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ずいぶん前に「ダーリンは外国人」という漫画本を2冊読んだ。(三巻を見た事がない気がするのですが、二巻までしか出ていないのでしょうか?もっと読みたいよー。・・・って、実は立ち読みで済ませた私に、そんな事言う権利ないけど。)その中にうなずけるエピソードがいくつかあって、いまだに覚えていたりする。そして最近その中でも特に「外国人は笑いの沸点が低いのか?(彼らは、日本人なら笑わない様な些細な事にも爆笑する傾向があるのでは?)」という話が、私の頭の中をぐるぐる回っている。・・・ズバリ、言いましょう。フランス人も、くだらない事で笑っているぞ!主人以外のフランス人とテレビを見る事がほとんどないので、映画に限定して話を進めるけれど、映画館でたまに「え、みんなそこまで笑うの?」とびっくりしてしまう事がある。日本人だったら心の中で「ウケる!」と思ったり、クスリと微笑む程度のちょっとしたギャグに、こちらの人は敏感に反応して笑うのだ。(もちろんみんながみんなではないけれど。)私は「笑える映画」をあまり観ないので、いざ映画における笑いについて書こうとするといい例が少ししか思い出せないのだけど・・・・今思いつくのは数週間前に観た増村保造の「妻二人」(1967年)かな?コメディーとは対極にあるはずの作品なのになぜ笑うのかなぁという感じだけど、コテコテのメロドラマなのが面白いのかも?(でもなかなかいい出来の作品でした。)私ってやっぱり貧乏性なのだろうかと思ってしまうのはそういう時、「皆が笑うなら、私も笑わなきゃソン!」とばかりに、にわか笑い上戸に変身してしまう自分に気付く時。ただ哀しいかな、私はやっぱり外国人。他の人とはツボが違う様で、一人で笑ってしまう事がある。さみし~。でも「妻二人」では、何故か夫も私と同じところで笑っていました。ちょっと嬉しかった。・・・夫婦は国境を越えて、笑いのツボまで似てくるのか??フランスには、こんな風につられがちな私にも、全くもって解せない笑いが存在する。これは数年前の忘れもしない出来事・・・。私は学校に出すレポートの準備の為、Forum des Images 《フォーラム・デ・ズィマージュ=パリ市管轄の映画センター》で行われていた日本アニメーションのフェスティバルにちょくちょく出向いていました。そしてある日、今まで何度も製作されてきた「鉄腕アトム」のテレビアニメの中でも、最新のバージョンの第一回目放送分を観ました。後にアトムの産みの親となる天馬博士の息子トビオが事故に遭い、死んでしまうというエピソードが要になっています。病院のベッドに横たわった瀕死のトビオから、父親への最後の一言が発せられます。「お父さん・・ロボット成功させてね・・・・ぼくの・代わりに・・・」(確かこんな感じのセリフでした。)「なんて可哀想でけなげなの」と私の目が潤った瞬間なんと・・・・そうです、聞こえてきました・・一部の人々の笑いが。ここは笑うシーンじゃなーーーーーい!!!!!隣に座っていた友人の話によれば、フランス人は「あまりにも《C’est trop》」なシーンを見ると笑ってしまうのだという事でしたが・・・今でも納得いきません。そういえば先月シネマテークで、従軍医と従軍看護婦の姿を描いた「赤い天使」(増村保造、1966年)を観た時も、負傷者の足を切断するというシーンで笑っている人が居たなぁ。場所も場所ならシーンもシーンなので、それはさすがにたった1人でしたけどね・・・。投票(をクリック)していただけると、励みになりますです。人気ブログランキングへ
2007.09.30
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またもや新しいカテゴリーを作ってしまいました。(欲張りすぎ?)「グルマン《gourmand》」は「グルメ《Gourmet》」とは違って、「食いしん坊」という意味です。・・・って、今確認の為に辞書を見てみたら「食道楽」とも出ていますね・・・。ー 美食家ではなくても食べる事が大好き、なのに料理技術はほとんどない上モノグサ ーそんな私達の食卓(=つまり、買ってきたものや手抜き料理)を、このカテゴリーでは紹介したいと思います。シルバンとマルティーヌが訪問してくれてから2日あと、私は家でしなくてはならない事が溜まり、あたふたしていました。そこでディノにお願いしてお昼ご飯を用意してもらう事に。その結果が、上の写真です!以前にこのラビオリをスーパーで買ってきたのはディノなのですが、彼はその時からパッケージに紹介されているレシピに挑戦したいといつになく張り切っていました。実は1 ラビオリをゆでる2 ピーマンを(油を敷かずに)焼く3 ラビオリとピーマンとロケット《Roquette=ちょっと苦味のあるサラダ菜の一種》をお皿に盛り オリーブオイルを垂らすという簡単なものだったのですが、見た目もキレイだしなかなか美味しくて幸せな気持ちに。(ちなみにラビオリの中身はチーズと乾燥トマトです。)ただ、これ一品だと食べているうちに飽きが来るしこれだけだと大食漢の私の胃袋は満足してくれないので、途中から前夜の残りのお味噌汁やチーズもテーブルに登場させてしまい、お洒落さはぶち壊しになりましたけどね・・・。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.29
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先日、ディノの20年来(?)の友人シルヴァンと、奥さんのマルティーヌが我が家にディナーに来てくれました。シルヴァン達に3人の子供が居るという事情も手伝って、私達が彼らの家に招待してもらう事の方が多いので、今回はちょっと気合が入ってしまいます。それはどうやらむこうも同じだったみたいで、シャンパンを持ってきてくれました。写真だとちょっと分かりにくいですが、ボトルの周りにゴールドの可愛い保冷材(?)が巻き付いていたので、冷蔵庫で冷えるのを待たずに早速飲めました。 シルバン達からのもうひとつのプレゼントは、これです。新聞社ル・モンドが発売しているDVDの12枚セット!嬉しい!(同時に、私達はお言葉に甘えていつも手ぶらに近い状態で遊びに行っていたので悪いなぁとも思いました・・・。) フランスには新聞を配達するという習慣がないので、読みたい人は毎朝キオスクなどで購入しなくてはなりません。売り上げアップを狙って、ル・モンドは時々土曜(?)の新聞の付録に映画のDVDを付けたり、ライバル紙のフィガロは「マダム・フィガロ」などを添えたりしているみたいです。(私はよく知りませんが・・・。そういう時は料金もアップしますが、それでもかなりお手軽なお値段だったと思います。) マルティーヌがル・モンドで働いているからこそのお土産なのでしょうが、急に12本分のDVDがもらえて感激です。名作映画ばかりですが、その中には今村昌平の「黒い雨」もありました。見応えがあってどんどん引き込まれていくこの映画は、私達のお気に入りの作品です。うちにはこの映画のビデオカセットがあるのですが、DVDの方が画質もいいのでディノは大喜び! 4人で会うのは久しぶりだったのでシルヴァン達の子供の話、職場の話、それぞれの祖父母の話、映画の話などをして盛り上がり、2人がタクシーをつかまえて帰っていったのは夜中の1時近く。(シルヴァンは帰宅後、ベビーシッターさんをタクシー乗り場まで送り、もちろんその料金も渡す羽目に・・・子供が居ると大変ね。)次の日に少々の疲れを持ち越してしまったけれど、それだけの価値はある楽しいソワレでした。
2007.09.28
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フランス式理論の展開を知らない自分、そしてそのハンディキャップを埋めるための時間も実力も持っていない自分に気付いて苦しみかけた私が思いついた即効性のある方法、それは・・・・・・高校生が書いた「批評」を参考にする事でした。カイエに執筆している専門家の批評なんて逆立ちしても真似できないけれど、一般の高校生のなら私にも出来そう!そう思って早速インターネットで検索すると、どこかの高校の生徒達の書いたお芝居の批評文が4つほど掲載されているサイトが見つかりました。アップされている批評文はどれも、その高校の中では評価の高いものの様です。まずは印刷して、辞書も引きつつ読んでみました。ふむふむ、なるほど。次にその中から1つの文章を選んで、それがどういった展開になっているのか研究しました。その文章で扱われているお芝居は私の課題とは何の関係もないから「完璧に真似」をする事はできないけれど(それにもし本当にそんな事をしたら盗作になってしまうし)それでも「全部で幾つの段落があるうち最初の段落はこういう切り口で始まり次の段落ではこういう展開があり・・・」と一連の流れを、自分で文章を書く時の骨組みとして模倣させてもらったのです。結果安心できたし、戻ってきた点数も前より上がっていました。(確か13点ぐらいだったと思います。)この大学のLicenceに在籍した一年の間には、その後も何度か映画やお芝居の批評を提出しなくてはなりませんでしたが、その後はある程度安定した点数が取れる様になりました。「『お芝居の批評文』を批評する文章」を書く事もありその時は元になる「お芝居の批評文」の読解自体が難しくて困りましたが、クラスの子が複雑な部分の説明を快く引き受けてくれたので助かりました。(でも、かなりサボリぐせがあったその子は自分自身のレポートは書かなかったらしく、単位を落としそうになっていました・・・コラコラ・・・。)ハラハラしつつもレポート系の提出物はなんとかこなせる様になった私にはだんだんと欲が出て、出来る事なら学士を最短の一年で修了させたいという気持ちが強くなってきました。でもその為には、下準備がしっかりでき提出前にネイティブに文章チェックもしてもらえるレポートよりもずっとハードルの高そうな筆記試験や、映画テクニックの知識ゼロの私にはどうしていいのかすら分からない実技系の提出物を何とかしなくてはなりません。かくして、私の苦悩と努力は続くのでした・・・。(この続きはこちらです。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.27
