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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2012.08.22
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カテゴリ: カテゴリ未分類
昨日は、



それに対して、選択する時に必要になる「考える能力」は「発見する能力」しか必要としていません。


と書きました。

どんな能力でも同じなのですが、この四つの能力もまた「体験」によって成長します。

でも、今、一般的な子どもたちが一番体験しているのは選択する事ばかりです。

感じることでも、創造することでも、想像することでもありません。

昔の子どもたちは、自分たちの遊び道具は自分たちで作りました。ですから、そのような体験を通して「創造する能力」や、「想像する能力」などが育っていました。

(「創造する能力」は、この四つの能力が総合的に働くことによって生まれます。)

でも、今の子どもたちはおもちゃ屋さんや、テレビや、ネットで選ぶだけです。

その際に必要になるのは、色々な情報や差違を発見する能力だけです。



テレビやネットをいくら見ても、この能力は育ちません。

また、みんな貧しかったのと、まだ、便利な機械やお店などが存在していなかったので、どこの家庭でも、何かが壊れた時には直して使っていました。

また、手作りすることで何とかやりくりしていました。そこで「工夫する能力」も育ちました。

そして、そのような子ども時代を過ごした人たちが日本の高度経済成長を支えてきました。ですから、創造的な能力においては、今の若者たちは団塊の世代の人たちにはかないません。

でも、今の日本の問題点を作りだしたのもそのような人たちです。原発依存社会や、経済やお金だけが全て、という社会を作りだしてきたのもそのような人たちです。

そして、政治家たちを見ていても、「まだ起きていないことを考える能力」は持っていないようです。

優秀ではありましたが、何かが抜けていたのです。

日本の経済成長時代に、一番大切にされなかったのが「(自分や生命を)感じる能力」です。この「感じる能力」を無視したからこそ、あれだけ無理な成長が可能になったのです。

でもだから、「道」を誤ってしまったのです。
そして、日本は今、このような行き詰まった社会になってしまったのです。

「感覚」は大海原を航海する時に必要になる「羅針盤」と同じものです。そして、羅針盤があるから正確な航路を予測することができるのです。



この閉塞的な状況の中で、老人たちが否定し、捨ててしまったものの価値に気づき始めたのかも知れません。

またそれは、生命の働きから生まれた本能的衝動なのかも知れません。そのため今の若者たちは非常に感覚的です。そして、自分の感覚を大切にします。

でも、感覚的ではあっても、ちゃんと「感じる能力」として育てられているわけではないので、多くの若者がその「感覚」に振り回されてばかりいます。

また、今の若者たちは自分の人生を切り開いていくために必要になる「想像する能力」や「創造する能力」や、「工夫する能力」が未熟です。そのため、簡単に他者に依存してしまったり、非現実的世界の中に「感覚的安住の地」を求めてしまいます。

「羅針盤」はあっても、その羅針盤が「新しい未来」の方向に向かってではなく、「逃げ場所」を探すことだけに使われてしまっているのです。



人類史的な大きな視点から見たら、これもまた歴史的必然であり、過渡的な現象なのかも知れませんが、いずれにしてもこのままでは船が沈没してしまいます。

大切なのは、「感じる能力」と、「発見する能力」と、「工夫する能力」と、「想像する能力」の四つの能力がバランスよく育つことなのです。

そこで必要になるのが、「異年齢の仲間との遊び」や、「自分のアイデアで作る体験」や、「いっぱい物語を読んだり聞いたりする体験」や、「芸術的な表現や創作活動」や、「自然体験」や、「植物や生き物を育てる体験」なのです。

特に野菜などを育てる体験は「未来を考える体験」につながります。ですから、子どもたちに是非体験させたいことです。

そのせいか、今、このような状況の中で農業に取り組もうとしている若い人たちは、未来に対して非常にしっかりとした考え方を持っているように感じます。

*********

「引き寄せの法則」というものがあります。それは「出来事は自分の心の状態に呼応して起きるものだ」というようなものです。

ですから、心の状態を良い状態にしておくと、「良いこと」が起き、悪い状態にしておくと「悪いこと」が起きるというようなことです。

確かに、「自分」が原因となって起きるような出来事においては、このような傾向はあります。

でも、そんなこと当たり前です。日常生活における多くの現象は「自分の鏡」として発生しているからです。

お母さんがニコニコしていれば、子どももニコニコします。

同じような状況で困っている人がいても、その人が「感じが悪い人」なら助ける人は少ないでしょうが、その人が「感じがいい人」なら、多くの人が助けるでしょう。

では、不幸な出来事に見舞われた人たちは、みな心が悪い状態だったのか、というとそんなことはないはずです。

「原発の事故で不幸に遭われた人たち」や、「様々な事件や事故に遭われた人たち」や、「会社がつぶれた人たち」や、また「虐待にあった人たち」は、自分で自分の不幸を招いたのだ、などと考える人はいないはずです。

それを言ってしまったら、カルト集団と同じことになってしまいます。
(昔の人はそれを「前世」のせいにしました。)

また、試合で負けてしまった選手に対して「負けたのは、“自分は勝つんだ”という想いが少なかったからだ」と言ってしまったら、戦争中に「大和魂があれば竹槍でも鉄砲に勝つことが出来る」などとバカなことを言っていた人たちと同じになってしまいます。

「引き寄せの法則」は「心がけ」としては素晴らしいものですが、それだけに頼っている生き方は一種の「依存症」であり、「未来」に対する無責任でもあります。

またそれは、「与えられるのを待っている姿勢」であり、そこには「まだ起きていないことに対する思考」も、「未来を創造する意志」も、「未来に対する責任」も存在していません。





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Last updated  2012.08.22 11:01:08
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