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最近、朝ごはんが充実しています。それもこれも、こちらの本のおかげだったり☆「浜内千波の朝ごはん」何てお手軽で美味しい朝ごはんなんだ!ということで、最近私の朝ごはんメニューは充実しっぱなし。最近は、フルーツを常備し、朝からミキサーでジュースまで作るんです。ミルクティーも飲むのに(笑)本の帯の所に「心が元気になります」「体が目覚めます」「1日が楽しくなります」とありますが本当にそう!魔法にかかったかのような、朝の充実っぷり。楽しみで随分早くから目が覚めます。心なしか、気持ちも優しくなれるし朝から良いスタートをきると満足度も高くなります。皆様も是非是非!「朝ごはん充実検討委員会」へどうぞ!(検討オンリーも可、です(笑))
2009.07.30
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同窓会の後、もちろん二次会、三次会とありその上翌日には、秋に関西でお疲れ様会をやろうということも決まり約束通り11月末には大阪にて数名でUSJと京都で遊びまわった。そして、そのUSJが楽しすぎたのでそこで年間パスポートを一緒に購入しその後もUSJに一緒に行けることになった。今後、他の予定も入っている。ハリーの起こした奇跡のご縁は、こうしてこれからも続いていくのだろう。2000年12月。あの頃は、まさか8年後に自分が東京でイベントをやることになるとは夢にも思っていなかった。あの時、もし勇気を出していなければ、今の私は絶対に存在しない。もし友の会に入会していなければ「メアリー・モーガン」という名前の私が存在していなければどんな世界に生きていたのだろう。これまでここに書いてきたような経験は一切無いまま淡々とした日常に生きていたら。こうして大きなイベントをやろう、なんてことは考え付きもしなかっただろう。変わらない日々を大学で過ごし、バイト先と学校と自宅を行きかう。そのまま卒業し、教員になって、やっぱり淡々と日常を過ごしていたことだろう。 あの頃、友の会のイベントで東京へ行く度に、子どもの頃の友人たちとも再会していた。小・中学生の頃、東京・埼玉と転校で巡ったためそちらにも同級生が大勢いて、その子たちに会ってもらっていたのだ。だから、友の会に入会していなかったら友の会で知り合った人たちとのご縁も無かったのだが子どもの頃の友達との再会もなかったのだ。それと同時に、初対面の人との関係を築きやすくなったのだ。オフ会やイベントごとに、色んな方と会った。オンラインでは言葉を交わしてはいても、それは「文字」。実際に顔を合わせた時は「初対面」の感覚に近いものがある。そこに抵抗がなくなった。それは今の仕事でも本当に役に立っている。生徒さんに対してもそうだし、教職員に対してもそうだ。転勤していらした先生と、かなり早い段階で打ち解けることが出来る。そして、大きな収穫がもう一つ。実は、友の会に入会した頃、心の底から願っていたことは「音楽とは全く関係の無い人間関係が欲しい」ということだった。子どもの頃からずっと、音楽と関りを持ってきた。転校しても、人とのつながりを作ってくれたのは、音楽だった。高校からは本格的に音楽にどっぷり浸かりそこから先は、朝から晩まで音楽関係の人間関係のみの世界。それも大切な世界だったし、大好きな世界だった。しかし、そろそろ音楽と関係の無い音楽ではなく他の部分のみで私と対峙してくれる人が欲しいと思っていた。私が音楽関係の人間だと、誰も知らない場所がほしかった。そこでの自分が、どんな人間なのかを見てみたかったのもある。しかし、やっぱり音楽が友の会でも役に立った。寮歌の話が出た時「音楽とは関係のない世界にしておきたい」と思って当初は作曲する気が全く無かった事も、ここに記しておく。だが、勇気を出して寮歌を作ったことによってその後の友の会の生活、そして私の世界も広がりを見せた。やっぱり私には音楽が必要不可欠なのだ、と思った。私にとっての「音楽」の存在意義、価値を友の会を通じて認識することができた。だからこそ、こうして音楽を仕事にする決心がついたのだと思う。今の私は、友の会なしではありえなかった。友の会がきっかけで、色んな事が出来るようになり色んな事を経験し、色んな人と素晴らしい出来事を共有することができたのだ。そして、自分の「強み」を認識し、それを活かすことを学んだ。ハリー・ポッター友の会の一員として、スタッフとしてこの世界規模の大ベストセラーとここまで深く関わりあえたことを誇りに思う。ハリーの起こした奇跡。それはきっと私だけに起こった事ではないはず。この奇跡の魔法が消えないように、これからは自分で魔法をかけ続けよう。「魔女」として過ごした、あの夢の日々を無駄にしないように。そしてその魔法で、今を共に過ごす仲間と、これから出会う人々に今後ずっと、笑顔で過ごしてもらえるように。約1ヶ月間、お付き合い頂きありがとうございました^^こうして語ることが出来て、本当にすっきり。書くことによって、自分自身の考えも整理でき昔のことなのに、新たな発見もあり大変充実した日々を過ごすことが出来ました。今後とも、このブログ共々よろしくお願い申し上げます(*^^)v
2009.01.29
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2008年8月2日。朝6時半の電車に乗り込み、東京を目指す。新幹線で途中、レイブンクローのミデルバさんと偶然にも合流。2人揃って池袋の第一インを目指す。池袋到着後、私はその日のお宿に先にチェックインして荷物を預け、会場入りした。地下の喫茶店で、まずは実行委員の打ち合わせ。私は少し遅れていったのだが、それらしき団体を見つけて声をかけるのを少しためらった。「メアリー・モーガン」という名前さすがに自分から名乗るのは恥ずかしかったのだ。喫茶店で色々と打ち合わせしつつ、2階のレストランへ。会場は夜8時半まで貸切だった。こちらのホテル、私たちのわがままを「何でもおっしゃって下さいね」と、全てかなえてくださった。本当に雰囲気の良い所だった。しかも、こちらのレストランの料理長はハリーを読んだことがなかったのに、この日のためにハリーの本を読んでそこに登場する料理を実際に作ってくださったのだ。せっかくだから、同窓会が始まったら、皆さんに紹介したいと申し出たのだが「人前に出るのは・・・」と断られてしまい、残念だった。2時半から準備開始。メモリアルブックやお土産を、用意していただいた紙袋にセット。紙の手提げ袋には、各寮のシンボルカラーのリボンを結ぶ。何故かというと、メモリアルブックを閉じるリボンもシンボルカラーのリボンを使っていたからだ。レストランにかかっていた絵も、全て取り外しちゃんぺぺさん作の絵を代わりに飾った。一気に雰囲気が変わる。そして、寮のシンボルマークが彫られた、特注のガラスの花瓶には、シンボルカラーの色水が入れられ、だんだん飾りつけが進んできた。3時、受付開始。続々と参加者が集まってくる。この日の参加者は約40人。4年も前に閉会した会の人間が、よくこれだけ集まれたなぁと感心した。私はこの日は司会を申し出た。自分から申し出たのだが、緊張して仕方なかった。そして3時半。「完結を祝して・・・乾杯!」と、同窓会が始まった。すると直後。寮ごとにテーブルん分かれた立食形式だったのだがハッフルパフのテーブルから、素敵な帽子をかぶった方が「実行委員の方にも乾杯!」とおっしゃって下さり、またまた乾杯をした。いきなりのサプライズ。嬉しくて仕方なかった。そして次に寮ごとの記念撮影。ちゃんぺぺさんが作って下さった、寮のボードを1人が持ち全員でメモリアルブックを手に持ち、撮影した。4寮とも撮影が済んだら、全体の記念撮影。やはりメモリアルブックを持って撮った。その後はお食事、歓談、そしてメモリアルブックへの寄せ書きの時間だ。皆さんそれぞれ楽しんでくれていた。そんな私たちを陰からこっそり覗いていたのは、何と料理長。最初は陰からこっそり覗いていたのだがだんだん全身が現れてきて最後には腕組みをして、満足げに微笑みながら私たちを眺めていらっしゃった。ある程度時間が経ったところでゲーム。団体戦と個人戦の2種類のゲームをした。団体戦は寮ビンゴゲーム。やり方は・・・ 1)適当に4人班を作る。 2)前でふるっちが寮のカードを4枚引く。 3)そのカードの組み合わせと同じ寮の組み合わせになればビンゴ! という、シンプルなもの。 私は、DAIさん、さすけさん、コモちゃんと組みレイブンクロー・グリフィンドール・グリフィンドール・スリザリンの組み合わせになった。 この日のレイブンの出席者は3人!用意しているカードの枚数も 出席者に見合う枚数になっていたのでレイブンが入るだけで当たる確率は低くなるのだが 、私たちはDAIさんに賭けてみた。 すると、一番先にビンゴ!! 嬉しくて、思わずその場で飛び跳ねた。 団体戦は、チーム皆で同じ景品をもらえることになっていた。団体戦用の景品は、2種類あった。旧友の会の杖職人、シルバーウルフさんご提供の、お手製の杖。そして、ふかもりカスレさんご提供の、ハーブのミニ箒。 実は、旧友の会のイベントに初めて参加した時から シルバーウルフさんの杖が欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて・・・欲しくてたまらなかった私はゲーム司会のふるっちが「どっちがいいですか?」と聞いた瞬間に「ツエッ!」と、日本語とはとても思えない発音で杖をせびり無事に4人で杖をゲットした。 旧友の会解散と共に、杖ゲットを諦めていた私は本当に嬉しくてたまらなく得意満面な顔で、TENNSさんのカメラに杖と共に記録され私のカメラでも、杖職人さんと共に5人で杖を構えて写してもらった。 お次は個人戦。 ちゃんぺぺさんお手製のポストカードをテーブルの上に用意していた。そのポストカードの裏に番号がスタンプで押されている。 ポストカードの絵は4種類。 1)魔女 2)ふくろう 3)バタービール(の広告) 4)4寮のシンボルマーク この4種類の絵のカードの裏に、それぞれ番号が押してあるので同じカードは1枚もない。 そして、やっぱり前でふるっちが絵柄のカードと数字のカードを引いて当たった方が景品ゲット、というゲームをやった。 ちなみに、ちゃんぺぺさんのポストカードはお持ち帰りOK。私はバタービールの広告カードを選んでみた。 この時に提供される景品の中に今回の同窓会には来られなかったhobittoさんからご提供の銀色のスリザリンオリジナルプレートがあった。その話をスリザリンのテーブルでした時、異様な熱気に包まれた。当時のスリザ談話室参加者は、絶対に欲しいと思うはず。そんな素晴らしい景品が目の前にあるのだ。 この景品を伝えた後、個人戦で勝利したスリザ生は 迷わずプレートを手にし、TENNSさん、トリーナさんがゲットした。その後また、歓談・お食事・寄せ書きタイム。 皆で楽しく過ごしている間に、写真は着々と出来上がりレストランの外の受付では、他の委員が一生懸命封筒に寮の写真と全体の写真 そしてメモリアルブックの使い方の紙を入れてくれていた。 写真の用意もOK! ということで、最後のサプライズに入ることにした。散らばっていた人が全員、寮のテーブル付近に戻りメモリアルブックの同窓生証のページを開く。 ちゃんぺぺさんの描いて下さった素敵な同窓生証のページ。下に2行、リクエストを入れて線をひいてもらった。 これは、この場でどうしても一緒に同時に同じ言葉を書き込みたくて、線をひいてもらったのだ。 「じゃあ、書き込みますよー!」とアナウンスすると ハッフルパフのテーブルから「えっ!私自分の名前書いちゃった!」と、声があがっていた。そんななごやかな雰囲気の中、全員でペンを持ち、書き込んだ。 「完結を祝して 2008年8月2日」 そして、テーブルの前に立ち、自分の目の前にメモリアルブックを閉じて置いてもらう。 「目を閉じてください。次の合図があるまで、絶対に目を開けないで下さいね」 そう注意をし、静かになったところで委員が先ほど写真をつめた封筒を、一斉にメモリアルブックの上に配りだす。 目を開いた瞬間に、プレゼントが目の前においてある。しかもそれは、当日には手元にこないと思っていたついさっき撮ったばかりの写真・・・ 思いついた日は、あまりの興奮でちょっと寝付けないくらいだった。それを皆さんがどう受け止めてくれるか。 皆が目を閉じていた時は、ずっとドキドキしていた。委員が封筒を配り終えた。 「目をあけてください」 アナウンスにしたがって、皆が目を開ける。目の前の封筒を不思議そうに手にとるので「では、封筒を開いてください」と知らせる。すると、「わぁー!」と歓声があがった。皆、写真を見て嬉しそうだ。 「鳥肌たった!」とおっしゃってくれる方もいて、こちらも鳥肌がたった。 その写真を、メモリアルブックのアルバムページに入れる。写真がはさめるように、切り込みを入れてくれているのだが私は焦りすぎて、ちょっと紙が破れてしまった。 写真を入れたところで、メモリアルブックも完成。そしてこれで同窓会一次会も終了だ。本当に素晴らしい時間となった。思いついてよかった、やってよかった・・・。ずっと頭の中を巡っていた。
2009.01.28
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さて、てとらと2人で「同窓会」をやることを決めた。だが、解散してから4年が過ぎた会だ。一体何人の人間が集まるというのだ。しかし、少人数なら飲み会程度でやったらいいじゃないか大人数ならその時はその時で考えよう、ということになった。そして声かけ方法も決めた。今もまだ、こうして私とてとらのように細々とでも繋がっている人はそれぞれいるはずだ。その中でも「声をかけたいな」「一緒に同窓会で話したいな」と思う人に声をかけていったらいいんじゃないか?ということになった。話し合う場所はミクシィのコミュニティ。早速てとらと一緒に、うちのパソコンででコミュニティを立ち上げた。さあ、そこからメンバー集めに入った。まずは携帯で連絡を取れる人から。古いアドレスであろうとなかろうと関係ない。入っている人に片っ端から送ってみた。「○○さん、ご無沙汰しています、メアリー・モーガンです。 この名前に心当たりがあったら、お返事ください。」ちゃんと先方に届いて、「久しぶり!どうしたの?」と連絡が取れる場合もあればアドレスが変わったようで「届きませんでした」メールが返ってくるものもあった。一番恥ずかしかったのはソフトバンク同士だったので電話番号でメールを送った所先方には確かに届いたのに返事が無かった分。きっと、全く知らない人の手元に完璧な日本語で書かれた見ず知らずの「メアリーさん」からメールが届いたのだろう。その話をmiyabiさんに話したところ「それって迷惑メールでよくある文面だよね」と応じられその後1人で悶絶していた。私とてとらで手分けをして連絡を取り続けた結果同窓会参加予定者のコミュニティー参加締め切り日」までに日本全国から80人ほど集まった。その後もぱらぱらと、参加できませんか?と連絡があったのだが会場予約の都合上、お断り申し上げた。同窓会のコミュニティーでは、着々と話が進んでいった。そして、開催場所と日程のアンケートを作成していただいて集計したところ最終的に、2008年8月2日、東京での開催に決まった。さあ困った。東京に決まった時点で、私は直接動けないことが決定したのだ。大阪だったら、自分の足で探して自分で予約をすればいいやと思っていたのだがそうもいかなくなった。そして、てとらはと言えば実はマグル事情で自由に動けない身で言いだしっぺの2人が揃って、実際に動けなくなってしまった。困った私はコミュニティーで「実行委員会を作ります。誰か東京で実際に動ける人!」と呼びかけた所数名の方が名乗り出てくださった。実行委員は、オンラインメンバー(東京近郊以外)とオフラインメンバー(東京近郊)に分けて役割分担をし最終的にはこのようなメンバーになった。ちゃんぺぺさん、ユーリエンクさん、ババヤガーさんふるっち、てとら、ミデルバさん、TENNSさん、yahohoさん、コモちゃん。当日は来られなかったけれど、オンラインで色々とご助言くださったレーリさんとartさん。そして、ユーリエンクさんの娘さんのあっきーちゃんも、お手伝いして頂いた。特に、ちゃんぺぺさんとユーリエンクさんは実際に足を運んで会場を選んでくださったりババヤガーさんは会計を引き受けてくださったりと、大活躍だった。ちゃんぺぺさんは、元イベントスタッフだったこともあり私やてとらが抜けまくっていた色んなことをピックアップしてフォローしてくださった。メモリアルブックを作ろう、という話も出してみた。かつて一緒に過ごした証を残したい。そして、私が昔オフ会のたびにやっていた直筆メッセージをもらうこと。あの喜びを知っていただきたい。以前京都に遊びに行った時、参加したイベントで帰りには手元に、つい2時間前に撮った写真が手元に来た。あれは出来ないか?私が提案する無理難題に、力を貸して頂いて、本当に嬉しかった。そして、とうとう当日。「旧ハリー・ポッター友の会」の大同窓会の日がやってきた。
2009.01.27
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2004年9月。新しい友の会の「ホグワーツ友の会」が立ち上がった。そこには「メモリアルページ」として、談話室での成果物たちが載せられていた。私たちの作った曲も、そこに載せていただいていた。「ホグワーツ友の会」に入会も考えたのだが有料であることと「ハリー・ポッター友の会」であったような会員同士の交流があまりなさそうだ、という点で入会はしなかった。たまに「メモリアルページ」は見に行っていたのだがそれもしばらく経つと消えていた。談話室の仲間とは、細々とメーリングリストやオフ会でつながりはあった。たまに会うと、当時の思い出話などで盛り上がり、皆で懐かしがった。この後、マグルの生活はどんどん忙しくなった。そして、2005年秋から、このブログを始めた。ブログを始めるにあたり、名前は何を使おうかと考えたがせっかくインターネットでの活動を始めるに辺り名づけたこの名前で始めてみようと思い「メアリー・モーガン」としてブログを開設した。しかし、旧友の会での経験は、何故だか伏せていた。たぶん、未消化のままの終わり方だったので納得がいってなく、無意識で避けていたのかもしれない。ここからの生活については、ブログに結構細かく記しているのでもし興味があれば過去の日記も読んでいただければうれしい。マグルの世界のみの、淡々とした毎日をこなしていった。 そして時は過ぎて、2008年3月。何となく、旧友の会のことを思い出す日々が続いた。通勤中にも思い出す。どうしてなんだろう?不思議な感覚があった。3月8日。朝から時間があったので、インターネットで遊んでいた。その時、最近あまりにも色々と思い出していたのが気になって、検索をかけてみた。すると、新友の会から消されたはずのメモリアルページがとあるサイトのリンクに存在し、私たちのあの頃の宝物が見つかったのだ。驚くと同時に感激し、あまりの懐かしさに胸が躍った。嬉しくて嬉しくて、ふるっちと直さんには一番にメールで連絡しそれでも気持ちはおさまらず元スリザリン談話室の一部のメンバーで談話室閉鎖後に作られていたメーリングリストに思わず投稿した。しばらく誰も投稿しておらず、動いているのか不安だったのだがとりあえず投稿してみた。そしてそのすぐ後。何と、てとらから偶然にも、数年ぶりでメールが届いた。「明日の昼って暇ぁ?(笑)」東京にいるはずのてとらからどうして明日の昼間のお誘いがあるのだ。この偶然は単なる偶然なんかじゃない。そう確信した。そうこうする内に、ラベさんがメーリングリストで反応を下さった。嬉しくてすぐに返信をする。こんなメールを送った。「ニレーティルス!メアリー・モーガンです。 ラベさんお久しぶりです。 (中略) (消えたはずのメモリアルページを発見し) 朝からスリザリンの成果物の充実ぶりに惚れ惚れし その上、ご機嫌にレイブンクローの寮歌まで歌いあげました。 実家のピアノの音がインターネットを通して パソコンから流れ出たのに対し 同居人の妹がびっくりして「お姉ちゃんのピアノがネットで流れてる・・・」と、 呆然と呟いていました。 数年前は友の会での魔女生活が日々の生活の大半を占めていたので 何となく当たり前に感じていましたが 実はあれはすごい大きな出来事だったんだと改めて実感しました。 最近びっくりすることが続きます。 数日前から旧友の会のことを、何故かすごく考える日が続き 今日、こうしてサイトを見つけました。 そして朝、レイブンクローの寮歌を歌ってみたら 夜になって、レイブンクローの知り合いの子から たまたま遠くから車で遊びに来てるから明日会えない?とメールをもらい うちに遊びにきてもらえることになりました! うーん、なんだか良いこと続きです。 まるで魔法みたい。てか魔女だった(笑)(後略)」このメールを送った直後、一つ書き忘れたことを思い出した。ラベさんは「7巻が発売される2008年。 あのまま旧友の会が存続していれば きっと大きなイベントが開催されたんでしょうね・・・」と、前のメールに書かれていたのだ。そこでこんな風に送ってみた。「(前略) ほんと。これを楽しみに友の会の活動をしていました。 せっかくですし、オフ会でも久々にやりたいですね。 7月に7巻が発売されたら オフ会ならぬ旧友の会同窓会など、やってみたいですよねー。 スリザリンに限らず、他の寮の方々も誘って。 皆様、いかがでしょうか??良ろしればご意見等下さいませ」勇気を出して送ったメール。そして決意した。明日、3月9日に、この奇跡をてとらに打ち明けてみよう。そこでもし、てとらも私と同じ気持ちなら、同窓会と称してオフ会を開催しよう。 とうとう翌日。2008年3月9日。私は二時から予定があったのでてとらに自宅に来てもらい、お昼ご飯をふるまった。何故こうして大阪に来て、急に私と会うことになったかと聞くと実は二日ほど前から大阪の友人の家に泊まりに来ていたらしい。しかもこの日、本当は別の子と会う予定だったのだがその子が急にインフルエンザになり、予定がぽっかり空いてしまいすることが無くなった時に、「メアリー!」と思い出してくれたそうだ。ちなみに泊まっていたお友達のお家は私の自宅から車で三十分ほどのところだった。二人で向かい合って、リビングでお昼ご飯を食べる。そして、意を決して私はてとらに切り出した。「実はなぁ・・・昨日、すごい物を発見してん。」そう言って、メモリアルページを見せる。てとらも歓声をあげる。特にレイブンクローの寮歌に関しては彼も作成に力を注いでいたので、思いは強かった。「これを昨日見つけてん。 そんで、その直後にてとらから連絡が来てん。これってすごくない?」そこから始まった。友の会の終わり方。不完全燃焼のまま終わってしまい、どうにも未だに消化不良。それを綺麗に終わらせないか?今年、最終巻である7巻が発売される。そんな中の今の事態。これを単なる偶然で終わらせるの?きっとこの機会を逃すと、一生このまま。ここで最後にパーッと皆で何かでかい事をやらないか?2人で短時間ではあったが、濃密な話し合いをし7巻発売後の8月、同窓会をやろうと決定したのだった。