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「映画批評」の授業の第一回目の提出物をしくじりかけた私。 それでも今後の希望が見えたので次の提出物はもっと頑張る事にしました。と同時に、急にコンプレックスを感じる様になりました。というのも、それまで長い期間とは言えちょびちょびとしかフランス語の勉強をしてこなかった私は、テキストの組み立て方をきちんと学んだ事がなかったのです。日本で大学に通っていた時もレポートを書かないといけない事は多々ありましたが、「レポートの書き方」といったマニュアルの様なものなんて読まないまま、いつも自己流に作成していました。そしてそれなりに(良くも悪くも)納得のいく点数をもらっていました。そう、日本語で書くのなら、私は別に悩まないのです。でもフランス語でまともな文章を書こうと思ったら不安が押し寄せてきました。まず(今でも、実際のところどうなのかは分からないのですが)「フランス」といえば、「理論の国」だった様な気がしてきました。そういえば高校などの試験もフランスでは記憶力を競う日本のそれとは違って記述式のものが多く、「どうやって論を展開していくのか」を重視すると聞いた事がある様な・・・。私が席を並べているみんなは高校時代、いや、中学時代からそんな練習に励んできた人達なのね・・・私とは大違いだわ・・・なんて思ってしまいました。せめて在仏の語学学校に数ヶ月でも通っておけば良かったのかも・・・と不安は増す一方です。同じ時期に違う都市で留学を開始したAちゃんに「フランス風に書くにはどうしたらいいの?」と相談すると「う~ん・・。フランスでは『テーズ・アンチテーズ・テーズ』の三段論法の展開が一般的らしいけどね」との事。Aちゃんは日本で大学院にも通っていたので私より知識も経験もあったけれど、フランスの院に通うのは初めてなので彼女も不安の中を頑張っているところだったのでした。でも、この言葉は私の頭に刻まれその後ずーーーっと使わせてもらっています。ありがとう。さてAちゃんから有難いアドバイスはもらったものの、それだけでは「批評」の書き方が分からない。一番いいのはカイエ・デュ・シネマなんかを読んで参考にする事なのだろうけど、私には理解するのも大変な状態。自分ではそんなに高度な文章が書けない以上、カイエを読むのは「今すぐ」「なんとか」「急場を切り抜ける」手助けにはならない。(長い目で見れば真の実力に繋がるのに違いないけど、私には時間が無いの・・・・・。)周りのみんなは前々から鍛えられてきた人達なのに・・・・と悶々としていた時、いい考えが浮かびました!(続く)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.26
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最初の試練は新学期早々にやってきました。忘れもしない「Critique(評論)」という授業の第一回目で「来週までに映画の評論を一本書いて来い」という課題が出たのです!リサンスから編入したのでうまく行けば一年で学士を修了させる事が可能だった私ですが、当時は自分が最短期間で学位を取れるという自信はありませんでした。フランスの大学は日本と違って留年する人が多いと聞いていたし・・・。もちろんできる事なら一年でディプロムを取りたいけれど無理なんじゃないだろうか・・と揺れていた初期にそんな宿題が出てしまってさあ大変!焦りつつも、早速用意に取り掛かる事にしました。まずは映画を選ばなくてはなりません・・・が、私は何も考えず友人のススメに従い、一緒に当時公開中だった「女はみんな生きている(コリーヌ・セロー、2001年)」を観にいきました。(今思えば意外な選択だなぁ・・・。)それまでフランス映画を字幕無しで観た事がほとんどなかったので批評を書くほど理解できるか不安でしたが、テンポが良くあらすじの分かりやすい映画だったのでなんとか把握できました。第一関門突破!ふぅ・・。それから数日後、学部が違うながらも顔見知りだったローランというフランス人男性とカフェで待ち合わせ、A4用紙一枚分の文章を読んでもらいました。フランス語の間違いなどをチェックしてもらうつもりだったのです。ところが・・・どうやら「間違いをチェックしてもらう」以前の問題がある様でした。それには、理由が2つ。1つ目の問題・・・・それは文章の一部が意味不明であるという事でした。話している分にはほとんど問題なく通じている私のフランス語がいざ書くとなると、こんな問題を抱えていたなんて・・・・私もびっくりしたし、ローランも驚いていました。それは私が自動詞と他動詞の区別をきちんと行っていなかったから(なんと未熟な!!)だと、後に自分で理解するに至るのですが(この事もいつか書きたいと思ってます)、その時はまだ理由が分かりませんでした。「今ナゾを解明している時間はないから、今回はとにかくまずいところを指摘してもらおう!」と覚悟を決めて文章の修正も手伝ってもらい、この問題はとりあえず(表面上)クリア。が、この時致命的だったのは2つ目の問題。私の説明を聞いて、私の書いた事が全て分かったローラン。少し困った顔をしています。そして、一言。「君の言いたい事は面白いけど『評論』とは違うんじゃないかな?」・・・・・!そうなのです!数年ぶりの「提出物」と、生まれて初めて書く「映画関連のテキスト」に、私は必要以上に舞い上がっていました。時間が無く急いでいたのも、勘違いを後押ししたかもしれません。私はなぜか、「批評」ではなくて「分析」をしていました・・・・・おバカ過ぎる・・・・。ローランの指摘でこの事実に気付けたものの提出期限は目の前でゼロから書き直した文章を再度彼にチェックしてもらう時間がなかったので、この時は観念して「分析」を出す事にしました・・・。でも結果が戻ってきて、少しほっ。フランスでは試験は20点満点でその半分の10点を取れれば一応及第という事になっているのですが、この時私がもらったのは、まさにその「10点」でした。お情けでギリギリの点数をくれたのだろうなと察しがついたものの、次はもう少しまともなものを書けるはずなので、希望が見えてきました。2回目の提出物の準備の時には、もっと頭を使って「批評」らしきものを書いたのは言うまでもありません。(ちなみに先生のコメントは字が雑過ぎて、私だけでなく周りのフランス人にも読めませんでした・・・。)自分の馬鹿さ加減が恥ずかしい限りだったけれどこの失敗をバネに、これからは授業の意図や先生の狙いをもっと考えてから課題に取り組もうと肝に銘じたのが、その後の私の原点になりました。(続く)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.25
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今日(フランスではまだ10月6日)、FREEというプロバイダーのADSLが我が家に開通しました!二週間は待たされると聞いていたけれど、9月26日に申し込んだら昨日モデム(?)が届き、今日になって色々繋げてみたら開通できたので賞味10日。とてもラッキーな方だったのだと思います。(実はフランスに来てから、以前より運の良くなった私です。滞在許可証の更新も今までノートラブルだったし。渡仏前に、「気に入っていたのに残念」と思いつつも腕の大きなホクロを除去したのが良かったのかしら?)この10日間ブログ自体は更新していませんでしたが、私達は元気です。ただシネマテークの増村保造特集のせいでディノがあまり家に居ない上今度は日本文化会館で日活の映画祭が始まってしまい、今は二つ掛け持ちのサイアクな事態で私は怒っています。(居ないのは私が寂しいし、夜中に帰ってきてからモリモリ食べているのは明らかに本人の健康に悪いから、ここで一発かましておいてちょうどいいのだと思う。それにあの人、「この日はこの映画の最初の1時間だけを日本文化会館で観て、その後は他の映画を観にシネマテークに走るぞ!」とか、とんでもない計画を立てているんだもん・・・。)ちなみに日活映画のフェスティバルのプログラムはこちらのページでどうぞ。 http://www.mcjp.asso.fr/cadrgen.htmlそれ以外大して代わり映えしない私達ですが、情報機器の環境だけは急に変わりました。まずはもちろん前述の通り、FREEに入ってADSLにした事!(東京の実家はとっくに光フレッツ(だっけ?)なのに、遅すぎなのだけど・・・。しかしADSLに喜んでいる私には、同胞人達がADSLに対して一体何の不満があったと言うのか疑問ですらある。う~む・・・やっぱり遅れすぎなのね・・・。)私達はFREEのdegroupage《デグルパージュ》という、電話もネットもTVもコミのパックにしたのでこれからは日本の固定電話へも無料でかけられる事になりました!!やった!!また、初夏にプリンターが壊れてしまったので二週間ほど前にようやく重い腰をあげて新品を買いました。今までのプリンターは、これでした。印刷しかできない、古いタイプ。あまりお金がなかった5年前(留学2年目の初め)に知人に超大型スーパーに連れて行ってもらいとても安く買ったのを覚えています。見るからに安くて大した機能がついていないプリンターだけど、当時は個人宅ではこれが普通だったのよねー。数々のレポートや論文の為に活躍してくれた愛しいプリンター、今までどうもありがとう。下書きとかも入れたらきっと何千枚も印刷してくれたよね。(ところで、これってリサイクルとかに出せるのかなぁ?)そして、新しいプリンターはこれです!(日本に居る人から見たら、これも古い型だったりして・・・。)高くはないけど・・・でも2万円ぐらいしました。私は今回もプリンター機能しかついていなくて一番安いものを買うつもりでいたので2万円がとっても高く感じられたけれど、スキャナーとコピー機能が付いていて写真印刷の質もまぁまぁという点に惹かれて購入しました。試してみたら、確かに写真はなかなかの出来映えで感激です。これからは出不精な私でも、ネットできない父方の祖母や夫の母に写真を送ってあげられるわ。(私ってなんて優しいのそう、夫以外にはね・・・。) 実はこのプリンターは一人で選びに行き(別の日にディノと出直すのが面倒くさくて)そのまま買ってしまったのですが、重くて大きいのにタクシーがつかまらず結局メトロで帰ったので信じられないぐらい大変な思いをしました。(記念に撮ってみた、外箱の写真。目安として手前に私の23.5センチの靴を置いてみました。)その後10日間以上肩と脇が痛くて、もしかして異常事態なのかと心配にすらなったけど結局治ったので良かったです。・・・・・以上、日本に比べたら通信機器が遅れているフランスの、その中でも更に遅れている私達の近況報告でした。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.24
