤川の宿場通りには往時をしのばせる格子造りの町屋がそこここに残っている。しかし保存整備を個人に任せていたのでは 住みにくい町屋は改築されたり 売家になったりあと数年もすれば見ることが出来なくなるだろう。このほかにも住む人がいなくなったとみられる空き家も多数だった。これらもいずれ売りに出されることだろう。見たければ 出来るだけ早く街道を歩くべし。本日歩数43000歩、30kmは歩いたことになる。
2017/01/22
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明日は朝早くバスと電車を乗り継ぎ東海道二川宿本陣資料館まで出かけて同館発行の「動物の旅~ゾウとラクダ~」という本を買ってこようと思っている。帰りは途中で電車を降りて家まで30kmくらい歩いて来る予定。そのため今夜の酒は梅酒のお湯割りを1杯だけと決めた。それなのに、朝から「寒い寒い」と言っていたら「おでん」が出てきた。う~ん アルコールのチョイスを間違えたかな。
2017/01/21
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昨日午後は孫三太郎を一人で守りすることになった。4時には帰ってくるというかみさんが出かけたあと、寝かしつけようと車に乗せた。すぐにうつらうつらしかけたのだが、本当の眠りにはならない。仕方なく、かみさんおすすめの地域センター「悠紀の里」に車を着けた。ここのプレイルームで一人で遊ばせようとの魂胆。とは言え、放っておいてはいけない、横に付いて見守る必要はある。男の子らしく乗り物おもちゃで遊ぶ。回りに小さい子が4~5人いるが一緒には遊ばない。保育園前の子供たちばかり一通りすべての遊具で遊んだが台所遊びが最も気に入ったみたいだ。家でも台所の手伝いが好きな子ではある。ただ、台所遊びの時、妙にクネクネしているのがちと気になる。2時間ほど遊ばせて帰宅。昼寝をさせようと、いろいろやってみたがダメ。そうこうするうち、かみさんが帰ってきてバトンタッチ。早めに夕食を食べさせ風呂に入れたがいつもは爺と入るのに、ジイジじゃダメ バアバと入る だと。今朝、出勤する次女と一緒に出ていって一段落。やれやれなんだが 気が抜けてやる気が起きないのは、是れ如何!
2017/01/20
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今夜、飲み会があるという3女を朝早く駅まで送ってきた。孫三太郎は今日一日 ジジババと過ごすことになる。朝の散歩は、犬と孫とかみさんとで 出かけた。走りつかれて かみさんにおんぶされて帰って来た。家に戻っても、かみさんの後ろを追っかけているから今のところ爺の出番はない。しかし、午後は 出かけるかみさんに代わって爺が子守り役の予定。うまく昼寝をしてくれれば良いが寝てくれないと爺一人では大変になる。次女に孫二姫と遊びに来てくれとLINEしたのだが来れるのはかみさんが帰宅する4時頃になるとの返事。孫と二人で過ごすのは3時間か。う~ん・・・・・
2017/01/19
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朝食が終わって椅子から立ち上がろうとしたら右脇背中に痛みがある。うん?なんだろう。このところ毎晩多めに飲み続けた酒のせいかも知れない。散歩に出掛けたら、今度は右脇腹も痛くなった。う~ん、変だな道の脇に残った一昨日の雪を見て思い出した。一昨日の夕方、スコップで雪かきをした。あの時使った筋肉の痛みだった。なんだ心配はいらなかった。今夜も飲めるな☺家に帰りついたら次女からLINEで3歳の孫二姫の絵を送ってきた。なんの絵でしょうか「ムギ(次女宅の犬)の顔」えええ!カタツムリでした「ええええっ!そういえば上手」
2017/01/17
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年賀状のお年玉くじで切手シートが6枚も当たった。毎年当たるには当たるのだが、1枚か2枚。こんなにたくさん当たったのは初めてのこと。次女からの年賀状もその中にあった。さっそくLINEで教えてやったら拍手の絵文字だけ返ってきた。
2017/01/16
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昨日昼前から降り始めた雪を喜んでいたら、それからも断続的に降り続け、今朝までには大雪になってしまった。雪が降り始めた時、思いついて庭木にミカン吊るした。すぐに、このところ時々見かけるヒヨドリがやって来た。こいつは道案内。入れ替わりに、真打ち登場。2017年の初メジロ!今朝の大雪記憶にないほど久しぶりに雪掻きをやってみた。
2017/01/15
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明け方は雨だったみたいだが散歩時間には霰(あられ)が道路に弾んだ。やがて本格的に雪になりうっすらと雪化粧。LINEで 次女からの雪だより3女からも2日前には韓国は天安から70を過ぎたジジイがはしゃいでは可笑しいかな。
2017/01/14
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西尾城址にある資料館の展示品に面白いものを見つけた。地元ゆかりの画家 稲垣錦荘(錦箒庵)昭和36年作「磯丸翁送妻図」初老の男が 別れて実家へ帰る妻の荷を背負って送っているという図。「糟谷磯丸は伊良湖の漁夫であり一生を通して数万首の歌をよんだ人である磯丸は四十歳を越ゆる迄妻を娶らなかったこれ始めの中は母が病床にあった為め妻を娶っても母への仕へ如何を案じての孝心からでのちには母の病気も全快し母の齢も八十を越ゆる為には却って妻を迎へる方がよいと考へて齢初老に達して初て新妻を迎えたといふこの妻は赤羽根村中組の茂平といふ人の女で始めの中は何の風波もなかったが世の常凡婦のはかなさ後に大哲歌聖と崇めらるゝ偉人の心事が分らないので俗事に疎い磯丸をば物足らなく思ひはじめ磯丸が益々歌の道に入るや各地に旅行し一年の大半不在であるやうになると妻の心は荒んで不倫の行に陥った磯丸は知って知らぬ振をしていると妻の乱行は益募って遂には破戒僧の許に行かうと思って磯丸に別離を求めた磯丸は快く之を許したばかりでなく人々の笑ひ嘲けるのもかまはず自ら妻の荷物を背負ひその家に送って行ったといふ」磯丸についてはここに詳しい 岡崎市の北部から新城市作手近辺に歌碑があると出ている。随分以前 中津城主奥平氏の先祖出身地作手の城を見た帰り岡崎市宮崎という所で 磯丸歌碑を撮った記憶があった。調べたらあった、2011年7月だった。「いなり山 三つのとぼし火 かげふけて 月にみが(?)ける あさ(?)の多満垣」天保十四年九月 八十翁 磯丸伏見稲荷で詠んだ歌だと思うが 意味はよくわからない。調べ出したらきりがないから 道草はここまで。