2009.01.26
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それは突然やってきた。ハリー・ポッター友の会が2004年5月末で終わる、ここからは6月末まで、スタッフは閉会作業に入ってほしいとの通達。確かにその頃は、職員室メーリングリストの雰囲気がおかしかった。そんなおかしい中、気になりつつも3月31日で、きっぱりぬけるつもりでいたのにこんな通達が出たら、気になってぬけられなくなってしまった。何もかもが良く分からないまま、しかし、「あぁ、この体制では無理だったんだ」と妙に納得しながらマグル業務の合い間をぬって閉会作業に入ることになった。スキラさんとユーリエンクさんは、スタッフになられてまだ数ヶ月の頃。本来ならば見習い期間のはずだったのに、急にベテランスタッフと同じことをしなくてはいけなくなってしまった。それなのに、本当によく動いて下さった。新寮監のダミアーノさんも、初めての寮監になった途端の閉会作業。さぞかし心細かっただろう。スタッフは辞めました、と宣言したものの気になって職員室にも若草部屋にも籍は置いていたのでたまに口出ししたり、たまに手伝ったりしつつ、1年生の担任をしていた。マグルの世界では新米担任で、「大丈夫?」「これ出来る?」と心配して頂きつつ「席替えって、どうやってやったらいいんですか?」とか「掃除当番表って、どうやって作ったらいいんでしょう?」とか超初歩的なことを聞きつつ談話室ではベテラン(元)スタッフとして相談メールに応じたり、作業を手伝ったりたまに緊急で入る電話に対応したりしていた。一度、授業が終わってクラスの作業をやろうと、準備室に入ったらダミアーノさんから緊急の要件で電話が入っていて慌ててかけなおして、職場で隠れて「こう動きましょう」と相談したこともあった。とにかく怒涛の日々だった。教室の下らない落書きを消しつつ、友の会のことを考え男子の制服の襟首をつかんで掃除に引き戻した直後は談話室関係のメールを携帯から打ったり。自宅に帰ればメールチェック。そして出来る限り作業を手伝った。課外活動団体の作品を、新・ホグワーツ友の会に載せて頂けることになったので著作権の問題やら、スタッフ宛の「載せていただいても良いですよ」という作品の作成者側からの申請メールの打ち合わせをする日々。そんな日々が続き、あっという間に5月31日になった。一般会員さんは、ここで友の会の生活は終わり、談話室の扉も閉じられた。一時期は1000人を越えていた、各寮談話室。1日100通ほどのメールが、談話室に流れていたらしい。談話室以外にもいろんな物(掲示板やチャット等々)があり多くの会員さんが色んなかかわり方で楽しんでいた。しかし、この随分前から、入学部門はストップしていた。友の会の会員が5万人近くになっていたらしくシステムの面でも、ボランティアだけではその上無料では、支えきれないという理由からだったと思う。新しい会員が入ってこない空気。いつも固定メンバーで話をする空間。それは文字上だけをとっても空気が止まった感は否めなかった。だからこそ、入学の門戸が再び開かれる日を心待ちにし入学部門のスタッフも精一杯努力をしていたはずだった。だが、もう2度と「ハリー・ポッター友の会」の入学の門戸が開くことはないのだ。談話室は、お別れの挨拶をするふくろう便で埋まった。思いの詰まった談話室が閉まるのは、本当に辛かった。そして、その後は事後処理。6月末までスタッフは作業をしていた。とうとう最後。2004年6月26日、午後7時33分に副会長のHoochiさんが出されたメールを、私は泣きながら読んだ。涙は止まらなかった。もっと何か手を打てたんじゃないか?あの時、こうしておけばもしかしたらボランティアスタッフの力だけでも、最終巻の7巻発売までもしくはそれ以上まで、友の会は維持できたんじゃないか?どうしてこんな急に終わってしまうんだろう?以前に一度やった、実際に集まって行なった会議。今回も、もしまた顔をつき合わせて会議をするというならそのためだけにでも、東京にだって飛んでいくのに。入学を待っている人があんなにたくさんいたのに。本当に、もうどうしようもないのだろうか?色んな想いがよぎった。しかし、私一人がそう思っていただけではどうしようもないのは明白だった。こうして、ハリー・ポッター友の会は終わった。楽しかった日々、色んな人との出会い、そして別れ。様々な思い出がよみがえってくる。日傘をさして乗った観覧車。東京でプレゼントを探すために走り回ったこと。ディズニーシーで、首がムチ打ちになるくらいまで乗ったワールプール。味噌まみれで遊びまわった大室山。寮歌を発表した時の感動と感激。力を合わせて成功させたクリスマス・ラビリンス。お誕生日会で私が作曲した寮歌を皆で一緒に歌ったこと。ハロウィンパーティーで、ピンクのドレスで仁王立ちをしてふるっちに怒られたこと・・・。数え切れないくらいの思い出が、頭の中を駆け巡る。出会った人々の顔が浮かんでくる。会ったことのない人も、次々と名前が浮かんでは消え、浮かんでは消え・・・。仕事中も、ついつい友の会のことを考えて、思わず沈んでしまっていた。6月最終日。ついにスタッフ用のメーリングリストも閉じられた。全てが終わった。
2009.01.25
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夏祭りの頃かその後か。スタッフの部門入れ替えがあった。それに伴い、スリザリン談話室のスタッフも変わった。談話室での発表の際は、「お姉さま方の御輿入れ」と表現しキャロリン・バウワーさんやmiyabiさんは別部門へ移動しGrogさんも移動となった。ただし、お父様についてはどう表現したのかは覚えていない。2002年11月からのスリザリン談話室は寮監は私、そして直さん、hobittoさん、ダミアーノさんの四人体制でいくことになった。しかし、「寮監」と名乗るのも偉そうだなぁと思いもう少し気軽な呼び名が欲しいと、談話室で提案をしてみたら次々と私の呼び名が提案され始めた。美しい呼び名もあれば、「牢名主」や「番長」など怖そうなものもたくさんあった。あまりにたくさん候補が出てきたので、投票にしようということになりどなただったか投票を設定してくださった。全ての候補が一度の選択肢に収まりきらなかったので予選として2種類のアンケートに答え、その上位六つ程の呼び名で決選投票となった。そして、私の呼び名が決まった。「Lady」Lady・メアリー・モーガン。「寮監」よりも気軽な呼び名を、と思ったのだが「寮監」よりもすごい名前になってしまったようだ。スタッフとして投稿する際は、必ずこれで名乗った。結構気恥ずかしく、文字で書くことはあっても口に出して言えたことは一度もなかった。ハロウィンパーティーに、この秋初めて出席した。ピンクのドレスを着てふるっちとダンスを踊った。ふるっちは、赤いセーターに「りりい・ぽったー」と書いた名札を貼り付けて出席。「裏切りだよね、これ」と何度も言っていた。そんな中、教員採用試験に合格。2003年4月から教諭として働くことが決定した。教諭として働き出すことになると、もっともっと忙しくなるのだろう。こうなったら、いつまでスタッフを続けられるのか、この頃から段々先が見えなくなってきていた。2003年3月。三重県の白山という所へ、スタッフで旅行に行った。ハッフルパフの寮母、まあこさんが教えてくださった所で皆でコテージに泊まった。本館とコテージの移動は、全てリムジン。人生初めてのリムジンに、クロロやふるっちたちと一緒に大騒ぎし空のワイングラスを手に、まるで飲んでいるかのようにリムジンの中でふるまいつつ、ラグジュアリーな空間を楽しんだ。この時行った「いつきのみや歴史体験館」では、平安時代の双六に興じふるっちと大盛り上がり。何度も何度も平安ルールの双六で遊んだ。十二単の着付けも抽選であり、私も着たかったのだがリィヤンが着る事になった。目の前で十二単が仕上がっていくのは、すごく綺麗で面白かった。もっと気軽な袿(うちき)は、無料で羽織れるようになっていて皆で着て写真を撮りまくった。男性のさすけさんも、平安時代のお姫様の格好にチャレンジしてくれた。そのときの艶やかな姿が、今も脳裏に焼きついている。あの中で、一番色っぽかったと思う。夜はピクショナリー!のもくんとさすけさんの愛のピクショナリー作品集も誕生した。本当に楽しいひと時だった。そして4月。実家を離れ、妹・ニアリーと住むことになった。引越し中等、またまた休暇届を出しつつ、新しいパソコンを買いマグル業務と相談しつつ、自分のペースで続けていった。仕事が忙しくなってきたら、スタッフを辞めようとこの頃から考えていたのだがどうもタイミングがつかめないまま、続けることになっていた。ただ、寮監を続ける余裕はなかったので、直さんに交替してもらったと思う。しかし、そのことをきっかけに、スリザリン談話室スタッフ内部で色々と起こり、スタッフ全体でも、問題が多くなってきた。仕方がない。何万人もの会員を数十名のボランティアスタッフのみでしかも、顔が見えない状態で支えていたのだから。様々なことがあった中、スリザリン談話室スタッフが入れ替わった。この頃の体制は、私(寮監)・ダミアーノさん、スキラさん、ユーリエンクさんだった。新しく来られたお二人は、よく分からないことも多い中積極的に動いてくださっていた。それを見て、スリザリン談話室スタッフ内部も落ち着いたことだしこれでしばらくは大丈夫だろうと思ったことと2004年の4月から、人生初の担任を持つことになっていたので丁度良いタイミングかと思い、スタッフを辞めることにした。2004年3月。談話室にこんなメールを送った。「ニレーティルス!Ladyのメアリー・モーガンです。 この度、マグル界での動向がせわしなくなって参りましたので 3月31日を持ちまして、寮監退任と同時に スタッフも卒業させていただく事になりました。 長々と、スタッフとしてお世話になり、ありがとうございました。 Grogさんにお声をかけて頂き、スタッフに就任したのが つい昨日のことのように思い出されます。 この日から、マグルの中で紛れていただけでは出来ない 貴重な経験を、たくさんさせて頂きました。 新しい寮監には、ダミアーノさんが就任されます。 寮生みんなで盛り立てて参りましょう。 スタッフは卒業いたしますが、寮生としては残りますので 今後とも、よろしくお願い致しますね。 では、セルピエンテ♪」職員室にも前々から挨拶をしさあ職員室から退室しようとした時衝撃の展開が幕を開けたのだった。
2009.01.24
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濃密な伊豆旅行を終え、私は就職した。毎日驚きの出来事の連続で、みるみる内にやせ衰え1ヶ月で五キロも体重が落ちた。家に帰れば玄関で靴を脱ぐ前に倒れこみ倒れたまま靴を脱ぎ捨て、十分ほどそのまま休んだ後で這ってリビングまで向かう日々が続いた。土日になると熱を出し、寝込む日々。ヘルペスが出来ては治り、また出来ては治り・・・。そんな中でスタッフ業務にも支障が出るので事情を説明し、確か休むか仕事量を配慮して頂いていたと思う。しかし、談話室は私にとっての癒しでもあった。大変なマグル業務の中、談話室に飛び交うふくろう便を見ると元気もわいてくるのだった。寮花チームが寮花事典を作成したのはこの頃だったか。寮生が四季に合わせて選んだ、いろんな花。その中から、これはと選ばれた春夏秋冬のそれぞれを代表する花。その花の画像にふさわしいBGMを作ってほしいと依頼され、作曲した。冬と春は直さん、夏と秋は私が作った。今も気に入っていて、よく職場のピアノで弾いている。夏。ハリーのお誕生会が東京で行なわれるということで、行ってきた。人生で初めての飛行機に乗り、ふるっちたちが待つ東京へ。この時のイベントでは、寮歌を四寮とも歌うコーナーがありスリザリンは私がキーボードで伴奏をして歌った。 イベントのお世話をしてくださるのは、イベントスタッフの方たち。ここで私はふるっちと、イベントの後の打ち上げオフ会でイベントスタッフの皆様に、お礼のプレゼントを贈ろう企画を考えイベントスタッフの方々のハンドルネームにちなんだプレゼントの案をこっそり募集し、買いに走った。この時のイベントスタッフさんの中には「さすけ」さんや「ちゃんぺぺ」さんがいらっしゃったようだ。差し上げたプレゼントだがさすけさんには、アフロのかつらちゃんぺぺさんには、ぺこちゃんのお菓子だったと思う。(ちなみにこれも、旅のしおりを見ながら打っている。)そして談話室では同時期にクリスマス・ラビリンスのような「夏祭り」企画を進行させていた。しかし、元々以前から行なう予定ではなかったこと、そして事情により急遽、夏祭りを行なうことになり、時間があまりなく、一部のメンバーで突き進めてしまったことにより、かなりのメンバーが、何が起こっているのか理解できないまま本番を向かえてしまった。しかもそれを大広間にも流したことで他寮の方から「スリザリンは特別」「うちにはあんなのはできない」と引かれてしまったと、後々スリザリンの課外活動団体全体でお叱りを受けた。この時私は、マグル業務とイベントでバタバタしていた為、実は夏祭りには参加しきれなかった側なのだが、それでもお叱りを受けたことに関しては当時はどうも納得がいかない部分も多かった。これに関しては、今でも思う所はたくさんある。私の中でも、立場を変えて見れば、意見はたくさん出てくる。当時、叱って下さった方と同じ気持ちになる自分もいれば当時の私と同じ気持ちになる自分もいる。全く違う意見も、今なら出てくる・・・という風に色んな意見が私の中からも出てくる。ということは、あれだけたくさんの人がいたのだからそれぞれに意見があって当たり前でどれが正しくてどれが間違っているかなんて、はっきりしないことなのに当時の私は、夏祭りを進めて下さっていた方々の頑張りを知っているだけに全てを否定されたような気になってしまっていた。その上私は、課外活動団体に参加しているにもかかわらずクリスマス以降、団結して一緒に頑張ってきたメンバーにスタッフとしてお叱りのメールの内容を伝えるという非常に荷が重い役目を果たさなければならず、それが大変辛かった。自分も心底納得がいっていなかったのに、スタッフの立場から「こういう意見が来ました」と仲間に報告するのは、本当に嫌な気分だった。今思い出しても、心苦しくなる。この経験後、どうしてもそれまでのようにすっきりした気持ちで課外活動を続けることが出来なくなってしまい徐々に手を引いていくことになったのだった。
2009.01.23
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朝、目覚ましの時間通りに起きた私。直さんに、昨夜起こったできごとに対する、ささやかな仕返しをし小さな部屋で顔を洗い身づくろいをすませていると大将がやってきて「ねえ、クロロが起きないからメアリー起こしに来て」と、のたまう。私は快諾。そのまま3階にある大将・クロロ・くらくさんのお部屋(ショートケーキ)へ向かう。クロロはベッドの中でグーグー寝ていたので、蹴ってみたけど起きなかった。体調が優れないようで、いつもの調子も出なかったようだ。朝ごはんもクロロ抜きで食べ始める。そこへ、参加予定のレイブンクローのテナーさんから携帯にメールが。実は、同じくレイブンクローのにしさんと恐怖のドライブ中だったようだがそんな様子をみじんも感じさせない爽やかなメールだった。クロロも合流して朝食を食べ終え共同財布にお金を集め、支払いを済ませペンションのオーナー運転の車で伊豆高原駅へ。車内では、なぜかドリフ談義で盛り上がった。伊豆高原駅の前で皆で足湯を堪能しているとちょっと離れた木の下に「うめえ水」と書かれてある場所を発見。飲みには行きたいが、足湯から足を出したくなかった私達は最初から足を浸けていなかったくらくさんに、味見を頼む。くらくさんは快く引き受けて、味見をして下さったものの美味かったんだか美味くなかったんだか良く分からない感想を述べてくれた。「『うめえ水』は、一体どんな味なんや・・・」と気になってしかたがない。足湯から足を出した時、「うめえ水」を飲んだものの「美味いんだか美味くないんだか・・・くらくさんが言ってた通り、ただカルキくささが無いだけやんか」という感想に落ち着いた。レイブンクローのDAIさんは、お仕事で遅くなると聞いていたが案外早いうちに電車でご到着。残りのメンバーの到着を、皆で待っていた。その後、無事に美羽や、テナーさんたちが到着。初めて見るテナーさんは、よろよろとした歩き方で歩いてきて心底ホッとした様子で、私と抱擁を交わしていた。「さて、メンバーも揃ったことだし、大室山に行こうか」と、軽~く切り出したのがにし車との初対面のメンバーにとっての長い一日の始まりだった。とにかくこの「にし車」、すさまじい運転なのだ。3台の車で分乗して向かったのだが、カーナビが「左です」と言い、前の2台が左折しているのににし車は直進。仕方がないので携帯で連絡を取り、にし車ルートに戻り合流・・・・・・しようとしているのに、にし車のタイミングが悪く間にトラックをはさんでしまい、合流の意味がなくなったり。車線変更をする時でもふらふらと横に寄り出してから方向指示を出すにし車。「危ねぇッ!!!!」 と車内で本気で心配していた。無事に大室山に着き、リフトに乗って頂上へ。頂上では味噌だんごが売っていて直さんが買っていたのを半分分けてもらう。すさまじい強風の中、必死に味噌だんごを貪り食う乙女たち。顔や手、髪などを味噌まみれにしながらも完食した。その時、ふるっちが私に笑いながら言った。「メアリー、口の周り味噌まみれだよー!拭いてあげる」強風の中、山頂で、口の周りをティッシュで拭いてもらう私。不思議な気分だった。しかし、その時私は気づいていなかったのだが、実は私の口を拭いているふるっちも、顔中味噌まみれだったのだ。山頂を味噌まみれで1周した後、それが発覚しふるっちは「どうして早く行ってくれなかったの!?」と激怒していた。その後、逆てんさんとの合流地点のオルゴールミュージアムへ。逆てんさんは予定時間よりもちょっと早めに着いていらっしゃった。ここで、オルゴールや自動演奏機能のある楽器の説明を受けたのだが美羽は指揮者人形付きオルゴールがツボにはまったらしく、大爆笑していた。ちなみに指揮者人形付きオルゴールとは華麗なオルゴールの前にモーツァルトのようなロココ調な小さな人形がついていてタクトを持った手が曲に合わせて微妙にブルブル震えていた代物だった。今にもちぎれそうな腕と1ミリくらいの幅でブルブル小刻みに揺れるタクトが印象的だった。その後、私と直さんは100年前のピアノで約100年前の連弾曲を演奏。古いがかなり良いピアノで、柔らかい音が出た。その後は「アンティーク・ジュエリーミュージアム」へ。ここでドレスや宝石等をルーペを使って見学した後コスプレの時間までお茶をする。あまりに五月蝿くて、ミュージアムの人に喫茶室内に隔離される。確かここのコスプレは、500円でドレスを着て自由に写真が撮り放題、という所だったと思う。直さんのコスプレ姿は、あまりの華麗さのため、きっと売りに出せた。ふるっちのコスプレは、はまりすぎていてびっくり。今にも馬にまたがりそうなお嬢様に見えた。全員集合最後の時には、にし車の前で記念撮影。この日の主役はやはりにし車だった。 メルロワ号とはここでお別れ。その後は、この日のお宿「熱川ハイツ」へ。にし車は宿泊組の荷物を運ぶために、熱川まで動いてくれたのだ。ありがたかった。そしてお宿についたところでにしさんとテナーさんもお部屋に入って最後の時を楽しむ。にしさんとテナーさんがお帰りになった後は皆でメルロワさんから頂いた日本酒を楽しむ。私はここで、記念すべき日本酒(大吟醸)初体験。コップの底からわずか3センチで酔っ払い何もかもが可笑しくて、ツボにはまってケタケタと笑っていた。酔いも覚めぬまま宴会場へ行き、夕食。酔っ払って大の字になって横たわる私をDAIさんは容赦なくカメラに収めていた。直さんもかなり酔っ払っていて、私に向かって執拗に攻撃を繰り返していた。 その後、幹事で計画した、3月生まれの「美羽&クロロのお誕生日会」を決行。ケーキを分けて皆で食べ、濃い時間を過ごした。夜はハリポタUNOと、ピクショナリーで盛り上がる。すさまじく個性的な作品が、次々と仕上がっていった。この時のピクショナリー作品も、この時の日記も全てパソコンに保存してある。ちなみに、テナーさんの「恐怖のにし車日記」も保存していてその中で後日彼女は、あの日、伊豆へと向かう途中下りのカーブで対向車線にはみ出したにし車が対向車と正面衝突をしかけたという衝撃的な事実を激白した。ちなみに対向車線からは3台の車が来ていて1台目の記憶はないものの2,3台目はタクシーだったそうでおそらく避けてくれたのだろう、というのがテナーさんのご推察だった。そりゃあ、伊豆に到着した直後、ふらついていたのも納得だ。よくぞ生きて伊豆に到着したものだと感心した。帰りも何とか、迷いつつ、ふらきつつ無事にご自宅へ到着されたようで本当に良かったとしか言いようがなかった。