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以前書いた通り、留学開始当初は授業についていくのすらままならない状況でした。それはもちろん想定内だったので新学期初日から録音可のMDウォークマンと小型マイクを使って講義を録音していたのですが・・・・数日後には、それをやめる事にしました。なぜかというと、当時私が通っていたリサンス《Licence=学士の最終学年》には毎日平均2・3コマの授業があり、それらを聞き返す時間も気力もなかったからです。(なのでマイクが活躍したのは後々のことです。)ではどうやって切り抜けたのかというと・・・講義を録音しない代わりに私は、ネイティブの子の授業のノートを毎回写させてもらっていました。留学生の中には「ノート貸して」の一言を発するのに気がひけるという人も居る様だけど(そして私にもその気持ちは分かるけれど)、とにかく必死だったのでここはオバちゃんに成りきってしまう事にしていました。(この学校のこの学部には高校からそのまますんなり来た感じの子ばかりで、私が学年で最年長といった感じだったのです。)この小さな大学のArts du Spectacleのリサンスには生徒が4・50人しかおらず半分以上の授業が同じメンバーで行われていた為、毎日顔を合わす学生とは(たとえそんなに仲が良くない人とでも)それなりに親近感が沸き、お願いしやすかったのは幸運でした。(失礼な言い方だけど)「さすが田舎!」と思ったことにクラスにはいわゆる「留学生」が少なく、ほとんど全員がフランス人(=ネイティブ=きちんとノートをとる能力のある人達)だったので、誰に頼んでも基本的には問題がない予感がしていました。ところが・・・最初に貸してもらったある女の子のノートは可愛らしい丸い文字で書かれていたけれどその丸さ故に読みにくく、とても苦労しました。それにその子はオシャレだったけどとても真面目で(私もそこに好感を持っていたのですが)やる気があるので、2時間の授業の間になんと8ページ分のノートを取ってしまうのです。ギャッ!まだまだ余裕のない私だから補足的な情報は横に置いておいて、授業のポイントだけを手っ取り早く要領良く掴みたいのに。(借りておきながら心の中でこんな注文をつけるなんて図々しいのだけど・・。)なので、彼女の素晴らしすぎるノートは私には不向きと判断するに至りました。でもその失敗(?)からすぐ、「読みやすくてシンプル」という理想的なノートを貸してくれる人を数人見つけました。それはサボってばかりのふまじめな若者も多い中で、毎日真剣に授業を聞いている子達です。滅多に学校に来ない学生から「ノート貸して」と言われると嫌そうな顔をしている事もある彼らだったけれど、私にはいつでも気持ち良く貸してくれました。私が出来るだけ皆勤を目指し、一番前の席に座り、「ノートをとると耳がお休みになってしまう」という難しい状況にもメゲず自分なりに殴り書きのメモ(?)を取っている必死さが通じたのだと思っています。ちなみに私が一番前の席に好んで座った一番の理由は、後の方の席に座ると集中力が続かないからでした。真面目な他のみんなも前の方に居る事が多かったし。それに決して媚びるつもりではなかったけれど、語学ハンデのある自分でも一生懸命取り組んでいる事を先生に理解してもらい、少々の平常点をもらいたいと考えてもいたのです。日本で大学に通っていた時は全くフツーのありがちな学生生活を送っていた私ですが、今回はガリ勉になってやるぞ!と強く決心していました。思い切ってフランスに来た事を後悔したくなかったから。(続きます・・・というか、書き溜めておいた分をこれからまとめて更新する予定です。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。電子辞書を持っていなかった当時は「新スタンダード仏和辞典(大修館書店)」の革装のものを使いこんでいました。私は会社を辞める時に所属部署からの餞別として、この辞書と授業を録音する為の超小型マイクをもらっていたのです。後輩から「送別会で渡すプレゼントは何がいいですか?」と聞かれた時に実用的なこの2品を即答できた私は、既に貧乏留学生として生き抜く素質が十分だったのですね。掲載語数がこのサイズのものの中ではダントツで多い大修館のこの辞書は説明も細かいので気に入っています。
2007.09.23
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実は今まで・・・・ダイヤル接続でネットしていました。この文章をアップしている、今もです。いくら日本より遅れているフランスでも今ではADSLが当たり前なのですが(逆に言うとADSLが最先端なんだと思います、少なくても個人宅ではそうです)、機械オンチで面倒くさがりの私は、ダイヤル接続のままで今日まで来てしまいました。本当は新年に「ADSLに切り替えるぞ!ついでにプロバイダーも変えるぞ!」と決意して、友人に色々聞きまわっていたのにな~・・・。でもブログも書き始めたし、もはやダイヤル接続だとついていけないページもたくさんある時代になってしまいまいました。今日これから夫とFREEという会社のホームページをチェックして、申し込むつもりです。FREEに決めたのは、周りがみんなそこにしていて基本的に不満がないというからなのですが、一点だけ問題があるようです。まず、以前同じ建物に住んでいたM美さんの証言。「私も何年か前に(他のプロバイダーから)FREEに変更したけど、切り替え時期の二週間ネットはもちろん繋がらなかったし、固定電話も切られた状態になってしまって、家に電話がない暮らしをしていたの。不便だったけど・・・なにしろフランスだからね~・・」諦めニュアンスの混じったコメントです。その次に、ヴァンサンに電話で質問をぶつけてみました。私「すぐに繋がらないんでしょ?」ヴァンサン「ううん、そんな事ないよ。すぐだったよ」私「でも他の人から『切り替え時期は二週間、電話すら繋がらなかった』って聞いたけど?」ヴァンサン「うん、二週間は待ったけどね」うぅ・・・さすがフランス人(?)。二週間も(電話すら使えない状態で)待たされていたのに、それを「すぐだった」と言えるなんてのん気すぎるぅぅ・・・・。最後にフランス生活のとっても長いM子さんにも同じ質問。私「すぐに繋がらないんですよね?」M子さん「そんな事ないですよ!」私(そんなラッキーな人も居るのだと知って喜びを隠せず)「本当に?!」私(念のために一応しつこく質問を続けてみようと思い立って)「でも最低二週間は待つっていう話を聞いたんですけど・・・」M子さん「あぁ、待ちましたね♪」・・・・さすがM子さん、フランス人の友達がすごく多いだけの事はある!このフランス的リズムに、ついていけてるのね・・・・。という訳なので、これから数日したら今加入しているOrangeというプロバイダーとの契約が切られるはずなのですが、それから最低でも二週間は固定電話なし・ネットなしの生活をする事になりそうです。メールチェックをする為にたまにはネットカフェに足を運ぶつもりでいますが、私が行こうと思っているネットカフェでは日本語を画面表示する事が出来ても日本語を入力する事ができないので、メールの返事も滞りがちになると思うし(送ったとしてもローマ字のものになってしまう・・)ブログは更新不可になります。更新がなくても私は元気にしていますので、ご心配なく♪あ、これを機会に今パリ市が力を入れているWifiに挑戦(というほどのものでもない)してみようかな。Wifiの説明のページ。www.wifi.paris.frちょっと寒くなってきたけれど、公園でネットなんて面白そうですよね。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。写真は、プランタンの渡り廊下から撮ったものです♪
2007.09.22
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2001年9月末フランスで4年半ぶりに学生に戻った私は最初の数ヶ月を、本当になんとも感慨深い気持ちで過ごしていました。何が感慨深かったのかというと、それは自分の日々の第一目標が久々に変わったという事でした。ほんのちょっと前まではOLだった私。(お金をもらっているのだから当然だけど)会社勤めをしている以上、どんなにつまらない仕事でも興味のない業務でも任された以上はとにかく黙々とこなすしかありませんし、それが美徳とされていました。幸運なことに同じ部の女性陣は気のいい人ばかりでしたが、同時にみな有能だったので私も負けじと真面目にお仕事をこなし、毎晩それなりに疲れきって帰宅していました。だけどこの、学生に戻ってからの気持ちはなんなのでしょう。授業を聞くと、分からない表現にぶち当たります。休み時間にクラスの子に質問するとそれはフランスの歴史を理解していないとついていけない話だったり、世界のある名画に関連した表現だったりするので、帰宅してから復習の為、大家さんに借りている百科事典やインターネットで色々調べてみます。本当に小さな事だけど、私にはそれがすごく楽しいのです。もちろんその気になれば会社員時代にだって、教養を深める事はできたはず。でも面倒くさがり屋で毎日疲れている私にはその気力が欠けていました。それに毎日一番長い時間を過ごしていた会社で私に期待されているのは、業務を的確に進める堅実なお嬢さんで居る事だったのです。恐ろしいといえば恐ろしいことに、私も周囲のそんな期待に染まっているところがあったと思います。そんな風にここ数年私には無用とみなされていたかもしれない文化的知識を磨くべき状況に置かれ、それが自分にとっても日々の最大目標になっている・・・・この感覚は長い間忘れていたので、本当に新鮮に感じられました。今でもあの感覚を思い出すとワクワクします。(私は頭がザルの様な構造になっている上今はまた好奇心を失った大人に戻ってしまったので、結局教養人にはなれませんでしたけど・・・。こういう事にはすぐ飽きてしまう私です。)こういったわけで精神的には良好だった私の勉強ですが、現実はといえば、語学の壁に阻まれ苦戦を強いられている状況でした。何しろ当時の私のフランス語能力といえば、テレビのニュースを見ても消化しきれない程度だったから・・・。ニュースキャスターのフランス語ですらまだ100%聞き取れていたか分からない私にとって、声が小さかったり、やたら早口だったり、分かりにくい表現をわざと入れたりする教授達のフランス語は理解の範囲を超えていました。なのにこちらでは板書をしたり事前に作ったプリントなどを配ってくれる先生なんて稀なので、授業を理解するには耳を頼りにする他はないのです・・・。その上、授業は2時間続きます。(たまに、途中で10分休みをくれる先生も居たような?記憶が曖昧です。)なので最初は頑張っていても途中から疲れてきてどうしても違う事を考えてしまったり、眠くなってくることも多々ありました。それでも工夫をし、努力を積み、一年後には何とかディプロムをもらえるところまで漕ぎ着けたのだから、自分もかなり頑張ったし、運も相当良かったのだと思います。(続きます。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.21
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(続きです)ある日どうしてかは覚えていませんが珍しくも、残業中に母と電話をしていました。するとなんと、パリ郊外の大学から手紙が届いていると言うではありませんか。(もしかしたら、母がこの件で電話をくれたのかもしれませんね。)早速開封してもらうと、編入OKの返事が書いてあるとの事。不安でいっぱいの日々だったので自分を受け入れてくれる学校のあった事がとても嬉しくて、上司に報告したのを覚えています。それを皮切りに少しずつ編入希望への返事が届いてきたので学校選びもいよいよ、最終段階に到達しました。(9月になってから《つまり私が渡仏してから》返事をくれた学校もあった様な気がします・・・。遅いってば!!)最後に迷ったのが、パリ郊外の文学部(最初に返事をくれた学校だったかも?)と、地方の大学のArt du spectacleという、映画もオプションで学べる学部でした。パリ郊外の大学は市外に位置しているとはいえ、とにかくパリに近いというのが魅力。その一方でもう一つの大学は、日本で買えるガイドブックに掲載されている事もあれば掲載されていない事もある、小さな地方都市にあります。私はその土地に行った事もなかったし情報もほとんど無かったので、そこに行って一人で住むのは心もとなく思われました。それに映画の勉強をしてみたいというミーハーな気持ちがあったもののそれがどういうものなのか想像もつかず、文学部にした方が無難なのではないかという計算もあったし、パリ郊外の文学部は私をMaitrise《メトリーズ=当時は「修士」》に編入させてくれるのに、その地方大学だとLicence《リサンス=当時は「学士」の最終学年》から始める事になっていたので、ついつい前者に惹かれてしまうのでした。そんな私が最終的に地方大学の映画学部を選んだのは東京で偶然再会した、幼い頃フランス語を教えてくれたフランス人女性の言葉がきっかけです。「日本で学べない事をした方がいいと思うよ。それに勉強をしっかりしたいなら、地方の方がお勧めね。」彼女からもらった一言に押されてした決心が自分にとっていかに正しかったかが分かったのは、留学生活二年目になってからの事でした。(準備編は終了です。次回からは、留学一年目の事を書きます。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。日本を出る二週間くらい前に、同時期に留学を開始した友人に進められて急いで買った「地球の暮らし方」シリーズのフランス編です。出発前は時間が取れなかったのでシャルル・ド・ゴールに向かう飛行機の中で読み、後の家探しにおおいに役立てました。色々あった家探しの思い出も、いつか書きたいです。
