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「楽しさ」を意識し… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2022.04.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
人間と他の生き物の違いは色々とありますが、そのほとんどは「量」や「質」の違いでしかありません。

「頭がいい」ことを人間の特徴として上げる人もいますが、人間以外の生き物だってみんな考える能力は持っています。じゃないと生きられないからです。
カラスは小学校低学年程度の知能を持つといわれています。知能の形にも色々とありますから単純な比較は出来ませんが、論理的に考える能力においてはそのくらいの能力を持っているようです。

「自分という意識」を持っているかどうかを「人間」と「他の生き物」を分ける基準として考える人もいますが、イヌや象やイルカなどは「自分という意識」を持っている可能性が高いと言われています。

「言葉」は人間以外の生き物でも持っています。植物でさえ独自の「言葉」でコミュニケーションを取っているという説もあります。

二足歩行することが出来る生き物はいっぱいいます。

道具を使う生き物だっていっぱいいます。

ですから、これらのいずれの能力も、「人間」と「人間以外の生き物」を分ける決定的な違いにはならないのです。

でも私は、「美を感じ、美を求める感性」だけは人間固有のものなのではないかと思っています。


クモは美しい蜘蛛の巣を作りますが、クモ自身は美を求めてあのような巣を作っているわけではありません。効率よく餌をつかまえるためにあのようなデザインになってしまっているだけです。

自然は美しいですが、意図的に美しくなるように作られているわけではありません。自然は「あるがまま」にあるだけです。
「あるがまま」という自然原理が全ての存在をつなげ、調和させ、結果として一番無駄のない形を創り出しているのです。自然の美しさは、一種の機能美なんです。そして、人間はそこに「美」を感じるのです。
蜘蛛の巣の美しいのも、イルカの流線型が美しいのも、蝶の羽が美しいのも機能美です。

でも、そんな「自然」を美しいと感じるのは人間だけです。人間の中の「何か」が〝美〟と共鳴するのです。

人間は更に「機能から切り離された美」すら求めるようになり、それが「芸術」と呼ばれる活動を生み出しました。
確かに、芸術は社会的には「無駄な活動」ですが、人間が人間らしい精神と魂と感性を維持するためには絶対的に必要なものなんです。

人が「心の自由」を得るためには芸術的な活動が必要なのです。無駄なものであるが故に心を自由にしてくれるのです。

真・善・美という言葉がありますが、「真」や「善」を支えているのも、人間の「美的な感性」です。
「人間らしさ」や「優しさ」に価値を与えているのも、その「美的な感性」です。
またこの「美的な感性」は「不思議を感じる感性」ともつながっています。「美を感じる感性」と「不思議を感じる感性」は根っこが一緒だからです。

だから、幼い子どもたちにはいっぱいいっぱい芸術的な体験を与えてあげて欲しいのです。


部屋の中に花を飾ることだって芸術的な活動です。
子どもと一緒に歌ったり踊ったりすることだって芸術的な活動です。一緒にお料理を作ることだって芸術的な活動です。
正解がない活動を楽しむ行為そのものが芸術的な体験になるのです。
そして、思春期頃になり楽しいだけでは満足できなくなったとき〝美〟を求め始めるのです。

でも、機能性や合理性にばかり価値を感じるようになってしまった現代人は、美を感じ、芸術と共鳴する感性を失いつつあります。





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Last updated  2022.04.11 09:04:52
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