2009.01.22
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2002年3月、スタッフで旅行に行く事になった。行き先は伊豆。何故だか理由は忘れた。だが、東京と大阪の双方から集まりやすい場所だったからかと思う。幹事は私とふるっち。当時流行っていた「動物占い」によると2人で揃って「猿」だったので「お猿幹事」と銘打って、メッセンジャー等で打ち合わせをした。3泊4日で、日帰り参加等もOK!と職員室メーリングリストで参加者を募り、全ての日を合わせると、15人ほどで旅行に行った。この旅行は後日、日記をスタッフ内で公開した。そちらのファイルに手を加えつつ、ここから載せていく。というわけで、この日記は旅行直後の私が書いたものである。〈1日目〉直さんと新大阪の新幹線ホームで待ち合わせ、「ひかり」に乗り込む。電車の中で、いかに私が弱小かを訴えるが、聞き届けられず。その後、無事に熱海駅に着いたもののふるっちたちと詳しい待ち合わせ場所を決めていなかったことに気付き、焦る。しかし無事に、熱海駅の新幹線ホームの階段を降りたところでふるっち・クロロたちと合流。また、西から来るグリフィンドールのリィヤンとメルロワさんとの詳しい待ち合わせ場所も決めていないことに気付き、再度焦る。熱海駅の改札を出た瞬間に、クロロとふるっちから「あの駅員さん、めちゃくちゃ格好良くない~~~!!!??」と言われ堪能。確かに格好良かった。熱海駅前の噴水の脇から、温泉が吹きわいていて、「絶対この噴水の水、温いって!!」と、クロロと二人でほざきながら水に触れるが単なる水だという事が判明。その後二人で「何故日本人は噴水に小銭を投げ入れるのだろうか」という崇高なテーマについて話し合う。そこから移動し、近くの商店街へ向かう。まずはお茶をするためだ。私の持っていたガイドブックに載っていた喫茶店を発見。皆でどやどやと押し入り、雰囲気の良かった静かな喫茶店が一気に濃くなる。銘々が好きなコーヒーやら紅茶やらゼリーやらを注文。紅茶は3種類の中から選ぶことになっていた。どれもマリアージュ・フレールの高貴なる紅茶だった。私は「マルコポーロ」(紅茶の名前)を選択。クロロも優雅にマルコポーロを選択。そしてふるっちに「大将どうする~?」と何気なく聞いたら「私はエロスで。」とでかい声でいやにきっぱりと宣言。その後、そこの店の人が注文をとりにきてくれた。皆着々と注文していく中でふるっちが一人恥ずかしそうに「エロスで・・・」と言っていた。最後に店の人が注文を確認した際、エロスの名前が出てこなかったので再度ふるっちは「エロスで・・・」と言わざるを得ない状況に。「何度も言わせんなっちゅーねん!!」とふるっちはたいそうご立腹だったがそれだったら、言うのにためらうようなメニューを注文するべきでは無かったな、と思った。普段は大変静かな喫茶店だったであろうその店も私たちが入った瞬間から濃さ140%に変貌。その光景があまりにいたたまれず私は出てくる時に店の人に「どうもお騒がせ致しました・・・」と謝って出てきた。クロロ、喫茶店で払うべきお金の分の小銭が無く、近くの駄菓子屋さんへ。しかし、おじいさんがポツンと一人で店番をしている小さな駄菓子屋でドロップ一つ買うのに1万円札を出すのが忍びなかったようで結局お金を崩すことが出来なかったようだ。電車に乗って伊豆高原駅へと向かう5人。メルロワさんとリィヤンは車移動。駅隣の「やまもプラザ」へ予定通り向かうも、特にコレといったものは無く「展望塔(だったかな?)へ行こうか」と向かってみた。しかし、掃除のおじさん以外はだれもいない、吹きっさらしの場所。さらに上にあった鐘がつるしてあった塔(?)に登ってみると下に温泉がわいていることを発見。クロロと私で一緒に行く。クロロは足を温泉に浸して気持ち良さそうだった。私も足を浸したかったのだが、黒タイツをはいていたのでムリだった。皆から「脱いじゃいなよ~」と言われるものの私も世間的に見れば「お嬢さん」のお年だったので、断念。タイツを破って風に乗せて飛ばす案もあったのだが、やめておいた。 予約していたペンションに到着。とっても美味しい夕食を頂き、ビリヤードを楽しみカラオケも楽しみ11時まで遊び倒した。その後の部屋でのハリポタUNO。ハリーの絵柄が描かれたUNOだ。ドロー2やドロー4が足し算ではなく掛け算で特別に行なわれたこのゲームは恐ろしいまでに残酷で、ふるっちはトラップに次々とかかり「どうして一気に32枚も取らなきゃいけないのっ!?」と膨大な枚数のカードを手にしていた。ハリポタUNOの途中で眠くなったので私は12時半ごろ退散。ここのペンションの部屋の名前は全てケーキの名前で統一されており私と直さん、リィヤンの3人で「チーズケーキ」という部屋で同室だった。そこで1人でベッドでうとうとしていた所に突如「ドスッッ!!!!!!!!」と鈍い感覚が。直さんが私の腹をめがけて自分の枕を投げつけたのだ。「いや~・・・やめて~・・・」とうとうとしながら懇願する私に執拗に枕を投げ続ける直さん。その後、腹の辺りを蹴られ、布団をはがされかけ顔に枕を押し付けられ窒息しそうになり布団の上から直さんに乗っかられ、さんざん人を起こしておいた後彼女は「チーズケーキ」から出ていった。何が起こったか良く分からないまま、とりあえず就寝した。
2009.01.21
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スリザリン談話室では。課外活動団体による秘密の計画が動き出していた。2001年クリスマス談話室をジャックしてしまおうという計画だ。名づけて「クリスマス・ラビリンス」。最初は単なる「クリスマスの擬似飾りつけ」話だった。「こんな装飾しますねー」とか「こんなの作ってみました」とかで作品を共有フォルダで発表しようということだったのだが、その内に、誰が言い出したかは忘れてしまったが「談話室、乗っ取っちゃおうぜ」「ついでに大広間も乗っ取っちゃう?」という流れになった。そこから、課外活動団体の全員が入るメーリングリストを設置し、そこでどんどん話は進んでいった。当日は朝から、ドラコ先輩からメールが手元に届くようにしそのメールを見ながら、キーワードを集め、決められた時間にアップされる各団体の作品を楽しみ、収集完了のキーワードで最後の締めのファイルを皆で楽しむ、ということになった。寮歌チームは、私が作った寮歌を連弾バージョンにしたものとクリスマスっぽい曲をもう1曲作ったので、それを発表することに。課外活動団体の皆で、ドラコ先輩からのメールの文体を考えたり、当日、何時にどこの団体が発表するかを真剣に話し合った。学生で時間はたっぷりあったのに、当時の私は卒業演奏会と 卒業試験と12月24日にあった自分の発表会とで、思ったより時間がとれなくなってきた。そんな中、寮花チーム(FPC)のキョーマオニーさん、レーヤさん、hobittoさん寮史編纂委員のりょうちゃんたちが、大変よく動いてくださった。しかも、やることのスケールが大きくなりすぎて私には太刀打ちできなくなってきてしまい「クリスマスに何かしましょう!」と言い出したくせに(そもそもの発端は私だった)あまり動けなくなって、ずっと申し訳なく思っていた。ドラコ先輩から届く団体紹介文というメールの文章も、1つずつ皆で考えていった。「ニレーティルス!ドラコだ。」という冒頭から、これからどこの団体の発表があって、このアドレスを開いてみてみるように、そしてキーワードは「○」だ。というような内容にした。しかし、肝心の「先輩から届くメール」という態にするには、私たちのアカウントで送ってはダメだということに、私たちは気づいていなかった。そこに目をつけたスタッフのうちの一人がメーリングリストに、ドラコ先輩の名前で設定してくれ名前もアドレスも、ドラコ先輩の物でメールを送ることが出来るようになった。前々からずっと談話室で宣伝し、クリスマスをお楽しみに!と流しまくっておいた。そしてクリスマス当日。朝からスタンバイして、無事にスタート。メールを送り、ファイルをアップする。すると、寮生さんから次々とレスポンスが返ってくる。そして次のメールとファイル。またまたレスポンスが返ってくる・・・。 日本各地に、いや、世界各地に住むはずのスリザリン寮生が、ここまで身近に感じられた瞬間はなかった。インターネットの威力を目の当たりにし、身震いすら感じた。翌日以降、2002年の年明けも「クリスマス・ラビリンス」の反響は続き素晴らしい年末年始を、スリザリン寮生と共に過ごす事が出来た。今こうして打って、客観的に眺めてみるとすごいことをやっていたんだなぁと感じる。が、当時は「どうしたらもっと面白くなるか」「どうしたら皆に喜んでもらえるか」と考えながら、無我夢中に、しかも楽しく参加していたにすぎなかった。
2009.01.20
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この2001年。私は実は卒業試験を控え、卒業演奏会もあり教員採用試験も夏に受ける等、大変忙しいマグルの日々を過ごしていた。ちなみに、この年の教員採用試験は落ちた。そりゃそうだ。これだけ遊び呆けていれば、受かるわけがない。そんな忙しい最中、実はもう1つオフ会企画が動いていたのだった。実は、私が通っていた大学は他大学の例にもれず、秋に学祭があり私はこの学祭の期間中直さんと一緒に東京へ旅立つ計画を立てたのだった。1番のお目当ては、この年の9月に出来たばかりだったディズニーシー!直さんも仕事の都合をつけてくれ、2人で遊びまわることにした。ちなみにこの旅行では、暇をもてあましていた・・・わけではなく単に現実逃避をしたかったが為に、「旅のしおり」を2冊作成した。私と直さんと1冊ずつ。小さなノートを買ってきてそこへ誰が行くやら誰と会うやら、どこへ行って何をするやらお小遣い帳やら日記スペースやら、色々と直筆で書き込んでいった。ディズニーシーがメインの目的だったため、1冊には「リトルマーメイド」のシールを買って各ページに貼り付けていきもう1冊には「不思議の国のアリス」のシールを貼ってデコレートしてみた。そして、直さんに渡す時には2冊とも提示して、 「ブラジャー一枚の『お色気むんむん』しおりと 白いエプロンをした『金髪ロリロリ』しおりと、どっちがいい?」と、あえてそんな聞き方をしてみた。直さんは、すさまじく悩んだ結果、「・・・ブラジャーの方で」とうなりながら結論を告げ無事、アリエルのしおりをゲットしていた。ちなみに、開いた瞬間「確かに・・・」と呟いていた。ここから先は、私が今も保管している「金髪ロリロリしおり」に記入してあることを交えながら記していく。予約は大学の生協で行なった。元々泊まる予定にしていた「ホテルフランクス」という所は既に満室になってしまっていて空き室があったのは「ニューオータニ幕張」のみ。「ニューオータニ」という名前に怖気づきながらも電話の向こうの係りの人と生協のおばちゃんに導かれるまま申込金を二人で支払った。現役大学生の私のおかげで、2人とも3パーセント引きになったらしい。当日午後7時、JR大阪駅の噴水で待ち合わせ。ちなみにこの日、JRの遅延により、私は10分遅刻だったらしい。お土産に、「みっくちゅじゅーちゅ」とその他お菓子を購入し、電車の出発時間を待つ。これが重くて重くて・・・缶ジュース6本は常に、ゴロゴロと音を立てていた。乗り込む電車は「サンライズエクスプレス瀬戸」という夜行列車。といっても、ベッドがついているようなものではなく「のびのび座席」という名前の、ごろ寝が出来るようなスペースがあるタイプだった。広さは1畳ほどで、備え付けの毛布と枕でうたた寝している内に東京に到着した。翌日、イクスピアリでふるっちと合流して遊びまわる。初めての場所なのに「きっとこっち」と、うわごとのように繰り返しながら野生の勘を頼りに歩き回る私を止めようと後ろから付いてくるふるっちと直さん。その挙句に迷い、「あれ~?」等と不思議がるのだから始末におえない。イクスピアリを遊びつくした後、新宿へ移動しmiyabiさんとクロロとzidaneちゃんという女の子とお茶。そしてその後は濃い四人(クロロ・ふるっち・直さん・私)で、食事に行ったらしい。この夜、ニューオータニへ帰還し、部屋に入った私たちは仰天した。あまりの素晴らしさにだ。部屋は広いし、バスタブなど寝転ぶことの出来る広さ。洗面台は二つあり、枕も硬さを選べるようになっている。だが、疲れていたためすぐに就寝。気付けばすぐに朝だった。この日は皆でディズニーシーの日。ふるっちは朝から、リトルマーメイドの王子様「エリック」に会うのを楽しみにしていた。そのために、皆で向かったアリエルのエリア。何とそこで、間の悪い事にふるっちが小さなコースターに乗っている隙に待機中の私は偶然にもエリックと遭遇。嬉しくて写真を撮ってもらった。とにかく嬉しくて、コースターから降りてきたふるっちに「エリックと写真撮ったよー!!」と叫びながら伝えると突然形相が変わり「ちょっと来いやぁー!」とドスのきいた声を発しながら私の胸倉を掴み物陰へ引きずり込まれそうになった。命からがら逃げ出して一緒に行った、グリフィンドールの美羽さんに助けてもらった。その脇では、グリフィンドールのくらくさんがリトル・マーメイドのコックさん(着ぐるみ)が歩いているのをみて「一応うなじもあるのね・・・」と呟いていた。夜まで遊びきって、閉園後に外へ出る。腰の調子がイマイチだった、レイブンクローのにしさんは、ずっと辛そうだった。この日は遊びすぎて晩御飯を食べ損ねていたので部屋に帰ってルームサービスで、ネギトロ丼を注文。するとそれが、値段以上の美味しさで、直さんと2人で感激しながら食べつくした。翌日の朝、大きな窓に向かって鏡を持って毛抜きで眉毛を抜いていた。あまりに窓が大きく、しかも、近くのビルの中まで見えるので「こんな状況でスナイパーに狙われたらどうしよう」と、下らないことを心配していた。その後、東京駅で皆と待ち合わせをして有楽町の喫茶店へ行った。そこで「てとら」さんと初対面。可愛らしい男の子だった。随分年下なのに、年の差はあまり感じなかった。Grogさんとも初対面。「お父様です」との衝撃の告白通り、男性だった。娘二人(直さんと私)は一緒に写真を撮ってもらった。 「金髪ロリロリしおり」には、まだまだたくさん書いてある。しかし、あとは内輪ネタすぎるので割愛する。ちなみに、日記スペースの後ろには「サイン帳コーナー」と銘打って会って頂いた方に、直筆でメッセージをもらうページを設けていた。これは後々見返しても、素晴らしい宝物になったなぁと思う。普段、パソコン上の文字でしか会えない方から直筆で、目の前でメッセージを書いてもらう。この企画はその後、旅行のたびにページを設けて続いていきそしてその後はもっとバージョンアップして登場することになるのだった。
2009.01.19
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2001年8月はまだ続く。東京と大阪で、翻訳者の松岡裕子さんの講演会が催された。前年は、ハリーのお誕生日を祝う会を夏にやったらしいのだがどういう経緯かは忘れたが、この年は講演会という形で、東京と大阪とで開催された。同じ内容かとは思うのだが、スタッフが東京からも数名来た。お手伝いだったかと思う。ふるっちは来なかったのだがクロロは大阪まで足を運んでくれ、この時は我が家に泊まってくれた。当日の朝、我が家からクロロ、直さん、私そして私の妹、ニアリー・モーガンの四人で、難波にある会場に向かった。ちなみにこの「ニアリー」、ハンドルネームはスタッフチャット内で決まった。妹も友の会に入会するんです、と入会手続きをしながらスタッフチャットで報告した。するとたちまち、その場にいた参加者で妹のハンドルネームを決めようという話になった。「名字はもちろんモーガンでしょう?」「マーガレット・モーガンとかはどう?」「あ、だめだ。字数オーバー。」こんな雰囲気で皆でハンドルネームについて話を進めていた。するとその時、確かmiyabiさんが提案してくださった。「『モーガンさんに近しい人』って意味で、『ニアリー』ってどうかなぁ?」ニアリー・モーガン。即決だった。ちなみにその時、母に「あの子はニアリー・モーガンになったよ」と報告するとリビングの向こうから「じゃあお母さんはヒラリーにしといて!」と声がした。メアリー・モーガン、ニアリー・モーガン、ヒラリー・モーガン。入会もしていない母までがモーガン一族の仲間入りをしこれで仲間はずれは父だけとなった。ちなみに、ニアリーは無事に入学し所属寮はハッフルパフに決まった。その後もニアリーは、スタッフではないもののスタッフの皆から可愛がって頂きスタッフチャットでも、度々ネタにしていただいていた。話を戻す。この四人で向かった講演会ではなかなか面白い話を、松岡さんから直に聞くことが出来大変貴重な経験となった。しかも、ニアリーがジャンケン大会で勝ち進み何と、たまたま持ってきていた発売直後の第三巻に松岡さんから直筆のサインを頂ける権利を獲得したのだった。というわけで、我が家にある「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」初版本の表紙の裏には松岡さんの直筆サインが入っている。その後は打ち上げ。和食でしっとり和やかにいく予定だったのだが私とクロロは食前酒で酔っ払ってしまいその後の写真は二人して酔っ払った顔をしていた。よく覚えてはいないが、確かおおはしゃぎだったと思う。この頃、イベントやオフ会で人に会うのが嬉しくて楽しくて、妙にハイな子になっていた。普段はそうでもなかったのだが、 友の会の人と会える、というだけで興奮し、会っている間は常にすごいテンションだった。よくあんなテンションで体力がもったなぁと自分でも感心する。特にふるっちとクロロと遊んでいる時のテンションは、異常だった。恥ずかしい思い出にまみれていたあの頃。それでも、今思い出しても、その楽しさはよみがえってくるのだった。