2007.09.20
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(昨日の続きです。)その頃5年目に差し掛かっていた私のOL生活はなかなか忙しいもので、残業もそれなりにありました。ある日残業を終えてから同期の男の子に留学の準備をしてはいるものの自分一人で手配しているので心細いという話をしました。(退職したいという事は既に上司に伝えてあったので、私は留学の事を割とオープンに話していたのです。)学生時代にアメリカの大学に一年留学していた彼の最初の一言は、「なんで業者に頼まへんの?」彼は編入手配などを全て留学エージェンシーに任せたので心配は一切なかったと言うのです。目から鱗が落ちた気がしました。私は留学斡旋会社は語学留学しか取り扱っていないと思い込んでいたけれど、彼はそんな事はないと断言してくれます。もしかしたら・・・と藁にもすがる思いで数日後メジャーな会社2社に電話をしてみました。が、やはりNG。もしかして英語圏なら話が別だったのかもしれませんがフランスについては語学留学しか扱わないと断言されてがっかりしたものの、手続き全てを自分でやってみようという覚悟が再度できました。大急ぎで資料請求に返事をくれた大学へ願書と必要書類を送る準備を始めましたが、これがなかなか大変でした。「必要書類」の中に戸籍謄本や日本の学校の卒業証明書などを法廷翻訳したものが含まれていたのも面倒でしたが、それらを揃える以上に時間のかかったのが、願書を埋めたり志望動機書を書く作業です。なぜその大学のその学部で勉強したいのかという理由だけでなく、編入希望を出す学年によっては書きたい論文のテーマなども説明しなくてはならず、勉学から遠ざかっていた私には頭痛の種でした。(これから勉強しに留学するのに、こんなんでどうするんだという感じですが・・・。)ちょっと余談ですが、フランスには国立大学しかないのでどこも同じ運営方針だと思っていたのに、なぜかレンヌの大学(だったと思う)だけが検定料の様なもの(2~3000円くらい)を求めてきたので郵便局に行き、為替みたいなものを送ったのが印象に残っています。フランス全国にたくさんある大学の中から志望校を選ぶのは難しかったのですが、私は返事をくれた大学をまず「パリ郊外の映画学部」「地方にある、映画を学べる学部」「パリ郊外の文学部」「地方の文学部」の4つのカテゴリーに分けてそれぞれのカテゴリーから代表を2校くらいずつ選び、なんとか願書などを送り終えました。采は投げられたのです!ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.19
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さて、もう6年以上前の事で記憶が怪しくなってきているのですが、これ以上忘れる前に留学準備をしていた頃の事を書いてみようと思います。OLを辞めてフランスの大学に行こうと決心してから、まずは情報収集をしました。順序は覚えていないのですが、・ 「成功する留学」という本を買い、・ 在日仏大使館からフランスの大学のリストを送ってもらい、・ インターネットで検索し、・ 駒場にあった留学情報センターなどで資料を閲覧させてもらい、少しずつ調べていきました。今ならEdufrance(エデュフランス)が便利なのでしょうか。そして、私の場合日本で四年制大学を卒業しているので(当たり前といえば当たり前だけど)日本で勉強した事と関連のある学部になら「編入」できる事が確認できました。ただこの編入の基準がとても曖昧で、自分はどの学部の何年生に編入できるのかが分からず(どうやらケースバイケースらしいので)頭を悩ませました。たとえばですが、日本でフランス文学を専攻していた人ならフランスでも文学部を選択するといった様に、日本での専門と留学中の専門を同じものにするのがきっと自然な流れなのでしょう。でも私が日本で在籍していた学部の名前が特殊な上に、私自身は漠然とパリの大学で映画の勉強をしてみたいと思っていたので不安でいっぱい。ただ調べれば調べるほど、いい加減そうなイメージのあったフランスが実にアバウトである事が確認でき、結局は当たって砕けるしかないのだと行動を起こしました。フランス大使館からもらったリストや大学のホームページを頼りにめぼしい学校に資料請求を開始。手探り状態の私にとって「めぼしい大学」なんて本当はなかったのですが、パリ市内の映画学科、パリ郊外の文学部、地方の文学部か地方の映画学科などに手当たり次第に『編入したいので資料を送ってほしい』という旨の手紙を送ったのです。(その時はOLをしていて自由になる時間が足りなかったので、お昼休みに自分のデスクでネット検索をしたり、郵便局に行ったりしていました・・・。)それからしばらくして、大学から少しずつ返事が届いてきました。(返信用封筒を入れておいたにも関わらず返事をくれない学校もあった一方で意外や意外、一週間以内に応えてくれた学校もあったと記憶しています。)届いた資料によって、パリ市内の大学の映画学科は既に映画の勉強を専門的にしてきた人か、映画関連の仕事に携わってきた人しか編入させてくれない事が分かりました。残念だったけれど、ダメな物はダメとハッキリと知っておく事ができたので助かりました。(後に、映画の勉強をした事がなくても運よく編入できた日本人も居る事が分かったから可能性もゼロでは無かったのかもしれません。でも今となっては私の場合、一年目からパリの映画学科に在籍しなくて本当に正解だったと思っています。その理由はいずれ書きますね。)外国人がフランスの大学に編入する場合まずは書類審査が、その後にフランス語能力を試す為のペーパーテストが実施されるのが一般的です。なので留学準備の次のステップは、送られてきた資料の中に混じっていた願書に住所や志望動機などを記入し、必要書類を添付して返送する事でした。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。本文に出てくる『映画学部』の私なりの解釈とその実態は、これよりちょうど1年ほど後に書いたこの日記を参照してください。それからこちらでは『どの学年に編入するのがベストなのか』をテーマに書いているので、良かったらどうぞ。留学準備の際に買った「成功する留学・フランス」です。学校情報は残念ながら語学学校のみですが、生活情報はなかなか参考になったし、なによりも読みながらフランスでの留学生活のイメージを思い描くのが楽しかったです。なので私は、古い版を2種類(年度違いで)持っていました。今でも家のどこかにあるはず・・・。
2007.09.18
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2001年9月4日、私は4年半ぶりにフランスの大地を踏みました。新調したばかりの大きなスーツケースを腕に、期待と不安を胸に抱えて。(なんだか陳腐な言い回しだけど、まさにその通りだったのです・・・。)フランスに留学する事に決めたのは、幼い頃住んでいたフランスという国をもっと知りたかったから。というのも、7歳で帰国してから感じたあの違和感はフランスという国が日本とはずいぶん異なっている事によるのだろうと、ずっと考えていました。祖国日本とは大違いなのに幼少時の自分がすんなりと受け入れていた国、そして自分を受け入れてくれていた国、フランス。年齢を重ねるにつれ日本に慣れ東京での生活にもすっかり馴染んでいた私ですが、フランスにもう一度住む事は自分のルーツを探す事でもありました。そして、留学にはもう1つの目的がありました。それはずっと中途半端だったフランス語を極めること。フランスの小学校に1年少々通った私は日本に帰ってきて以来ずっと周りから「フランス語ができる」と思われていたのですが・・・小学校一年生のフランス語能力しかつけないままの帰国だったので、実際はお粗末なものでした。帰国してからも家庭教師をつけてもらったり、大学でフランス語を真剣に勉強してみたものの・・・まだまだなのは分かっていました。(実際、留学前は仏検準一級しか持っていませんでした。頑張っただけの成果は出ているものの、まだまだ相当の頑張る余地がある事が伺えます。)大学時代もOL時代も日仏学院に通ったりしていましたが、真の実力をつけるにはフランスに行って仏語漬けの生活をするのが一番だと思いました。こんな私ですから、フランスの大学に行ったとしても学位が取れるか分かったものではありません。私は保守的な性格なのでとても迷いましたが母に応援され、後押しされ、説得(?)され、決めました。留学の為にフランスでの生活を再スタートさせた時に買ったのが、クオ・バディスの「Universitaire(大学生用)」という手帳です。写真だと見えにくいと思いますが時間軸があらかじめ印刷されているのが便利で学生ではなくなった今でも同じものを毎年買っています。(というか、本当は全く同じ作りの「Affaire《だったかな?もしそうなら「ビジネス」という意味です。》」という手帳に切り替えてもいいのですが、「Universitaire」は毎年8月から始まっていて、「Affaire」は毎年12月から始まっているので、タイミングの問題でいつまでも乗り換えられないのです・・・。ちなみにこんな派手なデザインのものを買ったのは去年だけで、普段は真っ黒なカバーのものにしています。)これももう7冊目。1年か2年のつもりで始めた留学生活がまず5年に長引き、更にフランス人と結婚する事によってこの地に半永住する事になるとは思ってもいませんでしたが、気付けばこの前の9月4日で私のフランス生活も満6年を迎えたのでした。7年目に突入です!幼い頃フランスに住んでいたのは3年弱だと思うのですが、それを大ざっぱに括って「3年」という事にしてしまうと計9年住んでいる事になり、10年目に突入したという計算に。こういう事になったのはもちろんフランス人の彼(現・夫)と結婚したいと思ったからなのですが、彼に出会う前、そして出会ってからも、勉強自体が何とかうまく行っていたから、というのもあります。これからしばらく、留学が自分なりに成功した理由を振り返ってみたいと思います。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.17