2017/01/13
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先日から食べたいと思っていたボッサムを作った。豚肉を圧力鍋で茹でてスライスしただけで出来上がり。市販のキムチとサンチュを添えて食べた。コチュジャンを探したら冷蔵庫の奥にあった。賞味期限が2008年だったからやめた。ポン酢に辛子で食べたがなかなかいける。チャミスルの甘さが似合う。ずいぶん以前、ソウルで3女と食べたのを思い出した。写真を探したらあった。2005年2月、本場物は ずいぶん豪華なものだったのだ。この量を2人で食べたのだろうか。その翌日だったか 天安のNさんと 江南新沙で海鮮料理を食べた。Nさんとツーショットそして昨冬 Nさんと岡崎でああ あれから 12年も経ったのだなあ・・・・・・・
2017/01/12
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3日連続で歩いてみた。初日、安祥城と安城市歴史博物館、片道7キロ。歴史博物館では 若冲展をやっていた。酉年だから鶏の絵が目玉に十数点の若冲を見ることが出来た。2日目、岡崎城と三河武士のやかた家康館、片道9キロ城内は 人影まばらだった。家康館では 大樹寺~松平・徳川氏菩提寺~展を見た。3日目の今日は、西尾城と岩瀬文庫、片道8キロ。城内の西尾市資料館では 西尾ゆかりの画家作品展をやっていた。興味深い作品もあったが またの機会にアップしたい。城址から少し離れた場所にある岩瀬文庫では「火事」展をやっていた。3日間で合計48キロかなり疲れたが まだ歩ける。帰り道で立ち寄ったハオツー(西尾市)の担々麺。餃子も一緒に注文したので スープにご飯を入れるのはやめた。かなりの量が残ってしまった。
2017/01/11
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寒くなって 夜は家の中へ入れてやるのだがいつも ストーブの前に席を占めるのでやけど防止のため首輪を外している。朝の散歩は 首輪を締めることから始まる。連れて行ってもらいたい一心で 首輪を持ってくることを覚えた。
2017/01/09
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昨日も、かみさんは新年ランチ会。昼は適当に食べてと言うから爺はカップうどんと・・・あと何を食べたのだったか?で、夜はいつもの通り、かみさんは食べない。刺身の盛り合わせと巻き寿司はおみやげ、煮しめと大根おろしを足して酒にした。爺は昼間ずっと「大久保彦左衛門」グッズで遊んだ。まあそんなもんだ。
2017/01/08
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七草粥を食する日、昨夜の鍋のつゆでオジヤを作ってもらった。大根の葉とチンゲンサイを刻んで入れてあった。結婚してしばらくは、パック入りの七草を買っていたのだが、いつとはなしに一草か二草になった。元旦の雑煮も七草粥も縁起もんだから食べるだけである。朝はパンとコーヒーが一番だと思っている。今朝は、ことのほか霜が濃かった。
2017/01/07
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昨日、神社で新年祭を行い、祭礼の後古い御札類を焚いた。これにて先月中旬から準備した正月行事は完了。ほっとして昨夜は少しばかりの酒で酔って早々と寝た。粋鯨とチャミスルのちゃんぽん。今日は、朝方犬と散歩、午後スポーツジム、夕方犬と散歩と通常運転に戻った。夜は、豚ホルモンの土手煮を作った。ちょっと味噌が塩辛かったが、まあまあの出来。日本酒には合わないから焼酎にした。思いついて土手飯、これが旨かった。
2017/01/05
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箱根駅伝が終わって、かみさんと初詣に出かけた。午後2時を過ぎれば空いているかと思ったが、たくさんの参拝客が詰めかけていた。この寺ができた頃から、毎年お参りしている。今年も、大病せぬようにお願いしてきた。おんころころせんだりまとうぎそわか
2017/01/03
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年末に3女がインフルエンザにかかって、正月には来れそうもなかった。次女ファミリーは予定通りやって来ると言うから、それでもいいかと納得した。今日になって3女から加減がよくなったから行くと連絡してきた。無理しないでいいと言ったのに昼過ぎ娘二人のファミリーが顔をそろえた。食事の用意もしていなかったが、次女がピザを持参。3女はアイスクリーム等を持ってきた。諦めていただけに、うれしいみんな帰って、気が抜けた。コンビニで買ってきた肴で呑む今年は正月用の酒も八海山4合だけとショボイだけどいい正月だった
2017/01/02
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予約日記を初めて使いました。
2017/01/01
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