2009.01.16
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さて、魔の8月4日。とうとう、恐怖の大魔王・ふるさとさんがご来阪なさる日がやってきた。一体どんな女性がやってくるのか。この時点で、「ふるさと」さんが私よりも年下ということは分かっていたのだが、それでもなお、初メールの恐怖感はぬぐえないまま当日を迎えることとなった。ふるさとさんはグリフィンドール寮所属のチャットスタッフクロロ・パティズリーさんと一緒に、東京から来る。大阪に来る前に京都の宿坊に泊まってそこからグリフィンドールのあいたま兄貴の案内で大阪に来る予定になっていた。待ち合わせは、JR大阪駅構内。びくびくしながら待っていると、向こうからそれらしき一行が近づいてくる。見れば、何とも可愛らしいご一行。ノースリーブにハーフパンツの装いで、若さ全開だ。あまりの可愛らしさに若干メロメロになりつつも、皆でヘップファイブへ行く。最初こそお互いぎこちなかったが、チャットとメールの威力は素晴らしく普通の友達同士と変わらない雰囲気になっていった。まずはスヌーピーのグッズ屋へ、何故か立ち寄った。皆で店内をうろうろと見回っていると、何体か大きな人形が飾ってあった。ある程度の時間がくると、音楽が流れ人形が勝手に踊りだすディスプレイのようで側にいる時に突然人形が踊りだしてびっくりした。しかし、だんだんその動きが面白く感じられてきて、私とクロロとふるっちは、人形の動きを真似始めた。曲が鳴り終わっても、ケーキを持って腰を回し続ける髪の茶色い女の子。2回転すると突然「ガクンッ」とすごい音をたてながら止まった。ケーキも揺れる。その光景が面白すぎて、しばらく真似をし続けた。その後、屋上にある赤い観覧車に乗る。人数が多すぎて二手に分かれる。私はクロロと一緒に乗ることに。肌が弱いため、夏場は日傘が欠かせない私。しかし、観覧車の中には容赦なく日光が照りつける。仕方がないので、観覧車の中で日傘をさして乗る事にした。しかし、そんな私を見て、先に前の観覧車乗り込んだメンバーは「どこの淑女やねん!」と、つっこみまくっていたらしい。その少し前からだったかスタッフ内での私の位置づけは「自称・淑女」。何故かというと、チャットで遊んでいた時に誕生日の花を皆で調べてみたら私の誕生日の花は「ミルトニア」という花だったのだ。そして、その花言葉は「淑女の物思い」。そこから私は「淑女」になった。そんな淑女とクロロは、観覧車の中で下らない話で大盛り上がり。笑いすぎてお腹がつった。観覧車を降りたら今度はキハチのソフトクリームを食す。あまりの美味しさに感動して、今でもその味は覚えているのに、食べている時の写真は、半目の瞬間で激写されており、美味しそうに見えないないのが残念だ。写真によると、その後はカラオケへ行ったらしい。クロロと二人で「ハトヤ」を歌っている瞬間の写真も残っているがこちらも何故か私は半目だ。カラオケ後、ふるっちとクロロと私は、直さんのお家へお泊りに行った。当時直さんは、弟さんと二2で住んでおり、そこへ私たちはお邪魔したのだ。翌日の朝ご飯の写真が残っている。その隣にはコメントが書いてあるのだが私とふるっちの写っている写真の横には、こう書かれている。「翌五日。直さん宅でこの日、朝5時まで、ふるっちからのセクハラ攻撃を受け続けた。」楽しすぎた前日、クタクタで直さんの家までたどり着いた私たちは、直さん宅のリビングで、4人で雑魚寝状態で眠ることになった。しかし、初対面なのに大盛り上がりの私たち。話が尽きることもなく、延々と喋っていた。その内、クロロが眠った。「ずっと起きてるって言ってたくせにー!」とふるっちがクロロを起こすが、クロロは起きない。ふるっちはクロロを諦めた。そして三人で喋っていたのだが、やっぱり眠たくなってきた。うとうととしていると、ふるっちが私のことをペチペチと叩き始めた。「寝るでないぞ、寝るでないぞ」どこの殿様やねんと、心の中で毒づきながらも、口からその言葉が出ないほど眠たくて仕方がなかった。その内、ふるっちは私を蹴り始めた。「寝るでないぞ、寝るでないぞ」「眠たいの!」と訴えたところで、大将に勝てるはずもなく背中やお尻をペチペチと叩かれ、蹴られ続け、布団をめくられ続け・・・朝五時を迎えた。その頃になると私は目が覚めてきたのに、ふるっちは眠たくなってきたらしく、その後に安らかにご就寝されたふるさと大将を、私はぼんやりと眺めながら時を過ごした。8月5日は何をして過ごしたのだろうか。さっぱり覚えていない上、写真は直さん宅での朝食で一旦途切れているため分からないがおそらく濃密な時間を過ごしたのだろう。ふるさとさんご来阪迎撃大阪オフの締めくくりの写真は、新大阪の夜行バスターミナルでの集合写真だ。コメントには、「この後クロロから、のどぼとけ攻撃をくらう」と書かれているが、どんな攻撃だったのか、記憶にさっぱり無い。
2009.01.15
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2001年夏。この年、ビッグイベントがあった。何と何と。あの恐ろしいふるさとさんが、大阪に上陸するというのだ。この企画が持ち上がった時はもう、以前ほど、彼女の事は怖がっていなかったものの、それでもまだ、恐る恐る「ふるっち」と呼びかけていた。しかも寮歌チーム内のメールで「ふるさと隊長」と呼びかけようとした所、間違えて「ふるさと大将」と打ってしまい、妙にツボにはまってしまったのでおびえつつもそのままメールを投稿しふるさとさんは「大将」の位置づけで私の中で定着していた頃だった。メールやチャットで、着々と大阪迎撃オフ会を練る参加予定者。同時にその頃、オフ会企画が相次いで立ち上がった。その頃のアルバムを引っ張り出してみてみる。まず第一弾は2001年6月30日。「ニレーティルス」を提案して下さった、Aslanさんと直さんと何かのオフ会の帰りか、カラオケへ行った写真が残っている。興味深そうに、物語に出てくる「百味ビーンズ」を眺めどれが何の味かを物色している写真がある。この時、直さんは果敢にも自主的に「イワシ味」の百味ビーンズに挑戦し食べた瞬間、カラオケボックスのソファの上でのた打ち回りながら「・・・醤油が欲しい・・・」とうわごとのように呟き続けた。その後は、Aslanさんがギターを弾き、私が寮歌を生で歌った。写真も残っている。同年7月24日。今度は、寮監補佐四姉妹次女、miyabiさんが大阪へお越しになった。入会当時、チャットで優しく話しかけて下さったお姉さま(私は三女なので)との初対面。緊張しないはずはない。ドキドキしつつ待ち合わせ場所で待ってみた。この時、一緒に迎撃したメンバーはAslanさん、直さん、そしてグリフィンドール寮談話室スタッフのあいたま兄貴(兄貴と呼びつつ、実は私の方が年上だったのだが)。そして何と、私を入学させてくださった、「まどれーぬ」さん。この時初めて知ったのだがまどれーぬさんも実は大学の先輩だったらしく世間の狭さに直さんと一緒に驚いていた。miyabiお姉さまは、思った通りの美人さんで鮮やかな赤い服を着ていらっしゃった。一言一言を噛みしめるように、ゆっくり話すお姉さまは実は私や直さんよりも少しお姉さん、というくらいの年齢だった。いつもしっかりした発言をされる様子からもっと年上かと思っていた私は、かなりびっくりした記憶がある。自分もこれくらいの年齢になったらこんな風にしっかりした人間になれるのかなぁとぼんやりと考えたのも思い出した。また、当時チャットで使っていた色(発言がその色で表示される)もお姉さまは赤を使っていらしたので、今もなお「赤」のイメージが強い。色んな年齢の色んな職業の人と知り合えた友の会。私の交友関係もそうだが、考え方もどんどん広がり今まで音楽の世界のみしか知らなかった私にはすごく刺激的な日々だった。さて、ここで思い出して欲しい。「オフ会なんて行く気もないわ」と初っ端に親に向かって豪語していた私だがこの時点でもう三回もオフ会に参加している。だが、一度安全なオフ会に行ってしまうと病み付きになってしまって、もうやめられない。普段ネット上でしか会えない人と会える楽しさ、意外さ、その興奮。ここから私は、オフ会には都合がつけば必ず参加するようになっていった。そして、着々と魔の8月4日は近づいてくるのだった・・・。
2009.01.14
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さて、始めてみた「スタッフ」は最初から伺っていたようにボランティアなので自分の実生活の様子を見ながら活動していた。忙しくてあまり作業ができない時には「休暇届」を出す。「いつ頃まで休みます」と全てのスタッフが所属する「職員室」というメーリングリストなどの自分が所属している全てのメーリングリストに投稿するのだ。直に会って一緒に仕事が出来ないのでどんなメールがメーリングリストに流れたかをしっかりチェックしておかないといけなかった。誰かが休みの時には、状況を判断して柔軟に対応していた。そんな中、私もちょくちょく休暇届を出して活動していたが、6月に入り、教育実習に行くことになった。たまたま当たった教育実習先は北の果て。実家からは、とてもじゃないが通える距離ではなかったので、当時一人暮らしをしていた従姉の家に居候をさせてもらって実習に行くことになった。メールチェックもままならないので例にもれず休暇届を出して、教育実習へと旅立った。教育実習が始まり、しばらくの間は色々な事に忙殺されていた。全てが初めてのこと。知らない学校でよく分からないまま仲間と共に実習に励む。出会う生徒さんは明るく朗らかで大変ではあったが、楽しい日々を過ごしていた。初めて見た、「教室に持ち込まれた水鉄砲」(笑)先生が1つ、ようやく預かったのに「まだもう1個あるもーん」と、どこからか出てきてびっくりした。そんな中で久々に、従姉のパソコンを借りて実習の指導案を作りながら、談話室をチェックしてみた。すると、そこで目にしたのは衝撃の光景だった。談話室に寮歌が発表されていたのだ。続いて目にしたのは、続々と投稿される寮歌に対する感想。自分の曲が、メーリングリスト内の共有フォルダにアップされていてそれを聞いて下さった全国の寮生さんからのお褒めの言葉が談話室に到着していたのだ。大阪にやって来たGrogさんに直さんが私たちの作曲した寮歌二曲をMDで渡した、というのは少し前に聞いていた。私は予定があったのでGrogさんにはお会いできなかったのだが確かに近々談話室にアップして下さる、というのも伺っていた。教育実習の慌しさですっかり抜け落ちていたのは私だったのだがあまりの急展開、そして皆様からのあたたかいお言葉にパソコンの前で感涙した。従姉のパソコンでは、曲が聴けなかった。しかし、皆様からのあたたかいお言葉で直さんが作った四分の四拍子の曲も、私の作った八分の六拍子の曲もどちらも気に入って頂けたことは分かった。何も知らない従姉に要点のみ説明し、一緒に談話室への投稿を読んでもらった。従姉も良く分からないままだったが、一緒になって喜んでくれた。それまでの実習の辛さも吹き飛ぶ、素晴らしいひと時だった。ちなみに、たまたま一緒に実習に行っていた友人は私の勧めで友の会に入会し、偶然にもスリザリンに入寮していた。そして前もって「談話室に投稿してくれたら、私が歓迎メールを書くからね!」と約束しておいた。談話室では、「初めまして!」と挨拶メールを投稿すると誰かが歓迎の意を表し、返信をしてくれていた。一応、談話室スタッフの仕事内容には入ってはいたがそんな気持ちでは送っておらず、一寮生として、いつも返信をしていた。他の寮生さんも自主的に返信をしてくれていて、大変和やかだった。彼女も入寮の挨拶を投稿してくれ、私も嬉しくて彼女宛の歓迎メールを投稿した。彼女はその後、談話室で活動していなかったが、実習中も、大学でも、談話室の話をして喜んでいた。
2009.01.13
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あれはいつ頃だっただろうか。いつもと同じ朝。目をこすりながら階下へ降りメールチェックをしようとパソコンを立ち上げた。いつもと同じようにメールチェック。ポストペットのモモちゃんは、いつみても可愛かった。すると、いつもと違うメールが届いていた。スリザリン談話室の門番、Grogさんからの個人メールだ。スタッフから個人的にメールが来る。何か変なことでもしたのだろうか?と不安になりながら、メールを開いてみた。「スリザリン談話室も人数が増えてきたので、 私一人ではなかなか管理できなくなってきました。 そこで、メアリー・モーガンさんに スタッフになっていただけないかと、メールをいたしました。」何が書いてあるのか、一瞬理解が出来なかった。メールは続く。「仕事としては、メールの内容のチェックです。 ルール違反に対する注意などで、 普段の生活の合い間にボランティアでしていただくことになります。」こんな内容だったと思う。他にも、私だけでなく、数名に声をかけているということ仕事はいたって簡単なので安心してほしい等々綴られていた。せっかくこうして声をかけて頂いたのだし学生で時間もあったので、私でよければという気持ちでお引き受けした。お引き受けすると今度はスリザリン談話室スタッフ用のメーリングリストに招待された。そして、Grogさんからメールが届く。「談話室スタッフをお引き受けくださり ありがとうございました。これからこの体制でしばらく頑張っていきましょう。」スリザリン寮談話室スタッフ。門番(寮監)のGrogさんを筆頭に「セルピエンテ」を押してくださったキャロリン・バウワーさんイメージアップキャンペーンを推進してくださったmiyabiさんそして実は直属の先輩だった直さんそして私。談話室スタッフメーリングリストには次々と挨拶メールが飛び交った。「Grogさん以外は、女性らしい名前が四人揃いましたね。 まるで若草物語のようですね。」どなたがおっしゃったかは忘れたがこれをきっかけに私たち四人はスリザリン寮の「寮監補佐四姉妹」と名付けられた。それを読んだ私は思わず「じゃあ、Grogさんはお母様?」と挨拶メールに書いてみたらすかさずGrogさんから「お父様です」と衝撃の告白がありパソコンの前で仰天した。四姉妹は学生番号順に長女のキャロリン・バウワー、次女のmiyabi三女のメアリー・モーガン、四女の直という並びにした。実際の年齢順だと私と直さんが入れ替わるのだが若草物語になぞらえた時に、私はベスが良かったので「三女で」と言い張って、ベスの座を死守したのだった。さて、スリザリン談話室スタッフ用のメーリングリストのアドレスをポストペットに登録しないといけない。miyabiさんは「四姉妹部屋」と名前をつけて登録しましたとスタッフメーリングリストに投稿されたので真似するのはなぁと思い、しばし考えて打ってみた。「若草部屋」打って確定してから、しまったと思った。まるで相撲部屋ではないか。しかし、意外と気に入ってしまったので「若草部屋と名付けました」と報告をしておいた。寮監補佐四姉妹の活動が本格化し始めた。最初こそ慣れない仕事にとまどったが寮生の皆さんが上手に乗せてくださるのでだんだんなりきるのが楽しくなってきた。談話室では、寮生さんとのやり取りの中で四姉妹の実像がだんだんと出来上がっていった。実は賢者の石を砕いて、ワインに入れて飲み不老不死を目指しているとか実は食事と掃除は当番制で四女の直さんの食事当番の日は、どんなものが出るかドキドキとか。直さんのクランペットは激マズという設定も出来上がってしまった。しかし、本当はクランペットを作るのがすごく上手で泊まりにいった時の朝ごはんは、よくクランペットを作ってくれたものだった。
2009.01.12
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さて、寮歌に話は戻る。ふるさとさんがネットに復帰され寮歌チーム専用のメーリングリストが立ち上げられた。初期メンバーは、隊長・ふるさとさん、直さん、広報部員の私の三人だった。その後、香音さん、moyuさんが加入した。「ふるっち、これからよろしくね^^」と笑顔の顔文字付きで、直さんはふるさとさんに呼びかける。この二人は、実はチャットで仲良くなっていたらしく「直」「ふるっち」と呼び合う仲だった。ちょっと羨ましくて、ふるさとさんに対する恐怖は消えていなかったものの慣れてきたら「ふるっち」と呼びかけてみようと心に決めた。この頃、談話室で歌詞の募集を始めた。サリオさんという人と、kapiさんという人が「詩を書いたので発表します」とご自身の作品を投稿された。それを見て、これは歌詞にいいかもしれないと七五調に形式を決めここに文字を当てはめる形で歌詞を募集しますと打ち出してみた。もちろん、お二人の素晴らしい詩も了承を得た上で形を変え、七五調に合わせてみた。うん。これはかっこいいかもしれない。いや、かっこいい。談話室にも「こういう言葉を入れてください」とか「ここを変えてはどうですか?」と、積極的に意見が出てくる。それをピックアップして、地道にコツコツと作業を重ね、歌詞が完成した。そして2001年3月24日。寮歌チームで、談話室の皆で、推敲に推敲を重ねた寮歌の歌詞の決定版をついに談話室に発表した。談話室には、寮歌の歌詞完成を祝うふくろう便が舞った。・・・と思う。だが、その後次々と起こった、もっとインパクトの強い出来事にかき消されてそのあたりは実はよく覚えていない。私はすぐさま作曲に取り掛かった。だが、ピアノに向かってみても、あまりいいものが出来ない。歌詞に合わせて曲を作るのは初めてだったので、うまく出来るか心配だった。その夜、ベッドに入ってもずっと、寮歌のことを考えていた。歌詞を思い起こしながら、何度も何度も頭の中でリズムをつけて音読した。色々な拍子を試している内に、ぴたっとはまる拍子を発見した。八分の六拍子。これだ!拍子に合わせてリズムをつけて音読する。・・・リズムが完成してしまった。あまりにもあっけなく、ベッドの中で曲は出来上がりつつあった。その上、メロディーまで浮かんできた。まだ肌寒かったこの季節。暖かい布団から抜け出して五線譜を取り出して浮かんだメロディーを書き付けた。翌朝すぐに、ピアノに向かって曲を完成させた。一番、二番、三番、そして終結部。あっという間に仕上がり、それをMDに録音した。さあ、この曲を早く寮歌チームに報告しなければならない。しかし、曲をネットで公開する手段もなくスキャナーがないため書いた楽譜を取り込んで添付ファイルとして公開する手段も使えず途方にくれていた。だが、せめて近くに住んでいるという直さんには先に直接聴いてもらいたいと思い、二人だけで会うことになった。インターネットで出会った人と、実際に会う。オフ会だ。「オフ会なんて怖いものには行く気もしない」と親に向かって豪語していたくせに、二人だけとはいえ、実は会ったことのある人とはいえ入会三ヶ月でオフ会を開いてしまった。2001年3月31日。作品を入れたMDと直筆の楽譜を持って私は自宅から一時間ほどの、某都会へと足を運んだ。待ち合わせの場所で直さんに会った瞬間二人ともほぼ同時に、「やっぱりあの人だったー!!」と爆笑しながらご挨拶。すぐに喫茶店に入り、紅茶を注文して話が始まった。あまりのご縁にびっくりしつつも初めてちゃんと会ったとは思えぬ雰囲気があり、どんどん打ち解けていった。「タメ口でいいよー。直って呼び捨てにしてくれてもいいし。」直さんからはそうおっしゃって頂いたが、さすがに大先輩、そうはいかない。「いえいえ、それはこちらも気にするんで・・・。 タメ口はその内に自然になってくると思うんですけど 『さん』付けだけは、そのままでお願いします。」と、律儀にお願いし、今日も「直さん」で呼ばせていただいている。ちなみに、同じ手の大きさ、身長も二センチ違いというかなりの運命を感じる出会いだった。寮歌はといえば、録音してきたMDを聞いてもらいながら楽譜を見てもらい、どんなもんか反応を見せてもらった。直さんからの反応はすこぶる良好で私も一曲作ってみるねと、おっしゃっていただいた。カフェの入っているビルには当時、上階にインターネットカフェがあり曲を聴いてもらった後に、そこへ行って、二人で寮歌メーリングリストに今丁度二人で会っている最中で、寮歌を聴いてもらった、という報告メールを流した。ふるさとさんはたいそう羨ましがっていた様子ですぐにメーリングリストに返事をくれていた。寮歌の取りまとめ等を、談話室でも頻繁に行いその上大好きな紅茶の話題が取り上げられたため私は頻繁に談話室に投稿していた。設定上は、私のペットである「隠れるのが好きな鷹」のクレストマンシーが談話室に手紙を届けてくれている態になっていた。ちなみに、このペットは、組み分け帽子をかぶった時に選んだもの。性質は自動的に選ばれるらしく、予期せぬ性格になってびっくりしたが彼は隠れて談話室を見張っている設定に、談話室内でいつの間にかなっていた。名前は私がつけた。最初はつけなくてもいいかな、と思っていたのだが他の会員は皆付け出して、チャットでの話題も談話室での話題もペットの名前ネタが多くなってきたため、単純に触発されたのだった。なお、「クレストマンシー」というのは私が大好きな作家さん、ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんの「魔女集会通り二十六番地」(現題「魔女と暮らせば」)に出てくる大魔法使いの名前だ。(厳密に言うと名前ではないのだが、あえて、名前だとしておこう。)どなただったか、一度、談話室内で「クレストマンシー」の話になり「美形のクレストマンシーをペットの名前につけるなんて、ロマンチックですね」という風に、褒めていただいたことがあった。しかし、私の真の意図は大魔法使いクレストマンシーをペットにして自由自在に操るというのはきっと気分が良いだろうと思い、そうしたまでだった。全然ロマンチックでなくて、本当に申し訳なかった。ちなみに、直さんのペットはポケットモンキーだった。私と出会った頃、まだ名前がついていなかったので四月末に我が家へ泊まりに来た際ポケットモンキーには私のマグルでのあだ名が命名された。というわけで、直さんのペットが何かを喋る時は彼女の中で私の口調が採用され、それが表現されていたようだった。そんなこんなで、投稿数が増えたことで後に「寮史編纂委員会」から、クレストマンシー共々表彰して頂けることにつながった。「寮歌チーム」「寮史編纂委員」のようにスリザリン談話室にはたくさんの課外活動団体が存在した。クラブ活動や委員会のようなものだと思っていただけると分かりやすいと思う。寮の花を決める「寮花チーム」おいしそうな架空のレシピを創作したり本当に作れるレシピを紹介する「談話室メニューチーム」。「スリザリン通信」というのを発行する団体もあった。これは後に編纂委員につながっていったと思う。私は「寮歌チーム」と「談話室メニューチーム」の二つに所属をし談話室ライフを満喫した。