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(前回の日記にはシネマテークの正面入口の写真をアップしましたが、実はあの「正面入口」はなんと、裏手にあるのです。ベルシー駅から歩いてくると、シネマテークはこの写真に近い角度で視界に入ってきます。ちなみに人がたくさん写っているのは、日曜に撮ったからです。たぶん。)(続きです)天野君から、私達のせいじゃないと告げられてなんとも言えない気持ちになり、すぐに立ち去ってしまった私。だって・・・・天野君に言われて急に思い出したけど、鼻をグズグズ言わせていたのはうちの主人なんだもん!私は映画にものすごく集中していたので、鑑賞中に主人の鼻がシュンシュンと音を立てている事になんて全く気付いていませんでした。でもそういえば、天野君が夫にジェスチャーをしているとき急に現実に引き戻された私は「あれ?鼻をすすっているなんて、風邪ひいたのかな?」と、ちらっと思ったのでした。(この時まだ、夫は風邪をひきはじめたところでした。)主人の隣に座っている自分にすら気にならなかった音が、まさかもう一つお隣の席の天野君に届いているとは考えすらしなかったし、彼が移動してしまってからすぐに作品世界に舞い戻った私は、そんな事すっかり忘れていましたが・・・。映画のあと天野くんに席を離れた理由を聞きに行った時の私は、実はちょっとイライラしていました。まさか自分達(正確に言えば、私の夫)に非があるとは思っていなかったので、自分はどちらかというと被害者だとすら思っていました。なのにこちらに原因があったなんて、この気持ちはどこにぶつければいいの・・・?自分が席を変えたのは他の人だと嘘をついてくれた天野君。(かたじけない!)それは彼の気遣いなのでしょうね。それに夫が天野くんの映画鑑賞を妨害してしまったのは事実だけど、何にも気付かず映画にのめり込んでいた私の気を、どうしても夫の鼻の音が気になってしまった天野くんが散らしてしまったのもまた事実。天野くんが主人を責めなかったのは、そういった負い目の様な気持ちもあったからかもしれません。どうにもスッキリしない気持ちになり、つい前回のカフェに寄ってまたキールを注文してしまった私でした。(主人に「鼻の音の主は、実はあなたなんだよ」と告げると、「えっ!・・・・でもそういえば・・・」と言っていました。コラ!)パリではあらゆるジャンルと時代の作品が、「無数」と言ってもいいほどの映画館で上映されています。大きさも運営方針も様々なら、客層も様々。そして当たり前の事ですが、同じ映画館でも作品のカラーによってお客さんの雰囲気がガラッと変わる事もあります娯楽大作になると周りもポップコーンなどを食べながらくつろいで居る事も多く(私語が聞こえてきたり、椅子の背中に足をぶつけられる事もあり)、良くも悪くも「お互い様」のうるささがあったりするので(私はあまり好きではないけど)、こういった展開にはなっていなかったかもしれません。だけど、シネフィルが集まるところでは細心の注意が必要なのですね・・・。なんだかブツブツと書いてしまいましたが、元はと言えば主人が鼻をグズグズさせていなければ何も起こらなかったのだから、やはり映画館では(しかもシネフィルの多いところでは)万全を期さなくてはね、と肝に銘じた出来事でした。
2007.09.16
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(写真はシネマテークを正面から写したところです。昨日ようやく日暮れ前に訪れる事ができ、ようやく撮影しました。でももう夕方だったので、木の影が映っていますね・・・。)先日増村保造の「偽大学生」(1960)を観に、またもやシネマテークに行ってきました。なかなかの入りで、私の右には主人、左には、キャイーンの天野を痩せさせた様な感じのフランス人が座っていました。この、フランス版痩せた天野くんは、私達がどう座ろうか迷ってきた時ににっこりと話しかけてきてくれたのが感じよかったので、まさかこの後、彼と微妙な気持ちになるとは思ってもいませんでした・・・。「偽大学生」は、四浪したのにまたもや受験に失敗してしまった主人公が、受かったフリを決め込むところから始まります。この冒頭のシーンですでにジェリー藤尾の演技には何かぞっとさせるものがあるのですが、彼が学生運動に巻き込まれていくに従って、緊迫感がどんどん増していく、息の詰まる作品です。つまらない映画だと余計な空想ばかりしてしまう私ですが、この日は自分という存在を忘れて作品世界に没頭していました。ですがふと・・・左に座っている痩せた天野くんが私の方を見ているのに気付きました。私は一切音も立てず、いかなる動作もせず、動いていたのは心だけなのにどうしてでしょう?私が一体どんな迷惑をかけているというの??まさか、口臭がキツイとか・・・?そ・そ・そんな・・・・。しばらくすると、彼は私に何か話しかけてきました。でも声が小さくて聞こえません。周りから「シュッ」と言われるのもシャクなので「聞こえません」と言い返す気にはなれず、首をかしげるだけの私でした。その後どうしたはずみか、私の右に座っていた主人も私達が何かを伝え合おうとしているのに気付き、振り向きました。天野くんは今度は主人に向かっていくつかのジェスチャーをしましたが、それも伝わらないと分かると急に立ち上がって、左手前方の座席へ移動してしまいました。私には、訳が分かりません。幸いにも「偽大学生」がのめりこみやすいものであった為、またすぐ作品世界に戻る事ができましたが、映画が終わるとまた不思議な気持ちになり、何だかモヤモヤしてきました。上映が終わりベルシー駅まで夫と向かうと・・・あっ!天野君が連れらしく人と歩いている!少し迷ったのですが、スッキリしたかったので声をかけてみる事にしました。天野君に席を移動した理由と聞くと「あなた達のせいではありませんよ。鼻をグズグズ言わせている人が居たから、移動したんです。」との事。私達がリアクションに困っていると天野君は「映画を観ながらメモを取っている人が居たんですけど、その人です」と、付け加えました。私は形式上の挨拶を済ませるとすぐに立ち去りました。その理由は・・・。(続きます)
2007.09.15
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(昨日アップしたエッフェル塔の一部にクローズアップして撮影したものです。ピンボケで見えにくいですが、風船みたいなものとテレビ画面らしきものがくっついています。)昨日書いた通りの理由でシネフィルらしき人達とは映画館ですれ違うだけなのですが、それは私にとっては心強くもあり、時々は煙たくもある存在です。本編が始まってから他人の雑談を聞くのは誰でもウンザリなはずなのに、たまにおしゃべりしたり、独り言を言っている人って居ますよね・・・。(ふだん強気な私ですが、なぜかこの雑談はなかなかけん制できないのです。)でも名画座だと(モーレツな映画好きだと思われる)誰かしらが「Chut ! 《シュッ=日本語で言う「シッ」》」と発してくれます。なので、ちょっとうるさい観客が居る時でも「誰かがそのうち収めてくれるだろう」と安心していられるんです。心強~い♪ただ、「逢う時はいつも他人(1960年、リチャード・クワイン監督、キム・ノバクとカーク・ダグラス主演)」を観にいった時は、「シュッ!」と言われても話をやめない人達に向かって、ついには「Merde《メルド=くそ》!」というヤジが飛び、私も夫もさすがにびっくりしましたけど・・・。こんな、ある意味頼もしいシネフィルですが、中には神経質すぎる人達も見受けられます。というのは・・・映画館には大体いつも、上映が始まるのを待ちながら雑談している人々が居ますよね。(観客が少なすぎる回だと誰一人しゃべっていない事もあるけど・・・。)そして部屋がフッと暗くなると、みんな一斉に会話を打ち切る訳です。だけどたまに、すぐには話をやめない人も居ます。そうするとすかさず「シュッ!」が聞こえてくる事があるんです。すると、その直後に他の誰かが続いて「シュッ!」。よその誰かも、つられたかの様に「シュッ!」。「シュッ!」があちこちから聞こえてきます・・・。これは大衆的な娯楽作品を観ている時には有り得ない、シネフィル特有の現象だと私は思っています。私だってもちろん嫌です、本編が始まっているのに他の観客の会話が聞こえてきたら。だけど・・・(例えばですが)大映マークがパッと写り、その後に映画の主題歌が流れ出す瞬間に隣の人の声が聞こえてくるのはあまり気になりませんし、人間なのですから、ほんの数秒会話が長引いてしまうのは仕方ない気もするのです。なのにそこですぐに例の「シュッ」を数人がかりで連発するのはせっかち過ぎるのではないかと思ってしまいます。でも彼らにとって、映画はそれだけ神聖なものなのでしょうね。みなさん、パリの「いかにもシネフィル」の集まりそうな映画館」に行く時はご注意あれ!映画好きの人間として、また、「シュッ!」攻撃を受けたくない気持ちもあり、一応映画マナーには気をつけているつもりの私達なのですが、先日は思いがけない事態に陥ってしまいました。(また続きます)
2007.09.14
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(本文と関係ないこの写真は、昨夜撮影したものです。ラグビー開幕を記念して、エッフェル塔が半分緑色になっていました。)よく映画を観る私達夫婦ですが、いわゆる「最新作」はあまり観ていません。それには各々理由があります。私の場合最近の作品でそんなに観たいと思えるものがないのと、ただ単に「未見の名画」が多すぎるからです。(でもハリウッド系のラブコメディは好きなので、めぼしい新作に気付いたときは観ています。)夫も「名画」が好きだし、その他いわゆる通好みの映画とかカルト的な映画を率先して観る傾向があるみたいです。なので私達が足を運ぶ映画館といえば、ごく自然に「シネフィル《cinephile》」達の多いところになります。このシネフィルという言葉、なんと説明したらいいのでしょう?(ちなみにフランス語として使う時は「スィネフィル」と言った方がキレイです。)仏和辞典で調べると「映画ファン、映画通」と訳されていて、手元にあるPetit Robertによると「映画を愛好し、精通している者」と言った風に書かれていて確かにその通りなのですが、実際にはそれだけでは済まないニュアンスが含まれている気がします。私が「シネフィル」と聞いて一番に思い浮かべるのはフランソワ・トリュフォー。(すごくありがちですよね・・・。)映画を愛し映画に生きたトリュフォーも、元は一シネフィル。後に映画監督として大成した彼ですがそもそもは、家庭に恵まれない子供時代から映画館に通いつめていたのが始まりです。精神的な意味では父親の様な存在のアンドレ・バザンと出会い、カイエ・デュ・シネマで映画批評を始め、ついには映画を創っていったシネフィル伝説の男。(と、私は勝手に思い込んでいる。)きっと「シネフィル」とは、トリュフォーの様に人生の意味を映画に見出す人の事を指すのでしょうね。やはり「シネフィル」という響きの持つ威力のせいか、私達の周りにも「自称映画好き(私達も含む)」はいても、「自称シネフィル」はいません。なので私には今日における「シネフィル」がどんな感じなのか正直よく分からないのです。(続きます。)ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.13
