忠武飛龍さん

>本当の意味で「己を知っている」ものが「人を知れる
>」のであって、人を知れないのは、自分を知っているつもりで、何も知らないのと同じなのでしょうかね。
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ソクラテスがアテネのデルフォウスの神殿で出会った「汝自身を知れ」という言葉から全ては始まるのでしょうね。 (2008.09.26 21:06:12)

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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2008.09.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ノアさんが「分かり合う」という事についてのコメントを入れてくださったので、今日はその事から書いていきます。

どうも日本人には「誠意を尽くして話し合えば分かり合える」という信仰があるようです。これは「精神一到何事か成らざらん」という言葉とも共通する考え方です。また、23日に寅さんがブログで書いていた以下の日本軍の考え方とも通じています。


「日本軍人たる者が必勝の信念を失って任務の達成ができると思うか…
戦争というものは、勝ち目があるからやる、ないからやめるというばかりではない…
勝利を信じて開戦を決断するのだ…
日本軍が必勝の信念を抱いて作戦すれば、必ずや勝利は我が手に帰する…
勝算の有無を問題にする前に、まず必勝の信念を抱け…
それが武人たるものの心がけだ…
ただいえることは、勝利はこれを信じるものが勝つ」


どうも日本人は「相手や状況に合わせる」という考え方が苦手なようです。子育てでも「子どもというものは厳しく育てればいいのだ」とか「褒めて育てればいいのだ」というように方法を固定して、それを信念として頑張っている人がいっぱいます。それは「抱っこ法」でも「シュタイナー教育」でも同じです。
何でもかんでもすぐに「信念」にしてしまうのです。そして、その信念が持てないと「自信がない」といいます。

そして、その信念で失敗してしまうと今度は「なんだっていいんだよ」「あれはだめだ」と正反対に方向転換してしまうのです。
「自由に育てたい」と放任育児をしていた人が、子どもが思い通りに育っていないのを見て今度は管理育児に切り替えるようなものです。

何でもいいことなんかないのです。それはただのデタラメです。でも、だからといって形が決まった正解もありません。そもそも自由に変化する相手に対して固定された形で対応しようとすること自体が間違っているのです。だから、戦争でも政治でも日本は独自的な戦略を取れないのです。いつでも自分の論理だけで動いて、その思考パターン、行動パターンが固定してしまっているので手玉に取りやすいのです。

昔から日本人は組織の中に組み込まれた生活をしていました。自分で役割を選ぶことは出来なくて、役割は与えられるものでした。そのような生活で求められることはただ言われた通りに働いて役割を果たすことだけです。そして、何か困難に出会った時でも、思考と行動の自由がないのですから精神論で乗り越えるしかなかったのでしょう。

中国で生まれた孫子の兵法に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」という言葉がありますが、日本人はこのように合理的に考えることが苦手なんです。いつでも自分の都合を優先した「ワンパターン」なんです。


そして、それで失敗すると簡単にひっくり返ってしまいます。昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいた人が、あっというまに「平和主義者」に変身するのです。

ただ、方法は固定しない方がいいのですが、理念は変えない方がいいです。「何のために」ということです。
平和のために、子どものために、という理念です。
方法を固定してしまうと押しつけになります。すると「平和のために」という目的を遂行するために戦争することになってしまいます。

「理念」を遂行するためならその方法は自由自在でいいのです。
でも、問題は「方法」は持っていても、そのしっかりとした「理念」を持っていない人が多いのです。





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Last updated  2008.09.26 07:36:48
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加持祈祷。  
忠武飛龍  さん
密教{真言密教ですが}での加持祈祷は、こちらが、神仏に近づくことと感応して、神仏がこちらに近づいてくれる。という原理だそうです。
そのことにより、願望実現なり苦境からの脱出をするということだそうです。

でそれを行うのに、真言系なら「三密加持」、天台系なら「六根清浄」という行を行います。また坊さんに護摩をたいてもらっても、結局自分の心や身のありようを整えたり変えたりしないと、なにも無いわけです。ついでに、その願いや頼む神仏によって、護摩や祈祷の方法が変わってきます。

て神仏のような人間よりも能力的にすぐれたものでさえ、人間側が、それに適当なアプローチをさまざまな中から選択しないといけないのです。

となると、子供という人間と同等なものには、尚それぞれに適応したアプローチを選択するのが重要になります。

孫子は「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」といいます。
が相手のことを知ったりそれによりアプローチを変えようとしないのは「己を知り彼を知らないと、一勝一敗す」といいます、曹操はその注釈で

「己を知っても彼を知らないのは、結局なにも知らないのと同じだ。負けるに決まっている。」

といいます。


本当の意味で「己を知っている」ものが「人を知れる
」のであって、人を知れないのは、自分を知っているつもりで、何も知らないのと同じなのでしょうかね。 (2008.09.26 10:11:05)

Re:加持祈祷。(09/26)  
森の声  さん

今のじぶんに・・・  
にっこり さん
こだわりじゃなくて、信念を持って生きればいいんだと、自分にずっと言い聞かせてきました。

でも、自分が正しいと信じることばかりを主張するのは、押し付けですよね。。心の中で、「なぜ私をわかってくれない・・!!」と、しばしば嫌悪感でいっぱいでした。やっぱり自己中ワンパターンだったのだと・・・(とほほです。。。)

でも、篠先生のブログを毎日きちんと読んでいると、だんだんわかってくる気がします。
次は理念を持って!!なんて、あっさり方向転換することなく、いい意味で自由自在に自分らしく、いけるような、私がいます。きっと・・・


いつもありがとうございます(^-^)





(2008.09.26 23:22:51)

Re:今のじぶんに・・・(09/26)  
森の声  さん
にっこりさん
>こだわりじゃなくて、信念を持って生きればいいんだと、自分にずっと言い聞かせてきました。

>でも、自分が正しいと信じることばかりを主張するのは、押し付けですよね。。心の中で、「なぜ私をわかってくれない・・!!」と、しばしば嫌悪感でいっぱいでした。やっぱり自己中ワンパターンだったのだと・・・(とほほです。。。)

信念を持って生きるのは非常に大切です。
でも、「信念」と「方法」は分けて考えた方がいいかも知れません。 (2008.09.27 05:45:21)

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