2009.01.11
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この後判明した衝撃の事実・・・それは・・・何と、私と直さんは、このメールの二ヶ月ほど前にそうとは知らず会っていたのだった。お互い、友の会には入っていた時期だったのだがそんなこととは露知らず、大学の部屋で会っていたのだった。・・・・・・あれは2台のピアノで弾くコンツェルトの実技試験の練習。1台は普通のピアノパート、もう1台はオーケストラパートをピアノで弾く。たいていは、オーケストラパートは同級生でお互いに頼みあうか、頼みやすい後輩に頼んで試験に臨むのだった。2台のピアノが入った練習室は数がないので決められた日時に行かないと、相方と練習が出来ない私は割り振られた日に、同じ門下の相方「かっちゃん」と練習をすることになっていたのだった。部屋に入ると先に練習をしていた別の門下の「裕美ちゃん」が練習をしていた。裕美ちゃんの相方は、見たことのない女の子。目がくりっとした、小柄な可愛い子だった。「かっちゃんがまだ来ないから、練習しとく?」と、裕美ちゃんと、おそらく後輩であろうその子に話しかけるとその女の子は、「この部屋、暖房がつかないんです。 さっきから電源を入れてるのに、全然つかなくって・・・。寒いままなんです。」丁寧な口調で、親切に教えてくれる。「そうなんや~。寒かったやろう?大変やったね。」そう言いながら、私は暖房へと歩み寄ると不思議な物が目に入った。元栓がそのままなのだ。つまり、ガスが流れ出ていない状態で女の子は一生懸命、電源を押していたらしい。「・・・元栓・・・、ひねってないみたいやけど・・・?」知らない女の子に、恐る恐る尋ねてみると「あー!ほんまや!すみませんー! 私っていつもこうなんです。 お騒がせして、ほんと、すみません!」苦笑しつつ頭を下げてくれるので「ええよええよ、こんなの別に。おもろかったし」と笑顔で返した。裕美ちゃんも、「いっつもこんなんやねんー」と笑顔で参戦し、大笑いしていた所に私の相方・かっちゃんが、遅刻して現れたので部屋を交替してもらった。・・・・・・この時の女の子が、実は「直」さんだったらしい。彼女が「実はよく、今でも大学に行くんですよ。 この間もコンツェルトの試験のお手伝いに行ったんです。 私は○○門下で、裕美ちゃんのお手伝いに行ったんですよ。」とメールで教えてくれて発覚した。 ・・・完全に後輩かと思っていた自分にもびっくりだったが、ナチュラルに後輩のような動きをしていた直さんにもびっくりだった。どうして、既に卒業していた先輩にオーケストラパートを頼んだのかは謎だが、裕美ちゃんのおかげで、私と直さんの絆はより深まったのだった。
2009.01.10
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イメージアップキャンペーンが、ますますヒートアップしていく中寮歌を作ろうかという話になった。発起人は、ふるさとさん。寮歌を作りたい。作曲できる人はいませんか?というような投稿だっただろうか。それを読んだ私は、パソコン上、ましてやインターネット上で作曲したものを流せるはずがないと思ったこともあり「物語の中でも、ホグワーツの校歌は好きなメロディーにのせて歌いますよね? 1つの曲に決めなくてもいいんじゃないですか?」というような投稿をしてみた。私としては、かなり軽い気持ちで投稿した。すると翌朝、寮歌発起人のふるさとさんから個人的にメールが届いていた。「メアリー・モーガンさん。あなたは私の案を却下されるのですか?」冒頭からパンチの効いた一文。朝から真っ青になった。これがインターネットの世界なのか。軽い気持ちで送ったメールに対してこんな風に手厳しくメールが、しかも個人的に送られてくるのか。きっと、この「ふるさと」さんは私のことを突きとめて現実世界でも何か手を打ってくるに違いない。どうしよう。えらいことをしてしまった。後悔しても、もう遅い。私はふるさとさんのメールを最後まで丁寧に読んで丁重にお返事申し上げた。「ふるさと様。却下するつもりでは決してございません。 物語の中のことを考えて、そういう案もあるんじゃないかなぁ? と思っただけで、本当に軽い気持ちで、あのメールを送ったんです。 せっかくのご提案に水を差して、申し訳ございません。」云々、長々と先ごろの無礼を詫び、ついでに「私はマグル(友の会外の、普段の生活のことを『マグル』と呼んでいた)の世界では 音楽を専攻しておりますので、素人ではございますが、作曲も少々できます。 パソコンの事はよく分からないので申し訳ないのですが もし宜しければ、ふるさとさんご提案の『寮歌作成チーム』に入れていただければ 大変嬉しく思います。」と、見たこともない「ふるさと」さんに、これ以上ないほど怯えながら半泣き状態でメールの返事を送信した。すると、ふるさとさんから返事が来て寮歌チーム専用のメーリングリストを立ち上げるのでよろしく、とのこと。動きが早い。一体この人はどんな人なんだ。それと時期を同じくして、「直」さんという人から個人メールをもらった。なお、と読むらしく、どうやら女性のようだ。彼女も実は音楽をマグルの世界ではやっているらしく仕事にもしているということだった。作曲はやったことはないけれど、多分出来そうだ、とのこと。これは心強い。寮歌チーム立ち上げと同時期にふるさとさんはマグルでご不幸があったらしくしばらく動きがとれません、と連絡があった。リーダー不在の中、私は直さんと2人でしばらく個人メールで色々と連絡を取り合った。そんな中、気づいてしまった。彼女のメールアドレスに、とある地名が入っていたのだ。それも私の住んでいる地域から、そう遠くない地名が。実は私のメールアドレスにも、地名が入っていて寮歌の打ち合わせをしつつ、挨拶程度に「家が近そうですねぇ」という感じに、軽く話をふってみた。すると、直さんからの返事に「うちは○○があるA市なんですよー。 メアリーさんのお家と、そう遠くなさそうですねぇ」と、イニシャルトークで返事が返ってきた。(実際のイニシャルとは関係のないものを、今回は使っているが。) もしかすると・・・と、「私はたぶん、そこの市を、毎朝通学電車で通っています」と送ってみた。そして運命の朝。メールチェックしてみると、直さんから返事が来ていた。また何か進展があるかもしれないと、ドキドキしながら読んでみる。すると「もしかして、あの『陸の孤島』と呼ばれる、某○○大ですか!?」やけに詳しい。何故その呼称を知っているのだ。興奮気味の文章は、まだまだ続く。「毎朝通っているということは、在籍中なんですよね? 気になって ○○会(大学のとある科のみの同窓会)の名簿を引っ張り出してみてみたら・・・ メアリーさん・・・」どうしたんだ?まさか・・・「あなたのマグル名を発見しました!!」メールを見ると、差出人の所に思いっきり自分の本名がローマ字で出ていたのだ。当時、差出人の名前すら変えられなかった私はそんな名前が出ていたことにも気づかず、そのまま送信していたのだった。見ると、直さんもわざわざマグル名(名字)のローマ字表記で送ってくれていた。私は朝から慌ててパジャマで走りまわりリビングの引き出しをあけて、同窓会名簿を探し当て、彼女の名前を探し始めた。今、働いてるということは先輩や。二つ上は?・・・いてない。三つ上は?・・・・・・・っ!!いてた!いてたよ、いてたけど・・・!!何やねん!同姓三人って、どういうことやねん!実は、直さんの名字は大変よくある名字で、この学年には同姓が3人いたらしい。しかし、その中に一人だけ「直」の字が入った女性を見つけた。・・・「直」さんを発見してしまった・・・・・・しかも、こんな身近なところで・・・私は朝からパジャマ姿のままリビングでへたりこんでしまい、動けなくなった。茫然自失のまま時間だけが過ぎ、十分ほど経ったところでようやく動き出すことが出来るようになった。頭がうまく回らない中、直さんに返事を打つ。先輩だったなんてびっくりしました、世の中って狭いですね等々、打ったと思う。今となっては覚えていない。しかし、後日。またまた衝撃の事実が明らかになったのだった・・・
2009.01.09
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その頃のスリザリン談話室の様子はといえば、私の予想に反して、メンバーは着々と集まってきた。そして、ある程度人数が増えてきた所で、談話室の扉は開いた。扉を開けたのは、門番のGrogさん。この人はスタッフの人らしい。男性か女性かがイマイチ掴みきれない人だったが、一人称や文体から察するに、おそらく女性だろう。名簿の方を見てみても、だんだん人は増えている。どうやらどこかの寮に人数が固まらないように、ちゃんとばらけさせているようだった。物語と同じだ。すごい。徹底している。Grogさんが開いたスリザリン談話室は宿題として出された、とあるお題から本格的に投稿が始まった。「スネイプ先生の良いところをあげなさい」物語の中でスリザリン寮寮監のスネイプ先生はそれまでは普通に、私の中では単なる悪役だった。主人公のハリーをいじめる先生。ハリーが大嫌いな先生。そんな先生が寮監を勤めるこのスリザリン寮ではスネイプ先生の悪口を言ってはいけないのだ。しかし、これはある意味面白かった。単なる悪役だった彼を、別の視点から眺める。スリザリン寮の生徒を守ってくれる先生。厳格だが頼れる素敵な先生。実はちょっぴりお茶目な、シャイな先生。次々と、彼の良いところがあげられ始めた。それを読んでだんだんスネイプ先生のことを好きになってくる自分がいた。それまでは「スネイプ」と呼び捨てにしていたのだがいつの間にか「スネイプ先生」とちゃんと「先生」をつけて、無意識のうちに呼んでいた。ハリーの敵役、ドラコ・マルフォイに至っては「ドラコ先輩」と、いつの間にやら皆で後輩気取りだった。そしてある時「スリザリン・イメージアップキャンペーン」が展開される運びとなった。「いつもいつもチャットで、スリザリンだと言うと哀れまれるのはもう嫌!『スリザリンなんだ。いいなぁー!』と言われるように、皆で頑張っていきましょう!」そんな風に提案してくださった人がいた。あれは確かmiyabiさんだ。これは面白い企画だと思った。そこへ、物語で、談話室に入るために合言葉を言うように自分たちだけの合言葉を作ってそれをチャットでスリザリン同士が会ったら使ってみては?という流れになった。Aslanさんという方が「スリザリンの綴りを逆にして読むと ニレーティルスと読めますよ。『ニレーティルス』を合言葉にしてみては?」と提案してくださり賛同のふくろう便(メールのことを、物語の真似をしてこう呼んだ)が談話室を飛び交いかなりのスピードで、合言葉は「ニレーティルス」に決まった。さあ、そこからは談話室に来る投稿の頭にも「ニレーティルス」。寮関係なく入れる大広間でも「ニレーティルス」。チャットに行ってスリザリン同士で出会うと「ニレーティルス!」。最初のうちこそ、「それは何ですか?」と他寮の人から聞かれていたがそのうち狙い通り、「スリザリン、団結力があっていいですね」とか「合言葉があるなんてかっこいいなぁ」等徐々に羨ましがって頂けるようになってきた。合言葉の意味は内緒、というのがまた良い。この頃チャットで、miyabiさんとご一緒した時にこの「イメージアップキャンペーン」について随分楽しくお話していただいたのを覚えている。その内、最初の合言葉があるなら締めの合言葉も欲しいね、という流れになってきた。色んな候補が出てきたがその中で、キャロリン・バウワーさんという人が「スリザリンのシンボルでもある『蛇』を 日本語以外で言ったらどうなるのでしょう?」というような投稿をされた。たまたまスペイン語に興味を持っていた時期だったので調べて送ってみた。「『セルピエンテ』というらしいですよ。 スペイン語は神と話す言葉だといわれているらしいので、 高貴なスリザリンには、ぴったりかと思います。」そんな風に投稿してみた。すると、たちまち「セルピエンテ」に賛同者が現れあれよあれよという間に、締めの合言葉は「セルピエンテ」に決定した。もう一つ、どうしても捨てがたい言葉もあったので、そちらも使えるような感じになっていて寮生はそれぞれ、好きな方を使っていた。
2009.01.08
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2001年のお正月から数日経った頃、友の会に「組み分け帽子」が誕生した。「1月6日に組み分け帽子が誕生!寮に所属することが出来ます!」というような告知が、年末からされており、私はこれ以上ないほどワクワクしながら待ち構えていた。待ちに待った当日。6日になった瞬間に立ち上げて覗いてみる。まだのようだ。朝6時。まだらしい。7時。まだだ。8時。何故まだなんだ。だんだんイライラしてきた。静山社め。どうしてまだなんだ。早く帽子をかぶりたいのに。11時ごろ、ようやくかぶれるようになった。ハリーもホグワーツへ行くにあたりペットの白ふくろう、ヘドウィグをつれていったが私たちもペットを選択肢の中から選べるらしい。どれがいいかな、と眺めてみる。カエルは嫌やな。ネズミも嫌。ふくろうにしたら、真似したみたいやし・・・。おっ。鷹はどうやろう?・・・うん。鷹にしよう。かっこいいぞ。さあ、いよいよ帽子をかぶる。きっと誰がかぶってもハリーが所属した寮の「グリフィンドール」になるのだろう。でも私はグリフィンドールはありきたりやから嫌やな。賢い子が行くレイブンクローがいいなぁ。優しい子が行くハッフルパフもいいなぁ。スリザリン・・・悪者の寮やしたぶん所属しないようになってるんやろう。ドキドキしながら「組み分け帽子をかぶる!」ボタンを意を決してクリック!するとページがサッと変わり、素敵な魔女が長い杖を持って現れた。『メアリー・モーガンさん!あなたの寮は・・・』 次の行には大きな文字で元気よく書かれていた。『スリザリン!』「えええええええええええええええええええっ!」思わず私はのけぞって叫んだ。誰かウソだと言ってくれ。何故この私が、悪者の寮に入らなければいけないんだ。私は賢い子が行くレイブンクローに行きたかっただけなのに。注意書きに、「一度所属した寮は変更できません」とある。私はこのまま、一生スリザリンなのか。スリザリンのメンバーの名簿も見られるらしい。私は名簿の4番目。アルファベットの名前の人が3人ほど並んでいる。だが、私はそれを判読することもできないほど途方に暮れながらぼんやりと「談話室に参加しますか?」ボタンをクリックした。談話室とは、メーリングリストを利用して参加者同士で色んな話をする場として設けられたていたものだ。当時、寮の談話室が設置される前に「大広間」と「書斎」のメーリングリストが設置されており大広間にはすでに入っていたような気がする。友の会では、メーリングリストを「ふくろうが手紙を運ぶ」という物語の設定に則り「オウリングリスト」(OL)と呼んでいた。そのOLに、新たに寮ごとの談話室が設置されそこへ登録しますか?ということだったらしい。何も考えないまま、ショックを引きずったまま私は登録した。メンバーの人数はまだ一桁そりゃそうだろう。スリザリンなんて、皆嫌に決まってる。チャットに行くと、話題は寮のことでもちきりだった。「グリフィンドールになったよ!」「え!いいなー・・・。私はハッフルパフだったよ」等と話が進む中、誰かが「スリザリンなの」と一言放つと一瞬無言になるか、「本当にスリザリンにも組み分けされるんだね」的なご愁傷様ですという雰囲気になるのだった。チャットでよく会っていた、ヨハン・ベルベットさんはグリフィンドールになったらしく、えらく喜んでいた。そして、スリザリンに組み分けされた私にねぎらいの言葉をかけてくれた。てとらさんはレイブンクローになったらしく、羨ましかった。
2009.01.07