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(写真はシャイヨー宮の、トロカデロ広場から見て左側の建物です。懐かしの旧シネマテークは、この端っこにあったのです・・・。)増村保造特集の存在を知ってから、夫は毎日新しいシネマテークに通っています。毎日2・3本かかるのですが、それをできるだけ全部観ているのです。日本映画のフェスティバルがあるといつもそうなのだけど、今回も映画を観にいくのが最重要の日課になってしまった様子。そんな彼なので、友達と夕食をとれるのが(増村保造のかからない)月曜と火曜限定になってしまいました。私達はもともとそんなにしょっちゅう人と会っている訳ではないので(私達は、気付けばいつもあっと言う間に一週間が過ぎている、どんくさい夫婦・・・)、これは大した支障ではありません。でも2人で「今度○○さん達に会いたいね」という話をしていると、いつも最後に「月曜か火曜限定でね」という注意事項が加わるので、ちょっと鬱陶しく思う事もあります・・・。ここ数年そんな夫を見ていて「この人はいつか友達を失うんじゃないの?」と思った時もありましたが、どうやら大丈夫みたいです。だって彼の昔からの友達はみんな、ディノがこういう人だっていう事をよく知っているから・・・。それにディノは自分が食事とかに付き合えない代わりに、率先して友達を映画に誘うんです。ここ最近よく聞いたのは「○○に電話しなくっちゃ!」という言葉。類は友を呼ぶとはよく言ったもので、ディノの友人知人には、日本映画好きが結構居ます。(日本映画のフェスティバルで隣の席に座ったのをきっかけに友達になった人も居るしね。)それで使命感(?)にかられて、映画祭の事を教えてあげているみたい。こんな夫には慣れているつもりの私でしたが、この間はとても驚きました。「風邪をひいて気管支がやられかけてる!」と騒いだディノは近所のドクター・Gの診察所に出かけたのですが・・・・後で聞くと、なんとドクターにも増村保造特集の話をし、シネマテークで配布されているパンフレットを置いてきたそう。おまえさん、何しにいったのじゃ!と叫びたくなるのをこらえた私でした。そんな雑談ばっかりしているから、いつも健康上の大事な質問をしてくるのを忘れるんじゃないの?ねぇディノ・・・。ここのところ妻は、あなたが残した留守電を聞いたお友達からかかってくる電話や、逆に、あなたに増村保造特集の存在を教えようとしてくれる知人からの電話への応対に追われております。別件で電話した人にまで、映画祭関連のあなたへの伝言を頼まれるし。でも全員に「主人は全作品を観ようと頑張っているので、シネマテークに行けば会えますよ」と応答していますので、ご心配なく。あと一つ気になっている事があって・・・私は自分が持って帰ってきたパンフレットの表紙にきちんとローマ字で自分の名前を書いておいたのに、なぜか見つからないのです。「まさか、私のサイン(?)入りのパンフレットを誰かにあげたりしていないよねぇ?」と思いつつ、聞きそびれている私なのでした・・・。
2007.09.12
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金曜の夜「好色一代男」(1961)を観ようと、外出先からRER(パリと郊外を結ぶ電車)に乗りシネマテークへ向かったのですが、途中で久しぶりの吐き気に襲われ、何かただごとではないような、恐ろしい予感がしました。気持ち悪いながらもシネマテークのあるベルシー駅まで来てしまったので、何とか「好色一代男」を鑑賞。見応えのある映画だったのも幸いしてか、上映が始まってから吐き気は治まってくれました。(それにしても、なんとまぁ市川崑の「ぼんち」(1960)とかぶった作品だこと!)帰り道によくよく考えて、昼間から鼻水が出はじめていたのを思い出し、原因が風邪だと分かりある意味ほっとしましたが、このまま行くとひどい状態になるのではないかと思い、土・日はシネマテーク行きを我慢して出来るだけ家に居る事に。溜まっていた雑事を少しずつ片付けては、気分転換に、先週更新しそびれていたブログの日記をどんどんアップするという二日間を送りました。月曜になったら頭痛も喉の痛みも治まり体調が良くなってきたので、その時に飲んでいたお薬と、風邪からの回復に役立ったっぽいマイブームを紹介します。今回もFERVEX(フェルヴェックス)というお薬に救われました。このフェルヴェックス、パッケージによると風邪やインフルエンザ、その他鼻に関する病気(「鼻カタル」って書いてあります。何だろう?)のお薬という事なのですが、確かに鼻水がすぐに止まるので、一昨年から時々お世話になっています。(*注説明書に目を通してみたら、妊娠中・授乳中の方、運転や機械作業をしなくてはならない方(副作用眠くなるので)、肝臓の弱い方、緑内障の方、15歳未満のお子さん、その他様々なタイプの人には使用が禁止されている事が分かりました。私は全部を書き切れませんので、服用前には必ず説明書をお読みくださいね。)それから、私はいつも風邪をひくと紅茶をがぶ飲みしたくなるのですが、今回は生姜を入れてみました。急に、2年くらい前にレ・アール近くのインドネシア料理レストランで飲んだ生姜茶の記憶が蘇り、自分流に淹れてみようと思いついたからです。私が実践したのは、お水の中にスライスした生姜を入れてから沸かし、そのお湯で紅茶を淹れるというもの。家にある色々な紅茶と試してみましたが、写真に写っているロシアン・アール・グレーとの組み合わせが今は一番気に入っています。たぶん生姜をすりおろしたらもっといいお味になると思うのですが(1ポット1000円以上した、レストランでの味が再現できるかな?)、面倒くさいので今のところ切るだけで済ましています(^^;それでもかなり美味しいし(中華街で買った安い「生姜茶」のティーパックより全然いいです!)、飲むうちにに顔から汗が出るくらい体が温まり、冷たくなっていた足先までぽかぽかになったので、これからも飲もうかなと思っています。みなさんもどうぞお試しあれ。また足先が冷えているから、今から淹れてこようっと♪
2007.09.11
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美容師さんが帰ったあと床に敷いていた新聞紙を捨てようとすると、ディノが散らばっている私の髪を指して「この髪の毛どうするの?捨てるの?」と聞いてきました・・・・取っといてどうするの?と思ってすぐ質問したら「フェティッシュな感覚の持ち主って、髪の毛取っておきたいらしいからさぁ」という謎のお答え。あなたは髪の毛フェチじゃなさそうだし(このびっくりな言葉も思いっきり他人事として、さらりと言ってのけていた)、私には自分の髪を保管しておくようなナルシシズム(?)はないし・・この家のどこに「フェティッシュな感覚の持ち主」が居るっていうの??謎が謎を呼ぶとはこの事だねと思いつつも私が新聞紙を捨てていると、ディノは私の髪を自分の鼻より下に当てて「ニーチェ!ニーチェ!」と叫んで遊んでいました・・・・あなたは一体幾つなの?「ふ~ん、ニーチェってそんなに髭あったんだぁ・・・」と思いつつもクールに構える事ができず、つい爆笑して写真まで撮ってしまったのは私です・・・そして当然のごとく自分もやってしまった・・・これまた証拠写真まで残されて・・・。さて、それから掃除機をかけたらカーペットも元通り!後始末が終わるとプールの疲れもあってか眠気が襲ってきて、あんなに寝坊したのに、苦手なはずの昼寝をしてしまいました。でも、こんな土曜もあっていいと思う。起きてから在り合わせのもので夕食をとったのですが、なかなか良い一日でした。平凡な毎日でここのところイベントはないけれど、それでもこう思えるなんて、本当に幸せだな。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.10
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(写真は、今年の初めから使い出した自然派シャンプーと、リンス代わりに使っているbaume demelant《ボム・デメラン》です。髪のツヤがイマイチ出ないのが悩みですが・・・。でも(裏の使用説明にも書いてあるのですが)トリートメントする時の様に、髪にボム・デメランを付けて数分待ってから髪をすすぐと、効果が出やすいみたいです。)私が急ぎ足でプールから戻ってくると、夫がパジャマのまま台所掃除をしていました。我が家の信じられないくらい狭い台所には洗濯機があり(フランスでは割と多いパターン)、狭さゆえ、その上で調理作業をせざるを得ないのですが、ディノは今日、洗濯機の後ろに何かを落としてしまったらしいのです。そこで自分が落としたものを拾うために洗濯機を動かし、ついでに掃除を始めたそうです。あ~・・・それはありがたいけど・・・でも!午後2時半にパジャマで居られると困るんだけど・・・美容師さんは一時間後に来るっていうのに・・・ディノの速度じゃ、1時間内に朝ごはんを食べてシャワーを浴びて着替えるのはムリなのに・・・・・・・・・・と内心慌てながら、感謝する私。(家事をしてくれたのだから、お礼を言わないとね!)美容師さんにはサロン(居間兼食堂)で髪を切ってもらう予定だから、朝食は早く済ませてもらわないと!私もお昼ごはんを食べなきゃいけないし、掃除機もかけなきゃだしで、バッタバタの1時間を過ごしました。そして3時30分に美容師さんが到着。結婚式の日にヘアをお願いして以来なので、10ヶ月ぶりに会いました。フランス生活を始めて以来日本にあまり帰っておらず、病院もコンタクト屋さんも洋服も靴も大体全てフランス人経営のところで済ましている私ですが、ヘアカットとメガネ屋さんだけは日本人向けのところに行く様にしています。私の髪が硬くて太くて多いという悩みはフランス人にはあまり分かってもらえないみたいだし、滅多に作り変えないメガネは、たまの日本帰国の際に入手すればそれで間に合うからです。今までヘアカットは日本人が経営している美容院にお願いしていたけれどちょっと考えるところがあったのと、結婚式当日にセットをお願いした出張美容師さんは腕もセンスも良かったのにかなり安い料金で引き受けてくれる事を最近偶然知ったので、もう一度連絡を取ってみたのです。自宅で髪を切ってもらうのなんて幼いころ母にお願いしていた時以来で勝手も分からず不安もあったけれど、全く問題なくスムーズに進みました。事前にシャンプーし(別に前日でもいいそうです)床に新聞紙を敷いておけば、それでOKでした。今回は伸びすぎてしまった髪をすいてもらったのですが、パーマが落ちかかっているので出来上がりにはあまり期待していませんでした。でも終わってびっくり!かなりいい具合になっていました。私は美容院で延々とドライヤーをあててセットしてもらったアタマを気に入った事があまりなく(これも母譲り・・・)、毎回家に帰ってすぐに髪の毛をいじってしまうのですが、今回は前髪の分け目以外はバッチリで、これからも毎日この髪型をキープできたらいいのに、と思ってしまったほどでした。(後日談:結局、全く同じセットを再現する事はできなかったけど・・やっぱりドライヤーが使えないのは致命的なのね。でも、今回のカットはなかなか気に入っています。)大満足の結果だったので、次回はパーマもお願いしますと言って美容師さんとはお別れ。寝室で朝食の続きをとっていたディノも顔を出して、ご挨拶しました。(続きます。)
2007.09.09
