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2006.10.02
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テーマ: 京都。(6125)
カテゴリ: 京都
久しぶりに友人と会い「コリス」というお店でおいしいランチをいただきました。



このお店にたどり着く前に目に入った「幽霊子育て飴』を売る小さなお店、気になりもう一度確かめてみようと行ってみた。今日のあの世とこの世の入り口をのぞき見る大きなきっかけとなった看板である。
子育て飴の伝説は落語にもなっているそうだ。

六道珍皇寺の門前にあった飴屋に、夜遅く青白い女が一人戸を叩き一文銭を差し出し飴を売ってくれといい、それが六日間続いた。あれはただものではない、明日銭を持ってきたら人間だが持ってこなかったら人間じゃない。死ぬ時三途の川の渡し銭として六文棺桶にいれるから、それを持ってきたのではないかと。七日目女はやってきて銭は無いが飴をひとつと言う。飴をわたしそっと後をつけると高台寺の墓原に入っていき消えた。幼児の泣き声が聞こえ掘り起こすと、お腹に子を宿したまま死んだ女の墓で子どもが産まれていた。母親の一念、飴で子どもを育てていた。飴屋が引き取り育て高台寺の坊さんになったと言う。子を思う母親の一念で飴を買って子を育てた。それもそのはずこの場所は「こおだいじ(子を大事=高台寺)」(お後がよろし~ようで。。)

その由来を聞き、六道珍皇寺へ行ってみることにした。8月の五条坂の陶器市に行った時、この陶器市のはじまりが毎年8月7~10日にこの寺で先祖の霊をお迎えする「六道まいり」に関係があることを知った。この六道珍皇寺の東、清水寺の南辺りを鳥辺野といい、化野、蓮台野と同様、当時の習慣であった風葬するためこの寺の門前を通る松原通りは亡骸を運ぶための通路であり、最後の法要を行った場所だったということです。また六道珍皇寺のあたりは「六道の辻」と呼ばれ、「六道」つまり仏教でいう「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人」というこの世での行いによりあの世に生まれてくるところを閻魔大王によって決定される6つの道の交差点、この世とあの世の境といわれていたのです。

そしてその閻魔大王のもと閻魔庁にて冥府の官吏として勤めていたのが小野篁。遣唐使に命ぜられるも批判的であったため隠岐に流罪の刑になるが武芸に秀で、漢詩人、学者、百人一首にも採られる歌人という秀才ぶりに官吏にかえりざくほどの人物であり、昼は現世の官僚として働き、夜になると地獄の冥官として働いていたという伝説がある、嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚です。「わた原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ天のつり船』(百人一首)は小野篁の句。六道珍皇寺の閻魔堂には閻魔様と小野篁像がまつられていました。格子からのぞくと閻魔さまのガッと見開いた目にたじたじ。。

この小野篁が閻魔庁の官吏として現世と冥界の間を行き来するのに使ったのがこの井戸でした。
DSCF1002.jpg

亡き母の霊に会うためこの鳥辺野にある六道珍皇寺を訪れ、冥土に通じると言われるこの井戸を使ったのが最初だったようです。


近くまではいけず、格子の間からそっとのぞいて見ていました。
あそこから異次元へ。。。

今日のおみやげ。
DSCF1004.jpg

幽霊子育て飴。
阿闍梨餅。
友人からいただいたブルーベリー・ジャム。

五条坂の陶器市が催され、清水寺へ行くのによく通る五条通り、昔は松原通が五条通りだったそうだ。
地図を見るとこの松原通の方が川を渡り真っ直ぐ清水寺にのびている。
一件の洋食屋さんを訪れたことで、あの世とこの世の境めを見に歴史の中に迷い込んだ時間でした。






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最終更新日  2006.10.02 23:49:02
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