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さあ、いよいよ活動する時がやってきた。掲示板や原書ネタバレコーナー、料理のページに会員からの絵や短編小説のコーナーもある。世の中にはこんなにたくさん、ハリー・ポッターのファンがいるものなのか?それとも、ここを運営しているという静山社が、サクラとして色んな名前を使って、さも活動しているかのように見せかけているのか?私は何故かインターネットに対して物凄い不信感のようなものを抱きながら「油断しないぞ」とばかりの形相で、色んなページを見ていた。その中にチャットのページがあった。中を覗くとたくさんとの人がチャットに興じている。話す内容は、当然だが、ハリーについてがやっぱり多く、楽しそうに話している。打っている内容を見るとこの人は大人かな、とか、この人は子どもかなというのが、おぼろげながら分かってくる。男性女性についても同様で、一人称でなんとなく分かる。チャットとはこういうものかと興味深く眺めていると突然、雰囲気がおかしくなってきた。その時覗いていたチャットの部屋に、妙な人がいたのだ。どこに住んでいる誰で、中学生だよ等々自分がどこの誰なのかが分かるように書き込みだししかも、一緒にチャットをしている人からも聞きだそうとする。そういうことはしてはいけないとチャットの入り口のページに書いてあるのにどうしてするのだろうと、不思議に思って読んでいると他の人が自主的に注意を始めた。「そういうのは言っちゃだめなんでしょう?」「ネットでそういうことを言うと危ないですよ」だが、書き込んでいる本人は止まらない。別にいいじゃないか、何で注意するんだ等々、発言がだんだんエスカレートしてくる。「そんな風に書いていると、スタッフさんが来ますよ。」一人がそう書き込む。しかし止まらない。雰囲気はどんどん悪くなる。ああ、やっぱりチャットとは危ないところだったのだと若干がっかりしながらページを閉じようとした。するとそこへ、スタッフが入室した。ハンドルネームの後ろに「@スタッフ」と書いている。「○○さん、ルールをきちんと守ってください。 守ってもらえない場合は、退校処分もありますよ」暴れていた本人は、すっと退室した。「今までのログは消しますね。大変でしたね。」スタッフは、その場にいた人にそんな言葉をかけ彼女(おそらく女の子だった)が暴れた形跡を消す。それはそれは見事だった。この人は静山社の人なのか?掲示板等を見ても、荒れた書き込みに対しては「○○@スタッフ」という人が注意に入る。気になって色々とサイトを探検してみるとスタッフを募集しているページを発見した。募集をしていたのはシステム関係を管理できる人材。どうやらボランティアらしい。私の入学を許可してくれた「まどれーぬ」さんもおそらくボランティアなのだろう。もちろん私にはそんなことが出来るはずもなく世の中にはボランティアでこういうことをする人がいるんだなぁ、すごいなぁくらいにしか思っていなかった。数日が経ち、チャットに参加してみた。誰と何を喋ったのか、今となっては全く覚えていないのだがチャットが初めてな私に、皆さん大変優しくタイピングも遅かったのに、ちゃんと待ってくれていたのは覚えている。「ここが初めてのチャットっていう人、多いんですよ^^」笑顔の顔文字つきで、優しく教えてくれた人もいた。安心してチャットを始めることが出来たにも関わらず私は何故かインターネットなるものに未だに油断しておらず「今チャットをしている人も もしかすると静山社が用意しているサクラかもしれない。 きっと、一人で何役もやっているんだ」と、訳の分からない不信感を抱いていた。その内、チャットでよく会う人が出来てきた。おそらくチャットに興じる時間帯が合うのだろう。それぞれに、そういう人がいるらしくベテラン組には仲良しの人もいたようだ。挨拶をする時に「あ、昨日ぶりー」とか「待ってたよー」とか親密そうで羨ましかった。当時の私にも、そんな人が出来つつあり「ヨハン・ベルベット」さんという人と時間帯がよく合い、気軽に話していた。お互いに、日本人離れしていた名前だったので仲間がいて良かったという話もした。ある晩、チャットをしようとページを開きたまたま「てとら」さんという人とチャットをした。話してみると、若い男性だということが分かる。同年代なのかもしれない。話も合うし楽しかった。ハンドルネームの話になり、私は素で「てとらさんの『てとら』は、テトラポットの『てとら』なんですか?」と聞いてみると「海辺で働く~♪テトラポット~♪・・・じゃないですよ^^;」と、苦笑の顔文字付きでノリツッコミのような返しをしてくれた。この人とは気が合いそうだと思った。その後もてとらさんとはよくチャットをするようになった。てとらさんにはチャット仲間がいるようで、その人たちともだんだん仲良くなってきた。私がチャットをする人たちは、良い人が本当に多くいやな思いをした経験は一度もなかった。
2009.01.06
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さて、自宅にインターネットが開通したころの話に戻る。2000年秋以降、しばらくはハリー・ポッター友の会のことを忘れ果てたまま過ぎていたのだがいざインターネットが自宅に開通した時に、ふと思い出した。そうだ。私には、ホグワーツに入学するという望みがあったんだ。思い出して、友の会のサイトを開いてみた。入学の門戸は開いている。私は、勇気を振り絞って登録を・・・・・・しなかった。できなかったのだ。頭をよぎった、インターネットは怖いという風潮。出会い系サイト等を介して起こる事件。「入学=登録」ということが、だんだん怖くなってきた。もし事件に巻き込まれたらどうしよう。チャットって危ないっていうし・・・。それより何より、登録することで、私の事がばれてしまうかもしれない。メールアドレス一つで、私がどこの誰か分かってしまうかもしれない。どうしよう。怖い。2日悩んだ。パソコンを立ち上げる度に、友の会のページを開いた。しかし、踏ん切りがつかない。だけど入学したい。この2つの間で揺れに揺れた。2日目の夜に、後者が勝った。未成年ではなかったが、一応親に許可を取っているつもりでさりげなさを装って「なぁなぁ、なんか面白そうなサイトに 無料で登録できるらしいから、登録してみるわー」と、それとなく話しかけてみた。母は、「危なくないの?」と向こうの部屋からこちらも向かずに聞いてくるので「登録するだけやったら大丈夫ちゃう? 本名と違うらしいし、後はメールアドレスだけみたいやから」と、自分でも不安に思っていた部分だったのに「安全である」ということをアピールしておいた。それでもなお、母は「チャットっていうの?あれは危ないっていうやん。」と言ってくるのでその時は素直に「大丈夫。チャットなんて全然する気ないもん! 覗いてはみたいけど、ようやらんと思う。 それに何?オフ会っていうの? あんなんよう行かんわぁ。 怖いやん?ネットでしか知らん人と会うのって・・・。」とか言いながら、入学手続きのページへと進む。すると、活動するに当たり、どうやらハンドルネームという別の名前を決めないといけないらしい。何にしよう。普段呼ばれているあだ名にしようか。・・・私だとばれそうだ。・・・待てよ。ハリー・ポッターはイギリスの物語だ。入学するには日本人の名前ではいけないのかもしれない。外国人の名前・・・。名前・・・。メアリー?ありふれている名前だが、それ以外には浮かばずとりあえずは「メアリー」で入学申請を出す。ドキドキしながら待ってみた。翌朝、メールチェックをしてみると友の会の事務局からメールが届いていた。ワクワクしながら開けてみると「メアリー」という名前は別の人が使っているので使用不可との連絡メールだった。考えてみれば納得。「メアリー」なんてありふれた名前、他の人もそりゃあ使うだろう。もう一度登録ページを開き、再度登録し直す。別の名前・・・思いつかない。「マーガレット」とかも絶対誰かが使ってるやろうし。そうや、「ジョン」とかの男性名にしてみようか。・・・それも使ってるやろうなぁ。第一、男のふりしてどうするねん。随分長い間考えぬいて、ふと浮かんだ名前。メアリーはメアリーでも、名字のついた名前だ。実は高校生の頃、友人と一緒にお嬢様ごっこをしていた。お嬢様は友人で、私は「ばあや」の設定。当時の教科書をあさると、そこにはその名前が、授業中の筆談の内容として書き込まれていた。メアリー・モーガンばあやだったら、「メアリー」かなぁ。名字は適当に「モーガン」ってつけようや!等と、授業中にアロイジアお嬢様と筆談をしていた形跡がある。ジョゼフ・ゴドルフィンという、大変強そうな名前の執事もいる。苦肉の策で「メアリー・モーガン」で入学申請をする。そして一晩待ってみた。朝おきて、即行でメールチェックをするとまたまた友の会の事務局からメールが来ていた。「メアリー・モーガンさんの入学を許可します」というような内容が書かれていた。学生番号は8233番。入学を許可してくれたのは、「まどれーぬ」、という人らしい。何や、平仮名やんか。一人だけイギリス人みたいな名前で活動することになったらどうしよう・・・と密かにびびっていた。しかし、ああ、これでとうとうホグワーツの一員になれたのだと朝からかなり嬉しかった。
2009.01.05
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我が家に「インターネット」なるものがやってきた。あれは忘れもしない、2000年12月末。インターネットというものが、我が家でようやく開通したのだ。当時私は大学生。「今はインターネットがないと、 就職活動で遅れをとってしまうねんで!」と、半ばこじつけのような理由で親を説き伏せインターネットを接続してもらった。だが、実の所は「インターネット」を使って自宅で遊びたかっただけ。大学の図書館にはパソコンがありインターネットを使えるようになっていたしかし、いつも満員で思う存分遊べなかったので自宅で遊べるようになったら、あれも見よう、これもしようと期待は大きく膨らんでいた。さて、とうとうインターネットが使えるようになった。私は手帳を取り出し、ゆっくり見たいと切望していたサイトにアクセス。大好きな作家さんのホームページや占いサイト、紅茶のページなどを、じっくり眺めた。そんな私には実は、密かにやってみたかったことがあった。それをとうとう試す時がきたのだ。2000年秋、当時のブームに乗って「ハリー・ポッターと賢者の石」を読んでみた。天邪鬼の私には、大ベストセラーを読むなど信じられない話だったのだがたまたま図書館ですぐに借りられる状態になっていたのでなかなか借りられないらしいし今の内に借りておくか、という程度の気軽さで読み始めてみた。ところがこれが、予想外に面白かった。最初の章こそ、分からない特殊な単語に手こずったが二章目からは物語の中に引き込まれピアノの部屋でピアノも弾かずにピアノの椅子に三角座りをして、一気に読んだ。ありがちなストーリーなのに、どうしてこんなに面白いのだろう。どうやら2巻も出ているらしい。私はすぐに「ハリー・ポッターと秘密の部屋」を購入し、夢中で読んだ。大学の図書館のインターネットで十月ごろに調べてみると出版している「静山社」という所が公認している「ハリー・ポッター友の会」なるものがインターネット上で存在しているということが分かった。会員登録は無料。会員登録はすなわち、ホグワーツへの入学ということ。その設定も面白い。物語の中には4つの寮があるのだがそれらはどうやら存在しないらしい。登録すれば、チャットなるものも出来るらしい。登録してみたい・・・。登録して、じゃあ活動するのかと問われればその度胸は全く無かった。だが、登録するためには大学のパソコンで遊んでいるレベルでは登録しづらい。自宅にインターネットがあれば・・・。インターネットさえあれば、私はホグワーツに入学できるんだ・・・。そんな気持ちがうっすら芽生え、2000年秋、大学の図書館で私は手帳に「ハリー・ポッター友の会」と書き込んでおいた。
2009.01.04
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mixi日記とこちらのブログを併用しています。使い分けをしたいなぁと考えていたのですが2000年冬から2008年秋までに起こった奇跡をこちらで発表していきたいと思い綴っていこうと思います。一気に発表するには長すぎるので少しずつ、少しずつ読んでいって頂きたいと思います。ハリーが起こしてくれた奇跡を皆様と共有できたら・・・と考えています^^私と感じた、「どんどん世界が広がる感」を一緒に感じて下さったらこれほど嬉しいことはございません。記憶を頼って綴っていくので実際に起こったこととズレが生じるかもしれませんがそこはご愛嬌で(笑)では、マイペースに、思い出話を始めたいと思います。
2009.01.04
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先日、携帯電話の明細がきました。「おっ、フランスの月やん」とか何とか軽く思いながら、請求額を見てみると・・・!!!1万円越えとるがな!!普段なら4000円を少し出るくらいの額が自慢の私(何?)こんな携帯の明細は、見るのも払うのも初めてです。通話料が結構いってます。かけたっけ・・・?と思って思い返してみました。・・・・・・かけたかけた。パリ在住の友人と、風呂の栓が抜けなくなった時のツアーデスク。そして、日本に1本だけ用事でかけたけど留守電だった電話。メールも随分送りました。調子に乗って写メも随分送りました。痛いよぅ(>_
2007.09.24
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最終日。朝8時起床です。準備をして、地下へ朝食をとりに行きました。今日は9時ごろ朝食だったため、わりと混んでいます。卵をゆでる機械があったのですが、イマイチ使い方が分からずSは食べたかった卵を断念していました。バタバタと荷造りを済ませてロビーへ。ロビーの人は曜日交代なのでしょうか?2日に1人ペースで人が変わります。優しそうな白人のお兄さんがいました。お助けマンにお礼を言いたかった私は、ちょっぴり残念。チェックアウトを待っていると、ツアーのガイドさんが来ました。空港まで送ってくれるのです。チェックアウトをしている時に、ロビーのお兄さんに「日本のどこから来たの??」と聞かれてSが「○○」と答えると「そうなんだ!僕は○○には行ったことがないから、いつか行ってみたいんだ。 それが僕の夢なのさ」というニュアンスで話していました。○○生まれ○○育ちのSは、「さすがにパリの人に『綺麗な街ですよ』とはよう言わん。おもろい街やけど」と後で呟いていました。別れ際「Au revoir(さよなら)!Merci(ありがとう)!」とフランス語で言うとお兄さんは「Au revoir!サヨナラ!」と返してくれました。その後、ガイドさんから多少の説明があった後、ホテルを出ました。ホテルの前にはベンツ!これに乗って空港へ向かうようです。ベンツの中から見る凱旋門。私たちの旅の中では、凱旋門は「戻るべき場所」という位置づけでした。(ホテルのすぐ近くだから(笑))最後に見る凱旋門は、やっぱり勇壮でした。ベンツの中でも下らない話をしながら、空港へ到着。搭乗券の引き換えや、預け荷物の手続き等、全てガイドさんがお手伝いしてくれます。最後は手荷物検査場の前で、見えなくなるまで見送ってくれました。それを嬉しそうに私がSに「ほらっ、●●さんが見送ってくれてるで!」と言うと「ビジネスやろ?」と、Sはクールにバッサリ。そらそうやけど・・・と言葉につまりました。その後、手荷物検査はわりとスムーズに通過・・・と思っていたら突然「ピーッ!」と鳴り響くブザー。Sがひっかかっています(笑)体中くまなく、センサーで調べられているSを横目に私は通過。目の前にある台の上にカバンをおいて、今出した荷物を片付けようとしたところ目の前のフランス人のお兄さんに、「ボンジュール!」と言われ条件反射的に「ボンジュール!」と返しました。ところが何か様子が変。お兄さんは、私の次の行動を待っている雰囲気。ん?と思っていると、調べられ終えたSが隣で大声で言いました。「あんた!何か機内に持ち込む刃物でもあったんか!?」目の前には、カゴに入ったてんこ盛りのハサミたち。その瞬間に、自分が間違って何らかの手続きをするカウンターの台を使っていることに気づき半ばパニック状態で、フランス人のお兄さんに「間違えてん!間違えてん!!」と、思わず日本語で口走り、ちゃうちゃうと手をふりながら、走り去りました^^;その後、免税店のお土産をみます。ゲラントの塩を見つけたので、1つ購入。その後、店の中にいた韓国人(であろう)のおじいさんのスーツケースにつまづいてバターンッ!と大きな音を立てて転びました。Sは、誰かが大きなお土産を落としたのかと思い振り返ると、見覚えのあるサンダルが変な角度で見えた、と証言していました。時間はお昼の12時になり、お昼を軽く食べようと、お店へ。あったかい出来立てのピザがあったので、買うことに。所持金がこの時点で5,30ユーロだったので5,40ユーロのピザが買えず、カードでお支払い(笑)そこで、ふとレジ横を見ると、世界の通貨とユーロの表がありました。5,651ユーロ=1000円・・・・・・・・!!!何これ!買える間際になって、改めてビビリました^^;今まさに買おうとしているピザ(角度45度くらいの切れ端)は5,40ユーロ。何このピザ!高っ!ですが、他のものはもっと高いので、仕方なしにそのままお買い上げ。その後、「トイレに行く」と言ったS。トイレに入ったものの、すぐさま出てきます。「あれ?トイレは?」と聞くと「男性用やった!入ったら中のお兄ちゃんびっくりしとった!」と大きな声で話します。ビックリして出てくる時に丁度すれ違いざまに入ろうとしていた、外国人の男性に日本語で「女性用、アッチ」と、教えてもらったそうな(笑)搭乗待ちの時、浴衣を来た4,5歳くらいの金髪の女の子がいました。めちゃめちゃ可愛い!どうやら日本旅行にご家族で行くようです。たまたまSの席の後ろに、その子が座りました。旅行に行くからか、はたまた子どもだからかずっとテンションが高かったようでSのシートをずっとボコボコ蹴っていたようです(笑)ある時ふと静かになったな、と思ったらどうやらおねむだったらしく、おとなしく寝ています。だけど、またある瞬間からボコボコ蹴っていました(笑)起きたようです。朝ごはんが届いたら「あさごはんー!きたー!」とフランス語で嬉しそうに叫びました。可愛すぎます(>
2007.08.16
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ルーブル美術館を出た私たちは、おみやげ物屋さんへ移動。地下にあるんです。そこでウワサの「ナポレオンシール」を発見☆こんなん出すんやぁ!と、新鮮な驚きでした。まあ当然っちゃ当然かもしれませんが。でも、日本で「源頼朝シール」とか「徳川家康シール」とかってあります?(笑)絵葉書もいっぱいあって、さっき大興奮だった種まき人のも発見!即買いでした。その後、カルーセル・ド・ルーブルの色んなお店を物色しつつ、5時半過ぎまで休憩してさあいざ夕食へ。この日の夕食は、カルーセル・ド・ルーブルの2階にある、サロン・ド・テへ行く事に。入り口にメニューがおいてあります。15時~19時までのセットメニューが書いてありパンプキンスープとかが書いてあったので「スープ飲みたーい!」とウキウキしながら嬉しくなって入ってみました。ところが。店内で渡されたメニューを見ると、パンプキンスープどころかセットメニューがありません。おかしいなぁと思って、お姉さんに聞くと「15時までしかやってない」とのこと。じゃあ、店の前にあんなメニューを置かないで欲しかった。仕方がないので、アラカルトメニューで頼む事に。シャンピニオンサラダというのがあったので「サラダ食べたい」と2人で大皿を頼みメインメニューは2種類しかなかったので私は鶏、Sは牛と、それぞれが別々の物を注文。飲み物は水をボトルで頼みました。ほんの少しの時間の後、水とシャンピニオンサラダがやってきました。・・・シャンピニオン「サラダ」?トマトソ-スまみれのキノコが、ゴロゴロと山盛り転がっている大皿がやってきました。視覚から、食欲が失せていくのが分かります。とりあえず食べてみました。・・・・・・・・・・・・酸っぱ!!何この酸っぱさ!舌がピリピリシュワシュワします。おかしいと思ってもう一口。やっぱりピリピリシュワシュワします。水を飲んでみます。ボトルの銘柄の水と違う味がします。とりあえず、シャンピニオンサラダは置いておいて・・・と思っていたらメインディッシュがやってきました。「これも酸っぱかったらどーする??」と、半ば冗談を言いながら食べだすと・・・・・・酸っぱ!!何この酸っぱさ!米にツナ缶混ぜ込んで、どーしてこんなに酸っぱくなるのさ!?(*上の写真の向かって左奥の塊)隣のきゅうりのサラダを食べてみます。(*上の写真の向かって右奥の塊)・・・・・・酸っぱ!!何この酸っぱさ!もはや発酵しているとしか思えないほどのピリピリシュワシュワ感です。鶏を食べてみます。・・・・・・酸っぱくはないけど、バッサバサです(涙)何なんだよフランス。美食の国じゃなかったのかフランス。ちなみにSの皿です。冷た~いレアの牛肉です。周りをパイ生地で囲んでいます。とにかく酸っぱく、例外なく全てが冷たかった料理たち。日本語が通じないことを良いことに、食べるごとにずっと「酸っぱい!」「冷たい!」と言っていました。しかも、店のお姉さんは、客がいるというのに閉店準備を始めます。トイレの掃除に行き、私たちの隣の椅子をテーブルに上げます。途中でだんだん気分が悪くなってきて、半分以上残して食事終了。お姉さんが片付けにきて、フランス語で聞きました。「美味しかった?^^」・・・・・・!!言葉にならない言葉を飲み込み、笑顔で答えました。「ウィ。メルシー・・・だけど、ちょっと多かった」気弱な日本人。精一杯の反応でした。この食事中、「日本に帰ったら関空であったか~いダシの料理を食べにいこう!」と固く決意した私たち。もう翌日には帰るのに、このフランス旅行で美味しかったものといえば日本食の焼き鳥定食(ただしちょっとご飯が柔らかめ)と、キッシュのみだったなんて、と二人でショックを受けていました。あ、あの時はショックで忘れていましたが、ホテルのパンは美味しかったです(笑)最後のカルネを使って、シャルル・ド・ゴール・エトワールにメトロで帰還。二人で最後のメトロ車中で、「ジョルジュサンク・・・ジョルジュサンク」とアナウンスのモノマネを小さくしました。夜7時ごろにホテルへ到着。そして部屋でのんびり☆まだまだ外は明るかったけど、少し休みたかったんです。暗くなってからシャワーを浴びて(バスタブの栓恐怖症のため)、荷造りをしてゆっくり日記をしおりに書いてから寝ました。翌日はいよいよ帰国。5日目へ続く!