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(以前書いていた事を、かなり遅れて更新しています。でもディノがまだプールに行っていないのは相変わらずですが・・。写真は夫のベッドサイドにあるテーブルです。本に埋もれて大変な事になっていますが、これでも前よりは格段な状態なのです・・。)ディノがノルマンディーから帰ってきたらぜひ一緒にプールに行こうと思っていたのに、そして今日がその初めてのチャンスだったのに、今朝は一人でプールに行ってしまいました・・・。ここ最近早起きが続いて疲れていた事もあって、目覚ましをかけずに寝たら、なんと12時まで寝てしまったのです!横を見ると、ディノは当然の様にスヤスヤ寝ている・・・。日本人の出張美容師さんに3時半に家まで来てもらう事になっているのに、今から夫を起こし(ここで10分のロス)、彼がプールに来る様に説得し(ここで更に10分のロス)、長い朝食に付き合い(ここで20分のロス)、シャワーを浴びずに家を出ないのがポリシーのディノの入浴を待ち(また10分のロス)、水着などを探し出すのを手伝い(??分のロス)、着いてから準備体操をさせたりしていたら、時間通りに帰ってこれない!そう、うちの夫は何をするにも遅いのです。その上、(時々だけど)信じられないくらいくらいの慎重派。そして話が長い人・・・私と会話が始まるとなかなか終わらない・・・。せめて前日に「明日はプールに行こうよ」と説得しておけば良かったのだけど、まさかこんなに寝坊するとは思いもせず、プールの話をしないまま寝てしまった報いがやってきました。説得すら今からしなくてはいけないのか・・・大変だ・・・。そこで、決心しました。「ごめん!!でも、あなたをプールに連れて行こうと頑張ったら、共倒れになっちゃうの。だから、私一人で行くよ」と。ここはフランスらしく(?)個人主義でいこう!と思ったのです。一人で大急ぎで朝食を食べ、服の下に水着を着込み、ベッドサイドまで行ってディノに「プールに行ってくるね」と言いました。ディノはちょっと驚きつつもねぼけまなこで「そう・・・気をつけてね」と言って、目をつぶりかけた後、「でも気をつけてね」と付け足しました。そう言った瞬間、彼は自分の言葉に目を覚まされたみたいです。いきなり一人でしゃべりだしました。(これはよくある事です。)「そうだよ・・・もしみにかーが溺れたら、どうしよう。自分の居ない時に、もしもみにかーに取り返しのつかない事が起こったら・・・後悔してもしきれないよ」と。でも私が「ディノって、そんなに水泳が上手なんだっけ?溺れ掛けた人を助けるのってすごく難しいと思うんだけど?」と突っ込んだら(それ以前に、溺れないつもりなんだけど)、「そうだね・・・ぼくが居ても助けられないよね、きっと。じゃあ、仕方ない。ぼくはやっぱりこのまま寝るよ。行っても、力になれないからね・・・。オヤスミ」と応えてから、またもや寝る体勢に戻ってしまいました。あれ・・?これもフランスの個人主義ってやつ??という訳で私は一人でプールへ、ディノはそのまま引き続きベッドでぐっすり、と、それぞれのしたい事を尊重した、土曜のお昼過ぎでした・・・。(続きます。)
2007.09.08
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「兵隊やくざ」を観終わってからS子さんとDさんご夫婦と駅まで向かい、私達夫婦だけがカフェに寄る事にしました。アルコールを控えなきゃいけない夫はビール(たまにだからいいかな?)、私はキールを注文。数十年ぶりという記録的な冷夏すら過ぎ去ってしまったパリの夜はかなり肌寒いのですが、私にしては厚着していったので何とかテラスに座っている事ができました。夫との話が珍しくも途絶えてぼぅっとしていると・・・あれ・・・何だか懐かしい雰囲気・・・。なんだろう、この感じ・・・。少し考えてみて、分かりました。近代的なビルがあって、その横には車がビュンビュン走れるだけの道があって・・・だけど(パリの)12時過ぎだからその数は少なくて・・・。この車の音は、友人宅で飲み明かした後に数人で歩いた、午前5時ぐらいの、新宿都庁からそんなに遠くないあたりに似ているんだ・・・。(最初の写真の奥は、こんな感じになっています。)小1の終わりから約20年、東京のど真ん中に住んでいた私。実家では深夜でも車の騒音が絶えなかったし、友人の家も都心にありました。今私が住んでいるのは、いわゆる閑静な住宅街。家の前の、小さくて一方通行の小道は石畳で、車が全速力で通っていく事はありません。もちろん実家あたりの車の騒音も排ガスも好きじゃなかったけど、それでも夜コンビ二に向かったりする時に聞こえてくる、昼間よりは少ない車の音や、信号機あたりにあるあの独特の雰囲気は好きだったなぁ。パリも、東京に負けず劣らずの世界的な都市。だけど良くも悪くも東京に比べると大きな道路が少なく、まだ発展していない感じがする事がある。(パリが東京よりも小さいのも影響しているのだと思うけど。パリの面積は山手線の内側ぐらいだっていうのは有名な話だし。)こちらに住んでいる日本人はパリのそういう所を気に入っているし、私もそうだ。だけど・・・やっぱりこの感じ、懐かしいな。トイレに行っていた夫が席に戻ってきたので、ボーイさんにお会計を頼むと「さっきの、見ましたか?」と聞かれました。増村保造特集のプログラムに没頭してた私は気付かなかったのですが(目が節穴?)、ケンカか何かで頭から大量に血を流した人が通っていったと言うのです。それを聞いた夫は私に「一人で映画の最終の回を観た後は、このカフェに寄らない方がいいかもよ・・・もごもご・・・いや・・寄らないでほしいな・・・」と遠慮がちながらも、執拗に執拗にリクエスト。そのしつこさにイライラしつつ、「そもそも私、深夜に一人でカフェに入るつもりなんて全くないんだから安心してよ!」と何度も主張する私でした。あぁ、どうしてこの人はこんなに物分りが悪いんだか!ベルシー地区で叫びあっているフランス人の男と日本人の女が居たら、それはたぶん私達です・・・。ベルシーはおそらく今まで、駅前のスポーツ競技施設(?)ぐらいしか見どころがなかった地区で確かにシネマテークに向かう途中でも、不穏な空気を感じる事はありました。もしかして「これから重点的に開発される地区」のひとつなのかなとも私は推測していて(予測はしてみたものの、調べる気はなし・・・)、とにかく夜は注意するに越した事はないのですね。ランキングに参加しています。投票(をクリック)していただけると、嬉しいです。
2007.09.07
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(写真は、映画の後に寄ったカフェです。)またもやシネマテーク・フランセーズに増村保造の「兵隊やくざ」(1965年)を観に行って来ました。勝新、かわいすぎ!筋肉よりも贅肉の方が多い気がしたけれど、それすらもご愛嬌です。前にも増して、座頭市を観てみたくなりました。さて、勝新に負けず劣らず丸っこくてひょうきんな私の夫ですが、「出来る事なら上映される全ての増村作品を観たい」と頑張っています。(全部で40本以上あるのに!)それにひきかえ、私は映画は一日一本、多くてもせいぜい二本しか観ない主義。プログラムをチェックしたところ、私が観たいものは何故か最終の回(毎晩21時から21時45分の間に始まる)に集中していました。なので、その前の19時の回も観ているディノとは、シネマテークで落ち合う事になります。この「兵隊やくざ」を観た日もそうでした。上映される「ジョルジュ・フランジュ」という部屋に入った私はすぐにディノを見つけ、隣の席に座りました。映画が始まるまでの数分間、おしゃべりしながら周りを見渡していたら・・・・なんとびっくり!ディノにそっくりな人が入室してきたのです!!よくよく見ると顔はそんなに似ていなかったのですが、髪の色といい長さといい、ベージュのジャケットに赤いシャツを合わせているところがいかにも夫にそっくりで、私の目は釘付けに。慌てて小声でディノに「そっくりな人が居るんだけど!」と言うと、「うん、知ってる。昨日少しだけ話したよ」との返事。えええーーーー!本人も自覚あるのね!しかも既に言葉を交わしたの??話によるとその前の日、シネマテークのカフェテリアに居たディノは、そっくりさんと同席(だったっけ?)したらしい。そして、自分によく似た人が本を読んでいるのを見て(本が好きなところまで一緒な訳?)、去り際に「Bonne lecture!(良い読書を!)」と一声かけたとの事・・・。日本でも似たような話を聞いた事があるのですが、やはりフランスでも「世界のどこかに自分にそっくりな人《sosie=ソズィー》が居る。そして、その人を見たら死んでしまう」という言い伝えがあるそうです。幸いな事にこの「そっくりさん」は顔立ちがそんなには似ていないので心配はしていませんが・・・それにしても、雰囲気似てるなぁぁ・・。私はどうしてもソズィーさんから目が離せなかったのですが、向こうもこちらが気になっているのでしょう。なんと、3回も目が合ってしまいました。なんか気まずい??映画が終わってから、よそに座っていたS子さん&Dさん夫婦と合流し、この話をしたところ、なんとS子さんはソズィーさんを見た瞬間「あれ?ディノはとっくに入室しているはずなのに?」と思ってしまったとの事。本人が見ても、妻が見ても、知人が見ても「そっくり」なソズィーさん。こんな事ってあるんですね・・・。
2007.09.06
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(写真はシネマテークのチケット売り場。写っていないものも合わせて、全部で4つの窓口があります。「シネマテーク、すごい大きくなったんだね~。どこからこんなお金が??」と、主人はびっくり仰天していました。確かに旧シネマテークは、トロカデロにあったのも、グラン・ブルバールにあったのも、それぞれ窓口が一つずつしかなかったものね・・。)ルメットの「グループ」を観てから数日後、今度は増村保造特集の中の一作、「女経」(1960年)を観てきました。この作品は増村保造監督・若尾文子主演の「耳を噛みたがる女」市川崑監督・山本富士子主演の「物を高く売りつける女」吉村公三郎監督・京マチコ主演の「恋を忘れていた女」の3つの作品から成っている、トータルで1時間40分のオムニバス映画。どれも上々の出来で、あっと言う間に終わってしまった感じでした。女優は3人とも快演していましたが、私は中でも、今まで抱いていたイメージと違う顔を見せてくれた京マチコに惹かれました。この作品は(たぶん)一番大きい「アンリ・ラングロワ」という部屋で上映されていました。きっと集客力が大きい作品と見なされていたのでしょう。いつものごとく上映時間ギリギリに到着した私は映画が始まる前は慌てていたし、上映が終わったら終わったで夫と話しこんでしまったので部屋の様子はあまり覚えていませんが、いかにも新しい気持ちのいい部屋で、列と列の間に割と段差があった様な気がします。(これって重要ですよね!)ただひとつ残念だったのは・・・・やはり例のヴァーチャル字幕です。前回「ジョルジュ・フランジュ」で観た時とは違って、今回は中央ぐらいの列に座っていたので、画面とヴァーチャル字幕の間の距離は気になりませんでしたが、問題は字の大きさです。そう、この部屋のヴァーチャル字幕は字自体がとても小さいんです・・・。「女経」のフィルム自体には英語字幕が付いていたのですが、比べるとその差は歴然・・。私は以前字幕についての論文を書いた事もあり、日本映画を観ていてもついつい仏語字幕にチェックを入れてしまうのですが、今回ばかりはやってられんと思い、最初から見ない事に決めてしまったので作品に集中できました。字幕に頼らざるを得ない夫はやっぱり大変だったみたいです。「これなら、英語字幕を読んだ方がマシなくらいだ」と言っていました。それでも毎日ルンルンしながらシネマテークに通い詰めている夫に幸あれ・・・というか、毎日若尾文子を見られるだけどあの人十分幸せみたいだけどね・・・。
