ヨウコさん

>私たちの親世代には、せめてお金だけでも協力してほしい(そんなことに使うなら!と思うことだらけ)。。と本音です。

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そのお金を得るために犠牲にしてきたことが今問題になっているのですから、皮肉なものです。 (2012.08.11 08:22:36)

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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.08.10
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カテゴリ: カテゴリ未分類


今、茅ヶ崎で月一回「遊びの会」というものをやっています。
今月は明日です。様々な楽器などを使って「音遊び」をします。
チラシはここです。

ただし、毎回参加できなくても基本的に継続参加が条件です。
ご興味のある方は お問い合わせ下さい。

*********************




そのような哲学も、方法も失ってしまったからです。

ですから「思い通りにならない相手」と出会ったときは、無視するか、否定するか、排除するか、その相手から逃げようとします。

また、現代社会はそのようなことが許される自由な社会でもあります。

離婚があまり肯定的に受け入れられない社会では、一度結婚したら色々なトラブルがあってもお互いに理解し合い、協力し合いながら、なんとか共に生きていこうと努力しますが、離婚に抵抗のない社会では、そのような努力をする必要がありません。

気が合わなければ別れてしまえばいいのです。

会社だって同じです。就職してみて「違うな」と感じたら辞めてしまえばいいのです。

自分の容姿ですら、簡単に変えてしまえる時代です。

飽きたら変えればいいのです。そこには何の罪悪感も抵抗もありません。それは流行やファッションなどにおける感覚と同じです。



でも、その自由を享受するためにはお金が必要です。お金がなければ別れたくても別れられないし、会社を辞めたくても辞めることが出来ないし、整形を受けたくても受けることが出来ません。

現代人の考える「自由」はお金で買うことが出来るのです。というか「お金では買うことが出来ない自由」があることを多くの人が知りません。

ですから、みんなお金を得るために我慢して仕事をします。昔の人にとっては「仕事」は自分の人生そのものでしたが、現代人にとっては単にお金を稼ぐための手段に過ぎません。

だからこそ、「合わないな」と感じたら簡単に変えることができるのです。

でも、そんな風に何でもかんでも簡単に変えることが出来る社会にあっても、絶対に変えることが出来ないものがあります。それが「死」と、「自分が産んだ我が子」と、「自分の親」です。

どんなにお金を持っていても、こればっかりは変えようがないのです。ただし、「親」からは逃げられます。でも、「死」と「我が子」からは逃げられません。

逆に言うと、だから逃げてはいけないのです。逃げることが出来ないものから逃げようとすると、一生続く苦しみだけがやってきます。

でも、受け入れ、共存することで「自分が生まれてきた意味」と「生きている喜び」を発見することが出来ます。

そして、人間として成長することも出来ます。

実は、「絶対に逃げられないもの」とは、「自分自身」なのです。その自分自身を映す鏡として「死」と「我が子」がいるのです。だから逃げられるわけがないのです。

逆に言えば、「自分自身」を受け入れることが出来ない人は「死」も「我が子」も受け入れることが出来ないということです。

でも、現代人にはその「受け入れる」という感覚も方法も分かりません。小さいときから追い立てられ、「ありのまま」を受け入れてもらってこなかったからです。



だから支配しようとします。
ペットを飼うように、支配することで共存しようとするのです。

西洋文明は自然に対してもそのように関わってきました。

でも、ペットはその支配を受け入れますが、子どもはその支配を拒絶します。
自然はその支配によって生命力を失います。



でも人間はまだ、「内側からの病」に対応するすべを持っていません。





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Last updated  2012.08.10 10:40:30
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共生が強制に  
天然堂 さん
自然と上手く関われない人達(うちの山の神さんも)にとっては、耐えられないんでしょうね。自然の全てを管理しようという気持ち(考え方)が間違っていることに気づいてほしいと願っています。 (2012.08.10 19:13:08)

Re:「共に生きるということ」(思い通りにならない相手との共存)(08/10)  
ヨウコ さん
昨日と今日のブログを拝見し、私自身の子育ての苦しさが、そうそう、それで私は苦しいんだ!と良く分かりました。こんな風な社会にしたのはだれだ!と腹立たしささえ覚えます。
土のない簡単便利な暮らしの中で、すべて思い通りにいく錯覚の中で、良い子でいることを最優先に(自分の心は置き去りにして)育ち、体力と気力のない自己肯定間の低い母親になりました。

本質的なことに気づきを持っても、お産も子育ても、母親は体力はない(もう本当にしんどいし大変)は、地域に助けてもらえる環境、受け皿はない(それどころか毒害ばかり)は、自分達で環境を作ろうとしても、農村は70代のおじいちゃんおばあちゃんがなんとか維持しているという崩壊寸前(子供はいないし、子育ての環境以前の問題)。
やらなければならないことがたくさんです。
子どもが自然の中で、つながりの中で、子供の中で育つ環境を作りたい。私の子どもが大きくなり子育てする頃になって、ようやく芽が出るような事を、地道に笑いながらしていこう。今はそう話しています。
私たちの親世代には、せめてお金だけでも協力してほしい(そんなことに使うなら!と思うことだらけ)。。と本音です。
(2012.08.11 01:26:54)

Re:共生が強制に(08/10)  
森の声  さん
天然堂さん
>自然の全てを管理しようという気持ち(考え方)が間違っていることに気づいてほしいと願っています。
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もしかしたらこれも間違いなのかも知れませんよ。 (2012.08.11 08:20:05)

Re[1]:「共に生きるということ」(思い通りにならない相手との共存)(08/10)  
森の声  さん

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