2007.08.16
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朝8:15起床。用意をしてから朝ごはんへ。この日は、前々からの予定とは変えて、ルーブル美術館へ行くことにしました。いつも赤いネガネと、ジーパン&モノプリグレーパーカーといういでたちだったのでだいぶイヤになっていました。ですが、この日も朝は寒かったのでパーカー必須。悔しかったので(何が?)、この旅行中初めてのコンタクトとマスカラをしました。最後から2枚目のカルネを改札に通します。そのとき、前を阻むバー(回して通過する)に、斜めがけのカバンの紐が絡まり外そうとしゃがんだ瞬間に、前にある盾のような部分に頭をぶつけました。痛かった・・・(涙) *バーを跳び越して通過されないように、大きな盾のようなものでカバーしてるんです。 (たぶんですけど)パレ・ロワイヤル -ミュゼ・ド・ルーブルの駅へ1号線で行く。かなりお世話になった1号線。フランス語が全くできないSも、「ジョルジュサンク・・・ジョルジュサンク!」と電車内のアナウンスのモノマネが出来るようになるまで乗りました。(ただし、発音できるのは最寄り駅の隣の駅のみ(笑))そして駅へ到着。地下から美術館は直結していて、スムーズに移動することが出来ます。そちら側からいくと、地上にある有名なピラミッドを見ることは出来ないのですが下にある逆さピラミッドを見ることができます。又、カルーセル・ド・ルーブルという、ショッピングモールを通る事が出来ます。行きたかったのですが、とりあえずそこは後まわしにして、美術館へ。手荷物検査を受けて中へ入り、チケットを買います。まずはルーブルの歴史。ガイドブックを買わなかったので、なんとなーく推測しながら見ていくとシャルル5世の頃のルーブルを描いた絵を発見。お城の周りが畑になっていて種をまく人と馬にのってムチをふるう人が描かれているのですがなんとも言えないやる気のない表情が、妙に気に入ってしまい思わず絵の前で、種まき人のモノマネをしてしまいます。それが激似だったらしく、Sが大爆笑!「ルーブルまで来てこれかよ!」とかいいつつ、笑いは止まりません^^;時間も無いくせに、その絵の前で随分時間を費やしました(笑)その後、Sが持っていた旅行本の「基本コース」を頼りに移動。有名な絵がありすぎて圧倒されます。モナリザの前はすごい人だかり。みんな写真を一生懸命撮ります。サモトラケのニケ前も人でごった返しています。私たちが一番気に入ったのは、ダヴィッドのナポレオンの戴冠式の絵。昔から好きな1枚でしたが、まさかあんなに大きな絵だとは。絵に吸い込まれたような感覚で、目の前のソファに座り「どこからどう鑑賞したらいいんか分からんなぁ・・・」とため息のように話し、しばし無言で鑑賞。その後、3階へ行ってフェルメール等を観た後2階の「カフェ・リシュリュー」へ。そこでメニューを見ると「今日のキッシュ」なるものがある様子。「今日のキッシュって何やろう?」「わからん。聞いてみよか」「シーフードやったらイヤやなぁ。そしたらどうしよ」等々会話をし、お兄さんが来たので聞いてみることに。S:「今日のキッシュって何?」 係:「キッシュ・ロレーヌ!^^」S:「シーフードキッシュ?」係:「??・・・キッシュ・ロレーヌ!」そもそも、「キッシュ・ロレーヌ」が何たるかが分かっていない私たち。それ以上聞き込む語学力もなかったので、力なく「2つ」と言い飲み物も注文。Sはカフェ・クレーム。私はセイロンティー。ようやくミルクティーにありつけました♪ティーバッグだったのですが、ミルクはたっぷりついてきて大満足!日本では喫茶店でミルクティーを頼むと足りないので、いつもお代わりするのですが今回は、余るほど入っていました。この点はすごく良かったです^^キッシュ・ロレーヌは、ハムとほうれん草が入ったキッシュでした。それがこちら☆「たぶんうちらが聞いたのって、日本で言うたら 『うどんって何ですか?』レベルやったんかなぁ?」「『だからキッシュ・ロレーヌだってば』って感じやったもんなぁ。 常識的なメニューなんやろうなぁ、きっと」「『だからうどんはうどんやんか!』みたいな感じやったんやろうなぁ・・・」お兄さんもさぞ困ったことでしょう。噂のキッシュ・ロレーヌはめちゃめちゃ美味!初めて「フランス美食の国」を体感した瞬間でした☆ふわふわしていて、あったかくて、ちょっと甘い。夢中で食べました。そして初めて「お会計お願いします」とフランス語で言いました。手持ちのお金が危なかったので、カードでお支払い。今回の旅行前に、たまたまカードを作っていたのですが、大活躍でした。(ちなみに払い初めはモン・サン・ミッシェルのツアー代金)その後、ナポレオン3世の居室を廻り、あまりの華麗さに圧倒されます。どこを見てもフランス!という中に、ナポレオン3世のコレクションが飾ってある所を発見。日本の印籠がいくつも置いてあって、面白かったです。それから3階へ戻ってみていなかった絵を見て、ハンムラビ法典を目指して降りていきます。ですが、何度も何度も迷って、彫刻がたくさんおいてある2つの中庭を行ったりきたり・・・その中に、めちゃめちゃ眠そうな男の人の彫刻を発見(笑)「もう眠いって!」「お前今何時や思てんねん・・・」「何で今頃電話してくんねん・・・」「寝かしてくれやぁ・・・」等々、彼の心の中を推測し、2人で代弁しておきました(笑)ところが、実はこの時、私は絵に酔っていたのです。あまりの絵の多さに、気分が悪くなっていて一刻も早くルーブルを去りたい気になっていました。どれもこれもすごい絵なので、主張してくるんです。「観て観て!」って。で、消化しきれない状態になっていて。まさか「絵に酔う」という経験をするとは思っていませんでした。ふらふらのままハンムラビ法典へ行き、現物を見た後は一旦休憩。心残りはあの種まき人だけです(笑)なのでもう一度、あの絵の前に戻って鑑賞。どんだけこの絵好きやねん!と、二人で大笑いしながら観ました。まだまだ終わらないので、次へ続く!
2007.08.16
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パリに帰って、モノプリへ。8:45入店です。ところが、近くにいた日本人の人が「今日は土曜日だから9時に閉まるんですって!」と言っているではないですか!明日は日曜日。モノプリはお休みです。慌ててダッシュで1階でお土産の紅茶を買い、残り5分を残して2階の雑貨コーナーへ。部屋の隅で、店員さんが時計を指して「時間ないよ!」と、苦笑しながら言っています。私たちは大慌てで1つずつ選び、購入。それがこちら・・・まずは私が選んだ1,50ユーロの色鉛筆。タイトルは「カントリー」(笑)しかも下の赤いラベルの所には、よく分からない宇宙人みたいな絵が描いています。そしてこちら。Sが選んだ「ハイライター」と書いた、5本セットのペン。その内の1本です。全てこんなモンスターの絵が描いてあります。なんでヨダレたらしてんねん(笑)この時点で、私たちの中には何故か「2ユーロ以下」という境界線が出来上がっており二人ともそれはクリアしていました。ですが・・・人間、パニックの内に買い物すると、何を買うか分かりませんね(^_^;)大笑いの内にホテルへ帰り、今日は外でご飯を、と着替えを済ませて、シャンゼリゼにある超有名カフェへと出かけました。カフェだから安いだろうと、高をくくっていたのですが・・・良い雰囲気の入り口へ入ると、白いパリッとした格好のお兄さんがいます。グレーのスーツの紳士が、私たちに近づいてきて「~~~~~~~~~~~~~ディナ?」と聞くので、迷わず元気に「ディナ!」と答えると通りに面した席へと案内してくれました。毎日日替わりで、食費を払っていた私たち。この日はSの支払い日でした。メニューを開いて中を見ると・・・高っ!あまりの高さにびっくりです。水を頼もうと思って見てみると、水も高い。というわけで、コースの中のメイン料理一皿(一番安いチキン(笑))と飲み物をそれぞれ頼むことに。お兄さんが注文をとりにきてくれました。カタコトのフランス語で注文してみます。「ジュ・ド・ポンプルムース!(グレープフルーツジュース!)」お兄さんが怪訝そうな顔をし、「ポンプルムース?」と聞き返したのでにっこり笑って「ウィ!ポンプルムース!」と言い私だけ、という意味で「アン!(1つ)」と付け加えます。Sが「カナダドラ~イ」と、妙な発音で注文。そして飲み物が届いた瞬間、両隣のテーブルの動きが止まりこちらをじっと見つめられました。「非常識な注文の仕方やったんかなぁ?」「めっちゃ見られてるやん」「うわっ、日本人やとか言ってる~」「しまったなぁ・・・」二人して口々に言いながら料理を待っていると、届きました。鶏の丸焼きが2匹、ドンッと乗ったお皿が!しかもてんこ盛りのフライドポテトにパンもついて「テーブルの上、まっ茶色やがな!」Sが小さく悲鳴をあげます。私たちは一生懸命、てんこ盛りのポテトと丸焼きの鶏を平らげます。その間も、周囲の注目を浴び続けます。右隣の老夫婦も、左隣のお姉ちゃんたちも、コースをペロリと平らげた様子。お姉ちゃんは丁度デザートに入っていたのですがアイスが5つくらい乗っかったお皿の上に、まだバナナが丸ごと1本乗っているのを美味しそうに食べています。「何やねん、この量・・・(-_-;)」若干うんざりしながらも、頑張って食べました。チップ込みで、Sは60ユーロのお支払い。シャンゼリゼ通りに出てから、一体いくら払ったんやろうと計算してみると何と9000円越え!!「一人4500円越えなんて小粋な会席フルコースで食べれるやんか!!」シャンゼリゼでSが叫びます。そんなまっ茶色な夕食(グレープフルーツジュースが彩りを添えました(笑))を終えホテルへ戻り、お風呂に入ります。まずは私。昨日までと同じく、先に体を洗ってから栓を差し込み、湯船につかります。さてそろそろ出ようか、という段になり、風呂の栓に手をかけると・・・ぬ、抜けないッ!しばし格闘するのですが、全くびくとも動きません(涙)昨日まではちゃんと問題なく抜けたのに・・・泣きそうになりながらSに助けを求めます。彼女は私のハサミやらピンセットやらを使って、栓と格闘してくれたのですがやっぱり抜けません。「もうしゃーないねんから、ツアー会社の緊急対応コールに電話しぃ!」と、Sが言ってくれたので、私の携帯で電話をすることに。電話に出てくれた、キビキビした感じの男性に「風呂の栓が抜けない。ロビーの人に自分で伝えられる自信が無い。 どうしたら良いか」ということを相談したら「では、私がロビーの人間と話すので、ロビーに着いたらまた電話を下さい」と言ってくれました。ですが、ロビーを目指したものの、廊下のエレベーターが何故か動きません。階段も見当たりません。部屋に戻ってロビーに電話をしても通じません。誰も出ません。泣きそうになりながら、またまたツアーデスクに電話をすると「じゃあ、私からホテルへ電話をします」と言ってくれました。しばらくすると、ドンドンドンドンッ!とノックの音が!扉を開けると、朝、ランチボックスの件でもめたあのロマンスグレーのおじ様が入ってきました。「ノー・プロブレム!OK!ノー・プロブレム!」と言いながら足早に歩き自信満々の笑みを浮かべて、手にはペンチを持っています。彼が来て30秒後、スポーンと栓は抜けました。丁度抜けた頃、部屋の電話がかかってきました。どうやらロビーからで、「何か電話した?」という内容だったよう(笑)Sが一生懸命「トラブル イズ フィニッシュ。 トラブル イズ フィニッシュ」とカタコト英語で伝えようとするものの、全く伝わりません^^;その頃、お助けマン(おじ様のこと)は笑顔で「オールライト!ハブ ア グッド ナイト!」と言い残しサッと立ち去りました。私はこれ以上感情を込めようがないくらい込めて「メルシー!メルシーボク!」と叫びました。まるで映画のワンシーンのようです。その頃Sとロビーの電話の主は、まだ会話中(笑)お助けマンがロビーに戻ったことで、問題が解決したことを知った電話の主は「OK。彼が戻ったよ。」と言って、電話を切ったそうです。その後、Sはようやくシャワーを浴びる事が出来(もう栓は入れませんでした(笑))私は明日の朝、お助けマンに会った時のために、お礼の英文を考え1時前にようやく眠ることが出来ました。はー・・・波乱万丈な一日でした。4日目に続く!
2007.08.16
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長いようで短かったバス移動を終え、無事にモン・サン・ミッシェルに到着♪バスを降りたら、おばちゃんの赤いハンカチのついた棒(ハタキ)を目印に進みます。バスの中でおばちゃんは、はぐれた時のことをしきりに話すのでものすっごい不安になっていました。私はずーっと彼女の後をぴったり、はぐれないように歩き回りました。門をくぐり、評判のプーラおばさんのオムレツの店を通り過ぎ、クッキーを試食し本日のお昼ご飯の場所、「オーベルジュ・サンピエール」にたどり着きました。余談ですが、「オーベルジュ・サンピエール」を紹介するおばちゃんのモノマネ、Sはめちゃくちゃ上手でした。「よろしいですかっ!? オーベルジュッ・サンピエ~ルッ!オーベルジュッ・サンピエ~ルッ!」モノマネをするSの声が、耳について離れません(笑)2階へ上り、お昼ご飯。名物のシードルがついています。メニューは・生ハムとサラダの前菜、・白身魚の料理にゆでたジャガイモとラタトゥイユの乗ったプレート・アップルパイこの3種でした。白身魚の上に乗っていた緑の彩りは、Sはパセリ、私はネギでした。何故?食べ終わったら、ハタキを目印に皆で移動。混んでいるので裏道からいきました。さすがおばちゃん。熟知しています。最上階にたどり着くと、「ここで写真タ~イムッ!」とおばちゃんが明るく宣言したので、しばし写真を撮ります。もうすぐ、元の干潟の景観に戻るこの景色。見納めです。次来るときは、完全な干潟になってから来たいなぁ。この後、上からだんだん下りながら見学。はぐれないように、おばちゃんにぴったりくっつく形で進みます。移動しますよ、というおばちゃんの言葉にも無意識に無言で、しかも真剣にうなずきます。赤いハタキが神々しい。そんな私を見てSは、「めっちゃ恥ずかしかった」と後で語っていました。下まで降りたら自由時間。なのに不安だったので、出口の付近までずっと、おばちゃんと行動していました。プーラおばさんのお店でようやく、ガイドのおばちゃんと別れお土産を購入。おばちゃん曰く、「2つ買うともう1つ付いてくる」プーラおばさんのクッキーを買い(単に3缶を2缶の値段で買えるだけ(笑) Sが「1セット買うと布団がついてくる、通販の布団圧縮袋か!」とつっこんでました)頼まれていた大天使ミカエルの絵葉書を探します。このミカエル、だいぶ荒い大天使様でこの聖堂をこの地に建てろと、司教オベールの夢で2度も言ったのにオベールは夢を信じずに、聖堂を建ててくれなかったので怒ったミカエルが、自分の親指をオベールの頭に突っ込んで(めり込ませて)「即行建てろ」と言ったそうな。かなりやること荒いやろう、とSと二人で語り合いました。かなり怖い大天使ミカエルの絵葉書を見つけ、0,40ユーロでお買い上げ。その後、Sはトイレに行ったのですが、0,40ユーロかかったそうです。同じ金額で、私は絵葉書を買い、Sは用を足しました。帰りのバスに乗り込んだら、やっぱり疲れてほとんど寝ていました。夜8:40ごろ、パリに到着。「渋滞にもあまり巻き込まれず、皆さんもご集合等大変スムーズで 素晴らしい出来栄えです!ほんとに素晴らしいッ!!」と、おばちゃんはやり切った感で満ちあふれ、輝いていました。その後、モノプリへお買い物へ。そしてそこから、次々と事件が起こったのです・・・次へ続く!
2007.08.16
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朝6時起床。この日はモン・サン・ミッシェルへのバスツアーに参加する日でした。初日に日本人のガイドさんから、ホテルのロビーで旅行の説明を受けた時「3日目のモン・サン・ミッシェルの日は、ホテルの朝食の準備が間に合いません。 部屋に行っても用意されていないので、ロビーに6時45分までに来てください。 朝ごはんのパン等を、ランチボックスのようにして用意してくれているはずです。 既にそれは伝えているので、彼らはわかっているはずです。」といわれました。初日のロビーの人にも、大丈夫だよ的な反応をされたので、安心していました。次の日、ロビー担当の人が変わっていたのですが、朝ここに来てねといわれていたので大丈夫と安心していました。ロマンスグレーのおじ様でした。ふむ、と思って当日。階下へ降り、ロビーのロマンスグレーのおじ様に挨拶。私たち:「ボンジュール!」おじ様:「ボンジュール!」私たち:「・・・・・・・」おじ様:「・・・チェックアウト?」私たち:「NON!」慌てて「ランチボックス!ランチボックス!」と言ってみたのですが「何それ」という対応。ガイドさんに、用意してもらってるって言われてるんですけど、という事すらとっさのことで、英語で説明できません^^;一生懸命、「朝ごはん・・・プティデジュネ・・・」と日本語フランス語交じりで言うのですがもちろんおじ様には通じません(笑)「何?朝ごはんを箱に入れて持っていきたいの?」数分間格闘して、ようやくある程度意図が通じたのですが「そんなサービスはしていないよ?」の一点張り。しかもその後。おじ様:「バスは何時にここに来るの?」私たち:「チュイルリー!ここじゃない」おじ様:「え?バスはここに来ないの?」私たち:「ウィ」おじ様:「何時にチュイルリー?」私たち:「7:15」おじ様:「もう時間がないじゃないか!」私たち:「ウィ。でもランチボックス」おじ様:「残念ながらそんなサービスはしてないんだよ・・・てか何?」私たち:「・・・・・・」おじ様:「・・・もしかしてチュイルリーの場所が分からない?(おもむろに地図を出す)」私たち:「知ってる!」まるで漫才のように押し問答を繰り返した後、もう時間がなくなったのでもうええわいという風に、フランス語で「さよなら」と言って、2人でホテルを出ました。「もー・・・チュイルリー昨日行ったし!場所とか知ってるし!」と二人で怒りながら、メトロに乗りました。車内では酔っ払いのおっちゃんが、車中の女性みんなに握手してご挨拶。私たちとももれなく握手(笑)十字を切ってお祈りまでしてくれました^^;チュイルリー駅から上がって、金のジャンヌ・ダルク像を左折。ツアーの事務所で手続きを済ませ、マクドナルドを探しました。フランスのマクドナルドは、ものすごい外観がおしゃれ。街の景観を損ねないように、カフェのようになっています。マクドなら開いてるやろ、と探すのですが、付近には見当たりません。仕方なくすきっ腹のままバスへ乗り込みました。バスの中にはガイドさん。赤いコート、赤い靴。そして赤いハンカチをさして、ハタキのようにした棒を持っています。片道4時間半ほどかかるのですが、彼女はほとんど喋りっぱなし!しかもキャラが濃い(笑)2時間ほど高速を走ったところのSAで休憩。「バスから走っていかないと、トイレで度肝を抜かれる行列に出くわしますよぉ~!」とガイドのおばちゃんに元気よく宣言されたので速攻でバスを降り、ダッシュでトイレへ。そのおかげで、普通の行列に並ぶことができました^^;そしてその後ようやく朝ごはん。トマトサラダのサンドイッチと、ダノンの桃のヨーグルト。そして水。すっごい美味しかったです(涙)その後の車中は、ほぼ寝ていました。しかしおばちゃんは喋り続けていました。ふと目が覚めると、おばちゃんが元気に喋っています。「・・・て、彼らの間には男の子が生まれ、ギュームと名づけました!」・・・・・・・ギョーム・・・・また寝ました。目が覚めました。「そろそろ牛が見えてきましたね! あそこに居る茶色の牛は乳~牛~。 黒と白のまだら模様も乳~牛~」この「乳~牛~」と、そこだけトーンを下げて強調するフレーズ。何故か、この日の私たちのキーフレーズとなりました(笑)そうこうしている内に、モン・サン・ミッシェルが見え出します。続きはまた長いので次へ続く!