2007.09.05
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私の持っているオー・ド・トワレ類です。ダリの瓶(薄緑で鼻と口の形になっているもの)は留学一年目になんとなく自分で、モリナールのHabanita(左下にある正方形の瓶)はディノにもらったものですが、その他は全て義母からのプレゼント。幼い頃から私の実家には、母所有瓶の香水がいくつかありました。フランス生活をしていた頃のいただきものなのだそうです。子供心に美しいボトルや「良い香り」というイメージには惹かれるものがあったのですが、いざ嗅いでみると、いかにも「香水」という感じのなんともいえない香りのものばかり。(母自身、いつもそうぼやいていました。10年も20年もテキトーに保管されていたので香りが変わってしまったのかもしれないし、当時の流行なのかもしれないし、原因は分かりません。)母が香りをまとわない人なのも影響し、私も香水とは無縁のまま育ちました。でもお義母さんはフランス人!(生まれたのはフランスではありませんが。)ディノが小さい頃からいつも何かしらつけていた様子です。(Habanitaも、むかしお義母さんが使っていたのを思い出して、私に贈ってくれたそう。)だから私へのプレゼントもアクセサリーの次に香水が多いのね・・・困ったなぁ・・。私が香水をあまりつけないのには母の影響だけでなく、もうひとつ理由がありました。それは「付けすぎ」になるのが恐くて、いつもほんの少量しか使用する事が出来ず、結局自分でも香りの存在をすぐに忘れてしまうし、周りからも気付いてもらえた事がないからです。たまに付けてみても全く意味がなくて・・・香水とのお付き合いの難しさには挫折したままでした。そんな私に転機が訪れたのは、ある日義母に出会いがしらに「あら、今日は珍しく香水を付けているのね」と言われた時。ようやく自分の香りを分かってもらえて嬉しかったし、今まで誰も気付かなかった事を指摘してきた義母に驚き、本当に香水が好きなんだなぁと実感しました。(その後に義母が続けて聞いてきた「今日の香りは、私がいつかあげたKenzoかしら?」と質問はハズれていたのですが。どうもKenzoのボトルのデザインにやられている様子の義母です。)主人はいい香りのする女性が好きらしいし、これからは出来るだけ香水をつけたいと思っています。私が香水をつけていてもディノは気付いた事がないので、もう少し量を増やさないといけないかな?一年前までは、義母から初めてプレゼントされたGreen Tea(Elizabeth Ardenのもの)がブッチギリで一番気に入っていました。でも、結婚するちょっと前にLolita Lempickaをもらってからは、こちらに夢中です。この2つって全然香りが違うんだけどね。まぁいいか。
2007.09.04
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(ちょっと久しぶりの更新です。写真はシネマテーク・フランセーズが配布している、シドニー・ルメット特集と増村保造特集のミニカタログです。このカタログのおかげで、増村保造特集が映画を愛してやまなかった故人に捧げられている事を知り、胸がいっぱいになりました・・。)私たちが慌てて最前列に座り込んだ時、ちょうどオープニング音楽が終わりました。この映画は30年代のアメリカを舞台に、大学を卒業した(確か)8人グループの女の子達の群像劇。オープニングは卒業式の様子を見せるものだったので、見逃しちゃったけどたぶん大丈夫だな、なんて思っていました。ところが、甘かった・・・・映画を観始めてすぐに、オープニングを見逃したなんて事よりも、何倍も何倍も大変な、ある事態に気づきました。シネマテークは非営利の映画館で、有名なものから忘れ去られたものまで様々な作品を見せてくれます。誰もが知っている様な大作ならいざ知らず、珍しい作品を上映するために外国からフィルムを借りる事もある訳です。すると、ひとつ問題が生じます。そう、フランスで上映したい外国映画に、仏語字幕がついていないのです!かといって、たった一・二度しか上映しない予定の、しかも借り物のフィルムに、仏語を打ち込む訳にはいきません。この話はもちろん、シネマテークに限った事ではありません。近年になって、レアな映画を頻繁に上映する事の多いパリ日本文化会館は、画面よりも少しだけ下に(スライドか何かで)仏語字幕を映し出せる装置を入手しました。たまーにタイミングがズレる事もありますが、この機械のおかげで(訳文さえ用意すれば)フィルムに傷をつけずに仏語字幕を添える事ができるのだから、大助かりです。数回しか見た事はなかったものの、こういった装置はもちろん旧シネマテークにもありました。日本文化会館にある、事前に全てをプログラミングしておける装置とは違い、字幕を出したり消したりする作業をネイティブの人が手動で行っていた為、タイミングがメチャクチャでひどいものでしたが・・・。(そんな字幕で韓国映画を観てしまった日には、どれが誰のセリフなのかを考えながら理解を進めていかなくてはなりませんでした・・・。)さて、新生シネマテークのヴァーチャル字幕はどうだったかと言うと・・・・さすがに字幕表示のタイミングを手動で行う事はなく、大方の字幕がセリフに合ったタイミングで出てきてくれました。ただ絶望的だったのは字幕がとても小さく、しかも画面よりもかな~り下に付いている事でした。一列目に座っていた私達の両目は上下にフルで動いて、字幕と画面の間を行ったり来たり・・・・。映画の始めでは女の子達大勢が集まっていたのですが、セリフを読むのに忙しすぎてひとりひとりの顔を見れず、誰が誰なんだかちっとも分かりませんでした。ガマンしてガマンしてガマンした後、時計を見るとまだ20分くらいしか経ってない!この作品は2時間半という長いもの。どんなにつまらない映画でもついつい最後まで見てしまう私ですが、今回はさすがにムリだと思いました。荷物を握り締め、忘れ物がないかを頭の中で確認し、ディノにも「私はもう出るよ」と報告し、いつでも退室できる体勢を取りました。でも・・・映画自体はなかなか見応えがあるものだったのですね。いっぺんに全員が画面に出てこない様になってからは何とか観られる様になり、私も結局最後まで残っていました。はぁ~・・・それにしても本当に疲れた・・・。目を上下運動させていたのもあるのかもしれないけれど、字幕の文章もいつになく長く感じられ、最後まで読みきれないうちに次の字幕に変わってしまった事も多々あったし、シネマテークのヴァーチャル字幕は今後できるだけ避けたいなぁと思いました。でもプログラムを見ると「仏語字幕あり」などの表示はあるもののそれ以上の情報はなく、果たしてそれが「普通の仏語字幕」なのか、それとも「ヴァーチャル仏語字幕」なのかは分からないので、これからは私にとって字幕の不要な日本映画と仏語映画しか観ない事に決めたのでした。予定外に長い映画を観て夕食をとりそこなってしまったので、モンパルナスにあるステーキチェーン「イポポタミュス」へ。ここは夜中の2時ぐらいまでやっているので安心です。(モンパルナスに住んでいない私達の場合、終電が心配だけど。)このチェーンに2人で入ったのは「初めて」だったけど、レベルが10年位前に比べて格段に落ちているよね、というのが共通の感想になってしまったので、「最後」にもなってしまいましたとさ。
2007.09.03
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(写真は、去り際に撮ったシネマテークの入り口です。またもや夜の外出になってしまい、こんなものしか撮れませんでした・・・とほほ。)先週末のパリ(書きたい事が色々あって日記が追いついていません・・)は、久々にいいお天気でした。そうなると、ディノはお出かけしたくてしょうがない!!フランス人は太陽が大好きですからね・・・。午後からは「どこか行こうよ」コールの嵐です。でも身支度が異様に遅い夫と、超出不精の私。家を出るのは夕方になってしまいました。2人が目指していたのは、B線のシテ・ユニヴェルシテール駅近くに位置するモンスリ公園だったのですが・・・なぜかこの日の夕方に限ってB線が運転を停止していました。もちろん代わりのバスが用意されているのですが、貼られていたポスターによると結構時間がかかりそう。いくら日の長いフランスとはいえ、これからバスで公園まで向かったら着くのは日暮れ時になってしまうのでやめようという事になりました。それにしても・・・B線に乗る為にダンフェール・ロシュロー駅まで来てしまった私達。このまま家に帰るのでは気が済みません。どうしようか・・・と言っていた時に私が、ダンフェール・ロシュロー駅から電車一本で行けるシネマテーク・フランセーズまで行ってみようと思いつきました。(私よりもパリ生活が長いディノはなぜか路線図が全然頭に入っていないので、最初は私の申し出にキョトンとしていました。)こうして、移転後のシネマテークにようやく、初めて向かう事になった私達。でも、これはとてもラッキーな事だったのです。向かいの電車の中、2人でパリスコープ(ディノが持ってきていました!)を見て、その晩のプログラムをチェックしてみたら、なんとシネマテークで、ディノの大好きな増村保造特集が組まれている事が分かったのですから!!今までシネマテークにちっとも注意を払っていなかった事を少し後悔しつつも、ディノは大喜び、私も小喜び。でもその日の増村保造の21時の回の作品は既に観た事がある「猛獣」だったので、他の監督のものにしようという事になり、結局シドニー・ルメットの「グループ(1966)」を選びました。ダンフェール・ロシュロー駅で「どうしようか、どこに行こうか」と考えあぐねて足止めをくってしまった事もあり、シネマテークに着いたのは20時で、映画の始まる時間。チケット売り場に駆け込み、シネマテークのプログラムをさっと手に取り、(パリスコープには出ていなかったので)「グループ」の説明を慌てて読み、「この映画でいいよね!」とお互いに納得してからチケットを買ったので、入室した時には映画のオープニング音楽が流れていました。「グループ」が上映されていたジョルジュ・フランジュという部屋はほぼ満席で、2人分の座席が空いているのは一番前の列だけでした。通路が部屋の隅ではなく、座席と座席の間に設けられているので、他の観客の迷惑になってしまう、と慌てて階段を降りる私達。気が急いているし、オープニングはなんだかド派手だしで、足元が照らされてはいるもののコケそうになりつつも、なんとか座席にたどり着けました。気が動転し頭は混乱したまま、いよいよ新生シネマテークで初めて映画を観る瞬間がやってきました!(明日に続きます。)
2007.09.02
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