2007.08.16
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ラデュレの後、シャンゼリゼのモノプリでお水を買ってそのままメトロに乗ってシャイヨー宮へ。エッフェル塔の絶景スポット、とガイドブックにあったのですがまさにその通り!しばらくその素晴らしい景色を堪能します。お土産をその場で売っている人がたくさんいるのですが私は誰とも目があいません。メトロに乗った時、楽器を持って突然乗ってきて、演奏を始めた人が二人いて演奏後に「お金を入れて」と箱を持ってまわっていたのですがその人も私を素通りで、Sの方へ。Sは始終「NO!」と言っていました。なんでかなーとか思いつつ、エッフェル塔へ。ふもとのチケット売り場にはすごい行列。「ここから30分かかりますよ!」という看板よりも、もっと並んでいます。褐色の肌の女の子の団体がいます。制服っぽい服をきて歌を歌って盛り上がっていました。楽しそう☆私たちは、「せっかく来たんだし最上階まで上ろう」と並びだしました。すると、目の前にはかなりの年の差カップル。しぶーいおじ様と、ミニスカートの足の長ーい美人さん。ものすっごいイチャイチャしています(笑)ちゅぅちゅぅキスして鼻をつけて、おじ様の手はほぼずっと女性の腰かお尻^^;私たちは言葉が通じないことをいいことに「さすがフランスやなぁ」とか「どういう関係なんかなぁ」とか好き勝手に言っていました。(いや、本当はもっと「好き勝手」言ってましたよ(ニヤッ))3,40分並んで、ようやくチケット売り場。さっきのおじ様が「トワ エ モア」と言って女性の分と2枚チケットを買った後、ようやく私たちの番。チケットを買った後、お釣りを0,10ユーロもらいそこねていたらしく「マドモアゼルッ!!」と、チケット売り場の女性に呼び止められました。あぶねー。そこからまた行列。今度はエレベーターに乗るためです。ようやく順番が来て、またまた年の差カップルの後にSがチケットを出します。実は、このカップルはとても背が高く、自分たちの順番の目印に使わせて頂きました(笑)そして私。係のお兄さんにチケットを「はい」という雰囲気で渡したところお兄さんが突然、チケットではなく私の手をギュッと握ったのです!「えっ!?」とびっくりして思わず言うと冗談だよー、という感じでニヤッと笑って手をはなしてチケットの処理をしてくれました^^;明らかに小学生とかにやるような出来事だったので「これは絶対こどもやと思われてる・・・」と思いました。そう考えると、物売りの人もお金を入れる箱を持ってまわってくる人も朝のメトロで、おじさんのひざに乗って笑われたときに周りにいた人もおじさんも私が子どもに見えたなら、あの反応は納得がいきます(笑)子どもだからお金持ってないし子どもだからメトロでよたって知らない人のひざに乗ってもニコニコ暖かく笑って済ませてくれたのです^^;色々考えつつエレベーターでまずは1階へ。(地上が0階)さっきの年の差カップルが、やっぱりイチャイチャしながら降りていきました。2階でエレベーターを乗り換えます。そして今度は3階へ行くためのエレベーターに乗るための行列。そしてまたまた目の前にはカップル(笑)次のカップルは、旅行中のカップルでした。並んでいる最中、「写真を撮ってほしい」といわれ「セイ チーズ!」と言いながら、ナチュラルに写真を撮ることが出来ました☆ところがこのカップル。せっかく30分ほど寒くて暗い2階でずっと並んでいたのに実はチケットを2階までの分しか持っていなかったらしくエレベーターの直前で係の人に止められてトップまで行くことなく、そのまま帰っていきました。3階(トップ)に行くエレベーターの中は、とても綺麗。ちょうど日が沈み、ライトアップされた直後(9時半過ぎ)だったので中は白熱灯のオレンジの光で照らされ、そこをエレベーターで昇っていきました。パリの街並みの明かりが、そのオレンジ色の光の向こう側でキラキラ輝きます。上の部屋に到着すると、すごい高さ!しかも各都市への距離が、壁のパネルに載っています。日本は東京と横浜が載せられていました。何故横浜なのでしょう?その後、2階のお土産屋さんでお買い物。たくさん買い物をして、所持金が怪しくなってきました^^;下まで降りて写真を撮っていたら、お土産売りの人が来て何か言い出したのですがそれを全部言わせぬ内に「NON!」と、さえぎって拒否(笑)そのとき撮っていた写真はこちら☆帰りはタクシーで帰ったのですが、自動で扉は開きませんでした。どうして開けてくれないのかなー、と思ったのですがどうやら自分で開けるタイプだったようです。ホテルに帰ると11時前。マカロンを食べてお風呂に入って寝ました。3日目へ続く!
2007.08.16
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オペラ・ガルニエに到着。入場チケットを買って、中へと進むとそこは「絢爛豪華」という言葉を、そのまま体現した世界でした。ウワサの天井画が素晴らしく、綺麗に写真には出なかったのですがあざやかな色彩が、ホールを彩っていました。また内部の装飾もシックな色合いなのですが、それがまたリッチ感たっぷり。天井画のあざやかさを引き立てています。オペラ・ガルニエを出て、そのまま昼食へ。昨夜からずっとお箸が恋しかった私は、元気なくとぼとぼ歩きます。そんな私を見て、必死に日本食レストランを探してくれるS。高島屋のデスクを見つけ、そこの日本人のお姉さんに、日本食レストランが載った地図をもらいます。そして近くの日本食レストランを探し当て二人でそこへ入りました。すると「いらっしゃい!おおきに!」と陽気なアラブ系のおっちゃんが出迎えてくれました。わりと流暢に日本語を話します。カウンターの奥には日本人の板さん。表のことを、このアラブ系のおっちゃんがやっているようです。ところがこのおっちゃん。慌てすぎで面白い(笑)隣のテーブルの片付けの時に、刺し身醤油をこぼしてしまいテーブルを台拭きで拭くのはいいのですが同じ台拭きで床まで拭いてしまい、おやっさんに怒られお客さんに渡すお釣りを間違えて、おやっさんに怒られ小鉢のサラダを台の上でひっくり返ししかもそれをこっそり同じ小鉢に戻し、(たぶん)Sに出していました。あまりの面白さに、ずーっと観察していました。旅行2日目にして、早々に日本食を食べるなんて・・・と思いましたが頼んだ焼き鳥定食が、とても美味しくて感激☆ちょっとご飯が柔らかすぎたのですが、それも気になりません。食べる前はあんなに元気がなかった私が、みるみる内に元気いっぱいになって店を出た後は、サクサク歩き出す私を見て「単純すぎてメチャむかつく・・・(-_- )」と、Sが後ろで怒っていました^^;ご飯を食べた後、近くのボンボンウォッチという時計屋さんへ。店内に入ると、日本人の女性が立っていました。ガラスケースに並んだ時計を物色していると「見ていても分からないわよッ!こっちにきて着けてみるといいわッ!」と、ものすごい迫力と早口で言われ、彼女の言うとおり、腕に実際に着けてみることに。「何色が好きなの?白?」と、彼女は次々と「これは何ユーロ、これは何ユーロ・・・」と棚の中から同じ色の違うデザインの時計を出していきます。Sは白とベージュの時計を色々と両腕に巻きつけられ「こっちとこっちならどっちが好きっ?」と聞かれ、「こっち」と答えると、気に入らなかった方を外し、違うのを着けるという作業を数本繰り返されていきました。その作業のおかげで、およそ5分で時計決定☆ものすごいスピードと迫力でした(笑)私も2分で決定です。ビックリでした。その後も女性は、「特別にこの大きな袋をあげるわ!」とオレンジの布のカバンをくれ「フランス人はね、このカバンを持ってみーんな海水浴に行くのよッ!」と教えてくれました。ほんまかいな(笑)この女性の迫力に圧倒されたまま、大笑いしつつオランジュリー美術館へ戻ります。その間も、お腹が満たされた私はハイなまま、それに疲れたSは無口に移動。オランジュリー美術館では、ミュージアム・パスを見せて、列に並ばず入場。モネの睡蓮、素晴らしかったです。今まで絵葉書でしか見ていなかったので、晩年の作品はあまり好きではなかったのですが実際に現物を目の前にすると、感じ方って変わりますね。モヤモヤっとした、晩年の作品の方が好きでした。改築された部屋で、モネの希望通り飾られる睡蓮たち。ソファに座ってみていると、本当に庭にいるかのようです。その後、上に外に出た所でSから前に旅行した箱根で撮った、私の衝撃写真を見せられ、ダメージを受けます^^;それと同時に、さっきのボンボンウォッチの女性とかぶるすっごいキャラクターの箱根のお店の女性を思い出し二人で美術館から出てずっと、その女性2人のモノマネをしながら歩き続けました(笑)オランジュリーの後は、サンジェルマン・デ・プレへ。お目当ての「シャンテ・リーブル」という絵本屋さんがあったのですが夏休みでしまっていたため、とりあえずカフェへ入ることに。紅茶を頼んだのですが、ホテルにおいてあるティーバッグと同じものが出てきそれで、一人3,90ユーロもかかって大ショック。一旦ホテルに戻って、シャンゼリゼのラデュレへ。マカロンで有名なこのお店、なかなかシックな雰囲気で素敵。「マカロン12個下さい」とフランス語でお姉さんに言うとお店のお姉さんが、「○○味は?」と一つずつ聞いてくれてそれに対して「ウィ!」と答えて、色んな味で12個入れてもらいました♪レジ前でも、アプリコットのコンフィチュールの瓶を触りながら「これも下さい」とフランス語で言い、無事に通じて購入することが出来ました^^言葉が通じるって、こんなに嬉しいことだったんですね。対してSは、店員さんから若干バカにされた様子だったらしくエッフェル塔へ移動する最中、ずっと怒っていました。まだまだ途中ですが、長いので後編へ続く!
2007.08.15
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7時に起床。朝食を食べに、地下の部屋へと移動します。ホテルのエレベーターには、何故か「閉める」のボタンが無く毎回、扉が閉まるまで、手持ち無沙汰な感じで気まずく過ごしました(笑)地下の朝食の部屋は、こじんまりしたお部屋。明るい木目の壁に、ブルーの絨毯。テーブルコーデは、白い食器にブルーの紙ナフキン。綺麗にまとまっています。白人のカップルに、アラブ系のおじさん。そして私たちが椅子に座り黒人のお姉さんが制服を着て、パンを運んできてくれます。パンは3種。バゲットとクロワッサン、そしてチョコパン!パンはどれもかなり美味しかったのですが、このチョコパンが一番♪お気に入りでした。後は、ハムを自分でとったり、シリアルが準備してあったり・・・自分で横の棚へ取りにいきます。卵をゆでる機械も置いてあったのですが、イマイチ使い方が分からず結局最後まで使わずじまいでした。9時に一旦ホテルから出て、遊びにいこう!となったのですが・・・とにかく寒い!あまりの寒さに一旦戻り、寒さ対策をしてから再度出発となりました。キャミ、半そで、長袖カーデの上に、昨日買ったグレーのモノプリパーカーそしてジーパンをはいて、コットンウールマフラーを巻いてもまだ寒い!何なんだ、パリの8月。再度出発の後、昨日チェックしたエロキチ(キティちゃん)グッズのお店へ。カタコトの英語で「パリ限定のキティちゃんって置いてる?」と聞いてみるが「無いよ」と笑顔で言われ、仕方がないので、ストラップに付けられそうな小さなエロキチを買いました。2つ買ったら15,80ユーロ!5,651ユーロで1000円と、最終日に知って、大ショックでしたがこの時は、そんな感覚もないので「うん」と素直にお買い物(笑)しまったなー(>_
2007.08.15
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パリから帰って参りました!大方の予想通り、かなりの珍道中になりまして^^;毎日の様子を「旅のしおり」に書きなぐっています。それを元にこちらへ様子をアップしていきたいと思います。*******************************************************************1日目朝8時過ぎの電車で関西空港へ向かいました。待ち合わせ場所で待っていると、ものすごい目つきの悪い女が腰をかがめて近づいてくるのが見えます。Sでした(笑)機内で寝るために、二人して赤いメガネをかけていて「赤メガネコンビかよ・・・」と、Sが力なく呟きました。しかもスーツケースのタイトル(?)が”Jet Stream”と”Joy Carry”。「JJコンビや!」と、バカバカしくも大笑いしつつ、空港へと移動します。空港内へ入り、預け荷物をカウンターへ持っていきます。搭乗券を引き換えた時に、お姉さんから「Dカウンターへどうぞ」と言われていたので、二人して必死に移動。Dカウンターへ行くと、長蛇の列。おとなしく順番を待ちます。ところが、私たちのタグを見たのか、係のお姉さんが「こちらのカウンターではございません」と言い放ったのです。「え?Dカウンターって言われたんですけど・・・」Sが食い下がると「こちらはKLM(オランダ航空)です。あちらのDカウンターへどうぞ」Dカウンターが2箇所あったらしく危うく荷物だけがオランダへ飛んでしまうところでした^^;その後、正しい場所でエールフランスに荷物を預け、両替に。数ヶ所両替所を回り、一番すいていたところで両替。手荷物検査も受け、割と順調に進んでいたっぽいのですが海外旅行初めての私は、実は始終泣きそうになりながらSの後をひよこのようについて回っていました(笑)飛行機に乗り込み、離陸。私の隣はフランス人の男の子でした。後ろの列の3人と家族らしく、日本旅行の帰りでしょうか。機内でジュースを配りだしたので、りんごジュースをもらって隣のフランス人を真似て、ホルダーへコップを差し込みます。が、思いのほかハマりこんでいたらしく、取り出すときに大量に中身をぶちまけてしまいわりと大騒ぎになりました(-_-;)服がぬれて、つめたく腕にまとわりつきます。毛布がぬれて、りんごの香りがします。一人しばらくしょげ返っていました・・・そうこうしている内に、初・機内食。わりと美味しかったです。さっきのりんごジュースの二の舞にならぬよう、飲み物にはかなり気を使いました(笑)機内でモニターをいじって、色んな番組や音楽を試すもののどれもあまり気に入りません。というわけで、ずーっと航路のチャンネルと外の様子を映すチャンネルを交互に見ていたら「あんた、ほんま鉄で移動すんの好きなんやなぁ。マニアやろ!」と、Sから言われ以前からSの中であった「メアリー鉄ちゃん疑惑」を助長する結果となってしまいました。(注:私は鉄ちゃんではありません)色々と機内であったものの、無事にシャルル・ド・ゴール空港に到着。現地の係の日本人女性が迎えに来てくれていて、新婚旅行っぽいカップルと一緒に、車で移動することになりました。到着時の気温が17度!寒すぎてパーカーの上にカーディガンを羽織る、という妙な重ね着のまま移動します。飛行機の中で、旅行のためのフランス語会話の本を見ながら「建築に興味があるのですが」というフランス語のフレーズを全く興味が無いくせに、冗談で二人で練習していたのですが元々興味が無くっても、興味って出るもんですね!初めて生で見るヨーロッパの町並みは、重厚感にあふれていました。日本にある、ヨーロッパを模した町並みとは、全く違います。統一感が素晴らしく、歴史の重みと景観へのこだわり、そして誇りが感じられました。ホテルへ移動中、キティちゃんグッズを扱うお店を、ホテルの近くで発見☆私はキティちゃんファンではないのですが母・ヒラリーと、同僚の方の娘さんから、パリのキティグッズをお土産に頼まれていたのでしっかり場所をチェックして、そのまま車に揺られてホテルに向かいました。パリのキティちゃんは、表記は”Hello Kitty”とそのままなのですが発音がエロキチ!(笑)フランス語読みをすると、どうしてもそうなるのです。ですが大笑いでした。ホテルへ到着後、目の前を見ると横向きの凱旋門がドーンと立っています。ワグラム大通りというところの、「プラザ・エトワール」というホテルに泊まったのですがここがなかなか快適☆お部屋が可愛らしく、小さいながらも住み良い我が家、という雰囲気です。というわけで、こちらがお部屋♪バスタブ付きで、清潔な雰囲気の水まわり。唯一ある窓からは、パリの空と道をはさんだ向かいのプチホテルの建物が見えなかなか良い雰囲気。壁の上3分の1くらいから、壁が斜めになって天井に向かっています。最上階ではないのですが、屋根裏っぽい雰囲気で素敵。で、荷物を置いたら、探検がてらまずは買い物。あまりの寒さのため、上に羽織るものが欲しくてシャンゼリゼ通りにある「モノプリ(MONOPRIX)」というスーパーへ。こちらのスーパーは、わりと色んな所にちょこちょこ支店があります。旅行中、本当によく利用させて頂きましたm(__)mうちのホテルはシャンゼリゼ通りのすぐ近くで、よく通りを歩きました。シャンゼリゼはいつも、色んな人種、色んな国の人で、ごった返していました。だいぶ歩いた所に、ようやくモノプリを発見☆中に入ると1階には衣料品がたくさん置いてありました。でも高い!(涙)ただ、その時はあまりそれを感じませんでした。だって、ユーロの金銭感覚が出来てなかったんですもの。というわけで、27,90ユーロで、グレーのパーカーを3,20ユーロでせっけんをあわ立てるスポンジを買いました。(買い物したレシートは、全てしおりに貼り付けて保存しています(笑))その後地下へ降りていって、お惣菜を購入。買い物のシステムが全く違っていて訳もわからず突っ立っていた私に、レジ係のお姉さん(東洋系)は終始ムッとした表情で、ため息ばかりついていました^^;そんなこんなで買い物した、この日のメニューは、こーんな感じ。サラダとサンドイッチ2種。全部もれなくチーズが入っています。機内食からずっと、もれなくチーズが付いたり入ったりしているのであまりチーズが得意ではない私は、この時点でもう「おはしが恋しい・・・」と、若干泣きかけでした^^;順番にお風呂に入った後、打ち合わせをして終了~。2日目へ続く!
2007.08.15
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先日、友人Sから「資料届いたよ」と連絡があり昨日、最終打ち合わせと銘打ち、二人で夕飯を食べに行きました。ヘアカットの後、8時待ち合わせだったのでお腹がすきすぎていてお店に入るまで「オナカスイタ」「オナカスイタ」と小鳥のようにさえずる私に向かって、Sは「分かったから黙って。もう分かった」とイライラしながら諭すように言っていました。お腹がすくと、それしか考えられないんです。ごめんなさい^^;で、まずは腹ごしらえ。お腹がすいている私に、何を言っても無駄と彼女は知っているので重要な話は後回し(笑)Sはご飯を食べてきていたので、バナナシェイクを注文して飲んでいたのですが私の頼んだ和風きのこスパゲッティの香りに圧倒され「バナナシェイク飲んでるのに、醤油の臭いしかせーへん」と大笑いしていました。食べ終わったら打ち合わせ。Sの家に届いた資料を持ってきてくれていました。海外旅行が初めての私には、資料を見てもピンと来ないことが多くて今回も、資料を見ながらもずっと、機内での過ごし方について心配していました(笑)「機内はどーとでもなるっちゅーねん!」Sが何度も、私に向かって言ったこの言葉。印象に残りました。その後、LOFTに行こうかと足を運んだのですが9時過ぎだったのでアウト。お店はもう閉まっていました。色々と不安なことがたくさんありますが刻々とパリは近づいてきます。ドキドキです。でも楽しみです。平凡な言い回しですが、期待と不安でいっぱいです(笑)パリでしたいこと。お惣菜を買って食べるビストロに行くマカロンを食べるカフェで紅茶を飲むスーパーに行くツッコミポイントを探して写真をとる・・・いや、もちろん美術館とかも行きますよ。楽しみです。では荷造りに取り掛かります。
2007.08.04
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